Soranoha

ゆく雲

ゆくくも

樋口 一葉

記者曰、一葉女史樋口夏子の君は明治五年をもて東京に生まれ、久しく中島歌子女史を師として今尚歌文を學ばる〻傍、武藏野、都の花、文學界等の諸雜誌に新作小説多く見えぬ、

(上)

酒折さかをりの宮みや、山梨やまなしの岡をか、鹽山ゑんざん、裂石さけいし、さし手での名なも都人こゝびとの耳みゝに聞ききなれぬは、小佛こぼとけさゝ子ごの難處なんじよを越こして猿橋さるはしのながれに眩めくるめき、鶴瀬つるせ、駒飼こまかひ見みるほどの里さともなきに、勝沼かつぬまの町まちとても東京こゝにての塲末ばすゑぞかし、甲府かうふは流石さすがに大厦高樓たいかかうろう、躑躅つつじが崎さきの城跡しろあとなど見みる處ところのありとは言いへど、汽車きしやの便たよりよき頃ころにならば知しらず、こと更さらの馬車腕車ばしやくるまに一晝夜ちうやをゆられて、いざ惠林寺ゑりんじの櫻見さくらみにといふ人ひとはあるまじ、故郷ふるさとなればこそ年々とし〲の夏休なつやすみにも、人ひとは箱根はこね伊香保いかほともよふし立たつる中なかを、我われのみ一人ひとりあし曳びきの山やまの甲斐かひに峯みねのしら雲くもあとを消けすこと左さりとは是非ぜひもなけれど、今歳ことしこの度たびみやこを離はなれて八王子わうじに足あしをむける事ことこれまでに覺おぼえなき愁つらさなり。

養父やうふ清左衞門せいざゑもん、去歳こぞより何處どこ开處そこからだに申分まうしぶんありて寐ねつ起おきつとの由よしは聞ききしが、常日頃つねひごろすこやかの人ひとなれば、さしての事ことはあるまじと醫者いしやの指圖さしづなどを申やりて、此身このみは雲井くもゐの鳥とりの羽はがひ自由じゆうなる書生しよせいの境界けうがいに今いましばしは遊あそばるゝ心こゝろなりしを、先さきの日ひ故郷ふるさとよりの便たよりに曰いはく、大旦那おほだんなさまこと其後そのごの容躰ようだいさしたる事ことは御座ござなく候へ共ども、次第しだいに短氣たんきのまさりて我意わがまゝつよく、これ一つは年としの故せいには御座ござ候はんなれど、隨分ずいぶんあたりの者もの御ご機きげんの取とりにくゝ、大心配おほしんぱいを致いたすよし、私わたくしなど古狸ふるだぬきの身みなれば兎角とかくつくろひて一日二日と過すごし候へ共ども、筋すぢのなきわからずやを仰おほせいだされ、足あしもとから鳥とりの立たつやうにお急せきたてなさるには大閉口おほへいこうに候、此中このぢうより頻しきりに貴君樣あなたさまを御手おてもとへお呼よび寄よせなさり度たく、一日も早はやく家督相續かとくさうぞくあそばさせ、樂隱居らくいんきよなされ度たきおのぞみのよし、これ然しかるべき事ことと御親類ごしんるい一同どうの御决義ごけつぎ、私わたくしは初手しよてから貴君樣あなたさまを東京とうけうへお出だし申すは氣きに喰くはぬほどにて、申しては失禮しつれいなれどいさゝかの學問がくもんなど何どうでも宜よい事こと、赤尾あかをの彦ひこが息子むすこのやうに氣きちがひに成なつて歸かへつたも見みて居をり候へば、もと〱利發りはつの貴君樣あなたさまに其その氣きづかひはあるまじきなれど、放蕩ほうたうものにでもお成なりなされては取返とりかへしがつき申さず、今いまの分ぶんにて孃じようさまと御祝言ごしうげん、御家督ごかとく引ひきつぎ最もはや早はやきお歳としにはあるまじくと大賛成おほさんせいに候、さだめしさだめし其地そのちには遊あそばしかけの御用事ごようじも御座ござ候はん夫それ等らを然しかるべく御取おとりまとめ、飛鳥とぶとりもあとを濁にごすなに候へば、大藤おほふぢの大盡だいじんが息子むすこと聞ききしに野澤のざわの桂次けいじは了簡りようけんの清きよくない奴やつ、何處どこやらの割前わりまへを人ひとに背負せよはせて逃にげをつたなど〻斯かふいふ噂うわさがあと〱に殘のこらぬやう、郵便爲替いうびんかはせにて證書面しようしよめんのとほりお送おくり申候へども、足たりずば上杉うへすぎさまにて御立おたてかへを願ねがひ、諸事しよじ清潔きれいにして御歸おかへりなさるべく、金かね故ゆへに恥はぢをお掻かきなされては金庫きんこの番ばんをいたす我等われらが申わけなく候、前ぜん申せし通とほり短氣たんきの大旦那おほだんなさま頻しきりに待まちこがれて大おほぢれに御座ござ候へば、其地そのちの御片おかたつけすみ次第しだい、一日もはやくと申納おさめ候。六藏ざうといふ通かよひ番頭ばんとうの筆ふでにて此樣このやうの迎むかひ状ぶみいやとは言いひがたし。

家いゑに生㧞はへぬきの我われ實子じつしにてもあらば、かゝる迎むかへのよしや十度たび十五たび來きたらんとも、おもひ立たちての修業しゆぎやうなれば一ト廉かどの學問がくもんを研みがかぬほどは不孝ふこうの罪つみゆるし給たまへとでもいひやりて、其その我わがまゝの徹とほらぬ事こともあるまじきなれど、愁つらきは養子やうしの身分みぶんと桂次けいじはつく〲他人たにんの自由じゆうを羨うらやみて、これからの行ゆく末すゑをも鎖くさりにつながれたるやうに考かんがへぬ。

七つのとしより實家じつかの貧ひんを救すくはれて、生うまれしまゝなれば素跣足すはだしの尻しりきり半纒ばんてんに田圃たんぼへ辨當べんたうの持もちはこびなど、松まつのひでを燈火ともしびにかへて草鞋わらんじうちながら馬士歌まごうたでもうたふべかりし身みを、目鼻めはなだちの何處どこやらが水子みづこにて亡うせたる總領そうりやうによく似にたりとて、今いまはなき人ひとなる地主ぢぬしの内儀つまに可愛かあいがられ、はじめはお大盡だいじんの旦那だんなと尊たつとびし人ひとを、父上ちゝうへと呼よぶやうに成なりしは其身そのみの幸福しやわせなれども、幸福しやわせならぬ事ことおのづから其中そのうちにもあり、お作さくといふ娘むすめの桂次けいじよりは六つの年少とししたにて十七ばかりになる無地むぢの田舍娘いなかものをば、何どうでも妻つまにもたねば納おさまらず、國くにを出いづるまでは左さまで不運ふうんの縁ゑんとも思おもはざりしが、今日けふこの頃ごろは送おくりこしたる寫眞しやしんをさへ見みるに物ものうく、これを妻つまに持もちて山梨やまなしの東郡ひがしごほりに蟄伏ちつぷくする身みかと思おもへば人ひとのうらやむ造酒家つくりざかやの大身上おほしんしようは物もののかずならず、よしや家督かとくをうけつぎてからが親類縁者しんるいえんじやの干渉かんしようきびしければ、我わが思おもふ事ことに一錢せんの融通ゆうづうも叶かなふまじく、いはゞ寳たからの藏くらの番人ばんにんにて終おはるべき身みの、氣きに入いらぬ妻つままでとは彌〻いよ〱の重荷おもになり、うき世よに義理ぎりといふ柵しがらみのなくば、藏くらを持もちぬしに返かへし長途ちやうとの重荷おもにを人ひとにゆづりて、我われは此東京このとうけうを十年ねんも二十年ねんも今いますこしも離はなれがたき思おもひ、そは何故なにゆえと問とふ人ひとのあらば切きりぬけ立派りつぱに言いひわけの口上こうじようもあらんなれど、つくろひなき正しようの處ところこ〻もとに唯たゞ一人ひとりすてゝかへる事ことのをしくをしく、別わかれては顏かほも見みがたき後のちを思おもへば、今いまより胸むねの中なかもやくやとして自おのづから氣きもふさぐべき種たねなり。

桂次けいじが今いまをる此許こゝもとは養家やうかの縁ゑんに引ひかれて伯父をぢ伯母をばといふ間あひだがら也なり、はじめて此家このやへ來きたりしは十八の春はる、田舍縞いなかじまの着物きものに肩かた縫ぬひあげをかしと笑わらはれ、八つ口くちをふさぎて大人おとなの姿すがたにこしらへられしより二十二の今日けふまでに、下宿屋住居げしゆくやずまゐを半分はんぶんと見みつもりても出入でいり三年ねんはたしかに世話せわをうけ、伯父おぢの勝義かつよしが性質せいしつの氣きむづかしい處ところから、無敵むてきにわけのわからぬ強情がうじようの加减かげん、唯〻たゞ〱女房にようぼうにばかり手てやはらかなる可笑をかしさも呑込のみこめば、伯母おばなる人ひとが口先くちさきばかりの利口りこうにて誰たれにつきても根ねからさつぱり親切氣しんせつげのなき、我欲がよくの目當めあてが明あきらかに見みえねば笑わらひかけた口くちもとまで結むすんで見みせる現金げんきんの樣子やうすまで、度〻たび〱の經驗けいけんに大方おほかたは會得えとくのつきて、此家このやにあらんとには金かねづかひ奇麗きれいに損そんをかけず、表おもてむきは何處どこまでも田舍書生いなかじよせいの厄介者やつかいものが舞まひこみて御世話おせわに相成あいなるといふこしらへでなくては第だい一に伯母御前おばごぜが御機嫌ごきげんむづかし、上杉うえすぎといふ苗字めうじをば宜よいことにして大名だいめうの分家ぶんけと利きかせる見得みえぼうの上うへなし、下女げじよには奧樣おくさまといはせ、着物きものは裾すそのながいを引ひいて、用ようをすれば肩かたがはるといふ、三十圓ゑんどりの會社員くわいしやゐんの妻つまが此形粧このげうそうにて繰廻くりまわしゆく家いゑの中うちおもへば此女このをんなが小利口こりこうの才覺さいかくひとつにて、良人おつとが箔はくの光ひかつて見みゆるやら知しらねども、失敬しつけいなは野澤桂次のざわけいじといふ見事みごと立派りつぱの名前なまへある男をとこを、かげに廻まわりては家うちの書生しよせいがと安々やす〱こなされて、御玄關番おげんくわんばん同樣どうやうにいはれる事こと馬鹿ばからしさの頂上てうじようなれば、これのみにても寄よりつかれぬ價値ねうちはたしかなるに、しかも此家このやの立たちはなれにくゝ、心こゝろわるきまゝ下宿屋げしゆくやあるきと思案しあんをさだめても二週間しうかんと訪問おとづれを絶たちがたきはあやし。

十年ねんばかり前まへにうせたる先妻せんさいの腹はらにぬひと呼よばれて、今いまの奧樣おくさまには繼まゝなる娘こあり、桂次けいじがはじめて見みし時ときは十四か三か、唐人髷とうじんまげに赤あかき切きれかけて、姿すがたはおさなびたれども母はゝのちがふ子こは何處どこやらをとなしく見みゆるものと氣きの毒どくに思おもひしは、我われも他人たにんの手てにて育そだちし同情どうじようを持もてばなり、何事なにごとも母親はゝおやに氣きをかね、父ちゝにまで遠慮ゑんりよがちなれば自おのづから詞ことばかずも多おほからず、一目めに見みわたした處ところでは柔和おとなしい温順すなほの娘むすめといふばかり、格別かくべつ利發りはつともはげしいとも人ひとは思おもふまじ、父母ちゝはゝそろひて家いゑの内うちに籠こもり居ゐにても濟すむべき娘むすめが、人目ひとめに立たつほど才女さいじよなど呼よばるゝは大方おほかたお侠きやんの飛とびあがりの、甘あまやかされの我わがまゝの、つゝしみなき高慢こうまんより立たつ名ななるべく、物ものにはゞかる心こゝろありて萬よろづひかへ目めにと氣きをつくれば、十が七に見みえて三分ぶの損そんはあるものと桂次けいじは故郷ふるさとのお作さくが上うへまで思おもひくらべて、いよ〱おぬひが身みのいたましく、伯母おばが高慢こうまんがほはつく〲と嫌いやなれども、あの高慢こうまんにあの温順すなほなる身みにて事ことなく仕つかへんとする氣苦勞きぐろうを思おもひやれば、せめては傍そば近ちかくに心こゝろぞへをも爲なし、慰なぐさめにも爲なりてやり度たしと、人ひと知しらば可笑をかしかるべき自うぬぼれも手傳てつだひて、おぬひの事ことといへば我わが事ことのように喜よろこびもし怒いかりもして過すぎ來きつるを、見みすてゝ我われ今いま故郷こきようにかへらば殘のこれる身みの心こゝろぼそさいかばかりなるべき、あはれなるは繼子まゝこの身分みぶんにして、腑甲斐ふがひないものは養子やうしの我われと、今更いまさらのやうに世よの中なかのあぢきなきを思おもひぬ。

(中)

まゝ母はゝ育そだちとて誰たれもいふ事ことなれど、あるが中なかにも女をんなの子この大方おほかたすなほに生おひたつは稀まれなり、少すこし世間並せけんなみ除のけ物ものの緩ゆるい子こは、底意地そこいぢはつて馬鹿強情ばかごうじようなど人ひとに嫌きらはるゝ事ことこの上うへなし、小利口こりこうなるは狡ずるき性根せうねをやしなうて面めんかぶりの大變たいへんものに成なるもあり、しやんとせし氣性きせうありて人間にんげんの質たちの正直せうぢきなるは、すね者ものの部類ぶるいにまぎれて其身そのみに取とれば生涯せうがいの損そんおもふべし、上杉うへすぎのおぬひと言いふ娘こ、桂次けいじがのぼせるだけ容貌きりようも十人なみ少すこしあがりて、よみ書かき十露盤そろばんそれは小學校せうがくかうにて學まなびし丈だけのことは出來できて、我わが名なにちなめる針仕事はりしごとは袴はかまの仕立したてまでわけなきよし、十歳とをばかりの頃ころまでは相應さうおうに惡戯いたづらもつよく、女をんなにしてはと亡なき母親はゝおやに眉根まゆねを寄よせさして、ほころびの小言こごとも十分ぶんに聞ききし物ものなり、今いまの母はゝは父親てゝおやが上役うわやくなりし人ひとの隱かくし妻づまとやらお妾めかけとやら、種々さま〲曰いはくのつきし難物なんぶつのよしなれども、持もたねばならぬ義理ぎりありて引ひきうけしにや、それとも父ちゝが好このみて申受うけしか、その邊へんたしかならねど勢力せいりよくおさ〱女房天下にようぼうてんかと申やうな景色けしきなれば、まゝ子こたる身みのおぬひが此瀬このせに立たちて泣なくは道理だうりなり、もの言いへば睨にらまれ、笑わらへば怒おこられ、氣きを利きかせれば小こざかしと云いひ、ひかえ目めにあれば鈍どんな子こと叱しかられる、二葉ばの新芽しんめに雪霜ゆきしものふりかゝりて、これでも延のびるかと押おさへるやうな仕方しかたに、堪たへて眞直まつすぐに延のびたつ事こと人間にんげんわざには叶かなふまじ、泣ないて泣ないて泣なき盡つくくして、訴うつたへたいにも父ちゝの心こゝろは鐵かねのやうに冷ひえて、ぬる湯ゆ一杯ぱいたまはらん情なさけもなきに、まして他人たにんの誰たれにか慨かこつべき、月つきの十日に母はゝさまが御墓おんはかまゐりを谷中やなかの寺てらに樂たのしみて、しきみ線香せんかう夫〻それ〱の供そなへ物ものもまだ終おはらぬに、母はゝさま母はゝさま私わたしを引取ひきとつて下くだされと石塔せきたうに抱いだきつきて遠慮ゑんりよなき熱涙ねつるい、苔こけのしたにて聞きかば石いしもゆるぐべし、井戸ゐどがはに手てを掛かけて水みづをのぞきし事こと三四度どに及およびしが、つく〲思おもへば無情つれなしとても父樣とゝさまは眞實まことのなるに、我われはかなく成なりて宜よからぬ名なを人ひとの耳みゝに傳つたへれば、殘のこれる耻はじは誰たが上うへならず、勿躰もつたいなき身みの覺悟かくごと心こゝろの中うちに侘言わびごとして、どうでも死しなれぬ世よに生中なまなか目めを明あきて過すぎんとすれば、人並ひとなみのうい事ことつらい事こと、さりとは此身このみに堪たへがたし、一生せう五十年ねんめくらに成なりて終をわらば事ことなからんと夫それよりは一筋すぢに母樣はゝさまの御機嫌ごきげん、父ちゝが氣きに入いるやう一切さいこの身みを無ないものにして勤つとむれば家いゑの内うちなみ風かぜおこらずして、軒のきばの松まつに鶴つるが來きて巣すをくひはせぬか、これを世間せけんの目めに何なにと見みるらん、母御はゝごは世辭せじ上手じようずにて人ひとを外そらさぬ甘うまさあれば、身みを無ないものにして闇やみをたどる娘むすめよりも、一枚まいあがりて、評判ひようばんわるからぬやら。

お縫ぬいとてもまだ年としわかなる身みの桂次けいじが親切しんせつはうれしからぬに非あらず、親おやにすら捨すてられたらんやうな我わが如ごときものを、心こゝろにかけて可愛かわいがりて下くださるは辱かたじけなき事ことと思おもへども、桂次けいじが思おもひやりに比くべては遙はるかに落おちつきて冷ひややかなる物ものなり、おぬひさむ我われがいよ〱歸國きこくしたと成なつたならば、あなたは何なんと思おもふて下くださろう、朝夕あさゆふの手てがはぶけて、厄介やくかいが减へつて、樂らくになつたとお喜よろこびなさろうか、夫それとも折をりふしは彼あの話はなし好ずきの饒舌おしやべりのさわがしい人ひとが居ゐなくなつたで、少すこしは淋さびしい位くらゐに思おもひ出だして下くださろうか、まあ何なんと思おもふてお出いでなさると此樣こんな事ことを問とひかけるに、仰おつしやるまでもなく、どんなに家中うちぢうが淋さびしく成なりましよう、東京こゝにお出いであそばしてさへ、一ト月も下宿げしゆくに出でて入いらつしやる頃ころは日曜にちえうが待まちどほで、朝あさの戸とを明あけるとやがて御足おあしおとが聞きこえはせぬかと存ぞんじまする物ものを、お國くにへお歸かへりになつては容易よういに御出京ごしゆつけうもあそばすまじければ、又またどれほどの御別おわかれに成なりまするやら、夫それでも鐵道てつだうが通かよふやうに成なりましたら度〻たび〱御出おいであそばして下くださりませうか、そうならば嬉うれしけれどゝ言いふ、我われとても行ゆきたくてゆく故郷ふるさとでなければ、此處こゝに居ゐられる物ものなら歸かへるではなく、出でて來こられる都合つがふならば又また今いままでのやうにお世話せわに成なりに來きまする、成なるべくは鳥渡ちよつとたち歸かへりに直すぐも出京しゆつけうしたきものと輕かるくいへば、それでもあなたは一家かの御主人ごしゆじんさまに成なりて釆配さいはいをおとりなさらずは叶かなふまじ、今いままでのやうなお樂らくの御身分ごみぶんではいらつしやらぬ筈はづと押おさへられて、されば誠まことに大難だいなんに逢あひたる身みと思おぼしめせ。

我わが養家やうかは大藤村おほふぢむらの中萩原なかはぎはらとて、見みわたす限かぎりは天目山てんもくざん、大菩薩峠だいぼさつたうげの山〻やま〱峰〻みね〱垣かきをつくりて、西南せいなんにそびゆる白妙しろたへの富士ふじの嶺ねは、をしみて面おもかげを示しめさねども、冬ふゆの雪ゆきおろしは遠慮ゑんりよなく身みをきる寒さむさ、魚うをといひては甲府かうふまで五里りの道みちを取とりにやりて、やう〱𩻩まぐろの刺身さしみが口くちに入いる位くらゐ、あなたは御存ごぞんじなけれどお親父とつさんに聞きいて見給みたまへ、それは隨分ずいぶん不便利ふべんりにて不潔ふけつにて、東京とうけうより歸かへりたる夏分なつぶんなどは我がまんのなりがたき事こともあり、そんな處ところに我われは括くゝられて、面白おもしろくもない仕事しごとに追おはれて、逢あひたい人ひとには逢あはれず、見みたい土地とちはふみ難がたく、兀々こつ〱として月日つきひを送おくらねばならぬかと思おもふに、氣きのふさぐも道理だうりとせめては貴孃あなたでもあはれんでくれ給へ、可愛かわいさうなものでは無なきかと言いふに、あなたは左樣さう仰おつしやれど母はゝなどはお浦山うらやましき御身分ごみぶんと申て居をりまする。

何なにが此樣こんな身分みぶんうら山やましい事ことか、こゝで我われが幸福しやわせといふを考かんがへれば、歸國きこくするに先さきだちてお作さくが頓死とんしするといふ樣やうなことにならば、一人娘ひとりむすめのことゆゑ父親てゝおやおどろいて暫時しばしは家督沙汰かとくざたやめになるべく、然しかるうちに少々せう〱なりともやかましき財産ざいさんなどの有あれば、みす〱他人たにんなる我われに引ひきわたす事ことをしくも成なるべく、又または縁者ゑんじやの中うちなる欲よくばりども唯たゞにはあらで運動うんだうすることたしかなり、その曉あかつきに何なにかいさゝか仕損しそこなゐでもこしらゆれば我われは首尾しゆびよく離縁りえんになりて、一本ぽん立だちの野中のなかの杉すぎともならば、其それよりは我わが自由じゆうにて其時そのときに幸福しやわせといふ詞ことばを與あたへ給たまへと笑わらふに、おぬひ惘あきれて貴君あなたは其樣そのやうの事こと正氣せうきで仰おつしやりますか、平常つねはやさしい方かたと存ぞんじましたに、お作樣さくさまに頓死とんししろとは蔭かげながらの嘘うそにしろあんまりでござります、お可愛想かわいそうなことをと少すこし涙なみだくんでお作さくをかばふに、それは貴孃あなたが當人たうにんを見みぬゆゑ可愛想かわいさうとも思おもふか知しらねど、お作さくよりは我われの方ほうを憐あはれんでくれて宜いい筈はづ、目めに見みえぬ繩なはにつながれて引ひかれてゆくやうな我われをば、あなたは眞しんの處ところ何なにとも思おもふてくれねば、勝手かつてにしろといふ風ふうで我われの事こととては少すこしも察さつしてくれる樣子やうすが見みえぬ、今いまも今いま居ゐなくなつたら淋さびしかろうとお言いひなされたはほんの口先くちさきの世辭せじで、あんな者ものは早はやく出でてゆけと箒はうきに𪉩花しほばなが落おちならんも知しらず、いゝ氣きになつて御邪魔おじやまになつて、長居ながゐをして御世話おせわさまに成なつたは、申譯わけがありませぬ、いやで成ならぬ田舍いなかへは歸かへらねばならず、情なさけのあろうと思おもふ貴孃あなたがそのやうに見みすてゝ下くだされば、いよ〱世よの中なかは面白おもしろくないの頂上ちやうじよう、勝手かつてにやつて見みませうと態わざとすねて、むつと顏かほをして見みせるに、野澤のざわさんは本當ほんたうにどうか遊あそばしていらつしやる、何なにがお氣きに障さわりましたのとお縫ぬひはうつくしい眉まゆに皺しわを寄よせて心こゝろの解げしかねる躰ていに、それは勿論もちろん正氣せうきの人ひとの目めからは氣きちがひと見みえる筈はづ、自分じぶんながら少すこし狂くるつて居いると思おもふ位くらゐなれど、氣きちがひだとて種たねなしに間違まちがふ物ものでもなく、いろいろの事ことが疊たゝまつて頭腦あたまの中なかがもつれて仕舞しまふから起おこる事こと、我われは氣違きちがひか熱病ねつびようか知しらねども正氣せうきのあなたなどが到底とてもおもひも寄よらぬ事ことを考かんがへて、人ひとしれず泣なきつ笑わらひつ、何處どこやらの人ひとが子供こどもの時ときうつした寫眞しやしんだといふあどけないのを貰もらつて、それを明あけくれに出だして見みて、面めんと向むかつては言いはれぬ事ことを並ならべて見みたり、机つくゑの引出ひきだしへ叮嚀ていねいに仕舞しまつて見みたり、うわ言ことをいつたり夢ゆめを見みたり、こんな事ことで一生せうを送おくれば人ひとは定さだめし大白痴おほたわけと思おもふなるべく、其そのやうな馬鹿ばかになつてまで思おもふ心こゝろが通つうじず、なき縁ゑんならば切せめては優やさしい詞ことばでもかけて、成佛じようぶつするやうにしてくれたら宜よさそうの事ことを、しらぬ顏かほをして情なさけない事ことを言いつて、お出いでがなくば淋さびしかろう位くらゐのお言葉ことばは酷ひどいではなきか、正氣せうきのあなたは何なんと思おもふか知しらぬが、狂氣きちがひの身みにして見みると隨分ずいぶん氣きづよいものと恨うらまれる、女をんなといふものは最もう少すこしやさしくても好いい筈はづではないかと立たてつゞけの一ト息いきに、おぬひは返事へんじもしかねて、私わたしは何なんと申てよいやら、不器用ぶきようなればお返事へんじのしやうも分わからず、唯々たゞ〱こ〻ろぼそく成なりますとて身みをちゞめて引退ひきしりぞくに、桂次けいじ拍子ひようしぬけのしていよ〱頭あたまの重おもたくなりぬ。

上杉うへすぎの隣家となりは何宗なにしうかの御梵刹おんてらさまにて寺内じない廣々ひろ〱と桃もゝ櫻さくらいろ〱植うゑわたしたれば、此方こなたの二階かいより見みおろすに雲くもは棚曳たなびく天上界てんじやうかいに似にて、腰こしごろもの觀音くわんおんさま濡ぬれ佛ぼとけにておはします御肩おんかたのあたり膝ひざのあたり、はら〱と花散はなちりこぼれて前まへに供そなへし樒しきみの枝えだにつもれるもをかしく、下したゆく子守こもりが鉢卷はちまきの上うへ、しばしやどかせ春はるのゆく衞ゑと舞まひくるもみゆ、かすむ夕ゆふべの朧月おぼろづきよに人顏ひとがほほの〲と暗くらく成なりて、風かぜ少すこしそふ寺内じないの花はなをば去歳こぞも一昨年おとゝしも其そのまへの年としも、桂次けいじ此處こゝに大方おほかたは宿やどを定さだめて、ぶら〲あるきに立たちならしたる處ところなれば、今歳ことしこの度たびとりわけて珍めづらしきさまにもあらぬを、今いまこん春はるはとても立たちかへり蹈ふむべき地ちにあらずと思おもふに、こ〻の濡ぬれ佛ぼとけさまにも中々なか〱の名殘なごりをしまれて、夕ゆふげ終おはりての宵々よひ〱家いゑを出いでては御寺參おんてらまいり殊勝しゆしように、觀音くわんをんさまには合掌がつしようを申て、我わが戀人こひびとのゆく末すゑを守まもり玉たまへと、お志こゝろざしのほどいつまでも消きえねば宜よいが。

(下)

我われのみ一人のぼせて耳鳴みゝなりやすべき桂次けいじが熱ねつははげしけれども、おぬひと言いふもの木きにて作つくられたるやうの人ひとなれば、まづは上杉うへすぎの家いゑにやかましき沙汰さたもおこらず、大藤村おほふぢむらにお作さくが夢ゆめものどかなるべし、四月の十五日歸國きこくに極きまりて土産物みやげものなど折柄をりから日清につしんの戰爭畫せんさうぐわ、大勝利だいしようりの袋ふくろもの、ぱちん羽織はをりの紐ひも、白粉をしろいかんざし櫻香さくらかの油あぶら、縁類ゑんるい廣ひろければとり〲に香水かうすい、石鹸しやぼんの氣取きどりたるも買かふめり、おぬひは桂次けいじが未來みらいの妻つまにと贈おくりもの〻中なかへ薄藤色うすふぢいろの繻袢じゆばんの襟ゑりに白しろぬきの牡丹花ぼたんくわの形かたあるをやりけるに、これを眺ながめし時ときの桂次けいじが顏かほ、氣きの毒どくらしかりしと後あとにて下女げじよの竹たけが申き。

桂次けいじがもとへ送おくりこしたる寫眞しやしんはあれども、秘ひしがくしに取納とりおさめて人ひとには見みせぬか、夫それとも人ひとしらぬ火鉢ひばちの灰はいになり終おはりしか、桂次けいじならぬもの知しるによしなけれど、さる頃ころはがきにて處用しよようと申こしたる文面ぶんめんは男おとこの通とほりにて名書ながきも六藏ざうの分ぶんなりしかど、手跡しゆせき大分だいぶあがりて見みよげに成なりしと父親ちゝおやの自じまんより、娘むすめに書かかせたる事こと論ろんなしとこゝの内儀ないぎが人ひとの惡わるき目めにて睨にらみぬ、手跡しゆせきによりて人ひとの顏かほつきを思おもひやるは、名なを聞きいて人ひとの善惡ぜんあくを判斷はんだんするやうなもの、當代たうだいの能書のうしよに業平なりひらさまならぬもおはしますぞかし、されども心用こゝろもちひ一つにて惡筆あくひつなりとも見みよげのしたゝめ方かたはあるべきと、達者たつしやめかして筋すぢもなき走はしり書がきに人ひとよみがたき文字もじならば詮せんなし、お作さくの手てはいかなりしか知しらねど、此處こゝの内儀ないぎが目めの前まへにうかびたる形かたちは、横巾よこはゞひろく長たけつまりし顏かほに、目鼻めはなだちはまづくもあるまじけれど、鬂びんうすくして首筋くびすぢくつきりとせず、胴どうよりは足あしの長ながい女をんなとおぼゆると言いふ、すて筆ふでながく引ひいて見みともなかりしか可笑をかし、桂次けいじは東京とうきやうに見みてさへ醜わるい方はうでは無ないに、大藤村おほふぢむらの光ひかる君きみ歸郷きゝようといふ事ことにならば、機塲はたばの女をんなが白粉おしろいのぬりかた思おもはれると此處こゝにての取沙汰とりさた、容貌きりようのわるい妻つまを持もつぐらゐ我慢がまんもなる筈はづ、水呑みづのみの小作こさくが子ことして一足そく飛とびのお大盡だいじんなればと、やがては實家じつかをさへ洗あえあはれて、人ひとの口くちさがなし伯父そぢルビの「そぢ」はママ伯母おば一つになつて嘲あざけるやうな口調くてうを、桂次けいじが耳みゝに入いらぬこそよけれ、一人ひとり氣きの毒どくと思おもふはお縫ぬひなり。

荷物にもつは通運便つううんびんにて先さきへたゝせたれば殘のこるは身み一つに輕〻かる〲しき桂次けいじ、今日けふも明日あすもと友達ともだちのもとを馳はせめぐりて何なにやらん用事ようじはあるものなり、僅わづかなる人目ひとめの暇ひまを求もとめてお縫ぬひが袂たもとをひかえ、我われは君きみに厭いとはれて別わかるゝなれども夢ゆめいさゝか恨うらむ事ことをばなすまじ、君きみはおのづから君きみの本地ほんちありて其島田そのしまだをば丸曲まるまげにゆひかへる折をりのきたるべく、うつくしき乳房ちぶさを可愛かわゆき人ひとに含ふくまする時ときもあるべし、我われは唯ただ君きみの身みの幸福しやわせなれかし、すこやかなれかしと祈いのりて此長このながき世よをば盡つくさんには隨分ずいぶんとも親孝行おやこう〱にてあられよ、母御前はゝごぜの意地いぢわるに逆さからふやうの事ことは君きみとして無なきに相違さういなけれどもこれ第だい一に心こゝろがけ給たまへ、言いふことは多おほし、思おもふことは多おほし、我われは世よを終おわるまで君きみのもとへ文ふみの便たよりをたゝざるべければ、君きみよりも十通つうに一度どの返事へんじを與あたへ給へ、睡ねふりがたき秋あきの夜よは胸むねに抱いだいてまぼろしの面影おもかげをも見みんと、このやうの數〻かず〱を並ならべて男をとこなきに涙なみだのこぼれるに、ふり仰向あほのてはんけちに顏かほを拭ぬぐふさま、心こゝろよわげなれど誰たれもこんな物ものなるべし、今いまから歸かへるといふ故郷ふるさとの事こと養家やうかのこと、我身わがみの事ことお作さくの事ことみなから忘わすれて世よはお縫ぬひひとりのやうに思おもはるゝも闇やみなり、此時このときこんな塲合ばあいにはかなき女心をんなごゝろの引入ひきいれられて、一生せう消きえぬかなしき影かげを胸むねにきざむ人ひともあり、岩木いわきのやうなるお縫ぬひなれば何なにと思おもひしかは知しらねども、涙なみだほろ〱こぼれて一ト言こともなし。

春はるの夜よの夢ゆめのうき橋はし、と絶だえする横よこぐもの空そらに東京とうけうを思おもひ立たちて、道みちよりもあれば新宿しゆじゆくまでは腕車くるまがよしといふ、八王子わうじまでは汽車きしやの中なか、をりればやがて馬車ばしやにゆられて、小佛こぼとけの峠とうげもほどなく越こゆれば、上野原うへのはら、つる川かは、野田尻のだじり、犬目いぬめ、鳥澤とりざわも過すぐれば猿さるはし近ちかくに其その夜よは宿やどるべし、巴峽はきようのさけびは聞きこえぬまでも、笛吹川ふゑふきがはの響ひゞきに夢ゆめむすび憂うく、これにも膓はらわたはたゝるべき聲こゑあり、勝沼かつぬまよりの端書はがき一度とゞきて四日目にぞ七里さとの消印けしいんある封状ふうじやう二つ、一つはお縫ぬひへ向むけてこれは長ながかりし、桂次けいじはかくて大藤村おほふじむらの人ひとに成なりぬ。

世よにたのまれぬを男心をとこごゝろといふ、それよ秋あきの空そらの夕日ゆふひにはかに掻かきくもりて、傘かさなき野道のみちに横よこしぶきの難義なんぎさ、出であひし物ものはみな其樣そのやうに申まをせども是これみな時ときのはづみぞかし、波なみこえよとて末すゑの松山まつやまちぎれるもなく、男傾城をとこけいせいならぬ身みの空そら涙なみだこぼして何なにに成なるべきや、昨日きのふあはれと見みしは昨日きのふのあはれ、今日けふの我わが身みに爲なす業わざしげゝれば、忘わするゝとなしに忘わすれて一生せうは夢ゆめの如ごとし、露つゆの世よといへばほろりとせしもの、はかないの上うへなしなり、思おもへば男をとこは結髮いひなづけの妻つまある身み、いやとても應おうとても浮世うきよの義理ぎりをおもひ斷たつほどのこと此人このひと此身このみにして叶かなふべしや、事ことなく高砂たかさごをうたひ納おさむれば、即すなはち新あたらしき一對ついの夫婦めをと出來できあがりて、やがては父ちゝとも言いはるべき身みなり、諸縁しよゑんこれより引ひかれて斷たちがたき絆ほだし次第しだいにふゆれば、一人にん一箇この野澤桂次のざわけいじならず、運うんよくは萬まんの身代しんだい十萬まんに延のばして山梨縣やまなしけんの多額納税たがくのうぜいと銘めいうたんも斗はかりがたけれど、契ちぎりし詞ことばはあとの湊みなとに殘のこして、舟ふねは流ながれに隨したがひ人ひとは世よに引ひかれて、遠とほざかりゆく事こと千里り、二千里り、一萬里り、此處こゝ三十里りの隔へだてなれども心こゝろかよはずは八重へがすみ外山とやまの峰みねをかくすに似にたり、花はなちりて青葉あをばの頃ころまでにお縫ぬひが手てもとに文ふみ三通つう、こと細こまか成なりけるよし、五月雨さみだれ軒のきばに晴はれまなく人戀ひとこひしき折をりふし、彼方かなたよりも數〻かず〱思おもひ出での詞ことばうれしく見みつる、夫それも過すぎては月つきに一二度どの便たより、はじめは三四度ども有ありけるを後のちには一度どの月つきあるを恨うらみしが、秋蠶あきごのはきたてとかいへるに懸かゝりしより、二月つきに一度ど、三月つきに一度ど、今いまの間まに半年目はんとしめ、一年ねん目め、年始ねんしの状ぜうと暑中見舞しよちうみまいの突際つきあいになりて、文言もんごんうるさしとならば端書はがきにても事ことは足たるべし、あはれ可笑をかしと軒のきばの櫻さくらくる年としも笑わらふて、隣となりの寺てらの觀音樣くわんをんさま御手おんてを膝ひざに柔和にうわの御相さうこれも笑ゑめるが如ごとく、若わかいさかりの熱ねつといふ物ものにあはれみ給たまへば、此處こゝなる冷ひややかのお縫ぬひも笑ゑくぼを頬ほうにうかべて世よに立たつ事ことはならぬか、相あいかはらず父樣とゝさまの御機嫌ごきげん、母はゝの氣きをはかりて、我身わがみをない物ものにして上杉家うへすぎけの安隱あんおんをはかりぬれど。ほころびが切きれてはむづかし

底本 / Source edition

底本:「太陽 第壱卷第五號」博文館
1895(明治28)年5月5日発行
初出:「太陽 第壱卷第五號」博文館
1895(明治28)年5月5日発行
※「男」に対するルビの「をとこ」と「おとこ」、「頂上」に対するルビの「てうじよう」と「ちやうじよう」、「可愛」に対するルビの「かあい」と「かわい」、「可愛想」に対するルビの「かわいそう」と「かわいさう」の混在は、底本通りです。
※変体仮名は、通常の仮名で入力しました。
入力:万波通彦
校正:猫の手ぴい
2018年10月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/055674_000064/

樋口 一葉「ゆく雲」(旧字旧仮名)、底本『太陽 第壱卷第五號』博文館、1895年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 055674_000064, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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