Soranoha

芸術としての探偵小説

げいじゅつとしてのたんていしょうせつ

野村 胡堂

捕物作家である私は探偵小説のファンとしての立場から、探偵小説に対する私見を述べてみたいと思う。

探偵小説も芸術である以上――私はそういう前提のもとに話をすすめる――殺人のトリックだけに溺れ、人間性を描くことを忘れ、徒いたずらに技巧のみに走ることは探偵小説にとってまことに危険なことと云わねばならない。

私が、今後の探偵小説に望みたいことは次の三点に要約される。

一、技巧に溺れないザングリした、しかも芸術的に高度なもの。

二、コナン・ドイル風な、緻密な味とトリック。

三、ルブラン風な傾向のもの。

要するに、こね廻した殺人技術は邪道だと思う。そして、人間の生活や心理的なものが描かれていなければ面白くない。そういう意味で、「かむなぎうた」は悪くないと思う。但し、科学的な緻密さのないのが欠点。

現在の探偵小説の傾向として非常に都会的になり易いという欠点がある。かつて私が報知新聞社時代、懸賞小説の選をしたことがあったが、三〇〇〇篇という厖大ぼうだいな作品のうち九九%までが、全く同じような筋を持ったものであった。つまり、ナイトである与太者と清純可憐なる女給、それに金持の敵役、といった、いわば「午後五時過ぎ」にはたらく人々がきまって登場するという、実に馬鹿馬鹿しい話であった。探偵小説でも同様で、そういった傾向は全く軽蔑すべきものであることを知らなければいけない。もっとあらゆる階級のあらゆる生活の中へ入り、違った角度から題材を捉えるべきだと思う。

入選作の「黄色の輪」はこしらえ物の感じがし、「罪深き死の構図」には、何となく病的な歪みが感じられた。また三十六人集全体の感じとしては、文章がトゲトゲしていて荒い。もっと温みと柔らかさが欲しい。名文と思われるものが一篇もなかったが、その点、もっと先輩諸氏に学ぶべきだと思う。

然しかしながら、ここに三十六篇一応読めるものが集ったということは、まことに慶賀すべきであって、探偵小説界に新人輩出の希望が明るく感じられる。(談)

底本 / Source edition

底本:「野村胡堂探偵小説全集」作品社
2007(平成19)年4月15日第1刷発行
底本の親本:「別冊宝石」
1950(昭和25)年4月
初出:「別冊宝石」
1950(昭和25)年4月
入力:ばっちゃん
校正:阿部哲也
2014年1月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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野村 胡堂「芸術としての探偵小説」(新字新仮名)、底本『野村胡堂探偵小説全集』作品社、2007年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 054834_001670, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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