Soranoha

牧渓の書の妙諦

もっけいのしょのみょうてい

北大路 魯山人

これは有名な大徳寺蔵の牧渓「竜虎」の双幅に見られるその題語款識である(但し「蜀僧法常識製」の分は「観音」の三幅対のもの)。

牧渓という人は、いわゆる大器大用の作家であった。決して小手の利いた人ではなかった。たくさん輸入された牧渓の画のうちで、大徳寺のこの双幅と、同じく「観音に鶴と猿」の図三幅対は、もっとも、その代表的な大作であるということであるが、偶然かどうか、この両作にかぎって、また、こんなにまでよく牧渓の全風格を丸出しにした字の書きぶりの妙味さが見られるのは至極妙である。

牧渓という人が大器であったればこそ、この字に見るがごとく、かくまでに不器用であったといえよう。さればこそ、その一字一字が実にもってまずいのである。もし牧渓にして器用であったならば、もっとその字が中国一流にまとまっていなければならなかった。

われわれがもし彼に学び、かつ悟らんとならば、この一事のみを考えることだけでも充分である。

しかして、彼のこの書は断じて習字に努力を払った書ではない。ただの見識だけでもって書いているのである。字の一字一字、また、その字の全体が下手でありながら、そのどこかに書の生命になるべき要素を取り逃していないところ、ここが全く偉いと思うのである。蓋し天才である。

書が上手に書けても、その間に自分を殺したくはない。おそらく、そうした潜在意識、筋道の悟りが牧渓の頭には十二分に働いていたと見るべきだ。また、必ずしも左様に自覚自識的なものがなかったにせよ、その心持ちは、いつとはなしに、牧渓その人の作品としての態度の上に、根強い支配力を与えていたに相違ないと思われるのである。

書そのものの技巧を小さくやかましく考える人であったならば、こんなまずい字は書くにも書けない。どこをどう見ようと、体裁ぶった書の妙味ってなところなど薬にしたくもない。それだけにまた、いわゆる、中国臭さというものから、さっぱりと懸絶しているのである。鑑識上、その高きに在る日本で、牧渓という人がむやみに騒がれたというのも、こうしたところを、案外一原因としているのではなかろうか。用うるところの篆刻だって、要するに素人印である。白字のなぞ殊に漢印模作に陥りやすい玄人風を超越して、いかにも立派である。一家の貫禄を備えたものである。おそらく牧渓の自刻であろう。

それに大問題にしてもよいのは、大概の人は款識かんしを施すのに、大作の後であればあるほど構えをキッとさせ、筆を堅く握って、いわゆる止とどめを刺すといったような調子でやる。これ実に、その実際の人情にほとばしり出ずるところの作意である。ところが牧渓のこの場合は、大作の後であるのにも拘らず、こんなありさまなのだ。その無頓着なる大器振りには、ほとほと驚嘆せざるを得ない。実にもって客観なるものを、かくまでに足蹴あしげにかける彼の主観は、正しくもまた極端なる内容本位をもって、巍然ぎぜんとして、しかも悠揚洒々その名画を生み続けたのである。(昭和六年)

底本 / Source edition

底本:「魯山人書論」中公文庫、中央公論新社
1996(平成8)年9月18日初版発行
2007(平成19)年9月25日3刷発行
底本の親本:「魯山人書論」五月書房
1980(昭和55)年5月
入力:門田裕志
校正:木下聡
2020年7月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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北大路 魯山人「牧渓の書の妙諦」(新字新仮名)、底本『魯山人書論』中公文庫、中央公論新社、1996年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 055067_001403, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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