Soranoha

近時詩壇寸感

きんじしだんすんかん

中原 中也

詩論か何かさういつた風のものを書けと云はれるたびに、書くことはいくらでもあるやうな気持と、書くことは何にもないやうな気持に襲はれます。さて暫く案じた揚句、大抵はお断りすることとなるのでありますが、今もよつぽどお断りしようかと思つた所でありました。

人によつて色々異ることと思ひますが、私は詩に就いては自分に分るやうにだけは考へますが、それを人に分らせようとするや大変骨が折れます。而も骨を折つた結果は、大抵の場合自分は気拙くなり、相手には殆んど役に立たないやうな次第です。これは、一つには私が今迄に、詩人である人と余りおつきあひして来なかつたといふことに過ぎないのかも知れません。もし相手がやはり詩人である場合は、随分容易に話が通じ、又互ひに利するのかも知れませんが、今の所私は、詩論といふものは殆んど無益だと諦め切つてゐる有様です。

色々と詩論は毎月の雑誌にも現れてをりますが、此の雑誌に訳載中のアランの論文と、それからこれは直ちに詩論と呼べる限りのものではありませんが、フィードレルの芸術論、まづまづ此の二つが此の数年来に読みました詩論の中で心に残つたものであります。あとは、殆んど心に残つてをりません。超現実派の詩論なぞも読んでをりますが、そして所々非常な卓見にも遭遇しますが、要するに読んだ後では「今時誰も結論には到達しないのだ」といふ何時も乍らの呟きを繰返さなければならない始末です。尤も、新精神の、精神してゐる所はよく分るつもりであります。一言で云へば、必竟偶然を排し詩を判然と人間の意識の手中に収めたいといふ精神と云ふことが出来るかと思ひますが、それが判然と実現出来れば、全く喜ばしいことであります。今の所猶概して印象の羅列以上のことを為し得てゐるとは思へませんが、あれらの努力が何時の日か一個完成したものに迄到達しないものではありますまい。然し私にはそれが十年二十年で可能とは見えませんし、猶それが可能となるためにはもう一寸何かの要素が加はらなければならないのではないかと考へられます。だが、あの精神の中には非常に明るい、非常に自在な世界があることは確かで、さういふ点では十分に影響されたいものと思つてゐますが、唯私にどうしても手放せない一つのことは、芸術作品には、一人の人間が生きてゐた、といふ感じの何ものかが、必ずやなくてはならないといふ事で、さもなければ読む方でつまらないばかりか、作る方で空虚なことでしかない筈だといふことであります。

少しく飛躍ではありますが、印象の瞬間捕捉なぞといふ考へも、一見甚だ嬉しいことではありますが、而もそれが嬉しいのは、人間を器械の如く推定した上でのことでありまして、その実人間は器械ではありませんからさういふ考へは思ひ付きに終るでありませう。

それから又近頃は詩の定型無定型といふことが盛んに論じられてゐますが、私は定型にしろ無定型にしろ、面白ければいいといふ程の呑気なことしか考へてをりませんが、なんだか此の問題は具体的のやうでゐて、その実途方もなく遠大か何かのやうに受取れます。仮りに何方かに決つた所でそれで何か出て来るといふわけのものでもありますまい。

「音」だのといふことも唱はれてをりますが、これに対しても、言語が発音される限り「音」はあるに決つてゐるといふ程の呑気さで、――多分報告的描写に過ぎぬ詩の続出に倦んだ揚句誰云ふとなく思ひ付かれたことのやうでありまして、もともとこんなに迄技巧論が抽象的に論じられるといふことは、まづ大抵の場合に意味のないことではありますまいか。

而もこんなに抽象的になつてゐることの一つの理由は、外国はいざ知らず我が国では、お互ひが痛い所に余りに触れなさすぎたからではありますまいか。どうせ目下が精神の貧寒時代であることは分つてゐますし、詩人が存外の苦吟をするのであることも分つてゐるのですから、もつとあけすけにして、もつと具体的なことを論ずることが、詩壇の急務ではありますまいか。但しそれとても一朝一夕に叶ふことでもありますまいが、そのためにはまづ、詩人が一体に固くなりすぎてゐることが、まづは打解ママされなくてはなりますまい。

とまれ、必要以上に真摯だ、つまり、感情的に真摯だといふことが云へるのではありますまいか。

底本 / Source edition

底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店
2003(平成15)年11月25日初版発行
底本の親本:「四季」
1935(昭和10)年2月号
初出:「四季」
1935(昭和10)年2月号
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
入力:村松洋一
校正:noriko saito
2014年9月11日作成
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書誌 / Bibliography
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中原 中也「近時詩壇寸感」(新字旧仮名)、底本『新編中原中也全集 第四巻 評論・小説』角川書店、2003年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 055630_000026, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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