Soranoha

十三夜

じゅうさんや

樋口 一葉

⦅上⦆

例いつもは威勢いせいよき黒くろぬり車くるまの、それ門かどに音おとが止とまつた娘むすめではないかと兩親ふたおやに出迎でむかはれつる物ものを、今宵こよひは辻つぢより飛とびのりの車くるまさへ歸かへして悄然しよんぼりと格子戸かうしどの外そとに立たてば、家内うちには父親ちゝはゝルビの「ちゝはゝ」はママが相あひかはらずの高聲たかごゑ、いはゞ私わしも福人ふくじんの一人ひとり、いづれも柔順おとなしい子供こどもを持もつて育そだてるに手ては懸かゝらず人ひとには褒ほめられる、分外ぶんぐわいの欲よくさへ渇かわかねば此上このうへに望のぞみもなし、やれ〱有難ありがたい事ことと物ものがたられる、あの相手あいては定さだめし母樣はゝさん、あゝ何なにも御存ごぞんじなしに彼あのやうに喜よろこんでお出遊いであそばす物ものを、何どの顏かほさげて離縁状りゑんじようもらふて下くだされと言いはれた物ものか、叱しかられるは必定ひつぢよう、太郎たらうと言いふ子こもある身みにて置おいて驅かけ出だして來くるまでには種々いろ〱思案しあんもし盡つくしての後のちなれど、今更いまさらにお老人としよりを驚おどろかして是これまでの喜よろこびを水みづの泡あわにさせまする事ことつらや、寧いつそ話はなさずに戻もどろうか、戻もどれば太郎たらうの母はゝと言いはれて何時いつ〱までも原田はらだの奧樣おくさま、御兩親ごりようしんに奏任そうにんの聟むこがある身みと自慢じまんさせ、私わたしさへ身みを節儉つめれば時ときたまはお口くちに合あふ物ものお小遣こづかひも差さしあげられるに、思おもふまゝを通とほして離縁りゑんとならは太郎たらうには繼母まゝはゝの憂うき目めを見みせ、御兩親ごりようしんには今いままでの自慢じまんの鼻はなにはかに低ひくくさせまして、人ひとの思おもはく、弟おとゝの行末ゆくすゑ、あゝ此身このみ一つの心こゝろから出世しゆつせの眞しんも止とめずはならず、戻もどらうか、戻もどらうか、あの鬼おにのやうな我良人わがつまのもとに戻もどらうか、彼あの鬼おにの、鬼おにの良人つまのもとへ、ゑゝ厭いや厭いやと身みをふるはす途端とたん、よろ〱として思おもはず格子かうしにがたりと音おとさすれば、誰だれだと大おほきく父親ちゝおやの聲こゑ、道みちゆく惡太郎あくたらうの惡戯いたづらとまがへてなるべし。

外そとなるはおほゝと笑わらふて、お父樣とつさん私わたしで御座ござんすといかにも可愛かわゆき聲こゑ、や、誰たれだ、誰たれであつたと障子しようじを引明ひきあけて、ほうお關せきか、何なんだな其樣そんな處ところに立たつて居ゐて、何どうして又また此このおそくに出でかけて來きた、車くるまもなし、女中ぢよちうも連つれずか、やれ〱ま早はやく中なかへ這入はいれ、さあ這入はいれ、何どうも不意ふいに驚おどろかされたやうでまご〱するわな、格子かうしは閉しめずとも宜よい私わしが閉しめる、兎とも角かくも奧おくが好いい、ずつとお月樣つきさまのさす方はうへ、さ、蒲團ふとんへ乘のれ、蒲團ふとんへ、何どうも疊たゝみが汚きたないので大屋おほやに言いつては置おいたが職人しよくにんの都合つがふがあると言いふてな、遠慮ゑんりよも何なにも入いらない着物きものがたまらぬから夫それを敷しひて呉くれ、やれ〱何どうして此この遲おそくに出でて來きたお宅うちでは皆みなお變かはりもなしかと例いつに替かはらずもてはやさるれば、針はりの席むしろにのる樣やうにて奧おくさま扱あつかひ情なさけなくじつと涕なみだを呑込のみこんで、はい誰だれも時候じかうの障さわりも御座ござりませぬ、私わたしは申譯まをしわけのない御無沙汰ごぶさたして居をりましたが貴君あなたもお母樣つかさんも御機嫌ごきげんよくいらつしやりますかと問とへば、いや最もう私わしは嚔くさみ一つせぬ位くらゐ、お袋ふくろは時ときたま例れいの血ちの道みちと言いふ奴やつを始はじめるがの、夫それも蒲團ふとんかぶつて半日はんにちも居ゐればけろ〱とする病やまひだから子細しさいはなしさと元氣げんきよく呵々から〱と笑わらふに、亥之ゐのさんが見みえませぬが今晩こんばんは何處どちらへか參まゐりましたか、彼あの子こも替かわらず勉強べんきようで御座ござんすかと問とへば、母親はゝおやはほた〱として茶ちやを進すゝめながら、亥之ゐのは今いましがた夜學やがくに出でて行ゆきました、あれもお前まへお蔭かげさまで此間このあひだは昇給しようきうさせて頂いたゞいたし、課長樣くわちやうさまが可愛かわゆがつて下くださるので何どれ位くらゐ心丈夫こゝろじようぶであらう、是これと言いふも矢張やつぱり原田はらださんの縁引ゑんが有あるからだとて宅うちでは毎日まいにちいひ暮くらして居ゐます、お前まへに如才ぢよさいは有あるまいけれど此後このごとも原田はらださんの御機嫌ごきげんの好いいやうに、亥之ゐのは彼あの通とほり口くちの重おもい質たちだし何いづれお目めに懸かゝつてもあつけない御挨拶ごあいさつよりほか出來できまいと思おもはれるから、何分なにぶんともお前まへが中なかに立たつて私わたしどもの心こゝろが通つうじるやう、亥之ゐのが行末ゆくすゑをもお頼たのみ申まをして置おいてお呉くれ、ほんに替かはり目めで陽氣ようきが惡わるいけれど太郎たろさんは何時いつも惡戯おいたをして居ゐますか、何故なぜに今夜こんやは連つれてお出いででない、お祖父ぢいさんも戀こひしがつてお出いでなされた物ものをと言いはれて、又また今更いまさらにうら悲かなしく、連つれて來こやうと思おもひましたけれど彼あの子こは宵よひまどひで最もう疾とうに寐ねましたから其そのまゝ置おいて參まゐりました、本當ほんたうに惡戯いたづらばかりつのりまして聞きゝわけとては少すこしもなく、外そとへ出でれば跡あとを追おひまするし、家内うちに居ゐれば私わたしの傍そばばつかり覗ねらふて、ほんに〱手てが懸かゝつて成なりませぬ、何故なぜ彼樣あんなで御座ござりませうと言いひかけて思おもひ出だしの涙なみだむねの中なかに漲みなぎるやうに、思おもひ切きつて置おいては來きたれど今頃いまごろは目めを覺さまして母かゝさん母かゝさんと婢女をんなどもを迷惑めいわくがらせ、煎餅おせんやおこしの哆たらしも利きかで、皆々みな〱手てを引ひいて鬼おにに喰くはすと威おどかしてゞも居ゐやう、あゝ可愛かあひさうな事ことをと聲こゑたてゝも泣なきたきを、さしも兩親ふたおやの機嫌きげんよげなるに言いひ出いでかねて、烟けむりにまぎらす烟草たばこ二三服ぷく、空咳からせきこん〱として涙なみだを襦袢じゆばんの袖そでにかくしぬ。

