Soranoha

微笑の渦

びしょうのうず

徳田 秋声

(一)

K氏しを介かいしての、R大使館たいしかんからの招待日せうたいびだつたので、その日ひ彼かれは袴はかまなどつけて、時刻じこくがまだ早はやかつたところから、I子この下宿げしゆくへ寄よつて一と話はなししてから出でかけた。

R大使館たいしかんの所在しよざいを、彼かれは明白めいはくには知しらなかつた。勿論もちろん招待せうたいの意味いみについても、明確めいかくなことはわからなかつた。しかし大凡おゝよその見当けんたうはわかつてゐた。気きのきいた運転士うんてんしが車くるまをつけたところが、果はたしてそれであつた、彼かれは門前もんぜんで車くるまをおりて、右側みぎがわの坂道さかみちを爪先上つまさきあがりに登のぼつて行いつた。左ひだりへ折おれたところに応接室おうせつしつか喫煙室きつえんしつかといふやうな部屋へやの窓まどの戸とが少すこしあいてゐて人影ひとかげが差さしてゐたが、そこを過すぎると玄関げんかんがあつた。

名刺めいしを通つうじてゐるところへ、大入道おうにうどうのA氏しが奥おくから出でて来きて、彼かれを迎むかへてくれた。A氏しは一度どR国こくへ行ゆく友人ゆうじんの送別会席上そうべつかいせきぜうで見知みしりになつたR国人こくじんであつたので、私わたしはいさゝか心強こゝろつよく感かんじて、導みちびかるゝまゝに奥おくへ通とほつた。卓子掛てーぶるかけや椅子いすの緋色ひいろづくめな部屋へやには数人すうにんのR国こくの男女だんじよがゐて、私わたしの仲間なかまは案外あんがいにも極きわめて小数せうすうであつた。その多おうくは夫人帯同ふじんたいどうであつたことも、私わたしには意外いがいであつた。

私わたしは数人すうにんの男女だんじよのR国人こくじんに紹介せうかいされて、それらの人達ひとたちの力強ちからつよい手てと一々〱握手あくしゆをした。しかし誰たれが誰たれだか覚おぼえてもゐられなかつた。

「キヤンニユスピイキイングリシユ?」

「アイ、キヤントスピイク。」

「キヤンユゲルマン。」

「ノー。」

こんなやうな簡短かんたんな応答おうとうが、私わたしと彼等かれらのあいだに失望的しつぼうてきな笑わらひと共ともに取とり交かわされた。しかし話はなせないのは私わたしばかりではなかつた。大抵たいていは話はなせないのであつた。

私わたしは当代とうだいの花形作家はなかたさくかで且かつ詩人しじんであるところのS氏しの側そばへ寄よつて行いつた。

「今夜こんやはどんな人ひとが来くるんですか。」

「あとMさんが来くるだけでせう」

「さう!」

すると又またそこへ質素しつそな黒くろい服装ふくそうをつけた、断髪だんはつのぎよろりとした目めをした若わかいR国こく婦人ふじんがやつて来きて、やゝ熟達じゆくたつした日本語にほんごで話はなしかけた。最もつとも大抵たいていの婦人ふじんは黒くろい服装ふくそうした断髪だんはつであつた。

M氏し夫婦ふうふがやつて来きて、型かたどほり各人かくじんに紹介せうかいされたが彼かれも御多分ごたぶんに洩もれず唖おしであつた。しかし中なかには一度どや二度どは洋行ようこうしたことのあるN氏しやM、S氏しのやうな劇団げきだんの人々ひと〲もあつたし、アメリカに長ながくゐたM、K氏しなどもゐた。その上うえ紹介者せうかいしやのK氏しは巧たくみにR国語こくごを操あやつるのであつた。殊ことに書かいたものに敬服けいふくしてゐたM、K氏しは名前なまえを知しつてゐるだけで、私わたしには、初対面しよたいめんであつたが、少すこしも気取きどらない、ヒユモリストであるので、席せきが白しらけるなぞといふやうなことは先まづなかつたと言いつてもよかつた。勿論もちろん私わたしなどはどこへ行いつても唖おしの方ほうであつた。日本人にほんじんの会合かいごうでも話題わだいの極きわめて貧弱ひんじやくな方ほうといはなければならなかつた。しかし照てれるやうなこともなかつた。

「洋行ようこうしても我々われ〱は駄目だめだね。」

(二)

