Soranoha

地震の話

じしんのはなし

今村 明恒

一、はしがき

日本につぽんは地震國ぢしんこくであり、又また地震學ぢしんがくの開ひらけ始はじめた國くにである。これは誤あやまりのない事實じじつであるけれども、もし日本につぽんは世界中せかいじゆうで地震學ぢしんがくが最もつとも進すゝんだ國くにであるなどといふならば、それは聊いさゝかうぬぼれの感かんがある。實際じつさい地震學ぢしんがくの或方面あるほうめんでは、日本につぽんの研究けんきゆうが最もつとも進すゝんでゐる點てんもあるけれども、其他そのたの方面ほうめんに於おいては必かならずしもさうでない。其故それゆゑ著者等ちよしやらは地震學ぢしんがくを以もつて世界せかいに誇ほこらうなどとは思おもつてゐないのみならず、此頃このごろのように、わが國民こくみんが繰返くりかへし地震ぢしんに征服せいふくせられてみると、寧むしろ恥はづかしいような氣持きもちもする。即すなはち大正十二年たいしようじゆうにねんの關東大地震かんとうだいぢしんに於おいては十萬じゆうまんの生命せいめいと五十五億圓ごじゆうごおくえんの財産ざいさんとを失うしなひ、二年後にねんご但馬たじまの國くにのけちな地震ぢしんの爲ため、四百しひやくの人命じんめいと三千萬圓さんぜんまんえんの財産ざいさんとを損そんし、又また二年後にねんごの丹後地震たんごぢしんによつて三千さんぜんの死者ししやと一億圓いちおくえんの財産ざいさん損失そんしつとを生しやうじた。そして此等これらの損失そんしつの殆ほとんど全部ぜんぶは地震後ぢしんごの火災かさいに由よるものであつて、被害民ひがいみんの努力どりよく次第しだいによつては大部分だいぶぶん免まぬかれ得うられるべき損失そんしつであつた。然しかるに事實じじつはさうでなく、あのような悲慘ひさんな結果けつかの續發ぞくはつとなつたのであるが、これを遠とほく海外かいがいから眺ながめてみると、日本につぽんは恐おそろしい地震國ぢしんこくである。地震ぢしんの度毎たびごとに大火災だいかさいを起おこす國くにである。外國人がいこくじんは命懸いのちがけでないと旅行りよこうの出來できない國くにである。國民こくみんはあゝ度々たび〱地震ぢしん火災かさいに惱なやまされても少すこしも懲こりないものゝようである。地震ぢしんに因よつて命いのちを失うしなふことをなんとも思おもつてゐないのかも知しれないなどといふ結論けつろんを下くだされないとも限かぎあるまい「限かぎあるまい」はママ。實際じつさいこれは歐米人おうべいじんの多數たすうが日本につぽんの地震ぢしんに對たいする觀念かんねんである。かく觀察かんさつされてみる時とき、著者ちよしやの如ごとき斯學しがくの專攻者せんこうしやは非常ひじような恥辱ちじよくを感かんぜざるを得えないのである。勿論もちろんこの學問がくもんの研究けんきゆうが容易よういに進歩しんぽしないのも震災國しんさいこくたるの一因いちいんには相違そういないが、然しかしながら地震ぢしんに對たいして必要ひつような初歩しよほの知識ちしきがわが國民こくみんに缺かけてゐることが、震災しんさい擴大かくだいの最大原因さいだいげんいんであらう。實じつに著者ちよしやの如ごときは、地震學ぢしんがくが今日こんにち以上いじように進歩しんぽしなくとも、震災しんさいの殆ほとんど全部ぜんぶはこれを免まぬかれ得うる手段しゆだんがあると考かんがへてゐるものゝ一人ひとりである。

著者ちよしやは少年諸君しようねんしよくんに向むかつて、地震學ぢしんがくの進すゝんだ知識ちしきを紹介しようかいしようとするものでない。又またたとひ卑近ひきんな部分ぶぶんでも、震災防止しんさいぼうしの目的もくてきに直接ちよくせつ關係かんけいのないものまで論ろんじようとするのでもない。但たゞし震災防止しんさいぼうしにつき、少年諸君しようねんどくしやルビの「どくしや」はママが現在げんざいの小國民しようこくみんとしても、又また他日たじつ國民人物こくみんじんぶつの中堅ちゆうけんとしても自衞上じえいじよう、はた公益上こうえきじよう必要ひつよう缺かくべからざる事項じこうを叙述じよじゆつせんとするものである。

二、地震學ぢしんがくのあらまし

わが國くには地震學ぢしんがく發祥はつしようの地ちといはれてゐる。これは文化ぶんかの進すゝんだ國くにとしては地震ぢしんに見舞みまはれる機會きかいの多おほいからにもよるのであるが、なほ他たの一因いちいんとして明治維新後めいじいしんご、わが國くにの文化開發事業ぶんかかいはつじぎようの補助者ほじよしやとして招聘しようへいした歐米人おうべいじんが、多おほくは其道そのみちに於おいて、優秀ゆうしゆうな人達ひとたちであつたことも數かぞへなければならぬ。事ことの發端ほつたんは、明治十三年めいじじゆうさんねん二月二十二日にがつにちじゆうににち横濱よこはま並ならびにその近郊きんこうに於おいて、煉瓦煙突れんがえんとつ並ならびに土壁どへきに小破損しようはそんを生しようぜしめた地震ぢしんにある。この時とき大學だいがく其他そのたの官衙かんがにゐた内外ないがい達識たつしきの士しが相會あひかいして、二週間目にしゆうかんめには日本地震學會につぽんぢしんがつかいを組織そしきし、つゞいて毎月まいげつの會合かいごうに有益ゆうえきな研究けんきゆうの結果けつかを發表はつぴようしたが、創立そうりつ數箇月すうかげつの後のち、當時とうじ東京帝國大學とうきようていこくだいがく理學部りがくぶに於おける機械工學きかいこうがく及および物理學ぶつりがくの教授きようじゆであつたユーイング博士はかせ(現今げんこんエヂンバラ大學だいがく總長そうちよう)は水平振子地震計すいへいしんしぢしんけいの發明はつめいを公おほやけにし、ついで翌年よくねんには工學部大學校こうがくぶだいがつこう電氣學教授でんきがくきようじゆたりしグレー博士はかせの考案こうあんを改良かいりようした上下動地震計じようげどうぢしんけいを作つくり出だした。これが即すなはち現今げんこんの地震計ぢしんけいの基礎きその形式けいしきであつて、當今とうこん行おこなはれてゐるミルン地震計ぢしんけい、大森地震計おほもりぢしんけい、ガリッチン地震計ぢしんけい、パシュウィチ水平振子すいへいしんしなど、其構造そのこうぞうの要點ようてんは皆みなユーイング地震計ぢしんけいである。實じつにこの地震計ぢしんけいの發明はつめいは、それまで極きはめて幼稚ようちであつた地震學ぢしんがくが本當ほんとうの學問がくもんに進歩しんぽした基もとゐであるので、單たんに此この一點いつてんからみても、地震學ぢしんがくは日本につぽんに於おいて開ひらけたといつても差支さしつかへないくらゐである。それのみならず日本地震學會につぽんぢしんがつかいから出版しゆつぱんせられた二十册にじつさつの報告書ほうこくしよは、當時とうじ世界せかいに於おいて唯一ゆいつの地震學雜誌ぢしんがくざつしであつたのみならず、收録しゆうろくせられた材料ざいりよう、ミルン教授きようじゆ等らによつて物もつせられたる多おほくの論文ろんぶん、いづれも有益ゆうえきな資料しりようであつて、今日こんにちでも地震學ぢしんがくについて何なにか研究けんきゆうでも試こゝろみんとするものゝ、必かならず參考さんこうすべき古典書こてんしよである。

それやこれやの關係かんけいで、日本につぽんは地震學ぢしんがく開發かいはつの國くにといはれてゐるのであるが、然しかし其開發者そのかいはつしやの重おもな人々じんこうルビの「じんこう」はママは外國人がいこくじん、特とくにイギリス人じんであつた。關谷教授せきやきようじゆ、大森博士おほもりはかせなどの加くははれたのはずつと後のちのことである。

明治二十四年めいじにじゆうよねん十月二十八日じゆうがつにじゆうはちにちの濃尾大地震のうびだいぢしんは、地震學ぢしんがくにとつて第二だいにの時代じだいを作つくつたものである。此頃このごろに於おいて日本地震學界につぽんぢしんがつかい「學界」はママは解散かいさんの止やむなきに至いたつたが、新あらたにわが政府事業せいふじぎようとして起おこされた震災豫防調査會しんさいよぼうちようさかいが之これに代かはつた。此調査會このちようさかいの會員かいいんは全部ぜんぶ日本人につぽんじんであつて、地震學ぢしんがく、物理學ぶつりがく、地質學じしつがく、地理學ちりがく、土木工學どぼくこうがく、建築學けんちくがく、機械工學きかいこうがく等とう、地震學ぢしんがくの理論りろん並ならびに應用おうように關かんした學問がくもんに於おいてわが國くに第一流だいゝちりゆうの專門家せんもんかを網羅もうらしたものであつた。隨したがつて地震動ぢしんどうの性質せいしつ、地震ぢしんに損傷そんしようしない土木工事どぼくこうじや、建築けんちくの仕方しかた等とうについての研究けんきゆうが非常ひじように進すゝみ、木造もくぞう竝ならびに西洋風せいようふうの家屋かおくにつき耐震構造法たいしんこうぞうほうなど殆ほとんど完全かんぜんの域いきに進すゝんだ。調査會ちようさかいが大正十三年たいしようじゆうさんねん廢止はいしせられるに至いたるまでに發表はつぴようした報告書ほうこくしよは和文わぶんのもの百一號ひやくいちごう、歐文おうぶんのもの二十六號にじゆうろくごう、別べつに歐文紀要おうぶんきよう十一册じゆういつさつ、歐文觀測録おうぶんかんそくろく六册ろくさつは、今日こんにち世界せかいが有ゆうする地震學參考書ぢしんがくさんこうしよの中堅ちゆうけんをなすものであつて、これ等らの事業じぎようは、日本地震學會時代につぽんぢしんがつかいじだいに於おいて專有せんゆうしてゐたわが國くにの名聲めいせいを辱はづかしめなかつたといへるであらう。

日本につぽんに於おける地震學ぢしんがくのこれまでの發達はつたつは主おもに人命じんめい財産ざいさんに關かんする方面ほうめんの研究けんきゆうであつた。然しかるに最近さいきん二十年にじゆうねんの間あひだ、歐米おうべいに於おける地震學ぢしんがくは他たの方面ほうめんに發達はつたつした。それは遠方地震えんぽうぢしんの觀測かんそくによつて、わが地球ちきゆうの内部ないぶの構造こうぞうを推究すいきゆうする仕方しかたである。少年讀者しようねんどくしやは、天文學てんもんがく、地理學ちりがく、地質學ちしつがく、物理學ぶつりがく等とうの應用おうようによつて、わが地球ちきゆうの球體きゆうたいに近ちかきこと、平均密度へいきんみつどが五・五なること、表面ひようめんに近ちかき部分ぶぶんの構造こうぞう、内部ないぶに蓄たくはへられる高熱こうねつ、地球ちきゆうが一箇いつこの大おほきな磁石じしやくであることなどを學まなばれたであらう。又また此等これらの學問がくもんの力ちからによつて、わが地球ちきゆうは鋼鐵こうてつよりも大おほきな剛性ごうせいを有ゆうしてゐることも分わかつて來きた。即すなはち月つきや太陽たいようの引力いんりよくによつてわが地球ちきゆうが受うけるひづみの分量ぶんりようは、地球全體ちきゆうぜんたいが鋼鐵こうてつで出來できてゐると假定かていした場合ばあひの三分さんぶんの二にしかないのである。言葉ことばをかへていへば地球ちきゆうの平均へいきんのしぶとさは鋼鐵こうてつの一倍半いちばいはんである。かういふ風ふうにしてわが地球ちきゆうの知識ちしきはだん〱進すゝんで來きたけれども、其内部そのないぶの成立なりたちに立入たちいつた知識ちしきは毛頭もうとう進すゝんでゐないといつて宜よろしかつた。實際じつさい地質學ちしつがくで研究けんきゆうしてゐる地層ちそうの深ふかさは地表下ちひようか二三里内にさんりないに横よこたはつてゐるもの許ばかりであつて、醫學上いがくじようの皮膚科ひふかにも及およばないものである。但たゞし茲こゝに一ひとつの研究けんきゆうの手懸てがかりが出來できたといふのは、地球ちきゆうの表面ひようめん近ちかくから放はふつた斥候せつこうが、地球内部ちきゆうないぶにまで偵察ていさつに出掛でかけそれが再ふたゝび地球ちきゆうの表面ひようめんに現あらはれて來きて報告ほうこくをなしつゝあることが氣附きづかれたことである。此斥候このせつこうは何者なにものであるかといふと、大地震だいぢしんのときに起おこる地震波ぢしんぱである。實際じつさい地震ぢしんは、地球ちきゆうの表面ひようめんに近ちかい所ところに發生はつせいするものであるが、ちようど風かぜが水面すいめんに波なみを起おこすように、又また發音體はつおんたいが空氣中くうきちゆうに音波おんぱを起おこすように、地震ぢしんは地震波ぢしんぱを起おこすのである。さうして地震ぢしんが大おほきければ大おほきい程ほど地震波ぢくんぱルビの「ぢくんぱ」はママも大おほきいので、これが地球ちきゆうの表面ひようめんを沿そうて四方八方しほうはつぽうに擴ひろがり、或あるひは地球ちきゆうを一廻ひとまはりも二廻ふたまはりもすることもあるが、それと同時どうじに地震波ぢしんぱは地球内部ちきゆうないぶの方向ほうこうにも進行しんこうして反對はんたいの方面ほうめんに現あらはれ、場合ばあひによつては地球ちきゆうの表面ひようめんで反射はんしやして再ふたゝび他たの方面ほうめんに向むかうのもある。但たゞし此斥候このせつこうの報告書ほうこくしよとも名なづくべきものは、單たんに地震波ぢしんぱの種々しゆ〲の形式けいしきのみであるから、これを書取かきとり其上そのうへにそれを讀よみ取とることを必要ひつようとする。これは容易よういならぬ爲事しごとであるが、しかしながら單たんに困難こんなんであるだけであつて決けつして不可能ふかのうではない。

地震波ぢしんぱの偵察ていさつした結果けつかを書かき取とる器械きかい、これを地震計ぢしんけいと名なづける。前まへにユーイング教授きようじゆが地震計ぢしんけいを發明はつめいしたことを述のべたが、これは實じつに容易よういならざる發明はつめいであつたのである。讀者どくしや試こゝろみに地震計ぢしんけいの原理げんりを想像そう〲してみるがよい。地上ちじようの萬物ばんぶつは地震ぢしんのとき皆みな搖ゆれ出だすのに、自分じぶんだけ空間くうかんの元もとの點てんから動うごかないといふような方法ほう〱を工夫くふうしなければなるまい。これは決けつしてさう安々やす〱と考かんがへ出だせるはずのものではないのであるが、更さらに其精巧そのせいこうなものに至いたつては、人ひとの身體しんたいには勿論もちろん、普通ふつうの地震計ぢしんけいにも感かんじない程ほどの地震波ぢしんぱまで記録きろくすることが出來できるのである。特とくに其中そのうち、ゆつくりとした震動しんどう、例たとへば一分間いつぷんかんに一糎いちせんちめーとる程ほどを靜しづかに往復振動おうふくしんどうするような場合ばあひに於おいても、これを實際じつさいのまゝに書取かきとらしめることが長週期地震計ちようしゆうきぢしんけいと名なづけるものゝ特色とくしよくである。かういふ地震計ぢしんけいで遠方えんぽうの大地震だいぢしんを觀測かんそくすると、その記録きろくした模樣もようが極きはめて規則正きそくたゞしいものとなつて現あらはれて來きて、今日こんにちでは模樣もようの一ひとつ〱について其經路そのけいろが既すでに明あきらかにせられてゐる。これによつて地球ちきゆうの内部ないぶを通とほるときの地震波ぢしんぱの速はやさは、地球ちきゆうを鋼鐵こうてつとした場合ばあひの幾倍いくばいにも當あたることが分わかり、又また地球ちきゆうの内部ないぶは鐵てつの心しんから成かルビの「か」はママり立たつてをり、その大おほきさは半徑はんけい二千七百粁にせんしちひやくきろめーとるの球きゆうであることが推定すいていせられて來きた。

地震學ぢしんがくの今日こんにちの進歩しんぽによつて、地球ちきゆうの内部状態ないぶじようたいが分わかりかけて來きたことは右みぎの通とほりであるが、實際じつさい地震學ぢしんがくを除外じよがいしては、此地球内部状態このちきゆうないぶじようたいの研究資料けんきゆうしりようとなるところのものが全まつたく氣きづかれてゐないのである。さればこそ歐米おうべいの地震學者ぢしんがくしやの多おほくは此方面このほうめんの研究けんきゆうに興味きようみを持もち、また主力しゆりよくを傾かたむけてゐるのである。實際じつさい地震ぢしんの全まつたく起おこることなき國くにに於おいては、生命せいめい財産ざいさんに關係かんけいある方面ほうめんの研究けんきゆうは無意味むいみであるけれども、適當てきとうな器械きかいさへあれば、世界せかいの遠隔えんかくした場所ばしよに起おこつた地震ぢしんの餘波よはを觀測かんそくして、前記ぜんきの如ごとき研究けんきゆうが結構けつこう出來できるのである。

前まへに述のべた通とほり地震學ぢしんがくの研究けんきゆうは、便宜上べんぎじようこれを二ふたつの方面ほうめんに分わけることが出來できる。即すなはち一ひとつは人命じんめい財産ざいさんに直接ちよくせつ關係かんけいある事項じこう、他たは地球ちきゆうの内部状態ないぶじようたいの推究すいきゆうに關係かんけいある事項じこうである。わが國くにに於おける地震學ぢしんがくは無論むろん第一だいゝちの方面ほうめんには著いちじるしい發達はつたつを遂とげ、決けつして他たに後おくれを取とつたことがないのみならず、今後こんごに於おいてもやはり其先頭そのせんとうに立たつて進行しんこうすることが出來できるであらうと信しんじてゐる。然しかるに第二だいにの方面ほうめんに於おいては、歐洲おうしゆう特とくにドイツ邊へんに優秀ゆうしゆうな學者がくしやが多おほく現あらはれ、近年きんねんわが國くには此點このてんについて彼かれに一歩いつぽを讓ゆづつてゐたかの感かんがあつたが、大正十二年たいしようじゆうにねん關東大地震かんとうだいぢしん以來いらい、研究者けんきゆうしや次第しだいに増加ぞうかし優秀ゆうしゆうな若わかい學者がくしやも出來できて來きたので、最近さいきん二三年にさんねんの間あひだに於おいては此方面このほうめんにも手てが次第しだいに伸のびて來きて、今日こんにちでは最早もはや彼かれに後おくれてゐようとは思おもはれない。

地震學ぢしんがくの應用おうようによつて地球ちきゆうの内部状態ないぶじようたいが可かなりに明あかるくなつて來きたことは前まへにも述のべた通とほりであるが、本篇ほんぺんに於おいては此方面このほうめんに向むかつて、前記ぜんき以上いじように深入ふかいりしようとは思おもはない。但たゞし地震ぢしんの起おこり樣よう、即すなはち地震ぢしんはいかなる場所ばしよに於おいてどんな作用さようで起おこるかの大體だいたいの觀念かんねんを得うるため、地球ちきゆうの表面ひようめんに近ちかき部分ぶぶんの構造こうぞうを述のべさして貰もらひたい。

わが地球ちきゆうには水界すいかいと陸界りくかいとの區別くべつがあり、陸界りくかいは東大陸ひがしたいりく、西大陸にしたいりく、濠洲ごうしゆう等とうに分わかれてゐる。此陸界このりくかいと水界中すいかいちゆうに於おいて特とくに深ふかい海うみの部分ぶぶんとは、土地とちの構造こうぞう、特とくに其地震學上そのぢしんがくじようから見みた性質せいしつに於おいて可かなりな相違そういがある。大陸たいりくは主しゆとして花崗岩質かこうがんしつのもので出來できてゐて、大體だいたい十里じゆうり程度ていどの深ふかさを持もつてゐるようである。それは下したの鐵心てつしんに至いたるまでは玄武岩質げんぶがんしつのものもしくはそれに鐵分てつぶんが加くははつたもので出來できてゐて、これは急速きゆうそくに働はたらく力ちからに對たいして極きはめてしぶとく抵抗ていこうする性質せいしつを備そなへてゐるけれども、緩ゆるく働はたらく力ちからに對たいしては容易よういに形かたちを變かへ、力ちからの働はたらくまゝになること、食用しよくようの飴あめを思おもひ出ださせるようなものである。さうして深ふかい海うみの底そこはこの質しつの層そうが直接ちよくせつ其表面そのひようめんまで達たつしてゐるか、或あるひは表面近ひようめんちかく進すゝんで來きてゐて、其上そのうへを陸界りくかいの性質せいしつのもので薄うすく被おほふてゐるくらゐにすぎぬと、かう考かんがへられてゐる。

地球ちきゆうはさういふ性質せいしつの薄皮はくひを以もつて被おほはれてをり、深海床しんかいしよう又または地下ちか深ふかい所ところは、緩ゆるく働はたらく力ちからに對たいしてしぶとく抵抗ていこうしないので、地震ぢしんを起おこさうといふ力ちからは大陸たいりく又または其周圍そのしゆういに於おいては次第しだいに蓄積ちくせきすることを許ゆるされても、深ふかい海底かいてい特とくに地球ちきゆうの内部ないぶに於おいては、たとひかような力ちからが働はたらくことがあつても、風かぜに柳やなぎの譬たとひの通とほり、すぐにその力ちからのなすまゝに形かたちを調節ちようせつして平均へいきんが成なり立たつため、地震力ぢしんりよくが蓄たくはへられることを許ゆるされない。そこで大おほきな地震ぢしんは、大陸たいりく又または其周圍そのしゆういに於おいて、十里以内じゆうりいないの深ふかさの所ところに起おこることが通常つうじようであつて、深ふかい海うみの中央部ちゆうおうぶ、又または數十里すうじゆうり或あるひは數百里すうひやくりの深ふかさの地下ちかでは起おこらない。たとひそこに地震ぢしんが起おこることがあつても、それは大おほきくないものに限かぎるのである。

〔図〕fig53048_01.pngアフリカ海岸と南米東岸との符号

アフリカ海岸と南米東岸との符号

大陸たいりくは現今げんこんのように五大洲ごだいしゆうに分わかれてゐるけれども、地球ちきゆうが融とけてゐた状態じようたいから、固かたまり始はじめたときには、單たんに一ひとつの塊かたまりであつたが、それが或作用あるさようのために數箇すうこの地塊ちかいに分裂ぶんれつし、地球ちきゆうの自轉じてん其他そのたの作用さようで、次第しだいに離はなれ離ばなれになつて今日こんにちのようになつたものと信しんじられてゐる。讀者どくしやもし世界地圖せかいちずを開ひらかれたなら、アフリカの西沿岸にしえんがんの大おほきな凹くぼみが、大西洋たいせいようを隔へだてた對岸たいがんの南みなみアメリカ、特とくにブラジルの沿岸えんがんのでつぱりに丁度ちようど割符わりふを合あはせたようにつぎ合あはされることを氣附きづかれるであらう。このような海岸線かいがんせんの組合くみあはせは地球上ちきゆうじよう至いたる所ところに見出みいだされるが、紅海こうかいの東海岸ひがしかいがんと西海岸にしかいがんとの如ごときも著いちじるしい一組ひとくみである。もし手近てぢかな例れいが欲ほしければ、小規模しようきぼではあるけれども、浦賀海峽うらがかいきようの左右さゆう兩岸りようがんを擧あげることが出來できる。これを熟視じゆくしされると、兩對岸りようたいがんが相あひ接觸せつしよくしてゐた模樣もようが想像そう〲せられるであらうが、さう接續せつぞくしてゐたと考かんがへてのみ説明せつめいし得えられる地理學上ちりがくじようの事項じこうが、又また其中そのなかに含ふくまれてゐるのである。

〔図〕fig53048_02.png紅海兩海岸の符号

紅海兩海岸の符号

大陸たいりくは、譬たとへば飴あめの海うみに浮うかんでゐる船ふねである。これが浮動ふどうを妨さまたげゐるのは深海床しんかいしようから伸のばされた章魚たこの手てである。そしてこの章魚たこは大陸たいりくの船縁ふなべりを掴つかんでゐるのである。或ある極限きよくげんまではかくして大陸たいりくの浮動ふどうを支さゝへてゐるけれども、遂つひに支さゝへ切きれなくて或あるひは手てを離はなしたり或あるひは指ゆびを切きつたりして平均へいきんが破やぶれ、隨したがつて急激きゆうげきな移動いどうも起おこるのである。此急激このきゆうげきな移動いどう、これが即すなはち大地震だいぢしんの原因げんいんである。もしかような大移動だいいどうが海底かいていで起おこれば津浪つなみを起おこすことにもなる。

火山作用かざんさようによつて地震ぢしんを起おこすことは、別べつに説明せつめいを要ようするまでもないことである。又また其作用そのさようによつても地震ぢしんが起おこされることがないでもないが、いづれの場合ばあひに於おいても、大地震だいぢしんとは縁遠えんどほいものゝみである。隨したがつて人命じんめい財産ざいさんの損失そんしつから見みるとき、これ等らの問題もんだいは考かんがへに入いれなくとも差支さしつかへないであらう。

〔図〕fig53048_03.png關東大地震の震原と地盤の移動

關東大地震の震原と地盤の移動

この際さい一言いちげんして置おく必要ひつようのあることは地震ぢしんの副原因ふくげんいんといふことである。即すなはち地震ぢしんが起おこるだけの準備じゆんびが出來できてゐる時とき、それを活動かつどうに轉てんぜしめる機會きかいを與あたへるところの誘因ゆういんである。例たとへば鐵砲てつぽうの彈丸たまを遠方えんぽうへ飛とばす原因げんいんは火藥かやくの爆發力ばくはつりよくであるが、これを實現じつげんせしめる副原因ふくげんいんは引金ひきがねを外はづす作用さようである。鐵砲てつぽうに彈藥だんやくが裝填そうてんしてあれば引金ひきがねを外はづすことによつて彈丸たまが遠方えんぽうに飛とぶが、もし彈藥だんやくが裝填そうてんしてなく或あるひは單たんに彈丸たまだけ詰つめて火藥かやくを加くはへなかつたなら、たとひ幾度いくど引金ひきがねを外はづしても彈丸たまは決けつして飛とび出ださない。地震ぢしんの場合ばあひに於おいて此この引金ひきがねの働はたらきに相當そうとうするものとして、氣壓きあつ、潮しほの干滿かんまんなどいろ〱ある。例たとへば相模平野さがみへいやに起おこる地震ぢしんに於おいては、其地方そのちほうの北西方ほくせいほうに於おいて氣壓きあつが高たかく、南東方なんとうほうに於おいてそれが低ひくいと其地方そのちほうの地震ぢしんが誘發ゆうはつされ易やすい。其故それゆゑ地震ぢしんの豫知問題よちもんだいの研究けんきゆうに於おいて右みぎのような副原因ふくげんいんを研究けんきゆうすることも大切たいせつであるが、然しかしながら事實上じじつじようの問題もんだいとして引金ひきがねの空外からはづしともいふべき場合ばあひが頗すこぶる多おほいことである。つまり百千ひやくせんの空外からはづしに對たいして僅わづかに一回いつかいの實彈じつだんが飛とび出だすくらゐの事ことであるから、かような副原因ふくげんいんだけを研究けんきゆうしてゐては、豫知問題よちもんだいの方ほうへ一歩いつぽも進出しんしゆつすることが出來できないような關係かんけいになるのである。

〔図〕fig53048_04.png丹後地震に伴へる郷村断層

丹後地震に伴へる郷村断層

豫知問題よちもんだいの研究けんきゆうについて最もつとも大切たいせつな目標もくひようは、地震ぢしんの主原因しゆげんいんの調査ちようさである。彈藥だんやくが完全かんぜんに裝填そうてんされてあるか、否いなかを調しらべることである。近時きんじ此方面このほうめんの研究けんきゆうがわが日本につぽんに於おいて大おほいに進すゝんで來きた。著者ちよしやは昭和二年しようわにねん九月くがつチェッコスロバキア國こくの首府しゆふプラーグに於おける地震學科ぢしんがつかの國際會議こくさいかいぎに於おいて、此問題このもんだいに關かんするわが國くに最近さいきんの研究結果けんきゆうけつかにつき報告ほうこくするところがあつたが、列席れつせきの各員かくいんは著者ちよしやが簡單かんたんに演述えんじゆつした大地震だいぢしん前徴ぜんちようにつき更さらに詳細しようさいな説明せつめいを求もとめられ、頗すこぶる滿足まんぞくの態ていに見受みうけた。實際じつさい地震ぢしんの豫知問題よちもんだいの解決かいけつは至難しなんの業わざであるに相違そういない。然しかしながら決けつして不可能ふかのうのものとは思おもはない。著者ちよしやの如ごときは、此問題このもんだいは既すでにある程度ていどまでは机上きじように於おいて解決かいけつせられてゐると思おもつてゐる。殘のこるところは其考案そのこうあんの實施じつし如何いかんといふ點てんに歸着きちやくする。而しかも其實施そのじつしは一時いちじに數十萬圓すうじゆうまんえん、年々ねん〱十萬圓じゆうまんえんの費用ひようにて出來できる程度ていどである。

地震ぢしんの豫知問題よちもんだいが假かりに都合つごうよく解決かいけつされたとしても、震災防止しんさいぼうしについては猶なほ重大じゆうだいな問題もんだいが多分たぶんに殘のこるであらう。假かりに地震豫報ぢしんよほうが天氣豫報てんきよほうの程度ていどに達たつしても、雨天うてんに於おいては雨着あまぎや傘かさを要ようするように、又また暴風ぼうふうに對たいしては海上かいじようの警戒けいかいは勿論もちろん、農作物のうさくぶつ、家屋かおく等とうに對たいしても臨機りんきの處置しよちが入用にゆうようであらう。其上そのうへ、氣象上きしようじようの大おほきな異變いへんについては單たんに豫報よほうばかりで解決かいけつされないこと、昭和二年しようわにねん九月十三日くがつじゆうさんにち、西九州にしきゆうしゆうに於おける風水害ふうすいがいの慘状さんじようを見みても明あきらかであらう。著者ちよしやの想像そう〲では、假かりに地震豫報ぢしんよほうが出來できる日ひが來きても、それは地震ぢしんの起おこりそうな或ある特別とくべつの地方ちほうを指摘してきし得うるのみで、それが幾時間後いくじかんごか將はた幾日後いくにちごに實現じつげんするかを知しるのは更さらに研究けんきゆうが進すゝまねば解決かいけつ出來できないことゝ考かんがへる。要ようするに地震學ぢしんがく進歩しんぽの現状げんじように於おいては、何時いつ地震ぢしんに襲おそはれても差支さしつかへないように平常へいじようの心懸こゝろがけが必要ひつようである。建物たてものや土木工事どぼくこうじを耐震的たいしんてきにするといふようなことは、これ亦また平日へいじつ行おこなふべきことではあるが、しかしこれは其局そのきよくに當あたるものゝ注意ちゆういすべき事項じこうであつて、小國民しようこくみんが與あづからずともよい事ことである。然しかしながら地震ぢしんに出會であつた其瞬間そのしゆんかんに於おいては、大小だいしよう國民こくみん殘のこらず自分じしんルビの「じしん」はママで適當てきとうな處置しよちを取とらなければならないから、此場合このばあひの心懸こゝろがけは地震國ぢしんこくの國民こくみんに取とつて一人ひとり殘のこらず必要ひつようなことである。

わが國くにの如ごとき地震國ぢしんこくに於おいては、地震ぢしんに出會であつたときの適當てきとうな心得こゝろえが絶對ぜつたいに必要ひつようなるにも拘かゝルビの「かゝ」はママらず、從來じゆうらいかようなものが缺かけてゐた。たとひ多少たしようそれに注意ちゆういしたものがあつても、地震ぢしんの眞相しんそうを誤解ごかいしてゐるため、適當てきとうなものになつてゐなかつた。著者ちよしやはこれに氣附きづいたので、此數年間このすうねんかん其編纂そのへんさんに腐心ふしんしてゐたが、東京帝國大學とうきようていこくだいがく地震學教室ぢしんがくきようしつに於おける同人どうにんの助言じよげんによつて、大正十五年たいしようじゆうごねんに至いたつて漸やうやく之これを公おほやけにする程度ていどに達たつした。本篇ほんぺんは主おもにこの注意書ちゆういしよに對たいする解釋かいしやくを誌しるしたものといつてよいと思おもふ。もし此心得このこゝろえを體得たいとくせられたならば、個人こじんとしては震災しんさいから生しようずる危難きなんを免まぬかれ、社會上しやかいじようの一人ひとりとしては地震後ぢしんごの火災かさいを未然みぜんに防止ぼうしし、從來じゆうらいわれ〱が惱なやんだ震災しんさいの大部分だいぶぶんが避さけられることゝ思おもふ。少すくなくもそのような結果けつかになるように期待きたいしてゐるものである。

つぎに著者ちよしやが編纂へんさんした注意書ちゆういしよを掲かゝげることにする。

三、地震ぢしんに出會であつたときの心得こゝろえ

一、  最初さいしよの一瞬間いつしゆんかんに於おいて非常ひじようの地震ぢしんなるか否いなかを判斷はんだんし、機宜きゞに適てきする目論見もくろみを立たてること、但たゞしこれには多少たしようの地震知識ぢしんちしきを要ようす。

二、  非常ひじようの地震ぢしんたるを覺さとるものは自みづから屋外おくがいに避難ひなんせんと力つとめるであらう。數秒間すうびようかんに廣場ひろばへ出でられる見込みこみがあらば機敏きびんに飛とび出だすがよい。但たゞし火ひの元もと用心ようじんを忘わすれざること。

三、  二階建にかいだて、三階建さんがいだて等とうの木造家屋もくぞうかおくでは、階上かいじようの方ほう却かへつて危險きけんが少すくない、高層建物こうそうたてものの上層じようそうに居合ゐあはせた場合ばあひには屋外おくがいへ避難ひなんすることを斷念だんねんしなければなるまい。

四、  屋内おくないの一時避難所いちじひなんじよとしては堅牢けんろうな家屋かおくの傍そばがよい。教場内きようじようないに於おいては机つくゑの下したが最もつとも安全あんぜんである。木造家屋内もくぞうかおくないにては桁けた、梁はりの下したを避さけること、又また洋風建物内ようふうたてものないにては、張壁はりかべ、煖爐用煉瓦だんろようれんが、煙突えんとつ等とうの落おちて來きさうな所ところを避さけ、止やむを得えざれば出入口でいりぐちの枠構わくがまへの直下ちよくかに身みを寄よせること。

五、  屋外おくがいに於おいては屋根瓦やねがはら、壁かべの墜落ついらいルビの「ついらい」はママ、或あるひは石垣いしがき、煉瓦塀れんがべい、煙突えんとつ等とうの倒潰とうかいし來きたる虞おそれある區域くいきから遠とほざかること。特とくに石燈籠いしどうろうに近寄ちかよらざること。

六、  海岸かいがんに於おいては津浪襲來つなみしゆうらいの常習地じようしゆうちを警戒けいかいし、山間さんかんに於おいては崖崩がけくづれ、山津浪やまつなみに關かんする注意ちゆういを怠おこたらざること。

七、  大地震だいぢしんに當あたり凡およそ最初さいしよの一分間いつぷんかんを凌しのぎ得えたら、最早もはや危險きけんを脱だつしたものと見做みなし得えられる。餘震よしん恐おそれるに足たらず、地割ぢわれに吸すひ込こまれる事ことはわが國くににては絶對ぜつたいになし。老若男女ろうじやくだんじよ、總すべて力ちからのあらん限かぎり災害防止さいがいぼうしに力つとむべきである。火災かさいの防止ぼうしを眞先まつさきにし、人命救助じんめいきゆうじよをそのつぎとすること。これ即すなはち人命じんめい財産ざいさんの損失そんしつを最小さいしようにする手段しゆだんである。

八、  潰家かいかからの發火はつかは地震直後ぢしんちよくごに起おこることもあり、一二時間いちにじかんの後のちに起おこることもある。油斷ゆだんなきことを要ようする。

九、  大地震だいぢしんの場合ばあひには水道すいどうは斷水だんすいするものと覺悟かくごし、機敏きびんに貯水ちよすいの用意よういをなすこと。又また水みづを用もちひざる消防法しようぼうほうをも應用おうようすべきこと。

十、  餘震よしんは其最大そのさいだいなるものも最初さいしよの大地震だいぢしんの十分じゆうぶんの一いち以下いかの勢力せいりよくである。最初さいしよの大地震だいぢしんを凌しのぎ得えた木造家屋もくぞうかおくは、たとひ多少たしようの破損はそんをなしても、餘震よしんに對たいしては安全あんぜんであらう。但たゞし地震ぢしんでなくとも壞こわれそうな程度ていどに損そんしたものは例外れいがいである。

右みぎの中うち、説明せつめいを略りやくしてもよいものがある。然しかしながら、一應いさおうルビの「いさおう」はママはざつとした註釋ちゆうしやくを加くはへることにする。以下いか項こうを追おうて進すゝんで行ゆく。

一、突差とつさの處置しよち

地震ぢしんに出會であつた一瞬間いつしゆんかん、心こゝろの落着おちつきを失うしなつて狼狽ろうばいもすれば、徒いたづらに逃にげ惑まどふ一方いつぽうのみに走はしるものもある。平日へいじつの心得こゝろえの足たりない人ひとにこれが多おほい。

著者ちよしやの編あんだ第一項だいゝつこうは、最初さいしよの一瞬間いつしゆんかんに於おいて、それが非常ひじようの地震ぢしんなるか否いなかを判斷はんだんせよといふのである。もし大たいした地震ぢしんでないといふ見込みこみがついたならば、心こゝろも自然しぜんに安やすらかなはずであるから過失かしつの起おこりようもない。其上そのうへ危險性きけんせいを帶おびた大地震だいぢしんに出會であふといふのは、人ひとの一生いつしようの間あひだに於おいて多おほくて一二回いちにかいにしかないはずであるから、われ〱が出會であふ所ところの地震ぢしんの殆ほとんど全部ぜんぶは大たいしたものでないといふことがいへる。但たゞし其一生そのいつしようの間あひだに一二回いちにかいしか出會であはないはずのものに、偶たま〱出會であつた場合ばあひが最もつとも大切たいせつであるから、さういふ性質せいしつの地震ぢしんであるか否いなかを最初さいしよの一瞬間いつしゆんかんに於おいて判定はんていすることは、地震ぢしんに出會であつたときの心得こゝろえとして最もつとも大切たいせつな一事件いちじけんである。

地震ぢしんは地表下ちひようかに於おいて餘あまり深ふかくない所ところで起おこるものである。但たゞし深ふかくないといつても、それは地球ちきゆうの大おほきさに比較ひかくしていふことであつて、これを絶對ぜつたいにいふならば幾里いくり・幾十粁いくじゆうきろめーとるといふ程度ていどのものである。もし震原しんげんが直下ちよつかでなかつたならば、震原しんげんに對たいして水平すいへいの方向ほうこうにも距離きよりが加くははつて來くるから、距離きよりは益ます〱遠とほくなるわけである。

われ〱は地震ぢしんを感かんじた場合ばあひ、其振動そのしんどうの緩急かんきゆうによつて震原距離しんげんきよりの概念がいねんを有もつようになる。即すなはち振動しんどう緩かんなるときは震原しんげんが遠とほいことを想像そう〲するが、反對はんたいに振動しんどうが急きゆうなときは震原しんげんはわれわれに近ちかいことゝ判斷はんだんする。又また地震ぢしんと同時どうじに、或あるひはこれを感かんずる前まへに地鳴ぢなりを聞きくこともある。これは地震ぢしんがわれ〱に最もつとも近ちかく起おこつた場合ばあひである。

地震ぢしんは其根源そのこんげんの場所ばしよに於おいては緩急かんきゆう各種かくしゆの地震波ぢしんぱを發生はつせいするものであつて、これが相あひ伴ともなつて四方八方しほうはつぽうへ擴ひろがつて行ゆくのであるが、此際このさい急きゆうな振動しんどうをなす波動はどうは途みちすがら其勢力そのせいりよくを最もつとも速すみやかに減殺げんさいされるから、振動しんどうの急きゆうなもの程ほど其その擴ひろがる範圍はんいが狹せまく、緩ゆるやかなもの程ほどそれが廣ひろい。此事このことをつぎのようにもいふ。即すなはち急きゆうな振動しんどうは、其勢力そのせいりよくが中間ちゆうかんの媒介物ばいかいぶつに吸收きゆうしゆうされ易やすく、緩ゆるやかなものはそれが吸收きゆうしゆうされ惡にくい。これがわれ〱の感かんじた地震動ぢしんどうの緩急かんきゆうによつて、地震ぢしんが深ふかくに起おこつたか或あるひは近ちかくに起おこつたかを判斷はんだんし得うる理由りゆうであつて、又また遠方えんぽうの大地震だいぢしんの觀測かんそくに長週期地震計ちようしゆうきじしんけいが入用にゆうようなわけである。

地震ぢしんが十分じゆうぶんに近ちかく起おこつた場合ばあひは、一秒間いちびようかんに數十回すうじつかい若もしくばそれ以上いじようの往復振動おうふくしんどうが現あらはれて來くるが、それは單たんに地鳴ちなりとしてわれ〱の聽覺ちようかくに感かんずるのみであつて、一秒間いちびようかんに四五回しごかいの往復振動おうふくしんどうになつて漸やうやく急激きゆうげきな地動ちどうとしてわれ〱の身體しんたいにはつきりと感かんずるようになる。然しかしながら震原距離しんげんきよりが三十里さんじゆうり以上いじようにもなると、初動しよどうは可かなり緩漫かんまんになつて一秒間いちびようかん一二回いちにかいの往復振動おうふくしんどうになり、更さらに距離きよりが遠とほくなると終つひには地震動ぢしんどうの最初さいしよの部分ぶぶんは感かんじなくなつて、中頃なかごろの強つよい部分ぶぶんだけを感かんずるようにもなる。

〔図〕fig53048_05.png初期微動と主要動との區別

初期微動と主要動との區別

つぎに、最初さいしよの一瞬間いつしゆんかんの感覺かんかくによつて地震ぢしんの大小だいしよう強弱きようじやくを判斷はんだんする事ことについて述のべて見みたい。諺ことわざに大風おほかぜは中頃なかごろが弱よわくて初はじめと終をはりとが強つよく、大雪おほゆきは初はじめから中頃なかごろまで弱よわくて終をはりが強つよく、大地震だいぢしんは、初はじめと終をはりが弱よわくて中頃なかごろが強つよいといふことがある。これは面白おもしろい比較觀察ひかくかんさつだと思おもふ。大風おほかぜと大雪おほゆきとはさて置おいて、大地震だいぢしんについていはれた右みぎの諺ことわざは一般いつぱんの地震ぢしんに通つうずるものである。われ〱は最初さいしよの弱よわい部分ぶぶんを初期微動しよきびどうと名なづけ、中頃なかごろの強つよい部分ぶぶんを主要動しゆようどう或あるひは主要部しゆようぶ、終をはりの弱よわい部分ぶぶんを終期部しゆうきぶと名なづけてゐる。終期部しゆうきぶは地震動ぢしんどうの餘波よはであつて餘あまり大切たいせつなものではないが、初期微動しよきびどうと主要部しゆようぶとは極きはめて大切たいせつなものである。兩者りようしやともに震原しんげんから同時どうじに出發しゆつぱつし、同おなじ途みちを通とほつて來くるのであるけれども、初期微動しよきびどうは速度そくど大だいに、主要動しゆようどうはそれが小しようなるために斯かく前後ぜんごに到着とうちやくすることになるのである。恰あだかも電光でんこうと雷鳴らいめいとの關係かんけいのようなものである。

もつと具體的ぐたいてきにいふならば、初期微動しよきびどうは空氣中くうきちゆうに於おける音波おんぱのような波動はどうであつて、振動しんどうの方向ほうこうと進行しんこうの方向ほうこうとが相あひ一致いつちするもの、即すなはち形式けいしきからいへば縱波たてなみである。主要動しゆようどうはそれと異ことなり横波よこなみである。震原しんげんの近ちかい場合ばあひには縱波たてなみは凡およそ毎秒まいびよう五粁ごきろめーとるの速はやさで進行しんこうするのに、横波よこなみは毎秒まいびよう三・二粁きろめーとるの速はやさで進行しんこうする。

初期微動しよきびどうが到着とうちやくしてから主要動しゆようどうが來くるまでの時間じかんを、初期微動繼續時間しよきびどうけいぞくじかんと名なづける。讀者どくしやは初期微動時間しよきびどうじかんだけを知しつて震原距離しんげんきよりを計算けいさんして出だすことは、算術さんじゆつのたやすい問題もんだいたることを氣附きづかれたであらう。實際じつさいわれ〱はこの計算けいさんに一ひとつの公式こうしきを用もちひてゐる。即すなはち初期微動繼續時間しよきびどうけいぞくじかんの秒數びようすうに八はちといふ係數けいすうを掛かけると、震原距離しんげんきよりの凡およその値あたひが粁きろめーとるで出でて來くるのである。

地震計ぢしんけいの觀測かんそくによるときは、初動しよどうの方向ほうこうも觀測かんそくせられるので、隨したがつて震原しんげんの方向ほうこうが推定すいていせられ、又また初期微動繼續時間しよきびどうけいぞくじかんによつて震原距離しんげんきよりが計算けいさんせられるから、單たんに一箇所いつかしよの觀測かんそくのみによつて震原しんげんの位置いちが推定すいていせられるのであるが、しかしながら身體しんたいの感覺かんかくのみにてはかような結果けつかを得うることは困難こんなんである。

東京邊とうきようへんで起おこる普通ふつうの小地震しようぢしんは、大抵たいてい四十粁しじゆうきろめーとる位くらゐの深ふかさをもつてゐるから、かような地震ぢしんがわれ〱の直下ちよつかに起おこつても、初期微動繼續時間しよきびどうけいぞくじかんは五・三秒程びようほどになる。東京市内とうきようしないに住すむものは、七八秒しちはちびようから十秒位じゆうびようぐらゐまでの初期微動しよきびどうを有ゆうする地震ぢしんを感かんずることが最もつとも多數たすうである。然しかしながら大正十四年たいしようじゆうよねんの但馬地震たじまぢしんに於おける田結村たいむらの場合ばあひの如ごとく、又また一昨年いつさくねんの丹後地震たんごぢしんに於おける郷村ごうむら又または峰山みねやまの場合ばあひの如ごとく、初期微動繼續時間しよきびどうけいぞくじかん僅わづかに三秒程度さんびようていどなることもあるのである。但たゞしこれは極きはめて稀有けうな場合ばあひであつたといつてよろしい。

初期微動しよきびどうは主要動しゆようどうに比較ひかくして大だいなる速はやさを持もつてゐるが、然しかしながら振動しんどうの大おほいさは、反對はんたいに主要動しゆようどうの方ほうが却かへつて大だいである。この大小だいしようの差違さいは地震ぢしんの性質せいしつにより、又また關係地方かんけいちほうの地形ちけい地質ちしつ等とうによつても一樣いちようではないが、多數たすうの場合ばあひを平均へいきんしていふならば、主要動しゆようどうたる横波よこなみは、初期微動しよきびどうたる縱波たてなみに比較ひかくして凡およそ十倍じゆうばいの大おほいさを持もつてゐる。これが最初さいしよの部分ぶぶんに初期微動しよきびどうとて微びの字じが冠かんせられる所以ゆえんである。さうして主要動しゆようどうが大地震だいぢしんの場合ばあひに於おいて、破壞作用はかいさようをなす部分ぶぶんたることは説明せつめいせずとも既すでに了得りようとくせられたことであらう。

讀者どくしやは小地震しようぢしんの場合ばあひに於おいて、初期微動しよきびどうと主要動しゆようどうを明確めいかくに區別くべつして感得かんとくせられたことがあるであらう。初期微動しよきびどうは通常つうじようびり〱といふ言葉ことばで形容けいようせられるように、稍やゝ急きゆうにしかも微小びしような振動しんどうであるが、それが數秒間すうびようかん或あるひは十數秒間じゆうすうびようかん繼續けいぞくすると、突然とつぜん主要動しゆようどうたる大おほきな振動しんどうが來くる。其振動そのしんどうぶりは、最初さいしよの縱波たてなみに比くらべて稍やゝ緩漫かんまんな大搖おほゆれであるがため、われ〱はこれをゆさ〱といふ言葉ことばで形容けいようしてゐる。然しかしながら大地震だいぢしんになると、初期微動しよきびどうでも決けつして微動びどうでなく、多おほくの人ひとにとつては幾分いくぶんの脅威きよういを感かんずるような大おほいさの振動しんどうである。例たとへばわれ〱が大地震だいぢしんの場合ばあひに於おいて屡しば〲經驗けいけんする通とほり主要動しゆようどうの大おほいさを十糎じゆうせんちめーとると假定かていすれば、初期微動しよきびどうは一糎程度いちせんちめーとるていどのものであるので、もしかういふ大おほいさの地動ちどうが、一秒間いちびようかんに二三回にさんかいも繰返くりかへされるほどの急激きゆうげきなものであつたならば、木造家屋もくぞうかおくや土藏どぞうの土壁つちかべを落おとし、器物きぶつを棚たなの上うへから轉落てんらくせしめる位くらゐのことはあり得うべきである。もし地震ぢしんの初動しよどうがこの程度ていどの強つよさを示しめしたならば、これは非常ひじようの地震ぢしんであると判斷はんだんして誤あやまりはないであらう。

幸さいはひに最初さいしよの一瞬間いつしゆんかんに於おいて、非常ひじようの地震ぢしんなるか否いなかの判斷はんだんがついたならば、其判斷そのはんだんの結果けつかによつて臨機りんきの處置しよちをなすべきである。もしそれが非常ひじようの地震ぢしんだと判斷はんだんされたならば、自分じぶんの居所ゐどころの如何いかんによつて處置方法しよちほう〱が變かはられなければなるまい。それについては、以下いかの各項かくこうに於おいて細説さいせつするつもりである。然しかしながら、それがありふれた小地震しようぢしんだと判斷はんだんされたならば、泰然自若たいぜんじじやくとしてゐるのも一法いつぽうであらうけれども、これは餘あまりに消極的しようきよくてきの動作どうさであつて、著者ちよしやが地震國ぢしんこくの小國民しようこくみんに向むかつて希望きぼうする所ところでない。著者ちよしやは寧むしろかような場合ばあひを利用りようして、地震ぢしんに對たいする實驗的じつけんてきの知識ちしきを得え、修養しゆうようを積つまれるよう希望きぼうするものである。

前まへに述のべた通とほり、初期微動しよきびどうの繼續時間けいぞくじかんは震原距離しんげんきよりの計算けいさんに利用りようし得えられる。この繼續時間けいぞくじかんの正確せいかくなる値あたひは地震計ぢしんけいの觀測かんそくによつて始はじめて分わかることであるけれども、概略がいりやくの値あたひは暗算あんざんによつても出でて來くる。著者ちよしやの如ごときはそれが常習じようしゆうとなつてゐるので、夜間やかん熟睡じゆくすいしてゐるときでも地震ぢしんにより容易よういに覺醒かくせいし、夢ゆめうつゝの境涯きようがいにありながら右みぎの時間じかんの暗算あんざん等とうにとりかかる癖くせがある。これを器械的觀測きかいてきかんそくの結果けつかに比較ひかくすると一割以上いちわりいじようの誤差ごさを生しやうじた例れいは極きはめて少すくない。著者ちよしやは更さらに進すゝんで地震動ぢしんどうの性質せいしつを味あぢはひ、それによつて震原しんげんの位置いちをも判斷はんだんすることに利用りようしてゐるけれども、これは一般いつぱんの讀者どくしやに望のぞみ得うべきことでない。とに角かく、初期微動繼續時間しよきびどうけいぞくじかんを始はじめとして、發震時はつしんじ其他そのたに關かんする値あたひを計測けいそくし、これを器械觀測きかいかんそくの結果けつかに比較ひかくする事ことは頗すこぶる興味きようみ多おほいことである。自分じぶんと觀測所かんそくじよとの間隔かんかくが一二里以内いちにりいないであるならば、兩方りようほうの時刻じこく竝ならびに時間じかん共ともに大體だいたい同おなじ値あたひに出でて來くるべきはずである。

右みぎの外ほか、體驗たいけんした地震動ぢしんどうの大おほいさを器械觀測きかいかんそくの結果けつかに比較ひかくするのも亦また興味きようみある事柄ことがらである。然しかしながらこの結果けつかに於おいては器械きかいで觀測かんそくせられたものと、自分じぶんの體驗たいけんしたものとは著いちじるしき相違そういのあることが一般いつぱんであつて、それが寧むしろ至當しとうである場合ばあひが多おほい。例たとへば東京市内とうきようしないでも下町したまちと山やまの手てとで震動しんどうの大おほいさに非常ひじような相違そういがある。概がいして下町したまちの方ほうが大おほきく、山やまの手ての二三倍にさんばい若もしくはそれ以上いじようにもなることがある。又また鎌倉かまくらの例れいを取とると由比ヶ濱ゆひがはまの砂丘さきゆうは、雪ゆきの下したの岩盤がんばんに比較ひかくして四五倍しごばいの大おほいさに出でて來くることもある。かような根本こんぽんの相違そういがある上うへに、器械きかいは大抵たいてい地面ぢめん其物そのものの震動しんどうを觀測かんそくする樣ようになつてゐるのに、體驗たいけんを以もつて測はかつてゐるのは家屋かおくの振動しんどうであることが多おほい、もし其家屋そのかおくが丈夫じようぶな木造もくぞう平家ひらやであるならば、床上しようじようの振動しんどうは地面ぢめんのものゝ三割さんわり増ましなることが普通ふつうであるけれども、木造もくぞう二階建にかいだての階上かいじようは三倍程度さんばいていどなることが通常つうじようである。この通とほりに器械觀測きかいかんそくの結果けつかと體驗たいけんの結果けつかとは最初さいしよから一致いつちし難がたいものであるけれども、それを比較ひかくしてみることは無益むえきの業わざではない。上手じようずにやると自分じぶんの家屋かおくの耐震率たいしんりつとも名なづくべきものゝ概念がいねんが得えられるであらう。即すなはち二階建にかいだての二階座敷にかいざしきは階下座敷かいかざしきの五倍ごばいに搖ゆれるようならば、不安定ふあんていな構造こうぞうと判斷はんだんしなければならないが、もし僅々きん〱二倍位にばいぐらゐにしか搖ゆれないならば、寧むしろ堅牢けんろうな建物たてものと見做みなしてよいであらう。

二、屋外おくがいへの避難ひなん

〔図〕fig53048_06.png耐震的構造

耐震的構造

地震ぢしんに出會であつてそれが非常ひじようの地震ぢしんであることを意識いしきしたものは、餘程よほど修養しゆうようを積つんだ人ひとでない限かぎり、たとひ耐震家屋内たいしんかおくないにゐても、又また屋外避難おくがいひなんの不利益ふりえきな場合ばあひでも、しかせんと力つとめるであらう。この屋外おくがいへ避難ひなんすることの不利益ふりえきな場合ばあひは次項じこうに説明せつめいすることゝし、もし平家建ひらやだての家屋内かおくない或あるひは二階建にかいだて、三階建さんがいだて等とうの階下かいかに居合ゐあはせた場合ばあひには屋外おくがいへ飛とび出だす方ほうが最もつとも安全あんぜんであることがある。然しかしながらいづれの場合ばあひでもさうであるとは限かぎらぬ。先まづ屋外おくがいが狹せまくて、もし家屋かおくが倒潰とうかいしたならば却かへつて其そのために壓伏あつぷくされるような危險きけんはなきか。これが第一だいゝちに考慮こうりよすべき點てんである。

平家建ひらやだての小屋組こやぐみ、即すなはち桁けたや梁はりと屋根やねとの部分ぶぶんが普通ふつうに出來できてゐれば容易よういに崩くづれるものではない。たとひ家屋かおくが倒伏とうふくすることがあつても、小屋組こやぐみだけは元もとのまゝの形かたちをして地上ちじように直接ちよくせつの屋根やねを現あらはすことは、大地震だいぢしんの場合ばあひ普通ふつうに見みる現象げんしようである。かような場合ばあひ、下敷したじきになつたものも、梁はり又または桁けたのような大おほきな横木よこぎで打うたれない限かぎり大抵たいてい安全あんぜんである。

一方いつぽう屋外おくがいに避難ひなんせんとする場合ばあひに於おいては、まだ出できらない内うちに家屋かおく倒潰とうかいし、而しかも入口いりぐちの大おほきな横木よこぎに壓伏あつぷくせられる危險きけんが伴ともなふことがある。前まへに述のべた通とほり、初期微動しよきびどうの繼續時間けいぞくじかんは概がいして七八秒しちはちびようはあるけれども、前記ぜんきの但馬地震たじまぢしん及および丹後地震たんごぢしんに於おいては、震原地しんげんちの直上ちよくじように於おいて三秒位さんびようぐらゐしかなかつた。かゝる場合ばあひ、家いへの倒伏前とうふくぜんに屋外おくがいの安全あんぜんな場所迄ばしよまで逃にげ出だすことは中々なか〱容易よういな業わざではない。實際じつさい前記ぜんきの大地震だいぢしんに於おいては機敏きびんな動作どうさをなして却かへつて軒前のきさきで壓死あつししたものが多おほく、逃にげ後おくれながら小屋組こやぐみの下したに安全あんぜんに敷しかれたものは屋根やねを破やぶつて助たすかつたといふ。かような場合ばあひを省かへりみると、屋外おくがいへ避難ひなんして可かなる場合ばあひは、僅わづかに二三秒にさんびようで軒下のきしたを離はなれることが出來できるような位置いちにあるときに限かぎるようである。もし偶然ぐうぜんかような位置いちに居合ゐあはせたならば、機敏きびんに飛出とびだすが最上策さいじようさくであること勿論もちろんである。

右みぎのような條件じようけんが完全かんぜんに備そなはつてゐなくとも、大抵たいていの人ひとは屋外おくがいに避難ひなんせんとあせるに違ちがひない。これは寧むしろ動物どうぶつの本能ほんのうであらう。目めの前まへを何なにか掠かすめて通とほるとき急きゆうに瞼まぶたを閉とぢるような行動こうどうと相あひ似にてゐる。

安政二年あんせいにねん十月二日じゆうがつふつかの江戸大地震えどだいぢしんに於おいて、小石川こいしかはの水戸屋敷みとやしきに於おいて壓死あつしした藤田東湖先生ふぢたとうこせんせいの最後さいごと、麹町かうじまち神田橋内かんだばしないの姫路藩邸ひめぢはんていに於おいて壓死あつしした石本李蹊いしもとりけい翁おうの最後さいごは全まつたく同おなじ轍てつを踏ふまれたものであつた。此地震このぢしんの初期微動繼續時間しよきびどうけいぞくじかんは七八秒程しちはちびようほどあつたように思おもはれる。各先生かくせんせい共ともに地震ぢしんを感得かんとくせられるや否いなや、本能的ほんのうてきに外そとに飛とび出だされたが、はつと氣きが付ついてみると老母ろうぼが屋内おくないに取とり殘のこされてあつた。とつて返かへして助たすけ出ださうとする中うち、主要動しゆようどうのために家屋かおくは崩壞ほうかいし始はじめたので、東湖とうこは突差とつさに母堂ぼどうを屋外おくがいへ抛はうり出だした瞬間しゆんかん、家屋かおくは全まつたく先生せんせいを壓伏あつぷくしてしまつたが、李蹊りけいは母堂ぼどうと運命うんめいを共ともにしたのである。東湖先生とうこせんせいの最後さいごのありさまはよく人ひとに知しられてゐるが、石本李蹊いしもとりけい翁おうのは知しる人ひとが少すくない。翁おうの令息れいそくに有名ゆうめいな石本新六男いしもとしんろくだんがあり、新六男しんろくだんの四男よなんに地震學ぢしんがくで有名ゆうめいな巳四雄教授みしをきようじゆのあることは、李蹊りけい翁おうも又また以もつて瞑めいするに足たるといはれてもよいであらう。

われ〱の崇敬すうけいする偉人いじんでも、大地震だいぢしんとなると我われを忘わすれて飛とび出だされるのであるから、二階建にかいだて、三階建さんがいだて等とうの階下かいかや平家建ひらやだての屋内おくないにゐた人ひとが逃にげ出だすのは、尤もつともな動作どうさと考かんがへなければなるまい。前記ぜんきの但馬地震たじまぢしんや丹後地震たんごぢしんの如ごときは初期微動繼續時間しよきびどうけいぞくじかんの最もつとも短みじかかつた稀有けうの例れいであるので、寧むしろ例外れいがいとみて然しかるべきものである。それ故ゆゑに若もし數秒間すうびようかんで廣場ひろばへ出だルビの「だ」はママられる見込みこみがあらば、最もつとも機敏きびんにさうする方ほうが個人こじんとして最上さいじようの策さくたるに相違そういない。唯一たゞひとつ茲こゝに考慮こうりよすべきは火ひの用心ようじんに關かんする問題もんだいである。地震ぢしんに伴ともなふ火災かさいは地震直後ぢしんちよくごに起おこるのが通常つうじようであるけれども、地震後ぢしんご一二時間いちにじかんの後のちに起おこることもある。避難ひなんの際さい、僅わづかに一擧手いつきよしゆの動作どうさによつて火ひが消けされるようならば、さういふ處置しよちは望のぞましきことであるが、もし其餘裕そのよゆうなくして飛出とびだしたならば、後あとになつてからでも火ひを消けすことに注意ちゆういすべきであつて、特とくに今迄いままでゐた家いへが潰つぶれたときにさうである。これ著者ちよしやがこの項ごろの「この項ごろの」はママ本文ほんもんに於おいて、『但たゞし火ひの元もと用心ようじんを忘わすれざること』と附つけ加くはへた所以ゆえんである。

三、階下かいかの危險きけん

〔図〕fig53048_07.png二階建の潰れ方(豐岡)

二階建の潰れ方(豐岡)

わが國くにに於おける三階建さんがいだては勿論もちろん、二階建にかいだても大抵たいてい各階かくかいの柱はしらが床とこの部分ぶぶんに於おいて繼つがれてある。即すなはち通とほし柱はしらを用もちひないで大神樂造だいかぐらづくりにしてある。かういふ構造こうぞうに於おいては、大おほきな地震動ぢしんどうに對たいして眞先まつさきに傷いたむのは最下層さいかそうである。更さらに震動しんどうが強つよいと階下かいかの部分ぶぶんが潰つぶれ、上層じようそうの多おほくは直立ちよくりつの位置いちの儘まゝに取殘とりのこされる。即すなはち二階建にかいだては平家造ひらやづくりのように三階建さんがいだては二階建にかいだてのようなものになる。大正十四年たいしようじゆうよねんの但馬地震たじまぢしんに於おいて、豐岡町とよをかまちの被害状況ひがいじようきようの概報がいほうに、停車場ていしやじようの前通まへどほり四五町しごちようの間あひだは町家ちようかが將棊倒しようぎだふしに潰つぶれたとあつたが、震災地しんさいちを始はじめて見學けんがくした一學生いちがくせいは其實状そのじつきようルビの「じつきよう」はママを見みて、右みぎの概報がいほうは誤あやまりだと思おもつた。さうして著者ちよしやに向むかつていふには、將棊倒しようぎだふしどころか各家屋かくかおく直立ちよくりつしてゐるではありませんかと。著者ちよしやはこのとき彼かれに反問はんもんして、君きみはこの町家ちようかを平家建ひらやだてと思おもつてゐるかといつてみたが、該學生がいがくせいが潰つぶれ方かたの眞相しんそうを了解りようかいしたのは、其状況そのじようきようを暫時ざんじ熟視じゆくしした後のちのことであつた。

大地震おほぢしんの場合ばあひに於おいて、二階建にかいだて或あるひは三階建さんがいだて等とうの最下層さいかそうが最もつとも危險きけんであることは、更さらに詳説しようせつを要ようしない程ほどによく知しられてゐる。それ故ゆゑに二階にかい或あるひは三階さんがいに居合ゐあはせた人ひとが、階下かいかを通とほることの危險きけんを侵おかしてまで屋外おくがいに逃にげ出ださうとする不見識ふけんしきな行動こうどうは排斥はいせきすべきである。寧むしろ更さらに上層じようそうに上のぼるか、或あるひは屋上おくじようの物干場ものほしばに避難ひなんすることを勸すゝめるのであるが、實際じつさいかういふ賢明けんめいな處置しよちを取とられた例れいは屡しば〱耳みゝにするところである。

〔図〕fig53048_08.png三階建の潰れ方(城崎)

三階建の潰れ方(城崎)

著者ちよしやは明治二十七年めいじにじゆうしちねん六月二十日ろくがつはつかの東京地震とうきやうぢしんを本郷ほんごう湯島ゆしまに於おいて、木造もくぞう二階建にかいだての階上かいじようで經驗けいけんしたことがある。此時このとき帝國大學地震學教室ていこくだいがくぢしんがくきようしつに於おける地動ちどうは二寸にすん七分しちぶの大おほいさに觀測かんそくせられたから、同おなじ臺地だいちの湯島ゆしまに於おいても大差たいさなかつたはずと思おもふ。隨したがつて階上かいじようの動搖どうようは六七寸ろくしちすんにも達たつしたであらう。當時とうじ著者ちよしやは大學だいがくに於おける卒業試驗そつぎようしけんの準備中じゆんびちゆうでつて「でつて」はママ、机つくゑに向むかつて靜座せいざしてゐたが、地震ぢしんの初期微動しよきびどうに於おいて既すでに土壁どへきが龜裂きれつしきれ〲になつて落おちて來くるので、自みづから室しつの中央部ちゆうおうぶまで動うごいたけれども、それ以上いじように歩行ほこうすることは困難こんなんであつて、たとひ階下かいかへ行ゆかうなどといふ間違まちがつた考かんがへを起おこしても、それは實行不可能じつこうふかのうであつた。

大正十二年たいしようじゆうにねん九月一日くがついちにちの關東大地震かんとうだいぢしんに於おいて、著者ちよしやのよく知しつてゐる某貴族ぼうきぞくは、夫妻ふさい揃そろつて潰家かいかの下敷したじきとなられた。當時とうじ二人ふたりとも木造家屋もくぞうかおくの二階にかいにをられたので、下敷したじきになりながら小屋組こやぐみの空所くうしよに挾はさまり、無難ぶなんに救すくひ出だされたが、階下かいかにゐた家扶かふは主人夫婦しゆじんふうふの身みの上うへを案あんじながら辛からうじて、梯子段はしごだんを登のぼりつめたとき家いへは潰つぶれてしまつた。もしこの家扶かふが下座敷したざしきにゐたまゝであつたならば無論むろん壓死あつししたであらうが、主人しゆじん思おもひの徳行とくこうのために主人夫妻しゆじんふうふルビの「ふうふ」はママと共ともに無難ぶなんに救すくひ出だされたのであつた。

〔図〕fig53048_09.png東京會館の破壞

東京會館の破壞

近頃ちかごろわが國くににはアメリカ風ふうの高層建築物こうそうけんちくぶつが段々だん〱増加ぞうかしつゝある。地震ぢしんに對たいして其安全そのあんぜんさを危あやぶんでゐる識者しきしやも多おほい事ことであるが、これは其局そのきよくに當あたるものゝ平日へいじつ注意ちゆういすべきことであつて、小國民しようこくみんの關與かんよすべき事ことでもあるまい。然しかしながら其そのような高たかい殿堂でんどうに近寄ちかよることや堂上どうじように昇のぼることは年齡ねんれいに無關係むかんけいなことであるから、わが讀者どくしやも偶たま〱かような場所ばしよに居合ゐあはせたとき大地震だいぢしんに出會であふようなことがないとも限かぎらぬ。かういふ種類しゆるいの建物たてものは設計せつけい施工しこうによつて地震ぢしんに傷いためられる模樣もようが變かはるけれども、多おほくの場合ばあひ、地上階ちじようかいは比較的ひかくてき丈夫じようぶに出來できてゐるため被害ひがいが少すくない、この點てんは木造もくぞうの場合ばあひに比較ひかくして反對はんたいな結果けつかを示しめすのである。もし階數かいすうが七なゝつ八やつ、高たかさが百尺ひやくしやく程度ていどのものならば、二階にかい三階さんがい或あるひは四階建しかいだてに傷いたみが最もつとも著いちじるしいようである。大正十一年たいしようじゆういちねん四月二十六日しがつにじゆうろくにちの浦賀海峽地震うらがかいきようぢしんに傷いためられた丸まるの内うちびるぢんぐ、大正十二年たいしようじゆうにねんの關東大地震かんとうだいぢしんによつて腰こしを折をられた東京會館とうきようかいかんなどがその適例てきれいであらう。いまかような高層建物こうそうたてものの上層じようそうに居合ゐあはせた場合ばあひ、もし地震ぢしんに出會であつて屋外おくがいに避難ひなんせんと試こゝろみたなら、それは恐おそらくは地震ぢしんがすんでしまつた頃ころに到達とうたつせられる位くらゐのことであらう。それ故ゆゑにかような場合ばあひに於おいては、屋外おくがいへ出でることを斷念だんねんし屋内おくないに於おいて比較的ひかくてき安全あんぜんな場所ばしよを求もとめることが寧むしろ得策とくさくであらう。

四、屋内おくないにての避難ひなん

〔図〕fig53048_10.png屋根を支へる家具

屋根を支へる家具

大地震だいぢしんに出會であつて屋外おくがいへの安全あんぜんな避難ひなんが間まに合あはない場合ばあひは、家屋かおくの潰つぶれること、壁かべの墜落ついらく、煙突えんとつの崩壞ほうかいなどを覺悟かくごし、又また木造家屋もくぞうかおくならば下敷したじきになつた場合ばあひを考慮こうりよして、崩壞ほうかい又または墜落物ついらくぶつの打撃だげきから免のがれ得うるような場所ばしよに一時いちじ避難ひなんするがよい。普通ふつうの住宅じゆうたくならば椅子いす、衣類いるいで充滿じゆうまんした箪笥たんす、火鉢ひばち、碁盤ごばん、將棊盤しようぎばんなど、總すべて堅牢けんろうな家具かぐならば身みを寄よせるに適てきしてゐる。これ等らの適例てきれいは大地震だいぢしんの度毎たびごとにいくらも見出みいだされる。

教場内きようじようないに於おいては机つくゑの下したが最もつとも安全あんぜんであるべきことは説明せつめいを要ようしないであらう。下敷したじきになつた場合ばあひに於おいて、致命傷ちめいしようを與あたへるものは梁はりと桁けたとである。それさへ避さけることが出來できたなら大抵たいてい安全あんぜんであるといつてよい。さうして學校がつこうの教場内きようじようないに竝列へいれつした多數たすうの机つくゑや或あるひは銃器臺じゆうきだいなどは、其連合そのれんごうの力ちからを以もつて、此桁このけたや梁はり、又または小屋組こやぐみ全部ぜんぶを支さゝへることは容易よういである。

〔図〕fig53048_11.png田根小學校の教室倒潰

田根小學校の教室倒潰

圖ずは明治四十二年めいじしじゆうにねん八月十四日はちがつじゆうよつか姉川大地震あねがはだいぢしんに於おいて倒潰とうかいの憂うき目めを見みた、田根小學校たねしようがつこうの教場きようじようである。讀者どくしやは墜落ついらくした小屋組こやぐみが、其連合そのれんごうの力ちからを以もつていかに完全かんぜんに支さゝへられたかを見みられるであらう。この地震ぢしんの時ときは、丁度ちようど夏季休暇中かききゆうかちゆうであつたため、一人ひとりの生徒せいともゐなかつたのであるが、假かりに授業中じゆぎようちゆうであつたとして、もしそれに善處ぜんしよせんとするならば、「机つくゑの下したへしやがめ」の號令一下ごうれいいつかで十分じゆうぶんであつたらう。さうして家いへの潰つぶれ方かたが圖ずに示しめされた通とほりであつたならば、生徒中せいとちゆうに一人ひとりの負傷者ふしようしやも出來できず、「しやがんだまゝ外そとへ出でよ」との第二號令だいにごうれいで、全員ぜんいん秩序ちつじよを亂みださず、平日へいじつ教場きようじようへ出入しゆつにゆうするのと餘あまり違ちがはない態度たいどで校庭こうていへ現あらはれ出でることが出來できたであらう。

木造家屋もくぞうかおくに對たいしては、處置しよちが比較的ひかくてきに容易よういであるが、重おもい洋風建築物ようふうけんちくぶつであると、さう簡單かんたんにはゆかぬ。第一だいゝち墜落物ついらくぶつも張壁はりかべ、煖爐用煙突だんろようえんとつなど、いづれも重量じゆうりようの大だいなるものであるから、机つくゑや椅子いすでは支さゝへることが困難こんなんである。しかし室しつは比較的ひかくてきに廣ひろく作つくられるのが通常つうじようであるから、右みぎのようなものゝ落おちて來きさうな場所ばしよから遠とほざかることも出來できるであらう。廣ひろい室しつならば、其中央部そのちゆうおうぶ、もしくは煙突えんとつの立たてる反對はんたいの側がはなど、稍やゝそれに近ちかい條件じようけんであらう。若もし室内しつないにて前記ぜんきの如ごとき條件じようけんの場所ばしよもなく、又または廊下ろうかに居合ゐあはせて、兩側りようがはの張壁はりかべからの墜落物ついらくぶつに挾はさみ撃うちせられさうな場合ばあひに於おいては、室しつの出入口でいりぐちの枠構わくがまへが、夕立ゆふだちに出會であつたときの樹陰位こかげぐらゐの役やくを勤つとめるであらう。

五、屋外おくがいに於おける避難ひなん

地震ぢしんの當初とうしよから屋外おくがいにゐた者ものも、周圍しゆういの状況じようきようによつては必かならずしも安全あんぜんであるとはいはれない。又また容易よういに屋内おくないから逃にげ出だすことが出來できても、立退たちのき先さきの方ほうが却かへつて屋内おくないよりも危險きけんであるかも知しれない。石垣いしがき、煉瓦塀れんがべい、煙突えんとつなどの倒潰物とうかいぶつは致命傷ちめいしようを與あたへる事こともあるからである。又また家屋かおくに接近せつきんしてゐては、屋根瓦やねがはら、壁かべの崩壞物ほうかいぶつに打うたれることもあるであらう。

石燈籠いしどうろうは餘あまり強大きようだいならざる地震ぢしんの場合ばあひにも倒たふれ易やすく、さうして近ちかくにゐたものを壓死あつしせしめがちである。特とくに兒童じどうが顛倒てんとうした石燈籠いしどうろうのために生命せつめいルビの「せつめい」はママを失うしなつた例れいは頗すこぶる多おほい。これは兒童じどうの心理作用しんりさように基もとづくものゝようであるから、特とくに父兄ふけい、教師きようしの注意ちゆういを要ようする事ことであらう。元來がんらい神社じんじや、寺院じいんには石燈籠いしどうろうが多おほい。さうして其處そこは多おほく兒童じどうの集あつまる所ところである。そこで偶たま〱地震ぢしんでも起おこると兒童じどうは逃にげ惑まどひ、そこらにある立木たちき或あるひは石燈籠いしどうろうにしがみつく。これは恐おそらくかういふ場合ばあひ、保護者ほごしやの膝ひざにしがみつく習慣しゆうかんから斯かく導みちびかれるものであらう。それ故ゆゑ餘あまり大おほきくない地震ぢしん、例たとへば漸やうやく器物きぶつを顛倒てんとうし土壁つちかべを損そんし粗造そぞうな煉瓦れんが煙突えんとつを損傷そんしようするに止とゞまる程度ていどに於おいても、石燈籠いしどうろうの顛倒てんとうによつて兒童じどうの壓死者あつししやを出だすことが珍めづらしくない。此事このことは教師きようし父兄ふけいの注意ちゆういを促うながすと共ともにわが小國民しようこくみんに、向むかつても直接ちよくせつに戒いましめて置おきたいことである。

六、津浪つなみと山津浪やまつなみとの注意ちゆうい

わが國くにの大地震おほぢしんは激震區域げきしんくいきの廣ひろいと狹せまいとによつて、これを非局部性ひきよくぶせいのものと、局部性きよくぶせいのものとに區別くべつする事ことが出來できる。非局部性ひきよくぶせいの大地震だいぢしんは多おほく太平洋側たいへいようがはの海底かいていに起しルビの「し」はママり、地震ぢしんの規模きぼ廣大こうだいなると陸地りくちが震原しんげんから遠とほいために、はたまた海底地震かいていぢしんの性質せいしつとして震動しんどうは大搖おほゆれであるが、然しかしながら緩漫かんまんである。それと同時どうじに津浪つなみを伴ともなふことが其特色そのとくしよくである。これに反はんして局部性きよくぶせいの大地震おほぢしんは規模きぼ狹小きようしようであるが、多おほく陸地りくちに起おこるがために震動しんどうの性質せいしつが急激きゆうげきである。近ちかく其例そのれいをとるならば、大正十二年たいしようじゆうにねんの關東大地震かんとうだいぢしんは非局部性ひきよくぶせいであつて、大正十四年たいしようじゆうよねんの但馬地震たじまぢしん及および昭和二年しようわにねんの丹後地震たんごぢしんは局部性きよくぶせいであつた。

非局部性ひきよくぶせいの大地震だいぢしんを起おこす事ことのある海洋底かいようていに接せつした海岸地方かいがんちほうは、大搖おほゆれの地震ぢしんに見舞みまはれた場合ばあひ、津浪つなみについての注意ちゆういを要ようする。但たゞし津浪つなみを伴ともなふ程ほどの地震ぢしんは最大級さいだいきゆうのものであるから、倒潰家屋とうかいかおくを生しようずる區域くえきルビの「くえき」はママが數箇すうこの國くにや縣けんに亙わたることもあり、或あるひは震原距離しんげんりよりルビの「りより」はママが陸地りくちから餘あまり遠とほいために、單たんに廣區域こうくいきに亙わたつて大搖おほゆれのみを感かんじ、地震ぢしんの直接ちよくせつの損害そんがいを生しようじないこともある。前者ぜんしやの例れいは大正十二年たいしようじゆうにねんの關東大地震かんとうだいぢしん、或あるひは安政元年あんせいがんねん十一月四日じゆういちがつよつか及および同五日どういつかの東海道とうかいどう、南海道大地震なんかいどうだいぢしん等とうであつて、後者こうしやの例れいとしては明治二十九年めいじにじゆうくねん六月十五日ろくがつじゆうごにちの三陸大津浪さんりくおほつなみを擧あげることが出來できる。

かくしてわが國くにの大平洋側たいへいようがはの「大平洋側の」はママ沿岸えんがんは非局部性ひきよくぶせいの大地震だいぢしんを起おこす海洋底かいようていに接せつしてゐるわけであるが、しかしながら其海岸線そのかいがんせんの全部ぜんぶが津浪つなみの襲來しゆうらいに暴露ばくろされてゐるわけではない。それについては津浪襲來つなみしゆうらいの常習地じようしゆうちといふものがある。この常習地じようしゆうちは右みぎに記しるしたような地震ぢしんに見舞みまはれた場合ばあひ、特別とくべつの警戒けいかいを要ようするけれども、其他そのたの地方ちほうに於おいては左程さほどの注意ちゆういを必要ひつようとしないのである。

右みぎの話はなしを進すゝめるについて必要ひつようなのは津浪つなみの概念がいねんである。津浪つなみに海嘯かいしようなる文字もんじがよくあててあるがこれは適當てきとうでない。海嘯かいしようは潮汐ちようせきの干滿かんまんの差さの非常ひじように大おほきな海うみに向むかつて、河口かこうが三角さんかくなりに大おほきく開ひらいてゐる所ところに起おこる現象げんしようである。支那しな淅江省せつこうしようの「淅江省の」はママ錢塘江せんとうこうは海嘯かいしようについて最もつとも有名ゆうめいである。つまり河流かりゆうと上汐あげしほとが河口かこうで暫時ざんじ戰たゝかつて、遂つひに上汐あげしほが勝かちを占しめ、海水かいすいの壁かべを築きづきながらそれが上流じようりゆうに向むかつて勢いきほひよく進行しんこうするのである。津浪つなみとは津つの浪なみ、即すなはち港みなとに現あらはれる大津浪おほつなみであつて、暴風ぼうふうなど氣象上きしようじようの變調へんちようから起おこることもあるが、最もつとも恐おそろしいのは地震津浪ぢしんつなみである。元來がんらい浪なみといふから讀者どくしやは直すぐに風かぜで起おこされる波なみを想像そう〲せられるかも知しれないが、寧むしろ潮うしほの差引さしひきといふ方ほうが實際じつさいに近ちかい。われ〱が通常つうじようみるところの波なみは、其山そのやまと山やまとの間隔かんかく、即すなはち波長はちようが幾米いくめーとる、或あるひは十幾米じゆういくめーとるといふ程度ていどにすぎないが、津浪つなみの波長はちようは幾粁いくきろめーとる、幾十粁いくじゆうきろめーとる、或あるひは幾百粁いくひやくきろめーとるといふ程度ていどのものである。それ故ゆゑに海上かいじように浮うかんでゐる船舶せんぱくには其存在そのそんざい又または進行しんこうが分わかりかねる場合ばあひが多おほい。但たゞしそれが海岸かいがんに接近せつきんすると、比較的ひかくてきに急きゆうな潮うしほの干滿かんまんとなつて現あらはれて來くる。即すなはち普通ふつうの潮汐ちようせきは一晝夜いつちゆうやに二回にかいの干滿かんまんをなすだけであつて、隨したがつて其週期そのしゆうきは凡およそ十二時間じゆうにじかんであるけれども、津浪つなみのために生しようずる干滿かんまんは幾分いくふん或あるひは幾十分いくじつぷんの週期しゆうきを以もつて繰返くりかへされるのである。

かういふ長波長ちようはちようの津浪つなみが海底かいていの大地震だいぢしんによつていかにして起おこされるかといふに、それは多おほく海底かいていの地形變動ちけいへんどうに基もとづくのである。われ〱は近ちかく關東大地震かんとうだいぢしんに於おいて、相模灣さがみわんの海底かいていが廣ひろさ十里四方じゆうりしほうの程度ていどに於おいて、幾米いくめーとるの上下變動じようげへんどうのあつたことを學まなんだ。さういふ海底かいていの地形變動ちけいへんどうは直すぐに海水面かいすいめんの變動へんどうを惹起ひきおこすから、そこに長波長ちようはちようの津浪つなみが出來できるわけである。

〔図〕fig53048_12.png熱海における津浪の高さ

熱海における津浪の高さ

〔図〕fig53048_13.png三陸大津浪高さの分布(數字は高さを尺にて表したもの)

三陸大津浪高さの分布(數字は高さを尺にて表したもの)

かういふ津浪つなみは沖合おきあひに於おいては概がいして數尺すうしやくの高たかさしか持もたないから、もしそれが其そのまゝの高たかさを以もつて海岸かいがんに押寄おしよせたならば、大抵たいてい無難ぶなんなるべきはずである。しかし、波なみは海深かいしんが次第しだいに淺あさくなる所ところに進入しんにゆうすると、それにつれて高たかさを増まし、又また漏斗じようごのように奧おくが次第しだいに狹せまくなる所ところに進入しんにゆうしても波なみの高たかさが増ましてくる。かういふ關係かんけいが重かさなるような場所ばしよに於おいては、津浪つなみの高たかさが著いちじるしく増大ぞうだいするわけであるが、それのみならず、浪なみが淺あさい所ところに來くれば遂つひに破浪はろうするに至いたること、丁度ちようど普通ふつうの小ちひさな波なみについて濱はまに於おいて經驗けいけんする通とほりであるから、此状態このじようたいになつてからは、浪なみといふよりも寧むしろ流ながれといふべきである。即すなはち海水かいすいが段々だん〱狹せまくなる港灣こうわんに流ながれ込こむことになり、隨したがつて沖合おきあひでは高たかさ僅わづかに一二尺いちにしやくにすぎなかつた津浪つなみも、港灣こうわんの奧おくに於おいては數十尺すうじつしやくの高たかさとなるのである。大正十二年たいしようじゆうにねんの關東大地震かんとうだいぢしんに於おいて熱海港あたみこうの兩翼りようよく、即すなはち北きたは衞戍病院分室えいじゆびよういんぶんしつのある邊へん、南みなみは魚見崎うをみざきに於おいては波なみの高たかさ四五尺しごしやくしかなかつたが、船着場ふなつきばでは十五尺じゆうごしやく、港みなとの奧おくでは四十尺しじゆつしやくに達たつして多おほくの家屋かおくを浚さらひ人命じんめいを奪うばつた。但たゞし港みなとの奧おくではかような大事變だいじへんを起おこしてゐるに拘かゝはらず數十町すうじつちようの沖合おきあひでは全まつたくそれに無關係むかんけいであつて當時とうじそこを航行中こう〱ちゆうであつた石油發動機船せきゆはつどうきせんが海岸かいがんに於おけるかゝる慘事さんじを想像そう〲し得えなかつたのも無理むりのないことである。明治二十九年めいじにじゆうくねんの三陸大津浪さんりくおほつなみは、其原因そのげんいん數十里すうじゆうりの沖合おきあひに於おける海底かいていの地形變動ちけいへんどうにあつたのであるが、津浪つなみの常習地じようしゆうちたる漏斗状じようごがたルビの「じようごがた」はママの港灣こうわんの奧おくに於おいては圖ずに示しめされた通とほり、或あるひは八十尺はちじつしやく、或あるひは七十五尺しちじゆうごしやくといふような高たかさの洪水こうずいとなり、合計ごうけい二萬七千人にまんしちせんにんの人命じんめいを奪うばつたのに、港灣こうわんの兩翼端りようよくたんでは僅わづかに數尺すうしやくにすぎない程ほどのものであつたし、其夜そのよ沖合おきあひに漁獵ぎよりように行いつてゐた村人むらびとは、あんな悲慘事ひさんじが自分じぶんの村むらで起おこつたことを夢想むそうすることも出來できず、翌朝よくあさ、跡方あとかたもなく失うしなはれた村むらへ歸かへつて茫然自失ぼうせんじしつルビの「ぼうせん」はママしたといふ。

〔図〕fig53048_14.png伊東の津浪

伊東の津浪

右みぎの通とほり、津浪つなみは事實上じじつじように於おいて港みなとの波なみである。われ〱は學術的がくじゆつてきにもこの名前なまへを用もちひてゐる。實じつに津浪つなみなる語ごは、最早もはや國際語こくさいごとなつた觀かんがある。

以上いじようの説明せつめいによつて、津浪襲來つなみしゆうらいの常習地じようしゆうちの概念がいねんが得えられたことゝ思おもふ。屡しば〱海底かいていの大地震だいぢしんを起おこす場所ばしよに接せつし、そこに向むかつて大おほきく漏斗形じようごがたに開ひらいた地形ちけいの港灣こうわんがそれに當あたるわけであるが、これに次ついで多少たしようの注意ちゆういを拂はらふべきは、遠淺とほあさの海岸かいがんである。たとひ海岸線かいがんせんが直線ちよくせんに近ちかくとも、遠淺とほあさだけの關係かんけいで、波なみの高たかさが數倍すうばいの程度ていどに増ますこともあるから、もし沖合おきあひに於おける高たかさが數尺すうしやくのものであつたならば、前記ぜんきの如ごとき地形ちけいの沿岸えんがんに於おいて多少たしようの被害ひがいを見みることもある。

津浪つなみに傷いためられた二階建にかいだて、三階建さんがいだての木造家屋もくぞうかおくは、大地震だいぢしんに傷いためられた場合ばあひの如ごとく、階下かいかから順番じゆんばんに潰つぶれて行ゆく。又また津浪つなみに浚さらはれた場合ばあひに於おいて、其港灣そのこうわんの奧おくに接近せつきんした所ところでは潮うしほの差引さしひきが急きゆうであるから、游泳ゆうえいも思おもふように行ゆかないけれども、港灣こうわんの兩翼端りようよくたん近ちかくにてはかような事ことがないから、平常通へいじようどほりに泳およぎ得えられる。この前まへの關東大地震かんとうだいぢしんに際さいし、熱海あたみで津浪つなみに浚さらはれたものゝ中うち、伊豆山いづさんの方ほうへ向むかつて泳およいだものは助たすかつたといふ。

〔図〕fig53048_15.png根府川の山津浪

根府川の山津浪

地震ぢしんの場合ばあひに崖下がいかの危險きけんなことはいふまでもない。横須賀停車場よこすかていしやばの前まへに立たつたものは、其處そこの崖下がけしたに石地藏いしじぞうの建たてるを氣きづくであらう。これは關東大地震かんとうだいぢしんの際さい、其處そこに生埋いきうづめにされた五十二名ごじゆうにめいの不幸ふこうな人ひとの冥福めいふくを祈いのるために建たてられたものである。かような危險きけんは直接ちよくせつの崖下がいか許ばかりでなく、崩壞ほうかいせる土砂どさが流ながれ下くだる地域ちいき全部ぜんぶがさうなのである。崩壞ほうかいした土砂どさの分量ぶんりようが大おほきくて、百米立方ひやくめーとるりつぽう、即すなはち百萬ひやくまん立方米りつぽうめーとるの程度ていどにもなれば、斜面しやめんを沿そうて流ながれ下くだるありさまは、溪水たにみづが奔流ほんりゆうする以上いじようの速はやさを以もつて馳はせ下くだるのである。恰あだかも陸上りくじように於おける洪水こうずいの如ごとき觀かんを呈ていするので山津浪やまつなみと呼よばれるようになつたものであらう。

關東大地震かんとうだいぢしんの場合ばあひに於おいては、各所かくしよに山津浪やまつなみが起おこつたが、其中そのうち根府川ねぶがはの一村いつそんを浚さらつたものが最もつとも有名ゆうめいであつた。この山津浪やまつなみの源みなもとは根府川ねぶがはの溪流けいりゆうを西にしに溯さかのぼること六粁ろくきろめーとる、海面かいめんからの高たかさ凡およそ五百米ごひやくめーとるの所ところにあつたが、實際じつさいは數箇所すうかしよからの崩壞物ほうかいぶつが一緒いつしよに集合しゆうごうしたものらしく、其分量そのぶんりようは百五十米立方ひやくごじゆうめーとるりつぽうと推算すいさんせられた、これが勾配こうばい九分くぶんの一いちの斜面しやめんに沿そひ、五分時間位ごふんじかんぐらゐの間あひだに一里半程いちりはんほどの距離きよりを馳はせ下くだつたものらしい。さうして根府川ねぶがはの一村落いちそんらくは崖上がいじようの數戸すうこを殘のこして、五百ごひやくの村民そんみんと共ともに其下そのしたに埋沒まいぼつされてしまつた。此際このさい鐵道橋梁てつどうきようりようも下くだり汽車きしやと共ともに浚さらはれてしまつたが、これは土砂どさに埋うづまつたまゝ海底かいていまで持もつて行ゆかれたものであることが解わかつた。其後そのご山津浪やまつなみが殘のこした土砂どしやが溪流けいりゆうのために次第しだいに浚さらはれて、再ふたゝび以前いぜんの村落地そんらくちを暴露ばくろしたけれども、家屋かおくは其處そこから現あらはれて來こなかつたので、山津浪やまつなみが一村いつそんを埋沒まいぼつしたといふよりも、これを浚さらつて行いつたといふ方ほうが適當てきとうなことが後日こうじつに至いたつて氣附きづかれた。

山津浪やまつなみはかの丹後地震たんごぢしんの場合ばあひにも起おこつた。それは主おもに海岸かいがんの砂丘さきゆうに起おこつたものであつて根府川ねぶがはの山津浪やまつなみとは比較ひかくにならなかつたけれども、雪崩なだれ下くだつた距離きよりが五六町ごろくちように及および、山林さんりん、田園でんえん道路どうろに可かなりな損害そんがんルビの「そんがん」はママを與あたへた。此地方このちほうの砂丘さきゆうは地震ぢしんならずとも崩壞ほうかいすることがあるのだから、地震ぢしんに際さいして注意ちゆういすべきは當然とうぜんであるけれども、平日へいじつに於おいても氣きをつけ、特とくに宅地たくちとして選定せんていするときに考慮こうりよしなければならぬ弱點じやくてんを持もつてゐるのである。

七、災害防止さいがいぼうし

昔むかしの人ひとは地震ぢしんの搖ゆり返かへし、或あるひは搖ゆり戻もどしを恐おそれたものである。此言葉このことばは俗語ぞくごであるため誤解ごかいを惹起ひきおこし、今いまの人ひとはこれを餘震よしんに當あて嵌はめてゐるが、それは全まつたく誤あやまりである。昔むかしの人ひとの所謂いはゆる搖ゆり戻もどしは、われ〱が今日こんにち唱となへてゐる地震動ぢしんどうの主要部しゆようぶである。藤田東湖先生ふぢたとうこせんせいの最後さいごを記しるすならば、彼かれは最初さいしよの地震ぢしんによつて屋外おくがいへ飛出とびだし、搖ゆり戻もどしのために壓死あつししたのである。われ〱は子供こどもの時分じぶんには然しか教をしへられた。最初さいしよの地震ぢしんを感かんじたなら、搖ゆり戻もどしの來こない中うちに戸外こがいへ飛出とびだせなどと戒いましめられたものである。外國がいこくの大地震だいぢしんでは搖ゆり戻もどしといはずして、第二だいにの地震ぢしんと唱となへた場合ばあひがある。つまり初期微動部しよきびどうぶ、主要部しゆようぶを合併がつぺいして一箇いつこの地震ぢしんと見みないで、これを一々いち〱別べつなものと見做みなしたのである。かくして西暦せいれき紀元きげん千七百五十五年せんしちひやくごじゆうごねんのリスボン地震ぢしんの記事きじがよく了解りようかいせられる。

 搖ゆり戻もどしと餘震よしんとの混同こんどうは單たんに言葉ことばの上うへの誤あやまりとして、其儘そのまゝこれを片附かたづけるわけにはゆかぬ。わが國くにに於おいては餘震よしんを恐怖きようふする念ねんが特とくに強つよいが、それは右みぎの言葉上ことばじようの誤あやまりによりても培養ばいようせられてゐるのである。

昔むかしの人ひとの言葉ことばを借かりていふならば、大地震だいぢしんに家いへの潰つぶれるのは、皆みな搖ゆり戻もどしに由よるのである。もし此この搖ゆり戻もどしを餘震よしんだと解かいしたならば餘震よしんは最もつとも恐おそろしいものでなければならぬ。そこに理論上りろんじよう又または經驗上けいけんじよう全まつたく恐おそれるに足たりない餘震よしんを、誤あやまつて恐怖きようふするようにもなつたのである。

餘震よしんの勢力せいりよく、或あるひは地震動ぢしんどうとしての破壞力はかいりよくは、最初さいしよの本地震ほんぢしんと比較ひかくして微小びしようなものでなければならぬ。多おほくの實例じつれいに徴ちようするも其最大そのさいだいなる場合ばあひでも十分じゆうぶんの一いち以下いかである。この事ことは最後さいごの項こうに於おいて再説さいせつすることだから茲こゝには説明せつめいを略りやくするが、とに角かく餘震よしんは恐おそれるに足たりない。唯たゞ恐おそるべきは最初さいしよの大地震だいぢしんの主要動しゆようどうである。然しかしながら、どんな地震ぢしんでも其最そのもつとも恐おそるべき主要動しゆようどうは、最初さいしよの一分時間いつぷんじかんに於おいて收をさまつてしまふのである。此一分間このいつぷんかんといつたのは、最もつとも長引ながびく場合ばあひを顧慮こうりよルビの「こうりよ」はママしてのことであつて、大抵たいていの場合ばあひに於おいては二十秒間位にじゆうびようかんぐらゐで危險きけんな震動しんどうは終をはりを告つげるものである。即すなはち明治二十七年めいじにじゆうしちねん六月二十日ろくがつはつかの東京地震とうきようぢしんは最初さいしよから十五秒間じゆうごびようかんで著いちじるしい震動しんどうは終をはりを告つげ、大正十四年たいしようじゆうよねんの但馬地震たじまぢしんは二十秒間にじゆうびようかんで全部ぜんぶ殆ほとんど收をさまり、昭和二年しようわにねんの丹後地震たんごぢしんも大抵たいてい十數秒間じゆうすうびようかんで主要震動しゆようしんどうがすんでしまつた。但たゞし大正十二年たいしようじゆうにねんの關東大地震かんとうだいぢしんは主要震動しゆようしんどうが長ながく續つゞき、最初さいしよから二三十秒間にさんじゆうびようかんで收をさまつたとはいへない。此事このことは該地震がいぢしんを經驗けいけんした地方ちほうにより、多少たしようの相違そういがあるべきであるが、比較的ひかくてきに長ながく續つゞいたと思おもはれる東京とうきようにての觀測かんそくの結果けつかを擧あげるならば、震動しんどうの最もつとも強つよかつたのは最初さいしよから十六七秒目じゆうろくしちびようめであつて、それから後あと三十秒間位さんじゆうびようかんぐらゐは、震動しんどうが却かへつて大おほきくなつた位くらゐである。けれども往復震動おうふくしんどうは急きゆうに緩慢かんまんとなつたゝめ、地動ちどうの強つよさは次第しだいに衰おとろへてしまつた。鎌倉かまくらや小田原邊をだはらへんでも、最もつとも激はげしかつたのは最初さいしよの一分間以内いつぷんかんいないであつたといへる。

右みぎのような次第しだいであるから、大地震だいぢしんに出會であつたなら、最初さいしよの二三十秒間にさんじゆうびようかん、場合ばあひによつては一分間位いつぷんかんぐらゐは、その位置環境いちかんきようによつては畏縮いしゆくせざるを得えないこともあらう。勿論もちろん崩壞ほうかいの虞おそれなき家屋かおくの内うちにゐるとか、或あるひは廣場ひろばなど安全あんぜんな場所ばしよに居合ゐあはせたなら畏縮いしゆくする程ほどのこともないであらう。また餘震よしんの恐おそれるに足たらないこともほゞ前まへに述のべた通とほりである。かくして最初さいしよの一分間いつぷんかんを凌しのぎ得えたならば、最早もはや不安ふあんに思おもふべき何物なにものも殘のこさないはずであるが、唯たゞこれに今一いまひとつ解説かいせつして置おく必要ひつようのあるものは、地割ぢわれに對たいして誤あやまれる恐怖心きようふしんである。

大地震だいぢしんのときは大地だいちが裂さけてはつぼみ、開ひらいては閉とぢるものだとは、昔むかしから語かたり傳つたへられて最もつとも恐怖きようふされてゐる一ひとつの假想現象かそうげんしようである。もし此この裂さけ目めに挾はさまると、人畜じんちく牛馬ぎゆうば、煎餅せんべいのように押おし潰つぶされるといはれ、避難ひなんの場所ばしよとしては竹藪たけやぶを選えらべとか、戸板といたを敷しいてこれを防ふせげなどと戒いましめられてゐる。これはわが國くににてはいかなる寒村かんそん僻地へきちにも普及ふきゆうしてゐる注意事項ちゆういじこうであるが、かような地割ぢわれの開閉かいへいに關かんする恐怖きようふは世界せかいの地震地方ぢしんちほうに共通きようつうなものだといつてよい、然しかるにわが國くにの地震史ぢしんしには右みぎのような現象げんしようの起おこつたことの記事きじ皆無かいむであるのみならず、明治以後めいじいごの大地震調査だいぢしんちようさに於おいても未いまだかつて氣附きづかれたことがない。尤もつとも道路どうろ或あるひは堤防ていぼうが搖ゆり下さがりに因よつて地割ぢわれを起おこすこともあるが、それは單たんに開ひらいたまゝであつて、開閉かいへいを繰返くりかへすものではない。又また構造物こうぞうぶつが地震動ぢしんどうに因よつて裂さけ目めを生しようじ、それが振動繼續中しんどうけいぞくちゆう開閉かいへいを繰返くりかへすこともあるが、問題もんだいは大地だいちに關係かんけいしたものであつて、構造物こうぞうぶつに起おこる現象げんしようを指さすのではない。とに角かく人畜じんちくが吸すひ込こまれる程度ていどに於おいて、大地だいちが開閉かいへいするといふことは、わが國くにに於おいては決けつして起おこり得えない現象げんしようと見みてよい。

日本につぽんに於おいて決けつして起おこらない現象げんしようが、なぜに津々浦々つゝうら〱まで語かたり傳つたへられ、恐怖きようふせられてゐるのであらうか。著者ちよしやは初はじめ此話このはなしが南洋傳來なんようでんらいのものではあるまいか、と疑うたがつてみたこともあるが、近頃ちかごろ研究けんきゆうの結果けつか、さうでないように思おもはれて來きたのである。

世界せかいの大地震記録だいぢしんきろくを調しらべてみると、かういふ恐おそろしい現象げんしようが三所みところに見出みいだされる。これを年代ねんだいの順じゆんに記しるしてみると、第一だいいちは西暦せいれき千六百九十二年せんろつぴやくくじゆうにねん六月七日ろくがつなぬか西にしインド諸島しよとうの中うち、ジャマイカ島とうに起おこつた地震ぢしんであつて、このとき首府しゆふロアイヤル港こうに於おいては大地だいちに數百條すうひやくじようの龜裂きれつが出來でき、それがぱく〱開ひらいたり閉とぢたりするので、偶たま〱これに陷おちいつた人畜じんちくは忽たちまち見みえなくなり、再ふたゝびその姿すがたを現あらはすことは出來できなかつた。後あとで掘ほり出だしてみると、いづれも板いたのように押おし潰つぶされてゐたといふ。此時このとき市街地しがいちの大部だいぶは沈下ちんかして海うみとなつたといふことも記しるしてあるから、前記現象ぜんきげんしようの起おこつた場所ばしよは新あたらしい地盤ぢばんたりしに相違そういなかるべく、埋立地うめたてちであつたかも知しれない。又また此時このときの死人しにんは首府しゆふ總人口そうじんこうの三分さんぶんの二にを占しめたことも記しるされてあるから、地震ぢしんが餘程よほど激烈げきれつであつたことも想像そう〲される。

西暦せいれき千七百五十五年せんしちひやくごじゆうごねん十一月一日じゆういちがついちにちのリスボンの大地震だいぢしんは規模きぼ頗すこぶる廣大こうだいなものであつて、感震區域かんしんくいきは長徑ちようけい五百里ごひやくりに亙わたり、地動ぢどうの餘波よはによつて、スコットランド、スカンヂナビヤ邊へんに於おける湖水こすいの氾濫はんらんを惹起ひきおこしたものである。此時このときリスボンには津浪つなみも襲來しゆうらいし、こゝだけの死人しにんでも六萬人ろくまんにんに上のぼつた。震原しんげんは大西洋底たいせいようていにあつたものであらう。津浪つなみは北きたアメリカの東海岸ひがしかいがんに於おいても氣附きづかれた。

此地震このぢしんの場合ばあひに於おいて、大地だいちの開閉かいへいを起おこした所ところは、リスボンの對岸たいがん、アフリカのモロッコ國こくの首府しゆふモロッコから三里さんりほど離はなれた一部落いちぶらくであつて、そこにはベスンバ種族しゆぞくと呼よばれる土民どみんが住すまつてゐた。この時とき大地だいちの開閉かいへいによつて土民どみんは勿論もちろん、彼等かれらの飼かつてゐた畜類ちくるいは牛馬ぎゆうば、駱駝らくだ等とうに至いたるまで盡こと〲くそれに吸すひ込こまれ、八千はつせん乃至ないし一萬いちまんの人口じんこうを有ゆうしてをつたこの部落ぶらくは其そのために跡方あとかたもなく失うしなはれたといふ。此地震史上このぢしんしじようの大事件だいじけんの舞臺ぶたいが未開みかいの土地とちであるだけに、記事きじに確信かくしんを置おくわけにも行ゆかないが、これを載のせた書物しよもつは地震直後ぢしんちよくごに出版しゆつぱんされた『千七百五十五年せんしちひやくごじゆうごねん十一月一日じゆういちがついちにちのリスボン大地震だいぢしん』と題だいするもので、歐洲おうしゆうに於おける當時とうじの知名ちめいの科學者かがくしや十名じゆうめいの論文ろんぶんを集あつめたものである。

大地開閉だいちかいへいの記事きじを載のせた第三だいさんの地震ぢしんは西暦せいれき千七百八十三年せんしちひやくはちじゆうさんねんイタリー國こくカラブリヤに起おこつたものであつて、地震ぢしんに因よる死者ししや四萬しまん、それに續つゞいて起おこつた疫病えきびように因よる死者ししや二萬にまんと數かぞへられたものである。場所ばしよは長靴ながぐつの形かたちに譬たとへられたイタリーの足あしの中央部ちゆうおうぶに當あたつてゐる。この時とき中央ちゆうおう山脈さんみやくの斜面しやめんに沿そうて堆積たいせきしてゐた土砂どさが全體ぜんたいとして山骨さんこつを離はなれ、それが斜面しやめんを流ながれ下くだる際さい曲まがり目めの所ところに於おいて、雪崩なだれの表面ひようめんが或あるひは開ひらいたり、或あるひは閉とぢたりしたものゝようであるが、此この開ひらき口ぐちに人畜じんちくが陷おちいつて見みえなくなつたことが記しるされてある。或あるひは又また開ひらいたままに殘のこつた地割じわれもあつたが、後あとで檢査けんさして見みると、其深そのふかさは計測けいそくすることが出來できない程ほどのものであつたといふ。關東大地震かんとうだいぢしんのとき起おこつた根府川ねぶがはの山津浪やまつなみは、其その雪崩なだれ下くだる際さい、右みぎのような現象げんしようが或あるひは小規模しようきぼに起おこつたかも知しれない。

世界大地震せかいだいぢしんの記事きじに於おいて、人畜じんちくを吸すひ込こむほどの地割ぢわれの開閉現象かいへいげんしようが起おこつたのは、著者ちよしやの鋭意えいい調しらべた結果けつか、以上いじようの三回さんかいのみである。此外このほかに幅はゞ僅わづかに一二寸程いちにすんほどの地割ぢわれが開閉かいへいしたことを記しるしたものはないでもないが、それも餘計よけいはない。一例いちれいを擧あげるならば、西暦せいれき千八百三十五年せんはつぴやくさんじゆうごねんの南米なんべいチリ地震ぢしんである。此時このとき卑濕ひしゆうの土地とちに一二寸いちにすんの地割ぢわれがいくらも出來でき、それが開閉かいへいして土砂どさが吹出ふきだしたといふ。

右みぎのような小規模しようきぼの地割ぢわれならば、大正十二年たいしようじゆうにねんの關東大地震かんとうだいぢしんに於おいても經驗けいけんせられた。場所ばしよは安房國あはのくに北條町ほうじようまち北條小學校ほうじようしようがつこうの校庭こうていであつた。此學校このがつこうの敷地しきちは、數年前すうねんぜんに水田すいでんを埋立うめたてゝ作つくられたものであつて、南北なんぼくに長ながき水田すいでんの一區域いちくいきの中なかに、半島はんとうの形かたちをなして西にしから東ひがしへ突出とつしゆつしてゐた。さうしてこの水田すいでんの東西南とうざいなんの三方さんぽうは比較的ひかくてきに堅かたい地盤ぢばんを以もつて圍かこまれてゐる。かういふ構造こうぞうの地盤ぢばんであるから、地震ぢしんも比較的ひかくてきに烈はげしかつたであらう。誰たれしも想像そう〲し得えられる通とほり、校舍こうしやは新築しんちくでありながら全部ぜんぶ潰つぶれてしまつた。わづかに身みを持もつて免のがれた校長以下こうちよういかの職員しよくいんは這はふようにして中庭なかにはにまで出でると、目前もくぜんに非常ひじような現象げんしようが起おこり始はじめた。それは校庭こうていが南北なんぼくに二條にじように龜裂きれつして、其處そこから水柱みづばしらを二三間にさんげんの高たかさに噴出ふんしゆつし始はじめたのであつた。あとで龜裂きれつの長ながさを計はかつてみたら、延長えんちよう二十二間程にじゆうにけんほどあつたから、此程これほど噴出ふんしゆつの景況けいきようは壯觀そうかんであつたに相違そういない。あれよ〱とみてゐると水煙みづけむりは急きゆうに衰おとろへ裂さけ口くちも閉とぢて噴出ふんしゆつ一時いちじに止とまつてしまつたが、僅わづかに五六秒位ごろくびようくらゐ經過けいかした後のち再ふたゝび噴ふき出だし始はじめた。かく噴ふいては止やみ噴ふいては止やみすること五六回ごろつかいにして次第しだいに衰おとろへ遂つひに止やんでしまつた。跡あとには所々ところ〲に小ちひさな土砂とさの圓錐えんすいを殘のこし、裂口さけぐちは大抵たいてい塞ふさがつて唯たゞ細ほそい線せんを殘のこしたのみである。著者ちよしやは事件じけんがあつて二月にがつの後のちに其場所そのばしよを見學けんがくしたが、土砂とさの圓錐えんすいの痕跡こんせきは其時そのときまでも見みることが出來できた。さうしてこの現象げんしようの原因げんいんは、水田すいでんの泥どろの層そうが敷地しきちと共ともに水桶内みづをけないに於おける水みづの動搖どうようと同おなじ性質せいしつの震動しんどうを起おこし、校舍こうしやの敷地しきちに當あたる所ところが蒲鉾かまぼこなりに持上もちあがつて地割ぢわれを生しようじ、それが凹くぼんで下さがつたとき地割ぢわれが閉とぢるようになつたものと考かんがへた。大地震だいぢしんのとき、泥土層でいどそうや、卑濕ひしゆうの土地とちには長ながい裂さけ目めに沿そうて泥砂どろすなを噴出ふきだすことはありがちのことであるが、もし地震ぢしんの當時とうじに此現象このげんしようを觀察かんさつすることが出來できたならば、北條小學校々庭ほうじようしようがつこう〱ていに於おいて實見じつけんせられたようなものゝ多々たゝあることであらう。實じつに北條小學校職員ほうじようしようがつこうしよくいんによつてなされた前記現象ぜんきげんしようの觀察かんさつは、地震學上ぢしんがくじよう極きはめて貴たふといものであつた。

〔図〕fig53048_16.png地割れ開閉の説明圖

地割れ開閉の説明圖

前まへに記しるしたジャマイカ地震ぢしん並ならびにリスボン地震ぢしんに於おける地割ぢわれの開閉かいへいは、北條小學校ほうじようしようがつこうに起おこつたような現象げんしようが極きはめて大規模おほきぼに起おこつたものとすれば解釋かいしやくがつくように思おもふ。果はたして然しからば、ロアイヤル港こうや、昔むかしベスンバ族ぞくのゐた部落ぶらくは右みぎの現象げんしようを起おこすに最もつとも適當てきとうな場所ばしよであつて、此等これらの地方ちほうは他たの大地震だいぢしんによつて再ふたゝび同樣どうようの現象げんしようを起おこすこともあるであらう。わが國くにに於おいて此現象このげんしようを未まだかつて大規模だいきぼに起おこしたことのないのは、單たんに此現象このげんしようを起おこすに適當てきとうな構造こうぞうの場所ばしよが存在そんざいしないのに因よるものであらう。

右みぎの樣ような次第しだいであるから、著者ちよしやの結論けつろんとしては、地割ぢわれに吸込すひこまれるような現象げんしようは、わが國くににては絶對ぜつたいに起おこらないといふことに歸着きちやくするのである。されば竹藪たけやぶに逃にげ込こめとか、戸板といたを敷しいて避難ひなんせよとかいふ注意ちゆういは餘あまりに用心ようじんすぎるように思おもはれる。況いはんや竹藪自身たけやぶじしんが二十間にじゆつけんも移動いどうしたことが明治二十四年めいぢにじゆうよねん濃尾大地震のうびだいぢしんにも經驗けいけんされ、又またそれを通とほして大おほきな地割ぢわれの出來できた實例じつれいはいくらもある位くらゐであるから、左程さほどに重おもきを置おかなくとも差支さしつかへない注意ちゆういであるように思おもふ。

大地震だいぢしんに遭遇そうぐうして最初さいしよの一分間いつぷんかんを無事ぶしルビの「ぶし」はママに凌しのぎ得えたとし、又また餘震よしんや地割ぢわれは恐おそれるに足たらないものとの悟さとりがついたならば、其後そのご災害防止さいがいぼうしについて全力ぜんりよくを盡つくすことが出來できよう。此際このさい或あるひは倒壞家屋とうかいかおくの下敷したじきになつたものもあらうし、或あるひは火災かさいを起おこしかけてゐる場所ばしよも多おほいことであらうし、救難きゆうなんに出來できるだけ多おほくの人手ひとでを要ようし、しかもそれには一刻いつこくの躊躇ちゆうちよを許ゆるされないものがある。これ老幼男女ろうようだんじよの區別くべつを問とはず、一齊いつせいに災害防止さいがいぼうしに努力どりよくしなければならない所以ゆえんである。

下敷したじきになつた人ひとを助たすけ出だすことは震災しんさいの防止上ぼうしじよう最もつとも大切たいせつなことである。なんとなれば震災しんさいを被かうむる對象物中たいしようぶつちゆう、人命じんめいほど貴重きちようなものはないからである。もしそこに火災かさいを起おこす虞おそれが絶對ぜつたいになかつたならば、この問題もんだいの解決かいけつに一點いつてんの疑問ぎもんも起おこらないであらう。然しかしながら、もしそこに火災かさいを起おこす虞おそれがあり、又また實際じつさいに小火ぼやを起おこしてゐたならば、問題もんだいは全然ぜんぜん別物べつものである。

大正十四年たいしようじゆうよねん五月二十三日ごがつにじゆうさんにちの但馬地震たじまぢしんに於おいて、震原地しんげんちに當あたれる田結村たいむらに於おいては、全村ぜんそん八十三戸中はちじゆうさんこちゆう八十二戸はちじゆうにこ潰つぶれ、六十五名ろくじゆうごめいの村民そんみんが潰家かいかの下敷したじきとなつた。この村むらは半農半漁はんのうはんりようの小部落しようぶらくであるが、地震ぢしんの當日とうじつは丁度ちようど蠶兒掃立さんじはきたての日にに當あたり、暖室用だんしつようの炭火すみびを用もちひてゐた家いへが多おほく、その中うち三十六戸さんじゆうろつこからは煙けむりを吐はき出だし、遂つひに三戸さんこだけは燃もえ上あがるに至いたつた。一方いつぽうでは下敷したじきの下したから助たすけを乞こふてわめき、他方たほうでは消防しようぼうの急きゆうを告つぐるさけび、これに和わして絶たえ間まなき餘震よしんの鳴動めいどうと大地だいちの動搖どうようとは、幸さいはひに身みを以もつて免のがれたものには手ての下くだしようもなかつたであらう。然しかし村民そんみんの間あひだにはかういふ非常時ひじようじに對たいする訓練くんれんがよく行屆ゆきとゞいてゐたと見みえ、老幼男女ろうようだんじよ第一だいいちに火災防止かさいぼうしに力つとめ、時ときを移うつさず人命救助じんめいきゆうじよに從事じゆうじしたのであつた。幸さいはひに火ひも小火ぼやのまゝで消けし止とめ、下敷したじきになつた六十五名中ろくじゆうごめいちゆう、五十八名ごじゆうはちめいは無事ぶじに助たすけ出だされたが、殘のこりの七名しちめいは遺憾いかんながら崩壞物ほうかいぶつの第一撃だいいちげきによつて即死そくししたのであつた。もし村民そんみんの訓練くんれんが不行屆ふゆきとゞきであり、或あるひは火ひを消けすことを第二だいににしたならば、恐おそらくは全村ぜんそん烏有うゆうに歸きし、人命じんめいの損失そんしつは助たすけられた五十八名ごじゆうはちめいの中なかにも及およんだであらう。即すなはち人命じんめいの損失そんしつは實際じつさいに幾倍いくばいし、財産ざいさんの損失そんしつは幾十倍いくじゆうばいにも及およんだであらう。實じつにその村民そんみんの行動こうどうは震災しんさいに對たいしてわれ〱の理想りそうとする所ところを實行じつこうしたものといへる。聞きけばこの村むらはかつて壯丁そうていの多數たすうが出漁中しゆつりようちゆうに火ひを失しつして全村ぜんそん灰燼かいじんに歸きしたことがあるさうで、これに鑑かんがみて其後そのご女子じよしの消防隊しようぼうたいをも編成へんせいし、かゝる寒村かんそんなるにがそりん・ぽんぷ一臺いちだい備そなへつけてあるのだといふ。平日へいじつかういふ訓練くんれんがあればこそ、かゝる立派りつぱな行動こうどうに出いでることも出來できたのであらう。

また丹後大地震たんごだいぢしんの時ときは、九歳きゆうさいになる茂籠傳一郎もかごでんいちろうといふ山田小學校やまだしようがつこう二年生にねんせいは一家いつか八人はちにんと共ともに下敷したじきになり、家族かぞくは屋根やねを破やぶつて逃にげ出だしたに拘かゝはらず、傳一郎君でんいちろうくんは倒潰家屋内とうかいかおくないに踏ふみ留とゞまり、危險きけんを冒をかして火ひを消けし止とめたといひ、十一歳じゆういつさいになる糸井重幸いとゐしげゆきといふ島津小學校しまづしようがつこう四年生よねんせいは、祖母そぼ妹いもうとと共ともに下敷したじきになりながら、二人ふたりには退のき口くちをあてがつて、自分じぶんだけは取とつて返かへし、二箇所にかしよの火元ひもとを雪ゆきを以もつて消けしにかゝつたが、祖母そぼは家いへよりも身體からだが大事だいじだといつて重幸少年しげゆきしようねんを制せいしたけれども、少年しようねんはこれをきかないで、幾度いくども雪ゆきを運はこんで來きて、遂つひに消けし止とめたといふ。この爲ために兩少年りようしようねんは各自かくじの家屋かおくのみならず、重幸少年しげゆきしようねんの如ごときは隣接りんせつした小學校しようがつこうと二十戸にじゆつこの民家みんかとを危急ききゆうから救すくひ得えたのであつた。實じつにこれ等ら義勇ぎゆうの行動こうどうはそれが少年しようねんによつてなされたゞけに殊更ことさらたのもしく思おもはれるではないか。

日本につぽんに於おける大地震だいぢしんの統計とうけいによれば、餘あまり大おほきくない町村ちようそんに於おいて、潰家かいか十一軒毎じゆういつけんごとに一名いちめいの死者ししやを生しようずる割合わりあひである。然しかるに、もしこれに火災かさいが加くははると、人命じんめいの損失そんしつは三倍さんばい乃至ないし四倍よばいになるのであるが、これは下敷したじきになつた人ひとの中うち、火災かさいさへなければ無事ぶじに助たすけ出ださるべきものまで燒死しようしの不幸ふこうを見みるに至いたるものが多數たすうに生しようずるからである。地震ぢしんの災害さいがいを最小限度さいしようげんどに防止ぼうしせんとするに當あたり主義しゆぎとして人命救護じんめいきゆうごに最もつとも重おもきを置おくことは勿論もちろんであるが、唯たゞ此主義このしゆぎの實行手段じつこうしゆだんとして、火災かさいの防止ぼうしを眞先まつさきにすることが必要條件ひつようじようけんとなるのである。もし此手段このしゆだんの實行上じつこうじように伴ともなふ犧牲ぎせいがあるならば、それを考慮こうりよすることも必要ひつようであるけれども、何等なんらの犧牲ぎせいがないのみならず、火災防止かさいぼうしといふ最もつとも有利ゆうりな條件じようけんが伴ともなふのである。實際じつさい大地震だいぢしんの損害そんがいに於おいて、直接ちよくせつ地震動ぢしんどうより來きたるものは僅わづかに其一小部分そのいつしようぶぶんであつて、大部分だいぶぶんは火災かさいのために生しようずる損失そんしつであるといへる。此關係このかんけいは關東大地震かんとうだいぢしん、但馬地震たじまぢしん、丹後地震たんごぢしんに於おいて、此頃このごろ證據立しようこだてられた所ところであつて、別段べつだんな説明せつめいを要ようしない事實じじつである。

八、火災防止かさいぼうし(一)

地震ぢしんに伴ともなふ火災かさいは大抵たいてい地震ぢしんの後のちに起おこるから、其等それらに對たいしては注意ちゆういも行屆ゆきとゞき、小火ぼやの中うちに消止けしとめる餘裕よゆうもあるけれども、潰家かいかの下したから徐々じよ〲に燃もえ上あがるものは、大事だいじに至いたるまで氣附きづかれずに進行しんこうすることがあり、終つひに大火災だいかさいを惹起ひきおこしたことも少すくなくない。

大正十四年たいしようじゆうよねん五月二十三日ごがつにじゆうさんにちの但馬地震たじまぢしんに於おいて、豐岡町とよをかまちに於おいては、地震直後ぢしんちよくご、火ひは三箇所さんかしよから燃もえ上あがつた。これは容易よういに消けし止とめられたので、消防隊しようぼうたい又または一般いつぱんの町民ちようみんの間あひだには多少たしようの緩ゆるみも生しようじたのであらう。市街しがいの中心地ちゆうしんちに於おける潰家かいかの下もとに、大火災だいかさいとなるべき火種ひだねが培養ばいようせられつゝあつたことを氣附きづかないでゐたのである。地震ぢしんの起おこつたのは當日とうじつ午前十一時十分頃ごぜんじゆういちじじつぷんごろであり、郵便局ゆうびんきよくの隣となりの潰家かいかから發火はつかしたのは正午しようごを過すぐる三十分位さんじつぷんぐらゐだつたといふから、地震後ぢしんご凡およそ一時間半いちじかんはんを經過けいかしてゐる。これが氣附きづかれたときは、一旦いつたん集合しゆうごうしてゐた消防隊しようぼうたいも解散かいさんした後のちであり、又また氣附きづかれた後のちも倒潰家屋とうかいかおくに途みちを塞ふさがれて火元ひもとに近ちかづくことが困難こんなんであつたなどの不利益ふりえきが種々しゆ〲重かさなつて、遂つひに全町ぜんちよう二千百戸にせんひやつこの中うち、其その三分さんぶんの二にを全燒ぜんしようせしめる程ほどの大火災だいかさいとなつたのである。しかも其燒失區域そのしようしつくいきは町まちの最もつとも重要じゆうような部分ぶぶんを占しめてゐたので、損失そんしつの實際じつさいの價値かちは更さらに重大じゆうだいなものであつたのである。

九、火災防止かさいぼうし(二)

普通ふつうに出來できてゐる水道鐵管すいどうてつかんは、地震ぢしんによつて破損はそんし易やすい。啻たゞに大地震だいぢしんのみならず、一寸ちよつとした強つよい地震ぢしんにもさうである。特とくに地盤ぢばんの弱よわい市街地しがいちに於おいてはそれが著明ちよめいである。關東大地震後かんとうだいぢしんご、この方面ほうめんに於おける研究けんきゆうも大おほいに進すゝみ、或あるひは鐵管てつかんの繼手つぎての改良かいりよう、或あるひは地盤不良ぢばんふりような場所ばしよを避さけて敷設ふせつすること、止やむを得えなければ豫備よびの複線ふくせんを設まうけることなど、幾分いくぶん耐震的たいしんてきになつた所ところもあるけれども、それも地震ぢしんの種類しゆるいによるのであつて、われ〱が謂いふ所ところの大地震だいぢしんに對たいしては、先まづ暫時ざんじ無能力むのうりよくとなるものと諦あきらめねばなるまい。今日こんにち都市としに於おける消防施設しようぼうしせつは水道すいどうを首位しゆいに置おいてあつて、普通ふつうの火災かさいに對たいしてはそれで差支さしつかへないのであるが、大地震だいぢしんのような非常時ひじようじに於おいては、忽たちまち支障ししようを來きたすこと、其例そのれいが餘あまりに多おほい。

非常時ひじようじの消防施設しようぼうしせつについては別べつに其局そのきよくに當あたる人ひとがあるであらう。唯たゞわれ〱は現状げんじように於おいて最善さいぜんを盡つくす工夫くふうをしなければならぬ。

水みづなしの消防しようぼうは最もつとも不利益ふりえきであるから、水道すいどうの水みづが止とまらない内うち、機敏きびんに貯水ちよすいの用意よういをすることが賢明けんめいな仕方しかたである。たとひ四邊あたりに火災かさいの虞おそれがないように考かんがへられた場合ばあひに於おいても、遠方えんぽうの火元ひもとから延燒えんしようして來くることがあるからである。著者ちよしやは大正十二年たいしようじゆうにねんの關東大地震かんとうだいぢしんの際さい、東京帝國大學内とうきようていこくだいがくない地震學教室ぢしんがくきようしつにあつて、水無みづなしに消防しようぼうに從事じゆうじした苦くるしい經驗けいけんを有ゆうしてゐるが、水みづの用意よういがあつての消防しようぼうに比較ひかくして其その難易なんいを説とくことは、蓋けだし愚ぐの骨頂こつちようであらう。この經驗けいけんによつて、水みづなしの消防法しようぼうほうをも心得こゝろえて置おくべきものといふことを覺さとつたが、實際じつさいには水みづを使用しようしては却かへつて能よくない場合ばあひもあるので、著者ちよしやの專門外せんもんがいではあるけれども、聞きき噛かじつたことを略述りやくじゆつして見みることにする。

水みづを用もちひては却かへつて能よくない場合ばあひは後廻あとまはしにして、先まづ水みづを用もちひて差支さしつかへない場合ばあひ、もしくは有利ゆうりな場合ばあひに於おいて、水みづのあるなしによつて如何いかに之これを處置しよちするかを述のべて見みたい。

個人消防上こじんしようぼうじようの最大要件さいだいようけんは時機じきを失うしなふことなく、最もつとも敏速びんそくに處置しよちすることにある。これは火ひは小ちひさい程ほど、消けし易やすいといふ原則げんそくに基もとづいてゐる。或あるひは自力じりよくで十分じゆうぶんなこともあり、或あるひは他たの助力じよりよくを要ようすることもあり、或あるひは消防隊しようぼうたいを必要ひつようとすることもあるであらう。

水みづは燃燒ねんしようの元もとに注そゝぐこと、焔ほのほや煙けむりに注ついでも何等なんらの效果こうかがない。

障子しようじのような建具たてぐに火ひが燃もえついたならば、この建具たてぐを倒たふすこと、衣類いるいに火ひが燃もえついたときは、床ゆか又または地面じめんに一轉ひところがりすれば、焔ほのほだけは消きえる。

火ひが天井てんじようまで燃もえ上あがつたならば、屋根やねまで打拔うちぬいて火氣かきを拔ぬくこと。これは焔ほのほが天井てんじようを這はつて燃もえ擴ひろがるのを防ふせぐに效力こうりよくがある。この際さい若もし竿雜巾さをぞうきん(竿さをの先さきに濕雜巾ぬれざふきんを結付むすびつけたもの)の用意よういがあると、最もつとも好都合こうつごうである。

隣家りんかからの延燒えんしようを防ふせぐに、雨戸あまどを締しめることは幾分いくぶんの效力こうりよくがある。

煙けむりに卷まかれたら、地面ぢめんに這はふこと、濕ぬれ手拭てぬぐひにて鼻口はなくちを被おほふこと。

焔ほのほの下したをくゞるときは、手拭てぬぐひにて頭部とうぶを被おほふこと。手拭てぬぐひが濕ぬれてゐれば猶なほよく、座蒲團ざぶとんを水みづに浸ひたしたものは更さらによし。

火ひに接近せつきんするに疊たゝみの楯たては有效ゆうこうである。

水みづを用もちひては却かへつて能よくない場合ばあひは、燃燒物ねんしようぶつが油あぶら、あるこーるの如ごときものゝ場合ばあひである。藥品やくひんの中うちには容器ようきの顛倒てんとうによつて單獨たんどくに發火はつかするものもあれば、接觸混合せつしよくこんごうによつて發火はつかするものもある。それにあるこーる、えーてる等とうの如ごとく一時いちじに燃もえ擴ひろがるものが近ちかくにあるとき、直すぐに大事だいじを惹起ひきおこすに至いたることが多おほい。或あるひは飮食店いんしよくてんに於おける揚物あげものの油あぶら、或あるひはせるろいど工場こうじようなど、世よの文化ぶんかが進すゝむに從したがひ、化學藥品かがくやくひんにして發火はつかの原因げんいんとなるものが、益ます〱殖ふえて來くる。關東大地震かんとうだいぢしんのとき、東京とうきように於おける大火災だいかさいの火元ひもとは百五十箇所程ひやくごじゆつかしよほどに數かぞへられてゐるが、其中そのうち化學藥品かがくやくひんに由よるものは四十四箇所しじゆうしかしよであつて、三十一箇所さんじゆういちかしよは都合つごうよく消けし止とめられたけれども、十三箇所じゆうさんかしよだけは大事だいじを惹起ひきおこすに至いたつた。

化學藥品かがくやくひん油類ゆるいの發火はつかに對たいしては、燃燒せんしようルビの「せんしよう」はママを妨さまたげる藥品やくひんを以もつて、處理しよりする方法ほう〱もあるけれども、普通ふつうの場合ばあひには砂すなでよろしい。もし蒲團ふとん、茣蓙ござが手近てぢかにあつたならば、それを以もつて被おほふことも一法いちほうである。

揚物あげものの油あぶらが鍋なべの中なかにて發火はつかした場合ばあひは、手近てぢかにあるうどん粉こ、菜葉なつぱなどを鍋なべに投なげ込こむこと。

火ひに慣なれないものは火ひを恐おそれるために、小火ぼやの中うちにこれを押おさへ付つけることが出來できずして大事だいじに至いたらしめることが多おほい。もし右みぎのような火ひの性質せいしつを心得こゝろえてゐると、心こゝろの落着おちつきも出來できるため、危急ききゆうの場合ばあひ、機宜きゞに適てきする處置しよちも出來できるようにもなるものである。左さに記しるしたものゝ中なかには實驗じつけんを行おこなひ得うるものもあるから、教師きようし父兄ふけい指導しどうの下もとに、安全あんぜんな場所ばしよを選えらびて、これを試こゝろみることは極きはめて有益ゆうえきなことである。

ついでに記しるして置おくことは、火災かさいの避さけ難がたき場合ばあひを顧慮こりよしての心得こゝろえである。

金庫きんこの足あしの車止くるまどめを確たしかにして置おくこと。地震ぢしんのとき金庫きんこが動うごき出だし、扉とびらがしまらなくなつた例れいが多おほい。

金庫きんこ、書庫しよこ、土藏どぞうには各おの〱の大おほきさに相應そうおうする器物きぶつ(例たとへば土藏どぞうならばばけつ)に水みづを入いれ置おくこと。これは内部ないぶの貴重品きちようひんの蒸燒むしやきになるのを防ふせぐためである。

土藏内どぞうないの品物しなものは壁かべから一尺いつしやく以上いじよう離はなし置おくこと。

貴重品きちようひんを一時いちじ井戸ゐどに沈しづめることあり。地中ちちゆうに埋うづめる場合ばあひは砂すなの厚あつさ五分ごぶ程ほどにても有效ゆうこうである。

火災かさいの避難ひなんに於おいては旋風せんぷうに襲おそはれさうな場處ばしよを避さけること。

大火災だいかさいのときは、地震ぢしんとは無關係むかんけいに、旋風せんぷうが起おこり勝がちである。火先ひさきが凹なかくぼの正面しようめんを以もつて前進ぜんしんするとき、其その曲まがり角かどには塵旋風ちりせんぷうと名なづくべきものが起おこる。又また川筋かはすぢに接せつした廣場ひろばは移動旋風いどうせんぷうによつて襲おそはれ易やすい。明暦大火めいれきたいかの際さい、濱町河岸はまちようがしの本願寺境内ほんがんじけいだいに於おいて、又また關東大地震かんとうだいぢしん東京大火災とうきようだいかさいの際さい、本所ほんじよ被服廠跡ひふくしようあとに於おいて、旋風せんぷうのために、死人しにんの集團しゆうだんが出來できたことはよく知しられた悲慘事ひさんじであつた。

一〇、餘震よしんに對たいする處置しよち

昔むかしの人ひとの恐おそれてゐた大地震だいぢしんの搖ゆり戻もどしは、最初さいしよの大地震だいぢしんの主要部しゆようぶの意味いみであつて、今日こんにちの所謂いはゆる餘震よしんを指さすものでないことは前まへに辯べんじた通とほりである。然しかるに後世こうせいの人ひと、これを餘震よしんと混同こんどうし、隨したがつて餘震よしんまでも恐怖きようふするに至いたつたのは災害防止上さいがいぼうしじよう遺憾いかんの次第しだいであつた。

餘震よしんを恐怖きようふせるため、消防しようぼうに十分じゆうぶんの實力じつりよくを發揮はつきすることが出來できなかつたとは、屡しば〱專門せんもんの消防手しようぼうしゆから聞きく述懷じつかいであるが、著者ちよしやは此種このしゆの人士じんしが餘震よしんを誤解ごかいしてゐるのを、最もつとも遺憾いかんに思おもふものである。

統計とうけいによれば、餘震よしんのときの震動しんどうの大おほいさは、最初さいしよの大地震だいぢしんのものに比較ひかくして、其その三分さんぶんの一いちといふ程ほどのものが、最大さいだいの記録きろくである。隨したがつて破壞力はかいりよくからいへば、餘震よしんの最大さいだいなるものも最初さいしよの大地震だいぢしんの九分くぶんの一いち以下いかであるといふことになる。ざつと十分じゆうぶんの一いちと見みてよいであらう。其故それゆゑに、單たんに統計とうけいの上うへから考かんがへても、餘震よしんは恐おそれる程ほどのものでないことが了解りようかいせられるであらう。唯たゞ大地震直後だいぢしんちよくごはそれが頗すこぶる頻々ひんぴんに起おこり、しかも間々まゝ膽きもを冷ひやす程ほどのものも來くるから、氣味惡きみわるくないとはいひ難にくいことであるけれども。

大地震後だいぢしんご、餘震よしんを餘あまりに恐怖きようふするため、安全あんぜんな家屋かおくを見捨みすてゝ、幾日いくにちも〱野宿のじゆくすることは、震災地しんさいちに於おける一般いつぱんの状態じようたいである。もし其野宿そののじゆくが何なにかの練習れんしゆうとして效能こうのうが認みとめられてのことならば、それも結構けつこうであるけれども、病人びようにんまでも其その仲間なかまに入いれるか、又または病氣びようきを惹ひき起おこしてまでもこれを施行しこうするに於おいては、愚ぐの骨頂こつちようといはなければならぬ。大地震だいぢしんによりて損傷そんしようした家屋かおくの中なかには崩壞ほうかいの縁ふちに近寄ちかより、きはどい所ところで喰止くひとめたものもあらう。さういふものは、地震ぢしんならずとも、或あるひは風かぜ、或あるひは雨あめによつて崩壞ほうかいすることもあるであらう。又また洋風建築物ようふうけんちくぶつにては墜落ついらくしかけた材料ざいりようも能よく氣附きづかれる。さういふ建築物けんちくぶつには近寄ちかよらぬをよしとしても、普通ふつうの木造家屋もくぞうかおく特とくに平屋建ひらやだてにあつては、屋根瓦やねがはらや土壁つちかべを落おとし、或あるひは少すこし許ばかりの傾斜けいしやをなしても、餘震よしんに對たいしては安全あんぜんと見做みなして差支さしつかへないものと認みとめる。實じつに木造家屋もくぞうかおくが單たんに屋根瓦やねがはらと土壁つちかべとを取除とりのぞかれただけならば、これあるときに比較ひかくして耐震價値たいしんかちを増ましたといへる。何なんとなれば、これ等らの材料ざいりようは家屋各部かおくかくぶの結束けつそくに無能力むのうりよくなるが上うへに、地震ぢしんのとき、自分じぶんの惰性だせいを以もつて家屋かおくが地面ぢめんと一緒いつしよに動うごくことに反對はんたいするからである。又また家屋かおくの少すこし許ばかりの傾斜けいしやは、其耐震價値そのたいしんかちを傷きづつけてゐない場合ばあひが多おほい。一體いつたい家屋かおくが新あたらしい間あひだは柱はしらと横木よこぎとの間あひだを締しめつけてゐる楔くさびが能よく利きいてゐるけれども、それが段々だん〲古ふるくなつて來くると、次第しだいに緩ゆるみが出でて來くる。これは木材もくざいが乾燥かんそうするのと、表面ひようめんから次第しだいに腐蝕ふしよくして來くるとに由よるのである。それで大地震だいぢしんに出會であつて容易よういに幾いくらかの傾斜けいしやをなしても、それがために楔くさびが始はじめて利きき出だして來くることになり、其位置そのいちに於おいて構造物こうぞうぶつの一層いつそう傾かたむかんとするのに頑強がんきように抵抗ていこうするにあるのである。恰あだかも相撲すまふのとき、土俵どひようの中央ちゆうおうからずる〱と押おされた力士りきしが、劍つるぎの峯みねに蹈ふみ耐こらへる場合ばあひのようである。かうして最初さいしよの大地震だいぢしんに蹈ふみ耐こらへる家屋かおくが、其後そのご、三分さんぶんの一いち以下いかの地震力ぢしんりよくによつて押おし切きられることはないはずである。

著者ちよしやは關東大地震かんとうだいぢしんの調査日記ちようさにつきに於おいて、大地震後だいぢしんご家族かぞくと共ともに自宅じたくに安眠あんみんし、一回いつかいも野宿のじゆくしなかつたことを記しるした。又また但馬大地震たじまだいぢしんの調査日記ちようさにつきには、震原地しんげんちの殆ほとんど直上ちよくじようたる瀬戸せとの港西小學校こうさいしようがくこうに一泊いつぱくしたことを記しるした。此校舍このこうしやは木造二階建もくぞうにかいだてであつたが、地震ぢしんのために中央部ちゆうおうぶが階下かいかまで崩壞ほうかいし、可憐かれんな兒童じどうを二名程にめいほど壓殺あつさつしたのであつた。然しかし家屋かおくの兩翼りようよくは少すこしく傾かたむきながら、潰つぶれずに殘のこつてゐたので、これを檢査けんさして見みると、餘震よしんには安全あんぜんであらうと想像そう〲されたから、山崎博士やまざきはかせを初はじめ一行いつこう四人よにんは其家そのいへの樓上ろうじように一泊いつぱくした。其夜そのよ大雨たいうが降ふり出だしたので、これ迄まで野營やえいを續つゞけてゐた附近ふきんの被害民ひがいみんは、皆みな此この潰つぶれ殘のこりの家いへに集あつまつて來きて餘あまり大勢おほぜいでありし爲ため、混雜こんざつはしたけれども、皆みな口々くち〲に、安やすらかな一夜いちやを過すごしたことを談かたり合あつてゐた。

昭和二年十月しようわにねんじゆうがつ、プラーグに於おける地震學科ぢしんがくかの國際會議こくさいかいぎへ出席しゆつせきした歸かへり途みち、大活動だいかつどうに瀕ひんせるヴエスヴイオを訪とひナポリから郵船ゆうせん筥崎丸はこざきまるに便乘びんじようし、十三日じゆうさんにちアデン沖おきを通過つうかする頃ころ本稿ほんこうを記しるし、同おなじく二十九日にじゆうくにち安南沖あんなんおきを過すぐる頃ころ、稿こう終をはる。著者 誌す

底本 / Source edition

底本:「星と雲・火山と地震」日本児童文庫、復刻版、名著普及会
1982(昭和57)年6月20日発行
底本の親本:「星と雲・火山と地震」日本兒童文庫、アルス
1930(昭和5)年2月15日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「踏」と「蹈」、「附」と「付」、「ぢしん」と「じしん」、「地質學《ちしつがく》」と「地質學《じしつがく》」、「地鳴《ちな》り」と「地鳴《ぢな》り」の混在は、底本通りです。
※表題は底本では、「地震《ぢしん》の話《はなし》」となっています。
※挿絵は、恩地孝四郎(1891-1955)によるものです。
※本文の活字に合わせて、見出しの字下げを決めました。
※底本における、図の挿入による見出しの字下げの変更は、統一しました。
入力:しだひろし
校正:仙酔ゑびす
2012年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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リリース / Release
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TEI
/works/053048_001578/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/053048_001578/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/053048_001578/

今村 明恒「地震の話」(旧字旧仮名)、底本『星と雲・火山と地震』日本児童文庫、復刻版、名著普及会、1982年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 053048_001578, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite