Soranoha

最初の印象

さいしょのいんしょう

大倉 燁子

江戸川先生に始めてお目にかかったのはもう二十年近くも前のことです。

池袋のお宅のお座敷で、先生をお待ちする間、私の心は好奇心と不安が交錯していました。

と、いうのは、その頃。

「江戸川乱歩先生のお書斎にはドクロがつるしてある。お化けの人形がぶら下っている、その無気味な雰囲気の中で、先生は深夜人の寝鎮るのを待って、蝋燭の灯で仕事をされる」等々の記事が雑誌に掲載されたり、人の噂にのぼっていたからです。

とにかく先生は普通の方ではない、だからああいう小説がお書けになるのだと私は思っていました。が、それにまた異常な魅力を感じ、いつも驚異な眼で御作を拝見していたのです。エキセントリックな方だ、とは思っていました。作品全体に漂う、幻想、怪奇、猟奇から考えても、そういう御生活をしていられるのは当然なこと、これは事実だろうと思っていました。

それから大変気難しい方だとも聞いていました。私は怖れをなして一度尻込みしてお目にかかりたいという希望を捨てようかと思ったのです。

「そんなに心配することはありません。とても親切ないい方ですよ。僕は原稿を持って行っては、教えて頂いているんですが――」

これはたった一人の先生のお弟子だと自称していたある青年が、私の心をはげましてくれた言葉でした。

そういういろいろなことを、頭に浮べながら、軽卒にお訪ねしたことを、半分後悔しながら、ぼんやりとお庭を眺めていました。

ところが、お座敷に姿をお見せ下さった先生は、ゴシップや想像を裏切って、気軽な明るい、いかにも社交的な朗らかな方なのにまずびっくりしてしまいました。

いい加減の噂はするものではない、また噂を信ずるものではない、と、つくづく思ったことでした。お目にかかった瞬間に私の不安は一っぺんに吹き飛んでしまいました。あの青年の云った言葉がほんとだったのです。

そのことを後で青年に話しましたら、青年得意になって、

「先生にはいろんな面があるから一口にこういう方だと、云いきることは出来ませんよ。僕は一度浅草にお伴をした時、公園の砂利の上に座って乞食の真似をされた。その時なんざあ絶対に明るい社交的な方とは見えませんでしたからね」

その後、いく度もお目にかかってから、この青年のあとの話は、嘘だったなと思いました。何んでも優れた方は常人でなく、変った方にして、置きたいものなのでしょう。

しかし、彼の言葉をほんととすれば、先生にはいろいろな面がおありだそうですから、お書斎での御生活はあるいはあの円満な社交とはきり離されておられるのかも知れません。それは外部のものの覗うことの出来ぬものでしょう。それからもっと、もっと面白い面も持っていらっしゃるのかも知れません。

先生を心から尊敬しほんとうに御親切な方だと思ったのは終戦後です。私はお金をつかい果して困った揚句、突然先生のところへ伺って本の出版についてお願いしたのです。時期がおそい、もう少し早かったら何んとかして上げられたのに、とおっしゃいました。私はがっかりして帰ると二三日過ぎてから、先生の御頼みである書店の主人が訪ねてくれました。私は救われたのです。時期を失してしまった私の出版について、先生がどんなにお骨折り下すったかはその書店の主人の口ぶりでも想像がつきました。

印税も一度に渡してしまうと直ぐ使ってしまうから、毎月に割って渡してやってくれとお言葉添えがあったそうです。そこまで考えて下さる御親切な方があるものか、とつくづく思いました、そして私はこの時この御親切は一生忘れまいと心に誓ったことでした。

底本 / Source edition

底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月30日初版第1刷発行
底本の親本:「別冊宝石 七巻九号」
1954(昭和29)年11月号
初出:「別冊宝石 七巻九号」
1954(昭和29)年11月号
入力:kompass
校正:門田裕志
2013年1月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/054480_001669/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/054480_001669/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/054480_001669/

大倉 燁子「最初の印象」(新字新仮名)、底本『大倉燁子探偵小説選』論創社、2011年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 054480_001669, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite