Soranoha

捜語

そうご

牧野 信一

あの人の酒に敵ふ者に私は出遇つたことがありませんでした、遂に!

ある時私が、電報で応援を求とめられて駆けつけて見ると、あの人は二人の荒武者に詰め寄られて、或る手ごわい談判に攻められてゐる最中でした。

あの人は仕切に盃を傾けながら何かと弁明を続けてゐました。荒武者は茶飲み茶碗か何かで酒をあをりながら、あの人を、おどしたり、すかしたり、様々に弁舌を弄して強談判を持ちかけてゐるのですが、決して埒があきません。

荒武者は、業を煮やして、稍ともすれば大声を挙げて、自分達が、如何に物凄い、人を人とも思はぬ、世の中で何も俺達は怖ろしい者を知らぬ! といふ、真に烈しい啖呵をきりながら、合間合間に、自分達の左様な経歴などをさしはさんでは見得を切つてゐるのです。例へば、俺は斯う見えても満洲に渡つて大喧嘩をした時には、ピストルを放されたが、笑ひながらビール壜でその弾丸をうけとめると一処に敵手の頭を張り擲つて悶絶させてやつたが、あの時は実に痛快だつた、あんな喧嘩ならば毎日でも欲しい! とか、俺の力は八人力で、若しこの上憤つたならば斯んな家位ひは十分間で壊してしまふ! とか、酒などは二升や三升飲んだつてホロ酔ひの気持にもならない、歌の一つもうたはうといふ気持になるには五升も飲まなければならない、晩酌は大体三升と決めてゐるが、それ位ひでやめておくと、そのあとをウナギ丼を二つは食はないと腹が減つて眠れない! とか、近々再び愉快な満洲に武者修業に出かけようといふ矢先きなんだから、少々此方で腕ならしをして行きたいと思つてゐるところだ、腕が鳴る、この力瘤を御覧! と叫んで、腕まくりをして見せたりするのです。

これは大変なんだ! と私は吃驚りして、なるべく彼等の反感をそゝらぬやうにと念じながら、一生懸命に和やかな顔をして、稀大の荒武者の傍らに坐りました。

あの人も、この素晴しい人達に出遇つては内心余程驚いたことでせう。優しく〱、言葉を用ひて、やはり一生懸命になだめてゐたところでした。向方が荒々しく出れば出るほどあの人はいんぎんな態度を示し、さうかと思ふと、時々、ちよいと彼等の反感をそゝるが如きことを云ふ……と、彼等は、今にもつかみかゝりさうな威勢に変つて猛りにたゝうとする! と、また、あの人は、まあまあ、わたしの云ふことはそんなのぢやないのです、法があるんです、斯ういふ流儀があるんです、ちよいとまあ、坐り直して、聞いて下さい! と、実に実にねんごろに説き伏せるのですから、荒武者だつて、鬼ではないのだから、坐り直つて、静かに盃をとるより他はなくなるのです。

これを、まあ、何辺繰り返したことでせう。何でも、初夏頃の、日の長い頂上だつた時分だと思ひますが、中頃私が着いてから、たうとう、夕暮の霞が棚引き、あかりが燭つても、未だ未だはつきりとは埒があかないのぢやありませんか。幾度! 荒武者達は、立あがつたり、畳を拳骨でなぐつたり、そして盃をとり直させられたりしたか、思つても大変なことでしたが、たうとう二人の荒武者は、

「あゝ、俺は頭が痛くなつてしまつた!」

「こいつはとても敵はない!」

「俺ア何だか気持が苦茶苦茶してしまつて、目が眩りさうになつてしまつた!」

など、口々に唸りながらゴロリと其処に倒れてしまひました。

すると、あの人は、どうしても武者連を、もう一度起して、問答を続けたい、済みませんが、どうぞお起き下さい、あと十分でも二十分でも好いからもう一度お坐り直して、どうぞ、どうぞ! と、いとも鄭重に促すのですが、荒武者は上向けに倒れて、目を瞑つたまゝ、低く唸るだけで、決して起きあがらうとはしません。

夜になつて荒武者が引きあげると、あの人は、仲直りの盃を交さないうちは此方が不承知だ! と云つて、どうしてもきゝません。ですが、もうあの人も大変に疲れ、酔つて、自由には歩けません。耳をふさぐやうにして荒武者は逃げ出しました。

だが、あの人は、更に更に同じことを云ひ張つて諾きません。そして、あとを追はうとするのです。そして、いろいろと身仕度に取りかゝるぢやありませんか。そこで、また大分時間もたつて、もう、武者連だつて自分の家に帰つて寝てしまつたゞらうと誰かゞ云つても諾かずに、出かけようとするので、危いから私も一所について出ました。

出かけて、街角の居酒屋をのぞいて見ると、そこの店先きに、先刻の二人の荒武者が、さし向ひで、何となく黙りこくつて、盃を手にしながら腰かけてゐました。

そして、私に気づき、また後から、あの人の「仲直りを仕様!」といふ声がすると、荒武者は私に向つて、慌てゝ手を振つて、とるものもとりあへず姿をかくしてしまひました。(昭和四年・六月)

底本 / Source edition

底本:「牧野信一全集第三巻」筑摩書房
2002(平成14)年5月20日初版第1刷
底本の親本:「春陽堂月報 第二十七号」春陽堂
1929(昭和4)年8月15日発行
初出:「春陽堂月報 第二十七号」春陽堂
1929(昭和4)年8月15日発行
※「春陽堂月報 第二十七号」は「明治大正文学全集 第二十五巻 徳田秋声 葛西善蔵」(春陽堂)に附属したものです。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月1日作成
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書誌 / Bibliography
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牧野 信一「捜語」(新字旧仮名)、底本『牧野信一全集第三巻』筑摩書房、2002年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 052772_000183, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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