われ非情の大河を下り行くほどに

曳舟の綱手のさそひいつか無し。

<ruby><rb>喊</rb><rt>わめ</rt></ruby>き罵る赤人等、水夫を裸に的にして

色鮮やかにゑどりたる<ruby><rb>杙</rb><rt>くひ</rt></ruby>に結ひつけ射止めたり。

われいかでかかる船員に心殘あらむ、

ゆけ、フラマンの小麥船、イギリスの綿船よ、

かの乘組の去りしより騷擾はたと止みければ、

大河はわれを思ひのままに下り行かしむ。

荒潮の<ruby><rb>哮</rb><rt>たけ</rt></ruby>りどよめく波にゆられて、

冬さながらの吾心、幼兒の腦よりなほ鈍く、

水のまにまに<ruby><rb>漾</rb><rt>たゞよ</rt></ruby>へば、陸を離れし半島も

かかる劇しき混沌に擾れしことや無かりけむ。

颶風はここにわが漂浪の目醒に祝別す、

身はコルクの栓よりも輕く波に跳りて、

永久にその<ruby><rb>牲</rb><rt>にへ</rt></ruby>を轉ばすといふ海の上に

うきねの<ruby><rb>十日</rb><rt>いくよ</rt></ruby>、燈臺の<ruby><rb>空</rb><rt>うつ</rt></ruby>けたる眼は顧みず。

酸き林檎の果を小兒等の吸ふよりも柔かく、

さみどりの水はわが松板の船に浸み透りて、

青みたる葡萄酒のしみを、吐瀉物のいろいろを

わが身より洗ひ、舵もうせぬ、錨もうせぬ。

これよりぞわれは星をちりばめ乳色にひたる

おほわたつみのうたに浴しつつ、

緑のそらいろを<ruby><rb>貪</rb><rt>むさぼ</rt></ruby>りゆけば、其<ruby><rb>吃水</rb><rt>みづぎは</rt></ruby>蒼ぐもる

物思はしげなる水死者の、愁然として下り行く。

また忽然として青海の色をかき亂し、

日のきらめきの其下に、もの狂ほしくはたゆるく、

つよき酒精にいやまさり、大きさ琴に歌ひえぬ

愛執のいと苦き<ruby><rb>朱</rb><rt>あか</rt></ruby>みぞわきいづる。

われは知る、霹靂に碎くる天を、龍卷を、

<ruby><rb>寄波</rb><rt>よせなみ</rt></ruby>を、潮ざゐを。また夕ぐれを知るなり。

白鳩のむれ立つ如き曙の色も知るなり。

人のえ知らぬ不思議をも<ruby><rb>偶</rb><rt>たま</rt></ruby>には見たり。

神祕のおそれにくもる入日のかげ、

紫色の凝結にたなびきてかがよふも見たり。

古代の劇の<ruby><rb>俳優</rb><rt>わざをぎ</rt></ruby>が並んで進む姿なる

波のうねりの一列がをちにひれふるかしこさよ。

夜天の色の<ruby><rb>深</rb><rt>こ</rt></ruby>みどりはましろの雪のまばゆくて

靜かに流れ、眼にのぼるくちづけをさへゆめみたり。

世にためしなき靈液は大地にめぐりただよひて

歌ふが如き不知火の青に黄いろにめざむるを。

幾月もいくつきもヒステリの牛小舍に似たる

怒濤が暗礁に突撃するを見たり、

おろかや波はマリヤのまばゆきみあしの

いきだはしき大洋の口を<ruby><rb>箝</rb><rt>かん</rt></ruby>し得ると知らずや。

君見ずや、世にふしぎなるフロリダ州、

花には豹の眼のひかり、人のはだには

手綱のごとく張りつめし虹あざやかに染みたるを、

また水天の間には海緑色のもののむれ。

海上の沸きたちかへる底見ればひろき<ruby><rb>穽</rb><rt>わな</rt></ruby>あり、

海草の足にからみて腐爛するレヸヤタン、

<ruby><rb>無風</rb><rt>なぎ</rt></ruby>のもなかに大水はながれそそぎて、

をちかたの海はふち瀬に瀧となる。

氷河、銀色の太陽、眞珠の波、炭火の空、

鳶色の入江の底にものすごき破船のあとよ、

そこには蟲にくはれたるうはばみのあり、

黒き香に、よぢくねりたる木の枝よりころがり落つ。

をさなごに見せまほし、青波にうかびゐる

鯛の<ruby><rb>族</rb><rt>ぞう</rt></ruby>、<ruby><rb>黄金</rb><rt>こがね</rt></ruby>の<ruby><rb>魚</rb><rt>いろ</rt></ruby>くづ、歌へるいさな。

花と散る波のしぶきは漂流を祝ひ、

えも言へぬ風、時々に、われをあふれり。

時としては地極と地帶の旅にあきたる殉教者、

吐息をついてわが漂浪を樂しくしながら、

海は、われに黄色の吸盤をもてる影の花をうかぶ、

その時われは跪く女のごとくなり。

半島のわが<ruby><rb>舷</rb><rt>ふなべり</rt></ruby>の上に投げ落すものは、

亞麻いろの眼をしたる怪鳥の爭、怪鳥の糞、

かくて波のまにまに浮き行く時、わが細綱をよこぎりて、

水死の人はのけざまに眠にくだる……

入江の底の<ruby><rb>丈長髮</rb><rt>たけなががみ</rt></ruby>に道迷ふわれは小舟ぞ、

あらし颶風によつて鳥もゐぬ空に投げられ、

<ruby><rb>甲鐵艦</rb><rt>モニトル</rt></ruby>もハンザの帆船も

水に醉ひたるわがむくろ、いかでひろはむ。

思ひのままに、煙ふきて、むらさき色の霧立てて、

天をもとほすわが舟よ、空の赤きは壁のごと、

詩人先生にはあつらへの名句とも

太陽の<ruby><rb>蘚苔</rb><rt>こけ</rt></ruby>あり、青海の<ruby><rb>鼻涕</rb><rt>はな</rt></ruby>あり。

エレキの光る星をあび、黒き海馬の護衞にて、

くるひただよふ板小舟、それ七月は

杖ふりて燃ゆる漏斗のかたちせる

瑠璃いろの天をこぼつころ。

五十里のあなた、うめき泣く

河馬と鳴門の渦の<ruby><rb>發情</rb><rt>さかり</rt></ruby>をききて<ruby><rb>慄</rb><rt>ふる</rt></ruby>へたるわれ、

嗚呼、青き不動を永久に紡ぐもの、

昔ながらの壁にゐる歐羅巴こそかなしけれ。

星てる群島、島々、その狂ほしく美はしき

空はただよふもののためにひらかる、

そもこの<ruby><rb>良夜</rb><rt>あたらよ</rt></ruby>の間に爾はねむり、遠のくか。

紫摩金鳥の幾百萬、ああ當來の<ruby><rb>勢力</rb><rt>せいりき</rt></ruby>よ。

しかはあれども、われはあまりに哭きたり。あけぼのはなやまし、

月かげはすべていとはし、日はすべてにがし、

切なる戀に醉ひしれてわれは泣くなり、

龍骨よ、千々に碎けよ、われは海に死なむ。

もしわれ歐羅巴の水を望むとすれば、

そは冷やかに黒き沼なり、かぐはしき夕まぐれ、

うれひに沈むをさな兒が、腹つくばひてその上に

五月の蝶にさながらの笹舟を流す。

ああ波よ、一たび汝れが倦怠にうかんでは

綿船の<ruby><rb>水脈</rb><rt>みを</rt></ruby>ひくあとを奪ひもならず、

旗と炎の驕慢を妨げもならず、

また<ruby><rb>逐船</rb><rt>おひぶね</rt></ruby>の恐しき眼の下におよぎもえせじ。