やがて食堂しよくどうへ入はいつて行いつた。目めのぱつちりした美うつくしい一人りの女おんなが私わたしを食卓しよくたくの向側むこうかわへ「どうぞ」と言いつて案内あんないしてくれたが、誰たれもまだ入はいつてこないので躊躇ちうちよしてゐるうちに、此方側こつちかわの左手ひだりての椅子いすを取とることになつて、先刻さつき美うつくしい人ひとが脇わきへ来きて席せきを取とつたが、言葉ことばが通つうじないことがわかつたところで、今いま一人りの日本語にほんごのよく話はなせるお転婆てんばさんらしい女おんなと入替いれかわつた。

彼女かのじよは比較的ひかくてき自由じゆうな日本語にほんごで色々いろ〱のことを話はなしかけた。

「私わたし今いまゐるところ日本にほんの家いえでございます。私わたし日本にほんの家うちが好すきでございます。日本にほんの西洋家屋せいようかおくはお粗末そまつで却かへつて感かんじが悪わるうございます。」

そんな風ふうの話はなしを、どうかするとたどたどしい舌したで弁しやべつた。

私わたしには別べつに話題わだいがなかつたけれど、何なにか彼かにか罰ばつを合あわせることが出来できた。

「MHさんは何どの方かたでございますか。」彼女かのじよはきいた。

MH氏しは反対はんたいの側かわの右みぎの端はしにゐたので、私わたしはその方ほうを指ゆびさし示しめした。

「私わたしあの方かたのもの読よみました。」

「面白おもしろいですか。」

「面白おもしろいのもございました。」

しかし別べつにそれ以上いぜうの文学談ぶんがくだんも出でなかつた。

「私わたしお正月せうがつ部屋へやへかけておきたいですが、何なにか書かいて下ください。」

「何なにをです。」

「何なんでもよろしうございます。書かいて送おくつて下ください。きつとですよ。ようございますか。」

「書かきませう。」

MK氏しが私達わたしたちの前まえに、先さきの美うつくしい人ひとと並ならんでゐて、元気げんきよく連しきりに茶目振ちやめふりを発揮はつきしてゐた。私わたしは彼かれの書かくものに敬意けいいをもつてゐたが逢あつてみると又また書かくものとは違ちがつた、別べつの意味いみの親したしさが感かんじられた。

向むかふ側かわではSH氏しの夫人ふじんらしい、ちら〱動うごく星ほしのやうな目めの極きわめて凉すゞしい人ひとが、無邪気むじやきな表情へうぜうをしてゐるのが目めについた。私わたくしの脇わきにゐるお転婆てんばさんが彼女かのじよを讃ほめてゐた。この夫人ふじんも美うつくしいが、LI子こがゐたら、これも一際きわ目めに立たつであらうことを想像そうぞうしたりしたが、しかし今夜こんやLI子このゐないことは反かへつて自由じゆうであつた。

私わたくしは話はなしに気きを取とられてゐたので、お料理れうりを大抵たいてい食たべはぐしてしまつた。おいしさうなスープも、香かんばしい饅頭風まんじうふうのお菓子かしも、それに時々とき〲機械的きかいてきに口くちにするウオツカの酔よいも出でて来きた。

これといふ事こともなかつた。みんなはやがて椅子いすを離はなれた。そして以前いぜんの部屋へやへ帰かえつて来きた。

(三)

食事後しよくじごの気分きぶんは前まえよりも一層そう打寛うちくつろいだものであつたが、彼等かれらの或者あるものは尚なおも未練みれんがましく私達わたしたちの傍そばへ寄よつて来きて、揉手もみてをしながら「キヤンニユスピイク、イングリシユ?」を繰返くりかえした。水菓子みずかしが婦人達ふじんたちによつて持もちまはられたり、飲料のみものが注つがれたりした。話はなせると思おもつたSH氏しなども、ちようど私わたしの傍そばにいて「読よむには読よむが話はなしはできない」と断ことわりを言いつていた。

そのSH氏しがしばらくすると、立たつて彼方あなたの卓たくの前まえに立たつて、和服姿わふくすがたの東洋人とうようじんらしい憂鬱ゆううつな恥はじらひの表情へうぜうで、自作じさくの詩しを謳うたひだした。皆みなが之これに耳みゝ傾かたむけた。そして謳うたひをはつて席せきについたときに、拍手はくしゆとゝもに「モア、モア!」と云いふ声こえが若わかいR国こくの紳士しんしによつてかけられた。

SH氏しはこのアンコールに応おうじて、再ふたゝび立たつて行いつた。そして前まえよりも安易あんいな調子てうしで謳うたつた。

拍手はくしゆが四方ほうから起おこつた。

少すこし間まをおいてから、R国こく婦人ふじんが一人り起たつて、やゝ長ながい叙事的歌詞じよじてきかしのやうなものを、多少たせうの科しぐさを交まじへて演えんじ出だした。それが了おわると、例れいの大入道おうにうどうの紳士しんしが、吃どもりのやうな覚束おぼつかない日本語にほんごで翻訳ほんやくしてくれた。

座興ざきようが加くわはつて来きた。

「MMさんに仮声こわいろを願ねがはうぢやないか。」誰たれかゞ劇界げきかいの長老てうろうたるMM氏しを目めざして促うながした。

「さうだ。何なにか一つ何どうです。我々われ〱は皆な芸げいなしだからな。」

肥ふとつたMM氏しは容易よういに起たたなかつたが、勿論もちろん彼かれにも若々わか〱しい愛嬌あいけうと洒落気しやれけは失うせてゐなかつた。

彼かれは椅子いすを離はなれた。

「ハムレツトをやりませう。白せりふなしのハムレツトを。」彼かれはさう言いつて真中まんなかに立たちながら、

「服装ふくそうはモダーンでいきませう。」

巧妙こうめうなハムレツトの一節ふしの黙劇もくげきがはじまつた。それは素人しろうととはおもはれないしつかりした型かたにはまつたものらしかつた。多分たぶん英国えいこくあたりのハムレツト役者やくしやのそれを取とつたものだらうと私わたしは想像そうぞうした。

「あゝ、腹はらがへつた!」MM氏しは演えんじをはると傍かたへの卓子たくしの上うえから、ビスケツトか何なにかをつまんで口くちへ投ほうりこんだ。

拍手はくしゆがおこつた。

(四)

私わたしは再ふたゝびS、H氏しと肩かたを並ならべてゐた時とき、これといふ話題わだいもなかつたので、ふとI子このことを話はなした。それは最近さいきんS、H氏しの詩しや小説せうせつの好すきなI子こが、一度ど遊あそびにつれて行いつてくれと言いつてゐたので、私わたしもこの機会きかいにS、H氏しを訪問ほうもんして敬意けいいを表へうしておくのも無意義むいぎではなからうと思おもつてゐたのであつた。

S、H氏しだけは「彼是かれこれ言いふべきものぢやない。羨望せんぼうすべきものぢやないか」と言いつたといふことを、二三度ど或青年あるせいねんから、私わたしは聞きかされてゐた。それは事実じじつか否いなかは知しらなかつたが、誰たれからも好感こうかんをもたれない私わたしとI子ことの事ことに関かんして、さう言いつたとすれば、それはS、H氏しの言いひさうなことだとは思おもはれた。勿論もちろんI子この意味いみは文芸上ぶんげいぜうのことであつた。S、H氏しが女性じよせいに対たいして、I子このやうな婦人ふじんが望のぞんでゐるやうに優やさしい親切しんせつな異性いせいでないことはI子こも知しつてゐた。そしてそれを口くちにしてゐた。

「それは普通ふつう無智むちな女おんなに対たいしてのことさ。I子こならS、H君くんでもきつとおとなしくするよ。」私わたしは自家じか謙けん遜の意味いみで言いつたが、いくらかの皮肉ひにくもないとは言いへなかつた。それは無邪気むじやきなI子こが、殊ことにもさう云いふことを嬉うれしがる人ひとの好よさをもつてゐるからであつた。私わたしは危険区域きけんくいきの線せんをこえない範囲はんいでよくさう云いふ風ふうな悪戯あくぎな試ためしをするのであつたが、しかし又また事実じじつさうかも知しれないと思おもはれないこともなかつた。

I子こもそれには答こたへなかつた。

或あるときも無聊ぶれうに苦くるしんでゐた折おり、誰たれかを訪問ほうもんしようかと言いひ合あつてゐるときS、H氏しの名なが出でた。

「さうね、行いつてもいゝね。」

「行いきませう。」

しかし私わたしは決定的けつていてきでなかつた。行いくなら一人りやつた方ほうがいゝと私わたしは密ひそかに思おもつてゐた。I子こを番ばんしてついて行いくやうなことは私わたしには出来できなかつた。何なにかおこつたら起おこつたときのことだし、S、H氏しがまたそんな隙すきをもつてゐるとも思おもへなかつた。I子こにしたところで、この際さい新あたらしい事件じけんを持もちあげることは、慵いことだと思おもはれた。

