Soranoha

警戒

けいかい

富永 太郎

酔ひ痴しれて、母君の知り給はぬ女の胸にあるとき、「*ここにわが働かざりし双手あり」の句を君の耳もとにさゝやき、卒然と君の眼の中に、母君の白き髪と額の皺とを呼び入れるものは何であるか。心せよ、これこそ、世界の構成の最下層から突き出でて、君の心臓の内壁にまで達する、かのへらへらとした気味あしき触手の、節奏なき運動の効果なのである。人はこの触手の存在に気付くことがあまりに少なく、しかもそれのために「ちよろりとやられてしまふ」ことがあまりに多いのである。されば友よ、(君は尊敬すべき生活の殉教者だ)、まづ空間を横ぎるこれらの黒い線條の存在に注意しよう。そして、卑しむに堪へたるかれらの機能に対して、心からの敵意を以て警戒しようではないか。

* Voici mes mains qui n'ont pas travaillé ―― Verlaine, Sagess e, Ⅱ, 1.

底本 / Source edition

底本:「富永太郎詩集」現代詩文庫、思潮社
1975(昭和50)年7月10日初版第1刷
1984(昭和59)年10月1日第6刷
底本の親本:「富永太郎詩集」創元選書、東京創元社
1949(昭和24)年10月
入力:村松洋一
校正:川山隆
2014年3月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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富永 太郎「警戒──C・Mに」(新字旧仮名)、底本『富永太郎詩集』現代詩文庫、思潮社、1975年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 055472_000678, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite