Soranoha

古川ロッパ昭和日記

ふるかわロッパしょうわにっき

古川 緑波

前年記

昭和八年度は、活躍開始の記憶すべき年だった。一月七日から公園劇場で喜劇爆笑隊公演に特別出演し、之は一ヶ月にてポシャり、二月は一日より大阪吉本興行部の手で、京都新京極の中座といふ万才小屋と、富貴といふ寄席で声帯模写をやり、大阪へ廻って、南北の花月に出演、名古屋松竹座へ寄り、三月帰京、此の月一杯遊び、四月一日より常盤興行の手で、「笑の王国」創立、四月一杯のつもりの仕事が、好評満員で、五・六・七月と常盤座で打ち続け、僕無休で働いた。

八月の酷暑も松竹座に出演し、九月は公園劇場だったので休演、川口・東氏の手で東海道を、徳川夢声と共に旅行し、ムザンなる目にあひ、十月は再び「笑の王国」金龍館公演に加はり、十・十一・十二月と大入りを続けて、打ち通した。目下の状態は、「笑の王国」は、金龍館を本城として常打ちといふことになってゐる。そして、僕はその代表、座長といふことになってゐる。

「笑の王国」は、今年何うなるか、古川緑波は何うなるか、昭和九年こそ自重すべく、ます〱ハリ切るべき年である。

昭和九年一月

一月一日(月曜)

昨暁明治神宮へ参拝。本日は午前七時起床、入浴し、雑煮を祝って、八時半自動車来り、雷門まで。浅草観音へ参拝。公園を一巡して金龍館へ来る。正月気分が今年程、稀薄だったのは初めてだ。仕事のせいが一ばんあるだらうが、世間も段々さうなって来るのではあるまいか。十時開幕が少しおくれて開く。「凸凹世界漫遊」ドッと受けない。初日にもさう思ったが、レヴィウ式のものを書くには、もっと準備が必要だ。スラ〱と運びすぎるし、ギャグも少かった。夕方大入つく。大分客足がいゝので三回半、即ち「凸凹」までに定る。楽屋へハイダシ来り、大いに憂鬱なり。ギャング気分横溢、館の用人棒とハイダシの喧嘩さわぎ等、これが浅草の正月か。

一月二日(火曜)

松の内は九時半着到十時開演。寝坊ちっとも出来ず。「凸凹世界漫遊」は漸くスピードも出て来て、及第点の出来。二回目、三回目はギッシリ大入りで漸く正月らしく、三階の客悲鳴をあげて、「五十銭出してるんだからよく見せてくれ」「押すな痛い〱」それにかまはずドン〲走って芝居する気分、之が浅草の正月らしい。又々ギャングみたいな奴来り、「先生おめでたうござい、エヘゝゝ」と二円持って行く。之もお正月らしいと笑って置くか。

正月の客は、つまらぬことでもワッワと笑ふ。いつもなら手の来べきところで来なかったり――兎に角正月の出し物は他愛なくあれ。

一月三日(水曜)

九時に起されて、急いで風呂へ入り、食事をし、紅茶一杯飲む暇もなく、円タクで出かける。正月の三ヶ日、漸く此の商売を辛いと思ふ。が、のんびり起きて、さて行くところもないのよりは遙にいゝ。今日も割れる程の大入り。客席も正月らしいが、又々楽屋へ小ギャング来り、金一円をせしめて去る。昨日表方女給へお年玉を出したので今日は裏方大道具でせびられる、内外共に攻め寄せる、正月はいつもの通りの給金じゃいけなかった、と言ったところで手おくれ。

一月四日(木曜)

今日よりマル三回で三十分おくれて開演。座へ行くと、徳川夢声胃病で休み故、「女なりゃこそ」の野呂平といふ役を一回だけやってくれと言はれ、仕方なく引受ける。本日から、マル三回の時は八時前にからだがあく、さて此う早く終っても困ったもの――って気持。伊馬鵜平・長谷川修二等年始に来た。大入つく。此の分なら七日までは確実。ハネまで事務所で次狂言「坊ちゃん」の脚本を読み、川口・東・生駒と共に、大支へ行きいろ〱話す。

一月五日(金曜)

今日は五日で又景気いゝらしく打込みからザッと一杯になる。

楽屋にゐて、毎日困ることは、さて今日は何を食はう? といふこと、考へるだけで肩が凝る。大阪屋が休みで、来々軒の雲呑ですます。P・C・Lの滝村・山天・田沼徹等来楽。二六新報の人来り、連載ユーモア物の口述をたのまれたが、考へさせてくれと返事しといた。二六じゃ相手が悪い。小林勇来楽、いろ〱話して帰る。第三回終って七時半、ゆっくり吸入して、銀座へ出る。

一月六日(土曜)

朝、昨夜酒のんだので全く起き辛い。咽喉具合もあまりよくなし。一回目、竹久千恵子無断欠演、「凸凹」一寸困る、清川虹子代演、馬力をかけてロクローにかゝり、クタ〱にしてしまふ。渡辺篤休み、出し物してゐて休まれちゃ全く困る、「荒木又右衛門」の又右衛門は、中根竜太郎が代る。何うも代役沢山で困る。徳山璉来楽、食ひ物に困り、みや古へ使をやり、玉子焼とかも大根をとって飯を食ふ。

「女なりゃこそ」で恋人同士をやってゐる島・若宮。第一回の舞台で、若宮がフラついたのを、島が「これ、フラついてるが、おつかれ様」と言ったのを、若宮大いに怒り、「あなたみたいな方とはもう出ません」と島をナジったが、皆にナダメられ、第二回に又恋人同士をやるが、さてちっとも気分出ず、抱き合ふところなど、てんで気がなかった。これは扱ひやうで面白い芝居になる。

一月七日(日曜)

今日は七草の日曜書入れで早出。竹久又欠勤、渡辺篤も一回目来らず昨日通りの代役でやる。しょがないな。若宮美子も、昨日のモメの余燼だらう、欠勤。しょがないな。七草とはいへあまり活気づかず、客席のざはめきが大したことなし、二回終って、上海亭へ東と行き、夕食する。三回目の「凸凹」のすんだのが七時すぎ、もう身体があいてしまった。今日、元日のアダヨの仲直り手打をするから云々で、又もや部屋で十円いかれた。

一月八日(月曜)

今日から入りは静かになった。次狂言の配役をする。「水戸黄門」続篇の助さんが廻って来た、オワイの桶へ狐に化かされて入浴するとこがあるってのは困る。大辻作の「不如帰」に片岡をといふ注文だが、之はゴメンかうむり、第三の長谷川稔作くだらぬレヴィウ風のものに、生駒と二人で万才風のことをやることにした。終ったのが七時半、東宝劇場へ急ぎ、「花詩集」の前篇後半から見る。劇場は豪華、日本劇場程ケバ〲しくなくて結構。「花詩集」は、実にきれいで豪華で大道具大仕掛で感心したが、それだけだ、舞台から呼びかける何ものもない。所詮少女レヴィウは、われらの劇とは別なものだ。

一月九日(火曜)

今日から十二時開き、二回半といふことになる、つまりその位の景気になって来た。「凸凹」のウインナの景、「カティンカ」のギャグが、昨日見た「花詩集」にもあったので一寸驚いた。尤も之は白井鉄造から教はったギャグだったが。どうも毎日のんでは体がもたん、つく〲労れて、今日楽屋で数回按摩をとった。健康を少し注意しよう。正月もすんだから。風邪ひき多けれど、わりに僕丈夫で有がたい。

一月十日(水曜)

今日も二回半、入りはパッとせず。菊田一夫に、「続水戸」の中で、助さんが肥溜へ入浴の件を池に変えて貰ふことをたのむ、ウン水はどうもいかん。ハネ後、友田純一郎・池田一夫・生駒等でサリーで茶をのむ。

「サンデー毎日」へ「役者商売」七枚書いた。

一月十一日(木曜)

今日は二時頃からの出勤なのでゆっくりだ。東電本社の社長室を訪れ、小林一三氏と話す、東宝劇場の三月は八重子と専属連(之が疑問)で開ける、之に声帯模写を、浅草とカケ持ちでやることの話をすゝめる。九月頃有楽座が落成する。此の方へは距月位に我ら出演といふ予定ださうだ。兎も角現在のまゝ僕は浅草で打ち続けてゐていゝといふことになった。大辻、旅より帰り、「不如帰」で、片岡をやらないのはひどいと言ふ。やらせるのは、そっちがひどい。今日からは二回で帰れるので、大変らくになった。

一月十二日(金曜)

十一時半から芝三椽亭で清和婦人会の新年会、今年初めてのオザ。政友系の婦人連の集まりで、歌舞伎の声色は大受け。そこを済ませて浅草へ来たが、まだ早いので万成座の万才をのぞく、グランデッカールってレヴィウが北村小松の「淑女と髯」をそのまゝやってるのは驚いた。中西で食事して、一回すませ、アンマをとる。客うすし。然しもうこんなものだらう。大阪の吉田(高級アダヨ)来り、渡辺と二人で五円やる。生駒と三・四月以後いよ〱劇界多事になる話をする、正に多事になると思ふ、愉快。

一月十三日(土曜)

家で、伊馬鵜平にたのまれた、「レヴィウ オヴ レヴィウ」の原稿、「原秀子論」を三枚書いた。浅草へ来たがまだ早いので、常盤座の「キートンの麦酒王」をのぞく、二三場面見てつまらんと分ったので出て、松竹座の日本舞踊ばかりの「春のをどり」を見る、きれいだが、それっきり。一回終り、上海亭で食事した。今日はラク、夢声は本日より日劇でもうやってる、こっちを休み。二回終って、又松竹座へ行き、「中尉さんと花売娘」のおしまひの方を見る、弥次・掛声の盛なること驚くべく、三階で女の声、「ターキー〱」と言へば、又反対党が「ツサカ〱オリエ〱」と喧嘩だ。ハネ後「水戸黄門」の稽古、随分ハメを外した脚本だ。

一月十四日(日曜)

今日十一時より稽古、尤も今日は、稽古休みせず、ひる稽古して夜は客を入れる。「黄門」の中には、渡辺篤と二人のアパッシュがある、大変なことになった。「黄門」をすまして、高島屋デパートから、福引の案をたのまれ一寸顔を出す、浅草へ帰ると四時、もう客を入れてゐる。大辻の「不如帰」、いやはや大したものだが、客は笑ってゐる。今日日曜でいつもならワン〱と客が立つところだが警視庁令とかで、定員以外一切まかりならぬとあって全く静粛、之を三日間食った館十何軒の由。「水戸黄門」ムザン、着変へも間に合はなかったり、穴があいたり大くさり。残って「レヴィウ艦隊」は稽古し直し。そのあと、菊田と大いに改良案を出す。

一月十五日(月曜)

早目に出て、川口に、長谷川稔作の「レヴィウ艦隊」へ出るのはごめんかうむりたいと申し出る、プロに出てゐないし、長谷川って奴が事毎に気に入らないので尚更嫌だから。机を五円出して買った。鏡台の傍に置く、之で一寸気分よくなった。「水戸黄門」どうも面白くならない。二十日マゲ本でヴァライエティ台本を引受けた。今日夜の部は、警察との了解ついたらしく、客をすし詰にした、之で漸く大入つく。ハネ後、渡辺・生駒と僕、表から川口・東と五人で田圃の平埜へ。牛肉食ひ乍ら座をかためる相談をする。今日出る筈の金が出ないので驚いた。

一月十六日(火曜)

今日はやぶいりで書入れ、午前九時開場。何うやら三のヴァラエティーは逃れて一本になったが、今日は三回アホられる。朝から体が辛い、昨日も一昨日も酒のまないのに、体中がコって〱たまらない。一回終って、アラスカの七階宴会場へ、近藤利兵衛商店の会で行く。二十五分やる(五十円)。二回目の「黄門」大向ふから「声帯模写じゃいけねえらしいな」といふ妙な声がかゝり気になる。兎に角、助さんて役が二枚目でゐて三枚目なのでヤリにくゝてしようがない、脚本がひどいものだし、くさる。金、今日出た。凡そ五十円以上、いろ〱なことでとられる。三回終る、何とも元気なくなる。

一月十七日(水曜)

脚本がよくなくちゃ役者はみぢめなものだと、つく〲思ふ。事務所へ寄って、次狂言の相談をする、春日・藤田・清洲・神田・花井で「モダン五人女」をヴァライエティー式にやってみようといふ考を持出す、菊田と計ることゝする。「黄門」一回終る、何とも憂鬱。理髪せんとて出かけると、何と三枚目、今日は何処も床屋は休み。

鈴木俊夫今日来て、ポリドール吹込の約束をする筈のが来ない、菊田も姿を見せず。報知のニュース漫談をたのまれた。

一月十八日(木曜)

昨夜飲み過ぎたゝめ起きるのゝ辛かったこと。十時から邦楽座で、マークス兄弟の「吾輩はカモである」Duck Soop の試写があるので行く。めちゃくちゃなナンセンスで、此処迄つひに来たか! と驚くべきもの、批評する気のしない画。ヤングで理髪して座へ出る。「黄門」楽でくさり芝居。サトウロクロー酔払って大辻に「浪子は悪趣味だ、よしなさい」と言ひ、大受け。青木繁も舞台でロレツ廻らず。夜の回は、青木酔ってつとまらずとあって、大部屋の小堀て奴が代役、之が又酔払ってゐて、醜態。

一月十九日(金曜)

午前中、伊藤松雄訪問、一時まで何かと話す。座へ出て、川口と話をする、三月を一周年記念興行として、脚本募集をしようと決定。二月一の替りは「只野凡児」と「ディアボロ」、二の替りに「梅ごよみ」を行かうなどゝ話す。一回終る、雨ひどく外出もならず。ヴァラエティー「五人娘」菊田と相談しようと思ってるのが、来ない。鈴木俊夫も来る〱と嘘ばかり言ってゝ来ない。友田純一郎・山野一郎等来訪。

一月二十日(土曜)

報知のニュース漫談の材料、楽屋にあるので早く来て、「吾輩はハチ公である」五枚書いた。「水戸黄門」相変らずくさり。一回終ったら、浜田捷彦来り、平埜へ肉を食ひに行く。菊田一夫の「続水戸黄門」は、もう五年前に出たら、客の三分の二が怒り、三分の一に受けたらうが、今日では、三分の二が喜び、三分の一が怒ってゐる。バカ〲しさも兎に角一つの魅力なのだ。事務所で、「五人娘」の案を練る。大辻が明日あたり新年会をやらうと言ふ、皆あまり進まぬが、結局、むかし家あたりへのすことゝなる。ハネてから山野来り、一緒に家へ帰って、珍しや、家でオルドパーを飲む。

一月二十一日(日曜)

本日は一回目から中々入りはよし。一回終って、すぐ原稿紙に向ひ、プチ・レヴィウ「銀界に踊る」といふ三景もの十九枚書き上げた。二回目客ます〱入り、三ヶ日の景気。「水戸黄門」バカ〲しいまゝに受けてゐるらしい。食事して、又もやアンマを呼ぶ。三回終り入浴。大道具の奴がドン〲入って来るのできたなくて弱る。ハネ後、新年会、むかし家へ、川口・東を我々で招く。

一月二十二日(月曜)

早起きして、邦楽座へ、「会議は踊る」“Der Kongress Tants”の試写会へ行く。早起きした甲斐ある、よきもの。歌は、白井鉄造が「ブケダムール」に使ったもの、よき主題歌。ウイリー・フリッチの芸に感心した。済んでサトウハチローに逢ひ、此の主題歌をハチローの訳したものを二月下旬ヴァラエティーでやらうと話す。座へ来て次狂言の1・2の脚本読む、共に感心せず。明日配役、それまでに又二本読まねばならず。バカに入りがいゝ。「いえ今日は河岸の公休で」なんて、何うしても川口、我らのせいで入るとは言はぬ。

一月二十三日(火曜)

一回終ってすぐ表へ行き、配役する。僕は「只野凡児」の只野凡児と、「快賊金剛五郎デイアボロ」の五郎の二役。この間書上げた「銀界に踊る」も三に据へ、渡辺・島等も出し、いゝものにすることにした。「凡児」と「五郎」の脚本読んだ、大したことないが「凡児」の方に興味あり。六時半の日比谷公会堂へ駈つける、慈恵大学の会で、福田の宗ちゃん等の伴奏附き、気持よくやる。アンコール盛、「モン・パゝ」を一とくさり歌ふ。それから築地明石町の「治作」へ一寸寄り、竹屋さんの馳走で水たきを食べた。急いで座へ帰り、二回目をやる。客大して来ず昨日はやっぱり河岸のせいかな。

一月二十四日(水曜)

午前中、東宝事務所へ行くと、今日から日比谷映画劇場の三階に移ったとあり、そっちへ行き秦豊吉氏と三月のことを話す、「あなたは高いといふ評判で弱ってる」などゝ言ってたが、値のことは兎に角出たいと直サイに言っとく。一回済ませて、生駒と二人で明治座へ行き、名を名乗って二階席へ入れて貰ふ。明治座第二「新家庭双六」から見る。こっちでやれるものかと思って見に行ったのだが、本もつまらず、田之助あまりにまづくて驚いた。第三「魚河岸の朝」金子洋文の作、新派代表物。井上と水谷の第二の「大尉の娘」だ。二十分の休憩に食事して帰り、二回目をやる。稽古は明後日から。

一月二十五日(木曜)

早く浅草へ出て、日本館へ入り、「ディアボロ」を見た。ローレル・ハーディーのうまさは大したものだが、ハル・ローチは所詮短篇喜劇の監督で、大物をこなす腕はない。音楽効果に、いろ〱参考になった。一回目をやってから、むしずしと、中西のソボロめしを食った。これから又一回「水戸黄門」をやるのかと思ふと気が重い。二回終ると、ぐったり、くだらぬ芝居は何うも労れる。山縣七郎来訪、生駒と三人でみやこへ行く。

一月二十六日(金曜)

十二時すぎに出て、内幸町の旬報へ寄り、スティルの新しいのを五六枚貰って来た。二時、大阪ビルレインボーで永井龍男と奥野何子嬢の結婚式あり。一寸ゐてすぐ失敬し、座へ来るとすぐ第一回の「黄門」。中根竜太郎事務所で怒られたとか言って、まるで舞台を投げる、個人の問題を舞台に持ち越す無礼者、こんなのは結局早くゐなくなって貰ひたい奴。二回目すみ、「人生勉強」十二時までかゝり、タップリ稽古して、労れた。今日の稽古は菊田も力を入れてゐるし、僕も色々指図したので相当面白いものになる自信がついた。

一月二十七日(土曜)

本日渡辺篤休み、大辻司郎に格さんを演らせる、やっぱり渡辺の味がいゝといふことを思ふ。どうも客は笑はぬ。本社の大久保氏に呼ばれて行く、正月の奮闘に対し、座員の慰労として金一封出る。川口・東に相談して適当に分配する。一回終って東と、松喜で食事。本日は「銀界に踊る」の立稽古、渡辺と島と春日が休みで困る。踊りと歌が主のもの故、まあ何うにか見られるものにはなりさう。

一月二十八日(日曜)

起きて入浴、食事して、又ごろっとなったらうと〱とした、こんな日、のう〱と一日寝ていたらいゝだらうと思ふ。昨日から右眼にモノモラヒが出来て重っ苦しくて困る。座へ来ると又渡辺休み、今日は大辻が逃げて島が格さんを演る。又々つまらず、段々笑はなくなる。日曜で入りもよし、此ういふ日に休まれちゃ全く困る。二回終り、すぐに山春の新年会へ顔出し、十円会費おさめてすぐ帰る、馬鹿な話。座へ帰ってすぐ又「金剛五郎」の稽古をする。大して面白くなさゝうだ。労れてすぐ帰る。

一月二十九日(月曜)

早く出たので「世界大洪水」を見に常盤座へ行く。大洪水のとこだけ見て出る。モノモラヒがまだ治り切らず、憂鬱だ。楽屋で「梅ごよみ」を読む、つまらなくて弱った、まるで創作して行かねばならぬ。一回二回共、気乗りせず。ハネ後、又「金剛五郎」の稽古。浅井栄二作曲のつまらんセレナーデを覚えさせられる。十二時までかゝって漸く稽古終る。

一月三十日(火曜)

出がけに日本劇場へ寄り、チャップリンを見ようと行く。“City Lights”を見る。あんまり期待してたせいか、少々期待外れ。ヴァジニア・チエリルってのが、エドナ・パヴィアンスだったら――と思ふ。ある場面は、キーストンへ復帰で感心しない。要するにチャップリンものとしては筋が持廻りすぎてゐる。然し、チャップリンの横顔見てたら何となく涙が出さうになった。座へ来る前、ハゲ天で食ったハシラのかき上げが悪かったらしく腹痛み、ひるの部ます〱気のりなし。夜の部は全然三枚目の顔をして、いろ〱ふざけた。楽屋には受けるが、出る人間がみな可笑しい顔してゐては反って客は笑はない。夜又々「只野凡児」の稽古。十二時。

一月三十一日(水曜)

本日稽古。早目に浅草へ来たので、オペラ館をのぞく。丸山和歌子の歌のみよし。田谷が一寸出た、きれいな声。あとの歌ひ手ひどし。次に万成座をのぞく、三亀松の声色、その演出段々枯れて来た。グランデッカールのレヴィウ「世界一周」お粗末なもの、澄川久、ひとり本格に歌ふ。「只野凡児」の稽古、三時すぎに始まる、先づ面白くなる自信ついた。次の「銀界に踊る」は、演出する。三省堂から衣裳を取りよせたので中々スマート。之も先づよからう。「金剛五郎」の幕あきは一寸凄い。終ったのが十一時。入浴して、さて之より家へ帰ってセリフをやらねばならぬ。右の眼のモノモラヒ全快。

本日金が出た。

昭和九年二月

二月一日(木曜)

二月興行本日初日。一回の終り頃には満員、一杯立った。一、二はあんまりパッとしないらしいが、三の「只野凡児」第一回としては頗る気持よく行った。セリフは珍しくすっかり入ってゐたのでいゝ。菊田の本もいゝが、此の役は僕自信あり。四の「銀界に踊る」は、見たいのだが、見る時間なし。之もスマートで、又相当笑ふ由。五、「金剛五郎」後半全然セリフが入ってゐないのだが、何うにか胡麻化した。幕が開けば閉るとは千古の名言だ。ひるの部終って、大阪屋のホワイトシチュウとハムエッグス、フランスパンで食事した。やがて夜の部、今回は休む暇が全く少い。

二月二日(金曜)

朝雨、しょぼ。ひるの終り頃は階下満員。ひるの「人生勉強」横尾がトチって穴があいたり、暗転がのびたり、実に気持よく行かなかった。「金剛五郎」は全く僕の役は書けてゐないのでやりやうがない。ひるの終る頃から、食事何にしようかと迷ふ。蒸しずしを食ふ。その後でシチュウとフランスパンを食った。夜の部。「人生」は当り芸と、評判よし。「金剛」は、たゞ衣裳が豪華なだけ、何うにも長すぎるらしい。菊田にカットをたのむ。ハネ後、銀座かもめへ、東宝の樋口来り、三月はカケ持でやることを話すため、月曜に東宝事務所へ行くことゝする。

二月三日(土曜)

起きて驚く銀世界。出がけ医院へ寄る。尿検査したが蛋白は無し、糖も少いさうで安心した。ひるの部の「人生」は随分僕としては脂濃くやってゐる。「金剛五郎」白塗りをトノコ朱銅入りに改めた。夜の部、わりによく入る。夜、又医院へ寄る。夜の部の「金剛」の幕開きで豆撒きをした。

二月四日(日曜)

午前中医院へ寄って出る。ひるの部の「人生」段々手に入って来るのでうける。「金剛」も昨日より一景カット、他セリフをうんと刈り込んだのでスピードが出てよくなった。「銀界に踊る」も好評だ。夜の部の「金剛五郎」の終ったのが七時四十分。熱七度三分、早く帰って寝たいと思ふが、夜更し癖がついてゐるので帰るのが辛い。

「金剛五郎」の最中、コーラス連をサトウがノシちまったといふ事件が起った。カーテン前の芝居をしてる時、次景のために待ってゐた娘の子達がガヤ〲しゃべって芝居の邪魔になる。ロクローが注意したが、今日もガヤ〲しゃべったので娘子の引込みを待って順々に、ロクローがゲンコツで頭をノシた。ノサれた中にはおとなしくしてた子もゐるのでシク〱泣き出し、田島辰夫の妹、港鶴子などは、兄に訴へる、田島は怒り、サトウと争ふといふさわぎがあった。その後始末を少しして帰る。

二月五日(月曜)

午前中、日比谷へ行き、東宝グリルで秦支配人と樋口とで三月のことを話す、六時から七時といふ時間で、カケ持することに大体定る。徳川・大辻も出ることになるらしい、向ふでは之をトリオと心得てるんだから困る。十二時半楽屋入り。ひるも夜も今日は実に客が悪くて、つまらんことを笑ひ、いゝとこを受ける頭が無いのでくさった。菊田の説によると、前週「不如帰」だの「水戸黄門」などゝ、馬鹿々々しいものばかり並べたので、インテリ客を今週は逃しちまったんだと言ふ。一理ある。帰りに医院へ寄る。大道具の一人が男子出生とあって金三円やる。

二月六日(火曜)

医院へ寄って出る、大分いゝらしい。此の分なら安心。事務所で川口と話す、東宝との問題、東宝で引抜きはしたものゝ始末に弱ってるらしい水久保澄子・逢初夢子の二人を、こっちへ借りようといふ話をすると大乗気。ひるの部「金剛五郎」のフィナーレの梯子がよく打ってないので落ちた、体の悪い時故吃驚した。注意しておく。菊田・東等と次週の相談。「坊ちゃん」が出るので、僕は一本にして貰ひ、「梅ごよみ」は誰か他の人にたのむことにする。夜終って、医院へ寄る。

二月七日(水曜)

医院へ寄る、段々快方らしいので安心する。一回終って、表へ呼ばれ、次狂言の配役を立ち合ふ。島耕二は次狂言から断はる由、ハラダ・コウゾウもなり。中根竜太郎も今月一杯でチョンの由、之で不純分子一掃、ます〱よくなるであらう。次週は「坊ちゃん」一本にして貰った。脚本も書きたいし、又静養もしたいので。夜、東坊城・畑本秋一等見物に来た由。終って、鏑木が風邪で倒れたので、大庭六郎を供に連れて、病院へ寄る。

二月八日(木曜)

今日、島耕二「新興へ定ったので名残惜しいが二の替りから休むよ」と言ふ、丁度東からはクビ話が出かゝってゐる折柄、うまく話が運んだらしくてよかった。ハラダの方も今日クビの申渡しがあった筈、本人大分悄気らしい。出がけに病院へ寄った。快方らしい。次狂言の「坊ちゃん」台本来る。まあ〱ってとこ、来週は、これ一本だから少し気を入れてやらう。

二月九日(金曜)

出がけに病院へ寄る、どうもまだいけないらしい、憂鬱である。一回終って、次狂言の宣伝文句を書く。クリームドチキンで飯を食って、すぐ夜の部だ。つく〲労れる。夜の「人生」子役の遠藤英一に「先生、ボケてますよ」と言はれる。夜の部終り、大庭を連れて病院へ寄り、帰る。

二月十日(土曜)

病院へ寄り、座へ出る。渡辺篤とサトウロクローの二人が休んじまった、「人生勉強」も代役が多くて弱ったが、「金剛五郎」と来ては全くひどいことになった、渡辺の役を横尾泥海男、サトウの役を田島がやり、しどろもどろで何うやら終った。土曜で客もいゝのに弱ったもの。一回終って、中西のソボロ。今日はハネ後カケ持あり、朝日講堂へ、西村小楽天・渡辺遊声の兄弟会といふのへ、遊声は生駒の弟子なので義理で行く。トリ二十分やる(20)。

二月十一日(日曜)

日曜だから十時半あき。早目に出て病院へ寄る、まだハッキリしない。一回終る頃、森岩雄氏来り、中清で川口・森と三人で、今後東宝と笑の王国の連絡は、やっぱり森氏がやって呉れるといふことに定る。二回目終る頃、樋口正美来訪、東宝との間をうまく行かせるために、十九日頃、秦豊吉等と川口とを会はせることにしようと定める。

二月十二日(月曜)

今朝は早起きして、お灸の先生のとこへ寄った、五日ばかり続けてすえれば屹度よくなると言ふ、今日は流石に入り悪し。然しエノケンの方よりいゝとか。ひるの部終って、日比谷公会堂へ、近藤利兵衛商店主催PCLの「踊子日記」試写会のトップを切って、十五分やる(50)。すぐ引返し、「人生」をやる。客が入ってないとオナラが出たくなったりクシャミが出かゝったりしてダレる。それに近来ピッタリ酒を飲まぬので神経ピリ〱してくだらぬ事が気になっていけない。ハネ後、三階で「坊ちゃん」の稽古、脚本がつまらないのでくさる。

二月十三日(火曜)

午前お灸へ寄る、大分具合よろし、安心。一回目、ラクにしてはいゝ方の入り。客よく、よく笑ふ。「人生」が済むと、東喜代駒来り、ひるを終ったらすぐに公会堂へ出て呉れと言ふ。六時開会を二十分早めて貰ひ、キッチリまでやり又すぐ引返す(25)。夜の部終ると、新興へ定った島耕二、クビになったハラダ・コウゾウ等「永々お世話に」と挨拶に来る。島の方はいゝが、ハラダの方はイヤーな気がする、五円やる。

二月十四日(水曜)

出がけにお灸。「坊ちゃん」何うも自信が無い。笑はせる個所がないやうな気がする。セリフも三・四景あたり以後は全く入ってないので不安。稽古してからツナシマへ行って理髪、モリナガで食事して、座へ帰った。本日金が出た。「坊ちゃん」やってみると、やっぱりいゝ筈はない。が、ひどくもなし。山野が見てゝ、兎に角エノケンのよりはいゝよと言ふ。

二月十五日(木曜)

今日は十五日だからといふので十時半開き。座へ来てみると、割に入ってる。「坊ちゃん」大分体を動かすので草臥れる。あんまり受けもしないが、大して悪くもないらしい。ひるの部終るとすぐ内幸町へ、レインボーグリルの文藝春秋祭へ行く。いろんな人に逢ふ、小林一三・雲野かよ子等もゐる。五時半から声帯模写少々やる。急いで座へ引返す。十五日だから相当入りがある。

二月十六日(金曜)

出がけに早稲田の中野実氏宅を訪問。脚本の話、芝居の話をする。「梅ごよみ」の丹次郎のよきアイデア(一生に一度失恋してみたいといふ心理)を貰った。辞して浅草へ。表へエノケン来り、立話してゐると人がたかる。ひるの部、「坊ちゃん」の暗転の時、大道具のセイ公て奴が、ジョーシキをパッと打つけて、「マゴ〲するな」と言った、今度は道具方も急しいのだから――と我慢してたが、会田にセイ公が「ボヤ〲しねえやうに注意しとけ」と言ったときいてムッとして、シャツに浴衣ひっかけて「おい君か、俺にボヤ〲するなと言ったのは!」とどなり込むと、セイ公いきり立って、トンカチを持ち「ロッパが何でえ!」とさわぐ。此ういふ風では困るから東を中へ立てゝよく注意させ、セイ公にあやまらせた。おかげで十円ばかりすしと酒を買はされる。一回終って、レインボーの「只野凡児」出版記念会へ出席。

二月十七日(土曜)

午前十時新宿駅楼上で森岩雄氏と東宝と掛持問題につき話す、東宝は虫が好すぎるから高飛車におやんなさいとすゝめられる。大勝館の「唄へ踊れ」“Too much Harmony”は期待外れ。セニョリタ・ヴァニタの踊り二つも感心せず。座へ来て、三の「凸凹レヴィウ団」の幕開きを見て、いさゝか寒くなった、エライ芝居をやってゐる。ひるの部済んで、新京へ行って支那食を食ひ、サリーで茶をのんで帰る。よるの部終ったのが九時四十五分。

伊馬鵜平(レヴィウ雑誌を出すのをやめたとて、わざ〲原稿を返しに来、礼に原稿紙一冊置いて行った、いゝ奴だ。)

二月十八日(日曜)

今日は日曜で十時十分開き。ひるの部終ると、新派の花和幸一が梅田重朝の倅といふのを連れて来て、此の劇団に入りたいと言ふ。見たとこ、さう悪くなくモボ。それから又、本郷の生野とかいふ婆さんが、僕の妹のお染さんは何うしてるかときく、さっぱり分らぬまゝに帰った。お染ってのは芸者だってからひどい。浜尾四郎の紹介で関川といふ青年来る、映画俳優志願。加藤雄策と一党来り、飯食ひに平埜へ行き、タラフク肉を食った。今夜は二回半だから、七時一寸すぎに体があいた。やれ〱。

二月十九日(月曜)

今暁四時すぎにねたので十二時すぎまでねた。昨夜来えらい風で看板など吹飛ばされたところ多し。意外にも大入りだ。「坊ちゃん」は割に好評。ひるの部終って銀座へ出て、病院へ寄り、オリムピックで食事、日劇に山野、邦楽座へ肥後を訪れなどして帰る。東宝の島村竜三来り、「東宝もノンビリしすぎて困る」と言ってた。全くノンキだ、もう十九日といふのに何等正式に申込みが無い。一寸いやんなる。公園のベッ甲屋の大親分を殺した中村直考といふのが三月九・十日観音へ出て呉れと言って来た。ハネてから、東・山野と逢ひ、三月より山野加入のことにつき色々話す。

二月二十日(火曜)

十一時起き。お灸据えて、二時すぎ座へ来てみると、意外に入ってゐる。ひるの部から景気よくどよめく。一回済んで表へ行き、三月からの連名を苦労して作る。大庭六郎を準幹部どこに昇進させたり、中々むづかしい。それから鳥鍋へ行って夕食し、帰って一休み。神田俊二の紹介で、日活にゐたといふ喜劇俳優が志願に来た。読売の夕刊に、「坊ちゃん」の評、大体よろし。

二月二十一日(水曜)

早く出て、東宝事務所へ、あんまり何も言って来ないから、こっちから秦豊吉を訪れた。劇場の方にゐるといふので行くと、舞台で、自転車競争の稽古をやらせて、人を待たせた切りだ、ムカ〱して、よっぽど帰ってしまはうかと思ったが我慢した。もうすっかり出るものと頭から定めてかゝり、うちの事情など少しも分らぬらしい、秦って奴のゐる間は、東宝はダメだ、と思った。座へ来てみると、川口と東は、丁度僕が東宝にゐる時間に、砧のP・C・Lへ森岩雄を訪れて、常盤興行並に金龍館笑の王国の立場として、今日に至るまで東宝の方から正式な挨拶が無いから、古川を貸すことはお断りしたいと、森を通じて東宝へ言ったのださうだ。すると森氏もそれは御尤も、実は秦があんまり分らず、P・C・Lの俳優も一切貸さないことにしたと言ってたさうだ。で、その足で、川口は松竹本社へ行って、大谷社長と逢ひ、「ロッパも東宝へ行くさうだな」と言はれ、「いや、ロッパも劇団のためを思ひ、結局断はることにしました。」と言ったさうだ。すると、大谷社長大満悦で「気に入った。一つロッパの面倒見てやらう。」と言ったさうで、川口も「何うです、何が幸せになるか、すっかり大谷さんに認められましたぜ。」と笑ふ。今夜は必ず来ると言った秦来らず、森氏から何とか言ったらしい。

本日も相当の入り。

二月二十二日(木曜)

昨夜二時半に帰り、寝床の中で、「話」の原稿を書き出した、ペラ三十枚書いたら、ねちまった。午前八時すぎ、東宝の秦だと言ふから、しようがなしに起きて、不機嫌のまんま話し出すと、交換女の声で「午前中にこちらの樋口さんが伺ひますから」と言ふ。すべて秦のやり方は此の式の無礼なのだ。ツイデに起きちまひ、ペラ十枚書いて、漸く四十枚にまとめて「浅草裏おもて」として届けさせる。十時半、樋口来り、結局出て貰はなくてはならないと言ふ。では、やっぱり森氏を煩はして今夜にも川口・東に会って貰ひたいと話して帰す。ところが本日何の音沙汰もなし。フンガイ。

二月二十三日(金曜)

本日午前中鏑木を東宝へつかはし、何の返事なきは何事ぞと言はせようとしたところ、樋口がゐないで、秦に会ひ、「古川君がいくら言っても川口等がダメと言ふんなら行ってもムダだ。小林さんには、ひょっとすると古川はダメらしいと言っとく。」なんて言った由。何うもシャクであるから明日森氏に逢ひたい旨電話した。ひるを終るとすぐ、明治座へかけつけ、「仇吉と米八」を見た。伊井友三郎の丹次郎が貧弱なので見てゐられない。本も無理が多くていけない。夜の部をやって又すぐ明治へ行き、「復活」のしまひの方二幕見る。梅島のうまいこと今更の如く感じる。

二月二十四日(土曜)

一時A1で森氏に逢い、秦の不法なることを話す、「今回のことは兎も角として小林さんに妙に思はれてはいかんから行ってらっしゃい。」と言はれ、東電本社へ小林さんを訪ねると、「今朝秦が来て、古川の方は座頭のカケ持はいかんと断られました、と報告があったよ。」とのこと。いやそれはさうだが、了解さえ得て下されば、何うにかなるものを秦氏は一度も顔を出して呉れないので、僕は出たいのに此ういふ結果になったのだ、と話して辞す。二時公会堂で「ウテナ」の会。「複式漫談」てのを、声帯模写を山野一郎をあしらってやってみた、之はブッツケにしては大受け。研究の余地大いにあり。夜は、青山青年館に徳川夢声の代りに一寸出て、又公会堂へ行き、又金龍へ帰り、「坊ちゃん」やって、「サクラ・ニッポン」の稽古を十二時までやった。おゝしんど。

二月二十五日(日曜)

午前中伊藤松雄氏訪問。ニットーへ又吹込み、何かいゝ案を練って置かうと約す。ひるの部終って、山縣七郎来訪、丁度新宿伊勢丹ホールのオザあり、そこへ一緒に行く。一席やって(25)、三福食料デパートで、ビフテキとすしを食って、浅草へ帰り、よるの部をやる。今日は、川口・東・菊田・渡辺・生駒と僕の例会、第一回をやる。

本日楽屋廊下に左の貼出しが出た。

*

古川緑波氏の東宝劇場出演の噂あるも、右は同氏の専属劇団「笑の王国」に対する自己の営業上の節操観念に基き、同氏として自発的にその出演交渉を拒絶せり。

右真相を報告す。川口三郎

二月二十六日(月曜)

本日早く浅草へ来て、川口と三月二の替りのことなど話す、「西遊記」をやり、もう一つは何か僕が書かうなどゝ引受けたが、考へてみると四日締切、一寸ムリだな。「坊ちゃん」中根が昨日と今日続けてトチリ穴をあける、しゃくにさはって芝居に身が入らぬ。「日刊キネマ」の前沢来り、五枚書かされちまった。東が来て、次狂言宣伝のウタヒを書かされ、ゲンナリする。夜の部終って、レコードかけて「巴里祭」の歌を稽古し、それから三階で新撰組の立げいこ。どうも面白くなさゝうなので弱った。

二月二十七日(火曜)

今日朝刊「都新聞」に、緑波男を挙げる――の標題で東宝入りを断はったことが出てゐる。一時にオリムピックで大辻が会ひたいと言ふので行く、大辻は大分傾勢が変ってゐるので面喰ったらしい。ひるの部大いにダレる。レコードをかけて「巴里祭」の歌を覚へたり「江戸役者」を読んだりしてるうちに、ちゃんと時間になっちまふ。明日より山野が僕の抱き子として此の部屋へ入る、せまくなり寝転べなくなるのは往生だが、又可笑しくなるだらう。夜の部は、大分ふざけて、可笑しくて弱った。

二月二十八日(水曜)

九時すぎに起きて入浴し、すぐに浅草へ向ふ。本日十一時より舞台稽古。川口に会ふと今朝秦が大辻と一緒に来た由。川口曰く、「怒っちゃいけませんよ、大辻はその時、乃公あロッパと違って売り込みをしたんじゃないからなアと言ひましたよ。」大辻はカゲへ廻れば何を言ふ奴か分らない。稽古はかなり手間どる。「サクラニッポン」は装置に金をかけて、金龍としては初めての豪華版。女の子が背景のドロップで天井から下りる、辛からうと思ふ。「われらが新撰組」にかゝったのが九時近い、たっぷりおそくなりさうだ。どうも一向面白くないらしいので、弱る。

昭和九年三月

三月一日(木曜)

昨夜久しぶり少々飲みすぎたので頭痛む。テーリンのむ。初日で十時半開きだから、早目に出る。あまりツッカケがよくないので川口機嫌よくない、現金な人だ。今度は狂言が皆長い、「さくら音頭」先づ無事に終る。フィナーレは大豪華で一寸驚かす。「新撰組」は皆セリフが入ってないので、パッとしなかった。山野一郎今日から部屋にゐる、馬鹿話をすると此の位面白い奴はゐない。夕食大阪屋のホワイトシチュウとハヤシライス。「サクラ」の方も「新撰組」の方も、ちっとも演どころが無いし、至極らくはらくだがパッとしないのでつまらない。

三月二日(金曜)

狂言が長いので今日も十時半開きだ。「サクラニッポン」の始まり頃は一向客が入らない、山野をからかって「お前が入ったせいだ」と言ふと、「いや全くそれがあるかも知れねえ」と言ふ。「サクラ」は何うもつまらん。「新撰」は更につまらん。此の半月は憂鬱だ。一回終って食事、カツめし。夜の部、客がやっぱり悪い。ハネてから、山野・生駒と甲子郎おでんやで色々話す。結局狂言が悪い、並べ方がいけないってことになる。いくら人気のある劇団でも、少しも気がゆるせぬところがこはい。

邦枝完二の「江戸役者」を読み上げた。近頃のよき読物であった。八代目市川団十郎の心境まことによし。邦枝の創作、その創意もよし、又プロットが大時代で結構。

三月三日(土曜)

今日は三日目で節句の土曜といふのに何うも感心した入りでない。つく〲思ふに今週は、「笑の王国」らしい特徴が少しもないせいだらうと思った。「さくら音頭」みたいなヴァラエティー物にかける大道具の費用を、そっくり原作にかけるべきだと思ふ。川口のとこへ行き、「さくら音頭」を次週へくり越すことは大反対、その代りに非豪華版のヴァラエティーを書かうと言ふ。松喜へ東と行って牛肉食ひ乍ら、脚本のいゝのを集めようと話す。夜の部も大ダレだ。今度の役は二つ共何うにもやりやうがない。

三月四日(日曜)

三月第一日曜としては思はしからざる入りだ。エノケンの方や大江美智子の出てる公園劇場あたりがワンサ〱の入りで、こっちが悪いのは何ういふものか、全く大辻なんかの人気は無いといふことが分る。舞台でも大辻大アセリ、一々ウケやう〱としてるのが見苦しい。大辻にきくと東宝は客は入ってるらしいが、秦の作「さくら音頭」がひどいものらしく、てんで笑はせないさうだから愉快だ。一回の終る頃は何うにかいつもの第一日曜並の入りになった。四時、市公会堂へ、第一高女の会へ出演、二十分やり、すぐ引返した。日劇・東宝あの辺一帯の人出は大したものだ。夜の部、相当な満員。大入つく。

三月五日(月曜)

観音様へ参詣し、本屋へ吉川英治の「金忠輔」を注文して、座へ来ると、今日サトウロクロー休み、「サクラ日本」の役は堀井が代る。誰がやっても同じやうな役、僕も九日には一回休んでマーカス・ショウを川口と見に行く約束になってゐる。入りは何うもパッとしない。中川(山春)に五円、又いろ〱なアダヨ来り憂鬱である。一回終って、ワンタンめんと蒸しずしを食ひ、堀井英一を呼んで次のヴァラエティーの相談する、書くと引受けはしたものゝハヤ苦しい。夜の部、大辻ます〱邪演す。ハネ後鈴木重三郎来り、山野・渡辺・生駒等にて甲子郎おでんへ行く。のんでしまっては今夜は書けない。

三月六日(火曜)

サトウロクローの口がくさかった、きいてみたら大蒜を食ってるんだそうだ。一回終ってすぐ堀井英一と二人で東宝へ行かうと出かける。五十銭席満員なので名乗って入る。「さくら音頭」が始まる。見て驚いた。脚本も悪すぎるが演出がひどい。結局、徳川・大辻あたりの立場はムザン。徳山璉一人光ってゐる。伏見信子ってのはいゝ女優だ。引張って来たい粉だ。夜の部。東宝あたりであんなひどいものやってるのかと思へば、反ってやりよくなった。可笑しなものだ。いろ〱出銭多く小遣ひ少し弱る。

三月七日(水曜)

ひるの部、大辻何の芝居もめちゃ〱をやる、まるでセリフを言はない。ニヤ〱笑って立ってたり、兎に角一人で受けよう〱としてる、此奴が大崎のセリフを蔭できいてゝ「しっかりした演出者がゐないと困るね」は大笑ひだった。ひる終って、川口・東・菊田、今度入った文芸部の貴島で、四月の案を練る。僕の案で「鍋島の猫」之を菊田に「われらが猫騒動」として書かせ、僕はレヴィウ「芝居の世の中」を書くことを約した。猫は、中に「瀕死の猫」なるバレーを入れる等ギャグ多し。夜の部終って、銀座へ出た。

森岩雄氏へ久々で手紙書いた。森氏だけは頼れる人だ。

三月八日(木曜)

早目に座へ来て、次狂言の脚本を読む、貴島の「われらが三家庭」と、津村京村の「吾輩はヒゲ」二つともひどいもので、すっかりくさった。ます〱よき脚本を自ら立って書かうと決心する。ひるの部、いつもの通りくさりつゝやる。渡辺篤休み。大切な役の時よく休む、困った人だ。ひる終って表へ行き、配役をする。四に据へたオンパレード物の寸劇に一つと、「西遊記」の三蔵と二つ役をとる。「三家庭」は逃げた。

放送局より話あり二十三日に、公会堂から中継で模写をやる。原稿依頼その他仕事多し、有がたい、片ッぱしから片付けたし。

三月九日(金曜)

座へ行くと、今日は警視庁から台本を見比べて出張員沢山あり、一同ビク〲でやる。大辻などおびえちまってまるでセリフが言へない。「日頃の心がけが悪いからな。いつも作者の領域を犯してる奴だから。」と言ってやった。比ういふ「比ういふ」はママ時はこっちは反って気持よくやれる。ひるを終って、観音劇場へ、中村の親分への義理で出演。楽屋で「キング」に娯楽頁物六枚書いた。大いに働け〱。

三月十日(土曜)

今日第一回を休演、川口・東と鏑木とで日本劇場へ、マーカス・ショオを見に行く。人数沢山で賑かではあるが同じやうなものゝ繰返しばかりだ。感心するものなし。終って川口等とオリンピックへ寄り、栄ずしでひらめ食って浅草へ。夜の部だけ出る。一回でも休むと気が抜ける。報知へ四枚半、やつつけ乍らニュース漫談を書いた。ハネるとすぐ円タクで日本青年館へ行く。「名犬ハチ公の夕」で、トリに漫談る。昨夜あたりより咳が出る。

三月十一日(日曜)

今日は日曜だから早い。ひる終って咽喉は悪し、肩は凝るので、按摩をとる。「芝居の世の中」第一景の考へがついたが、総体の荒筋が立たなくて困る。夜の部も一向気のりせぬまゝに終る。今日は日曜だが、いつもの土曜位の入りだ。九時すぎ終って菊田と友田純一郎とでみやこでウイスキをのみつゝ色々話す。それから、歌の稽古で座へ来て、少しゐて帰る。

三月十二日(月曜)

昨夜来風邪気味、ダるくて、休みたい位。芝居がつまらないせいもあるが、休みたくなるなんど、此の商売に馴れすぎたか。座へ来て「サクラ日本」だけやり、「新撰組」は中根に代って貰ふことにした。部屋へねころんで、みたが、寒くて気持が悪いから、逆に雪みたいなのゝ降る中を、生駒と松喜へ牛肉食ひに行く。帰りに森永でコゝアとショートケーキ。山野がゐると可笑しいこと多し。女優部屋へヤタラ行ってねころぶくせがある、やっぱり大物になれぬ奴だ。夜の部「サクラ」の途中で停電、一時休み。二十分たつとパッと来たのでやる。咳出て苦しい、「新撰」は夜も中根に代らした。明日は休んで本を書きたい。何しろ今夜はけいこ、雪がジャン〲だし。

三月十三日(火曜)

今日は一日芝居を休むことにした。で、兎に角先づねろとばかり、昨夜一時半から午後一時半までねた。それからプランを練って、「芝居の世の中」を書き出した。床をとって腹ん這ひに寝て書いたり、起きて机で書いたり、夕方までに八景の予定が三景まで行かぬ。近頃こんなに苦労した本はない。夕食、すきやきをした。座へ電話して大庭六郎を呼び、傍にゐさせて、どん〲書く。大庭も寝かして、「芝居の世の中」全七十枚書き終ったのが三時。表紙まで書いて、場割と配役まで書いて、手首きり〱と痛めど、下戸の知らねえいゝ心持だ。

三月十四日(水曜)

昨夜書き上げてねたが、夢ばかり見て休まらぬ眠り。十時半に起こされ、大庭六郎等同道浅草へ。「芝居の世の中」の出来たのが嬉しくて、今日の稽古初日の方は、うはの空だ。座へ来て、「芝居の世の中」を研成社へ廻す。「西遊記」の稽古終ったのがもう六時なので、今日は一・二・五だけ出ることになる。四の「凸凹展覧会」は、まだ稽古もしてないので今夜残るらしい。「西遊記」てんでセリフ入らず、歌知らず、「幕があきゃあしまる」とはいふものゝ全くいかぬ。でも今狂言、思った程つまらなくはなさゝうだ。

三月十五日(木曜)

四の「凸凹展覧会」今日始めて出る。審査員といふ役だが、てんで受けないのでくさる。三蔵の方も昨日よりはましといふ位の出来だ。客は割に入ってゐる。狂言は悪いんだが、何うも分らぬものなり。ひるの部終って、カシオペヤからシチュウとカツレツとめしをとる。丸山夢路が上海へ行くと別れを告げに来た。ねころんで「文芸」を読む。川口松太郎の「直木三十五ものがたり」がいゝ。谷幹一が宝田といふ人と来て、ハネ後帝国ホテルで飲む。マーカス・ショウのエルマー・コーディ他いろんな芸人達と飲み面白かった。

三月十六日(金曜)

ひるの部、「凸凹展覧会」の中の一幕、審査員のつまらなさ、横尾泥海男も大ぐさり、全く今週のくさりだ。「西遊記」は、モタレ役だから今日のやうに宿酔気味の日などアクビが出て困る。徳川夢声の紹介状を持って、指圧治療法の浪越といふ人が来たから、早速やらせる、一時間余りやって、参円とられたのは参った。山野本日ひる丸トチリす、困る奴。食事は大阪屋ハヤシライスとホワイトシチュウ。

三月十七日(土曜)

午前八時頃宅へ警視庁の人が来て「麻雀のことで一寸」と言った由、新聞に菊池寛以下蒲田の女優連が麻雀賭博でアゲられてると出てるからこの事であらうが、もう僕は時効ものと分ってるからいくら調べられても平気だ。ひるの「西遊記」終るとすぐ東・鏑木と共に代役を立てゝ貰ふことゝし、警視庁へ向ふ。いろ〱調べられたが何しろ二三年以前のことなので、「随分昔はやりましたが、役者になってからはキレイにやめました」と述べた。向ふは「ウソつけ」とか何とか言ったが結局、時効で問題にならず九時十五分釈放。玄関口でパッパッと新聞社のフラッシュを浴びた、これが何う新聞に出るのか、頗る心配。

三月十八日(日曜)

起きてすぐ新聞を見る。時効で釈放と伝へてゐる。ま、大したこともないが、いくらか宣伝になるだらう。ひるが終るとすぐ、紺野守夫と二人で生駒雷遊の家へピアノがあるから明朝吹込みの、明治キャラメルの歌「僕は天下の人気もの」を習ひに行く。大てい大丈夫と見込つけて、辞し、松喜で紺野と肉を食った。昨日は中根が三蔵の代役、「麻雀のことならしょうがない、わしがやりませう」と言った由。今日は順が狂ひ、二回と二でとり、九時前に身体があいた。林寛が寺島雄作といふ役者連れて来り、(中野実の紹介状あり)入座の希望。二十日の朝、中野実氏のとこへ行く約束する。

三月十九日(月曜)

午前八時半起き、ゆふべアダリン四錠のんだのでまだフラ〱。十時に青山のポリドールへ行く。二回歌って、三回目のは本盤。出がうまく行かなかったやうな気がするが、O・Kなら早く帰らうと浅草へ。此の分、広告だからもっとうんと取りたかったのだが鈴木俊夫が仲へ入ったので(50)しかとれず。浅草で理髪し、ひるの部終って中西でランチを食ひ、青山師範の雨天体操場へ、卒業生の送別会で六時から一席(20)。学生のことゝて大受け。帰ると、福田宗吉来り、二十二・三日の仕事のことを打ち合せる。これから此の四五日つゞけさまにオザあり。シーズンが来たと見える、あまりムチャをせず、声を養生しよう。

三月二十日(火曜)

早く出て早稲田の中野実氏宅へ。話は寺島雄作をうちへ入れること。中野が二三日うち座へ来て川口に話することに定めた。「道化師」その他二篇、中野の古い脚本を借りて来た。座へ来て、又、くさり芝居。かにや大道具の若大将といふのが、先日の「坊ちゃん」の時の大道具の無礼を、おそまき乍らとあやまりに来た。ひる終って表へ行き、狂言をきめる。「鍋島の猫」をトリに据えて、四本立て。「芝居の世の中」を三に据えることゝした。それから朝日講堂へ、国民芸術観賞ママの夕てのへ出る(15)。よるの部終って、向島の夕立荘へ、大辻と二人、矢井乾電池の若旦那てものに馳走になりに行く。

三月二十一日(水曜)

大変な風それに雨だ。ビュー〲って音だ。でも祭日のことゝて、早く出かける。浅草も流石にあんまり人が出てゐない。ポカ/°\あったかいし、三蔵法師は大汗だ。ひる終ってすぐ朝日講堂へかけつけて、一席やる。此の嵐に祟られてか入り少し。済んで七階の食堂で食事。麻生豊・山内光等に逢った。まだ風やまず、ビュー〲言ってる。座へ帰ると、今日は嵐だから八時半バネってことになり、ハネてからすぐ朝日講堂へ又かけつけて一席(45)。夜も入りがない。こゝをすませて銀座へ出た。

三月二十二日(木曜)

ひるの部終って表へ行き、狂言の相談。やっぱり五本立にして、四に「芝居の世の中」を据えることゝした。五時半に工業倶楽部へ、放送局の九周年何とかの会てのへ行く。福田宗吉以下五人ばかりの伴奏。しまひに天勝の声帯模写封切した。之が自分でも驚く程よく出来た。明日は公会堂で同じ会あり、之に出て第二放送に中継となる。座へ帰り、脇屋氏に「佐野次郎左衛門」の本をたのむ。菊田の「鍋島」が漸く出来た由。又、大詰までつかまるさうで、時間をつかまることに於て一寸くさる。

三月二十三日(金曜)

午前十一時起き、今日放送が芝居の方と何うしてもツくので、ひるは休むことゝし、一時頃家を出て、公会堂へ(70)。放送局聴衆七十万記念の会、舞台で放送室をかざり、そのまゝを見せる。三時半近くから二十分やる。おしまひの天勝のうまさは自分で感心した。すんですぐ浅草へ帰り、森永で食事し、表へ行って、役割をする。「芝居の世の中」は、すっかり僕の予定通り定る。「鍋島」は光茂公といふ殿様。六時から、熊天にたのまれたムザンなオザ、朝日講堂へ(15)、トップで一席やり、すぐ帰った。よるの部済んでから、例会で、今回は渡辺篤が幹事、上野の翠松園へ行く。大した話なし。

三月二十四日(土曜)

午前中雑司ヶ谷の墓参りをして母上と共に浅草へ。昨夜稽古で女の子等の残ってるとこへ暴力団の奴が来て、あばれ、紺野がノサれて血を出すやら大さわぎで、結局巡査が来て連れて行った由。浅草ってとこはいやだな。ひるの部終ってすぐ東京会館のオザ(40)。日比谷平左衛門未亡人の八十の祝とかで、阿部のダヨ伯母だのその他親類がゐるし、やりにくゝて弱った。僕の他花柳喜美。大阪の三益愛子より電報、四月から出たいと言って来た、表でも皆賛成なので、すぐ来いと返電させる。

三月二十五日(日曜)

今日日曜、十時開きだから早く出る。入りは相当。ひるの部終ってすぐ、女子職業学校富士見町へ行く(30)。女学生ばかり、あんまり笑ふので笑ひを待つ間、随分のびる。すむとサイン攻め。さう悪い気持ではない。三益愛子から電報「〇二五〇イイカ ヨケレバ スグオクレ」月給二百五十円の意味だらうが、之では一寸話にならぬ。表でも百五十円迄ならいゝが、それでは困ると言ふ。手紙出してみよう。夜の部すんだのが八時半、東とカブを先日の警視庁問題の日の慰労に銀座へさそふ。明日より稽古で当分遊べないから。

三月二十六日(月曜)

六時起きして、日暮里の久保田万太郎氏のとこへ行く。久保田氏と共に、竜泉寺町の沢村源之助宅へ。要するに四月下旬あたりに佐野次郎左衛門を出して八ツ橋を行かうといふ考へなので、その型を――と行ったわけだが、マトモにそんなことも出来ず、四方山話して辞す。帰りは久保田氏と浅草迄歩く。サトウロクローが「芝居の世の中は大傑作だ」と賞める。本日久邇宮家より廿八日にオザ申込みあり。ハネ後、「芝居の世の中」を、読み合せして、それから立ったから一時になっちまった。

三月二十七日(火曜)

出がけに、伊藤松雄氏を訪問、此の間のラヂオの評をきく、ワーッと受ける声は僕のが絶大だった由。天勝がやっぱりよかったらしい。日比谷公会堂へ、サクマドロップの会(30)とかいふのに出る。子供ばかりのひどい会、声帯を子供向きに一席やって引きあげ、さて座へ来てみると、もう一寸ってところでトチリ、横尾が代って「凸凹展覧会」をやってゐた、数日前から制定になったトチリの始末書をとられる。ひるの部終って、蛇の目へ行き、すし一円半がとこ食っちまった。よるの部、相変らず客よし、終ってから「芝居の世の中」を立つ。

三月二十八日(水曜)

午前座へ出て、「ラヂオ科学」の原稿五枚書いちまった。大辻が部屋へ来て「久邇宮へ行ったらね、お役所の人に言っといてくれよ、実は僕のとこへかゝったんだけどね、時間がとれないから他へ廻して下さいって言ったんだよ」嘘かほんとか、兎に角大辻って奴、此ういふことを言って、自分を売り出さうとする。ほんとゝしても、嘘なら尚更、とっちめてやらなくちゃならぬ。キングレコードの人来り、サトウハチローの作詞「お嫁さん選べば」の譜を置いて行った。ハネ後、三階で「鍋島」の立稽古、それが済むと、舞台で、フィナーレの総踊りのけいこ、之を又つきあはされ、ヘト〱になりながら、二二三、四二三、とやる。一時になった。

三月二十九日(木曜)

寒い〱と思ったら、雪だ。而も紛々と降り続ける。客はそれでも一寸ばかりゐるから妙だ。一回終って、みやこで食事し、雪見酒――ってっても一寸わけありでだが、ウイスキーを十杯ばかりひっかけたからフラーリ〱。仕事中に酒をのんだのは初めて、思った通りヤな気持だ。でも舞台へ出りゃシャンとする、セリフもちゃんと言へたが、さてさめて来るとたまらない。ハネ後さめ際の、キュッ〱とゲロが出さうで出ないって状態で、「猫」の立げいこ、又フィナーレの踊りをやり、でも十一時に終った。

三月三十日(金曜)

二時近くから「芝居の世の中」の稽古、ヘンな背景が出来て来ちまって、キャバレエ・ウインナの感じまるで出ず、(「会議は踊る」のビアガーデンの図を描いてやったのに)衣裳もてんで成ってないので少からずくさった。芝居の方は自信あり、大丈夫受けるものになると思ふ。間に、大阪屋のシチュウとハヤシライスを食ひ、六時頃から「われらが猫騒動」の稽古。出場が少いからラクだが、衣裳の着換へがあり面倒くさし。明治製菓から先日吹込んだレコードを届けて来た。声がまだ大きすぎた。「鍋島」の稽古済んだのが九時。

三月三十一日(土曜)

十時半起き、座へ来てみると、あんまり突かけがよくないので憂鬱。「芝居の世の中」は、大過は無いのだが、神田がセリフを入れてないので、芝居がこはれてしまった。「鍋島」全く出たとこ勝負で、ごま化してしまふ。一回終ったのが四時半。すぐ夜の部になる。夜の「芝居」では、不覚やMボタンをまるで外したまゝ出て、上手の客だけが笑ったり、珍現象、これで又芝居をブチこはしてしまった。「鍋島」の終り近く、山本五郎一家のゴロ酒井ってのが、袖で着換へをしてる渡辺篤をひっぱたいた。どうも暴力がのさばるのは困る。本日金が出た。借があるからそれを五十円さし引いて、他に脚本料五十円を貰ったが、さて出銭の多いこと全く驚くべきもので、暴力のおさへだとかって、十円だ十五円だととられ、弟子達に小遣ひをやったりすると結局合計百円以上。これじゃとてもやって居られない――何とか考へなくちゃならない。

昭和九年四月

四月一日(日曜)

雨で、一日で日曜、悪からう筈のない日。打込みから大分いゝ。第一回「芝居」気のりせず、でも客は此のスマートな味を買ってるらしい。「鍋島」の中で、僕の殿様が「こりゃ〱汝と麻雀の手合せするも久しぶりじゃのう」と言ふと、横尾の家来が、手を縛られた恰好して、「これ以来でござりましたなア」と云ふセリフがある。これが大した受け方、ドッと客が笑ふ、ゴシップ神経てものは馬鹿にならぬ。新聞も随分宣伝になる。第二回が済んだのが、八時二十分。随分早く済んだ、心持よし。

二月十六日に、僕に無礼のふるまひありし大道具のセイ公はクビとなれり。

四月二日(月曜)

ひるの部の「芝居」で、若宮とロクローがトチリ、「鍋島」で大辻がトチった、始末書をすぐとられる。「芝居」の五景―六景の、芝居と現実の差を出すことに於て、会得するところあり。四時に一回終った。すぐ紺野を連れて生駒の家へピアノを借りて歌を習ひに行く。五日吹込みのポリドール、サトウハチロー作詞、竹岡信幸曲の「お嫁を選べば」っての。五六回ひいて貰って、引揚げる。夜の部の客とてもよく、「芝居の世の中」のウケること頻り、すっかり気をよくした。「鍋島」の方は何うでもいゝってもの。ハネ後、コーラス娘三人つれて、銀座へ出た。

四月三日(火曜)

十時あき。ひるの部、二階のつっかけがよくない。「芝居」は、ピッタリ今日の客には来ないらしい。一寸くさり。「鍋島」は横尾が、調子をやったので、荒井雅吾が代った、これがコケ、くさり。一回終って、大辻・吉野と上海亭へ食事しに行く。夜も「鍋島」で又荒井にくさらされ、あんなのに何故代役させたかと頭取を呼んでカス。終ってすぐ公園の一直へ、医者の会で一席やり、公会堂へかけつけて、ポリドールの会で、歌ふ。ストトンとモンパゝの譜を用意するやうに言っといたのに、通ってないので大くさり、歌もうまく行かなかったが、客は大受け。歌ひ手商売も中々よし。

四月四日(水曜)

咽喉具合わるくて困る。座へ来てみると、月曜としては相当の入りだ、「芝居の世の中」は、物日の出しものじゃない、今日の客には実にピッタリ来るらしい。「鍋島」横尾休み、大庭が代る、荒井よりはよっぽどまし。ひる終って帝国ホテルへ、山春主催の函館義捐の夕てのへ行き、トップを切る。タゞのザシキ程つまらぬものなし。しゃくにさはる。三益愛子よりO・Kの電報来る、「ミマスヲタノムナカノ」と中野英治からも電報、その旨川口に言ふと、「あれは要りません」といふ返事、それじゃこっちの立場がない、大いにフンガイ。ま、今日は川口のお天気わるいのでそのまゝ。

四月五日(木曜)

午前九時起き、ポリドールより迎ひの自動車来り、青山へ。「お嫁を選べば」の吹込み、コンディションとても悪く、かなりいけなかったやうに思ふ。浅草へ出て、大勝館で、ローレル・ハーディーの喜劇と、「不思議の国のアリス」を少し見て、座へ。「芝居」大いに受ける。が、段々考へてみると、此の脚本は、ハイブロー過ぎた。まだ〲此処迄行ってはいけなかったと思ふ。ひる済んで、カシオペヤのシチュウと卵子で飯を食ひ、アンマをとる。「芝居」の神田の未熟さがつく〲いやんなった。女優がゐない。三益を、やっぱり必要と思ふ。ハネ後、先日募集した一周年記念の脚本にいゝのがないので、こっちで書かうと、みやこで、菊田に「黄金狂時代」のアイデアを話す。

四月六日(金曜)

座へ来てみると、千束町の鈴木二郎といふ男から、「芝居の世の中」は、自分が「笑の王国」の脚本募集に応募した脚本のアイデアを、ヘウセツしたものだ、とオドカシを並べ、結局使ってくれといふ手紙。怒気心頭に発し、すぐ「馬鹿言ふな、そんな脚本は見たこともない」と返事を書く。今日は一日中このことでシャクにさはっちまった。ひるの部終って、大辻が四月後半に三日程休みたいと言ふ。事務所へ寄り、狂言の相談。「芝居の世の中」を書いてからすっかり考へ方が変って来た。何うにも高級ものはいけないと思ふ。冬のやうに寒いので、何うも入りがない。

四月七日(土曜)

咽喉がすっかり悪くなり、声が出ないから、「古川緑波風邪のため声出ず云々」といふ貼紙をして貰ふことにした。楽屋へ来てみると、昨日の鈴木二郎といふのから、すっかり謝罪した手紙が来てゐた。これで大分気をよくした。やっぱり怒ってよかったと思ふ。「芝居」をやったが、とても声が出ないので、歌は神田と香山に分けた。「鍋島」の方は、中根に代って貰ひ、風呂へ入り、アンマをとり、吸入一回やる。声調子わるし。夜の部又「鍋島」を中根にたのみ、報知講堂へ、アダヨの会、顔だけ出してくれてのへ一寸出る。中野実氏来楽。

四月八日(日曜)

今日は日曜だから十時あき、だが思はしい入りにあらず、「芝居」だけに出る。声、まだいけない。ひるの「芝居」終ると、三益愛子より電話、上海亭にて逢ふ。目下中野の女房まがひの由、一切僕に任せる故、何卒よろしくと言ふ。柄もよし、女優らしい色気もタップリあり、やっぱりいゝと思ふ。表へ連れてって三益を川口に改めてひきあはせたら「フンちっとも君なぞほしくはないんだがね。よく覚えとけよ。」とひどい挨拶だった。本人くさり、なぐさめておく。九時頃から例会で公園裏の昇鯉へ。大辻が三日休むって話から、来週は休んで貰ふことに決定した。ちっとも欲しくないものになっちまったものだ。十二時すぎまで飲み、語る。

四月九日(月曜)

どうも入りが思はしくない。全く、何うしたら客が喜んで来るのかは永久に掴めさうもない。狂言がバカ〲しくて、とんでもないものゝ時はいつもいゝんだから分らない。川口、今日は機嫌よく、三益は僕の要求通り、いゝ役二つふられる。若宮美子休みで、「芝居」のうらゝ役は柏が代る、珍景を呈した。ひる終って理髪に出かけ、森永で食事して部屋にゐると、コワイ奴、丸越の親分てのが来て、ワケの分らんこと言って威張って帰った。浅草はいやだな。夜「芝居」だけ出て、山縣七郎と共に銀座へ。

四月十日(火曜)

出がけに伊藤松雄のとこへ寄り、明治のレコードをきかせる、「こりゃ君、ジャズ歌ひになれる」と言ふ。ニットーの方の吹込みの相談して、座へ来る。まだ声がいつもの六分の一しか出ない。今夜は歌はなくちゃならないし弱る。「社交」って雑誌へ四枚書く。夜の部済ませると、すぐ朝日講堂へ。明治製菓とヘチマコロンと、朝日の広告部の主催で、「緑波の歌と夢声の漫談発表会」(50)。「僕は天下の人気者」と「モンパゝ」それにストトンで模写をやる。大ウケである。軽いユーモアの歌を沢山おぼえちまって、これからチョイ〱やる手がある。明治製菓の内田誠と徳川夢声でかもめへ行く。

四月十一日(水曜)

昨夜又のんだがのどの調子は段々いゝ。今日母上が見物に来られた。一回終って菊田と、友田純一郎・大黒東洋士とで釜めしを食ひに出た。乞食で紅茶のんで帰る。山野一郎が東に、「緑波は僕に役をつけるの嫌がって又いやな役しか呉れない。女の子に抱きつけばナグられるし、我まゝな奴だ。」とコボしてた由。どっちが我まゝか、女の子に助平なまねをしたり、役のことなんか不服言ふとはもっての外だ。こんな調子じゃやっぱり山一は呼ばない方がよかった。夜終って、「僕は天下の人気者」のけいこ。三枚目なのでやりよさゝうだ。

四月十二日(木曜)

客がます〱入らない。これは一つには鍋島の猫の祟りだらうといふ説と、又、清洲すみ子など妊娠七ヶ月のが出てる、これが不浄でいかんらしいなどかつぐ者あり。ひる終って、菊田・堀井・東と食事、次の旧物は「幡随院長兵衛」に定めようと話す。乞食へ寄ると、喜多その他の女の子が学生と茶をのんでゐる、夜半四時迄けいこじゃ此の二時間の幕間が彼女等にあたへられた唯一の休息時間なのだ。今日渡辺又休む。ハネ後「大番頭小番頭」の立けい古。山野僕に無断で昨日と今日のけい古を休んだ。ます〱腹の立つ奴。「大番頭」面白くなし。

四月十三日(金曜)

雨。十一時迄ねて、座へ。昨日よりはラクでも今日の方が入りがいゝ。山野とは全然物を言はない。ムッツリだまってゐやがる。不愉快極まる奴、そのうちひどい目に遭はしてやりたい。ひる終って大阪屋のポタージュとハヤシライスを食って、おね〱してるともう夜の「芝居」が開く。夜の「鍋島」の殿様は、赤鼻のトン狂な顔をして、オドケてみた、此れは楽屋受けもし、客にも受けたが、可笑しな顔さへ拵へれば、笑はすのはワケないと思ふ。兎に角、「芝居の世の中」で、浅草に向かぬものをはっきり分ったから、之からは土地の水に合ふことを勉強してみよう。

四月十四日(土曜)

今日は稽古初日。十二時半頃座へ来る。一寸風邪気味だ。三の「大菩薩峠」で大分長びいて、「僕は天下の人気者」は、芝居抜きで歌と踊りだけやり、五の「大番頭小番頭」を終ったらもう六時半。「大番」がつまらないことおびたゞしい、全くイヤンなった。山野とは相変らず無言をつゞけてゐる。四の「人気者」は、ロクローを面喰はせる大熱演で、徹底的な三枚目をやり、大受け。最後の幕で、明菓の宣伝のとこへ来ると客「よせやい宣伝は」と来て少々くさる。その辺のセリフを改めさせることにした。「大番頭」思った程つまらなくもなし、終ったのが、何と十一時半。

四月十五日(日曜)

十一時すぎ家を出て、深川の八名川小学校てのへ行き、一席やる(30)。近頃の小学校は凄い、ちゃんとフットライトの設備ある舞台あり。座へ来ると、浅草の人出は正月以上だ。松竹座の前など通れない程の人。うちは人は立ってないが、中にはギッシリ詰ってゐる。山野とは依然無言。ひるの「人気者」大汗熱演。「大番頭」は大したことないがラクにやれる。ひる終って大辻に山野のことを話し、「部屋から出してしまふから、生駒・大辻両人で引受けて呉れ」と言っておく。夜は此の分じゃ又十一時になりはせぬかと心配。何しろ終るとすぐ、十時五十五分で出発のつもりなので。「大番頭」終ったのが十時十分、急いで東京駅へかけつけ、十時五十五分に乗った。

四月十六日(月曜)

芝居の方は病気で一日休むことにして、大阪へ行く。悪いことは出来ないもので、バッタリ蒲生重右衛門・中田晴康等に、又、プレイガイドの加藤に逢ひ、内証のことをたのむ。十時四十分、大阪着。明治商店の者迎へに来り、すき焼を食べて、ポリドールの吹込所へ。毛谷平吉ヴァイオリンに久しぶりで逢ひ、練習をし、定刻六時、朝日会館へ。牧野某の大阪風の漫談のあと、「僕は天下の人気者」を歌ふ。「モン・パゝ」と二つやり、一部の終り、二部で又、声帯模写を、ストトンをトリにして、二十五分ばかり。大受け。終って十時四十分で大阪を立ち、東京へ迎ふ。

四月十七日(火曜)

午前十時十五分東京駅着。心配だから座へ電話してみると、すっかり病気ってことになってる。で、ゆっくり座へ出る。皆「如何ですか」と心配してる。何うも嘘ついてることの苦しさてものつく〲思はせられる。狂言が何うにも長くて昨日から「天下の人気者」を一、二回の間に一回出すことになってる。山野の問題の解決をする。きいてみると、結局東が山野をケシかけて僕の悪口を言はせちまったゞけのことなのだが、どんな理由にしても、無言の行だの稽古欠席は許せぬことだと言ひ、之はあやまらせ、今後は生駒・大辻で責任持つからとのことで先づ和解。中根に十円昨日の代役料をやる。

四月十八日(水曜)

今日から「凸凹守備隊」が一回になり、「人気者」も「大番」も二回宛やらされる。「人気者」の三・四景は大熱演、大受け。「大番」も思った程つまらなくなし、写実の芸てものは、らくで気持がいゝ。旬報の脚本募集一等当選が無いので、僕のストーリーで菊田に書かせたのを当選としたので、百円来た。之を東に十円、菊田三十、友田三十、僕三十と分ける。夜の部、大いに客来る。やっぱりハデな出しものゝ方がいゝらしい。会田少年三日間休む。此の間からちょく〱休むが、もうつとめ切れなくなったものらしい。将来の二枚目としてほしいものなのだが――。

四月十九日(木曜)

十時、雑誌「旭」の記者が速記者を連れてやって来た。鏑木に言ってあると言ふが、ちっとも通じてない、不機嫌の寝起きで、三十分間「われらが愛国劇」って話をしてやる。座へ出て、ひるの部終ると鳥鍋で食事して、又夜の部、客ワンサ入ってる。「人気者」は大受けだ。「ロッパうまいぞ」なんて声がかゝる。「大番」の方は何うも、らくなだけ。ハネ後、サトウロクローを、毎日舞台で踏み台にするから一杯飲ませようと、大庭六郎と共に銀座へ出る。

四月二十日(金曜)

座へ出たのが十二時。昨夜飲みすぎたので何うも苦しい。のんびりと丸窓のある、梅でも庭に咲いてるってな茶室で、うすい蒲団かけて昼寝したい、などゝ思ふ。「大番頭」が済んで、がっかりした。大阪屋のトマトのポタアジュとトースト。品芳のカツ丼を食ひ、水上雪江に按摩して貰ふ。此の女とてもうまくて、一時間以上やって貰った。夜の部終ってから、飛行館へ、松竹座の静家のお爺さんの隠退興行てのへ義理で出る。行くと、エノケン・二村がやってた。大分待たされて、十一時に舞台へ上る。まるで客がバカばかり、近頃こんないやな舞台を踏んだことはない。

四月二十一日(土曜)

十二時楽屋入り。雨が朝降ったから入りは悪くない。ひるの部終って、何をするでもなく楽屋にねころび居る。

近頃、文筆スランプで、引受けた原稿二三、破約したし、手紙一本書く気にならぬ。書くものは此の日記だけ。山野を誘って、理髪にツナシマへ行き、帰りにみや古で食事し、雨に濡れつゝ座へ帰る。

四月二十二日(日曜)

日曜日、突かけよろし。ひるの部終ったのが四時すぎ。「人気者」で熱演するので知らぬ間に、ひざのとこへ痣が二つも三つも出来てるのは驚く。三枚目ってのはむづかしくなくって面白い。楽屋に三益・柏・香山等が遊びに来たので、ポテトパイを買はせて食ひ、いろ〱話す。終ったのは十時二十分だ。昔の喜劇弁士小川紫友が、うらぶれて来た、みや古で一杯飲ませ、生駒も呼んで話す、小川は入座希望、之はいゝかも知れない。

四月二十三日(月曜)

今日から大辻が休むので「人気者」中の漫談がなくなって、少し早くなって来た。今日は暖くて汗かく。一回終ると、明治製菓の内田誠氏来楽、そのうち又タイアップで何かやりたいと言ふ希望だった。表へ行き、五月下旬には、ヴァラエティー寄席ごっことして、五分宛いろ〱な芸をやることを提議したら大賛成。キングレコード「お嫁さんもらうなら」が出来て来た。思った程悪くない、之なら吹込み直しの必要もあるまい。夜の部、やっぱり大汗だ。

四月二十四日(火躍)

ひるの部すんで表へ行き、配役をやる。今度は「幡随院」の幡随院と、「笑の王国祭」のムッシュ古川の二役、四と五でかなり楽らしい。役割りしてから部屋で、宣伝文句を一から五まで書く。夜の部終ってから一寸残って、「笑の王国祭」のフィナーレの歌を稽古する。

四月二十五日(水曜)

今日は、不意にサトウロクロー休みで、堀井英一が代役。でも大胆によくやるものだ。花井淳子と夫婦でラヴシーンをやるとこは一寸やりにくさうだった。今日は日が悪いのか色々事故あり、大庭六郎は生駒との立廻りで右眼を突かれて怪我。若宮の上へドロップが落ちかゝって頭をヅーンとやられた。ひる終ってすぐ天野雉彦の夫人の天野家庭塾春宵の集ひての幸楽へ行き、上品なる令嬢ばかりの前で一席(30)。山野も連れてってやらせる。東京駅地下室荘司でホットサンド食って座へ帰る。

四月二十六日(木曜)

ひるの部済んですぐ帝大の新入生歓迎会てのへ行く。吹きっさらしのとこで学生は土の上へ座ってきく、こいつは参った。二十五分もやって、すぐ座へ帰る(30)。今日もサトウ休みで、堀井だ。「大番頭」では、若宮が袖で笑はせる、狐みたいな顔をもっとヘンテコにして笑はす、つひフイちまったから、逆に、袖で尻をまくって笑はしてやる。今日は稽古なし、明日より稽古だ。

四月二十七日(金曜)

今日は靖国神社の祭で大分入りがある様子。「人気者」サトウが出て来たので漸っと調子が出て来た。ひるの部終って入浴し、本郷の帝大病院内の、看護婦慰安会へ行く(30)。大いにカンゴフさん達を喜ばせて、本郷通りへ出て、青木堂でコゝアを飲み、折笠医院へ一寸寄って、糖を診て貰ふと、大へんよろしいと言はれ大いに安心し、座へ帰る。夜の部終るとすぐ、千駄ヶ谷の中村歌右衛門邸へ。声色やらされるなら嫌だと言っといたのに何うしてもやれとあり、歌右衛門・福助・菊五郎・三升等の前で、コップに一杯熱燗をのんで十五分程やる。金一封を寄越したが之は返して、新宿へ出る。

四月二十八日(土曜)

宿酔気味で、アイスコゝアのんだりメロン水をガブ〲飲んだりしてみるが気分が直らず、辛し。ひるの「大番」で、田島が大トチリし、多和が代役で小番頭をやる。之じゃまるで気が乗らず。一回終って工業倶楽部のオザへ行く。結婚式の余興である(40)。すぐ引返して、夜の部。すんでから「幡随院」の立稽古をやる。

四月二十九日(日曜)

今日は千秋楽だが日曜のことゝて相当入りがある。「人気者」も最後の奮闘とばかり大いに脂がのる。一回終ると菊田と友田純一郎を誘って松喜へ牛肉食ひに行き、サリー森永でパイ食って帰る。夜の「大番」は、若宮の女房にヒステリー起されて逃げ廻るところで、めちゃに逃げ廻り、胸ぐらとられると、わざとはだけて大さわぎをした、若宮ふき出す大さわぎ。ハネ後、歌のけいこで十二時すぎた。

四月三十日(月曜)

今日は稽古で一日休みだ。早目に出ると、中々始まりさうもない。松竹座のグランド・オペラ・ルヴィウてのを見に行く。徳山璉がゐて、並んで見る。「ラヴパレード」「ボッカチオ」の醜態見るにたへない。リキー宮川てのゝジャズソングをきく、これは一寸いける。魅力てもの、それだけがジャズ歌ひの生命だ、と思ふ。座へ引返す。始まったのが六時すぎ。道具が出来なかったり、衣裳を待ったりして、終ったのはもう十一時半だ。「笑の王国祭」のつまらなさは言語にたへたもの、貴島って作者は実にしようのない奴だ。「幡随院」も充分つまらないが、此の方が稍々いゝだらう。

昭和九年五月

五月一日(火曜)

初日。十時半開きだから十二時半頃来た。三のキネマ旬報一等当選脚本(実は菊田一夫が書いた)の「沙漠のメリーゴーランド」てものが、ひどいものださうで、役者皆大くさり。四は「笑の王国祭」こいつはまるでつまらないが、歌と踊りとで何とか見せちまふらしい。僕の役はまるで面白くなし。「幡随院」は、セリフが入ってないので苦しかったが、でも他の奴は皆ひどすぎると見え、菊田に大いにカス食ってゐた。五時半すぎ一回終る。夜は、三を抜く。抜いても、とても出きれない。終ったのが何と十一時廻ってゐる。森永でウイスキ少量のみ、新宿ですし食って帰る。

五月二日(水曜)

一時すぎに「王国祭」始まる。どうもつまらなくてやってる気がしない。貴島って奴は何うにもならぬ奴、ほと〱嫌んなる。「幡随」も相変らずつまらず。一回終って、来々軒の雲呑と中華丼を食った。夜の部のクサリ又ひどし、此んなことをしてたんじゃ人気が落ちる、来週は大いにハリ切ってやらうと、「寄席ごっこ」のプラン立てる。来替りは、「われらが金色夜叉」と定る。貫一を、かなり三枚目にして僕、渡辺の富山、サトウの荒尾、お宮を神田、赤樫を三益ってとこだ。ハネが今日も十時半、一本抜いて之じゃ困る。

五月三日(木曜)

十二時座へ来る。東と森永で茶をのみ、一時から「王国祭」、又くさる。つく〲いやだ、うんとカットしたいと思ふ。「幡随院」又くさり。ひるの部すんですぐ、大勝館へエノケンのP・C・Lトーキー「青春酔虎伝」を見に行く。山本嘉次郎、エノケンの個性をよく活かしてゐる。おしまひの格闘などすばらしいスピードでよろし。帰って、又これからくさり劇かと思ふと、ガッカリする。今夜もくさりくさって演り、終ったのが十時半。ゲッソリ労れた。

五月四日(金曜)

「オール読物号」送って来たの見ると、とう〱書けずにスッポかした「春の旅」て特集に、僕の名で堂々と「道行き何とか」てのが出てる、不愉快、一言のことはりもないのはいやだ。時事新報から写真班来り、楽屋のひとゝきてのをほしいと言ふので、山一のコーシャクを皆できいてるとこを撮す。「健康時代」に、注文の「接吻後の飲食物」五枚書く。夕食は大阪屋のポタージュに、トースト、オムレツと食ふ。夜の部、客「ロッパはり切れッ」と言ふ。それ程ダレてゐる。

五月五日(土曜)

神田千鶴子、今日、市電バス早廻り競争てのへ選手として出場、二等賞となってくたびれて帰って来た。ひるの部相変らず、くさり演。すんですぐ神田の日大歯科の大会(30)てのへ行くと、野天の屋台だ、こいつには参ったが、二十分程やり、すぐ近くの小川町小学校教員の慰安会とか(30)、又二十分ばかりやって、神保町を一人歩き、杏花楼てんで食事して帰る。夜の部、又々ダレる。全く嫌な芝居につかまってゐるのは辛い。ハネ後、神田の祝ひにかもめへ、菊田・如月敏・鏑木その他女優二三連れて行く。大辻がチン入して来て不愉快だった。

五月六日(日曜)

日曜である。出がけに理髪してサッパリした気持で出る。客はワンサと来てゐる。なるべくクサらぬやう心を引き立てゝやる。昼の部に、大谷竹次郎が「幡随院」を見て、こいつは面白いと言ってた由。ひる済んで、如月敏とカブとで、銀座へのし、スコットでポタアジュとヒレビフカツ。三すしで平目を七八つ食ひ、コロンバンで菓子と紅茶をやり、流石に腹はって、座へ帰る。「幡随院」の中で渡辺と僕が下手へ、生駒・山野・田島が上手へ陣取って、武士と町人の喧嘩で、「ダマレ百姓」「何をオケラ」てな罵言の投合ひがある、そこで山野が、「うるさいぞシュウマイ」と来たんで、渡辺に「何をこの湯たんぽ」と言はせたらその受けたの何のって、客も楽屋も大笑ひ。ピンどりなのでいつもより少し早く終った。

五月七日(月曜)

ひるの部の、「幡随院」の泥試合では、山野が「何を此のシュウマイ」に対して、僕原作の渡辺篤のセリフ「何を此の子供のオバケ」。これが人気で楽屋じゃ此の場をたのしみにしてゐる。夜の部終るとすぐ中村福助を訪れると、今日は父もゐないから家へゐらして下さい、と言ふので千駄ヶ谷へ行き、中村翫太郎てふ「私め三代福助に仕へて居ります。」てえ老人と、福助、それにオバさんて人とで酒をのむ。翫太郎老人のヨカ〱芝居と、滑稽芝居の話が面白かった。写真を沢山貰って帰る。

五月八日(火曜)

又もや如月敏が昨夜泊った。如月敏此処三日家をあけてるので家でさわいで迎へに来た。ところが敏、プイと姿を消しちまった。ひるの部終ると、田中三郎久々であらはれた、実は敏が大変なことをし出来したとのこと、会社のしくじりなり、で姿を消したことが心配になり出した。夜の部終って、「金色夜叉」を少しやり、それから田中三郎と友田純一郎と松喜で食事し、傍ら八方人を走らせて敏の行方を探す、分らず。大いに心配しつゝ帰る。

五月九日(水曜)

今朝、敏無事の報を得て、本郷の敏の姉の家てのへ寄る、無事だったが大分量見方がコハい、死なうとしたらしい。三郎と二人で充分なぐさめておく。座へ出ると、すぐ又くさりだ、まだ此の芝居済まぬかと思へば実にいやになる。ひる済むと、ぐったり。熱とってみると七度三分程ある。咽喉からの熱である。ルゴールで治るから心配ない。夜の部相変らずクサリ演。ハネ後、例会にて、僕幹事、大森都新地お千代にて開く。新入の座員は一応必ず相談あるべきことをのべる。生駒雷遊はロクロー偏重を頻りに述べてゐた。

五月十日(木曜)

十一時までねる。昨夜は四時になったから。座へ出ると、「笑の王国」誌五月号が出来て来た、鏑木に任せとくと、とてもダメだ、も少ししっかりしたものにさせたいと思ふ。咽喉まだハッキリせず、七度近くあり。ひるの部終って、三益を連れ、公会堂の「大関」の会へ(30)。東京駅地下室でホットサンドウィッチ食って、公会堂で一席やり、すぐ引返す。夜の部、客席に久米正雄氏がゐると、山野が発見した。終るのを待って迎へにやり、楽屋内を案内した。氏の「夏の日の恋」をこはしてやらして貰ふことを約束した。川口に話し、片岡半蔵の新加入は断はらせる。

五月十一日(金曜)

十一時に起きる。座へ出ると渡辺篤が休み、してやられた。僕も今週は一日位休養したかったのに。で、「幡随院」の唐犬は山野が代役する。ひるの部終って入浴、食事は大阪屋のトマトポタアジュにタイヨーのハムエグスと野菜ライス。「直木三十五随筆集」を少し読む、「私程度のものなら一日三十枚位書けない位なら作家はやめちまへ。」といふのはよかった。夜の部終って、「金色」の歌の稽古、とてもこいつは沢山あってやり切れない。川口、渡辺篤の休みですっかり怒ってる。ラヂオ二十日は、菊田一夫作「笑ふ巴里」と定めて、アゲ本する。

五月十二日(土曜)

ひるの部の最中、井上三枝叔母と娘、支那料理持ってたづねて来て呉れた。ひる終ってすぐ丸の内蚕糸会館へ「銃後の会」(40)。東喜代駒がハリ扇を持って来て呉れた。三益と万才の打合せ、これも相当骨だ。夜の部終ってすぐ「金色夜叉」の立稽古、作曲も入れて歌は三四十もあるので、覚えるのが大変だ。十二時半頃までつきあったが、とても労れたので、明日と明後日みっちりやることにして帰る。

五月十三日(日曜)

雨。出がけに深川の中村高等女学校てのゝ会へ寄り二十分やって(30)、座へ。雨で人出は少いにかゝはらず客よし。ひる終ってすぐ浅草松屋のホールへ、塾友会といふので二十分(30)。とても蒸暑くて汗びっしょり。赤ん坊ギャー〲泣く、全く不愉快。座へ帰って、せんべいを食ひ、紅茶コーヒーを湯水の如く飲む。夜の部「笑の王国祭」は、しまひまで結局くさり通した、もう〱こんなものは始めっから断ることだ。「幡随」の例のドナリ合ひのとこ、渡辺篤に知恵をつけといて、楽しみに待ってると、山野先づ血迷って、「何を此の助平のゴミタメのカス」と来たのを、アッサリ渡辺が「何言ってやんでエ山野一郎」で客も裏も大受け、愉快。千秋楽らしき笑ひなり。大入つく。残って二時まで歌のけいこ。

五月十四日(月曜)

十時半から稽古だ。十二時すぎに座へ来てみると、二をやってる。貴島の作で、エノケンで一度やったことのあるものだ、何でこんなバカなものを出すか困ったものだ。政木時子てへのが今度だけ入り、道成寺を踊る。大したイカモノ、五九郎の大部屋で、川口のホヨらしいとのこと、こんなバカな踊り長々とやられちゃたまらない。松竹座へ天勝引退興行をのぞき、四時に華族会館へ鋭五の結婚式あり、行く。「四時過ぎに古川郁郎ロッパの声帯模写あり」と場内に貼札してある。兄貴の婚礼に弟が声色やりゃ世話はない。「寄席ごっこ」を立ち、「金色夜叉」を終ったのが十七時四十分。まあ〱今度は大丈夫らしい。

五月十五日(火曜)

十時半あきで初日。何ういふわけか新聞広告をまるでしないので客足悪し。一・二と三がひどいものらしい。四は「寄席ごっこ」で、これは大分受けてゐるし、内容もいゝ。山野の落語、田島の手品から僕と三益の万才で、これは大いに大阪弁ペラ〱やり、かなりいゝ出来だった、五「金色夜叉」は、少し歌が多すぎた感じだが、まあ〱これは無難。入浴して、ポタアジュとトースト。久ずしのすし五六個。しきりに水ものを飲む、二升や三升水をのむのはワケはない。夜の部は三を抜いて、一・二・四・五だから休む間ロクになし。ヴァラエティーで「お嫁を選べば」を歌ふ。ピアノの譜だけしかないので全然淋しい。

五月十六日(水曜)

暑い。座へ来てすぐ入浴する。「寄席」は好評だが、しまひの道成寺の二十分で全くダレちまふらしい。今日から歌は神田に代らせる。「金色」は、相変らず横尾がちっともセリフが入ってないし、おまけにアガっちまふのでやりにくいこと甚しい。これはロクローに演らせたかった。P・C・Lから僕とロクロー・清川の体を借りたい旨、言って来た。ロク・清川の方は何とかしてやることゝする。今日の夕刊に漸く広告が出た。これで、まあ少しは入るだらう。ハネ後ラヂオの「笑ふ巴里」の読み合せ。とんだものを選んだ、歌を覚えるだけでも大した努力である。毎日残るのは飲めなくて困る。

五月十七日(木曜)

天気よし、三社祭の太鼓の音ひゞき、夏祭りの景気、昨日よりはいゝといふ程度の入りだ。ひるの部すんで入浴。裸で涼んでると、すし久来る、ひらめを食ふ。それから又新京へ行き、支那食して帰る。川口と大辻と会ひ、六月下旬、大辻としては四日間休むだけで旅行したいらしいのだが、さうは行かさぬことゝなる。夜の部「金色」のうけること大したものだ、万才の方は初日あたりの方がよかったやうだ、ハコに入って来ると何うもいけないらしい。ハネ後又歌の稽古だ。十二時十五分になる。全くからだを使ひすぎる感じ。

五月十八日(金曜)

十時起き。座へ早く出ると、今朝山野大トチリ、四十分も開演をおくらした由。お祭の神輿かついで廻ってたと言ふ、「いつもお祭よりバカなまねしてるんだ、今更みこしかつぐこたあるまい」と毒づく。山野の下司さは全くアイソがつきる。ひるの部万才も「金色」も出来がよくなかった。ひる済んで、森永のカツライスを食ひ、水上に一時間位按摩して貰った。先日来、部屋に元弁士の小川紫友がゐる、これがノッソリとして、一向に役に立たず腹が立って弱る。少年を一人見つけたし。夜の部大汗流し、入浴して、放送局へ行く。二時半までかゝってテストしたが、女の子も僕らも歌が入ってないので醜態なり。

五月十九日(土曜)

早起きして入浴してると、海野十三の紹介で第一生命の勧誘員二名来る、こんなものに朝っぱらから来られると碌なことはない。銀座の栄ずしでひらめ五六個食って座へ出る。表で次狂言のプラン。六月下旬は、久米正雄の「夏の日の恋」を海のレヴィウと銘打ってやらうと定める。森岩雄氏来て話し乍ら観音劇場のところまで来ると西条八十氏と娘の子に出逢ひ、金龍館ごらん下さいと、特等へ案内する。夜の部汗演して後、又明日のラヂオの歌の稽古をする。中野英治京都より来り、三益を可愛がってやって呉れと言ふ。明日はラヂオのため狂言順大いに狂ひ、「金色」から始め、三回出す由。

五月二十日(日曜)

八時半に起き、浅草へ。十時の打込みから階下満員。いきなり「金色夜叉」だ、朝は声が出ないし、客は乗って来ない。次に「寄席」をやって、放送局の迎の自動車で山へ。一時二十分から菊田一夫作「笑ふ巴里」(旧作で玉木座で演ったことのあるもの)を放送、急稽古の歌だから、こいつ先づ自信なき上、セリフもいやなのが多くて、ちっとも嬉しくない放送であった(40)。すまして浅草へ帰る。昨日より大西といふ青年来る、之に腰をもませる。旬報のため「エノケンを評す」五枚書く。夜、三回目の「金色」やる。大した受け方で、あんまり受けるので気がさして熟演出来ない位。中野英治・三益・敏と共に銀座へ出る。

五月二十一日(月曜)

昨夜より敏泊り、十時起き、十一時に出て芝公園の吉川英治氏宅へ、敏のことたのみに行く。雨模様で入り中々よし。ひるの部済んで鳥鍋へ食事。夜の部万才、段々馴れて来ると大阪弁でなくなるのが困る。P・C・Lの滝村来り、用談。「健康時代」の婦人記者来り又七枚ばかり約束する。夜の部全く暑い、マント着て、「寒い〱」と言ふセリフなんだからあんまり汗もふけず弱る。

五月二十二日(火曜)

出がけに昨夜新宿でムーランの斎藤豊吉と約束したので伊藤松雄のところへ寄り、斎藤もゐて話しをする。座へ出る、火曜でこれだけ満員なら全く文句はあるまい。「金色」は要するに大当りだ。「寄席」も随分客を呼んでゐるらしい。小林勇来り昔の映画ばなしをする。それから、中西のソボロ丼を食ふ。夜の部の万才で三益、ボケて「外にゐるのにウチの人とはこれ如何」ばかり二度も言ふ。客大笑ひ悪落ちしてしまらず。

五月二十三日(水曜)

早く家を出ようとしてると会田来る、「結局何うする気だ」ときくと、明日からチャンとやりますと言ふ。では、さうしろと言ひ、鏑木と、京橋の明治製菓へ寄り、内田誠氏とタイアップの話をする。座へ出る。昨日一高の生徒来り、文句言ったさうだが、今日警視庁へ言ったらしく、一高の寮歌を歌ふことを禁じられた。帽子の白線も三本にし、金ボタンにする。「金色」大いに受ける。声しきり。ひる終って雑然と食ふ。夜の部、万才乗らざりし。ひるは、吉本の本職の万才が来てるんで緊張したが、夜の部わりに早く済み、九時四十分。

五月二十四日(木曜)

十二時半に座へ出る。ひるの部「金色」は出の一高の寮歌を急に改めて歌ふ。汗だく。ひる終って事務所で次狂言の配役をする。僕は、「愚弟賢兄」の貢二と、「水戸黄門」の助さんの二本。事務所でソーダ水と大阪屋のハヤシライスを食ひ、理髪しに行く。今日から会田が出て来た。やっぱりいゝ。夜、雨になる。入り薄し。上山雅輔「雷親爺」てふ脚本を持って来た。

五月二十五日(金曜)

午前中、金子ゆき子氏来訪、座へ案内する。入り薄し。「愚弟賢兄」の本が来た、何うも面白くないらしくてくさる。ひるの部終って入浴、加藤雄策来る、妓と共に。三益・清川・大辻を誘って、平埜へ牛肉を食ひに行く。夜の部汗演。熱海など大いに馬力。終って、加藤雄策と共に浅草へ。

五月二十六日(土曜)

