Soranoha

東京で自慢の鮑

とうきょうでじまんのあわび

北大路 魯山人

これから秋までつづく夏季の美肴中、とりわけ重きをなしているものに、あわびが挙げられる。料理の仕方は古来様々あるが、通常は生のままで食う水貝、蒸して食う塩蒸しが万人によろこばれ、江戸自慢のひとつとなっている。事実、このあわび、東京とは目と鼻の三崎、房州方面を本場として、余所では得難いまでに優れたものが産する。その点から言っても、夏の東京における美食は恵まれている。大きさなら一つ五、六百匁のものは、毎朝の魚河岸にざらに並べられている。この大物は雌で、肉面が粘土色をして、見るからにやわらかそうである。肉面青黒く、大きさもせいぜい三、四百匁のものが雄だということで、見かけからして、すでに堅固なしまりがある。

塩蒸しには雌が適し、生で食う水貝仕立て、あるいは酢貝には雄でなければならない。塩蒸しの製法は、酒塩で煮つめる江戸前もあるが、そんなにしなくても、貝ごと水洗いしたあわびに、塩を充分にまぶし、一時間以上蒸せばよい。三時間、五時間、十時間と蒸すに従い、いやが上にもやわらかくなるものであるが、やわらかになればなるほど、あわびの味の逃げることを知るべきである。美味さで言えば、三百匁ぐらいのものに妙味が存する。雌は肉がやわらかなために水貝または酢貝に適しないが、雄は塩を強くまぶすことによって石のように締まり、歯さえよければ、その人には清新の気に満ちた夏の良肴として一等席を占めるものである。これに接するよろこびは、京、大阪では得られないものであって、たって所望とあれば東京から取り寄せるほかはない。大阪の中央市場にも大物あわびのないことはないが、それは朝鮮のものが多い。

値段は東京の一貫目八円ぐらいに対して、二、三円であるが、いくら蒸しをかけても縮小するのみで、やわらかくなってくれない。そればかりか味も問題ではない。「伊勢のあわびの片思」などという語があるくらいであって(注・磯のあわびの片思の転訛か?)伊勢にもあるにはあるが、優良の地位を争うとなっては、東京ものの三崎、房州に属するのほかはない。日本海に面する産地ものには、味において劣らぬものもないではないが、いかにも風采貧弱で、通常二、三百匁を最大とするので、見た目をよろこばすわけにはいかない。

料理屋料理ではあるが、あわびのとろろ汁というのがある。たまには自慢してつくってよいものである。生きのいい青黒の雄貝を、多量の塩で揉み固め、石のようになったのを、おろし金で薯をおろすようにおろし、それを自然薯と等半にすり混ぜて、とろろ汁をつくる。至極簡単でいて、素人作とは思えぬ気の利いた美味料理である。

あわびのわたと言うもの、好き嫌いはあるが、生わたを味噌のようにすりつぶし、味付けして蒸し貝、生貝、いずれなりと和えて食う方法も、玄人はだしの料理として、家庭ならば自慢できるものである。いずれにしても、貝そのものを鉢代りに使い、貝ごと平鉢に盛って、銘々取り分けて食する風情は、老いも若きも楽しめるものであると推奨する。

(昭和十三年)

底本 / Source edition

底本:「魯山人味道」中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日初版発行
1995(平成7)年6月18日改版発行
2008(平成20)年5月15日改版14刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年8月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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北大路 魯山人「東京で自慢の鮑」(新字新仮名)、底本『魯山人味道』中公文庫、中央公論社、1980年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 054953_001403, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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