私わたしは一度どは新築しんちくのS、H氏しの家うちを見みたい旁かた〲、いつかは行いつてもいゝと思おもつたが、忙せわしいときだし少すこし心こゝろの準備じゆんびをとゝのへたをりのことにしようと思おもつた。

「一人りでおいで。その方ほうが話はなしも自由じゆうでいゝよ。」

「一人りなら行いきたくないのよ。先生せんせいのものとして、連つれてつてほしいのよ。」I子こは答こたへた。

(五)

それでS、H氏しとこゝで逢あつたのを幸さいわひに私わたしは手軽てがるにその事ことを話はなしたのであつた。するとS、H氏しは「危険きけんだな――」といふやうな口吻こうふんを卒然そつぜん洩もらしたものであつた。

「そんな事ことはない。」私わたしは笑わらひながら否定ひていした。すると又またS、H氏しが訂正ていせいでもするやうに、「いや、私わたしの方ほうが……。」と答こたへた。

私わたしは勿論もちろんどつちが危険きけんだかといふ明白めいはくな意識いしきなくして、たゞ漠然ばくぜんと半なかば謙遜けんそんの気持きもちで言いつたのであつたが、S、H氏しがまたさう云いふ風ふうの謙遜けんそんな意味いみで答こたへたのに出会であつて、それを又また押返おしかへして何なにか附加つけくわへるのも変へんだつたので其それには黙だまつてゐたが、

「若わかい人ひとがづいぶん行いくでせう」ときいた。

「しかしさう云いふ人ひとはさう云いふ人ひとだちで話はなしてゐますから。」

それからS、H氏しは家うちの所在しよざいなどを教おしへて、

「どうぞ入いらして下ください」と言いつたが、それは私わたしに対たいする言葉ことばだと見みてよかつた。

やがて奥おくのダンスホールへ人々ひと〲は流ながれこんで行いつた頃ころにはMR氏しの「MR氏の」はママ姿すがたがどこへ行いつたか見みえなかつた。S、H氏しも京都けうとから来きたT氏しの連中れんちうが、どこかで待まつてゐるといふので、夫人ふじんと何なにか打合うちあわせをして、少すこし前まえに帰かえつて行いつた。そこには未まだ懸かけない大おうきな油絵あぶらえなどが、窓まどぎわに立たてかけてあつたりして、大入道おうにうどうのR国人こくじんが、この作者さくしやについて、絵えの意味いみについて説明せつめいしてくれたりしたが、間まもなくピアノの伴奏ばんそうでマンドリン演奏えんそうがはじまつた。そして其それがすむと間まもなく一人りの婦人ふじんが、R氏しと打合うちあわせをしたあとでR氏しの通訳つうやく説明せつめいにつれて舞台ぶたいに上のぼつた。そしてピアノの伴奏ばんそうで独唱どくせうをはじめた。代理大使だいりたいしがつい私わたしの横よこの方ほうにゐたが、彼かれはまだ残のこりをしさうに「キヤニユスピークイングリシユ?」を繰返くりかえしてゐた。私わたしはまた笑わらひながら、前まえと同おなじことを繰返くりかへすより外ほかなかつた。若もしも「エヽリツトル」とでも言いはうものなら何どんなむづかしい質問しつもんが始はじまらないとも限かぎらないからであつた。

調子てうしづいた独唱どくせうが二つばかりつづいた。そして前まえに叙事詩じよじしのやうなものを朗読らうどくした多分たぶん代理大使だいりたいしの夫人ふじんだとおもはるゝ婦人ふじんが其後そのあとで又舞台ぶたいのうへで朗読らうどくをはじめた。

多分たぶん彼等かれらに取とつては楽たのしい一夜やであるべき筈はずだつたのであらうが唖おしのやうに黙だまりこくつた我々われ〱の苦にがい表情へうぜうと無愛相ぶあいそうな態度たいどとが、如何いかに彼等かれらを失望しつぼうさせたかは、想像そうぞうに余あまりあるものであつた。

私わたしたちは帰かえりがけに画帖がてふを書かかせられた。

(六)

乗物のりものの支度したくもなかつたので、私達わたくしたちはぞろ〱打揃うちそろうて外そとへ出でた。そして円えんタクでも通とおりかゝつたらばと思おもつて、寂さびしいN町まちの通とおりを、Tホテルの方ほうへと歩あるいた。

「あれは皆みんな立派りつぱな紳士しんしなんだらうが、何なんだか安やすつぽいね。」M、H氏しが言いつた。

この疑問ぎもんは私わたしなどにも兎角とかく起おこりやすい疑問ぎもんである。歌舞伎俳優かぶきはいゆうが近代的きんだいてきになるに従したがつて、以前いぜんのやうな荘重典雅そうてうてんがの風貌ふうぼうがなくなつて、そこいらの若わかい衆しうと大たいした違ちがひがなくなると同おなじことである。議場ぎぜうへ出でる政治家せいちかでも、両国れうこくの土俵とへうで見みる力士りきしでも、伝統的でんとうてきなものが亡ほろびて、段々だん〱小粒こつぶになつて来くるのにも不思議ふしぎはない。

「今度こんどはもつとしんみり話はなしのできるやうにしたいと言いつてゐました。」K氏しが言いつた。

多分たぶんS、H氏しの夫人ふじんが、ホテルでS、H氏しとT氏しの連中れんちうを待合まちあわせることになつてゐたのでもあらうがM、H氏し夫妻ふさいが其処そこに宿泊しゆくはくしてゐたために、一同どうは知しらず識しらずホテルへ寄よることになつた。ホテル前まえの電車でんしやを突切つきる頃ころ、私わたしはM、H夫人ふじんと話はなしながら歩あるいてゐたが、彼女かのじよは私わたしが自動車じどうしやにでも轢ひかれはしないかと気遣きつかつて、どうかすると袖そでを引ひつ張ぱつたりして、手てを取とらないばかりに劬いたはつてくれるのであつた。私わたしがI子ことの事件じけんでM、H氏しに攻撃こうげきされたことを、私わたしが悲観ひかんしてゐるやうなことを、私わたしは私わたしの最近さいきんの作品さくひんで書かいたりしたので、一層そう彼女かのじよは私わたしの心こゝろの痛いたみをさすつてくれようとしてゐるらしいのであつた。

「お危あぶなうございますわ。お大事だいじのお体からだですからね。」

「大丈夫だいぜうぶですよ。」

「段々だん〲お友達ともたちが亡なくなつて、ほんとに寂さびしいんですものね。お体からだを大事だいじにして下くださいね。」

「大丈夫だいぜうぶです。私わたしはそんなに……。」

「どうかして、思おもひ切きつてお別わかれになれないものですかね。」

ホテル前まえへ差さしかゝつたとき、夫人ふじんは衷心ちうしんからそれを切望せつぼうするやうに言いつた。

「どうもね、ちよつとさうも行いかないんですよ。」

「いけないんですの。」夫人ふじんは絶望的ぜつぼうてきに呟つぶやいた。

ぞろ〱とホテルへ入はいつて行いつた。ちやうどクリスマスの翌夜よくやでパイントリイが物々もの〱しく飾かざられ、食堂しよくどうに舞踊ぶようがあつたりして、まるでお祭まつりのやうな騒さわぎであつた。私わたしたちはサロンルームの片隅かたすみに、辛からうじて座席ざせきを占しめることが出来できた。

(七)

社交家しやこうかのM、H氏し夫人ふじんが、私達わたしたちのために何なにか飲料のみものでも斡旋あつせんしやうとして、ボオイに謀はかつてみたけれど、今夜こんやの騒さわぎなので、これといふものもなかつた。たゞ曹達水そうだすいがあるばかりであつた。私達わたしたちは卓子てーぶるを囲かこんで、莨たばこをふかしながら漫談まんだんに時ときを移うつした。軽かるい瀟洒せうしやな夜会服やかいふくを着きたのや、裾模様すそもようの盛装せいそうをしたのや、その中なかにはまたタキシイドの若わかい紳士しんしに、制服せいふくをつけた学生がくせい、それに子供こともたちも少すくなくなかつた。軍服姿ぐんぷくすがたもちらほら見みえた。それらの人達ひとたちが目間苦めまくるしく往いつたり来きたりしてゐたが、ダンス場ばは人ひとがぎつちり鮨詰すしつめになつてゐた。音楽おんがくにつれて、浮ういたり沈しずんだりする男女だんじよの顔かおが、私達わたしたちの目めにも見みえるのであつた。

「どう云いふ連中れんちうだらう。」R国こくに長ながくゐたK氏しがきいた。

「色々いろんな人間にんげんがゐるのさ。」M、H氏しが微笑びせうしてゐた。

「我々われ〱の仲間なかまでも、かう云いふところへ来くる人ひともあるのさ。KだのTだの。」私わたしも附加つけくわへた。

「まるで船着場ふなつきばのホテルのやうだね。いつでも恁かうかしら。」

「いや、いつもは至いたつて寂さびしい」東京とうけうへくればいつでも此処ここへ宿泊しゆくはくすることにしてゐるM、H氏しが答こたへた。

星ほしのやうな目めをうろ〱させてS、H氏しの夫人ふじんが、頼たよりなさゝうにしてゐるので、M、H氏し夫人ふじんと、N氏し夫人ふじんが気きをもんで電話でんわでもかゝつて来こないか否いなかをボオイに訊きいたりしたが、何なんの消息せうそくもないらしかつた。勿論もちろんS、H氏し夫人ふじんはS、H氏しと其その友人ゆうじんを此処ここで待合まちあわせることになつてゐた。

「さあ、僕ぼくは失敬しつけいしよう!」私わたしは興けうがなさゝうに椅子いすを離はなれた。

「まあ、お宜よろしいぢやございませんか。」

「いや、もう遅おそいですから。」

「I子こさんがお待まちになつていらつしやいますの。お呼よびになつたら可いいぢやございませんか。」

「そんな訳わけでもないんです。では失礼しつれい――。」

M、H氏し夫人ふじんが出口でくちまで送おくつてくれて、自動車じどうしやに載のせてくれたりした。

私わたしは途中とちうI子この宿やどの近ちかくで自動車じどうしやを乗棄のりすてた。そしてI子この宿やどへ寄よつた。I子こは洋服姿ようふくすがたで独ひとりでゐた。

「お帰かえんなさい。づいぶん遅おそかつたぢやありませんか。」

「ちよつとホテルへ寄よつたものだから。ホテルは今夜こんやも大変たいへんな騒さわぎさ。」

「さう。今夜こんやの会合かいごうは何どんな人達ひとたちでしたの。」

私わたしはその事ことについて、少すこし話はなした。そして其そのついでにS、H氏しの言いつたことをも話はなした。

「あゝ言いつておいたから、一人りで行ゆくといゝ。何なんならS青年せいねんでもつれてね、S、H氏しは君きみに興味けうみをもつてゐるかも知しれないから、話はなしてくれるだらう。」私わたしは少すこし誇張こてうして言いつた。

「そんなことないわ。貴方あなたの言いひ方かたがいけないのよ。どう言いつたのよ?」

「どうつて、行いきたがつてゐると……」

「それだから可いけないのさ。」

寝床ねとこについてからも、また其その話はなしが出でた。

「君きみならきつと、興味けうみをもたれると思おもふね。」

「そんな事ことないわ。私わたしは奥おくさんと話はなしてこようとおもふ。」I子こは言いつてたが、私わたしの胸むねにうづまつた彼女かのじよの顔かおには、自然ひとりでに善良ぜんれうな微笑びせうが浮うかんでゐるのを、私わたしは感かんじない訳わけに行いかなかつた。

(昭和3年1月19日~25日「時事新報」)

底本 / Source edition

底本:「徳田秋聲全集 第16巻」八木書店
1999(平成11)年5月18日初版発行
底本の親本:「時事新報」
1928(昭和3)年1月19日~25日
初出:「時事新報」
1928(昭和3)年1月19日~25日
※「SH氏」と「S、H氏」、「MH氏」と「M、H氏」、「MK氏」と「M、K氏」、「I子」と「LI子」の混在は、底本通りです。
※「私」に対するルビの「わたし」と「わたくし」、「卓子」に対するルビの「てーぶる」と「たくし」、「繰返」に対するルビの「くりかへ」と「くりかえ」、「段々」に対するルビの「だん/\」と「だん/″\」の混在は、底本通りです。
※主人公の「彼」と「私」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った箇所を、初出の表記にそって、あらためました。
※「皆な」、「謙《けん》遜の」、「慵い」にルビがないのは、底本通りです。
※作中を通して一度しか出てこない人名「MR氏」は「MH氏」の誤植が疑われるためママ注記しました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:きりんの手紙
2021年1月27日作成
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リリース / Release
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/055404_000023/

徳田 秋声「微笑の渦」(新字旧仮名)、底本『徳田秋聲全集 第16巻』八木書店、1999年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 055404_000023, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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