汽車のやうな郊外電車が、勢ひよくゴッゴッゴッゴッと走つて来て、すぐそばの土堤の上を通るごとに、子供達は躍り上つて、思はず叢から手を挙げました。けれどそれが行つてしまふと、またみんな一心に、自分の知らない草や花や虫や石をさがして、草原を分け進むのでした。  いろんなものを拾ひ集めて、その名を覚えたり、それできれいな博物の標本をつくつたり、それを遠い街の子供会へ贈つてやることは、子供たちにはとてもうれしかつたのです。 「工場のある街の方の子供会でも、今日は天気がいいので、みんな元気にやつてるだらうな……」  子供たちはそんなことを考へたり、これから、自分たちの集めた草や花や虫や石の片などを、自分の眼で見るより二百倍も三百倍も大きくして見せる顕微鏡で見ることなどを思ふと、叢の中で踊り廻りたいほどでした。  ポカポカと小春日が照りつけ、銀色に光る穂薄が波をうちます。てんでにかき分け、ふみ分けて進むと、その中からいろんな蝶や蛾や蜂や蜻蛉が飛び出し、また足下から青蜥蜴が飛び出して来て、みんなをびつくりさせ、大さわぎをさせたりします。  この「ムサシノ子供会」は、この町の消費組合員の子供を中心に出来た子供会で、その世話役は、みんな組合員の中の子供の教育に熱心な人たちです。今日の世話役は、もと女学校の先生だつた、若いをばさんの「水野さん」と、ペンキ屋で、兵隊上りの「吉田さん」とです。水野さんが顕微鏡で理科をやり、吉田さんが上着をとつて体操や遊戯をやるはずです。  水野さんは、体が弱くて女学校の先生をやめたほどの人で、箱に入つた三十センチメートルばかりの金ばかりで出来た顕微鏡を、組合の二階の「子供クラブ」から、子供たちにからかはれたり、手伝はれたりして、やつとこさ持つて来たのです。けれど理科は大へんくはしく、また顕微鏡も早くて上手に取扱ふのでした。 「このあたりはどうでせう?」  水野さんが顕微鏡を据ゑる場所を見つけると、吉田さんは平つたい大きな石を抱へて来て、そこにドスンと据ゑました。あたりは芝生になつてゐて、いい場所でした。 「まあ、すみません。有難う。」  水野さんが白いハンケチを出して、それを石の上に敷き、顕微鏡を据ゑたばかりの時、ふと、向ふの叢の中から、誰だか男の子の泣き声が聞えて来ました。 「誰でせう? どうしたんでせう?」  水野さんが脊を伸し、吉田さんが駈け出すと、コドモ委員の男の子や女の子が、もう二三人づれで泣く子をつれて、こつちへ駈け足でやつて来るところでした。 「どうしたんだい? 松男君ぢやないか。」  吉田さんが大声で叫ぶと、向ふから口々に叫びました。 「松男君が毛虫にさされたんだア!」 「名誉の戦死――いや負傷だい!」 「花を取らうとしたら、花にくツついてたんです――」  その声に、叢の中の者もみんな出て来て、われ勝ちに、ガヤ〱と駈け寄つて来ました。 「毛虫か? よしツ! なんでもないぞ――泣くんぢやない! 水野さん、アンモニア水はありましたかしら?」 「ええ、あります。私がいたしませう。」  水野さんが、子供会の小さい提袋を開いて、絆創膏やオゾや仁丹の入つてゐる中から、小さい瓶をとり出し、その中の水のやうなものを松男君の小さい人さし指に塗りました。 「すぐ治ります。もう治つたでせう?」  みんな笑ひました。八つの松男君は、みんなが笑ふので泣き笑ひしました。 「どんな毛虫でした? 大きなのですか、ちつちやいの? どんな毛色?」  水野さんはいろ〱にききます。けれど松男君はチクリとさされると、びつくりしてすぐ泣けて来たので、どんな毛虫だつたかよく覚えてゐないのです。 「毛虫だつたことだけは、たしかなのね?」  松男君は泣きやめて、頷きました。 「で、松男さんは、毛虫にさされた時、こいつ悪いやつだ、殺してやれツ……と思はなかつて? どう思ひました?」  松男君は、そんなこともちよつと頭に閃いたのですが、それよりもさされた指の方が痛くて、びつくりして、泣いて逃げ去つたのでした。  松男君が黙つてゐるので、水野さんは、グルツと環になつてゐる四十人ばかりの子供たちを見廻して、かうききました。 「もし、あなた方がさされたとしたら、あなた方は毛虫をどうしますか?」  すぐさま、林のやうに手が挙がりました。 「はい、欣一さん。」 「僕なら、すぐ殺します。毛虫は悪いことをする虫だし、僕をさした憎いやつですから!」 「よろしい。文子さん――」 「わたしも殺します。毛虫は木の芽や草の葉ばかり食べて、それから蛹になり、も一度生れ変つてきれいな蝶や蛾になりますけれど、少しも人の益になることをしません。だから殺してもいいと思ひます。けれど、ほんとうのことを云へば、わたし、毛虫、大きらひなの。だからさ、指なんかさされたら、もうそれきり泣きべそよ、きつと。ホホウ……」  みんな一度に笑ひました。  暫くして、水野さんが、まじめな顔をしてかう云ひました。 「どちらの答も、大体によいと思ひます。けれど今の答の中には、自分をさした悪い毛虫だから殺してもよい、なんにもしない毛虫だつたら、わざ〱殺さなくもよい……といふ風の考へ方が、それとなく現はれてゐたやうに思ひましたが、さうではなかつたでせうか? 欣一さんはどう思ひます?」  十一になる欣一君は、すぐさま活溌に答へました。 「それはさうです。僕も、毛虫だつて生物ですから、何もしなければ、わざ〱見つけ出して殺さなくつてもいいと思ふんです!」  水野さんはそれを聞くと、頭をふつて考へるやうにして、ニヤリと笑ひました。欣一君は、自分の答が間違ひかな?……どこがいけないんだらう?……と、やつぱり頭をふつて考へました。 「では……文子さんはどう思ひます?」 「わたしも欣一さんと同じやうに思ふわ。生物をむやみに殺すことは悪いことです。毛虫だつて、さしたりなんかしなければ、わざ〱殺さなくつてもいいんだと思ひます。木の芽や草の葉を食べるのは悪いことですが、毛虫はなんにも知らないのですし、それに生れつきなんですから……」  水野さんは困つたやうな顔をして、暫く黙つてみんなの顔を見廻してゐましたが、やがてハンケチで口をおさへて一つ咳をすると、まじめな顔をしてかう云ひました。 「みんなよく聞いて下さい。そしてみんなでよく考へようぢやありませんか? 今、欣一さんと文子さんとは、かういふことを云はれたんです。毛虫だつて自分をさしたりなんかしなければ、むやみに殺してはいけない。なぜかと云ふと、第一――生物だから、第二――何も知らないで悪いことをしてゐるのだから、第三――悪いことをするのは生れつきなんだから。この三つが、毛虫をむやみに殺してはいけない……といふことになつてゐるのですが、これは、ほんとうに正しいことかどうか? みんなよく考へて見て下さい。」  みんな黙りこんで、四方から水野さんを見つめました。  水野さんは、また続けました。 「では一つづつ、みんなで考へて行くことにしませう。第一番目の『生物だから』……むやみに殺してはいけないといふことは、どう思ひます? 誰か、自分の思ふことを、間違つてゐてもいいから、元気に云つて見ませんか?」  すぐ脊の高い、尋常五年の男の子が手を挙げました。時光といふ会社員の子で、頭のいいコドモ委員です。 「はい、時光さん。」 「生物をむやみに殺すことは、僕もよくないことだと思ひます。けれど、毛虫は悪いことしかしない虫です。だからそれを殺すことは、生物をむやみに殺すことではないと思ひます。」  今度は女のコドモ委員の、高田好子さんが手を挙げました。お父さんは市電の車掌で、好子さんは尋常六年生でした。 「高田好子さん。」 「わたしは、むやみにだつて、悪い虫なら殺した方がいいんだと思ひます。赤痢やコレラのバイキンと同じだと思ひます。生物だから、むやみに殺していけないのだつたら、何とかいふ昔の坊さんのやうに、ノミでもシラミでも自分の体に飼つておかなければならないし、赤痢やコレラのバイキンだつて、やつぱり生物だから、むやみに殺せないといふことになるんだらうと思ひます。そんなバカバカしい理屈はないと思ふわ。」 「イギナシ!」  二三人の男の子や女の子が、すぐ、さんせいしました。  水野さんは満足さうに、かう云ひました。 「今の答は、ハツキリしてゐたと思ひますが、みんなよくわかつたでせうか? つまり、悪い虫なら、いくら殺したつてよいといふ意見です。生物をむやみに殺していけないといふことは、その生物が人間に、ためになる、よいことをする生物の場合だけに云へることなんです。たとへば、いつか顕微鏡で見た『てんたう虫』ですね、あれは悪い虫を喰つてくれるよい虫です。だから『てんたう虫』なんかは、顕微鏡で見るためにとか、標本をつくるためにとかの他は、むやみに殺してはいけないのです。わかりましたね? それがわかつたら、次に、第二の『何も知らないで悪いことをしてゐるのだから』……むやみに殺してはいけないと云ふことについて、みんなで考へて見ることにしませう。」  すると、さつきの文子さんが、すぐ手を挙げました。文子さんは尋常五年生で、お父さんは雑誌のさし絵をかく画家でした。 「はい、文子さん。」 「わたし、さつきの考へはまちがつてゐましたから、みんな取消します。今のバイキンの話で、わたしよくわかりました。毛虫もバイキンと同じやうなもので、人間に少しも益になることをしない、悪い虫です。だから、毛虫自身は何も知らないでしてゐることでも、また悪いことをするのは生れつきであつても、やつぱり赤痢やコレラのバイキンと同じことだと思ひます。好子さんの云はれたやうに、わたしも悪い虫なら、むやみにだつて……いいえ、一匹も残らないやうに殺してしまつた方がいいんだと思ひます。」  水野さんは感心して、二度も三度も頷きました。それから欣一君にかう云ひました。 「欣一さんはどう思ひます?」  欣一君は「気をつけエ」の姿勢をして、活溌に答へました。 「僕も、一匹も残らないやうに、みな殺しにした方がいいんだと思ひます。」  水野さんは満足さうに頷きました。それからかう云ひました。 「みんなよく考へました。さうです! そのとほりですわ。わたしたちは、この世の中を、みんな仲よく働いて、みんなの住みよい場所にしたいのです。そのためには、たとひ小さい一匹の毛虫だつて、見つけしだい殺さなければいけないのです。自分がさされなくたつて、他の誰がさされるかわからないのです。この世の中を住みよくするといふことは、だから結局、人間の働きの邪魔をするものとか、害になるものとかを見つけしだい、どんな小さいものでも、一つでも半分でも居なくしてしまふ……といふこと以外に、どんなよい方法もないのです。わかりましたね?……」  それから水野さんは、みんなを芝生の上に坐らせて、次のやうな面白い話をしました。  ――むかし、支那に孫叔傲といふ名高い学者がありました。この人がまだ子供の時分に、ひとりで野原に遊んでゐますと、のろ〱と、頭の二つある蛇がはひ出して来ました。二本でも時々観世物などに来ることがあります。これは「両頭の蛇」と云つて、蛇の不具です。蛙や蜥蜴などにも、よくこんなのがゐます。  頭は二つが重つてゐることもあれば、右と左に二股にくツついてゐることもあります。胴やしつぽは普通です。むかし支那ではこの蛇を見た者は、必ず二、三日うちに死ぬと云はれてゐたので、それを見つけた孫叔傲はまつ蒼になつてしまひました。ブル〱と体がふるへだしました。もうすぐ死ぬのだと思ふと、ワツと泣き出したくなりました。  けれど、後に有名な学者となつたほどの人ですから、ふと、子供ながら考へたのです。もしこの蛇を生かしておいたなら、これから先、いく人の人がこいつを見て死ぬかも知れぬ。よし、これはいつそ殺してしまつて、二度と人の眼にかからないやうにした方がよい!  そこで大急ぎに石を拾つて打ち殺し、深い穴を掘つて蛇を埋めてしまひました。そして黙つて家へ帰りましたが、あまり顔色が悪いのでお母さんが心配していろ〱とたづねるので、たうとう蛇を殺して埋めて来たことを話してしまひました。  するとお母さんは大そう喜んで、お前は大へんよいことをしたのです。その心がけさへなくさなければ、きつと立派な人になれるでせう……と、ほめましたが、そのとほり、後に名高い学者になつたといふことです――  話が終つた時、突然、デブさんの友一君が立ち上りました。そして大根のやうな短い腕をふり〱、元気にかう云ひました。 「おい、みんな。おれたちもみんなでおしかけて行つて、松男君をさした毛虫の野郎を、一匹だつて殺して来ようや! ひよつと、おれたちの中にだつて、今聞いた支那の学者みたいな人間の卵がゐるかも知れんのだぞ。それに一匹殺せば、一匹だけ毛虫が少くなることだけは間違ひのねえこつたから……」 「デブさん、うまいぞツ!」 「異議なアし――さんせいだア!」  みんなパチ〱と手を叩きました。  コドモ委員の一人が立ち上つて、水野さんにかうききました。 「みんなが、毛虫退治に行きたいと云つてゐますから、十分ばかり行かして下さい。」  水野さんはニコ〱して答へました。 「どうぞ。行つてらつしやい。ぢや、みんなの集めてるものは、すつかりここへ置いて行つて下さい。あなた方の帰つて来るまでに、ちやんと分類して、顕微鏡もすぐ観られるやうにして置きますから。それから退治した毛虫は、持つて来て、ここで人をさす毛を、よくみんなで観察することにしませう。顕微鏡にかけてね――」  みんな躍り上りました。そして、さつき泣いて帰つた松男君を先頭にして、ワーツと喚声を挙げながら、バラ〱と向ふの叢をさして走つて行くのでした。 ―昭和七年一〇月二四日作―