Soranoha

茸をたずねる

たけをたずねる

飯田 蛇笏

秋が来る。山風が吹き颪す。欅や榎の葉が虚空へ群がってとびちる。谷川の水が澄みきって落栗が明らかに転びつつ流れてゆく。そうすると毎年私の好奇心が彼の大空へ連なり聳えた山々のふところへ深くもひきつけられる。というのは其の連山のふところにはさまざまの茸たけが生えていて私の訪うのを待っていて呉れる。この茸は全く人間味を離れて自然の純真な心持を伝え、訪問者をして何時の間にか仙人化してしまう。その仙人化されてゆくところに私は大なる興味をおぼえ、快い笑みを浮べつつ歓喜の心を掻き抱く。私の感受性にうったうる自然の感化は山国生活の最も尊重すべき事の一つである。

で、私は好晴の日を見ては屡々しばしば山岳の茸を訪問する。敢て訪問するというのは、毒茸が多くて食すべき大獲物に接し得ないことと、前述の意味に出発点を置くところから狩るというような残忍な語を使用したくないので云う言葉である。茸訪問については屡々私は一人の案内者を伴うことがある。案内者の名を仮に粂吉と呼ぶ。幾春秋山中の日に焦やかれた彼の顔は赤銅色を呈している。翁おきなの面めんのようにも見える。長い眉毛が長寿不老というような語を思わせる。明治十二三年頃買って其の儘まま用い来ったという陣笠のような猟帽を頭へ戴いて、黒い古紐が面めんのような顔をキリリと結んでいる。彼の歩みは私のようにせせこましく歩くことなしに緩々ゆるゆると鷹揚な運びである。それでいて私よりも迅い。

先ず、端山の楢や櫟くぬぎなどの生い茂った林からはいり始める。林にはどこにも見るような萓や女郎花、桔梗、萩などの秋草が乱れ咲いて朝露が粒だって葉末にとまっている。落葉がかなり散り敷いて草の葉末にも懸ったりして見える中に、桜落葉は最も早くいたいたしく紅葉したのが其の幹を取り巻いて、一と所ずつ殊に多く濃い色彩を放って見える。そんなところに偶々たまたまシメジと呼ぶ白い茸が早く簇生そうせいしていることがあるので、注意深い眼を見張って桜の幹に片手をかけつつ、くるりと向うへ繞めぐって行く粂吉を見ることがある。私もしばらくの間は必ず一度は粂吉の眼をつけたところへ眼をつけて、彼が通って行くところと余り離れない場所を踏んで登って行くのを常とするのであるが、一二時間の後にはもう自分自身の道を見出して進んでゆきつつあることに気がつく。

草鞋の軽い足どりに蹴返さるる落葉の音が四辺の静かさを破ってひっきりなしに続いてゆく。朝露が裾一尺ばかりを湿して草鞋はだんだん重たくなってくる。朝日がようよう高い東嶺を抜け出て樹々の葉を透してくる。眼前がきらきらして一しきりこれと定めて物を見極めにくくなる。そんな時俄にわかにけたたましい音がして、落葉樹の間から山鳥が飛びあがることがある。彼の羽色は濃い茶褐色で落葉の色に似通っているところから、草叢の間を歩いているときなどは余程近くに在っても中々見定めにくいのであるが、その牡鳥は多くは二尺位もある長々しい尾を持っているので、飛んで行く後ろ影を眺めわたすと、鮮かに他の鳥と区別することが出来る。その長い尾を曳いて両翼を拡げつつ露の中を翔んで行くさまは、非常に迅速であるが又もの静けさの極みである。粂吉は近寄って来て、「今のは大丈夫撃てやしたね」というようなことを言う。今はやめて居るにしても、昔からつい四五年前まで甲斐東方のあらゆる深山幽谷を跋渉し尽した彼は、猟銃をとっては名うての巧者である。眺望の好い場所を択んで先まず一服という。煙草を吸うのである。煙管きせるが二三服吸っている中うちにつまってしまうことなどがある。彼は腰を伸ばして傍らに生い立った萓の茎を抜き取る。滑らかに細長い萓の茎はいいあんばいに煙管の中を通りぬけて苦もなく旧に復し、又彼をして好い工合に煙草を吸わせる。煙草の煙は白い輪を画いて、彼の猟帽の端から頭近くのぞいた楢の葉に砕かれたり、或は薄々と虚空へ消えていったりする。立ち上ってこれから先きの連山に対してあれかこれかと選択する。山国の秋ほどすがすがしく澄みわたることはなかろう。山々峰々が碧瑠璃の虚空へ宛然さながら定規など置いたように劃然と際立って聳えて見える。その一つ一つを選択するのである。すぐに決定する。歩み出すとき、軽々しい足取りが思わず大空の遠い薄雲を眺めさしたり、連峰の肩に鮮かに生い立った老松の影をなつかしいものの限りに見詰めさせたりする。

松林へはいってゆく。そうすると今までもの静かであった四辺が俄にわかに騒々しいような気がして、何となく左顧右眄せしめらるるような気がしてくる。粂吉も連れず一人でそんなところを歩いているとき、不図ふと綺麗な松落葉の積った箇所を見つけ出して緩々ゆるゆると腰かけて憩やすんで居るときなどその騒々しい気分がよく了解されてくる。多くは極めて幽かすかな山風が松の梢を渡って行くために起る松籟しょうらいが耳辺を掠めてゆくのである。そうしたことが知れるとその騒々しさは忽たちまち静寂な趣に変ってゆく。仰いで大空を蔽う松葉を眺めると、その間に小さな豆のような小禽が囀さえずりながら虫をあさっている。豆のような小禽とはいうものの枳殻からたちの実ほどはある。それに、躯からだに比較しては長過ぎる二三寸の尾を動かしながら頻しきりに逆さかしまに松の枝へ吊さっては餌をむさぼる。尾に触れ嘴に打たれて、小さな松の皮、古松葉などがはらはらと落ちて来る。そのうちにはどうかすると遠い海嘯のような大きな音をたてる烈しい松籟が押し寄せることがある。彼等は慌しく吹き飛ばさるるように何処ともなく消え去ってしまう。人間によって彼は松毟鳥まつむしりと名づけられた。

登るともなくだんだん登って行って、ふり返って見ると、何時しか案外高いところへ登って来ていることに気がつく。又一休みしようかなどと思う。そんな時不図傍らを見ると、背を薄黒く染めて地に低く生え立った猪の鼻と呼ぶ茸が、僅わずかに落葉の間から顔を出している。私はその時急速に上体をかがめて近寄り、すぐに手を出したくなるのであるが、じっとその心を制おさえて一休みすることにする。ポケットから取り出される煙草が火を点けられる。煙草の煙の中から見張る眼に、次ぎ次ぎに茸の親族が見え出してくる。この猪の鼻という茸は単に一本生えているということは尠すくない、多くは十数本もしくは数十本数百本の夥おびただしきに及ぶことがある。親しげな情を動かして一本一本静かにこれを抜き取ってから、予め用意してきた嚢ふくろの中へ入れる。

そうした時もし粂吉と一緒であるならば、私は何時もきまって大きな声をあげて彼を呼ぶ。いい工合にすぐ近傍に彼を見出すときはいいが、どうかすると非常に遠く離れていることがある。その時は二声も三声も呼ぶ。山彦が遥かの峰から応えて、少し後れながら淋しい趣きをそえつつ同じ声をもって来る。時とするとはっきり全く違った応えを送って来ることもある。それは山彦ではない。我等と同じように茸訪問に遊ぶやからが悪戯いたずらにするか、もしくは矢張り伴にはぐれたために呼び合う声であることが解る。そんなことで粂吉と離れ離れになって終しまったことも屡々しばしばあった。どうかするとつい近傍ではありながら、峰の背後などにいたため全く聴きとれないことなどもたまにはある。そうして帰り路に横道から姿を現わして来る粂吉に逢うようなこともある。私の呼ぶ声を聴き得たとき、粂吉は心もち急ぎ足で近寄って来るのを常とする。近寄って来て先ず得物のあったことを讚歎し、自分も落葉に腰をおろして私にも休憩を勧める。

粂吉は、虚空の日を仰いでは時の頃を察するを常とする。それがまた不思議にもよく正確な時刻に合うので、彼が昼飯にしたいと言うときは、私も同意して握飯を取り出して昼飯を済まそうとする。先ず二つに割って食べようとする握飯へ蟻が落ちて来たりすることがある。ふり仰いで見ると、背後の山鼻から生えた老松の枝がさし出して直ぐ頭の上まで来ていることに気がつく。秋の日に照らされて心持ちなまなましい気を失った水筒の水が、握飯を食い終えた喉を下ってゆく。昼飯を終えた眼に静かに見渡すあたりは、ひとしきり風も無く、寂しんとして日影が色濃くすべてのものに沁み入っている。

粂吉は立ち上ってつかつかと岩鼻へ出かけて行く。其処の岩鼻は直下数百尋ひろの渓谷を瞰下する断崖の頂きで岩は一面に微細な青苔に蔽われている。彼は青苔に草鞋をしっかと着け、軽々しく小便を洩らすことなどがある。秋日に散らばり、渓谷へ霧の如く落ち散る小便の色彩は実に美しいものであった。

午過ぎの歩行は午前中に比してひどく疲労を感ぜしめられる。それは既に長距離を歩いて来た為ばかりではない。南方の天空へ廻って来た日輪は、南面の山腹へ対して万遍なくその光を直射しその熱をふりそそぎ、為に山肌に敷かれた松の落葉や、楢、櫟くぬぎ、榛はしばみなどの落葉がからからに乾ひからびて、一歩一歩踏んで行く草鞋をややもすると辷すべらせようとする。一二尺はおろか時によると二三尋も辷り落つることがある。辛うじて木株や松の根方などで踏み止まる。踏み止まるというより其処で支えられるのである。その危険をふせぐために、両足の指先へ力をこめて登って行かねばならぬ。少しく急な傾斜を持つところになると、眼前へあらわれてくる一つ一つの樹幹のうち最も手頃と速断さるるものを掴まえて登って行く。汗がいち早く頸のほとりを湿してくる。次いで額から湧き出でて両頬を伝うて流れ下るようになる。拭っている暇がない。暇がないというよりは寧ろ拭い去る必要を感じない。眼などへ沁み込んで多少刺戟さるることもあるが、それらはやや痛快の感をおぼえつつ登って行くのである。あの頂き、あの楢や栗の生え茂った絶頂へ行って一休しよう、その辺の疎らな松木立の中に猪の鼻か松茸がひそんでいるかもしれないと想う念おもいがぐんぐん力をつけて一層両脚を急がせてくる。絶頂に近くなるにしたがって汗が背を湿すようになる。絶頂と眼ざしたところへ登って行くと案外にも其処は絶頂ではなく、猶幾多のそそりたった峰が左右の空へ連なっていたりする。ともかくも芝草を敷いて休憩することにする。傍らに兎の糞がある。兎の糞は私の山登りする事のなかに見出さるる最も興味をそそるものの一つである。多くは軟かな芝草が茂った中に、数十粒清浄な形影を示してまとまっている。見る眼にものの糞というような感じは更に起らない。小鳥の卵を数多く集めたもののようにも見える。私は、少年の頃屋後の山に遊んで、この兎の糞を見出してものめずらしげにこれを眺めたが、遂に二三粒ずつ拾い取って掌に乗せ、更に親しみの情をそそいだ。そうして結局全部を一つ一つ綺麗に拾い集めて家に持ち帰ったことを今だに覚えている。そうした少年の頃の思い出も、この兎の糞に接するごとにそそられるのである。汗が何時の間にかひき去って背が少し冷々するようになる。あたりの草びらに山風が極めて穏かにおとずれて静寂の微動を見せている。と思うと、遥かの渓底にあたって大木の倒れた響が聞えることなどがある。樵夫きこりが材木を取るのである。一度俄にわかにすさまじく湧き起った響が四山へ轟きわたって、その谺こだまは少時しばらくの間あたりにどよめいている。時とすると、そのあたりの杉木立の中に遊んでいた鵯ひよどりなどが、強く短いきれぎれな声をあげて飛び去ることがある。彼の声は如何にも深山幽谷の気分をもたらすに充分である。澄みわたった山中の空を飛び去るところを見ていると、一声鳴いてはついと飛び上り、又一声鳴いては飛び上りつつ翔ってゆく。偶々たまたま自分の休んで居る樹間に翔って来ることなどもある。そんなとき、じっと静かにして見ていると、比較的細長い躯を軽々と枝にささえ、用心深い顔をあたりにくばる。落ち残った紅葉の間から躯のこなしを様々にかえる。その中うちに自分の居ることを発見し、驚愕譬たとえようがないといった風に慌てて枝を離れて、一声高く鳴き声を山中の気に顫ふるわして矢の如く飛び去ってしまう。彼は鳥類の中でかなり臆病なたぐいの一つである。

私が立って行こうとするとき、草鞋がたわいなく踏み応えのないふかふかしたような地面を踏んだ感じを覚ゆることがある。ふりかえって見るとそれは蟻の塔である。蟻の塔は、よく松の大樹などを伐り倒して材木を取ったあとなどに見らるるものである。秋日が隈なくさす草の間に伐り残した松がところどころ樹たっている。その中に軽い土くれと松落葉を集めて洋傘高に盛り上っている。試みに杖などであばいて見ると、その中には山蟻が一杯群をなしている。彼等は決して人間に害を加えようとはしない。食いつきもしなければ刺しもしない。こんな場合嫌悪の感を催すことなしに寧ろいたいけな可憐な感をおぼゆるものである。草鞋の踏みすぎたあとの蟻の塔はずんと凹んで、その凹んだ草鞋のあとは、幾山雨のため数箇月の後には平らめにならされ、軈やがてまた新たなる蟻の塔が此の無人の境に建設されてゆく。

峰頂みねを踏んで、躑躅つつじや山吹、茨などの灌木の間を縫うて行くことは、疲労を忘れしめるほどの愉快を感ずるものである。幾春秋の雨露風雪に曝された大峰の頂上は清浄な岩石を露出して、殆ど塵一つとどめない箇所を見出すところがある。多少の風が好晴のおだやかさの中に動いている。どうかして躑躅の根株の間を眺めたりすると、其処に案外沢山のめざましい彼の猪の鼻を見つけ出すようなことがある。いったい茸は、初秋だけ山岳の中合以下に多く、晩秋に赴くにしたがって頂上に近く生えるようになる。そうして晩秋に生まるる茸だけしっかりした形を保って中々腐れようとしない。夏季に生ずる茸はもとより初秋にかけて生ずるものは、質もやや脆もろくすぐに腐敗し易いのに反し、晩秋の茸は霜を戴いて猶食し得るものが多い。初茸、シメジ、獅子茸の類は初秋のものに属し、椎茸は仲秋(椎茸は総じて秋季に生ずるものにめざましいものは少く、却って春季に生ずるものを尊ぶ)に生じ、松茸、猪の鼻、舞茸、玉茸の類は仲秋から晩秋にかけて多いようである。

峰の茸を採り終えて、さてこんな場合私の眼を欣よろこばしめるものは、渓谷深く生い立った松の樹幹とそうして其の葉の色彩である。何の支障するものなく自然に極めて自由に生い育った彼は、その樹幹の茶褐色の濃さ、その葉の緑青の濃さ艶々しさ、吹き起る微風と共にあたりに仙気がむらがって見える。時とすると遥かの山肩に居た白雲が次第々々に動き移って、忽ちの間にその展望を没し去ることなどもある。私はいつの間にか白雲中の人となり終っている。身に近い栗の木、榛の木などの幹にも枝にも綿のように垂れ下った猿麻桛さるおがせがしろじろと見ゆるばかりである。長く下ったものは一尺余りもある。手近の杜松ひばの枝などから毟むしり取って見ると、すぐに其処へ捨てようと云う気になれない。少くとも暫くの間は手すさびに指へ絡んでみたり掌中へまるめてみたりする。

僅わずかに咫尺しせきを弁じ得る濃い白雲の中を、峰伝いに下っては登り登っては下って行く。四十雀や山陵鳥やまがらが餌をあさりながら猿麻桛の垂れ下った樹間に可憐な音をころがしつつ遊んでいる。いたずらに小石や落ち散った木枝などを拾うて擲げつけても、身に当らない限りはさして驚き易く逃げようとはしない。白雲の退ひき去るにしたがって彼等も晴々はればれしい心になるかして、少しく活溌な身のこなしを見せる。

私は峰伝いに峠路へ下って帰路に就こうとする。峠路で時々炭売の婦おんなたちに出あうことがある。彼女等は一様に誰も皆山袴を穿き、負子に空俵を結びつけてあったり提灯や菅笠などを吊してあったりする。すこやかな面もちをした口に駄菓子などが投げこまれて、もぐもぐと舐りながら峠路を登って来る。一日の仕事を終え帰路につきつつある彼女等は決して急ごうとはしない。のさりのさりと緩やかな歩みを運んで行く。峠を下る頃、全く紅葉し尽した大嶺の南面一帯が、今、沈もうとする秋日の名残を受けて眩しく照り輝いている。日筋が蒼天に流れわたって、ふり仰ぐ真上にあかあかと見渡される。群を抜く鋒杉ほこすぎが見えると思うと茜色に梢を染められ、それがまた非常に鮮かに虚空にうかんで見える。四山の紅葉を振い落そうとするような馬の嘶いななきが聞えることもある。草刈が曳き後れた馬の嘶きである。時とすると秋天の変り易い天候が忽ちの間に四辺をかき曇らせ、見る見る霧のような小雨を運んで来ることもある。寒冷の気が俄に肌を掠めて来る。路の辺に紅の玉をつけた梅もどきの枝に尾を動かしている鶲ひたきは、私の近寄るのも知らぬげに寒さに顫ふるえている。行き逢う駄馬が鬣たてがみを振わして雨の滴を顔のあたりへ飛ばせて来ることもある。蕭条たる気が犇々ひしひしと身に応えてくる。不図ふと行手を眺めると、傍らの林間に白々と濃い煙が細雨の中を騰のぼって行く光景に出遭う。炭売りから帰る婦たちが大樹の下などに集って、焚火に暖をとる為の仕業であることがわかる。私も近寄って仲間に加わることがある。燃えしぶっていた焚火が俄に明るく燃え上り、火焔がすさまじい音と共に濠々と立つ白煙を舐め尽して終しまう。人の輪が少し後ろへ下って、各々の顔に束の間の歓びの情が溢れて見える。

知らず知らず時が過ぎ去って、樹間を立ち騰る薄煙のあたりに、仄かに輝きそめた夕月が見えたりする。人々は名残惜しい焚火と別れて散り散りに退散する。細雨をくだした秋天がいつの間にか晴れ渡っていたのである。

夕山風が古葉をふるわして樹々の間を掠めてくる。落つるに早い楓、朴、櫨はぜの類は、既に赤裸々の姿をして夕空寒く突き立って見える。彼の蘇子瞻の「霜露既降木葉尽脱 人影在レ地仰見二明日一」というような趣きが沁々しみじみと味われる。山間の自分の村落に近づくにしたがって、薄い夕闇を透して灯火ともしびの影がなつかしい色を放ってちらちらと見え出してくる。そうするといつの間にか人煙を恋いつつある私自身を見出さずに措かれないことに気がつくのである。

(一九一八)

底本 / Source edition

底本:「花の名随筆10 十月の花」作品社
1999(平成11)年9月10日初版第1刷発行
底本の親本:「飯田蛇笏集成 第六巻 随想」角川書店
1995(平成7)年3月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年11月26日作成
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書誌 / Bibliography
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飯田 蛇笏「茸をたずねる」(新字新仮名)、底本『花の名随筆10 十月の花』作品社、1999年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 055132_001695, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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