Soranoha

放浪

ほうろう

織田 作之助

一

身に覚えないとは言わさぬ、言うならば言うてみよ、大阪は二ツ井戸「まからんや」呉服店の番頭は現糞げんくそのわるい男、言うちゃわるいが人殺しであると、在所のお婆は順平にいいきかせた。

――「まからんや」は月に二度、疵ものやしみつきや、それから何じゃかや一杯呉服物を一反風呂敷にいれ、南海電車に乗り、岸和田で降りて二里の道あるいて六貫村へ着物売りに来ると、きまって現糞わるく雨が降って、雨男である。三年前にも来て雨を降らせた。よりによって順平のお母が産気づいて、例いつもは自転車に乗って来るべき産婆が雨降っているからとて傘さして高下駄はいてとぼ〱と辛気臭かった。それで手違うて順平は産れたけれど、母親はとられた。兄の文吉は月たらずゆえきつい難産であったけれど、その時ばかりは天気運が良くて……。

聴いて順平は何とも感じなかった。そんな年でもなく、寝床にはいって癖で足の親指と隣の指をこ擦り合わせていると、きまってこむら返りして痛く、またうっとりとした。度重なる内、下腹が引きつるような痛みに驚いたが、お婆は脱腸の気だとは感付かなかった。寝いると小便をした。お婆は粗相を押えるために夜もおち〱寝ず、濡れていると敲き起し、のう順平よ、良う聴きなはれや。そして意地わるい快感で声も震え、わりゃ継子やぞ。

泉北郡六貫村よろづや雑貨店の当主高峰康太郎はお婆の娘おむらと五年連れ添い、文吉、順平と二人の子までなしたる仲であったが、おむらが産で死ぬと、之倖いと後妻をいれた。之倖いとはひょっとすると後妻のおそでの方で、康太郎は評判の音無〔おとな〕しい男で財産も少しはあった。兄の文吉は康太郎の姉聟の金造に養子に貰われたから良いが、弟の順平は乳飲子で可哀相だとお婆が引き取り、ミルクで育てゝいる。お婆が死ねば順平は行きどころが無いゆえ継母のいる家へ帰らねばならず、今にして寝小便を癒して置かねば所詮いじめられる。後妻には連子があり、おまけに康太郎の子供も産んで、男の子だ。

……お婆はひそかに康太郎を恨んでいたのであろうか。順平さえ娘の腹に宿らなんだら、まからんやが雨さえ降らせなんだらと思い、一途に年のせいではなかった言うまじきことを言い聴かせるという残酷めいた喜びに打負けるのが度重って、次第に効果はあった。継子だとはどんな味か知らぬが、順平は七つの頃から何となく情けない気持が身にしみた。お婆の素振りが変になり、みる〱しなびて、死んで、順平は父の所に戻された。

ひがんでいるという言葉がやがて順平の身辺をとりまいた。一つ違いの義弟と二つ違いの義姉がいて、その義姉が器量よしだと子供心にも判った。義姉は母の躾がよかったのか、村の小学校で、文吉や順平の成績が芳しくないのは可哀相だと面と向って同情顔した。兄の文吉はもう十一であるから何とか言いかえしてくれるべきだのに、いつもげら〱笑っていた。眼尻というより眼全体が斜めに下っていて、笑えば愛敬よく、また泣き笑いにも見られた。背が順平よりも低く、顔色も悪かった。頼りない兄であったが、順平には頼るべきたった一人の人だったから、学校がひけると、文吉の後に随いて金造の家へ行くことにした。

金造は蜜柑山をもち、慾張りと言われた。男の子が無く、義理で養子にいれたが、岸和田の工場で働かせている娘が子供をもうけ、それが男の子であったから、いきなり気が変り、文吉はこき使われた。牛小屋の掃除をした。蜜柑をむしった。肥料を汲んだ。薪を割った。子守をした。その他いろ〱働いた。順平は文吉の手だすけをした。兄よ! わりゃ教場で糞したとな。弟よ、わりゃ寝小便止めとけよ。そんなことを言いかわして喜んでいた。

康太郎の眼は未だ黒かったが、しかしこの父はもう普通の人ではなかった。悪性の病をわずらって悪臭を放ち、それを消すために安香水の匂いをプン〱させていたが、そんな頭の働かせ方がむしろ不思議だとされていた。寝ていると、壁に活動写真がうつるそうであった。ある日、浪花節語りが店の前に来て語っているから見て来いといい、順平が行こうとすると、継母は呶鳴りつけて、われも狂人か。そう言って継母はにが〱し気であった。その日から衰弱はげしく、大阪生玉前町の料理仕出し屋丸亀に嫁いでいる妹のおみよがかけつけると一瞬正気になり、間もなく康太郎は息をひきとった。

焼香順のことでおみよ叔母は継母のおそでと口喧嘩した。それでは何ぼ何でも文吉や順平が可哀相やおまへんかと叔母は言い、気晴しに紅葉を見るのだとて二人を連れて近くの牛滝山へ行った。滝の前の茶店で大福餅をたべさせながらおみよ叔母は、叔母はんの香奠はどこの誰よりも一番ぎょうさんやよってお前達は肩身が広いと言い聴かせ、そしてぽんと胸をたゝいて襟を突きあげた。

十歳の順平はおみよ叔母に連れられて大阪へ行った。村から岸和田の駅まで二里の途は途中に池があった。大きな池なので吃驚した。順平は国定教科書の「作太郎は父に連れられて峠を……」という文句を何となく想出したが、後の文句がどうしても頭に泛んで来なかった。見送るといって随いて来た文吉は、順平よ、わりゃ叔母さんの荷物もたんかいやとたしなめた。順平は信玄袋を担いでいたが、左の肩が空いていたのだ。文吉の両肩には荷物があった。叔母はしかし、蜜柑の小さな籠をもっているだけで、それは金造が土産にくれたもの、何倍にもなってかえる見込がついていた。

岸和田の駅から引返す文吉が、直きに日が暮れて一人歩きは怖いこっちゃろと叔母は同情して五十銭呉れると、文吉は、金はいらぬ、金造伯父がわしの貯金帳こしらえてくれていると言って受取らず、帰って行った。そんなことがあるものか、文吉は金造に欺されている、今に思い知る時があるやろと、電車が動き出して叔母は順平に言った。はじめて乗る電車にまごついて、きょろ〱している順平は、碌々耳にはいらなかった。電車が難波に着くと、心に一寸した張りがついた。大阪へ行ったらしっかりせんと田舎者やと笑われるぞと兄らしくいましめてくれた文吉の言葉を想出したのだ。

叔母の家についた。眩い電灯の光でさま〲な人に引き合わされたが、耳の奥がじーんと鳴り、人の顔がすッーと遠ざかって小さくなったり、いきなりでっかく見えたり、想いに反して呆然としていた。しッかりしよと下腹に力をいれると差し込んで来て、我慢するのが大変だった。香奠返えしや土産物を整理していた叔母が、順ちゃんよ、お前の学校行きの道具はときくと、すかさず、こゝにあら。信玄袋から取出してみせ、はじめて些か得意であった。然るに「こゝにあら」がおかしいと嗤われて、それは叔母の娘で、尋常一年生だから自分より一つ年下の美津子さんだとあとで知った。美津子は蝨〔しらみ〕を湧かしていてポリ〱頭をかいていたが、その手が吃驚するほど白かった。

遅い夕飯が出された。刺身などが出されたから間誤付いて下をむいたまゝ黙々とたべ終り、漬物の醤油の余りを嘗めていると、叔母は、お前は今日から丸亀のぼんちやよってそんなけちんぼな真似せいでも良えといい、そして女中の方を向いてわざとらしい泪を泛べた。酒をのんでいた叔父が二こと三こと喋ると叔母は、猫の子よりましだんがナと言った。ふんと叔父はうなずいて、えらい痩せとおるが、こいでもこの年になりよるまで二石位米は喰ろとるやろと言った。

さっぱりした着物を着せられたが、養子とは兄の文吉のようなものだと思っていた身に、何かしっくりしない気持がした。買喰いの銭を与えられると、不思議に思った。田舎の家は雑貨屋で、棒ねじ、犬の糞、どんぐりなどの駄菓子を商っているのに、手も出せなかったのだ。一と六の日は駒ヶ池の夜店があり、丸亀の前にも艶歌師が立ったり、アイスクリン屋が店を張ったりした。二銭五厘ずつ貰って美津子と夜店に行く時は、帯の中に銅貨をまきこんで、都会の子供らしい見栄を張った。しかし、筍をさかさにした形のアイスクリンの器をせんべいとは知らず、中身を嘗めているうちに器が破けてハッとし、弁償しなければならぬと蒼くなって嗤われるなど、いくら眼をキョロ〱させていても、やはり以後かたくいましめるべき事が随分多かった。

ある日、銭湯へ行くとて家を出た。道分ってんのかとの叔母の声をきゝ流して、分ってまんがナ。流暢に出た大阪弁に弾みづけられてどん〱駆け出し、勢よく飛び込んでみると、おやッ! 明るいところから急に変った暗さの中にも、大分容子が違うとやがて気が付いて、わいは……、わいは……、あと声が出ず、いきなり引きかえしたが、そこは銭湯の隣の菓物あかもん屋の奥座敷で、中風で寝ているお爺がきょとんとした顔であと見送っていた。表へ出ると、丁度使いから帰って来た滅法背の高いそこの小僧に、何んぞ用だっかと問われ、いきなり風呂銭にもっていた一銭銅貨を投げ出し、ものも言わずに蜜柑を一つ掴んで逃げ出した。こともあろうにそれは一個三銭の蜜柑で、その時のせわしない容子がおかしいと、ちょく〱丸亀の料理場へ菓物を届けに来るその小僧があとで板場(料理人のこと)や女中に笑いながら話し、それが叔父叔母の耳にはいった。お前、えらいぼろい事したゆうやないか。叔母にその事をいわれると、順平はぺたりと畳に手をついて、もう二度と致しまへん。うなだれ、眼に涙さえ泛べた。滑稽おちょけ話の積りであった叔母はあっ気にとられ、そんな順平が血のつながるだけにいっそいじらしく、また不気味でもあったので、何してんねんや、えらいかしこまって。そう言って、大袈裟に笑い声を立てた。叱られているのではなかったのかと、ほっとすると、順平は媚びた笑いを黄〔きいろ〕い顔に一杯浮べて、菓物あかもん屋のお爺がぼんぼんは何処さんの子供衆や、学校何年やときいたなどとにわかに饒舌になった。が、菓物屋のお爺というの、唖であり、間もなく息をひきとった。

尋常五年になった。誰に教えられるともなく始めた寝る前の「お休み」がすっかり身についていた。色が黒いとて茶断ちしている叔母に面と向って色が白いとお世辞を言うことも覚えた。また、しょっちゅう料理場でうろ〱していて、叔父からあれ取れこれ取ってくれと一寸した用事を吩咐〔いいつけ〕られるのを待つという風であった。気をくばって家の容子を見ている内に、板場の腕を仕込んで行末は美津子の聟にし身代も譲っても良いという叔父叔母の肚の中が読みとれていたからである。

叔父は生れ故郷の四日市から大阪へ流れて来た時の所持金が僅か十六銭、下寺町の坂で立ちん坊をして荷車の後押しをしたのを振出しに、土方、沖仲士、飯屋の下廻り、板場、夜泣きうどん屋、関東煮の屋台などさま〲な職業を経て、今日、生国魂神社前に料理仕出し屋の一戸を構え、自分でも苦労人やと言いふらしているだけに、順平を仕込むのにも、一人前の板場になるには先ず水を使うことから始めねばならぬと、寒中に氷の張ったバケツで皿洗いをさせ、また二度や三度指を切るのも承知の上で、大根をむかせてけん(刺身のつま)の切り方を教えた。庖丁が狂って手を切ると、先ず、けんが赤うなってるぜといわれた。手の痛みはどないやとも訊いてくれないのを、十三の年では可哀相だと女子衆の囁きが耳にはいるまゝに、やはり養子は実の子と違うのかと改めて情けない気持になった。

叔父叔母はしかし、順平をわざ〱継子〔ままこ〕扱いにはしなかった。そんな暇もないといった顔だった。奇体〔けったい〕な子供だと思っても、深く心に止めなかった。商売柄、婚礼料理、町内の運動会の弁当、念仏講の精進料理などの註文が命だったから、近所の評判が大事だった。生国魂神社の夏祭には、良家のぼん〱並みに御輿かつぎの揃いの法被〔はっぴ〕もこしらえて呉れた。そんな時には、美津子の聟になれるという希望に燃えて、美津子を見る眼が貪慾な光を放ち、ぼん〱みたいに甘えてやろ、大根を切る時庖丁振り舞〔まわ〕して立ち廻りの真似もしてみたろ、お菜の苦情言うてみたろ、叔父叔母はどんな顔するやろと思うのだったが、順平は実行しかねた。その頃、もう人に感付れた筈だが、矢張り誰にも知られたくない一つの秘密、脱腸がそれと分る位醜くたれ下っていることに片輪者のような負け目を感じ、これあるがために自分の一生は駄目だと何か諦めていた。想い出すたびに、ぎゃあーと腹の底から唸り声が出た。ぽか〱ぺん〱うら〱〱と変なひとり言も呟いた。

ある日、美津子が行水をした。白い身体がすくっと立ち上った。あっちィ行きィ。順平は身の置き場の無いような恥しい気持になった。夜想出すと、急に、ぽか〱ぺん〱うら〱〱。念仏のように唱えた。美津子にはっきり嫌われたと蒼い顔で唱えた。近所のカフェーから流行歌が聞えて来た。何がなし郷愁をそゝられ、文吉のことなども想出し泣いたろ、そう思うとする〱と涙がこぼれて来て存分に泣いた。二度と見ない決心だったが、翌くる日、美津子が行水しているとそわ〱とした。そんな順平を仕込んだのは板場の木下である。

板場の木下は、東京で牛乳配達、新聞配達、料理屋の帳場などしながら苦学していたが、大震災に逢い、大阪へ逃げて来たと言った。汚い身装りで雇われて来た日、一緒に風呂へ行ったが、木下が小さい巾着を覗いて一枚々々小銭を探し出すのを見て同情し、震災の時火の手を逃れて隅田川に飛び込んで泳いだ、袴をはいた女学生も並んで泳いでいたが、身につけているものが邪魔になって到頭溺死しちゃったという木下の話をきくと、順平は訳もなく惹き付けられ、好きになった。大阪も随分揺れたことだろうなと、長い髪の毛にシャボンをつけながら木下が問うと、えらい揺れたぜと順平はいい、細ごま説明したが、その日揺れ出した途端未だ学校から退〔ひ〕けて来ない美津子のことに気がつくと、悲壮な表情を装いながら学校へ駆けつけ、地震怖かったやろ、そういって美津子の手を握ったら、何んや、阿呆らしい、地震みたいなもん、ちょっとも怖いことあーらへんわ、そして握られた手はそのまゝだったが、奇体な順ちゃん、甚平さん(助平のこと)と言われて随分情けなかったなどとは、さすがに言わなかった。

女学生の袴が水の上にぽっかりひらいて……という木下の話は順平の大人を眼覚ました。弁護士の試験をうけるために早稲田の講義録をとっているという木下は、道で年頃の女に会うときまって尻振りダンスをやった。順平も尻を振って見せ、げら〱笑い、そしてあたりを見廻した。

ある時、気がついてみると、こともあろうに女中部屋にたゝずんでいた。あくる日、千日前で「海女の実演」という見世物小屋にはいり、海女の白い足や晒〔さらし〕を巻いた胸のふくらみをじっと見つめていた。そして又、ちがった日には、「ろくろ首」の疲れたような女の顔にうっとりとなっていた。十六になっていた。二皮目だから今に女泣かせの良い男になると木下に無責任な賞め方をされて、もう女学生になっていた美津子の鏡台からレートクリームを盗み出し顔や手につけた。匂いを感づかれぬように、人の傍によらぬことにした。が、知れて、美津子の嘲笑を買ったと思った。二皮目だと己惚れて鏡を覗くと、兄の文吉に似ていた。眼が斜めに下がっているところ、おでこで鼻の低いところ、顔幅が広くて顎のすぼんだところ、そっくりであった。ひとの顔を注意してみると、皆自分よりましな顔をしていた。硫黄の匂いする美顔水をつけて化粧してみても追っ付かないと思い諦めて、やがて十九になった。数多くある負目〔ひけめ〕の上に容貌のことで、いよいよ美津子に嫌われるという想いが強くなった。

たゞ一途にこれのみと頼りにしている板場の腕が、この調子で行けば結構丸亀の料理場を支えて行けるほどになったのを、叔父叔母は喜び、当人もその気でひたすらへり下って身をいれて板場をやっている忠実めいた態度が然し美津子にはエスプリがないと思われて嫌に思っていたのだった。容貌は第二でその頃学校の往きかえりに何となく物をいうようになった関西大学専門部の某生徒など、随分妙な顔をしていた。しかし、此の生徒はエスプリというような言葉を心得ていて、美津子は得るところ少くなかった。3√と封をした手紙をやりとりし、美津子の胸のふくらみが急に目立って来たと順平にも判った。うか〱と夜歩きを美津子はして、某生徒に胸を押えられ、ガタ〱醜悪に震えた。生国魂神社境内の夜の空気にカチ〱と歯の音が冴えるのであった。やがて、思いが余って、捨てられたらいやゝしと美津子は乾燥した声でいい、捨てられた。

日が経ち、妊娠していると親にも判った。女学校の卒業式をもう済ませていることで、両親は赤新聞の種にならないで良かったと安堵した。ある夜更け美津子の寝室の前に佇んでいたといわれて、嫌疑は順平にかゝった。順平は何故か否定する気にもならなかったが、しかし、美津子を見る目が恨みを呑んだ。雨の夜、ふら〱と美津子の寝顔に近づいたが、やはり無謀だった。美津子の眼は白く冴えて、怖ろしく、狂暴な血が一度にひいた。

丸亀夫婦は美津子から相手は順平でないと告げられると、あわてゝ、頗る改って順平を長火鉢の前へ呼び寄せ、不束な娘やけど、貰ってくれといった。順平はハッと両手をついて、ありがとうございますと、かねてこの事あるを予期していた如き挨拶であった。見れば、畳の上にハラ〱と涙をこぼし眼をこすりもしないで、芝居がかった容子であるから、丸亀夫婦も舞台に立ったような思いいれを暫時した。一杯行こうと叔父の差し出す盃を順平はかしこまって戴き、呑み乾して返えす。それだけの動作の間にも、しーんとした空気が張っていた。その空気が破れたかと思うと、順平は、阿呆の自分にもこれだけは言わしてほしい言葉、けれど美津子さんは御承諾のことでっかと、律気めいた問い方をした。尼になる気持で……などと言うたら口を縫いこむぞといゝきかされていた美津子は、いけしゃあ〱と、わてとあんたは元から許嫁やないのといった。二親はさすがに顔をしかめたが、順平はだらしなくニコ〱して胸を張り、想いの適った嬉しさがあり〱と態度に出た。いやらしい程機嫌を誰彼にもとった。阿呆程強いもんはないと叔母はさすがに炯眼だった。

婚礼の日が急がれた。美津子の腹が目立たぬ内にと急がれたのだ。暦を調べると、良い日は皆目なかったので、迷った揚句、仏滅の十五日を月の中の日で仲が良いとてそれに決められた。婚礼の日六貫村の文吉は朝早くから金造の家を出て、柿の枝を肩にかついで二里の道歩いて、岸和田から南海電車に乗った。難波の終点についたのは正午頃だったが、大阪の町ははじめてのこと故、小一里もない生国魂神社前の丸亀の料理場に姿を現わしたのはもう黄昏どきであった。

その日の婚礼料理に使うにらみ鯛を焼いていた順平が振り向くと、文吉がエヘラ〱笑って突っ立っていた。十年振りの兄だが少しも変っていないので直ぐ分って、兄よ、わりゃ来てくれたんかと順平は団扇をもったまゝ傍へ寄った。白い料理衣をきている順平の姿が文吉には大変立派に見え、背ものびたと思えたので、そのことを言った。順平は料理場用の高下駄をはいているので高く見えたのだった。二十二歳の文吉は四尺七寸しかなかった。順平は九寸位あった。順平は柿をむいて見せた。皮がくる〱と離れ、漆喰に届いたので文吉は感心し、賞めた。

その夜、婚礼の席がおひらきになるころ、文吉は腹が痛み出した。膳のものを残らず食い、酒ものんだからだった。かね〲蛔虫を湧かしていたのである。便所に立とうとすると、借着の紋附の裾が長すぎて、足にからまった。倒れて、そのまゝ、痛い〱とのた打ちまわった。別室に運ばれ、医者を迎えた。腸から絞り出して、夜着を汚した。臭気の中で順平は看護した。やっと落ち付いて文吉が寝いると、順平は寝室へ行った。夜も更けていて、もう美津子は寝こんでいた。だらしなく手を投げ出していた。ふと気が付いてみると、阿呆んだら。突き飛ばされていた。

翌くる朝、文吉の腹痛はけろりと癒った。早う帰らんと金造に叱られるといったので、順平は難波まで送って行った。源聖寺坂を降りて黒門市場を抜け、千日前へ行き出雲屋へはいった。また腹痛になるとことだと思ったが、やはり田舎で大根や葉っぱばかり食べている文吉にうまいものをたべさせてやりたいと順平は思ったのだ。二円ほど小遣いをもっていたので、まむしや鮒の刺身を注文した。一つには、出雲屋の料理はまむしと鮒の刺身ときも汁のほかは拙いが、さすが名代だけあって、このまむしのタレや鮒の刺身のすみそだけは他処よその店では真似が出来ぬなど板場らしい物の言い振りをしたかったのだ。文吉はぺちゃくちゃと音をさせて食べながら、おそで(継母)の連子の浜子さんは高等科を卒業して今は大阪の大学病院で看護婦をしているそうでえらい出世であるが、順平さんのお嫁さんは浜子さんより別嬪さんである、俺は夜着の中へ糞して情けない兄であるが、かんにんしてくれと言った。聴けば、金造は強慾で文吉を下男のように扱い、それで貯金帳を作ってやっているというのも嘘らしく、その証拠に、この間も村雨羊羹を買うとて十銭盗んだら、折檻されて顔がはれたということだ。そんな兄と別れて帰る途々、順平は、たとえ美津子に素気なくされ続けても、我慢して丸亀の跡をつぎ、文吉を迎えに行かねばならぬと思った。癖で興奮して、出世しよう〱と反り身になって歩き、下腹に力をいれると、いつもより差し込み方がひどかった。

名ばかりの亭主で、むなしく、日々が過ぎた。一寸の虫にも五分の魂やないか、いっそ冷淡に構えて焦らしてやる方が良いやろと、ことを察した板場の木下が忠告してくれたが、そこまでの意気も思案も泛ばなかった。わざと順平の子だといいならして、某生徒の子供が美津子の腹から出た。好奇心で近寄ったが、順平は産室にいれてもらえなかった。しかし、産婆は心得て順平に産れたての子を渡した。抱かされて覗いてみると、鼻の低いところなど自分に似ているのだ。本当の父親も低かったのだが。

近所の手前もあり、吩咐られて風呂へ抱いて行ったりしている内に、何故か赤ん坊への愛情が湧いて来た。しかし、赤ん坊は間もなく死んだ。風呂の湯が耳にはいった為だと医者が言った。それで、わざと順平がいれたのであろうという忌わしい言葉が囁かれた。ある日、便所に隠れてこっそり泣いていると、木下がはいって来て、今まで言おう〱と思っていたのだが……とはじめてしんみり慰めてくれた。そうして木下は、僕はもうこんな欺瞞的な家には居らぬ決心したといった。木下は、四十には未だ大分間があるというものゝ、髪の毛も薄く、弁護士には前途遼遠だった。性根を入れていないから、板場の腕もたいしたものにはならず、実は何かといや気がさしていたのだ。馴染の女給がちかごろ東京へ行った由きいたので、後を追うて行きたいと思っていた。その女給に通う為に丸亀に月給の前借が四月分あるが、踏み倒す魂胆であった。

その夜、二人でカフェへ行った。傍へ来た女の安香水の匂いに思いがけなく死んだ父のことを思い出し、しんみりしている順平の容子を何と思ったか、木下は耳に口を寄せて来て、この女子は金で自由になる、世話したげよか。順平は吃驚して、金は出しまっさかい、木下はん、あんた口説きなはれ、あんたに譲りまっさ。いつの間にか、そんな男になっていた。脱腸をはじめ、数えれば切りのない多くの負け目が、皮膚のようにへばりついていたのだ。

二

文吉は夜なかに起されると、大八車に筍を積んだ。真っ暗がりの田舎道を、提灯つけて岸和田までひいて行った。轍の音が心細く腹に響いた。次第に空の色が薄れて、岸和田の青物市場についた時は、もう朝であった。筍を渡すと、三十円呉れた。腹巻の底へしっかりいれて、ちょい〱押えてみんことにゃと金造にいわれたことを思い出し、そのようにした。ふと、之だけの金があれば大阪へ行ってまむしや鮒の刺身がくえると思うと、足が震えた。空の車をガラ〱ひいて岸和田の駅まで来ると、電車の音がした。車を駅前の電柱にしばりつけて、大阪までの切符を買い、プラットフォームに出た。電車が来るまで少し間があった。そわ〱して決心が鈍って来るようで、何度も便所へいきたくなった。便所から出て来ると電車が来たので周章〔あわ〕てゝ乗った。動き出してうと〱眠った。車掌に揺り動かされて目を覚すと、難波ァ、難波終点でございまァーす。早う着いたなァと嬉しい気持で構内をちょこ〱走りし、日射しの明るい南海通を真っ直ぐ出雲屋の表へかけつけると、まだ店が開いていなかった。千日前は朝で、活動小屋の石だたみが未だ濡れていた。きょろ〱しながら活動写真の絵看板を見上げて歩いた。首筋が痛くなった。道頓堀の方へ渡るゴーストップで駐在さんにきびしい注意をうけた。道頓堀から戎橋を渡り心斎橋筋を歩いた。一軒々々飾窓を覗きまわったので疲れ、ひきかえして戎橋の上で佇んでいると、橋の下を水上警察のモータボートが走って行った。後から下肥を積んだ船が通った。ふと六貫村のことが聯想され、金造の声がきこえた。わりゃ、伊勢乞食やぞ、杭(食い)にかゝったらなんぼでも離れくさらん。にわかに空腹を感じて、出雲屋へ行こうと歩き出したが方角が分らなかった。人に訊くにも誰に訊いて良いか見当つかず、何となく心細い気持になった。中座の前で浮かぬ顔をして絵看板を見上げていると、活動の半額券を買わんかと男が寄って来た。半額券を買うとは何の事か訳が知れなかったから、答えるすべもなかったが、之倖いと、ちょっくら物を訊ねますが、出雲屋は。この向いやと男は怒った様な調子でいった。振り向くと、なるほど看板が掛っている。が、そこは順平に連れてもらった店と違うようだ。出雲屋が何軒もあるとは思えなかったから、狐につまゝれたと思った。しかし、鰻を焼く匂いにはげしく誘われて、まゝよとはいり、餓鬼のように食べた勘定を払って出ると、未だ二十七円と少しあった。中座の隣に蓄音機屋があった。蓄音機屋の隣に食物屋があった。蓄音機屋と食物屋の間に、狭くるしい路地があった。そこを抜けるとお寺の境内のようであった。左へ出ると、楽天地が見えた。あそこが千日前だと分った嬉しさで早足に歩いた。楽天地の向いの活動小屋で喧しくベルが鳴っていたので、何か周章てゝ切符を買った。未だ出し物が始まっていなかったから、拍子抜けがし、緞帳を穴の明くほど見つめていた。客の数も増え、いよ〱始まった。ラムネをのみ、フライビンズをかじり、写真が佳境にはいって来ると、よう! よう! えゝぞとわめいて四辺の人に叱られた。美しい女が猿ぐつわをはめられる場面が出ると、だしぬけに、女への慾望が起った。小屋を出しなに勘定してみたら、まだ二十六円八十銭あった。大阪には遊廓があるといつか聴いたことを想出した。そこでは女が親切にしてくれるということだ。えへら〱笑いながら、姫買いをする所はどこかと道通る人に訊ねると、早熟ませた小せがれやナ、年なんぼやねンと相手にされなかった。二十三だというと、相手は本当に出来ないといった顔だったが、それでも、自動車に乗れと親切にいってくれた。生れてはじめての自動車で飛田遊廓の大門前まで行った。二十六円十六銭。廓の中をうろ〱していると、掴えられ、する〱と引き上げられた。

ぼうっとしている内に十円とられて、十六円十六銭。

妓の部屋で、盆踊りの歌をうたうと、良え声やワ、もう一ペン歌いなはれナ。賞められて一層声張りあげると、あちこちの部屋で、客や妓が笑った。ねえ、ちょっと、わてお寿司食べたいワ、何ぞ食べへん? 食べましょうよ。擦り寄られ、よっしゃ。二人前取寄せて、十一円十六銭。食べている内に、お時間でっせといいに来た。帰ったら嫌やし、もっと居てえナ。わざと鼻声で、いわれると、よう起きなかった。生れてはじめて親切にされるという喜びに骨までうずいた。又、線香つけて、最後の十円札の姿も消えた。妓はしかしいぎたなく眠るのだった。おいと声を掛けて起す元気もない。ふと金造の顔が浮び、おびえた。帰ることになり、階段を降りて来ると、大きな鏡に、妓と並んだ姿がうつった。ひねしなびて四尺七寸の小さな体が、一層縮る想いがした。送り出されて、もう外は夜であった。廓の中が真昼のように明るく、柳が風に揺れていた。大門通を、ひょこ〱歩いた。五十銭で書生下駄を買った。

鼻緒がきつくて足が痛んだがそれでもカラカラと音は良かった。一遍被ってみたいと思っていた鳥打帽子を買った。一円六十銭。おでこが隠れて、新しい布の匂がプン〱した。胸すかしを飲んだ。三杯まで飲んだが、あと、咽喉へ通らなかった。一円十銭。うどんやへはいり、狐うどんとあんかけうどんをとった。どちらも半分たべ残した。九十二銭。新世界を歩いていたが、絵看板を見たいともはいってみたいとも思わなかった。薬屋で猫○○を買い天王寺公園にはいり、ガス灯の下のベンチに腰かけていた。十銭白銅四枚と一銭銅貨二枚握った手が、びっしょり汗をかいていた。順平に一眼会いたいと思った。が、三十円使いこんだ顔が何で会わさりょうかと思った。岸和田の駅で置き捨てた車はどうなっているか、提灯に火をいれねばなるまい。金造は怖くないと思った。ガス灯の光が冴えて夜が更けた。動物園の虎の吼声が聞えた。叢の中にはいり、猫○○をのんだ。空が眼の前に覆いかぶさって来て、口から口から煙を吹き出し、そして永い間のた打ち廻っていた。

三

夜が明けて、文吉は天王寺市民病院へ担ぎ込まれた。雑魚場〔ざこば〕から帰ったまゝの恰好で順平がかけつけた時は、むろん遅かった。かすかに煙を吹き出していたようだったと看護婦からきいて、順平は声をあげて泣いた。遺書めいたものもなかったが、腹巻の中にいつぞや出した古手紙が皺くちゃになってはいっていたゝめ、順平に知らせがあり、せめて死に顔でもみることが出来たとは、やはり兄弟のえにしだといわれて順平は、どんな事情か判らぬが、よく〱思いつめる前に一度訪ねてくれるなり、手紙くれるなりしてくれゝば、何とか救う道もあったものをと何度も何度も繰り返して愚痴った。病院の食堂で玉子丼を顔を突っこむようにして食べていると、涙が落ちて、何がなし金造への怒りが胸をしめつけて来た。

が、村での葬式を済ませた時、ふと気が付いてみると、やはり、金造には恨みがましい言葉は一言もいわなかった様だった。くどく持ち出された三十円の金を、弁償いたしますと大人〔おと〕なしく出て、すご〱と大阪へ戻って来ると丁度その日は婚礼料理の註文があって目出度い〱と立ち騒いでいる家へ料理を運び、更くまで居残ってそこの台所で吸物の味加減をなおしたり酒のかんの手伝いをしたりした揚句、祝儀袋を貰って外へ出ると皎々たる月夜だった。下寺町から生国魂神社への坂道は人通りもなく、登って行く高下駄の音、犬の遠吠え……そんな夜更けの町の寂しさに、ふと郷愁を感じ、兄よ、わりゃ死んだナ。振舞酒の酔いも手伝って、いきなり引き返えし、坂道を降りて道頓堀へ出ると、足は芝居裏の遊廓へ向いた。殆んど表戸を閉めている中に一軒だけ、遣手婆が軒先で居眠りしている家を見つけ、登席〔あが〕った。客商売に似合わぬ汚い部屋でぽつねんと待っていると、おゝけにと妓がはいって来た。

むせるような臭気が鼻をつくと、順平には、この妓がと、嘘のように思われた。しかし、本能的に女に拒まれるという怖れから、肩にさわるのも躊躇され、まご〱している内に、妓は眠って了った。いびきを聴いていると、美津子の傍でむなしく情けない想いをした日々のことが聯想された。

朝、丸亀へ帰る途々、叔父叔母に叱られるという気持で心が暗かったが、ふと丸亀から逐電しようと心を決めると、ほッとした。家へ帰り、どないしてたんや、家あけてという声をきゝ流して、あちこちで貰う祝儀をひそかに貯めて二百円ほどになっている金を取出し着物を着変えた。飛び出すんやぞ、二度と帰らへんのやぞという顔で叔父叔母や美津子をにらみつけたが、察してはくれなかったようだ。それと気付いて引止めてくれるなり、優しい言葉を掛けてくれるなりしてくれたら思い止まりたかったが、肚の中を読んでくれないから随分張合がなく、暫くぐずついていたが、結局、着物を着変えたからには飛び出すより仕方ない、そんな気持でしょんぼり家を出た。

あとで、叔母は、悪い奴にそゝのかされて家出しよりましてんと言いふらした。家出という言葉が好きであった。叔父は、身代譲ったろうと思てたのに、阿呆んだら奴がと、之は本音らしかった。美津子は、当分外出もはゞかられるようで、何かいやな気がして、ふくれていた。また、順平に飛び出されてみると体裁もわるいが、しかし、ほんの少し心淋しい気も感じられた。しつこく迫っていた順平に、いつかは許してもよいという気があるいは心の底にあったのではないかと思われて、しかし之は余りに滑稽な空想だと直ぐ打ち消した。

順平は千日前金刀比羅裏の安宿に泊った。どういう気持で丸亀を飛び出したのか自分でも納得出来ず、所詮は狂言めいたものかも知れなかった。紺絣の着物を買い、良家のぼん〱みたいにぶら〱何の当てもなく遊びまわった。昼は千日前や道頓堀の活動小屋へ行った。夜は宿の近くの喫茶バー「リヽアン」で遊んだ。リヽアンで五円、十円と見る〱金の消えて行くことに身を切られるような想いをしながら、それでも、高峰さん〱と姓をよばれるのが嬉しくて、女給たちのたかるまゝになっていた。

ある夜、わざと澄まし雑煮を註文し、一口のんでみて、こんな下手な味つけで食えるかいや、吸物というもんはナ、出しこぶの揚げ加減で味いうもんが決まるんやぜと浅はかな知慧を振りまいていると、髪の毛の長い男がいきなり傍へ寄って来て、あんさんとは今日こんお初にござんす、野郎若輩ながら軒下三寸を借り受けましての仁義失礼さんにござんすと場違いの仁義でわざとらしいはったりを掛けて来た。順平が真蒼になってふるえていると女給が、いきなり、高峰さん煙草買いましょう、そう言って順平の雑魚場行きのでかい財布をとり出して、あけた。男は覗いてみて、にわかに打って変ってえらい大きな財布でんナと顔中皺だらけに笑い出し、まるで酔っぱらったようにぐにゃ〱した。男はオイチョカブの北田といい、千日前界隈で顔の売れたでん公であった。

オイチョカブの北田にそゝのかされて、その夜新世界のある家で四五人のでん公と博打をした。インケツ、ニゾ、サンタ、シスン、ゴケ、ロッポー、ナキネ、オイチョ、カブ、ニゲなどと読み方も教わり、気の無い張り方をすると、「質屋の外に荷が降り」とカブが出来、金になった。生れてはじめてほの〲として勝利感を覚え、何かしら自信に胸の血が温った。が、続けて張っている内に結局はあり金全部とられて了い、むろんインチキだった。けれど、そうと知っても北田になじる気は起らなかった。翌くる日、北田は〔「(「Γ」を左右反転したもの)<又」、屋号を示す記号〕かねまたでシチューと半しまを食わせてくれた。おゝけに御馳走ごっとさんと頭を下げる順平を、北田はさすがに哀れに思ったか、どや、一丁女を世話したろか、といってくれた。リヽアンの小鈴に肩入れしてけつかんのやろと図星を指されてぼうっと赧くなり一途に北田が頼もしかったが、肩入れはしてるんやけどナ、わいは女にもてへんよって、兄貴、お前わいの代りに小鈴をものにしてくれよ。そういう態度はいつか木下にいった時と同じだったが、北田は既に小鈴をものにしているだけに、かえって気味が悪かった。

オイチョカブの北田は金が無くなると本職にかえった。夜更けの盛り場を選んで彼の売る絵は、こっそりひらいてみると下手な西洋の美人写真だったり、義士の討入りだったりする。絶対にインチキとは違うよ、一見胸がときめいてなどと中腰になってわざと何かを怖れるようなそわ〱した態度で早口に喋り立て、仁が寄って来ると、先ず金を出すのがサクラの順平だった。絵心のある北田は画をひきうつして売ることもある。そんな時はその代り、その筋の眼は一層きびしい。サクラの順平もしば〱危い橋を渡る想いに冷やっとしたが、それだけにまるで凶器の世界にはいった様な気持で歩き振りも違って来た。

気の変り易い北田は売屋ばいやをやることもあった。天満京阪裏の古着屋で一円二十銭出して大阪××新聞の法被を仕込み、売るものはサンデー毎日や週刊朝日の月おくれ、または大阪パックの表紙の発行日を紙ペーパーでこすり消したもの、三冊十五銭で如何にも安いと郊外の住宅を戸別訪問して泣きたんで売り歩く。かと思うと、キング、講談倶楽部、富士、主婦の〔ママ〕友、講談雑誌の月遅れ新本五冊とりまぜて五十銭オテカン、これは主に戎橋通の昼夜銀行の前で夜更けて女給の帰りを当てこむのだ。仕入先きは難波の元屋で、そこで屑値で買い集めた古本をはがして、連絡もなく乱雑に重ねて厚みをつけ、もっともらしい表紙をつけ、縁を切り揃えて、月遅れの新本が出来上る。中身は飛び飛びの頁で読まれたものでないから、その場で読めぬようあらかじめセロファンで包んで置くと、如何にも新本だ。順平はサクラになったり、時には真打になったり、夜更けの商売で、顔色も凄く蒼白んだ。儲の何割かをきちん〱と呉れるオイチョカブの北田を順平はき帳面な男だと思い、ふと女心めいたなつかしさを覚えていた。

ある日、北田は博打の元手もなし売屋も飽いたとて、高峰、どこぞ無心の当てはないやろか。といったその言葉の裏には、丸亀へ無心に行けだとは順平にも判ったが、そればっかりはと拝んでいる内に、ふと義姉の浜子のことを頭に泛べた。阪大病院で看護婦をしていると、死んだ文吉が言っていた。訪ねて行くと、背丈ものびて綺麗な一人前の女になっている浜子は、順平と知って瞬間あらとなつかしい声をあげたが、どうみてもまっとうな暮しをしているとは見えぬ順平の恰好を素早く見とってしまうと、にわかに何気ない顔をつくろい、どこぞお悪いんですの、患者にもの言うように寄って来て、そして目交で病院の外へ誘い出した。玉江橋の畔で、北田に教った通り、訳は憚るが実は今は丸亀を飛び出して無一文、朝から何も食べていないと無心すると、赤い財布からおず〱と五円札出してくれた。死んだ文吉のことなど一寸立ち話した後、浜子は、短気を出したら損やし、丸亀へ戻って出世して六貫村へ錦を飾って帰らんとあかんしと意見した。順平はそうや、そうやと思うと、急に泣いたろという気持がこみ上げて来てぼろ〱と涙をこぼし、義姉やん、出世しまっせ、今の暮しから足を洗うて真面目にやりまっさと言わなくても良いことまで言っていると、無性に興奮して来て拳をかため、体を震わせ、うつ向いていた顔をきっとあげると、汚い川水がかすんだ眼にうつった。浜子が小走りに病院の方へ去って了うと、どこからかオイチョカブの北田が現れて来て、高峰お前なか〱味をやるやないか、泣きたんがあない巧いこと行くて相当なわるやぞと賞めてくれたが、順平はそんなものかなアと思った。その金は直ぐ博打に負けて取られてしまった。

ある日、美津子が近々聟を迎えるという噂を聴いた。翌日、それとなく近所へ容子を探りに行くと本当らしかった。その足で阪大病院へ行った。泣きたんで行けという北田の忠告をまつまでもなく、意見されると、存分に涙が出た。五円貰った。その内一円八十銭で銘酒一本買って、お祝、高峰順平と書いて丸亀へ届けさせ、残りの金を張ると、阿呆に目が出ると愛相をつかされる程になった。

北田と山分けし、北田に見送られて梅田の駅から東京行の汽車に乗った。美津子が聟をとるときいては大阪の土地がまるで怖いものゝように思われたのと、一つには、出世しなければならぬという想にせき立てられたのだ。東京には木下がいる筈で、丸亀にいた頃、一度遊びに来いとハガキを貰ったことがあった。

東京駅に着き、半日掛って漸く荒川放水路近くの木下の住いを探し当てた。弁護士になっているだろうと思ったのに、其処は見るからに貧民街で、木下は夜になると玉ノ井へ出掛けて焼鳥の屋台店を出しているのだった。木下もやがて四十で、弁護士になることは内心諦めているらしく、彼の売る一本二銭の焼鳥は、ねぎが八分で、もつが二分、酒、ポートワイン、泡盛、ウイスキーなどどこの屋台よりも薄かった。木下は毎夜緻密に儲の勘定をし、儲の四割で暮しを賄い、他の四割は絶対に手をつけぬ積立貯金にし、残りの二割を箱に入れ、たまるとそれで女を買うのだった。

木下が女と遊んでいる間、順平は一人で屋台を切り廻さねばならなかった。どぶと消毒薬の臭気が異様に漂うていて、夜が更けると大阪ではきゝ馴れぬあんまの笛が物悲しく、月の冴えた晩人通りがまばらになると殺気が漲っているようだった。大阪のでん公と比べものにならぬほど歯切れの良い土地者が暖簾をくゞると、どぎまぎした。兄ちゃんは上方だねといわれると、え、そうでねんと揉手をし、串の勘定も間違い勝ちだった。それでも、臓物の買い出しから、牛丼の御飯の炊出し、鉢洗い、その他気のつく限りのことを、遊んでいろという木下の言葉も耳にはいらぬ振りして小まめに働いていたが、ふと気がついてみると、木下は自分の居候していることを嫌がっているようであった。遠廻しに、君はこんなことをしなくても良い立派な腕をもっているじゃないかと木下はいい、どこか良い働き口を探して出て行ってくれという木下の肚の中は順平にも読みとれた。木下は順平が来てからの米の減り方に身を切られるような気持がしていたのだ。が、たとえどんな辛いことも辛抱するが、あの魚の腸の匂いがしみこんだ料理場の空気というものは、何としてもいやだった。丸亀の料理場を想出すからであった。そんな心の底に、美津子のことがあった。

しかし、結局は居辛くて、浅草の寿司屋へ住込みで雇われた。やらせて見ると一人前の腕をもっているが、二十三とは本当に出来ないほど頼りない男だと見られて、それだけに使い易いからと追い廻しという資格であった。あがりだよ。へえ。さびを擦りな。へえ。皿を洗いな。宜ろしおま。目の廻るほど追いまわされた。わさびを擦っていると、涙が出て来て、いつの間にかそれが本当の涙になりシク〱泣いた。出世する気で東京へ来たというものゝ、末の見込みが立とう筈もなかった。

ある夜、下腹部に急激な痛みが来て、我慢し切れなく、休ませて貰い天井の低い二階の雇人部屋で寝ころんでいる内に、体が飛び上るほどの痛さになり、痛アい! 痛アい! と呶鳴った。声で吃驚して上って来た女中が土色になった顔を見ると、周章てゝ医者を呼びに行った。脱腸の悪化で、手術ということになった。十日余り寝た切りで静養して、やっと起き上れるようになった時、はじめて主人が、身寄りの者はないのかと訪ねた。大阪にありますと答えると、大阪までの汽車賃にしろと十円呉れた。押しいたゞき、出世したらきっと御恩がえしは致しますと、例によって涙を流し、きっとした顔に覚悟の色も見せて、そして、大阪行きの汽車に乗った。

夕方、梅田の駅につきその足で「リヽアン」へ行った。女給の顔触れも変っていて、小鈴は居なかった。一人だけ顔馴染みの女が小鈴は別府へ駈落ちしたといった。相手は表具屋の息子で、それ、あんたも知ってるやろ、タンチー一杯でねばって、その代りチップは三円も呉れてた人や。気がつけば、自分も今はタンチー一杯注文しているだけだ。一本だけと酒をとり、菓物をおごってやって、オイチョカブの北田のことを訊くと、こともあろうに北田は小鈴の後を追うて別府へ行ったらしい。勘定払って外へ出ると、もう二十銭しかなかった。夜の町をうろ〱歩きまわり、戎橋の梅ヶ枝できつねうどんをたべ、バットを買うと、一銭余った。夜が更けると、もう冬近い風が身に沁みて、鼻が痛んだ。暖いところを求めて難波の駅から地下鉄の方へ降りて行き、南海高島屋地階の鉄扉の前にうずくまっていたが、やがてごろりと横になり、いつの間にか寝込んでしまった。

朝、生国魂神社の鳥居のかげで暫く突っ立っていたが、やがて足は田蓑橋の阪大病院へ向った。当てもなく生国魂まで行ったゝめに空腹は一層はげしく、一里の道は遠かった。途々、何故丸亀へ無心に行かなかったのかと思案したが、理由は納得出来なかった。病院へ訪ねて行くと、浜子は今度は眼に泪さえ泛べて、声も震えた。薄給から金をしぼりとられて行くことへの悲しさと怒りからであったが、しかし、そうと許り言い切れないほど、順平は見窄らしい恰好をしていた。言うも甲斐ない意見だったが、やはり、私に頼らんとやって行く甲斐性を出してくれへんのかとくど〱意見し、七円恵んでくれた。懐からバットの箱を出し、その中に金をいれて、しまいこみながら、涙を出し、また、にこ〱と笑った。浜子と別れると、あまい気持があとに残り、もっと〱意見してほしい気持だった。玉江橋の近くの飯屋へはいって、牛丼を注文した。さすが大阪の牛丼は真物の牛肉を使っていると思った。木下の屋台店で売っていた牛丼は、繊維すじが多く、色もどす赤い馬肉だった。食べながら、別府へ行けば千に一つ小鈴かオイチョカブの北田に会えるかも知れぬとふと思った。

天保山の大阪商船待合所で別府までの切符を買うと、八十銭残ったので、二十銭で餡パンを買って船に乗った。船の中で十五銭毛布代をとられて情け無い気がしたが、食事が出た時は嬉しかった。餡パンで別府まで腹をもたす積りだった。小豆島沖合の霧で船足が遅れて、別府湾にはいったのはもう夜だった。山の麓の灯が次第に迫って来て、突堤でモリナガキャラメルのネオンサイン塔が点滅した

船が横づけになり、桟橋にぱっと灯がつくと、あっ! 順平の眼に思わず涙がにじんだ。旅館の法被を羽織り提灯をもったオイチョカブの北田が、例の凄みを帯びた眼でじっとこちらをにらんでいたのだ。兄貴! 兄貴! とわめきながら船を降りた。北田は暫くあっ気にとられて物も言えなかったが、順平が、兄貴わいが別府へ来るのんよう知ってたナというと、阿呆んだら奴、わいはお前らを出迎えに来たんやないぞ、客を引きに来たんやと四辺を憚かる小声で、それでも流石に鋭くいった。

聞けば、北田は今は温泉旅館の客引きをしており、小鈴も同じ旅館の女中、いわば二人は共稼ぎの本当の夫婦になっているのだという。だん〱聞くと、北田はかねてから小鈴と深い仲で、その内に小鈴は孕んで、無論相手は北田であったが、北田は一旦はいい逃れる積りで、どこの馬の骨の種か分るもんかと突っ放したところ、こともあろうに小鈴はリヽアンへ通っていた表具屋の息子と駈落ちしたので、さては矢っ張り男がいたのかと胸は煮えくり返り、行先は別府らしいと耳にはさんだその足で来てみると、いた。温泉宿でしんみりやっているところを押えて、因縁つけて別れさせたことは別れさせたが、小鈴はその時――どない言いやがったと思う? と、北田はいきなり順平にきいたが、答えるすべもなくぽかんとしていると、北田は直ぐ話を続けて――わては子供が可哀相やから駈落ちしたんや。どこの馬の骨か分らんようなでん公の種を宿して、認知もしてもらえんで、子供に肩身の狭い想いをさせるより、表具屋の息子が一寸間ァが抜けてるのを倖い、しつこくもちかけて逐電し、表具屋の子やと否応はいわせず、晴れて夫婦になれば、お腹の子もなんぼう倖せや分らへん。そんな肚で逐電したのを因縁つけて、オイチョの北さん、あんたどない色つけてくれる気や。そんな不貞くされに負ける自分ではなかったが、父性愛というんやろか、それとも、一緒にいた女にたとえ何もしやへんという白を「白を」はママ阿呆になって真にうけたにしろ、今更惚れ直したんやろか、気が折れて、仕込んで来た売屋の元も切れ、宿賃も嵩んで来たまゝに小鈴はそこで女中に雇われ、自分は馴々しく人に物いえる腕を頼りにそこの客引きになることに話合いしたその日から法被着て桟橋に立つと、船から降りて来た若い二個連れの女の方へわざと凭れかゝるように寄りそうて、鞄をとり、ひっそりした離れで、はゞかりも近うございます、錠前つきの家族風呂もございますと連れこんで、チップもいれて三円の儲になった。金を貯めて、小鈴とやがて産れる子供と三人で地道に暮すつもりやと北田はいい、そして、高峰、お前も温泉場の料理屋へ板場にはいり、給金を貯めて、せめて海岸通りに焼鳥屋の屋台を張る位の甲斐性者になれと意見してくれた。

その夜は北田が身銭を切って、自分の宿へ泊めてくれることになった。食事の時小鈴が給仕してくれたが、かつて北田に小鈴に肩入れしているとて世話してやろかと冷やかされたことも忘れてしまい、オイチョさんと夫婦にならはったそうでお目出度うとお世辞をいった。

翌日、北田は流川通の都亭という小料理屋へ世話してくれた。都亭の主人から、大阪の会席料理屋で修業し、浅草の寿司屋にも暫くいたそうだが、家〔うち〕は御覧の通り腰掛け店で会席など改った料理はやらず、今のところ季節柄河豚料理一点張りだが、河豚〔てつ〕は知ってるのかと訊かれると、順平は、知りまへんとはどうしても口に出なかった。北田の手前もあった。板場の腕だけがたった一つの誇りだったのだ。そうか、知ってるか、そりゃ有難いと主人はいったが、しかし結局は、当分の間だけだがと追い廻しに使われ、かえってほっとした。

一〔ひと〕月ほど経ったある日、朝っぱらから四人づれの客が来て、河豚刺身とちりを註文した。二人いる板場の内、一人は四五日前暇をとり、一人は前の晩カンバンになってからどこかへ遊びに行って未だ帰って来ず、追い廻しの順平がひとり料理場を掃除しているところだった。主人に相談すると、お前出来るだろうといわれ、へえ出来まっせとこんどは自信のある声でいった。一月の間に板場のやり口をちゃんと見覚えていたから、訳もなかった。腕をみとめて貰える機会だと、庖丁さばきも鮮かで、酢も吟味した。

夜、警察の者が来て、都亭の主人を拘引して行き、間もなく順平にも呼び出しが来た。ぶる〱震えて行くと、案の条朝の客が河豚料理に中毒して、四人の内三人までは命だけ喰止めたが、一人は死んだという。主人はひと先ず帰され、順平は留置された。だらんと着物をひろげて、首を突き出し、じゝむさい恰好で板の上に坐っている日が何日も続くともう泣く元気もなかった。寒かろうとて北田が毛布を差入れしてくれた。

十日許り経った昼頃、紋附を着た立派な服装の人が打っ倒れるように留置場へはいって来た。口髭を生やし、黙々として考えに耽っている姿が如何にも威厳のある感じだったから、こんな偉い人でも留置されるのかと些か心が慰まった。ふと、この人は選挙違反だろうと思った。鄭重に挨拶をして毛布を差出し、使って下さいというと、じろりと横目でにらみ、黙って受けとった。あとで調べの為に呼び出された時、係の刑事に訊くと、あれは山菓子盗りだといった。葬式があれば知人を装うて葬儀場や告別式場に行き、良い加減な名刺一枚で、会葬御礼のパスや商品切手を貰う常習犯で、被害は数千円に達しているということだった。何んや阿呆らしいと思ったが、しかし毛布を取り戻す勇気は出なかった。中毒で人一人殺したのだから、最悪の場合は死刑だとふと思いこむと、順平はもう一心不乱に南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と呟いていた。そんな順平を山菓子盗りは哀れにも笑止千万にも思い、河豚料理で人を殺した位でそうなってたまるものか、悪く行って過失致死罪……という前例も余り聴かぬから、結局はお前の主人が営業停止をくらう位が関の山だろうと慰めてくれ、今はこの人が何よりの頼りだった。

都亭の主人はしかし営業停止にならなかった。そんな前例を作れば、ことは都亭一軒のみならず温泉場の料理屋全体が汚名を蒙ることになり、ひいてはここで河豚を食うなと喧伝され、市の繁栄にも影響するところが多いと都亭の主人は唱えて、料理店組合を動かした。そして、問題は都亭の主人の責任といえば無論いえるが、しかし真のそして直接の原因はルンペン崩れの追い廻しの順平にあることは余りにも明白だ、そんな怪しい渡り者に河豚を料理させたというのも、河豚料理が出来るという嘘を真に受けたゞけであって、真に受けたのは不注意というよりも寧ろ詐欺にかゝったという可きで実際都亭は詐欺漢のためにたとえ一時でも店の信用を汚されたとはいわば泥棒に追い銭、泣き面に蜂、むろん再びこの様な不祥事をくりかえさぬ様刑罰を以てすべきは当然ながら、それならば泣き面を罰すべきか、蜂を罰すべきか、問題は温泉場全体のことだと彼は必死になって策動した。オイチョカブの北田は何をっと一時は腹の虫があばれたが、しかし彼も今は土地での気受けもよく、それに小鈴のお産も遠いことではなかった。泣きたんの手で順平の無罪を頼み歩いたが、尻はまくらなかった。

間もなく順平は送局され、一年三ヶ月の判決を下された。情状酌量すべき所無いでもないが、都亭主人を欺いて社会にとって危険極る人物となり、ために貴重な一つの生命を奪ったことは罪に値するという訳だった。一年三ヶ月と聴いて、涙を流した。

徳島の刑務所へ送られた。こゝでは河豚料理をさせる訳ではないからと、賄場で働かされた。板場の腕がこんな所で役に立ったかと妙な気がした。賄の仕事は楽であったが、煮ているものを絶対口に入れてはいけぬといわれたことを守るのは辛かった。ある日、我慢が出来ずに、到頭禁を犯したところを見つけられ、懲罰のため、仙台の刑務所へ転送されることになった。

護送の途中、汽車で大阪駅を通った。編笠の中から車窓の外を覗くと、いつの間に建ったのか、駅前に大きな劇場が二つも並んでいた。護送の巡査が駅で餡パンを買ってくれた。何ヶ月振りの餡気のものかとちぎる手が震えた。

懲罰のためというだけあって、仙台刑務所での作業は辛かった。土を運んだり木を組んだり、仕事の目的は分らなかったが、毎日同じような労働が続いた。顔色も変った。馴れぬことだから、始終泡をくっていた。朝仕事に出る時は浜子のことが頭に泛んだ。夕方仕事を終えて帰る時は美津子、食事の時は小鈴の笑い顔を想った。夜寝ると彼女達の夢をみた。セーラー服の美津子を背中に負うているかと思うと、いつの間にかそれは浜子に変って居り、看護婦服の浜子を感じたかと思うと、今度は小鈴の肩の柔さだった。

一年経ち、紀元節の大赦で二日早く刑を終えると読み上げられた時、泣いて喜んだ。刑務所を出る時、大阪で働くというと、大阪までの汽車賃と弁当代、ほかに労働の報酬だと二十一円戴いた。仙台の町で十四円出して、人絹の大島の古着帯、シャツ、足袋、下駄など身のまわりのものを買った。知らぬ間に物価の上がっているのに驚いた。物を買う時、紙袋の中から金を取り出して、みてはいれ、また取り出し、手渡す時、一枚々々たしかめて、何か考えこみ、やがて納得して渡し、釣銭を貰う時も、袋にいれては取り出してみて調べ、考えこみ、漸く納得していれるという癖がついた。また道を歩きながら、ふと方角が分らなくなり、今来た道と行く道との区別がつかず、暫く町角に突っ立っているのだった。

仙台の駅から汽車に乗った。汽車弁はうまかった。東京駅で乗換える時、途中下車して町の容子など見てみたいと思ったが、何かせきたてられる想いで直ぐ大阪行きの汽車に乗り、着くと夜だった。電力節約のためとは知らず、ネオンや外灯の消されている夜の大阪の暗さは勝手の違う感じがした。何はともあれ千日前へ行き、木村屋の五銭喫茶でコーヒとジャムトーストをたべると十一銭とられた。コーヒが一銭高くなったとは気付かず、勘定場で釣銭を貰う時、何度も思案して大変手間どった。大阪劇場の地下室で無料の乙女ジャズバンドをきゝ、それから生国魂神社前へ行った。夜が更けるまで佇んでいた辛抱のおかげで、やっと美津子の姿を見つけることが出来た。美津子は風呂へ行くらしく、風呂敷に包んだものは金盥だと夜目にも分ったが、遠ざかって行く美津子を追う目が急に涙をにじませると、もう何も見えなかった。泣いているこのわいを一ぺん見てくれと心に叫んだ甲斐あってか、美津子はふと振り向いたが、かね〲彼女は近眼だった。

その夜、千日前金刀比羅裏の第一三笠館で一泊二十銭の割部屋に寝て、朝眼が覚めると、あっと飛び起きたが、刑務所でないと分り、未だあといくらでも眠れると思えばぞく〱するほど嬉しく、別府通いの汽船の窓でちらり見かわす顔と顔……と別府音頭を口ずさんだ。二十銭宿の定りで、朝九時になると蒲団をあげて泊り客を追い出す。九時に宿を出て十一銭の朝飯をたべ、電車で田蓑橋まで行った。橋を渡るのももどかしく、阪大病院へかけつけると、浜子はいなかった。結婚したときかされ、外来患者用のベンチに腰を下ろしたまゝ暫くは動けなかった。今日は無心ではない、たゞ顔を一目見たかっただけやと呟き呟きして玉江橋まで歩いて行った。橋の上から川の流れを見ていると、何の生き甲斐もない情けない気持がした。ふと懐ろの金を想い出し、そうや、未だ使える金があるんやったと、紙袋を取り出し、永い間掛って勘定してみると、六円五十二銭あった。何に使おうかと思案した。良い思案も泛ばぬので、もう一度勘定してみることにし、紙袋を懐ろから取り出した途端、あっ! 川へ落して了った。眼先が真っ暗になったような気持の中で、たゞ一筋、交番へ届けるという希望があった。歩き出して、紙袋をすべり落した右の手をながめた。醜い体の中でその手だけが血色もよく肉も盛り上って、板場の修業に冴えた美しさだった。そうや、この手がある内は、わいは食べて行けるんやったと気がついて、蒼い顔がかすかに紅みを帯びた。交番へ行く道に迷うて、立止った途端、ふと方角を失い、頭の中がじーんと熱っぽく鳴った。

順平は、かつて父親の康太郎がしていたように、首をかしげて、いつまでも突っ立っていた。

底本 / Source edition

底本:「俗臭 織田作之助[初出]作品集」インパクト出版会
2011(平成23)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文學界 第七年第五号」文藝春秋
1940(昭和15)年5月
初出:「文學界 第七年第五号」文藝春秋
1940(昭和15)年5月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、次の箇所では、大振りにつくっています。
「三ヶ月」「何ヶ月」
入力:kompass
校正:小林繁雄
2013年6月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/053806_000040/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/053806_000040/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/053806_000040/

織田 作之助「放浪」(新字新仮名)、底本『俗臭 織田作之助[初出]作品集』インパクト出版会、2011年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 053806_000040, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite