Soranoha

『老ハイデルベルヒ』序

『アルトハイデルベルヒ』じょ

太宰 治

所收――「兄たち」「愛と美について」「新樹の言葉」「老ハイデルベルヒ」「おしやれ童子」「八十八夜」「秋風記」「短篇集―ア、秋・女人訓戒・座興に非ず・デカダン抗議」「俗天使」「花燭」

昭和十四年五月に「愛と美について」さうして、昭和十五年四月には「皮膚と心」が共に竹村書房より出版せられ、おのおの初版二千部くらゐを市場に送り、間もなく品切れとなつた樣子であるが、用紙不足の爲、竹村書房に於いても再版かなはず、この二つの創作集はしばらく、絶版同樣になつてゐたのである。しかるにその後、竹村書房に對して、讀者からの直接の註文が、かなりあるので、竹村書房主はその註文を受ける度毎に憂鬱、なんとかして讀者の求めに應じたいと煩悶、あげくの果は一日、著者の陋屋をおとづれ、名案なきかと相談に及ぶ始末であつた。

もとより迂愚の著者である。名案などのある筈はない。けれども、さらに多くの讀者に自分の作品を讀んでもらひたいのは、著者たるものの、ひそかな願望にちがひない。また、なんとかして、わづかな部數でも刷つて讀者の求めに應じたいといふのも、書房主たるものの眞情であらう。竹村書房主は沈思のあげく、かうしたらどうでせう、この紙不足の折に兩書とも再版などは、とても出來るものではありませんし、この二つの著書から特に著者の氣にいりの同じ匂ひの作品ばかりを寄せ集めて一本にまとめたら、といふ意見を提出した。戰時下の、自肅再版形式とでも稱すべきか。著者もよろこんで贊意を表した。いまだ兩書を讀まぬ人だけが、買ふとよい。兩書を讀んだ人も、この新しい編輯に依つて讀み直したいと思つたら、買ふがよい。羊頭狗肉ではないつもりだ。

作品の取捨に當り、懷郷の匂ひの強い作品のみを集めるといふ事を、根本方針とした。題も「老アルトハイデルベルヒ」として置いた。「老アルトハイデルベルヒ」とは、編中の一作品の題名であるが、この書に收録されて在る一系列の作品全體に冠しても、決して不自然ではないと思つたからである。人間は誰しも、思ひ出のハイデルベルヒを持つてゐる。著者のハイデルベルヒは、この一卷の中にある。

昭和十七年櫻の頃

底本 / Source edition

底本:「太宰治全集11」筑摩書房
1999(平成11)年3月25日初版第1刷発行
初出:「老ハイデルベルヒ」竹村書房
1942(昭和17)年5月20日発行
入力:小林繁雄
校正:阿部哲也
2012年1月7日作成
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リリース / Release
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書誌 / Bibliography
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太宰 治「『老ハイデルベルヒ』序」(旧字旧仮名)、底本『太宰治全集11』筑摩書房、1999年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 054179_000035, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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