Soranoha

頌歌

ほめうた

クローデル ポール

わが魂たましひは主しゆを崇あがめ奉るなり。

噫あゝ今は越方こしかたとなりし辛つらき長き途みちよわれたゞ孤ひとりなりしその日よ。

都大路みやこおほぢの流離さすらひよ、御堂みだうへ下くだる長町ながまちよ。

宛あたかも若き競技者が方人かたうど、調練者ならしての群ぐんに急せかれてか楕圓砂場だゑんさぢやうをさして行く時、

一人ひとりは耳に囁きつ、またの一人ひとりは腕かひなに自由を許しつゝ布きれもて腱すぢねを卷き縛しばる如きめをみて、

わが神々の忙しき足の中をわれは進みぬ。

聖約翰祭せいヨハネさい夏至げしの頃森陰もりかげの音おとなひよりも、

あるは、ダマスコの里水さとみづさやぐ山川やまかはの音おとに、

荒野あれのの吐息雜まじり、夕されば風戰そよぐ高木かうぼくの搖ゆるぎも加はるその聲こゑよりも繁きは、

欲望さはなる若き心の言葉なり。

嗚呼あゝ神よ、若き人は女の生みたる子は、御供ごくうの牡牛をうしよりも御心みこゝろに適かなふべし、

かくてわれ、相撲すまふの身を屈する如く、御前おんまへにあり、

自らを敢あへて弱しと思ふにあらず、他の更に我より強きが爲ためぞ。

君はわれを呼び召して、

夙つとにわが名を知り給ふ如く、同じ齡よはひの者の中なかより特にわれを擇えらび給ふ。

嗚呼、神よ、若き人の心はいかに愛に滿ち、いかに汚辱と虚榮とを忌むかを知り給ふならむ。

是こゝに於おいてか、君、急にはかにわが前に現はれ給ふ。

主しゆは昔御力みちからを示して孟西モオゼを驚かし給ひぬ、されど、わが心には、罪なき一いつの實有じつうとこそ見えたれ。

さすがはわれも女の生みたる子なるか、そは此時このとき、理性も師説しせつも、すべての妄誕ばうたんも、

わが心の雄誥をたけびに對むかひて、この幼兒をさなごのさし伸べたる手に對むかひて、全く無力なればなり。

噫あゝ、涙、噫あゝ、情深なさけぶかき心、噫あゝ、涙はふり落つるこの顏容かんばせかな。

諸もろ〱の信者たち、來きたれ、この今生れたる幼兒をさなごを尊たつとび敬うやまはむ、

われを君が仇あだと思おぼし給ふ勿なかれ、われは君のいづこに在いますかを辨わきまへず、また見ず、また知らず、唯たゞこの涙に暮くるゝ面おもてを君の方に向けたり。

われらを愛する者、人誰か愛せざらむ、わが心、救世主すくひぬしを見て、躍り喜ぶ。諸もろ〱の信者たち來きたれ、われらが爲に生れ出で給ふこの幼兒をさなごを尊たつとび敬うやまはむ。

――さてもわれは今童兒どうじにあらず、生いのちの央なかに在りて、事理分別を辨へ、

歩ほを停とゞめて、力量と堪忍とを楯に直立して、各方面を眺めたり。

かくて君、われに置き給ひし心と音おととを元もとに、

われはくさぐさの言葉を作り、説を工たくみ、わが胸の内に、異る聲々こゑ〲を集めたるが、

今や長論議ちやうろんぎもはたと止やみて、

われ唯たゞ孤ひとりとなりぬ。君の御前みまへに出いでては、更に新らしきわが身の思おもひして、

復音ふくおんの一聲いつせい、たとへば、弓をもて、二つの絲いとを彈き鳴らしたるヸオロンの如く歌ひ出づ。

われ、世に在りて何か爲なさむ、一帶の砂上に立ちて、眼まなこ常に、あのうち重かさなれる晶光七天しやうくわうしちてんを眺むるのみ。

君、今ここにわが前に在います。われは、カルメル山ざんに孤雲を望む牧人の心となりて、君が御爲おんためにやをら美うつくしき一條いちでうの歌を捧げむ、

時これ十二月寒かんの土用に際して、萬物ばんぶつの結目むすびめは縮ちゞまり竦すくみ、夜天やてんに星斗せいと闌干らんかんたれど、

歡喜の心、逸散いつさんにわが身を撞つきて、

今は昔、カヤパス、アンナ大司祭たり、ヘロデは、

ガリレヤに、弟ピリポ、イツリヤとトラコニチスとに、リサニヤスはアビレナに分封わけもちの王きみたりし世、荒野あれののヨハネに御言葉みことばの降くだりし時の如し。

われらの奏問さうもんし奉る言葉と同じ言葉もてわれらにも、宣のらせ給ふわが神よ。

君は今もわが聲を輕しめ給はず、君が幼兒のいづれもの聲、または、君が婢女はしためマリヤの聲、

マリヤはその心の溢あふれ湧きて、その謹つゝしみを受け入れ給ひし嬉しさに叫びし其その聲と同じやうに嘉よみし給ふ。

嗚呼あゝ、わが神の御母おんはゝ、女のうちにての女よ、

この長旅ながたびのはてに、君がわが胸に達し給ひしか。わが身の内にある代々の人々よりこの我に至る迄まで、一齊に呼ばはりて、君を祝福されたる者と仰ぎ奉る。

そも君が室しつに入るや、エリザベエタは耳を傾け、

石婦うまずめと呼ばれし者も身重みおもになりてはや六月むつきとなりぬ。

わが心、頌歌ほめうたを負ひて重く、御前おんまへにむかふも苦しげなり。

宛も乳香にうかうと炭火すみびとに充ちたる金の香爐かうろの重たげに、

鎖の長さに振上げられて、

次に降おり來るその跡は、

濛々もう〱たる香煙かうえんを日光に漲みなぎらす如し。

主しゆよ、口訥くちごもる萬物の中なかに立ちて、わが心、願はくは其その言ふ所を知る者の如くあらなむ。

造化ざうくわの主しゆに對するこの大歡喜、千萬の天軍が嚴守げんしゆするこの祕密は空くうにあらず。

嗚呼あゝ、わが言げんの力を、その無言むごんの力と同じからしめ給へ。

又、萬有のすぐれてめでたき事も空くうにはあらず又かの虚うつろ蘆莖あしぐきの戰そよぎも空くうならず、裏海りかいの濱はまアラルの麓ふもとなる古塚ふるづかの上に坐して、

東方聖人は此聲このこゑを聞きながら星を考へ、大おほいなる代の近づくを察したらずや。

されどわれは唯たゞ、ふさはしき言葉を見出で、これを見出でたるのち、唯、わが心の言葉を吐出はきいで、

これを言出いひいでたるのち、命いのちを終をはり、又これを言出でたるあとは、頭かしらを胸に俛たれて、宛あたかも老僧が聖祭せいさいを行ひつゝ絶命する如くならむ。

主しゆは祝すべきかな、諸もろ〱の偶像よりわれを救ひ給へり、

君を他ほかにして、我に敬うやまひ尊たつとぶもの無からしめ、イシスにもオシリスにも、

又は「正義」「進歩」「眞理」或は「神性」「人道」「自然法則」また「藝術」にも「美」にも額ぬかづかしめず、

元來世に在らざる物又は君在いまさぬ爲ために生じたる空虚に存在を容ゆるしたまはず。

見よ、空舟うつろぶねを刳くりて、殘る船板ふないたをアポロオンに彫ほり刻みし未開人の如く、

かの唯、辯べんを辯ずる者どもは、形状言けいじやうげんの剩餘じようよをもて、實體もなき多くの怪物を造りつつ、

童男どうなん童女どうぢよを食とするモロックよりも虚誕きよたんにして又、殘忍なり醜惡しうをなり、

音おとありて聲無し、名あれど體たい無し、

荒野あれのまたすべて空くうなる物に住まふ不淨の氣ここに漂ふ。

主しゆよ、君はすべての書籍しよじやく、思想、偶像、祭官等よりわれを救ひ給ふ、

以色列イスラエルが、「柔弱家にうじやくか」の軛くびきに屈するを許し給はず、

君が死者の神にあらず、生きたる人の神なるをわれは知れり。

われは幻影と傀儡くわいらいとを敬けいせず、ディヤナも「義務」も「自由」も牛の姿のアピスも、

又はかの「天才」かの「英雄」或は大人たいじん、超人てうじん、すべて忌いまはしき異形いぎやうのものを敬せむや。

死の中にありてわれ自由なる能あたはざればなり。

われは眞に有る物の間に有りてこれをわが身に缺かく可べからざる物とするに努む。

われは何物をも凌駕りようがせむとはせず、唯たゞ眞の人たるを欲す。

主しゆが諸もろ〱の實在中じつざいちゆうにありて、完まつたく、且かつ眞に、且つ生き給ふ如く眞ならむを欲す。

世上の假説かせつ何ものぞ、われは唯たゞ窓に出いでゝ、夜よるを開き、眼にはかの一齊せいに列ならびたる數字となりて、

わが必然の一いちといふ係數の後あとに幾多の零れいがつづく如き無數無限の星影を映さむのみ。

げに君は晝ひるの後あとに偉大なる闇を與へ、夜天やてんの實在を示し給へど、

われ今ここに在る如く、まさしく晝もまた幾千萬の星となりて現はれ、

六千有餘の昴宿ばうしゆくとなりては寫眞紙しやしんしの上に署名すること、

調書てうしよの紙に罪人が指紋を押付くる如し。

天象てんしやうの觀測者は星辰せいしんの樞軸すうぢくを求めて、ヘルクレス、ハルキュオオネを見出し又諸もろ〱の星宿が、

司祭しさいの肩なる鉤鈕かぎぼたんの如く、色いろ燦爛さんらんたる寶玉ほうぎよくを鏤ちりばめたる莊嚴さうごんに似たるを知る。

又ここにかしこに、世界の果はてには創造の業げふ終る所、星雲あり、

宛あたかも大海の波濤荒び卷き上がりて、

後のちやうやく治まる時、見よ、未いまだ靜まらぬ潮騷しほざゐの亂るる如く、

基督クリストの信徒は信仰の天に生きたる同胞どうはうの萬聖節ばんせいせつが行はるるを見る。

主しゆよ、今君の奉仕者ほうししやと記入されたるわれらは鉛にあらず、石にあらず、朽木きうぼくのはしにあらず、

「我は仕へず」といふ姿して、自みづからの心を堅め得るものあらむや。

ここに死が生いのちに克つにあらず、生いのちが死を破はするものにして、死は到底生いのちにはむかふ力なし。

嗚呼あゝ、主しゆは諸もろ〱の偶像を破棄し給へり。

君は諸もろ〱の力を其その座より退け給ひ、火の中の焔ほのほさへも從へ給ふ。

港灣かうわんに掃除の行はるる時、人夫等の黒き集團は埠頭ふとうを蔽おほひて、船舶せんぱくの傍かたへに立騷たちさわぐ如く、

わが眼には星辰せいしん雲集し又無限むげん夜天やてんは生動せいどうす。

われは總額中そうがくちゆうの一數字の如く、この身脱する能あたはず、

われに課せられたる業わざは唯たゞ、永遠の間まに行おこなふ可べし。

われはわが務を知る、神われに信を置き給ふ如く、われまた主しゆを信ず。

君が御言葉みことばをこそわれは頼め、豈あに證書あかしぶみの用あらむや。

さればこそ、われら、夢の覇絆きづなを破りて、諸もろ〱の偶像を足蹴あしげにし、十字架クルスをもちて、十字架クルスを抱かむかな。

それ、死の像かたちはやがて死を來いたし、生の姿は

生いのちを産うみて、神を仰ぎ見る時は、永生えいせいを生ずればなり。

底本 / Source edition

底本:「上田敏全訳詩集」岩波文庫、岩波書店
1962(昭和37)年12月16日第1刷発行
2010(平成22)年4月21日第38刷改版発行
初出:「三田文学 七ノ二」
1916(大正5)年2月
※「Cinq Grandes Odes(五大頌歌)」の中の「Magnificat」の前半。
入力:川山隆
校正:成宮佐知子
2012年11月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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クローデル ポール「頌歌」(旧字旧仮名)、底本『上田敏全訳詩集』岩波文庫、岩波書店、1962年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 055199_001707, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite