Soranoha

秋の悲歎

あきのひたん

富永 太郎

私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる。戦慄は去つた。道路のあらゆる直線が甦る。あれらのこんもりとした貪婪な樹々さへも闇を招いてはゐない。

私はたゞ微かに煙を挙げる私のパイプによつてのみ生きる。あの、ほつそりとした白陶土製のかの女の頸に、私は千の静かな接吻をも惜しみはしない。今はあの銅あかゞね色の空を蓋ふ公孫樹の葉の、光沢のない非道な存在をも赦さう。オールドローズのおかつぱさんは埃も立てずに土塀に沿つて行くのだが、もうそんな後姿も要りはしない。風よ、街上に光るあの白痰を掻き乱してくれるな。

私は炊煙の立ち騰る都会を夢みはしない――土瀝青チヤン色の疲れた空に炊煙の立ち騰る都会などを。今年はみんな松茸を食つたかしら、私は知らない。多分柿ぐらゐは食へたのだらうか、それも知らない。黒猫と共に坐る残虐が常に私の習ひであつた……

夕暮、私は立ち去つたかの女の残像と友である。天の方に立ち騰るかの女の胸の襞ひだを、夢のやうに萎れたかの女の肩の襞を私は昔のやうにいとほしむ。だが、かの女の髪の中に揷し入つた私の指は、昔私の心の支へであつた、あの全能の暗黒の粘状体に触れることがない。私たちは煙になつてしまつたのだらうか? 私はあまりに硬い、あまりに透明な秋の空気を憎まうか?

繁みの中に坐らう。枝々の鋭角の黒みから生れ出る、かの「虚無」の性相フイジオグノミーをさへ点検しないで済む怖ろしい怠惰が、今私には許されてある。今は降り行くべき時だ――金属や蜘蛛の巣や瞳孔の栄える、あらゆる悲惨の市いちにまで。私には舵は要らない。街燈に薄光るあの枯芝生の斜面に身を委せよう。それといつも変らぬ角度を保つ、錫箔のやうな池の水面を愛しよう……私は私自身を救助しよう。

底本 / Source edition

底本:「富永太郎詩集」現代詩文庫、思潮社
1975(昭和50)年7月10日初版第1刷
1984(昭和59)年10月1日第6刷
底本の親本:「富永太郎詩集」創元選書、東京創元社
1949(昭和24)年10月
初出:「山繭 創刊号」
1924(大正13)年
入力:村松洋一
校正:Juki
2013年10月6日作成
2014年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
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書誌 / Bibliography
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富永 太郎「秋の悲歎」(新字旧仮名)、底本『富永太郎詩集』現代詩文庫、思潮社、1975年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 055466_000678, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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