Soranoha

森林と樹木と動物

しんりんとじゅもくとどうぶつ

本多 静六

山やまと人ひと

(一)森林しんりんの效用こうよう

(イ)洪水こうずいの豫防よぼう。 森林しんりんとは山やまや丘をかの一面いちめんに、こんもり木きが生はえ茂しげつて、大おほきな深ふかい林はやしとなつてゐる状態じようたいをいふのです。われ〱の遠とほい〱最初さいしよの祖先そせんが、はじめてこの地球上ちきゆうじように現あらはれたころには、森林しんりんは、そのまゝ人間にんげんの住すみかでもあり、また食たべ物ものの出でどころでもありました。たゞ今いまでも馬來半島まれいはんとうのある野蠻人種やばんじんしゆは、木きの枝えだの上うへに家いへを作つくつて住すんでゐますが、これなどは、今いま言いつたように、人間にんげんがぢかに森林しんりんの中なかにゐた習慣しゆうかんが殘のこり傳つたはつた面白おもしろい一例いちれいです。ともかく大昔おほむかしの人間にんげんは、森林しんりんに住すんで、草くさや、木きの實みや、野獸やじゆうや、河かはの魚さかななどをとつて、生なまのまゝで食たべてゐたもので、ちょうど今日こんにちの山猿やまざるのような生活せいかつをしてゐたのです。

それが、だん〱と人口じんこうがふえ、みんなの智慧ちえも開ひらけて來くるに從したがつて、やうやく火ひといふものを使つかふことを知しり、食たべ物ものも煑にたり燒やいたりして食たべるようになり、また寒さむいときには木きを燃もやしてあたゝまることをおぼえたのです。つまり薪まきや炭すみの材料ざいりようとして森林しんりんを利用りようするようになつたわけです。それに、また一方いつぽうでは人口じんこうの増加ぞうかにつれてこれまで食料しよくりようにしてゐた草くさや木きの實みもだん〱足たりなくなり、それを補おぎなふために畑はたけをこしらへて、農作のうさくをする必要ひつようがおこるし、同時どうじにまた野獸やじゆうも、しだいに少すくなくなつて來きたので、牧畜ぼくちくといふことをしなければたちいかなくなりました。その農作地のうさくちと牧場まきばとを作つくるためには森林しんりんの一部分いちぶぶんを燒やき拂はらひ燒やき拂はらひしました。ですから彼等かれらのゐる村落附近そんらくふきんの山林さんりんは、後のちにはだん〱に狹せまく、まばらになつて來きて、つひには薪まきの材料ざいりようにも不足ふそくするようになりました。

なほ人智じんちがいよ〱發達はつたつし人口じんこうがどん〱増ますにつれて、最後さいごには奧山おくやまの木きまでも伐きつて家屋かおく、橋梁きようりよう、器具きぐ、機械きかい、汽車きしや、電車でんしや、鐵道てつどうの枕木まくらぎ、電信でんしん、電話でんわの柱はしらといふように、建築土木けんちくどぼくの用材ようざいにも使つかふようになりました。それから、大おほきな木材もくざいから細こまかな纎維せんいをとつて紙かみをこしらへたり、その他ほかにも使つかふようにもなり、最近さいきんでは人造絹絲じんぞうけんしの原料げんりようにも澤山たくさんの木材もくざいを使つかつてゐます。こんな風ふうに薪炭用しんたんよう、建築土木用けんちくどぼくよう、木纎維用等もくせんいようなどのために森林しんりんはどん〱伐きり倒たふされ、深ふかい山やま、ふかい谷底たにぞこの森林しんりんまでがだん〱に荒あらされるようになりました。かうなると大雨おほあめが降ふるたびに、山やまの土つちや砂すなはどん〱流ながれおち、またおそろしい洪水こうずいがおこるようになりました。

日本につぽんでは明治維新めいじいしんの後のち、森林しんりんをむやみに伐きつた結果けつか、方々ほう〲で洪水こうずいに犯をかされ、明治二十九年度めいじにじゆうくねんどには二萬九百八十一町村にまんくひやくはちじゆういつちようそんといふものが水みづにつかり、一千二百五十人いつせんにひやくごじゆうにんの死人しにんと二千四百五十人にせんしひやくごじゆうにんの負傷者ふしようしやを出だした外ほかに、船ふねの流失りゆうしつ三千六百八十隻さんぜんろつぴやくはちじつせき、家いへの流ながれたり、こはれたりしたのが七十二萬九千六百餘棟しちじゆうにまんくせんろつぴやくよむね、田畑たはたの荒あらされたこと七十八萬五千餘町しちじゆうはちまんごせんよちように上のぼり、そのほか道路どうろの破損はそん、橋はしの流ながれおちたもの等などを加くはへて、總損失そうそんしつ一億一千三百餘萬圓いちおくいつせんさんびやくよまんえん、その復舊費ふつきゆうひ二千四百餘萬圓にせんしひやくよまんえんを入いれると合計ごうけい一億三千七百餘萬圓いちおくさんぜんしちひやくよまんえんといふ計算けいさんでした。つまりその年とし、日本につぽんが外國がいこくへ輸出ゆしゆつした總額そうがくの一億一千七百萬圓いちおくいつせんしちひやくまんえんよりもまだ遙はるかに多おほくの金額きんがくだつたので、人々ひと〲はみんな洪水こうずいの大慘害だいさんがいには震ふるへ上あがつたものです。

かうした恐おそろしい洪水こうずいはどうして起おこるのかといへば、それはむろん一時いちじに多量たりようの雨あめが降ふつたからですが、その雨あめが洪水こうずいになるといふそのもとは、つまり河かはの水源地方すいげんちほうの森林しんりんが荒あらされたために、雨水うすいを止とゞめためておく餘裕よゆうがなくなり、降ふつただけの雨水うすいが一いちどに流ながれ下くだつて、山やまにある土つちや砂すなを河底かはぞこに流ながし埋うづめるために、水みづの流ながれかたが急きゆうに變かはつて、あふれひろがるからです。

よく茂しげつてゐる森林しんりんでは、降ふつた雨あめの四分しぶんの一いちは枝えだや葉はの上うへにたまつて後のちにだん〱と蒸發じようはつします。そして殘のこつた四分しぶんの三さんの雨あめが葉はから枝えだ、枝えだから幹みきへ流ながれて、徐々じよ〱に地面じめんに落おち、そこにある落おち葉ばに吸すひ取とられるのです。實際じつさいの試驗しけんによると松まつの落おち葉ばは、その目方めかたの五倍分ごばいぶんの水みづをたゝえ、たもつことが出來できます。ですから、一貫目いつかんめだけの分量ぶんりようの松まつの落おち葉ばは、五貫目ごかんめの水みづを含ふくむことになります。なほ松まつより外ほかのいろ〱な雜木ぞうき、苔類こけるいは七倍しちばいも十倍じゆうばいもの雨水うすいを含ふくみためることが出來できますから、森林しんりんではかなりの大雨おほあめがあつても一時いちじに洪水こうずいを出だすことはなく、雨水うすいは數日すうじつかゝつてそろ〱流ながれ出だし、また地中ちちゆうにも多おほくしみこみます。だから山やまに森林しんりんが茂しげつてさへゐれば、決けつして洪水こうずいの出でる心配しんぱいはないのです。

(ロ)水源すいげんの涵養かんよう。 森林しんりんはかように雨量うりようを調節ちようせつすることが出來できると同時どうじに一方いつぽうでは水源すいげんの養やしなひとなり、河水かすいの涸かれるのを防ふせぎます。くはしくいふと森林しんりんの中なかは比較的ひかくてき濕氣しつきが多おほく、温度おんども低ひくく、木きが茂しげつてゐますから、水分すいぶんの蒸發じようはつすることも少すくない。またさきほどお話はなししたように、落おち葉ばや、苔類こけるいが水みづを多おほく含ふくみ、したがつて、地中ちちゆうにも多量たりようの水分すいぶんをしみこませますから、たとひ旱天かんてんが久ひさしく續つゞいても森林しんりんはその保たもつてゐる水分すいぶんを徐々じよ〱に流ながし出だし、河水かすいが涸かれないことになるのです。

かういふわけで、森林しんりんは洪水こうずいの害がいを防ふせぎ、河かはの水みづを不斷ふだんに絶たえず流ながし、水田すいでんをもからさないといふ點てんで、土地とちを安全あんぜんに保たもつてくれる效用こうようがあることがわかつて來きたので、以來いらいはじめて森林しんりんを保護ほごして育そだてるようになり、なほ國土こくどの保安ほあんのために森林しんりんの一部いちぶを『保安林ほあんりん』といふものにして、永久えいきゆうに伐きらないで置おくようにもなつたのです。

〔図〕fig54846_01.png温根湯の國有林

温根湯の國有林

その保安林ほあんりんだけでは、そこから流ながれ出だす河川かせんの流域一帶りゆういきいつたいの人々ひと〲が利益りえきをうけるといふのみで、これだけではまだ完全かんぜんに一國民全體いつこくみんぜんたいが森林しんりんを利用りようしてゐるとはいへませんでしたが、ついで現あらはれて來きた水力電氣すいりよくでんきそのものはすべてこの都市とし村落そんらくの燈火あかりや、いろ〱の動力どうりよくにも利用りようせられ、電車でんしや、電信でんしん、電話でんわ、電燈でんとう、工業用機械動力こうぎようようきかいどうりよくをはじめ、朝夕あさゆふの煑炊にたき、すとうぶや按摩あんま、行火あんかの代かはりにまでも用もちひられるようになり、今日こんにちでは人間にんげんの生活上せいかつじよう電氣でんきは寸時すんじも缺かくことの出來できない必要ひつようなものとなりました。その水力電氣すいりよくでんきの水源すいげんは森林しんりんによつて、はじめて完全かんぜんに養やしなふことが出來できるのです。それで、今いまでは特とくに山岳地方さんがくちほうの森林しんりんは、一いちばんにはこの意味いみの水源すいげんを養やしなふのに利用りようされ、建築土木用けんちくどぼくようの木材もくざいや、薪炭材料等しんたんざいりようなどをとるのは第二だいにとされるようになりました。

(ハ)精神せいしんの保養ほよう。 しかし、ずっと最近さいきんでは、森林しんりんの利用りようを、もっとすゝめて、直接ちよくせつに人々ひとびとの健康けんこうのために應用おうようすることを考かんがへつきました。大部分だいぶぶんの人ひとが生活せいかつしてゐる都會とかいは、狹せまい土地とちに大勢おほぜいの人ひとが住すみ、石炭せきたんの煤煙ばいえんや、その他ほかの塵埃じんあいでもって空氣くうきがおそろしく濁にごつてをり、また各種かくしゆの交通機關こうつうきかんが發達はつたつして晝夜ちゆうやの分わかちなく、がた〱と騷々そう〲しいので、都會とかいに住すむ人ひとは、體からだが弱よわくなつたり病氣びようきをしたりします。それで時々とき〲は自然しぜんの森林しんりんに遊あそんで、すがすがしい空氣くうきを吸すひ、精神せいしんを保養ほようする必要ひつようがあります。都會とかいには大小だいしようの公園こうえんも設まうけられてゐますが、そんなものは完全かんぜんな安靜場所あんせいばしよといへません。どうしても町まちを遠とほく離はなれた美うつくしい自然しぜんの森林しんりんへ出でかけるに越こしたことはないのです。この意味いみで近來きんらい、休やすみを利用りようして各地かくちで開ひらいてゐる林間野營りんかんやえいや、それから山岳旅行さんがくりよこうなどはまことに結構けつこうなことです。お互たがひに身體しんたいが丈夫じようぶでなければ何事なにごとも出來できませんから、新あたらしい空氣くうきの呼吸こきゆうと、十分じゆうぶんな日光浴につこうよくと、運動うんどうとによつて食物しよくもつをうまく食たべることが一番いちばん大切たいせつです。これがために運動うんどうや、競技きようぎや、登山とざんなど家いへの外そとで生活せいかつすることがはやり、ひいては森林しんりんを世人せじんの休養きゆうよう、保健ほけんのため利用りようすること、つまり森林しんりんを公園こうえんとして利用りようすることが盛さかんになつたわけです。

以上いじようで森林しんりんと人ひととの密接みつせつな關係かんけい、人間にんげんが昔むかしから森林しんりんをいろ〱に利用りようして來きてゐるお話はなしをしました。この外ほかにも森林しんりんは人間にんげんの生活せいかつにいろ〱の役立やくだちをしてゐます。

(ニ)氣候きこうの調節ちようせつ。 山やまに木きが茂しげつてゐれば、氣候きこうの調節ちようせつをはかることが出來できます。森林しんりんでおほはれてゐる土地とちは、日光につこうは枝葉えだはで遮さへぎられて、地面じめんを温あたゝめることが少すくないのと、もう一ひとつは、日光につこうが直射ちよくしやによつて葉はの面めんの水分すいぶんが蒸發じようはつするときに、多量たりようの潜熱せんねつを必要ひつようとします。潜𤍠せんねつといふのは物體ぶつたいが融解ゆうかいしたり、また蒸發じようはつするときに要ようする𤍠量ねつりようです。そんなわけで森林しんりんの附近ふきんの空氣くうきはいつも冷ひえてゐます。ちょうど夏なつの暑あつい日ひに、庭前ていぜんに水みづをまけばにわかに涼すゞしさが感かんぜられるのと同おなじりくつです。しかし、夜よるになると森林しんりんは、枝葉えだはで土地とちをおほつてゐますから、その地面じめんと空氣くうきと、𤍠ねつを放散ほうさんするのを妨さまたげるので、そこの空氣くうきは冷ひえ方かたが少すくないことになります。

かうして林はやしの中なかの空氣くうきは、常つねに林はやしの外そとと比くらべて、晝間ちゆうかんは涼すゞしく、夜間やかんは温あたゝかで、從したがつて晝ひると夜よるとで氣温きおんが急きゆうに變かはることを和やはらげます。そして同おなじわけで、夏なつを涼すゞしく、冬ふゆを暖あたゝかくして、一年中いちねんじゆうの温度おんどの變化へんかを調節ちようせつします。

(ホ)雪ゆきなだれと海嘯つなみの防止ぼうし。 それから前まへにお話はなしした洪水こうずいの豫防よぼうや、水源すいげんの涵養かんようのほかに森林しんりんは雪國ゆきぐにですと『雪ゆきなだれ』の害がいを防ふせぐことも出來できます。雪ゆきなだれとは、傾斜地けいしやちに積つもつた雪ゆきが、春はる暖あたゝかくなつたために、下側したがはの地面じめんに氷結ひようけつした部分ぶぶんが急きゆうに溶とけるのでもつて、急きゆうに滑すべり落おちるもので、そのために山麓さんろくの人畜じんちく、農地のうち、道路等どうろなどを破損はそんし、土砂どしや、岩石等がんせきなどを落おとして、恐おそろしい害がいを與あたへることがあります。これも森林しんりんがあれば雪ゆきが急きゆうに溶とけませんし、たとひ、おちた雪ゆきも樹幹じゆかんで支さゝへられるので、なだれがおきないですむのです。

また森林しんりんが海岸かいがんにあれば、天災中てんさいちゆうの、恐おそろしい『海嘯つなみ』の害がいも少すくなくなります。かの明治二十九年めいじにじゆうくねんの三陸地方さんりくちほうの海嘯つなみの被害區域ひがいくいきは長ながさ百五十ひやくごじゆうまいるにわたり、死者ししや二萬二千人にまんにせんにん、重傷者じゆうしようしや四千四百人しせんしひやくにん、家いへや、船ふねの流ながされたもの、農地のうちの損失そんしつなどで損害そんがい總額そうがくは數千萬圓すうせんまんえんに上のぼりました。こんな海嘯つなみなどは、到底とうてい人間にんげんの力ちからで防ふせぎ止とめることは出來できませんが、しかし、もし海岸かいがんに浴そうて「浴うて」はママ帶おびのように森林しんりんがあれば、非常ひじような速力そくりよくでおし寄よせてくる潮水しほみづの勢いきほひを殺そぎ、從したがつて慘害さんがいも少すくなくなる道理どうりです。

かういふ風ふうに、森林しんりんの效用こうようを上あげれば限かぎりもありません。ところで日本につぽんにはかういふ大切たいせつな森林しんりんがどのくらゐあるのかといひますと、日本中につぽんじゆうの森林面積しんりんめんせきは總計そうけい四千三百九十二萬町しせんさんびやくくじゆうにまんちようで、實じつに日本につぽんの土地とちの總面積そうめんせきの六割四分ろくわりしぶをしめてゐます。これを國民こくみんの頭割あたまわりにして見みますと、一人いちにんにつき平均へいきん五反五畝五歩ごたんごせごぶに當あたります。即すなはち、皆樣みなさまが五反五畝五歩ごたんごせごぶの森林しんりんの中なかに一人ひとりづゝ住すめる勘定かんじようです。

もと〱山やまには、高たかい山やま、低ひくい山やま、滑なめらかな山やま、嶮けはしい山やまとさま〲ありますが、日本につぽんでも、どれにも、はじめは、自然しぜんに木きが茂しげつてゐたのです。もっとも、富士山ふじさんや日本につぽんアルプス以下いか、すべての高山こうざんの頂いたゞき近ちかくには、寒さむさが強つよくて樹木じゆもくが育そだちません。このことは後のちにくはしくお話はなしします。しかし普通ふつうの山やまでは木きの育そだつてゐないところはなかつたのです。それが前まへに言いつたように人間にんげんが多おほくなるにつれて木材もくざいがいよ〱多おほく必要ひつようとなり、どんどん伐きるため、村落そんらくに近ちかい山やまの木きはもとより、高たかい山やまにも青々あを〱としてゐた木きが無なくなつて赤あかい山やまの地じはだを見みせるようになつたのです。こんな赤あかはげ山やまは、山やまとしては決けつして立派りつぱなものとはいへません。人間にんげんでいへば體からだばかり大おほきくて徳とくも智慧ちえもないとすれば、人ひととしててんで品位ひんいがないのと同おなじです。たとひ低ひくい山やまでも木きがよく茂しげつてゐれば、山やまのねうちがあつて、限かぎりない效用こうようをもちます。

つまり山やまは高たかいばかりが貴たつといのではなく、木きが茂しげつてゐるので本當ほんとうに貴たつといのです。そのためには、いふまでもなく、お互たがひに十分じゆうぶんに山やまを愛あいして、むやみに木きを伐きらないようにし、もし伐きれば、その跡あとに代かはりの木きを植うゑて仕したてることを忘わすれてはなりません。

(二)山やまを愛あいせよ

以上いじようのわけで一國いつこくの山やま全部ぜんぶが青々あを〱としてゐる間あひだはその國くには盛さかんになるのですが、反對はんたいに、いくら、必要ひつようだからと言いつて、やたらに樹木じゆもくを伐きるばかりで、荒あらしつくしてしまへば、その國くには滅ほろびることにもなります。なほ伐木ばつぼくについで用心ようじんしなければならないのは恐おそろしい山火事やまかじです。生なまの立たち木きはちよっと燃もえにくいようにおもへますが、一度いちど火勢かせいがつけば、こんもりと茂しげつた美うつくしい森林しんりんもまたゝくまに灰はひになつてしまふのです。春はるから夏なつにかけて山やまの雪ゆきが消きえた頃ころが、この山火事やまかじの一番いちばん多おほい時ときで、煙草たばこの吸すひ殼がらや、たき火びをした人ひとのちよっとした不注意ふちゆういで、百年ひやくねんかゝつて出來上できあがつた森林しんりんも數時間すうじかんもたゝない間あひだに、すっかり燒やけてしまふわけです。だから山登やまのぼりをする人ひとは特とくに火ひの用心ようじんをすることが大事だいじです。

ついでですが、みなさんは木きばかりでなく、そこいらの町まちの中なかにある樹木じゆもくも大切たいせつにして枝えだを折をつたりしないようにして下くださらなければいけません。春はる、美うつくしい花はなが咲さくのが見みたく、夏なつの暑あついときに涼すゞしい木蔭こかげが欲ほしい以上いじようは、庭にはの木きでも、町まちのなみ木きでも、同おなじように可愛かわいがつてやらねばなりません。こないだの關東かんとうの大震災だいしんさいのときには、淺草あさくさの觀音かんのんのお堂どうの裏うらのいてふの木きは片側かたがは半分はんぶんは火ひに燒やけても、他たの半分はんぶんの枝葉えだはのために火ひがお堂どうに燃もえうつるのを防ふせぎました。ひとりいてふに限かぎらず、しひのきやかしのき等など、家いへのまはりや公園こうえんの垣根沿かきねぞひに植うゑてある木きは、平常へいじようは木蔭こかげや風かぜよけになるばかりでなく、火事かじの時ときには防火樹ぼうかじゆとして非常ひじように役やくに立たち家いへも燒やかずに濟すみ、時ときには人ひとの命いのちすら救すくはれることがあることも忘わすれてはなりません。

こんなに樹木じゆもくでもお互たがひにとつていろ〱な役やくに立たつことをお知しりになつたら、みなさんも道みちばたに遊あそんでる子供こどもがなみ木きの皮かはを剥むいたり、枝えだを打うつたりしてゐるのを見みられたらすぐに言いひ聞きかせて、とめて下くださらなければこまります。それはとりもなほさず樹木じゆもくを愛あいし、引ひいては山やまをも愛あいすることになつて、國家こつかの安榮あんえいをつくることになるからです。

樹木じゆもくの話はなし

(一)傳説でんせつの巨木きよぼく

今いまから一千八百年いつせんはつぴやくねんばかり昔むかし、筑紫つくし(今いまの九州きゆうしゆう)に扶桑木ふそうぼくと言いつて、世よの中なかに稀まれな大木たいぼくがありました。その高たかさは九千七百尺餘きゆうせんしちひやくしやくよだつたといひますから、富士山ふじさんの七合目しちごうめのちよっと下したまでのび上あがる勘定かんじようです。そのくらゐですから枝えだや葉はもおそろしく繁しげりひろがつてゐて朝あさは杵島岳きしまだけを隱かくし、夕方ゆふがたは阿蘇山あそさんを覆おほつて、あたりは晝ひるも、ほの暗ぐらく、九州きゆうしゆうの半分程はんぶんほどは日蔭ひかげとなり、百姓ひやくしようが困こまり拔ぬいてゐたといひますが、幸さいはひにも後あとでつひにその大木たいぼくは倒たふれてしまひました。十二代じゆうにだい景行天皇けいこうてんのうが、筑紫つくしの高田たかだの行宮あんぐうに行幸ぎようこうされたときには、長ながさ九千七百尺きゆうせんしちひやくしやくのその丸太まるたが、橋はしになつて懸かゝつてゐました。そこで天皇てんのうは大勢おほぜいの家來けらいたちをおつれになりその長ながい〱丸木橋まるきばしの上うへをお渡わたりになつたといふことが、日本書紀につぽんしよきといふ本ほんに出でてゐます。また一説いつせつには、その丸木橋まるきばしは今いまの熊本くまもとあたりから、有明ありあけの海うみを渡わたつて肥前國ひぜんのくに温泉岳うんぜんだけまでかゝつてゐたとも言いひます。おそろしい大おほきな木きではありませんか。

しかし、これはたゞ傳説でんせつですから、あてにはなりませんが、これからお話はなしするのは、普通ふつうどこにもあり、みなさんがいつでも實際じつさいに御覽ごらんになれる樹木じゆもくのお話はなしです。お互たがひに注意ちゆういしたいこと、また、いつもは、だれも氣きのつかぬようなことを、話はなしておきませう。

(二)大おほきさによる樹木じゆもくの區別くべつ

たゞ樹木じゆもくといつても松まつや杉すぎのような大おほきくなる木きもあり、つゝじやぼけのように、高たかく伸のびないで、枝えだが低ひくくわかれ、小ちひさい機状きじようになるものもあります。この松まつや杉すぎのように丈たけの高たかくなり、形かたちも大おほきくなる樹木じゆもくを『喬木きようぼく』といひ、つゝじやぼけのように形かたちも小ちひさく、機状きじように茂しげる木きを『灌木かんぼく』と呼よびます。この二ふたつの種類しゆるいはみなさまのおうちの庭にはでも、公園こうえんや、山やまや、どこへ行いつても見みられます。次つぎには樹木じゆもくは葉はの形かたちによつても區別くべつされます。

(三)葉はの形かたちによる樹木じゆもくの區別くべつ

すべての樹木じゆもくはそれ〲葉はの形かたちがちがつてゐますが、それを大おほきく二ふたつに分わけることが出來できます。一ひとつはあをぎりの木きの葉はのように、擴ひろがつた大おほきな形かたちのもので、これを『濶葉樹かつようじゆ』とよび、もう一ひとつは松まつの葉はのように針はりの形かたちをした葉はを持もつた木きでこれを『針葉樹しんようじゆ』とよびます。普通ふつうみなさんのお目めにふれる木きで言いひますと、

(イ)針葉樹しんようじゆに屬ぞくするものは、あかまつ、くろまつ、もみ、つが、すぎ、ひのき、かや等など。

(ロ)濶葉樹かつようじゆに屬ぞくするものは、さくら、もみぢ、やなぎ、あをぎり、くり、かし、しひ、くす等など

です。

然しかし同おなじ針葉樹しんようじゆの中なかにもまつとひのきの葉はは大變たいへん違ちがつてゐますし、濶葉樹かつようじゆの中なかにもあをぎりのような廣ひろく大おほきい葉は、もみぢの葉はのように掌状しようじように分わかれた葉は、やなぎのように細長ほそながい葉はがあります。それから木きの葉はは松まつの葉はのように一年中いちねんじゆうかはらず青々あを〱と茂しげつてゐるのがあるかと思おもふと、櫻さくらのように春はるから夏なつにかけては青あをく茂しげつてゐるが、秋あきの涼すゞしい風かぜが吹ふきはじめると、だん〱緑みどりの色いろが黄色きいろに變かはり、やがて冬ふゆの寒さむい風かぜの吹ふく頃ころはさら〱と落おち散ちるものもあります。かく松まつやしひの「しひの」はママ木き、かしの木き等などの葉はのように冬ふゆの間あひだでも枯かれ枝えだのようにならず一年中いちねんじゆう青々あを〱した葉はを持もつてゐる木きを『常緑樹じようりよくじゆ』といひ、もみぢやさくらの木きのように毎年まいねん春はるになると芽めを吹ふき、冬ふゆには枯かれたように枝えだから葉はを落おとす木きを『落葉樹らくようじゆ』とよびます。なほ針葉樹しんようじゆであつて常緑じようりよくな木き(まつ、すぎ等など)を『常緑針葉樹じようりよくしんようじゆ』といひ、代濶葉樹かかつようじゆで「代濶葉樹かかつようじゆで」はママあつて常緑じようりよくな木き(かし、くす等とう)を『常緑濶葉樹じようりよくかつようじゆ』とよびます。同樣どうように葉はを落おとし代かへる木きに『落葉針葉樹らくようしんようじゆ』(からまつ、いてふ等など)と『落葉闊葉樹らくようかつようじゆ』(さくら、もみぢ等など)の別べつがあります。いてふには葉はの比較的ひかくてきひろい木きがあるが植物學上しよくぶつがくじようでは、やはり針葉樹しんようじゆの中なかにはひるのです。

〔図〕fig54846_02.png暖帶林の特徴(かし・しひ等の濶葉樹林)

暖帶林の特徴(かし・しひ等の濶葉樹林)

(四)春はるのおとづれ

みなさんがお正月しようがつの休やすみを終をへて、再ふたゝび寒風かんぷうの中なかを學校がつこうにお通かよひになるときには、多おほくの木きは芽めも吹ふかず、枯かれたように眠ねむつてゐますが、中なかにはまんさくのように寒さむい風かぜにも堪たへて早はやく、一二月いちにがつの頃ころに枯かれ木きのような小枝こえだに、黄色きいろい花はなを着つけたり、また蝋梅ろうばいのようにもっと早はやく雪ゆきの中なかで香かをりたかく咲さき誇ほこるものもあります。そんなのを見みると、もう春はるが來きたのかと思おもはれます。蝋梅ろうばいはもと支那しなの産さんですが、早はやく我國わがくにに移植いしよくされ多おほくは庭木にはきとして灌木状かんぼくじようをしてゐます。東京とうきようでは一月いちがつ中旬ちゆうじゆんに蕾つぼみを開ひらき初はじめ、二月にがつに至いたつて滿開まんかいし、三月さんがつの上旬じようじゆんまで花はなを開ひらきつゞけてゐます。

蝋梅ろうばいについで早はやく花はなをひらくまんさくは日本につぽんだけの山中さんちゆうに、自然しぜんに生はえるもので、木曾きそや日光地方につこうちほうに多おほく、また庭木にはきとなつて植うゑられてゐるのもあります。

以上いじようの二ふたつは、冬ふゆから春はるにかけて花はなのさく木きの中なかで、特とくに目めに立たつものです。つぎにだん〱と寒さむさも薄うすらぎ、やがて三月さんがつになると、梅うめ、れんぎょう、ぢんちょうげ等などの世界せかいとなります。蝋梅ろうばいや梅うめのように美うつくしく花はなをつける樹木じゆもくを『花木かぼく』とよびますが、梅うめは早春そうしゆんの花木中かぼくちゆうでも第一だいいちの木きとして、昔むかしから愛あいせられて、庭木にはきや盆栽ぼんさいにも仕したてられるものです。梅うめはもと〱土地とちの乾かわいた日當ひあたりのよいところに適てきし、陰地かげちには、ふさはない木きですから、梅林うめばやしを作つくるには、なるべく南向みなみむきで土地とちの傾斜けいしやしたところがよいのです。樹木じゆもくには、それ〲日陰地ひかげちにもよく育そだつ木きや、また日陰ひかげと日陽ひなたの中間ちゆうかんのところを好このむ等など、種類しゆるいによつて、土地とちに適てき、不適ふてきがあります。その中なかで、日陰ひかげにもよく育そだつ木きを『陰樹いんじゆ』とよび、日陽地ひなたちを好このむ木きを『陽樹ようじゆ』といひます。樹木じゆもくのこの性質せいしつを知しつておくことは大切たいせつなことで、庭木にはきを植うゑかへるときにも、山やまに木きを植うゑつける時ときでも、それ〲の木きが陰樹いんじゆか陽樹ようじゆかによつて、それ〲適當てきとうな土地とちに植うゑることが必要ひつようです。

さて梅うめの花はなも終をはりとなり、日毎ひごとに風かぜも暖あたゝかになりますと、桃もゝの節句せつくの桃もゝの花はな、油菜あぶらなの花はながさきます。野のや畠はたにはたんぽゝが黄色きいろくかゞやいてきます。その頃ころには河岸かしの柳やなぎも芽めを出だして、やさしい枝えだを風かぜに靡なびかせはじめます。それからだん〱に、冬ふゆの間あひだすっかり葉はを落おとしてゐた落葉樹らくようじゆも一齋いつせいに、ぽか〱した日ひを浴あびて緑みどりの若芽わかめを出だしはじめます。野のに山やまに陽炎かげらふが燃もえてきます。ところによつて芽めを吹ふく時季じきはむろん違ちがひますが、東京附近とうきようふきんでは三月さんがつの中旬頃ちゆうじゆんごろから五月頃ごがつごろまでに、芽めを出だします。やまざくらのように緑色みどりいろの若葉わかばをもつもの、生いけ垣がきに多おほいかなめもちのように紅色べにいろのうつくしい若芽わかめをもつものもあり、またまつは緑みどりの針はりを出だして一二年いちにねんも持もちこたへた古ふるい葉はを少すこしづゝ替かへていきます。それから、かや、まき、とべら等などの常緑樹じようりよくじゆの發芽はつがを最後さいごに五月ごがつの上旬頃じようじゆんごろには、すべての樹木じゆもくは春はるの着きつけを終をはつて、ついで來くる夏なつの生活せいかつの備そなへをします。

(五)新緑しんりよく

木々きゞが若葉わかば青葉あをばに飾かざられた頃ころはすが〱しい景色けしきです。一年中いちねんじゆうでもその若葉わかばがどうしてあんなに紅あかや緑色みどりいろの美うつくしい色いろを現あらはすのかといひますと、その色いろは葉はの表面ひようめんの部分ぶぶん、即すなはち、表皮ひようひや、葉はの内部ないぶの細胞さいぼうの中なかに紅色こうしよくやその他たの色いろが含ふくまれてゐるためですが、それといふのも、若葉わかばは葉はの外部がいぶに丈夫じようぶな皮かはもなく、質しつも軟やはらかで弱よわいので、強つよい日光につこうにあたるのをきらひます。それで葉はの内部ないぶに色いろのある液えきを含ふくんで、その強つよい光ひかりを遮さへぎるわけで、つまり若葉わかばが自分自身じぶんじしんの保護ほごをするのです。しかし木きの葉はがだん〱に發達はつたつして、組織そしきも丈夫じようぶになるに從したがひはじめの色いろは次第しだいに消きえて、つひにその樹木じゆもく特有とくゆうの色いろとなるのです。春はるの終をはりには葉はが皆みな緑色りよくしよくになるのは、さうしたわけです。また木きの葉はははじめから淡緑たんりよくや、黄緑こうりよくの色いろのものが多おほいのですが、その若葉わかばの色いろも、その樹木じゆもくの種類しゆるいによつて、それ〲異ことなるものと見みなければなりません。

同おなじ新緑しんりよくのうちにも濃こい緑みどりや、淡あはい緑みどりのもの、黄緑きみどりのものなどがあります。例たとへば日比谷公園ひゞやこうえん横よこの道路どうろや、青山赤坂通あをやまあかさかどほりなどに植うゑてある鈴すゞを下さげたような實みのなる並木樹なみきぎとして立派りつぱなすゞかけの木きは、明あかるい淡緑色たんりよくしよくをしてゐます。幹みきが青あをくつる〱した、葉はの大おほきいあをぎりの若葉わかばは黄色きいろがかつた緑色みどりいろです。かういふ風ふうに葉はの同おなじ緑色みどりいろの中なかにちがひがあるのは、なぜかといふと、これは、主おもに葉はの細胞内さいぼうないに含ふくまれてゐる、緑色素りよくしよくそといふものの濃こさ淡あはさによるものです。この緑色素りよくしよくそは顯微鏡けんびきようで見みると美うつくしい小ちひさい緑みどりの粒つぶでそれを『葉緑粒ようりよくりゆう』とよんでゐます。かく緑色みどりいろは植物しよくぶつの、特とくに葉はに固有こゆうな色いろで、われ〱は木きといへば、すぐに緑みどりの色いろを思おもひ出ださずにゐられないくらゐ親したしい色いろです。

〔図〕fig54846_03.pngすゞかけのき

すゞかけのき

これで木きの若葉わかばの美うつくしい色いろや、新緑しんりよくの緑色みどりいろのこともおわかりになつたと思おもひますから、次つぎには樹木じゆもくの生活せいかつについて少すこしお話はなしをしませう。第一だいいちに、青々あを〱した、木きの葉はといふものは、植物しよくぶつにとつては一番いちばん大切たいせつで、ちょうどわれ〱の心臟しんぞうや胃いや膓ちようのような、生活上せいかつじようの必要ひつような器官きかんです。その葉はの内部ないぶの葉緑粒ようりよくりゆうは、毎日まいにち、日光につこうの力ちからをかりて、空氣中くうきちゆうにある、人間にんげんに害がいをする炭酸瓦斯たんさんがすも吸すひ、そのかはりに、人間にんげんになくてはならない酸素さんそをはき出だして、砂糖さとうや澱粉でんぷんといふような含水炭素がんすいたんそとよぶ養分ようぶんを造つくり、それを葉はから枝えだへ、枝えだから幹みきを下くだつて根ねに送おくつて、木全體きぜんたいの發育はついくのための養分ようぶんにし、その殘のこりは蓄たくはへておきます。かういふ風ふうに、葉はが日光につこうの力ちからをかりて、その木自身きじしんを養やしなひ、生活せいかつをつゞけていく、この作用さようを『炭素同化作用たんそどうかさよう』といひます。樹木じゆもくの葉はが青々あを〱と茂しげつてゐるのは、この重大じゆうだいな役目やくめをはたすためです。そのために、木きは若葉わかばをふいてから次第しだいに葉はを丈夫じようぶにかため、夏なつの盛さかりを幸さいはひに、どん〱太陽たいようの光ひかりと共ともに働はたらいて、秋あきに紅葉もみぢをする支度したくや、冬ふゆが來きても困こまらない、養分ようぶんの貯たくはへをするのです。

(六)夏なつの景色かしきルビの「かしき」はママ

さういふわけで夏なつには木々きゞは、見みるからに元氣げんきな青々あを〱した色いろをして、はちきれるような生活せいかつをします。みなさんはじり〱と燒やきつけるような海岸かいがんの砂濱すなはまに出でたり、汗あせを流ながしながら登山とざんをされるときのことを考かんがへてごらんなさい。

海岸かいがんには、枝えだぶりのうつくしいくろまつがつらなり生はえたりしてゐます。同おなじ松まつでもあかまつは山やまに適てきしてゐますが、くろまつは潮風しほかぜに最もつとも強つよい木きです。その林はやしがあるので、ただに景色けしきがいゝばかりでなく、前まへにもお話はなししたように海嘯つなみの害がいを防ふせぐことも出來できます。また海うみのつよい風かぜは濱邊はまべの砂すなを吹ふき飛とばして、砂丘さきゆうを造つくつたり、その砂丘さきゆうの砂すなをまた方々ほう〲へ吹ふき運はこんで、大事だいじな田たや畑はたや、時ときによると人家じんかまでも埋うづめてしまふことがあります。海岸かいがんのくろまつの林はやしは、さういふ砂すなの飛來ひらいを防ふせぎとめる役目やくめをもするのです。

また登山とざんをする場合ばあひには、平原へいげんから山麓さんろく、山腹さんぷくへかゝり、それから山やまの頂上ちようじように着つくまでの間あひだには、植物しよくぶつの姿すがたがいろ〱に變かはつていつて、高たかい山やまであれば頂いたゞき近ちかくには、木きがおのづとなくなつて、草本そうほんばかりとなり、なほ上のぼると、しまひには、たゞ岩石がんせきばかりで草くさもなくなつてしまひます。また谷たにや濕地しつちや、瀧たきや湖沼こしようの附近ふきんには、特殊とくしゆな草木そうもくがしげり、高原こうげんにはそこにのみ育そだつ植物しよくぶつがはえてゐます。夏なつの高原一帶こうげんいつたいに高山植物こうざんしよくぶつがさきつゞいてゐたりする光景こうけいはとても、下界げかいでは想像そうぞうもつかない美うつくしさです。かように、高山こうざんに登のぼるに從したがひ、植物しよくぶつが變かはつて行いくことや、高山植物こうざんしよくぶつのことなどは後のちにあらためてくはしくお話はなしをします。

(七)秋あきの紅葉もみぢ

春はるの若葉わかばや新緑しんりよくの森もりの美うつくしさとともに、夏なつの濃緑こみどりがすんだ後のちの秋あきの林はやしの紅葉もみぢの景色けしきも、いづれ劣おとらぬ自然しぜんの誇ほこりです。日本につぽんには昔むかしから紅葉もみぢの名所めいしよが多おほく、また、いたるところに紅葉もみぢを見みることが出來できます。

關東かんとうでは日光につこうや鹽原しほばら、關西かんさいでは京都きようとの嵐山あらしやま、高尾たかをなどは有名ゆうめいなものです。一いつたいどうして木きの葉はがそんなに紅あかくなるのかといひますと、それは秋あきになると急きゆうに涼すゞしくなる、その氣候きこうの變化へんかのために、新緑しんりよくのところでお話はなしした、葉緑素ようりよくそが次第しだいに變かはつて來きて、葉はの中なかの細胞内さいぼうないに紅色こうしよくの液體えきたいが出來できますからです。紅葉もみぢの美うつくしさは、植物しよくぶつそのものゝ種類しゆるいと、その發生はつせいの状態じようたいとでそれ〲異ちがひますが、一面いちめんには附近ふきんの景色けしきにも左右さゆうされるものです。青々あを〱と茂しげつたまつやもみなどの常緑樹じようりよくじゆの間あひだにそまつた紅葉もみぢは、色いろの配合はいごうで、紅色こうしよくがきはだつて、てりはえ、また、湖みづうみや沼ぬまや溪流けいりゆうを前まへにしても、やはり一いちだんと、美うつくしく見みえます。

つぎには紅葉もみぢする木きは、どんな木きかといひますと、日本につぽんでは普通ふつうもみぢ(槭樹せきじゆ)が一いちばん多おほいのです。中なかでも、やまもみぢは庭にはにもよく植うゑられます。深山しんざんにある紅葉もみぢはまた種類しゆるいが異ちがひ、一いちばんうつくしいのは、はうちはかへでで、それは葉はが羽團扇はうちはのようで、長ながさが二三寸にさんずんもある大おほきなものです。このほかもみぢ葉ばの形かたちをしてゐない葉はでも、いろ〱紅葉もみぢするものがあるのは、みなさんもよくご存ぞんじでせう。霜しもが降ふる頃ころになりますと柿かきの葉はや、蝋燭ろうそくの蝋ろうを取とるはぜの葉はや、なゝかまどといふ木きの葉はももみぢに劣おとらず、美うつくしく紅葉もみぢします。また木きの葉はは紅あかくなるばかりでなく、黄色きいろに變かはるのも少すくなくありません。その中なかでも、いてふがお社やしろの境内けいだいなどに眞黄色まつきいろになつて、そびえてゐたりするのは、實じつにいゝ眺ながめです。

(八)冬ふゆの森もり

さうした紅あかに黄きに色いろどられた秋あきの山やまや林はやしも、冬ふゆが來くると、すっかり葉はがおちつくして、まるで枯かれ木きばかりのような寂さびしい姿すがたになり、たゞ常緑樹じようりよくじゆのすぎやひのきの木きだけが黒くろずんだ葉はをつけたまゝ暖あたゝかい春はるの日ひが再ふたゝび廻まはつてくるのを待まつてゐます。つまり落おち葉ばは冬ふゆの寒さむい時ときには夏なつの間あひだに盛さかんに根ねに貯たくはへた養分ようぶんをそのまゝ持もつて休養きゆうようするのです。

皆樣みなさまはしかし冬ふゆの間あひだにも木きの枝えだをよく見みると落葉樹らくようじゆでも常緑樹じようりよくじゆでも、それ〲芽めをもつてゐるのが見みえる筈はずです。これは『冬芽とうが』とよび、落葉樹らくようじゆでは葉はの落おちたあとの枝えだの間あひだから、常緑樹じようりよくじゆではその葉はと枝えだとの間あひだに芽めぐんで寒氣かんきをも平氣へいきでくゞつて少すこしづゝ生長せいちようを續つゞけ春はるになると急きゆうに發芽はつがするわけです。

以上いじようで樹木じゆもくが春はる芽めを出だしてから、しまひに冬ふゆを迎むかへ、再ふたゝび春はるをまつまでのお話はなしを、一ひととほりすましました。

(九)老樹ろうじゆ名木めいぼくの話はなし

樹木じゆもくが地上ちじように生はえた後のちは、今いまお話はなししたような生活せいかつを續つゞけて、ずん〱伸のびて行ゆくのですが、かうして、おほよそ幾年間いくねんかんぐらゐ生いきるものかといひますと、それは、その土地とちのいろいろな状態じようたいや、外部がいぶからの影響えいきようもあるので、一樣いちようではありませんが、それ〲の木きは、おのおの一定いつていの年月ねんげつの間あひだ生育せいいくするもので、普通ふつうの木きでも二三百年にさんびやくねんから五六百年ごろつぴやくねんぐらゐ生いきてゐるものが多おほく、中なかには千年せんねん以上いじようも生いきるものがあります。人間にんげんの壽命じゆみようを、かりに五十年ごじゆうねんとすれば、樹木じゆもくはおよそその十倍じゆうばいも長命ちようめいをするわけです。その年月ねんげつがどうしてわかるかといへば、植うゑつけた記録きろくによる外ほかには、木きを横よこに切きつて、生地きじに出でてゐる圓まるい環わが幾いくつも重かさなつてゐるその理きめの數すうを數かぞへてみるとわかるのです。この環わを『年輪ねんりん』と言いひます。材木屋ざいもくやの店先みせさきに行いつて、圓まるい材木ざいもくのはしを見みれば、これが年輪ねんりんかと、すぐにわかります。これは木きは夏なつの間あひだはさかんに生育せいいくする、言葉ことばをかへて言いへば幹みきの内部ないぶの細胞さいぼうがどん〱生長せいちようするのにたいして冬ふゆの間あひだはその生長せいちようがとまるため、内部ないぶの細胞さいぼうも、そのまゝ、伸のびないでゐます。これが毎年まいねんくり返かへされると、その一年いちねんごとに生長せいちようした部分ぶぶんだけが、圓まるく環わになつて區分くわけがつくのです。しかし樹木じゆもくによつては氣候きこうの急激きゆうげきな變化へんかのため又または、病虫害びようちゆうがいで一時いちじ葉はを落おとしたりすると、この生長状態せいちようじようたいに例外れいがいが出來できて、環わが完全かんぜんに現あらはれず、半分はんぶんぐらゐで消きえるのがあります。さういふ片かたわの年輪ねんりんのことを『擬年輪ぎねんりん』と呼よびます。これはその木きの生長年數せいちようねんすうを數かぞへるときは除のぞいて數かぞへなければなりません。

次つぎに日本につぽんにある長生ながいきをしてゐる大木たいぼくの有名ゆうめいなものを少すこし上あげて見みませう。

今いま、日本につぽんで一番いちばん大おほきい木きといへば鹿兒島縣かごしまけん姶良郡あひらごほり蒲生村がまふむらにある大樟おほくすです。これは幹みきのまはりが、地上ちじよう五尺ごしやくの高たかさのところでしたが七十三尺八寸しちじゆうさんじやくはつすんあり、根元ねもとのまはりは百二十五尺四寸ひやくにじゆうごしやくしすんもあつて、木きの高たかさは十五間じゆうごけん、樹齡じゆれい八百年はつぴやくねんと言いはれてゐます。今いまかりにその木きの根元ねもとから切きつた切きり口ぐちに疊たゝみを敷しいてみるとしますと六十九疊ろくじゆうくじようも敷しけますから、けっきよく、八疊はちじようの座敷ざしきが八やつつと、五疊ごじようの部屋へやが一ひとつとれる勘定かんじようになります。

次つぎに富山縣とやまけん高岡市たかをかし末廣町すゑひろちようにある七本杉しちほんすぎは、地上ちじよう五尺ごしやくのところで幹廻みきまはり六十六尺ろくじゆうろくしやく、木きの高たかさ二十餘間にじゆうよけん、樹齡じゆれいは一千年いつせんねんと稱となへられてゐます。この木きはもと根株ねかぶから七なゝつの幹みきに分わかれてゐましたが、内うち五本ごほんは先年せんねんの暴風ぼうふうで折をれて今いまは二本にほんの幹みきだけとなつてしまひました。

臺灣たいわん阿里山ありさんにもすばらしい巨木きよぼくがあります。阿里山ありさんで神木しんぼくととなへられる臺灣たいわん花柏さわら(紅檜べにひ)は、地上ちじよう五尺ごしやくの高たかさの幹みきのまはりが六十五尺ろくじゆうごしやく、木きの高たかさ二十五間にじゆうごけん、樹齡じゆれい二千年にせんねんといはれてゐます。明治神宮めいじしんぐう大鳥居おほとりゐはいづれもこれと同おなじ木きで造つくられたものです。

〔図〕fig54846_04.png阿里山の神木(紅檜)

阿里山の神木(紅檜)

以上いじようの外ほか日本につぽんには各地かくちに老樹ろうじゆ名木めいぼくがあつて、一々いち〱あげて數かぞへることも出來できません。日本につぽんで最もつともおほきく生長せいちようする木きはくすの木きが第一だいいちで、次つぎはすぎ、たいわんさわら、いてふ、しひ、まつといふ順じゆんになります。

また高たかさの最もつとも高たかくなるのはすぎで、秋田縣あきたけんの長木澤ながきざはの杉林すぎばやしや甲州こうしゆう身延山みのぶさんの千本杉せんぼんすぎの中なかには、高たかさが三十五間さんじゆうごけんもあるのが見みられます。それから樹齡じゆれいではさっき言いつた阿里山ありさんの紅檜べにひが第一だいいちで、千二三百年せんにさんびやくねんから二千年近にせんねんちかくのものが澤山たくさんあります。

各地かくちにのこつてゐる、かういふ老樹ろうじゆ名木めいぼくは、たゞ植物學上しよくぶつがくじようまたは林業上りんぎようじようあるひは、風致ふうちの上うへからの研究けんきゆうの資料しりようとして意味いみがあるばかりでなく、いづれも、數百年すうひやくねんまたは千餘年せんよねんの間あひだ、その土地とちにゐついてゐるのですから、何なによりもその地方ちほうの過去かこを思おもひ起おこさせ、地方歴史上ちほうれきしじようの參考さんこうともなり、愛郷心あいきようしんをも養やしなひ、ひいては愛國心あいこくしんを育はぐくむことにもなります。なほこれからお話はなしをする日本につぽんの森林植物帶しんりんしよくぶつたい取とり調しらべにはこれらの老樹ろうじゆはなくてはならぬものなのです。

皆みなさんこんないろ〱のわけをお話はなししたら、われ〱がお互たがひに、今いま生いき育そだつてゐるすべての老樹ろうじゆ名木めいぼくを、ます〱大事だいじにして、出來できる限かぎり長命ちようめいをさせるように努つとめなければならないことがおわかりとなりますでせう。

日本につぽん森林植物帶しんりんしよくぶつたいの話はなし

(一)森林植物帶しんりんしよくぶつたいとは何なにか

高たかい山やまに登のぼられた人ひとは、だれでも氣付きづづてゐる「氣付づてゐる」はママことですが、山やまに生はえ茂しげつてゐる樹木じゆもくも麓ふもとと中腹ちゆうふくとでは、まるで種類しゆるいがちがつてをり、頂上近ちようじようちかくになると、又またさらにほかの種類しゆるいの植物しよくぶつが生はえてゐます。

それから遠とほくへかけて旅行りよこうするとわかることですが、例たとへば臺灣たいわんから九州きゆうしゆうへ渡わたり、本州ほんしゆうを縱斷じゆうだんして北海道ほつかいどうへ行いくとしますと、九州きゆうしゆうでは臺灣たいわんで見みなかつた木きが茂しげつてをり、北海道ほつかいどうへはひると、又またさらに、すっかり變かはつた木きばかりで、かなり、ちがつた遠とほい國くにへ來きたといふ感かんじがします。かういふ風ふうに、土地とちの高低こうていや位置いちの相違そういによつて、寒さむさ暖あたゝかさがちがふにつれて、生はえる樹木じゆもくもそれ〲ちがふのです。

もと〱地上ちじようの植物しよくぶつが生長せいちようするには、土壤どじようのほかに、𤍠ねつと光ひかりと水みづとがなくてはなりません。𤍠帶地方ねつたいちほうはこの三みつつのものが、うんとそろつてゐるので植物しよくぶつが一番いちばんよく茂しげつてゐますが、次第しだいに南みなみと北きたの兩極りようきよくに近ちかづくに從したがつて、草くさや木きも少すくなくなり、何一なにひとつ生はえない不毛ふもうの平原へいげんになつてしまひます。しかし、人々ひと〲が餘程よほどの田舍ゐなかにゐても住すめば都みやこで、それ〲たのしくをさまつてゐるのと同おなじように、植物しよくぶつも𤍠あついところであらうと、寒さむいところであらうと、生育せいいく出來できる限かぎりそれ〲、じぶんに向むいたところに根ねを下おろして、生いきてゐます。ですから、われ〱が、ある一ひとつの土地とちにはえた木きを、やたらにわきへ持もつて行いったつて、それが一々いち〱つくわけのものではありません。ばなゝの木きを東京とうきようにもつて來きて植うゑてもそのまゝでは實みはなりません。また涼すゞしい奧羽地方おううちほうに出來できる林檎りんごや櫻桃おうとうは暖あたゝかい九州地方きゆうしゆうちほうでは植うゑてもよく育そだちません。つまり樹木じゆもくは各々おの〱一いちばん適てきする場所ばしよにあつてはじめて完全かんぜんに繁殖はんしよくすることが出來できるのです。そのため、地球上ちきゆうじようでも、赤道せきどうを中心ちゆうしんにして兩極りようきよくに向むかふにしたがひ、又または海岸かいがんから高たかい山やまへ登のぼるにつれて、その寒暖かんだんの差さに應おうじ、しぜんとそこに生はえる樹木じゆもくの種類しゆるいが違ちがひ、森林しんりんのあり樣さまもそれ〲かはつてゐます。

この、おの〱の位置いちによつて生はえる樹木じゆもくの種類しゆるいと森林しんりんの形かたちとが異ことなつてゐるあり樣さまを名なづけて、『森林帶しんりんたい』または『森林植物帶しんりんしよくぶつたい』と言いひます。わかりやすく言いへば、地球上ちきゆうじようの部分ぶぶん部分ぶぶんが、赤道せきどうに沿そうて帶おびのように細長ほそながくわかれてをり、その一ひとつ〱に、それ〲ちがつた植物しよくぶつがそだつてゐることをいふのです。

(イ)水平的森林帶すいへいてきしんりんたい。 同おなじ平地へいちでも臺灣たいわんと本州ほんしゆうと北海道ほつかいどうとでは樹木じゆもくが違ちがつてゐるように地球上ちきゆうじようの緯度いどの差さにつれて、言いひかへると赤道せきどうから南みなみと北きたとへ向むかつて平たひらにすゝんでいくとすれば、𤍠あついところから寒さむい地方ちほうへ行いくにつれて、そこに生育せいいくしてゐる樹木じゆもくの種類しゆるい及および森林しんりんの形かたちが各々おの〱異ことなつてゐる、とは今いまはお話はなししました。この森林しんりんのそれ〲異ことなつた状態じようたいにある幾條いくすぢもの帶おびを『水平的森林帶すいへいてきしんりんたい』といひます。

ですから地球ちきゆうが、かりに山やまがなくて一面いちめんの平地へいちであつたならば、それらの緑みどりの地帶ちたいは、赤道せきどうを中心ちゆうしんにこれに並行へいこうして、北きたと南みなみとへ美うつくしい環わをえがいて、地球ちきゆうを取とり卷まいてゐるはずですが、しかし實際じつさいは、海うみや山やまが不規則ふきそくに入いり亂みだれてゐますから、その水平的森林帶すいへいてきしんりんたいも、ところ〲で中斷ちゆうだんし、また氣候きこうにも影響えいきようされて不規則ふきそくな帶おびとなつてゐます。

(ロ)垂直的森林帶すいちよくてきしんりんたい。 次つぎに森林帶しんりんたいはまた垂直的すいちよくてきにも見みることが出來できるのです。海岸かいがんからだん〱に山地さんちへかゝり高山こうざんへ登のぼつていくにつれ、だん〱と温度おんどが低ひくくなるのは、ちょうど緯度いどの南みなみから北きたへ進すゝむにしたがつて寒さむさがますのと同おなじです。緯度いどは一度いちど進すゝむごとに攝氏せつしの約やく一度いちどづゝ温度おんどが下くだりますが、高山こうざんではおよそ百五十ひやくごじゆうめーとるから二百にひやくめーとる登のぼるたびに攝氏せつしの一度いちどぐらゐ、温度おんどが低ひくくなり、登のぼれば登のぼるほど寒さむさを加くはへます。ですからさういふ山やまに生はえてゐる樹木じゆもくは、寒暖かんだんの差さや、そのほか氣候きこうの變化へんかによつて、山麓さんろくから頂上ちようじようまでの間あひだにいろ〱模樣もようの變かはつた幾いくつかの森林帶しんりんたいがかさなつてゐるわけです このように土地とちの高低こうていによつて現あらはれる森林帶しんりんたいのことを『垂直的森林帶すいちよくてきしんりんたい』といひます。

(二)日本につぽんの森林帶しんりんたい

これから日本につぽんの森林帶しんりんたいについてお話はなししませう。

御承知ごしようちのように日本につぽんは、北きたは北緯五十度三十分ほくいごじゆうどさんじつぷんの千島ちしまの果はてから、南みなみは二十二度にじゆうにどの臺灣たいわんにわたる細長ほそながい島國しまぐにで、地理上ちりじよう臺灣たいわんの南部なんぶは𤍠帶ねつたいに、本州ほんしゆう、北海道ほつかいどうは温帶おんたいに、千島ちしま、樺太からふとは寒帶近かんたいちかくになつてゐます。從したがつてところによる氣候きこうや土質どしつの變化へんかも甚はなはだしく、そこに育そだつ樹木じゆもくや、森林しんりんも、おのづと、いろ〱ちがつてゐます。それをわけると、一、『𤍠帶林ねつたいりん』二、「暖帶林だんたいりん」三、『温帶林おんたいりん』四、『寒帶林かんたいりん』の四よつつになります。

(イ)𤍠帶林ねつたいりん(又または、榕樹帶がじゆまるたい)。 日本につぽんで𤍠帶林ねつたいりんにはひるものは、臺灣たいわんの平均へいきん一千いつせん五百尺ごひやくしやく以下いかの平地へいち、琉球本島りゆうきゆうほんとうの南半分みなみはんぶん、小笠原群島をがさはらぐんとう、新領土しんりようどのマーシャル、カロリン、マリアナ列島等れつとうなど、一年中いちねんじゆうの平均温度へいきんおんど攝氏二十一度せつしにじゆういちど以上いじようの土地とちです。この帶たいの特徴とくちようとして、一年中いちねんじゆう霜しもや雪ゆきが降ふらないので、植物しよくぶつの生長せいちようが全然ぜんぜん休止きゆうしする時ときがありません。

樹林じゆりんには榕樹がじゆまる、赤榕樹あかうその他た蒲葵びろーやたこのきといつたものが盛さかんに育そだつて空そらをおほうてゐますが、中なかでも榕樹がじゆまるはこの帶たいの代表的だいひようてきなものですから、𤍠帶林ねつたいりんのことを榕樹帶がじゆまるたいともいひます。なほ、珈琲こーひー、椰子やしの木き、護謨樹ごむじゆ、船材せんざいにする麻栗等ちーくなど、非常ひじように有用ゆうような木きも大抵たいていこの帶たいに栽培さいばいすることが出來できます。

〔図〕fig54846_05.png熱帶林(ひるぎ林)

熱帶林(ひるぎ林)

(ロ)暖帶林だんたいりん(又または、櫧帶かしたい)。 この帶たいに屬ぞくする區域くいきは、沖繩縣おきなはけんの中央ちゆうおう以北いほくから、四國しこく九州きゆうしゆうの全部ぜんぶと本州ほんしゆうの南部なんぶで、平均へいきん北緯三十六度ほくいさんじゆうろくど以南いなんの地ちです。温度おんどでいへば、同温度どうおんどの地方ちほうをつなぎあはせた線せん、すなはち同温線どうおんせんの攝氏十三度せつしじゆうさんど以上いじよう、二十一度にじゆういちど以下いかの地ちです。この帶たいの樹木じゆもくは、櫧帶かしたいといふほどかし、しひ等などの常緑濶葉樹じようりよくかつようじゆがおもにそだち、海岸かいがんの潮風しほかぜの強つよい砂地すなじには、よくくろまつが生はえ、南部なんぶにはくすのきが多おほく生はえて暖國的だんこくてきな氣分きぶんをたゞよはせてゐます。

〔図〕fig54846_06.pngしひのきの實と小枝

しひのきの實と小枝

〔図〕fig54846_07.pngしらかしの實と小枝

しらかしの實と小枝

元來がんらいこの帶たいの樹木じゆもくはすべて常緑濶葉樹じようりよくかつようじゆで、こなら、くぬぎ等などの落葉濶葉樹らくようかつようじゆがその間あひだに點々てん〱と混まじつてゐる筈はずなのですが、常緑濶葉樹じようりよくかつようじゆは昔むかしからたび〱伐きられたり、又または野火のびの害がいに會あつたため、數かずが減へり、反對はんたいに落葉樹らくようじゆや松林まつばやしなどがふえて來きました。なほこの帶たいは氣候きこうが温和おんわで人ひとの居住きよじゆうにも適當てきとうし、また高山こうざんの中腹ちゆうふく以下いかの地ちなのですから、土地とちが早はやくから開ひらけ人口じんこうが多おほく、物産ぶつさんの出でるのも、ほかの帶たいよりずつと多量たりようです。

今日こんにち、ひのき、すぎ等などの林はやしをこの帶たいの中なかに見みるのは、人ひとが移うつし植うゑたもので、もと〱ひのき、すぎ等などは温帶林おんたいりんに生育せいいくしてゐたものです。

(ハ)温帶林おんたいりん(又または、椈帶ぶなたい)。 この帶たいは暖帶林だんたいりんのつぎにつくもので、本州ほんしゆうの北部ほくぶから北海道ほつかいどう大半たいはんの西南せいなん、及および朝鮮ちようせんの大部分だいぶぶんにもあり、同温線どうおんせん六度ろくど以上いじよう十三度じゆうさんど以下いかの土地とちです。垂直的すいちよくてきの森林帶しんりんたいでいひますとこの帶たいの下部界かぶかいが、暖帶林だんたいりんの上部界じようぶかいにあたり、この帶たいの上部界じようぶかいは臺灣たいわんでは中央ちゆうおうで一萬尺いちまんじやくの高山こうざんに達たつしてゐます。九州きゆうしゆうや山陰さんいん、山陽地方さんようちほう、畿内諸國きないしよこくも山やまが低ひくいので暖帶林だんたいりんの上部界じようぶかいの上部じようぶはすべて頂上ちようじようまでこの帶たいに屬ぞくし、四國しこくでは六千五百尺ろくせんごひやくしやくのところを境さかひとし、奧羽地方おううちほうでは更さらに下くだつて四千七百尺しせんしちひやくしやくから三千五百尺さんぜんごひやくしやくの高たかさまでになり、北海道ほつかいどうの南部なんぶでは一千五百尺いつせんごひやくしやくに下くだり、その中央ちゆうおうでは遂つひに海水面かいすいめんと一致いつちしてゐます。この温帶林おんたいりんにはどんな樹木じゆもくが生育せいいくしてゐるかといふと、一番いちばんいちじるしいのがぶなの木きです。本帶ほんたいを一名いちめい『椈帶ぶなたい』といふのもぶなが、その代表だいひよう樹種じゆしゆであるからです。しかしこの帶たいに屬ぞくする土地とちでも、その南部なんぶでは、自然しぜんのまゝに育そだつた林はやしが少すくなく、人ひとがどん〱伐きつてはその跡あとへすぎ、ひのき等などを植林しよくりんして育そだてた林はやしが多おほいので、今日こんにちではぶなの林はやしを見みることが出來できなくなつた場所ばしよも少すくなくありません。けれども暖帶だんたいによく生育せいいくしてゐるかしの類るいが、こゝでは自然しぜんに消きえてなくなつてゐることや、もと〱温帶林おんたいりんにぞくする老樹ろうじゆが殘のこつてゐるのを見みるとそこが温帶林おんたいりんであることがわかります。

〔図〕fig54846_08.png暖帶林(樟などの常緑樹林)

暖帶林(樟などの常緑樹林)

かく、その帶たいの特徴樹種とくちようじゆしゆはぶなですが、その外ほかにおほなら、みづなら、とち等などの落葉濶葉樹らくようかつようじゆを混こんじてゐることもあり、地方ちほうによつてはひのき、さわら、ひば、すぎ等などの針葉樹しんようじゆをまじへてるところもあります。木曾きそや秋田あきたその他たの地方ちほうで、特別とくべつに針葉樹しんようじゆを保護ほごしてゐる土地とちを除のぞけば、あとはほとんど落葉樹らくようじゆで、冬ふゆになつて木きの葉はが落おちると、まるで枯かれ木きが遠とほく天てんに連つらなつてゐるように寂さびしい景色けしきになります。

〔図〕fig54846_09.png温帶林(ぶなの林)

温帶林(ぶなの林)

〔図〕fig54846_10.pngぶなのき

ぶなのき

(ニ)寒帶林かんたいりん(又または白檜しらべ、椴松帶とゞまつたい)。 この帶たいは水平的すいへいてきには北海道ほつかいどうの中央ちゆうおう以北いほく、つまり温帶林おんたいりんの北部ほくぶで、同温線どうおんせん攝氏六度せつしろくど以下いかの地方ちほうと、千島ちしま、樺太からふとの全部ぜんぶを占しめてゐます。これを垂直的すいちよくてきに見みれば、平地へいちでは𤍠帶ねつたいに屬ぞくする臺灣たいわんでも、新高山にひたかやまのように高たかさ一萬三千尺いちまんさんぜんじやくにもあまる高山こうざんがあるので、前まへの温帶林おんたいりんの上部じようぶにこの寒帶かんたいがあります。

しかし九州きゆうしゆうにはこの帶たいにはひる土地とちがなく、四國しこくの六千五百尺ろくせんごひやくしやく以上いじようの高山こうざん(石槌山いしづちやま、劍山つるぎやま)に、僅わづかにこの帶たいの下部界かぶかいを見みることが出來できます。本州ほんしゆうでは中部ちゆうぶの諸高山しよこうざんの六千尺ろくせんじやくから九千尺くせんじやくまでのところが、この帶たいにはひり、北海道ほつかいどうの中央ちゆうおうでは三千五百尺さんぜんごひやくしやく、樺太からふとの日本領地につぽんりようちでは二千尺にせんじやくから二千五百尺にせんごひやくしやくの高たかさまでがそれです。

この帶たいには主しゆとして、白檜しらべ、とゞまつ、えぞまつ、あをもりとゞまつといつた常緑針葉樹林じようりよくしんようじゆりんでなり立たつてゐますが、本州ほんしゆうでは高山こうざんの頂いたゞき近ちかくにしらべやあをもりとゞまつが多おほく、臺灣たいわんの高山こうざんにはにひたかとゞまつが生はえてゐます。

〔図〕fig54846_11.pngしらべ 鱗果をつけた小枝

しらべ 鱗果をつけた小枝

〔図〕fig54846_12.png寒帶林(臺灣新高とゞまつの林)

寒帶林(臺灣新高とゞまつの林)

以上いじようお話はなししたのは、つゞめていふと暑あつい𤍠帶ねつたいから暖だん、温おん、寒かんといふ風ふうにその各地方かくちほうに適てきしてよく育そだつ森林しんりんの區域くいきと、その帶たいの特徴とくちようとでした。こゝまで來きますと最後さいごの寒帶林かんたいりんの上部じようぶはどうなつてるかといふ疑問ぎもんが出でて來くるでせう。

(ホ)灌木帶かんぼくたい(偃松帶はひまつたい)。 えぞまつやとゞまつの針葉樹林しんようじゆりんを出でてその先さきへ移うつると、急きゆうに光ひかりが強つよく、あたりはぱっと明あかるくなつたような氣きがします。即すなはち、そこは灌木帶かんぼくたいといふところで、殊ことに偃松はひまつが目めにつくので、偃松帶はひまつたいともいつてゐます。偃松はひまつは地上ちじよう二三尺にさんじやくのところに腕うでを伸のばし、肘ひぢを張はつたように、枝えだを四方しほうにひろげてゐます。葉はは五葉ごようで裏うらが白しろく、普通ふつうの松まつとはずっとちがつてゐます。またこの偃松はひまつがなくて、そのかはりに灌木状かんぼくじようの落葉樹らくようじゆが茂しげつてゐるところもありますが、かように偃松はひまつや灌木状かんぼくじようの落葉樹らくようじゆが生育せいいくしてゐるのは、そこが高山こうざんで氣候きこうが極きはめて寒冷かんれいであり、風かぜも強つよいので、しぜんと、木きも低ひくく小ちひさくなつたのです。

本州ほんしゆうの木曾きそや甲州こうしゆう、信州等しんしゆうなどの高山こうざんに登のぼつた方かたはよくご存ぞんじでせうが、日光につこうの白根山しらねさん、男體山なんたいざんやまた富士山ふじさんなどでは偃松はひまつを見みません。この帶たいには偃松はひまつのかはりに、いはやなぎ、しゃくなげ、なゝかまど、やまはんのき、べにばないちご等などが生育せいいくし、特とくにしゃくなげはつや〱した厚あつい葉は、硬こはい枝えだ、美うつくしい花はなが目立めだつので、他たの木きとすぐに見分みわけがつきます。花はなは普通ふつう紅あかい色いろですが、中なかには黄きや白しろの美うつくしいものもあります。

以上いじようのすべての木きは、みんな幹みきや莖くきが小ちひさく低ひくくて、多おほくは一ひとつところに群生ぐんせいしてゐます。またそここゝの灌木かんぼくの下したには、次つぎにいふ高山植物こうざんしよくぶつが可愛かわいく生はえてゐます。山やまによつてこの灌木帶かんぼくたいの幅はゞは大變たいへん狹せまいところもあります。この帶たいの間あひだに、高山植物こうざんしよくぶつの草本帶そうほんたいが混まじつたり、時ときには偃松はひまつが草本帶そうほんたいの中なかを通とほり越こして、山頂近さんちようちかくまで伸のびてゐることもあるので、各帶かくたいをはっきりと區別くべつすることは出來できにくいのです。

(ヘ)草本帶そうほんたい(高山植物こうざんしよくぶつ)。 人々ひと〲がお花畠はなばたけといひ山上さんじようの花園はなぞのとしてめづらしがり、あこがれてゐるのがこの草本帶そうほんたいです。前まへの偃松帶はひまつたいの上部じようぶが徐々じよ〱にこの草本帶そうほんたいに移うつつて行ゆきます。この帶たいは日本につぽんの諸高山しよこうざんでは大概たいがい山やまの頂いたゞきに近ちかいところに現あらはれてゐて、高たかさは八九千尺はちくせんじやくから一萬尺いちまんじやくに及およんでゐます。草本帶そうほんたいには、乾燥かんそうしたところに生はえる植物しよくぶつ、すなはち『乾生かんせい』のものと、濕氣しつきのあるところに生はえる『濕生しつせい』のものとの區別くべつがあつて、前者ぜんしやは岩石がんせきや砂地すなじの乾燥かんそうした場所ばしよに生はえ、後者こうしやは濕氣しつきのある中凹なかくぼみのあるところに生はえるのです。

高山こうざんにはよくさういふ凹地くぼちに水みづを湛たゝへて、時ときには沼地ぬまちを形かたちづくり、附近ふきんの岩いはの間あひだに雪ゆきをためてゐたりするところがあります。沼地ぬまちにはこの雪ゆきが溶とけ流ながれこむので、その沼水ぬまみづの温度おんどは非常ひじように低ひくく、ひどく冷つめたいわけになります。

乾燥地かんそうちすなはち岩地いはち、砂地すなじの水分すいぶんの少すくないところでは、植物しよくぶつも澤山たくさん群むらがつて生はえることが出來できなくてそここゝと岩石地がんせきちに根ねをおろし、風かぜが強つよいので葉はは地ちにへばりついてをり、根ねは莖くきに比くらべて非常ひじように太ふとく長ながくなり、岩いはの裂さけ目めなどに深ふかくもぐりこんでゐます。この植物しよくぶつのうち岩いはの碎くだけて積つもつた上うへに生はえるものには花はなが赤あかくて紅緑こうりよくの葉はをもつた優美ゆうびなこまぐさや、鋸葉のこぎりばの四出ししゆつした莖くきのさきに赤あかい唇形しんけいの花はながむらがつてゐるみやましほがま、梅うめに似にた黄色きいろい花はなをひらき鋸齒のこぎりばのある圓まるい葉はを三みつつづゝ、絲いとのような莖くきにつけたみやまきんばい、小ちひさい芝しばのようなみやまつめくさ、たかねつめくさ等などがあります。

また岩いはの隙すき間まには、青紫あをむらさきのちしまぎきょう、いはぎきょう、花はなは白梅はくばいに似にて、葉はは豆まめのように厚あつぼつたいいはうめ、鋸齒のこぎりばのある腎臟形じんぞうがたの葉はを根元ねもとに出だして、莖くきの上うへに黄色きいろの五瓣ごべんの花はなをつけるみやまだいこんや、はゝこぐさに似にて白しろふらんねるのような葉はを持もつてゐるみやまうすゆきそう等などが生はえます。

次つぎに草原くさはらの濕地しつちは『腐植土ふしよくど』といつて、植物しよくぶつが枯かれて、根ねや枝えだや葉はが腐くさつた肥料こやしになつてゐるような土つちに富とみ、水分すいぶんも多おほいので、植物しよくぶつの生育せいいくには大變たいへん都合つごうがよいため、こゝではいろんなものが伸のび〱と群むらがつて茂しげり、美うつくしいさま〲な花はなが咲さき誇ほこります。こゝに生はえるものは、葉はも花はなも乾燥地かんそうちに生はえてるものより大おほきく、色いろも綺麗きれいなものが多おほいのです。黄金色こがねいろのものではしなのきんばい、みやまきんぽうげ、白しろくて大おほきな、梅うめの花はなに似にたものにははくさんいちげ、淡紅色うすあかいろのいはかゞみ、かわいらしいみやまをだまき等など澤山たくさんな種類しゆるいがあります。

これらの多おほくの高山植物こうざんしよくぶつに色いろどられてゐる、いはゆるお花畠はなばたけは、日本につぽんでは本州ほんしゆう中部ちゆうぶの日本につぽんアルプスの諸高山しよこうざんに多おほく、中なかにも白馬山しろうまさんのは有名ゆうめいです。年中ねんじゆう雪ゆきに閉とざされてゐた山頂さんちように夏なつが來きて、雪ゆきが溶とけると、すぐその下したには可憐かれんな草くさが目めも覺さめるばかりに咲さき出いでます。眞白まつしろな雪溪せつけいに隣となり合あはせて、このお花畠はなばたけを見みるときの感かんじは、なんとも言いへず、貴たつとく、かわゆく、美うつくしいものです。

(ト)地衣帶こけたい。 地衣帶こけたいは草本帶そうほんたいの上部じようぶに接せつしてをり、兩帶りようたいの區別くべつははっきりとしませんが、ともかく一萬尺いちまんじやくもの高たかさのところでは、きびしい寒さむさと、激はげしい風かぜとでほとんど草くさも生はえることが出來できず、たゞ裸はだかの岩いはの上うへに地衣こけが固着こちやくしてゐるきりです。この地衣こけのために、岩いははいろ〱美うつくしい模樣もようや紋もんを現あらはしてゐます。日本につぽんでは木曾きその御嶽おんたけや駒こまが嶽たけはこの帶たいの位置いちがよくわかります。この帶たいの上部じようぶはそれこそ地衣こけもない裸はだかのまゝの岩石がんせきです。

(三)富士山ふじさんの森林植物帶しんりんしよくぶつたい

以上いじようで日本につぽんの森林植物帶しんりんしよくぶつたいを水平的すいへいてきにも垂直的すいちよくてきにも見みて來きたわけです。つぎには、どなたにも名前なまへのしたしい富士山ふじさんへの登山とざんと、その森林帶しんりんたいとのお話はなしをして、森林植物帶しんりんしよくぶつたいのお話はなしを、なほよくわかるようにしておきませう。

富士ふじへ登のぼるには、普通ふつう吉田口よしだぐち、御殿場口ごてんばぐち、大宮口おほみやぐちと三みつつの登山道とざんみちがありますが、森林帶しんりんたいを見みながら登のぼるには吉田口よしだぐちか、大宮口おほみやぐちを選えらんだ方ほうがいゝと思おもひます。こゝではかりに大宮口おほみやぐちから登のぼるものとしてお話はなしします。

あの廣々ひろ〲とした富士ふじの裾野すそのには、普通ふつうの登山期とざんきよりも少すこし遲おくれて八はち九月くがつの頃ころには、殊ことに美うつくしい秋草あきくさがたくさん咲さきます。そこには春はるとちがつて新あたらしい緑みどりの色いろは少すくないですが、春はるの野のよりも色いろどりには變化へんかがあつて綺麗きれいです。われもこう、ききょう、かるかや、おみなへし、すゝき、ふぢばかま、はぎの秋あきの七草なゝくさをはじめ、いろ〱の草くさが野原一面のはらいちめんに咲さいてゐます。しかしこの裾野すそのは大昔おほむかしからこんな草原くさはらだつたのではありません。

古ふるい〱昔むかしは、この一帶いつたいは暖帶林だんたいりんの上部じようぶから温帶林おんたいりんの下部かぶに屬ぞくする樹木じゆもく、すなはち常緑じようりよくの濶葉樹かつようじゆや落葉樹らくようじゆでおほはれてゐたのです。ところが、それが古ふるくから火事かじで燒やかれたり、斧をので伐きられたりして、天然てんねんにあつたそれ等らの樹木じゆもくが大抵たいてい消きえてなくなつてしまひ、つひに今日こんにち見みるような茫々ぼう〱として、はてしもないような草原くさはらになつたのです。今いま、ところ〲にすぎやひのきやあかまつの林はやしが見みえるのは、人ひとが新あたらしく植うゑたのです。

この裾野すそのの景色けしきを眺ながめながら、だん〱上のぼつて一合目いちごうめをも過すぎ、海拔かいばつ三千五百尺さんぜんごひやくしやくあたりのところへ來きますと、いつしか草原くさはらも、人ひとが植林しよくりんした林はやしなどもなくなつて、ずっと奧おくゆかしい、ちがつた林間りんかんにはひります。

つまり温帶林おんたいりんの上部じようぶにはひつたわけで、喬木きようぼくのぶな、おほなら、はしばみ、もみぢ、けやき、かつら、ほゝのき、きはだ、みづき、かば、くり等などの落葉濶葉樹らくようかつようじゆが、うっそうとしてをり、ところ〲に温帶林おんたいりんの特徴樹とくちようじゆであるぶなの巨木きよぼくが茂しげり、木きの下したには種々しゆ〲な灌木かんぼく、草本そうほん、蔓生植物まんせいしよくぶつが盛さかんに生はえてゐるのを見みることが出來できます。さらに二合目にごうめを過すぎて海拔かいばつ五千七百尺ごせんしちひやくしやくのあたりへ來きますと、林はやしは一變いつぺんして今いままでの濶葉樹かつようじゆは急きゆうに少すくなくなり、常緑針葉樹じようりよくしんようじゆことにもみ類るいこみつが、ひのきに似にたとうひやしらべ等などの巨木きよぼくが聳そびえてゐます。前まへの落葉濶葉樹らくようかつようじゆの葉はが淡緑色たんりよくしよくで美うつくしいのに反はんして、こゝでは針葉樹しんようじゆは暗緑色あんりよくしよくで、林はやしの中なかは濕氣しつきが多おほく、また木きの下したには蔭かげに耐たへる木きが生はえてゐるほかに蘚苔類こけるいも澤山たくさん生はえてゐます。

〔図〕fig54846_13.png富士山の森林帶

富士山の森林帶

こゝは、つまり、寒帶林かんたいりんで、いはゆる常緑針葉樹帶じようりよくしんようじゆたいです。それから海拔かいばつ八千尺はつせんじやくの四合目しごうめまで登のぼれば、林はやしは三度みたびその姿すがたを變かへて、常緑針葉樹じようりよくしんようじゆの林はやしは落葉針葉樹らくようしんようじゆのからまつ林ばやしとなつて來きます。そこへ來くると最早もはや寒帶林かんたいりんの終をはりに近ちかづいたことがわかります。すなはち落葉松林からまつばやしの幅はゞはごく狹せまくなつてをり、木きも小ちひさくなつてゐます。そこから上うへは再ふたゝび落葉濶葉樹らくようかつようじゆのかば類るいとかはんのき類るいとか、美うつくしい花はなが咲さくしゃくなげ等などの小ちひさく低ひくい植物しよくぶつが生育せいいくしてゐます。

この灌木帶かんぼくたいを過すぎて六合目ろくごうめの海拔かいばつ九千尺くせんじやくのところにつきますと、そこは最早もはや森林帶しんりんたいの境目さかひめで、そこから草本帶そうほんたいとなるのですが、富士山ふじさんには日本につぽんアルプスの諸高山しよこうざんで見みるような、お花畠はなばたけは見みられません。こゝからは岩石がんせきと砂礫されきの道みちを一歩々々いつぽ〱踏ふみすゝんで、つひに海拔かいばつ一萬二千餘尺いちまんにせんよしやくの絶頂ぜつちようへたどりつくわけです。

富士ふじに限かぎらず、ほかの高山こうざんに登のぼるときでも、今いまお話はなししたような森林植物帶しんりんしよくぶつたいをつぎ〱に見みきはめることが出來できます。富士山ふじさんはほとんど海面かいめんからそびえ立たつてゐると見みてもよいのですが、しかし、山やまによつてはじめから土臺どだいの高たかいところでは、山麓さんろくに草原くさはらがなく、麓ふもとからすぐに喬木きようぼくの林はやしに入いることも出來できませうし、北きたへ行ゆけば行ゆくほど、たとひ低ひくい山やまでも温帶林おんたいりん、寒帶林かんたいりん、灌木帶かんぼくたい、草本帶そうほんたいと、高たかさに從したがつて、それ〲生はえてる植物しよくぶつが變かはつて行ゆくのが目めにつきます。

山やまの動物どうぶつ

(一)山やまの獸けもの

日本につぽんは南北なんぼくに長ながく續つゞいてゐて、ところによる氣候きこうの變化へんかもいろ〱ですから、動物どうぶつもまた、いろ〱なものが棲すんでゐます。野生やせいの獸けものだけでも、二百六十八種にひやくろくじゆうはつしゆ、牛うしや馬うまその他ほか家畜かちく動物どうぶつは十六種じゆうろくしゆもゐますが、こゝでは山やまに棲すむ動物どうぶつについて少すこしくお話はなししませう。山やまや野のには、二百六十八種にひやくろくじゆうはつしゆもの動物どうぶつがゐるといひましたが、しかしわれ〱が實際じつさいに山やまを歩あるく場合ばあひは、めったにさういふ動物どうぶつに出であはすものではありません。登山者とざんしやが熊くまにぶつかるなどといふことは、さう〱あるものではないのです。しかし、本州ほんしゆう、四國しこく、九州きゆうしゆうの山やまにわたつてくま、ゐのしゝ、しか、かもしか等などの大おほきな獸けものが棲すんでゐるのは事實じじつです。

熊くまは本州ほんしゆうの山やまに産さんするものは、アジア大陸たいりくに産さんする黒熊くろぐまの變種へんしゆです。秩父ちゝぶの山やまや駿河するが、甲斐かひ、信濃しなの、相模さがみ、越中えつちゆう、越後等えちごなどの山中さんちゆうにをり、木きの實みややまぶどうを好このんで食たべてゐます。

北海道ほつかいどうの熊くまは、みんな羆あかぐまの種類しゆるいで内地ないちに棲すんでゐる熊くまとは異ちがひます。からだ全體ぜんたいが黒くろく顏かほだけが茶色ちやいろのや、肩かたから胸むねに白しろい斑まだらのあるのもゐます。木登きのぼりも水泳みづおよぎも非常ひじように上手じようずです。食物しよくもつはおもに夜よる出でて草くさの根ね、果實かじつ、魚うを、かに等などをとり、ときには人里ひとざとへ來きて、家畜かちくをかすめとつていくこともあります。

野猪ゐのしゝは形かたちが豚ぶたに似にて全身ぜんしん黒褐色こつかつしよくのあらい毛けでおほはれてをり、頸くびが短みじかいので駈かけだすと急きゆうには方向ほうこうを變かへられない動物どうぶつです。猪ゐのしゝの牙きばは犬齒けんしの發達はつたつしたもので、この牙きばで獲物えものを引ひっかけたり、敵てきを防ふせいだりします。夜よるになると方々ほう〲を歩あるき廻まはつて、筍たけのこ、松茸まつたけ、芋いも、稻いね、大豆等だいずなどの農作物のうさくぶつをあらしたり、木きの實みを食くひ、野鼠のねずみ、兎うさぎなども捕とらへて餌食ゑじきにします。

鹿しかはみなさんもよく見みてご存ぞんじでせう。鹿しかは本州ほんしゆう、四國しこく、九州きゆうしゆう、朝鮮等ちようせんなどに廣ひろく分布ぶんぷしてゐます。牡鹿をじかは牝鹿めじかより少すこし大おほきく、頭部とうぶに角つのを持もつてゐます。この角つのは毎年まいねんほゞきまつた時期じきに一囘いつかい落おち、翌年よくねんまた生はえます。年としを經へるにしたがつて叉状またじようにわかれますが三本角さんぼんづの以上いじようにはなりません。また鹿しかは春はると秋あきとの二囘にかい毛けをかへます。われ〱が『鹿かの子こ』とよんでゐる斑まだらのある毛けは夏毛なつげのときのものです。食物しよくもつは春はる、樹木じゆもくの若芽わかめが出でると好このんで食たべ、また汁しるの多おほい草くさも食たべますが、夏なつになつて草木くさきが生長せいちようすると穀物こくもつやそば等などを食たべ、寒さむくなつて木きの葉はや草くさが萎しほれると森林内しんりんないでぶな、かし、くりの木きの實みを食たべたりします。

日本につぽんの狐きつねは日本につぽん固有こゆうのもので山やまの穴あなに棲すんでゐます。體からだは二尺にしやくぐらゐで尾をが長ながく、からだの半分はんぶん以上いじようもあります。食物しよくもつは主おもに野鼠のねずみですが、人家じんかに近ちかいところでは鷄にはとりなどを掠かすめることもあります。しかし近頃ちかごろは狐きつねの毛皮けがはで帽子ぼうし、首卷くびまきなどが造つくられます。米國べいこくから移入いにゆうして飼養しようされてゐるものもあります。

狸たぬきは俗ぞくにむじなともいひますが、これは地方ちほうによつてさういふのでたぬきもむじなと同おなじです。また穴熊あなぐまのことをむじなとよぶ地方ちほうもあり、夏時なつどきのたぬきのことをむじなといふところもあります。狸たぬきの毛皮けがはは大變たいへん役やくに立たつもので、値段ねだんも高たかいのです。狐きつねや狸たぬきは昔むかしは人ひとを化ばかすものと信しんじられたりしましたが、決けつしてそんなばかげたことがあり得うるわけもありません。狸たぬきは性質せいしつが極きはめて臆病おくびようで、人間にんげんにも慣なれ易やすい有用ゆうような動物どうぶつです。

以上いじようのほか北海道ほつかいどうにはおほかみが少すこし殘のこつてゐます。内地ないちでいふおほかみはやまいぬのことです。また内地ないちの山やまにゐるやまねこは家猫いへねこの逃にげて、いつのまにか山やまの生活せいかつに慣なれてしまつたものなのです。

次つぎに山やまに棲すむ面白おもしろいけものにむさゝびといふものがゐます。四肢よつあしをひろげて木きから木きへ飛とびわたりますが、鳥とりのように上うへへは飛とべません。枝えだから枝えだへ飛とび下さがるだけです。これは北方ほつぽうに棲すむものほど毛けの色いろが薄うすいのですが、南方なんぽうのものは濃こい。きつね、たぬき、てん、のうさぎ、むさゝび、りす等など山やまに棲すむけものはどこにゐるのでも毛皮けがはは役やくに立たちますが、特とくに北方ほつぽうに棲すむものほど、質しつがいゝのです。

縁日えんにちでよく赤あかい目めをしたかわいゝ、白しろや斑ぶちのうさぎを賣うつてゐるのを、みなさんも、たびたびごらんになつたでせう。しかし山やまには褐色かつしよくのうさぎがゐます。日本につぽんの山やまのうさぎには二通ふたとほりあつて、その一ひとつは平常へいじよう褐色かつしよくをしてゐますが、冬ふゆになると眞白まつしろに變かはるもの、も一ひとつは一年中いちねんじゆう通とほして褐色かつしよくのものです。冬ふゆ白しろくなる兎うさぎは越後兎えちごうさぎといつて寒さむい國くにの雪ゆきの降ふる地方ちほうに棲すんでゐます。つまり兎うさぎは外敵がいてきに弱よわい動物どうぶつですから、冬ふゆ雪ゆきが降ふつて野山のやまが眞白まつしろになれば自分じぶんのからだをも同おなじように白しろくして外ほかから容易よういに見みつからないようにするのです。かういふ風ふうに自分じぶんで自分じぶんを保護ほごするために外界がいかいの物ものの色いろと同おなじ色いろをもつ、その色いろのことを『保護色ほごしよく』といひます。

(二)山やまの鳥とり

高原こうげんや高山こうざんに登のぼる途中とちゆう、鳥とりがわれ〱の足音あしおとに驚おどろいて、ふいに飛とび立たつことがあります。その羽はばたきには、初はじめの間あひだこそ、こちらでもびっくりしますが、しかしだん〱進すゝむにしたがつて、むしろ鳥とりが飛とびたつのも、道連みちづれが出來できたように懷なつかしくなるものです。殊ことに信州しんしゆうあたりの高原こうげんをかっこうの聲こゑを聞ききながら歩あるいたり、濶葉樹林かつようじゆりんの涼すゞしい林間りんかんを登のぼつたりするときには、鳥とりによびかけられるような氣きがしてこちらからもかっこうと返事へんじがしたいくらゐです。かっこうは山やまの鳥とりでもわりに人里近ひとざとちかい平地へいちにゐます。

かっこうはほとゝぎすの類るいで𤍠帶ねつたいに棲すむものですが、夏なつになると北方ほつぽうの涼すゞしい地方ちほうへやつてくるのです。中なかには日本につぽんを通とほり過すぎて、もっと北きたの國くにへまで行ゆくのもあります。じひしんちょう(慈悲心鳥じひしんちよう)の聲こゑは山中さんちゆうでなければ聞きかれません。これは背せに灰黒色かいこくしよく、胸むねと腹はらが淡赤茶色うすあかちやいろで、同おなじその部分ぶぶんの白しろいほとゝぎすやかっこうと區別くべつすることが出來できます。木曾きその御嶽おんたけや日光につこうにもゐます。

次つぎに澄すみ切きつた朗ほがらかな聲こゑで鳴なくぶっぽうそう(佛法僧ぶつぽうそう)はきつゝきの類るいで、形かたちは烏からすに似にてゐますが、大おほきさはその半分はんぶんもありません。羽毛うもうは藍緑色あゐみどりいろで、翼つばさと尾をとが菫色すみれいろを帶おびてゐます。飛とぶときはその翅はねが實じつに美うつくしい色いろに閃ひらめきます。この鳥とりは羽はねも綺麗きれいですが、鳴なき聲ごゑも美うつくしく、「ぶっ、ぽう、そう」と鳴なきつゞけます。三河みかはの鳳來寺山ほうらいじさんと高野山こうやさん、比叡山ひえいざんの三箇所さんかしよだけにゐる靈鳥れいちようで、決けつして姿すがたを見みせず、聲こゑが聞きこえるだけだといひますが、もとは𤍠帶ねつたいの鳥とりで、遠とほく渡わたつてくるのですから以上いじようの三みつつの山やまばかりでなく、ほかの深山しんざんにもゐるにちがひありません。

ふくろ(鶚がく)は體からだが一尺いつしやくもあり、暗褐色あんかつしよくの羽毛うもうを趾あしまでかぶつてゐます。翅はねが非常ひじように軟やはらかですから飛とぶときに音おとがしません。晝ひるは木きの洞穴ほらあなや岩いはの隙すき間まなどにひそんでゐますが、夜よるになると飛とび出だして、大おほきな目玉めだまをぎょろ〱させて鼠ねずみなどをさらつてあるき、薄氣味うすきみの惡わるい聲こゑで「ほう、ほう」と、鳴なきます。

この鳥とりは食物しよくもつの中なかで不消化ふしようかなものがあれば嗉嚢そのうの中なかでまるめて、口くちから吐はき出だすから、巣すの下したには、かならず、さうした團子だんごのような塊かたまりが積つもつてゐます。みゝづくはとらふづくの類るいで、獸けもののような顏かほで、耳みゝのようなものが立たつてゐます。しかしこれは耳みゝたぶではなく、實じつは毛けが立たつてゐるだけなのです。しかし、その下したには耳みゝの孔あながありますから、その立たつてゐる羽はねのために、いくらか聞きこえがいゝかと思おもはれます。羽はねは淺黄色あさぎいろに暗褐色あんかつしよくの條紋じようもんがあるので、とらふといふ名ながついてたのでせう。この鳥とりについて面白おもしろいことは、鳩はとやかさゝぎ、栗鼠等りすなどの造つくつた、古ふるい巣すにはひつて卵たまごを産うむことです。

高山こうざんのはひまつ帶たいにはらいちょう(雷鳥らいちよう)といふものがゐます。晴天せいてんには草くさむらにかくれて出でて來きませんが、曇くもつた日ひなどには、とんで來きて驚おどろかされることがあります。鳴なき聲ごゑも雷らいのように強つよく、いかにも高山こうざんの頂いたゞきに棲すむ鳥とりにふさはしい丈夫じようぶそうな鳥とりです。大おほいさは鳩はとよりも大おほきく、夏なつの間あひだは翅はねと尾をの一部いちぶをのぞくほかは、全部ぜんぶ黒褐色こつかつしよくで、冬ふゆになると雪ゆきと見誤みあやまられるように白色はくしよくに變かはります。これは寒國かんこくに棲すむ兎うさぎが冬ふゆの間あひだ眞白まつしろになるのと同おなじ保護色ほごしよくです。雷鳥らいちようははひまつの芽めや高山植物こうざんしよくぶつの若芽わかめや實みを食物しよくもつとしてゐます。性質せいしつは遲鈍ちどんですから、人ひとが近寄ちかよつても容易よういに逃にげません。杖つゑで叩たゝけば落おとせそうな低ひくい空そらを、うろ〱飛とび廻まはつてゐます。また高山こうざんに特有とくゆうなものに、いはつばめ、いはひばり等などもゐます。

(三)山やまの魚うを

山岳さんがくの溪流けいりゆうにはあまり目めにふれませんが、やはり特有とくゆうの魚うをがゐます。いはな、やまめ、うぐひ、あゆ等などはその中なかの主おもな魚うをで、高山こうざんの水みづが清きよく澄すみきつてるように、その肉にくも、くさみがなく、味あぢがいゝ。いはなややまめは𧮾谷けいこくを流ながれる激流げきりゆうの中なかで、はつらつと泳およいでをり、二三尺にさんじやくも空そらに飛とび上あがるほどの元氣げんきものです。水みづの澄すんだところでは、鈎はりの先さきへ雷鳥らいちようの羽毛うもうかそれがなければ、鷄にはとりの羽毛うもうでもくゝりつけて下おろすと釣つれます。濁にごつてるところでは餌ゑづりをするのですが、釣つり竿ざをは長ながく丈夫じようぶなものがいゝようです。いはなは色いろが少すこし黒くろく腹はらに赤あかい點てんがあり、やまめは色いろが白しろく縱たてに美うつくしい藍色あゐいろの條すぢがあります。またやまめの口くちはいはなより少すこし尖とがつてゐて、大おほきさは共ともに七八寸しちはつすんがとまりです。日本につぽんアルプスの上高地かみこうちの梓川あづさがはには、もといはなで、足あしが滑すべるといはれたほど澤山たくさんゐたものですが、近頃ちかごろはだんだん減へつて來きたようです。これは鹽燒しほやき、てんぷら、煮につけ、刺さし身みなどになり、鑵詰かんづめにあきた登山者とざんしやにとつて何なによりの珍味ちんみです。

以上いじよう私わたしがお話はなしして來きたことは、山林さんりんはわれ〱人間にんげんにとつては大變たいへんに關係かんけいが深ふかく、いろいろの意味いみでずいぶん役やくに立たつてゐること、それから有用ゆうような樹木じゆもくのこと、日本につぽんの森林帶しんりんたいの話はなし、山やまに棲すむ獸けものや鳥とりや小魚こうをのお話はなしでした。これでみなさんも山やまに關かんするいろ〱なことを覺おぼえられたので、折をりがあつたら高たかい山やまにも登のぼつて實際じつさいについて見みられると、一層いつそう興味きようみがあるでせう。――(終)――

底本 / Source edition

底本:「山の科学」復刻版日本児童文庫、名著普及会
1982(昭和57)年6月20日発行
底本の親本:「山の科學」日本兒童文庫、アルス
1927(昭和2)年10月3日発行
※「熱」と「※[#「執/れんが」、U+24360]」の混在は、底本通りです。
※底本は旧字旧仮名づかいです。なお拗音、促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。
※岡落葉(1879(明治12)年7月19日~1962(昭和37)年2月1日)の挿絵を同梱しました。
入力:しだひろし
校正:POKEPEEK2011
2015年12月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/054846_001555/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/054846_001555/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/054846_001555/

本多 静六「森林と樹木と動物」(旧字旧仮名)、底本『山の科学』復刻版 日本児童文庫、名著普及会、1982年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 054846_001555, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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