座へ出ると、都の小ニュースに、渡辺篤P・C・Lへの話が出ちまったので川口等怒ってる、又滝村が早まっちまやがった。僕が断はる代りに渡辺は何うかと言ったのがもう出ちまっちゃ困る。森氏へ電話して文句言っとく。後で滝村が来て詫まって、何とか渡辺を貸して呉れと言ってた。ひるの部あんまりいゝ入りでなし。終って大阪屋のコールビーフとパン、来々軒のわんたん。本日楽屋で東と元うちにゐた少女優高子とが話してゐたところを、ヒス女(東ホヨ)若宮がやいて少女をなぐりつけた事件あり。苦々しきことなり。東によく一度話してやらう。

五月二十七日(日曜)

日曜なれば早目に出る。座へ来てみると、日曜の入りとしてはいゝ方でもないが、まあもう千秋楽近いんだから。ひる終って、オペラ館の丸山和歌子来り、森永で少時話す、「笑の王国」へ入りたいらしいが、うちでは歌手に三百円出せるか何うか疑問。山野又々トチる、おくれて帰って来たから、「バカヤロー、ふざけるのもいゝ加減にしろ!」とどなりつけてやる。友田来り、レヴィウ名鑑を作るにつき、僕の短い自伝を書けと言ふ、四枚書く。九時に体があいて川口と丸山和歌子のことを話し、東には若宮のことは身の破滅となること故、よく〱考へて、若宮をよさせるべきだと話す、東も此のことは僕にたのむと言ふ。「愚弟」の稽古あり、つまらぬので大くさり。

五月二十八日(月曜)

座へ出る前に、銀座教文館ビルへ寄り、R・K・Oのオフィスに、若宮美子の夫、樽原を訪れ、若宮は大分健康を害して、ヒステリーだから少し休ませろとすゝめたが、金が無いらしく、あまり休ませたくないらしい様子だった。ひるの部をやって、チャシュウワンタンを食ひ、ねころぶ。山野がオコワを食ったので又之をつきあひ、渡辺がクヅモチ食ったのを又つきあひ、満腹す。今日「健康時代」の先日の稿料、一枚一円呆れた、もう書く気なくなれり。夜の部の万才大いに受ける。「金色」熱演し、ハネ後、タイヨーのジンフィズを飲みつゝ、少々稽古を見る。

五月二十九日(火曜)

今日で千秋楽だ。ひるの「金色」は、客が妙に甘くて、すぐ拍手して弱った。大阪屋のポタアジュとトースト、ハッシュライスを食ひ、又大西・会田に揉ませる。「健康時代」の婦人記者来り、三十一日までには何うしても書いて呉れと言ふ。一円なので嫌なせいばかりでなく、何も書く気が出なくて困る。夜の部、「寄席」の、ラストへ出る大辻がショッパナへ出て、くだらんことを色々言ったので、一体に受けなくなっちまった。「金色」では、熱海で踊ってやったり、「宮さん〱」と言って「お馬の前にヒラ〱するのは何じゃいナ」と面白くやり、ハネ後、「水戸黄門」を立つ。まるでつまらないらしい。

五月三十日(水曜)

今日は暁の四時半にねたので、十二時起き。座へ出ると、丁度二の狂言の舞台稽古をやってゐる。三の「にんじん」の間、松屋へ行ってカン〱と、ネクタイを買ったりする。四の「愚弟賢兄」何うもにもハヤ困っちまった。アチャラカにして笑はすには余りリアルだし、まじめにやっちゃ笑はせようもなし、いやんなる。五の「水戸」が又とんでもないつまらぬもの。これじゃ今度は何うにもくさりだらう。然し、狂言は短いとみえ、今夜稽古のすんだのが九時。

五月三十一日(木曜)

本日初日、少しゆっくり目に座へ出る。初日といふに、殆んど何もセリフが入ってゐない、いゝ度胸になったものだ。四の「愚弟賢兄」はてんでつまらぬと定めてかゝったゞけに間違なくつまらない。五の「黄門」は、助さんの役はひどい役だし芝居もひどい。狂言が一体に短かいと見え四時すぎ一回終る。すんでセリフを又入れようとしたが面倒になり、森永へ行き、部屋でのびる。鋭五氏が鼻の手術とかして危険状態に陥ったとの報あり。初日だのにハネは九時四十分。珍しいことなり。「黄門」はやればやる程つまらなくなりさうだ。

昭和九年六月

六月一日(金曜)

出がけに鋭五を三楽病院に見舞ふ。座へ来て、川口に「水戸黄門」あまりに辛いから出場をカットして貰ひたいと言っとく。今日はひるから大した入りだ。エノケン悪く、新宿のグランルヴィウも悪いといふに、こんなつまらぬ狂言でワンサの入りとは分らない。ひるの一回終って、先づビックリの氷結アイスと、福仙の天ぷら五個とにぎりめし、そこへ又久ずし来り五六個行きおまけに五目ワンタン食ったのは一寸驚いた。夜の部、ひるより一寸客は減った感じ。でも先づ一杯の入りだ。

六月二日(土曜)

敏昨夜より泊り、一緒に座へ出る。一時半頃、四が開く。「愚弟」の方は、リアルを脱してかなり三枚目的な演出をし出したが此の方が受ける、顔も初日はきれいにしたが段々三枚目にして演ってゐる。「黄門」昨夜より七景の出場をカットして貰って少し楽になったが何うにもつまらない。ひる終って、市政講堂のオザ。麻布小学校の映画と音楽の夕のトップ十五分やる。帰って夜の部、狂言短くて、ハネが九時二十分だ。

六月三日(日曜)

出がけに母上と三楽病院へ鋭五氏を見舞ひ、物日故早く座へ出る。今日は二回と三までだと思ひ、早く体があくと喜んでゐたところ、三回目は序カットで四まで出すてんでガッカリ。尤もこれでトリまでつかまらないと気が済まないってとこもあるんだから妙だ。第一回からえらい満員。一回すんで、食ひ物で悩む、結局、中華丼に野菜スープ、久ずしのすし三四個食ふ。二回すんで、ねころぶ。夜の部三回目をやる。「愚弟」ワッワと受ける。意外である。うちの客は此ういふものが大分好きらしい。友田・上山・池田一夫とみやこで十一時半までのみ、いろ〱芸談す。

六月四日(月曜)

早く出て「笑の王国」女優軍の歌をきゝに行く。神田・花井等何うもお寒きもの。表へ寄ってみると、鈴木ケイ助ってのが此の次から入ると言ふ、相談無しに入れちまふとはひどい、サトウロクローは、古川・大辻並の金を呉れなきゃーと申出て来たから断はると言ってた。一回終ってから、食物に苦労するのも嫌なので、アラスカまで行く。入口で六代目とその一党、「よお」と肩たゝかれた。ヴィルピカタとグリンピース、コンビネーション・サラダ食って出る。楽屋でねころんでゐないで歩いた方がいゝとつく〲思った。旅をして海を見るのがいゝやうに、円タクで街を見るだけでもいゝ。ハネ九時二十分、それから例会。

六月五日(火曜)

本日東郷さんの葬儀で市内大劇場は皆休みであるが、浅草はアクどい。午前は休み、二時開演、それも一・二をカットして三から始まるんだから、ナニちっともいつもと変りはない。午前中鋭五を見舞に寄る。もう大丈夫らしい。二時半に座へ出る。一杯だ、やっぱり此ういふ日は浅草の書入れになるんだ、休まないのも無理はない。「愚弟」大いに受ける。「黄門」くさる。ウテナの伊藤って人と逢ふ、八月に若し此っちを休むならぜひ来てくれと言ふ話だ。森永でオムレツ、中西でビフカツと飯。金なくていやな気持なり。表へ又借りたしと言っとく。夜すんで森永でアイスクリームのむ。

六月六日(水曜)

少し早く出たので公園をブラつく。新国劇新人座ってのゝ看板が大したグロ、その上、文字に曰く「演劇の狂」と来た、何のことか分らず。ひる終って、食物のこと考へたら、何うにも救はれない気持になって来た、一っそ又アラスカへ行っちまへと、円タク。ポタアジュと、ティンボール・アラスカ、コムビネーションサラダと、マロン・シャンティリーのアイスクリーム、それからアイスティーを飲み、程よき満腹で帰る。夜の部が済むとすぐ、鏑木と二人、川崎へ向ふ。十一時に、川崎市の市場みたいな広場の何千人て人の前で、大くさりで屋台でやらされた(30)。川崎から新橋。ジャネットバーで島津保次郎と逢ひ気焔をあげる。

六月七日(木曜)

午前九時起き、昨夜のんでるからとても辛し、急いで家を出て、東横沿線の白楽ってとこの、石井別荘、松花会といふ跡見の卒業生の集りへ行く(40)。それから新橋まで来て、今度は十二時半、高島屋ホールのクラブ歯磨の会で又やる(30)。母上と高島屋で落ち合って、座へ。ひる終って、母上、来合せた如月敏とスコットへ。友田純一郎も呼んで、ポタージュとポークチャップ。スコットはまづい。やっぱりアラスカだ。三すしで鯛を五六つ、七八つ。コロンバンでアイスクリーム。大分の満腹。山野一郎今日休み。夜の部、相変らずダレて、九時四十分ハネ。

六月八日(金曜)

浅草へ早く来て、理髪した。ツナシマ。五十銭で、すっかりやって、爪磨きがつくとは安い。座へ来て、皆で相談しつゝ配役する。僕は四の「チョコレート娘」と五の「夏の日の恋」の二本。座員が多いと、相当の奴がひどい役ばかりになったりする。夜の部、加藤雄策来り「愚弟」を見て、あんな脚本やってちゃダメだと言ふ。「愚弟」が評判がいゝので、ひょっとしたらいゝのかと思ひかけてたが、これでやっぱりダメはダメと分る。ハネ後、山野共々加藤と銀座へ出る、街上、徳山璉・秦豊吉・大橋武雄等に逢ふ。

六月九日(土曜)

十一時半までねる。ひるの部済んでから、又もやアラスカへ行く。ポタアジュとティンボール・モナコってのを食ふ。マロンシャンティリーのアイスクリーム、此処は菓子物はダメだ。それから東京会館へ清元梅吉からたのまれた、五代與兵衛の会てのへ余興で行く。大谷・城戸なんてとこや時蔵がきいてゐるので一寸参った、一体にちっとも笑はない。座へ帰ってみると、吉川英治来訪の跡あり。旬報でレーニンが愚弟の演じ方があまり白痴すぎると、評してゐる。中々うまき評なり。

六月十日(日曜)

日曜だから早い。今夜は八時前に終るから、東劇へ六代目を見に行くことにし、渡辺と二人で円タクで東劇へかけつける。菊五郎の日本俳優学校生徒第一回公演で、六代目は「鏡獅子」と長谷川伸の「暗闇の丑松」だけに出てゐる。丁度「鏡獅子」が終って、「丑松」があいたところ。脚本を読んでみないと六代目の演出について詳しいことは分らぬが、兎に角、写実以上の写実演出、やっぱり唸らせる。にくい。こんな芝居を見るのは、参考になるより、やっぱりたのしみだ。

六月十一日(月曜)

早く出て、大勝館へ「にんじん」を見に行く。評判だけあって中々いゝ。「誰も可愛がっちゃ呉れない!」と言ってにんじんが馬に鞭つところは、思はずワイ〱涙が出た、みっともないほど嗚咽といふ感じに泣けた。おしまひ少し残して時間なので出た。子供には見せちゃいけないが、親は一度見ていゝ写真だ。ひる終って、大阪屋のコールビーフとオムレツで食事し、又アンマをとってごろ〲。夜の部まことにダレたり。夜は、歌のけいこで残ったが、コーラスだけで結局意味なかりし。

六月十二日(火曜)

まるで今日は入りが悪い。つく〲ダレてることを感じる。つまり常打ちとなった落着きが、ダレとなって現はれるのだ。それに表が浮うは々してゐて、松竹館の方へ駈ママ持させてみたり、新宿をあけたりするから自然とダレたものが出来て来るのだ。何とかしなくちゃーと思ふ。ひる済んで、大阪屋のランチとポタアジュ。夜もまことにダレたり。稽古は、「夏の日の恋」で、結局菊田は原作に負けて、そのまんまの個所が多いだけに、僕の役は、大まじめで行くよりない。前入歯がグラ〲して、つひにとれた。明日寺木行きだ。

六月十三日(水曜)

早く出て寺木ドクトルへ。入歯の具合を見て貰ふ、もう一とつ造って呉れる由、此のまゝ一寸持たせとかうと、ゴムでハめて呉れた。座へ出る。どうもダレてる感じ。一つに表のやり方である、川口・東ってものゝ誠意なき点、仕事に熱のないことで、この興行師を信頼することは実にいやになって来た。ひるの部、渡辺、セリフを突如ボケて忘れた。ひる終って趣きを変へて、須田町食堂のオムレツと飯、大森のお千代のおみやげのシュクリーム食ってたら又前歯ガクンと、とれた。グラ〲のまゝさし込んでおく。夜の「水戸」横尾が休む。ハネ後、コーラスの稽古で二時半近くになった。

六月十四日(木曜)

歯科寺木へ寄る。次の新しい入歯の型をとり、今のはそのまゝセメンでつけて貰ふ。座へ出ると、新人ナヤマシ会に僕・渡辺その他王国のメムバーズラリと並んだ広告が今朝出たので川口がヒスを起してゐる、それよりも松竹館の今度のヴァライティーは「熊と人との争闘」山野一郎司会と来ちゃ腹の立つのは通り越してアイソがつきた。ます〱川口に対する信頼を失ふ。稽古は五の「夏の日」から始める、此の方は大丈夫ハコに嵌れば受けるものになる。「チョコレート娘」の方は、僕作といふことになってるが、何ともハヤストーリーがなってないし、歌の稽古は雑だし、いゝものになりさうもない。稽古済みが十二時。歌を残って、一時すぎ。本日金が出た。明治から脚本料も。

六月十五日(金曜)

十一時まで寝て、すぐ「夏の日」のセリフをおぼへながら、座へ出た。まるで入りが淋しい、初日って景気じゃない。此んなとこで分らぬ興行師に使はれてちゃいけないとつく〲思ふ。今度は皆狂言が長い、「チョコレート」の方は僕歌が入ってないので弱った。「夏の日」は何うかと思ったが好評、自づと梅島になるらしく皆言ってる。やっぱり内容のあるものがいゝ。一回の終りが五時すぎ、今日は五をカットする由。「チョコレート」でトリ、九時四十分にハネた。実にパッとしない。「夏の日」でトリたかった。島津保次郎と逢ふべく、出井へ行く。

六月十六日(土曜)

昨夜ビールとウイ、チャンポンなので起き辛し。十二時半に公会堂へ入る。大妻女学校の会、奥田良三のあとへ出る。座へ出て「チョコレート」は今回のクサリ狂言とつく〲思ふ。「夏の日」はリアルだからよい。ひる終ってすぐ早稲田大隈講堂早大商学部大会へ。三益愛子と二人で万才、早大学生のオーケストラで「お嫁をもらへば」「モンパゝ」と模写のストトンをやり、中学時代にカツめし食った浩養軒でカツめし食って座へ帰る。夜の部の「夏の日」大受け。

六月十七日(日曜)

日曜だから早い。座へ出ると、もう満員だ。どうも「チョコレート」の方はくさりだ。「夏の日」何ういふものか、てんで下手くなっちまったやうな気がした。セリフが入ってないとこへプロンプタがきこへないので、間が狂っちまったのだ。くさった。一回終って、次狂言の相談したが、五に据へるべきいゝ案がない。菊田・友田と共に、松喜へ行き、食事。どうも考へが浮ばない。一つには、表にアイソつかしたゝめもあるが。夜の部終ったのが九時、今日は二ドリである。神田神保町の夜店を、上山雅輔と共に歩き、「江戸小咄研究」と「楽屋風呂」を求めた。

六月十八日(月曜)

暑くなった。楽屋を常盤座の方へ移すと言ってながら、一体何時になったら実現することか。ひるの部「チョコ」はくさり、「夏の日」の方もプロンプタがうまく行かず、いかず。一回終って次の演物の相談。結局五は「祇園囃子」といふ題で菊田が書くことゝなる。七月二の替り即ち盆興行は僕久しぶりでヴァライエティを書く約束をした。

それから森永でビフステキで食事。会田又休む、島津に此の間もたのんだし、チャンと色々考へてやってるのに、ちと困る奴だ。

六月十九日(火曜)

今日も思ったより入ってゐる。ひるの部「夏の日」で、松井がトチった、女中役が出ないので大さわぎ。丁度松井美恵子の母親が見物してゝ先生にすまないからと、ビワ一折届けて来た。一回終って、新京で食事し、日本青年館へ、松竹座の大井にたのまれた、慶応の会へ行き、十五分やる(20)。座へ帰ると、渡辺篤、此の部屋あんまり暑いから大辻が今回ゐない間だけでもと、三階へ化粧前を移した。部屋は山野と二人きり、これなら多少暑くても我まん出来る。夜の「夏の日」は稍々うまく行った。ハネ後、友田と銀座へ出る。

六月二十日(水曜)

今日雨、座へ出ると又、舞台傍に雨もりで、ビショ〲。此ういふことも劇団の盛な時には悲惨にも見えないが、逆境に在る時は全くめ入る。ひる、「チョコ」はくさり、「夏の日」は大分うまく行くやうになって来た、セリフが入ったせいもあるが。ひる終ってP・C・Lの東京事務所へ森さんを訪れ、約一時間話す、川口に明日か明後日逢って色々話して上げるとのこと、つまり芸術的座長を徹底させることゝ、給金値上の件だ。森さんは間違ひのない人だ。雨となった。不二アイスで食事して座へ帰る。大雨。ひるは満員、夜もよし。ハネて銀座へ。

六月二十一日(木曜)

昨夜から殆んど夜明ししたから眠い。一時、座へ出ると渡辺が休みとあり、あはてゝ代役を立てる。「チョコレート」は堀井がやる、もと〱メチャ劇のとこへ又わけの分らぬことになり、とても気持悪し。「夏の日」の方は、斉藤紫香が演ったが、ピッチがまるで上らぬ男なので何うにもならない。ひる終って表へ行き、連名の書き代へをやる。女優の方は三益を書き出しにして、神田を二枚目に据へる。夜の部も代役なので全く気が入らず。大汗。浴して天野喜久代のバーキクヨへ寄る。歌手を一人世話して呉れるやうたのむ、ラヂオで二人掛合をやる相談などし、すしやへ寄って帰る。人形町の都ずしのうまかったこと。鯛よし殊に海老よし。

六月二十二日(金曜)

十一時起き、すぐ浅草へ。楽屋へ入ると、暑い〱。ソーダ水二三杯のむ。渡辺篤ひるは休みの由、くさる。「チョコ」「夏の日」共に気が入らぬ。全く此ういふ時に代役は、相手へ廻ったものは迷惑だ。ひる終って入浴し、部屋にねころんで揉ませたり、上の部屋へ行って遊んだりする。大阪屋のランチですませ、ミルクセーキを飲む。夜の部渡辺篤出て来た、出て来ても「チョコ」の方は何うもしょがなし、「夏の日」やっぱり渡辺なら大いに受ける。今日は九時半頃済んだ。

六月二十三日(土曜)

今暁五時にねた、十一時起き。座へ出る。暑くてたまらん。今日も入ってゐる、随分今度のは当った。浅草まつりといふ催しが東日主催で行はれつゝある、そのためか女子供多く、ギャー〲泣いたりして困る。一回終って表へ行き、次の配役。僕は四の「かっぽれ」と五の「祇園囃子」とに出る。今度は狂言全部つまらないやうな気がするが如何かしら。夜の「夏の日」又々大受けである。

六月二十四日(日曜)

明治生命館の地下マーブルで昼、一円の定食とスパゲティを食ふ。十二時すぎ座へ出る。日曜で中々よく入ってゐる。「チョコ」此ういふ日は尚更くさりだ。「夏の日」はよし。一回終って、入浴し、東京会館へ、久世・山尾両家婚礼の余興で行く(40)。アラスカへ寄り、たっぷり食って座へ帰る。夜の部がすんだのが八時。明治座へ第五の「虞美人草」だけ見られると、かけつける。梅島が出てないので全然くさった。水谷の二役が気がよさゝうなだけ。村田正雄に至っては渡辺篤の役どこを下手にやってるだけのもの。しまひ迄見る気になれず出る。

六月二十五日(月曜)

寺木から、いゝ歯が出来たからと頻りにハガキなので、行くと新しいのが入った。前のより少し長くて笑へばチラホラ見える程、具合よさゝうなので嬉しがって座へ出て、芝居してると、何うも少しグラつくし、口をスボめるとガクリとなる、物を食ってみると、うまく行かぬし、沢庵なんざあ噛めない。弱ったな。明後日奥歯が入る筈、前歯もしっかりつけて貰はう。一回終ってすぐ次回の宣伝文を書いた。六時から大隈講堂の何とも知れぬ会へ、東からのたのみで行く(10)。一席やり、すぐ座へ帰る。

六月二十六日(火曜)

どうも歯がグラつくので出がけに寺木へ寄り、ゴムでしっかりつけて貰ふ。座へ出ると、東が「今度の連名が気に入らない、あんな看板なら止めさして下さいと、神田が川口に申し出た」と言ふ。女子と小人は養ひがたしで全く女優なんてものは、バカで、無知で困る。神田が、今度の看板でもめて、而もそれを僕に言はずに、川口へ直接言ったといふことは許せぬことだ、バカめ、もう可愛がってやらない。青木休みで大庭が「夏の日」の松本の役をやる、一人代っても全くやりにくゝなる。夜すんでから「かっぽれ」の稽古があったが、スカして川口と二人で、浅草裏へ行き、いろ〱懇談する。森氏の言ふ通り中々川口って奴かなはぬところがある。

六月二十七日(水曜)

ゆっくり家を出て寺木へ寄り、座へ出る。暑いの何のって、大したものだ。神田が鏑木迄「あたし昨日母に話しましたらやめろと言ふのでやめますわ」と申し出た由、ます〱腹が立った。母って奴はいかんから父の方を呼ぶことにする。ひる終って、部屋は死にさうに暑いので廊下に蒲団しいてアイスクリームをのみ猥談する。六時から本所業平座へ中村直彦のたのみで、出る(ロハ)。夜の部が済むと、「かっぽれ」の稽古。汗びっしょり、少し習ったが馬鹿々々しくて、やめて、見物。

六月二十八日(木曜)

寺木へ寄る、前歯をすっかりセメントで完成させ、右の奥へ入歯した、明日完成する。座へ出る。今日も暑い〱。ひるの部が済むと、上森健一郎来る、金を三十円程貸せと言ふのだ。先日は没落の玉村が五十円貸せと言ふので、昔のこともあるから貸した。今度又没落人上森だ、一寸泣けちゃう。ねころんでアイスクリームをのみ、大阪ずしを食ふ。夜の部汗大変だ。神田はその後口をきかず、生意気なバカである。ハネ後、「祇園祭」の立稽古。どうも面白くないらしい。明日の稽古は、五から逆にやることにした。

六月二十九日(金曜)

今日の舞台稽古は五から逆にやるので、十一時に楽屋入りしたが、菊田が来ない、やがて、家庭争議で眼鏡をこはしちゃったと、渋い目をして来た。「祇園」全くひどいものなり。「かっぽれ」を簡単にやって、もう終った。三時、入浴して、さて心地よし、之で帰れるのだ。帝国館へ入り、島津保次郎のトーキー「隣の八重ちゃん」を見る。中々いゝ。ストーリーらしきストーリーもなく、うまく纏めてゐる。トーキーの境地に入ってゐる。それから生駒と二人で、銀座へ出て、寺木へ寄り歯を完成させ、マーブルで夕食して、東日主催の浅草まつりの祝ひがあり、それへ出て一席やり、又銀座へ出る。

六月三十日(土曜)

初日、けどまるでセリフも入ってないし歌も覚えてゐない、大して之でも心配もせずに家を出る。「かっぽれ」が開く。何の演出もないんだから、仕方がないが、何ともくさった。「祇園囃子」がひどい、本もひどいし、こっちが投げてゐるし、何ともハヤくさりくさって一回終る。大ぐさりだ、こんな狂言ばかりやってた日にゃしょうがない。暑くて〱部屋にはゐられないし、裸で廊下でアイスクリームをのむ。大阪屋のカレーライス。林達子とその友二人が訪れて来たが、今日は見ちゃいけない〱と言って帰す。

食ひ物が、暑くなるとまづい。やたらワニ〱食ふと、あと満腹してからの不快はたまらない。少量でうまいもの――となると、浅草にはてんで無い。食ったあと、後悔のないのは、やっぱりアラスカ位のものだ。新しい野菜のイキのいゝ奴と、トロッとしてうまい肉で軽く腹をこしらへて、自動車に揺られて帰る気持は素敵だ。やっぱり人間うまいもの食ってなきゃいけないとつく〲思ふ。白飯てものは、それにしても夏はよした方がよさゝうだ。

昭和九年七月

七月一日(日曜)

今日は日曜だから早目に出る。座内の暑さは殺人的だ、じっとしてるのが一ばん辛い。狂言「かっぽれ」は、クサリくさった揚句、司会者役を買って出て、芸は何もしない。「祇園」に至っては何とも拙劣な脚本で、僕の役など性根がまるで書けてゐない。何てハンマで、下手な役者だ! と思はれるようで出てるのが辛い。一回終って、外へ出る元気もなく、食事は大阪屋のクリームドチキンとカレーライス。二回目終ったのが八時。さて早く終るのも困ったものだ。生駒、津田秀水と共に、神楽坂演芸場へ行く。小勝・小南・小さん・三亀松等にて中々よかりし。

七月二日(月曜)

先日来、山野が策動して、松竹座の岩田の旗下に一旗あげようとしてゐることを探知してゐたが、昨夜新宿で夢声に逢ひ、夢声・翠声へも勧誘ありしこときいて、座へ来るとすぐ川口・東に此の事を発表、山野への処分については後に話さうと言っとく。ひる、割に客よし。ひる終ってすぐ、新宿のほてい屋デパートへ。三福でビフテキとすしを御馳走になり、屋上で浴衣の写真をとり、マイクを通して店内に一言やり、帰る。夜の部、凡そ熱し。神田千鶴子、全然無言、生意気なり。早くオヤヂを呼べと言ふ。

七月三日(火曜)

暑い。床の中から汗ビッショリなんだからもう真夏の気持。「かっぽれ」と「祇園」共にくさりの極、いやな芝居は、やればやる程いやになるものなり。ひる終って入浴、生きた心地じゃない。松竹館へ入って、「浪子の一生」の後半を見る。英百合子が、いゝ母性を描き出してゐる。が、ワリキレない芸でいけない。うちの二の「エロチック艦隊」ってのを見たらこいつは又ひどいものだった、こんな愚劇ばっかり見せられてゝよく客は怒らぬものだ。夜も全く汗。

七月四日(水曜)

「かっぽれ」も嫌だし「祇園」は更に殺人的に嫌だ。全く今週の辛さはない。ひる終って入浴、表へ行ってお盆狂言の相談、蒲田から与太者組の、阿部正三郎・磯野秋雄と小桜葉子が来ることになり、「次郎長日記大政小政」が僕の次郎長で出る。山野の話は、もう明日あたり首を申し渡すのだと言ってゐる。上海亭で一人でやきそばなど食ひ、座へ帰る。

七月五日(木曜)

今日山野に、東から申し渡したさうだ。「他に運動してるさうだが、此の際身をひいて貰ひたい」と言ったら、しようがないって顔してた由。僕としても、同し部屋にヌケ〱とねころんでばかりゐて、時には僕を、「ねえロッパおい」と呼ぶやうな馬鹿は、結局ゐない方が助かるってもの。ひるは、まだ〲客がゐたが、夜は一寸珍しい位悪かった、てんでゐないって感じだ。エノケンとこも下が六分だってえからひどからう。「かっぽれ」の大辻の漫談てものます〱バカ〲しく、ます〱狂ひじみて来た。気味が悪い位だ。

八月は休まず、松竹座へ進出のことが定りさうだ。

七月六日(金曜)

暑い。全く殺人的だ。座へ出ると川口と話す、山野一面可哀さうではあるが、己れを知らぬ奴は結局此ういふ目に遭ふのが当然であらう。ひるの部終ると、日日の記者来り、声帯模写につき色々話させ、写真を撮って帰る。表で配役する。蒲田のヨタ者の来演に応援して「海と与太者」に出づっぱりの、「大政小政」に次郎長で出づっぱりと来た、いやはや。上山雅輔が宣伝部として入ることになった。夜の部、相も変らずクサリクサって演ず。全く辛し。

七月七日(土曜)

暑い。マーブルへ寄り、座へ出る。東が一寸と言ふ、実は神田が川口支配人に口説かれて弱ってる由、でも僕に怒られてるので言つける人もなく途方にくれてるとのこと、馬鹿女め、とう〱音をあげた。本人を呼び「此の間からしてることのバカさを覚ってあやまりなさい、その上でお父さんを一辺ママ呼んで来い」と言っとく。川口にも困ったものだ。ハネ後、「雷親爺」上山雅輔作の稽古、僕演出。台本読んだ時はいゝやうに思ったが、さて立ってみると、まだ〲いけない。森永へ行き、菊田・貴島と色々話す、川口の毒手(?)問題、今後配役はます〱公平無私、芸術本位で行かうと話す。

七月八日(日曜)

日曜だから早い。ひる終って、又マーブルへでも行きたかったが部屋にゐて、チキングリルと来々軒の焼そば。東日の夕刊「声帯模写の秘伝」と題し、写真入りで大きく出てゐる。ついでに買はした都の夕刊に、エログロの緑波といふんで、浅草の名も知らぬ芸者とのことが出てゐ、神田千鶴子のことも出て、緑波のあと近頃は川口といふ男が云々――と、神田の口から出たらしいゴシップなど、一寸不愉快だが、書いたのが伊藤司旭と署名してるからいゝ。二回終ったのが八時、東宝へ菊田・堀井を誘って「トウランドット姫」を見る、感心せず。入りも少し。演舞場へ島田正吾を訪れる、此の方は入ってゐる。

七月九日(月曜)

九時起きで、内幸町大阪ビル、メトロ試写室へ、「虹の都へ」Going Hollywood を見に行く、西洋の声帯模写があるとの話だったが、ちょぼッとだけ、メリオン・デヴィス、ビング・クロスビーで、愚にもつかぬ愚劇なりし。二戸・大黒・上山とでマーブルへ行き、食事して座へ。大辻が八・九と出て、十月頃洋行したいと言ふ。新京へ神田の父親が来てるので、神田も傍に置いて、よく言ひきかせる、父もよろしくたのむと言ふので、今後も預ってやることゝする。たゞ困ったのは川口の求愛(といふよりもっと露骨なもの)物凄く、あんまりつけ廻されるので恐がり、休ませたい位だと言ふ、放ってもおけないので夜は大西にでも送らしてやることにする。

七月十日(火曜)

九時に起きて、ムサシノ館へ「プレジャンのトト」“Toto”の試写へ行く。これは久しぶりにいゝもので、前半殊によく、後半もフランス気分ではないが見られる。肥後博に逢ひ、又マーブルへ寄る、平岡権八郎が「毎日何うも―」と喜んでゐる。座へ出る。神田は、来替りから休ませよう、それより他に手は無い。ひるの部終って、川口を神田と結びつけようとした清川を呼んで、一言注意を与へた。夜の部済んでから、「大政小政」を立つ。神田へは父へ手紙を持たして帰し、明日から休めと言ってやる。「大政」の歌のけいこもありて二時近くなる。

七月十一日(水曜)

午前十時起き、上山雅輔来る。一緒に出て、神保町の古本町を漁る、シェクスピアの「じゃ〲馬馴らし」を買った。古くからあるチャップハウスで一寸食って座へ出る。生駒・大辻その他も、僕の預ってる子と知って口説いたりする川口は、結局われらをナめてゐるんだから此の際一つ強くやってくれといふ意見だ。ひる済んだところへ放送局の飛島が来た。二十日放送、漫談をとの注文。放送局の自動車で又マーブル迄送って貰ひ、スパゲティを食ふ。やっぱりうまい。今夜は「大政小政」の歌をやる。安来節が入ったりして大衆受けのするやうには出来てゐるから先づ大丈夫と思ふ。川口の顔見てるとシャクにさはる。十二時半終る。

七月十二日(木曜)

雨、馬鹿に涼しい、十二時朝日新聞へ集合で、与太者二人と小桜葉子を連れ、生駒・大辻・渡辺に東と、各新聞を廻る。マーブルへ寄り食事して座へ出ると、千秋楽といふのに満員。エノケンの方は初日で大したことないらしく、可笑しなもの。ひる終って、森永でランチを食ったが、不味くて食へない。アラスカ・マーブルなんどを愛用し出したので、不味くて困る。夜の部終って、ホッとする、こんなムザン芝居を休みもせずよくも演ったよ。神田昨日より休み、次狂言も休むと申出たら川口は、あはてたと見え、菊田に明朝神田の家へ寄ってくれとたのみし由。

七月十三日(金曜)

今日から常盤座の二階楽屋へ移った。部屋は、僕・渡辺・生駒・大辻の四人。此の部屋は風通しよくてよろし。稽古は十二時に始まる。「雷親爺」を演出する、上山の作、どうも面白くない。神田の代りに、先日川口のヒスの犠牲となってクビになった柏を迎へにやった、之で計画の第一は成功、次に神田の復帰については大いに条件を出してやるつもりだ。夕刻頃から「海と与太者」の稽古、何うもこりゃつまらぬ、僕の役たゞ〲モタれる。「大政」の方は大丈夫受けるものだ。十一時にすっかり済んだが、残って歌だけやる。ジンをのんで浮れ〱てやる。十二時半頃終る。

七月十四日(土曜)

今日初日。涼しい日が続く、今日も割によく入ってゐる。序幕が済んだところへ座へ着き、それからセリフを覚えにかゝる。三は「海と与太者」だ。二枚目のもたれで、栄えぬが、与太者三人のおつきあい、まあ楽にやってのける。四、「清水次郎長大政小政」あんまり長くてしょがないのでカット二景ばかりして貰った。大阪屋のランチ、コーヒー、コゝア等飲む。「次郎長」はカットになったので、まあよくなった。まだ〲歌が長すぎるので、残ってカットする。

七月十五日(日曜)

九時起き、お盆だ、早出。座へ来るともう満員。昨夜来咽喉がいけない。「与太者」は大したこともなかったが、「次郎長」に至っては、声の出ない嘆きをかなり感じた。一回終って、エンボツで吸入したがもう手おくれ。「次郎長」の歌、全くひどくなってしまった。客は大満員、「おい三階落ちるよ」ってさわぎ。今日は「与太者」でトリ。飛島来り、漫談の題は「一人トーキー」とする。大分のどが悪いが、一寸一杯といふつもりで、みや古へ上山と菊田を連れて行き、サトウ・鈴木も来て、一同一緒になり大分飲む。

七月十六日(月曜)

昨夜ですっかり調子がとまっちまって、「与太者」でも口を動かしてるだけで結局まるで声が無い状態。「次郎長」は歌を人にふりかへたり、コーラスに廻したりして兎に角出ることは出たが之亦無声版だ。「きこへねえぞ」と客がどなる、きこえねへ筈、何も言ってないんだから。これじゃしようがない、代役を東と相談して立てる、与太者は、生駒、次郎長を中根に。表へ寄って川口と、八月松竹座の出しものにつき相談した。又、田丸などにつまらぬ脚本を書かしてるらしい。マーブルへ寄りラヂオの原稿書いてねちまふ。と、十二時すぎ、山野一郎来訪。

七月十七日(火曜)

アダリン六錠がきいて午後二時までねちまった。まだまるで声の無い状態だ。床をとったまゝ、ラヂオの「一人トーキー」の原稿書く。東が鏑木と一緒に見舞に来た。病気じゃないから元気だ、いろ〱愚談する。昨夜山野が来て、「半月分給金を貰ってない」と言ひ出した話などして東帰り、一人で夕食して、蚊帳の中で松竹座八月用の「海・山・東京」の案を立てる。アダリン四錠のんでねる。

七月十八日(水曜)

十時起き、たっぷり寝不足を取返した。が、まだ調子はいけない、耳の辺までボーッとしてゝ、気持が悪い。夜は出ることにして、ひるは休む。母上とマーブルへ行き食事してから座へ。出てみると、渡辺篤も調子やって休んじまったさうで、「次郎長」は、ムザンな状態になってゐる。部屋へ来てみると、机の此の日記の入ってる抽斗が鍵をこはされてゐる、泥棒が金目のものが入ってないので呆れたらしい形跡。「次郎長」を終って公会堂へかけつけ、声の出ないことを断って、渡辺・横尾と一緒に手品めいたものをやる(30)。それから与太者三人をかもめで馳走し、神田を送って家迄行き、父母と話して帰る。

七月十九日(木曜)

今日一日だけ「海と与太者」の松山先生を生駒に代って貰ふことゝした。「次郎長」やったが、何うも声が本当でない。ひる終って事務所へ川口を訪れ、芸術方面の一切を僕に任せてほしいといふと、頭から、そりゃ御損ですよ、お止めなさいと取り合はない。それから神田のことに話が行った、こっちは恥をかゝせないやうに、女をノボせさせたが、それは川口氏にも罪があるだらうと云ふ言ひ方をして、許してやったものか何うかと話したら、敵は何ともハヤ呆れ返った白っぱくれ方で、神田がそんなにノボせてるなら他にいくらも女優はあること故、あっさり断ったらいゝでせうと来た。よろしい、その量見なら! とこっちの腹も定ったから、八月松竹座の時からこっちへ出さないことゝした。七時すぎ終ると、公会堂のほてい屋の会へ行く(30)。それから放送局へ、明日のテスト。福田宗吉の擬音実によく、頗るよきものとなる自信もついた。森岩雄氏へ電話し、神田のことをたのむべく二十一日朝、逢ふ約束をした。

七月二十日(金曜)

昨夜来川口の態度に不満を感ずること極端となり、到底之以上長いつきあひは出来ない、とつく〲思ふ。今日はラヂオの日。大辻今日より旅へ出ちまって休み、ひどい奴だ。「次郎長」の大政は林寛が代る。「次郎長」を中根にたのんで置いて、放送局へはちと早いからマーブルへ行き、夕食。小勝が僕の前、之が大分のびちまって此っちの時間へ食ひ込む。昨夜のテストで時間とったのも意味なし、しまひの方はあはてゝ歌も一つカットしちまった。「一人トーキー」の此の試みは多分成功と思ふ。

七月二十一日(土曜)

昨夜は早く帰り、八月松竹座用の脚本、レヴィウ「海・山・東京」を三時までかゝって書き上げた。アダリン三錠のんでねた。新宿駅楼上で森岩雄氏と逢ふ約束なので八時起き、その辛さったら。九時、森氏と逢ふ。神田を八月からP・C・Lへたのむ、よろしいと引受けて呉れた。川口のことも色々話した、結局森氏の言によってよく考へてから戦ふことゝする。座へ来ると、今日から「次郎長」が先になる。「バルコン」の婦人記者、「婦人子供報知」の記者等、談話をとりに来る。本日になって、八月松竹座の興行には、蒲田から城多二郎・井上雪子・竜田静枝他もっとくだらないとこが沢山加入するときゝ、大くさり。

七月二十二日(日曜)

昨夜大分飲んだので気にしたが調子大して悪くもなし。渡辺も調子を押して出てゐる。大阪屋は生意気故常盤のカツレツ・オムレツとめし。花井淳子、過労から倒れた、あんまり人類を酷使するから、みんな参るのだ。今日は又、次月此の金龍館へかゝる五九郎劇の脚本に、われらが頻りに推薦した「笑の王国」向きの脚本、山下の「恋と十手と巾着切」をやらせるとのことをきいた。不満、毎日積るばかり。銀座へ、珍しくルパンへ寄る。

七月二十三日(月曜)

今日から十一時半開き、一時に入る。花井淳子休み、三益が代る。磯野秋雄が撮影で、代りに小藤田正一が来た。之は磯野の方がいゝ。菊田の書く「弥次喜多」は、まだアゲ本しないとかで、警視庁で大変怒ってるさうだ、八月一日にはとても許可出来ぬと言ってる由、こりゃ面白くなった、ひょっとすると休みになる。夜の部になって時間をのばして呉れってさわぎ。九時四十五分ハネ。松竹座へ寄り、装置の村上と、「海・山・東京」の絵のこと打ち合せる。貴島と新宿へ行く。

七月二十四日(火曜)

午前中、伊藤松雄訪問、先日のラヂオを馬鹿に賞め、十二時十五分までゐて、座へ。松竹座が松竹キネマの直営となり、川口が乗り出すなどゝいふデマだか何だか飛んでゐる。兎に角五九郎の方へばかり一生けんめいになってゐるらしい。ひるの部、今日から花井も治って出た。汗だく〲。又インキンで困る。夜の部終ってから松竹座へ。エノケンの「国定忠次」のフィナーレ大格闘てとこを見る、本水使用てんで舞台は大豪華、うらやましいやうなものだったが、芝居は何うも見当違ひだ。渡辺篤の弟子みたいにしてる三井銀子の父が来て渡辺と話してゐる、きいてみると、その子を芸妓に売ると言ってる由、渡辺のとこへは本人が「助けてくれ」と言ふ。どうも悲劇だ。

七月二十五日(水曜)

ひるの部終って事務所で配役。何しろ次の狂言は、役が少い上に、蒲田軍の来演てことになったので何うにも役が足りない、蒲田軍てものが既に忘れられた人々ばっかり、スターが竜田静枝のヅー〲と来てるから何うにもハヤ。で結局、僕の「海・山・東京」には井上雪子だけを使ふことゝした。「弥次喜多」は渡辺と二人で行くつもりだったのに、大辻とやることになった、之には全くクサった。その他自分のヴァラエティーで声色屋ともう一つ気のいゝのをやる。夜の部終って牛込をブラつき、田原屋へ。

七月二十六日(木曜)

「次郎長」は中日位から伊井張りでやってるんだが、小道具の春ちゃんてのが「向島でやってますね」と言ったきり、あんまり近頃の客には分らぬらしい、「歯が抜けてるやうだ」と言った奴があるのは困った。ひる終ると川口が今夜皆でのみませうと言ふ、一寸気味が悪い。部屋で、大阪屋のランチとハムエグス。夜の部終ってすぐ、川口に連れられて公園裏昇鯉へ行く。渡辺・生駒と東が一緒。松竹座へハリ切って行きたいために一杯のんで戴きたいと言ふんだが、渡辺が役のことを話しても、僕が楽屋風呂がこはれてゝ困るて話してもちっとも受けつけない。ちっとも愉快にならず。

七月二十七日(金曜)

座へ来ると、渡辺が次の「新婚旅行」の役が嫌だとモメてゐる、結局ふり代へておさまったが、何しろ配役を川口が自分の考へばかりで、定めちまふからミスキャストが尽きないのである。ひるの部終って、渡辺が親子丼を食ってるんで、会田に「ミツバ抜きで」と命じたら、ミツバが入って来ちまった、会田が言ふのを忘れたと言ふ、腹が立ったがもう一つ改めて言はせる、今度は向ふが間違へてミツバを入れて来た、之は大辻が引受けて食った、「バカ!」もう腹の立つことしきり。結局大阪ずしで胡麻化す。夜、みやこで代役した連中を奢る。

七月二十八日(土曜)

暑いといへど、まだ本当の暑さでない。神田千鶴子の父親来訪、八月から神田をP・C・Lへ一年半か二年預けることにさせる。田中栄三氏、J・Oトーキーの自分の作に、ぜひ三益を貸してほしいとのこと、川口に話してみたが八月松竹座の時ではうまく行きさうもない。ひるの部の「次郎長」フィナーレの時、森八郎が女の子とベチャ〲舞台で喋ってるので、どなりつける。いろ〱腹の立つこと多し。松竹座の支配人は、川口直属の山田剛と定りし由、これでもとても永続きはしまいと、誰でもが言ふ。夜の部終って、「海・山・東京」多ぜいのところをまとめる。十二時半すぎになる。

七月二十九日(日曜)

昨夜から本格的に暑くなって来たから、お客は正直、海へとられて此の日曜は、昨日より悪い位。いろ〱腹の立つこと多く、汗流しつゝ全く不機嫌である。要するに川口の支配下にある「笑の王国」は意味なしといふことになるのだ。次の転期への準備である。一回終って、卵をかけて飯を食ひ、コブ茶をのみ、ミルクコーヒーをのんで、吸入をかける。夜の部の「次郎長」に至って又々声嗄れ、全く苦しくなってしまった。ハネ後、三階で「弥次喜多」の稽古をする。全く声出ず、くさる。

今日、川口全然顔を見せず。

七月三十日(月曜)

アダリン三錠のんだのでグッスリ眠れたが、声はいけない。とてもやれさうもない状態なので、中根に次郎長の方だけ代って貰ふことゝした。「海と与太者」の方だけ演る。もういろ〱くさりがあるから全く投げた芝居をする。投げた後は気持が悪いことは分ってるが、投げたい気持になることはあるもの。夜の部も「次郎長」は出なかった。ハネ後、音楽合せで総員残り、一時になった。

七月三十一日(火曜)

午前中、山王ホテルへ池永浩久に逢ひに行く。J・Oトーキーで、九月頃何うだといふやうな話。三益が川口に何か又くだらぬことを言はれたらしい。川口が三益に自分を売り込み、僕から離さうとするやうなことを言ったらしいので、腹が立って〱もう顔がホてって来た。川口を呼ばせて、「何をつまらぬことを三益に言ふのです」とキツ問した、答によっては、許さぬつもりだったが、川口て奴は全く敵はない奴だ、脚本配役、僕に全部任せることゝ、値上についても、何とかするから何卒まあ辛抱せよといふことで、結局又丸め込まれた形だった。九時、「海・山・東京」の舞台稽古にかゝって驚いた。装置は松竹座の村上なんだが、手を抜いちまって、まるで画が描いてない。之が、背景に頼ったものだけにもう演出も気を抜いちまった。次が「弥次喜多」。静御前に扮し、吉野山の一席は先づ自分乍らアサマシヤと思った。何と、稽古終ったのが午前二時。「弥次喜多」稽古中、菊田又例のカンシャクを起し、台本を以て、女の子の頭をポカ〱なぐった。弱ったものだ。すぐ帰ってねる。

昭和九年八月

八月一日(水曜)

初日松竹座。客席を覗くと大満員だ。今日が又大変な涼しさなので先づ恵まれた。何しろ五本の出物が皆一時間以上なので、「海・山・東京」が開いたのはもう夕方だ。何しろバックに頼ったのが駄目になったので、気乗りせず。声帯模写はまだ声が治り切らないので源之助と大辻だけやる、之は受けた。「弥次喜多」は、芝居のとこまで大受け。あとはダレである。「弥次喜多」が終ったのが六時半近い。夜の部は一、二、三でトリ。四と五のわれらはもう帰れる。金龍の事務所で川口と話し、一人でマーブルへ寄り定食とスパゲティ食って帰る。

八月二日(木曜)

今日二日目、十時あき。松竹座は楽屋も天井が高くて住心地ぐっとよろし。「海・山・東京」は、声色屋受けるが、まだ調子が出なくて具合がわるい。「弥次喜多」は、初日よりグッと落ちた。大辻・横尾と来たらアガっちまって何するか分らない、くさる。蒲田から来た、島田・押本が又見てられない。ひる終って入浴。インキンと、又少しオデキが出来かゝって弱る。金龍の事務所で狂言のプラン。大分前に常盤座で出した「かごや大納言」を、先頃出た「めをと大学」を前にくっつけて五に据へ、四はヴァラエティー、三には「結婚適齢記」と定まる。大辻には「あるぷす大将」を出させる。

八月三日(金曜)

声具合悪し、今日は「海・山・東京」の声色のとこをカットした。「弥次喜多」つく〲又憂鬱。大辻って奴はまるきりセリフが分らない、それに一人で受けよう〱とあせる。こんな奴と年中つきあってたら人気が落ちてしまふ。全く、くさった。ひる終って、常盤の洋弁と、福仙のサツマアゲ等食堂で食ひ、ねころぶ。大西、勤務中床屋へ行く。何うして此うバカばかり揃ふか、非常識漢多きかを嘆く。

八月四日(土曜)

昨日から頻りに暑くなったので、入りはよくない。ひるの部、声色、源之助だけやってみる、まだ、ほんとでない。「弥次喜多」は相変らず半くさりだ。ひる終って、吸入しようとしたが、アルコールが無いやら、何が足りないやら、何うして此うバカばかりゐるのか! と怒る。大勝館へ、「流行の王様」Fashions of 1934 を見る。ウィリヤム・ポエルよろし。極く渋いものではあるが中々野心的なものである。たゞ一時間半は長すぎる。夜の部、大辻の芝居はます〱ひどくなる。もうふる〱共演はお断りだ。ハネ後、森永へ大庭・森と、金龍へ出てる牧野周一等と行き、ウイスキーをのむ。

八月五日(日曜)

声は昨日あたりより少し出て来たやうだ。日曜で暑し、今日は海へとられて、とても入りはあるまいと思ってたが、何うして中々の満員だ。いよ〱「笑の王国」時代だ。ひるの部「海・山・東京」声色やっても、今の客には源之助なんど分らないらしい。「弥次喜多」大辻にくさる。食堂で常盤のカツとオムレツで飯。川端康成来訪、旬報へ「近頃の雑感」五枚書いた。夜の部の「弥次喜多」一景で後に並んでる連中の中、岩井がベチャ〲話をしてる。幕が下りるとすぐ大カスを食はす。何うもうちの役者は遊びたがって困る、うんとやかましくすることにしよう。ハネ後、森永から銀座へ出る。

八月六日(月曜)

午前中、榊の磐彦・日出子・叔母等来訪、日出子の縁談のことでもめてゐる。暑い〱。だが、その割に客は入ってゐる。ひるの部「弥次喜多」で又女の子が話をしてるので怒る。汗、汗、汗。大阪の弘三来訪、びっくりアイスをのませる。夜の部「弥次喜多」序幕では柏と大辻が又話をしてる、大辻にも柏にもさう言ってやる。今日、次狂言の脚本、「結婚適齢記」と貴島のヴアラエティーの本読む。前者は先づ〲だが、貴島て奴あ何うして此う愚にもつかぬものを書くのか。ハネ後、川口・東・生駒と銀座へ。

八月七日(火曜)

夏は飲まない方がいゝんだと知りつゝ飲む、いかん。もう酒も飲まずモリ〱能率をあげようと思ふ。何しろ金が無くてしようがない、借金々々で身動きがつかない。いかん。午前中、隈部叔父死去、大番町の家へ寄る。座へ出てみると今日は流石に、暑いから客が悪い。ひる終って湯を浴びる。(ケンサとかで昨日から三日間風呂なし)常盤の洋弁食って、三階の大部屋で九日のラヂオの読合せをする、みんなナマリとクセ多く、直し切れない感じ。夜の部大汗。

八月八日(水曜)

昨日より全く暑し、今日は出がけにマーブルへ寄って、座へ来るも、汗滝の如し、やり切れない。ひるの部終って、金竜の事務所で、次狂言の配役をする。僕は「かごや大納言」の宗春と、「結婚適齢記」の藤村といふ三枚目の二つ。大阪ずしを事務所で食ひ、舟和のあづきアイスでおしまひ。今日は流石に暑さで客少し。十時に迎へが来て放送局へ、明日の放送のテストに行く。和田邦坊作で、連作の第四回「五十銭銀貨」てふ駄作。何て知恵のないこった。つく〲やってゝいやになる、無能なることよ。馬鹿々々しいと思ひつゝ十二時まで。

八月九日(木曜)

昨夜から稍々涼しい、今日は夜放送のため順序を狂はして、「弥次喜多」から始める。入りのない日は何うにもバカ〲しくて出来ぬ芝居だ。ひるを終って、常盤のオムレツ、メンチボールと飯。「モダン日本」のために五枚、「楽屋実話」を書いた。それから次狂言の宣伝文句を苦労して書き、次の「かごや大納言」の本に印をつける、中々面白く行きさうである。今度は稍々セリフも覚える気が出た。夜は放送局へ。八時三十五分より二十五分やる。つまらないもの乍ら、うちの役者達は、さう下手じゃないなと思った。

八月十日(金曜)

暑さ、いくらかよろし。座へ出て、少し早いので森永でコゝアをのむ。「弥次喜多」相変らず大辻を困ったものと思ひつゝ演る。ひる済んで、中華丼食ひ、旬報の、五日に書いたのを又三枚足して書直す。夜の部終って入浴。三階で「結婚適齢記」の立稽古あり。僕の役は大阪弁で、よくはないがまあ儲け役。済んで、階段下りて来ると、先日芸妓に売られそこなった渡辺の弟子三井銀子がゐて、話をきくと可哀さう、何とかしてやらうと話す。

八月十一日(土曜)

座へ出る。調子、ほんとならず、何しろ連日飲むので。「弥次喜多」大辻と二人組で芝居するのは、フル〱いやだと、又思ふ。ひる終って、ランチと支那そば。ねころんで「適齢記」のセリフ覚える。珍しいこと。今夜は大辻の放送のため「弥次」が先になる。走り走るので全然早く終っちまふ。「海・山」がトリで、九時半にハネた。入浴して、森永へ、大庭・小堀・桂介で行く。

八月十二日(日曜)

日曜だが、今日は二を出揃はすので、一時すぎに始まる。三益が銀座へ出ようと言ふ、金がないよと言ふと今日はオゴるからーと言ふので、マーブル迄行ったら休み。では、とボストンのグリルが大分有名なので行ってみる、之が外れだった。スパゲティもハンガリーシチュウとカレーライス皆いけない、ポタージュだけよかった。夜の部終って三階で「かごや大納言」の立稽古。十九景だから時間がかゝる。稽古中、渡辺篤のとこへギャング来りあばれた由。新太郎事水越が頭痛で倒れたので送り乍ら帰る。

八月十三日(月曜)

今日は誕生日。母上が、楽屋の者に食べさせろとて、上野風月の洋食弁当を十人前届けさして下さった。今日は又、市電の招待だから千秋楽ながら客は悪くない。放送局の安藤が吉川子爵の若様を連れて来て見物させて行った。ひる終ったとこで、誕生祝の洋食を皆にふるまふ。川口のとこへ行き、九月より値上の件、よろしくと言って置く。夜の部は、停電があったりしたので一時間以上おくれさうなので、「弥次喜多」をめちゃ〱に走って、十時十五分に終らせてしまった。今夜は此のまゝ帰れる。

八月十四日(火曜)

十一時から稽古だが、かなり早く浅草迄来てしまひ、大勝館へ入る、「夜間飛行」の後半、オールスターキャストだ、ジョンバリが肥ったのは驚く。マーナ・ロイも見違へるばかりの肥り方だ。一時半座へ来て、「結婚適齢記」の準備、之が又三時頃からで終って六時すぎ。九時になって漸く「かごや大納言」が始まる、十九景といふ大作で、鬘は重いし、昨夜の睡眠不足もあって全く辛し。フラ〱しながらやる汗の化物。終ったのが一時、くた〱のくた。これ毎日やらされたら何うなるんや!

八月十五日(水曜)

初日である。十二時に入る。入りは先づ上の部。「結婚適齢記」は、竜田静枝に結城一朗なんて素人の中へ僕一人だから、全く一人で浚っちまふ感じで、気まりが悪い程だ。之が済んで、大納言の支度にかゝる。何しろ長いの長くないのって、二時間二十分かゝった。レコードだ。一回終ったのがもう六時半だ。此れじゃ辛い〱とこぼしてゐたら、明日から三の「結婚適齢記」を、まん中へ一回といふことになった、いくらか助かる、「かごや」も一時間台で終るやうカットする由。鏑木、今日又休み、体が悪い由、何うも弱くて困る。十時十五分終り、森永から新宿へ。

八月十六日(木曜)

二日目、今日から三を間へ揷むので、「かごや」からである。今日から四景ばかりカットしたので昨日より大分らくである。夏場は白塗りや殿様はつく〲やるもんじゃない、扇も使へず汗も拭けないのはたまらない。入浴して、ねころび、カシオペアのランチを食って、さて又ねころぶ。夜は「かごや」一本だから楽なやうなものゝ全く此の汗は泣ける。堀井夫妻・菊田・鏑木等と銀座へ出る、オデオンへ行ったら、放送局の小林徳次郎に逢ひ、「金色」放送の話から、放送用の僕のプランいろ〱話すと、ぜひやって呉れと言ふ。

八月十七日(金曜)

九時に起きて、メトロゴルドインへ、メイ・ロブスンて老女優の“You can not buy Everything”って八巻物の試写を見に行く。脚色は充分苦労してゐるが、結局長すぎることゝ暗いことがいけない。メイ・ロブスンは、ドレスラーよりいゝが、何しろ老婆だから救ひはない。大黒と上山でオリムピックへ寄り、トマトスープと、チャプスイを食ふ、トマトスープはいゝが、チャプスイはゼロ。浅草へ来て、「かごや」と「結婚」を続けさまにやり、入浴して、川口と次狂言の話。「次男坊」を出しものとし、これ一本として貰ふ。ヴァラエティー一本書く約束する。夜の部終って、中町と銀座へ出てそれから横浜までドライヴした。

八月十八日(土曜)

昨夜――暁四時に帰ったので、十一時までねた。座へ出ると、間もなく「かごや」である、毎日飲むから何時迄たっても調子が本当にならなくて困る。島耕二ロケーションで上京したと訪れたので、飯を食はうとマーブルへ行く、丁度土曜で海老カレーの日。夜の部「かごや」又汗汗。終って入浴し、銀座へ出て、シネショットで遊ぶ。

熊岡天堂来り、満州へ一と月行ってくれとの話、てんで話に乗らず。

八月十九日(日曜)

日曜である。涼しいから今日は海へ客をとられないだらうと思ってたら果して大入満員である。笑の王国ももう大丈夫ってとこだと思ふ。「結婚」の方、一人で笑はしてはゐるが相手が素人だから芝居が盛り上らず、結局つまらん。一回終ると、二科の東郷青児来訪、去年もプログラム作ってやったのだが、今年も作ってくれと言ふ話。放送局の小林に、菊田の脚本と、プラン三つ書いた手紙を鏑木に持たして出す。今夜の会議で定めると言ってゐた由。夜の部も順序通りやって、汗みどろ。終ったのは十時近く。

八月二十日(月曜)

今日は又少々暑い。十二時半に座へ出た。大分ギャング出入りが多いので楽屋訪問客は交番の許可が無くては入れないことになった。有がたくもあるが随分不便もあるだらうと思ふ。加藤雄策来訪、飯食ひに出ようといふので、アラスカへ。アラスカの一円半の定食、大したこともないがまあうまし。マロンシャンティリーアイスクリームを飲む。座へ帰ると、島耕二が来てた。今日は大入満員だ。川口が明日ハネてから一杯やりませうと言ふ。

八月二十一日(火曜)

今日は又暑い。座へ来ると、間もなく化粧にかゝる、何しろ白塗り故手間がかゝる。「かごや」は大分受ける。ひる終ったら、グッタリ労れて眠くなった、此ういふ時、静かなとこでひるねしたい、と思ふ。が、いざ、ひるね出来る身になれば、ひるね出来ぬ身が羨ましいと思ふであらう。東宝の樋口、話したしとあるので、行く。廿四日、小林一三氏に逢ふことにした。夜の部終って、川口がみや古へ行かうといふので、渡辺・生駒・東と共にウイスキー大いに飲みつゝ談じた。

八月二十二日(水曜)

昨夜飲んだので、咽喉具合悪くなった、之は弱る。座へ来て、大辻が文芸部の新米を失敗の故に便所へとぢ込めた件を怒ってやった。それに因を発して、進行係の秋元・西田とその新米が辞職した由、明日から新しい進行が来るさうだ。ひる済んで、東劇へ行き、好太郎と会ひ、二十七日にこっちへ来るやうに話をきめて来た。福助の部屋へも寄る。夜の部、汗演。加藤・生駒等と銀座へ出る。

八月二十三日(木曜)

暑い。昨夜、蚊帳の中へ蚊が入ったので、それに汗があんまり出るので寝られず、眠不足の感じ。座の前に大きく「九月一日よりエノケン公演」と出てる、予告にしては早すぎる、東に言って看板を下ろさせた。今日又調子ぐっと悪くなり、ガサ〲声しか出ず、大いにくさる。ひる終って、森永へ。三門菊子の叔母てのに逢ひ、相談に乗ってやる。煩はしいが、世話好きな僕と見える。それにしても此の数日の金欠には大困り、川口に逢って金のことを話さんと思へども本日出て来ず、ヤレ〱。ハネる頃中町来り、又もや銀座へ。

八月二十四日(金曜)

十時起き、声ます〱いかん。十一時の約束で、東宝へ、樋口と逢ひ、ペパミントソーダを飲む、お互に宿酔らしいので。それから東電本社へ小林一三氏に逢ひに行く。銀座の花月で牛肉のすきやきを御馳走になりつゝ色々な話をする。「東宝へ来るのが一ばんいゝよ」と言ふが、来いとは言はず、小林さんて人は面白い。座へ出る。「結婚」すませて入浴、外出せず昼寝せんとつとむれど、稽古場のピアノを、たど〲しく草津ぶしなどひくので「楽員以外ピアノひくこと禁ず」の貼紙させる。夜昨年の八月もやった燈火管制の予習とあって、又々全市暗くなる。

八月二十五日(土曜)

今日は理髪しようとてツナシマへ行くと全然三枚目、二十五日定休。昨日よりは稍々涼しい。今日生駒急病で休み、家老村越の役を斉藤紫香が代った。まるで芝居を見たこともないと見えて、さなきだにつまらない前半がめちゃ〱。一回終って配役しに金龍の事務所へ。今度は僕、約束通り一本、「次男坊」だけ出る。あとの役を拾って、宣伝文句を書いてやる、之が一つのたのしみなればしようがなし。夜の部終ったのは九時半。

八月二十六日(日曜)

今日は俄然涼しくなった。朝七時に目がさめて、コンビネションの上へ寝衣を着た位。座へ。「結婚」こいつは段々いけなくなるやうだ、結城一朗なんてのがまるでバカで能が無い。「かごや」今日は生駒も出たので、大いに受ける。「かごや」は全く当り狂言だ。食ひものに苦労した、一っそ毎日屋で豆と白あへでも食はうかと買ひにやったが休み、来々軒の焼売とゴモクワンタン食ったら、まづいの何のって。浅草へ誰か洋食屋を出さないかな全く。夜の部終り十時近く。地下鉄で銀座へ赴く。

八月二十七日(月曜)

出がけ、約束なので坂東好太郎を松竹座へ連れて来ようと思ったんだが、昨夜カニを食って下痢し、ねてゐると言ふので、ダメ。ヤングへ寄って理髪する、モミアゲを変に剃り込まれてクサる。ひる終って日比谷へ行く途中、マーブルへ寄ると久保田万太郎先生に逢ひ、明朝沢村源之助を訪れることを約す、「かごや」を見て呉れた由。日比谷新音楽堂へ報知の納涼の会で行く(30)。新興の連中も来てゝ、大谷社長がゐた、「菊池先生にお願ひしてありますが近く三人で逢って話さして下さい」と言っとく。座へ帰り、「かごや」をやって、帰る。

八月二十八日(火曜)

十一時に上野駅で久保田氏と逢ひ、沢村源之助を訪問、九月三日夜、沢村源之助芸談を放送する、話のきゝ手として僕が出ることになり、その下相談。昼頃になり鳥料理など御馳走になり、一時すぎ辞して座へ。「かごや」は、やればやる程よくなり、「結婚」はやる程悪くなる。ひる終って、加藤雄策、海軍少尉の服で来たので大受け。外出せず、中西のビフカツとオムライスで食事すませ、ミルクコーヒーなどのみ、ねころんで揉ませる。左の耳が二三日前から一寸悪い気がする。夜の部終ってから、三階で「次男坊」の読み合せあり、大いに肩こる。

八月二十九日(水曜)

ひるの「かごや」の半頃で、耳がとても気になり出し、芝居してる気がせず、帰って休まうかとさへ思った、声も出なくて、之も心持悪し。三益が休み柏が代る、此の花魁には参った。母上や榊叔母・磐・湯浅叔母等が見物されたので、一緒にマーブルへ行き夕食しつゝ、このまゝ帰らうかと言ってると、島田正吾が楽屋へ来てる電話。座へ帰り、島田と話し、「かごや」を演り、鏑木・大西を連れて帰宅。久しぶりで帰ってみれば家庭もよろし。吸入し、アスピリンのみ、サロメチール塗り、アダリンのみて十二時眠る。

八月三十日(木曜)

午前十時――昨夜十二時からよく眠ったので、清々しい。榊磐彦来り、鉄道病院へ連れてって呉れる、耳鼻科で診て貰ふ、別に手当の要なしとあって安心する。榊と共に座へ。咽喉具合稍々よろし。「かごや」又三益休み、柏の花魁でやりにくし。「結婚」の大詰、倒れるところ一寸勢ひ込んだので袴まくれ、猿股までまる出しになって皆笑っちまった。中西のハムエグスとおこわを食ふ。夜の「かごや」第一景で羽二重がづっちまって、会田に直させようとしたが、ゐず、カンシャク起して、不機嫌演。終りのとこで停電、かまはず演ってるとパッとつく。今日松竹座千秋楽。夜に入りて雨、金龍へ化粧前の引越し。金龍の三階で「次男坊」を立つ。

八月三十一日(金曜)

馬鹿に涼しい、朝湯で瓦斯をつけ直す位、十時半まで快く眠る。午前中、竜泉寺町の沢村源之助宅へ行き、三日のラヂオの打合せをする。本日は舞台稽古、四の「サーカス来る」を先にやる。五の「次男坊」までの間、松喜へ行き牛肉。涼しい〱。金出た、値上げのことは「追って」と云ふ挨拶。秋立つ如き冷風。あゝ秋はよろし、冬は更に又。結局「次男坊」がすんだのが十二時すぎ。入浴して帰りかけると、生駒に呼止められ、新ばしの寅家へ渡辺も共に行き、すしを食ひ二時近くまで。

