Soranoha

銭形平次捕物控

ぜにがたへいじとりものひかえ

野村 胡堂

一

「親分、あつしは、氣になつてならねえことがあるんだが」

「何だい、八、先刻から見て居りや、すつかり考へ込んで火鉢へ雲脂ふけをくべて居るやうだが、俺はその方が餘つ程氣になるぜ」

捕物の名人錢形の平次は、その子分で、少々クサビは足りないが、岡ツ引には勿體ないほど人のいゝ八五郎の話を、かうからかひ氣味に聞いてやつて居りました。

遲々ちゝたる春の日、妙に生暖かさが睡りを誘さそつて、陽が西に廻ると、義理にも我慢の出來なくなるやうな薄霞うすがすんだ空合でした。

「ね、親分、あつしは、あの話を、親分が知らずに居なさる筈はねえと思ふんだが――」

「何だい一體、その話てえのは? 横丁の乾物屋かんぶつやのお時坊が嫁に行つて、ガラツ八ががつかりして居るつて話ならとうに探索が屆いて居るが、あの娘の事なら、器用にあきらめた方がいゝよ、町内の良い娘が一人づつ片附いて行くのを心配して居た日にや、命が續かねえぜ」

「冗、冗談でせう、親分、誰がそんな馬鹿なことを言ひました」

「誰も言はなくたつて、錢形の平次だ、それ位のことに目が屆かなくちや、十手て捕繩とりなはを預つて居られるかい」

「そんな馬鹿なことぢやねえんで――あつしが氣にして居るのは、親分も薄々聞いて居なさるでせうが、近頃大騷ぎになつて居る本所の泥棒――三日に一度、五日に一度、選りに選つて大家たいけの雨戸を切り破る手口は、どう見ても人間業ぢやねえ。石原の親分ぢや心もとないから、いづれは、錢形の親分に出て貰つて、何とかしなきア納まりがつくめえ――つて、先刻さつきも錢湯で言つて居ましたが、あつしもそれア其通りだ、うちの親分なら――」

「馬鹿野郎ツ」

皆まで言はせず、平次はとぐろをほぐして日向ひなたへ起き直りました。

「へえ――」

「へえ――ぢやないよ、世間樣の言ふのは勝手だが、手前までそんな事を言やがると承知しねえよ」

「相濟みません」

「本所は石原の兄哥あにきの繩張りだ、頼まれたつて俺の出る幕ぢやねえ。それに、石原の兄哥にケチなんぞ付けやがつて」

「――へエ、面目めんぼく次第も御座いません」

「馬鹿だなお前は、何て恰好だい、借金の言ひ譯ぢやあるまいし、さう二つも三つも、立て續けにお辭儀をしなくたつてよからう。それに、膝ツ小僧なんか出してさ。一體お前なんか、そんな身幅の狹い袷あはせを着る柄ぢやないよ――ウ、フ」

平次も到頭吹出して了ひました。斯うなると、何の小言を言つて居たか、自分でも判らなくなつて了ひます。

「御免下さい」

折から、入口の格子の外で、若い女の聲。

「八、ちよいと行つて見ておくれ、どうせお靜の客だらうが、生憎あいにく買物に出たやうだ」

「へエ――」

ガラツ八の八五郎は、それでも素直に立上がつて今叱られたばかりの狹い袷の前を引張り乍ら縁側から入口を覗きましたが、何を見たか、彈はじき返されたやうに戻つて來て、

「親分、た、大變」

日本一の酢つぱい顏をします。

「何だ、騷々しい」

「石原のが來ましたぜ」

「利助兄哥か」

「いえ、娘のお品さんの方で――」

「何だ、早くさう言へばいゝのに、丁寧に此方へお通しするんだ。それから、お茶を入れる支度をしてくれ、――何時までもそんなところに突つ立つてる奴があるかよ、坐つて取次ぐんだぜ、膝ツ小僧に氣を付けな、お品さんに笑はれるぢやないか」

平次は小言を言ひ乍らも、この面喰つた正直者を、庇かばふやうな眼差しで見送りました。

二

お品といふのは、石原の利助――平次と事毎に張合つた、本所の御用聞――の一人娘で、この時二十二三だつたでせう。二三年前一度縁付いて、夫に死なれて父親の許へ歸つて來ましたが、若後家といふよりは、如何にも娘々した、水の垂たれさうな美しい女振りでした。

襟の掛つた黄八丈、妙に地味な繻子しゆすの帶を狹く締めて、髮形もひどく世帶染みてますが、美しさは反かへつて一入ひとしほで、土産物の小風呂敷を、後ろの方へ愼ましく隱して、平次の前へ心持俯向うつむいた姿は、傲慢がうまんで利かん氣で、苦蟲を噛み潰したやうな顏を看板にして居る親の利助とは、似ても付かぬ優しさのある娘です。

「お品さんが來てくれるとは珍らしいネ、お靜は折惡しく買物に出かけたが、どうせ直ぐ歸るだらう、ゆつくり話して行つて構はないだらうネ」

小さい時から知つて居る平次は、ツイかう言つた、わけ隔へだてのない心持で、澁い茶などを入れてやりました。

「有難う御座います。さうもしては居られませんが、――實は折入つてお願ひがあつて伺ひました」

娘はモヂモヂして、何やら言ひ兼ねて居る樣子です。

「お品さんが、私に? へエ――何んな話かは知らないが、私に出來ることなら何なとして上げよう――何、人が居ちや言ひ憎い話? 大丈夫、お品さんも知つて居る八五郎が一人居るだけで、あとは皆な出拂つて居る。八なんざ馬みたいなもので、何を聞かしたつて構やしない――あツ、其處に居たのか、ハツハツハツハツ、こいつは大笑ひだ」

平次の高笑ひに吹飛ばされたやうに、ガラツ八は納をさまりの惡い顏を、次の間へ引込めて了ひました。

「實は親分、お聞きでせうが、あの本所の押込み騷ぎ――、昨夜は六軒目で、番場町の兩替渡世井筒屋清兵衞がやられました」

「さうだつてね、利助兄哥もさぞ心配だらう」

「それが親分、困つたことになつて了ひました。何分入られたのは六軒共大きい家ばかりで、盜られた金も少くない上、昨夜はたうとう人まで害あやめるやうなことになつたので御座います」

「ほう、それは大變」

「井筒屋の旦那が、折惡をりあしく目を覺して、縁側まで出たところを、脇差で袈裟掛けさがけに斬られたのださうで御座います」

「フム」

「さうでなくてさへ、石原のも年を取つたとか何とか、世間ではうるさく言ひますし、お上の方でも此間から、何とかやかましく仰しやいます。石原の利助が、五十近くなつて、十手捕繩を召上げられるやうな事があつては、世間へ合せる顏もないと言つて、夜の眼も寢ずに飛廻りましたが、今度ばかりは何としても手掛りがありません。あの負けん氣の父が、すつかり氣を腐くさらせて、三日前から到頭寢込んで了ふやうな始末で御座います」

「それは氣の毒な」

「今日も、平常ふだんお世話になつて居る、井筒屋の旦那が殺されたと言ふのに、行つて見ることも出來ません。子分衆に任せて、一人で氣を揉もんで居りますが、御存じの通り、身内にもあまり役に立つのもありませんので、はたで見て居る私の方が氣が詰まるやうで御座います」

お品は涙ぐましい眼を落して、暫らく聲を呑みました。

「それは、さぞお困りだらう、私に出來ることなら、して上げたいが――」

「親分、私は親に隱れて、お願ひに伺ひました。此儘放つて置けば、石原の利助の一代の名折なをれ、十手捕繩を召上げられないものとも限りません」

「――」

「日頃は親分との間に、面目くない事もあるやうに聞かないではありませんが、親分は江戸中で評判の腕利き、それに、人の難儀を默つて見てゐらつしやる性分でないことも存じて居ります。どうぞ、親子を助けると思召して、一と肌脱いでは下さいませんでせうか。親分、お願ひで御座います」

お品は何時の間にやら、疊の上へ、水仕事で少し荒れては居るが、娘らしく光澤つやのある、美しい手を落して、そつと袖口を瞼まぶたに當てました。

若々しいと言つても、御用聞の娘に育つて、一度は縁付いたこともあるお品は、かう話をさせると、筋も通り情理も立つて、隣の部屋で默つて聞いて居るガラツ八などよりは、餘程性根の確りしたところがあります。

「お品さん、よく判つた。實は兄哥あにきにすまないから、遠慮して居ただけの事で、そんな事に骨惜しみをする俺ではない、何とか角の立たないやうに、蔭から目鼻を開けて見よう――さう言ふと、この平次はひどく器量がいゝやうだが、決してそんな自惚うぬぼれの沙汰ぢやない。人が變ると見樣も變つて、飛んだ手柄をすることがあるものだ」

「有難う御座います、親分」

「まだ禮を言ふには早いよ。ところで、繩張り違ひの私では飛込んで行つても何彼と困ることがあるだらう。お品さんにも少しは手傳つて貰へるだらうネ」

「それはもう」

「女御用聞もしやれて居るだらう、ハツハツハツ、これは冗談だ」

平次は蟠わだかまりない調子でかう言ふと、お品もツイ誘さそはれたやうに、濡れた顏を擧げて、淋しくニツコリしました。

其時丁度、お靜も歸つて來た樣子。

「それぢや、あまり遲くならないうちに、一と走り番場町の井筒屋まで行つて見て來るとしよう。お品さんは大した用事もあるまいから、お靜を相手に、ゆつくり遊んで行きなさるがいゝ」

平次はガラツ八を促し立て乍ら、お靜と入れ違ひに、怪盜の跡あとを尋ねて、本所へ馳せ向ひました。

三

「錢形の親分、有難う御座いました。親分がお出で下されば曲者は捕まつたも同じことで――」

井筒屋の番頭の言葉は、追從つゐしようとばかりは聞えません。土地で兎も角、怖い者に思はれて居る石原の利助さへ來てくれないのですから、主人の命と、二三百兩の有金をやられた井筒屋にしては、その頃評判の御用聞、錢形の平次の顏を見るのは、全く救ひの神のやうなものだつたのです。

「檢屍けんしは濟んだのかい、番頭さん」

と平次。

「へエ、晝前に濟んで、主人の死體も始末いたしました。人間業らしくない泥棒が、本所中の大家を荒し廻るとは聞きましたが、まさか、人を害あやめるとは思ひませんでした」

「飛んだ災難だつたネ」

「へエ、有難う御座います。こんな事と知つたら、場所柄で、關取衆でもお願ひして置くので御座いました」

平次は番頭の愚痴ぐちに追つ掛けられ乍ら、何彼と見て廻りました。家族はかなり多勢ですが、打ちのめされたやうに、悲嘆の床の中に居る女房、まだ小さい子供達、奉公人、いづれも疑うたがはしい者は一人もなく、泥棒は明かに此間から噂に上つて居る本所荒しで、もう六軒も押入つてることですから、家の中では、何にも探しやうがあらうとは思はれません。

「濟まないが番顏さん、雨戸をすつかり締めて、昨夜泥棒が入つた時と同じやうにして貰へまいか」

「へエ〱それは、わけもないことで」

井筒屋の雨戸をすつかり閉め切ると、平次は一應外へ出て縁側を一と廻りしました。泥棒の入つたのは、南の縁側、僅かばかりの隙から鋸のこぎりを入れて、かなり大きい穴を二つまで開けた上、輪鍵わかぎも棧さんも易々と外したことはよくわかります。

平次は有合せの鋸を借りて、

「八、手前これで外から雨戸あまどを引いて見な、泥棒になつたつもりで、出來るだけ靜かにやるんだよ」

と平次。

「そんな事はやり付けないから、うまく行かないかも知れませんよ、親分」

「馬鹿野郎、そんな事をちよい〱やられてたまるものか」

平次は冗談を言ひ乍ら、家の中へ入つて、主人の寢部屋に陣取りました。

「ようがすか、親分」

「默つてゴシゴシやりな、一々斷わる泥棒なんてものはないよ」

「――」

ガラツ八は、泥棒の鋸引のこぎりびきにした雨戸へ、廻し鋸を入れて少しづつ、少しづつ引いて居ります。

白晝、四方は相當やかましい時ですが、それでも、鋸の音は手に取るやう、兩替屋の主人や番頭――日頃窃盜せつたうや押込に敏感びんかんになつて居る者が、どんなによく睡つて居たにしても、これだけの細工を知らずに居る筈はありません。

「泥棒の入つたのは曉方あけがただと言つたね、番頭さん」

と平次。

「へエ――かれこれ、寅刻なゝつ(四時)過ぎで御座いましたか、旦那樣の聲に驚いて、驅け付けた時は、雨戸は一枚開けつ放しになつて、薄明りが外から射して居りました」

「月はなかつた筈だね、昨夜ゆうべは?」

「四月の七日で御座います、お月樣は夜半にはなくなります」

平次は、薄暗い中で、其儘腕を拱こまねきました。

「八」

「へエ」

「もう澤山だよ」

「さう言はずにもう少し、あと一寸で框かまちに屆きますよ」

「馬鹿だな、そんな事をしたら雨戸は臺なしだ、泥棒ごつこはもう澤山だよ」

「さうですかね、こんなお手傳ひなら何時でもやりますよ」

「呆れた奴だネ」

四

「ところで番頭さん、あれだけの鋸引のこぎりびきが、聞えなかつたのは何う言ふわけだらう。あんな大穴を二つもあけるには、どうしたつて半刻はんときはかゝるが」

平次には腑に落ちないことばかりです。

「それがネ親分、昨夜は狸囃子たぬきばやしがひどくて、どうしても寢付かれなくつて弱つた位ですから、曉方になつてぐつすり寢込んだので御座いませう。あんな大穴を開けるのを、目敏めざといのが自慢の私が知らない筈はありません」

番頭は妙な事を言ひ出します。

「狸囃子――?」

「え、本所七不思議の一つの狸囃子で御座いますよ。こんな場所ですから、狐や狸の居るに不思議はありませんが、近頃はそれも毎晩のやうで、うつかりすると寢そびれて、曉方になつてウトウトすることが御座います」

「それは變つた話を聞くものだな、本所の狸囃子といふのは話の種にはなつて居るが、眞實ほんたうにそんなものがあるとは思はなかつたよ」

「知らない方は皆なさう仰しやいますが、一度本物を聞くと、不氣味でなか〱寢付かれるものでは御座いません」

「矢張り狸が腹鼓はらづつみでも打つと言つたことかネ」

と平次。

「そんな手輕なもんぢや御座いません。太鼓と笛で、馬鹿囃子そつくりですが、それが、遠いやうな近いやうな、陰いんに籠つたやうな、口ではちよいと申し上げ憎いやうな不思議なもので御座います」

番頭はすつかり怯おびえて居るものと見えて、この話になると妙に眼が据つて眞劍になります。

「笛まで入るのは念入りだネ、何處の森でやつて居るとか、何處の木立でやつて居るとか、大凡おほよその見當位は付くだらう」

「それが親分、不思議なんで、隨分腕に覺えのある方かたが、狸退治をやるんだと言つて、囃子の音に見當を付けて、出かけて見るんださうで御座いますが、東かと思つて出かけると、西の方から聞え、南の方のつもりで探して居ると、北に移るんださうで御座います」

「へエ、それは面白いな」

「ちつとも面白くは御座いません。私共が聞いたんでも、吾妻橋あづまばしの佐竹屋のお屋敷の邊かと思ふと、松倉の方に變り、原庭の松嚴寺しようげんじの空地かと思ふと、急に荒井町の方角に變つたりいたします。狸囃子たぬきばやしといふものは一體かうしたものなんださうで、大概の方は狸退治どころか、ヘトヘトになつて歸つて了ひます」

「いよ〱面白いな、泥棒が狸だとすると、フン捉まへると狸汁が出來るだらう。ガラツ八、一杯飮めさうだぜ」

平次はすつかり悦えつに入つて、呆氣に取られて居るガラツ八を顧みました。

「親分、狸が雨戸を破つたり、人を斬つたりするでせうか」

「そこだよ、俺にも解らなくつて弱つて居るのは」

平次はこんな氣樂な事言ひ乍ら、一度締め切つた雨戸を開けさせて、今度は、斬られた主人清兵衞の死體を、一應見せて貰ひました。

右の肩から胸へかけて、たつた一と太刀、袈裟掛けさがけに斬つた手口は、恐ろしい腕前で、とても狸や狐の仕業とは思はれません。

「親分、こいつは狸にしちや器用過ぎますぜ」

とガラツ八。

「馬鹿、世の中には、どんな狸が居るか、手前てめえなんかに解つてたまるものか」

「さうですかねえ、親分」

「ところで番頭さん、その狸囃子は、何刻ほど續くんだネ」

「宵から始まつて、夜中まで、いやどうかしたら、曉方まで續くでせう。遠くなつたり近くなつたり、あれが始まつた晩は、とても睡られるこつちや御座いません」

「根氣のいゝ狸だネ」

平次はそれつ切り默つて了ひました。狸に興味を失つたのでせう。

「八、この泥棒狸の手口は、もう少し見なきア了解らないやうだ。此間から入られた家を、一軒殘らず歩くとしよう」

「へエ――大變ですネ、そいつは」

「骨惜ほねをしみしちや、いゝ御用聞にはなれないよ。先づ默つて從ついて來な、歸りは石原の利助兄哥のところを覗いて見舞でも言つて行かう」

五

平次とガラツ八は、それから日取を逆に取つて、泥棒に入られた家を六軒、すつかり見て了ひました。

井筒屋の前に入られたのは、原庭はらにはの物持後家で、お紺といふ四十年配の金貸し、これは幸ひ怪我はありませんが、用箪笥ようだんすごと庭に持出されて、有金三十兩ばかり盜られたのを、夢にも知らなかつたと言ふ話、手口は井筒屋と同じこと、雨戸を切り開いた鋸目のこぎりめから、宵のうちから、狸囃子が聞えたことまで、そつくりその通りです、家族はお紺の外に用心棒とも手代ともなく使つて居る嘉七といふ三十男と、下女が一人。

その前に入られたのは、中の郷の長源寺ちやうげんじといふ寺、これも手口は同じことですが、奪られたのはほんの二三兩、住職がつましいので、金があるといふ評判に釣られた泥棒の失敗しくじりとわかりました。庫裏くりの雨戸の鋸目から、狸囃子が宵から聞えたことまで型の通りです。

その前は旗本、瀬川壹岐いき、松倉町の大きい屋敷ですが、身分に耻ぢて屆出もしなかつたといふことで、平次も入つて見るわけにも行きませんが、手口にも狸囃子にも變りがなかつたことは、近所の人が證明してをります。

その前は表町の酒屋、和泉屋徳次郎、これも、型の通り、ところで、一番最初に入られたのは、中の郷で、裕福に暮して居る石上左傳次といふ浪人者、二三年前まではさる大藩に仕へましたが病身なのと、殿樣が無法なので自分から退轉したといふ五十年配の人物です。家族は内儀と娘が一人、雇人は昔の草履取であつたといふ四十男が一人。

かう調べ上げて石原の利助のところへ寄つたのは、もう夜でした。

「兄哥、加減が惡いさうだな、どんな鹽梅あんばいだ」

「お、錢形のか、遠いところを、わざ〱氣の毒だつたな、なアに大した事ぢやねえが、風邪かぜを引いたのに、疲れが出たんだらう、明日あたりから、仕事の方に取りかゝらうかと思つて居る」

利助は褞袍どてらを引つかけて、長火鉢の前へ出て來ましたが、何となく勝すぐれない顏をして居ります。

「まア、大事にするがいゝ、無理をしちや後へ惡からう」

「お品の奴が心配して、醫者を呼べの、お詣りをするのと言ふが、この年まで、藥といふものを嫌ひで通した利助だ、今更そんな事をしたつて、何の足しになるものぢやねえ」

顏色は惡いが、相變らずの利かん氣で、平次もすつかり、今日の始末を打明けそびれて了ひました。

そのうちに、お品は、晩の用意をして一本つけて參ります。

「何にも御座いませんが、有合せで」

と言つたやうな取なし、これは馴れ合づくですから、平次も遠慮するやうなしないやうな、ズルズルベツタリ盃を嘗めて居ると、やがて戌刻いつゝ(八時)といふ頃。

「おや、ありや何だい――」

遠くの方から節面白く、太鼓と笛の音が聞えて來たのです。

「あ、又始まりやがつた」

石原の利助はあまり氣にする樣子もありません。

「何だいありや、兄哥」

「狸囃子たぬきばやしさ、馬鹿々々しい」

「押込の入つた晩には、必ず狸囃子が宵から聞えるつて言ふが、あの音なんだネ」

「世間ぢやそんな事を言ふが、まさか狸が泥棒と共謀ぐるになつて居るわけぢやあるめえ」

「いや、さうでないよ兄哥あにき、俺は一つ、明日は狸狩りをやらうと思ふんだが、若い者を少し貸して貰へるだらうネ」

「構はないとも、どうせ遊んで居るやうなものだ。あの泥棒と來た日には、若い者なんかの手に負へる代物ぢやねえ」

平次は間もなく暇乞いとまごひをして出ました。が、門口へお品を呼んで、何やら耳打ちすると其儘ガラツ八をつれて、神田の家とは方角違ひの、原庭の方へ道を急ぎます。

「親分、何處へ行きなさるんで」

とガラツ八。

「默つてついて來るがいゝ、狸のお宿を探すんだ」

「へエ――」

ガラツ八は澁々乍ら、平次の後から、影のやうにピタリとひつ付いて、やつてきました。

井筒屋の番頭が言つたやうに、馬鹿囃子は暫らく原庭の方から響いて居りましたが、平次が原庭へ行つた頃は、何時の間にやら方角が變つて、それが松倉の方になつて居ります。

「親分、あまりいゝ氣持ぢやないネ」

とガラツ八。

「何をつまらない、狸の方でガラツ八さんが怖こはいつて言つてるぜ、默つてついて來な」

平次は晝一度歩いた通り、原庭の金貸後家のお紺の家から逆に取つて、中の郷の石上左傳次の家まで五軒を一々調べて廻りましたが、さて何の掴つかみどころもありません。相變らず狸囃子は、何處からともなく、人を馬鹿にしたやうな長閑のどかさで聞えて居ります。

「今晩もまた、何處かへ入られるだらうが、困つたことに防ぎやうがない、ガラツ八、歸らうよ」

「へエ――」

二人は何時の間にやら大川端に出て居りました。

「明日は一つ狸退治だ。畜生ツ、その時こそ逃しはしねえぞ」

六

翌る日の狸狩りは、本所中の物笑ひの種になりました。

錢形の平次は、子分のガラツ八を伴れて神田からわざ〱やつて來ると、利助の子分を十人ばかり狩り集めて、西は大川、東は業平橋なりひらばし、南は北割下水、北は枕橋まくらばしの間を、富士の卷狩りほどの騷ぎで狩り出したものです。

平次は脚絆きやはんに草鞋わらぢと言つた裝束で、手槍を擔ぎ、子分達はさすがにそれほど大袈裟には用意しませんが、それでもいゝ若い者が、百姓一揆き見たいに、竹槍まで提ひつさげて押し廻したのですから、本所中はお祭のやうな騷ぎ。

朝から始まつて夕刻まで、藪といふ藪、林といふ林、墓地から田圃から、町家の裏、軒の下、下水の中まで探し廻りましたが、狸はおろか狐も貉むじなも飛出しはしません。見かけたのは野良犬とドブ鼠が精々、彌次馬がゾロゾロついて歩いて、江戸ツ子特有の辛辣しんらつな皮肉を浴びせるので、子分達は顏を赤くするやうな有樣です。

陽が暮れて引揚げる時、利助の子分に一分づつはずんだので、その方の惡口は封じましたが、世間の噂はまことに散々。

「見ろや、錢形とか何とか言つたつて、あの態ざまは何だい。石原の親分が病氣でなきア、あんな馬鹿なことを默つて見ちや居めえ」

「全くだよ、狸が泥棒したつて話は、開闢かいびやく以來だ。猫に小判ならわかるが、狸に小判ぢや洒落しやれにもならねえ。神田からわざ〱本所まで恥をかきに來たやうなものさ」

いやもう滅茶々々です。

平次は併し驚く樣子もなく、一向平氣な顏をして、豫期した幕切れを待つて居りました。

それから三日目、たうとうその日が來ました。

「親分、お品さんが見えましたよ」

取次ぐガラツ八をかき退けるやうに、平次は待つて居ましたと言はぬばかりに飛出しました。

「お品さん、挨拶は拔きだ、あれはどうなつた?」

「親分、たうとう出かけましたよ」

「そいつはしめたツ」

「親分に言ひ付かつた通り、押上の笛辰ふえたつの家を三日見張つて居ると、今日晝頃何處かの小僧が使に來ました」

「フムフム」

「すると笛辰は夕方からブラリと出掛けたんです。餘つ程後をつけようと思ひましたが、萬一覺さとられると藪蛇だと思つて、取敢とりあへず駕籠で此處まで馳け着けました」

駕籠で來たくせに、あまりの緊張にお品は息を切つて居ります。

「それで何もかも片附くだらう。平次の狸狩りにも、見る人が見れば理窟があるつてわけさね、お品さん」

「有難う御座います。この上はどうか、お出かけ下すつて、手配をお願ひします」

「いや、本所は石原の利助親分の繩張り内だ、大急ぎで家へ歸つて、何處までもお品さんが思ひ付いた事にして、原庭の大法寺=あの無住になつて居る荒寺=の經藏きやうざうに手を入れさせるがいゝ、狸の巣は其處だ」

「――」

「狸は弱いから、手先が二人も行けば澤山だが、金貸後家のお紺の家には凄すごいのが居るぜ。其處へは利助兄哥と、子分の者十人位で、すつかり用意をして踏込むがいゝ、此方には手強ごわいのが要いる」

「親分は」

「俺は行くまでもないだらう、狸はもう罠わなに落ちて居るんだ」

「でも」

お品はひどく心許ない樣子でしたが平次に追ひ立てられて、石原の家へ駕籠で歸りました。

七

その夜の捕物は、平次の狸狩りにもまして本所の人達を驚かせました。

大法寺の經藏に向つた二人の手先は、何の造作もなく、その中で馬鹿囃子をやつて居る、押上の笛辰と、その弟子で太鼓の上手じやうずと言はれた、三吉を縛つて來ました。

同時に金貸後家のお紺の家に向つた一味は、そんな手輕なわけに行きませんでしたが、お紺を始め、その手代の嘉七、下女のお松を、どうやら、かうやら大骨折で縛り上げました。後で聞くと、手代の嘉七は武家上りださうで、腕が仲々確かりして居たので、利助の子分に二三人怪我を拵へましたが、幸ひそれも大したことでなく濟みました。

本所を荒し廻つた大泥棒、――井筒屋の主人まで殺した曲者は、言ふまでもなくお紺とその手代の嘉七で、狸囃子たぬきばやしは、世人を惑まどはして、嘉七お紺の仕事を助ける、笛辰と三吉の仕事だつたのです。その後、與力笹野新三郎の調べに對して、嘉七は、

「へエ、誠に恐れ入りました。狸囃子を使つたのは、本所の七不思議をもじつたに相違ありませんが、實は貸本の「繪本太閤記」から思ひついたことで、日吉丸ひよしまるが、蜂須賀小六のところから、刀を盜み出すのに、三晩も續けて笠を雨落に置き、小六の心を疲らせて、曉方ウトウトとしたところへ入つて首尾よく取つたといふ術てを用ゐたので御座います。雨落の笠代りに狸囃子を使つたまでで御座いますが、もう一つ、狸囃子を聞かせたわけは、あの囃子の音に合せて、鋸のこぎりを引く上、目の覺めて居るものでも、一寸氣が付かないからで御座います」

と言つて居ります。

この手柄を一人占めにして、石原の利助はどんなに面目をほどこしたかわかりません。近頃は利助に愛想を盡かして居た笹野新三郎も、口を極めてその頭のよさを褒めました。

が、利助にしては、これほど見當の違つたことはありません。自分が何にも知らないうちに、大手柄をして居たのですから、まるで夢のやうな心持です。

娘のお品を責せめて見ると、これはもう、言ひたくて待ち構へて居たところですから、何も彼も平次の指金だ一つたことを一毫がうの隱すところなく言つて了ひました。

薄々平次の息が掛つて居るとは思ひましたが、さう判然はつきりわかつて了ふと、利助もヂツとしては居られません。手土産を用意して、神田まで一と走り。

「平次兄哥、面目次第もない。何も彼もお品から聞いたが、狸囃子の曲者を擧げさせた指金は、兄哥がやつてくれたんだつてネ」

日頃面白くない仲だけに、利助も我慢の角を折つて、疊に手を突きたい心持になります。

「兄哥、冗談ぢやない、俺は何を知るものか、狸狩りをやつて物笑ひの種を拵こしらへただけさ。曲者の巣を突き留めたのは矢張りお品さんに相違はないよ」

平次はなか〱眞實の事を言はうとしません。

「まアいゝ、折角さう言つてくれるなら、強つて聞くまい。俺の心の中だけで、兄哥の親切を忘れなきア――」

利助はこんな事を言つて、後は、お靜の手料理で酒になりました。

×      ×      ×

「親分、あつしには腑に落ちない事だらけだ、利助親分に手柄をさせた心持はまあ判るが、どうしてあの曲者がお紺の家に居ると解つたんです。後學の爲に教へておくんなさい」

とガラツ八は、利助の歸つて行く姿を見送り乍ら、平次に問ひました。

「何でもないよ、六軒の雨戸を調べると、あとの五軒は、如何にも狸囃子に合せて、半刻も一刻もかゝつて引き切つたやうに、鋸目が細かくなつて居るが、お紺の家の雨戸だけは、鋸目のこぎりめが荒くて、一氣に引つ切つたことが判つたんだ」

「成程」

「五軒も六軒も荒した曲者が、物持で通つたお紺の家へ入らないのはをかしいと思はれるから、自分の家へも入つたやうに、嘉七とお紺が細工をしたんだよ」

平次の觀察は精緻せいちをきはめます。

「ところで、大法寺の經藏でやつた馬鹿囃子が、どうしてあんなに近くなつたり、遠くなつたり、東に聞えたり、西に聞えたりしたでせう」

とガラツ八。

「尤もな疑ひだが、太鼓は風呂敷を被かぶせると音が鈍くなつて遠くの方で叩くやうに聞えるし、笛は上手になると、強くも弱くも自由に吹けるだらう」

「成程ね」

「それから、あの經藏には、入口が一つと、窓が二つある、その一つ〱を開けたり閉めたりして囃はやすと、音は酒井樣のお邸に響いたり、佐竹樣の木立に響いたり、どうかすると、大川の方へ拔けたり、いろ〱の方角に聞えるんだ。今度一つ試して見るがいゝ」

「へエ――そんな事もありますかねえ」

「まだ判らない事があるかい」

「あの日、晝一度廻つたのに、夜もう一度六軒の家を廻つたのは?」

「あれは大失策おほしくじりさ、晝は鋸目にばかり氣を取られたので、夜もう一度狸囃子をやつた場所を探しに行つたんだが、暗くて何にも判らなかつたんだ」

「狸狩りは?」

「そこで、翌る日狸狩りといふことにして、土藏か、穴藏か兎も角、何の方角へも自由に囃子の音を響かせるにいゝ場所を探したんだ。お蔭で錢形の平次は間拔になつて、石原利助が器量を上げたのよ」

「つまらない事になつたものですね」

「利助兄哥も、これで引込みが付き、俺もお品さんへの義理が濟んだといふわけさ」

平次はさう言つて豊かにガラツ八を顧みました。頭の鈍いガラツ八にも、何となく失策平次しくじりへいじの尊たふとさがわかつたやうな氣がしました。

底本 / Source edition

底本:「錢形平次捕物全集第十卷 八五郎の恋」同光社磯部書房
1953(昭和28)年8月10日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋社
1932(昭和7)年5月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2014年4月17日作成
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リリース / Release
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/054632_001670/

野村 胡堂「銭形平次捕物控──014 たぬき囃子」(旧字旧仮名)、底本『錢形平次捕物全集第十卷 八五郎の恋』同光社磯部書房、1953年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 054632_001670, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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