Soranoha

国語の自在性

こくごのじざいせい

西田 幾多郎

文化の発展には民族というものが基礎とならねばならぬ。民族的統一を形成するものは風俗慣習等種々なる生活様式を挙げることができるであろうが、言語というものがその最大な要素でなければならない。故に優秀な民族は優秀な言語を有もつ。ギリシャ語は哲学に適し、ラティン語は法律に適するといわれる。日本語は何に適するか。私はなおかかる問題について考えて見たことはないが、一例をいえば、俳句という如きものは、とても外国語には訳のできないものではないかと思う。それは日本語によってのみ表現し得る美であり、大きくいえば日本人の人生観、世界観の特色を示しているともいえる。日本人の物の見方考え方の特色は、現実の中に無限を掴むにあるのである。しかし我々は単に俳句の如きものの美を誇とするに安んずることなく、我々の物の見方考え方を深めて、我々の心の底から雄大な文学や深遠な哲学を生み出すよう努力せなければならない。我々は腹の底から物事を深く考え大きく組織して行くと共に、我々の国語をして自ら世界歴史において他に類のない人生観、世界観を表現する特色ある言語たらしめねばならない。本当に物事を考えて真に或物を掴めば、自ら他によって表現することのできない言表が出て来るものである。

日本語ほど、他の国語を取り入れてそのまま日本化する言語は少いであろう。久しい間、我々は漢文をそのままに読み、多くの学者は漢文書き下しによって、否、漢文そのものによって自己の思想を発表して来た。それは一面に純なる生きた日本語の発展を妨げたともいい得るであろう。しかし一面には我々の国語の自在性というものを考えることもできる。私は復古癖の人のように、徒いたずらに言語の純粋性を主張して、強しいて古き言語や語法によって今日の思想を言い表そうとするものに同意することはできない。無論、古語というものは我々の言語の源であり、我民族の成立と共に、我国語の言語的精神もそこに形成せられたものとして、何処までも深く研究すべきはいうまでもない。しかし言語というものは生きたものということを忘れてはならない。『源氏』などの中にも、如何に多くの漢字がそのまま発音を丸めて用いられていることよ。また蕪村が俳句の中に漢語を取り入れた如く、外国語の語法でも日本化することができるかも知れない。ただ、その消化如何いかんにあるのである。

(『国語特報』第五号、昭和十一年一月、第十二巻)

底本 / Source edition

底本:「西田幾多郎随筆集」岩波文庫、岩波書店
1996(平成8)年10月16日第1刷発行
底本の親本:「西田幾多郎全集 第十二巻」岩波書店
1988(昭和63)年10月
初出:「国語特報 第五号」
1936年(昭和11年)1月
入力:桜
校正:小林繁雄
2011年3月27日作成
2016年2月19日修正
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西田 幾多郎「国語の自在性」(新字新仮名)、底本『西田幾多郎随筆集』岩波文庫、岩波書店、1996年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 052942_000182, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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