昭和九年九月

九月一日(土曜)

涼しい朝、十一時半頃までねてゐたが、起きて食事し、セリフ覚えようとしてたら眠くなり一時頃までねた。此う涼しくちゃ気持がよくってしようがない。二時に家を出て座へ来ると、もう四の「サーカス」だ。次男坊は学生が大ぜい出るので、会田も大西も、その他部屋子が皆かり出されて並ぶ。「次男坊」は涙もので、極く古い新派だ、稽古の時は馬鹿々々しいと思った処も、客が入ってみると、泣けて来て、二三個所、ほんとに泣けた。先づ無事なものらしい。本日雨、去年八月の如く燈火管制。「空襲!」ってさわぎ。夜の部、燈火管制のわりには満員。ハネてまっくらの道を帰る。

九月二日(日曜)

もう之がほんとの涼しさか知ら? レンコート着て出る。日曜だから、一時すぎに、もう表は客を止めてゐる。「次男坊」相当受ける、大新派だけにくさくやればくさくやる程いゝらしい。一回終って、涼しさを味はひつゝ菊田と森永へ行き食事。座へ帰ると、友田来てゐて、旬報十五周年号が出来たと見せる。九時前に体があいたので、生駒・渡辺と一緒に、エノケンを松竹座へ見に行く。「インチキ太閤記」を半分ばかり見る。やっぱりよくやってゐる。友田・鈴木桂介・山下三郎とでみや古へ。本日の上り、松竹座三五〇〇・金龍二七〇〇の由。

九月三日(月曜)

今日も涼しくて曇り。座へ出る前、大勝館へ行き、「若きハイデルベルヒ」を見る。凡作。ドラマティック・ギャグあれど、デッサンが確りしてないのと、所と時を得て行はれないので皆ピンと来ぬ。座へ出て「次男」やる、何うも調子いかん。放送局へ行く前、銀座へ出て、スコットでポタアジュとヒレステーキと、スパゲッティをやる。ポタアジュ一ばん、ビフテキは駄目、スパはソース過多なれど、うで具合よろし。放送局へ、源之助芸談。七時三十分より八時七分前迄、芸談を引き出し、最後は笑の一手を用ゐてチョン。あはてゝ自動車走らせ、座へ帰り「次男」をやる。調子いかん。

九月四日(火曜)

十時半に起きる、声いかん。伊藤松雄訪問、昨日のラヂオは成功と言ふ。座で、「次男」やってすぐ表へ行き、次のヴァラエティーは「笑の王国ニュース」ってことにしたらと案を立てる。五十番でシュウマイと中華丼、このまづさに呆れる。大勝館へ、評判がいゝので、コロンビアの「或夜の出来事」“It happend one night”を見る、長きこと二時間近し、とてもよきものなり。シナリオもいゝが、フランク・キャプラってリアリストの監督に参った。音を実によく選んでゐる。此ういふもの見ると、リアルな映画やってみたくなる。夜の部終って、中町と銀座へ。

九月五日(水曜)

午前九時に起きて、メトロの試写室へ、“Men in white”の試写を見る。苦しい重い圧力のあるストーリー、全くストーリー本位で、監督の影も薄い。だが、クラーク・ゲイブルって役者はいゝ役者だ。テーマに押された後、パッとしたくなり、マーブルへ行き、定食とスパゲティを食ふ。座へ来て、次のヴァラエティーの本を書く。「笑の王国ニュースレヴィウ」。ひるの部、声全くいかん、又禁酒しようと思ふ。徳川夢声妻、死去、去月三十一日、もう葬式も済んだ由、今夜皆で顔を出すことにした。大阪屋のハヤシライスとトースト。ハネ後、荻窪まで急行する。

九月六日(木曜)

十一時までねた。今日も早く出たから何か見ようと、常盤座の蒲田トーキー「新婚旅行」を少し見た、小桜葉子を高く買ふ。座へ出る。声又々いかん、くさり演。大辻セリフをトチって、こっちのせいにしようとする、舞台じゃ負けてゐられない食ってかゝってやる。ひる終って、松竹座のエノケン「世界与太者全集」のおしまひの方見る、感心するとこはなし。大勝館でチャプリンの古典、エッサネイ頃の「伯爵」って奴、チャプリンは十何年前にエノケンをやってゐた。その映画の中でスパゲティを食ふとこで急に気がつき、マーブルへ急行、ポタアジュとスパと犢を食った。座へ帰って「次男」やり、鏑木・森八等と銀座へ出る。

九月七日(金曜)

出がけの自動車に乗る時、バタンと鏑木がしめたらガラスが破れた、下りる時、弁償しろと言はれ、腹が立つので交番に渡す。巡査もてあまし、よくお願ひして幾らか戴けと言ふので、頭を下げるならと、一円やる。座へ出ると、昨日も市電のストライキが祟ってまるで入らなかったが今日又ひどし。ひる済むと、阿部金剛来訪、森永で食事して、歩いてると、「上原の舎弟」と称する若いギャングが「ちとノサばってるって評判ですぜ」、凄味がゝって脅かさうとした。おどされちゃ一文も出さない。夜の部終って入浴、又々変なアダヨ部屋へ来り、くさる。

九月八日(土曜)

一時すぎ座へ出る。又暑い。アイスミルクコゝア、コーヒー立続けに飲む。「次男」ハコに入ってやりよくはあれど客少きを如何せん。ひる終って、次狂言の配役、僕は四・五の二つ。四は三益と二人で歌入りの万才てことにした。五は「旗本退屈男」の早乙女主水之介。大阪ずしを食ひ乍ら配役。森岩雄氏来訪、夢声、妻君没後、くさりて入院のことなどきゝ明日暇あらば見舞に行かうと約す。放送局より「喧嘩オン・パレード」をすぐ書けとの注文あり、急しいが嬉しい。三四日の禁酒のおかげでのど大分よくなった。夜の部すんで、サトウロクロー・大庭等と公園裏のドン〲焼屋へ行く。今日も飲まず。

九月九日(日曜)

森氏より電話、明日赤十字へ行くとのこと。座へ出る、日曜だが市電ストがまだ祟って、入り少し。今日は又々夏の如し。家からの弁当で夕食すませる。八時頃体があくから東劇へ菊・吉を見に行かうと定める。生駒・渡辺と東劇へ。長谷川伸作の「盗人と親」これは脚本が悪い、序幕はまだいゝが、二幕目はヤッツケ芝居だ。菊は相変らずいゝ。

東劇、入場料六円である。われらの芝居は、特等一円だ。六円の六分の一のこと、だけでもあるまいではないか。

九月十日(月曜)

風強し。昨夜久しぶりで飲んじまったが、まあ大丈夫らしい。座へ出る前、夢声を見舞に青山の赤十字病院へ行った。大分弱ってるらしいが、妻君の死後、裟婆っ気が出たことは確かだ。「あんまり皆に見舞ひに来られたくない」とのこと。座へ来ると、昨日位入ってゐる。飛島来り、明日正午迄に放送局へ届けるやう書いてくれとのこと、引受ける。今夜は徹夜で書きだ。入浴して極めて早く帰る。帰って又入浴、腹ん這ひになり書始める。

九月十一日(火曜)

午前四時までかゝって、ラヂオ風景「喧嘩之研究」を書き上げた。放送局へ届けさせる。十二時に起きて食事、母上今日見物さる。「次男」済んで一休みしたところへ、放送局の小林来り、「すまんが、三十日にのばさせて呉れ」と言ふ。拍子抜けした。ところへ又、旬報へ「或夜の出来事」その他のことを書いたのに、早田が間に合はぬと断って来たといふので、電話をかけたら無礼だったから、うんと怒った。悪かった、と言って早田来訪。原稿持って帰った。ハネ後、「笑の王国ニュースレヴィウ」の立稽古をやる。之はまあ相当のものになると思ふ。生駒・大庭・友田とみやこへ。

九月十二日(水曜)

十二時半、白木屋ホールへ雑誌週間の催し。僕、初めに模写、調子わるくまるで似ない声しか出ないので大くさり。少し休んで三益と二人で万才をやる。之だけ働いて、三十円にならなかったが、どうもしょがない。終るとすぐ座へかけつけ、「次男」やる。模写はいかんが声は普通、酒やめてドン〲仕事したい。夜の部終って、三階で「旗本退屈男」を立つ、今夕台本が届いたってんだから驚く。何ともはやむづかしいセリフの連続で、覚えられるもんじゃない。投げた。それに全く面白くなし、いやんなっちゃった。

九月十三日(木曜)

今日けい古日。三時より早くは始まるまいからと、日比谷映画劇場へ行き、「絢爛たる殺人」“Murder at the Vanities”を見る、脚色がゴタついたのと、マクラグレンとオーキーを活用せんとして結局無為に終ったことで、傑作とは言ひがたいが、見てゝは面白い。ついでにJ・Oトーキーの「恋の舗道」を見る、田中栄三原作脚色で、ねらひどころはルビッチなんだが、伊奈の監督、とても及ばず、醜ガイをさらす。東宝事務所へ、吉岡重三郎に逢ったら、名人座出演のことしきりにすゝめられたが、座へ出て川口に話したが、イカン断はれと言ふ。モダン日本まつりの日比谷新音楽堂へ行く、三益と二人で万才(10)。菊池先生がきいてたのは弱った。すぐ座へ引返して、ヴァラエティーの演出し、「旗本」の舞台稽古終ったのは十二時半。

九月十四日(金曜)

一昨日より少々風邪気味、咽喉もいかん。鏑木を、東宝へ断はりにやり、週刊朝日へ「喧嘩之研究」を持たしてやる。今日初日だがてんでセリフを覚えてゐない、ヤケだ、やっつけろ! って気持だ。「笑の王国ニュースレヴィウ」は、トン〱行かぬ、自分演の個所もムザン。「旗本退屈男」は天晴れ殆んど何も知らずに出て、プロンプタをたよる、全く以て呆れた度胸だが、幕があけばしまるで、何うやら終った。そこへ又夜はカットで四までと思ってたのが三カットの出揃ひと来たので不機嫌の極。表へ行き、川口に逢ったが、金のこと少しもハッキリしない。夜の部、「ニュースレヴィウ」は、まだいゝ、「旗本」大くさり。ハネ後入浴し、みや古でのむ。

九月十五日(土曜)

自動車の中で思ふ、浅草に住むこと一年と五ヶ月――もうそろ〱動きを見せなくちゃいけないと、つく〲。座へ出る、「ニュースレヴィウ」は、まあ〱狙いどこを外さず。又声が悪くなって困る、酒てものピチッと止めることは中々むづかしい。「旗本退屈男」は作者菊田、ひるの部に来ず、カットすると思ってたとこ又やらされる。菊田は仕事は一ばんいゝが人間がルーズで困る。ひる終って、大勝館へ、白十字で食事して行くと、おめあての「ワンダバー」“Wonder Bar”のつまらぬこと、豪華キャストと、映画ならではのレヴィウシーンがいゝだけ、つまらんので出ちまった。「週刊朝日」の赤井より「喧嘩之研究」は不適当なりとして返却して来た。かせぎそこなひ――くさり。夜の部から、四五景カットになったので九時四十分にハネた。入浴して、森永でウイのみ、銀座へ出る。

九月十六日(日曜)

午前中、山野来訪、笑の王国へ戻るやうにして呉れと言ふのだ、座へ来て、みんなにたのめと言って一緒に出る。今日は日曜だから大分人は出てる、うちも満員ではあるが大したことなし。声てんで悪く歌へず困る。「旗本」の四五景カットになったので、楽にはなったが、僕の芝居が無くなり、渡辺・サトウのアチャラカのつきあひになっちまった、が、まあ楽な方がいゝ。王国を去って一旗――について、近頃しきりに考へる。夜の部終って入浴し、みや古で、川口・東・生駒・渡辺・紺野・堀井・田丸・貴島・菊田とで会議する。途中、下の座敷からエノケンの方の松ノボル・野中と土方てのが来て喧嘩となり、メチャなりけり。

九月十七日(月曜)

何しろ毎夜飲むので声がいつ迄たっても嗄れてゐる。よし! 今晩から禁酒だ。と決心する。又、山野が来た、一緒に座へ出る。声出ぬから「モンパゝ」の歌をカットして、万才をやる。「旗本」はてんで退屈。終って金田へ行き、鶏を食って座へ帰る。相変らず入りは悪い。川口が休みらしく、本日金借りる筈なのに――困る。夜の部終ってみや古へ山野が来たので、色々話した。山野は、東に給金は包金の百五十円、と言はれた、それは仕方がないが、部屋は僕のゐるとこへたのむと言ふ、僕としては居ない方がいゝ人間なのだが、食ふに困っちゃ可哀さう故、ま、相談にはのってやる。尚帰りに、仕事以外で生意気な点をうんとたしなめておいた。

九月十八日(火曜)

雨。十一時までうと〱とねる。昨夜飲むまいと決心して、又のんじまったのが残念。座へ出る、涼しいので、あったかいミルクコーヒーの味よろし。客、わりに入ってゐる。飛島来る、黒田謙同道、入座のこと半決定してゐるのだが、川口がゐないので、話も出来ず。川口が来たら、いろ〱話があるのだが。――で、とう〱来らず、一文なしといふ目に逢った。夜の部も客よし。「旗本退屈男」は、去年やった「水戸黄門」の、又輪をかけた程のアチャラカで、梅坊主復活ともいふべきムザン物だが、客は大いに喜ぶ、いやんなる。いゝものゝ時より必ずこんなものゝ方がいゝんだから。

九月十九日(水曜)

今日は又少し蒸暑い、座へ出るのに金一円しかなし、天下の名優哀れをとゞめた。ひるの部、ロクローが声を小さくしか出さず、その上警官が来てるのでヨタは言へず、まことにハヤだれたり。ひる終って川口に色々話さうと思ひ行ったが、不在なので、芝居を見たが、「凸凹ジャズ海軍」の中で、大部屋の村田が、チン〱といふ役の名を、「おチン〱は居らんか」と言ったのに呆れ、部屋へ帰りバリ〲怒る。とう〱川口は不在。夜の部、くさり演、神田千鶴子来訪、名古屋からの土産を持って来た。

九月二十日(木曜)

午前十一時頃までねる。生駒が、先日来、金のことでダレちまって、JOのアフレコの仕事を、十月にはしたいと言ってゐる。僕も胸に一物あるので芝居に身が入らぬ。ひる終って、早速川口と逢ひ、山野復帰の話、黒田謙の話等して、さてこれから又問題にかゝらうと思ってると、飛島が入って来て猥談になっちまひ、とう〱重要の話出来ず。雨で、客は悪い。安藤徳器が今晩迎へに来るから女優も共に待ってゝ呉れと言ふから、待ってたのに来ない、プリ〱怒って帰る。

ギャング上長へつけ届けがおくれたとかでゴタついたが、漸くケリがついたらしい。浅草はいやだな。

九月二十一日(金曜)

大した風で、屋根の瓦が落ちる。午前中、山野来り、一緒に伊藤松雄訪問、一時間余り雑談して、座へ。此んな風では、入りもあるまいと思ったが、さうでもない、分らんもの。ひるをすまして、川口のとこへ行き、色々話す、金のことは中々いゝ返事をしないが、兎に角何とかして貰ふことにする。そんなこんなの話を一度大谷社長に話したいですナと言ったら、そりゃいゝでせう! といふんで、二十六七日の朝、本社へ行くことにした。夜を済まして、のまぬつもりが又、生駒と二人でみやこへ行き、ウイを大分のんでしまひけり。

九月二十二日(土曜)

午前十一時の約束新宿駅、マルヤの夢声愛人氏と共に赤十字へ夢声見舞に行く。二十五日には退院するとて、大分元気である。それから、旬報へ久しぶりで寄る、いろんなスティルを沢山貰って、座へ。シュヴァリエその他のスティルを部屋へ飾り、泥海男にはウォレス・ビアリーのを、三益にはメエウエストを分ちやる。ひる、あんまり入りなし。ひる終って、塩せんと南京豆を食ふ。夜の部終って、今日より本月一杯絶対禁酒を誓った、その第一日、東郷青児と麻雀しようと思ったが都合つかず、結局大庭六郎を連れて、スコテキへ寄り食事して帰り、昔のプロなど見る。

九月二十三日(日曜)

日曜で少し早い。本日配役。「ガラマサどん」のガラマサと菊田の書いた「海賊万歳」のアルフレッドと二役とる、ガラマサの老けは初めての役だが、一方はつまらん二枚目。夜の部が七時半すぎに終った。堀井、鏑木と共に、東宝へ「憂愁夫人」を見にかけつける。中西武夫といふ新人の作だが、思ひの外の傑作、第一に驚くべき豪華セットのおかげで立派な舞台になる、演出・作共に多分にドラマチックで、トーキー的だ、ネタは「バラのワルツ」ださうだが、兎に角、女の子の男役向きにイヤ味なくスラ〱書けてゐる。感心した。スコットへ寄り、スープとスパゲット食ひ、コロンバンで茶。

シェクスピア・坪内逍遙訳の「じゃ〲馬ならし」読上る。実に難解で、役の名も、どれがどれか分らなくなってしまったが、まあ重要な筋だけ読んぢまった。之で一つ書ける。

九月二十四日(月曜)

晴れて祭日、まあみっともないことはない程度の入りだ。部屋へ入ると、プーンと渡辺篤のニンニクのにほひ。ひるの部、舞台でも、くさい〱と思ってるので不快。ひる終って入浴、事務所へ避難して次の宣伝文を書く。渡辺外出ときいて、部屋で、親子をとって食ふ。渡辺が帰って来たので、「まだニンニク食ふ気か」と言ったら、サトウロクローと共演すると、ツバをかけられる、ロクローは病人故、予防にのむと言ふのだ。さんざ悪罵をあびせてみるが、こたへず、「法律で取締って貰ふんだね」と言ふ。ロクローから病気をうつされては困るといふ弱気は愛せるが、さらば、他人の迷惑もかまはぬという態度には全く反感を持った。――案外、こんなことで役者の反目、劇団の分裂なんてことが起るんじゃないか、としたらニンニクも罪つくりである。――と此う日記を書いてゐたら、ねてゐた渡辺がムックリ起きて、「大分皆に迷惑かけるらしいから下へでもうつるよ」と言ひ、横尾・中根のゐる下の部屋へ下りて行った。やがて夜の部始まり、舞台へ行く道、何うしても下のその部屋を通らねばならぬので通ると、渡辺曰く「こゝも通り道が一寸くさいでせうがそいつは我慢して下さい」と言った。僕の答へもよかった。「こゝよりは地下室へ一人で行って貰ふんだったね」と。此の問題果して何うおさまるか。夜すんで、「ガラマサどん」の読み合せ。

九月二十五日(火曜)

座へ早目に出る、と、渡辺病気休演とある。やれ〱昨日の問題がとう〱彼をして此う出さしめたか。今迄の僕の絶対の好意に対して此ういふ礼を欠いたやり方をするならよし! と思った。此処二三日千秋楽まで休んで、次の初日から出る気だらう、さうなったらこっちがおさまらぬぞ。ひるの部、「ニュース」の方は大辻、「旗本」の方は、鈴木桂介に代らせる。この桂介の珍演には舞台で吹き通しだった。東宝の樋口来り、みやこの奥で逢ひ、話す。樋口は今度は東宝小劇場の主任になった由。小林さんと逢ふ話等して別れる。夜済んで、表三階で「ガラマサ」の立稽古と、「海賊」の読合せと立つゞけにやって一時すぎた。

九月二十六日(水曜)

雨だ。座へ出る前、ツナシマへ寄って理髪する。座へ出ると、今日はもう千秋楽近いといふに割に入ってる、分らんもの。渡辺が又休みらしく、まだ来てない。ひる終って、三勝さんといふ義太夫師匠を呼び、部屋で熊谷陣屋をほんの一寸覚える。中々むづかしいもので、それより草臥れるには驚いた、一時間ばかりでヘタっちまい、又明日といふことにした。来々軒のワンタンと中華丼。紅茶とケーキ二つ。夜の部終って、今日は歌のけい古、渡辺がゐないから「海賊」の立稽古はのびて明日といふこと。稽古十二時に終り生駒と色々話す。

九月二十七日(木曜)

昨日義太夫の稽古やり、夜歌のけい古と来たので咽喉が多少面喰ったかたち、折角数日間完全な禁酒をしてゐるにもかゝはらず調子よからず、くさる。座へ出ると、渡辺又休みだ、千葉は三日休んだが、今夜の稽古から出て来ると言った由。ひるの部やってすぐ入浴、吸入する。表へ行き、今夜の稽古から渡辺は出ると言ってる由、それでは僕の顔が丸潰れ故、共演したくなし、「海賊」はお返しする、と言ったら、川口も東も、そんなこと言はずにおさまって呉れと、しきりに言ふ。夜の部終って、「海賊」の立稽古だ、渡辺が来ないものだから、先へ音楽合せをやり、待つ――十一時になっても、まだ来ない。新興入江トーキーの方へ運動してるといふ情報が飛ぶ。腹が立ってたまらない、此れだけ待たしといて、のめ〱とやって来たら、こっちが帰るつもりでゐた、が、十一時すぎとなると川口も東も流石に黙ってもゐられぬと見え、相談の結果、黒田謙をいきなりトッパーの役にふりかへちまった。之で、まあ済んじまったが、川口と東の本日の態度は僕にとっては頗るあきたらぬものがあった。渡辺の腹も見抜けないで、やたらに僕の怒りをおさへようとした川口は、もう信頼しない。此のおさまり如何で相当こっちも覚悟せねばならぬ。

九月二十八日(金曜)

風邪気味で咽喉の調子又々悪し。今日明日明後日とオザあり、困るなァ。一っそ酒のんじまはうかとも思ふ。座へ出る、舞台稽古。今日より山野復帰、馬鹿野郎、鏡台をどん〲僕らの部屋へ持ち込む、冗談じゃない、頭取呼んで他へ移させる。「ガラマサ」の稽古してると、渡辺が来たと言ふ、「のめ〱と、今日出て来てやるんなら、一つ乃公の方の我まゝも通してほしいね」と東に言った。即ち、今週一本にすること、「ガラマサ」だけ。部屋を早速変へることの二つだ。ガラをすますと、東が来て、こっちの言ひ分も通す、とあるので、やれ〱と入浴した。部屋は早速変ることになり、僕・生駒がサトウロクローを抱いて、金龍の昔の部屋へ。渡辺は三階へ横尾・中根・山野等とおさまることになった。もう役も済んだし、(今日けい古時間のびたゝめ、ホテルのオザへ、山野を代りにやったが、やらんでもいゝよ、金はやるが――と言はれて帰って来た、三枚目な奴)一本となったら心軽し。渡辺に逢ったら「いや何うもすみませんでした」「ニンニクかい」「いゝえ、病気でね」と。十時すぎから、来合せた原田耕造と、森永でウイをのむ。のまなくても調子やってるんじゃバカ〲しいってんで、大分のむ。山一もあとから来て話してると、アダヨ来り、二円たかられる。山一のことを「認識はいゝが、表現がゼロの男」と定める。ハラコー興奮して面白かりし。ベロとなる。

九月二十九日(土曜)

本日初日、「ガラマサ」一本になったものゝセリフは半分しか入ってない。座へ行ってすぐグロテスクな顔をつくり、気持となって演る。が、何しろセリフが入ってないから落つかぬ。一回やってすぐ、軍人会館の小石川高女の会てのへ、昼の部をやりに行く(60)。軍人会館で食事し、夜の部やるため残り、その間に「ガラマサ」のセリフ大半覚えちまった。「ガラマサ」夜は入りもよく大いに受けた。終ってすぐ放送局へ、明日放送の「喧嘩の研究」のテストに行く。十一時近くより一時半まで。声はガサ〲となった。ねむし〱。

九月三十日(日曜)

今朝は九時起きで大番町の隈部へ、叔父歿につき後目を叔母がつぐことの親族会議で、届に捺印してすぐ辞し、座へ、今日は放送のため順を狂はして、「ガラマサ」が十一時すぎに始まる。調子まるでいかん、全然ガラ〲どんである。入りはガラならず。一回すむと、軍人会館へ今日も昼夜(60)。声の出ない話を少しして、エノケンの真似だけやり、駿河台のチャップハウスで食事して座へ帰る。「ガラマサ」をやり、放送局へ駈けつけ、七時三十分より「喧嘩の研究」三十分やる。僕原作演出、うちの役者ばかりでかためた。先づ之なら大丈夫といふ出来。之をすませて又すぐ走り、軍人会館。前に卵のんだのでわりによかった。

昭和九年十月

十月一日(月曜)

鏑木が十二時すぎに入ればいゝと言ふので、円タクの選り好みをしたりして、ゆっくり出たら、もう前が終って幕間、大あはてゞ「ガラマサ」の扮装をした。ひる終って大勝館へM・G・Mの「ターザンの復讐」“Tarzan and his mate”を見る。猛獣百出、たゞめちゃ〱な面白さである。ローレル・ハーディの短篇を見て、白十字でビフカツと飯を食ひ、座へ帰る。夜の「ガラマサ」をやって、新宿第一劇場(元新歌舞伎)の松竹少女歌劇を見に行く。先づ入りの無いのに驚く。「秋のをどり」たゞいつもの通りといふだけ。マイクを使ってるのがとてもいけない。岩田氏に「笑の王国」をかけて一つ一杯にしてみようじゃありませんか、と笑って、十時四十五分、母上を新宿駅に、上高地への旅を送る。

十月二日(火曜)

ひるから相当入りよろし。「ガラマサ」済むと、まだ一時だ。エノケン見物に、松竹座へ行く。「武家商法」といふ、落語レヴィウと銘打ったもの、和田五雄作、愚や及ぶべからざるムザン物。エノケンも労して効なし。次のライトコンサート「ポピュラーソング」は、まだいゝが、菊谷栄作、連続レヴィウの二、世界与太者全集の中ロシア篇「イワンとペーペル」極めてつまらず、菊谷といふ作者も、此ういふものになるとまるでダメ。レヴィウながら歌貧弱、振付鹿島光滋ゼロで、エノケンも活躍の余地無し。夜の部「ガラマサ」幕の内外、評判よろし。すんでから、大庭を連れてオペラ館をのぞく。此処は又別天地だ、「――チャン〱〱」「何チャン」のかけ声頗る盛、中々満員。みや古へ寄る。

十月三日(水曜)

八時半起きで、帝劇へ試写を見に行く、昨夜のんでるので、評判のカザリン・ヘプバーンの「若草物語」“Little Women”の半分頃まで見てたらねむくて辛くなり、出ちまった。「ガラマサ」相変らず受ける、ひる終って、ねころんでると国民学芸部の記者来り、「秋のにほひ」について語れと無理を言ふ。それからそぼ降る雨の中を一人で、上野のポンチ軒まで食事しに行く。カツレツよろし、ビフスチウは普通。紅谷で紅茶二杯の菓子二つ。満腹。のびて足をもませる、一寸天国。夜の部の「ガラ」大した受け方、ヤンヤという笑ひだ。「モダン日本」の大島来り、「ガラ」の写真うつして行った。

十月四日(木曜)

今日は鏑木休み、若いくせに病気に弱い、しようのない奴だ。座へ来ると今日はちと入りが悪い。「ガラマサ」は評判よく、客の喜ぶのがよく分る。それにしても、芝居は「間」のもの、何と皆の下手さ、その間のとれなさを軽蔑したい。サトウもその点駄目だ。渡辺・生駒はその点はいゝ。菊池寛の「話の屑籠」を読む。あの位の人物になると、何を書いてるのを見ても肯けるやうな気がする。加藤雄策来訪、新年号からレヴィウの雑誌を非凡閣から出せとすゝめると、よからう一つ見算ってみると言ってた。夜の「ガラ」済んで、加藤とみやこへ寄り、友田と三人で久方ぶり橘弘一路宅へ赴き、麻雀。

十月五日(金曜)

久しぶり橘の宅で麻雀で徹夜してしまった。尤も僕が、やらう〱と後をひくのだが、午前七時までやり、而も少々負。座へ出て、声の具合も、寝不足でます〱いかんのだが、「ガラマサ」をやり、入浴し吸入し、楽屋で眠る。いつも寝られないたちだが、今日はねられた。これに馴れたら汽車の中などでもらくに寝られるやうになるだらう。さうなるのは嫌だ――然し、此の生活に入ってから随分その汽車で寝られる奴になってはゐるのだらうが。夜の部済まして上山を呼び、昨日加藤と話したレヴィウ雑誌について案を立てる。みや古へ之を延長し、飛島・生駒・黒田と話す。

十月六日(土曜)

雨、寒くなった。座へ出る。「ガラマサ」相変らず気がいゝ。一回終ってすぐ、講談社へ呼ばれ、例の如きヘンテコな速記をとられる、まるで警視庁の調べ室だ。金がある時ならこんなの断はっちまふんだが――何しろ貧なので。而も今日は帰りに金をよこさず、くさる。西村小楽天とポンチ軒へ寄りカツレツを食ふ。座へ帰ると表で配役してる。渡辺が一本だから、こっちも一本にして呉れと言ってみたが、「二つのネクタイ」のアルバースと、「青春音頭」に、何と有閑マダムをやることになった。四十近い女ださうだ、これは自信がある。夜の部終って、友田等と日本館へ「空襲と毒瓦斯」“I Was a Spy”を見た、前半で草疲れて出る。英国トーキー、芸のないもので材料のまゝ見る感じがいやだった。

下谷御徒町ガード傍のポンチ軒、名は古くからきいてゐたが、初めて行くと、カツレツ、ビフシチュウその他二三、メニューはそれだけ。カツレツは生パン粉で、よくあがってゐる、之はいたゞける。ビーフシチュウは、軟くよく出来てはゐるが、安いブラウン・ソースの味がいけない。こゝのカツレツは、ソースもいゝが、卓上に出てるケチャップで食ふとよさゝうだ。

十月七日(日曜)

雨、もう、ぐっと寒くなった。昨夜乱暴飲みしてるので一寸辛い。座へ来る、市電ストライキが又起ってるといふにもかゝはらず大入満員。「ガラマサ」の受けること大したもの、あんまり受けてセリフが通らなくて困った。ワッワと笑の嵐である。一回終って、入浴、吸入して、部屋でうと〱とした。二回目の「ガラ」が済むと六時、で、軍人会館の法政の学生の会てのへ出る(10)、又もや声が出ない、くさりつゝやり、終ってその足で、市政講堂の、ギャングの会で、くさる(10)。まるで又声が出ない。無理してやる心持の悪さ。

十月八日(月曜)

又雨、よく降る。座へ出る、ツカれて「ガラマサ」も気のりせず。終ると入浴し、川口の紹介状を持って明治座を見に行く。川口松太郎作「悪縁」、雑誌で読んだ時、あんまり感心しなかったが、やっぱり大したものでなし。井上の中老役がいゝ、「活殺」といふものが如何に必要かを思はせた。花柳の四十女、いかん。最もいかんのは伊志井の青年役、まるでモダン味無く、不快。竹久千恵子よろし、新しいものゝ魅力。幕間に、支那そばと洋食の定食。次の「春色昼夜帯」の序幕一寸見て帰る。帰って「ガラマサ」やる。肩のこりはげしくて困る。ハネ後、川口・東・渡辺・生駒と、大森へ牛肉会で行く。

ウテナの宣伝で九州へといふ話が来た、十一月一日から二十何日間、千五百円といふいゝ値だったが、こっちの仕事のことを思ひ、断った。惜しいが、あせるまい、今に、もっといゝ話がドン〱来ると思ふ。

十月九日(火曜)

雨が漸く上って、秋晴――と来ちゃあ、果して入りは悪い。飛島からきいた話だが、帝劇へ初めて沢正が出た時、幸四郎が「フーム、この男はよっぽど寝なくちゃ死ぬぜ」と言った由。あの声の無理だったこと、並に声を使ふ者は寝ることが必要、もっと〱暇にあかしてねることだと思ふ。で、ひる済むとすぐねてみる。大阪屋のシチュウ丼が出来たといふので赤と白両方注文する。熱いホワイトシチュウとトマトシチュウをトーストで食った。ハネ後、蒲田から小田浜太郎来り、「青春音頭」のプロローグとして撮影する。ツケ睫毛して、凡そ気分出した女となり撮す。

十月十日(水曜)

十時半まで眠る、座へ出る、昨夜女の子の稽古五時近くまでだった由、大ていではない。ひるの「ガラマサ」どうももう倦きて〱。早く来週になればいゝと思ふ。食ひ物で頭をひねった揚句、中西へ使をやり、おでんと赤飯を食ふ。夜の部迄の間に地下の楽士室で歌を覚える、声が何うも定まらぬ。稽古は「二つのネクタイ」と「青春」と両方なので一時半になる。アダヨが入って来たり、大部屋が酒気を帯びていたりするので全く不愉快。済んで、一杯飲みたくなり、甲子郎へ行くと、山一がゐた、さて飲まうとしてるとこへ、乱酔した柳田貞一が入って来て、「何でエ古川緑波め、セヴィラのことを何故あんなこと書きやがった」と言ふ、エノケンで演ったセヴィラの理髪師の評を僕が書いたといふのだ、そんなもの書いた覚えはないと言っても、「この野郎ウソつきめ、何でエ、貴様ピアノひけるか」とか「今夜は山野一郎がゐるから我まんしてるんだ」とかわけの分らぬ詈言を吐き、無礼を極めるので、「こっちゃシラフで、そっちが飲んでちゃ喧嘩にならねえ、乃公あ帰る」と、ドン〲帰って来ちまった。兎に角気になるから帰って、旬報の批評を出して読んでみると、あった〱、飯島正が「セヴィラ」の評を書いてる、その頁の上欄に、僕が「エノケンを評す」てのを書いてる、下手に読むと、之がゴッチャになるのだ、それをバカめ錯覚してるらしい、よし、あの無礼、このまゝには捨て置かんぞ! 明日シラフの時一つうんととっちめてやるから、さう思へ。と思ひつゝ眠る。

十月十一日(木曜)

昨夜の柳田貞一の酔態がシャクなので、旬報を持って、出る。又雨だ。「ガラマサ」又も調子をやり、この方が老けには反っていゝ。柳田のとこへは山野に手紙持たしてやる。「昨夜の極りなき無礼に対し解決したい、そっちから来るかさもなければこっちから行く。」と。夜の部。佐々木邦先生夫妻が見物してるてんで緊張した。やってから佐々木先生に逢ふ。山野がエノケンの方から帰って来て「柳田は大恐縮、エノケンが此の話をきいて俺が中へ入る」と言ってる由面白くなった。夜大阪屋のシチュウを食ひ、セリフを覚えたりしてると、終演、稽古は「青春音頭」。十二時半にすむと、山野と森八を連れて、エノケンの指定の麻布の梅の家といふ家へ行く。柳田とエノケンゐて、柳田しきりにあやまる、が、結局文人の気持分らず、低い生活しか知らぬ者の悲しさに、ピンと来ることは言へない。ウイスキー一本持参して、抜かせる。グイ〲やり出し、大分酔って一時はエノケンとつかみ合いになったり――ふと気がつくと、夜は白々とあけてもはや七時だ、驚いた。ふウ〱しながら自動車に揺られて帰る。

十月十二日(金曜)

エノケンと飲み明してねたのは八時だ。十二時頃眼がさめたが、やる気せず、ひるだけ休むことに定めて、又ねる。四時頃家を出て、松竹座のエノケンとこを訪れる、今暁四時頃、エノケンと僕がつかみ合ひになったので、あはてた待合の女中が、近くのエノケン宅までかけつけ、エノの伯父等を連れて来たさうだ、来てみるともう機嫌直して二人でのんでるんで安心した由、ナンセンスだ。座へ出て、「ガラマサ」やる。ひるは山野が代役で、義太夫は未曽有の珍声を出して皆を面喰はしたさうだ。まるで声いけない、鼻つまり、のどエゴ〱。熱七度二分ばかり。ハネ後、「二つのネクタイ」の読み合せをやる。全く熱っぽくて苦しい。

十月十三日(土曜)

熱あるらしく食物の香りなくまことに苦しし。今日は舞台稽古なれば一時頃出かける。「二つのネクタイ」の稽古始まる、衣裳と道具は豪華だが芝居のつまらぬこと限りなし、貴島てのはつく〲駄目だな。終って、持参の松茸飯を皆で食ひ、五にかゝるのがもう九時。有閑マダムの扮装して、先夜撮したプロローグの映画を見る、いやもう恐るべきハリキった女で自分乍らぞっとした。今度は五のさまで笑はせる手しかなし。熱七度四分を一寸越ゆ。十二時にあがる。

十月十四日(日曜)

どうも声が大分いかんが、と気にしつゝ座へ出る。初日で十時あきだ。「二つのネクタイ」舞台へ出て、声のまるで無いのに驚いた、調子やったのでなく芯から参ってるんだからひどい。その上芝居がつまらないんだからくさる。五の「青春音頭」は、プロローグの映画が大受けだ。いでたちで大いに笑はせるが、さて声が無いに近い状態じゃしょがない。一回すんで大隈講堂の小学校の会へ、此の声で出る。来々軒のワンタンメンと、大阪屋のシチュウとトースト、紅茶とカステラ。終って、今日は金が出ないのでくさって帰る。

十月十五日(月曜)

九時起き、帝劇へ東和商事の試写会「今宵こそは」を見に行く。ジャンキープラといふ本格歌手を生かした、音楽映画だが、何うも買へない。第一に下司だ、アレンヂも、脚色もいかん。すむとすぐ座へ。入りがよくない。昨夕の毎夕に、古川緑波・生駒雷遊、恋の争奪って見出しで、スキャンダルが出てる。全然意味なく二枚目になってるとこが受けた。が、いやな感じ。川口も毎夕で神田の件、さんざんにやられてるのでくさってた。そして曰く、「お互に自重しませうな」と。苦笑ものだ。夜熱七度四分半となる。反対療法してみるつもりで、みや古でウイスキーをのむ。

十月十六日(火曜)

昨夜飲み、今朝は大分心配したが反って昨日あたりよりは大分いゝやうだ。「二つのネクタイ」の歌などらくだった。然し何う考へてもつまらない芝居だ。ひる終ってすぐに、松喜へ牛肉を食ひに行った。表へ行って次狂言のプラン立てる、結局、僕の「凸凹ローマンス」を改訂して出さうといふことになった。他に好太郎がやった大森痴雪の「世直し大明神」てのをやる。渡辺・サトウ振はず、生駒馬脚をあらはし、目下僕より他、何かやる奴が無い感じだ。山野でも少しチャンスを与へてやらうかと思ふ。夜の部すむと軍人会館へ行き一席(40)、それから又走って大隈講堂へ行き、地下鉄の夕で一席(35)。すませて又浅草へ戻り甲子郎でみや古のウイをとりよせてのむ。アダヨ入来、二円いかれる。

十月十七日(水曜)

甲子郎で昨夜おそくなり、ねたのが四時、大分のんだし一寸応へる朝、物日で早出だ。雨に恵まれて何処も入りはいゝらしい。のどは昨日より稍悪いといふ程度。「二つのネクタイ」は全くつまらん。貴島のセリフは馴れて来るにつれて馬鹿らしくて言へなくなって来る。ひる終ってすぐ浅草の富士小学校同窓会てのへたのまれて行く(15)、森永で食事した。今日は序幕でトリ。女形をすませてすぐに大隈講堂へ行き、嗄声で一席やり(35)、雨をついて円タク、大崎館て小屋へアダヨ(新門の何とか)ザシで行く。五分やって生駒と一緒に又浅草へ。みやこで鈴木桂介に、「海賊万歳」やらした礼にのませる。山一・大庭も共に。

十月十八日(木曜)

又もや甲子郎で、芸術を論じて徹夜しちまった、毎日つゞけてウイスキーの御厄介、でもさほど咽喉にこたへず。座へ出て、すぐ「二つのネクタイ」をやる、一々セリフが気に入らないのでやり辛いこと。女形の方は、あまりネバ〲と色気を出すので皆が驚いている。ひる終って、ツナシマへ理髪に行く。床屋へは行く迄と、やってる間が面倒だが行って損することはない。喜太八とんかつへ寄り一人でいろ〱食ひ、五十一銭也で夕食をすます。夜の部をすませて、さて今日はのまずに帰らう。吸入して、日記をつけ、たっぷり眠らうと思ふ。

十月十九日(金曜)

今日から十一時あき。十二時に入った。今日はよく寝たので声大分恢復した。ひるの部終って、事務所へよばれ、「十一月から常盤座に定りました。」と言ふ。こいつはありがたいこと故喜ぶ。四時に迎へが来て、アラスカへ婦女界の座談会で行く。サトウハチロー・アナウンサーの河西・早川雪洲なんて顔ぶれ、ヴィクターの専属といふ渡辺はま子、顔よろし、嘱望。帰りの俥代払ってないのは婦女界いかん。夜、役終って、邦楽座へR・K・Oの試写、「クカラチャ」を見に、山野と行く。レーニンの野郎、秘密の試写だなんて言ふから何んなものかと思ったが、テクニカラーのトーキーてだけのもの。又、みや古でサトウ・山野とのむ。

十月二十日(土曜)

座へ出てすぐ「二つのネクタイ」全く声いかん。歌など具合わるし。部屋へ山野来り猥談となる、此奴やっぱり面白い動物なり。生駒は「いや全くいゝ男が一人ゐたよ」と鏡を見入る病ひが激しくなって来て、半分以上本気になってるらしい、ロクローは子供みたいなことを言って喜んでるし、中々よき友は無し。夕食は、又大阪屋のホワイトシチュウとトーストに、大阪ずし少々。今日の八時半からの放送松井翠声病気で生駒が代りに行くことゝなる、で今夜は思はぬみいり故生駒が奢るとある。ハネ後、銀座で新しいすき焼屋大和てのへ行ってみる、こゝでウイスキとらせて、大いに食った。銀座裏、東宝を出て国民の方へ行く角に、すき焼のネオンが二階に出てる、感じのよさゝうなうちが出来たのを前から狙ってたが、二十日夜行ってみる。はぢめ、大阪の本みやけ式に「ヘット焼」とあるから、それをやってみる、之はやはり大阪風に肉の切味を厚く、小さいビフテキ位にしなくてはいけないのに、薄いので事をこはす、が、ねぎの切り方よくいためて食ふねぎはよろし。次に普通のすきをやった、ウイスキーで酔ってはゐたが此のワリシタは、たしかに欠点あり、即ち醤油味でいけない。ザクにも難がある。

十月二十一日(日曜)

夢で、舞台で身ぶりよろしく、筋のある歌を歌ってる自分を見た、而も引込みは螢の光のメロディーで、泣き顔を見せつゝ引込むのである、大いに受けてゐた。出がけに「ロッパ節」創造について考へる。ありふれたメロディーと、作曲とをないまぜ、脚色は自らやり、やってみよう。座へ早く出る。声まだいけず、「ネクタイ」でくさって、女形でいくらか気をよくする。家から持参のいなりさんを皆にも分け、自らも六つ七つ食い満腹した。鏑木が一昨日より、千葉へ母病気で行きっ放し。夜の「ネクタイ」まったくダレる。いやな芝居のトリは憂欝である。みやこのウイ少々とってのみ、帰る。

十月二十二日(月曜)

昨夜の夢で霊感を得たロッパ節は、これだけで立派に一代の芸術家になれるものだといふ気がする。「弥次喜多」「サトウハチローの失恋大福帳」など、すぐにかゝってみたいと思ふ。座へ出る、会田が又休み、此う休まれると嫌になる。鏑木も夕方漸く出て来た。貧乏でたのしみ少し。毎日十円位宛表から借りる始末。とんかつ喜太八から串を買って食ふ。大辻司郎明後日出発、外遊と言って来る。小学校の友畑郁三郎「莨」って雑誌の原稿を依頼に来る。夜、佐藤節・山野とみやこ。酔って向島の梅島のうちをたゝいたが、留守。

十月二十三日(火曜)

招魂社のお祭りだてんで三十分早くあく。マダムの扮装をとるとすぐ、東京女子宝塚会のオザで、日比谷東宝小劇場へ行く。座へ帰ると、口番が「お部屋に梅島昇さんが来てますよ」と言ふ、びっくりして部屋へ入ると、生駒の化粧前に真ッ赤な梅島昇が座ってゐる。「やア、昨夜、君ぁ僕んとこを夜中にたゝいて呉れたさうだな、それで俺ぁ今日突如としてやって来た、何うだいゝだらう?」大分酔ってゐるらしい。で、今夜築地の金竜亭で大いに論じようといふことになった。で、九時頃、生駒・山野・サトウ・斎藤と横尾も共に、築地金竜へ行き、梅島昇の気焔をきく。

十月二十四日(水曜)

十時半起きで出る。飲みが続くのでからだダレて、ひるの「ネクタイ」などてんで辛し。実に辛し。飲みをつゝしまうと思ふ。ひる終って入浴し、部屋で大阪屋の丼シチュウ赤を終って白を食ってると、サトウロクローのとこへ、花井淳子がどなり込んで来た。舞台のことでサトウが花井に注意を与へた、それが言ひやうが悪かったか、きゝやうがいけなかったか、花井が怒って、「畜生」と叫びざまロクローを、バンドでなぐった、と、ロクローも怒り立って、花井をなぐる。その情景にたへられなくなって、いきなりサトウをつかまへ、「女をなぐるとは何だ、許さんぞ」と言ひざま、とめてる(誰か分らぬが)をふりはらひつゝゴンとロクローの耳の裏あたりをノシてゐる自分。急をきいて、菊田と堀井が駈けつけ、堀井は花井の夫だが、これは全く劇壇人的冷静を失はず、淳子はメンスだしまあ兄妹喧嘩みたいなもんだからと言ってロクローをなだめてゐた。僕も漸く昂奮からさめてみれば、何もロクローをのすことはなかったんだが、前に女の子を十人ばかり、舞台のこと、その熱心からではあるが、ノシたことを思ひ出して昂奮したのだ。然し何ともハヤこっちも他人のことは言へない。花井淳子も冷静になったところで、ロクローも共にあやまって、ハトヤのコーヒーをとって水に流すことにした。さて今夜はハネ後、大辻司郎の送別会をやるので、白十字の二階へ、五十銭会費で、王国の人六十人ばかり集まった。誰も衷心から送別の気持があるわけでない、それに僕は、飲み労れの上、先っき昂奮したので労れ〱て、テーブルスピーチも気乗りせず、たゞ鈴木桂介・時田昭男・山野一郎はいゝ余興であった。大辻、二十五日一時出発の由。

十月二十五日(木曜)

座へ出ると、サトウロクローが今日は中耳炎のやうな具合で休むと言って来た由、「二つのネクタイ」は斉藤紫香が代役した。「青春」の少し前、青い顔してロクロー来り、「オヤヂ打ちどこが悪かったよ」と、耳をおさへてゐる。さう言はれてみればしようのないこと、そいつぁ悪かったなと言ふ。次の配役。常盤座へ移って十一月一日からの分。僕は「凸凹ロマンス」の一役と、「世直し大明神」は、ド三枚目を一つ貰ふ。かくて夜まで食事の間もなく腹ペコで演ず、女形で大向ふが「水谷八重子そっくり」のかけ声には気をよくした。次狂言の序幕が、警視庁の役人の道楽劇で、序幕につかまりの連中くさり。

十月二十六日(金曜)

毎日どんより、雨。座へ出る、すぐ始まる。又昨夜のんじまったので、辛くて〱たまらない。ひる終って、ダレた体を揉ませようとしてると、放送(二十九日)のことで新聞記者連がドヤ〲と五六人来ちまひ、一たん落した女形を又塗り直して写真二三枚とる。之が帰ると宇賀神が来て、当日の音楽打合せをした、そこへ又報知の西田といふ物分りの悪い新聞記者来り、生ひ立ちを話せとあって、之に話す、続いて法政の野球選手二人を熊岡天堂が連れて来ちまひ、もませる暇もなく夜の部をやっちまった。ハネ後、黒田謙が飛島を呼び、みやこへ。飛島に女形の心得をきく、参考になった。

十月二十七日(土曜)

十二時に座へ出る。客てんで来ず、バラ〲で、やって居られない位だ。客種もグンと悪く女形の時など馬鹿声出してハア〱笑ふのでやって居れん。梅島昇の「劇界へのへのもへじ」を読む、おしまひの方の「役者と女」あたりから、大いに面白く読めた。飯は大阪屋のシチュウに楽屋売店の茶飯と、毎日だから白あへをとって食ふ。近頃けい古済んで泊る女の子の部屋へ夜這ひする楽士ありとのことで、男子止宿一切ならぬとの貼出しあり。ハネ後凸凹のけい古。然し渡辺と鈴木がゐないので打合せだけして、あと踊りの稽古。

十月二十八日(日曜)

日曜で早く出る、大したこともあるまい、秋晴れで早慶野球戦の第四日曜と来ては。即ちその通り。二三原稿の約束があるのだが暇が無い。次の本もろくに見てゐない始末。夜の部イキな客あり横尾泥海男の旧劇に「よ白木屋ァ」と一声あびせた由。夜の部終るとすぐエノケンを見に松竹座へ。「嫁取り婿取り」が丁度見られた。何よりも舞台、文芸部と、役者以外のもの全部が整然と仕事してることを羨ましく思ひ、引返すと、うちは序ドリ、この序は、曽て僕が馬劇といふ称を与へた、川口三郎案の曽我廼家種のもの、そのなさけなき装置、寒々とした舞台を見せられちまって、がっかりした。川口如くコンマ以下の頭の人間がプランを出したり、配役をしたりしてゐるやうでは、折角此処迄来たものがムザンなことになってしまふ。ハネ後「世直し」の稽古。つまらんものらしいが、ド三枚目のボケで何うにかやれさうだ。

十月二十九日(月曜)

昨夜から九十才の祖母上が家に泊り、朝、「こゝとサカ町が海ならよかろ、朝鮮船流して源之助をのせてあとから岩井条三郎」ってボン〲歌のあった話などきく。座へ出ると、渡辺、とう〱病院へ入った由、土台トーキーとのカケ持は無理なんだ、而もこっちの取り分は川口がモノにしちまってる、との話。中根が代役するので、女形の方の夜は正木にやらせることになる。大阪屋の赤シチュウとトースト。夜の「ネクタイ」だけ済ますとすぐ放送局から迎への自動車で、山へ行く。九時きっちりから三十分。「弁士時代」てのをやる、昔の映画音楽をきいていゝ心持になる。終るとすぐ浜町浜の家へ、エノケンと一問一答のため行き、二時近く迄いろ〱喋る。

十月三十日(火曜)

よく寝たのでさほど労れてゐない。座へ出る、金龍館今日限り、明日から常盤座へ移る。ひるの部、夜の部共に客がわりにいくのは可笑しかった。ひる終って、約束なので「莨」へ六枚、書いた。懐古癖緑波、古いこと幼い頃のことを書いてると実に味がある、と自ら思った。売店の芋てんぷらとおでんに、大阪屋の白シチュウ、トースト。夜の部の「ネクタイ」ふざけて面喰はしてやった。三益と抱き合ふとこで、プッと一発、くさいので三益参ってゐた。夜の部終ると、引越し。ハネ後、表三階で「凸凹ローマンス」を立つ。一ぺん手心のあるものだから簡単に之は片付けたが、「世直し」の立ちは、一時すぎ迄かゝった。

十月三十一日(水曜)

どうも弟子共の弁当代がかゝり過ぎる、少し此の方面を考へないといけないと思ふ。一時半不二アイスで、樋口正美に逢ひ、小林さんを四日の朝早く訪れることを約す。座へ出るとまだ序幕をやってる、川口三郎自ら演出で、道具が揃はぬとか役者がセリフが入ってないとか荒れてゐた。「凸凹」は、去年より背景もよくなったし、端役などを選んだからひき立つだらう。「世直し」にかゝったのはもう十時近く。稽古終ったのが二時半――やれ〱。大労れ。

昭和九年十一月

十一月一日(木曜)

今日は常盤座の初日、雨に恵まれて、つっかけよろし。「凸凹」、去年手心あるものだから安心して出来る、セリフもプロンプターがつけば思ひ出すので初日のやうな気分じゃない。大いに受ける。安心した。「世直し」は、三枚目で尻抜け伝次、ヌーッと出て一人で浚っちまふ。夜の部は「凸凹」ドリ、ハネたのが十時十分。かなりへたったが、鈴木桂介・多和利一・大庭六郎を連れて、みや古へ行き、大いにウイをのむ。もう調子がすっかり治ったからいゝ。

十一月二日(金曜)

十時半あきのところ、中根がトチったので十一時にあいた。入りは昨日程ではないが、先づ悪くなし。「凸凹」大丈夫大受け、「世直し」のボケも、人の呆れる程ボケてみせる、之がやはり当り。今日は開きがおくれたので、青山日本青年館の会は無理言って、六時にトップを切り、約二十分やってすぐ引っ返すといふきはどい芸当をやる(40)。山縣七郎来訪、人形町のつるやへ、生駒・山野と共に行き御馳走になる。今日はうちは満員、エノケンの方は遙にアホられて、全然入りはムザンだったさうだ。調子全く治った。

十一月三日(土曜)

十時きっちり開き。物日で大入満員。どよめく程入ったんだが何しろ回数アホれないので――それに割引もあるとかで、大入りはつかず、皆くさる。(此の日日記する暇なかりしため記憶なし。気がぬけて、あとでは日記書けぬなり。)

十一月四日(日曜)

十時あき、秋晴、天高肥馬的の日曜だから何うかと思ったが、打込みからの大満員、此ういふ日は回数をアホってやりたいんだが、狂言が長いからアホれない。「凸凹」大いに受ける、この受け方は正に「凸凹放送局」以来の笑ひだ。「世直し」のボケも頗る受ける。夜の部終ると、九時だ、急いで支度して丸の内蚕糸会館の大日活の会へ顔を出す(30)。全く声は旧に復したので快い。浅草へ引返して、おさとで川口・東・生駒と菊田・貴島で会合あり。クビにしたい人間を文芸部として書き出して来た。正月は一つ「三人吉三」と行かうなんて話が出る。

十一月五日(月曜)

座へ出ると、生駒が昨夜文芸部が、斎藤・青木その他数名をクビにすることを申し出たが、生意気だと昂奮してゐる、全く文芸部――といふより菊田が思ひ上ってゐるところはある、が、それを生駒は昂奮のあまり、皆のゐるところで喋るのは困った。果して一回の終り頃には、役者連がうるさくなってゐる。菊田・貴島は喋られちまふとは思はないから、困ってゐる。どうもしようがない。然し、人事の出入れにまで積極的行動に出ようとする文芸部は一寸ノサバリ過ぎてゐるとは言へる。やっぱり僕がもっと矢表に立ってゐばるべきかなーとも思ふ。入り悪からず。ハネ後、まっすぐ。

十一月六日(火曜)

座へ出ると、間もなく「凸凹」だ、随分長く演ったものだけど、之は倦きない、何しろ受けるから。「世直し」の方はダレて来る。受けるのだが、自分として、あんまり面白くもない。今日こそ「週刊朝日」を書かうと思ってたんだが、根気がなくなり、電話であやまらしてしまひ、訪れた、藤原義江の支配人長尾克と松喜へ肉を食ひに行く。それから帝国ホテルへ聖橋の女学校の会てのへ。夜の部終って、昨日の問題以後気になってるので、中根・斎藤・青木・生駒をかもめに招いて、話をきく。クビ問題から段々と、文芸部がオヤかってるから大いに僕もしまってオヤかるから――と又色々ホヨ話などする。

十一月七日(水曜)

座へ出ると渡辺篤、顔がひどくはれちまって出られないとあって休み、こいつには参った、山野を代役でいかせることにした。「凸凹」の方はまだよかったが、何しろ三枚目山野じゃ「世直し」の方は、まるで可笑しくって、こっちのボケがひき立たず弱った。やっぱり何うしても書けとあって、「週刊朝日」へ、自信なきもの十七枚書いて送る。夜の部終ると、明日と明後日、引受けた神田の剣道の会の仕事トリやめにすると剣士みたいのが来た、鏑木が母病歿のため、放り出し過ぎたのと、時間を無理言ったので怒ったらしい。川村秀治と堀井英一・友田純一郎とでみや古へ芸術談に夜を更かす。

十一月八日(木曜)

九時半に起き、本郷顕本寺へ鏑木の母の葬式へ行く。鏑木といふ奴も変ってゐる、母親の葬式にゐない、剣道の会の方で大分もめてたらしいから、前金でも取ってゝ困ってるのじゃあるまいか。座へ出ると、今日も渡辺休みだ。「凸凹」は、渡辺にハメて書いたものだけにてんで山野じゃ調子が出ない。とてもいかん。「世直し」も、ボヤ〲してるので、サトウロクローが投げちまって、腹が立った。馬鹿だからロクローなんて奴は、おさへなくちゃ駄目だ。

十一月九日(金曜)

今日も渡辺が休み。山野が「凸凹」と「世直し」両方共代役する、てんでピッチが上らなくてダレちまふ。ひるの部終って配役する。文芸部員は、あれ以来全く気勢上らず、川口と僕とでポン〱定めちまふ。「忠臣蔵」は、大星を避けて勘平をとった。道行のふりごと、腹切りの型等すっかり覚えて勉強してみよう。「フーピーアパート」てのでは、之は再演で、気乗りがしないが、他に役もないので、之に一役。ハネてから、山野・鈴木桂介に、水島道太郎を連れてみや古へ行き、ウイをのみ、芸談。然し、此う毎日続いちゃいけない、参った。

十一月十日(土曜)

舞台は、今日から渡辺が出て来て「凸凹」の方だけやるので、いくらか救はれた、「世直し」の方は、山野でやるのでピッチが上らず、ダレる。ひる終ってさて原稿書かうかと思ってると、梅園竜子や長尾克、文藝春秋の人など来り、気がせいてしようがない。が、スピード〲で夜のあく迄に、「講談雑誌」の十三枚、「ホームライン」に四枚書いた。「凸凹」の間に中華丼をかっ込む。夜の部終り、今日はもう飲みたくないと思ってたのだが、佐藤節が杉浦敦って人連れて来て、之につきあはされて又ウイスキーをのむ。

十一月十一日(日曜)

日曜だから早く出る。大した入りではない。今日は山野一郎休演、しょうがないので今日は両方渡辺がやる。「凸凹」も「世直し」も、これで元へ戻った。やっぱり、役者が違ふ。ひるの部終って地下室の売店へ、しるこやおいなりさん、うんと食って十七銭。プロの投書は予期したより沢山来たが、初日二日あたりに見たといふ投書はムチモーマイが多く、段々とよくなって来るのは不しぎだ。夜の部は大分入りよし。ハネ後、「フーピー」の稽古だ。立ってみるとバカ〲しくてとても出来ない、之は返す気だ。声を悪くしたのが八月の十五日、それから、十月一杯、ずーっとやりっ放しだったが、十一月一日から、すっかり治ってしまった、之は或意味で、ふっ切ったやうでもある、地声が確かに太くなった。声帯模写は相変らず、チャンと出来る。

十一月十二日(月曜)

マーブルへ昼食しに寄る、一円の定食は安い、スパゲティは今日は少し堅くて不出来だった。座へ出る。大庭六郎が、頭取迄「急用があるので休む」と言って来た由、「親が死んでもといふ劇界、急用では理由にならぬ」が、まあ休ましてやる。一回終って事務所へ、皆がゐるので、金のこと等は話せなかったが、「フーピーアパート」の役だけは之は困る――と返して来た。中根におさめる。終って入浴。之より「忠臣蔵」のけい古あり。「忠臣」一本にして、うんと又物を見て歩きたいし、物も書きたし―又オザの具合もいゝし、中根になるべくおさめるつもり。

キネマ旬報に芦原英了といふ人の「凸凹ロマンス」の評が出た。非常に痛いとこを突かれた。作者の気持と役者の役をよく理解した、いゝ批評家である。

十一月十三日(火曜)

今日はらく。かなり入りは悪いがエノケンの方はもっとひどい由。ひるの部終ると、放送局の小林・飛島両人来り、二十二日に「坊ちゃん」を、僕の坊ちゃんで、他に王国の役者を出してたのむとのこと、川口にも話し引受ける。脚色も自分でやる。事務所へ行き、プロの投書をまとめる。夜の部終ると、「日の出」の座談会へ赤坂幸楽へ行く。上山草人・花柳章太郎・飯塚敏子・竹久千恵子・夢声・山野・井口に僕といふ顔ぶれ、ウイスキーを山野と二人で一本のんじまって、殆んどシュー〱すべからざる状態になってしまった。二時半までやる。

十一月十四日(水曜)

今日は舞台げい古、「忠臣」にかゝったのが二時頃で、これが又トン〱と行かず、去年四月初演当時と同じやうに、台本が完備してないためにいろ〱支障あり、勘平の終ったのがもう七時近く。で、東宝の「ヂャブヂャブコント」を見に、堀井・川村と鏑木を連れて行く、まるで入りがない。二十七景は何としても長すぎた。幻燈使ったのや二三いゝ演出があったが、寸劇風のもの皆いけず、凡作だ。太田屋へ寄ってすきやきを食ふ。十二時頃座へ帰り、歌をやり、一時すぎ帰る。

十一月十五日(木曜)

十時あきだが今度は四だけだからゆっくり出る。入り悪し、当りまへだ、狂言が成っちょらんし、僕は一本だし渡辺は活躍しないと来ちゃあ、客が来ないのも無理はない。今回はエノケンにあほられの巻らしい。「忠臣ぐら」凡そ勘平て奴をとったのが間違いだった、やっぱりヌーッと由良でおさまっときゃよかった。くさりくさった、白ぬりを夜は三枚目にしてみようかとも思った。夜の部は三カットで「忠臣」も出る、又一くさりだらう。夜の部迄の間に「坊ちゃん」を読んで放送台本の案を立てる。夜の部の「忠臣」大丈夫くさり。

十一月十六日(金曜)

十一時迄ねられるのは有がたい。家を出て円タク――近頃いゝのを拾へなくて困る。座へ出ると、二日目のこと故、さほどムザンでもないが、入りは悪い。道行きも山崎街道も、勘平宅も大くさり、今週はいかん〱。ひる終って入浴し、すぐ腹這ひになって、「坊ちゃん」の放送台本を二十五枚迄書いてしまった。夜の部の勘平で又一くさり。放送局の飛島来り、黒田謙と生駒とでみや古へ行く。黒田のおごりで、小言をきく会なんだが、黒田は人がよいばかりで小言を言ふ気にもならない。ウイ五本のみ、酔って帰ると、残り十何枚まとめて、四十枚の「坊ちゃん」脱稿、三時半ねる。

十一月十七日(土曜)

昨夜書いた「坊ちゃん」を鏑木に放送局へ持たしてやる。九時に起きて、大阪ビルのパラマウントへ「クレオパトラ」の試写見に行く。次の替りは、僕のクレオパトラと定ったので、菊田・堀井・川村・貴島とで見る。デミルはやっぱり、大物をやっても小味にまとめるところが偉い。クレオパトラの現代訳だ。終って、マーブルへ四人を連れて行って、スパゲティを食はせる。座へ出ると、とっくに届いてる筈の放送局から台本の催促しきりだ。鏑木、省線の中へ忘れて、東神奈川まで取りに行ったのだと、呆れたものだ、何うして此う皆仕事を大切に思はないのか情けなくなる。ひる終ると山縣七郎来り、ポンチ軒へ、カツとシチュー。紅屋で菓子を食って座へ戻る。夜終ってまっすぐ。

十一月十八日(日曜)

第三日曜だから早い。十二時に入ると、もう「忠臣」のあくところ、白塗り、憂鬱である、手足などに塗ることの不快さはえも言へぬ。一ばんいやな六段目は現代語で半分やってみた。ひる終って神田の教育会館へ、在郷軍人の会みたいなのあり、二十分やる。それからチャップハウスへ寄って夕食。早く上ったから、松竹座へエノケンを見に行く。「法界坊」をやってる、之が中々いゝ、いゝんじゃないあたりまへなんだが、本が菊田などに比べるとずっとうまく、本当に出来てゐるので見てゝ気持よし。それからみや古へ、大庭・森・鈴木・白川・水島等を連れてって呑ませる。いろ〱論じつゝのむ。

十一月十九日(月曜)

昨夜又大分のんだので、宿酔だ。いかん。酒をのんでもちっともいゝことはないんだが、何故まあのむかいな。ひる終って入浴し、里見弴の「自然解」に親しむ。此ういふ、のんどりしたものを読むと、昔の暇な時代がなつかしくなる。五時から俵家の叔母の何ヶ日忌かで山水楼へ招かれ、食ふ。あんまりうまくなし、山水楼は一流とは言ひがたい。帰ってすぐ又「忠臣」いや〱やって、入浴。サトウロクローが独立を夢みて、十二月旗挙の計画進みつゝある由。川口に話し、山野の時、同様の手段をとらせよう。中根には「フーピー」演って貰った礼もあり、山一・東も共に下谷でのむ。

十一月二十日(火曜)

午前十時起き、山王ホテルへ岡田静江を訪れ、パーラーで話す。新興へ入るらしい。美松などをひやかして座へ。東来り、サトウロクローは、決してそんな計画は無いと否定してるさうだ、うまく行かなかったのだらう。このまゝにも出来まい、考へてみよう。ひる終ると東京劇場へ、新派を見に。川口松太郎作「明治十三年」といふ喜多村の出しもの、大新派といふのみ。次の小出英男作・真山青果補といふ「明路暗路」が意外にもとてもよかった、作もよし、井上正夫がとてもうまかった。一寸いゝ新派を見た感じ。座へ帰り、くさり乍ら勘平をやり、入浴して、川口のとこでロクロー問題を凝議し、明日生駒・渡辺も呼んで相談しようと定る。銀座へ、ルパンで岩田専太郎に逢った。

十一月二十一日(水曜)

昨夜も又のんでねた、腹具合スッとせず、便所へ行ってもドッと出ず、くさい屁がよく出て困る。座へ出て、「女夫鎹」に眼を通す、一寸難物だが、何うにかなるだらう。ひるの部、腐演、つく〲いやだ。終って入浴、あんまのうまくなった点で大西は大切な人間となった。ねそべって「自然解」に親しむ。五時半、マーブル迄行く。母上と鵜飼家の人々と夜食、母上はすき焼、一寸つゝいてみたがタレに難あり、昔の三河屋のやうなタレを食はせるうちはない。座へ帰って又もや勘平腐演し、終演後、迎の自動車で放送局へ、十二時半迄「坊ちゃん」のテストする、時間が余るので音楽を入れることにした。キャストは学生が失敗、老の声で成っちゃゐない、之は参った。

十一月二十二日(木曜)

今日は放送のため狂言順を入れかへ、「忠臣蔵」を三に据へたので早く出る。勘平ます〱不機嫌、早く「クレオパトラ」をやりたい。サトウロクローの名、今日の都に新宿歌舞伎座出演と出てゐる、又、斉藤紫香にもさそひをかけたりしたことがハッキリした以上、早く処置したい。ひる終ると山一・桂介を連れて森永で食事。夜の「忠臣」すませると朝日講堂へかけつけ、明大ハモニカの会で一席やり、放送局へ急ぎ、八時四十五分からラヂオ小説「坊ちゃん」をやる。わりにトン〱と行き、メリハリにも独自の境を示したつもり、急拵への音楽もキチンとはまって出来はよかったつもりだ。山からまっすぐ。

十一月二十三日(金曜)

新嘗祭で早い。入り相当よし。クサリ演で「忠臣蔵」を終ると、銀座へ出た。千吉で、すき焼を食ふ、やっぱりうまくはない。座へ帰ると、梅島昇が又酔っぱらって「やあ古川緑波ゐた〱」と、部屋へ来た。それから客席へ廻ったらしく、道行の時しきりに声がかゝった。済んで入浴したところへ、すしや横町の久の家てふ座敷天ぷらにゐるからと、梅島から迎へで、行った。日本酒は苦手だが大分飲み、天ぷら中々いけるので大分食ひ、梅島と又芸談数刻、花柳と喧嘩してるらしいのはいかん、と言ったら、僕が間へ入るなら逢ってもいゝと言ふ。よく念を押すと、大丈夫だとしきりに言ってゐた。

十一月二十四日(土曜)

今日から「忠臣蔵」が三、「フーピー」が四に入れ代った、之は夜の割引をきかせるつもりらしい。「忠臣」は何処迄行ってもくさりである。ひるを済ませると鏑木と二人で松屋へ行き、地下鉄で三越へ、手袋を求め、銀座の松屋へ行く。デパートめぐりも、くたびれるが、中々面白し。但し懐中に金なき時は此の限りにあらずだが。久しぶりで煉瓦亭でカツレツとホワイトシチューを食って、酒まんじう食って帰る。夜の部すませると入浴。衣裳屋のお幸と桂介を連れてみや古へ。

十一月二十五日(日曜)

日曜だから――って程入りもしまいが早くあける。勘平の白粉を落すと、マーブルへ、ってふと食事みたいだが、実は、オザ。凡そ馬鹿みたいな奴ばかりで、やりにくいの何のって。それから軍人会館へ、若越会てふのでこゝの客は敏感なので気をよくしたが、さて二つ共、お代は後程ってことで、がっかり。懐中頗るピイとなり、しょげつゝ御徒町のポンチ軒へ寄って、食事し、座へ帰る。夜の部すませると、黒田謙からたのまれた八王子のオザへ、約一時間半、関谷座てふ小屋、大した悲しい小屋、で十五分ばかりやって(30)、鏑木と二人だけ自動車で帰る。東京へ帰ると十時半、演舞場へ島田正吾を訪れ、共に銀座でのむ。

十一月二十六日(月曜)

座へ出る、ひるの「忠臣」腐演。サトウロクローの問題、事務所側にクビの意志がないから、之以上進展しさうもないが、しゃくにさはる。何とかしてやらう。東京劇場へ文藝春秋愛読者大会あり、行きがけに、久の家ではしらのかきあげを、一寸気にし乍ら食った、これがいけなかった、東劇へ着くとシク〱腹が痛み出し、舞台へ出る時大分キヤ〱して弱った。東劇の舞台は流石気持よし(20)。一席やって座へ帰る。ハシラが大分祟って、とてもキヤ〱してかなはない、背中からサロメチールを塗り、腹へは懐炉を入れて、公会堂の日日新聞主催東北救済の会へ出て、一席やる(30)。それから東劇へかけつけて、小島政二郎と山本安英の「時の氏神」を見る、菊池寛が運転手になって一寸出た、之が大受け、何とも滑稽味の豊な人ではある。之がすんで山水楼で慰労会があり、行く。ウイスキーをのむ。一つそこで腹を治す気だ。大佛次郎のキングコング、関口次郎が変態のメイランファン、林芙美子のどぜうすくひ等々のあとで、僕、山寺で菊池寛等いろ〱やる。久保田万太郎氏と酔っ払って浅草へ、おでんやで二時すぎ迄のむ。

十一月二十七日(火曜)

今朝になったら、宿酔気味だし、づる気分で鏑木を座へやり今日は休む、昨夜から腹下しで、と言はせる。どうせ夜は稽古で、之だけは出る気だ。むしずし一個食ひ、演舞場の「冬の夜の出来事」を見に行く。外国物の翻案、島田が之を浅草でやってはと言ってたから気をつけて見たが、何うも浅草向ではない、丸の内向きの気のきいた探偵物だ。千吉へ寄り、鏑木に意見などして座へ、表二階で「女夫鎹」の立けい古。

十一月二十八日(水曜)

座へ出る、昨日は斉藤紫香が代役したので礼を言ひ、化粧前へ座ると山野から手紙「手紙など書かず口で言へばいゝのですが」と書き出しで、川口宛に山野が値上嘆願の手紙を書いたことの詫と共に、次狂言に僕が復讐として、ひどい役を三つつけたといふて怒って来てゐる。馬鹿々々しいが、誤解だけはいかんと思ひ、「役割のことは君の誤解、役割当日不在、又君をそれ程問題にしてやせん、明日あたり話すであらう」と書いてやる。ひる終って日比谷三信ビルの眼鏡屋へ誂へに行く。紫外線よけのと普通の二つ誂へる。山水楼で食事し、座へ帰り、夜の部やってから、「クレオパトラ」を立つ。

十一月二十九日(木曜)

ひる終って入浴、部屋で「自然解」を読みつゝ大西に揉ませる。山野からの手紙に対し、いろ〱考へ今夜にも暇あらば話してやる気。大阪屋のシチュウとトースト。ふとそんな気になってツナシマへ理髪に行く。チャキ〱といふはさみの音をきゝ乍ら、うと〱眠った。座へ帰り、くさりの勘平のらくだ。道行はいつもの通りだが、六段目では、狸角を渡辺篤が買って出て、与市兵衛の屍にわざ〲桃色のサックをふくらましてキン玉まで造ってかついで来る。こっちは腹へ、ヘソを口にして舌を赤でかき、足の裏へも顔をかいて出て、しきりに笑はせるので、めちゃくちゃになっちまった。済んでから日記、又揉ませる。

十一月三十日(金曜)

昨夜山野とみや古へ行き一時までいろ〱と意見してやり、かた〲飲んだので今朝十一時半までねた。それから母上と一緒に新宿歌舞伎座へ、名流大会といふ催しで行く、あんまり入ってない、一席やって、まだ早いが座へ出る。久しぶり「女優さんと散歩しようか」と、三益・柏とで松邑へしるこ食ひに行く。四時頃から「女夫鎹」となり、八時近くまでかゝった。まあ之は面白く演れるものなり。終るとすぐに、又新宿歌舞伎座へ夜の部をやりに行き(50)、座へ帰り、「クレオパトラ」。何うも寒いので驚いた。或日クレオパトラ、メリヤスのシャツを着て出演といふことになりさうだ。終ったのが一時半。帰って五時迄かゝって、セリフをやる。「女夫鎹」だけはまあ入った。

昭和九年十二月

十二月一日(土曜)

今朝十時起き。「女夫鎹」だけはうす〱入ったが「クレオパトラ」は行く道の円タクの中で覚える始末。三の「女夫鎹」が開く。長谷川伸の涙をさそふセリフは、口にする時涙がわい〱出て、いゝ心持だ。先づ、気をよくした。評判もいゝ筈。「クレオパトラ」は全然くさり、僕が女になっちまふので客は笑はない、作者がドラマツルギを知らないから、てんで役どこてものが分ってないので此うなる。作者等部屋へ来て、何うしよう〱とさわいでるが、土台書けてない脚本じゃ芝居は出来ない。ハネが十時。

十二月二日(日曜)

三時頃ねたのに又十時起きだからとても眠い。「女夫鎹」は、酔っ払ひの件は少々苦しいが、あとはとても気がよくって、泣けて来るし、いゝ心持。客も意気がよくって、「沢瀉屋ア」てなことを言ふ。最もいゝのは幕があく途端、まだ芝居が始まらぬうちに「東劇そっくりー」と来たのが可笑しかった。「クレオ」は短くしたがどうもいけない。女になっちまふのが可笑し味のなくなる原因らしい。夜の部は、二ドリなので早く終った。隣の金龍館、木村時子と杉寛の「カフェの夜」オテクさんを見、川口・東・貴島・菊田と生駒で田圃の平埜で牛肉食いつゝ十二月下旬以後のプランを立て、十二時、甲子郎おでんへ行き、山一他と又のむ。調子が一寸可笑しい。

十二月三日(月曜)

たしかに多少調子をやってゐるのだが、人の気のつく程でもない。「女夫鎹」でハリ切って叫ぶところがあるのだ、それでやるらしい。ひる終ると、松屋へ行き、一人で食事し、座へ帰る。夜の部「女夫」は酔っぱらひのとこがセリフが後先になってしようがない、が、酔ってるとこ故何うにか胡麻化して行ける。「クレオ」は隣りの木村時子等が見て「笑はないのは当りまへ、河合武雄がクレオパトラをやってると思へばいゝ、古川さんのは女になってる」と言った由。気をよくした。夜すんでからみや古で飲み、又大分酔った。

十二月四日(火曜)

又昨夜も三時。こんなに毎日飲んでばかりゐちゃいかん、ぐん〲仕事して金を儲けなくちゃ飲み代が――何だイ、それじゃ同じことになっちゃうじゃないか。ま、そんなこと考へて、母上と一緒に出て大学病院へ時政の見舞に寄る、何うも肺病の見舞は嫌だ。座へ出て、「女夫鎹」。袖が繁昌して女の子等が見ちゃ泣いてる。結局内輪に評判のいゝ芝居でなくちゃ駄目だ。ひる終って入浴し、毛利の肉まんと、大阪のビフシチュウに飯。夜の部、「女夫」は又気が入って、涙サン〱。「クレオ」でくさり。帰り甲子郎でおでん食ってまっすぐ。

十二月五日(水曜)

雪が降った。朝はあがったが、稍々白し。座へ出ると、「三益がチゝキトクの電報で帰阪したので休み」とある、実は中野が御乱行とかで泣いたり、ヤケ酒のんだりしてたさうで、そのための偽電だらうとの説、イヤハヤ女子と小人養ひがたし、折角ハコに入って来た「女夫鎹」が今日は正木代役、之も役どこは嵌ってたが、三益程のモダニズムに欠けてゐるのでさっぱり。ひる終って家から持参の茸飯を、豚汁とって食った。夜の部、正木も少し手に入って来たが、三益の方がやっぱりいゝ。「クレオ」は今日寒さ身に浸みた。幕切の馬鹿々々しさ、やってゝも実にいやだ。ハネて入浴し、誰か一杯飲ましてやらうと思って探したが鈴木桂介しかゐず、甲子郎で意味なくのむ。

十二月六日(木曜)

昨夜鈴木桂介とのみて話をきくと、中幹部部屋で、色々なデマがとんでゐるらしく、「笑の王国」も解散だと言ってる奴もある由――ところが今朝座へ出ると、川口が此処んとこ不入りなので十二月下半は休みたいとか、或は十日替りにしようとか言ってる由、結局そんなこと言ってゝ値下したいんだらうが、さう来る前に、こっちは準備してやらなくちゃ――と思ふ。ひるの部「女夫」よし「クレオ」くさり。終って大阪屋のホワイトシチュウ、チキンカツと飯。ハネて入浴し、銀座のジュンコバーで飯田蝶子・吉川満子等に逢ふ。

十二月七日(金曜)

朝伊藤松雄を訪問し、色々話す。座へ出る、今日も入りは悪い。然し「女夫」は気持がいゝ。「クレオ」又くさって、ひる済むと入浴。佐伯孝夫に、ロッパ節の創生につきお話したいから来て呉れと手紙を書く。川口と正月興行の相談、「大久保彦左衛門と一心太助」などは何うだらうなど〲話し、夜の部をやる、汗をかき、次に又寒がり、約束だったので友田純一郎とみやこへ行き、菊田一夫・川村秀治等も来り十二時半までのみ、食ふ。

貧乏なり、困る。

十二月八日(土曜)

十二時半近く時政家の不幸に一寸顔出しをして座へ出る。ひるの「女夫鎹」は妙に気が入らず、土曜にしては大悪の客だし、「クレオ」と来て、どん〲ダレた。三益愛子続けて休演、京都から手紙をよこし、十日には帰ると言って来た、よく意見してやらう。ひる終って入浴し、大阪屋のハヤシライスと毛利の肉まん。白井鉄造来訪。加藤雄策が来たから今日は奢って貰はうと思ってたら頭痛がするからとて帰っちまふ。大辻のとこから、大辻の兄といふイヤな奴、例の金のことを言ひに来やがった、腹が立った。いゝ日じゃない、シャクにさはる。

十二月九日(日曜)

昨夜はのまず。鏑木、診断書をよこして曰く、もう十日位休みと。座へ出る、「女夫」は日曜の客向きじゃないとみえ、ワッとは来ない。「クレオ」でくさって、ひる終ると配役。次週は「坊ちゃん」とヴァラエティだけに出る。夜の部終ったら六代目見に行くことゝして、「クレオ」を走ることゝする。東劇へかけつけると丁度「金子市之丞」の前の幕間。二幕六場、まる〱見られた、六代目三役早替り、結局凝っては思案といふ感じ。「くらやみの丑松」の方がずっとよかった。渡辺篤とのむ。

十二月十日(月曜)

座へ出る。貧乏で困るから、会田を使に出し、博文館へ稿料とりにやり、大辻のとこへ、シャクだから三十五円持たしてやる。ひるの部、入り薄し、「女夫」も気が入らない、「クレオ」は尚更。終って、肉丼を食ひ、一寸表へ出てすぐ帰る。会田使から帰り、博文館より二十五円来た。大辻の方は「先生気を悪くなさらぬやう」と言伝、気を悪くしてる。夜の部「女夫」は、荒井猛トチリ、その他袖がうるさくて弱った。シンミリ物の時は、今後よく注意しよう。夜の部「クレオ」は寒し。ハネて入浴、千吉へ寄りまっすぐ。

十二月十一日(火曜)

座へ出る、入り悪し。十日に帰ると言って来た三益まだ帰らず、正木だから尚いけない。一っそこんな入りのない日は「クレオ」がらくでいゝ。日本評論新聞の記者てのが二人、赤新聞のひどいのだ、いろ〱言って結局年賀広告を出せと言ふのだ。次には松ノボルってエノケンの役者が猥画を買うて呉れと言って来たり、いやはや。然し一々来るヘンな物もらひに、ズバ〲金を呉れてやりたいものだ。夜の部やって新宿まるやへ徳川夢声に逢ひに行く。

十二月十二日(水曜)

座へ出る、入ります〱悪い。「女夫」は笑の王国の客にはシックリ来ないらしく、盛り上って来れば来る程、ヘンな感じが客席にみなぎるやうな気がする。三益、まだ帰って来ない、しようのない奴だ。「クレオ」寒し。ひる終って、東亭の肉丼。ねそべって「オール読物」へ九枚書いた。「頓馬太平記」の時、進行係の清水が女の子を怒って、「淫売!」と言ったてんで女の子部屋では問題となり、代表で新太郎が御注進に来た。何とかせねばならぬ。生駒から菊田に叱るやう言はせた。三益、夜になって帰って来た、「しょがない奴だね」と怒ってみたが、やっぱりいゝ奴だ。

十二月十三日(木曜)

三益が帰って来た、やっぱりいゝ。「クレオ」は、らくだから大分ふざける、ふざけ栄えもない、全く客の来ないこと激しいもので二百円もおぼつくまいといふ話だ。ひる終って肉丼食って、ねころんでると、金語楼のマネエジャ来り、一月のオザのことで話して帰る、今年は一体に不景気らしい。川口が蒲田のアフレコをたのみたい旨言って来た由、暮のこと故いゝだらう。夜の部の「女夫」は大熱演して、「クレオ」終って、ヤレ〱とホッとし、入浴して「坊ちゃん」を、表二階で立つ、十一時まで。大庭・山野・藤山とみや古へ。

十二月十四日(金曜)

午前中、伊藤松雄の家へ行って話し込み、二時近くに座へ出る、今日は稽古初日だが、「坊ちゃん」は舞台稽古無し。わりに入りは悪からず。大分暇があるので大勝館へ行く。「合点承知」古きルウコディーが出てるのが懐しかったゞけ。ジャック・オーキー舞台裏ものばかりやってる。「征服王大脱線」ひどい名をつけたもの、原名“Hollywood Party”ジミイ・デュランド感じ出ず、ロレル・ハーディーのアチャコ・エンタツ振りいと面白し。殊に卵割のとこなど面白かりし。とんかつ屋で食事して座へ。「坊ちゃん」学生をやる連中が二月の時より悪く、一寸おやからぬ感じ。十時二十分ハネ、堀井・川村と、みや古で、次のヴァラエティーの案を練る。

今日金の出る日なのに、百円しか表から呉れぬ。

十二月十五日(土曜)

二日目、出がけに軍人会館へ寄る、横浜の女学校の会で一席。トップで客がザワ〲入って来る時は全くやりにくい。座へ出て、ひるの部、「坊ちゃん」も大丈夫。ひる終って外出せず、部屋で、正月のヴァラエティーの案を練ったり、ねころんで揉ませたり、そのうちとろ〱と眠った。夜の部、「坊ちゃん」のウケ方てものは大したものである。之は、やってゝも楽だし、当り狂言の一つであらう。ハネて入浴し、大庭を連れて森永へ。

十二月十六日(日曜)

九時半起き、蒲田撮影所へ。蒲田スナップ「春は朗らか」の、セレモニー役で、もう出来てるスナップにアフレコで、説明を入れる。それだけでは曲がないので、紙芝居屋で出て呉れといふ。あまり嬉しくないのだが年末のことだし、子役連を前に紙芝居屋のまねをする。一時間で終り、あとは十八日か二十日の夜、アフレコをやる由。自動車で座へ、今日は気持よく入ってる。鏑木漸く出て来た。ひるの部は「坊ちゃん」あまり実が入らず、でも大受け。夜の部「坊ちゃん」大いに受ける。九時に終る。金龍館に「女軍出征」をのぞき憂欝になり、上野永藤へ寄ってまっすぐ。

十二月十七日(月曜)

一時一寸すぎに座へ出る、山野一郎調子をやり、ヴァラエティー中の万才でイヤ声を出す、野だいこもムザンなので夜から変らせることにした。ひるの部終って、正月のヴァラエティー用の本を書く。東が金をあと二百円持って来た。これでも金が足りなくって何うにもしょがない。来年から値上して貰はねばやるだけ損だと思ふ。川端康成来訪、梅園竜子同伴、一向話もせずして帰る。夜の部「坊ちゃん」大声で話する奴あり、芝居出来ず、大いにどなったが、犯人出ず怒りっぱなし引込みつかず。頭取と進行にカス。ハネ後みやこへ大庭・木島・森八と。

十二月十八日(火曜)

九時に起きて、JOトーキー「百万人の合唱」を見に行く。徳山璉と夏川がよろしい、歌手が沢山出るし、中々面白い、批評家には評判がよくないが、結構見られる写真ではある。吉田信に逢ったら、オーゴンレコードの吹込をたのまれてると言ふので、その話に乗る。暮のこと故、ちょっと稼ぎたし。教文館五階のR・K・Oへ寄り、レーニンと話し、二十日午前「キングコングの復讐」の試写をして貰ふことにした。座へ出ると、山野休みで一安心した。ひる終って、上野永藤まで食事しに行く、ビフテキとチキンカレー。座へ帰って川口と正月の二の替りを立てる。ハネ後、轟等を連れて銀座へ。

十二月十九日(水曜)

座へ出る。日本評論新聞の馬鹿記者来り、「今日の新聞ごらんでしたかへゝゝゝ」と出したその新聞てのが三益愛子と僕が出来てるとか何とか出てる、これでおどかさうとするんだから始末が悪い。「御感想は」ときくから「こっちから伺ひたいですな、こんなことあるんですか」と言ってやる。ひる終って入浴、米久へ牛肉を食ひに行く。夜の部終ると蒲田から迎への自動車が来て、撮影所へ行く。「春は朗らか」一巻、之にアフレコで説明を入れる、いゝ仕事じゃないが、言葉のギャグを考へ〱、三時近くまでやって、漸くチョン、労れて帰る。

十二月二十日(木曜)

十二時近くまでねた。風邪っ気の咽喉。座へ出る、鏑木又休み、会田も又休みだ、此の二人のつとめっぷり全くゼロである。ひる終って外出する元気もなく、マリダンゲームで遊ぶ。一寸面白い。夜の部終ると、佐伯孝夫とヴィクターの青砥来る、共に、丸の内邦楽座へ昨夜吹込んだ「春は朗らか」の試写を見に行く。もう一寸練習が必要だったと思ふ。佐伯・青砥と下谷へ赴き、ロッパ節について語る、二時近し。

十二月二十一日(金曜)

十時半、教文館ビルのフジアイスに集り、R・K・Oの「キングコングの復讐」“Son of King Kong”を、菊田・堀井その他女の子達も見せてやる。愚も甚しきものの、てんでお笑草映画。その他カリオカの踊りのとこだけ一寸写して貰ひ、千疋屋で食事して座へ出る、咽喉いけず、吸入しようとすれば大西間違へてへんな薬を買って来る、腹の立つこと頻りである。マリダンゲームで遊ぶ、皆相当上達した。夜の部は熱が七度二分なので大分苦しい、榊磐彦とその友の医者来訪、正木その他を誘ってかもめへ行く。

十二月二十二日(土曜)

十時起き、風邪具合よろしからず。母上と三越本店へ行き、ソフトと靴、鯛めしの折詰など買って、食事して、座へ出る。鏑木が休み、大西が又無断欠勤、会田も来ず、何とはや呆れはてたる者共である。ひるの部終って、マリダンで遊び、折詰を食ひ、事務所へ行って、配役。川口に、値上のことを何うしてもたのむと言っとく。暮に金を借りること、それも言っとく。正月は大久保彦左をやれと川口は言ふ。「新婚」の方が行きたいのだが、本極りは明日といふことに。夜の部終って雷門の明治製菓で笑の王国の忘年会、川口が百人を招いて一席訓辞、十一時半散会。

三越の特別食堂てので、スパゲティを食ってみた、淡々たる味で、(ナポリタン)うまい。少し水気が切れない感じ。ポークロース、普通。五十銭宛だが、値にしてはうまい。

十二月二十三日(日曜)

日曜なので少し早く出る。大西、昨日はちゃんと鏑木に断はって電話かけるやう頼んだ、とある。鏑木は家を出てゐるらしいのに、こっちへ顔を出さぬ、グータラは許せない。ひるの部終ると、配役で又一もめ。結局僕は「新婚」を読んでみたら、貴島の無能さをバクロしたものなので呆れ返り、やっぱり「大久保」の大久保を行くことにした、渡辺が喜内をやり、生駒に望みの太助を行かせることになった。夜は九時に体があいた。ムランルージュのヴァラエティーが好評なので、かけつけてみたが、古いアイデアが多くてあまり感心しなかった。ムーランの穂積純太郎とのむ。

十二月二十四日(月曜)

十一時迄ねた。上山雅輔エヤシップを持って歳暮に来る、此の男にも報ゐること少くて気の毒だが、よくやってゐる。伊藤松雄のところへ上山を連れて行き、しばらく話して一時半に自動車で出る。すぐひるの部。咳が出さうで困る。配役のことで文芸部へ。結局、「新婚」の方をやることにした。貴島を連れて米久へ牛肉を食ひに行き、白十字で茶をのみ座へ帰る。夜の部をすませると部屋で一寸又マリダンして、友田等とみや古へ行った。

十二月二十五日(火曜)

十一時迄ねた。座へ出て、すぐ文げい部へ行き、春狂言のうたい文句を書く、それから「週刊浅草」てのへ二枚書く。朝から能率をあげた。オーゴンレコードの人来り、二三日うちに、二枚だけ声帯模写を一枚八十円で吹込む約束をした、安いが年末じゃしようがない。それから鏑木と銀座の伊東屋へ行き、クリスマスプレゼントを買ひ、菓子をしこたま座の女の子達にだけ分ける。十銭のを三十個。僕の留守に飛島が来たので生駒が黒田のクビのことを話したら、一月だけ何とか――としきりに頼んで帰った由。夜の部終ってから、銀座のかもめへ、うちの女の子五人連れてって、クリスマスをした。

十二月二十六日(水曜)

九時に起きて、江戸川の講談社へ、三益愛子と行き、講談倶楽部のため万才の写真をとる、来年の三月号だから可笑しい。ツナシマで理髪し、舟和でチョコレートアイスクリームソーダをのむ、宿酔気味で色々水分を欲する朝だ。座へ出てひるの部を終ると、講談倶楽部へ今日の万才の原稿四枚書いた。大阪屋のビフテキと飯、森永のハンバクサンド。夜の部終ると、オーゴンレコードの田口勝三郎来り、サロン春のクリスマスに招かれた。

十二月二十七日(木曜)

十一時迄ねた。咳が出てしょうがない。「坊ちゃん」の森八郎、「いなごはぬくいところが好きじゃけれ大方ひとりでおはいりたのやろ」のセリフが、尻上りになり、何遍直さしても直らないので舞台でカンが立ってどなる。丁度「バカヤロ」とどなるところなのでいゝ。都の近くのヒラヰ軒て洋食屋へ入ってみる、駄洋食で、メンチシチュウ、ヤサイシチュウなどあって直でよろし。飛島来り、黒田は身をひかせることに定った。飛島は大分奮慨してゐるやうだが、何しろ黒田じゃ仕方がない。夜の部終って、「新婚」の立ち。何ともハヤつまらぬこと大したもの。くさって、川口・東と浩養軒へ寄り、一杯のむ。

十二月二十八日(金曜)

八時起き、田端のオーゴンレコードへ行き、吹込みしようとすると、鏑木に言っといた譜を忘れて来やがって又取りに行くやら腹の立つこと続出。いざ吹込み、声の調子わるく、苦しいが、金がほしいのでやっつける。一枚すんで、二枚目のAだけやったが、Bの案無く、又一月に吹込むことにした。金は二枚分呉れた(160)。大分助かる。座へ出ると咽喉具合全くいけず、安来節をカットにした、その代り山野に漫談しろと言ったらドテラのまゝ出たってんで驚いた、呆れた奴だ。此ういふ奴は全くゐない方がいゝ。ひる終って、牛鍋本店て家へ肉を食ひに行き、帰りに大勝館へ入って漫画二三見る、シリイシムフォニーの極彩色よろし。

十二月二十九日(土曜)

殆んど一年に一度って感じだから、今朝は雪がジャン〲降ってるが、下二へ行く。隠宅で二時近くまでゐて辞す。雪だが、客は相当入ってゐる、ひるの部終ると、飛島来り、放送局、声帯模写を一月八日にたのむとあるので、声帯模写十八番として原稿すぐ作って渡す。事務所の川口のとこへ行く。「来年は一つ小林さんに話して有楽座のコケラ落しか、宝塚中劇場あたりへ何うです?」なんて意外なことを言ひ出した。金は三十一日でなきゃ出ないらしい、何うもひどいものだ。皆ふくれまいことか。夜の部終って、みやこにてのむ。

十二月三十日(日曜)

(なし)

十二月三十一日(月曜)

今日は稽古初日だ。座へ行くと、もう借金取がおしかけて来る。が、まだ金が出ないんだから可笑しい、可笑しいどころじゃないが、大晦日の午近くなってもまだ出ないとなると皆妙に不安である。金は、先日の蒲田の礼が百円、表から無理を言って四百五十円ばかり借りた。それを案分しちまふと、正月の小遣てものは殆んど淋しいものになってしまった。来年から一つケチ〱して、表の借もキッチリして、ワン〱かせぐこっちゃ、あんまり使ふまいぜ、と思ふ。いや毎年の感想ではあるが今年のはほんとにつく〲感じたんだから大丈夫だ。四時半稽古終り、客を入れるとすぐに開演。こんなくさったもの近来稀なり。ヴァラエティ終って入浴。諸払ひをすませ寒々と正月を迎へる気持。

台本メモ

「凸凹世界漫遊」

三十枚程度のレヴィウ台本。サトウ・ロクローのドタバタ演技を念頭にして、それに宝塚の歌で、僕愛唱の「ニャン〱メイ〱チョ」と「すみれの花咲く頃」とを入れて書いたもので、宝塚の「ミス上海」などの影響を受けてゐるし、自信なき一篇である。又とやりたいとは思はない。

「銀界に踊る」

何かヴァライエティー風のもの急に欲しいといふので、楽屋で大急ぎでデッチ上げた二十枚もの。踊りや歌を手頼ったので、大していゝものではないが、プチ・レヴィウと銘打ったゞけに小品として、頗るスマートでいゝと好評。女の子の会話が、大分モダンなためか、女学生より投書で賞めて来た。

「芝居の世の中」

七十枚の力作。久しぶりで身を入れて書いたもの。ネタは、中野実の「女優と詩人」。あれをのばしたやうなものだが、構成はかなりうまく行ってゐるつもりだ。でも書き上げた時、いゝものだといふ自信もついたが、「結婚二重奏」の二の舞をやったやうな不安もあった。イタにかけてみると、かなりむづかしい芝居だった。神田の役が何うにも無理だった。それにテマがむづかしいのか客にのみ込めないらしいとこがあり、浅草向でなさすぎた。丸の内あたりでも一度やり直したい。

「海・山・東京」

松竹座の大舞台を利用し、日頃考へてゐた、キネオラマ又はパノラマ式の背景効果を狙って書いた、レヴィウである。踊り子は少いし、歌手はないし、結局海の背景で「沖のいざママり火涼しく見へて夢を見るよな佐渡ヶ島」と佐渡おけさにつれて、背景に灯入り、月が出て波に映るさまを見せる、そんなことで手をとらうとしたのだが、之は見事に裏切られた。大道具の費用節約のため、装置部も、まるで手を抜いちまって、画はみんな書割り、それもひどいものばかり、カーテンは皆ワリドンで胡麻化すって有様、小村雪岱張りでと注文した「街の夕涼み」の景など、てんで黒バックで、一寸切り出しが出るだけ。さんざんなので見る元気もなし。芝居としては、一景の氷柱のギャグが一ばん成功した。山のとこは熊の縫ひぐるみがチャチすぎて失敗、声色のとこは狙った通り成功。「わが家の海」も先づ〲ってとこ。フィナーレに、考へた「光と音の交響楽」は、もう一度試みたい、此んな装置じゃとても駄目だ。

「サーカス来る」

これは作品といふ程のものではない。堀井英一の振付で、踊り沢山、それにたゞ間を縫って、セリフ無しのパントマイムばかりを並べた、断り書に曰く、「これはボードヸルクラシックの一小集成である」と書いた通り、天勝やその他の古いコミック、ウィリアム・テルやその他、胡蝶の舞まで入れてみた。ほんのつまらぬもの。

「笑の王国ニュースレヴィウ」

プロローグに大辻を司会者で出し、一景は「キング・オブ・ジャズ」か何かの中で見た寸劇を直して「最も新しきニュース」として、渡辺にあづけ、「学生のカフェ入り禁止」「女豪傑」(女学生が泥棒を捕へた件)と、三益と僕で万才をやり――等、ニュースを取入れたもので、ほんの短い十二三枚もの。わりに寸劇はピンと来て、暗転々々に笑ひがとれた。

底本 / Source edition

底本:「古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉 新装版」晶文社
2007(平成19)年2月10日初版
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年12月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/052689_001558/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/052689_001558/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/052689_001558/

古川 緑波「古川ロッパ昭和日記──01 昭和九年」(新字旧仮名)、底本『古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉 新装版』晶文社、2007年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 052689_001558, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite