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        <title type="main" xml:lang="ja">日本その日その日</title>
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        <title type="sub" xml:lang="ja">01 序――モース先生</title>
        <title type="sub-reading" xml:lang="ja-Hira">01 じょ――モースせんせい</title>
        <author><persName xml:lang="ja"><surname>石川</surname><forename>千代松</forename><idno type="aozora-person-id">001478</idno></persName><persName xml:lang="ja-Hira"><surname>いしかわ</surname><forename>ちよまつ</forename></persName><persName xml:lang="ja-Latn"><surname>Ishikawa</surname><forename>Chiyomatsu</forename></persName></author>
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        <bibl><title>日本その日その日1〔全3巻〕</title><publisher>東洋文庫、平凡社</publisher><date>1970（昭和45）年9月15日</date><note type="input-edition">1972(昭和47）年4月15日初版第4刷</note><note type="proof-edition">1972(昭和47）年4月15日初版第4刷</note></bibl>
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      <refsDecl xml:id="source-spans"><p>A note of type source-span has an xml:id of the form source-START-END, giving the extent in UTF-8 bytes of the decoded primary text identified in sourceDesc. <ptr target="https://w3id.org/soranoha/ns/tei"/></p></refsDecl>
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      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-645-708">一八八七年の春英国で科学の学会があった。</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-708-723"><rb>此</rb><rt>この</rt></ruby><seg source="#source-723-750">時ワイスマン先生も</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-750-762"><rb>夫</rb><rt>そ</rt></ruby>れへ出席せられ、学会から帰られた時私に「モースからお前に宜しく云うて呉れとの伝言を頼まれたが彼れは実に面白い人で、宴会のテーブルスピーチでは満場の者を笑わせた。」夫れから後其年の十一月だと思ったが、先生がフライブルグに来られた事がある。其時折悪くワイスマン先生と私とはボーデンセイへ研究旅行へ行って留守であった。であったのでウィダーシャイム先生が先生を馬車に載せて市の内外をドライブした処カイザー・ストラーセに来ると、モース先生が、「アノ家の屋根瓦は千年以上前のローマ時代のものだ。ヤレ彼処にも、此処にも」と指されたので、ウィダーシャイム先生も始めて夫れに気付き、後考古学者に話して調べた処、夫れが全て事実であったと、ウィダーシャイム先生もモース先生の眼の鋭い事には驚いて居られた。先生の観察力の強い事では此外幾等も知れて居るが、先生はローウェルの天文台で火星を望遠鏡で覘いて其地図を画かれたが、夫れをローウェルが前に研究して画いたものと比べて見た処先生の方が余程委しい処迄出来て居たので、ローウェルも驚いたとの事を聴いて居た。夫れで先生は火星の本を書かれた。処が此本が評判になって、先生はイタリア其他二、三の天文学会の会員に選ばれたのである。私が一九〇九年にセーラムで先生の御宅へ伺った時先生は私に Mars and its Mystery を一部下さって云われるのに、お前が此本を持って帰ってモースがマースの本を書いたと云うたらば、日本の私の友達はモースは気が狂ったと云うだろうが、自分は気が狂って居ない証拠をお前に見せて置こうと、私に今云うた諸方の天文学会から送って来た会員証を示された。此時又先生が私に見せられたのは、ベルリンの人類学会から先生を名誉会員に推薦した証書で、夫れに付き次ぎの様な面白い事を話された。自分がベルリンへ行った時フィルショオが会頭で人類学会が開かれて居た。或る人に案内されて夫れへ行って見た処南洋の或る島から持って来た弓と矢とを前に置いて、其使用方を盛んに議論して居た。すると誰かがアノ隅に居るヤンキーに質して見ないかと云うので、フィルショオから何にか良い考えがあるならば話せと云う。処が自分が見ると其弓と矢とは日本のものと殆んど同じで、自分は日本に居た時弓を習ったから、容易にそれを説明した処が大<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-3613-3640"><rb>喝采</rb><rt>かっさい</rt></ruby><seg source="#source-3640-3724">を博した。で帰って見たら斯んな物が来て居たと。先生は夫れ</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-3724-3739"><rb>計</rb><rt>ばか</rt></ruby><seg source="#source-3739-4576">りでなく、実に多才多能で何れの事にでも興味を有たないものはなく、各種の学者から軍人、商売人、政治家、婦人、農民、子供に至る迄先生が話相手にせないものはない。殊に幼い子供を先生は大層可愛がられ、私がグロースターのロブスター養殖所へと行くと云うたら、先生が私に自分の友達の婦人を紹介してやると云われたので、先生に教わった家へ行って見ると、老年の婦人が居て、先生の友達は今直きに学校から帰って来るから少し待って下さいと云われるので、紹介して下さった婦人は或いは学校の先生ででもあるのかと思い、待って居ると、十四、五位の可愛い娘さんが二人帰って来て、一人の娘さんが、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-4576-4597"><rb>此方</rb><rt>こちら</rt></ruby><seg source="#source-4597-4660">は自分のお友達よと云うて私に紹介され、サー</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-4660-4672"><rb>之</rb><rt>こ</rt></ruby><seg source="#source-4672-4903">れからハッチェリーへ案内を致しましょうと云われて、行ったが、此可憐の娘さんが、先生の仲好しの御友達であったのだ。先生は日本に居られた頃にも土曜の午後や日曜</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-4903-4921"><rb>抔</rb><rt>など</rt></ruby><seg source="#source-4921-5505">には方々の子供を沢山集め、御自分が餓鬼大将になって能く戦争ごっこをして遊ばれたものだが、又或る時神田の小学校で講演を頼まれた時、私が通訳を勤めた。先生の講演が済んだ後、校長さんが、先生に何にか御礼の品物でも上げ度いがと云われるので、先生に御話した処自分は何にも礼を貰わないでも宜しい。今日講演を聴いて呉れた子供達が路で会った時に挨拶をして呉れれば夫れが自分には何よりの礼であると申された。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5505-5936">今云うた戦争ごっこで思い出したが、先生の此の擬戦は子供の遊戯であった計りではなく、夫れが真に迫ったものであったとの事である。夫れは当時或る日九段の偕行社の一室で軍人を沢山集めて、此擬戦を行って見せた事があったが、其時専門の軍人連が、之れは本物だと云うて大いに賞讃された事を覚えて居る。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-5939-5960"><rb>斯様</rb><rt>かよう</rt></ruby>に先生は各方面に知人があって、又誰れでも先生に親んで居たし、又直ぐに先生の友人となったのである。コンクリン博士が先生の事に就き私に送られた文章に「彼れは生れながら小さい子供達の友人であった計りでなく又学者や政治家の友人でもあった」と書いて居られるが実に其通りである。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-6361-6499">先生が本邦に来られたのは西暦一八七七年だと思って居るが、夫れは先生が米国で研究して居られた</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-6499-6523"><rb>腕足</rb><rt>わんそく</rt></ruby><seg source="#source-6523-6745">類を日本で又調べ度いと思ったからである。で其時先生には江の島の今日水族館のある辺の漁夫の家の一室を借りて暫くの間研究されたが、当時我東京大学で先生を</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-6745-6772"><rb>招聘</rb><rt>しょうへい</rt></ruby><seg source="#source-6772-7104">したいと云うたので、先生には直ぐに夫れを承諾せられ一度米国へ帰り家族を連れて直ぐに又来られたのである。此再来が翌年の一八七八年の四月だとの事であるが、夫れから二年間先生には東京大学で動物学の教鞭を執って居られたのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-7104-7649">其頃の東京大学は名は大学であったが、まだ色々の学科が欠けて居た。生物学も其一つで此時先生に依って初めて設置されたのである。で動物学科を先生が持たれ植物学科は矢田部良吉先生が担任されたのであった。先生の最初の弟子は今の佐々木忠次郎博士と松浦佐与彦君とであったが、惜しい事には松浦君は其当時直きに死なれた。此松浦君の墓は谷中天王寺にあって先生の英語の墓碑銘がある。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-7649-7814">先生は此両君に一般動物学を教えられた計りでなく、又採集の方法、標本の陳列、レーベルの書き方等をも教えられた。</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-7814-7826"><rb>之</rb><rt>こ</rt></ruby><seg source="#source-7826-8258">れ等は先生が大学内で教えられた事だが、先生には大学では無論又東京市内の各処で進化論の通俗講演を致されたものである。ダーウィンの進化論は、今では誰れも知る様、此時より遙か前の一八五九年に有名な種原論が出てから欧米では盛んに論ぜられて居たが、本邦では当時誰独りそれを知らなかったのである。処が</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-8258-8273"><rb>茲</rb><rt>ここ</rt></ruby><seg source="#source-8273-8935">に面白い事には先生が来朝せられて進化論を我々に教えられた直ぐ前にマカーテーと云う教師が私共に人身生理学の講義をして居られたが、其講義の終りに我々に向い、此頃英国にダーウィンと云う人があって、人間はサルから来たものだと云う様な説を唱えて居るが、実に馬鹿気た説だから、今後お前達はそんな本を見ても読むな又そんな説を聴いても信ずるなと云われた。処がそう云う事をマカーテー先生が云われた直ぐ後にモース先生が盛んにダーウィン論の講義をされたのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-8935-9450">先生は弁舌が大層達者であられた計りではなく、又黒板に絵を書くのが非常に御上手であったので、先生の講義を聴くものは夫れは本統に酔わされて仕舞ったのである。多分其時迄日本に来た外国人で、先生位弁舌の巧みな人はなかったろう。夫れも其筈、先生の講演は米国でも実に有名なもので、先生が青年の時分通俗講演で金を得て動物学研究の費用にされたと聴いて居た。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9450-9483">処が当時本邦の学校に</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-9483-9498"><rb>傭</rb><rt>やと</rt></ruby><seg source="#source-9498-10161">われて居た教師連には宣教師が多かったので、先生の進化論講義は彼れ等には非常な恐慌を来たしたものである。であるから、彼れ等は躍起となって先生を攻撃したものである。併し弁舌に於ても学問に於ても無論先生に適う事の出来ないのは明かであるので、彼れ等は色々の手段を取って先生を攻撃した。例えば先生が大森の貝塚から掘り出された人骨の調査に依り其頃此島に住んで居た人間は骨髄を食ったものであると書かれたのを幸いに、モースはお前達の先祖は食人種であったと云う</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-10161-10176"><rb>抔</rb><rt>など</rt></ruby><seg source="#source-10176-10430">云い触し、本邦人の感情に訴え先生は斯様な悪い人であると云う様な事を云い触した事もある。併し先生だからとて、無論之れ等食人種が我々の先祖であるとは云われなかったのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-10430-10463">此大森の貝塚に関して</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-10463-10487"><rb>一寸</rb><rt>ちょっと</rt></ruby><seg source="#source-10487-10894">云うて置く事は先生が夫れを見付けられたのは先生が初めて来朝せられた時、横浜から新橋迄の汽車中で、夫れを発見せられたのであるが、其頃には欧米でもまだ貝塚の研究は幼稚であったのだ。此時先生が汽車の窓から夫れを発見されたのは前にも云う様に先生の視察力の強い事を語るものである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-10894-11326">斯様にして先生は本邦生物学の祖先である計りでなく又人類学の祖先でもある。又此大森貝塚の研究は其後大学にメモアーとして出版されたが、此メモアーが又我大学で学術的の研究を出版した初めでもある。夫れに又先生には学会の必要を説かれて、東京生物学会なるものを起されたが、此生物学会が又本邦の学会の</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-11326-11347"><rb>嚆矢</rb><rt>こうし</rt></ruby><seg source="#source-11347-11523">でもある。東京生物学会は其後動植の二学会に分れたが、其最初の会長には先生は矢田部良吉先生を推されたと私は覚えて居る。</seg></p>
      <p><seg source="#source-11523-11655">（先生が発見された大森の貝塚は先生の此書にもある通り鉄道線路に沿うた処にあったので、其後</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-11655-11676"><rb>其処</rb><rt>そこ</rt></ruby><seg source="#source-11676-11933">に記念の棒杭が建って居たが、今は夫れも無くなった。大毎社長本山君が夫れを遺憾に思われ大山公爵と相談して、今度立派な記念碑が建つ事になった。何んと悦ばしい事であるまいか。）</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-11933-12296">之れ等の事の外先生には、当時盛んに採集旅行を致され、北は北海道から南は九州迄行かれたが其際観察せられた事をスケッチとノートとに収められ、夫れ等が集まって、此ジャッパン・デー・バイ・デーとなったのである。何んにせよ此本は半世紀前の日本を先生の</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-12296-12320"><rb>炯眼</rb><rt>けいがん</rt></ruby><seg source="#source-12320-12551">で観察せられたものであるから、誰れが読んでも誠に面白いものであるし、又歴史的にも非常に貴重なものである。夫れから此本を読んでも直ぐに判るが先生は非常な日本</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-12551-12575"><rb>贔屓</rb><rt>びいき</rt></ruby><seg source="#source-12575-12941">であって、何れのものも先生の眼には本邦と本邦人の良い点のみ見え、悪い処は殆んど見えなかったのである。例えば料理屋抔の庭にある便所で袖垣根や植木で旨く隠くしてある様なものを見られ、日本人は美術観念が発達して居ると云われて居るが、まあ先生の見ようは</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-12941-12953"><rb>斯</rb><rt>こ</rt></ruby><seg source="#source-12953-12988">う云うたものであった。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-12988-13087">又先生は今も云う様にスケッチが上手であられたが、其為め失敗された</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-13087-13105"><rb>噺</rb><rt>はなし</rt></ruby><seg source="#source-13105-13756">も時々聞いた。其一は先生が函館へ行かれた時、或る朝連れの人達は早く出掛け、先生独り残ったが、先生には昼飯の時半熟の鶏卵を二つ造って置いて貰いたかった。先生は宿屋の主婦を呼び、紙に雌鶏を一羽画かれ、其尻から卵子を二つと少し離れた処に火鉢の上に鍋を画き、今画いた卵子を夫れに入れる様線で示して、五分間煮て呉れと云う積りで、時計の針が丁度九時五分前であったので、指の先きで知らせ何にもかも解ったと思って、外出の仕度をして居らるる処へ、主婦は</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-13756-13777"><rb>遽</rb><rt>あわただ</rt></ruby><seg source="#source-13777-14232">しく鍋と火鉢と牝鶏と卵子二つを持って来た。無論先生は驚かれたが、何にかの誤りであろうと思い、其儘外出され、昼時他の者達が帰って来られたので、聞いて見ると宿屋の御神さんは、九時迄五分の間に夫れ丈けのものを持って来いと云われたと思い、又卵子も夫れを生んだ雌鶏でなくてはと考えたから大騒をしたとの事であった。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-14232-16095">之れは先生の失策噺の一つであるが、久しい間に又は無論斯様な事も沢山あったろう。併し先生は今も云うた様にただ日本人が好きであられた計りでなく、又先生御自身も全く日本人の様な考えを持って居られた。其証拠の一つは先生が日本の帝室から戴かれた勲章に対する事で、先生が東京大学の御傭で居られたのは二年であったので、日本の勲章は普通では戴けなかったのである。併し先生が日本の為めに尽された功績は非常なもので、前述の如く日本の大学が大学らしくなったのも、全く先生の御蔭であるのみならず、又先生は帰国されてからも始終日本と日本人を愛し、本統の日本を全世界に紹介された。であるから日清、日露二大戦争の時にも大いに日本の真意を世界に知らしめ欧米人の誤解を防がれたのである。其上日本から渡米した日本人には誰れ彼れの別なく出来る丈け援助を与えられボストンへ行った日本人でセーラムに立ち寄らないものがあると先生の機嫌が悪かったと云う位であった。であるから、我皇室でも初めに先生に勲三等の旭日章を授けられ其後又勲二等の瑞宝章を送られたのである。誰れも知る様外交官や軍人抔では夫れ程の功績がなくとも勲章は容易に授けらるるのは世界共通の事実であるが、学者抔で高級の勲章をいただく事は真に功績の著しいものに限られて居る。であるから先生が我皇室から授けられた勲章は真に貴重なものである事は疑いのない事である。処が先生は、日本皇帝からいただいた勲章は、日本の皇室に関する時にのみ</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-16095-16119"><rb>佩用</rb><rt>はいよう</rt></ruby><seg source="#source-16119-16382">すべきものであるとの見地から、常時はそれを銀行の保護箱内に仕舞い置かれた。尊い勲章を売る様な人面獣心の奴が日本人にもあるのに先生の御心持が如何に美しいかは窺われるではないか。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">私は前に先生が左右の手を同時に使われる事を云うたが、先生は両手を別々に使わるる計りでなく、先生の脳も左右別々に使用する事が出来たのである。之れに付き面白い噺がある。フィラデルフィアのウィスター・インスチチュートの長ドクトル・グリーンマン氏が或る時セーラムにモース先生を訪い、先生の脳の話が出て、夫れが大層面白いと云うので先生は死んだ後は自分の脳を同インスチチュートへ寄贈せようと云われた。其後グリーンマン氏はガラス製のジャーを木の箱に入れて先生の処へ「永久之れを使用されない事を望む」と云う手紙を付けて送った。処が先生は之れを受け取ってから、書斎の机の下に置き、それを足台にして居られたと。先生が御亡くなりになる前年であった、先生の八十八歳の寿を祝う為めに、我々が出して居る『東洋学芸雑誌』で特別号を発行せようと思い、私が先生の所へ手紙を上げて其事を伺った処斯様な御返辞が来たのである、</p>
      <div type="layout" source="#source-17566-17886" style="padding-inline-start: 1em">
        <p><hi rend="yokogumi horizontal" snh:layout-kind="yokogumi" snh:layout-params="direction=horizontal" source="#source-17601-17807"><seg source="#source-17619-17780">“The Wister Institute of Anatomy of Philadelphia sent a glass Jar properly labelled …… in using for my brain which they will get when I am done with it.”</seg></hi></p>
        <p><seg source="#source-17809-17850">（……の処の文字は不明）。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-17888-18019">此文章の終りの when I am done with it は実に先生でなければ書かれない誠に面白い御言葉である。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-18019-18720">斯様な事は先生には珍しくない事で、先生の言文は夫れで又有名であった。であるから何れの集会でも、先生が居らるる処には必ず沢山の人が集り先生の御話を聴くのを楽みにして居たものである。コンクリン博士が書かれたものの中に又次ぎの様なものがある。或る時ウーズ・ホールの臨海実験で先生が日本の話をされた事がある。此時先生は人力車に乗って来る人の絵を両手で巧に黒板に画かれたが、其顔が直ぐ前に坐って居る所長のホイットマン教授に如何にも能く似て居たので満場の人の大喝采を博したと。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-18720-19625">併し先生にも嫌いな事があった。其一つは家蠅で、他の一つは音だ。此音に付き、近い頃日本に来る途中太平洋上で死なれたキングスレー博士は、次ぎの様な面白い噺を書いて居る。モースがシンシナチイで、或る豪家に泊った時、寝室に小さい貴重な置時計があって、其音が気になってどうしても眠られない。どうかして之れを止めようとしたが、不可能であった。困ったあげく先生は自分の下着で夫れを包み、カバンの中に入れて、グッスリ眠ったが、翌朝此事を忘れて仕舞い、其儘立った。二十四時間の後コロンビアに帰り、カバンを開けて大きに驚き、時計を盗んだと思われては大変だと云うので直ぐに打電して詫び、時計はエキスプレッスで送り返したと。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-19625-20959">先生は一八三八年メイン州のポートランドに生れ、ルイ・アガッシイの特別な門人であられたが、アガッシイの動物学の講義の中で腕足類に関した点に疑問を起し、其後大いにそれを研究して、声名を博されたのである。前にも云うた様に先生が日本に来られたのも其の研究の為めであった。其翌年から前述の如く二年間我大学の教師を勤められ、一度帰られてから八十二年に又来朝せられたが之れは先生には主として日本の陶器を蒐集せらるる為めであった。先生にはセーラム市のピーボデー博物館長であられたり又ボストン美術博物館の日本陶器類の部長をも勤めて居られた。で先生が日本で集められた陶器は悉く此美術博物館へ売られたが、夫れは諸方から巨万の金で買わんとしたが、先生は自分が勤めて居らるる博物館へ比較的安く売られたのであると。之れは先生の人格の高い事を示す一つの話として今でも残って居る。夫れから先生は又此陶器を研究せられて、一大著述を遺されたが、此書は実に貴重なもので、日本陶器に関する書としては恐く世界無比のものであろう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">先生は身心共に非常に健全であられ老年に至る迄盛んに運動をして居られた。コンクリン博士が書かれたものに左の様な言葉がある。「先生は七十五歳の誕生日に若い人達を相手にテニスをして居られた処、ドクトル・ウワアヤ・ミッチェル氏が七十五歳の老人にはテニスは余り烈しい運動であると云い、先生の脈を取って見た処、夫れが丸で子供の脈の様に強く打って居たと。」私が先年ハーバード大学へ行った時マーク氏が話されたのに、モースが八十六（？）で自分が八十で共にテニスをやった事があると。斯様であったから先生は夫れは実に丈夫で、亡くなられる直前迄活動を続けて居られたと。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-21780-22130">先生は一九二五年十二月廿日にセーラムの自宅で静かに逝かれたのである。セーラムで先生の居宅の近くに住い、久しく先生の御世話をして居たマーガレット・ブルックス（先生はお玉さんと呼んで居られた）嬢は私に先生の臨終の様子を斯様に話された。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-22130-23218">先生は毎晩夕食の前後に宅へ来られ、時々夜食を共にする事もあったが、十二月十六日（水曜日）の晩には自分達姉妹が食事をして居る処へ来られ、何故今晩は食事に呼んで呉れなかったか、とからかわれたので、今晩は別に先生に差し上げるものもなかったからと申し上げた処、でも独りで宅で食うより旨いからと云われ、いつもの様に肱掛椅子に腰を下して何にか雑誌を見て居られたが、九時半頃になって、もう眠るからと云うて帰られた。夫れから半時も経たない内に先生の下婢が遽しく駈込んで来て先生が大病だと云うので、急いで行った処、先生には昏睡状態で倒れて居られた。急報でコンコードに居る御嬢さんが来られた時に少し解った様であったが、其儘四日後の日曜日の午後四時に逝かれたのである。であるから、先生には倒れられてからは少しの苦痛も感ぜられなかった様であると。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-23218-23628">斯様に先生は亡くなられる前迄活動して居られたが八十九年の長い間には普通人に比ぶれば余程多くの仕事をせられたのである。夫れに又前述の如く、先生には同一時に二つの違った仕事もせられたのであるから、先生が一生中に致された仕事の年月は少なくとも其倍即ち一九八年にも当る訳である。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-23628-24368">先生の此の貴い脳は今ではウィスター・インスチチュートの解剖学陳列室に収めてある。私も先年フィラデルフィアへ行った時、グリーンマン博士に案内されて拝見したが、先生の脳はドナルドソン博士に依って水平に二つに切断してあった。之れは生前先生の御希望に依り先生の脳の構造に何にか変った点があって夫れが科学に貢献する処があるまいかとの事からである。併しドナルドソン博士が私に話されたのには、一寸表面から見た処では別に変った処も見えない。先生が脳をアノ様に使われたのは多分練習から来たものであったろうと。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">であるから「先生は生きて居られた時にも亦死んだ後にも科学の為めに身心を提供されたのである」とは又コンクリン博士が私に書いて呉れた文章の内にあるが、斯様にして「先生の死で世界は著名な学者を失い、日本は最も好い親友を失い、又先生の知人は楽しき愛すべき仲間を失ったのである」と之れも亦コンクリン博士がモース先生に就いて書かれた言葉である。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-24871-25107">私がセーラムでの御墓参りをした時先生の墓碑は十年前に死なれた奥さんの石の傍に横になって居たが、雪が多いので、其時まだ建てる事が出来なかったとの事であった。</seg></p>
        <p style="text-indent: 8em" rend="first-line-indent(8)"><seg source="#source-25107-25179">×　　　×　　　×　　　×　　　×</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-25179-25191">終りに</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-25191-25206"><rb>茲</rb><rt>ここ</rt></ruby><seg source="#source-25206-25559">に書いて置かなくてはならぬ事は、此書の出版に就き医学博士宮嶋幹之助君が大層骨を折って下さった事と、啓明会が物質上多大の援助を与えられた事と、モース先生の令嬢ミセス・ロッブの好意許可とで、之れに対しては大いに御礼を申し上げ度いのである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-25559-25826">夫れに又附言する事を許していただき度い事は私の子供の欣一が此書を訳させていただいた事で、之れは欣一が米国に留学して居た時先生が大層可愛がって下さったので、殊に願ったからである。</seg></p>
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        <note type="source-attribution" source="#source-25834-26270"><seg type="source-line">底本：「日本その日その日1〔全3巻〕」東洋文庫、平凡社</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1970（昭和45）年9月15日初版第1刷発行</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1972（昭和47）年4月15日初版第4刷発行</seg><lb/><seg type="source-line">底本の親本：「日本その日／＼（上）」科学知識普及会</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1929（昭和4）年11月3日発行</seg><lb/><seg type="source-line">初出：「日本その日／＼（上）」科学知識普及会</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1929（昭和4）年11月3日発行</seg></note>
        <note type="transcriber-note" source="#source-26270-26583"><seg type="source-line">入力：富田晶子</seg><lb/><seg type="source-line">校正：雪森</seg><lb/><seg type="source-line">2016年9月9日作成</seg><lb/><seg type="source-line">青空文庫作成ファイル：</seg><lb/><seg type="source-line">このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（http://www.aozora.gr.jp/）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。</seg></note>
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      <note type="parser-completion" n="true">The n attribute is true when no parser diagnostic of error severity was raised for this source. What the converter could not interpret is recorded in the interpretation-problem and parser-diagnostic notes.</note>
      <note type="source-decoding">windows-31j</note>
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