Soranoha

三等車の中(スケッチ)

さんとうしゃのなか(スケッチ)

中原 中也

疲れてゐるのに眠られぬ。車室の中は満員である。棚の上もトランクや土産物で一杯である。

僕の連れの男は僕の丁度直ぐ前の席に、もう先刻から眠つてゐる。汽車が東京を出発してから、二タ言三言言ひかはしたばかりである此の男は、節野と云つて、外国語学校の夜学で知合ひになつた男である。午後の五時から七時までのその夜学では、生徒は勤め人かそれとも他の学校に席を有してゐるものであり、如何にもみんな一寸顔を出してゐるといつた気持で来てをり、二年間一緒の教室にゐて、一度も話を交はさずに終る男もあるのである。僕と節野とは、教室で可なり口をきき合つたのであり、一緒に酒場なぞにも行つた男であるが、それでも彼の昼間通つてゐる日本大学の同級生が其の場に来合せたりすると、その方が主しゆになるのである。無論僕は、愉快な男といふのでもないから、さうなるのでもあるけれど、なんとなくその夜学といふのは、妙に互ひにそはそはした気持でゐる所であり、其処での知合ひだといふことが僕達を打解けさせない大きい理由のやうに思はれるのであつた。僕達は今卒業して、二人ともそれぞれの郷里に帰つてゆく。随分愛想のいいその男が、汽車に乗るや間もなく眠つてしまつたことは、なんとなくその夜学二年間の総計のやうな気がされて淋しいやうでないこともない。

汽車が箱根を越える頃、降りやんでゐた雨は再び降り出して来て、窓硝子の上に斜めの線を引きはじめた。乗客の三分の二はもう眠りに就いてゐる。手拭を顔に掛けたり、外套をかぶつたりしてゐるそのいぎたない風景の上に、電燈は明あか々と明あかつて、幾つもの仕切板の角々のあのラックの光沢に反射してゐる。

窓の外は真つ暗で、硝子に額をすり寄せて見ても森と空との境界も漸く見分けられるくらゐであつた。

僕の直ぐ隣にはばかに肥ふとつた男がゐて、僕は追ひ詰められたやうになつて腰掛けてゐる。大きいトランクを二つ持つて、お土産物も沢山棚に積んでゐる此の男は、神経が太くて、まづまづ彼の親戚間では成巧者であるのに相違ない。汽車が東京駅を出たばかりの時、僕の連れの横手にゐる男がどちらまでですと訊ねたが此の男は返事もしないで見てゐた新聞をパシヤリと畳み直すと、又他の面を読みはじめた。黒のサージの背広を着て、テカテカに光るネクタイを締めてゐる。ポマードは生え際ばかりに厚く塗つたくつてあつて、その太い首が動くたびに山猫か何かの感じがした。今はもうぐつすり眠つてゐて、脚を伸ばしたい放題に伸ばしてゐる。かういふ風なら時代の如何を問はず運命を開拓してゆくのであらうと思つた。

通路を距てて直ぐの向ひ側には、鉄道従業員の妻君みたいなのが、胸をはだけて赤ン坊に乳を飲ませてゐる。その赤ン坊が五分置きくらゐには目を覚まして泣きはじめる。そのたびにレールの軋音は肉声に消され、電燈はひときは明るくなるやうに思はれる。その赤ン坊の真ん前に腰掛けてゐるのは女の先生で、尤も先生だといふことは翌朝になつて分つたので、一寸見た所では薬専か歯科医専の生徒だらうと思はれた。銘仙の袷に金紗の羽織を着、兎の毛で縁をとつたオールドローズの繻子の肩掛に寒々とくるまり、海老茶の袴を胸高く穿いてゐる。鼻翼こばなの所はおしろいが剥落ちてゐて、一寸突いたらビリビリと破けさうな感じがする。可哀想に前の赤ん坊が目を覚ますたんびにその泣声に目を覚まし、俄かづくりの笑顔で以て赤ン坊をあやしてやる。赤ン坊の洟が出た時には、その所狭い胸に挟めてあつた紙を出して、てづから洟を拭つてやつた。はじめにはイヤな奴だと思つてゐたが、だんだん見てゐると気の毒になつた。それにしても我が国婦人の服装たるやなんと脆い感じのするものだらう。実に神経を使はなくては、何時も綺麗でキチンとしてゐるとはいくまい婦人の和服といふものは、段々改良されてはゆくのであらうか、なぞとそのうち僕は考へ始めたものである。汚れ易く、破れ易く、着くづれし易く、こんな服装を讃へなければならない我々日本男児は、なんとなく不幸であるやうに思へる。かといつてどう改良したらいいかといふことになると、結局やつぱりこの儘でいいやといふやうなことになつて来て、此の事ならず一切が、実に屁下手へまづく退屈なのが人生である。

みんな諦めてくたびれて、グウグウ眠つてゐる。大騒ぎをして買集めたであらうあれ等のお土産を棚の上に置いて、かうしていぎたなく眠つてゐる人間といふものは、思へば滑稽なものではないか。

(一九三三・四・一七)

底本 / Source edition

底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店
2003(平成15)年11月25日初版発行
※底本のテキストは、著者自筆稿によります。
※()内の編者によるルビは省略しました。
※底本巻末の編者による語註は省略しました。
※表題は底本では、「三等車の中[#1段階小さな文字](スケッチ)[#小さな文字終わり]」となっています。
入力:村松洋一
校正:noriko saito
2017年12月26日作成
2018年4月25日修正
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TEI
/works/055774_000026/tei
プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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中原 中也「三等車の中(スケッチ)」(新字旧仮名)、底本『新編中原中也全集 第四巻 評論・小説』角川書店、2003年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 055774_000026, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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