詩や、空想や、幻想を、冷笑する人々は、自分等の精神が、物質的文明に中毒したことに気付かない人達です。人間は、一度は<ruby><rb>光輝</rb><rt>こうき</rt></ruby>な世界を有していたことがあったのを<ruby><rb>憫</rb><rt>あわ</rt></ruby>れむべくも<ruby><rb>自</rb><rt>みずか</rt></ruby>ら知らない不明な<ruby><rb>輩</rb><rt>やから</rt></ruby>です。

芸術は、ほんとうに現実に立脚するものです。童話は、芸術中の芸術であります。虚無の自然と生死する人生とを関連する不思議な<ruby><rb>鍵</rb><rt>かぎ</rt></ruby>です。芸術の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>でも、童話は小説などと<ruby><rb>異</rb><rt>ちが</rt></ruby>って、直ちに、現実の生命に飛び込む魔術を有しています。

童話は、全く、純真創造の世界であります。本能も、理性も、この世界にあっては、最も自由に、完美に発達をなし遂げることが出来るのであります。何者の権力を以てしても、この自由を束縛することができない。

私は、童話の世界を考えた時に、汚濁の世界を忘れます。童話の創作熱に魂の燃えた時に、はじめて、私の眼は、無窮に、澄んで青い空の色を<ruby><rb>瞳</rb><rt>ひとみ</rt></ruby>に映して、<ruby><rb>恍惚</rb><rt>こうこつ</rt></ruby>たることを得るのであります。

私を、現実の苦しみから救うものは、逃避でもなく、妥協でもなく、また終わりなき戦いでもなく、全く、創造の熱愛があるからです。私は、創造のために、いかなる戦いも辞せない。

私達が、この現実に於て、あらゆる方面や、形に於て戦うということは、<ruby><rb>畢竟</rb><rt>ひっきょう</rt></ruby>、その後に来るべき、新世界を目的とするがためであります。

美の世界、正義の世界、親愛の世界、人類共楽の世界、それを眼に描かず、<ruby><rb>憧</rb><rt>あこが</rt></ruby>れず、また建設の誠実なき人々には、純真な童話の世界も、また決して、分かるものでない。

小供の勇気を見よ。冒険を信ぜよ。子供のすべてはロマンチシストであった。なんで、人間は、大きくなって、この心を有しないのか。そして、旧習慣、<ruby><rb>常套</rb><rt>じょうとう</rt></ruby>、俗悪なる形式作法に<ruby><rb>囚</rb><rt>とら</rt></ruby>われなければならぬのか。

<ruby><rb>塵埃</rb><rt>じんあい</rt></ruby>に<ruby><rb>塗</rb><rt>まみ</rt></ruby>れた、草や、木が、風雨を恋うるように、生活に疲れた人々は、清新な生命の泉に<ruby><rb>渇</rb><rt>かっ</rt></ruby>するのであります。詩の使命を知るものは、童話が、いかに、この人生に重大な位置にあるかを考えるでありましょう。

新人生建設のために、私達は、新芸術の使命と権威を考えなくてはならない。