今宵こよひは舊暦きうれきの十三夜や、舊弊きうへいなれどお月見つきみの眞似事まねごとに團子いし〱をこしらへてお月樣つきさまにお備そなへ申まをせし、これはお前まへも好物かうぶつなれば少々せう〱なりとも亥之助ゐのすけに持もたせて上あげやうと思おもふたれど、亥之助ゐのすけも何なにか極きまりを惡わるがつて其樣そのやうな物ものはお止よしなされと言いふし、十五夜やにあげなんだから片月見かたつきみに成なつても惡わるし、喰たべさせたいと思おもひながら思おもふばかりで上あげる事ことが出來できなんだに、今夜こんや來きて呉くれるとは夢ゆめの樣やうな、ほんに心こゝろが屆とゞいたのであらう、自宅うちで甘うまい物ものはいくらも喰たべやうけれど親おやのこしらいたは又また別物べつもの、奧樣氣おくさまぎを取とりすてゝ今夜こんやは昔むかしのお關せきになつて、見得みえを搆かまはず豆まめなり栗くりなり氣きに入いつたを喰たべて見みせてお呉くれ、いつでも父樣とゝさんと噂うわさすること、出世しゆつせは出世しゆつせに相違さうゐなく、人ひとの見みる目めも立派りつぱなほど、お位くらゐの宜いい方々かた〲や御ご身分みぶんのある奧樣おくさまがたとの御交際おつきあひもして、兎とも角かくも原田はらだの妻つまと名告なのつて通とほるには氣骨きぼねの折をれる事こともあらう、女子をんなどもの使つかひやう出入でいりの者ものの行渡ゆきわたり、人ひとの上うへに立たつものは夫それ丈だけに苦勞くらうが多おほく、里方さとかたが此樣このやうな身柄みがらでは猶更なほさらのこと人ひとに侮あなどられぬやうの心懸こゝろがけもしなければ成なるまじ、夫それを種々さま〲に思おもふて見みると父とゝさんだとて私わたしだとて孫まごなり子こなりの顏かほの見みたいは當然あたりまへなれど、餘あんまりうるさく出入でいりをしてはと控ひかへられて、ほんに御門ごもんの前まへを通とほる事ことはありとも木綿着物もめんきものに毛繻子けじゆすの洋傘かふもりさした時ときには見みす〱お二階かいの簾すだれを見みながら、吁あゝお關せきは何なにをして居ゐる事ことかと思おもひやるばかり行過ゆきすぎて仕舞しまひまする、實家じつかでも少すこし何なんとか成なつて居ゐたならばお前まへの肩身かたみも廣ひろからうし、同おなじくでも少すこしは息いきのつけやう物ものを、何なにを云いふにも此通このとほり、お月見つきみの團子いし〱をあげやうにも重箱おぢうからしてお恥はづかしいでは無なからうか、ほんにお前まへの心遣こゝろづかひが思おもはれると嬉うれしき中なかにも思おもふまゝの通路つうろが叶かなはねば、愚痴ぐちの一トつかみ賤いやしき身分みぶんを情なさけなげに言いはれて、本當ほんたうに私わたしは親不孝おやふかうだと思おもひまする、それは成程なるほど和やはらかひ衣類きものきて手車てぐるまに乘のりあるく時ときは立派りつぱらしくも見みえませうけれど、父とゝさんや母かゝさんに斯かうして上あげやうと思おもふ事ことも出來できず、いはゞ自分じぶんの皮一重かはひとゑ、寧いつそ賃仕事ちんしごとしてもお傍そばで暮くらした方はうが餘よつぽど快こゝろよう御座ございますと言いひ出だすに、馬鹿ばか、馬鹿ばか、其樣そのやうな事ことを假かりにも言いふてはならぬ、嫁よめに行いつた身みが實家さとの親おやの貢みつぎをするなどゝ思おもひも寄よらぬこと、家うちに居ゐる時ときは齋藤さいとうの娘むすめ、嫁入よめいつては原田はらだの奧方おくがたではないか、勇いさむさんの氣きに入いる樣やうにして家いへの内うちを納おさめてさへ行ゆけば何なんの子細しさいは無ない、骨ほねが折をれるからとて夫それ丈だけの運うんのある身みならば堪たへられぬ事ことは無ない筈はづ、女をんななどゝ言いふ者ものは何どうも愚痴ぐちで、お袋ふくろなどが詰つまらぬ事ことを言いひ出だすから困こまり切きる、いや何どうも團子だんごを喰たべさせる事ことが出來できぬとて一日いちにち大立腹おほりつぷくであつた、大分だいぶ熱心ねつしんで調製こしらへたものと見みえるから十分ぶんに喰たべて安心あんしんさせて遣やつて呉くれ、餘程よほど甘うまからうぞと父親てゝおやの滑稽おどけを入いれるに、再ふたゝび言いひそびれて御馳走ごちそうの栗くり枝豆えだまめありがたく頂戴ちようだいをなしぬ。嫁入よめいりてより七年ねんの間あひだ、いまだに夜よに入いりて客きやくに來きしこともなく、土産みやげもなしに一人ひとり歩行あるきして來くるなど悉皆しつかいためしのなき事ことなるに、思おもひなしか衣類いるいも例いつもほど燦きらびやかならず、稀まれに逢あひたる嬉うれしさに左さのみは心こゝろも付かざりしが、聟むこよりの言傳ことづてとて何なに一言ことの口上こうじようもなく、無理むりに笑顏ゑがほは作つくりながら底そこに萎しほれし處ところのあるは何なにか子細しさいのなくては叶かなはず、父親てゝおやは机つくえの上うへの置時計おきどけいを眺ながめて、これやモウ程ほどなく十時じになるが關せきは泊とまつて行いつて宜よいのかの、歸かへるならば最もも歸かへらねば成なるまいぞと氣きを引ひいて見みる親おやの顏かほ、娘むすめは今更いまさらのやうに見上みあげて御父樣おとつさん私わたくしは御願おねがひがあつて出でたので御座ござります、何どうぞ御聞おきゝ遊あそばしてと屹きつとなつて疊たゝみに手てを突つく時とき、はじめて一トしづく幾層いくその憂うきを洩もらしそめぬ。

父ちゝは穩おだやかならぬ色いろを動うごかして、改あらたまつて何なにかのと膝ひざを進すゝめれば、私わたしは今宵こよひ限かぎり原田はらだへ歸かへらぬ决心けつしんで出でて參まいつたので御座ござります、勇いさむが許ゆるしで參まいつたのではなく、彼あの子こを寐ねかして、太郎たらうを寐ねかしつけて、最早もうあの顏かほを見みぬ决心けつしんで出でて參まいりました、まだ私わたしの手てより外ほか誰だれの守もりでも承諾しようちせぬほどの彼あの子こを、欺だまして寐ねかして夢ゆめの中うちに、私わたくしは鬼おにに成なつて出でて參まいりました、御父樣おとつさん、御母樣おつかさん、察さつして下くださりませ私わたくしは今日けふまで遂つひに原田はらだの身みに就ついて御耳おみゝに入いれました事こともなく、勇いさむと私わたしとの中なかを人ひとに言いふた事ことは御座ござりませぬけれど、千度ちたびも百度もゝたびも考かんがへ直なほして、二年ねんも三年ねんも泣盡なきつくして今日けふといふ今日けふどうでも離縁りゑんを貰もらふて頂いたゞかうと决心けつしんの臍ほぞをかためました、何どうぞ御願おねがひで御座ござります離縁りゑんの状じやうを取とつて下くだされ、私わたしはこれから内職ないしよくなり何なんなりして亥之助いのすけが片腕かたうでにもなられるやう心こゝろがけますほどに、一生いつしやう一人ひとりで置おいて下くださりませとわつと聲こゑたてるを噛かみしめる襦袢じゆばんの袖そで、墨繪すみゑの竹たけも紫竹しちくの色いろにや出いづると哀あはれなり。

夫それは何どういふ子細しさいでと父ちゝも母はゝも詰寄つめよつて問とひかゝるに今いままでは默だまつて居ゐましたれど私わたしの家うちの夫婦めをとさし向むかひを半日はんにち見みて下くださつたら大底たいていが御解おわかりに成なりませう、物言ものいふは用事ようじのある時とき慳貪けんどんに申まをしつけられるばかり、朝起あさおきまして機嫌きげんをきけば不圖ふと脇わきを向むひて庭にはの草花くさばなを態わざとらしき褒ほめ詞ことば、是にも腹はらはたてども良人おつとの遊あそばす事ことなればと我慢がまんして私わたしは何なにも言葉ことばあらそひした事ことも御座ござんせぬけれど、朝飯あさはんあがる時ときから小言こゞとは絶たえず、召使めしつかひの前まへにて散々さん〲と私わたしが身みの不器用ぶきよう不作法ぶさはうを御並おならへなされ、夫それはまだ〱辛棒しんぼうもしませうけれど、二言こと目めには教育けういくのない身み、教育けういくのない身みと御蔑おさげすみなさる、それは素もとより華族くわぞく女學校ぢよがくかうの椅子いすにかゝつて育そだつた物ものではないに相違さうゐなく、御同僚ごどうりようの奧樣おくさまがたの樣やうにお花はなのお茶ちやの、歌うたの畫ゑのと習ならひ立たてた事こともなければ其御話そのおはなしの御お相手あいては出來できませぬけれど、出來できずは人知ひとしれず習ならはせて下くださつても濟すむべき筈はづ、何なにも表向おもてむき實家ぢつかの惡わるいを風聽ふうちやうなされて、召使めしつかひの婢女をんなどもに顏かほの見みられるやうな事ことなさらずとも宜よかりさうなもの、嫁入よめいつて丁度てうど半年はんとしばかりの間あいだは關せきや關せきやと下したへも置おかぬやうにして下くださつたけれど、あの子こが出來できてからと言いふ物ものは丸まるで御人おひとが變かはりまして、思おもひ出だしても恐おそろしう御座ござります、私わたしはくら暗やみの谷たにへ突落つきおとされたやうに暖あたゝかい日ひの影かげといふを見みた事ことが御座ござりませぬ、はじめの中うちは何なにか串談じようだんに態わざとらしく邪慳じやけんに遊あそばすのと思おもふて居をりましたけれど、全まつたくは私わたしに御飽おあきなされたので此樣こうもしたら出でてゆくか、彼樣あゝもしたら離縁りゑんをと言いひ出だすかと苦いぢめて苦いぢめて苦いぢめ拔ぬくので御座ござりましよ、御父樣おとつさんも御母樣おつかさんも私わたしの性分せうぶんは御存ごぞんじ、よしや良人おつとが藝者狂げいしやぐるひなさらうとも、圍かこい者ものして御置おおきなさらうとも其樣そんな事ことに悋氣りんきする私わたしでもなく、侍婢をんなどもから其樣そんな噂うわさも聞きこえまするけれど彼あれほど働はたらきのある御方おかたなり、男をとこの身みのそれ位くらゐはありうちと他處よそ行ゆきには衣類めしものにも氣きをつけて氣きに逆さからはぬやう心こゝろがけて居おりまするに、唯たゞもう私わたしの爲する事こととては一から十まで面白おもしろくなく覺おぼしめし、箸はしの上あげ下おろしに家いへの内うちの樂たのしくないは妻つまが仕方しかたが惡わるいからだと仰おつしやる、夫それも何どういふ事ことが惡わるい、此處こゝが面白おもしろくないと言いひ聞きかして下くださる樣やうならば宜よけれど、一筋すぢに詰つまらぬくだらぬ、解わからぬ奴やつ、とても相談さうだんの相手あいてにはならぬの、いはゞ太郎たらうの乳母うばとして置おいて遣つかはすのと嘲あざけつて仰おつしやる斗ばかり、ほんに良人おつとといふではなく彼あの御方おかたは鬼おにで御座ござりまする、御自分ごじぶんの口くちから出でてゆけとは仰おつしやりませぬけれど私わたしが此樣このやうな意久地いくぢなしで太郎たらうの可愛かわゆさに氣きが引ひかれ、何どうでも御詞おことばに異背いはいせず唯々はい〱と御お小言こごとを聞きいて居おりますれば、張はりも意氣地いきぢもない愚ぐうたらの奴やつ、それからして氣きに入いらぬと仰おつしやりまする、左さうかと言いつて少すこしなりとも私わたしの言條いひでうを立たてゝ負まけぬ氣きに御返事おへんじをしましたら夫それを取とつてに出でてゆけと言いはれるは必定ひつぢやう、私わたしは御母樣おつかさん出でて來くるのは何なんでも御座ござんせぬ、名なのみ立派りつぱの原田勇はらだいさむに離縁りゑんされたからとて夢ゆめさら殘のこりをしいとは思おもひませぬけれど、何なんにも知しらぬ彼あの太郎たらうが、片親かたおやに成なるかと思おもひますると意地いぢもなく我慢がまんもなく、詫わびて機嫌きげんを取とつて、何なんでも無ない事ことに恐おそれ入いつて、今日けふまでも物言ものいはず辛棒しんぼうして居をりました、御父樣おとつさん、御母樣おつかさん、私わたしは不運ふうんで御座ござりますとて口惜くやしさ悲かなしさ打出うちいだし、思おもひも寄よらぬ事ことを談かたれば兩親ふたおやは顏かほを見合みあはせて、さては其樣そのやうの憂うき中なかかと呆あきれて暫時しばしいふ言こともなし。

母親はゝおやは子こに甘あまきならひ、聞きく毎々こと〲に身みにしみて口惜くちをしく、父樣とゝさんは何なんと思おぼし召めすか知しらぬが元來もと〱此方こちから貰もらふて下くだされと願ねがふて遣やつた子こではなし、身分みぶんが惡わるいの學校がくかうが何どうしたのと宜よくも宜よくも勝手かつてな事ことが言いはれた物もの、先方さきは忘わすれたかも知しらぬが此方こちらはたしかに日ひまで覺おぼえて居ゐる、阿關おせきが十七の御正月おしようがつ、まだ門松かどまつを取とりもせぬ七日なのかの朝あさの事ことであつた、舊もとの猿樂町さるがくてうの彼あの家うちの前まへで御隣おとなりの小娘ちいさいのと追羽根おひばねして、彼あの娘この突ついた白しろい羽根はねが通とほり掛かゝつた原田はらださんの車くるまの中なかへ落おちたとつて、夫それをば阿關おせきが貰もらひに行ゆきしに、其時そのときはじめて見みたとか言いつて人橋ひとばしかけてやい〱と貰もらひたがる、御身分おみぶんがらにも釣合つりあひませぬし、此方こちらはまだ根ねつからの子供こどもで何なにも稽古事けいこごとも仕込しこんでは置おきませず、支度したくとても唯今たゞいまの有樣ありさまで御座ございますからとて幾度いくたび斷ことはつたか知しれはせぬけれど、何なにも舅しうと姑しうとめのやかましいが有あるでは無なし、我わしが欲ほしくて我わしが貰もらふに身分みぶんも何なにも言いふ事ことはない、稽古けいこは引取ひきとつてからでも充分じうぶんさせられるから其心配そのしんぱいも要いらぬ事こと、兎角とかくくれさへすれば大事だいじにして置おかうからと夫それは夫それは火ひのつく樣やうに催促さいそくして、此方こちらから強請ねだつた譯わけではなけれど支度したくまで先方さきで調とゝのへて謂いはゞ御前おまへは戀女房こひによぼう、私わたしや父樣とゝさんが遠慮ゑんりよして左さのみは出入でいりをせぬといふも勇いさむさんの身分みぶんを恐おそれてゞは無ない、これが妾めかけ手てかけに出だしたのではなし正當しようたうにも正當しようとうにも百ひやくまんだら頼たのみによこして貰もらつて行いつた嫁よめの親おや、大威張おほゐばりに出這入ではいりしても差さしつかへは無なけれど、彼方あちらが立派りつぱにやつて居ゐるに、此方こちらが此通このとほりつまらぬ活計くらしをして居ゐれば、御前おまへの縁ゑんにすがつて聟むこの助力たすけを受うけもするかと他人樣ひとさまの處思おもはくが口惜くちをしく、痩やせ我慢がまんでは無なけれど交際つきあひだけは御身分ごみぶん相應さうおうに盡つくして、平常へいぜいは逢あいたい娘むすめの顏かほも見みずに居ゐまする、夫それをば何なんの馬鹿々々ばか〱しい親おやなし子ごでも拾ひろつて行いつたやうに大層たいさうらしい、物ものが出來できるの出來できぬのと宜よく其樣そんな口くちが利きけた物もの、默だまつて居ゐては際限さいげんもなく募つのつて夫それは夫それは癖くせに成なつて仕舞しまひます、第だい一は婢女をんなどもの手前てまへ奧樣おくさまの威光ゐくわうが削そげて、末すゑには御前おまへの言いふ事ことを聞きく者ものもなく、太郎たらうを仕立したてるにも母樣はゝさんを馬鹿ばかにする氣きになられたら何なんとしまする、言いふだけの事ことは屹度きつと言いふて、それが惡わるいと小言こゞとをいふたら何なんの私わたしにも家うちが有ありますとて出でて來くるが宜よからうでは無ないか、實ほんに馬鹿々々ばか〱しいとつては夫それほどの事ことを今日けふが日ひまで默だまつて居ゐるといふ事ことが有あります物ものか、餘あんまり御前おまへが温順おとなし過すぎるから我儘がまんがつのられたのであろ、聞きいた計ばかりでも腹はらが立たつ、もう〱退ひけて居ゐるには及およびません、身分みぶんが何なんであらうが父ちゝもある母はゝもある、年としはゆかねど亥之助いのすけといふ弟おとゝもあればその樣やうな火ひの中なかにじつとして居ゐるには及およばぬこと、なあ父樣とゝさん一遍ぺん勇いさむさんに逢あふて十分ぶん油あぶらを取とつたら宜よう御座ござりましよと母はゝは猛たけつて前後ぜんごもかへり見みず。

父親てゝおやは先刻さきほどより腕うでぐみして目めを閉とぢて有ありけるが、あゝ御袋おふくろ、無茶むちやの事ことを言いふてはならぬ、我わしさへ始はじめて聞きいて何どうした物ものかと思案しあんにくれる、阿關おせきの事ことなれば並なみ大底たいていで此樣こんな事ことを言いひ出だしさうにもなく、よく〱愁つらさに出でて來きたと見みえるが、して今夜こんやは聟むこどのは不在るすか、何なにか改あらたまつての事件じけんでもあつてか、いよ〱離縁りゑんするとでも言いはれて來きたのかと落おちついて問とふに、良人おつとは一昨日おとゝひより家うちへとては歸かへられませぬ、五日か六日かと家うちを明あけるは平常つねの事こと、左さのみ珍めづらしいとは思おもひませぬけれど出際でぎはに召物めしものの揃そろへかたが惡わるいとて如何いかほど詫わびても聞入きゝいれがなく、其品それをば脱ぬいで擲たゝきつけて、御自身ごじゝん洋服ようふくにめしかへて、吁あゝ、私位わしぐらゐ不仕合ふしあはせの人間にんげんはあるまい、御前おまへのやうな妻つまを持もつたのはと言いひ捨ずてに出でて御出おいで遊あそばしました、何なんといふ事ことで御座ござりませう一年ねん三百六十五日にち物ものいふ事ことも無なく、稀々たま〱言いはれるは此樣このやうな情なさけない詞ことばをかけられて、夫それでも原田はらだの妻つまと言いはれたいか、太郎たらうの母はゝで候さふらふと顏かほおし拭ぬぐつて居ゐる心こゝろか、我身わがみながら我身わがみの辛棒しんぼうがわかりませぬ、もう〱もう私わたしは良人つまも子こも御座ござんせぬ嫁入よめいりせぬ昔むかしと思おもへば夫それまで、あの頑是ぐわんぜない太郎たらうの寢顏ねがほを眺ながめながら置おいて來くるほどの心こゝろになりましたからは、最もう何どうでも勇いさむの傍そばに居ゐる事ことは出來できませぬ、親おやはなくとも子こは育そだつと言いひまするし、私わたしの樣やうな不運ふうんの母はゝの手てで育そだつより繼母御まゝはゝごなり御手おてかけなり氣きに適かなふた人ひとに育そだてゝ貰もらふたら、少すこしは父御てゝごも可愛かわゆがつて後々のち〱あの子この爲ためにも成なりませう、私わたしはもう今宵こよひかぎり何どうしても歸かへる事ことは致いたしませぬとて、斷たつても斷たてぬ子この可憐かわゆさに、奇麗きれいに言いへども詞ことばはふるへぬ。

父ちゝは歎息たんそくして、無理むりは無ない、居愁ゐづらくもあらう、困こまつた中なかに成なつたものよと暫時しばらく阿關おせきの顏かほを眺ながめしが、大丸髷おほまるまげに金輪きんわの根ねを卷まきて黒縮緬くろちりめんの羽織はをり何なんの惜をしげもなく、我わが娘むすめながらもいつしか調とゝのふ奧樣風おくさまふう、これをば結むすび髮がみに結ゆひかへさせて綿銘仙めんめいせんの半天はんてんに襷たすきがけの水仕業みづしわざさする事こといかにして忍しのばるべき、太郎たらうといふ子こもあるものなり、一端たんの怒いかりに百年ねんの運うんを取とりはづして、人ひとには笑わらはれものとなり、身みはいにしへの齋藤主計さいとうかずへが娘むすめに戻もどらば、泣なくとも笑わらふとも再度ふたゝび原田太郎はらだたらうが母はゝとは呼よばるゝ事こと成なるべきにもあらず、良人おつとに未練みれんは殘のこさずとも我わが子この愛あいの斷たちがたくは離はなれていよ〱物ものをも思おもふべく、今いまの苦勞くらうを戀こひしがる心こゝろも出いづべし、斯かく形かたちよく生うまれたる身みの不幸ふしやはせ、不相應ふさうおうの縁ゑんにつながれて幾いくらの苦勞くらうをさする事ことと哀あはれさの増まされども、いや阿關おせきこう言いふと父ちゝが無慈悲むじひで汲取くみとつて呉くれぬのと思おもふか知しらぬが決けつして御前おまへを叱しかるではない、身分みぶんが釣合つりあはねば思おもふ事ことも自然しぜん違ちがふて、此方こちらは眞しんから盡つくす氣きでも取とりやうに寄よつては面白おもしろくなく見みえる事こともあらう、勇いさむさんだからとて彼あの通とほり物ものの道理だうりを心得こゝろえた、利發りはつの人ひとではあり隨分ずいぶん學者がくしやでもある、無茶苦茶むちやくちやにいぢめ立たてる譯わけではあるまいが、得えて世間せけんに褒ほめ物ものの敏腕家はたらきてなどゝ言いはれるは極きわめて恐おそろしい我わがまゝ物もの、外そとでは知しらぬ顏かほに切きつて廻まわせど勤つとめ向むきの不平ふへいなどまで家内うちへ歸かへつて當あたりちらされる、的まとに成なつては隨分ずいぶんつらい事こともあらう、なれども彼あれほどの良人おつとを持もつ身みのつとめ、區役所くやくしよがよひの腰辨當こしべんたうが釜かまの下したを焚たきつけて呉くれるのとは格かくが違ちがふ、隨したがつてやかましくもあらう六づかしくもあろう夫それを機嫌きげんの好いい樣やうにとゝのへて行ゆくが妻つまの役やく、表面うわべには見みえねど世間せけんの奧樣おくさまといふ人達ひとたちの何いづれも面白おもしろくをかしき中なかばかりは有あるまじ、身み一つと思おもへば恨うらみも出でる、何なんの是これが世よの勤つとめなり、殊ことには是これほど身みがらの相違さうゐもある事ことなれば人ひと一倍ばいの苦くもある道理だうり、お袋ふくろなどが口廣くちひろい事ことは言いへど亥之いのが昨今さくこんの月給げつきうに有ありついたも必竟ひつきやうは原田はらださんの口入くちいれではなからうか、七光なゝひかりどころか十光とひかりもして間接よそながらの恩おんを着きぬとは言いはれぬに愁つらからうとも一つは親おやの爲ため弟おとゝの爲ため、太郎たらうといふ子こもあるものを今日けふまでの辛棒しんぼうがなるほどならば、是これから後ごとて出來できぬ事ことはあるまじ、離縁りゑんを取とつて出でたが宜よいか、太郎たらうは原田はらだのもの、其方そちは齋藤さいとうの娘むすめ、一度ど縁ゑんが切きれては二度どと顏かほ見みにゆく事こともなるまじ、同おなじく不運ふうんに泣なくほどならば原田はらだの妻つまで大泣おほなきに泣なけ、なあ關せきさうでは無ないか、合點がてんがいつたら何事なにごとも胸むねに納おさめて、知しらぬ顏かほに今夜こんやは歸かへつて、今いままで通どほりつゝつしんで世よを送おくつて呉くれ、お前まへが口くちに出ださんとても親おやも察さつしる弟おとゝも察さつしる、涙なみだは各自てんでに分わけて泣なかうぞと因果いんぐわを含ふくめてこれも目めを拭ぬぐふに、阿關おせきはわつと泣ないて夫それでは離縁りゑんをといふたも我わがまゝで御座ござりました、成程なるほど太郎たらうに別わかれて顏かほも見みられぬ樣やうにならば此世このよに居ゐたとて甲斐かひもないものを、唯たゞ目めの前まへの苦くをのがれたとて何どうなる物もので御座ござんせう、ほんに私わたしさへ死しんだ氣きにならば三方ぱう四方はう波風なみかぜたゝず、兎ともあれ彼あの子こも兩親れうしんの手てで育そだてられまするに、つまらぬ事ことを思おもひ寄よりまして、貴君あなたにまで嫌いやな事ことを御聞おきかせ申まをしました、今宵限こよひかぎり關せきはなくなつて魂たましゐ一つが彼あの子この身みを守まもるのと思おもひますれば良人おつとのつらく當あたる位くらゐ百年ねんも辛棒しんぼう出來できさうな事こと、よく御言葉おことばも合點がてんが行ゆきました、もう此樣こんな事ことは御聞おきかせ申まをしませぬほどに心配しんぱいをして下くださりますなとて拭ぬぐふあとから又また涙なみだ、母親はゝおやは聲こゑたてゝ何なんといふ此娘このこは不仕合ふしやわせと又また一しきり大泣おほなきの雨あめ、くもらぬ月つきも折をりから淋さびしくて、うしろの土手どての自然生しぜんばへを弟おとゝの亥之いのが折をつて來きて、瓶びんにさしたる薄すゝきの穗ほの招まねく手振てぶりも哀あはれなる夜よなり。

實家じつかは上野うへのの新坂下しんざかした、駿河臺するがだいへの路みちなれば茂しげれる森もりの木このした暗侘やみわびしけれど、今宵こよひは月つきもさやかなり、廣小路ひろこうぢへ出いづれば晝ひるも同樣どうやう、雇やとひつけの車宿くるまやどとて無なき家いへなれば路みちゆく車くるまを窓まどから呼よんで、合點がてんが行いつたら兎とも角かくも歸かへれ、主人あるじの留守るすに斷ことはりなしの外出ぐわいしゆつ、これを咎とがめられるとも申譯まをしわけの詞ことばは有あるまじ、少すこし時刻じこくは遲おくれたれど車くるまならば遂つひ一ト飛とび、話はなしは重かさねて聞ききに行ゆかう、先まづ今夜こんやは歸かへつて呉くれとて手てを取とつて引出ひきいだすやうなるも事ことあら立だてじの親おやの慈悲じひ、阿關おせきはこれまでの身みと覺悟かくごしてお父樣とつさん、お母樣つかさん、今夜こんやの事ことはこれ限かぎり、歸かへりまするからは私わたしは原田はらだの妻つまなり、良人おつとを誹そしるは濟すみませぬほどに最もう何なにも言いひませぬ、關せきは立派りつぱな良人おつとを持もつたので弟おとゝの爲ためにも好いい片腕かたうで、あゝ安心あんしんなと喜よろこんで居ゐて下くだされば私わたしは何なにも思おもふ事ことは御座ござんせぬ、决けつして决けつして不了簡ふりやうけんなど出だすやうな事ことはしませぬほどに夫それも案あんじて下くださりますな、私わたしの身體からだは今夜こんやをはじめに勇いさむのものだと思おもひまして、彼あの人ひとの思おもうまゝに何なんとなりして貰もらひましよ、夫それでは最もう私わたしは戻もどります、亥之いのさんが歸かへつたらば宜よろしくいふて置おいて下くだされ、お父樣とつさんもお母樣つかさんも御機嫌ごきげんよう、此次このつぎには笑わらふて參まゐりまするとて是非ぜひなさゝうに立たちあがれば、母親はゝおやは無なけなしの巾着きんちやくさげて出でて駿河臺するがだいまで何程いくらでゆくと門かどなる車夫しやふに聲こゑをかくるを、あ、お母樣つかさんそれは私わたしがやりまする、有ありがたう御座ござんしたと温順おとなしく挨拶あいさつして、格子戸かうしどくゞれば顏かほに袖そで、涙なみだをかくして乘のり移うつる哀あはれさ、家うちには父ちゝが咳拂せきばらひの是これもうるめる聲こゑ成なりし。

⦅下⦆

さやけき月つきに風かぜのおと添そひて、虫むしの音ねたえ〲に物ものがなしき上野うへのへ入いりてよりまだ一町てうもやう〱と思おもふに、いかにしたるか車夫しやふはぴつたりと轅かぢを止とめて、誠まことに申まをしかねましたが私わたしはこれで御免ごめんを願ねがひます、代だいは入いりませぬからお下おりなすつてと突然だしぬけにいはれて、思おもひもかけぬ事ことなれば阿關おせきは胸むねをどつきりとさせて、あれお前まへそんな事ことを言いつては困こまるではないか、少すこし急いそぎの事ことでもあり増ましは上あげやうほどに骨ほねを折をつてお呉くれ、こんな淋さびしい處ところでは代かはりの車くるまも有あるまいではないか、それはお前まへ人困ひとこまらせといふ物もの、愚圖ぐづらずに行いつてお呉くれと少すこしふるへて頼たのむやうに言いへば、増ましが欲ほしいと言いふのでは有ありませぬ、私わたしからお願ねがひです何どうぞお下おりなすつて、最もう引ひくのが厭いやに成なつたので御座ござりますと言いふに、夫それではお前まへ加减かげんでも惡わるいか、まあ何どうしたと言いふ譯わけ、此處こゝまで挽ひいて來きて厭いやに成なつたでは濟すむまいがねと聲こゑに力ちからを入いれて車夫しやふを叱しかれば、御免ごめんなさいまし、もう何どうでも厭いやに成なつたのですからとて提燈ちようちんを持もちしまゝ不圖ふと脇わきへのがれて、お前まへは我わがまゝの車夫くるまやさんだね、夫それならば約定きめの處ところまでとは言いひませぬ、代かはりのある處とこまで行いつて呉くれゝば夫それでよし、代だいはやるほどに何處どこか开處そこらまで、切せめて廣小路ひろこうぢまでは行いつてお呉くれと優やさしい聲こゑにすかす樣やうにいへば、成なるほど若わかいお方かたではあり此この淋さびしい處ところへおろされては定さだめしお困こまりなさりませう、これは私わたしが惡わるう御座ござりました、ではお乘のせ申まをしませう、お供ともを致いたしませう、嘸さぞお驚おどろきなさりましたろうとて惡者わるらしくもなく提燈ちようちんを持もちかゆるに、お關せきもはじめて胸むねをなで、心丈夫こゝろじようぶに車夫しやふの顏かほを見みれば二十五六の色いろ黒くろく、小男こをとこの痩やせぎす、あ、月つきに背そむけたあの顏かほが誰たれやらで有あつた、誰たれやらに似にて居ゐると人ひとの名なも咽元のどもとまで轉ころがりながら、もしやお前まへさんはと我知われしらず聲こゑをかけるに、ゑ、と驚おどろいて振ふりあふぐ男をとこ、あれお前まへさんは彼あのお方かたでは無ないか、私わたしをよもやお忘わすれはなさるまいと車くるまより濘すべるやうに下おりてつく〲と打うちまもれば、貴孃あなたは齋藤さいとうの阿關おせきさん、面目めんもくも無ない此樣こんな姿なりで、背後うしろに目めが無なければ何なんの氣きもつかずに居ゐました、夫それでも音聲ものごゑにも心こゝろづくべき筈はづなるに、私わたしは餘程よつぽどの鈍どんに成なりましたと下したを向むいて身みを恥はぢれば、阿關おせきは頭つむりの先さきより爪先つまさきまで眺ながめていゑ〱私わたしだとて徃來わうらいで行逢ゆきあふた位くらゐではよもや貴君あなたと氣きは付つきますまい、唯たつた今いまの先さきまでも知しらぬ他人たにんの車夫くるまやさんとのみ思おもふて居ゐましたに御存ごぞんじないは當然あたりまへ、勿體もつたいない事ことであつたれど知しらぬ事ことなればゆるして下くだされ、まあ何時いつから此樣こんな業ことして、よく其そのか弱よはい身みに障さわりもしませぬか、伯母おばさんが田舍いなかへ引取ひきとられてお出いでなされて、小川町をがはまちのお店みせをお廢やめなされたといふ噂うわさは他處よそながら聞きいても居ゐましたれど、私わたしも昔むかしの身みでなければ種々いろ〱と障さわる事ことがあつてな、お尋たづね申まをすは更さらなること手紙てがみあげる事ことも成なりませんかつた、今いまは何處どこに家うちを持もつて、お内儀かみさんも御健勝おまめか、小兒ちツさいのも出來できてか、今いまも私わたしは折をりふし小川町をがはまちの勸工塲くわんこうば見物みに行ゆきまする度々たび〱、舊もとのお店みせがそつくり其儘そのまゝ同おなじ烟草店たばこみせの能登のとやといふに成なつて居ゐまするを、何時いつ通とほつても覗のぞかれて、あゝ高坂かうさかの録ろくさんが子供こどもであつたころ、學校がくかうの行返ゆきもどりに寄よつては卷烟草まきたばこのこぼれを貰もらふて、生意氣なまいきらしう吸立すいたてた物ものなれど、今いまは何處どこに何なにをして、氣きの優やさしい方かたなれば此樣こんな六むづかしい世よに何どのやうの世渡よわたりをしてお出いでならうか、夫それも心こゝろにかゝりまして、實家じつかへ行ゆく度たびに御樣子ごやうすを、もし知しつても居ゐるかと聞きいては見みまするけれど、猿樂町さるがくてうを離はなれたのは今いまで五年ねんの前まへ、根ねつからお便たよりを聞きく縁ゑんがなく、何どんなにお懷なつかしう御座ござんしたらうと我身わがみのほどをも忘わすれて問とひかくれば、男をとこは流ながれる汗あせを手拭てぬぐひにぬぐふて、お恥はづかしい身みに落おちまして今いまは家うちと言いふ物ものも御座ござりませぬ、寐處ねどころは淺草町あさくさまちの安宿やすやど、村田むらたといふが二階かいに轉ころがつて、氣きに向むひた時ときは今夜こんやのやうに遲おそくまで挽ひく事こともありまするし、厭いやと思おもへば日ひがな一日いちにちごろ〱として烟けぶりのやうに暮くらして居ゐまする、貴孃あなたは相變あいかはらずの美うつくしさ、奧樣おくさまにお成なりなされたと聞きいた時ときから夫それでも一度どは拜おがむ事ことが出來できるか、一生しようの内うちに又またお言葉ことばを交かはす事ことが出來できるかと夢ゆめのやうに願ねがふて居ゐました、今日けふまでは入用いりようのない命いのちと捨すて物ものに取とりあつかふて居ゐましたけれど命いのちがあればこその御對面ごたいめん、あゝ宜よく私わたくしを高坂かうさかの録之助ろくのすけと覺おぼえて居ゐて下くださりました、辱かたじけなう御座ござりますと下したを向むくに、阿關おせきはさめ〲として誰だれも憂うき世よに一人ひとりと思おもふて下くださるな。

してお内儀かみさんはと阿關おせきの問とへば、御存ごぞんじで御座ござりましよ筋向すぢむかふの杉田すぎたやが娘むすめ、色いろが白しろいとか恰好かつかうが何どうだとか言いふて世間せけんの人ひとは暗雲やみくもに褒ほめたてた女もので御座ござります、私わたしが如何いかにも放蕩のらをつくして家うちへとては寄よりつかぬやうに成なつたを、貰もらふべき頃ころに貰もらふ物ものを貰もらはぬからだと親類しんるいの中うちの解わからずやが勘違かんちがひして、彼あれならばと母親はゝおやが眼鏡めがねにかけ、是非ぜひもらへ、やれ貰もらへと無茶苦茶むちやくちやに進すゝめたてる五月蠅うるささ、何どうなりと成なれ、成なれ、勝手かつてに成なれとて彼あれを家うちへ迎むかへたは丁度てうど貴孃あなたが御懷妊ごくわいにんだと聞きゝました時分じぶんの事こと、一年目ねんめには私わたしが處ところにもお目出めでたうを他人ひとからは言いはれて、犬張子いぬはりこや風車かざぐるまを並ならべたてる樣やうに成なりましたれど、何なんのそんな事ことで私わたしが放蕩のらのやむ事ことか、人ひとは顏かほの好いい女房にようぼを持もたせたら足あしが止とまるか、子こが生うまれたら氣きが改あらたまるかとも思おもふて居ゐたのであらうなれど、たとへ小町こまちと西施せいしと手てを引ひいて來きて、衣通姫そとほりひめが舞まひを舞まつて見みせて呉くれても私わたしの放蕩のらは直なほらぬ事ことに極きめて置おいたを、何なんで乳ちゝくさい子供こどもの顏かほ見みて發心ほつしんが出來できませう、遊あそんで遊あそんで遊あそび拔ぬいて、呑のんで呑のんで呑のみ盡つくして、家いへも稼業かげふもそつち除のけに箸はし一本ぽんもたぬやうに成なつたは一昨々年さきおとゝし、お袋ふくろは田舍いなかへ嫁入よめいつた姉あねの處ところに引取ひきとつて貰もらひまするし、女房にようぼは子こをつけて實家さとへ戻もどしたまゝ音信不通いんしんふつう、女をんなの子こではあり惜をしいとも何なんとも思おもひはしませぬけれど、其子そのこも昨年さくねんの暮くれチプスに懸かゝつて死しんださうに聞きゝました、女をんなはませな物ものではあり、死しぬ際ぎはには定さだめし父樣とゝさんとか何なんとか言いふたので御座ござりましよう、今年ことし居ゐれば五つになるので御座ござりました、何なんのつまらぬ身みの上うへ、お話はなしにも成なりませぬ。

男をとこはうす淋さびしき顏かほに笑ゑみを浮うかべて貴孃あなたといふ事ことも知しりませぬので、飛とんだ我わがまゝの不調法ぶてうはふ、さ、お乘のりりなされ、お供ともをしまする、嘸さぞ不意ふいでお驚おどろきなさりましたろう、車くるまを挽ひくと言いふも名なばかり、何なにが樂たのしみに轅棒かぢぼうをにぎつて、何なにが望のぞみに牛馬うしうまの眞似まねをする、錢ぜにを貰もらへたら嬉うれしいか、酒さけが呑のまれたら愉快ゆくわいなか、考かんがへれば何なにも彼かも悉皆しつかい厭いやで、お客樣きやくさまを乘のせやうが空車からの時ときだらうが嫌いやとなると用捨ようしやなく嫌いやに成なりまする、呆あきれはてる我わがまゝ男をとこ、愛想あいそが盡つきるでは有ありませぬか、さ、お乘のりなされ、お供ともをしますと進すゝめられて、あれ知しらぬ中うちは仕方しかたもなし、知しつて其車それに乘のれます物ものか、夫それでも此樣こんな淋さびしい處ところを一人ひとりゆくは心細こゝろぼそいほどに、廣小路ひろこうぢへ出でるまで唯たゞ道みちづれに成なつて下くだされ、話はなしながら行ゆきませうとてお關せきは小褄こづま少すこし引ひきあげて、ぬり下駄げたのおと是これも淋さびしげなり。

昔むかしの友ともといふ中うちにもこれは忘わすられぬ由縁ゆかりのある人ひと、小川町をがはまちの高坂かうさかとて小奇麗こぎれいな烟草屋たばこやの一人息子ひとりむすこ、今いまは此樣このやうに色いろも黒くろく見みられぬ男をとこになつては居ゐれども、世よにある頃ころの唐棧とうざんぞろひに小氣こきの利きいた前まへだれがけ、お世辭せじも上手じようず、愛敬あいけうもありて、年としの行ゆかぬやうにも無ない、父親てゝおやの居ゐた時ときよりは却かへつて店みせが賑にぎやかなと評判ひやうばんされた利口りこうらしい人ひとの、さても〱の替かはり樣やう、我身わがみが嫁入よめいりの噂うわさ聞きこえ初そめた頃ころから、やけ遊あそびの底そこぬけ騷さわぎ、高坂かうさかの息子むすこは丸まるで人間にんげんが變かわつたやうな、魔までもさしたか、祟たゝりでもあるか、よもや只事たゞごとでは無ないと其頃そのころに聞ききしが、今宵こよひ見みれば如何いかにも淺あさましい身みの有樣ありさま、木賃泊きちんどまりに居ゐなさんすやうに成ならうとは思おもひも寄よらぬ、私わたしは此人このひとに思おもはれて、十二の年としより十七まで明暮あけくれ顏かほを合あはせる毎たびに行々ゆく〱は彼あの店みせの彼處あすこへ座すわつて、新聞しんぶん見みながら商あきなひするのと思おもふても居ゐたれど、量はからぬ人ひとに縁ゑんの定さだまりて、親々おや〱の言いふ事ことなれば何なんの異存いぞんを入いれられやう、烟草たばこやの録ろくさんにはと思おもへど夫それはほんの子供こどもごゝろ、先方さきからも口くちへ出だして言いふた事ことはなし、此方こちらは猶なほさら、これは取とりとまらぬ夢ゆめの樣やうな戀こひなるを、思おもひ切きつて仕舞しまへ、思おもひ切きつて仕舞しまへ、あきらめて仕舞しまはうと心こゝろを定さだめて、今いまの原田はらだへ嫁入よめいりの事ことには成なつたれど、其際そのきはまでも涙なみだがこぼれて忘わすれかねた人ひと、私わたしが思おもふほどは此人このひとも思おもふて、夫それ故ゆゑの身みの破滅はめつかも知しれぬ物ものを、我わが此樣このやうな丸髷まるまげなどに、取濟とりすましたる樣やうな姿すがたをいかばかり面つらにくゝ思おもはれるであらう、夢ゆめさらさうした樂たのしらしい身みではなけれどもと阿關おせきは振ふりかへつて録之助ろくのすけを見みやるに、何なにを思おもふか茫然ぼうぜんとせし顏かほつき、時ときたま逢あひし阿關おせきに向むかつて左さのみは嬉うれしき樣子やうすも見みえざりき。

廣小路ひろこうぢを出いづれば車くるまもあり、阿關おせきは紙入かみいれより紙幣しへいいくらか取出とりいだして小菊こぎくの紙かみにしほらしく包つゝみて、録ろくさんこれは誠まことに失禮しつれいなれど鼻紙はながみなりとも買かつて下くだされ、久ひさし振ぶりでお目めにかゝつて何なにか申まをしたい事ことは澤山たんとあるやうなれど口くちへ出でませぬは察さつして下くだされ、では私わたしは御別おわかれに致いたします、隨分ずいぶんからだを厭いとふて煩わづらはぬ樣やうに、伯母おばさんをも早はやく安心あんしんさせておあげなさりまし、蔭かげながら私わたしも祈いのります、何どうぞ以前いぜんの録ろくさんにお成なりなされて、お立派りつぱにお店みせをお開ひらきに成なります處ところを見みせて下くだされ、左樣さやうならばと挨拶あいさつすれば録之助ろくのすけは紙かみづゝみを頂いたゞいて、お辭儀じぎ申まをす筈はづなれど貴孃あなたのお手でより下くだされたのなれば、あり難がたく頂戴ちようだいして思おもひ出でにしまする、お別わかれ申まをすが惜をしいと言いつても是これが夢ゆめならば仕方しかたのない事こと、さ、お出いでなされ、私わたくしも歸かへります、更ふけては路みちが淋さびしう御座ござりますぞとて空車からぐるま引ひいてうしろ向むく、其人それは東ひがしへ、此人これは南みなみへ、大路おほぢの柳あなぎルビの「あなぎ」はママ月つきのかげに靡なびいて力ちからなささうの塗ぬり下駄げたのおと、村田むらたの二階かいも原田はらだの奧おくも憂うきはお互たがひの世よにおもふ事こと多おほし。⦅終⦆

底本 / Source edition

底本:「文藝倶樂部 閨秀小説號」博文館
1895(明治28)年12月10日
初出:「文藝倶樂部 閨秀小説號」博文館
1895(明治28)年12月10日
※初出時の署名は、「一葉女史」です。
※変体仮名は、通常の仮名で入力しました。
※「決」と「决」の混在は、底本通りです。
入力:万波通彦
校正:Juki
2015年9月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/055670_000064/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/055670_000064/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/055670_000064/

樋口 一葉「十三夜」(旧字旧仮名)、底本『文藝倶樂部 閨秀小説號』博文館、1895年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 055670_000064, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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