Soranoha

舞踏学校見物

ぶとうがっこうけんぶつ

牧野 信一

とても蒸暑い日でした。私たちは、暑い暑い、今日は殊更に暑いではないか、僕はさつきまで自分の部屋に居たのであるが、凝つとしても汗が流れたよ、身の扱ひように困つて転々ごろ〱してゐた仕未だ。昨日と今日は室内でも九十度を超へたのだからね――などゝ話合ひ、自働車に乗り、京王電車に乗り、そして河添ひの道を歩き、汗を拭ひ素晴しい暑さだ! と繰り反しながら、遥々と多摩川のほとりまで出かけて、爽快な舞踏学校の授業を参観させて貰ひました。

爽快! さうだ、ほんとうに、その舞踏学校の可憐な学生達の花々しい稽古の様はこの形容詞の持つ感じに尽きた有様で、観る者に汗を忘れしめ、感心の心を抱かせました。

その学校の門をくゞると、妙なるピアノの音に伴れて朗らかな合唱の声が、水のせゝらぎの如く洩れ聞え、更に耳を傾けて見ると、いとも制然たる足踏みの音が、物々しいリズムを持つて何といふこともなしに厳か気に響いて来るのに気づき、私達参観者は忽ち胸に一脈の緊張感を覚えました。

そこで私達は足を速め、門を叩き、刺を通じて、案内を乞ひました。

さて、そのギムナジウムの光景を簡単に識しるしませう。――ギムナジウムと称ぶのは適当か何うか知りませんが、敬意を払つて私は勝手にその教場を斯く称びませう。何故なら私は、その峻烈なる稽古振りを眺めて思はず古いにしへのスパルタの体育場を連想したからであります。近頃、ダンスとか、レビユウとか、踊り子等といふ言葉を口にすると稍ともすれば飛んだ艶かしい空想を強ひられるのが街頭での常識ですが、一度びこの体操場に入つて、その練習の光景を眼にしたらば、その目醒しい学生等の活躍の素晴しさに打たれて、忽ち堕気も暑気も打ち払はれて――健やかさ、目醒しさ、朗らかさ、烈しさ――にあてられて、思はず力を覚へ、こよなき清新の快のみに襲はれました。

学生等は最も軽やかな「運動シヤツ」一つです。素足です。海水浴場の少年かと見まごふばかりの、元気に充ち溢れた娘達です。美しいイボンヌ先生が、ワンツウ、スリー……何々何々! と恰も銀鈴のやうに澄み渡つた号令をかけ、ピアノが鳴り始めると、学生等は一勢に足並みそろへて、それからそれへ、様々な類ひの運動を懸命に繰り返します。フツト・ボール競技を振りつけした旺んな体操が始まります。飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ! グラウンドに現れた選手は身振りよろしく空を蹴つて、グルグルと飛び回る、ボールを奪ひ合ふ様がある、一勢に脚をふまへて縦にそろつて、脚から脚の間を球をうけ渡して行く様がある――それツ! と、再び飛び散り、再び相寄り、床に伏して、キヤプテンの脚にふまへられる颯爽たる様がある、あしのうらの音が、ヒタヒタと床に、物凄まじく、拍手の音のやうに響き渡る、――また、三十人? もの生徒がヒラヒラと舞ひ出て、夢見る如き眼ざしで両腕をハラハラと打ちふるはせながら、トウ・ダンスの練習がはぢまる。

また、号令がかゝると、一勢に脚は頭上にあがる、跳はねる、飛ぶ、そり反る――何たる軽ろやかさぞや!

ギムナジウムの壁の一面は鏡であります。踊る子達は、己れの姿を細大洩さず、これに依る客観視し得るためでありませう。参観者の眼には、これに映つて学生等の人物が倍に見へ、広い〱体操場で美しいマス・ゲームを観るかのやうな感も誘はれました。

隣りは一年生の教室で、恰度その時は、朗読の時間であるらしく思はれました。私は、中学一年生の教場を思ひ出しました。先生の指名に依つて、生徒は、机で、ひとりびとり順々に、科白の暗誦をしてゐました。何々さん! と先生が命ずると、その生徒は、自分の席で、暗誦をはぢめます。

お姫様は森のかたほとりで若者に出遇ひました――といふやうな、ト書の個所を先生が読むと、一年生でも、若者ならば若者らしい音声で、若者の科白をそらんじてゐました。

(?)若者は、そこで弓を棄てゝ森の中へ入つて行きました……。

「…………」

お姫様の言葉――。

この朗読時間の様も、私には、物珍らしかつたせゐか、名状しがたく可憐にうつり嬉しさを覚へました。この隣りに、更衣室といふのがあり、仕度をしたり、シヤワーを浴びたりしてゐる生徒があるらしく思はれ、扉ドアもあいてゐましたが、私は反対の方を向いて足速に通り過ぎました。

あまり簡単な誌し方で意に充ちませんがこの参観は近頃私にとつて、有益なことでありました。私は、若し自分に娘があつたら普通の女学校へ入れる代りに舞踏学校に入れたい。親類に娘があるから此処への入学をすゝめようかしら――などゝ思ひました。やがて舞台に立つといふのは、別の問題として控へておき、発育盛りのゴールデン・エージを斯うした運動に専心その身を委ね、自らもまた此上なく楽しく励むことが出来、「人生と舞踏」といふ観念に源もとづいて春また春を迎へて行つたならば何んなにか朗らかな生を愉しみ得ることであらう、すゝめよう〱! と思ひました。――夏の暑さも、冬の寒さも、ものかは! でありませう。健やかなる舞踏学生等に幸ひ多かれ!

底本 / Source edition

底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「婦人サロン 第二巻第九号(一周年紀念九月特輯号)」文藝春秋社
1930(昭和5)年9月1日発行
初出:「婦人サロン 第二巻第九号(一周年紀念九月特輯号)」文藝春秋社
1930(昭和5)年9月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月1日作成
2016年5月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/052788_000183/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/052788_000183/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/052788_000183/

牧野 信一「舞踏学校見物」(新字旧仮名)、底本『牧野信一全集第四巻』筑摩書房、2002年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 052788_000183, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite