Soranoha

死刑

しけい

上司 小剣

一

今日けふも千日前せんにちまへへ首くびが七なゝつかゝつたさうな。…

昨日きのふは十とをかゝつた。‥‥

明日あしたは幾いくつかゝるやろ。‥‥

こんな噂うはさが、市中しちういツぱいに擴ひろがつて、町々まち〱は火ひの消きえたやうに靜しづかだ。

西町奉行にしまちぶぎやう荒尾但馬守あらをたじまのかみは、高たかい土塀どべいに圍かこまれた奉行役宅ぶぎやうやくたくの一室しつで、腕組うでぐみをしながら、にツと笑わらつた。

『乃公おれの腕うでを見みい。』

彼かれは腕うでは細ほそかつたが、この中なかには南蠻鐵なんばんてつの筋金すぢがねが入はひつてゐると思おもふほどの自信じしんがある。其その細ほそい手ての先さきに附ついてゐる掌てのひらが、ぽん〱と鳴なつた。

『お召めしでございますか。』

矢やがすりの袷あはせに、赤あかの帶おびの竪矢たてやの字じを背中せなかに負おうた侍女じぢよが、次つぎの間まに手てを支つかへて、キッパリと耳みゝに快こゝろよい江戸言葉えどことばで言いつた。

『玄竹げんちくはまだ來こないか。』

但馬守たじまのかみもキッパリと爽さわやかな調子てうしで問とうた。

『まだお見みえになりません。』

侍女じぢよは手てを支つかえたまゝ、色いろの淺黒あさぐろい瓜實顏うりざねがほを擡もたげて答こたへた。頬ほゝにも襟えりにも白粉氣おしろいけはなかつた。

『おそいなう。玄竹げんちくが見みえたら、直すぐこれへ連つれてまゐれ。』

滅多めつたに笑わらつたこともない但馬守たじまのかみ、今日けふは殊ことに機嫌きげんのわるい主人しゆじんが、にツこりと顏かほを崩くづしたのを、侍女じぢよ紀こつなは不思議ふしぎさうに見上みあげて、『畏かしこまりました。』と、うや〱しく一禮れいして立たち去さらうとした。其その竪矢たてやの字じの赤あかい色いろが、廣ひろい疊廊下たゝみらうかから、黒棧腰高くろさんこしだかの障子しやうじの蔭かげに消きえようとした時とき、

『あゝ、これ、待まて、待まて。』と、但馬守たじまのかみは聲こゑをかけた。

『御用ごようでございますか。』と、紀こつなは振ふり向むいて跪ひざまづいた。但馬守たじまのかみはヂッと紀こつなの顏かほを見詰みつめてゐたが、

『其方そちは江戸えどに歸かへりたいか。』

優やさしい言葉ことばが、やがて一尺しやくもあらうかと思おもはるゝほどに長ながく大おほきな髻たぶさを載のせた頭あたまのてツぺんから出でた。

『はい。』

紀こつなの返辭へんじはきはめて簡單かんたんであつた。

『歸かへりたいか。』

『はい。』

『歸かへりたいだらう。生なまぬるい、青あをんぶくれのやうな人間にんげんどもが、年中ねんぢう指先ゆびさきでも、眼めの中なかでも算盤そろばんを彈はじいて、下卑げびたことばかり考かんがへてゐるこの土地とちに、まことの人間にんげんらしい人間にんげんはとても居をられないね。狡猾かうくわつで恥知はぢしらずで、齒切はぎれがわるくて何一なにひとつ取とり柄えのない人間にんげんばかりの住すんで居ゐる土地とちだ。取とり柄えと言いへば、頭あたまから青痰あをたんを吐はきかけられても、金かねさへ握にぎらせたら、ほく〱喜よろこんでるといふ其その徹底てつていした守錢奴しゆせんどぶりだ。此方こつちから算盤そろばんを彈はじいて、この土地とちの人間にんげんの根性こんじやうを數かぞへてやると泥棒どろぼうに乞食こじきを加くはへて、それを二ふたつに割わつたやうなものだなう。』

但馬守たじまのかみは、例れいの額ひたひの筋すぢをピク〱と動うごかしつゝ言いつた。紀こつなはなんとも答こたへなかつたが、厭いやで厭いやでたまらないこの土地とちの生なまぬるい、齒切はぎれのわるい人間にんげんをこツぴどくやつ付つけてくれた殿樣とのさまの小氣味こきみのよい言葉ことばが、氣持きもちよく耳みゝの穴あなへ流ながれ込こんで、すうツと胸むねの透すくのを覺おぼえた。

『あゝもういゝ、行ゆけ〱。‥‥江戸えどはもう山王祭さんわうまつりだなう、また賑にぎやかなことだらう。』

但馬守たじまのかみは懷なつかしさうに言いつて、築山つきやまの彼方かなたに、少すこしばかり現あらはれてゐる東ひがしの空そらを眺ながめた。紀こつなも身體からだがぞく〱するほど東あづまの空そらを慕したはしく思おもつた。

二

暫しばらくして、紀こつなが再ふたゝび廣縁ひろえんに現あらはれた時ときは、竪矢たてやの字じの背後うしろに、醫師いしの中田玄竹なかだげんちくを伴ともなうてゐた。

『玄竹げんちく、見みえたか。』

さも〱待まちかねたといふ風ふうにして、但馬守たじまのかみは座蒲團ざぶとんの上うへから膝ひざを乘のり出だした。

『見みえたから、此處ここに居をりまする。』

玄竹げんちくは莞爾につこりともしないで言いつた。

『また始はじめたな、玄竹げんちく。其その洒落しやれは古ふるいぞ。』と、但馬守たじまのかみは微笑ほゝゑんだ。

『古ふるいも新あたらしいも、愚老ぐらうは洒落しやれなんぞを申まをすことは嫌きらひでございます。江戸えどつ子このよくやります、洒落しやれとかいふ言葉ことばの戲ざれ遊あそびは、厭いやでございます。總そうじて江戸えどは人間にんげんの調子てうしが輕かるうて、言葉ことばも下したにござります。下品げひんな言葉ことばの上うへへ、無暗むやみに「お」の字じを附つけまして、上品じやうひんに見みせようと企たくらんで居をります。味噌汁みそしるのことをおみおつけ、風呂ふろのことをおぶう、香かうのもののことをおしんこ。‥‥』

『もういゝ、玄竹げんちく。其方そちの江戸攻撃えどこうげきは聞きき飽あきた。なう紀こつな。』と、但馬守たじまのかみは玄竹げんちくのぶツきら棒ぼうに言いひたいことを言いふのが、好すきでたまらないのであつた。江戸えどから新あたらしく此この町奉行まちぶぎやうとして來任らいにんしてから丁度ちやうど五ヶ月げつ、見みるもの、聞きくもの、癪しやくに障さはることだらけの中なかに、町醫まちい中田玄竹なかだげんちくは水道すゐだうの水みづで産湯うぶゆを使つかはない人間にんげんとして、珍めづらしい上出來じやうできだと思おもつて感心かんしんしてゐる。

『玄竹げんちくさまは、わたくしがお火ひのことをおしと言いつて、ひをしと訛なまるのをお笑わらひになりますが、御自分ごじぶんは、しをひと間まちがへて、失禮しつれいをひつれい、質屋しちやをひち屋やと仰おつしやいます。ほゝゝゝゝゝ。』と、紀こつなは殿樣とのさまの前まへをも忘わすれて、心地こゝちよげに笑わらつた。

『紀こつなどのは、質屋しちやのことを御存ごぞんじかな。』と、玄竹げんちくの機智きちは、敵てきの武器ぶきで敵てきを刺さすやうに、紀こつなの言葉ことばを捉とらへて、紀こつなの顏かほの色いろを赧あかくさせた。

『料理番れうりばんに申まをしつけて、玄竹げんちくに馳走ちそうをして取とらせい。余よもともに一獻こん酌くまう。』と、但馬守たじまのかみは、紀こつなを立たち去さらせた。

『殿樣とのさま、度々たび〱のお人ひとでございまして、恐おそれ入いりました。三日みつかの間あひだ城内じやうないへ詰つめ切きりでございまして、漸やうやう歸宅きたくいたしますと町方まちかたの病家びやうかから、見舞みまひの催促さいそくが矢やを射いるやうで、其處そこをどうにか切きり拔ぬけてまゐりました。』

『それは大儀たいぎだツた。どうだな能登守殿のとのかみどのの御病氣ごびやうきは。』と、但馬守たじまのかみは容かたちを正たゞして問とうた。

『御城代樣ごじやうだいさまの御容態ごようだいは、先まづお變かはりがないといふところでございませうな。癆症らうしやうといふものは癒なほりにくいもので。』と、玄竹げんちくは眉まゆを顰ひそめた。

『前御城代ぜんごじやうだい山城守殿やましろのかみどの以來いらい、大鹽おほしほの祟たゝりで、當城たうじやうには碌ろくなことがないな。』

『猫間川ねこまがはの岸きしに柳櫻やなぎさくらを植うゑたくらゐでは、大鹽おほしほの亡魂ばうこんは浮うかばれますまい。しかし殿樣とのさまが御勤務役ごきんむやくになりましてから、市中しちうの風儀ふうぎは、見みちがへるほど改あらたまりました。玄竹げんちく、辯べんちやらが大嫌だいきらひでござりますで、正直しやうぢきなところ、殿樣とのさまほどのお奉行樣ぶぎやうさまは昔むかしからございません。』と言いつて、玄竹げんちくは剃そり立たての頭あたまを一ひとつ、つるりと撫なでた。

『譽ほめられても嬉うれしくはないぞ。玄竹げんちく、それより何なにか面白おもしろい話はなしでもせんか。』と、但馬守たじまのかみの顏かほには、どうも冴さえ切きらぬ色いろがあつた。

『殿樣とのさまのお氣きに召めすやうな話はなしの種たねは尠すくなうござりましてな。また一ひとつ多田院ただのゐん參詣さんけいの話はなしでもいたしませうか。』

『うん、あの話はなしか。あれは幾度いくど聽きいても面白おもしろいな。』と、言いひかけた但馬守たじまのかみは、不圖ふと玄竹げんちくの剃そり立たての頭あたまに、剃刀創かみそりきずが二ヶ所しよばかりあるのを發見はつけんして、『玄竹げんちく、だいぶ頭あたまをやられたな。どうした。』と、首くびを伸のばして、覗のぞくやうにした。

『いやア。』と、玄竹げんちく、頭あたまを押おさへて、『御城内ごじやうないで、御近習ごきんじゆに切きられました。御城内ごじやうないへ詰つめ切きりますと、これが一ひとつの災難さいなんで‥‥。』と、醫者仲間いしやなかまでは嚴格げんかくと偏屈へんくつとで聞きこえた玄竹げんちくも、矢張やはり醫者全體いしやぜんたいの空氣くうきに浸ひたつて、少すこしは輕佻けいてうな色いろが附ついてゐた。

『能登守殿のとのかみどのの近習きんじゆが、其方そちの頭あたまを切きるか。』と、但馬守たじまのかみは不審ふしんさうにして問とうた。

『左樣さやうでござります。愚老ぐらうの頭あたまを草紙さうしにして、御城代樣ごじやうだいさまのお月代さかやきをする稽古けいこをなさいますので、成なるたけ頭あたまを動うごかしてくれといふことでござりまして。どうも危あぶないので、思おもふやうに動うごかせませなんだが、それでもだいぶ創きずが附つきましたやうで、鏡かゞみは見みませんが、血ちが浸染にじんで居をりますか。』と、玄竹げんちくは無遠慮ぶゑんりよに、圓まるい頭あたまを但馬守たじまのかみの前まへに突つき出だして見みせた。疊たゝみ三枚まいほど距へだたつてはゐるが、但馬守たじまのかみの鋭するどい眼めは、玄竹げんちくの頭あたまの剃刀創かみそりきずをすつかり數かぞへて、

『創きずは大小だいせう三ヶ所しよだ。‥‥大名だいみやうといふものは、子供こどものやうなものだなう。月代さかやきを剃そらせるのに頭あたまを動うごかして仕樣しやうがないとは聞きいてゐたが、醫者いしやの坊主ばうずの頭あたまを草紙さうしにして、近習きんじゆが剃刀かみそりの稽古けいこをするとは面白おもしろい。大名だいみやうの頭あたまに創きずを附つけては、生命いのちがないかも知しれないからな。』と言いひながら、但馬守たじまのかみは『生命いのちがない』の一語ごを口くちにするとともに、少すこし顏かほの色いろを變かへた。

三

玄竹げんちくは病家廻びやうかまはりの忙せはしい時間じかんを割さいて、日ひの暮くれるまで、但馬守たじまのかみの相手あひてをしてゐた。酒肴しゆかうが出でて、酒さけの不調法ぶてうほふな玄竹げんちくも、無理むりから相手あひてをさせられた盃さかづきの二ふたつばかりに、ほんのりと顏かほを染そめてゐた。一合がふほどを量りやうとした但馬守たじまのかみは、珍めづらしく二三度ども銚子てうしを代かへたが、一向かうに醉ゑふといふことを知しらなかつた。飮のめば飮のむほど顏色かほいろの蒼あをざめて行ゆくのが、燭臺しよくだいの火ひのさら〱する中なかに、凄すごいやうな感かんじを玄竹げんちくに與あたへた。

玄竹げんちくは今日けふの奉行役宅ぶぎやうやくたくが、いつもよりは更さらに靜しづかで、寂さびしいのに氣きが付ついた。夜よに入いるとともに、靜寂せいじやくの度どが加くははつて川中かはなかの古寺ふるでらの書院しよゐんにでも居ゐるやうな心持こゝろもちになつた。いつも氣きに入いりの玄竹げんちくが來くると、但馬守たじまのかみは大抵たいてい差さし向むかひで話はなしをして障子しやうじには、大おほきな、『××の金槌かなづち』と下世話げせわに惡評あくひやうされる武士髷ぶしまげと、固かたい頭あたまとが映うつるだけで、給仕きふじはお氣きに入いりの紀こつなが一人ひとりで引受ひきうけて辨べんずるのであるが、それにしても、今宵こよひは何なんだか寂さびし過すぎて、百物語ひやくものがたりの夜よといふやうな氣きがしてならなかつた。

『玄竹げんちく、其方そちに逢あつたのは、いつが初對面しよたいめんだツたかなう。』と、但馬守たじまのかみは空からの盃さかづきを玄竹げんちくの前まへに突つき出だして、銚子てうしの口くちを受うけながら言いつた。お氣きに入いりの紀こつなさへ席せきを遠とほざけられて、何なにかしら込こみ入いつた話はなしのありさうなのを、玄竹げんちくは氣きがかりに思おもひつゝ、落おち着つかぬ腰こしを無理むりから落おち着つけて、天王寺屋てんわうじや、米屋よねや、千種屋ちぐさやと出入でいりの大町人おほちやうにんに揃そろひも揃そろつて出來できた病人びやうにんのことを、さま〲に考かんがへてゐた。

『御勤役ごきんやく間まもない頃ころのことでござりました。岡部樣をかべさまの一件けんから、しようもないことが、殿樣とのさまのお氣きに召めしまして。‥‥』と、玄竹げんちくは圓まるい頭あたまを振ふり〱言いつた。さうして物覺ものおぼえのよい但馬守たじまのかみがまだ半年はんとしにもならぬことを、むざ〱忘わすれてしまはうとは思おもはれないので、何なにか理由わけがあつてこんなことを問とふのであらうと、玄竹げんちくは心こゝろで頷うなづいた。

『あゝア、さうだつたなア。美濃守殿みののかみどののことから、其方そちの潔白けつぱくを聞きいて、ひどく感心かんしんしたのだつたな。全まつたく其方そちは此この卑劣ひれつな、強慾がうよくな、恥知はぢしらずの人間にんげんばかり多おほい土地とちで、珍めづらしい潔白けつぱくな高尚かうしやうな人間にんげんだ。余よは面前めんぜんで其その人間にんげんを譽ほめるのを好このまんが、今夜こんやは許ゆるしてくれ。』と、但馬守たじまのかみはまた盃さかづきを上あげた。

『黒くろい物ものばかりの中なかでは、鼠色ねずみいろも白しろく見みえまするもので。‥‥』と、玄竹げんちくは得意氣とくいげに言いつた。

『しかし、美濃守殿みののかみどのも、不慮ふりよのことでなう。江戸表參覲えどおもてさんきんの出でがけに、乘のり物ものの中なかで頓死とんしするといふのは椿事中ちんじちうの椿事ちんじだ。』と、但馬守たじまのかみの言葉ことばは、死しといふことになると、語氣ごきが強つよく且かつ沈痛ちんつうの響ひゞきを帶おびた。

『あの時ときは愚老ぐらうも不審ふしんに思おもひました。岸和田藩きしわだはんのお武士さむらひが夜分やぶん内々ない〱で見みえまして、主人しゆじん美濃守みののかみ急病きふびやうで惱なやんでゐるによつて診みてくれとのお話はなし。これから直すぐお見舞申みまひまをさうと申まをしますと、いや明日あすでよい、當方たうはうから迎むかへをよこすと、辻褄つじつまの合あはぬことを言いうて、さツさと歸かへつて行ゆかれるのでござります。翌あくる日ひも漸やうやう巳みの下刻げこくになつて、ちやんと共揃ともぞろひをした武士ぶしが改あらためて愚老ぐらうを迎むかへに見みえましたが、美濃守樣みののかみさまはもう前まへの日ひの八やつ頃ごろに御臨終ごりんじうでござりまして。‥‥』と、玄竹げんちくは天下てんかの一大事だいじを語かたるやうに、聲こゑを密ひそめて言いつた。

『この土地とちで病やみ患わづらひをしたのは、其方そちの見立みたて書がきがないと、江戸表えどおもてへ通とほらないことは、かねがね聞きいてゐた。其その特權とくけんを利用りようして、其その方はうは不當ふたうの袖そでの下したを取とるのだらうと、實じつは當地たうちへ勤役きんやくの初はじめに睨にらんでおいた。ところが美濃守殿みののかみどのの一件けんで、言いはゞ五萬まん三千石ぜんごくの家いへが立たつか潰つぶれるかを、其方そちの掌たなごころに握にぎつたも同樣どうやう、どんな言いひがかりでも付つけられるところだと、内々ない〱で注意ちういしてゐると、潔白けつぱくの其方そちは、ほんの僅わづかな藥禮やくれいを受うけて、見立みたて書がきを認したゝめたと聞きき、實じつに感心かんしんしたのだ。』と、但馬守たじまのかみは今いまもなほ感心かんしんをつゞけてゐるといふ風ふうであつた。

『醫道いだうの表おもてから申まをしますれば、死しんだものを生いきてゐるとして、白々しら〲しい見立みたて書がきで、上かみを僞いつはるのは、重おもい罪つみに當あたりませうが、これもまア、五萬まん三千石ぜんごくの一家中かちうを助たすけると思おもうていたしました。』と、玄竹げんちくはまた得意氣とくいげな顏かほをした。

『天下てんかの役人やくにんが、皆みな其方そちのやうに潔白けつぱくだと、何なにも言いふことがないのだが。‥‥』と、但馬守たじまのかみは、感慨かんがいに堪たへぬといふ樣子やうすをした。

『しようもないことが、お氣きに召めしたとは存ぞんじて居をりましたが、しかし殿樣とのさまにあの時ときのことをすツかり愚老ぐらうの口くちから申まをし上あげますのは、今日けふが初はじめでござります。』

『余よも其方そちの面前めんぜんで、この事ことを譽ほめるのは、今夜こんやが初はじめだ。其方そちとは何なにかにつけて、氣きが合あふなう。』

『愚老ぐらうも殿樣とのさまが守口もりぐちで、與力衆よりきしうの膽玉きもだまをお取とり拉ひしぎになつたことを、今いまもつて小氣味こきみよく存ぞんじて居をります。』

話はなしがよく合あふので二人ふたりは夜よの更ふけるのを忘わすれて語かたりつゞけた。

四

西町奉行にしまちぶぎやう荒尾但馬守あらをたじまのかみが、江戸表えどおもてから着任ちやくにんするといふので、三十騎きの與力よりきは、非番ひばんの同心どうしんを連つれて、先例せんれいの通とほり守口もりぐちまで出迎でむかへた。師走しはすの中頃なかごろで、淀川堤よどがはづつみには冬枯ふゆがれの草くさが羊ひつじの毛けのやうでところ〲に圓まるく燒やいた痕あとが黒くろく見みえてゐた。

戲たはむれに枯草かれくさへ火ひを移うつした子供等こどもらは、遙はるかに見みえる大勢おほぜいの武士ぶしの姿すがたに恐おそれて、周章あわてながら火ひを消けさうと、青松葉あをまつばの枝えだで叩たゝくやら、燃もえてゐる草くさの上うへへ轉ころがるやらして、頻しきりに騷さわいでゐた。青あをい水みづの上うへには、三十石船さんじつこくぶねがゆつたりと浮うかんで、晴はれた冬空ふゆぞらの弱よわい日光につくわうを、舳ともから艫みよしへいツぱいに受うけてゐた。

伏見ふしみから京街道きやうかいだうを駕籠かごで下くだつて來きた但馬守たじまのかみが、守口もりぐちで駕籠かごをとゞめ、靜しづかに出迎でむかへの與力等よりきらの前まへに現あらはれたのを見みると眞岡木綿まをかもめんの紋付もんつきに小倉こくらの袴はかまを穿はいてゐた。何處どこの田舍武士ゐなかぶしかと言いつたやうな、其その粗末そまつな姿すがたを見みて、羽二重はぶたへづくめの與力よりきどもは、あつと驚おどろいた。

與力よりきの中なかでも、盜賊方たうぞくがたと地方ぢかたとは、實入みいりが多おほいといふことを、公然こうぜんの祕密ひみつにしてゐるだけあつて、其その裝よそほひでもまた一際ひときは目立めだつて美々びゝしかつた。羽二重はぶたへの小袖羽織こそでばおりに茶宇ちやうの袴はかま、それはまだ驚おどろくに足たりないとして、細身ほそみの大小だいせうは、拵こしらへだけに四百兩ひやくりやうからもかけたのを帶さしてゐた。鐺こじりに嵌はめた分ぶの厚あつい黄金きんが燦然さんぜんとして、冬ふゆの日ひに輝かゞやいた。それを但馬守たじまのかみに見みられるのが心苦こゝろぐるしさに地方ぢかたの與力よりき何某なにがしは、猫ねこに紙袋かんぶくろを被かぶせた如ごとく後退あとずさりして、脇差わきざしの目貫めぬきの上のぼり龍りう下くだり龍りうの野金やきんは、扇子せんすを翳かざして掩おほひ隱かくした。

『遠方ゑんぱうまでわざ〱出迎でむかへを受うけて、大儀たいぎであつた。何分なにぶん新役しんやくのことだから、萬事ばんじ宜よろしく頼たのむ。しかしかうして、奉行ぶぎやうとなつて見みれば、各々おの〱與力よりき同心どうしんは、余よの子このやうに思おもふ。子こだから可愛かはいいが、いけないことがあると叱しかりもすれば勘當かんだうもする。事ことによつたら殺ころすかも知しれない。各々おの〱も知しつてゐるだらう、御城與力おしろよりきや同心どうしんは、御城代ごじやうだいへ勤役中きんやくちう預あづけおく、といふ上意じやういだが、町奉行まちぶぎやうへは與力よりき同心どうしんを勤役中きんやくちう下くだされおくといふ上意じやういになつて居ゐる。御城與力おしろよりきは、御城代ごじやうだいの預あづかり物ものだが町奉行まちぶぎやうは與力よりき同心どうしんを貰もらつたのだ。詰つまり各々おの〱は今日けふから、この但馬たじまの貰もらひ物ものだ。貰もらひ物ものだから、活いかさうと殺ころさうと但馬たじまの勝手かつてだ。其處そこをよく辨わきまへて、正たゞしく働はたらいて貰もらひたい。爪つめの垢あかほどでも、不正ふせいがあつたら、この但馬たじまは決けつして默だまつてゐない。』

堤つゝみの枯草かれくさの上うへに立たつて、但馬守たじまのかみは大おほきな聲こゑで新任しんにんの挨拶あいさつに兼かねて一場ぢやうの訓示くんじ演説えんぜつをした。其その演説えんぜつに少すこしも耳みゝを痛いためないで聽きくことの出來できた者ものは、多おほくの與力よりき同心どうしん中ちうで殆ほとんど一人ひとりもなかつた。

『此地こつちの與力よりきは皆みな贅澤ぜいたくだと、かね〲聞きいてゐたが、しかしこれほどだとは思おもはなかつた。お蔭かげで但馬たじま、歌舞伎役者かぶきやくしやの座頭ざがしらにでもなつたやうな氣きがする。』と、ひどい厭味いやみを言いつた時ときは、與力よりきどもが皆みな冷汗ひやあせに仕立したておろしの襦袢じゆばんの胴どうを濡ぬらした。

かうして、但馬守たじまのかみは敵地てきちにでも乘のり込こむやうにして、奉行役宅ぶぎうやくたくへ入はひつたのであつた。

天滿與力てんまよりきはそれから急けふに木綿もめんものの衣類いるゐを仕立したてさせるやら、大小だいせうの拵こしらへを變かへるやら、ごた〱と大騷おほさわぎをしたが、但馬守たじまのかみの眼めは、キラ〱と常つねに彼等かれらの上うへに光ひかつて、彼等かれらは眩まぶしさに尻込しりごみばかりしてゐた。

但馬守たじまのかみは先まづ與力よりきどもを威おどかし付つけて置おいて、それから町家ちやうかの上うへに眼めを配くばつた。すると其處そこには、あらゆる腐敗ふはいが、鼻持はなもちもならぬまでにどろ〱と、膿汁うみしるのやうな臭氣しうきを八方ぱうに流ながしてゐた。其その中なかで、内安堂寺町うちあんだうじまちに住すむ町醫まちいの中田玄竹なかだげんちくだけが、ひどく氣きに入いつて、但馬守たじまのかみの心こゝろは玄竹げんちくの圓まるい頭あたまを見みなければ、決けつして動うごくことがなくなつた。

但馬守たじまのかみが玄竹げんちくを愛あいしたのは、玄竹げんちくが岡部美濃守をかべみののかみの頓死とんしを披露ひろうするに最もつとも必要ひつえうな診斷書しんだんしよを、何なんの求もとむるところもなく、淡白たんぱくに書かき與あたへたといふ心こゝろの潔白けつぱくを知しつたのが第だい一の原因げんいんである。それから、但馬守たじまのかみが着任ちやくにんして間まもなく、或あるところで變死人へんしにんがあつた時とき、其その土地とちの關係くわんけいで、但馬守たじまのかみの配下はいかの與力よりきと、近衞關白家このゑくわんぱくけの役人やくにんともう一ヶ所しよ何處どこかの代官だいくわんの何なにかの組下くみしたと、かう三人にん揃そろはなければ、檢死けんしは行おこなはれない事情じじやうがあつて、死體したいは菰包こもづつみのまゝ十日とをか近ちかくも轉ころがしてあつた。それで其その一町ちやう四方はうは晝間ひるまも戸とを締しめたといふほど、ひどい臭氣しうきが、其その頃ころの腐くさつた人間にんげんの心こゝろのやうに、風かぜに吹ふかれて飛とび散ちつた。

漸やうやく三組みくみの役人やくにんの顏かほが揃そろうて、いざ檢死けんしといふ時とき、醫師いしとして中田玄竹なかだげんちくが出張しゆつちやうすることになつた。流石さすがに職掌柄しよくしやうがらとて玄竹げんちくは少すこしも死體したいの臭氣しうきを感かんじない風ふうで、菰こもの下したの腐肉ふにくを細こまかに檢案けんあんした。

『もういゝ加減かげんでよいではないか。』

近衞家このゑけの京武士みやこぶしは、綺麗きれいな扇あふぎで、のツぺりした顏かほを掩おほひつゝ、片手かたてで鼻なはを摘つまんで、三間げんも離はなれたところから、鼻聲はなごゑを出だした。

『もうよい分わかつた。』と、但馬守たじまのかみ配下はいかの與力よりきも言いつた。

『ひどい蛆うじだなア。』と、一番ばん近ちかく寄よつた某家ぼうけの武士ぶしの側そばからでも、死體したいまではまだ一間半けんはんばかりの距離きよりがあつた。

『もつと近ちかうお寄よりなさい。それで檢死けんしの役目やくめは濟すみますか。』と言いひ〱、玄竹げんちくは腐くさつた死體したいを右みぎに左ひだりに、幾度いくたびもひつくりかへした。皮かはが破やぶれ、肉にくが爛たゞれて、膿汁うみしるのやうなものが、どろ〱してゐた。内臟ないざうはまるで松魚かつをの酒盜しほからの如ごとく、掻かき廻まはされて、ぽかんと開あいた脇腹わきばらの創口きずぐちから流ながれ出だしてゐた。死體したいが玄竹げんちくの手てで動うごかさるゝ度たびに、臭氣しうきは一層そう強つよく、人々ひと〲の鼻はなを襲おそうた。

『やアたまらん。』と、京武士みやこぶしは更さらに一二間けんも後退あとずさりした。

『もツと側そばへ寄よつて、ほんたうに檢死けんしをなさらんと、玄竹げんちく檢案書けんあんしよを認したゝめませんぞ。』と、玄竹げんちくは大おほきな聲こゑを出だした。其その聲こゑは遠とほくから、鼻はなを摘つまみつゝ檢死けんしの模樣もやうを見みたがつてゐる群衆ぐんしうの耳みゝまで響ひゞくほど高たかかつた。

三人にんの武士ぶしは仕しかたなしに、左右さいうを顧かへりみつゝ、少すこしづつ死體したいの側そばに近寄ちかよつて來きた。玄竹げんちくは町醫まちいであるけれども、夙つとに京都きやうとの方はうへ手てを廻まはして、嵯峨御所さがごしよ御抱おかゝへの資格しかくを取とり、醫道修業いだうしゆげふの爲ために其その地ちに遣つかはすといふ書付かきつけに、御所ごしよの印いんの据すわつたのを持もつてゐるから、平生へいぜいは一本ぽんきり帶さしてゐないけれども、二本帶ほんさして歩あるく資格しかくを有もつてゐて、與力よりきや京武士みやこぶしの後あとへ廻まはらなくてもいいだけの地位ちゐになつた。

『まるで、今いまの世よの中なかを見みるやうに上うへも下したも、すつかり腐くさつて居をりますぞ。臭くさいもの身知みしらずとやら、この死骸しがいよりは今いまの世よの中なか全體ぜんたいの方はうが臭氣しうきはひどい。この死骸しがいの腐くさり加減かげんぐらゐは今いまの世よの中なかの腐くさりかたに比くらべると何なんでもござらん。』

玄竹げんちくは當あてこすりのやうなことを言いつて、更さらに劇はげしく死體したいを動うごかした。三人にんの武士ぶしは、『ひやア。』と叫さけんで、また逃にげ出だした。――

この話はなしを但馬守たじまのかみが、與力よりきから聞きいて、一層そう玄竹げんちくが好すきになつたのであつた。それからもう一ひとつ、玄竹げんちくが但馬守たじまのかみを喜よろこばせた逸話いつわがある。

五

其その春はる、攝州せつしう多田院ただのゐんに開帳かいちやうがあつて、玄竹げんちくは病家びやうかの隙すきを見みた上うへ、一日にち其その參詣さんけいに行ゆきたいと思おもつてゐた。ところが丁度ちやうど玄竹げんちくに取とつて幸さいはひなことには、多田院別當ただのゐんべつたう英堂和尚えいだうをしやうが病氣びやうきになつて、開帳中かいちやうちうのことだから、早はやく本復ほんぷくさせないと困こまるといふので、玄竹げんちくのところへ見舞みまひを求もとむる別人べつじんが來きた。其その前年ぜんねんの八月ぐわつ、英堂和尚えいだうをしやうが南都なんと西大寺せいだいじから多田院ただのゐんへの歸かへりがけに、疝氣せんきに惱なやんで、玄竹げんちくの診察しんさつを受うけたことがあるので、一度どきりではあるが、玄竹げんちくは英堂和尚えいだうをしやうと相識さうしきの仲なかであつた。それで直すぐ準備じゆんびをして、下男げなんに藥箱くすりばこを擔かつがせ、多田院ただのゐんからの迎むかへの者しやを先さきに立たてて、玄竹げんちくはぶら〱と北野きたのから能勢街道のせかいだうを池田いけだの方はうへ歩あるいた。

駕籠かごに乘のつて行ゆかうかと思おもつたけれど、それも大層たいそうだし、長閑のどかな春日和はるびよりを、麥畑むぎばたけの上うへに舞まふ雲雀ひばりの唄うたを聽ききつゝ、久ひさし振ぶりで旅人たびびとらしい脚絆きやはんの足あしを運はこぶのも面白おもしろからう、何なんの六里りぐらゐの田舍路ゐなかみちを、長袖ながそでの足あしにも肉刺まめの出來できることはあるまいと思おもつて、玄竹げんちくは殆ほとんど二十年ねん振ぶりで草鞋わらぢを穿はいたのであつた。

北野きたのを出ではづれると、麥畑むぎばたけの青あをい中なかに、菜なの花はなの黄色きいろいのと、蓮華草れんげさうの花はなの紅あかいのとが、野面のづらを三色みいろの染そめ分わけにして其その美うつくしさは得えも言いはれなかつた。始終しじう人間にんげんの作つくつた都會とくわいの中なかばかりを駕籠かごで往來わうらいしてゐた玄竹げんちくが、神かみの作つくつた田舍ゐなかの氣きを心こゝろゆくまで吸すつた時ときは、ほんたうの人間にんげんといふものがこれであるかと考かんがへた。駕籠かごなんぞに窮屈きうくつな思おもひをして乘のつてゐるよりは、輕かるい塵埃ほこりの立たつ野路のぢをば、薄墨うすずみに霞かすんだ五月山さつきやまの麓ふもとを目當めあてに歩あるいてゐた方はうが、どんなに樂たのしみか知しれなかつた。

左ひだりの方はうには、六甲ろくかふの連山れんざんが、春はるの光ひかりに輝かゞやいて、ところ〲赤あかく禿はげた姿すがたは、そんなに霞かすんでもゐなかつた。十三じふそ、三國みくにと川かはを二ふたつ越こして、服部はつとりの天神てんじんに參詣さんけいし、鳥居前とりゐまへの茶店ちやみせに息やすんだ上うへ、またぼつ〱と出でかけた。

玄竹げんちくの藥箱くすりばこは可かなり重おもいものであつた。これは玉造たまつくりの稻荷いなりの祭禮さいれいに御輿みこし擔かついだ町まちの若わかい衆しうがひどい怪我けがをした時とき玄竹げんちくが療治れうぢをしてやつたお禮れいに貰もらつたものであつた。療治れうぢの報酬はうしうに藥箱くすりばこの進物しんもつといふのは、少すこし變へんだが、本道ほんだうのほかに外療げれうも巧者かうしやの玄竹げんちくは、若わかい者ものの怪我けがを十針とはりほども縫ぬつて、絲いとに絡からんだ血腥ちなまぐさいものを、自分じぶんの口くちで嘗なめ取とるといふやうな苦勞くらうまでして、漸やうやく癒なほしてやつた其その禮れいが、たつた五兩りやうであつたのには、一寸すん一兩りやうの規定きていにして、餘あまりに輕少けいせうだと、流石さすが淡白たんぱくな玄竹げんちくも少すこし怒おこつて、其その五兩りやうを突つき返かへした。すると、先方せんぱうでは大おほいに恐縮きようしゆくして、いろ〱相談さうだんの末すゑ、或ある名高なだかい針醫はりいが亡なくなつて、其その藥箱くすりばこの不用ふようになつてゐたのを買かひ取とり、それを療法れうはふの禮れいとして贈おくつて來きたのが、この藥箱くすりばこで、見事みごとな彫刻てうこくがしてあつて、銀金具ぎんかなぐの厚あついのが打うつてあつた。

五月山さつきやまの木きが一本ぽん々々〱數かぞへられるやうになると、池田いけだの町まちは直すぐ長ながい坂さかの下したに見みおろされた。此處ここからはもう多田院ただのゐんへ一里り、開帳かいちやうの賑にぎはひは、この小都會せうとくわいをもざわつかしてゐた。朝あさ六むつ半はんに立たつてから、老人らうじんの足あしだから、池田いけだへ着ついた時ときは、もう八やつであつた。おくれた中食ちうじきをして、またぽつ〱と、馬うまも通かよひにくい路みちを、川かはに添そつて山奧やまおくへと進すゝんで行いつた。今いままで前面ぜんめんに見みてゐた五月山さつきやまの裏うらを、これからは後方うしろに振ふりかへるやうになつた。美うつくしい瀬せを立たてて、玉たまのやうな礫こいしをおもしに、獸けものの皮かはの白しろく晒さらされたのが浸ひたしてある山川やまがはに沿そうて行ゆくと、山やまの奧おくにまた山やまがあつた。權山ごんざんといふ峠たうげは、低ひくいながらも、老人らうじんにはだいぶ喘あへいで越こさねばならなかつた。峠たうげの頂上ちやうじやうからは、多田院ただのゐんの開帳かいちやうの太鼓たいこの音おとが聞きこえて、大幟おほのぼりが松並木まつなみきの奧おくに、白しろく上うへの方はうだけ見みせてゐた。峠たうげを下くだると『多田御社道ただおんしやみち』の石標せきへうが麥畑むぎばたけの畦あぜに立たつて、其處そこを曲まがれば、路みちはまた山川やまがはの美うつくしい水みづに石崖せきがいの裾すそを洗あらはれてゐた。川かはに附ついて路みちはまた曲まがつた。小ちひさな土橋どばしが一ひとつ、小川をがはが山川やまがはへ注そゝぐところに架かゝつてゐた。山川やまがはには橋はしがなくて、香魚あゆの棲すみさうな水みづが、京きやうの鴨川かもがはのやうに、あれと同おなじくらゐの幅はゞで、淺あさくちよろ〱と流ながれてゐた。正面しやうめんにはもう多田院ただのゐんの馬場先ばばさきの松並木まつなみきが枝えだを重かさねて、ずうつと奧おくへ深ふかくつゞいてゐるのが見みえた。松並木まつなみきの入口いりくちのところに、川かはを背せにして、殺生せつしやう禁斷きんだんの碑ひが立たつてゐた。松並木まつなみきの路みちは流石さすがに廣ひろくつて、松まつも可かなりに太ふとく老おいてゐた。

參詣さんけいの老若男女らうにやくなんによは、ぞろ〱と、織おるやうに松並木まつなみきの路みちを往來わうらいして、袋ふくろに入はひつた飴あめや、紙かみで拵こしらへた旗はたのやうなものが、子供こどもの手てにも大人おとなの手てにもあつた。太鼓たいこの音おとに混まじつて、ひゆう〱と笛ふえの音ねらしいものも、だん〱間近まぢかに聞きこえて來きた。

松並木まつなみきが盡つきると、石いしだたみのだら〱坂ざかがあつて、其その邊へんから兩側りやうがはに茶店ちやみせが並ならんでゐた。『君勇きみゆう』とか『秀香ひでか』とか、都みやこの歌妓うたひめの名なを染そめた茶色ちやいろの短みじかい暖簾のれんが、軒のきに懸かけ渡わたされて、緋毛氈ひまうせんの床几しようぎを背後うしろに、赤前垂あかまへだれの女をんなが、甲高かんだかい聲こゑを絞しぼつてゐた。

『お掛かけやす、お入はひりやす、息やすんでおいでやす。』

『御門内ごもんないはお腰こしの物ものが許ゆりません。お腰こしの物ものをお預あづかりいたします。』

おちよぼ口ぐちにお鐵漿かねの黒くろい女をんなは、玄竹げんちくの脇差わきざしを見みて、かう言いひながら、赤あかい襷たすきがけのまゝで、白しろい手てを出だした。『えらい權式けんしきぢやなア。』と思おもひながら、玄竹げんちくは腰差こしざしを預あづけようとすると、多田院ただのゐんから來きた迎むかへの男をとこが手てを振ふつて、『よろしい〱。』と言いつた。

『あゝ、御寺内ごじないのお客きやくさんだつかいな。孫右衞門まごゑもんさん、御苦勞ごくらうはん。』と、茶店ちやみせの女をんなは愛嬌あいけうを振ふり撒まいた。

東ひがしの門もんから入はひつて、露店ろてんと參詣人さんけいにんとの雜沓ざつたふする中なかを、葵あふひの紋もんの幕まくに威勢ゐせいを見みせた八足門はつそくもんの前まへまで行ゆくと、向むかうから群衆ぐんしうを押おし分わけて、脊せの高たかい武士ぶしがやつて來きた。物ものを言いつたことはないが、顏かほだけは覺おぼえてゐる天滿與力てんまよりきの何某なにがしであることを玄竹げんちくは知しつてゐた。この天滿與力てんまよりきは町人ちやうにんから袖そでの下したを取とるのに妙めうを得えてゐる形かたちだけの偉丈夫ゐぢやうふであつた。新任しんにんの奉行ぶぎやうの眼めが光ひかるので、膝元ひざもとでは綿服めんぷくしか着きられない不平ふへいを紛まぎらしに、こんなところへ、黒羽二重くろはぶたへに茶宇ちやうの袴はかまといふりゆうとした姿すがたで在所ざいしよのものを威おどかしに來きたのだと思おもはれたが、多田院ただのゐんは日光につくわうに次つぐ徳川家とくがはけの靈廟れいべうで、源氏げんじの祖先そせんが祀まつつてあるから、僅わづか五百石ひやくこくの御朱印地ごしゆいんちでも、大名だいみやうに勝まさる威勢ゐせいがあるから天滿與力てんまよりきも幅はゞが利きかなかつた。

黄金作こがねづくりの大小だいせうを門前もんぜんの茶店ちやみせで取とり上あげられて、丸腰まるごしになつたのを不平ふへいに思おもふ風ふうで、人ひとを突つき退のけながらやつて來きた其その天滿與力てんまよりきは、玄竹げんちくが脇差わきざしを帶さしてゐるのを見みて、怪けしからんといふ風ふうで、一層そうひどく人ひとを突つき退のけながら南みなみの門もんの方はうへ出でて行いつた。

『馬鹿ばかツ。』と、玄竹げんちくは與力よりきの後姿うしろすがたを振ふりかへつて獨言ひとりごとをした。

鷹尾山たかをさん法華三昧寺ほつけさんまいじ多田院ただのゐんと言いつても、本殿ほんでんと拜殿はいでんとは神社風じんじやふうで、兩部りやうぶになつてゐた。玄竹げんちくは本殿ほんでんに昇のぼつて、開帳中かいちやうちうの滿仲公みつなかこうの馬上姿ばじやうすがたの武裝ぶさうした木像もくざうを拜はいし、これから別當所べつたうしよへ行いつて、英堂和尚えいだうをしやうの老體らうたいを診察しんさつした。病氣びやうきは矢張やはり疝癪せんしやくの重おもつたのであつた。早速さつそく藥くすりを調合てうがふし、土地とちの醫者いしやに方劑はうざいを授さづけたが、其その夜よ玄竹げんちくは、塔頭たつちうの梅うめの坊ばうといふのへ案内あんないされて、精進料理しやうじんれうりの饗應きやうおうを受うけ、下男げだんとともに一泊ぱくして、翌朝よくてう歸かへることになつた。五百石ひやくこくでも別當べつたうはこの土地とちの領主りやうしゆで、御前ごぜんと呼よばれてゐた。其その下したに代官だいくわんがあつて、領所りやうしよ三ヶ村そんの政治せいぢを執とつてゐた。

其その夜よ、天滿與力てんまよりきの何某なにがしが、門前もんぜんの旅籠屋はたごやに泊とまり、大醉たいすゐして亂暴らんばうし、拔刀ばつたうで戸障子としやうじを切きり破やぶつたが、多田院ただのゐんの寺武士てらざむらひは劍術けんじゆつを知しらないので、取とり押おさへに行ゆくことも出來できなかつたといふ話はなしを、玄竹げんちくは翌朝よくてう聞きいて齒痒はがゆく思おもつた。

翌日よくじつは別當べつたうの好意かういで、玄竹げんちくは藥箱くすりばこを葵あふひの紋もんの附ついた兩掛りやうがけに納をさめ、『多田院御用ただのゐんごよう』の札ふだを、兩掛りやうがけけの前まへの方はうの蓋ふたに立たてて貰もらつた。さうして下男げなんには、菱形ひしがたの四角かくへ『多た』の字じの合印あひじるしの附ついた法被はつぴを着きせてくれた。兩掛りやうがけの一方ぱうには藥箱くすりばこを納をさめ、他たの一方ぱうには土産物みやげものが入はひつてゐた。少すこし重おもいけれど、かうして歩あるけば途中とちうが威張ゐばれて安全あんぜんだといふので、下男げなんは勇いさみ立たつて歩あるき出だした。成なるほど葵あふひの紋もんと『多田院御用ただのゐんごよう』の木札きふだは、行ゆき逢あふ人々ひと〲に皆々みな〱路みちを讓ゆづらせた。大名だいみやうの行列ぎやうれつが來きても、五分ぶ々々〱に通とほれるといふほどの權威けんゐのあるものに、玄竹げんちくの藥箱くすりばこは出世しゆつせした。

岡町をかまちで中食ちうじきをして、三國みくにから十三じふその渡わたしに差さしかゝつた時ときは、もう七なゝつ頃ごろであつた。渡船とせんが込こみ合あつてゐるので、玄竹げんちくは路みちの片脇かたわきへ寄よつて、待まつてゐた。この次つぎには舟ふねが空あくだらう、どうせ日ひいつぱいには歸かへれまいから、ゆつくりして行ゆかうと、下男げだんにさう言いつて、煙草たばこをくゆらしてゐると、いつぱい人ひとを乘のせて、もう岸きしから二間けんほども出でかゝつた渡船とせんをば、『こら待まて、待まて。』と、呼よび留とめながら、駈かけて來きたのは、昨日きのふ多田院ただのゐんで見みた天滿與力てんまよりきの、形かたちだけは偉丈夫然ゐじやうふぜんとした何某なにがしであつた。

武士ぶしに呼よび留とめられたので、船頭せんどうは不承々々ふしよう〲に舟ふねを漕こぎ戻もどした。こぼれるほどに乘のつた客きやくは行商ぎやうしやうの町人ちやうにん、野のら歸がへりの百姓ひやくしやう、乳呑兒ちのみごを抱かゝへた町家ちやうかの女房にようばう、幼をさない弟おとうとの手てを引ひいた町娘まちむすめなぞで、一度ど出でかゝつた舟ふねが、大おほきな武士ぶしの爲ために後戻あともどりさせられたのを、不平ふへいに思おもふ顏色かほいろは、舟ふねいつぱいに溢あふれてゐた。

天滿與力てんまよりきは、渡船とせんを呼よび戻もどしてみたけれど、殆ほとんど片足かたあしを蹈ふみ込こむ餘地よちもないので、腹立はらだたし氣げに舌打したうちして、汀みぎはに突つつ立たつてゐたが、やがて高たかく、虎とらが吼ほえるやうに聲こゑを張はり上あげると、

『上あがれ、上あがれ。百姓ひやくしやう町人ちやうにん、同船どうせんならん。』と、居丈高ゐだけだかになつた。

さう言いはれると、弱よわい者ものどもは強つよい者ものの命めいに服從ふくじうするよりほかはなかつた。腹立はらだたし氣げな顏かほをしたものや、ベソを掻かいたものや、怖こはさうにおど〱したものなぞが、前後ぜんごしてぞろ〱と舟ふねから陸をかへ上あがつた。母はゝに抱だかれた嬰兒あかごの泣なく聲こゑは、殊ことに哀あはれな響ひゞきを川風かはかぜに傳つたへた。

空からになつた渡船とせんへ、天滿與力てんまよりきは肩かたをいからして乘のつた。六甲山ろくかふざんに沈しづまうとする西日にしびが、きら〱と彼かれの兩刀りやうたうの目貫めぬきを光ひからしてゐた。

船頭せんどうは憎々にく〱しさうに、武士ぶしの後姿うしろすがたを見詰みつめながら、舟ふねを漕こぎ出だした。

舟ふねがまた一間半けんはんばかり岸きしを離はなれた時とき、玄竹げんちくは下男げなんを促うながして兩掛りやうがけを擔かつがせ、大急おほいそぎで岸きしへ駈かけ付つけて、

『待まて、待まて。其その舟ふね待まて。』と、高たかく叫さけんだ。

墨すみ黒々くろ〲と書かかれた『多田院御用ただのゐんごよう』の木札きふだを立たてて來こられると、船頭せんどうはまた舟ふねを返かへさないわけに行ゆかなかつた。天滿與力てんまよりきは面つらを膨ふくらしつゝ、矢張やはり『多田院御用ただのゐんごよう』の五文字いつもじに膨ふくれた面つらを射いられて、うんともすつとも言いはずに、雪駄穿せつたばきの足あしを舟ふねから岸きしへ跨またがないではゐられなかつた。‥‥さうして葵あふひの紋もんの附ついた兩掛りやうがけに目禮もくれいして、片脇かたわきへ寄よつてゐなければならなかつた。

玄竹げんちくは意氣揚々いきやう〱と、舟ふねの眞まん中なかへ『多田院御用ただのゐんごよう』の兩掛りようがけを据すゑて、下男げなんと二人ふたりそれを守護しゆごする位置ゐちに跪ひざまづいた。船頭せんどうが棹さおを取とりなほして舟ふねを出ださうとするのを、玄竹げんちくは、『あゝ、こら、待まて〱。』と止とめて、

『同船どうせん許ゆるす、みんな乘のれ。』と、天滿與力てんまよりきに舟ふねから引ひきおろされた百姓ひやくしやう町人ちやうにんの群むれに向むかつて聲こゑをかけた。いづれも嬉うれしさうにして、舟ふねへ近付ちかづいて來くるのを、突つき退のけるやうにして、天滿與力てんまよりきは眞まつ先さきに舟ふねへ、雪駄せつたの足あしを跨またぎ込こんだ。其その途端とたん、玄竹げんちくはいつにない雷らいのやうに高聲たかごゑで、叱咜したルビの「した」はママした。

『武士ぶし、同船どうせんならん。』

天滿與力てんまよりきは、太ふとい棒ぼうか何なにかで胸むねでも突つかれたやうに、よろ〱としながら、無念氣むねんげに玄竹げんちくの坊主頭ばうずあたまを睨にらみ付つけたが、『多田院御用ただのゐんごよう』の五文字いつもじは、惡魔除あくまよけの御符ごふうの如ごとく、彼かれを壓おし付つけて動うごかさなかつた。玄竹げんちくの高たかい聲こゑに驚おどろいて、百姓ひやくしやう町人ちやうにんの群むれまでが、後退あとずさりするのを、玄竹げんちくは優やさしく見みやつて、

『百姓ひやくしやう乘のれ、町人ちやうにん乘のれ、同船どうせん許ゆるす。』と、手招てまねきした。天滿與力てんまよりきがすご〱と船ふねから出でるのに、ざまア見みろと言いはぬばかりの樣子やうすで摺すれちがつて、百姓ひやくしやう町人ちやうにんはどや〱と舟ふねに乘のつて來きた。

鈴生すゞなりに人ひとを乘のせた舟ふねが、對岸たいがんに着つくまで、口惜くやしさうにして突つつ立たつた天滿與力てんまよりきの、大おほきな赤あかい顏かほが、西日にしびに映うつつて一層そう赤あかく彼方かなたの岸きしに見みえてゐた。――

この與力よりきは間まもなく、但馬守たじまのかみから閉門へいもんを命めいぜられた擧句あげくに、切腹せつぷくしてしまつた。其その咎とがの箇條かでうの中うちには、多田院御用ただのゐんごようの立札たてふだに無禮ぶれいがあつたといふ件くだりもあつた。

六

但馬守たじまのかみは新任しんにんの初はじめから、この腐くさつた大おほきな都會とくわいに大清潔法だいせいけつはふを執行しつかうするつもりでゐた。彼かれはかね〲書物しよもつを讀よんで、磔刑はりつけ、獄門ごくもん、打首うちくび、それらの死刑しけいが決けつして、刑罰けいばつでないといふことを考かんがへてゐた。彼かれは刑罰けいばつといふものが本人ほんにんの悔悟くわいごを基礎きそとしなければならぬと考かんがへる方はうの一人ひとりであつた。殺ころされてしまへば、悔くいることも改あらためることも出來できない。從したがつて、死刑しけいは刑けいでないといふ風ふうに考かんがへた。

ところが彼かれは、町奉行まちぶぎやうといふ重おもい役目やくめを承うけたまはつて、多おほくの人々ひと〲の生殺與奪せいさつよだつの權けんを、其その細ほそい手ての掌たなそこに握にぎるやうになると忽たちまち一轉てんして、彼かれの思想しさうは、死刑しけいをば十分ぶんに利用りようしなければならぬといふ議論ぎろんを組くみ立たてさせ、着々ちやく〱それを實行じつかうしようとした。

死刑しけいは理想りさうとして廢はいすべきものだけれど、それが保存ほぞんされてある以上いじやう、成なるたけ多おほく利用りようしなければならぬ。曲まがつた社會しやくわいの正當防衞せいたうばうゑい、腐くさつた世よの中なかの大清潔法だいせいけつはふ、それらを完全くわんぜんに近ちかく執行しつかうするには、死刑しけいを多おほく利用りようするよりほかにないと考かんがへた。

往來わうらいで煙草たばこを吸すつたもの、込こみ合あふ中なかで人ひとを押おし退のけて進すゝまうとしたもの、そんなのまでを直すぐ引ひつ捕とらへて、打首うちくびにするならば、火事くわじは半分はんぶんに減げんずるし、世よの中なかの風儀ふうぎは忽たちまち改あらたまるであらうと思おもつた。

しかし、但馬守たじまのかみも流石さすがに、そんな些事さじに對たいして、一々死刑しけいを用もちゐることは出來できなかつたが、掏摸すりなぞは從來じうらい三犯以上ぱんいじやうでなければ死刑しけいにしなかつたのを、彼かれは二犯はん或あるひは事ことによると初犯しよはんから斬きり棄すてて、其その首くびを梟木けうぼくにかけた。十兩りやう以上いじやうの盜賊たうぞくでなくても、首くびは繋つながらなかつた。死刑しけいは連日れんじつ行おこなはれた。彼かれが月番つきばんの時ときは、江戸えどなら淺右衞門あさゑもんともいふべき首斬くびきり役やくの刃やいばに、血ちを塗ぬらぬ日ひとてはなかつた。

『今日けふは千日前せんにちまへに首くびが七なゝつかゝつた。』

『昨日きのふは十とをかゝつた。』

『明日あしたは幾いくつかゝるやろ。‥‥』

こんな言葉ことばが、相逢あひあふ人々ひと〲の挨拶あいさつのやうに、また天氣てんきを占うらなふやうに、子供こどもの口くちにまで上のぼるとともに、市中しちうは忽たちまち靜しづまりかへつて、ひつそりとなつた。

但馬守たじまのかみは莞爾くわんじと笑わらつて、百ひやくの宗教しうけう、千せんの道徳だうとくも、一ひとつの死刑しけいといふものには敵かなはない、これほど效果かうくわの多おほいものは他たに求もとむることが出來できないと思おもつた。

配下はいかの與力よりき同心どうしんは慄ふるへあがるし、人民じんみんは皆みな往來わうらいを歩あるくにも小ちひさくなつて、足音あしおとさへ立たてぬやうにした。

芝居しばゐの土間どまで煙草たばこを吸すつて、他人たにんの袂たもとを焦こがしたものも、打首うちくびになるといふ噂うはさが傳つたはつた時ときは、皆々みな〱蒼あをくなつた。それはもとより噂うはさだけにとゞまつたが、それ以來いらい、當分たうぶんは芝居しばゐを觀みながら煙草たばこを吸すふものが殆ほとんどなくなつた。

噂うはさだけでも、死刑しけいといふものには、覿面てきめんの效力かうりよくがあると思おもつて、但馬守たじまのかみは微笑びせうした。

七

氣きに入いりの玄竹げんちくを相手あひてに、夜よの更ふけるのを忘わすれてゐた但馬守たじまのかみは、幾いくら飮のんでも醉ゑはぬ酒さけに、便所べんじよへばかり立たつてゐたが、座敷ざしきへ戻もどる度たびに、其その顏かほの色いろの蒼あをみが増ましてくるのを、玄竹げんちくは氣きがかりな風ふうで見みてゐた。夜よはもう亥ゐの下刻げこくであつた。

『玄竹げんちく、多田院ただのゐん參詣さんけいの話はなしは面白おもしろいなう。もう一度どやつて聽きかさんか。』と、但馬守たじまのかみは盃さかづきをあげた。

『何遍なんべんいたしましても、同おなじことでござります。』と、玄竹げんちくはこの潔癖けつぺきな殿樣とのさまの相手あひてをしてゐるのが、少すこし迷惑めいわくになつて來きた。しかし、今いまからもう病家びやうか廻まはりでもあるまいし、自宅じたくへ方々はう〲から、火ひのつくやうに迎むかへの使つかひの來きたことを想像さうざうして、腰こしをもぢ〱さしてゐた。

『玄竹げんちく。今夜こんやは折おり入いつて其方そちに相談さうだんしたいことがある。怜悧りこうな其方そちの智慧ちゑを借かりたいのぢや。…まあ一盞さん傾かたむけよ。盃さかづき取とらせよう。』と言いつて、但馬守たじまのかみは持もつてゐた盃さかづきを突つき出だした。

『有あり難がたうはござりますが、不調法ぶてうほふでござりますし、それに空腹くうふくを催もよほしましたで。‥‥』と、玄竹げんちくはペコ〱になつた腹はらを十徳じつとくの上うへから押おさへた。

『はゝゝゝゝ。腹はらが空すいたか。すつかり忘わすれてゐた。今いまに飯はんを取とらせるが、まあそれまでに、この盃さかづきだけ一ひとつ受うけてくれ。』と、但馬守たじまのかみは強しひて玄竹げんちくに盃さかづきを與あたへた。

『愚老ぐらうにお話はなしとは、どういふ儀ぎでござりますか。』と、玄竹げんちくは盃さかづきを傍かたはらに置おいて、但馬守たじまのかみの氣色けしきを窺うかゞつた。

『玄竹げんちく、返盃へんぱいせい。』と、但馬守たじまのかみは細ほそい手てを差さし伸のべた。

『恐おそれ入いります。』と、玄竹げんちくは盃さかづきを盃洗はいせんの水みづで洗あらひ、懷紙くわいしを出だして、丁寧ていねいに拭ふいた上うへ、但馬守たじまのかみに捧さゝげた。それを受うけて、波々なみ〱と注つがせたのを、ぐつと飮のみ乾ほした但馬守たじまのかみは、

『玄竹げんちく。酒さけを辛からいと感かんずるやうになつては、人間にんげんも駄目だめだなう。幾いくら飮のんでも可味うまくはないぞ。』

『御酒ごしゆは辛からいものでござります。辛からいものを辛からいと思おぼし召めしますのは、結構けつこうで、‥‥失禮しつれいながらもう御納盃ごなふはいになりましては。‥‥』

『其方そちと盃さかづきを取とり交かはしたから、もう止やめてもいゝ。』

但馬守たじまのかみは悵然ちやうぜんとして天井てんじやうを仰あふいだ。

『愚老ぐらうへお話はなしとは。』と、玄竹げんちくはまた催促さいそくするやうに言いつた。

『ほかでもない、其方そちの智慧ちゑを借かりたいのぢや。‥‥』

『おろかものの愚老ぐらう、碌ろくな智慧ちゑも持もち合あはせませんが、どういふ儀ぎでござりませうか。』と、玄竹げんちくはまた但馬守たじまのかみの氣色けしきを窺うかゞつた。

『玄竹げんちく、‥‥三日みつかの道中だうちうで江戸えどへ歸かへる工夫くふうはないか。』

但馬守たじまのかみは、決心けつしんしたといふ風ふうで、キッパリと言いつた。

『はア。』と、玄竹げんちくは溜息ためいきを吐ついた。

『工夫くふうはないか。』と、但馬守たじまのかみは無理むりから笑わらひを含ふくみながら言いつた。

『韋駄天ゐだてんの力ちからでも借かりませいでは。‥‥どんなお早駕籠はやでも四日よつかはかゝりませうで。‥‥』と、玄竹げんちくはもう面おもてをあげることが出來できなかつた。但馬守たじまのかみは屹きつと容かたちを正たゞして、

『今日けふ、江戸表御老中えどおもてごらうぢうから、御奉書おほうしよが到着たうちやくいたした。一日にちの支度したく、三日みつかの道中だうちうで、出府しゆつぷいたせとの御沙汰ごさたぢや。』と、嚴おごそかに言いつた。

『恐おそれ入いりましてござります。』と、玄竹げんちくは疊たゝみに平伏ひれふした。老眼らうがんからは、ハラ〱と涙なみだがこぼれた。

『玄竹げんちく、今いまのは別盃べつぱいぢやぞ、但馬守たじまのかみの生命いのちも今夜限こんやかぎりぢや。死骸しがいの手當てあては其方そちに頼たのむ。』

『畏かしこまりましてござりまする。』

玄竹げんちくは涙なみだに濡ぬれた顏かほをあげて、但馬守たじまのかみを見みた。奉行ぶぎやうと醫者いしやとは、暫しばらく眼めと眼めとを見合みあはせてゐた。

『玄竹げんちく。‥‥だいぶ殺ころしたからなう。‥‥』

但馬守たじまのかみの沈しづみ切きつた顏かほには、凄すごい微笑びせうがあつた。

昔、大阪の町奉行に荒尾但馬守といふ人があつたさうです。それとほゞ時代を同じうして、安田玄筑といふ醫者もあつたさうです。しかし、本篇の奉行荒尾但馬守と、醫師中田玄竹とは、それらの人々と全く無關係であります。

底本 / Source edition

底本:「現代日本文學全集 23 岩野泡鳴 上司小劍 小川未明集」改造社
1930(昭和5)年4月13日初版第1刷発行
初出:「ユウモレスク」中央堂
1924(大正13)年8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「下男《げなん》」と「下男《げだん》」の混在は底本通りにしました。
入力:いとうたかし
校正:小林繁雄
2012年8月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/053520_000248/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/053520_000248/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/053520_000248/

上司 小剣「死刑」(旧字旧仮名)、底本『現代日本文學全集 23 岩野泡鳴 上司小劍 小川未明集』改造社、1930年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 053520_000248, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite