## <ruby><rb>乱鳥図</rb><rt>らんちょうず</rt></ruby>

都は紅葉しかけている。

高尾も、鞍馬も。

その日、二条加茂川べりの<ruby><rb>水鳥亭</rb><rt>すいちょうてい</rt></ruby>は、月例の“<ruby><rb>文談会</rb><rt>ぶんだんかい</rt></ruby>”の日であった。

流れにのぞむ広間の<ruby><rb>水欄</rb><rt>すいらん</rt></ruby>には、ちらほら、参会者の顔も見えはじめ、思い思いな水鳥の群れに似た幾組かを、ここかしこに作りあっていた。

「いいなあ、秋の水音は」

「肌ごこち、なんともいえぬ。河原は昼の虫の音だし……」

また、べつな組では。

「――今日は、何人ぐらい集まろうかの」

「いや、ほとんど洩れはあるまい」

「<ruby><rb>触</rb><rt>ふ</rt></ruby>れ<ruby><rb>状</rb><rt>じょう</rt></ruby>では、久しく見えなんだ<ruby><rb>俊基朝臣</rb><rt>としもとあそん</rt></ruby>も、今日はお顔を出されるとか」

「それよ。何ぞの報告もあるにちがいない。長い忍び行脚から、両三日前、<ruby><rb>密</rb><rt>ひそ</rt></ruby>かに、帰邸しておられたそうだから」

かかるうちに、追々、参加者はふえていた。

――顔ぶれを見ると。

<ruby><rb>尹</rb><rt>いん</rt></ruby>ノ<ruby><rb>師賢</rb><rt>もろかた</rt></ruby>、四条<ruby><rb>隆資</rb><rt>たかすけ</rt></ruby>、<ruby><rb>洞院</rb><rt>とういん</rt></ruby>ノ<ruby><rb>実世</rb><rt>さねよ</rt></ruby>、伊達ノ<ruby><rb>三位</rb><rt>さんみ</rt></ruby><ruby><rb>遊雅</rb><rt>ゆうが</rt></ruby>、平ノ<ruby><rb>成輔</rb><rt>なりすけ</rt></ruby>、日野<ruby><rb>資朝</rb><rt>すけとも</rt></ruby>。

僧では、<ruby><rb>聖護院</rb><rt>しょうごいん</rt></ruby>ノ<ruby><rb>法印</rb><rt>ほういん</rt></ruby><ruby><rb>玄基</rb><rt>げんき</rt></ruby>。ほか数名。

また武士側は、<ruby><rb>足助</rb><rt>あすけ</rt></ruby>次郎<ruby><rb>重成</rb><rt>しげなり</rt></ruby>、<ruby><rb>多治見</rb><rt>たじみ</rt></ruby>国長、<ruby><rb>土岐左近頼兼</rb><rt>ときさこんよりかね</rt></ruby>などの十数人。

さらに、儒者とも医師ともみえぬ者も、交じっている。

要するに、この文談会の趣旨というのは。

僧俗貴賤の階級も問わず、ただ文雅に心をよせ、好学の志を持つものを以て集まる――というのであったから、この<ruby><rb>玉石混淆</rb><rt>ぎょくせきこんこう</rt></ruby>も、ふしぎではない。

そして、自作の詩文を評し合い、また、時代の新思想とされている宋学を論究したり、時には、当代の<ruby><rb>泰斗</rb><rt>たいと</rt></ruby>を招いて、その講義を聴く――というおそろしく、まじめな会でもある。

が、それは表面の<ruby><rb>標榜</rb><rt>ひょうぼう</rt></ruby>にすぎなかった。――この中の武士にも公卿にも、およそ六波羅や、幕府方に信用されている人間は、一人も見あたらないのをみても、それはわかる。

ここの会場水鳥亭も、たれの<ruby><rb>館</rb><rt>やかた</rt></ruby>でもない。むかしは、<ruby><rb>奢</rb><rt>おご</rt></ruby>りを<ruby><rb>謳</rb><rt>うた</rt></ruby>われた<ruby><rb>大臣</rb><rt>おとど</rt></ruby>の別荘であったというが、住みてもなく荒れていたものを、<ruby><rb>一昨年</rb><rt>おととし</rt></ruby>ごろ手入れして、以来月々の“文談会”の例席としてきたに過ぎない。

だが、会合も、回をかさねること、すでに二十たびをこえ、その<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つど</span>顔ぶれもふえ、またさかんになるに従って、会後の<ruby><rb>婆娑羅</rb><rt>ばさら</rt></ruby>な無礼講の遊宴も、いつか常例になっていた。

無礼講は、無礼問わずである。

僧は僧衣を<ruby><rb>外</rb><rt>はず</rt></ruby>し、武者は烏帽子をかなぐり除けて肌をぬぎ、公卿も冠を床において、飲む、歌う、舞うの徹底的な快楽をつくすのだった。

これには、近くの堀川や六条あたりから、<ruby><rb>白拍子</rb><rt>しらびょうし</rt></ruby>や遊女など二十余人も来て興をそえ、加茂川の瀬に朝月のかたむく頃まで、なおまだ、乱痴気な灯影や人影が、水亭の簾に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">さんざめ</span>いていることすらあった。

なにしろ、妙な会である。

時流的な<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ばさら</span>遊びが目的の会なのか。学問討論が中心か。それとも、これは偽装で、べつに意図するもののある秘密の結社なのだろうか。

ほどなく、人々の間に、

「お。見えられた」

と、ささやきが流れ、水鳥亭の広間には、この秋の日に、さらに一色彩を加えたような明るさがうごいた。

「やあ、遅くなりました」

声も、ほがほがと、よく<ruby><rb>透</rb><rt>とお</rt></ruby>る。

見れば、いま<ruby><rb>遅</rb><rt>おく</rt></ruby>れ<ruby><rb>走</rb><rt>ば</rt></ruby>せに会場に入って来た<ruby><rb>凛々</rb><rt>りり</rt></ruby>しい若公卿がある。

眉目清秀とは、この人のことか、年ごろ二十七、八。いやいや、そんな風采を、再びここで述べる要はなかった。読者は思い出して欲しい。

かつて高氏が、忍び上洛の帰途、淀の川舟のうちで乗り合せた一見すこぶる異彩な若公卿があったことを。

後日には、高氏も名を知ったが、あの淀川舟で、乗合いの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ちんぴら</span>どもをたしなめ、彼らの杯で酒を痛飲しあったり、また、船中の男女の<ruby><rb>徒然</rb><rt>つれづれ</rt></ruby>をとらえては、時世を慨嘆し、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">りんり</span>たる弁で演舌したなどの行為は、まことに公卿にも似合わしからぬ態だったが、その人こそ、今日の“文談会”に姿をみせた、この前ノ大内記、日野蔵人俊基なのだった。

「おそかったの、蔵人どの」

「みなもお待ちしていた」

「さあ、これへ」

さきに集まっていた面々は、日野資朝、花山院、伊達、洞院の諸卿など、いずれも蔵人以上な官位の者だったが、ここでは席次も問わず、

「今日の集まりは、一に<ruby><rb>其許</rb><rt>そこもと</rt></ruby>のおはなしを聞くにある。評議もまた、それからの上でといたそう。いざ、人々もみな、座をここに寄せられい」

たちまち、<ruby><rb>欄</rb><rt>らん</rt></ruby>の方に分れていた武士の組、<ruby><rb>僧形</rb><rt>そうぎょう</rt></ruby>たちの組、ほかすべても、日野蔵人俊基をめぐって、その左右に、大きな輪となって居流れた。

一同、かたずを呑みかけると、俊基は、ちょっと眉をひそめ、

「……あ。どなたか」

と、東山に面している水欄の方を<ruby><rb>指</rb><rt>さ</rt></ruby>して、

「対岸から、ここの内が見えるはずもないが、なんとなく、気が散りますな。そこの縁の<ruby><rb>簾</rb><rt>す</rt></ruby>を、みな垂れ籠めてくださらぬか」

「いかにも」

土岐左近が立って、そこの簾八枚とも、みな垂れて、座にもどった。

俊基はまた、武士の多治見国長や、足助次郎を見て言った。

「いつも、<ruby><rb>定会</rb><rt>じょうかい</rt></ruby>の折には、この家の五町四方の辻立ちや、また物見の用心は、すべて各〻方の手におまかせしてあるが、今日もお抜かりはなかろうの」

「お案じなく」

「裏の河原のあたりも」

「御念にはおよびませぬ」

「……ならば安心」

若いが、あらわにも、盟主の風をみずからゆるしているかのような俊基だった。

志士的な語気、多感らしい<ruby><rb>朱唇</rb><rt>しゅしん</rt></ruby>や、きらきらする眼。

それに宋学の<ruby><rb>造詣</rb><rt>ぞうけい</rt></ruby>もふかく、よく下情に通じ、時局にたいしては、つねに鋭い批判を持ち、またその献策もしばしば用いられるなど、天皇<ruby><rb>後醍醐</rb><rt>ごだいご</rt></ruby>のおたのみはたいそう深い。――で自然、堂上の若い層を<ruby><rb>牛耳</rb><rt>ぎゅうじ</rt></ruby>って、その先駆者をもって、みずから任じているのも、道理とこそは思われた。

一味の公卿には、日野姓が二人いる。

日野蔵人俊基と、もうひとりは権ノ中納言日野資朝だ。

資朝の方が、身分も上だし、年も二つ三つ上だった。系図上では一族だが、近親ではない。風貌も一方の水際立った美丈夫なのにひきかえて、彼はやや<ruby><rb>猪首</rb><rt>いくび</rt></ruby>で固肥りなうえ、色浅黒い鈍重そうな人物だった。

また、<ruby><rb>寡黙</rb><rt>かもく</rt></ruby>である。

いつも、同姓俊基の余りに切れ味のよすぎる弁舌を、危ぶむように、眉ごしに、じろ、じろと見ては、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">猫背ぎみ</span>に、物を案じているといった風。

が、世間では二人を、

“日野の双輪”

と、<ruby><rb>称</rb><rt>よ</rt></ruby>びならべて、いずれも、現天皇の寵臣として、<ruby><rb>兄</rb><rt>けい</rt></ruby>たり難し<ruby><rb>弟</rb><rt>てい</rt></ruby>たり難き者と見ていた。

兼好法師の“<ruby><rb>徒然草</rb><rt>つれづれぐさ</rt></ruby>”には、この資朝の<ruby><rb>人</rb><rt>ひと</rt></ruby>と<ruby><rb>為</rb><rt>な</rt></ruby>りを、こんな風に、<ruby><rb>時人</rb><rt>じじん</rt></ruby>の聞き書きとして随筆している。

――ある時。

西大寺の<ruby><rb>静然</rb><rt>じょうねん</rt></ruby>上人が参内した。腰はかがまり、眉は雪かと白く、まことに高徳の僧らしくみえた。折ふし、西園寺ノ内大臣<ruby><rb>実衡</rb><rt>さねひら</rt></ruby>が見かけ、「あら、尊や。老いの<ruby><rb>清</rb><rt>すが</rt></ruby>しさ」と三<ruby><rb>礼</rb><rt>らい</rt></ruby>した。

するとまた、ある日。若い<ruby><rb>文章</rb><rt>もんじょう</rt></ruby>博士の日野資朝（以前、彼は文章博士だった）が、西園寺内大臣の眼の下へ、一匹の老いさらばえた汚い痩せ犬を曳いて来て、こう皮肉った。「どうです。これも、あら尊や、と申せませんか。何と、毛の<ruby><rb>禿</rb><rt>は</rt></ruby>げチョロけた鼻面なども、老いの<ruby><rb>清</rb><rt>すが</rt></ruby>しさと、御賞美にあずかりたそうな顔しているではありませんか」

――彼の挿話は、も一つある。

京極ノ為兼が、武家の迫害にあい、六波羅武士の手に捕われて曳かれた日、人ごみの中で見ていた資朝は「……何も一生、世にあらん思い出には、いっそ、かくもあらま欲し」と、傍若無人な言を吐いて立ち去ったという。

彼の倒幕の誓いは、このとき腹にかたまったものだといわれるが、いずれにしても、寡黙のうちに嘲風をふくみ、骨の髄からの闘志と反骨の人だったことは、疑いない。

また、年下の日野蔵人俊基にも、こんな一話が、巷間に伝わっていた。

彼が、<ruby><rb>検非違使</rb><rt>けびいし</rt></ruby>の前職にあった頃とか。

<ruby><rb>遍照寺</rb><rt>へんしょうじ</rt></ruby>の僧が、近くの広沢の池に遊んでいる<ruby><rb>雁</rb><rt>がん</rt></ruby>の群に、よく餌をやっていた。

鳥を愛するのかと思うと、そうでなく、折々、<ruby><rb>庫裡</rb><rt>くり</rt></ruby>で鳥を煮る匂いがする。鳥肉が食いたくなると、坊主は餌で釣って、堂内に雁をおびき入れ、急に戸を閉めて、羽バタキ荒々と啼き騒ぐ中で、これを何十羽となく叩き殺す。

村民の訴えで知った俊基は、ただちに、坊主どもを<ruby><rb>搦</rb><rt>から</rt></ruby>め捕り、坊主たちの<ruby><rb>頸</rb><rt>くび</rt></ruby>に、雁や水鳥の<ruby><rb>骸</rb><rt>むくろ</rt></ruby>を懸けさせて、市中引廻しに処した、というのである。破戒、無慈悲な僧どもは、人中でさんざんな目に遭ったという。

この日野俊基、まえの資朝。いずれも、従来の古い公卿型ではない。そんな行為のうちにも、革命者たるの素質がすでに<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>われる。

いや、現朝廷に仕える若い朝臣のあいだには、およそ現代の<ruby><rb>公卿気質</rb><rt>くげかたぎ</rt></ruby>ともいえるほどな、おなじ鋭気をもった青壮年が多く見られた。――日野資朝、俊基の双輪は、いわばその代表的な者だったといってよい。

簾をたれ籠めた水鳥亭の欄にいつか夕陽が<ruby><rb>翳</rb><rt>かげ</rt></ruby>り出す。

この日の“文談会”は、ほとんど日野俊基の木曾、北陸、東国にわたる旅の報告で終始した。

忍び遊説ともいおうか。従来も日野資朝や、一味の若公卿は、身を山伏にやつしたり、医師<ruby><rb>雑人</rb><rt>ぞうにん</rt></ruby>に姿を変えて、諸地方へ潜行をこころみてはいた。

ひそかに、世情を視察し、また辺土の反北条武族を見とどけ、もし、朝廷への加担確実な者とみれば、これを説いて、他日の約を、極秘にむすんでおくためであった。

しかし、北条勢力の堅密な北陸、東国などへ、大胆な足をのばした者は、これまでのところ、一人もない。

それだけに、人々は、大きな期待を彼によせていたし――また俊基の報告も、多くの者の希望を、がっかりさせはしなかった。

「諸国、<ruby><rb>何地</rb><rt>いずち</rt></ruby>へ行っても、眼には見えぬが、幕府への不平は、いたる所の<ruby><rb>疼</rb><rt>うず</rt></ruby>きと申してもまちがいはない。一朝、鎌倉の変か、朝廷の令でも仰げば、郷をあげて、北条治下の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">きずな</span>から離れんとしている<ruby><rb>輩</rb><rt>やから</rt></ruby>は、地にみちておるものと観て来ました」

――述べ来って、彼が、ちょっと息をやすめたときだった。

座中のひとり、三位<ruby><rb>遊雅</rb><rt>ゆうが</rt></ruby>が反問した。

「それは、蔵人殿の足跡の多くが、天皇領や院ノ御領なので、みなさように口を合わせるのではないかな。思うに、地方の武士どもは、かつての<ruby><rb>承久</rb><rt>じょうきゅう</rt></ruby>ノ乱なるものを、今もなかなか忘れはおるまい。――あの乱で、宮方へ<ruby><rb>与</rb><rt>くみ</rt></ruby>した武族は、以後ことごとく、末代まで浮かばれぬ<ruby><rb>破滅</rb><rt>はめ</rt></ruby>に落ちてしもうた。それゆえ、現朝廷の内々のおぼしめしを伺うても、またぞろ、承久の<ruby><rb>轍</rb><rt>てつ</rt></ruby>を踏んではと、俄に起ちもせぬのではなかろうか」

「いや、逆です」

俊基は、口をにごさない。

ものを<ruby><rb>曖昧</rb><rt>あいまい</rt></ruby>に言い濁さぬ態度こそ、大勢の心理を引きつけてゆくうえには、もっとも大事な指揮者の秘訣たることを、よく心得ているものらしく。

「――御懸念は、無用といえましょう。なんとなれば、仰せの承久ノ乱は、すでに百年の昔。<ruby><rb>御心</rb><rt>みこころ</rt></ruby>あえなく、後鳥羽上皇すらも、隠岐ノ島へ流され給い、宮方は武士の末まで、時の北条氏のため、さんざんな目に遭いましたが、その敗戦の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">みじめ</span>など覚えている子孫は今では一人もおりません。――ただ、百年すぎても、まだ浮かばれぬ不遇と不平がそこにあるだけです。ゆえに、必然、彼ら承久以来の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">落ちぶれ</span>武者の子孫は、現状にあまんぜず、事こそあれと、つねに世の変動を望んでおるものと、私には考えられる」

「……むむ、いかにも」

多くの顔がうなずいた。彼の明快な理論に、聞くも酔い、彼自身も酔っている観があった。――が、人々はそのとき、何かにぎょッとした容子だった。

かねて、警戒のため設けておいた<ruby><rb>鳴子</rb><rt>なるこ</rt></ruby>が、水欄の辺で、とつぜん魔の笑いみたいにカラカラと音を立てたからだった。

「すわ」

と、白けわたる一同の顔を<ruby><rb>措</rb><rt>お</rt></ruby>いて、俊基は、

「足助（次郎）。観てまいれ」

と、すぐいいつけ、それから、静かに微笑して見せた。

「ここへ六波羅者の近づきうるはずはない。立ち給うな、立ち騒いではまずい。そのまま、そのまま」

出て行った足助次郎は、すぐ席へもどって来た。

息をつめていた面々も、彼の平静な物腰に、まず胸をなでおろした態で。

「足助、何の知らせだったのだ。いまの鳴子は」

「大事はございませぬ。河原に立たせておいた見張の一名が、近くに怪しき男の<ruby><rb>徘徊</rb><rt>はいかい</rt></ruby>するを見かけ、慌てて鳴子を引いたものと申しまする」

「なに、怪しい男が」

すぐ一同の神経は<ruby><rb>戦</rb><rt>そよ</rt></ruby>ぎあって。

「して、その者は？」

「ただちに、ほかの数名が、追ッかけましたなれど、つい捕えそこねた由でござりまする。が、六波羅者でもなさそうなとのこと」

「とは申せ、何やら、安からぬことではあるの」

消えない動揺のいろを見て、日野俊基は、言い出した。

「いや、折もよしと申すもの。あらまし、御報告はすんだ。ここらで、いつもの無礼講へ移るとしようではないか」

「それがよい」と、二、三はすぐに同調した。「――その怪しい男が、万一、六波羅の<ruby><rb>放免</rb><rt>ほうめん</rt></ruby>（密偵）でもあったら、なおさらのことよ。例の遊宴に阿呆を尽して、文談会の世上の聞えを、人に<ruby><rb>紛</rb><rt>まぎ</rt></ruby>らわすが何よりの策」

「だが、約束の<ruby><rb>妓</rb><rt>おんな</rt></ruby>たちは」

「灯ともし頃には揃うはず。秋の陽の落ちるも早し、とこう一<ruby><rb>酌</rb><rt>しゃく</rt></ruby>しておるまには」

酒は鮮やかに気をかえる。

配膳となると、偽装にかくれた安心感も手つだって、席上の景から、人々のことばの軽さまで、さやさやと一変した。そしてもう、お互いの冗談や笑い声すらわいてくる。

そのうちに、烏丸ノ成輔が、

「はて。ここの膳には、いつまで、人が坐らぬと思うたら、大判事<ruby><rb>章房</rb><rt>あきふさ</rt></ruby>が、いつのまにやら見えぬではないか」

と、いぶかり出した。

「いやなに」と、酒の運びに手をかしていた武者の一人が。

「ついさっき、大判事どのは、俄な御腹痛とか申されて、先に一人お帰りでござった」

「……無断でか」

無口な日野資朝が、にがりきって、杯をふくむ。――それを横目に、日野俊基は、からからと笑っていう。

「章房は、ちと変屈人よ。毎回の無礼講でも、みなは冠、烏帽子も放ち、ぞんぶん赤裸をみせるのに、彼のみは、<ruby><rb>冠</rb><rt>かぶ</rt></ruby>り物も<ruby><rb>脱</rb><rt>と</rt></ruby>ったためしがない。妓たちには、<ruby><rb>木石様</rb><rt>ぼくせきさま</rt></ruby>とアダ名され、いつも面白くなさそうだった。帰ったのなら、帰ったでよい。何せい木石様のことだ。仔細なし、仔細なし」

そこへ灯が運ばれて来る。

燭台の一つ一つは白い手に持ち捧げられていた。君立ち川、六条などの遊君や白拍子たちだった。月例、欠かさぬ二次会なので、馴じみでない客、馴じみでない妓はない。

「やあ万珠、ここへまいれ、ここへ」

「やよ、<ruby><rb>篠笛</rb><rt>しのぶえ</rt></ruby>。そちらの酌が先とはどうしたわけ。さきの<ruby><rb>後朝</rb><rt>きぬぎぬ</rt></ruby>を忘れてか」

灯は新しく、酒は美味い秋の宵である。まだ無礼講も序の口なのに、どんなわるさを始めたのか、はやくも、片隅の方では、きゃっと、くすぐッたげな嬌笑が流れるやら、杯の満をひいて、朗詠を吟じ出す者などあった。

小膝を<ruby><rb>銅鈸子</rb><rt>どびょうし</rt></ruby>がわりに叩いて、朗詠を吟ずるなどは、まだまだお上品な方。

「法印。得意の<ruby><rb>猿楽</rb><rt>さるがく</rt></ruby>はまだかの」

「それよ、いつものお<ruby><rb>道化</rb><rt>どけ</rt></ruby>を見せ給え」

「所望、所望」

すると、聖護院のなにがしと、日頃は、もっともらしい<ruby><rb>名聞</rb><rt>めいぶん</rt></ruby>もある一僧が、

「さらば<ruby><rb>罷</rb><rt>まか</rt></ruby>らん。ご所望、もだし<ruby><rb>難</rb><rt>がと</rt></ruby>う候えば」

立ち際からの狂言<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぜりふ</span>で、すぐ丸裸となり、宴のまん中へ這い出して来た。

人々はもう腹を抱えて、

「うまいわ、夜這いの法印」

「法印は、夜這いも、仕馴れており申せば」

やんやと、弥次る。

黄いろな<ruby><rb>褌</rb><rt>ふどし</rt></ruby>一つの裸僧は、暗がりの人妻の<ruby><rb>閨</rb><rt>ねや</rt></ruby>を、手さぐりで窺うような所作よろしく、

<ruby><rb>冠者</rb><rt>かじや</rt></ruby>は<ruby><rb>妻儲</rb><rt>めまう</rt></ruby>けに

<ruby><rb>来</rb><rt>こ</rt></ruby>んけるわ

構へて

二タ夜は寝にけるわ

唄の<ruby><rb>抑揚</rb><rt>よくよう</rt></ruby>もおかしげに、思い入れたっぷりな踊りを繰り返す。――大勢も手拍子あわせて、合唱する。

<ruby><rb>三夜</rb><rt>みよ</rt></ruby>といふ夜の

真夜中に

<ruby><rb>袴</rb><rt>はかま</rt></ruby>どりして

逃げけるわ

――<ruby><rb>転</rb><rt>こ</rt></ruby>けけるわ

わざと<ruby><rb>褌</rb><rt>ふどし</rt></ruby>の尻尾を長く垂れ曳いて、裸僧はクルクル舞を踊りぬく。

すると、遊女の一人が、褌の端をつかまえて、引っくり<ruby><rb>転</rb><rt>かえ</rt></ruby>す。法師は大ゲサに<ruby><rb>蛙腹</rb><rt>かえるばら</rt></ruby>を仰向ける。満座はとたんに、爆笑となって、<ruby><rb>高坏</rb><rt>たかつき</rt></ruby>が仆れるやら、その隙に、目ざす妓を抱えるやら、そろそろ、無礼講らしい。

武士は武士で、これまた見かけによらぬ芸を出す。公卿はもとより隅におけない。すべて男性には、こんな半面もあってこそ、まことの男性、まことの人間なる者であると、自他共に、誇っているかのようである。

催馬楽、田楽、諸国の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひなぶり</span>など、およそ毎会ここでは出つくしていた。古今、宴会芸術の芸統には、そう時代の違いもないらしい。その頃流行った“<ruby><rb>蝦</rb><rt>えび</rt></ruby>すくい<ruby><rb>小舎人</rb><rt>こどねり</rt></ruby>”は後の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">どじょう</span><ruby><rb>掬</rb><rt>すく</rt></ruby>いだし、遊女や白拍子のする“屏風隠れ”も“<ruby><rb>住吉拳</rb><rt>すみよしけん</rt></ruby>”も、また男の赤裸趣味や社交性とひとしく、数百年の変化もない。

――が、偽装とはしていても、文談会のこの<ruby><rb>雰囲気</rb><rt>ふんいき</rt></ruby>は、誰も嫌いではないらしい。しいて探せば、腹痛といって先に帰った大判事章房ぐらいなものだろうか。

それと、もひとり、日野蔵人俊基だった。

いかに辺りの杯盤が崩れだしても、彼のみは、その志士的行儀をくずしていない。

「<ruby><rb>土岐</rb><rt>とき</rt></ruby>。一つ<ruby><rb>酌</rb><rt>ゆ</rt></ruby>こう」

と、土岐左近をつかまえて、ほかの<ruby><rb>痴言猥歌</rb><rt>ちげんわいか</rt></ruby>もよそに。

「この頃、近江の若入道はどうしておるな。ここ消息もないが」

「佐々木でおざるか」

「さればよ。御辺がひどく惚れこんで、以前、身の<ruby><rb>館</rb><rt>やかた</rt></ruby>へも連れてみえた道誉だが、どうもあの男、二た股者ではあるまいかの」

「いや、さような<ruby><rb>惧</rb><rt>おそ</rt></ruby>れは、ゆめ、おざらぬ。消息なきは、夏の初め頃より、鎌倉表におるためと思われまする」

「はははは」と、俊基は手の杯を、左近へ与えて「どうやら、土岐は少々、あの若入道に、まいられておるそうな」

「これは、心外な」

と、単純な彼は、すぐムキな顔になった。

「一朝のばあいには、近江の要衝を占むる佐々木の向背こそ大事との仰せに、拙者が心をくだいて、お<ruby><rb>親</rb><rt>ちか</rt></ruby>づきまでは計ろうたものの……そもそも、彼に秘事をお洩らしあったのは」

「いうな。それやこの俊基だったにちがいない。だが、その後、いささか悔いておるわえ」

「はて。なにゆえ」

「東国の旅中、よく小耳にはさむところでも、佐々木道誉の聞えは、余りに評判がよすぎるようだ。<ruby><rb>交際</rb><rt>つきあい</rt></ruby>上手な男らしい。かつは裕福であり、何の不平が、鎌倉にたいしてあるか」

「あるのです」

「ある？」

「近江源氏といえば、頼朝公の創業下における第一の功臣。その家柄でありながら、末代、北条ずれの<ruby><rb>下風</rb><rt>かふう</rt></ruby>にあるのは、<ruby><rb>快</rb><rt>こころよ</rt></ruby>からずとしておりましょうず」

「それや、足利にせよ、新田にせよ、おなじことがいえるわ。ひとり近江の佐々木のみかは」

「が、執権の暗愚をみて、幕府久しからずと、取って代らんとする同様な武門は、なお世上にはありましょうとも、富力、地の利、それに人望。たとえば、あのような器量をも、あわせ持っている大名といったら、まず佐々木を措いては他にありますまい」

「それもそうよ。……みんな頼朝になりたいのだ。北条に代って、鎌倉の開祖頼朝なるものに、なってみたいという野望が彼にもある。足利にもある」

「足利とは、あの高氏と申す<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あばた</span><ruby><rb>冠者</rb><rt>かじゃ</rt></ruby>のことで」

「さよう」

「わははは」と、吹き出して。「あれや、馬鹿でおざるよ」

「どうして」

「かつて、伊吹の城で、見とどけておりまする。家柄こそは、正しい源家の<ruby><rb>裔</rb><rt>えい</rt></ruby>といえますが」

「いや先年、淀の川舟でちらと見たが、どこか茫漠としたあの面つき、また、捨て難い」

「拙者の眼とは、えらく違いますなあ、伊吹の夜では、酒の上とは申せ、お抱えの田楽女に手をつけるなど、イヤもう他愛もない阿呆ぶり。そんな者に、秘事の端でも洩らしたのは、一<ruby><rb>期</rb><rt>ご</rt></ruby>の<ruby><rb>不覚</rb><rt>ふかく</rt></ruby>と、道誉も拙者も<ruby><rb>臍</rb><rt>ほぞ</rt></ruby>を噛み、せめて彼奴に二年の禁足でも食らわせておけばと、後より手を打ったような仕儀でおざった。……それを捨て難いものとの仰せは」

ここでの、二人の私語は、いまや、<ruby><rb>酣</rb><rt>たけなわ</rt></ruby>な無礼講騒ぎの面々には、眼ざわりであったらしい。

「やよ<ruby><rb>蔵人</rb><rt>くろうど</rt></ruby>。<ruby><rb>其許</rb><rt>そこもと</rt></ruby>も何か歌え」

「土岐もこれへ来て、美濃踊りでもしてみせんか」

それを<ruby><rb>機</rb><rt>しお</rt></ruby>に、二人とも、

「罷らん、罷らん」

と、杯を持ったまま座を宴席の中ほどへ移してゆこうと起ちかけたときである。

またしても、河原にいる見張の者から、

「ちと、お静かに」

という注意があった。

昼、怪しげ男を捕り逃がしたこともある上、いつになく今夜にかぎって、<ruby><rb>得態</rb><rt>えたい</rt></ruby>のしれぬ人影が、近くをうろついている気配ゆえ、御用心あって欲しい、という見張からの伝言だった。

一同、酔も<ruby><rb>索然</rb><rt>さくぜん</rt></ruby>と、興ざめ顔に白けたのはいうまでもない。遊び疲れも頃あい。それを<ruby><rb>機</rb><rt>しお</rt></ruby>に、その夜の無礼講も下火とみえた。ほどなく、水鳥亭の灯はひそまり、散会の人影や輿や<ruby><rb>牛車</rb><rt>くるま</rt></ruby>が、人目立たぬほどずつ、京の夜更けを散らばって行った。

が、日野俊基ひとりだけは、まだ立たない。

こういうさいにも、彼のみは、人々の帰りをさいごまで見届けた上で――としているのか、残っている妓を相手に、なお一隅で痛飲していた。

「……どうした。いやに森閑として来たではないか。俄に、川音が耳につく」

「そのはず。もうここには、あなた様しか残っておりません」

「はははは。いやそうか。万珠、浮舟、いっそ、そなたたちと、ここで<ruby><rb>雑魚寝</rb><rt>ざこね</rt></ruby>といたそうか」

「いいえ、お起ちなされませ。お館の近くまで、送ってあげまする。……まあ、重い」

もとより、俊基は、まだ充分に正気である。わざと妓たちの<ruby><rb>扶</rb><rt>たす</rt></ruby>けに<ruby><rb>縺</rb><rt>もつ</rt></ruby>れているだけのものだった。そして水鳥亭の奥深い前栽を外へよろめき出て来ると、物蔭で待っていた一人の武者が、離れぎみに、後ろから<ruby><rb>尾</rb><rt>つ</rt></ruby>いて来た。

「誰だ。……まいる者は」

「土岐左近の弟、<ruby><rb>船木頼春</rb><rt>ふなきよりはる</rt></ruby>です。兄は洞院殿をお送り申しあげ、ほかの武者も、今宵のみは、万一のため、それぞれのお館まで、お供してまいりました」

「……で、<ruby><rb>其許</rb><rt>そこもと</rt></ruby>もまろの警固について来てくれたのか」

「は、兄のいいつけにて」

「要らぬことだ。戻るがいい」

「いやお見届け申さぬことには、後で……」

「では頼春、つきあうか」

「どちらまで」

「堀川のさる家よ。万珠、ちょっと、いつもの家へ立寄って、もう一献、<ruby><rb>婆娑羅</rb><rt>ばさら</rt></ruby>と飲んで別れとしようぞ」

妓たちには、思う<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つぼ</span>にちがいなかったが。

「およろしいのですか。北ノ方さまに」

「よけいなことを」

「でも、蔵人さまの北ノおん方は、たいそうお美しゅうて、仲のよさ、人目も羨むほどなと、さきほども誰やらが、仰っしゃっておいでたではございませんか」

「さればこそ、夜を更かし、妓たちを見て戻る」

「なぜでございます」

「寝もやらず、待ちわびているわが妻が、またいちばい、<ruby><rb>美</rb><rt>よ</rt></ruby>う見ゆるゆえ」

「まあ」――と仰山に。

「さアもう、かんにんならぬ。ぬけぬけと、そのお<ruby><rb>惚気</rb><rt>のろけ</rt></ruby>、帰すことではございませぬぞえ」

君立ち川の<ruby><rb>紅燈</rb><rt>こうとう</rt></ruby>や人影は、まだ宵のような柳がくれのそよめきだった。

供の船木頼春も、そこでは、したたか飲ませられた。それを、やっと切上げつけて、日野俊基を館まで送り届け、それから四条のわが屋敷へ帰って来たのは、もう夜明け近かった。

彼にも若い妻がある。六波羅勤番の一奉行、斎藤<ruby><rb>利行</rb><rt>としゆき</rt></ruby>のむすめであった。

「<ruby><rb>波路</rb><rt>なみじ</rt></ruby>。いま戻ったぞ」

「まあ、どちらから」

「なんだ、そのあいさつは」

「お兄君はとうに御帰邸。ゆうべの宴は、ご一しょではなかったのですか」

夫妻はすぐ<ruby><rb>閨</rb><rt>ねや</rt></ruby>に入った。とはいえ、彼女の<ruby><rb>瞋恚</rb><rt>しんい</rt></ruby>は解けようもない。もつれは閨まで持ちこまれた。

良人の頼春が、こんな深酔いして、明けがた近く帰ったなどは、初めてのことだった。嫁して以来の大事件といわねばならぬ。もし、これを甘やかしておけば習性にもなるだろう。また、脱がした良人の狩衣から、彼女のするどい<ruby><rb>嗅覚</rb><rt>きゅうかく</rt></ruby>は、ちゃんと、<ruby><rb>脂粉</rb><rt>しふん</rt></ruby>の香まで嗅ぎとっていた。で、若妻にありがちな<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">すね方</span>も当然だったが、彼女のばあいは、それも尋常一様な嫉妬ではない。頼春は、寝かされなかった。

「……あやまる」

良人は、深く<ruby><rb>衾</rb><rt>ふすま</rt></ruby>を<ruby><rb>被</rb><rt>かず</rt></ruby>いて、

「ゆるせ。なにしろ眠たい。はなしは、あしたにしよう」

「いいえ、そんなことで、ごまかされはいたしませぬ」

妻の<ruby><rb>腕</rb><rt>かいな</rt></ruby>は、羅生門の鬼の腕を思わせる。しがみついていた良人の衾は引き剥がれ、まろくしていた背も、こッち向きに、引っ<ruby><rb>転</rb><rt>く</rt></ruby>り返されて。

「さあ。仰っしゃい」

「なにをいえというか。何をば」

「ま、白々しい。白拍子やら遊女やら、いったい、どこの女と寝たんですか」

「ば、ばかをいえ。いつ、たれが」

「それ、ごらんなさい、その<ruby><rb>疚</rb><rt>やま</rt></ruby>しそうな。……ええ、もう<ruby><rb>汚</rb><rt>きたな</rt></ruby>らしい」

「ならば、離れて寝ろ」

「寝かすもんですか」

「うるさいっ。ひとが疲れておるのに」

「そんなおつかれは、わらわのせいではございませぬ」

「そなたは、どうかしているな。今夜のそなたは」

「はいっ。これがどうもせずにいられましょうか。ですから、わらわは初めから、都住居などはいやじゃと申していたのでございましょう。それをあなたは、いや男の立身の道は都にある、そなたも都の水で磨いて、美しい輿にのせ、奈良も見せよう、男山へも共に詣ろうなどと、お上手なことばかり仰っしゃって……」

さめざめと、波路は後ろ向きに坐って、泣きはじめた。

いいあんばいである。泣くだけ泣かしておけば気がおさまるにちがいない。良人は小康をえた心地だった。そのまま空寝入りを持ちかけていたのである。

ところが、やがて泣きやむと、波路はするすると千鳥棚の下へ寄ってゆき、コトリと、<ruby><rb>櫛匣</rb><rt>くしげ</rt></ruby>の蓋をとっている。上目づかいで、良人が見ているなどは、おそらく意識の外だったろう。いかにも、沈着な女の姿に返っているのだ。鏡で顔を直し、<ruby><rb>丈</rb><rt>たけ</rt></ruby>なす黒髪を櫛で<ruby><rb>梳</rb><rt>す</rt></ruby>き、それから、塗りの懐剣を持った手を、きちんと膝の上において、美濃の<ruby><rb>故郷</rb><rt>ふるさと</rt></ruby>にある小さい子の上でも想っているのか、しばし身じろぎもしない風……。

「あっ、ばかっ。何をする」

頼春は刎ね起きた。その手から懐剣をもぎ取って遠くへ<ruby><rb>抛</rb><rt>ほう</rt></ruby>る。わっともがく。泣き狂う。およそ世の夫婦仲にありふれた、そして、帰結もおなじ一瞬にすぎなかった。

そして良人は、この若妻の余りな嫉妬を解くために、文談会一味の秘事やら、また日野俊基をその夜送っておそくなった仔細までを、つい正直に打ち明けてしまったのだった。で、彼女も一応、得心した<ruby><rb>態</rb><rt>てい</rt></ruby>ではあったが――。

## <ruby><rb>正中</rb><rt>しょうちゅう</rt></ruby>ノ<ruby><rb>変</rb><rt>へん</rt></ruby>

「な、なんじゃと。まことか、そのはなしは」

六波羅倉奉行の斎藤四郎左衛門利行は、仰天しても足りないように眼をむいた。その日、訪ねて来た、むすめの波路を前においてである。

「なんで、定かでもないに、お告げしにまいりましょう。この秘事、誰にも洩らすな、洩れたら一味の破滅ぞと、良人も恐い顔して、打明けたことでございまする」

「では<ruby><rb>聟</rb><rt>むこ</rt></ruby>の頼春も、その一味に加わっておるわけだな」

「兄左近どのに、引入れられたに違いありませぬ。日野蔵人さまとは、<ruby><rb>御昵懇</rb><rt>ごじっこん</rt></ruby>の仲……」

「して、その文談会とやらに<ruby><rb>集</rb><rt>つど</rt></ruby>う一味の公卿、僧、武者輩とは、誰々か」

「そこはよう聞きませぬが、他日の勅を待って、旗上げを誓うている武者は、なお、諸州には沢山にありますとやら」

「ば、ばかな」

骨髄からの鎌倉御家人で生涯して来たこの老武士は、こめかみに、青筋をふとらせて。

「生白い若公卿ずれの才覚などに、なじか北条殿の<ruby><rb>御代</rb><rt>ごだい</rt></ruby>が揺ぎでもしようかい。そんな<ruby><rb>謀</rb><rt>たく</rt></ruby>みに、わが聟までが加担とは沙汰の限りよ。馬鹿者めが、天魔にでも<ruby><rb>魅</rb><rt>み</rt></ruby>入られたか」

「まあ、そうお怒りにならないでも……」

一徹な<ruby><rb>忿懣</rb><rt>ふんまん</rt></ruby>の前には、彼女の願う目的すら歯牙にかけられない風なので、波路も青白くなって口走った。

「それが良人の本心とは思えませぬ。どうぞ、父上さまから、六波羅ノ庁へ、おとりなし下さいませ。……そのお<ruby><rb>縋</rb><rt>すが</rt></ruby>りを仰ぐこそ良人のためと、すきを見て、こうお訴えに来たのです」

「むむ。そこはよくぞ気がついた。……さもなくば、後日、この利行まで、謀反人の一人に数えられたかもしれん。さっそく、探題殿まで急訴に及ぼう。そちは、ここで待つがいい」

「いいえ、わらわは戻りまする」

「ならん。頼春の顔を見たら、そちはまた、ここへ来たことを、隠しえまい」

「でも、夫婦の仲、怒られても、いッそ申さいではいられません。ただ、どうぞ良人が罪になりませぬように」

「頼まれずとも、娘の聟だわ。……はアて、これは気ぜわしないことになったもの」

利行は、すぐ馬をとばして、出て行った。やがて六波羅総門を入って右へ、倉奉行の役所に駒をつなぎ、すぐ北ノ探題、<ruby><rb>常盤範貞</rb><rt>ときわのりさだ</rt></ruby>の<ruby><rb>召次</rb><rt>めしつぎ</rt></ruby>へ、

「四郎左こと。常盤殿<ruby><rb>直々</rb><rt>じきじき</rt></ruby>に、火急、申しあげたい大事なござる。後刻といわず、すぐお目通りを給りたい」

と、申し入れた。

折ふし、北ノ庁では、常盤範貞を中心に、府臣数名が、<ruby><rb>錠口</rb><rt>じょうぐち</rt></ruby>を閉じて、何か密議をこらしていたのだった。

「なに。四郎左が？」

錠口の取次を聞き、範貞は、ほかの顔を見廻した。

「どうする、各〻。……倉奉行はちと職ちがいだが、<ruby><rb>凡事</rb><rt>ただごと</rt></ruby>ではないらしい」

ここには、さきに宮中御産祈祷の件で、その真相調べのため、鎌倉から派遣されていた武者所の<ruby><rb>雑賀</rb><rt>さいか</rt></ruby>隼人、長井<ruby><rb>遠江守</rb><rt>とおとうみのかみ</rt></ruby>。

そのほか、六波羅大番の<ruby><rb>小串</rb><rt>おぐし</rt></ruby>三郎<ruby><rb>則行</rb><rt>のりゆき</rt></ruby>、山本九郎時綱なども、顔を<ruby><rb>硬</rb><rt>こわ</rt></ruby>めて、詰めあっていた。

たえず朝廷を監視する。治安に名をかり、<ruby><rb>宮闕</rb><rt>きゅうけつ</rt></ruby>の内外に、常時の注目を怠らない。

六波羅の使命は、ほとんど、それだったといってよい。

従って、放免（密偵）組織は精密だった。むかし平家が<ruby><rb>赤直垂衣</rb><rt>あかひたたれ</rt></ruby>の童を京中に<ruby><rb>撒</rb><rt>ま</rt></ruby>いて、平家の蔭口をきく者とあれば、すぐ<ruby><rb>拉致</rb><rt>らち</rt></ruby>したというような――生ぬるいものではないのだ。

たとえば、文談会なども、とうにここの耳へは入っている。

――が、容易に手入れが出来ぬ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">もどかし</span>さはあった。何しろ対象が朝廷である。かつは一味の者も、権中納言、参議、蔵人など、すべて堂上人ばかりなのだ。

わけて僧侶は、厄介者だ。叡山系の法師、南都の僧侶。いずれも下手には触れられない。

かねてからの疑惑、中宮御産祈祷の怪なども、北条氏<ruby><rb>調伏</rb><rt>ちょうぶく</rt></ruby>が、その目的であると共に、朝廷の触手が徐々に、それらの<ruby><rb>僧綱</rb><rt>そうごう</rt></ruby>を抱き込みにかかっているものとは明白に分っていた。が、ここにも、山門という障害がある。

かつて、遠い<ruby><rb>世頃</rb><rt>よごろ</rt></ruby>、後白河法皇すらも、

“――加茂川の水と、山門の法師ばかりは”

と手を焼いたことそのままの状態が、現在もつづいていた。

対朝廷の難しさもだが、その僧団扱いにも、六波羅ノ庁は、つねに周到な細心と、<ruby><rb>惧</rb><rt>おそ</rt></ruby>れをもって、当らねばならなかった。

とはいえ、限界がある。月例の文談会は、まだ一事例にすぎない。諸国の不平武士と、若公卿との密契、宮中内々のおうごきにも、はや、我慢のならぬものが、歴然とあった。

で、この夏。

ついに南ノ探題、<ruby><rb>大仏維貞</rb><rt>おさらぎこれさだ</rt></ruby>の東下となり、鎌倉の“断”を仰ぐに至ったわけだが、それも<ruby><rb>遷延</rb><rt>せんえん</rt></ruby>に遷延、今もって、

――武断もやむを得ず、積年の<ruby><rb>弊</rb><rt>へい</rt></ruby>を一掃せよ。

との命はない。

維貞の飛脚では「評定所衆のうちには、果断この時となす説も少なくないが、なにぶん執権（高時）どのには、事を好み給わず、ひたすら穏便にとのみの上意なれば……」と、昨日今日も、まだ、もたついている評定ぶりが<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>われる。

その維貞も、歯がゆかろうが、ここ六波羅に在って、朝夕に、眼に余る実状を見つつある常盤範貞にすれば、

「なんのための六波羅探題か。これでは、宮中の若公卿ばらを、ますます思い上がらせ、ひいては、北条幕府の内ぶところを、公卿や僧にも、いよいよ甘く見させるばかり……」

と、職を蹴って、引き籠ってしまいたいくらいにも、<ruby><rb>業腹</rb><rt>ごうはら</rt></ruby>をすえかねていた。

そこへまた、昨日からの、目明しどもの情報だった。

口を揃えて、彼らは告げる。

「――久しく姿の見えなんだ日野蔵人俊基どのが、文談会に姿を見せ、また会衆もこれまでになく多勢でした。てっきり、彼らの陰謀が着々すすんでいるものに相違ございませぬ」

急遽、北ノ庁の一室に、常盤範貞が腹心をあつめて凝議しだしたのは、そのためだった。

また、時も時といおうか。

その場へ、船木頼春の<ruby><rb>舅</rb><rt>しゅうと</rt></ruby>、斎藤四郎左衛門利行が、むすめの密告を持って、訴えに出たものだった。

その晩である。

六波羅ノ庁は、公然と、在京中の武家や、大番の士にたいして、足止めを命じ、

「――明日中に、兵馬の用意をととのえおけ。行く先は、<ruby><rb>摂津</rb><rt>せっつ</rt></ruby><ruby><rb>葛葉</rb><rt>くずは</rt></ruby>ぞ」

と、<ruby><rb>布令</rb><rt>ふれ</rt></ruby>出した。

そして、なお、

「発向の時刻には、総門の太鼓を打ち鳴らし、大和口の広場にては、勢揃いの陣貝あるべし。それより一<ruby><rb>刻</rb><rt>とき</rt></ruby>以内に、諸士、相違なく集合の事――」

ともあった。

もう数ヵ月前から、摂津ノ葛葉地方に、地頭と土民の紛争が起っており、それがなかなか下火になりそうもない騒ぎだとは、たれもとうから耳にしている。

で、召集の出た夜の反響も、

「たかの知れた<ruby><rb>庄家</rb><rt>しょうけ</rt></ruby>と領民の争い事、出兵といっても、威嚇で終るであろう」

と、みな観ているせいか、しごく静かなものだった。

ところが、じっさいには、明日を待たず、その夜の夜半、すでに六波羅広場と、七条河原の二た手においては、一部の兵馬が黒々とむらがり、

「いざ、行け」

との、上将の指揮を、待ちかまえていたのである。

探題の常盤範貞以下、六波羅の主脳は、この夜みな武装して、大和口の陣見場にあった。

昼、すでに鎌倉へは、早馬も飛ばしてある。「――はや猶予はなりがたい。探題の権限において、今晩、謀反人どもを、一網打尽にし、不日、鎌倉表へ差し立てまいらすべし」という、断乎とした事後通牒なのだった。

つまり、まず味方をあざむく計をとって、主謀者の公卿や武士どもを、京の中から<ruby><rb>遁</rb><rt>のが</rt></ruby>すまいとしたのである。

「抜かるな、<ruby><rb>小串</rb><rt>おぐし</rt></ruby>」

<ruby><rb>御紋</rb><rt>ごもん</rt></ruby>の旗をさずけて、常盤範貞は、ここの兵馬を、激励した。

この手の主将は、小串三郎則行。

「仰せまでもないこと。明け方までには、<ruby><rb>曲者</rb><rt>しれもの</rt></ruby>どもを引ッ<ruby><rb>縛</rb><rt>くく</rt></ruby>り、後見参に入れ申さん」

やがて千余人、わざと五条大橋は渡らず、ひそやかに、加茂の下流をこえて行った。

この夜は九月十九日。

ときどき、雲間から顔をあらわす月が邪魔だった。

おなじ頃、七条河原に集合していた兵もうごき出している。手勢は、山本九郎時綱のひきいる約千人。――陣貝、<ruby><rb>陣鉦</rb><rt>じんがね</rt></ruby>などはもとより持たない。

すでに、洛中諸所の<ruby><rb>篝屋</rb><rt>かがりや</rt></ruby>とは、しめし合せもあったとみえる。行く行く篝屋武士も、打物取って、討手方の一翼に入る。

かくて山本勢が、第一に押しよせた先は、四条坊門ぢかい土岐左近の屋敷だった。

「ひそまれ――」

山本時綱は、兵をうしろに伏せさせて。

「まず、おれが内の様子を窺うてみる。内より合図をなさば、裏表よりいちどにかかれ」

血気な主将である。

わずか郎党三名をつれ、自身、土塀をこえて、邸内へ忍び入った。

そして中門から内を窺ってみると、<ruby><rb>宿直</rb><rt>とのい</rt></ruby>の侍であろう、侍部屋の床や廊のあたりに、太刀や物ノ具などを枕として、寝ぎたなく寝まろんでいるのが見える。

さすが、土岐左近頼兼は、

「はてな？」

それより少し前に、邸外の気配にいぶかりを抱いて、寝床から立っていた。

中門の廊へ出てみたが、異状はない。<ruby><rb>厠</rb><rt>かわや</rt></ruby>に入った。厠の窓からも、何も見えない。

「さては異な物音は、近所の屋敷か。明日の摂津葛葉の出支度を、今から、気早にかかっているものとみえる」

――もう眠るまもない時刻。そう考えたのだろうか。彼はそこの<ruby><rb>掛樋</rb><rt>かけひ</rt></ruby>ノ<ruby><rb>床</rb><rt>ゆか</rt></ruby>の<ruby><rb>水瓶</rb><rt>みずがめ</rt></ruby>から水をくんで、<ruby><rb>嗽</rb><rt>うが</rt></ruby>いをし初め、独りで髪の毛をなであげていた。

すると、荒々しい杉戸の音が、遥かに聞えた。つづいて、みしっと、人の跫音が近づいて来るらしいので、

「たれだっ」

彼は、櫛を投げて、刀掛けに架けておいた大太刀を、横づかみに持った。

――とたんに、

「謀反人頼兼、うごくなっ」

大喝と共に、彼の眼にとびこんで来たのは、物ノ具<ruby><rb>鎧</rb><rt>よろ</rt></ruby>った山本時綱の姿だった。

「ややっ。おのれは」

「鎌倉殿の<ruby><rb>御命</rb><rt>ぎょめい</rt></ruby>でまいった。左近っ、のがれえぬところだ。あきらめろ」

「たわけた雑言を。……謀反などとは、何を証拠に」

「それこそ、世迷い言よ。証拠はいくらでも六波羅ノ庁にあがっている。わけて、なんじの弟船木頼春の妻が、親の斎藤四郎左の許へ、密訴に駈けこんだのを、どう言い解くぞ」

「な、波路がか？」

さっと、形相を変えるやいな、大太刀を抜き払い、

「時綱っ。日頃のよしみだ。<ruby><rb>冥途</rb><rt>めいど</rt></ruby>の供をさせてやる」

と、躍りかかった。

「なにをッ」

<ruby><rb>発矢</rb><rt>はっし</rt></ruby>ッ――

火花が匂う。

寝まき姿のままだが、自暴の切ッ先は、鉄装の相手を無茶苦茶に追いまくした。――時綱は、受け太刀ぎみ、<ruby><rb>草鞋</rb><rt>わらんじ</rt></ruby>のかかと退がりに、だだだと、庭添いの大廊下まで踏み<ruby><rb>退</rb><rt>さ</rt></ruby>がる。

時綱の郎党三人は「やや、おあるじの危急」と見、こなたへ助太刀に飛んで来た。が、時綱は、斬りむすびつつ、背なかで叫んだ。

「おれは捨ておけ。それよりは、合図合図」

もちろん、このときすでに、土岐家の宿直も、侍部屋の面々も、<ruby><rb>家響</rb><rt>やひび</rt></ruby>きに眼ざめて、「――すわ」と、屋敷じゅう総立ちの轟きを揚げている。

そのまに、庭の大木の上へ、よじ登っていた時綱の郎党の一人は、

「かかれ、かかれ」

と、長い旗を、腰から解いて、暁暗の空へ、へんぽんと、吹きなびかせた。

――後の史家が、<ruby><rb>称</rb><rt>よ</rt></ruby>んで“正中ノ変”となす、南北朝大乱の最初の火の手は、ついにこの朝、ここに揚った。

「わああっ……」

と、目標を圧縮してゆく武者声の潮、矢ひびき、太刀音。それも見るまに黒けむりとなり、真紅の<ruby><rb>群炎</rb><rt>ぐんえん</rt></ruby>となった。そして、吹き狂う熱風は、早くも<ruby><rb>死屍累々</rb><rt>ししるいるい</rt></ruby>の惨を地に照らし出している。

「残念だっ。女房にあまい頼春とは知っていたれど。……ええもう、追いつかぬ」

土岐左近は、戦い疲れて、自室に駈け入るやいな、腹十文字に掻ッ切って、炎の下に俯ッ伏した。

――同時刻。

小串則行の一勢は、京極附近で、ふた手に分れていた。

一手は、駿河の住人足助次郎重成の宿を<ruby><rb>衝</rb><rt>つ</rt></ruby>いたが、どう知ったか、彼はすでに風をくらッて逃げてしまった後だった。

が、一方。

錦小路高倉の多治見国長を襲った本隊は、完全にそこの土塀を取りかこんで、矢を射こみ、裏門表門から、武者声をあげていた。

こんな不意を見ようとは、つゆ思わず、多治見はその晩も、文談会で馴じんだ遊女を宿所にまねいて、おそくまで飲んだあげく、共に寝所へはいっていた。

妓こそは、災難であった。

<ruby><rb>厠</rb><rt>かわや</rt></ruby>から出て、何気なく、掛樋縁で<ruby><rb>手水</rb><rt>ちょうず</rt></ruby>をつかっているところへ、ぶすッと、すぐそばの妻戸を、物凄い音がつらぬき、一本の矢がそこに突き立ッたので、

「――きゃっ」

自分の悲鳴に気を失った。

それを耳にし、一番に躍り出ていたのは、<ruby><rb>宿直</rb><rt>とのい</rt></ruby>の小笠原孫六で、<ruby><rb>築土</rb><rt>ついじ</rt></ruby>の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">みね</span>に登って見ると、はや、ここを遠巻きにした軍勢の上に、一<ruby><rb>旒</rb><rt>りゅう</rt></ruby>の車ノ輪の旗が、あざらかに見られた。

「殿っ」

奥へ駈けこんだ孫六は、<ruby><rb>喘</rb><rt>せ</rt></ruby>く息もつかず、一気に寝所の内へ告げた。

「六波羅の討手な<ruby><rb>襲</rb><rt>よ</rt></ruby>せて見えまするぞ。必定、一味御謀反の沙汰、事あらわれしかと覚えられます。……<ruby><rb>疾</rb><rt>と</rt></ruby>う<ruby><rb>疾</rb><rt>と</rt></ruby>う、お覚悟をこそ」

「孫六か」

と、内の声で、

「矢さけび、ただ事ならじと、身は鎧うた。門をかためよ。<ruby><rb>門櫓</rb><rt>もんやぐら</rt></ruby>には、あるかぎりの矢を運びおけ。いままいる」

と、聞えた。

彼が、門櫓に立ち、<ruby><rb>狭間</rb><rt>はざま</rt></ruby>をひらいて、弓をしぼり始めた頃は、すでに敵は<ruby><rb>潮先</rb><rt>しおさき</rt></ruby>みたいにひたひたと近づき寄って、

「代々の北条殿の恩顧もわすれ、大それた逆を<ruby><rb>謀</rb><rt>たく</rt></ruby>む人非人。<ruby><rb>面</rb><rt>つら</rt></ruby>をみせよ、名のり出よ」

「よも姿は見せられまい、畜生武士」

「外道め、忘恩の徒め」

あらゆる悪口を、矢に<ruby><rb>交</rb><rt>ま</rt></ruby>ぜ、投げ松明に交ぜ、<ruby><rb>礫</rb><rt>つぶて</rt></ruby>に交ぜて、浴びせていた。

「だまれっ。いずれが外道か」

多治見は、<ruby><rb>怯</rb><rt>ひる</rt></ruby>まない。

「――天下の声に聴け。ときの外道は、執権どのを<ruby><rb>繞</rb><rt>めぐ</rt></ruby>って、鎌倉の<ruby><rb>谷々</rb><rt>やつやつ</rt></ruby>にこそみな住むわと、人のいうぞ。外道の<ruby><rb>手下</rb><rt>てか</rt></ruby>の<ruby><rb>小外道</rb><rt>こげどう</rt></ruby>めら、多治見四郎二郎国長の矢さきを受けらるるものなら受けてみよ」

大言ほどなものはある。

彼の矢に<ruby><rb>中</rb><rt>あた</rt></ruby>って仆れた者は幾人かしれない。なかでも、<ruby><rb>狩野前司</rb><rt>かののぜんじ</rt></ruby>の若党助房は、かぶとの真っ向を射ぬかれて、仰向けに馬から落ちた。

また、寄手の伊藤彦次郎父子は、功名にかられて、<ruby><rb>門扉</rb><rt>もんぴ</rt></ruby>の下から内へ、むりに這い込もうと<ruby><rb>足掻</rb><rt>あが</rt></ruby>いていたところを、寄りたかッて来た邸内の武者のため、たちまち<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">なます</span>斬りにされてしまった。

無残、ここかしこである、酸鼻な状も、言いようがない。

矢は尽き刀折れて、多治見国長も、ついに櫓の上で立ち腹切った。――黄煙は暁の辻を<ruby><rb>咽</rb><rt>むせ</rt></ruby>ばせ、四条方面の炎と共に、何も知らぬ洛中の庶民は、みな<ruby><rb>裸足</rb><rt>はだし</rt></ruby>で戸外へとび出していた。

さてまた、やがての六波羅は。

この朝、ぞくぞく<ruby><rb>縛</rb><rt>から</rt></ruby>められて来た人間で埋まった。

だが、常盤範貞も、彼以下の雑賀隼人や長井遠江らも、満足ではない。

「これらはみな、土岐、多治見の下郎、<ruby><rb>雑人</rb><rt>ぞうにん</rt></ruby>ではないか」

「かんじんな左近や国長は自刃させ、足助次郎も取り逃がし、かかる召使どものみを、捕えて来たとて何かせん」

討手の将として向った小串と山本の両将は、

「げに、その段は、抜かり申した。したが、この雑輩の中にも、文談会の仔細を見聞きした者がないとは限り申さぬ。拷問にかけて、一人一人おただしあるも、むだではございますまい」

少々、むかッ腹気味に、抗弁した。

「それや、無益よ」

雑賀は、<ruby><rb>嘲</rb><rt>わら</rt></ruby>って。

「これだけを、拷問にかけるなどは、たいへんだ。また、<ruby><rb>吐</rb><rt>ほ</rt></ruby>ざきもしまい」

「いや、無礼講の酒席に、月々よばれていた妓どもをしょッ曳いて来て、それらの妓に、<ruby><rb>面</rb><rt>つら</rt></ruby>を<ruby><rb>検</rb><rt>あらた</rt></ruby>めさせれば造作はない」

「なるほど、それもいい考え」

これには手間暇もかからなかった。

その日、二十余名の遊女や白拍子が、女牢の前に長く敷いたむしろの上に、ずらりと坐らせられた。――けだし、世間に奇事が起ると奇観も生じる。まことに、<ruby><rb>稀代</rb><rt>きたい</rt></ruby>な眺めだった。

「嘘をいうなよ」

「知っておる顔を、知らぬなどと申して、後に分ると、おまえたちも同罪だぞ」

彼女らの前を、<ruby><rb>数珠</rb><rt>じゅず</rt></ruby>つなぎにした多治見の家来や土岐の召使が、<ruby><rb>面通</rb><rt>めんどお</rt></ruby>しのために、何度も曳かれた。

不運な<ruby><rb>籤</rb><rt>くじ</rt></ruby>が、七人に<ruby><rb>中</rb><rt>あた</rt></ruby>った。遊女らから「――知っている」と、<ruby><rb>指</rb><rt>さ</rt></ruby>された顔の持主である。彼らは哀号して、非を叫んだが、ただちに拷問の白洲へ廻されて行った。そこで、何か泥を吐いたか、吐かぬために、打首となってしまったか、これらの人間については、処罰の程もわからない。

もっとも、六波羅当局としては、これらの枝葉に属する小者の取調べなどには、そう重点をおいてはいない。

より重大な、未解決のものが、その日まだ、手入れも出来ず、<ruby><rb>措</rb><rt>お</rt></ruby>かれてあった。

一味の公卿の門である。

誰々と、名も居る所も、明白に分っていたが、朝廷の臣である、しかもみな後醍醐の寵臣なのだ。討手の<ruby><rb>勢</rb><rt>ぜい</rt></ruby>を踏み込ますわけにはゆかない。手続きが要る。

しかし六波羅も、これには本腰だ。朝廷への申し入れは、手続きなどという形式のものではない。洛中諸所に軍兵を布き、示威のかたちをとっている。――そのまん中に、手も足もうごかしえない大内山の森、内裏の諸門が、しいんとして在った。

が、十九日も明けてからの、宮中の驚愕と、徐々に増しつつあった不安は、どんなであったろうか。――外部からさえ、思いやらるるものがある。

その重くるしい宮門には、やがて、ひきもきらぬ公卿の車駕が、参内していた。宮中奥ふかき所の昼夜、どんな協議が行われたのか。――すでに事変後三日めの朝であった。そこを崩れ出るごとく退がッて来た公卿車の一つに、日野蔵人俊基の姿も見られた。

## <ruby><rb>楠木</rb><rt>くすのき</rt></ruby>たずね

彼の館は、七条丹波口だった。ここらはもう京も<ruby><rb>端</rb><rt>はず</rt></ruby>れ。

遅々たる<ruby><rb>牛車</rb><rt>ぎっしゃ</rt></ruby>で、<ruby><rb>内裏</rb><rt>だいり</rt></ruby>から退がって来るには、ぬかるみ、石コロ道、秋草しげき田舎道、さんざんかかる。

「……お。いつか、わが<ruby><rb>家</rb><rt>や</rt></ruby>」

車のうちで、<ruby><rb>俊基</rb><rt>としもと</rt></ruby>は居眠っていたらしい。おそらく、一昨夜来の宮廷では、彼のみならず、<ruby><rb>帝</rb><rt>みかど</rt></ruby>をめぐって、不眠の<ruby><rb>凝議</rb><rt>ぎょうぎ</rt></ruby>だったであろう。

しかし、彼はいつもと変っていない。ふてぶてしいばかりな寝ざめ顔を、一つ撫でて、

「菊王」

と、車の簾から外を覗く。

走り<ruby><rb>童</rb><rt>わっぱ</rt></ruby>の幼時から、俊基に可愛がられて来て、このおあるじに仕えること、<ruby><rb>形影</rb><rt>けいえい</rt></ruby>もただならぬ侍童の菊王は、

「はいっ」

すぐ<ruby><rb>轅</rb><rt>ながえ</rt></ruby>の横へ寄って。

「お眼ざめでしたか」

「ム、だいぶ寝たわ。途中、何か変りはなかったか」

「大ありでした」

「あったろう。どんなことがあった」

「辻の<ruby><rb>篝屋</rb><rt>かがりや</rt></ruby>にかかるたび、辻立ちの武者どもが、お車の内をさし覗いたり、私へも、さまざま、嫌がらせなど、<ruby><rb>吐</rb><rt>ほ</rt></ruby>ざきまいた」

「そんなことか」

「でも、あれ<ruby><rb>御覧</rb><rt>ごろう</rt></ruby>ぜられませい。かしこの農家の辺りにも、桂川の岸べにも、あのように武者どもが、<ruby><rb>屯</rb><rt>たむろ</rt></ruby>しておりまする」

「そりゃ、彼らの役目だ。この俊基も、彼らの眼には、極悪人とも見ゆるのであろうよ。……やんぬる<ruby><rb>哉</rb><rt>かな</rt></ruby>、いまは尺歩も、彼らの眼の外へは出られまい」

「おっ、おあるじ。ざ、ざんねんでござりまする……」

菊王は肩をふるわせ、とつぜん、轅にしがみついて、泣きじゃくった。

ちらと、車上の人の眉にも、衝きあげられる感傷がかくせなかった。が、俊基はわざと<ruby><rb>磊落</rb><rt>らいらく</rt></ruby>なことばを<ruby><rb>仮</rb><rt>か</rt></ruby>りて、<ruby><rb>戯</rb><rt>たわむ</rt></ruby>れた。

「……そうれ。牛が歩みを止めてしもうたわ。菊王が何を泣くかと、牛めは振向きながら、<ruby><rb>尿</rb><rt>いばり</rt></ruby>しおるぞ」

「畜生っ」

菊王は、宙へ向って、<ruby><rb>空鞭</rb><rt>からむち</rt></ruby>を振りつつ歩いた。

館はもう見えている。館づくりというよりは、雅趣のある荘院風といった<ruby><rb>家構</rb><rt>やがま</rt></ruby>え。

もともと、彼は儒学の家の生れだった。どこか身についている文人肌はそのせいであろう。館の北の<ruby><rb>籬</rb><rt>まがき</rt></ruby>に、ひそと住まって、つねに不在がちなこの良人を待っている妻は、まだ<ruby><rb>初々</rb><rt>ういうい</rt></ruby>しいほどうら若い。――つい、おととし頃までは、西華門院（後宇多ノ後宮）の内で<ruby><rb>小右京</rb><rt>こうきょう</rt></ruby>ノ<ruby><rb>局</rb><rt>つぼね</rt></ruby>とよばれていた小女房だった。

門のあたりの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">車ぎしり</span>を知るやいな、小右京は、まろぶが如く、<ruby><rb>帳</rb><rt>とばり</rt></ruby>の蔭から走り出た。そのくせ、良人を見ても、なにも言いえず、ただうるんだ眼でおろおろ迎え、姿に添って、水のように一間に入った。

やっと、<ruby><rb>喘</rb><rt>あえ</rt></ruby>ぎを呑んで、

「……お帰りなされませ」

精いっぱいの<ruby><rb>怺</rb><rt>こら</rt></ruby>えで言ったのだろう。ついそのまま、肩をくずして、<ruby><rb>咽</rb><rt>むせ</rt></ruby>び伏してしまった。

「小右京。ここは都の隅だが、さだめし一昨以来の洛中の騒動、ここにも聞えていたであろうが」

「は、はい。聞きました」

「ならばもう多くを語ることも<ruby><rb>要</rb><rt>い</rt></ruby>るまい。俊基の身も、明日は鎌倉に送られる。……今日は別れに帰って来たぞ」

小右京は、胸がつぶれた。悲しさの上に悲しい驚きに打ちひしがれて。

「では、鎌倉へ。……曳かれておいでなされまするか」

「おう、よもや縄目の<ruby><rb>辱</rb><rt>はじ</rt></ruby>は与えもしまいし、また、受けもせぬが、申さば“放ち<ruby><rb>囚人</rb><rt>めしゅうど</rt></ruby>”というかたちでの、明朝、六波羅武士の迎えにまかせ、<ruby><rb>東国</rb><rt>あずま</rt></ruby>へ下る」

言いかけて、俊基は、ふと眼を<ruby><rb>庭面</rb><rt>にわも</rt></ruby>へそらした。

そこに、うずくまっていた家職の侍、後藤助光の姿に、ふと気づいたからだった。

「助光、またしばらくの留守となろう。あとを頼むぞ」

「口惜しゅうはござりまするが、ぜひもない儀と、つい今ほども、北ノ方さまを、お慰め申しあげておりました」

「それよ。そちを、宮門より先に走り返らせたのも、まずもって、小右京に覚悟させおいて欲しいためだった。……この<ruby><rb>期</rb><rt>ご</rt></ruby>に、何を嘆こうぞ。助光、<ruby><rb>下部</rb><rt>しもべ</rt></ruby>に命じて庭なと掃き清め、書院に夜の支度をしておけ」

「はっ。おん名残の夜を惜しませなされますか」

「思えば、わが妻ほど、あわれなるはあるまい。つい先頃、長の旅から帰ったばかりを、また先知れぬ<ruby><rb>囚人輿</rb><rt>めしゅうどごし</rt></ruby>の良人を見送らねばならぬ」

優しいことばは、かえって、小右京のつつしみを寸断にした。

良人の袖の蔭に身もだえの唇を噛んで「……いいえ」と、その黒髪は顔を振るらしかった。

常々、<ruby><rb>諭</rb><rt>さと</rt></ruby>されていたこともある。

この期になって取り乱すのは、日ごろ良人からいわれていた誓いを<ruby><rb>違</rb><rt>たが</rt></ruby>えることだった。「泣くまい、あなたの妻です、覚悟はしていました」と理性は言いたいのであろう。

俊基は、妻のすべてを体で感じとっている。しかし依然、<ruby><rb>庭面</rb><rt>にわも</rt></ruby>の助光を見て。

「こよいは、そちや菊王も交じえて、心ゆくまで、別杯を<ruby><rb>酌</rb><rt>く</rt></ruby>もうよ。小右京に琴をひかせ、わしは琵琶を弾じよう。その支度、<ruby><rb>清々</rb><rt>すがすが</rt></ruby>としておけや。夜明けなば、<ruby><rb>東</rb><rt>あずま</rt></ruby>立ち、<ruby><rb>爽</rb><rt>さ</rt></ruby>やかにここを立ち出でたい」

「ごもっともにござりまする。では、何かと」

両手で面を<ruby><rb>掩</rb><rt>おお</rt></ruby>いながら、助光は<ruby><rb>悄々</rb><rt>しおしお</rt></ruby>、<ruby><rb>下屋</rb><rt>しもや</rt></ruby>へ立ち去った。

「いま申した身の心もち、妻のそなたも分ってくれぬはずはあるまい。およそ、朝政を一新し、百年の毒賊北条の府を<ruby><rb>覆</rb><rt>くつがえ</rt></ruby>し、世を昭々たる<ruby><rb>古</rb><rt>いにしえ</rt></ruby>の御代に<ruby><rb>回</rb><rt>かえ</rt></ruby>そうためには、これしきな憂き目ぐらい、何ほどの驚きでもない。新しい智識は、海の彼方よりわが<ruby><rb>朝</rb><rt>ちょう</rt></ruby>の古い公卿たちへも、若い血しおを注ぎ入れた。大義親を滅せよ、と<ruby><rb>宋儒</rb><rt>そうじゅ</rt></ruby>の学はいっている。俊基は身を以て、その先駆に立つのだ。そなたは、わが身を不運とおもうか」

「い、いえ。……ただ<ruby><rb>女子</rb><rt>おなご</rt></ruby>の身、女子のわりなさ」

「女とて、いまの世に生れたのが、そもそも宿業。俊基のおらぬあと、悲しゅうなったら宋学の書を読め。わしの姿は、その中にある」

「ええもう。<ruby><rb>忌</rb><rt>いま</rt></ruby>わしい御意。これきりお会いできぬような」

「再び会えるか、これきりか、そこは天命。――いや小右京。まず何よりは今を惜しもう。そなたも夕化粧して顔を直せ。俊基も身清めしよう。そしてそなたの琴に、久しぶりで、わしも琵琶を抱いて<ruby><rb>合奏</rb><rt>あわ</rt></ruby>せてみようよ。さ。……顔を直せ。気を取り直せ」

軒の月は、二十日過ぎ。

匂う小右京の黒髪に、月の光がすべっている。

琴を前に。白い指のまろび出す音階は、<ruby><rb>絃</rb><rt>いと</rt></ruby>やら涙の音やら、彼女にもわからなかった。そのうごかない唇が歌う<ruby><rb>微</rb><rt>かす</rt></ruby>かな琴歌も、<ruby><rb>嗚咽</rb><rt>おえつ</rt></ruby>に似ていた。

飽かずして

別るる君が名残りをば

のちのかたみに

つつみてぞおく……

これは平家都落ちの夜、仁和寺ノ宮が平ノ経正へ賜わった惜別の歌だった。

――聞きすましつつ、琵琶を抱いていた良人の俊基は、

「オオ。さらばわしも」

一<ruby><rb>弾</rb><rt>だん</rt></ruby>、二弾、<ruby><rb>絃</rb><rt>げん</rt></ruby>を<ruby><rb>掻鳴</rb><rt>かきな</rt></ruby>らして。

くれ竹の

<ruby><rb>掛樋</rb><rt>かけひ</rt></ruby>の水は変れども

なほ住み飽かぬ

家のうちかな

ほんとは、「宮のうち」とある<ruby><rb>本歌</rb><rt>ほんか</rt></ruby>を、彼はわざと「家」といって、朗吟した。

明くれば<ruby><rb>囚人輿</rb><rt>めしゅうどごし</rt></ruby>での鎌倉下り。――惜しむ夜はもう更けかけていた。

宵には、家職の侍、後藤助光と、侍童の菊王も加えて、しめやかに、別れの小酒盛りを酌み、なお飽かぬ思いを夫妻は琵琶と琴に寄せていた。

これには、ふたりにとって忘れがたい、そもそもの思い出もある。

あれは元応二年の春。

<ruby><rb>皇后</rb><rt>みきさき</rt></ruby>の<ruby><rb>実家方</rb><rt>さとかた</rt></ruby>、西園寺ノ入道<ruby><rb>実兼</rb><rt>さねかね</rt></ruby>の北野の別荘に、桜狩の<ruby><rb>行幸</rb><rt>みゆき</rt></ruby>があった日のことだった。

后のお姉ぎみの永福門院やら、大納言為世の<ruby><rb>女</rb><rt>じょ</rt></ruby>為子ノ君、西華門院、また、みかどの随身、<ruby><rb>大臣</rb><rt>おとど</rt></ruby>たち、眼もくらむばかりな美しい人群れなのに、花吹雪さえ立ちめぐって、さまざまな御遊興もはや尽きての果て。

みかどから「俊基、琵琶せよ」との<ruby><rb>御諚</rb><rt>ごじょう</rt></ruby>に、他の人々も「それなん聞きもの。そのうえ小右京ノ君に、琴を<ruby><rb>合奏</rb><rt>あわ</rt></ruby>させなば、なお、おもしろからんに」と、言い<ruby><rb>囃</rb><rt>はや</rt></ruby>した。

二人の恋を知っていた人々の意地悪だった。

琵琶と琴の<ruby><rb>合奏</rb><rt>あわ</rt></ruby>せはむずかしい。――が、御諚なればと、二人は懸命に、そのとき“<ruby><rb>熊野</rb><rt>ゆや</rt></ruby>”の<ruby><rb>一</rb><rt>ひ</rt></ruby>ト<ruby><rb>節</rb><rt>ふし</rt></ruby>を<ruby><rb>弾</rb><rt>かな</rt></ruby>でて歌った。神妙によう出来たりと、みかどのお賞めことばが、やがて、お許しのようなものになって、翌年、ふたりは家庭を持ったのだった。

「小右京。……あの折の“熊野”をまだ覚えているか」

「どうして、忘れえましょうぞ」

……やがて。

<ruby><rb>生命</rb><rt>いのち</rt></ruby>のかぎりを啼きすだく虫の秋を、ここにもまた、生命のまたたきを灯に惜しむ、ふたりの熊野の曲が、野水の<ruby><rb>喘</rb><rt>せ</rt></ruby>くように、<ruby><rb>墻</rb><rt>かき</rt></ruby>の外まで聞えていた。

すると、そこの灯を、忍び足に、外から覗いて、ほどなくまた、桂川の方へ立ち去って行った武者どもの黒い影があった。

「のら犬めらが」

菊王と助光は、<ruby><rb>下屋</rb><rt>しもや</rt></ruby>の縁で、その者どもの影を睨んでいた。

宵から、附近には、ここを見張っている<ruby><rb>屯篝</rb><rt>たむろかが</rt></ruby>りが、不遠慮に、夜空を赤くしていたのである。

――が、<ruby><rb>夜半</rb><rt>よわ</rt></ruby>ともなると、立ち武者どもの火も細々と薄れ、熊野の曲もやんで、やがて奥の寝所の<ruby><rb>蔀</rb><rt>しとみ</rt></ruby>も下ろされた。で、助光たちも、刀を枕に、下屋の端に、しばし、仮寝の姿を取った。

――と、墨のような丑満頃、

「菊王。菊王やある」

と、奥の方で、おあるじの呼ぶ声だった。

<ruby><rb>細殿</rb><rt>ほそどの</rt></ruby>の簾に、微かな<ruby><rb>灯揺</rb><rt>ほゆ</rt></ruby>らぎが窺われる。

<ruby><rb>硯筥</rb><rt>すずりばこ</rt></ruby>を横に、おあるじの白い影は、いま筆を<ruby><rb>擱</rb><rt>お</rt></ruby>いたかのように、そこに独り<ruby><rb>寂</rb><rt>せき</rt></ruby>としていた。

「菊王。まいりました」

「お……。もそっと、寄れい」

「はい」

と、かがまり進んで。

「なんぞ御用にござりますか」

「さればよ……」

俊基は、まだ墨の香もする自筆の手紙を、小さく封じて、膝の上に握っていた。そしてこの侍童菊王の、性根の底までを見入るような<ruby><rb>眼</rb><rt>まなこ</rt></ruby>を凝らして。

「菊王。頼みなある。そちならではと、見込んでの頼み。してくれるか」

「何事か存じませぬが、菊王ならではとの仰せ、うれしゅう存じまする」

「余の儀でないが、俊基が鎌倉へ送られた後、機を見て、この一書を、<ruby><rb>河内国</rb><rt>かわち</rt></ruby>のさる人の許へ、しかと、届けてもらいたいが」

「なにかと思えば、いとおやすいことで」

「いや、やさしくない」

そこが、不安であるように、語気きびしく、釘をさした。

「聞けよ。かりそめにも、過って、この書状の<ruby><rb>内容</rb><rt>うち</rt></ruby>を人に読まれなどしたら一大事ぞ。みかどのおん上にも、どんな<ruby><rb>禍</rb><rt>わざわ</rt></ruby>いが降りかかるやら知れず、俊基の首、一味の公卿の首、幾つ飛んでも足りぬ破滅となろう。……それほどな密書なのだ。菊王っ」

「は。はいっ……」

「気の小さい奴、なんで<ruby><rb>慄</rb><rt>ふる</rt></ruby>える」

「はい」

「出来るか」

「いたしまする」

「かかる大役に、わざと<ruby><rb>小冠者</rb><rt>こかじゃ</rt></ruby>のそちを選んだのは、敵を計るためでもある。わしが鎌倉へ曳かれた後には、さっそく六波羅兵がこれへ臨んで、家探しをなし、往来の書状、<ruby><rb>文筥</rb><rt>ふばこ</rt></ruby>など、<ruby><rb>検</rb><rt>あらた</rt></ruby>め荒すにちがいない。――されば、家職の助光に預けおくも安心はできぬ。そちが持って、ひとまず誰にも気づかれぬ所へ隠しておけ」

「心得まいた。菊王が命にかけても、きっと六波羅の眼をのがれてみせます」

「とは申せ、急ぐなよ。およそ世間のほとぼりもさめた頃、忍びやかに持って出るのだぞ」

「ですが、おあるじ」

菊王は思わず、にじり出ていた。

そこまで、俊基の信頼をうけたことにも、また大任の重さにも、身のうちの感激をそのまま、ふくら雀のような姿にして。

「……御書状を、おとどけ申しあげる先のお人とは、そも、どなた様でござりますな」

「<ruby><rb>河内国</rb><rt>かわちのくに</rt></ruby><ruby><rb>金剛山</rb><rt>こんごうさん</rt></ruby>の西、<ruby><rb>水分山</rb><rt>みくまりやま</rt></ruby>のほとりに住む、<ruby><rb>楠木多聞兵衛正成</rb><rt>くすのきたもんびょうえまさしげ</rt></ruby>と申す者」

菊王は、<ruby><rb>鸚鵡</rb><rt>おうむ</rt></ruby>返しに。

「楠木多聞兵衛正成どのと申されますか」

「そうだ」

俊基は初めて、手の書状を、彼にあずけた。そして、もいちど、ことばをあらためた。

「ゆめ、人目にかかるなよ。楠木が屋形を訪うにも、途々、うかと人に道など訊いてはならぬ。ああこれで、一<ruby><rb>期</rb><rt>ご</rt></ruby>に頼みおくことも、安堵した。これでよし。菊王、つかの間でも、<ruby><rb>寝</rb><rt>やす</rt></ruby>むがいい」

「おあるじにも、どうぞ御安心あって」

「む、<ruby><rb>頼</rb><rt>たの</rt></ruby>うだぞ」

ふっと、<ruby><rb>燭</rb><rt>しょく</rt></ruby>は吹き消された。けれどまもなく、遠くの鶏鳴と、<ruby><rb>蔀</rb><rt>しとみ</rt></ruby>明かりに、待たぬ<ruby><rb>晨</rb><rt>あした</rt></ruby>が、白々と近づいていた。

物見だかい京の庶民は、その朝まだき、六波羅兵に取り囲まれて行く日野俊基の乗物を、辻々で不安そうに見送っていた。

輿でなく、牛車だった。

そのうえ護送の列は、すぐ東海道へは下らず、六波羅の内へ入ってしまった。

なお、これにつづいて。

べつにもう一組の護送兵が、二条辺から一<ruby><rb>輛</rb><rt>りょう</rt></ruby>の牛車を押ッ包んで来て、それをも六波羅の一門へ追込んだ。

「……後のは、参議殿じゃった」

「日野参議資朝卿も、捕われてか」

「日野と日野、揃いも揃うて」

「次には、誰が曳かれるやら」

何かは知らず、これを皮切りに、果てない余波もあるのではないかと、街は底知れぬ恐怖をたたえた。

けれど、その日の六波羅検挙は、こう二人の朝臣の<ruby><rb>拉致</rb><rt>らち</rt></ruby>だけに止まった。

思うに、事変後、揉んでいた朝廷交渉の帰結が、この答えを見たのであろう。

およそ、公卿一味の数は、どれほど多数か分らない。そこで、主謀者と見られる日野の二朝臣を目標に強硬な主張を朝廷へ迫ったものにちがいない。

ともあれ、先に六波羅が発した<ruby><rb>飛馬</rb><rt>ひば</rt></ruby>は、すでに事を鎌倉表に報じており、幕府は即刻、<ruby><rb>工藤</rb><rt>くどう</rt></ruby>右衛門<ruby><rb>次郎</rb><rt>じろう</rt></ruby>、<ruby><rb>諏訪三郎兵衛</rb><rt>すわさぶろうひょうえ</rt></ruby>の両使を、都へ急派した。

それの着京が、十月一日。

なおこの頃までも、日野の二朝臣は、六波羅の内に、室を分かって、拘禁されたままだったのである。

「さだめし、お退屈であったであろう。だが、明日はいよいよ東国へ追っ立てまいらせる。何ぞ、都にお言い残しはないか」

三日の夜であった。

工藤右衛門次郎ひとりが、ふと俊基の室へ来て、やや揶揄的にこう言い渡した。

「いまさら何の」

俊基も冷ややかに。

「それより、べつに頼みがある。道中は資朝卿ともご一しょと思うが、何かの折、いちど、会わせて給わるまいか」

「さような儀は、鎌倉のみゆるし得ねば、一存での計らいなど思いもよらぬ。……が、いちど御辺に会いたいという<ruby><rb>女子</rb><rt>おなご</rt></ruby>はおる。それなれば会わせてもよいが」

「はて、どこの女性が」

「斎藤どののむすめ御でおざる。と申してお分りなくば、船木頼春の妻波路といえば、お合点あろうが」

俊基は答えなかった。

嫉妬ぶかい船木の妻が、親の斎藤利行に良人の行状を告げ口したことが、少なくも大事発覚の口火になったものとは、彼もその後に耳にしていた。

その女が、なんのために。

しいて考えれば。

良人頼春の兄土岐左近や、多くの一族郎党も寄手の前に討死をとげさせ、その他、女の嫉妬ひとつから、この大事変をひき起したので、さすが後では<ruby><rb>慚愧</rb><rt>ざんき</rt></ruby>にたえず、ここへ来て<ruby><rb>謝罪</rb><rt>あやま</rt></ruby>るつもりでもあるか……。

「いやいや。今さら女の詫び言など聞いたとて、何かせん。そんな姿も見とうはない」

ところが、工藤が去ると間もなく、それらしい女が、そろと、部屋の隅へ来て坐った。

――見れば明りもとどかぬ墨のような壁を背に、白い顔が、ものもいわずにいるのだった。

彼女は<ruby><rb>窶</rb><rt>やつ</rt></ruby>れて見えた。いつまでも、黙って坐りこんでいる姿には、異常なものすら感じられる。

泣き入る風情はなし、前非を悔いて、俊基のまえに<ruby><rb>謝罪</rb><rt>あやま</rt></ruby>りに来たなどという風でもない。

しばらく、素知らぬ顔していた俊基も、ついに言った。

「女。……何しに来た」

すると。――片隅から少しにじり出た波路の白い顔が、初めて灯影の輪に入っていた。

「あなたが、良人の頼春をたぶらかし召された、日野蔵人どのでございますね」

「はて迷惑な。そちの良人をたぶらかした覚えなどはないぞ。何を血迷うて」

「いいえ。良人の頼春のみか、あなたのお口に乗せられて、土岐左近どのも、多治見の一族も、みな無残な最期をとげておりましょうが」

「それこそは、<ruby><rb>逆恨</rb><rt>さかうら</rt></ruby>みよ。船木頼春とその妻の裏切りが、かかる異変をよび起せしものと、俊基も聞き及ぶぞ。……さるを、どの面さげて、のめのめこれへ」

「ホ、ホ、ホ……」波路は必死なのである。<ruby><rb>上</rb><rt>うわ</rt></ruby>べは嬌笑にまぎらわせても、眉や<ruby><rb>眼</rb><rt>まな</rt></ruby>ざしは、不気味な迫り方を持って。

「女の一念です。どこへお隠しなされようと、探し出さいではおきませぬ」

「誰が、誰を隠したか」

「あなたさまが」

「この俊基が」

「はい。良人の頼春を、どこかへお隠しなされたでございましょうが」

こんどは俊基の方で、からからと笑った。そして「この女、すこし気が変なのではないか」と疑った。

が、<ruby><rb>躍起</rb><rt>やっき</rt></ruby>となって、波路は、また少し、つめ寄って来た。

「たしかに、いつぞやの兵火の晩、あの騒動の直ぐ前に、良人の頼春は、あなた方一味の隠れ家か、御所の内へでも、走り込んだにちがいありませぬ」

「裏切り者の頼春が、どうして、われらの前に姿を見せよう。そちは何かに、<ruby><rb>憑</rb><rt>つ</rt></ruby>かれてでもいるとみえる」

「いいえ。まだ魔の夢に憑かれているのは良人てす。――六波羅の討手が、各所へ押し<ruby><rb>襲</rb><rt>よ</rt></ruby>せたと知れたあの暁のこと。良人は、わらわを罵りちらして、夫婦の縁もこれきりじゃ。……一味への申しわけには、六波羅相手に、斬り死にするが本意なれど、いま一度、俊基朝臣にお目にかかり、身の潔白を申しあげてお詫びせねば、死ぬにも死ねぬなどと、狂気のように<ruby><rb>喚</rb><rt>わめ</rt></ruby>いて、いずこへともなく走り出たまま、今日まで行方も知れないのです」

「そうか。……それでは、そちは、去られた妻か」

「なんで、去られたままでいましょうぞ。良人のことばは、一時の逆上にすぎませぬ。飽きも飽かれもせぬ仲を、こんなにしたのも、みな、あなた方の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">せい</span>というもの。さ。良人を返して下さい。いいえ、良人の居る所を、あなたは確かに御存知のはず……」

「知らぬ。知るわけはない」

「まあ、しらじらしい」

ことばも尽き、波路はつかみかかりそうな血相を見せた。――が、そのとき、物蔭で立ち聞きしていた工藤右衛門次郎が、傍の武士に目くばせすると、武士たちは、つかつか入って来て、むりに波路の身を外へ<ruby><rb>拉</rb><rt>らっ</rt></ruby>し去った。

初めて、波路の泣き声が外に聞え、狂い狂い遠くへ消えて行った。

俊基、資朝の鎌倉<ruby><rb>押送</rb><rt>おうそう</rt></ruby>は、あくる朝の十月四日、予定どおりに行われた。

<ruby><rb>卯</rb><rt>う</rt></ruby>ノ<ruby><rb>下刻</rb><rt>げこく</rt></ruby>（午前七時）に六波羅を出た二つの<ruby><rb>囚人輿</rb><rt>めしゅうどごし</rt></ruby>は、まだ晩秋の木々や町屋の屋根の露も<ruby><rb>干</rb><rt>ひ</rt></ruby>ぬうち、はや<ruby><rb>蹴上</rb><rt>けあげ</rt></ruby>近くにさしかかっていた。

本来ならば、この東下は、

放ち囚人（任意の出頭）

ということになっている。その公称からも、衣冠や乗物などすべて、護送するにも、平常の礼をとるべきなのに、事実は流刑の罪人と何の変りもない。

おそらく、六波羅の底意としては、

「これ見よ。関東の府にそむかば、きのうまでの朝臣たりとて、かくの如きものぞ」

と、路傍の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">見せしめ</span>とするのが目的の一つなのだろう。

そのためか、警固の兵もおびただしい。

騎馬には工藤右衛門次郎、諏訪三郎兵衛の両使のほか、直訴の証拠人として、波路の父、斎藤四郎左衛門利行もまた、列のうちに加わっていた。

要するに、事々、幕府の示威であり、二<ruby><rb>荷</rb><rt>か</rt></ruby>の<ruby><rb>張輿</rb><rt>はりごし</rt></ruby>は、かくて東海道の宿々を、よい見世物とされて行くにちがいない。

しかし張輿の上の二人――俊基の眉にも、資朝の姿にも、人目を<ruby><rb>辱</rb><rt>は</rt></ruby>じる風はなかった。悪びれず、<ruby><rb>硬</rb><rt>こわ</rt></ruby>ばらず、群集には、それが立派にすら見えた。だから、結果としては、権力者の示威も、かえって逆なものを、民衆の胸に、植えていたかも知れないのである。

列は、幾たびも、立ちよどむ。わけて粟田口から蹴上への、坂の辻では、

「退けい。退きおろう」

と、武者輩が、声をも<ruby><rb>嗄</rb><rt>か</rt></ruby>らす程だった。

蹴上を越えれば、京も<ruby><rb>出端</rb><rt>ではず</rt></ruby>れる。

「そこまでは……」

と、五条辺から、輿の後について来た群集も多かったのだ。俊基の眼も、

「……おお、いずれも<ruby><rb>密</rb><rt>ひそ</rt></ruby>かに、見送りに来ていてくれたの。あの女、あの<ruby><rb>媼</rb><rt>おうな</rt></ruby>、あの法師」

以心伝心。

揺れやまぬ沢山な顔のうちでも、知り人の顔はすぐ眼にとまる。微笑で<ruby><rb>応</rb><rt>こた</rt></ruby>えると、先も涙するやら、胸に手を合せて、黙送の姿、さまざまだった。

「……や、菊王も」

そうした中に、菊王の姿も<ruby><rb>揉</rb><rt>も</rt></ruby>まれていた。俊基はうれしかった。

だが。――彼に托してある楠木への密書に考え及ぶと、その彼が、もうこんな巷に出ていることすら不安になった。……で、わざとその菊王へは、眼にものいわせて、きッと怖い顔してみせた。

すると、菊王は、振っていた手をひっこめて、急にくるっと、人ごみを分けて、蹴上の中腹にある大きな<ruby><rb>榛</rb><rt>はん</rt></ruby>の木の方へ駈けて行った。

見ると、榛の木蔭には、一<ruby><rb>茎</rb><rt>けい</rt></ruby>の秋草みたいに、<ruby><rb>被衣</rb><rt>かつぎ</rt></ruby>した一人の女房がたたずんでいた。じっと、こなたを見まもっている姿から、声なき声が、俊基の胸をついて来た。

「あっ、小右京よ。……小右京」

つい、不覚な涙に胸もみだれかけたが、しかし彼は、ゆうべ見た人妻の波路をべつな心で思い出していた。

究極に立った女の愛と、男の愛との、折合いのつかない食い違いが、小右京と自分の間にもなくはないと、考えられた。何かむごたらしい両性の差が、自分らの上にも<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まざ</span>と在るのを知った。

## 悲歌

<ruby><rb>押送</rb><rt>おうそう</rt></ruby>の同勢は、やがて東海道の泊りを、かさねていた。

木曾川で数日川止めに遭ったほか、概して道中の日和はよかった。ただし護送<ruby><rb>輿</rb><rt>ごし</rt></ruby>の足なみ。いやでも道は<ruby><rb>捗</rb><rt>はか</rt></ruby>どらない。

特に、峠などの山坂にかかれば、そのたびに、

「お乗り換えを」

と、うながされ、資朝と俊基は、輿の上から、裸馬の背へ移された。

初め、武者どもは心ひそかに「――鎌倉殿を仆さんなどと、夢では、大それた野望をいだく公卿も、馬にはよう乗れまい」と見ていたが、俊基も資朝も、上手であった。いっこう乗馬も恐れない。

かえって、<ruby><rb>倦</rb><rt>う</rt></ruby>み疲れた輿から解放されたような容子で、その日も、馬の背の俊基は、峠の途中で、

「ここは、どこ」

と、訊ねたりした。

「宇津ノ山でおざる」

護送の兵は、むッそりいう。

俊基は、眉に迫る晩秋の富士を仰いで、

「はや、<ruby><rb>駿河路</rb><rt>するがじ</rt></ruby>か」

と、咳いた。そしてとつぜん、伊勢物語の<ruby><rb>業平</rb><rt>なりひら</rt></ruby>の歌を、朗々と吟じ出した。

駿河なる

宇津ノ山べの

うつつにも

夢にも

人に会はぬなりけり

すると、それに応じて、前を行く裸馬の背からも、日野資朝が同じように、晴々と、こう歌った。

<ruby><rb>明日</rb><rt>あす</rt></ruby>やまた

きのふの声に驚かん

今日はうつつの

宇津ノ山越え

満目の散り紅葉は、若い公卿志士の悲調をそそッたものであろう。しかし、その二人が、<ruby><rb>虜囚</rb><rt>りょしゅう</rt></ruby>の身も忘れて<ruby><rb>愉</rb><rt>たの</rt></ruby>しげに見えるなどは、護送使には我慢がならない。

「ち。うるさいな」

工藤右衛門次郎のそばから、すぐ一名の武者が、馳せ戻って、裸馬の二人へ呶鳴った。

「両所っ。話を交わしてはならん。黙って行かれい」

俊基が、笑って答えた。

「話はせぬ。これは古歌だ。これだけいる鎌倉武士、伊勢物語の歌の一つぐらい、知る者はいないのか」

――ほどなく、峠も越えると、安倍川の西だった。<ruby><rb>手越</rb><rt>てごし</rt></ruby>ヶ原の官道に添って、両側の並木を綴る賑やかな一駅は手越ノ<ruby><rb>宿</rb><rt>しゅく</rt></ruby>。晩の泊りはそこときまった。

公役の宿所には、それが大勢のばあいほど、土地の小寺院や長者屋敷などが、まま利用されていた。

その夜も、二人の身柄は、宿場うちの無量光院へ泊められたが、しかし、室は例の如く隔離された。資朝、俊基、どっちからも、一方はどこにいるやら察しもつかない。

晩の<ruby><rb>宿駅</rb><rt>しゅく</rt></ruby>では、絃歌がわいていた。手越ノ遊女といえば、古くから海道一の聞えがある。ここを通って、名もなさず過ぎるのは、武士の名折れぞ、と<ruby><rb>婆娑羅者</rb><rt>ばさらもの</rt></ruby>はいうのである。そのせいでか、宵すぎると、無量光院に詰めていた警固の武士も、いつのまにやら宿場の灯を目あてに、こそこそとみな忍び出して行った風である。

「……俊基さま。蔵人さま」

どこかで、誰かが呼ぶ。

俊基は、何度も耳を疑った。そしてついに室の障子を開け、そっと廻廊の闇へ首を出してみた。どうも、声は床下らしい。

つい先刻まで、廻廊の角に頑張っていた警固の者も、宿場の灯にそそられて行ったか、いつのまにやら影も見えない。

と、見さだめて、

「たれだ、床下に潜む者は」

俊基は、廊の<ruby><rb>欄</rb><rt>らん</rt></ruby>の<ruby><rb>際</rb><rt>きわ</rt></ruby>まで身を<ruby><rb>辷</rb><rt>すべ</rt></ruby>り出して行った。そしてその上半身を、欄に<ruby><rb>屈</rb><rt>かが</rt></ruby>ませると、

「おっ。蔵人さま」

まぎれなく地には人影があった。べたと土に這い伏したまま、上の人をじっと見上げている。

<ruby><rb>膏薬売</rb><rt>こうやくう</rt></ruby>りか針売りか、とにかく、そんな風態の旅商人――。

俊基は、警戒した。うかとは口も開けない気がして、なお、しげしげとその顔を見まもっていたが、

「や、そちは」

仰天せざるを得なかった。

すると、下の影は、そのまま<ruby><rb>地底</rb><rt>じぞこ</rt></ruby>へでも消え入りたそうな姿をした。そのうえさらに、その<ruby><rb>頭巾額</rb><rt>ずきんびたい</rt></ruby>を、地にすりつけて。

「船木頼春にござりまする。……生きて、おん前に出るなど、死以上の苦痛にござりますが、妻の嫉妬から、思わぬ大変事を<ruby><rb>惹</rb><rt>ひ</rt></ruby>き起し、兄左近のみか、御一味の方々にまで」

「あ。待て」

俊基は彼の声を抑えて、要心ぶかい眼をくばった。

彼は、それでもなお、気がすまぬらしく、廻廊の角まで立ち、裏手を見た上、戻って来た。

「ひそと申せ。どこにも人は見えぬが、夜気のしじま……」

「お気づかいなされますな。夜番の武士もこよいは諸所で、飲み<ruby><rb>呆</rb><rt>ほ</rt></ruby>うけておりますれば」

「して、そちは何のため、これへ来たか」

「妻の<ruby><rb>科</rb><rt>とが</rt></ruby>は私の科、<ruby><rb>今生</rb><rt>こんじょう</rt></ruby>にて、一度はお詫び申さねばと、都から見え隠れにおあとを慕い、やっと、こよい本意を遂げたような次第。何とぞ……この上はただ、ゆるすとの、御一言を……。それさえ伺えば、いつ死んでも惜しからぬ頼春の身にござりますれば」

「うウむ。では本心、裏切ったわけではないのか」

「妻の波路に、ふと、事を打明けたは、一生の不覚でしたが、頼春も武士の端くれ」

「ならば、死ぬな。事もはや、今日の仕儀と相なっては、追ッかけにそちが死んで見せたところで何になろうぞ。大事はまだ、ここで終ったわけでない」

「とは申せ。兄左近や一味の多くを討死させたのみか、<ruby><rb>上</rb><rt>かみ</rt></ruby>の<ruby><rb>御宸念</rb><rt>ごしんねん</rt></ruby>をも煩わせ奉った身が、どの面さげて」

「さまで、悔やむなれば、なおさらのことだ。その<ruby><rb>慚愧</rb><rt>ざんき</rt></ruby>を、この後の国事へ尽すがいい」

「と仰せられる意味は」

「たとえば、時を待って、河内の楠木多聞兵衛正成をたずねて行け。かならず、そちによい死に場所を与えてくれよう」

「はっ。おことばを<ruby><rb>証</rb><rt>あかし</rt></ruby>として、きっと、楠木殿を<ruby><rb>訪</rb><rt>と</rt></ruby>うことにいたしまする」

「が、さし当って、べつに一つの頼みもある。……頼春」

肌着の深くから、小さく結んだ文を取出して、彼はかさねて、下の顔へ、こう<ruby><rb>咡</rb><rt>ささや</rt></ruby>いた。

「――じつは、かねて意中をしたためおいたこの一書を、折あらば、資朝卿の<ruby><rb>御手</rb><rt>みて</rt></ruby>へ渡さんものと、道中、隙を窺うていたが、さて警固の眼の隙もない。卿には、こよいはどこにお眠りか、そちならば近づき得よう。そっと、忍び寄って、これをお手渡ししてくれまいか」

おそらく、当夜の手越ノ宿では、護送使一行のあらましが、女を買いに出たり、宿所へ酒を持ち込んでいたのであろう。なにしろ<ruby><rb>晩</rb><rt>おそ</rt></ruby>くまで、寝つかない<ruby><rb>戯</rb><rt>ざ</rt></ruby>れ<ruby><rb>声</rb><rt>ごえ</rt></ruby>や鼻唄が寺内にも聞えていた。

――それも、ばたとやんで、山門の<ruby><rb>屯</rb><rt>たむろ</rt></ruby>も、<ruby><rb>庫裡</rb><rt>くり</rt></ruby>、廻廊の辺も、寝ぎたない兵の<ruby><rb>鼾</rb><rt>いびき</rt></ruby>になった四更（夜明け前）の頃だった。

俊基は、ふと眼ざめた。

背中の下で、<ruby><rb>啄木</rb><rt>きつつき</rt></ruby>の<ruby><rb>啄</rb><rt>ついば</rt></ruby>むような小さい物音を知り、

「さては、頼春か」

すぐ起きて、廊の欄へ、顔を見せた。と、その顔の前へ、下から黙って人の片手が伸びてきた。

手は一通の書を示している。

すばやく、受けとって。

「資朝卿の御返書か」

たずねたが、手を引くやいな、下の頼春は、別れの辞儀を見せたのみで、何もいわず、<ruby><rb>土龍</rb><rt>もぐら</rt></ruby>のように姿を消した。

「……さてこそ」

廊の隅々には、打ち重なったまま、<ruby><rb>熟</rb><rt>う</rt></ruby>れ<ruby><rb>柿</rb><rt>がき</rt></ruby>みたいな臭気を抱いて寝くたれている兵が見える。――俊基は足を忍ばせて、室へもどり、消えかけている<ruby><rb>燭</rb><rt>しょく</rt></ruby>の灯を掻き立てた。

資朝卿の筆に間違いない。

その中で、資朝は、こう告げている。

――自分が思うところは、そのまま、貴公の思うところと、一致していた。

罪は一人がかぶればよい。

貴公は、我れ一人死の庭につかんと仰せあるが、自分の覚悟もすでに極っている。貴公は世に残り給え。

なんとなれば。

貴公の英才や俊敏な活動力は、自分には真似もできないことだ。我れとて多少の自負もないではないが、一世の上に大機運を呼び起し、時乱の先駆に立ってゆくほどな素質には欠けている。

かつは、貴公よりも、自分の方が上卿（上官）であり、年上でもある。鎌倉の<ruby><rb>司断</rb><rt>しだん</rt></ruby>も、おそらく張本人は、この資朝と見るだろう。もし貴公が、主謀者は我れなりと主張しても、それにより、資朝を不問に付すはずもない。

さすれば、貴公の死は、むだになる。

大事は今がほんの<ruby><rb>端緒</rb><rt>たんしょ</rt></ruby>。一名の生命といえ、おろそかにはならぬ。みかどの御為、一新の世直しの為、貴公は生命を惜しまれたい。

罪は、資朝が一身にかぶる。

鎌倉の裁きに屈せず、貴公はあくまで言い抜けろ。友を売るなどという小義にこだわらず、助かって欲しい。そして再び貴公が都に帰って、帝座の周囲を鼓舞する日のあらんことを、神かけて祈る。

――もう二度とは、こんな好機にも恵まれまい。これを以て、資朝のこの世における遺言の筆を<ruby><rb>擱</rb><rt>お</rt></ruby>く。

君よ迷うな。

読後、御火中の事。

読み終ると、俊基はすぐそれを、灯にかざした。

油も尽きていたか。紙が燃えると、反対に燭は消えた。<ruby><rb>冥々</rb><rt>めいめい</rt></ruby>たる真の闇が、辺りを塗りつぶす。

しかし、枕についた顔は、闇に迷い漂う物みたいに、ぽっかりと眼をあいていた。

「……資朝卿のお旨は、さながら、さきに自分が、妻の小右京や頼春に与えたことばと何の変りもない。今度はそれをわが身が受けることか。さても死にたくはないものかな……」

あくる朝の安倍川渡りには、手越ノ遊女たちの一と群れが、河原まで送りに来ていた。

もとより囚人輿には、<ruby><rb>後朝</rb><rt>きぬぎぬ</rt></ruby>の惜しみなどあろうはずもない。――彼女らは心得て、朝霧の中に離れていた。とはいえ、<ruby><rb>腫</rb><rt>は</rt></ruby>れぼったい今朝の顔を見ればすぐ判る。――護送使の工藤、諏訪などの<ruby><rb>頭立</rb><rt>かしらだ</rt></ruby>った面々には、さすがテレ気味がおおいきれない。

およそ海道宿々の遊女は、いよいよ殖えるばかりに見える。公私共に、男の体は、遊女から遊女の手へと、夜ごと引き継がれてゆくような旅だった。――ここから先にも、<ruby><rb>清見潟</rb><rt>きよみがた</rt></ruby>、黄瀬川、<ruby><rb>足柄</rb><rt>あしがら</rt></ruby>、大磯小磯、そして鎌倉口の<ruby><rb>仮粧坂</rb><rt>けわいざか</rt></ruby>まで、ほとんど<ruby><rb>道</rb><rt>みち</rt></ruby>の<ruby><rb>辺</rb><rt>べ</rt></ruby>の花を見かけない宿場はない。

だが、路傍の花も、道々の風光も、何の旅情でもありえなかった。日ならずして、護送の列は、鎌倉の府に入る。

少憩の後、

「両名の身は、審問の相すむまで、侍所に預け置かる」

と、沙汰される。

ここでも、日野資朝と日野俊基とは、顔を合せる折もなかった。<ruby><rb>隔離</rb><rt>かくり</rt></ruby>は完全に行われ、監禁の場所も、極秘に付された。

おそらく、資朝も俊基も、

「裁きは、すぐにも」

と予期していたろう。

が、その審問はなかなか開かれそうもなかった。そしてこの直後、時局の側面的な変化が、朝廷と幕府の間に、見え初めていた。

×　　　　　　　　　　　×

×　　　　　　　　　　　×

資朝、俊基が関東の<ruby><rb>囚</rb><rt>とら</rt></ruby>われとなった後も、中央における事変の余震は、一日たりと、<ruby><rb>熄</rb><rt>や</rt></ruby>んではいない。

六波羅の探索は、ますます露骨を極めていた。

何のかのと理由づけては、白昼、<ruby><rb>得物</rb><rt>えもの</rt></ruby>を持った鎧武者が、<ruby><rb>内裏</rb><rt>だいり</rt></ruby>にまで立ち入って来た。<ruby><rb>校書殿</rb><rt>きょうしょでん</rt></ruby>の大庭やら<ruby><rb>梨壺</rb><rt>なしつぼ</rt></ruby>のあたりにすら、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うさん</span>な者が、まま見かけられたりするのだった。

「いまいましさよ」

朝廷の自尊には、耐えがたい侮辱であった。

特に、天皇<ruby><rb>後醍醐</rb><rt>ごだいご</rt></ruby>は、お気も烈しい。

まだ、法皇<ruby><rb>後宇多</rb><rt>ごうだ</rt></ruby>が御在世のうちは、その機鋒も、多分にひそめておいでだったが、この年六月、御父の法皇がみまかられた後は、いちばい“北条討伐”の密謀に積極的なお励みがみえていた。

常に何かの燃焼がなければ、あり余って、持て余すような健康と智と豪気とを併せておられるような御肉体だ。

それが志を共にする公卿側近や、野に潜む宮方の<ruby><rb>輩</rb><rt>やから</rt></ruby>をして、いよいよ、

「時は近い」

と、理由もなく気負わせつつあったことは否みえない。

たとえば、近来の文談会なども、六波羅など眼中にもない振舞だったし、そこでの口吻は、みな天皇の御意志かの如く受けとられ、倒幕の大業も、<ruby><rb>宣旨</rb><rt>せんじ</rt></ruby>一枚の料紙で足るような<ruby><rb>驕</rb><rt>おご</rt></ruby>りに酔っていた風であった。

が、ひとたび、武家の武断に出会ってみると、現実には全く手も足も出ない朝廷だったことを、いやでも思い知らされぬわけにゆかない。「いまいましさよ」との<ruby><rb>逆鱗</rb><rt>げきりん</rt></ruby>もさることだった。

しかも、この先まだ第二波、第三波と、どんな圧迫があるかと観ている公卿たちは、昼夜、みかどの御無念そうな眉を<ruby><rb>繞</rb><rt>めぐ</rt></ruby>って、大内裏の広大な無力の森のうちで、今はただ<ruby><rb>恟々</rb><rt>きょうきょう</rt></ruby>と、ただ事の打開策に集議ばかりしている有様だった。

ようやく、何か打開の一案が見いだされたものであろうか。

その集議は、やっと、

「ともあれ、それに」

と、やや落着いて、夕べをさかいに、ひとまず諸卿は<ruby><rb>中殿</rb><rt>ちゅうでん</rt></ruby>（清涼殿）の昼ノ御座から西の<ruby><rb>渡殿</rb><rt>わたどの</rt></ruby>を、休息のため、退がって行った。

やがて、お湯殿の<ruby><rb>上屋</rb><rt>うわや</rt></ruby>のあたりで、みかどのお声がしていた。「……<ruby><rb>廉子</rb><rt>やすこ</rt></ruby>を呼べ」と、仰っしゃったようである。浴後の<ruby><rb>御髪</rb><rt>みぐし</rt></ruby>やおん<ruby><rb>衣</rb><rt>ぞ</rt></ruby>の奉仕に<ruby><rb>侍</rb><rt>かしず</rt></ruby>いていた女官のひとりが、

「はい」

と、<ruby><rb>后町</rb><rt>きさきまち</rt></ruby>の方へ、スリ足を早めて行った。

后町とは、女官たちのいわゆる御所ことばで、正しくは<ruby><rb>常寧殿</rb><rt>じょうねいでん</rt></ruby>、あるいは五<ruby><rb>節殿</rb><rt>せちどの</rt></ruby>とよぶ。つまり中宮ノ御方や女御など、あまたな寵姫の起居している所で、五節ノ舞には、舞姫のためにもここの一<ruby><rb>殿</rb><rt>でん</rt></ruby>が用いられる。

「……お召しとや。すぐ<ruby><rb>罷</rb><rt>まか</rt></ruby>ります」

<ruby><rb>三位</rb><rt>さんみ</rt></ruby>ノ<ruby><rb>局</rb><rt>つぼね</rt></ruby>、阿野<ruby><rb>廉子</rb><rt>やすこ</rt></ruby>は、仰せと聞くと、いま夕化粧もすましたばかりなのに、もいちど<ruby><rb>櫛笥</rb><rt>くしげ</rt></ruby>ノ<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>へ入って、鏡をとりあげ、入念に<ruby><rb>黛</rb><rt>まゆずみ</rt></ruby>や<ruby><rb>臙脂</rb><rt>べに</rt></ruby>をあらためてから立った。

そして、庭と大屋根、水と欄とを、およそ幾棟か知れぬほど巧みに組みあわせた後宮建築の廊を、いかにも王妃の艶とは、この女性にきらめいている物かとばかり、<ruby><rb>御溝水</rb><rt>みかわみず</rt></ruby>のせせらぎと共に歩んで行くのだった。

まことに、彼女のほこらしさにすれば、<ruby><rb>后町</rb><rt>きさきまち</rt></ruby>ノ<ruby><rb>廊</rb><rt>ろう</rt></ruby>を通うたびにも、常に独りで、こう思惟していたことでもあろうか。

「……七<ruby><rb>殿</rb><rt>でん</rt></ruby>の後宮のうちでも、召さるるはいつも、この身ばかり。わけて、関東へのお憤りに、公卿集議の日ごとのお疲れにも、わらわだけは、御心をお慰めするに足るものか。藤壺ノ御方も、桐壺ノ君とても、あれからは、お召しもないに」

彼女が中殿へ伺った頃は、みかどはすでに、<ruby><rb>御餉</rb><rt>みけ</rt></ruby>ノ<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>の<ruby><rb>御座</rb><rt>ぎょざ</rt></ruby>について、陪膳のお相手を待ち久しげにしておられた。

しめやかに、そこでしばしお二人だけの晩餐になる。

それが終ると、席はまた清涼の昼の<ruby><rb>御座</rb><rt>みくら</rt></ruby>へ移された。――なおまだ、夜の<ruby><rb>御殿</rb><rt>みとの</rt></ruby>へお入りないのは、一たん休息に退がった公卿たちが、ふたたび御前にまかるはずだったからである。

「……では、鎌倉へつかわすその<ruby><rb>御告文</rb><rt>ごこうもん</rt></ruby>とやらを、<ruby><rb>大炊</rb><rt>おおい</rt></ruby>どのが、ただ今、したためておるのでございますか」

「さよう……。集議、ぜひもなければと、ついに今日、それには極ったがの。さて、その文案は、むずかしかろ」

「<ruby><rb>告文</rb><rt>こうもん</rt></ruby>とは、どんな意味を持つものやら。みことのり、<ruby><rb>綸旨</rb><rt>りんじ</rt></ruby>、それともちがいましょうか」

「申さば、天子の私信。このたびの変も、陰謀とやらも、全く、天子自身は、あずかり知るところでなかった――という言い訳を遣わすようなもの。北条方とすれば、まさしゅう、天皇の詫び状なりと、鬼の首でも取ったように、見るであろうよ」

「ま。くちおしい限りではございませぬか。万乗の大君をして、さまで幕府の<ruby><rb>鼻息</rb><rt>びそく</rt></ruby>に<ruby><rb>阿</rb><rt>おもね</rt></ruby>るような策をおすすめ申さいでも、毎日の公卿集議には、もそッとほかによいお智恵も」

「…………」

後醍醐は、お耳をすました。――そのとき<ruby><rb>南縁</rb><rt>なんえん</rt></ruby>の<ruby><rb>鳴板</rb><rt>なるいた</rt></ruby>（<ruby><rb>鴬張</rb><rt>うぐいすば</rt></ruby>り）に静かな跫音のキシミが聞えたからであった。

「<ruby><rb>冬信</rb><rt>ふゆのぶ</rt></ruby>らしい」

みかどは、呟かれた。

あらかじめ、その者の伺候を、お待ちうけだったような御容子でもある。

廉子は、みかどのお側を立ち惜しみながらも、

「大炊どのがお見えとあれば、また夜の集議に、他の人々も<ruby><rb>罷</rb><rt>まか</rt></ruby>られましょう。では、わらわは、これにて」

と、ぜひなげに、退がりかけた。

「いや、いてもよい」

後醍醐は、眉で抑えられる。

――と、もう殿上ノ間の端に、<ruby><rb>大炊御門冬信</rb><rt>おおいみかどふゆのぶ</rt></ruby>の姿が見え、そのまま彼方に平伏していた。

「冬信よの。告文の案は、<ruby><rb>認</rb><rt>したた</rt></ruby>め終ったか」

「仰せつけのまま、謹んで、浄書つかまつりました。……なれど、異例なる綸旨ゆえ、辞句にも甚だ苦しみ、<ruby><rb>内記</rb><rt>ないき</rt></ruby>の人々とも、篤と文案を練りましたものの、なお心もとなく存ぜられます」

「さもあろう。天子が幕府の機嫌をとるような告文など、いかなる代にも、朝廷の内記が、筆にした<ruby><rb>例</rb><rt>ためし</rt></ruby>はあるまい」

お声の裏には、自嘲と憤怒の響きがある。

ほかに策なきままの我慢のお<ruby><rb>哀</rb><rt>かな</rt></ruby>しそうな<ruby><rb>迸</rb><rt>ほとばし</rt></ruby>りが、逆に、<ruby><rb>投</rb><rt>な</rt></ruby>げ<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>りのような調子で吐き出されたのだ。

冬信は、やや進み出て。

「聖旨に添い奉りますや否や、いちど<ruby><rb>叡覧</rb><rt>えいらん</rt></ruby>給わりましょうか」

「それには及ばん。さっそく諸卿を召入れて、みなの意見に問え」

「では、これへ」

「……<ruby><rb>廉子</rb><rt>やすこ</rt></ruby>、鈴を引け」

「はい」

彼女は、<ruby><rb>角柱</rb><rt>すみばしら</rt></ruby>へ立ってゆく。

「鈴ノ綱」とよぶ<ruby><rb>絹縒</rb><rt>きぬより</rt></ruby>の綱が下がっている。遠い<ruby><rb>校書殿</rb><rt>きょうしょでん</rt></ruby>から蔵人たちの控え部屋にそれは鳴るような仕掛けになっていた。

五位ノ蔵人がすぐ御用を伺いに来る。それが去ると、一たん休息に退がっていた人々が順次見えて、各〻の席についた。

大納言<ruby><rb>公泰</rb><rt>きみやす</rt></ruby>、<ruby><rb>洞院</rb><rt>とういん</rt></ruby>ノ<ruby><rb>公敏</rb><rt>きんとし</rt></ruby>、近衛経忠、参議ノ<ruby><rb>光顕</rb><rt>みつあき</rt></ruby>、坊門ノ清忠、権中納言実世……。

なお、しばらくしては。

<ruby><rb>万里小路宣房</rb><rt>までのこうじのぶふさ</rt></ruby>、三条<ruby><rb>公明</rb><rt>きみあき</rt></ruby>、藤原ノ藤房、二条道平、<ruby><rb>北畠顕房</rb><rt>きたばたけあきふさ</rt></ruby>、吉田ノ大納言定房まで――およそ今上をめぐる上卿という上卿は、このほか、余すなく中殿の東西に居ながれた。

すべて、これらの公卿は、後醍醐が即位の頃からの、いわゆる“<ruby><rb>大覚寺派</rb><rt>だいかくじは</rt></ruby>”といわれる人々にかぎられて、おなじ宮廷の重臣でも“<ruby><rb>持明院派</rb><rt>じみょういんは</rt></ruby>”と疑われる者は、一名も交じっていない。

大覚寺派とは、何か。

持明院派とは何か。

これは今、ここでの説明はむりであるが、一言でいえば、皇室自体の数代にもわたる派閥の“皇統争い”なのである。言い換えれば、朝廷の内部も、一つでなかったことなのだ。悩みはまた、ここにもあった。

しかし、みかども、

「ここには、選ばれた者のみあるぞ。なべて一心同体の人々」

と、その御態度からして、特にお親しみを示されていた。女性では、三位ノ廉子もまた、同志の一人として、ゆるされていたのはいうまでもない。

「――冬信。いずれもへ、告文の奉書を廻して、一覧に入れよ」

やがて後醍醐のおんみずからな、おさしずであった。

草案には、さまざまな意見が出た。

「かりそめにも、天子のみことのりとして、かかる辞句は、御威厳にかかわろう」

「これでは、あたかも関東への詫び状か、上が臣下へ、誓書を与えるようなものに似る」

「あくまで、朝威を失わず、しかも日野資朝らの陰謀には、何ら、みかどには御関知なしとする、そこの辺を、もそっと強調すべきではないか」

等々々、文章上のことなら、公卿の得意とするところである。末梢の論議となると、なかなか尽きない。

だが、遊戯沙汰の文章とはわけが違う。もし執権の<ruby><rb>一蹴</rb><rt>いっしゅう</rt></ruby>に会ったらそれまでだ。すでに鎌倉では、現帝の後醍醐に、御出家をすすめるべきであるとか、いっそ<ruby><rb>遠流</rb><rt>おんる</rt></ruby>し奉るべしとか、極端な論もあると聞えている。

「やむを得まい。辞句の端などに余りとらわれるな。そもそも、告文その物が、すでに<ruby><rb>謀</rb><rt>はかり</rt></ruby>の一つであろうが」

最も御無念であるべきはずの後醍醐が、究極では、最もあざやかな御観念ぶりであった。

「さは申せ、みなの意見には、捨て難いふしもある。冬信、まいちど案を練って、清書してまいれ」

「はっ」

と、大炊御門冬信は、ふたたび<ruby><rb>内記所</rb><rt>ないきどころ</rt></ruby>へ退がって、告文を書き改めて来た。

「――冬信、読め」

と、すぐの御諚。

公卿たちはみな、居ずまいを正した。聞きすますうち、或る者は、屈辱感にふるえ、或る者は、悲憤を面上にみなぎらした。

わけて、女性の<ruby><rb>廉子</rb><rt>やすこ</rt></ruby>は、声をすらシュクと洩らして、くやしげに<ruby><rb>咽</rb><rt>むせ</rt></ruby>び<ruby><rb>哭</rb><rt>な</rt></ruby>いた。

一人の女性の<ruby><rb>嗚咽</rb><rt>おえつ</rt></ruby>は、それの交じることによって、男だけの悲腸の座を、一そう深刻なものにする。

宮妃もあまたな中で、一人廉子のみが、こんな折さえ、お側に<ruby><rb>侍</rb><rt>はべ</rt></ruby>っているわけも、彼女のそうした共通の激情が、御心にかない、後醍醐のゆるすところとなっていたのであろう。

やがて、夜も更けて。

「さらば、関東への勅使には、宣房がよい。宣房、<ruby><rb>下</rb><rt>くだ</rt></ruby>れ」

と、お名ざしであった。

これには、誰の異存もない。

そこで、次の日、万里小路ノ大納言宣房は、七十ぢかい老躯をもって、関東下向の旅についた。

副使は、三条公明。

もちろん、勅使とあっては、鎌倉方でも、粗略にはできない。

幕府は、極楽寺坂まで、大勢の騎馬<ruby><rb>徒士</rb><rt>かち</rt></ruby>を繰り出して迎えたが、執権高時は、

「折あしく、発病のため」

と<ruby><rb>称</rb><rt>とな</rt></ruby>えて、勅使との対面は、これを避けた。

で、勅の告文は、<ruby><rb>秋田</rb><rt>あきた</rt></ruby><ruby><rb>城</rb><rt>じょう</rt></ruby>ノ<ruby><rb>介</rb><rt>すけ</rt></ruby>が代って拝受し、一行は、ひとまず定められた宿所に入った。しかし、執権ノ亭では、その間に、

「さて、朝廷の告文とあるが、いかなる<ruby><rb>仰</rb><rt>おお</rt></ruby>せ<ruby><rb>降</rb><rt>くだ</rt></ruby>しやら？」

と、北条一統の群臣は、高時の簾を中心に居流れて、<ruby><rb>固唾</rb><rt>かたず</rt></ruby>をのんだ。

勅の<ruby><rb>文筥</rb><rt>ふばこ</rt></ruby>は、三方にのせ、高時の前におかれてある。

「城ノ介、読め」

高時のことばに、彼が、はっと進みかけると、<ruby><rb>二階堂</rb><rt>にかいどう</rt></ruby>ノ<ruby><rb>出羽</rb><rt>でわ</rt></ruby>ノ<ruby><rb>入道</rb><rt>にゅうどう</rt></ruby><ruby><rb>道蘊</rb><rt>どううん</rt></ruby>が、

「あいや、秋田、待て」

と、それをさえぎった。

二階堂殿もお<ruby><rb>頭</rb><rt>つむ</rt></ruby>が古い――と、彼は今時の御家人たちから、よく日ごろ<ruby><rb>嘲</rb><rt>わら</rt></ruby>われていることも知っている。だが、この場合は、いわずにいられぬような気もちから、人々の粗略をこうたしなめたものだった。

「朝廷のおん文筥は、これを開かずに、勅使へ、お返しあって然るびょう思われる。……さまで皇室を<ruby><rb>辱</rb><rt>はずかし</rt></ruby>めるにも及ぶまい」

聞くと、人々は色をなして。

「これや二階堂どのには、不思議なことを仰せある。告文を見ては、なぜ悪いか」

「読まずとも、綸旨はおよそ拝察に難くない」

「とはいえ、勅使をして、わざわざ関東へ降されたものを」

「なおさら、封のまま、お返し申すのが、礼ではないか。およそ天子が武臣へ、告文を以て、御身の潔白を立てんとされたなどは、和漢にもその例なく、何とも、情けない朝廷のお姿ではある。ここは<ruby><rb>冥々</rb><rt>めいめい</rt></ruby>の神威犯すべからずと<ruby><rb>畏</rb><rt>おそ</rt></ruby>れ<ruby><rb>敬</rb><rt>うやま</rt></ruby>って、御返上申しあげておくのが北条家のためでもあり、行く末かけて、泰平長久の策とも、自分には考えられるが」

うなずく顔もなくはなかった。

しかしその二階堂道蘊の顔を睨まえて「……さらば御辺は、朝廷方か」と、今にも詰め寄りかねないような武人が、じつは大半以上であった。

ところが、この険しさも、とつぜん、奇児の哄笑みたいな調子外れの高笑いに、すぐ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">はぐら</span>かされてしまった。――上座の執権高時が、つづいてこう発言していた。

「二階堂。なにもさように、事むずかしゅう考えずとよかろうが。……せっかく下向した勅使も、開けぬ文筥では、持ち帰るにも、<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>が抜けようぞ、かたがた、それこそ<ruby><rb>辱</rb><rt>はじ</rt></ruby>の<ruby><rb>上塗</rb><rt>うわぬ</rt></ruby>りをして、追い返すようなもの。一倍の不敬ではないか」

日ごろ、小児のような他愛もないことをいうかと思うと、時には、こんな理窟も述べる高時だった。こんな折の彼は、自己の自意識を、見事、名君のように<ruby><rb>錯倒</rb><rt>さくとう</rt></ruby>しているものかもしれない。

「なじか苦しかろうぞ。城ノ介、それにて読め」

「はっ」

秋田城ノ介は、三方を押しいただいて、広間の中央へ戻って坐った。そして高時の方へ向って、告文を読み上げた。

ここで「太平記」の原本には、腑におちない一条が見える。告文の<ruby><rb>読</rb><rt>よ</rt></ruby>み<ruby><rb>人</rb><rt>て</rt></ruby>を、かの斎藤利行として、その利行が文中の、

<ruby><rb>叡心</rb><rt>エイシン</rt></ruby>、<ruby><rb>偽</rb><rt>イツハ</rt></ruby>ラザル<ruby><rb>処</rb><rt>トコロ</rt></ruby>

天ノ<ruby><rb>照覧</rb><rt>セウラン</rt></ruby>ニ<ruby><rb>任</rb><rt>マカ</rt></ruby>ス

とまで、読みくだして来たところ、たちまち眼がくらみ、鼻血を出し、ついに読み終ることも出来なかったのみか、七日ほど後、喉の<ruby><rb>悪瘡</rb><rt>あくそう</rt></ruby>（できもの）から血を吐いて死んでしまったということになっている。

つまらぬ作為である。当時、彼も鎌倉へは来ていたが、それは日野資朝、俊基の審議に加わるためだった。身分の上でも、彼が勅書を読むなどは、あり得ない。

このあと。

幕府の内部では、対朝廷策に異論百出、さまざま揉めた様子もある。だが高時の、

「何事も穏便がよい。穏便に」

という言が、こんども最後の重きをなし、勅答は穏やかに、先の告文とあわせて、朝廷へ返進された。これで一応、事変は解決したかに見えた。

とはいえ、日野資朝と俊基の身は、依然、解かれず、その年、正中元年も、ほどなく暮れた。

## ぶらり<ruby><rb>駒</rb><rt>ごま</rt></ruby>

表面、あくまで無事を<ruby><rb>衒</rb><rt>てら</rt></ruby>って、北条の世は、ゆるぎない泰平と見せておく。

それには、先頃の正中ノ変も、極力、小範囲にすませ、これ以上の不安を世間にかりたてるべきでない。

幕府方針は、現地の六波羅とは逆に、そういう方向のもとにその年を越えたのだった。

――がしかし、日野資朝、俊基の処分までを、いつまで延ばしているわけにもゆかない。

正中二年五月となって、やっと、その裁断は下された。

日野資朝の身は、死罪一等を減じて、佐渡ヶ島へ<ruby><rb>遠流</rb><rt>おんる</rt></ruby>――。一方の俊基朝臣は、

「あきらかな証拠もなし、その身分も一蔵人に過ぎぬ者なれば」

と、<ruby><rb>赦免</rb><rt>しゃめん</rt></ruby>の上、身柄は都返しと沙汰された。

もっとも、この処置が一般にまで知れ渡ったのは、夏も終りごろで、すべては誰も知らないまに、執り行われていたのだった。

それだけに、事後にこれを聞いた人々は、

「ちと、ご<ruby><rb>偏頗</rb><rt>へんぱ</rt></ruby>な」

と、首をかしげ、特に、武者所のうちには、

「一方は遠流。なのに、一方を無罪とは」

と、それに不満な声もなくはなかった。

けれど、主脳者の高等政策と、武力主義の武者所との意見の相違は、これにかぎらず、毎々のことだった。で、まもなく今度の不平も、いつか忘れられていた。

その武者所への出仕を、高氏はここ一年ほど、黙々と、精励していた。

およそ、鎌倉御家人の、みな<ruby><rb>一</rb><rt>ひ</rt></ruby>と<ruby><rb>癖</rb><rt>くせ</rt></ruby>二た癖もある中にあっては、彼の存在や精励ぶりなど、まことに凡々たるものだった。鳴かず飛ばず、一生涯でも<ruby><rb>碌々</rb><rt>ろくろく</rt></ruby>とそれにあまんじている人間のように見えた。

――今日もである。

彼は、眠たげな<ruby><rb>欠伸</rb><rt>あくび</rt></ruby>をかみころしていたような顔を、大小名の溜りの間から、廊の<ruby><rb>西陽</rb><rt>にしび</rt></ruby>のうちに現わして“供待ち”にいる郎党の名を呼んでいた。

溜りに詰めている大名たちの、強がり話や、時局談議などには、なんの興味もないらしく、いつも居眠りを催すので、その方が彼には人々への<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">気がね</span>だった。――で、いつもよりちと早い退出とは思ったが、

「十郎、十郎」

と、郎党の佐野十郎をよび、彼と共に、駒ツナギの方へ歩いて行った。

十郎は、残暑の蝿を追いやりながら、駒を寄せて。

「さきほど、<ruby><rb>扇</rb><rt>おうぎ</rt></ruby>ヶ<ruby><rb>谷</rb><rt>やつ</rt></ruby>様（上杉憲房）から、おことづてのお使いがございましたが」

「なんと」

「涼やかなお夜食でも上げて、語りたいこともある。御帰途を、立ち寄ってくれまいか」

「ほ……。ならば、そちだけは大蔵へ帰って、その由、父上に申しあげておいてくれい。わしの帰りを、お案じあってはならぬからの」

武者所の門を出ると、高氏は一人、ぶらんぶらんと、馬の気まかせに道を扇ヶ谷の方へ歩かせていた。

すると彼方から、辺りを払うような大名の一列が、夕陽を負って近づいて来た。――馬上、<ruby><rb>華奢</rb><rt>かしゃ</rt></ruby>な<ruby><rb>羅張</rb><rt>うすものば</rt></ruby>りの笠に、銀波を裾に見せた<ruby><rb>紗</rb><rt>しゃ</rt></ruby>の袖なし羽織という装いの佐々木道誉が、高氏を見て、遠くからほほ笑みかけていた。

「や。高氏どのか」

道誉は、何と思ったか、われから先に駒を下りて、愛想よくこう話しかけた。

「つねに近江と鎌倉の間を<ruby><rb>往</rb><rt>ゆ</rt></ruby>き<ruby><rb>来</rb><rt>き</rt></ruby>しておるため、ついお目にかかる折もなかったが、はからずも、よい所で」

彼が下馬したのを見ては、高氏も鞍を下りないわけにゆかなかった。またその愛想笑いにたいして、ニベもない宿意を以て<ruby><rb>報</rb><rt>むく</rt></ruby>うほど小心にして正直な彼でもなかった。

「お。いつもお変りのうて」

「何さ、何さ」

道誉は、胸の前で、サラリと唐扇を開いて、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ばさら</span>な扇使いに、<ruby><rb>伽羅</rb><rt>きゃら</rt></ruby>と汗の香を放ちながら、

「去年。<ruby><rb>其許</rb><rt>そこ</rt></ruby>も御存知の土岐左近めが、公卿の<ruby><rb>謀</rb><rt>たく</rt></ruby>みに乗って、六波羅の討手をうけ、あのような馬鹿な最期をとげたため、この方までが、とんだ飛ばッちりをうけるところでおざったよ。……がようやく、事も落着を見、俊基朝臣も赦免となられたので、身の疑いもまず晴れたが、いやお互い災難は、どこにあるか知れぬものでな」

これが何より道誉の言いたかったことかも知れない。

彼と土岐との、微妙な関係を知る者といえば、高氏一人あるだけと、道誉も内々、気味わるく思っていたに相違なかろう。――だが高氏の方では、そんな機会を利して他を失脚させようなどという気は毛頭持っていなかった。

むしろ今、彼の言いわけを聞いてから、初めて旧事を思い出し、そして、道誉の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぬけぬけ</span>という厚顔さを、心のうちで、天晴れな奴とも思ったほどである。

「いかがであろう」

道誉は誘った。

「おさしつかえなくば、<ruby><rb>儂</rb><rt>み</rt></ruby>のやしきへ、ちょっと、お立寄り下さらぬか。路傍ではお話しできぬかずかずな話もある」

「かたじけないが、じつは、扇ヶ谷までまいる途中。いずれ後日にでもまた」

「それや惜しいが、上杉殿とのお約束があっては、お引止めもなるまい。そうそう。それで思い出したが」

と、道誉は、ちょっと、あらたまって。

「昨日、執権<ruby><rb>御直々</rb><rt>ごじきじき</rt></ruby>に伺ったが、このたびは、かねて内々の御縁談が、いよいよ、公儀の<ruby><rb>御認可</rb><rt>みゆるし</rt></ruby>とも相成ったよし、なんともめでたいことと、共におよろこび申しておる」

「ははあ」

と、高氏は<ruby><rb>他人事</rb><rt>ひとごと</rt></ruby>みたいに。

「はや、お聞き及びか」

「太守（高時）のお口から洩れたこと。よも今度は、お間違いではおざるまい」

「いかにも、都のあの変事で、去年は<ruby><rb>延々</rb><rt>のびのび</rt></ruby>となり申したが、どうやらこの秋には、部屋住みの高氏も、<ruby><rb>妻</rb><rt>め</rt></ruby>を持つ<ruby><rb>男並</rb><rt>おとこなみ</rt></ruby>となりそうでござりまする」

「さだめし、蔭では悲しむ名なし草の花もあろうが」

「え？」

「いやなに。いずれ盛大な御披露もあることでしょう。そのせつには、お招きの端に、この道誉もぜひおわすれなく。……またお日取りの極り次第、こちらからも、さっそくお祝いには参上するが」

いつの場合も、妙に<ruby><rb>後味</rb><rt>あとあじ</rt></ruby>を持たせるようなことをいう癖のある男ではある――。

<ruby><rb>途上</rb><rt>みち</rt></ruby>で、道誉と別れた高氏は、ふたたび、ぶらりぶらりの馬居眠りでもして行くような姿だったが、胸のうちでは、

「行く末、ああいう男を、敵にまわしては、うるさかろう。あの地位、あの婆娑羅、嘘も平気で忘れうる人間の無恥と粘りづよさも、時によれば、道具といえぬこともない」

と、考えたり、また、

「……口ではこのたびのことを祝しながら、また口振りをかえて、さだめし蔭ではそれを悲しむ名なし草もあろうに……などと申しおったが、あれは何の意味でいったのか？」

などと、こだわるともなく、道誉一流のヘンな後味の語に、彼の茫洋たる性情にしても、つい、どこか引ッかかっている顔つきだった。

扇ヶ谷では、中門から玄関へ打水して、憲房自身、出迎えていた。

供も連れぬ彼の姿に、憲房はその軽々しさにあきれたが、これがこの甥の良さだというところも買っている。召使にいいつけて、すぐ風呂へ入れ、汗臭い狩衣を<ruby><rb>衫衣</rb><rt>すずし</rt></ruby>にかえさせるなど、まるで野遊びから帰った子にするような世話だった。

そして、水のせせらぐ一亭に<ruby><rb>夕蚊遣</rb><rt>ゆうかやり</rt></ruby>して、夜食を共にし、その後も、杯だけをお互いの前に残して、<ruby><rb>涼夜</rb><rt>りょうや</rt></ruby>をくつろいだ。

「伯父上。……評定所やら、御政治向きの面もすべて、ここはだいぶ、お<ruby><rb>閑</rb><rt>ひま</rt></ruby>になって来たらしゅうございますな」

「されば昨年来の一件も、まず一と落着のかたちで、ほっとしておりまする」

「が、奥州の騒乱は、まだ片づきますまい」

「あれには、柳営でも手を焼いておりますな。近く、<ruby><rb>工藤祐貞</rb><rt>くどうすけさだ</rt></ruby>などの新手がまた加勢に派遣されましょうが」

「中央の御処理も、じつはそれゆえの御寛大なのですか」

「それもあるし、大きな声ではいえませぬが、幕府の策としては、どうしても将来、今上後醍醐の譲位をやむなくさせて、<ruby><rb>御位</rb><rt>みくらい</rt></ruby>を他の君に……という大計の方へ傾いたことにもよるかと思われます。これは、ここだけの話ですが」

「なるほど……」

高氏は、うごかしていた<ruby><rb>団扇</rb><rt>うちわ</rt></ruby>の手をやめた。ツイと吸い込まれるように<ruby><rb>迷</rb><rt>はぐ</rt></ruby>れて来た<ruby><rb>蛍</rb><rt>ほたる</rt></ruby>が、団扇の端にとまッたので、それを<ruby><rb>愛</rb><rt>いと</rt></ruby>しむかのような沈黙をふとまもった。

憲房も、杯を<ruby><rb>啣</rb><rt>ふく</rt></ruby>んで。

「ときに、婚儀のお日取りですが」

「はあ」

「この秋の<ruby><rb>重陽</rb><rt>ちょうよう</rt></ruby>（陰暦九月九日の菊ノ節句）はどうかと、昨日、赤橋どのから正式に相談してまいられましたが」

「それはまた、急ですな」

「急がよいとは、赤橋どのの仰せでもあるらしい。すでに<ruby><rb>結納</rb><rt>ゆいのう</rt></ruby>などは、とうにすんでおること。またぞろ、不測な出来事によって、去年のような延々を見ぬうちにというお考えかと思われる」

「高氏はいつでもかまいません。すべて<ruby><rb>伯父</rb><rt>おじ</rt></ruby>君まかせ」

「では、それもお任せして給わるか。菊ノ節句、悪くない日でございましょうが。登子の君にもさだめし待ち久しいことでおざろう。……では、それときめて」

憲房は、さっそく、高氏へ一<ruby><rb>酌</rb><rt>しゃく</rt></ruby>向ける。

蛍が二人を<ruby><rb>巡</rb><rt>めぐ</rt></ruby>っていた。

吉日は近づいた。

かねがね、噂もなくはなかったが、足利、赤橋両家の婚礼が、いよいよ<ruby><rb>政所</rb><rt>まんどころ</rt></ruby>告示にもなり、また、執権高時から両家への正式な祝いの使者を見るやら、忙しげな出入り商人の往来などを知るにおよんで、人々はいまさらみたいに、

「さては、ほんとか」

と、驚いたさまだった。

噂はあっても、今日までのところ、おおむねは、

「赤橋殿と、足利家とのツリ合いでは」

と、まず疑い、

「わけてまた、なんの取り柄もない、どちらかといえば<ruby><rb>醜男</rb><rt>ぶおとこ</rt></ruby>な<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">薄あばた</span>の小殿などへ、なにを好んで、登子の君が嫁ぐものかよ。――特に、北条一族中でも、かがやかしい歴々のお家柄たる赤橋殿の<ruby><rb>妹君</rb><rt>いもぎみ</rt></ruby>が」

と、多くは、一笑に付していたのである。

それだけに、事実と知ると「――兄守時どののお気も知れぬ」とか。「あんな<ruby><rb>美眉</rb><rt>みめ</rt></ruby>よい妹君を、選りに選って……」とか言いながらも、

「そうだ、さっそくお祝いに参じねば」

と、世渡りの如才は忘れず、鶴ヶ岡の赤橋邸へも、大蔵の足利家へも、それぞれ、ひきもきらぬ客だった。

赤橋家はともかく、足利家にこんな現象はめずらしい。

当主貞氏は長い病身で、営中でも忘れられていた程だし、一子高氏は<ruby><rb>凡庸</rb><rt>ぼんよう</rt></ruby>と見られて、久しく客も<ruby><rb>稀</rb><rt>ま</rt></ruby>れな門だったのだ。それが、執権の近親赤橋どのの<ruby><rb>妹聟</rb><rt>いもとむこ</rt></ruby>となると分ったのである。俄然、衆目はちがって来た。

しかし、当の高氏は、いっこう違ってきた風もない。日が迫っても、出仕はしていた。そして相変らず、ぶらんぶらんと馬まかせの<ruby><rb>弛手綱</rb><rt>ゆるたづな</rt></ruby>で、夕陽の頃には、武者所から退がって来た。

「ほう。このおびただしい荷は、どこから来たのか。なに、嫁御寮の<ruby><rb>実家</rb><rt>さと</rt></ruby>からだと」

いま、屋敷の式台をのぼった彼は、足の踏みばもないほどな荷物を見て、なにか当惑そうな顔でもあった。しかし、うれしくないはずはなく、

「もう、数日だな」

呟きながら奥へ通った。

きのうまでは、<ruby><rb>鑿</rb><rt>のみ</rt></ruby>や<ruby><rb>手斧</rb><rt>ちょうな</rt></ruby>の音が屋敷うちに<ruby><rb>谺</rb><rt>こだま</rt></ruby>していたが、今日はまた<ruby><rb>襖</rb><rt>ふすま</rt></ruby>の張りかえやら御簾職人などが、各部屋ごとに立ち働いている。また一室では、上杉家から手伝いの家職まで来て、式日万端の打合せに額をあつめている様子だった。

父貞氏の病間には、ちょうど憲房も来合せていて、高氏を見ると、すぐ告げた。

「祝言の前に国もとから母上の清子どのも見えるそうじゃ。舎弟<ruby><rb>直義</rb><rt>ただよし</rt></ruby>どのから草心尼までが、あの覚一をも連れて、はや足利ノ庄を立ったと、たった今、早馬があった」

「え。母上のみならず、弟も、草心尼<ruby><rb>母子</rb><rt>おやこ</rt></ruby>もまいりますか。それや久しぶり大蔵もにぎやかになりますな」

父もさぞと、彼は、父の姿を見て言った。息子の挙式がきまってから、貞氏も<ruby><rb>病床</rb><rt>とこ</rt></ruby>を払って起きていた。

ところへ、表の小侍がこう取次いで来た。

「――若殿。ただ今、佐々木道誉どのの<ruby><rb>名代</rb><rt>みょうだい</rt></ruby>と申す女性が、お祝いの品々を持って、ご挨拶にと、お越しなされましたが」

「なに、佐々木から」

取次を<ruby><rb>措</rb><rt>お</rt></ruby>いて、そこの三名は、顔を見あわせた。

高氏には、いつぞやの途上の彼が、あの折の後味のまま、すぐ思い出されたことらしい。

また、父貞氏や憲房にしても、それぞれが、道誉という人物にたいしては、かねて特異な感情と、警戒をいだいていた。――すべては、まだ足利家の曹司（部屋住み）高氏にすぎない巣の<ruby><rb>雛鳥</rb><rt>ひなどり</rt></ruby>をあやぶむ年上たちの<ruby><rb>庇護</rb><rt>ひご</rt></ruby>の愛情に似たものだった。

「取次の者」

憲房が向き直って訊ねた。

「――諸家から祝言のよろこびもまいるが、女使者とは、異な使いではないか。佐々木家の者に違いないのか」

「相違ございません。巻絹十<ruby><rb>疋</rb><rt>ぴき</rt></ruby>、砂金一<ruby><rb>嚢</rb><rt>のう</rt></ruby>、酒一<ruby><rb>荷</rb><rt>か</rt></ruby>、大鯛一台などの品々を供に<ruby><rb>担</rb><rt>にな</rt></ruby>わせて、そのお使者は、<ruby><rb>女輿</rb><rt>おんなごし</rt></ruby>を中門で降り、<ruby><rb>色代</rb><rt>しきたい</rt></ruby>うやうやしげに――若殿さま御婚礼のお祝いに、佐々木道誉の名代として遣わされました者――と、たしかな御口上なので」

「はて。名は」

「女性なので、わざとお訊ねは、さしひかえましたが」

「では、佐々木が<ruby><rb>局</rb><rt>つぼね</rt></ruby>の女房でもあろうか」

「いや、どこやら<ruby><rb>艶</rb><rt>なまめ</rt></ruby>かしい<ruby><rb>水干衣</rb><rt>すいかん</rt></ruby><ruby><rb>立烏帽子</rb><rt>たてえぼし</rt></ruby>という粧い、あるいは、特に<ruby><rb>御贔屓</rb><rt>ごひいき</rt></ruby>の白拍子かもしれませぬ」

「はははは。白拍子を祝言の使者によこすとは」

憲房は、急に笑い出し、

「いかにも、婆娑羅な彼の思いつきそうなことではある。……とはいえ、ともあれ佐々木の名代。西の書院へ、お通ししておけ」

「はっ」

と、取次は小走りに退がって行く。そして、憲房もまた、

「どれ。……会わぬわけにもまいるまいて」

と、起ちかけた。

すると、高氏がすぐ、

「いや、私が会いましょう。伯父上、その使者には、高氏が会いますから、どうぞ、おまかせおきを」

と、やや慌て気味に、さえぎった。

そして、いぶかるような父貞氏の眼を横顔に感じながらも、高氏はしいて大股に、自身、書院の方へ出て行った。

何気なく見せて起って来たものの、彼の一歩一歩は、<ruby><rb>茨</rb><rt>いばら</rt></ruby>を心で踏むような痛さだった。「……ひょっとしたら？」と予感されるものがある。もし予感が<ruby><rb>外</rb><rt>はず</rt></ruby>れてくれればよいが。

先ごろ、道誉が<ruby><rb>途上</rb><rt>みち</rt></ruby>の別れ際にいったことを、あらためて思い出さずにいられなかった。「……めでたい蔭には、それを悲しむ野の花もおわそうに」と、<ruby><rb>彼奴</rb><rt>きゃつ</rt></ruby>はいった。――決して、故なくして出る言ではない。

「もしや、婆娑羅めが。……いや、まさか？」

小心な自己、弱い自己が、その間、だらしなく彼にも意識されていた。――すでに、西の書院の内が、中ノ坪の高欄ごしに覗かれ、端然とひとり坐っている水干姿の女使者の白い横顔も見えていたのである。

そして、そこの<ruby><rb>半蔀</rb><rt>はじとみ</rt></ruby>の蔭まで来て、覗くともなく、内を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>い、

「オオ……」

思わず<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぎく</span>と立ちすくんだ時、微かだったが、女の声が、内からも洩れて、その感情を、じっと抑えるかのように、白い顔が振り向いた。

「藤夜叉だな」

ツツツと、高氏は足つき荒く内へ入った。そして、彼女の前に、いや、わざと遠くに、どかと坐った。

この<ruby><rb>所作</rb><rt>しょさ</rt></ruby>はもう、感情も<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">むき</span>出しな彼だった。

使者に名を<ruby><rb>藉</rb><rt>か</rt></ruby>り、藤夜叉がこれへ来たのも、ゆるされぬし、もしまた、これが道誉の悪質な<ruby><rb>悪戯</rb><rt>いたずら</rt></ruby>なら、なおさらなことと、腹が煮える。

「…………」

が、藤夜叉は、すぐ手を下につかえてしまったきりだった。しばらくは、面も上げず物もいわない。ただ、ポトリと涙の音がその辺でする。

高氏は自己の煩悩と当惑を、意識なく、男の憤怒にスリ換えていた。愛情などは、みじん感じさせぬ<ruby><rb>声音</rb><rt>こわね</rt></ruby>で叱ッた。

「なにしにまいッた。藤夜叉」

「…………」

「この折と、高氏を困らせにでもまいったのか」

「……ま。なんで」

心外な、と彼女は濡れたままの顔を上げた。<ruby><rb>金揉</rb><rt>きんも</rt></ruby>み烏帽子に<ruby><rb>黛</rb><rt>まゆずみ</rt></ruby>の白拍子化粧がまたなく似合って哀しい胸を、そのまま脂粉で顔に描き現したもののように見えた。

「まこと。道誉さまのおいいつけで、ぜひものう、お祝いに参上したまででございまする」

「うそをつけ。そなたが望んだことであろうが」

「高氏さま」

「それみい、その<ruby><rb>眼</rb><rt>まな</rt></ruby>ざし。わしを怨んでいるではないか」

「女ごころ。ゆめ、お怨みせぬとは申しません。けれど、今日はちがいます。取りみだれぬうちに、お使いの口上だけを申しまする」

「よせ。心にもない祝いなど聞く耳持たん」

「でも、申さいでは帰れません。このたびはおめでとうぞんじまする。心ばかりな品々は、この目録と共に、どうぞお納めおき給わりませ」

「なぶるのか、わしを」

高氏は、彼女がそこへさし置いた目録の奉書を、すぐ引ッ<ruby><rb>奪</rb><rt>た</rt></ruby>くって、破り捨てた。

「女っ」

「……はい」

「それは道誉の口上か。そなたの皮肉か」

「道誉さまです。道誉みずから参上するところなれど、風邪ごこちゆえ、あしからずとの、おことばでもありました」

「ならば、なぜ断らぬ。道誉のいうがまま、かような使者となって、のめのめ来たか」

「<ruby><rb>嫌</rb><rt>いや</rt></ruby>と否めば、<ruby><rb>義父</rb><rt>おや</rt></ruby>の花夜叉も、憂き目にあい、一座の者も、近江の御領下から追われましょう。なにせい、私たち一座の者は、佐々木家に飼われているお抱えの芸人です」

「そ、そんな所に……なぜいつまで、飼われているのだ」

「たれがいたいことがございましょう。けれど、時節の来るまで、おとなしく、じっとそこにおれと仰っしゃったのは、高氏さま、あなたではございませぬか」

「なに」

「忘れもせぬ<ruby><rb>去年</rb><rt>こぞ</rt></ruby>の初秋、右馬介どののお手引きで、<ruby><rb>小壺</rb><rt>こつぼ</rt></ruby>ノ浦で、うれしい半夜を、二人だけで語りました。その折の約束を、藤夜叉はついぞ破ったことはございません。……だのに、あなたはあれ以来、いちども会うては下さらず。二人の仲の<ruby><rb>不知哉丸</rb><rt>いさやまる</rt></ruby>も、無事に育っているのかどうか、それすら聞かしても下さらないではございませぬか」

彼女はもう場所がらも見得もなく、水干の袖に面をおおって泣くばかりであった。

そうだ。――不知哉丸。

ふたりの仲の子。

思えば、情痴の争いや涙の遊びだけで、事のすむ自分たちではなかったのだ。

高氏は、いまさらのように、かえりみる。

決して忘れ果てていたわけではないが、断ちきれないその<ruby><rb>鎹</rb><rt>かすがい</rt></ruby>を、藤夜叉の口から今つきつけられて、初めて自己の“父”も実感されていたのだった。

「案じるな。……子のことは」

彼もつい、彼女と共にぼろぼろ泣いて。

「不知哉丸の身は、その後も、つつがなく、<ruby><rb>田舎童</rb><rt>いなかわらべ</rt></ruby>のあいだで育っておると、右馬介の<ruby><rb>実家</rb><rt>さと</rt></ruby>から便りもあった。親は無うても子は育つとか」

「預けられた田舎はどこでございましょうなあ」

「三河の<ruby><rb>一色</rb><rt>いっしき</rt></ruby>」

「近江とこことの<ruby><rb>往来</rb><rt>ゆきき</rt></ruby>には、あの近くもよう通りまする。よそながらでも、和子の育ちを見に寄ってはなりませぬか」

「よすがいい。時来たれば、会わせてやる。――三河一色、<ruby><rb>吉良</rb><rt>きら</rt></ruby>、今川、その他、あの地方には足利家の同族が、<ruby><rb>郷</rb><rt>さと</rt></ruby>を接して、びっしりと住み合うておる。和子の行く末を思うなら、せめて元服の年頃まで待て」

「ああ、見たい」

藤夜叉は、また、身を揉んで。

「この秋は、四ツになります。遊ぶにも、はや駈け歩いておりましょうに」

「もう四ツかのう」

「あなたは、見とうも何ともありませぬか」

「……藤夜叉」

「あい」

「今となって、何の愚痴だ。そなたも、一切は得心ずくで、右馬介の手に、和子を預けたはずであろうが」

「よう、わきまえてはおりまする。われとわが身に、いい聞かせてもおりまする。でも、女の哀しい身は、眠られぬ夜々を、どうする<ruby><rb>術</rb><rt>すべ</rt></ruby>もございません。いっそ死のうか。いっそ、和子を<ruby><rb>奪</rb><rt>と</rt></ruby>り返して、身を隠そうか。……時には、鬼になりそうな気もして来て」

「鬼に」

高氏は、さっきから見ていたのである。以前にはあった野性美は<ruby><rb>削</rb><rt>そ</rt></ruby>がれて、どこか智恵に磨かれてきた彼女の美には、いたく<ruby><rb>窶</rb><rt>やつ</rt></ruby>れが潜んでいる。不眠の夜がつづくというのはほんとであろう。そして、生きながらの鬼を自分の心に思う女が、夜半、どんな幻覚を夢うつつに抱くだろうか。<ruby><rb>傷々</rb><rt>いたいた</rt></ruby>しくもあり、恐ろしくもある。

と、廊の外で、小侍の声だった。

「若殿、お召しでございます」

「たれが」

「御病間の方で、大殿が」

「そうか。いままいる」

――それを、<ruby><rb>機</rb><rt>しお</rt></ruby>に、

「藤夜叉、はや帰れ。……そして立帰ったら、道誉に申せ。おこころざし、まことに過分、高氏、きもに銘じおきますと」

「あ、お待ちなされて」

起ちかける高氏の袂へ、初めて、藤夜叉の白い手が<ruby><rb>絡</rb><rt>から</rt></ruby>んだ。

「近いうちに、もいちどお目にかかれましょう。けれど、その日は、こんなお話もなりますまい。どうぞ、もすこし下にいて」

「なに、また近いうちにだと」

言いかけたが、そのときチラと、北廂の簾の外でうごいた人影が見えたので、高氏は、はっと口をつぐんだ。――しかもそれは、伯父の上杉憲房らしく思われた。

伯父の憲房は、その夜も、次の日も、藤夜叉のことについては、何もいわない。

高氏にすれば、それもまた、こそばゆかった。彼らしくもなく、当座は父や伯父の顔いろがつい見られてならなかった。

しかし、数日の邸内は、そんなものを、たれの胸にも置かせない忙しさだった。

――貞氏すらも、家臣の肩にたすけられて、その病間を出で、新装された広間や、若夫婦のために改築された新殿のあちこちを、見て廻って、

「見ちがえるようになったの。これで、身の<ruby><rb>宿痾</rb><rt>しゅくあ</rt></ruby>さえなくば……と思うが、しかし高氏のためには、父が頼りにならぬのも、かえって覚悟の上にはよかろう。これを<ruby><rb>機</rb><rt>しお</rt></ruby>に、高氏に当主を譲って、名実共に、わしも入道、隠居の身となろう」

と、洩らすなど、とにかく<ruby><rb>下屋</rb><rt>しもや</rt></ruby>、<ruby><rb>釜殿</rb><rt>かまどの</rt></ruby>のお末まで、盆と正月がいちどに来たような明け暮れだった。

その上にもまた、

「いよいよ、明後の夜は、嫁君のおん輿入れ」

と、<ruby><rb>咡</rb><rt>ささや</rt></ruby>かれている前々日。

足利ノ庄の国もとから、高氏の母清子が、次男の直義、老臣、それに草心尼と覚一の母子までをつれて、ここへ着いた。

いや、そのほか、三州知多の吉良、<ruby><rb>仁木</rb><rt>にっき</rt></ruby>、<ruby><rb>斯波</rb><rt>しば</rt></ruby>、一色、今川など、足利支流の族党たちの家々からも、名代、あるいは<ruby><rb>有縁</rb><rt>うえん</rt></ruby>の者が、

「御盛儀のおん祝いに」

と、続々出府して来て、鎌倉じゅうに分宿していた。

それは、驚くべき人数となった。――野州足利ノ庄は、足利の本拠といえ、まことに微々たる一僻地にすぎないが、やはり古い名族だけのものはあって、他州に分布されていた血流がたまたまこんどのよろこびを機会に集まったのを見ると、

「さすがは源氏の嫡系、足利党もゆゆしきもの」

と人々は、その潜勢力に、いまさらの如く、眼をみはったようである。

そうした中で、貞氏の病間も、肉親たちの和やかな笑いに、時ならぬ春を呈していた。

――高氏の眼には、父と母が、夫妻として、こう打揃ったのを見るのも何年ぶりかと思われた。そしてこんな<ruby><rb>団欒</rb><rt>だんらん</rt></ruby>も、結婚のおかげと思えば、自分一代の華典という意味だけでなく、老いも近い両親への贈り物でもあったわけだと、これまでの不孝のなぐさめにもなる気がした。

「やがては、求めないでも大乱は<ruby><rb>必定</rb><rt>ひつじょう</rt></ruby>だろう。――この先、こんなよろこびの日を、またと、御両親にお見せできる日があるかないかも知れぬ世だ」

こんな日にも、日頃のぶらり駒の背の上でも、世は必定の大乱と見ている先見だけは、いつも高氏の胸にある。

その兄の隙を見て、直義が、ふと誘った。

「<ruby><rb>兄者人</rb><rt>あんじゃひと</rt></ruby>、お手すきなれば、裏の丘へのぼってみませんか」

「オ、直義か。まだ二人だけで落着いたはなしも出来ずにいたなあ。そのくせ、わしは用なしのぶらり駒よ、用がなくて困っているほどだ。行こうか」

屋敷裏の丘は、<ruby><rb>六浦</rb><rt>むつら</rt></ruby>越えの山波へつづいている。兄弟は秋草の中に岩を見つけて腰かけた。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">野ぶどう</span>の実が、足もとに見え、<ruby><rb>鵯</rb><rt>ひよ</rt></ruby>が高啼く、<ruby><rb>鵙</rb><rt>もず</rt></ruby>の音が澄む。――ふたりの胸に幼時の秋が思い出された。

## <ruby><rb>繚乱七種</rb><rt>りょうらんななくさ</rt></ruby>

「あすの夜ですなあ、もう」

「なにが」

「なにがッて、兄者人……。はははは」

直義は、兄を指さして、からかった。

「――お<ruby><rb>羞恥</rb><rt>はにか</rt></ruby>みだな、ひどく」

「わしの嫁迎えか」

「もちろんです。同時に、足利宗家の御当主、もう兄者人などと甘えて呼ぶこともなりませんな」

「では、どう呼ぶのだ」

「正しく、殿とか、高氏様とか」

「つまらんことを。……なあ直義、おたがいは、いつまでも、腕白時代の<ruby><rb>兄弟</rb><rt>ふたり</rt></ruby>の気心のままで行きたいものだ」

「ほんとですか」

直義は、並んで腰かけている兄の膝がしらを、固くつかんで。

「では。この弟が、何をいっても、御勘弁くださいましょうな。もし、お気に障ったら、幼時のお互いみたいに、直義の頬を<ruby><rb>撲</rb><rt>は</rt></ruby>りつけて下さればいい」

「いってみろ、何かは知らぬが」

「置文のことです」

「……置文」

高氏の眼と共に、直義も辺りを見廻した。鎌倉中、<ruby><rb>谷々</rb><rt>やつやつ</rt></ruby>の<ruby><rb>甍</rb><rt>いらか</rt></ruby>や町屋根は、<ruby><rb>木</rb><rt>こ</rt></ruby>の<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>遠く、ここらの小山小山も、秋の昼さがりを、からんとして、<ruby><rb>萩</rb><rt>はぎ</rt></ruby><ruby><rb>桔梗</rb><rt>ききょう</rt></ruby>に、微風もなかった。

「いつか、<ruby><rb>鑁阿寺</rb><rt>ばんなじ</rt></ruby>の<ruby><rb>御霊屋</rb><rt>みたまや</rt></ruby>で、置文を御披見なされた折、兄者人は、その場で、あれを焼きすてておしまいなされた。……けれど、祖先家時公の御遺言は、かえって、お胸のうちに、不滅となって封じられたものだと、私も信じ、その後、右馬介も同様な心でおりました」

「…………」

「ところが、まもなく、北条一族たる赤橋殿の<ruby><rb>妹君</rb><rt>いもぎみ</rt></ruby>を、お<ruby><rb>娶</rb><rt>もら</rt></ruby>いになると聞いては、兄者人の御真意も、わからなくなりました。政略結婚、よくある手です。でも、置文を見て、涙をそそいだ兄者人。……よも小さい<ruby><rb>栄耀</rb><rt>えよう</rt></ruby>に眼がくらんで、北条方の<ruby><rb>籠絡</rb><rt>ろうらく</rt></ruby>に乗るはずもなし、或いは、などと」

「わからぬというのか。兄の本心が」

「正直、不安でなりません。いつのまにか、御変心ではあるまいかと」

「ばかだなあ、おぬしは」

「直義の疑いが、馬鹿げていたら、本望ですが」

「弟……。明日の夜わかるよ。まず、おぬしにとっても<ruby><rb>嫂</rb><rt>あによめ</rt></ruby>となる花嫁の登子を見てくれい。美人だぞ。<ruby><rb>眉目</rb><rt>みめ</rt></ruby>ばかりか気だてもいい。一生の持ちものとして気に入ったから<ruby><rb>娶</rb><rt>もら</rt></ruby>ったのだ。ほかに、他意もないわさ」

「冗談はよして下さい」

<ruby><rb>憤</rb><rt>む</rt></ruby>ッとしたらしい。直義は石を離れて突ッ立った。

「今日こそ、お胸の底をたたいておく日と、直義は、足利一族の運命の<ruby><rb>岐</rb><rt>わか</rt></ruby>れを負ってお訊きしたのだ。ひとの持つ嫁、その嫂が美人であろうと<ruby><rb>醜女</rb><rt>しこめ</rt></ruby>であろうと、知ッたことか」

「怒ったのか、直義」

「あたりまえだ」

「そう<ruby><rb>嫉</rb><rt>や</rt></ruby>くな。おぬしにも、やがていい嫁が見つかろう」

「何を、いらざるたわ<ruby><rb>言</rb><rt>ごと</rt></ruby>」

いきなり、直義が胸いたへ突いて来た腕を取って、高氏の体も、<ruby><rb>諸仆</rb><rt>もろだお</rt></ruby>れに、秋草の中に埋まった。

――兄弟喧嘩と、早合点したに違いない。さっきからそこを少し離れた所にぽつねんと坐っていた者は、驚いて人を呼びかけた。だが、声も揚げ得ず、その墨染の袖を頭からかぶって、草むらを這わんばかり、ふるえていた。

つかみ合ったまま、諸仆れに、萩や桔梗を体にかぶった兄弟は、幼少の頃よくやった<ruby><rb>狆</rb><rt>ちん</rt></ruby>コロの喧嘩みたいに、どっちの手も、首の根を<ruby><rb>把</rb><rt>と</rt></ruby>ったり、襟もとをつかまえて、そのままいつまで、<ruby><rb>解</rb><rt>ほぐ</rt></ruby>れようともしなかった。

そのうちに、高氏が、

「ははは、あははは」

体じゅうで笑い出すと、直義も急に、くすぐッたそうな声をあげて。

「ハハハハ。……あ、<ruby><rb>兄者人</rb><rt>あんじゃひと</rt></ruby>。……兄者人は、おひとがわるい。私をからかっているんだな」

「いや、本気だ本気だ。もっと怒れ。怒らないのか、直義」

「怒れない」

一そう、兄のふところ深くへ、その顔を突っ込みながら、直義は泣き出しそうな声で言った。

「たとえ、どうなっても、直義は兄者人の弟です。怒ってみても始まらない」

「そうだ。かつて、わしが<ruby><rb>蟄居</rb><rt>ちっきょ</rt></ruby>の日にも、警固の垣を窺って、<ruby><rb>生命</rb><rt>いのち</rt></ruby>がけで幽所の兄に近づこうとしてくれたこともあったな。……ああやはり弟よと思われて、あのとき、口に出さねど、うれしかった」

「そんなこと。……それよりも兄者人には、きっと、べつに本心があるのでしょう。それを明かして下さい。この弟を、弟と信じて下さるなら」

「さほどまでにか」

高氏は、寝たまま、また、弟の襟もとをつかんだまま、恐いような顔を示して。

「では、いうぞ」

「お胸の底、打割って下さいますか」

「置文に誓うた心は、今日とて、少しも変っていない。たとえ、北条一族の<ruby><rb>姻戚</rb><rt>いんせき</rt></ruby>に列しようと、赤橋の妹を<ruby><rb>妻</rb><rt>め</rt></ruby>に持とうと、なんで初志を変えようぞ。むしろ、鎌倉御家人どもの眼をあざむくにも、徐々に大事を計ってゆくにも、よい<ruby><rb>階段</rb><rt>きざはし</rt></ruby>とすら思うている」

「おゆるしください」

<ruby><rb>刎</rb><rt>は</rt></ruby>ね起きて、

「とは知らず、直義の小心から推量などして、雑言を吐きちらし、申しわけもございませぬ」

と、彼は手をつかえ、高氏はその肩につかまって、共に起きて、草に坐り直した。

「したが、直義。わしの心底はまだ、父上にも伯父上にも、いうてはいない。洩らすなよ、誰にでも」

「が一人、右馬介だけは、とうにお胸の奥を読んでいましょう。折々の便りにも、彼が未来にかけている心がけがみえまする」

「オ。右馬介はいま、どこにいるのか」

「兄者人へは、便りもよこしませぬか」

「以来、何も」

「要心ぶかく、わざと、書状などひかえているのでございましょう。――昨今、摂津ノ住吉辺に、<ruby><rb>小店</rb><rt>こだな</rt></ruby>を構えて、武具馬具の<ruby><rb>修繕</rb><rt>つくろ</rt></ruby>いなどを、表むきの<ruby><rb>生業</rb><rt>なりわい</rt></ruby>として、それを手ヅルに南都、叡山の僧兵やら、諸家へも出入りして、宮方のおうごきなどを、<ruby><rb>密</rb><rt>ひそ</rt></ruby>と探っておるよしにござりまする」

――しっと、高氏は眼で、彼の次のことばを抑えた。どこかで、女性のまろい声が澄んだ尾を曳いて流れてくる。

たれかを、呼び求めつつ、丘の<ruby><rb>繚乱</rb><rt>りょうらん</rt></ruby>な秋草の中を、こっちへ近づいて来るものらしい。すると、二人の位置から遠からぬ草むらのうちでも、

「――お母アさま。ここです。お母あさま」

と、ふいに一人の小法師が立って答えた。

不覚。

こんな丘に、人の耳があろうとはと、虚をつかれたにちがいない。

「たれだっ？」

直義も、また高氏も、思わずその小法師の方へ、眼をそそいだ。

小法師の姿は、この真昼を、闇夜のように手さぐりしていた。身の<ruby><rb>丈</rb><rt>たけ</rt></ruby>をこえる穂すすきの穂を、ガサと分けて、彼も耳に<ruby><rb>怯</rb><rt>おび</rt></ruby>えをうけたらしく、

「あっ。……直義さまでございますね」

と、雲へ問うように、顔を澄ました。

「おお、誰かと思えば、覚一だったのか」

「覚一でございます」

「さっきから、そこにいたか」

「はい」

「わしたちが話していたことを、聞くともなく、そこで聞いたか」

「……い、いいえ」

あわてて、首を振り、

「なにも存じません。ハイ。いつのまにかトロトロと居眠っていたのでしょうか。母の呼ぶ声に眼がさめました。そしたら、あらぬ方で、べつなお声がしたので、またびっくりしてしまったんです。――そこには、高氏さまもご一しょでございますね」

「覚一。久しかったなあ」

「おおそのお声。……おなつかしゅうございまする」

「そちとは、都の六波羅で、別れたきりよの」

「はい。お変りなく、と申しあげても、<ruby><rb>盲</rb><rt>めしい</rt></ruby>の身、御成人ぶりも仰げません。……私も大きくなったでございましょう」

「ムム、あの頃よりはな。……幾つになったの」

「十四になりました。あの折お誓いしたように、琵琶は片とき離さず<ruby><rb>習</rb><rt>まな</rt></ruby>んでおります。こんな、おとりこみの日でなければ、一曲でも、修業のあとを、聴いていただきたいのですけれど」

「よい折に、いつか聴こうよ。――おお母の草心尼が降りて来る。母と一しょだったのだな」

「ええ。晴れのお屋形の<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>ごとに花を<ruby><rb>挿</rb><rt>い</rt></ruby>けねばと、花を集めにこれへ登り、母が待てと申すまま、私のみ、独りポカンとここに居眠っていたのでした。……あ、お母あ様、ここですよ。高氏さま、直義さま、お揃いでここにおいでなさいますよ」

丘の上から近づく母の跫音にさえ、覚一はそぞろな両手を空にまさぐって、もうすぐ他愛ない子に返っている。

草心尼は、花籠を腕にかけ、高氏たちを見ると、遠くからホホ笑みかけていた。

以来のあいさつは、昨日、大蔵に着くと早々すんでいたこと。ここでは、内輪同士の親しさがあるだけだった。――ほどなく、四人皆して覚一の足もとを<ruby><rb>労</rb><rt>いたわ</rt></ruby>りながら、屋敷の裏へ降りて行った。

一夜あけると、大蔵の邸は、花嫁の輿の道すじから、門前門外、すべて<ruby><rb>敷砂</rb><rt>しきすな</rt></ruby>され、新郎新婦の起居する一殿の<ruby><rb>欄下</rb><rt>らんか</rt></ruby>を流れる小川の<ruby><rb>朽葉</rb><rt>くちば</rt></ruby>まで、底の透くほど、きれいに清掃されていた。

かぞえきれぬ程な間ごと間ごとの<ruby><rb>花瓶</rb><rt>かへい</rt></ruby>や籠には、菊が匂った。老女らと共に、それぞれの室にも<ruby><rb>挿花</rb><rt>そうか</rt></ruby>の意匠をほどこしおえた草心尼は、やがて、

「盲の子連れなどがおりましては、かえって、こよいのお<ruby><rb>邪</rb><rt>さまた</rt></ruby>げ、私どもは、蔭にて、<ruby><rb>祝</rb><rt>ことほ</rt></ruby>ぎ申しあげておりまする」

と、覚一を伴って、扇ヶ谷の方へ移って行った。

その晩の扇ヶ谷家は、憲房以下、あらかた宗家の婚礼に行っていて、広い邸内も、無人にひとしいひそけさだった。

母一人子一人のふたりぼッち。草心尼にも覚一にも、こんな晩は、むしろ<ruby><rb>愉</rb><rt>たの</rt></ruby>しい。

「覚一、淋しゅうないか」

「ちっとも」

「どうしたのじゃ。きのうの昼、御兄弟がたと、大蔵の丘を降りてから、いつにもなく、無口のような」

「そうですか、じぶんでは、気もつきませんが」

「はしゃぐ時は、よう、はしゃぐ癖にして。……やはり<ruby><rb>父</rb><rt>てて</rt></ruby>なし子のせいよと、人様にいわれなどしたら、母は<ruby><rb>侘</rb><rt>わび</rt></ruby>しぞえ。そなたを、ひがみッ子には、育てとうない」

「お母あさま」

覚一はすり寄って、その手さきで、母の膝をさがし当てた。

「私はいい子か悪い子か、じぶんでは分りません。それに生れながらの<ruby><rb>盲</rb><rt>めしい</rt></ruby>。もし覚一に、いけない癖が出たら、お母あさまの手で打ッてください。打ちすえて下さいまし」

「ま。なんで母にそんなことが出来ましょうぞ。そなたの<ruby><rb>父御</rb><rt>ててご</rt></ruby>も、<ruby><rb>戦</rb><rt>いくさ</rt></ruby>でお果てなされたが、その父御は、そなたの不具を、自分のなした<ruby><rb>業</rb><rt>ごう</rt></ruby>のむくいか、遠い武門の<ruby><rb>祖</rb><rt>おや</rt></ruby>どもが、多くの人々を<ruby><rb>殺</rb><rt>あや</rt></ruby>めたゆえの因果かと、よう仰っしゃっておいでだった……。何も知らず、そんな因果を負うて来たそなたを、どうして母が」

「でも、覚一が都に出て<ruby><rb>習</rb><rt>まな</rt></ruby>んでいた間には、お師の禅師さまにも、よう叱られました。<ruby><rb>憶</rb><rt>おぼ</rt></ruby>えが悪いといっては、琵琶の<ruby><rb>撥</rb><rt>ばち</rt></ruby>で打たれ、<ruby><rb>節語</rb><rt>ふしがた</rt></ruby>りに、東国<ruby><rb>訛</rb><rt>なま</rt></ruby>りが抜けぬといっては、お手の<ruby><rb>中啓</rb><rt>ちゅうけい</rt></ruby>（半開きの扇）を、この<ruby><rb>盲</rb><rt>めしい</rt></ruby>の顔へ<ruby><rb>抛</rb><rt>ぶ</rt></ruby>つけられたり……」

「オオ、そのように、おきびしいのか」

「それくらいはまだ、なんでもありません。寒稽古には、霜夜の庭の素むしろに坐らされて、<ruby><rb>喉</rb><rt>のど</rt></ruby>も破れ、<ruby><rb>凍</rb><rt>こご</rt></ruby>えた指は、琵琶の糸に、血のしたたりを濡らしまする。――さてまた、お師の禅師の前で、うかと、眠たげな<ruby><rb>弛</rb><rt>ゆる</rt></ruby>みでも見せようものなら、なお大変です。お眼を怒らせて、愚鈍な奴かな、そんな性根で、なんで一道を<ruby><rb>習</rb><rt>まな</rt></ruby>びえようぞ、それでも<ruby><rb>汝</rb><rt>わ</rt></ruby>れは、人なみの子か。もう破門じゃ。いっそ他の<ruby><rb>傀儡師</rb><rt>くぐつし</rt></ruby>に就き、大道芸人の<ruby><rb>弟子童</rb><rt>でしわっぱ</rt></ruby>となり、<ruby><rb>笊</rb><rt>ざる</rt></ruby>を持ッて銭乞いでもするが、その<ruby><rb>性</rb><rt>さが</rt></ruby>に、ふさわしいぞ。……くやしいか。くやしくば人なみに励んでみよと」

「覚一。もういわないで」

「おや。お母あさまは、何をお泣きになるんですか」

「だって。……聞くだにもう辛いものを」

「ごめんなさい。お母あさまを辛がらせようとて、こんなことを、初めて、お聞かせしたのではございません。覚一には、この頃また、その恐いお師匠さまが、無性に恋しゅうて、ならないのでございます」

「そんな<ruby><rb>酷</rb><rt>むご</rt></ruby>いお師でもか」

「ええ、なぜかお慕わしいのです。都から帰ってからは、覚一は毎晩、お母あさまのふところに抱かれて眠り、なんの不幸も知りませぬ。けれど、せっかく修業中の芸の道は、とんと崩れて、ちかごろ駄目になりました。<ruby><rb>下手</rb><rt>へた</rt></ruby>になった、勉強もしなくなった。そしてわがままばかり<ruby><rb>募</rb><rt>つの</rt></ruby>って来て……と思うにつけ、かつての日、琵琶の<ruby><rb>撥</rb><rt>ばち</rt></ruby>で、私の<ruby><rb>懶惰</rb><rt>らんだ</rt></ruby>を打ッて下すったお師匠さまが、恋しくてならなくなるのでございまする」

「覚一。なにをいうの」

草心尼は、ひしと抱きよせて。

「……まだ遊びざかりのそなた。その上、眼さえ不自由なのに、日頃の母のことばも、よう聞きわけて給もるわいの。いかに、修業の道だからとて、そんなにまで、われと我が身を<ruby><rb>酷</rb><rt>むご</rt></ruby>う持って、自分で叱ることはないぞえ」

いつもなら、覚一とても、図にのッて、母の暖い香に、そのまま甘えているだろうに、なぜかこよいの彼は、その膝をもじもじ去って、両手をつかえた。

「おねがいです。お母あさま、もいちど覚一を、都へやって下さいませ」

「……え？」

草心尼は、かたく自信していた母の懐に、ふと、<ruby><rb>水瓶</rb><rt>みずがめ</rt></ruby>のヒビでも見たときのような不安と淋しさを抱かせられて、子の姿を見まもった。

「……ど、どうして」

「もっと、琵琶の修業をつみ、おなじ一生の道とするなら、その道を究めるところまでやりたいのです」

「そしたら、なにも母のそば離れて、遠い都へ出ないでも、そなたに教えて給もるお師が、この鎌倉にないこともあるまいに」

「いえ、鎌倉には、良い師はあるまいと、人も言いますし、ここは長く住む地でもありません。今にきっと、恐ろしい修羅の地に変りましょう」

「そなた……妙なことを、お言いやる。……なんで、この鎌倉の府が」

「いまは、申しませぬ。そら恐ろしゅうて、口にも出せませぬ」

「覚一」

と、彼女はつめ寄って。

「なぜ、母にお隠しなさる」

「ただの隠し事などではございません」

「いうて<ruby><rb>給</rb><rt>た</rt></ruby>も。きのうからの、そなたの妙な無口。なにかそれにも、わけがあるのであろ？」

「じゃあ、お母あさまだけのこと、言ってしまいますけど……」

覚一は、針を並べたような眼で、しばらく、辺りの気配を、心の耳で聴いていたが、やがて<ruby><rb>唾</rb><rt>つ</rt></ruby>を呑むような、小声をひそめ、

「お母あさま。……高氏、直義さま御兄弟は、北条家を仆して、天下を<ruby><rb>奪</rb><rt>と</rt></ruby>ろうと考えていらっしゃいますよ。御謀反の下心に違いありません」

「げっ。……そ、そんなことを、ど、どうしてそなた、推量しやった」

「なんでそんな恐ろしいことを、推量など致しましょう。きのう大蔵ヶ谷で、お<ruby><rb>兄弟</rb><rt>ふたり</rt></ruby>が語っているのを、つい耳にしてしまったのです。置文とやらのことまでも」

「ああ……。あのことも」

彼女の記憶は、鑁阿寺の或る朝、メラと失せた一片の紙片の焔にすぐつながっていた。その朝の高氏の異様なまでの素振りと共によみがえってくる。

「のう覚一。ひょんなことを、ふと耳にしたものよの。魔の声じゃ。耳を洗うて、忘れたがよい」

「はい。けれど、<ruby><rb>拭</rb><rt>ぬぐ</rt></ruby>えぬ<ruby><rb>怯</rb><rt>おび</rt></ruby>えに、ゆうべも<ruby><rb>恐</rb><rt>こわ</rt></ruby>い夢をみました。……ねえ、お母あさま。もし戦にでもなったら、足利ノ庄も安くはありません。私は<ruby><rb>盲</rb><rt>めしい</rt></ruby>ですし、<ruby><rb>母</rb><rt>おや</rt></ruby>一人子一人、誰も<ruby><rb>関</rb><rt>かま</rt></ruby>ってなどくれますまい。いっそのこと、都へ出ようではございませぬか。都の隅で、お母あさまは静かに住み、覚一は琵琶の修業に励みましょう。覚一を連れて、都へ移ると、お覚悟つけて下さいませ」

ふとした、子のことばにも、真理があり、<ruby><rb>訓</rb><rt>おし</rt></ruby>えられることもある。

……ほんに。

彼女も今にして頷かれた。

亡き良人の願いもあったし、じぶんたち母子の願いも、武門の蔭には寄るまいと念じている。

けれど、<ruby><rb>義兄</rb><rt>あに</rt></ruby>の上杉憲房はじめ、<ruby><rb>義姉</rb><rt>あね</rt></ruby>の清子につながる足利兄弟、その<ruby><rb>有縁</rb><rt>うえん</rt></ruby>など、家垣のすべては名だたる武族のみである。――足利ノ庄や鎌倉にいては、いやでも、その人たちの修羅の業と<ruby><rb>輪廻</rb><rt>りんね</rt></ruby>を共にするほかない。

都は広いと聞く。

かつての承久ノ乱や、<ruby><rb>寿永</rb><rt>じゅえい</rt></ruby>、<ruby><rb>治承</rb><rt>じしょう</rt></ruby>の大戦のさいでも、都の北山、<ruby><rb>嵯峨野</rb><rt>さがの</rt></ruby>のおくには、平家の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">きずな</span>や権門を<ruby><rb>遁</rb><rt>のが</rt></ruby>れ出た無髪の女性たちには、修羅の外なる寸土の<ruby><rb>寂地</rb><rt>じゃくち</rt></ruby>がゆるされていたともいう。

「……そうだ。都に行けば」

彼女の思案は傾いた。

都でなら、武門の蔭に頼らなくてもすむし、覚一が天性好む琵琶や芸術の道へいそしむにも、何かにつけて便がよい。

「この子をだに、つつがなく成人させて、弓矢ならぬ芸道に生きる道をつけてやれば、それで、亡き良人への、自分の御供養はすむというもの」

思いさだめて、草心尼は、ついにその場で子の覚一へ約束した。――この鎌倉まで来ている<ruby><rb>機</rb><rt>しお</rt></ruby>を幸いに、高氏どのの華燭のお祝いがすみ次第、なんぞよい口実をもうけて、ここから都へ上ることにしようぞ……と。

覚一は、狂喜した。

――こんなにも、それを望んでいやッたのかと、彼女が涙ぐまれるほどに。

「お母あさま。そう伺ったら、もう何だか、ここは鎌倉でもなく、都の隅で、今宵を二人で過ごしているような気がして来ます。……それにつけ、お師の禅師にお目にかかれば、師を離れている間、どうであったか、琵琶を持てと、さっそく<ruby><rb>試</rb><rt>ため</rt></ruby>されるに相違ございません。こよいは、扇ヶ谷のお人々も留守、お母あさま、久しぶり、覚一の稽古をお聞きくださいますか」

「オオ、聴きましょう」

「幾つか、習うた平家ノ曲。その内のなにを語りましょうな。特にお好きな曲は」

「さあ……。<ruby><rb>祇園精舎</rb><rt>ぎおんしょうじゃ</rt></ruby>の<ruby><rb>初語</rb><rt>しょがた</rt></ruby>りもよし、<ruby><rb>小督</rb><rt>こごう</rt></ruby>、<ruby><rb>忠度</rb><rt>ただのり</rt></ruby>都落ち、宇治川、<ruby><rb>敦盛</rb><rt>あつもり</rt></ruby>、扇ノ与一。どれも嫌いなものはないの」

「<ruby><rb>大原御幸</rb><rt>おはらごこう</rt></ruby>は」

「わけても好きじゃ」

「では。……すみませんが、そこの琵琶をお取りくださいませぬか。大原御幸も、まだみなは覚えませぬが、<ruby><rb>習</rb><rt>なろ</rt></ruby>うた<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">くだり</span>だけを、<ruby><rb>弾</rb><rt>ひ</rt></ruby>いてみましょう」

袋を解いて、覚一は琵琶を抱いた。<ruby><rb>絃</rb><rt>いと</rt></ruby>を調べ、<ruby><rb>音</rb><rt>ね</rt></ruby>を問いながら、小首を<ruby><rb>傾</rb><rt>かた</rt></ruby>げて、細い眼<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">すじ</span>をなお細くしていたが、やがて一<ruby><rb>弾</rb><rt>だん</rt></ruby>二弾、序ノ<ruby><rb>撥</rb><rt>ばち</rt></ruby>かろく。

――<ruby><rb>女院</rb><rt>によゐん</rt></ruby>重ねて申させ給ひけるは。

わが身、<ruby><rb>平相国</rb><rt>へいしやうこく</rt></ruby>のむすめとして。

天子の<ruby><rb>国母</rb><rt>こくも</rt></ruby>となりしかば。

みな<ruby><rb>掌</rb><rt>たなごころ</rt></ruby>のままなりき……

母の草心尼は、聞きとれた。いや、<ruby><rb>見恍</rb><rt>みと</rt></ruby>れてもいる。――これがわが子の修業の端か。ひと<ruby><rb>年</rb><rt>とせ</rt></ruby>、都に出て、他人のきびしい撥で打たれつつ習い覚えた曲の一つか。いじらしさよ。今宵、亡き<ruby><rb>良人</rb><rt>つま</rt></ruby>もこの座にいませば……と、彼女は彼女の胸の<ruby><rb>奏</rb><rt>かな</rt></ruby>でに、悲母の思いを<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">せぐり</span>上げられていた。

その時刻。――ちょうど、覚一小法師が、扇ヶ谷家の留守をほしいままにして、大原御幸の一曲を母に聴かせていた、同じ宵頃のこと。

鶴ヶ岡の社頭は、火に染まっていた。

赤橋家の門から、反り橋、若宮ノ辻までの、たくさんな<ruby><rb>庭燎</rb><rt>にわび</rt></ruby>が一せいに点火されたのだ。<ruby><rb>放生池</rb><rt>ほうじょういけ</rt></ruby>の水は燃え、大鳥居の<ruby><rb>朱</rb><rt>あけ</rt></ruby>も、墨の夜空に浮きあがって、その下を今、こよい足利家に入る花嫁の列が流れ初めていた。

「はや、<ruby><rb>先駆</rb><rt>さきがけ</rt></ruby>が」

「御一門の騎馬のお列も」

若宮から東、横大路いったい、黒い人垣の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">とだえ</span>もない。

みな盛装の花嫁を見ようとするのらしいが、華麗な<ruby><rb>塗輿</rb><rt>ぬりごし</rt></ruby>のキラめきは過ぎたものの、<ruby><rb>御衣</rb><rt>おんぞ</rt></ruby>の端も見えなかった。

輿にはまた、幾つもの女輿がつづいて行った。

お供の<ruby><rb>大女臈</rb><rt>おおじょろう</rt></ruby>、<ruby><rb>小女臈</rb><rt>こじょろう</rt></ruby>、<ruby><rb>侍女</rb><rt>かしずき</rt></ruby>、すべて<ruby><rb>蒔絵轅</rb><rt>まきえながえ</rt></ruby>の美しい<ruby><rb>小輿</rb><rt>こごし</rt></ruby>であった。

さらに供侍や、小者までも、晴れ着ならぬ者はない。当夜持参の嫁入り調度も、まばゆいほどな列だった。――三ツ<ruby><rb>鱗</rb><rt>うろこ</rt></ruby>の大紋打った<ruby><rb>素襖</rb><rt>すおう</rt></ruby>、<ruby><rb>烏帽子</rb><rt>えぼし</rt></ruby>の奉行の駒を先にして、貝桶、<ruby><rb>塗長持</rb><rt>ぬりながもち</rt></ruby>、<ruby><rb>御厨子</rb><rt>みずし</rt></ruby>、黒棚、<ruby><rb>唐櫃</rb><rt>からびつ</rt></ruby>、<ruby><rb>屏風箱</rb><rt>びょうぶばこ</rt></ruby>、<ruby><rb>行器</rb><rt>ほかい</rt></ruby>など、見物の男女は何度も羨望の溜息をもらしていた。

この宵、ともされた<ruby><rb>松明</rb><rt>たいまつ</rt></ruby>だけでも、千本はくだるまい。若宮の社頭から大蔵ヶ谷まで、灯でつながったといってよい。

もっとも、花嫁の輿が、赤橋家の門を出たのを合図に、聟方の屋敷でも、門をひらき、

「それ」

と親族、<ruby><rb>媒人</rb><rt>なこうど</rt></ruby>の一群が、松明をかかげて、途中まで、姫君の迎えに来る。

そして、嫁方の<ruby><rb>庭燎</rb><rt>にわび</rt></ruby>の火を、途上で、こちらの<ruby><rb>脂燭</rb><rt>ししょく</rt></ruby>に移し取った騎馬の使者は、それを先に持ち帰って、初夜の<ruby><rb>帳</rb><rt>とばり</rt></ruby>の燈台に点火しておく。

さて。――輿が<ruby><rb>聟館</rb><rt>むこやかた</rt></ruby>に入れば、嫁方には<ruby><rb>実家女臈</rb><rt>さとじょろう</rt></ruby>、聟方には待ち上臈、それぞれの<ruby><rb>介添</rb><rt>かいぞ</rt></ruby>えがついて、式の座につく。

<ruby><rb>登子</rb><rt>とうこ</rt></ruby>は、白絹の<ruby><rb>小袿衣</rb><rt>こうちぎ</rt></ruby>に、<ruby><rb>鬢鬘</rb><rt>びんかつら</rt></ruby>して、聟の高氏とならんだ。聟は、<ruby><rb>布袴直垂衣</rb><rt>ぬばかまひたたれ</rt></ruby>である。

<ruby><rb>床</rb><rt>とこ</rt></ruby>には、きのう草心尼が心をこめた<ruby><rb>立花</rb><rt>りっか</rt></ruby>や<ruby><rb>置鯉</rb><rt>おきごい</rt></ruby>が飾られ、ふたりの前には、<ruby><rb>熨斗</rb><rt>のし</rt></ruby>三方、向い鶴の<ruby><rb>銀箸</rb><rt>ぎんばし</rt></ruby>、それに<ruby><rb>蛤</rb><rt>はまぐり</rt></ruby>の吸物などが供えられた。次に、媒人のあいさつ。――そして三々九度のさかずきごとが行われる。

上ゲ畳の<ruby><rb>御簾</rb><rt>みす</rt></ruby>をへだてて。

両家一統、家臣たちまで、その間、ほのかに、杯事を拝しながら、粛然と、ひかえている。

――やがて三々九度が終り、同時に、御簾が上がって、

「幾千代、おめでとう存じあげまする」

一同、揃って祝いをのべる。

さきに、嫁迎えの使者が、途上で、こちらの脂燭に移し取って持ち帰った嫁方の火は、すでに<ruby><rb>閨</rb><rt>ねや</rt></ruby>の燈台にともされてあり、やがて、聟君が<ruby><rb>衾</rb><rt>ふすま</rt></ruby>に入った次に、嫁の君も介添えされて、帳内に入るのであるが、その灯は、三日の間、消さないでおく。

そして四日目、初めて、色直しの衣裳にかえて、登子も足利家の北ノ方となった<ruby><rb>新妻</rb><rt>にいづま</rt></ruby>の身をやっと自分に見るのであった。

その日は、夕方から雨となって、さしもつづいた盛儀の門も宵のまに閉じ、大蔵ヶ谷の大屋根は、早くからみな寝しずまった。

婚儀の大宴は、よるひるなく、三日もつづいたのである。

登子が気疲れしたのはむろんであろう。聟の高氏にしても、連日の行事に加えて、郷党どもの祝いをうけたり、客座へ臨んだりなど……思えば<ruby><rb>他人交</rb><rt>ひとま</rt></ruby>ぜなしに、しみじみと、新夫婦ふたりだけの<ruby><rb>閨</rb><rt>ねや</rt></ruby>の灯となれたのは、こよいが初めてといってもよい。

「外は雨か？」

「そのようでございまする。たそがれ頃から……」

登子は棚の<ruby><rb>香盆</rb><rt>こうぼん</rt></ruby>を下ろして、<ruby><rb>香炉</rb><rt>こうろ</rt></ruby>に<ruby><rb>伽羅</rb><rt>きゃら</rt></ruby>をたいていた。

ながやかな黒髪とその姿を、匂いの糸がゆるく巻いてくるにつれ、<ruby><rb>蕭条</rb><rt>しょうじょう</rt></ruby>と、遠い<ruby><rb>夜雨</rb><rt>やう</rt></ruby>の声も<ruby><rb>几帳</rb><rt>とばり</rt></ruby>の内に沁み入ってくる。

「まるで、大風のあとみたいだなあ、今夜の静けさは」

「侍部屋や<ruby><rb>下屋</rb><rt>しもや</rt></ruby>の者も、こよいは皆、三日三夜の眠りを、いちどにとっているのでございましょう」

「登子」

「はい」

「そなたも、疲れてか」

「いいえ、あなたさまこそ」

「わしすら、少々疲れ気味に思われる。ましてそなたは、と察しられるが……。しかし一生の門出ではある。ふたりにとっても、二度はないこと」

「ええ」

「このまま、もすこし話していたいが、眠とうないか。だいじょうぶか」

「なんのお気づかいを」

「……もそっと寄れ、もそっと」

「……はい」

新妻はまだ、体がふるえる。

さきに良人の烏帽子だけはとって、<ruby><rb>冠棚</rb><rt>かむりだな</rt></ruby>へ移したが、良人はなお、直垂のままで、<ruby><rb>閨衣</rb><rt>ねやぎ</rt></ruby>を着ず、彼女も夕化粧のときにかえた<ruby><rb>宵衣</rb><rt>よいぎ</rt></ruby>の姿だった。

「ほかでもないがの、登子」

「はい」

「いっそ、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">むくつけ</span>にいおう。そなたは一体、この高氏のどこを見て妻となる気を抱いたのか」

「…………」

「守時殿という兄のすすめでぜひなく<ruby><rb>嫁</rb><rt>とつ</rt></ruby>ぐ気になったか、それとも」

「上杉殿と兄君のおはなしだったのは、申すまでもございません。けれど私もすすんで望みました」

「どこがようて」

「わかりません」

「わからぬままに」

「ええ、わからぬままにも、身の生涯をお<ruby><rb>託</rb><rt>まかせ</rt></ruby>して、どうあろうとも悔いのない、たのもしい殿御と、いつか、お慕いもされまして」

「ならば、あらためて、告げねばならぬ。……登子、形どおりな祝言や初夜の式もすんだが、まことの<ruby><rb>夫婦</rb><rt>めおと</rt></ruby>のちぎりまではしていない。申さばそなたはまだ<ruby><rb>処女</rb><rt>おとめ</rt></ruby>の肌のままよ。……高氏がいま打明けて申すことに、もしいささかでも不安であり、不同意だったら、いつでもこの家を去るがいいぞ」

「えっ。……？」

「なにも知らずに嫁いだそなただ。知らぬがままに連れ添うなれば、それまでのことですもうが、しかし、さまでの秘事を抱きながら、妻となる者へ、<ruby><rb>噯</rb><rt>おくび</rt></ruby>にもそれを告げず、後での悔いやら泣きを見せるのは、男として、高氏は自身に恥じる。……で、いッそ今、打割っていうわけだが」

「…………」

「幼少のとき、この高氏は、さる<ruby><rb>人相観</rb><rt>にんそうみ</rt></ruby>から剣難の相があると予言されておる。ひょっとしたら、わしは戦場で<ruby><rb>仆</rb><rt>たお</rt></ruby>れる宿命なのかもしれぬ。それでも、<ruby><rb>和御前</rb><rt>わごぜ</rt></ruby>はわしの妻として添うてゆけるか」

「なにを仰せかと思えば」

と、登子はむしろ、ほっとした笑みを持って。

「武門誰とて、何事もなく一生過ごせるものとしておりましょう。武人に剣難の相があるのは、あたりまえです。嫁ぐ前から身にいいきかせておりまする」

「そうか。覚悟してか」

高氏は、言ったが、改まった面持ちは、なお解くような容子もない。まだ、まことの<ruby><rb>契</rb><rt>ちぎ</rt></ruby>りは結ばない二つの枕は、<ruby><rb>伽羅</rb><rt>きゃら</rt></ruby>もむなしく、他人のように行儀よく<ruby><rb>閨</rb><rt>ねや</rt></ruby>に並んだままなのである。

「したが登子、それだけの覚悟で添うには、なお足らぬこの男かもしれぬぞ。古来、弓矢の<ruby><rb>修羅道</rb><rt>しゅらどう</rt></ruby>では、伯父<ruby><rb>甥</rb><rt>おい</rt></ruby>にして、敵とよびあい、兄弟父子の間ですら、ぜひなく<ruby><rb>裂</rb><rt>さ</rt></ruby>かれて、敵味方の陣にわかれることもある」

「…………」

「たとえば保元、平治ノ乱、以後の大小の合戦にも、そのような例は、幾多であろう。かぞえてもかぞえきれまい。さればもし、この高氏が、かりに北条殿に弓を引き、そなたの兄、守時殿をも、敵とせねばならぬ日があったとしたら……そなた……そのときは、何とするか」

「…………」

登子は氷った花のように、まじろぎもしなかった。といっても、たましいを失った色ではない。女性が真底から真剣に自己を<ruby><rb>研</rb><rt>と</rt></ruby>ぎすましてみせるときのあの姿なのである。――むしろ自己の感情に<ruby><rb>噪</rb><rt>さわ</rt></ruby>がれているのは、ここまでの真意を洩らした高氏の紅い<ruby><rb>耳朶</rb><rt>じだ</rt></ruby>やその語気の方だった。

高氏はその息のままで言いつづけた。

「さ、そうしたときは、何とするぞ。<ruby><rb>嫁</rb><rt>か</rt></ruby>しては二夫にまみえずとか、夫婦は二世とか、近ごろの<ruby><rb>庭訓</rb><rt>ていきん</rt></ruby>は婦女子にきびしゅう教えているが、そのままを<ruby><rb>和御前</rb><rt>わごぜ</rt></ruby>に<ruby><rb>践</rb><rt>ふ</rt></ruby>めとは<ruby><rb>強</rb><rt>し</rt></ruby>いられぬ。――まこと、この高氏の前途は安穏でない気がするのだ。すえ恐ろしいと思うたら、いまのうちに思い返せ」

「思い返せとは」

「今なれば、ない縁としよう。ほかの口実をもうけて、和御前は処女の肌のまま<ruby><rb>実家方</rb><rt>さとかた</rt></ruby>にもどるがいい」

「おたわむれを」

「たわむれではない」

「むごい仰せです」

「むごくはない。慈悲でいうのだ」

「では、いつの日か、まこと、そのようなお心ぐみが、おありなのでございますか」

「あるとしたら？」

「ないとしても、あるとしても、妻の身には、おなじことに思われます。あなたさまの御一生が、そのまま登子の一生となるばかりのこと……」

「修羅の<ruby><rb>巷</rb><rt>ちまた</rt></ruby>に迷うても」

「ええ、地獄へでも」

「良人が<ruby><rb>悪鬼羅刹</rb><rt>あっきらせつ</rt></ruby>と見えても」

「はい。羅刹の妻となりまする」

「登子っ」

彼は寄って、いきなりその花の顔を、抱きしめた。

「もう、終生離さぬ」

この乱暴に似た力の方が、はるかに彼女を驚かせたにちがいない。

<ruby><rb>姿態</rb><rt>しな</rt></ruby>をくねらせて、彼女は救いを乞うような火の息を<ruby><rb>喘</rb><rt>あえ</rt></ruby>いだ。

あわてて高氏は灯を吹き消した。なお、黒髪に埋めてやまぬ<ruby><rb>羞恥</rb><rt>しゅうち</rt></ruby>と硬い四<ruby><rb>肢</rb><rt>し</rt></ruby>とをもてあまして、閨のうちへ抱え入れた。白い顔は、もう息も絶え絶えのように、わななきを歯にくいしめて、耐えようとする観念を、その<ruby><rb>睫毛</rb><rt>まつげ</rt></ruby>が言っている。

高氏のあたまを、ふと、牧の小娘や、藤夜叉との梅の香の闇がかすめた。しかし彼の本質にある性情だろうか。彼の乱暴な愛情の表現は、みずから制御を加えることもできなかった。

――朝。登子は鏡にむかった。

鏡は、女になった女を<ruby><rb>映</rb><rt>うつ</rt></ruby>して、しげしげと今朝の彼女に見入らせている。

髪<ruby><rb>一</rb><rt>ひ</rt></ruby>トすじの変化もなく、しかも一夜に変った自分を鏡の中に見て、彼女はまだ離脱しきれない処女の日の感傷を心から押しのけて、静かに“女の誕生”を心のうちで<ruby><rb>遂</rb><rt>と</rt></ruby>げていた。

「いまは身も心も、足利登子。又太郎高氏殿の妻――」と。

<ruby><rb>舅</rb><rt>しゅうと</rt></ruby>の貞氏や清子とも、今朝は水入らずの<ruby><rb>朝餉</rb><rt>あさげ</rt></ruby>を共にし、若い夫妻は、やがて輿をつらねて、赤橋守時の邸を、訪問した。

いわゆる五日目の“里帰り”であった。

登子は、良人と姿を並べて、兄のひとみの前に出たとき、わけもなく頬から耳の根までを<ruby><rb>紅</rb><rt>あか</rt></ruby>らめた。守時は、ふたりの仲を見とどけたように、それを眺めて安心した。

さすが北条の大族赤橋家らしい。――登子のいとこ、<ruby><rb>駿河</rb><rt>するが</rt></ruby>太郎<ruby><rb>重時</rb><rt>しげとき</rt></ruby>、兄の<ruby><rb>赤橋将監英時</rb><rt>あかばししょうげんひでとき</rt></ruby>はじめ、塩田、桜田、<ruby><rb>大仏</rb><rt>おさらぎ</rt></ruby>、名越など、いずれもゆゆしい身寄りばかりである。こもごも、

「これは、聟殿におわせられるか」

と、名のって出た。初対面が、あらかたである。

中でも、眼をひかれたのは、登子の妹たちだった。二人の幼い妹たちは、姉の聟君なる人を、もの珍しげに、ぬすみ見たり、はにかんだり、やがては馴れて、酒宴の間に<ruby><rb>戯</rb><rt>たわむ</rt></ruby>れつつ、高氏の杯に、銚子を持って、おぼつかない手つきで<ruby><rb>注</rb><rt>つ</rt></ruby>いだり、笑い興じて廻ったりしていた。

後に、この妹の一人は、<ruby><rb>洞院</rb><rt>とういん</rt></ruby>ノ大納言の室に入り、もひとりの妹は、太政大臣<ruby><rb>公守</rb><rt>きみもり</rt></ruby>の側室となった。――しかしそれはずっと後年のこと。高氏すらも、この日、この<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あどけ</span>ない姫たちの未来に、そんな運命が待とうなどとは思いもおよぼうわけもない。

ともあれ、高氏は、赤橋家の人々とも、その日の一日でもうよく溶けあっていた。むしろ登子の方が他人行儀に見えた。彼女は始終、自分を外がわにおいて、良人と里方の者との融和を見ながら、ただ<ruby><rb>興</rb><rt>きょう</rt></ruby>じ<ruby><rb>合</rb><rt>お</rt></ruby>うているような姿であった。

おそらく、ただの里帰り以上な複雑さが、彼女の胸にはあったであろう。――ゆうべ閨に入るまえの良人のことばが、ふと思い出され、そして、ここでの高氏の無邪気さや他意なさも、逆に底知れぬ人のように見えていたかもわからない。

一日おいて。

結婚七日目には、また、夫婦そろって、執権ノ亭に<ruby><rb>伺候</rb><rt>しこう</rt></ruby>し、高時に拝謁をとげた。――高時は、あの特有な、かなつぼ<ruby><rb>眼</rb><rt>まなこ</rt></ruby>で、若いふたりを無遠慮に見くらべ、

「なるほど、似合いの<ruby><rb>夫婦</rb><rt>めおと</rt></ruby>だの。――のう道誉、うらやましくないか」

と、いった。

ほかにも<ruby><rb>侍者</rb><rt>じしゃ</rt></ruby>は大勢なのに、特に道誉を名ざしたのはどういうわけか。高氏には気にかからぬこともない。しかし道誉はつつしんで、台座へ答えた。

「まこと、北条御一門の内に、花を加えられたようなもの。祝着この上もございませぬ」

高時は、大きくうなずいて、さらに言った。

「高氏、登子。ふたりとも今日は夜まで遊んでゆけ。高時もともに遊ぼう。お<ruby><rb>汝</rb><rt>こと</rt></ruby>らが見えたら、大いに祝うてやろうと、かねがね、道誉とも申しはかって、遊宴の支度なしてある。……夜までは帰さぬぞ」

## <ruby><rb>妖霊星</rb><rt>ようれいぼし</rt></ruby>

柳営八亭の一館に、高時がよく大遊宴につかう<ruby><rb>華雲殿</rb><rt>げうんでん</rt></ruby>がある。鎌倉建築の代表的なもので、広さ千人を容れるに足り、豪壮な線などいうまでもない。特にここには舞台もある。

「みなも、思うざま、飲むがいい」

いつにもまして、<ruby><rb>主座</rb><rt>すざ</rt></ruby>の高時は、上機嫌だった。

「今日は高時より、一族高氏と登子への馳走なれど、御家人どもには、ふたりの披露でもあるぞ。一同で祝福してやれい」

大杯を手に、彼は号令のようにいった。高氏夫妻、佐々木道誉、ほか百名余の盛宴である、自然声も大きくなる。

高時にすれば、これもよい口実の遊びなのであろう。“うつつなき人”高時は、また常に“うつつなき遊び”を探している人でもある。

で、集められた群臣も、いわゆる重職や幕府序列の面々ではない。遊楽において、日ごろ彼とよく駒の合う臣下や芸能者ばかりなのだ。

およそ、技術芸能の士を愛した点では、北条代々でも、高時ほどな太守はなかった。

建築、絵画、彫刻、染織、<ruby><rb>蒔絵</rb><rt>まきえ</rt></ruby>、<ruby><rb>鋳造</rb><rt>ちゅうぞう</rt></ruby>、刀鍛冶、<ruby><rb>仮面打</rb><rt>めんうち</rt></ruby>なども、彼の下で、みな目ざましい発達をみせた。すべて、一道に達した者は、柳営の職座に入れて、これを保護した。

同時に彼は、その者たちを、遊楽の取巻きと見て、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">おもちゃ</span>にしたことも<ruby><rb>否</rb><rt>いな</rt></ruby>めない。あたまの痛む政務ばかり持ちこむ評定所衆や、武者所の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ごつい</span><ruby><rb>輩</rb><rt>やから</rt></ruby>などよりも、遊び相手として、おもしろい相手だったにはちがいない。

いつか、<ruby><rb>華雲殿</rb><rt>げうんでん</rt></ruby>の廻廊には、<ruby><rb>吊</rb><rt>つ</rt></ruby>り燈籠が星をつらね、内は無数の<ruby><rb>銀燭</rb><rt>ぎんしょく</rt></ruby>にかがやいて、柳営お抱え役者の“田楽十番”もいま終った。

――で、それを<ruby><rb>機</rb><rt>しお</rt></ruby>に登子は、

「はや、おいとまを」

と、良人へそっと、うながした。

だが、高氏は居眠っていた。いちど、暇を乞いかけたとき、かえって、執拗な高時に、大杯を<ruby><rb>強</rb><rt>し</rt></ruby>いられ、それがこたえてしまったものとみえる。

「殿。……」

登子に膝をつかれ、彼は大きな眼をあけた。きょとんとして、まるで<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">涎くり</span>の<ruby><rb>童</rb><rt>わっぱ</rt></ruby>みたいな顔つきなのが、登子には少し情けなく見えた。

「殿、いまがよい頃です。太守にお礼を申しあげて、お退がり遊ばしては」

「そうだな。そなたも大儀だろう。高氏もはや、これ以上は」

俄に、<ruby><rb>衣紋</rb><rt>えもん</rt></ruby>づくろいして、高時の横へすすみかけると、高時は見て、敏感に、

「こらっ、虫食い<ruby><rb>瓜</rb><rt>うり</rt></ruby>、まだ帰ってはならん。宴はいつも、二<ruby><rb>更</rb><rt>こう</rt></ruby>三更（夜半）に及ぶのが<ruby><rb>慣</rb><rt>なら</rt></ruby>い、なぜ、うごく」

「登子が戻りたがっておりますゆえ」

「登子が」

高時のきらつく眼が、無遠慮にふたりを撫でた。

「はははは。この男、虫食い瓜に似もやらず、<ruby><rb>中実</rb><rt>なかみ</rt></ruby>は甘いぞ。さては<ruby><rb>閨急</rb><rt>ねやいそ</rt></ruby>ぎか」

「これは、きつい、おからかいを」

「道誉、道誉」

身を反らして、高時は、右がわの列座にいる佐々木道誉を眼で拾って。

「――閨いそぎの若夫婦は、はや戻るなどと申しおる。そちは、今日の馳走に、高氏へ何やら見せたいものがあるとか申していたではないか。帰してもよいのか」

「これは、したり」

響きに応じるような調子で、道誉も、高時に次いで、派手にいった。

「太守をはじめ、満座すべては、みな<ruby><rb>其許</rb><rt>そこもと</rt></ruby>おふたりのために、およろこびを共にしているものを。……そのかんじんな主賓が、さきに座をお立ちとあっては、これや、どうもなるまいて」

それに相槌打つかのごとく、近くに居流れていた<ruby><rb>佐介</rb><rt>さすけ</rt></ruby>五郎、<ruby><rb>淡河兵庫</rb><rt>おごうひょうご</rt></ruby>、<ruby><rb>斎藤宮内</rb><rt>さいとうくない</rt></ruby>、<ruby><rb>城</rb><rt>じょう</rt></ruby>ノ<ruby><rb>介</rb><rt>すけ</rt></ruby><ruby><rb>師時</rb><rt>もろとき</rt></ruby>なども、酒気にまかせて、

「せっかくの座もしらける。まあ、おられい」

「<ruby><rb>御興</rb><rt>ごきょう</rt></ruby>はこれから。――太守にたいしても、不礼ではあるまいか」

「高氏どの。まあ、もう一<ruby><rb>献</rb><rt>こん</rt></ruby>」

と、攻め囲む。

高氏はまた飲み出した。登子の帰りたがっている気もちも思いやられつつ、ままよと、腹をすえたのらしい。さらに、高時が<ruby><rb>強</rb><rt>し</rt></ruby>いてきた大杯もまた、辞さなかった。

「みごと」

高時は、ちょっと、こじれかけていた機嫌を直して、

「もひとつ、どうじゃ高氏」

「いやもう」

高氏は、唇のしずくを横にこすった。

「駒に水を飼うにも、少々は息休めさせねば、首を振りまする」

「はッははは」高時は奇声をあげ――「この男、思いのほか荒駒らしい。かつての、鳥合ヶ原では、<ruby><rb>儂</rb><rt>み</rt></ruby>の愛犬に咬みつかれて、逃げまろんだが、酒の上では、存外なところもある」

君側の左右以外な末端の方では、ここのことは何も分っていない。末席は末席で、それぞれ<ruby><rb>歓</rb><rt>かん</rt></ruby>に<ruby><rb>沸</rb><rt>わ</rt></ruby>いていた。

そのうちに舞台では、昼、田楽十番を出して喝采をはくした<ruby><rb>大和田楽</rb><rt>やまとでんがく</rt></ruby>に対抗して、近江田楽の一座が「夜の物八番」をこもごもに演じはじめた。

<ruby><rb>夜</rb><rt>よる</rt></ruby>の<ruby><rb>演</rb><rt>だ</rt></ruby>し<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>は、もちろん、宴もくずれてからの座興なので、<ruby><rb>淫</rb><rt>みだ</rt></ruby>らな寸劇や、<ruby><rb>猥雑</rb><rt>わいざつ</rt></ruby>な舞踊が多かった。わけて、夜の物八番の作者は、佐々木道誉みずから筆をとったもので、彼はこれを「――<ruby><rb>柳営</rb><rt>りゅうえい</rt></ruby>お止メ芸」などと称していた。

「ははあ、これだな」

高氏は思いあたった。

「――これが道誉の馳走だったのか。何やらこの高氏へ見せるものがあるはずと、最前太守も彼にむかって、何か謎めいたことをいわれていたが」

しかし、これは安易なひとり合点と、まもなく、分った。

終始、笑いどよめきのうちに、八番が終って、また、<ruby><rb>一</rb><rt>ひ</rt></ruby>トしきりは満座歓宴の乱れだったが、ほどなくまた新しい拍手の波に、高氏もふと舞台の方を見ると、そこには、金モミ<ruby><rb>烏帽子</rb><rt>えぼし</rt></ruby>、<ruby><rb>水干衣</rb><rt>すいかん</rt></ruby>姿の<ruby><rb>白拍子</rb><rt>しらびょうし</rt></ruby>が、両の手に<ruby><rb>振鈴</rb><rt>ふりすず</rt></ruby>を持って、<ruby><rb>忽然</rb><rt>こつねん</rt></ruby>と、咲き出た物のように立っていた。

藤夜叉であった。

「…………」

高氏は、ぎょっとして、<ruby><rb>仮面</rb><rt>めん</rt></ruby>のようにその顔を<ruby><rb>硬</rb><rt>こわ</rt></ruby>めた。

視線をそろえて、登子も舞台の藤夜叉を見すましているに違いなかろう。また、道誉の底意のある眼が、太守高時の蔭から、自分の表情を、見ぬ振りしつつ見ているようにも思われる。

「…………」

しかも、板の上の藤夜叉は、まだ一ト振りの鈴も鳴らさず、足も踏まず、その白い白い舞台顔は、泣くかのような眉をしていた。

<ruby><rb>振鈴</rb><rt>ふりすず</rt></ruby>が鳴り、それにつれて、舞台の彼女はいつか水のごとき舞の線を描き出している。

<ruby><rb>延年舞</rb><rt>えんねんまい</rt></ruby>の似セ舞らしい。――ふるえをおびた<ruby><rb>祝歌</rb><rt>ほぎうた</rt></ruby>の歌詞が、とぎれとぎれ、高氏の耳へ流れこむ。いま、彼の感情で聞けば、怒濤の響きをなして迫ってくる。

「…………」

見るに耐えず、眼をふさいだものの、心の耳はおおうべくもない。

むごい、<ruby><rb>悪戯</rb><rt>わるさ</rt></ruby>だ。

座興とか皮肉とかの度もこえて、これは高氏への、刑罰にも値する。

「こんな悪戯の、どこが、執権の<ruby><rb>御興</rb><rt>ごきょう</rt></ruby>に入るのか。道誉がホクソ笑むところなのか」

高氏には、両者の気もちがわからない。いかに<ruby><rb>婆娑羅</rb><rt>ばさら</rt></ruby>遊びに徹したものといえ、量見がくみきれない。

だが、この皮肉な贈りものは、道誉として、よほど前々からの計画だったものだろう。――結婚前に、ふと途上で会ったときの彼のことば。また、藤夜叉を祝言の使者として大蔵へさし向けて来たなどのこと。

さらには、藤夜叉がその折「――近いうちに、もいちど、お目にかかれましょう」と、いったことなど思い合わすと、すべては、道誉の書いた筋書と、<ruby><rb>頷</rb><rt>うなず</rt></ruby>かれてくる。

その道誉は、まま自身筆を執って、田楽狂言の<ruby><rb>戯作</rb><rt>げさく</rt></ruby>をこころみたり、世に<ruby><rb>流行</rb><rt>はや</rt></ruby>らせている自作の歌謡なども多いと聞くが、なるほど、それくらいな才はあろう。彼は才能の<ruby><rb>鵺</rb><rt>ぬえ</rt></ruby>でもある。

が、鵺の意図は、果たして、これだけのものだろうか。

自分と藤夜叉とを、大宴の<ruby><rb>肴</rb><rt>さかな</rt></ruby>にして、なにも知らぬ満座をべつに、太守高時と道誉自身だけで、ひそかに、皮肉な甘味とおかしさを、舌なめずりして飲もうというだけの<ruby><rb>悪戯</rb><rt>わるさ</rt></ruby>にすぎないものか、どうか。

「いや、底意は知れぬ」

――ふと、火花のような疑いが彼の暗い<ruby><rb>酒心</rb><rt>しゅしん</rt></ruby>をかすめた。

もしや、道誉はすでに、藤夜叉のからだを、自分の夜の室にも入れているのではないか。いつか藤夜叉も、道誉の欲情になやまされているらしい嘆きをふと洩らしたこともある。

――とすれば、道誉のお抱え芸人の藤夜叉に、身の守れようわけはない。もう、とうに主人の肉欲に飼われた一片の美肉とされているのだろう。そしてその<ruby><rb>奴隷主</rb><rt>どれいぬし</rt></ruby>のムチの下には、何事も<ruby><rb>拒</rb><rt>こば</rt></ruby>めず、どんな<ruby><rb>傀儡</rb><rt>かいらい</rt></ruby>にも甘んじてなる女にされているのかもわからない。

「……ただ藤夜叉には、<ruby><rb>不知哉丸</rb><rt>いさやまる</rt></ruby>があるために、半ば、わしへも心をひかれつつ、道誉との仲は、打ち明けられずにいるのだろう。そうだ、それで解けたといえよう。――あの婆娑羅めが、わしを恋の敵手と見、恋に勝ったと誇って、独り<ruby><rb>凱歌</rb><rt>がいか</rt></ruby>しておるものに相違ない」

彼は、登子がそばにいたことも忘れていた。

世に“うつつなき人”といわれている高時よりも、彼の方が、登子の眼には、あやしまれた。登子は泣きたさを<ruby><rb>怺</rb><rt>こら</rt></ruby>えていた。

高氏の手は、その間、無性に杯を忙しくしていた。飲めど飲めど、酔も味も知らない彼であるやに見える。

すると、その顔を、とつぜん拍手と喝采のあらしが吹いた。もう藤夜叉の姿は、舞台から消えている。――いや舞台姿の彼女は、いつか高時の御前に召されて、すぐ眼のまえに来ていたのだった。

高時には、<ruby><rb>凝視</rb><rt>ぎょうし</rt></ruby>の癖がある。穴のあくほど、まじまじと人の顔を見るくせである。――台座に近う、その視線をあびて、藤夜叉は消えも入りたい風だった。いちど拝礼して、上げた面も、また、さしうつ向いたきりになった。

「道誉」

やっと、彼の眼が横へそれる。

「――<ruby><rb>艶</rb><rt>あで</rt></ruby>やかだのう。舞台で見るよりは、近々の方が、いちばい<ruby><rb>美</rb><rt>よ</rt></ruby>い」

「太守」

「なんだ」

「芸能の徒は、容姿を<ruby><rb>愛</rb><rt>め</rt></ruby>でられるのは、<ruby><rb>誉</rb><rt>ほま</rt></ruby>れとしておりません。伎芸そのものをお<ruby><rb>賞</rb><rt>ほ</rt></ruby>めつかわしていただきたいもので」

「芸は申すまでもない。したが、その上にもの<ruby><rb>花羞</rb><rt>はなはず</rt></ruby>かしさよ。藤夜叉とやら、それ、<ruby><rb>纒頭</rb><rt>はな</rt></ruby>をつかわすぞ」

と、高時は着ていた<ruby><rb>唐織</rb><rt>からおり</rt></ruby>の羽織を<ruby><rb>脱</rb><rt>と</rt></ruby>って投げ与えた。その上、手ずから杯をやって。

「<ruby><rb>眉目</rb><rt>みめ</rt></ruby>はよし、芸もよし。鎌倉の白拍子、<ruby><rb>田楽女</rb><rt>でんがくひめ</rt></ruby>数千といわるるが、かほどな者はよもおるまい。道誉はなぜ、今日まで、藤夜叉をこの高時に見せずにおいたか」

「いや、これは先頃、近江より召し寄せました者で」

「なんの、過ぐる年にも、近江田楽の花夜叉一座を、鎌倉へ連れ下って来たではないか」

「あのせつは、藤夜叉も、病気しておりましたゆえ、上覧の日には、惜しくも洩れたのでございましょう。何はともあれ、<ruby><rb>御意</rb><rt>ぎょい</rt></ruby>にかない、この道誉までが、鼻高々に存ぜられます」

「ムム気に入った。道誉」

「はっ」

「もらっておくぞ」

「え。藤夜叉を」

「問うまでもあるまい。柳営召抱えの<ruby><rb>伎座</rb><rt>ぎざ</rt></ruby>の一人として、高時の許にとどめておこう」

「太守、その儀だけは、せっかくですが、御意まかせにもなりませぬ」

「なぜ」

と、するどい。

<ruby><rb>眉間</rb><rt>みけん</rt></ruby>の<ruby><rb>鱗</rb><rt>うろこ</rt></ruby>が立つような顔に変る。

「はははは。ごきげんをそんじましたな」道誉は、あつかい馴れているらしい。かろく<ruby><rb>去</rb><rt>い</rt></ruby>なして、

「――藤夜叉の身は、道誉一存になるものでもございません」

「当人に訊けと申すか」

「当の藤夜叉とて、大いに迷い悩みましょう」

「では、たれに問えとか」

「今夜の主賓高氏に」

「高氏に？」

「されば、藤夜叉の身の抱え主はこの道誉。したが半分は、高氏の持ち物なりともいえまする。……のう、高氏どの」

――もうこのときは、高氏の全身に、かつて覚えのないほどな酒量が廻っていたのである。彼の低く崩した姿勢がすでにそれを示しており、道誉の挑戦に応ずるごとくくちびるを<ruby><rb>舐</rb><rt>な</rt></ruby>めた。

「……な、なンと仰せか。近江の<ruby><rb>婆娑羅</rb><rt>ばさら</rt></ruby>どの。も、もう一ぺんいって欲しいなあ」

居ずまいをかえかけたが、また腰をくだき、ぺたと、片手を後ろへついた。

登子は、おろおろした。

いかに無礼講でも御前である。もし執権の激怒にふれてはと、良人の袖を無意識に引く。

が、高氏はその新妻の手も払って、邪けんにいった。

「登子、まだいたのか。なぜ、さッさと退出せぬ。だ、だれが何ンと止めようが、そなたはわが妻。良人の命だ。帰れ、帰りおろうっ」

「ま。そうお叱りあるな高氏殿」

道誉は、あくまで口さがない。

「何もご存知ない北ノ方へ、そう、がみがみな仰せは自体ご無理だ。登子の君こそ、お気のどくよ」

「いらざるご<ruby><rb>斟酌</rb><rt>しんしゃく</rt></ruby>でおざる、ひとの妻に」

「げにもナ」

と、苦笑を放っておいて。

「藤夜叉、藤夜叉。――いつもそちが、ひと目拝みたいと望んでいたお<ruby><rb>二</rb><rt>ふ</rt></ruby>た方、いま眼に見せているものを、なぜ、お杯でも給われと、願って出ぬか」

「ま、お戯れにも程がある――」驚きの余り、彼女は、高時の前もわすれてさけんだ。

「ちがいます。藤夜叉は、ついぞ、そのようなこと、道誉さまに申した覚えはございません」

「まあ、よいわさ。いったのいわぬの、争いなどは」

「……でも、わたくしは」

「太守」

高時をも味方にいれて、道誉はねばねばとその<ruby><rb>悪戯</rb><rt>いたずら</rt></ruby>ごころを<ruby><rb>快楽</rb><rt>けらく</rt></ruby>するように。

「<ruby><rb>御覧</rb><rt>ごろう</rt></ruby>ぜられませ。女は、この道誉にも義理を立て、また高氏へも、すまぬ心を抱いて、あわれ二者の<ruby><rb>持</rb><rt>も</rt></ruby>ち<ruby><rb>主</rb><rt>ぬし</rt></ruby>を前に、風に悩む花かのような風情を見せておりましょうが。……なべて、美人の美の、真を<ruby><rb>露</rb><rt>あらわ</rt></ruby>に見ようとなれば、悩ませてみるか、泣かせてみるか、<ruby><rb>呵責</rb><rt>かしゃく</rt></ruby>しなければ見えてまいりませぬ」

「美人は呵責せよとの談義か」

「いちばい、色には動きを加え、露も捨て難い風情を増しまする」

「待て待て。そちの色道談義は聞きあいておるぞ。それよりは、この藤夜叉の身、いったい誰の持ちものときまるのか」

「高氏にお訊き願います。道誉としては、御献上も異議ございませぬが、高氏がどう言いますやら」

まるで奴隷主の口吻である。のみならず、新婚の登子を前に、高氏の秘をあばいて、奇を好む君侯の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">さかな</span>に供し、共に<ruby><rb>嘲</rb><rt>わら</rt></ruby>おうとでもするのらしい。

すると、やにわに、そばの大杯をつかみ取って、高氏が、

「おお、杯をつかわそう。……藤夜叉、これへ来い」

と、さし招いた。

深いわけは分らぬまでも、君側の近くにいた<ruby><rb>淡河兵庫</rb><rt>おごうひょうご</rt></ruby>、斎藤宮内、<ruby><rb>佐介五郎</rb><rt>さすけごろう</rt></ruby>そのほかも、事むずかしい<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">もつれ</span>とはさっきから見ていたので、

「すわ、何か？」

と、一瞬の酔いを皆さました。

「……いただきまする」

案外、藤夜叉は素直に、高氏のまえへ寄っていた。火と火のように、二人の眸がカチと会って燃え合った。高氏はちょっと、登子へも気がねする風ではあったが、

「藤夜叉、<ruby><rb>酌</rb><rt>つ</rt></ruby>いでつかわす。ただし、これきりの縁と思うて飲めよ」

「殿。……」

藤夜叉は、なみなみとつがれた大杯を両手に。眼にも、いっぱいな涙をためた。

「なぜ、このお杯が、これきりの御縁になるのですか」

「胸に問え」

「問うてみることはありません」

「面倒だ。いうことは何もない」

「私には、海ほども山ほどもありまする」

「聞きたくもない。はやく飲め」

「はい。……もひとつお<ruby><rb>注</rb><rt>つ</rt></ruby>ぎ給わりませ」

彼女の顔を、大杯が隠した。

注がれると、またすぐ飲みほした。

そして、三度めの杯の酒を、いきなり道誉の顔へ向って浴びせかけたのだった。とっさ、その杯を胸の下に抱いて、わっと彼女は泣き伏し、満座はあッと驚きの声をあげた。

とっさに、道誉は顔をよけていた。――ために彼女が浴びせた酒の<ruby><rb>飛沫</rb><rt>しぶき</rt></ruby>は、彼をそれて、執権高時の横顔へパッとかかった。

「アっ。……」

高時は、ぶるっと首を振って、耳の穴へ指先を入れていた。

耳へまで酒が入ったものらしい。その手で襟くびも撫でまわす。途端に何か、理由なきおかしさが、彼をくすぐッたものか、小児のようにクックッと笑いかけた。

――が、道誉は、仰天せざるをえない。

「こは、畏れ多いことを」

あわてて、自分の袖で、高時の胸やら膝を拭き廻った。近習のすべても、一せいに、

「ぶ、不礼者めが」

と、藤夜叉の姿一つを<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>まえて呶号した。そして四囲のそれに気づくと、高時もまた、怒らねばすまぬように、とつぜん、形相を一変して、

「しゃッ、<ruby><rb>女郎</rb><rt>めろう</rt></ruby>め」

と、青筋たてて、突ッ立ちあがった。

「この慮外者、甘やかせば図にのッて、天下の執権職を愚にしおったな。おのれ、手討ちにしてくりょう。<ruby><rb>呵責</rb><rt>かしゃく</rt></ruby>の美とやらを試してくれん。近習ども、藤夜叉を大庭へ引きずり出せ」

大喝と同時に、その<ruby><rb>茵</rb><rt>しとね</rt></ruby>から不意に、敏捷な犬の如く、どこへか身をひるがえした。

側臣たちは、どぎもを衝かれ、あッとわれがちに座をうごいた。いや満座百余の人々も、総立ちに<ruby><rb>起</rb><rt>た</rt></ruby>ち騒いだ。――高時はとみれば、早や<ruby><rb>細殿</rb><rt>ほそどの</rt></ruby>の<ruby><rb>長押</rb><rt>なげし</rt></ruby>に跳びつき、<ruby><rb>貝塗柄</rb><rt>かいぬりえ</rt></ruby>の<ruby><rb>薙刀</rb><rt>なぎなた</rt></ruby>を取って、それを小わきに、

「女は。女めは、どこに」

と、もとの大広間へと跳び返って来る。

高時の跳び歩くところ、酒器やら膳が音をたてて転がッた。彼自身も勢いよく突ンのめりかける、それを抱きささえ、或いは、なだめようとする近習たちの、

「あっ、おあぶない」

「太守っ、おしずまりを」

などと、うろたえ合う声々のどこかで、

「薙刀を取れ。お手の薙刀を、おあずかり申せっ」

道誉もまた、絶叫していた。

とはいえ、その道誉、その高時、側臣すべてが、昼からの深酒で、泥の如くみな大酔していた<ruby><rb>最中</rb><rt>さなか</rt></ruby>の出来事だったのだ。いわば誰ひとり正気なわけではない。

そうした席を、いや渦中を。

すばやく、大廊下の方へ、ただ一人、だだだっと駈け抜けて行った者がある。

高氏だった。

その手は、黒髪長き人を、横抱きにし、<ruby><rb>掌</rb><rt>も</rt></ruby>か<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>か、ヒラと曳いていた色も、眼にとまらなかったほどである。

<ruby><rb>登子</rb><rt>とうこ</rt></ruby>かと思えば、抱いていたのは、藤夜叉の体だった。――高氏は、<ruby><rb>角廊下</rb><rt>すみろうか</rt></ruby>まで来て、吊り燈籠の明りに、死に絶えているかのような藤夜叉の顔をしげしげ見つめた。そしていきなり白い<ruby><rb>顎</rb><rt>あご</rt></ruby>や泣いている<ruby><rb>黛</rb><rt>まゆ</rt></ruby>へ、強い<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">頬ずり</span>を降るような烈しさで与えた。

「悪かった。もう、そなたを疑うまい。すぐ<ruby><rb>三河路</rb><rt>みかわじ</rt></ruby>へ逃げて行け。不知哉丸の養われている田舎へ行って身を潜めろ。さ、捕われぬうちこそだぞ。早う行け」

しかし、藤夜叉の体は、離れもしない。<ruby><rb>潮</rb><rt>うしお</rt></ruby>のような<ruby><rb>咽</rb><rt>むせ</rt></ruby>びを上げ、夢中で何かさけんでいる。

とどろく<ruby><rb>跫音</rb><rt>あしおと</rt></ruby>を後ろに聞き、高氏は彼女の体を、大庭の闇へつき落した。そして、もとの広間へもどりかけたが、そこに高時と近習たちとの<ruby><rb>旋風</rb><rt>つむじ</rt></ruby>を見たので、あわてて舞台<ruby><rb>屏風</rb><rt>びょうぶ</rt></ruby>の蔭に潜み、やがてまた、楽屋うちへ身を<ruby><rb>這</rb><rt>は</rt></ruby>わせて、声もなく楽屋におののいていた者たちと共に、息をこらしていた。

どっと、一<ruby><rb>颯</rb><rt>さつ</rt></ruby>の魔の風が吹き落ちて来たか、にも似ている。

宴の灯はことごとく消え、<ruby><rb>華雲殿</rb><rt>げうんでん</rt></ruby>の内は、右往左往の影ばかりだった。

末席にいた諸職の<ruby><rb>工匠</rb><rt>たくみ</rt></ruby>や絵師などの<ruby><rb>輩</rb><rt>ともがら</rt></ruby>は、いつ早く、どこかへ<ruby><rb>失</rb><rt>う</rt></ruby>せたことであろう。が、近習その他は逃げもならず、暴れ狂う主君を取りしずめるのに、なだれを打っているものらしい。

何しろ、高時の手には、薙刀があった。

過失か、<ruby><rb>敢</rb><rt>あえ</rt></ruby>てか。薙刀の刃は、すでに人の血で濡れている。手がつけられない。

「どこへ隠したっ。女めを探し出せっ。――藤夜叉をどこへやったぞ」

日ごろの高時の声でもなかった。獣声にちかい、五<ruby><rb>韻</rb><rt>いん</rt></ruby>を<ruby><rb>外</rb><rt>はず</rt></ruby>れた<ruby><rb>喚</rb><rt>わめ</rt></ruby>きである。

さえぎる家臣は、見さかいもなく、薙ぎ払われ、蹴仆された。いちど、<ruby><rb>西廂</rb><rt>にしびさし</rt></ruby>から<ruby><rb>釣殿</rb><rt>つりどの</rt></ruby>までを<ruby><rb>雷鳴</rb><rt>かみなり</rt></ruby>のように暴れ廻っていた高時は、やがてまた、とって返して、

「楽屋はどこぞ」

と、舞台わきの細殿を覗き、そこの<ruby><rb>簾</rb><rt>すだれ</rt></ruby>を一<ruby><rb>閃</rb><rt>せん</rt></ruby>にバラと斬り落した。

大勢の田楽役者の男女も、まっ暗な中で、ただわななき伏していたことだろう。さっきから楽屋の内は、墓場みたいに<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しいん</span>としていた。――そこへキラと、薙刀の光が流れこんで来たのである。無理はない、キャッと一せいに、躍りあがった。

ところが、それは高時の酒狂上の発作を、つい<ruby><rb>真物</rb><rt>ほんもの</rt></ruby>の発狂沙汰にさせてしまった。――なぜなれば、むらがり立ッたものは、人間でなく、ことごとく<ruby><rb>烏天狗</rb><rt>からすてんぐ</rt></ruby>であったからだ。

これは、<ruby><rb>大和田楽</rb><rt>やまとでんがく</rt></ruby>の組と、花夜叉の組が申しあわせて、こよいの最終に“天王寺の<ruby><rb>弱法師</rb><rt>よろぼうし</rt></ruby>”と称する一法師と天狗群の<ruby><rb>大舞</rb><rt>おおまい</rt></ruby>を演ずるための扮装だった。それの出を待つうちに、この騒動とはなったのである。

だから、楽屋じゅうの驚愕もさることだったが、高時にも、彼らの悲鳴が、化け物どもの<ruby><rb>鬨</rb><rt>とき</rt></ruby>の声と聞え、またその逃げまどいが、<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>ノ<ruby><rb>怪</rb><rt>け</rt></ruby>の踊りと見えたのは、ぜひもない。

「あッ<ruby><rb>変化</rb><rt>へんげ</rt></ruby>。この変化めら」

彼の薙刀が、車のような光の輪を描く。

その手ごたえのたび、ひいッ――と聞く闇の血を幻覚の誇張のまま感じ取って、高時は例の奇声で、急に、きゃッきゃッと、笑いはじめた。あたかも、子供がトンボの群れに酔って<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">もち竿</span>でも振るようにである。その薙刀を、振り廻し振り廻し、ひとりも<ruby><rb>遁</rb><rt>のが</rt></ruby>さじとする眼つきだけには、狂いがない。

杉戸の外で、わいわいいうのは聞えるが、家臣たちも恐れて入っては来なかったし、役者たちは、恐怖の<ruby><rb>檻</rb><rt>おり</rt></ruby>を、まろび合い、重なり合って、いよいよただ、血の踊りをくり返すばかりだった。

――すると、一<ruby><rb>隅</rb><rt>ぐう</rt></ruby>から、一羽の烏天狗が起って、ずかと、高時の前に立った。と思うと、

「<ruby><rb>弱法師</rb><rt>よろぼうし</rt></ruby>。共に舞おうよ」

と、その襟がみを引っつかんでいた。<ruby><rb>手抗</rb><rt>てむか</rt></ruby>いの隙などは、与えもしない。高時の体を二、三度、ぐるぐる振り廻してから、膝の下に抑えつけた。

「田楽たち。逃げろ、逃げろ。いまのうちだぞ」

同じ扮装の天狗だが、この一天狗が、田楽仲間でなかったことは、論をまつまい。――が、高氏の声に似ていたと気づく者も、たれ一人なかったようだ。

「かっ。離せ」

異常な力だ。これが柔弱な執権どのとは思われない。――高氏もとっさに<ruby><rb>刎</rb><rt>は</rt></ruby>ね<ruby><rb>返</rb><rt>かえ</rt></ruby>されている。しかも、またすぐ、

「おのれ」

魔気のこもった薙刀で、

「<ruby><rb>変化</rb><rt>へんげ</rt></ruby>、変化、変化」

と、斬りつけて来る早技も、高時の芸には似気ないものだった。高氏は身を交わしつつ、やっと、彼の手もとをとらえ得た。――そして、その寸間に、先を争ってどろどろ逃げ出す田楽天狗の男女に<ruby><rb>尾</rb><rt>つ</rt></ruby>いて、彼もまた、すぐ高時の体を突ッ放し、すばやく外へ難を避けた。

だが、高時もとどまってはいない。

むしろ、その跳躍と薙刀のえがきは、限られた一室から、華雲殿全体の空間を持って、一躍、水をえた魚に似る。

ただ、逃げ廻る烏天狗の影は、みな一様な扮装だから、どれが高氏かは、分りそうもない。

もっとも、たったいま自分を痛めつけた者が、高氏の変装とは、乱心の高時の<ruby><rb>眸</rb><rt>ひとみ</rt></ruby>にはもとよりのこと、この渦中にある家臣誰とて、気づき得るはずはなかった。

「……登子はどうしたか？」

狂気でない高氏の方には、その気がかりもある。彼がふと、あらぬ方向へ一<ruby><rb>跳足</rb><rt>ちょうそく</rt></ruby>しかけたのは、自然だった。けれど、高時の狂刃に、木の葉の如く追い廻されている役者どもを見ては、彼女の安否も、かえりみていられず――再び逃げ舞う天狗の中に<ruby><rb>交</rb><rt>ま</rt></ruby>じって、わざと高時の狂刃を待ち構えた。そして、やおら近づくとたんに、

「弱法師、お気をたしかに」

と、高時の前に、大手をひろげて立ちふさがった。

さすが物狂いの人も、はや息を切らした<ruby><rb>態</rb><rt>てい</rt></ruby>である。「――しゃっ、推参っ」と叫んだようだが、その<ruby><rb>声音</rb><rt>こわね</rt></ruby>もカスれていたし、薙ぎ上げて来た刃にも、魔力はなかった。

高氏は、ばッと相手の肩先を<ruby><rb>撲</rb><rt>は</rt></ruby>たきつけ、彼が泳ぐところを逆に抱き止めた。そしてその姿勢のまま、大きく一呼吸したとおもうと、足もと<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しどろ</span>に舞拍子をトントンと踏み鳴らし初めたのである。おそらく高氏自身の大酒の酔も、このとき、その極に達していたのだろう。<ruby><rb>突</rb><rt>とつ</rt></ruby>として彼の口から、<ruby><rb>田楽歌</rb><rt>でんがくうた</rt></ruby>の“<ruby><rb>弱法師</rb><rt>よろぼうし</rt></ruby>”がよろよろ歌われ出していた。

――天王寺の弱法師

よろぼふし

<ruby><rb>夜々</rb><rt>よよ</rt></ruby>の通ひは<ruby><rb>何方</rb><rt>いづかた</rt></ruby>ぞ

知るまじとて

木々は知る　露は知る

<ruby><rb>如法</rb><rt>によはふ</rt></ruby>暗夜にも一<ruby><rb>眼</rb><rt>がん</rt></ruby>あり

鞍馬おろしも誘ふ

魔界<ruby><rb>外道</rb><rt>げだう</rt></ruby>の谷はここ……

ふと、うつつに返ってか、高時もすぐ日ごろ好む田楽歌の<ruby><rb>節</rb><rt>ふし</rt></ruby>に誘われ出していた。高氏の足拍子につれ、薙刀の手振りもおもしろげに、舞いつつ歌いつつ、<ruby><rb>興</rb><rt>きょう</rt></ruby>に乗って踊り狂った。

「オオ、お気がつかれた」

家臣たちは、狂喜した。<ruby><rb>憑</rb><rt>つ</rt></ruby>かれた者が憑かれた者を歓呼した。俄に、四方の闇へ向って。

「やあ、田楽の者ども。またもごきげんを損わぬうち、みなこれへ寄ッて来い。皆で舞え舞え、歌え歌え」

すると、生ける心地もなく隠れていた田楽役者たちも、そこかしこから「……おおうい」と、一せいに<ruby><rb>応</rb><rt>こた</rt></ruby>えて躍り立ち、華雲殿の<ruby><rb>屋</rb><rt>や</rt></ruby>の<ruby><rb>棟</rb><rt>むね</rt></ruby>も動くかのような妖しい<ruby><rb>諸声</rb><rt>もろごえ</rt></ruby>をここに揺り起した。

妖霊星　えうれいぼし

天王寺の

えうれいぼし

これは、ひとり高氏だけの耳に、こう聞えていたのである。弱法師と歌っている合唱が、<ruby><rb>妖霊星</rb><rt>ようれいぼし</rt></ruby>妖霊星と。

しかもこの晩には、よくよく<ruby><rb>妖</rb><rt>あや</rt></ruby>しいことが重なったとみえ、折ふし、執権御所から遠からぬ雪ノ下辺には、屋敷町の火事があった。

風はないが、火の粉のキラめきや黒けむりが、ここの大屋根の上をも、さかんに越えてゆく。

五町四方の出火のばあいは、武者所の常備兵が、ただちに動いて、執権御所の寝殿、四門、辻などを固めるのが<ruby><rb>掟</rb><rt>おきて</rt></ruby>であった。当然その夜も、<ruby><rb>甲冑</rb><rt>かっちゅう</rt></ruby>の影や馬のいななきも入り交じッて、四門の内外には、あらしのような<ruby><rb>闇騒</rb><rt>やみざい</rt></ruby>が起っていた。――しかし、ここではまったく、それもよそに。

……えうれいぼし

えうれいぼし

天王寺の妖霊星

怪異な舞と歌ごえが、なお一だんと<ruby><rb>昂</rb><rt>たか</rt></ruby>まっている。しかもその狂おしい<ruby><rb>魔宴</rb><rt>まえん</rt></ruby>の高潮を飾るかのように、<ruby><rb>大廂</rb><rt>おおびさし</rt></ruby>には火の雨すらハラハラとこぼれ降ッていた。

すると今し、その妖霊星の一ツにも似て、メラと赤い焔の翼をもった大きな火の粉の一ツが、尾を曳いて、鶴ヶ岡社頭の森へ消えこんでゆくのが眼を射た。

ふと、それに眸を吸われたものか。

高時は、舞っていた手の薙刀を、ふいに、小わきへ持ち直すと、その光芒を追っかけて、

「あッ。そこにも」

と、憑かれたように大廊下を駈けだしてゆき、とたんに、勢いよく、<ruby><rb>転</rb><rt>まろ</rt></ruby>びかけた。

その高時と共に駈けて、彼を抱きささえた家臣の二人も、かえって、彼の怪力に振りとばされた。高時は、肩を揺すって、<ruby><rb>哄笑</rb><rt>こうしょう</rt></ruby>を揚げるのだった。――と思えばまた、たちまちクルリと<ruby><rb>踵</rb><rt>きびす</rt></ruby>をめぐらして、辺りに恐れ<ruby><rb>怯</rb><rt>ひる</rt></ruby>んでいる烏天狗の群れを見すえ、それへ向って、左右の足高々と、舞拍子の一歩一歩を、踏み出して見せながら――

木々は知る

露は知る

<ruby><rb>如法</rb><rt>によはふ</rt></ruby>暗夜にも一<ruby><rb>眼</rb><rt>がん</rt></ruby>あり

と、薙刀舞もあざやかに、しかし、何十ぺんでも、同じ歌をくりかえすのだった。

……鞍馬おろしも誘ふ

魔界外道の谷はここ

<ruby><rb>恟</rb><rt>すく</rt></ruby>み<ruby><rb>足</rb><rt>あし</rt></ruby>の田楽役者たちも、ぜひなく、高時の影を<ruby><rb>繞</rb><rt>めぐ</rt></ruby>り、また、ツレ舞しては、再び踊った、踊り狂った。

だが、狂乱の人には、飽くことがない。ついには、肉体的な限界において、彼は急にバタッ――と仆れてしまった。何か少し吐いたようだ。蒼白な手はまだ、虚空にものを掻き探している。

「や、や。御失神か」

「それっ、典医を呼べっ」

主君の体をとりかこむ者、<ruby><rb>医師</rb><rt>くすし</rt></ruby>の寮へ駈け出す者、一瞬はただ黒々とのみ渦巻いた。ところが、ここに一人の烏天狗だけは、人々の狼狽ぶりをよそに、スーと抜けて、もとの酒宴の<ruby><rb>御簾座</rb><rt>みすざ</rt></ruby>の方へ、消え入るごとく走りかけた。

「待てっ、高氏」

ちらと、見つけて、追っかけたのは道誉だった。

後ろから、むずと、相手の<ruby><rb>半衣</rb><rt>はんい</rt></ruby>の羽ネをつかんで。

「執権の君の御重態を眼に見つつ、どこへ失せる。おぬしゃ高氏にちがいあるまい」

「いや、ちがう」

「では、誰だ」

「……今宵の天狗の一人」

「なんの、その声はあざむけぬ。<ruby><rb>仮面</rb><rt>めん</rt></ruby>を<ruby><rb>脱</rb><rt>と</rt></ruby>れ、足利天狗」

「むむ、そうかおぬしも、伊吹の<ruby><rb>婆娑羅</rb><rt>ばさら</rt></ruby>天狗だったな、天狗なら天狗を知るはず。<ruby><rb>角力</rb><rt>すもう</rt></ruby>しようッ、道誉」

あっと、道誉は身をくねらせたが、遅かった。高氏の手のひらが、いきなりピシッと、彼の横顔を打ったのである。のみならず、彼がよろめきを立ち直さぬ間に、その五体は、<ruby><rb>華雲殿</rb><rt>げうんでん</rt></ruby>の真ン中へ、でんと、屋鳴りするほど投げつけられていたのだった。

「……登子、登子」

天狗は後も見なかった。ただ気がかりな彼女を求めて、あなたこなたと、駈けさまよった。

## <ruby><rb>上</rb><rt>のぼ</rt></ruby>り<ruby><rb>地蔵</rb><rt>じぞう</rt></ruby>

<ruby><rb>柳営</rb><rt>りゅうえい</rt></ruby>四門は、非常の<ruby><rb>甲冑兵</rb><rt>かっちゅうへい</rt></ruby>で、ごッた返しの状だった。

「やあ、執権御所には、ご異状はない。お引返し下さい。近くの火災も、あの通り下火でおざれば」

警備の将は、声をからした。が、後から後から、参入の御家人はひきもきらない。

当時の武士習性では、

火災即乱、乱即火災

「すわ」といった心理がすぐ手伝う。

まして、執権御所の近火とあっては、<ruby><rb>六浦</rb><rt>むつら</rt></ruby>、<ruby><rb>腰越</rb><rt>こしごえ</rt></ruby>の遠くからさえ、この夜、駒にムチを当てた武士が少なくなかったことであろう。

その上にもである。この混雑に加えて、底波のような噂が揺れつたわった。

ついさっき、華雲殿から典医寮の方へ、色を失ッて駈け出して行った数名の口から洩れたことかもしれぬ。誰いうとなく、

「太守の御重態らしい」

「執権どのが、御危篤とは、ほんとか」

などと、不安めいた<ruby><rb>騒</rb><rt>ざわ</rt></ruby>めき立ちが、赤い夜空の薄れより早かった。

「さては、何かあったのか」

火を見て、兄の迎えに来ていた<ruby><rb>直義</rb><rt>ただよし</rt></ruby>は、二重の不安に、いよいよ兄高氏の身が、心もとなく思われた。

「兄は、どこに」

もう両御門の広前も探し尽していたのである。この上は、まだ華雲殿の内かもしれぬと、諸侯ノ間、侍者ノ間、<ruby><rb>石庭</rb><rt>せきてい</rt></ruby>の<ruby><rb>曲廊</rb><rt>きょくろう</rt></ruby>までを探しあるいた。すると、小御所の控え<ruby><rb>廂</rb><rt>びさし</rt></ruby>に、ひとり<ruby><rb>寂然</rb><rt>じゃくねん</rt></ruby>と坐っている女性があった。

灯影はない。半身は<ruby><rb>簾</rb><rt>す</rt></ruby>にかくれ、ただ、半身の横顔が、うッすらと、外の夜空に透いて見える。その線が、登子に似ていた。

「もしや……。そこにおいであるは、姉君ではございませぬか」

「オオ、御舎弟さまですか」

「直義です。近火はともあれ、余りな御帰館の遅さに、お迎えに来てみれば、果たして、なにか華雲殿の御宴に異事があった様子。兄上はいかがなされたでしょうか。兄はまだ御前からお退がりではないのですか」

「いいえ」

登子は、おちついた声だった。

「……殿はここにおられまする。直義さま、おすすみ遊ばしませ。さいぜんから、ようお<ruby><rb>寝</rb><rt>やす</rt></ruby>みの御容子ですから」

「えっ？　かかる場所で」

直義は坐っていた所から、膝歩きにツツツツと、簾の内へ進み入るなり、

「ど、どうしたのです、寝ているとは。……やあ、大の字なりの、この<ruby><rb>態</rb><rt>てい</rt></ruby>はまた」

唖然として、ただ見入るばかりだった。のびのびと横たわっている大きな四<ruby><rb>肢</rb><rt>し</rt></ruby>には、登子の<ruby><rb>裲襠</rb><rt>うちかけ</rt></ruby>が掛けてある。――ふと、<ruby><rb>鼾声</rb><rt>いびき</rt></ruby>がやんだのは、少しは酔いがさめかけているのかもしれない。

「これやひどい酒の匂いだ。こんな兄は見たこともない。よう姉君は御辛抱しておいででしたな」

「でも、この登子をお案じ給うて、私の身を、ここに探し当てると、もう堪らぬ、<ruby><rb>一</rb><rt>ひ</rt></ruby>ト眠りじゃと、横におなり遊ばしたのでございました。さしての御乱酔とも思えませぬ」

「して、執権殿の御前の首尾は」

「それはもう……」

と、笑いこぼして。

「どちらもどちら。天狗と天狗の<ruby><rb>御狼藉</rb><rt>ごろうぜき</rt></ruby>でございました」

直義は、あきれた。

大宴の始終、高時の物狂い、天狗騒ぎなど、それを話す登子からして、しごく平然なので、美しいこの<ruby><rb>嫂</rb><rt>あによめ</rt></ruby>の心理までが、いぶかられた。

「ではその間、あなたは、どうしておいでだったのです」

「わが<ruby><rb>夫</rb><rt>つま</rt></ruby>をおいて、ひとり帰るわけにもまいりませぬ。この<ruby><rb>小御所口</rb><rt>こごしょぐち</rt></ruby>の控えまで退がって、簾の蔭から、遠く眺めておりました」

「恐ろしくもなく？」

「それはもう、<ruby><rb>恐</rb><rt>こ</rt></ruby>おうて、<ruby><rb>恐</rb><rt>こ</rt></ruby>うて、<ruby><rb>一</rb><rt>いっ</rt></ruby>ときは、どうなるやらと、身もふるえながらに」

そうは言いながらも、登子の姿のどこにも、そんな萎縮は見えもしない。まだ小むすめともいえばいえるこの嫂は、ひょっとしたら白痴か、なにか足らないのではあるまいか。さもなくば……と、直義は思った。

「ともあれ、姉ぎみ。……いつまで、ここにいるわけにはなりませぬ。直義も手を貸しましょう。兄上を起してください」

すると、寝ていたはずの高氏が、むっくり起きて、体の上の<ruby><rb>裲襠</rb><rt>うちかけ</rt></ruby>を、登子へ返した。

「弟。案じて来てくれたのか」

「ヤ、お眼ざめだったので」

「よいここちで、そこの話を、遠くのように聞いていた。宵は地獄、深夜は極楽。いや、今日一日はおもしろかったな」

「大杯また大杯と、御辞退もせず、おかさねになられた由。なかなか、まだ酔いはお醒めになりますまい。……さ、直義の肩におつかまりください」

「つかまって、どうするのか」

「はや夜半。ともあれ、御帰邸なされては」

「ま、待て。……高氏、大酔はしたが、<ruby><rb>性</rb><rt>しょう</rt></ruby>を失ったとは思わぬ。何をやったかも覚えておる。半分は酒のしわざ、半分はこの身の本性……」

「何ンたる沙汰。お物狂いの果て、執権どのにも、御重態とか」

「あわてるな。はははは、<ruby><rb>御発作</rb><rt>ごほっさ</rt></ruby>にすぎまいぞ。十日もお<ruby><rb>臥</rb><rt>ふ</rt></ruby>せりになれば、またケロリとなされるに違いない。そうまいらぬのが、お<ruby><rb>薙刀</rb><rt>なぎなた</rt></ruby>の先にかかって怪我をした田楽役者や近習たちだ」

「まさか、兄上には」

「だいじょうぶ。酒乱はしても、狂乱はしていない。だが騒動まぎれに、高氏逃げたり、といわれては心外だし、言い開きも立たぬゆえ、寝ながらの<ruby><rb>宿直</rb><rt>とのい</rt></ruby>と腹をきめていたのだ。――おぬしが見えたのは幸いよ。登子をつれて、ひと足先に帰ってくれい」

「いや、ご一しょに退がりましょう。辻々はまだ、あの火事騒ぎ。直義にも、おきれいな嫂の保証はできません。かたがた、兄上にしても、ただここにおいでのみでは、無意味ではございませぬか」

「それも、そうか。では二人とも、小町御門の袖の外にて、わしの行くのを待っておれ」

高氏は、先にどこへか出て行った。また、その足どりは<ruby><rb>蹌踉</rb><rt>そうろう</rt></ruby>として見える。しかし高時の“常ノ御所”へ近づくと、しっかりしていた。

一室に入って、高時の<ruby><rb>侍者</rb><rt>じしゃ</rt></ruby>に会い、また典医の口から、高時の容態も聞きとった。さらに、事のついでのように、佐々木道誉の姿を求めたが「――道誉どのは、<ruby><rb>如何</rb><rt>いかが</rt></ruby>なされしか、どこにもお見えなされませぬ」との、侍たちの返辞に、

「……さらば、よろしく」

と、言いのこして、退出を告げ、やがて、二人を待たせておいた小町御門の外へ退がった。

「直義、乗物は？」

約をたがえず、二人はいたが、見れば、登子の<ruby><rb>輿</rb><rt>こし</rt></ruby>も自分の乗馬も見えぬので、高氏が訊ねたのだ。直義は答えて。

「いや、兄上たちは昼、正門の若宮御門からお入りだったはずでしょうが」

「ア、そうそう。供の者も乗物も、若宮御門の方へおいてあったのだな。――そこはまだ、火事の混雑ならんと、つい、小町御門でと口に出てしもうたが」

「ここへ、姉ぎみ一人おいても行けずと、むなしく<ruby><rb>佇</rb><rt>たたず</rt></ruby>んでいましたが、お待ち下さい。私が一ト走りして、輿の者や、<ruby><rb>駒脇</rb><rt>こまわき</rt></ruby>どもへ、小町御門の方へ廻れと、申しつけてまいりますから」

走りかけると。

「直義、それには及ばん。おぬしの駒は、それであろうが。――その馬貸せ、登子を乗せて、わしは、ぼつぼつ先へ行こうよ」

「姉ぎみと、<ruby><rb>相鞍</rb><rt>あいぐら</rt></ruby>で」

「夜半すぎだ、おかしくもあるまい」

「お<ruby><rb>睦</rb><rt>むつ</rt></ruby>まじいと、昼なれば、鎌倉じゅうが羨みましょう。では、私は、正門の方へ声をかけて、おあとよりまいりまする」

「この兄は、わがままものだな」

「なんの。いざ、どうぞ」

さきに登子を乗せ、高氏もすぐ<ruby><rb>鐙</rb><rt>あぶみ</rt></ruby>を踏む。登子は、かいどりを<ruby><rb>被衣</rb><rt>かつぎ</rt></ruby>にした。<ruby><rb>袿衣</rb><rt>うちぎ</rt></ruby>なので、横乗りに、自然、鞍つぼの良人に甘えたような<ruby><rb>姿態</rb><rt>しな</rt></ruby>になる。

なおまだ、火事場の<ruby><rb>余燼</rb><rt>よじん</rt></ruby>が空には赤く<ruby><rb>映</rb><rt>は</rt></ruby>え、町は夜も<ruby><rb>丑満</rb><rt>うしみつ</rt></ruby>を何処ともなく騒々しい。しかし、ふたりを乗せた駒音は、愉しむごとく、トボトボ行く。――<ruby><rb>宝戒寺</rb><rt>ほうかいじ</rt></ruby>の並木、<ruby><rb>滑川</rb><rt>なめりがわ</rt></ruby>の水音、大蔵への道はだんだんに暗かった。

「のう登子。今日ぞ、そなたも、あきれたであろ？」

「ええ、人々の婆娑羅には、あきれましたが」

「自分の良人には」

「驚きもいたしませぬ」

「はははは、強がらいでもいい」

「いいえ、真実」

「よくよく物驚きを知らぬ<ruby><rb>女子</rb><rt>おなご</rt></ruby>よな」

「<ruby><rb>羅刹</rb><rt>らせつ</rt></ruby>の妻でございますもの」

「……むむ」

二人は、結婚四日目の雨夜の<ruby><rb>契</rb><rt>ちぎ</rt></ruby>りを思い出していた。

しばらく、黙りあって。

「いや思えば以前、聞いていないこともなかった。赤橋どのの<ruby><rb>妹君</rb><rt>いもぎみ</rt></ruby>は、いかなる人へ嫁ぐであろう。あの<ruby><rb>女性</rb><rt>にょしょう</rt></ruby>を末始終よう持つほどな者は、鎌倉御家人あまたな中にもあるまいが、もしあれば、その男の顔見たいと」

「そのような蔭口、殿もお耳になされましたか」

「その男が、わしだった。――降るほどな縁談、みな<ruby><rb>拒</rb><rt>こば</rt></ruby>んでいたそなたが、<ruby><rb>選</rb><rt>よ</rt></ruby>りによってと、笑われたはずよ」

「いといませぬ。さまざま人は申しまする。この私を、古い平家の<ruby><rb>女人</rb><rt>にょにん</rt></ruby>や平安の<ruby><rb>女性</rb><rt>にょしょう</rt></ruby>に比して、鎌倉の世が<ruby><rb>鋳</rb><rt>い</rt></ruby>て生んだ鎌倉型の女子じゃなぞとも」

「そりゃ、<ruby><rb>中</rb><rt>あた</rt></ruby>っている」

「ま、殿までが」

それきり二人の声もしない。折々、石にひびく<ruby><rb>蹄</rb><rt>ひづめ</rt></ruby>と、滑川の暗い川音だけがつづく。

すると、後から、追っかけ足が、<ruby><rb>松明</rb><rt>たいまつ</rt></ruby>、<ruby><rb>空輿</rb><rt>からごし</rt></ruby>、馬上の人影などが、近づいて来た。すれすれに側を駈け抜けて行くのを見ると、それは直義たちだった。

直義はふり向いて、<ruby><rb>相鞍</rb><rt>あいぐら</rt></ruby>の二人へ言った。

「やあ、先駈け御免。……お<ruby><rb>二</rb><rt>ふ</rt></ruby>た<ruby><rb>方</rb><rt>かた</rt></ruby>、ごゆるりと」

――執権御不例

と一般にまで、高時の病が<ruby><rb>公</rb><rt>おおやけ</rt></ruby>にされたのは、かなり日を<ruby><rb>経</rb><rt>へ</rt></ruby>てからだった。

なぜか、それまでは、<ruby><rb>華雲殿</rb><rt>げうんでん</rt></ruby>のらちゃくちゃない騒動もくるめて、柳営はこれを、秘していた。

「困ったもの」

と、眉をひそめ合って、当夜の聞取りやら、善処に当った重臣の意が、さしずめ、そこに帰したのだろう。

世上への外聞もまずい。

内には、綱紀の<ruby><rb>頽廃</rb><rt>たいはい</rt></ruby>を招こう。

従来とて、高時の風狂的発作は一再でないが、おちついた後は、月余で常態に復している。こんどは前例にないお物狂いであったが、やがては御本復を仰ぐに相違あるまい。「……天下多事のさい、かかる御風狂沙汰は、都への風聞もいかがなものか。まずまず秘しおくに<ruby><rb>如</rb><rt>し</rt></ruby>くはなし」というのが、一致した意見であったかと思われる。

ところが、その後。

鎌倉<ruby><rb>童</rb><rt>わらべ</rt></ruby>の遊戯に“天狗遊び”とよぶものが流行り出していた。たそがれ頃の辻々ではよく見かけるのである。<ruby><rb>小</rb><rt>ち</rt></ruby>ッこい<ruby><rb>洟</rb><rt>はな</rt></ruby>タレ天狗や皮膚病天狗が、手に<ruby><rb>笹</rb><rt>ささ</rt></ruby>の枝を打振り打振り、口々に、

……えうれい星

えうれい星

<ruby><rb>怪雲殿</rb><rt>けうんでん</rt></ruby>の

えうれい星

と、歌うのだった。しかも声のありッたけ、歌い狂い、舞い狂い、往来の女衆には悪さをするし、街の迷惑などもかまッたものではない。大人たちが、防衛のため、大喝したり、水でもぶッかけると、むしろ彼らは<ruby><rb>本懐</rb><rt>ほんかい</rt></ruby>な気分にでもなるのか、一そう狂舞の図を描いて、

天知る

地知る

天狗知る

魔界<ruby><rb>外道</rb><rt>げだう</rt></ruby>は

火のくるしみ

水くれ　水くれ

水をくれーいッ

と、絶叫をくりかえし、その果て、わアッと<ruby><rb>囃</rb><rt>はや</rt></ruby>して逃げ出すのである。

いったい、こんな童戯が<ruby><rb>流行</rb><rt>はや</rt></ruby>り出した根元は何なのか。たれが彼らに教えたのか。

いや、現象を見てからの、そんな、せんさくなどは愚にちかい。上が下へ<ruby><rb>映</rb><rt>うつ</rt></ruby>るのは、月と露、雲と地の<ruby><rb>翳</rb><rt>かげ</rt></ruby>り。なんの不思議もないことだ。民の<ruby><rb>諷謡</rb><rt>ふうよう</rt></ruby>は、自然に湧くものだとは、唐宋の古史もいっている。なにも知らないはずの民土の耳目ほど、何でも知っているものはない。

が、往々には、誤まった、いわゆる巷説もよく<ruby><rb>弄</rb><rt>もてあそ</rt></ruby>ばれる。たとえば、近来の「……執権どのは、先ごろ、天狗に<ruby><rb>憑</rb><rt>つ</rt></ruby>かれて御他界されたそうな」などは、その<ruby><rb>類</rb><rt>たぐい</rt></ruby>であった。――当然な幕府要路の関心が、

「こは、捨ておけず」

となって、俄に、御不例と公表したのは、手おくれにせよ、一般の疑惑をとくに、多少の効はなくもなかった。

しかし、こんどに限っては、以後なかなか御全快披露目の触れもない。年の末、十一月下旬、高時の子、<ruby><rb>万寿麻呂</rb><rt>ますまろ</rt></ruby>の出生があって、その祝いはあったが、お床払いとは、ついに聞えず仕舞いであった。

ところで、高氏の方だが。

柳営の諸事情が、彼には幸いしていたものか、華雲殿の件は不問のまま、その年を越え、彼のぶらり駒は、依然何の<ruby><rb>変哲</rb><rt>へんてつ</rt></ruby>もなく、武者所の門へ折々通っていた。

七里ヶ浜の“大馬揃い”は、恒例、正月二十日だった。

これは壮観をきわめる。

武権鎌倉の府の強兵幾万、なお健在なるかを、この日には、思わせる。

“うつつなき人”高時の下でも、俗に七<ruby><rb>座</rb><rt>ざ</rt></ruby>とよぶ、<ruby><rb>米座</rb><rt>こめざ</rt></ruby>、塩座、油座、銅座、絹座、魚座、材木座などの問屋経済の基盤やら、また、一令これぐらいな軍はいつも動かしうる実力あっての鎌倉幕府なので、田楽や白拍子や闘犬や、それらの遊戯<ruby><rb>三昧</rb><rt>ざんまい</rt></ruby>のみで、<ruby><rb>万戸</rb><rt>ばんこ</rt></ruby>の<ruby><rb>炊煙</rb><rt>すいえん</rt></ruby>が賑わっていたわけではない。

御家人にしても、またそうだ。

高時好みの細太刀を<ruby><rb>佩</rb><rt>は</rt></ruby>いて、忍び<ruby><rb>香</rb><rt>こう</rt></ruby>をプンとさせ、良馬は飼わぬが闘犬をつなぎ、田楽修行も忠勤と放言したり、<ruby><rb>仮粧坂</rb><rt>けわいざか</rt></ruby>や大磯小磯の<ruby><rb>妓</rb><rt>おんな</rt></ruby>の品さだめに<ruby><rb>通</rb><rt>つう</rt></ruby>を誇る――といったふうな武士のみが、あふれていたのでも決してない。

むしろ、数は逆である。

日ごろ、彼らの浮華に反目して、古風を頑守し、本来の気風と弓取の面目を失うまじとしている武士もまた多かったのだ。さもなくば、北条九代の末が、一日の戒令にせよ、ともかくも支配の地位を、今日に保っていられるわけもなかった。

「その<ruby><rb>実証</rb><rt>しるし</rt></ruby>を、眼にも見よ」

と、平常、肩身せばめている<ruby><rb>輩</rb><rt>やから</rt></ruby>が、伝来のよろい具足に陽の目をみせ、秘蔵の馬にまたがって、霞のごとき布陣をなし、“<ruby><rb>調馬</rb><rt>ちょうば</rt></ruby>始め”“弓始め”などの武風を競い合うのが、つまり<ruby><rb>初春</rb><rt>はる</rt></ruby>は二十日の七里ヶ浜大馬揃いなのである。

各家の紋を打った幕舎やら、それぞれの旗じるし、駒つなぎ。

それが、<ruby><rb>浦曲</rb><rt>うらわ</rt></ruby>と磯松のつづくかぎりにつづき、海上には船手の旗のぼりも望まれる。

この日、足利家の兄弟も、もちろん家の子郎党を<ruby><rb>具</rb><rt>ぐ</rt></ruby>して、一劃の紋幕を<ruby><rb>占</rb><rt>し</rt></ruby>めていた。

「十郎、兄上はどうした」

<ruby><rb>幔幕</rb><rt>とばり</rt></ruby>をうしろの<ruby><rb>床几</rb><rt>しょうぎ</rt></ruby>に腰かけて、直義が、<ruby><rb>屯</rb><rt>たむろ</rt></ruby>の佐野十郎を振向いての言。

「はっ。殿にはまだ、御指揮の大将方と共に、お<ruby><rb>櫓</rb><rt>やぐら</rt></ruby>の上ではございませぬか」

「そんなわけはない。貝始めの式はすみ、はや大将方も、<ruby><rb>龍</rb><rt>たつ</rt></ruby>ノ<ruby><rb>口</rb><rt>くち</rt></ruby>の勝負馬場の方に移っておる。見い、あのどよめき声がそれだ」

「それでは、彼方へお渡りかもしれませぬな」

「駒は、お曳きか」

「<ruby><rb>御厨</rb><rt>みくりや</rt></ruby>ノ伝次、お曳き申し上げたようです」

「弓は」

「お弓は、人見新助へお持たせあって」

「やはりそうか。……やれまた、心もとないぞ。十郎、殿の様子を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかご</rt></ruby>うて来い。模様によっては、直義もすぐまいる」

さっきから、眉くもらせて、何かそぞろな直義だった。

彼のそんな気がかりは、なぜかといえば、ゆうべ佐々木道誉から兄高氏へ、意外な<ruby><rb>文使</rb><rt>ふづか</rt></ruby>いがあったのである。

――<ruby><rb>扨々</rb><rt>さてさて</rt></ruby>、御不音ひさし。その後は、侘びられつつも、華雲殿このかた、拝面の機もめぐまれず、遺憾しごく。

ついては明日、<ruby><rb>曠</rb><rt>は</rt></ruby>れの場を用ゐ、馬上<ruby><rb>帯弓</rb><rt>たいきゅう</rt></ruby>の<ruby><rb>装</rb><rt>よそほ</rt></ruby>ひにて、久々の御あいさつ申さむとこそ存ずれ。お覚悟いかに。

闇の<ruby><rb>角力</rb><rt>すまう</rt></ruby>は味気なきもの。弓取りは弓取りらしく、<ruby><rb>白日下</rb><rt>はくじつか</rt></ruby>にての見参せむ。

伊吹てんぐ

足利てんぐ殿<ruby><rb>御侍者</rb><rt>ごじしゃ</rt></ruby>

ゆうべ、道誉からの文使いをうけた折、高氏はその手紙を、直義にも見せ「これ見ろ、なんと女みたいな筆蹟ではないか。あの婆娑羅が」と、ただ笑った。

兄には、なんの感情の揺れもないが、直義は読んで腹が立った。

なるほど筆蹟は見事だが、その文意たるや、驕慢な<ruby><rb>揶揄</rb><rt>やゆ</rt></ruby>である。兄高氏への、挑戦状にほかならない。

馬上帯弓の上で御あいさつ申さむ――とある大言ぶりも、自信満々だ。多芸な道誉が、<ruby><rb>犬追物</rb><rt>いぬおうもの</rt></ruby>や<ruby><rb>騎射競</rb><rt>きしゃくら</rt></ruby>べにも上手なのは、聞えている。

その道誉として。

いつか、華雲殿の闇で、兄に叩きつけられた不覚は、到底、忘れえない恨事であろう。以後、あの件については、道誉も一切、その鬱憤や風当りらしきものを、向けても来ず、他へも洩らした形跡はないが、いまは読めた。<ruby><rb>彼奴</rb><rt>きゃつ</rt></ruby>め、復讐の機を待っていたのだ。――と直義は考える。

必定、万人環視の<ruby><rb>曠</rb><rt>は</rt></ruby>れの場で、意趣を晴らさんとする腹だろう。そこで直義は「……どうなさいます？　兄上」と、兄の顔を窺った。すると高氏は、弟の心配すらも、小うるさく感じたのか、ぶッきら棒に「彼から、ごあいさつをするといって来たまでだ。どうも、こうもあるまい」と――。これが、前夜のこと。

今日となっては。

七里ヶ浜大馬揃いの盛観の中にあって、直義もゆうべのことなど、行事の指揮に、思い出すひまもなかった。

が今、床几で一ト息ついた間に、ちらと、不安にかすめられたので、佐野十郎を馬場の方へ見せにやったわけだが、

「はて、いかにせし？」

その十郎も、なかなか戻って来ないのである。

陣の行事も<ruby><rb>種々</rb><rt>さまざま</rt></ruby>すんで、片瀬川から龍ノ口へかけての野原では、さっきから競射が行われていた。<ruby><rb>徒士</rb><rt>かち</rt></ruby>の<ruby><rb>矢数</rb><rt>やかず</rt></ruby>、馬上の<ruby><rb>射懸</rb><rt>いか</rt></ruby>け、騎兵群の乱取り、一騎駈け勝負など、調武あり試合あり、武者所の豪や、各家選抜の勇が、名を競うものだった。

ことしは、高時が病中で上覧<ruby><rb>桟敷</rb><rt>さじき</rt></ruby>はさびしいが、北条一門、<ruby><rb>執権代</rb><rt>しっけんだい</rt></ruby>、連署、<ruby><rb>引付衆</rb><rt>ひきつけしゅう</rt></ruby>などの歴々の顔は欠けまい。――そして、佐々木道誉も来ていよう。……直義の不安は、だんだんに増していた。

「なにせい、<ruby><rb>曠</rb><rt>は</rt></ruby>れの人中というと、いつもヘマやら大事を起され勝ちな兄上だし……」

何となく、彼の先入主は拭いきれない。

かつての鳥合ヶ原では闘犬と取っ組み、華雲殿では不敵な酒狂沙汰を振舞ったらしい。またぞろ、その兄が道誉の挑みに乗って、取返しのつかぬ醜態でも演じなければよいが。

もしまた、道誉との騎射競べに勝ち得るとしても、先の宿怨を深めるだけで、将来のためには、よろこべたことではあるまい。

「ああ、将来……」

兄弟には、ひそかに期するものがあるはずではないか。その兄が、と直義には憂えられもし、疑われ出しても来る。

――すると、まもなく、彼は彼方に意外な二人連れを見出し、我ともなく床几を立った。

兄高氏と佐々木道誉が、駒を並べて、何か談笑しつつ<ruby><rb>此方</rb><rt>こなた</rt></ruby>へ来るのだった。いずれも、この日は鎧だが、とくに道誉の、鉢金打った<ruby><rb>風折烏帽子</rb><rt>かざおりえぼし</rt></ruby>に、彼らしい派手好みな<ruby><rb>陣装</rb><rt>じんよそお</rt></ruby>いは、ひと目で彼と、すぐ分る。

わけがわからぬままにも、直義はすぐ、兄と道誉の二騎の前へ、駈け寄っていた。

「兄上、郎党たちは」

「あとよりまいろう」

「佐野十郎には」

「会わぬ。何か、火急か」

「いやべつに」

兄との会話は、そこで、ぷつりと切って、不承不承に、連れの道誉の馬上へも、形式的に<ruby><rb>頭</rb><rt>ず</rt></ruby>を下げた。

「佐々木殿か。まずは、馬揃いも事なく相すみ、同慶にぞんじまする」

「オ。御舎弟だったの」

道誉は、高氏の横顔へ、チラと訊ねてからまた直義の面をじっと見入っている。

「直義どの」

「なんだ」

つい、反感が<ruby><rb>迸</rb><rt>ほとば</rt></ruby>しった。

だが道誉の方には、こたえもしない。頬の<ruby><rb>黒子</rb><rt>ほくろ</rt></ruby>はニュッと笑う。

「む。なかなかよい弟御だ。兄思いだわ。ひそかにお案じだったとみゆるよ。ハハハハ、いや、昨夜のそれがしよりの<ruby><rb>文使</rb><rt>ふづか</rt></ruby>いでは、それも道理か」

「……？」

直義は、<ruby><rb>迷</rb><rt>は</rt></ruby>ぐらかされた思いである。睨みつける意識で、ぐっと睨みすえた。

そのまに、傍らの高氏は自分の駒を降りていた。「……直義、ちょっと、こなたへ」と眼でさしまねいて<ruby><rb>陣幕</rb><rt>とばり</rt></ruby>の内へ入って行く。ついて行くと、二つの床几を分けあって、兄は<ruby><rb>諭</rb><rt>さと</rt></ruby>すが如く弟へ言った。

「怒るな。色になど出して」

「はっ」

「事はなかった。なかったのだ何事も。それならよかろう」

「よくはありません。ゆうべ道誉が文使いで、物々しゅう、今日の<ruby><rb>曠</rb><rt>は</rt></ruby>れの場でごあいさつ致さんと挑んできた騎射試合は、どうなったのです。よも、彼の<ruby><rb>誘</rb><rt>おび</rt></ruby>きに乗ったわけではございますまいな」

「いや、わしは立合うつもりだった。彼は騎射の上手。高氏はここ両三年、とんと武技の修練には遠ざかっておるから、結果は、負けるだろうが……。負けたら、道誉の腹も<ruby><rb>癒</rb><rt>い</rt></ruby>えようし、笑わるるもまた、損ではなかろうと考えてな」

「恥をも、お覚悟で」

「そうだ」

「直義には推し<ruby><rb>量</rb><rt>はか</rt></ruby>れぬこと。笑われるのが、何のお徳か」

「まア聞け。ともかく<ruby><rb>御厨</rb><rt>みくりや</rt></ruby>ノ伝次に駒を曳かせ、人見新助に弓持たせて、<ruby><rb>龍</rb><rt>たつ</rt></ruby>ノ<ruby><rb>口</rb><rt>くち</rt></ruby>木戸の奉行ノ<ruby><rb>簿</rb><rt>ぼ</rt></ruby>に、試合の申し出でをせんとまいッてみると、果たして、道誉が先に待っておった」

「そして？」

「道誉が何といったと思う」

「わかりませぬなあ」

「わしを見ると、<ruby><rb>莞爾</rb><rt>かんじ</rt></ruby>として一笑した。手をさし伸べて、わしの手を握り……、やあ高氏どの、本気で来たか、昨夜の文は、酔余の<ruby><rb>洒落文</rb><rt>しゃれぶみ</rt></ruby>、筆遊びに<ruby><rb>認</rb><rt>したた</rt></ruby>めたもの……。まことの挑戦状なら、何であのように<ruby><rb>艶</rb><rt>つや</rt></ruby>めかして書こうぞ。それとお<ruby><rb>判</rb><rt>はん</rt></ruby>じがつかなんだとは、さても婆娑羅を知らぬ一徹な<ruby><rb>御仁</rb><rt>ごじん</rt></ruby>かな――と、また腹を抱えて笑いおった」

「何、あれが、洒落文ですと」

「見事まず、こちらの<ruby><rb>弓弦</rb><rt>ゆづる</rt></ruby>を引っ<ruby><rb>外</rb><rt>ぱず</rt></ruby>されたような心地」

「狐め。ばさら狐だ」

「いや、そのあと、いんぎんに<ruby><rb>爾来</rb><rt>じらい</rt></ruby>の不沙汰を真顔で詫び、折入ってのお話もあれば、今日の帰りを曲げて、ぜひ、道誉の<ruby><rb>積良</rb><rt>つむら</rt></ruby>ノ別亭まで、お立寄り願われまいかという、あいさつ」

「ははあ、それで駒を並べて」

「まずは、そんな仔細」

「ちッ、馬鹿気ている！」

直義は、もう耳もかさない。

弟の、弟らしい<ruby><rb>気色</rb><rt>けしき</rt></ruby>ばンだ反撥ぶりを、高氏は微笑に見つつ、<ruby><rb>下</rb><rt>し</rt></ruby>タ<ruby><rb>手</rb><rt>て</rt></ruby>に言った。

「まあ、さように<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">くさす</span>な直義。ばさらにはばさらの取柄もある。道誉とて、当代少ない一人物だ。あの才能やら変通自在な妙所は、この高氏にはないものだけに魅力がある」

「そうでしょう、<ruby><rb>河豚</rb><rt>ふぐ</rt></ruby>は美味い、だがその毒では人も死ぬ」

「毒は捨て、美肉だけを、味わえばいい」

「<ruby><rb>蘇東坡</rb><rt>そとうば</rt></ruby>は犬へくれました」

「高氏は賢人とちがう」

「では……」と、直義は、あらわに感情を<ruby><rb>弾</rb><rt>はず</rt></ruby>ませて――

「どうしても、道誉の誘いにまかせて、今日のお帰り途を、<ruby><rb>彼奴</rb><rt>きゃつ</rt></ruby>の<ruby><rb>積良</rb><rt>つむら</rt></ruby>ノ別亭とかへ、お立寄りなされますか」

「行くと、約して、ここまで同道して来たこと――。おぬしは、郎党をまとめて、浜奉行の引揚ゲ貝と共に、ここの<ruby><rb>陣幕</rb><rt>とばり</rt></ruby>を払い、先へ府内へ帰ってくれい」

「そんな御指揮代りは、いとやすい勤めですが、しかし……直義には、御量見が知れませぬ」

「なぜ」

「思うてもごらんなされ。かつて兄上が、忍び上洛のお帰りに、ふと<ruby><rb>彼奴</rb><rt>きゃつ</rt></ruby>の伊吹ノ城へ誘われてから、以後、<ruby><rb>今日</rb><rt>こんにち</rt></ruby>までの苦い思い出の数々を。――道誉のためには、いかほど、心外な目に遭ったり、<ruby><rb>弄</rb><rt>もてあそ</rt></ruby>ばれたりして来たかしれますまいに」

「そうだったなあ」

「と、仰っしゃりつつ、またもや彼奴の<ruby><rb>術</rb><rt>て</rt></ruby>に乗るなどは」

「案じるな。乗っても、こちらは露の玉、芋の葉の上で、コロコロ遊んでいるぶんには、つかみどころもあるまいが」

「兄上っ」

「ほ。目に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かど</span>立てたな」

「兄上までが、ばさらな言い方、<ruby><rb>業腹</rb><rt>ごうはら</rt></ruby>も煮えましょう。一体、道誉が自分の別亭へ、兄上を誘うなどは、そもそも<ruby><rb>解</rb><rt>げ</rt></ruby>せぬ底意です。彼奴に、どんな用談があると申しておるのですか」

「そこは、わからぬ」

「直義も同道いたしましょう。何やら、安心なりませぬ」

「よせ。そのような<ruby><rb>出洒張</rb><rt>でしゃば</rt></ruby>りは」

「お供もなりませぬか」

「おぬしには、後を頼む。――オオ、――道誉も外で<ruby><rb>欠伸</rb><rt>あくび</rt></ruby>を催していよう。直義、あとの諸事をたのんだぞ」

高氏は床几を<ruby><rb>起</rb><rt>た</rt></ruby>った。

幕舎の隅へ眼をやって、そこのよろい<ruby><rb>櫃</rb><rt>びつ</rt></ruby>、衣裳箱などの前に立ち、大鎧を解いて、腹巻、陣座羽織の軽装にあらためている。――直義はもう黙って、兄の着がえを、後ろから手つだった。

「行って来る」

すぐ、<ruby><rb>陣幕</rb><rt>とばり</rt></ruby>を巡って大股に外へ出て行く。そして、さっきから馬上のままで待っていた佐々木道誉へ、

「やあ、お待たせした」

と、声をかけた。その高氏には全然なんのこだわりも見えない。共に、<ruby><rb>鞍上</rb><rt>あんじょう</rt></ruby>の人となり、手綱をならべて、はや行きかける。

直義は、ぜひなげだったが、道誉へも聞えよがしに、わざと、その背へ向って、

「兄上っ――」

と、もいちど呼んだ。

「お後からすぐ、人見新助、御厨ノ伝次、佐野十郎など、いつものお<ruby><rb>供輩</rb><rt>ともばら</rt></ruby>をつかわしまする。御帰邸もなるべく、夜に入らぬうちに。そして、御酒も余りにはお過ごし下さいますな。供の家来どもが、泣きますから」

道誉の“<ruby><rb>積良</rb><rt>つむら</rt></ruby>ノ別亭”とは、彼がしばしば近江から鎌倉入りする前日の支度屋敷あるいは休息屋敷ともいうべきものだが、何事にも<ruby><rb>凝</rb><rt>こ</rt></ruby>り性な彼、丘の景勝に<ruby><rb>倚</rb><rt>よ</rt></ruby>って、富士の眺めを取りいれ、やはり<ruby><rb>数寄</rb><rt>すき</rt></ruby>をこらしたもの。

ここへ、おととい頃から、旅装を解いた客があった。海道沿いの便利な地だし、社交家の道誉とて、<ruby><rb>往還</rb><rt>おうかん</rt></ruby>に立ちよる客は常に多いが、この泊り客へも、歓待いたらざるなく、きのう今日、道誉が不在中には、遊女めいた女たちが<ruby><rb>主</rb><rt>あるじ</rt></ruby>に代って、客の<ruby><rb>不聊</rb><rt>ぶりょう</rt></ruby>をなぐさめていた。

客は、新田義貞だった。

都で二年余の禁門大番をつとめおえ、まずは執権高時の御病気伺いなどもすまし、それから郷里<ruby><rb>上野</rb><rt>こうずけ</rt></ruby>ノ<ruby><rb>世良田</rb><rt>せらだ</rt></ruby>へ帰ろうという急がぬ<ruby><rb>解番</rb><rt>げばん</rt></ruby>のからだなので、つい引きとめられていたらしい。

一つには、折ふし、大馬揃いの前日とも聞えていた。で、そんなさいに<ruby><rb>入府</rb><rt>にゅうぶ</rt></ruby>してもと、義貞も、腰をすえたのだろうが、さらには道誉がまた、

「当日には、ほど近い七里ヶ浜より、高氏どのを<ruby><rb>拉</rb><rt>らっ</rt></ruby>し<ruby><rb>来</rb><rt>きた</rt></ruby>って、一別以来の御両所に、ここで打ち溶けてもらいたいもの」

などと、いい残して出て行ったことにも、義貞は幾ぶん心をひかれていた。しかし、果たして高氏が、来るか否か。

「……おそらく来まい」

自分にひきくらべて、義貞はそう思った。

高氏とは、<ruby><rb>問注所</rb><rt>もんちゅうじょ</rt></ruby>の対決以来、会っていない。

あの直後。――自分は大番に<ruby><rb>上</rb><rt>のぼ</rt></ruby>り、高氏は鎌倉にとどまり、彼の消息も、噂だけには聞いているが、今では、赤橋殿の妹を<ruby><rb>娶</rb><rt>もら</rt></ruby>って、北条一門の歴々に列している足利だ。以前の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">足利とんぼ</span>の一領主ではない。義貞が待つと聞けば、なおさら来まい――と、彼には、半ば期待もされなかった。

ところが、七里ヶ浜のその日、<ruby><rb>午</rb><rt>ひる</rt></ruby>さがり頃。

道誉は自身、高氏を伴って、何の触れもなく、義貞のいた奥の書院へ案内して来たものである。

「やっ。新田か」

高氏には、義貞の姿が、不意だったらしい。ふと、立ち入りかねた足もとだった。

「オオ、足利よな」

義貞があわてたのは、ちと意味がちがう。

彼の膝には、ゆうべからの<ruby><rb>仮粧坂</rb><rt>けわいざか</rt></ruby>の女がしなだれかかっていたし、昼酒の杯盤なども、ちらかっていた。

義貞は、こんな行状を、ひとには見られたくない<ruby><rb>性</rb><rt>たち</rt></ruby>だった。ましてや高氏にはである。いそいで座をあらためる彼に、女などは、けがらわしきものみたいに、振り<ruby><rb>退</rb><rt>の</rt></ruby>けられた。

「これや、御亭主には、おひとが悪いぞ。触れもなく、不意に余人をお通しあるとは」

「はははは。だが新田どの、それくらいは、ゆるされい。――<ruby><rb>御覧</rb><rt>ごろう</rt></ruby>ぜよ、高氏どのは、もっと呆れ顔だ。じつ申せば、ここの廊口まで、高氏どのには、何も明かしてなかったのだ。どうです！　かかる不意な<ruby><rb>一会</rb><rt>いちえ</rt></ruby>もまた、愉快ではあるまいか」

彼は、ひとりで自己の作為を愉しんでいう。そして、いたたまれずに退がろうとする義貞の女へまで。

「これこれ、隠れることはない。すぐ酒宴にしよう。彼方へ席をかえよと、みなへ申せ」

あらためた宴の席では、いながら夕富士が望まれた。

何かと、亭主役の心入れを見せながら、道誉は、<ruby><rb>執</rb><rt>と</rt></ruby>りもち顔にいった。

「それがしは近江だが、御両所には領地隣りだ。事あらば、<ruby><rb>唇歯</rb><rt>しんし</rt></ruby>の<ruby><rb>仲</rb><rt>なか</rt></ruby>となって扶け合わねば両立しえぬお立場にある。過去一切は水にながして、心からお親しゅうして行かれたいもの」

高氏とて義貞とて、それに異存のあろうはずはない。

「いや、仰せまでもなく」

互いに、杯をあげて、ほほ笑みを見せあった。

いわれてみれば、往年の確執も、問注所の対決で、解決した形ではあったが、相互の胸のうちまで、きれいに、うち<ruby><rb>溶</rb><rt>と</rt></ruby>けていたわけではない。

その後も、<ruby><rb>下野国</rb><rt>しもつけ</rt></ruby>における新田、足利間の小ゼリあいは、何かと、鎌倉表には聞えていた。

――だからそのことを、道誉が真に憂えてくれての扱いなら、この一会は、高氏義貞にとっては、願うてもない<ruby><rb>邂逅</rb><rt>かいこう</rt></ruby>の機を作ってくれたものとして、彼の好意を、大いに多として謝さなければなるまい。

だが、道誉の真意がどこにあるかは、高氏には全くつかまれていなかった。身は、芋の葉の露と<ruby><rb>観</rb><rt>かん</rt></ruby>じて遊んではいるが、しかしその辺には、高氏も腹に一線の警戒をおいている。

同様に。

義貞の容子にも、どこやら道誉の言を、そのままには受けとってない<ruby><rb>節</rb><rt>ふし</rt></ruby>がみえた。――かつまた、義貞の性情として、高氏との対立感を、おいそれとは、除き切れないところもあった。いッそくだけて、自分の裸を見せよう代りに、相手の赤裸も見ようとは、望みもしない。

――むしろ、高氏と同座している限りは、世良田源氏、新田小太郎義貞たるものを、あくまでくずさず、固執しているらしい風さえある。

で。めずらしく、<ruby><rb>積良</rb><rt>つむら</rt></ruby>の一<ruby><rb>夕</rb><rt>せき</rt></ruby>は、清遊であった。

自然、話はかたく、女たちも、座に消えがちで、君子の<ruby><rb>小酌</rb><rt>しょうしゃく</rt></ruby>にならざるをえない。

「ときに、執権どのの御不例もだいぶお久しいようですが」

義貞が、静かな口調で、訊ねたのである。

「都においても、さまざま臆測が行われていますが、ほんとのところ、近ごろの御容体は<ruby><rb>如何</rb><rt>いかが</rt></ruby>なのでございますか」

その問いに、道誉は急に、声をひそめた。

「じつ申せば、日は<ruby><rb>経</rb><rt>へ</rt></ruby>ても、いっこう御本復のていは見えぬ。……また、ここだけの秘語でおざるが、どうも今度は、たとえお<ruby><rb>床上</rb><rt>とこあ</rt></ruby>げの後も、執権ノ座に御在職はいかがといわれ、内々、<ruby><rb>御代</rb><rt>ごだい</rt></ruby>がわりの議すら起っておる」

ちらっと高氏の横顔を見て。

「そこで当然、次代の執権職は、誰かとなるが、御一族中では、赤橋守時殿などが、最も望みを<ruby><rb>嘱</rb><rt>しょく</rt></ruby>せられておる。……もし赤橋殿が、次の執権職と定まれば、申すまでもなく、高氏どのは、一躍、執権職のおん<ruby><rb>義弟君</rb><rt>おととぎみ</rt></ruby>と仰がれるわけ……。いや、えらい御栄達が目に見えておる」

当の高氏よりも、この話は、義貞の気色を、妙に<ruby><rb>騒</rb><rt>ざわ</rt></ruby>めかせた。義貞の<ruby><rb>嫉</rb><rt>ねた</rt></ruby>みが眼いろに出た。酒も冷えた。――が、まもなく、高氏は、弟直義が向けてよこした迎えの郎党が、来たのを<ruby><rb>機</rb><rt>しお</rt></ruby>に、あっさり、積良ノ別亭を辞して出た。

まだ赤富士が、夕空に見えた。

夕から夜へかけて、高氏は、供の郎党たちと共に、鎌倉府内へさして帰る途々、馬上の黙想は、いつか、道誉一人のことに、とらわれていた。

道誉、佐々木道誉。

自分にとって、こんな妙な、ニガ手な存在はないと思う。

「彼こそ、当代、婆娑羅者といわるる者の代表だ」

と、分ったような心得でいるが、事しばしば、彼との交渉になると、さて、分らない<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">だらけ</span>になって来るのである。

二人の間には、いつも一匹の<ruby><rb>蜘蛛</rb><rt>くも</rt></ruby>がいて、目に見えない運命の糸に<ruby><rb>縢</rb><rt>かが</rt></ruby>られているような気がされてならない。

「頭に、おくな。おかねばよいのだ」

こんな<ruby><rb>思惟</rb><rt>しい</rt></ruby>は、彼が、それとは逆な思惟に<ruby><rb>憑</rb><rt>つ</rt></ruby>かれたときの、二重意識にほかならない。――いつも直義などに向っては、歯牙にもかけない風で言っているが、じつはいささか持ちあつかッている道誉だった。

では、宿命的な仇敵か。

否々、時により、案外な好意をしめし、あの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あいそ</span><ruby><rb>黒子</rb><rt>ぼくろ</rt></ruby>を、十年の知己かの如く、にんまり見せる。――そんな場合の道誉は、憎もうにも憎めなかった。さりとて、親しむには、親しみきれぬ異質感を、また、どうしようもない高氏でもある。

「わしの小心を見抜かれたか」

高氏は元来、自己を大胆者とは、信じきれていない。むしろ小心だと思っている。

自分が道誉を無視しえないのも、そもそも、その小心が抱いた過大な大望のせいだと気づいた。――道誉のごとき地位と才物は、将来、敵に廻しては厄介にちがいない。あわよくば、行く末、味方にもしようとする<ruby><rb>狡</rb><rt>ずる</rt></ruby>い分別が、自分を弱くさせ、卑屈にさせ、また、彼の乗ずるところにもなるのであろうか。

立場をかえて。

なぜ道誉が、つねに自分を目のかたきにしているのか、からみたがって来るのかを考える。

或いは、彼も自分同様、ひそかに天下を窺っているものかもしれない。――もし将来の天下におなじ野心を抱く者なら、類は類に<ruby><rb>敏</rb><rt>さと</rt></ruby>しで、こっちの腹も当然観破しうるはずである。この自分を<ruby><rb>目</rb><rt>もく</rt></ruby>すに、いつか、<ruby><rb>中原</rb><rt>ちゅうげん</rt></ruby>の鹿を追う好敵手！　としているのではあるまいか。

「そうだ、好敵手」

やや道誉が分りかけてきた気がしていた。

単なる婆娑羅大名としてでなく、一朝の変には、天下へ手をかける下心もある野心家として彼を見直すと、伊吹以来の事々も、今日の新田義貞を加えての一会なども、すべて彼の深慮遠謀の反映と解されぬでもない、と思った。

「おもしろい。中原の鹿は、誰が<ruby><rb>射中</rb><rt>いあ</rt></ruby>てようと勝手だ。さはさせじと、争う敵手が現われてこそ、なお、おもしろい」

暗い夜道の馬上、高氏は、部下のたれも知らない闘志と夢に、その<ruby><rb>肋骨</rb><rt>あばら</rt></ruby>をふくらませていた。――そして、大蔵の屋敷へ、宵ごろ着いた。

おそらく、直義の話は家中に伝えられていたろう。登子も、母の清子も、みな案じ顔でいたらしく、彼の姿を見て、大蔵の灯は、一ぺんに憂いを解いて華やいだ。

その後、いくばくもなく。

北条高時は病のため、執権職を<ruby><rb>罷</rb><rt>や</rt></ruby>め、従来も<ruby><rb>剃髪</rb><rt>ていはつ</rt></ruby>ではあったが、あらためて法名“<ruby><rb>崇鑑</rb><rt>そうかん</rt></ruby>”と<ruby><rb>称</rb><rt>とな</rt></ruby>える、と<ruby><rb>公</rb><rt>おおやけ</rt></ruby>に沙汰された。

<ruby><rb>相模入道崇鑑</rb><rt>さがみにゅうどうそうかん</rt></ruby>

の彼。その高時は、いよいよ公にも<ruby><rb>病閑</rb><rt>びょうかん</rt></ruby>をえて、遊び<ruby><rb>呆</rb><rt>ほ</rt></ruby>うけられるわけである。

おなじ三月十六日。

次代執権は、金沢貞顕ときめられたが、何か内紛の結果だろうか、四月に入ると再度、

赤橋守時を執権に、北条<ruby><rb>維貞</rb><rt>これさだ</rt></ruby>を連署となす、との幕府改組が三たび布告された。

偶然ではあるが。

鎌倉改組と、わずか二日ちがいで、朝廷でも、改元ノ儀が行われ、この年を、

<ruby><rb>嘉暦</rb><rt>かれき</rt></ruby>元年

とするの令が、天下に<ruby><rb>布</rb><rt>し</rt></ruby>かれた。

が、すべては単なる時事にすぎず、事そのものに、格別な意味はない。けれど、高氏には、一驚を覚えられた。

妻の兄守時が、執権の栄座に昇ったなどという感慨ではない。――百日も前に、これを積良の別亭で言っていた道誉の予見の誤まらぬことだった。

「ふしぎな存在」

このばあいにも、彼は、それを感じる。

世には、機密のウラを<ruby><rb>嗅</rb><rt>か</rt></ruby>ぎ知っては、それを<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひけら</span>かすのを愉楽とする事情通もなくはない。しかし、道誉のは、わけが違う。義貞をおいて、あの場所、あの<ruby><rb>鼎座</rb><rt>ていざ</rt></ruby>での、言である。

いかに道誉が、日ごろ、高時のふところ深くに住み、柳営を中心とする<ruby><rb>枢機</rb><rt>すうき</rt></ruby>のうごきだの、重臣一人一人の人物観などにも、常に眼をくばっているかが推し量れる。

「いや、彼をそこまでの人物と観るのは、ちと兄上のお<ruby><rb>買</rb><rt>か</rt></ruby>いかぶりか」

直義は、それを笑った。

「万一、赤橋殿へ執権職が廻ったら、足利家とも不和ではまずいと、彼一流の目先キ買いに過ぎますまい。それが<ruby><rb>中</rb><rt>あた</rt></ruby>ッたまでのこと。――で俄に、兄上へも、媚態をよせて来たのです。近ごろの彼は、会えば礼を低うし、事ごとに、わが家へ尻ッ尾を振りおりますわい」

こう見る直義は、依然、彼への毛嫌いを捨てなかった。

ところで、妻の兄が、執権になったからとて、高氏の柳営における地位職位が、俄に昇ったわけでもない。また、そんな守時でもなかった。けれど世風の<ruby><rb>媚</rb><rt>こび</rt></ruby>は権門を<ruby><rb>繞</rb><rt>めぐ</rt></ruby>って吹く。<ruby><rb>爾来</rb><rt>じらい</rt></ruby>、大蔵の足利屋敷の門へは、おのずから客の騎馬や輿が絶えなかった。

道誉もまた、いつかその中の一人とはなっている。来れば人の及びもつかぬ<ruby><rb>珍</rb><rt>めずら</rt></ruby>かな<ruby><rb>音物</rb><rt>いんもつ</rt></ruby>を携え、召使にも愛想をこぼし、わけて登子を笑わすことに妙をえていた。で、大蔵の家中誰でも、彼を<ruby><rb>目</rb><rt>もく</rt></ruby>すに、

「華やかで、いつも御陽気に、おかしげなお客」

と、していた。

すると、その年の秋。

物々しい<ruby><rb>顕紳</rb><rt>けんしん</rt></ruby>の客とは違い、<ruby><rb>雑人門</rb><rt>ぞうにんもん</rt></ruby>のくぐりをそうっと押して、音もなく、奥へおとずれた<ruby><rb>母子</rb><rt>おやこ</rt></ruby>の客がある。

「……お暇乞いにまいりました。北ノ方様へ。そしてもし、おいででしたら、殿にもお会わせ下さいまし。覚一と、覚一の母でござりまする」

と、取次ぎを乞う声までが、つつましかった。

<ruby><rb>母子</rb><rt>おやこ</rt></ruby>の来意は、扇ヶ谷からも、すでに通っていたのであろう。折ふし、高氏は不在だったが、登子が会って、

「まあ、それは、お名残り惜しい。あすのお立ちとは」

と、良人の帰るまでを、わが居間に遊ばせておき、<ruby><rb>餞別</rb><rt>はなむけ</rt></ruby>には何を贈ろうか、覚一は何がお好きかなどと、ねぎらっていた。

いうまでもなく、覚一の願いがやっと叶えられて、<ruby><rb>都上</rb><rt>みやこのぼ</rt></ruby>りとなったための<ruby><rb>暇乞</rb><rt>いとまご</rt></ruby>いで、またいつお目にかかれるやら……と、覚一はそうでもないが、草心尼には、心ひかれる身寄りも多い。

とはいえ、このことは、誰にも<ruby><rb>諮</rb><rt>はか</rt></ruby>らず、黙ってでもと、母子の思案は、とうに去年の秋から、きまっていたものではある。

が、そんな軽々しいまねは、いくら覚一にせがまれても、草心尼にはやはり出来ない芸だった。――で、<ruby><rb>義兄</rb><rt>あに</rt></ruby>の上杉<ruby><rb>憲房</rb><rt>のりふさ</rt></ruby>に一応の相談をしてみると、

「もってのほか」

と、はたせるかなの、ただひと<ruby><rb>言</rb><rt>こと</rt></ruby>。

しかし、さきには自身が、六波羅大番のさい、幼少の覚一を携えて行ったほどな憲房である。

「よせとはいわぬ。一年ほど待て。そして琵琶はまず<ruby><rb>措</rb><rt>お</rt></ruby>き、みっしり一年ほどは、学問せい」

と、いう意見。

「はい」

以来、伯父の指示にしたがって、覚一は、学業の師に就いた。

師匠は五十二、三のお坊さんであった。二階堂の永福寺に近い“<ruby><rb>南芳庵</rb><rt>なんぽうあん</rt></ruby>”がお住居だった。

子供ずきらしく、とくにまた、<ruby><rb>盲目</rb><rt>めしい</rt></ruby>の覚一を<ruby><rb>憐</rb><rt>あわ</rt></ruby>れんでか。

「ほ、来たな。今日は一人で来たか。いつも<ruby><rb>母者</rb><rt>ははじゃ</rt></ruby>に手を引かれている気ではいけぬ。いッそ一人で歩きつければ、今に、目明きよりは、よう見えて来るはずだぞよ」

<ruby><rb>経書</rb><rt>けいしょ</rt></ruby>の講義、禅のはなし、きびしい中にも慈愛をもって、授けてくださる。

だから覚一も、しごく気やすく馴じんでいたところ、或る折、<ruby><rb>庵</rb><rt>いお</rt></ruby>の<ruby><rb>下僧</rb><rt>げそう</rt></ruby>に、師の坊の経歴を聞かされて、彼は、まったくびっくりしてしまった。

師の名は<ruby><rb>疎石</rb><rt>そせき</rt></ruby>、<ruby><rb>夢窓</rb><rt>むそう</rt></ruby>と号して、<ruby><rb>寧</rb><rt>ねい</rt></ruby>一<ruby><rb>山</rb><rt>さん</rt></ruby>の<ruby><rb>会下</rb><rt>えか</rt></ruby>に参じ、<ruby><rb>仏国禅師</rb><rt>ぶっこくぜんじ</rt></ruby>の法脈をつぎ、今や、五山第一の<ruby><rb>称</rb><rt>とな</rt></ruby>えもあるとか。

諸国、居る所に禅風を興して、また<ruby><rb>飄</rb><rt>ひょう</rt></ruby>として去るといった風なのを――近ごろ、北条高時の生母<ruby><rb>覚海</rb><rt>かくかい</rt></ruby>夫人が、やっと捜し求めて鎌倉に<ruby><rb>請</rb><rt>しょう</rt></ruby>じ、それでしばらくは、ここに<ruby><rb>留</rb><rt>とど</rt></ruby>まっているものの、都からも、<ruby><rb>勅諚</rb><rt>ちょくじょう</rt></ruby>再々で、後醍醐天皇のお招きもしきりである。しかし、なかなかうごきそうもない<ruby><rb>疎石禅師</rb><rt>そせきぜんじ</rt></ruby>――と聞かされて、覚一は二度びッくりした。

いや、驚きは、それだけではない。

ここへは、人知れず、大蔵の足利高氏も、夜陰、或いは早暁に、師の禅語に接すべく、折々ただ一人で、通って来ていたことだった。

覚一は、或るときそれを、次の間にいて、体で知った。

自分にたいする師とは、別人のような恐い疎石禅師のまえに伏して、必死に、教えをうけんとしている高氏の声を……その姿までを。

だが、そんな高氏は、世間、誰も知ってはいない……。

「草心尼どの。お待たせしました。殿がお帰り遊ばしたようでございまする」

今、その高氏が帰邸したらしい。登子は、いそいそ出迎えに立って行った。

かろやかな<ruby><rb>家居着</rb><rt>いえいぎ</rt></ruby>に着かえてから、高氏は登子と揃って、そのくつろぎを、草心尼母子の前に気やすくしていた。

「<ruby><rb>尼前</rb><rt>あまぜ</rt></ruby>。このたびは、えらいご奮発だのう。……<ruby><rb>故郷</rb><rt>ふるさと</rt></ruby>をすてて都住みとは」

「もうもう、子の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">せがみ</span>には負けまする。子ゆえに生きている身ではございますが」

「したが、末はお楽しみよ。……のう覚一、学業もだいぶ進んだそうではないか」

「いえ」

覚一は、不意をうけて、俄な、はにかみ顔をした。

高氏の声に、彼はさっきから、一年も通った南芳庵の冷ややかな<ruby><rb>禅床</rb><rt>ぜんしょう</rt></ruby>と師の疎石とを、思うともなく瞼に描いていたのである。

なぜか、師もいわず、高氏も禅師のことは、ついぞ何も語らない。……で、覚一の小さい分別も、それには触れないで、ただ、

「琵琶は琵琶としても、やはり学問もしなければ、ほんとの修行でないことが、薄々、分ってまいりました。都へ出たら、なお懸命にやりまする」

「オオ、やれよ、母御に精進を見せて上げよ。さし当っては、都のどこに住まわれるか」

草心尼が、それには答えた。

「上杉どのから、六波羅の<ruby><rb>御内人</rb><rt>おうちびと</rt></ruby>へ、よい<ruby><rb>伝手</rb><rt>つて</rt></ruby>を計らわせ給えと、細やかなお<ruby><rb>添状</rb><rt>そえじょう</rt></ruby>。……それをいただいておりますれば」

「ならば、おちつき先は安心だが。……して、道中は」

「上杉家の旅馴れた武士二人、都まで、供して下さることになっております」

「供は、二人か。お若い<ruby><rb>尼前</rb><rt>あまぜ</rt></ruby>に、<ruby><rb>盲</rb><rt>めしい</rt></ruby>の子連れ。……のう登子、ちと心もとないなあ」

「いけませんとも、そんなお身軽では……」と、登子も、それには自分の意見を<ruby><rb>忌憚</rb><rt>きたん</rt></ruby>なく。

「長の<ruby><rb>野路</rb><rt>のじ</rt></ruby>やら峠やら、途中、何が起るかしれませぬ。わけて近年は物騒なとも聞きまする。登子でしたら、十人二十人の侍をつれても、恐ろしゅう思われますのに」

「ホ、ホ、ホ……。それは北ノ方様なればこそ。尼などは、身を貧しゅう持っておりますゆえ、旅路にも、なに恐ろしいものはございませぬ」

「いえ、それだけでなく、あなたは余りにお美しいから。……のう殿、たれかしかるべき豪の者を、わが家からも、さし添えておやりなされませ」

「そうだな。御厨ノ伝次か人見新助か。む、伝次がよからん。……そして立つ日は」

「尼前は、明朝と仰っしゃいます」

「今日が名残りか。では母上（清子）も入れて、<ruby><rb>夕餉</rb><rt>ゆうげ</rt></ruby>でも共にしようよ。登子、母上へおつたえしておけ」

その清子は、病夫貞氏と共に、まったく表方には姿をみせず、隠居所の別殿にこもって、近ごろは“<ruby><rb>日課地蔵絵</rb><rt>にっかじぞうえ</rt></ruby>千枚”の<ruby><rb>発願</rb><rt>ほつがん</rt></ruby>に他念もない。

<ruby><rb>小色紙</rb><rt>こしきし</rt></ruby>半ぶんほどな紙に、地蔵<ruby><rb>菩薩</rb><rt>ぼさつ</rt></ruby>の<ruby><rb>相絵</rb><rt>すがたえ</rt></ruby>千枚を描いて、世の<ruby><rb>有縁無縁</rb><rt>うえんむえん</rt></ruby>に<ruby><rb>頒</rb><rt>わか</rt></ruby>とうという願いである。

「――お地蔵さまという<ruby><rb>御仏</rb><rt>みほとけ</rt></ruby>は、<ruby><rb>五濁悪世</rb><rt>ごじょくあくせい</rt></ruby>といわれる<ruby><rb>餓鬼</rb><rt>がき</rt></ruby>、畜生、<ruby><rb>魔魅</rb><rt>まみ</rt></ruby>の<ruby><rb>巷</rb><rt>ちまた</rt></ruby>には好んでお<ruby><rb>降</rb><rt>くだ</rt></ruby>りある<ruby><rb>普化菩薩</rb><rt>ふけぼさつ</rt></ruby>だということです。いまの世は、その地蔵菩薩でも<ruby><rb>招来</rb><rt>しょうらい</rt></ruby>せねば助かりようもない時勢というてもよいでしょう。そんな波風へ立って行くそなたたちじゃ。これをお身の<ruby><rb>護符</rb><rt>ごふ</rt></ruby>ともなされ、お身ご自身とも念じ給うて、肌身に持っていて下され」

伯母の清子が、覚一に与えた<ruby><rb>餞別</rb><rt>はなむけ</rt></ruby>のうちには、その日課地蔵の一枚もあった。

## 草もみじ

草心尼と覚一の旅は、今日で十日をこえている。

京、鎌倉の間は、ふつう十三、四日とされているのに、ふたりはまだ、やっと東海道も半ばにあった。

「ともかくも、事なく、京へ着きさえすれば……」

覚一の杖の端を持って、おなじ<ruby><rb>足幅</rb><rt>あしはば</rt></ruby>で彼女も歩いた。時には、馬の背も借りたり、<ruby><rb>足柄</rb><rt>あしがら</rt></ruby>を越え、富士川天龍も渡って、その夕べ、豊川で<ruby><rb>宿</rb><rt>やど</rt></ruby>をさがしていた。

「オ、寺がある。……お二た方には、ここでお待ち下されまいか。寺へ参って、宿を頼んでまいりますれば」

高氏の命で、ふたりに付いて来た足利家の侍、<ruby><rb>御厨</rb><rt>みくりや</rt></ruby>ノ伝次は、ひとり駈けて、<ruby><rb>妙厳寺</rb><rt>みょうごんじ</rt></ruby>の門内へ入って行った。

ほかに、道中の供人は、もう二人いる。

上杉家の家来、<ruby><rb>今切</rb><rt>いまぎり</rt></ruby>藤五と羽鳥八郎太だった。

初めのほどは、この二人も、まめやかな良い従者であったが、主家を離れて遠い旅の空となるにつれ、また、<ruby><rb>盲</rb><rt>めしい</rt></ruby>と女の足のおそさにも、次第に<ruby><rb>倦</rb><rt>う</rt></ruby>んで来た<ruby><rb>態</rb><rt>てい</rt></ruby>で、いまも<ruby><rb>母子</rb><rt>おやこ</rt></ruby>の後ろに<ruby><rb>佇</rb><rt>たたず</rt></ruby>み、<ruby><rb>生欠伸</rb><rt>なまあくび</rt></ruby>をかみころしていた。

「や、お待たせしました」

伝次は、すぐ戻って来て、

「寺中には、<ruby><rb>宿</rb><rt>やど</rt></ruby>貸す備えもあります由、いざどうぞ」

と、母子を導いて、妙厳寺の一房へ入った。

旅の夜々にも、やや馴れて来た。時には、借る宿もなく、木蔭に<ruby><rb>油単</rb><rt>ゆたん</rt></ruby>を敷いて、<ruby><rb>更着</rb><rt>かえぎ</rt></ruby>を<ruby><rb>被</rb><rt>かつ</rt></ruby>いでしのぐ晩もあり、<ruby><rb>木賃</rb><rt>きちん</rt></ruby>の<ruby><rb>破</rb><rt>や</rt></ruby>れ<ruby><rb>屋根</rb><rt>やね</rt></ruby>の穴に星を見つつ臥す晩もあるが、寺院は最良な<ruby><rb>旅籠</rb><rt>はたご</rt></ruby>だった。寺に寝る夜は、しんから疲れを休めて眠れる気がした。もちろん、いつどんな場合でも、従者の三名は、遠くにやすんだ。

その夜の、夜半ごろである。

御厨ノ伝次は、ふと、木枕から首をもたげて、

「ははあ、また出かけたな。さもしい奴ら」

藤五と八郎太の、もぬけの殻の寝床に気づいて、にがり切った。

これまでの<ruby><rb>駅路</rb><rt>うまやじ</rt></ruby>でも、何度となく、おなじ例があったのだ。女を買いにゆくのか、酒だけにつられて出るのか。

伝次とて、武家奉公の身だ、主家での窮屈さは知っている。それから解放された旅空では、日ごろの<ruby><rb>渇</rb><rt>かわ</rt></ruby>きが、あさましく<ruby><rb>疼</rb><rt>うず</rt></ruby>き出てくるのは、彼も同様だった。しかし、そこに自制と<ruby><rb>廉恥</rb><rt>れんち</rt></ruby>をもつのが、<ruby><rb>匹夫下郎</rb><rt>ひっぷげろう</rt></ruby>とちがう武士ではないかと、彼のみは反撥していた。

「下郎根性。この数日は、お供するにも誠意は見えず、ぜひなく<ruby><rb>盲</rb><rt>めしい</rt></ruby>と尼御前に付いているといった風だ。……よし、いちど、とっちめておいてやろうか」

起き出して、彼らが酔って帰るのを、待ちうけていた。

――やがてのこと。それらしき人影が、山門からもどって来た。だが二人は、そのまま<ruby><rb>寝屋</rb><rt>ねや</rt></ruby>の房へは近づいても来ず、彼方の<ruby><rb>荼吉尼天堂</rb><rt>だきにてんどう</rt></ruby>の縁へ、酔った体を投げ出しあった。そして何やら、首と首とを寄せあっている。

近くの物蔭で、御厨ノ伝次が聞くとも知らず、二人は言い争いをやっていた。その争いも、ひそひそ声から次第に、

「なに。道義にそむくと。そんな形もないものにとらわれて一生の運を逃がす馬鹿があるか。主家が何だ」

言いつのッているのは藤五で、一方の声は八郎太だった。

「八郎太。どうしても、おれの相談には乗れねえのか」

まき舌である。

八郎太は<ruby><rb>醒</rb><rt>さ</rt></ruby>め、彼は生酔いだ。

その生酔いの今切藤五が、<ruby><rb>執</rb><rt>しつ</rt></ruby>こく、一方の同僚を、説きつけようとするものらしい。

「ええおい。そう迷っているうちには、やがて都へ着いてしまうぞ。目をつぶって、ここで一生の運をつかむか。それとも、盲法師と<ruby><rb>尼前</rb><rt>あまぜ</rt></ruby>を無事に都へとどけて、御苦労ともいわれず、再び主家へ戻って、一生武家郎党の<ruby><rb>端</rb><rt>はし</rt></ruby>で終るか。どっちを<ruby><rb>択</rb><rt>と</rt></ruby>るかだ、ここの思案は」

「だって、きさま、あれは主筋のお方だぞ。よくそんな恐ろしい量見になれるなあ」

「主家にいればこその主筋よ。捨てる気になれば、あかの他人だ。それやあ、むかしは主従苦楽を共にし、君臣一如の義もあったそうだが、当節の主人は、わが身の<ruby><rb>栄耀</rb><rt>えよう</rt></ruby>のほか何知るものか。郎党は一生、<ruby><rb>稗食</rb><rt>ひえぐ</rt></ruby>い郎党、<ruby><rb>厩掃除</rb><rt>うまやそうじ</rt></ruby>は一生涯、厩掃除」

「きさま、何か、主家に恨みでもいだいたのか」

「いや、鎌倉御家人、一般をいっているのだ。阿呆な主人が、ふた言めには、武士の道だの、忠節だのと、自分は持ちもせぬものを、家来には押しつける」

「待て。おれたちのお<ruby><rb>主</rb><rt>しゅ</rt></ruby>上杉殿が、そんなお人とは、おれには思えぬが」

「分らぬ奴だな。上杉家や足利家がと、いつ言った。……しかしだ。武家全般の<ruby><rb>時風</rb><rt>じふう</rt></ruby>とあれば、上杉家だって、<ruby><rb>末始終</rb><rt>すえしじゅう</rt></ruby>にゃあ、ろくなことはありッこない。見切りをつけていい潮だ」

「それにしろ、恩を<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あだ</span>で返すようなまねは、どうかなあ」

「ちッ、恩の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">へちま</span>のといっていたら、生涯、<ruby><rb>雑兵雑炊</rb><rt>ぞうひょうぞうすい</rt></ruby>を食らって、<ruby><rb>厩馬</rb><rt>うまやうま</rt></ruby>同様に、飼われて終るまでのことだわ。世には<ruby><rb>愉</rb><rt>たの</rt></ruby>しむ物があり余っているものをよ。たとえば……草心尼さ……見れば見るほど、肌のきれいさ。宿場の<ruby><rb>遊</rb><rt>あそ</rt></ruby>び<ruby><rb>女</rb><rt>め</rt></ruby>などは、見られなくなる」

「藤五。きさまの野心は、あの<ruby><rb>尼前</rb><rt>あまぜ</rt></ruby>の色香だな」

「正直そうだ。しかし、尼前の肌にはなお、上杉、足利御両家から<ruby><rb>餞別</rb><rt>はなむけ</rt></ruby>された金も<ruby><rb>温</rb><rt>ぬく</rt></ruby>もッているはずだし、またいッそ、<ruby><rb>脅</rb><rt>おど</rt></ruby>し脅し、遠くへまで連れて行って、売り飛ばせば、その上の大金もつかめようというものだ。どうだ八郎太、ひと思いに、やろうじゃないか」

「……でも、供は二人だけではないぞ。もひとりの邪魔をどうする。御厨ノ伝次を」

「それや、かたづけるまでのこと、造作もない」

「足利家のうちでも、豪の者だと聞いているが」

「なあに、二人に一人。<ruby><rb>騙</rb><rt>たばか</rt></ruby>り討てば、のがすものか。あすの夜は、山中あたり、やるにはもって来いの泊りだ。……ただ、野郎にだって欲はあるはず、こっちの仕事に乗りゃあいいが、さておぬしはどうも小胆者だ。どっちにしろ、昼のまに、気どられるなよ」

ついつい一方は、いつか説きつけられた恰好である。

――物蔭にしゃがんでいた御厨ノ伝次は、這うように、そこの<ruby><rb>荼吉尼天堂</rb><rt>だきにてんどう</rt></ruby>の横を、す<ruby><rb>退</rb><rt>さ</rt></ruby>り始めた。そして堂裏の遠くを廻り、なに食わぬ顔して、<ruby><rb>寝屋</rb><rt>ねや</rt></ruby>の房にもどって寝ていた。

やがて、二人もあとから、入って来た。<ruby><rb>湿</rb><rt>しめ</rt></ruby>ッぽい寝具の匂いを動かしたきりで、二ツの木枕もまたすぐ眠りについた様子。――伝次はつくづく考える。武者も<ruby><rb>廃</rb><rt>すた</rt></ruby>って来たものだが、世も<ruby><rb>六道</rb><rt>ろくどう</rt></ruby>ノ辻そのまま、ひどい地獄の<ruby><rb>相</rb><rt>そう</rt></ruby>に近づいて来たものだと思う。

日のみじかい秋。

朝は暗いうちから、<ruby><rb>駅路</rb><rt>うまやじ</rt></ruby>を早立ちして行く旅人が多い。

何かと、身支度一つにも、手間どりがちな草心尼母子でさえも、豊川ノ<ruby><rb>宿</rb><rt>しゅく</rt></ruby>を離れて、吉田川のほとりに来たころ、ようやく霧の中に、虹色の大きな朝陽を見たほどだった。

「お母あさま。ここから先、二里ほどは、<ruby><rb>本野原</rb><rt>ほんのはら</rt></ruby>といって、<ruby><rb>道</rb><rt>みち</rt></ruby>の<ruby><rb>辺</rb><rt>べ</rt></ruby>は、柳の木ばかりでございましょう」

「よう知っていやるの。見えるように」

「でも、覚一は以前、二度も通っておりますもの」

「ほんに、そなた程も母は知らぬの。鎌倉から西は初めての旅」

「ここは、よう旅人が迷うので、遠い以前、北条<ruby><rb>泰時</rb><rt>やすとき</rt></ruby>さまが、本野原の<ruby><rb>野路</rb><rt>のじ</rt></ruby>のかぎり、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">道しるべ</span>の柳をお植えになっておかれたものと、聞きました。……ねえお母あさま、その頃の御執権は、えらかったのでございますね」

「どうして」

「だって、昔の御執権は、旅人の上にまで、そんな思い<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>りがあったのでしょう。……眼には見えませんが、きっと、沢山な柳の木も、その頃よりは、減っていると思います。吹き仆れたら仆れたまま、枯れたら枯れたまま、荒れているにちがいありません」

「いうとおりじゃ。柳並木も名残りのみで、<ruby><rb>凄</rb><rt>すさ</rt></ruby>まじい荒野原のままに任されている」

「それがそのまま、いまの世の景色です、<ruby><rb>政</rb><rt>まつりごと</rt></ruby>のすがたです。海道の途々でも、いろんな人たちの声を、耳にしましたものね」

「どんなことでした？」

「貧しい者の<ruby><rb>怨</rb><rt>うら</rt></ruby>み<ruby><rb>言</rb><rt>ごと</rt></ruby>やら、物盗りやら喧嘩沙汰やら。……それに、どこの守護も地頭も、強欲で情け知らずと、憎まれていて」

「飢饉つづきのせいもあろ」

「ええ今年も<ruby><rb>稔</rb><rt>みの</rt></ruby>りが薄いといって、<ruby><rb>怯</rb><rt>おび</rt></ruby>えていました。だのに若い人すら働く気がなく、<ruby><rb>博奕流行</rb><rt>ばくちはや</rt></ruby>り、踊り流行り。親殺しだの、子殺しなどと、いたる所、そんな噂ばかりでした」

「まこと、鎌倉の御繁昌と比べては、思いも及ばぬことばかりよの」

「いいえ、上のお暮し方を、自然、世の人が真似しているのでございますよ。……でも、お母あさん、その鎌倉の内を、まずはようやくのがれ出して、いくらかホッとなすったでしょう。遅かれ早かれ鎌倉の府は、今にきっと、兵馬の<ruby><rb>巷</rb><rt>ちまた</rt></ruby>にならずにいません。あのままで<ruby><rb>治</rb><rt>おさ</rt></ruby>まろうはずはありません。足利さまの御兄弟も、<ruby><rb>密</rb><rt>ひそ</rt></ruby>かに、やがてを待っているのではありますまいか」

そのとき、一ツ杖の<ruby><rb>両端</rb><rt>りょうはし</rt></ruby>を持ち合っていた母の手が、しッ……と言葉代りに動いて、覚一の口をつぐませた。

かなり離れていたはずの、供の今切藤五、羽鳥八郎太の二人の足音が、すぐ<ruby><rb>踵</rb><rt>くびす</rt></ruby>に近づいて来たからだった。

その後ろからはまた、御厨ノ伝次が、黙々として<ruby><rb>従</rb><rt>つ</rt></ruby>いて来る。――今切、羽鳥の二人へそそぐ彼の眼が、ゆうべから針のごとき警戒心と、軽蔑にみちていたのはいうまでもない。

すると、この奇異な一行五人づれの遅い足どりを、さっきから、待つかのように、<ruby><rb>本野原</rb><rt>ほんのはら</rt></ruby>の中ほどで、頻りに振向いていた女性がある。

道ばたの<ruby><rb>朽木</rb><rt>くちき</rt></ruby>柳に腰をかけ、一行が近づいて来ると、俄に、脱いでいた<ruby><rb>市女笠</rb><rt>いちめがさ</rt></ruby>をかぶッて、その<ruby><rb>顔容</rb><rt>かんばせ</rt></ruby>を隠していた。

近郷の武家の女か。

それにしては、どこやら<ruby><rb>垢</rb><rt>あか</rt></ruby>ぬけし過ぎた<ruby><rb>艶姿</rb><rt>あですがた</rt></ruby>だ。<ruby><rb>旅粧</rb><rt>たびよそお</rt></ruby>いもきりっと身についていて、裾みじかに<ruby><rb>裳</rb><rt>も</rt></ruby>をからげ、市女笠の<ruby><rb>紅紐</rb><rt>べにひも</rt></ruby>が白い<ruby><rb>顎</rb><rt>あご</rt></ruby>によく似合っている。

「…………」

まだ朽木の幹に腰かけたままでいたが、いま通って行った草心尼母子と供の三人を、見ぬフリしつつ、笠の蔭から見送っていた。

それからほど<ruby><rb>経</rb><rt>へ</rt></ruby>て、彼女もまた、路傍から腰を上げた。けれど、

「よそうかしら」

何かに迷う風でもあり。「……いやいや、そうでない」と、思い直す風でもあった。

先の草心尼たちの影とは、もうかなりな距離。彼女も同じ方へ歩いて行く。努めて、足を遅くしても、茫々二里の本野原では、他に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">道くさ</span>を取らせて、わざと手間どるすべもない。

やがて、いやでも追いついた。そして彼女の姿が、つつましやかに草心尼のそばをスリ抜けて、幾足か先へ歩いたと思うと、その袂から、何やら落ちた。

草心尼の眼は、それを見たが、彼女は気づかぬ風で歩いてなおゆく。それは、よほど<ruby><rb>洒落人</rb><rt>しゃれびと</rt></ruby>か都人でなければ持たぬような印金の袋に入った小さい<ruby><rb>懐鏡</rb><rt>ふところかがみ</rt></ruby>だった。

「……もし、先のお方」

草心尼が、呼びとめて、落し物を教えると、彼女は、さも意外らしかった。――が、地上に<ruby><rb>指</rb><rt>さ</rt></ruby>された物を見て、慌てて立ち戻り、幾たびとなく、礼に礼をくり返したあげく、

「おや、和子は、お目が御不自由なのでございますね。まあ、その御不自由なお子を連れて、どちらまでおいでですか」

などと、歩調を合せながら、なにかと話しかけて来た。

女は女同士の気やすさの上、つい誘われる<ruby><rb>快</rb><rt>こころよ</rt></ruby>い世辞のひびきをもっている。そのくせ、まだ娘かとも見えるほど、うら若いのに、

「私にも、<ruby><rb>幼子</rb><rt>おさなご</rt></ruby>がありまする。どういうものか、生れつきの<ruby><rb>脾弱</rb><rt>ひよわ</rt></ruby>で、この十日程まえからまた、寝ついたきりで、<ruby><rb>食</rb><rt>しょく</rt></ruby>も細るばかりゆえ、さる所へ、祈願を籠めに<ruby><rb>詣</rb><rt>まい</rt></ruby>った途中でございまする。……ふと、病まれてすらそうなのに、<ruby><rb>盲</rb><rt>めしい</rt></ruby>のお子の母御さまは、どんなお気持ちやらと、お見かけした途中から、<ruby><rb>他人事</rb><rt>ひとごと</rt></ruby>ならず、お察し申しておりました」

と、問わず語りまでしてくるのだった。

それのみならず、旅の先を問われたので、草心尼が、

「この子の、琵琶の修行のために、都へ出ます」

という答えに、

「それはまあ、たいへんですこと。でも、御修行なら、やはり都でなければいけませんね。都でなら、<ruby><rb>蝉丸流</rb><rt>せみまるりゅう</rt></ruby>、<ruby><rb>師長流</rb><rt>もろながりゅう</rt></ruby>、<ruby><rb>式部親王家</rb><rt>しきぶしんのうけ</rt></ruby>の御流などの流れを伝える家々もありますし、<ruby><rb>名手</rb><rt>めいしゅ</rt></ruby>もたくさんおられますから。……そして、<ruby><rb>雅楽</rb><rt>ががく</rt></ruby>としての琵琶をお<ruby><rb>習</rb><rt>まな</rt></ruby>びですか、平家などの語り物を<ruby><rb>御会得</rb><rt>ごえとく</rt></ruby>なさりたいおつもりですか」

と、その道の<ruby><rb>詳</rb><rt>くわ</rt></ruby>しさも、また意外なほどだった。

そうなると、母の尼よりは、覚一の方が熱心に、話題を出したり、興じ入って、よい道づれを得たように、すっかり仲よく<ruby><rb>馴</rb><rt>な</rt></ruby>ついてしまった。

供の武士三人は、各〻の腹、それどころではないだろう。けれど<ruby><rb>面</rb><rt>おもて</rt></ruby>は各自、どこ風吹くかだ。ただの婦女子の世間ばなしと、それを後ろで聞きながら、黙々と、あとに従っていた。

本野原もすぎて、道は、<ruby><rb>鷺坂</rb><rt>さぎざか</rt></ruby>へかかっていた。

<ruby><rb>馬子寄場</rb><rt>まごよせば</rt></ruby>がある。今切藤五が、馬をすすめたが、覚一は、連れになった旅の<ruby><rb>女性</rb><rt>にょしょう</rt></ruby>と話が出来なくなるのを惜しんで、

「それほどな坂でもなし、歩きましょう。歩きましょう」

と、母と彼女のあいだに<ruby><rb>扶</rb><rt>たす</rt></ruby>けられつつ、依然、都ばなしや、諸芸のはなしに、他念もない。

その人々の背へ、藤五は、さっきから、眼を光らして。

「八郎太。何だろうな。あの市女笠の女は」

「さあ、わからぬが、<ruby><rb>鄙</rb><rt>ひな</rt></ruby>には稀れな美人。貴公はまた、あれにも心をうごかしたのか」

「ばかをいえ」

藤五はすぐ後ろを振向く。――要心の的の御厨ノ伝次は、二十歩ほど後ろから、気のせいか、恐い眼つきで、ゆっくりと歩いて来る。

「なあ、八郎太。いやに、馴々しい女だぞ。おぬし、訊いてみないか。どういう素姓で、どこへ行く者か」

「よし」

八郎太は、たちまちそばへ寄って行った。そしてしばらく、女に話しかけていたが、すぐ戻って来て、藤五の耳へ<ruby><rb>咡</rb><rt>ささや</rt></ruby>いた。

「わかった。<ruby><rb>矢矧</rb><rt>やはぎ</rt></ruby>の<ruby><rb>長者</rb><rt>ちょうじゃ</rt></ruby>のむすめだそうな」

「すると女は、矢矧まで、道連れになるつもりか」

「いや、途中、<ruby><rb>建部</rb><rt>たけべ</rt></ruby>ノ神官の家へ寄るとかいっていた。どこかで別れるつもりだろうよ」

やがて<ruby><rb>午</rb><rt>ひる</rt></ruby>ごろ。――宮路山で山茶屋を見かけ、昼の<ruby><rb>旅糧</rb><rt>たびがて</rt></ruby>（弁当）を解こうとなった。ほかにも旅人が数名見える。市女笠の女は、茶屋のむしろを借りうけて、

「さ。内よりは、外がよろしゅうございましょう。上も紅葉、下も草紅葉。<ruby><rb>錦</rb><rt>にしき</rt></ruby>のなかで」

と、<ruby><rb>渓川崖</rb><rt>たにがわがけ</rt></ruby>の<ruby><rb>際</rb><rt>きわ</rt></ruby>へ、それを<ruby><rb>展</rb><rt>の</rt></ruby>べて、<ruby><rb>母子</rb><rt>おやこ</rt></ruby>を誘い、自分もともに、<ruby><rb>糧</rb><rt>かて</rt></ruby>の包みを解きはじめた。

こっちから、見ると。

<ruby><rb>彼方</rb><rt>あなた</rt></ruby>の従者三名も、<ruby><rb>午飯</rb><rt>ひるめし</rt></ruby>にまぎれて、いまは他念もない様子。

「……もし」

急に、女は声をひそめた。

「え？」

草心尼は、女のひとみの鋭さに、はっと、手の<ruby><rb>箸</rb><rt>はし</rt></ruby>も、持ちわすれた。

「……もしや、おふたり様は、鎌倉の足利殿に、お<ruby><rb>由縁</rb><rt>ゆかり</rt></ruby>のあるお方ではございませぬか」

「そうです。……どうしてそれが、お分りになりました？」

「彼方にいるお供の武士は、たしかに足利殿のお内で見た覚えのある顔でございます。ほかの二人もまたどこやらで」

「では、大蔵のおやしきを、御存知なのでございますね」

「ただ一度、お伺いしただけですが」

「まあ、思いがけぬ御縁ですこと。さいぜん、<ruby><rb>矢矧</rb><rt>やはぎ</rt></ruby>の長者の娘と仰っしゃっておいででしたが、まことは、どなた様でございましょうなあ」

「それよりも、私は」

彼女の眼くばりは、時折、彼方の軒へ、忙しげにうごいて。

「たいへんな事を、お耳に入れねばなりません。おふたり様の上に、恐ろしい運命がかかッているのです。……それを、私はゆうべ、わが子の病気平癒の祈願のため、あの妙厳寺の<ruby><rb>荼吉尼天堂</rb><rt>だきにてんどう</rt></ruby>に<ruby><rb>夜籠</rb><rt>よごも</rt></ruby>りしているうちに、夢ともうつつともなく、<ruby><rb>御堂</rb><rt>みどう</rt></ruby>の内で、つい聞いていたのでした。どうぞ、お信じ下さいませ。この身は決して不思議な者ではございませぬ」

聞くうちに。

草心尼は唇を白くした。覚一の姿も、石みたいなものに変った。

「まさか」

と、信じられない気もしつつ、母子のふるえは、どうしようもない。

女は、三人の従者の方を、たえず注視しながら、低い一語一語に、他人思いな情をこめて、

「御要心なされませ。何とか、ここの御危難を<ruby><rb>遁</rb><rt>のが</rt></ruby>れる工夫をおとりなされませ。<ruby><rb>累卵</rb><rt>るいらん</rt></ruby>の危うさにあるお身の上とは、とりも直さず、おふたり様の今のことです」

と、告げてやまない。

それを、くるめていえば。――彼女は、自分が夜籠りしていた荼吉尼天堂の縁で語らい合っていた従者どもの恐ろしい<ruby><rb>企</rb><rt>たく</rt></ruby>らみ事が気にかかって、それからは、つい、まどろみも得ず、何とかこれを、狙われている受難の母子へ、知らせてやる方法はないものかと、夜明け前に妙厳寺を出て、本野原の途中で待ち、あんな風に、わざと、道連れになったものでした――と、いうのである。

「覚一」

「お母あさま」

「……どうしようぞ」

ふたりは、こう呼び合ったきりだった。死所は一つにと、もう誓うように、覚一は母の手をさがす……。

女は、眼をそらした。自分も母でもあり、<ruby><rb>脾弱</rb><rt>ひよわ</rt></ruby>い子が一人あるといっていたのも本当であろう。その眼には、涙があった。

「ご心配なさいますな」

彼女はまた、早くちに。

「気懸りは、今夜だけのこと。……朝ともなれば、私にもよい思案がありまする。……今日は、ぜひなくお別れいたしますが」

「待って下さい。いま御思案と仰っしゃったのは？」

「ここから山越え六里の南、<ruby><rb>一色村</rb><rt>いっしきむら</rt></ruby>へ立ち帰れば、<ruby><rb>土地</rb><rt>ところ</rt></ruby>の侍が、沢山います。しかも、その侍たちはみな、足利高氏さまを宗家と仰ぐ人たちですから」

「えっ。では<ruby><rb>幡豆</rb><rt>はず</rt></ruby>、一色、今川党などの住む所とは、その辺りでしたか」

「足利家に御縁の深そうなお二た方が、途中、<ruby><rb>云々</rb><rt>しかじか</rt></ruby>の御難儀と告げわたれば、すぐ大勢して、押ッ取り刀でお守りに駈けつけましょう。……が、お名をお聞きしておかねば、合点もしてくれますまい。おさしつかえなくば、伺わせて下さいませ」

「上杉殿の身寄りの端、一子覚一と、草心尼とお告げして給われば。……そして、あなた様は」

「あ。私ですか」

彼女は、ためらった。が、遂に思い切った容子で。

「<ruby><rb>藤夜叉</rb><rt>ふじやしゃ</rt></ruby>といいまする」

「……え、藤夜叉」

「はい」

「とうからお名は聞いていたような。たしか、鎌倉表で」

「ええ。今は一色村に来ております。けれど、ゆめ、世間に知られてはなりません。日蔭の身です。どうぞ。誰へもいうてくださいますな」

もう彼女は、市女笠を持って、立ちかけている。――茶屋の軒ばの、御厨ノ伝次も、羽鳥、今切の二人も、まだ何ら気づいてはいない様子だった。

「……ネ、覚一さま。お気づよう自身を支えていらっしゃいませ。今夜だけを、じっと、<ruby><rb>暴風雨</rb><rt>あらし</rt></ruby>の下にいる夜と思って」

言い残すと、そこからすぐ<ruby><rb>渓川</rb><rt>たにがわ</rt></ruby>道へ降りて、<ruby><rb>鵯</rb><rt>ひよ</rt></ruby>のごとく、その迅い影を、沢づたいに消してしまった。

まもなく、従者の三名も、

「いざ、ぼつぼつまいりましょうかな。秋の短か日、追われるようでございましょうが」

と、うながして来て、一同、山茶屋の軒を離れたが、歩き出すとすぐ今切藤五は、きょろきょろし出した。

「おや、<ruby><rb>尼前</rb><rt>あまぜ</rt></ruby>さま。市女笠の女はどこへ行きましたか」

「<ruby><rb>建部</rb><rt>たけべ</rt></ruby>の<ruby><rb>社</rb><rt>やしろ</rt></ruby>に知り人がいるとかで、先に別れてゆきました」

「妙な女もあったもの……」と、疑いもせず、藤五は笑って、

「われらには一ト<ruby><rb>言</rb><rt>こと</rt></ruby>の愛想もいわず、そのくせお二た方へは、よくペチャクチャ<ruby><rb>喋</rb><rt>しゃ</rt></ruby>べッておりましたな。矢矧の長者の娘とかいっていたが、なあ八郎太、あれや遊女ではなかろうか」

「いや、遊女めかした風はなかった。遊女ではあるまい」

「じゃあ、何だろう」

と、こんどは御厨ノ伝次へ。

「貴公、何だと思う」

「わからん」

伝次は、そッ気ない。

夜来からの藤五、八郎太、二人にたいする侮蔑と憤激で、満身は針となっている。

<ruby><rb>触</rb><rt>さわ</rt></ruby>れぬものをすぐ感じて、藤五の眼は仲のよい顔へ移った。

「八郎太、分ったよ」

「どう分った」

「あれや、建部の<ruby><rb>巫子</rb><rt>みこ</rt></ruby>にちがいないわ。巫子というものは、どこの巫子も色が白い。日蔭の花か、<ruby><rb>白狐</rb><rt>びゃっこ</rt></ruby>みたいだ」

「ひょっとしたら、ほん物の白狐であったかもしれぬぞ」

「よせ」

藤五は、いやな顔をして、

「<ruby><rb>尼前</rb><rt>あまぜ</rt></ruby>さまにも、お気味悪う思われるわ。つまらぬ冗談はいわぬこった」

それきり二人は黙った。ちょうど、道もジメジメした長い<ruby><rb>木下闇</rb><rt>こしたやみ</rt></ruby>へかかっている。

もし<ruby><rb>木</rb><rt>こ</rt></ruby>の<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby><ruby><rb>隠</rb><rt>がく</rt></ruby>れの谷紅葉が折々に見えなかったら、暗夜を行くのと変りはない。ひとり、その不気味さも知らぬ気なのは、明暗常に一ツにすぎぬ覚一だけだった。

山中五里。――その夜の泊りも、ひどい<ruby><rb>山宿</rb><rt>やまやど</rt></ruby>だった。<ruby><rb>雨露</rb><rt>うろ</rt></ruby>をしのぐだけの掛屋根、<ruby><rb>莚</rb><rt>むしろ</rt></ruby>があるだけの<ruby><rb>猪小屋</rb><rt>ししごや</rt></ruby>。

もっとも、<ruby><rb>十六夜日記</rb><rt>いざよいにっき</rt></ruby>の筆者が、この山中に宿った夜は、寝小屋もないまま、柿の木の下に<ruby><rb>油単</rb><rt>ゆたん</rt></ruby>をかけ、落葉を敷いて、まどろんだところ、やがて<ruby><rb>熟</rb><rt>う</rt></ruby>れ柿の実が、ぼとぼとと落ちて来るので寝つかれもせず、果ては、柿を拾って食べつつ、人々、夜の白むのを待ち明かした――などと見える。

とすれば、草心尼と覚一が、やっと身を休めうるほどな破れ屋でも見つけたのは、まだいい方であったかもしれぬ。

だが、<ruby><rb>母子</rb><rt>ふたり</rt></ruby>には、しょせん、寝つかれはしなかった。――途中、藤夜叉と告げて風の如く消え去った者の<ruby><rb>咡</rb><rt>ささや</rt></ruby>きが「……あらぬ嘘か」「<ruby><rb>真実</rb><rt>まこと</rt></ruby>か」と、まだどこかでは迷われている。そして、恐怖だけは、迷いとべつに、尼の神経を冴えさせるばかりだった。山音、風の歩み、雨のようなこおろぎの啼く<ruby><rb>音</rb><rt>ね</rt></ruby>も<ruby><rb>援</rb><rt>たす</rt></ruby>けて。

そのうちに、ガタと板壁の隣で、物音がした。抱きついている覚一の手のさきを、尼は乳のあたりで痛く感じた。

「おいっ、<ruby><rb>御厨</rb><rt>みくりや</rt></ruby>、外へ出ろ」

まぎれない従者の八郎太の声である。つづいて御厨ノ伝次の声がするどく聞えた。

「この<ruby><rb>真夜半</rb><rt>まよなか</rt></ruby>。何のために」

「何でもいい。一しょに来い」

「よし出てやる。今切藤五はどこにいるんだ」

八郎太と伝次の二人は、のッけから語気あらあらと闘っていた。従者三名のうち、もう一名の藤五は、どうしたのか、声はしない。とにかく、一瞬にガタガタと物音を蹴すてて、小屋から外へ出て行ったらしい。

「あっ。何であろ、ただ事ではない？」

起き直った母の袂を、覚一は無意識にかたくつかんだ。

「お動きなさいますな。じっとしていましょう。それしかありません。疎石禅師が仰っしゃいました。<ruby><rb>妄想</rb><rt>モウソウ</rt></ruby>スル<ruby><rb>莫</rb><rt>ナカ</rt></ruby>レ……って」

「妄想スル<ruby><rb>莫</rb><rt>ナカ</rt></ruby>レ……？」

「きっと、こんな時の、心の持ちようを仰っしゃったのでしょう」

「だって、藤夜叉の告げが、ほんとだったら、こうしてはいられまいがの」

「こんなときは、<ruby><rb>盲</rb><rt>めしい</rt></ruby>が悲しゅうございます。私を連れては、お母あさまだって、どうする思案もつかないでしょうに」

「今、従者たちが、<ruby><rb>争</rb><rt>いさか</rt></ruby>い出したのが、倖せじゃ。この隙に、あの者たちの眼をのがれ、心あてまで、逃げのびましょう」

「お心あてとは」

「ここは<ruby><rb>三河路</rb><rt>みかわじ</rt></ruby>、一色村とか<ruby><rb>幡豆</rb><rt>はず</rt></ruby>ノ<ruby><rb>郷</rb><rt>ごう</rt></ruby>とか、足利党の住む所も、さして遠くないとのこと」

「でも、今夜さえ無事にこせば、一色の衆がこれへ来ると言ってましたし、従者どもの仲間割れも、何やら変です。もすこし、様子を見てからでも」

つい尼も、ためらわれて来る。<ruby><rb>盲</rb><rt>めしい</rt></ruby>を連れてのそんな<ruby><rb>足掻</rb><rt>あが</rt></ruby>きは、しょせん無謀とも迷わざるをえない。――妄想スル<ruby><rb>莫</rb><rt>ナカ</rt></ruby>レ、妄想スル莫レ……と胸でいってみる。でも、それはどうしていたらいいことなのか。

――すると。

獣ではない。まさしく、人間と人間のもの。

どこかで、吠え合うような声が聞え、だ、だ、だッと、跫音に交ざって、ぎゃッと、異様な一と声が、彼方の闇をつンざいた。

「か、覚一」

「お母アさま！」

思わず両手で、耳を<ruby><rb>塞</rb><rt>ふさ</rt></ruby>いだまま、母子はペタと俯っ伏した。

自分の恐怖だけではない。母の本能も彼女を<ruby><rb>駆</rb><rt>か</rt></ruby>って。

「いけない。……何かもう虫が知らせる。さ、お立ち、お立ち。母が付いている。ここを離れて、夜さえ明かせば」

夢中で、子の手を引ッぱった。覚一とて、<ruby><rb>恐</rb><rt>こわ</rt></ruby>さに、声も出ないのである。<ruby><rb>鞠</rb><rt>まり</rt></ruby>まろびに寝小屋の外へ這い出し、必死な母の手に引かれるままに引かれて走ッた。

ところが……。

従者三人のうちでも、ただひとりは、供する主筋の母子を、密かに、警固していた者はあったのだ。

しかし、その御厨ノ伝次は、ちょっと前、八郎太に連れ出されて、隣の<ruby><rb>塒</rb><rt>ねぐら</rt></ruby>を離れたと思うと、たちまち彼方の<ruby><rb>暗闇</rb><rt>くらやみ</rt></ruby>で呶号していた。――来たナ、という直感は彼にあったし、ゆうべからの<ruby><rb>忿懣</rb><rt>ふんまん</rt></ruby>も、いちどに出た。

「なにっ、おれにも腕を貸さないかと、<ruby><rb>見損</rb><rt>みそこ</rt></ruby>なうな。伝次は、畜生ではないぞ。<ruby><rb>盲</rb><rt>めしい</rt></ruby>のお子や尼御前を<ruby><rb>害</rb><rt>あや</rt></ruby>めるような腕は持たぬ。儲け仕事とは何ンだ。山分けとは何ンだ。この<ruby><rb>外道</rb><rt>げどう</rt></ruby>めが」

それに対して、なおまだ、なにか口巧者に、説得しようとする八郎太に、多くもいわせず、いきなり機先を制して、伝次の方から抜き打ちを浴びせた一刀が、ぎゃッと、<ruby><rb>谺</rb><rt>こだま</rt></ruby>をよんだのだった。

八郎太は、ころがった。血に<ruby><rb>眩</rb><rt>くら</rt></ruby>んだ。どこを斬られたかなど、自覚もない。

初めから、相手は豪の者とわかっていた。だから今切藤五も考えた。もし、うんといわぬ場合は、奴の<ruby><rb>背後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>から不意の一ト太刀をまず浴びせる、きさまも、<ruby><rb>間髪</rb><rt>かんはつ</rt></ruby>を入れず、相手の横を、抜き払え。――と話は出来ていたのである。が、八郎太はそれに頼りすぎてしまったのだ。

「藤五ッ。た、たすけろっ」

八郎太の叫びに、物蔭にいた今切藤五も狼狽はしたが、

「うぬっ」

もちろん、その加勢には、必死が<ruby><rb>賭</rb><rt>か</rt></ruby>かッた。

豪の者御厨ノ伝次にも、不覚が生じた。八郎太へ、追い太刀を振りかぶり過ぎたため、身をひるがえすに遅かったのだ。<ruby><rb>深傷</rb><rt>ふかで</rt></ruby>はうけなかったが、藤五の切ッ先には、手ごたえがきこえた。――数歩、よろめいた伝次は、当然、逆な受けに廻されていた。

「八郎太、しっかりしろ」

相手の挫折に力をえて、一人の敵に、二人はやっと、息を合せた。といっても、<ruby><rb>長柄</rb><rt>ながえ</rt></ruby>を以て手馴れの打物とし、太刀は使っても、まだ剣法の技も工夫されず精神もなく、ただ兇器の役だけをしていた時代だ。太刀を持っての殺し合いだとも、いえばいえよう。

「やいっ、藤五」

「伝次。考え直したか」

「くそ。それでも、きさまは人間か」

「おおさ、人間なれやこそ、<ruby><rb>宗旨</rb><rt>しゅうし</rt></ruby>をかえた。ひとの宗旨がえに、邪魔するな」

「よく<ruby><rb>吐</rb><rt>ほ</rt></ruby>ざいた。人間の皮をかぶッて。――うぬとて、昨日今日の武家郎党ではあるまいに」

「だからこそ、飽き飽きしたのだ。きさま、つまらぬ忠義立てすると、二つとない命もここでおしまいだぞ」

「気狂いか。魔に<ruby><rb>憑</rb><rt>つ</rt></ruby>かれたのか。眼をさませ、うぬも八郎太も。二人とも、主家には御恩も浅からぬ親代々の郎党だろうが」

「うるせいッ、談義などは」

「鬼にも耳がある。まあ<ruby><rb>一言</rb><rt>ひとこと</rt></ruby>聞け。たとえ、きさまたちの悪心が思うツボに行ったところで、主家の上杉家には、うぬの縁故や老幼か残っているはず。その者たちを、どう思うのだ。我欲の<ruby><rb>贄</rb><rt>にえ</rt></ruby>としてもかまわぬつもりか」

「いらざる世話だ。そんなものをかまッていたら、一生の日が暮れちまう。この世を楽しむほかに何がある。人間ならそれが本筋なんだよ。きさまのようなのを<ruby><rb>木偶</rb><rt>でく</rt></ruby>というのだ。知らねえか」

「よしっ。そんなに楽しみが欲しいなら、<ruby><rb>往生</rb><rt>おうじょう</rt></ruby>という安楽を与えてやろう。あの世で<ruby><rb>臍</rb><rt>ほぞ</rt></ruby>を噛んでも追いつかぬぞ」

「けッ。笑わすな」

太刀は<ruby><rb>撲</rb><rt>なぐ</rt></ruby>りかかった。伝次は振り廻す。或いは飛躍し、或いは追ッかけ合って<ruby><rb>猛</rb><rt>たけ</rt></ruby>ぶ。白い<ruby><rb>角</rb><rt>つの</rt></ruby>を持ちあった三獣の影が<ruby><rb>跳</rb><rt>と</rt></ruby>び交わしているのに似ている。

ついに、その一ツの影が、がふッと、血音を抱いて起たなくなった。返り血は、御厨ノ伝次の横顔を半分消した。思わず、彼が左の<ruby><rb>肱</rb><rt>ひじ</rt></ruby>で、眼をこすったせつな、これも手負い<ruby><rb>猪</rb><rt>じし</rt></ruby>となった藤五が、

「畜生っ」

ひと声、迫った。

その胸へ、伝次の頭がぶつかった<ruby><rb>弾</rb><rt>はず</rt></ruby>みに、二つの体は、後ろの谷へ転落していた。谷は浅かったのであろうか。まもなく、今切藤五ひとりだけが、血みどろな手で、そこらのクマ笹をつかみ、這い上がッて来た。

血泥にまみれた藤五の影は、悪念のかたまり、そのものだった。――勝った、もうしめたもの！　よろめき歩きながらもニタついていた。

そして何かに、つまずいた。

それは、自分が悪へおびき入れた弱気な八郎太の死骸だったが、彼の眼にはもう<ruby><rb>一塊</rb><rt>いっかい</rt></ruby>の土くれに過ぎない。眼はただ、彼方の小屋――草心尼と覚一の<ruby><rb>塒</rb><rt>ねぐら</rt></ruby>へ向って燃えていた。

<ruby><rb>喘</rb><rt>あえ</rt></ruby>ぎ喘ぎの、その数十歩の間だけは、彼にも幸福に似た胸の鼓動があった。郎党奉公では一生かかっても手にしえない程な金、美しい若尼の肌、未来の美酒が、目のさきにチラついていた。

しかし、それはそれまでのことでしかない。

「やっ？　……ヤ、ヤ」

<ruby><rb>辿</rb><rt>たど</rt></ruby>りついた寝小屋には、尼も覚一も見えなかった。彼は<ruby><rb>愕</rb><rt>がく</rt></ruby>として、外を廻ってみたり、また、内へ入ってみたり、

「しゃッ、逃げやがったな」

ふたたび、その<ruby><rb>朱</rb><rt>あけ</rt></ruby>にそんだ姿を励まして、山中幾里の闇を西へ、はッ、はッと、口を開きながら、追いかけはじめた。

「……<ruby><rb>盲</rb><rt>めくら</rt></ruby>の子連れだ」

藤五は何度も言ってみる。

「知れたもの。……逃げようたって、逃がしてたまるものか」

彼とて、その足つきは、そう自由でもない。御厨ノ伝次を相手に、数ヵ所の<ruby><rb>浅傷</rb><rt>あさで</rt></ruby>を負わせられていたからだ。

気はあせる。精根も尽きかける。しかし、この苦痛は、富をつかむ代価だと彼は励む。だが、眼はぐらぐら揺れ、口は<ruby><rb>渇</rb><rt>かわ</rt></ruby>いて、ふと近くの水音を聞くと、矢もたてもなくなった。いきなりそこへ<ruby><rb>匍匐</rb><rt>ほふく</rt></ruby>して、獣のように、流れへ顔を持って行った。

……がぼ、がぼ、と夢中で水を吸ッていたのである。すると、その水は急に火の色になった。ぎょッとして上を仰ぐと、上の<ruby><rb>崖道</rb><rt>がけみち</rt></ruby>を、六、七人の人影と<ruby><rb>松明</rb><rt>たいまつ</rt></ruby>が通りかけていた。

<ruby><rb>颯</rb><rt>さ</rt></ruby>ッと、一つの松明が、下を望んで焔を振ったと思うと、

「何者だっ。そこにおるのは」

と、上で呶鳴る声がした。

「旅の者よ」

藤五が、<ruby><rb>嘯</rb><rt>うそぶ</rt></ruby>くと、

「旅の者とだけでは分らん。素姓をいえ」

「おぬしらこそ、どこの者だ」

「おれたちか」

顔見合せている風だったが。

「これは三州一色党の者。ちと尋ねるお人があって夜行の途中」

そう聞くと、藤五は色を失った。――が、その狼狽した自分の挙動も、暗がりの上と下、気どられたはずもないと、いっそう、ぐっと落ちつき払って。

「それや御苦労な。……自分事は、花山院家の<ruby><rb>雑色</rb><rt>ぞうしき</rt></ruby>なれど、鎌倉へのお使いをすまし、都へ急ぎ帰る途中の者でおざる」

「やあ、お見それした、おゆるしあれ。が、東からこの<ruby><rb>山中路</rb><rt>やまなかじ</rt></ruby>をお通りなら、お若い<ruby><rb>尼僧</rb><rt>にそう</rt></ruby>と<ruby><rb>盲</rb><rt>めしい</rt></ruby>の子連れの旅人を、どこかで、お見かけなさらなかったか」

「さよう。見たような気もする」

「や。どこで」

「<ruby><rb>舞木</rb><rt>まいき</rt></ruby>の小屋であったか、<ruby><rb>本宿</rb><rt>ほんじゅく</rt></ruby>の辺りであったか」

「ではまだ、ずっと東の方の道よな。さもあろう、<ruby><rb>女子</rb><rt>おなご</rt></ruby>と<ruby><rb>盲</rb><rt>めしい</rt></ruby>づれの足では。……いや、<ruby><rb>率爾</rb><rt>そつじ</rt></ruby>を申した。御免」

松明の幾ヒラめきは、すぐ山蔭の道へ消えて行った。つづいて後から、<ruby><rb>戛々</rb><rt>かつかつ</rt></ruby>と、馬を曳いてゆく響きもする――。

それを見送りすますやいな、藤五はピョンと起ち上がった。だが<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">膝ぶし</span>は<ruby><rb>顫</rb><rt>ふる</rt></ruby>え、<ruby><rb>瞳孔</rb><rt>ひとみ</rt></ruby>はさだまらず、前よりもまたひどく、ひょろついていた。

一色党の六、七名は、たちまちのまに、そこの一平地で、一軒の山小屋と、また小屋から少し離れた所の地上に、一個の死体を見いだしていた。

いうまでもなく、羽鳥八郎太の死骸。

「すわ、何かあったぞ」

人々は、途中気がかりにして来た予感を眼に見せられた心地であった。血の香に吹かれた<ruby><rb>面</rb><rt>おもて</rt></ruby>を<ruby><rb>颯</rb><rt>さ</rt></ruby>ッと、そよがせ合って。

「小屋は見たか。二つの寝小屋は、人はいないか」

「いない。……怪しいのは、さっき、流れで水を呑んでいた男だが」

「あれを加えると、この死骸の従者と、二人になる。従者は三名と伺っていた。もう一人を探せ。そいつが、草心尼さま母子を、どこぞへ、かどわかした者かもしれぬ」

「そうだ、死骸も<ruby><rb>温</rb><rt>ぬく</rt></ruby>い。まだ時たったことではない」

そこへまた、東の道からも、数名が来合せた。すべて一色村の党人だ。

ここで、いささか説明を加えるなら、その一色村は、かつての日、高氏が忍び上洛の<ruby><rb>途</rb><rt>と</rt></ruby>に供をした<ruby><rb>傅役</rb><rt>もりやく</rt></ruby>の若党、かの一色右馬介の出生地なのである。

彼は、勘当の汚名を負い、いまは主の高氏と離れて、郷里にもいないが、しかし、彼の父一色<ruby><rb>刑部</rb><rt>ぎょうぶ</rt></ruby>は健在であり、近郷の<ruby><rb>吉良</rb><rt>きら</rt></ruby>、今川などの同族とならんで、古くから隠然たる半農半武士的な根づよい地盤を三河一色ノ郷にかためている。

さらにまた、宗家高氏の隠し子を――<ruby><rb>公</rb><rt>おおやけ</rt></ruby>でない里子として――一色刑部が預っていた。

<ruby><rb>不知哉丸</rb><rt>いさやまる</rt></ruby>、そのわが子へ。

会うてもよい、尋ねて行け、と高氏からゆるされて、藤夜叉が村へ入ったのは昨年の秋ごろだった。それから、ざっと一年目である。ゆくりなく、足利家とは縁も深い<ruby><rb>母子</rb><rt>おやこ</rt></ruby>法師の危機を<ruby><rb>途上</rb><rt>みち</rt></ruby>で知って、その急を、彼女が一色党の人々へ<ruby><rb>報</rb><rt>し</rt></ruby>らせたなども、<ruby><rb>輪廻</rb><rt>りんね</rt></ruby>、眼に見えぬ何かに人は皆うごかされていると説く<ruby><rb>仏者</rb><rt>ぶっしゃ</rt></ruby>の言もあながちわらうべきではない。

ともあれ今、一色党の面々は、小屋を中心として、八方へ手分けにかかった。谷間へ降りて行った者が、やがて、気を失っていた御厨ノ伝次を見出した。ほどなく伝次は人々の手に<ruby><rb>扶</rb><rt>たす</rt></ruby>けられて上がって来た。

彼の言で、いきさつはすべて、明瞭になった。それにつけ、返す返すも残念なのは、先に、渓流のほとりで見かけた京の公卿侍といっていた奴、あれこそ今切藤五であったに違いなかったものをと、人々は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">地だんだ</span>踏んだ。

「まだ遠くはないぞ、追っかけて引っ捕えろ」

一手の者は、ただちに藤五の行方を追跡し、他の者は、あなたこなたと、草心尼<ruby><rb>母子</rb><rt>おやこ</rt></ruby>の姿を捜しにかかッた。

ところで、この恐怖の<ruby><rb>半刻</rb><rt>はんとき</rt></ruby>を、一方の草心尼と覚一は、どこでどう<ruby><rb>凌</rb><rt>しの</rt></ruby>いでいたのか。

ふたりは、まっ暗な真空の中に、一ツ体みたいに抱き合っていた。しょせん逃げおおせぬとあきらめてか、途中、小さい<ruby><rb>破</rb><rt>や</rt></ruby>れ<ruby><rb>堂</rb><rt>どう</rt></ruby>を見かけるやいな隠れこんで、内から<ruby><rb>御堂格子</rb><rt>みどうごうし</rt></ruby>を閉じていたのだった。

覚一は、妄想スル<ruby><rb>莫</rb><rt>ナカ</rt></ruby>レを念じ、尼の唇は自然に、“地蔵菩薩本願経”を糸のような小声で<ruby><rb>唱</rb><rt>とな</rt></ruby>えていた。――いつか外に、チチチチと、小鳥が明けを告げていたのも耳になく。

覚一は、ふと。

「おや、小鳥の声だ。お母あさま。夜が明けたんでしょ」

「そう。まだ暗いが」

「ああ。……<ruby><rb>恐</rb><rt>こわ</rt></ruby>かった。でも、もう大丈夫でしょ。これであらしは過ぎたかもしれません。けれど、ゆうべのあの様子では、八郎太か藤五か伝次か、誰かがきっと死んでいますよ」

「主従も信じ合えず、同僚も信じ合えず、あの者たちを見ても、恐ろしい世になったものよの」

「でも、死んだのなら、可哀そうな気もします。私たち母子の供に<ruby><rb>従</rb><rt>つ</rt></ruby>いて来なければ、なんの悪心も起さなかったことでしょうに」

覚一は妙に沈んで言った。

尼にはちょッと<ruby><rb>解</rb><rt>げ</rt></ruby>せない心地だったが、よく考えてみると、これがこの子の天性だったとうなずかれた。仏心の何のというそんな大人びた情や智でなく、感じたままに、荒涼な世と人の死が悲しまれての呟きに違いない。

生来、そういう子なればこそ、琵琶一筋に生きようなどと、世間の子とも違った考えを早くから持ったものであることも、母の彼女が、たれよりもよく知っていたはずだった。

「おおういっ。ここだ、みな来いっ」

どこかで、ふいに大声がしたのである。――と思うと、堂の附近へ、俄に、がさがさと<ruby><rb>人騒</rb><rt>ひとざわ</rt></ruby>めきが駈け寄っていた。

「見つかったか」

「む、相違なくそこの<ruby><rb>破</rb><rt>や</rt></ruby>れ<ruby><rb>堂</rb><rt>どう</rt></ruby>だ」

「や、あの内にか」

「ふと、お<ruby><rb>経誦</rb><rt>きょうず</rt></ruby>の細々な声。……先刻からここで<ruby><rb>屈</rb><rt>かが</rt></ruby>まり聞いて、やれやれと胸なで下ろした」

「なぜ早くに知らさぬのだ。おれたちは、血まなこなのに」

「いやいや、<ruby><rb>得態</rb><rt>えたい</rt></ruby>もしれぬこの同勢で、事も俄に、荒々と、お驚かせしてはなるまい。まず一同で、外から仔細をお告げ申しあげ、よく御得心を仰いだ上で、迎えの駒へ、おすすめいたすがよいかと思う」

「駒は、どうした」

「駒は彼方だが」

「たれか、それも曳いて来い」

やがて、顔が揃うと、年かさの一人が、やおら<ruby><rb>御堂格子</rb><rt>みどうごうし</rt></ruby>の前へすすみ出た。そして、鎌倉者には見られない素朴な<ruby><rb>郷武者</rb><rt>さとむしゃ</rt></ruby>振りで、こう呼びかけた。

「――内なる尼前のおん<ruby><rb>母子</rb><rt>ぼし</rt></ruby>へ物申しまする。これは足利殿の<ruby><rb>末党</rb><rt>まっとう</rt></ruby>一色村の者どもですが、きのう<ruby><rb>不知哉丸</rb><rt>いさやまる</rt></ruby>さまの<ruby><rb>母御前</rb><rt>ははごぜ</rt></ruby>より、途中、ご危難のよしの<ruby><rb>報</rb><rt>し</rt></ruby>らせをうけ、おあるじ<ruby><rb>刑部</rb><rt>ぎょうぶ</rt></ruby>殿のいいつけにて、夜来、ご安否を案じて、お尋ねし抜いておりまいた」

「…………」

「さ<ruby><rb>候</rb><rt>そうら</rt></ruby>えば、ゆめ、怪しき者どもではございません。なにとぞ、ご安心のうえ、刑部殿よりおさし向けの駒の背へお移りあって、われらどもの案内に、しばしお身おまかせ願わしゅう存じまする」

「…………」

「――これより山越えで南へ五、六里。一色ノ<ruby><rb>郷</rb><rt>さと</rt></ruby>には、きのう<ruby><rb>途上</rb><rt>みち</rt></ruby>にてお会いなされた不知哉丸さまの母御前藤夜叉さま、お<ruby><rb>主</rb><rt>あるじ</rt></ruby>の刑部殿、ほか一族どももお待ち申しておりましょう。――さらには、次の都へのお旅路とて、ふたたび、<ruby><rb>昨夜</rb><rt>よべ</rt></ruby>のごときご不安はおかけ仕りませぬ。いかようとも、われらお送り申しあげますれば」

「…………」

「なお、なお。ご不審でもございましょうや。不知哉丸さまと申し、藤夜叉さまといい、お胸におちぬのは、ご無理もございませぬが、みな宗家高氏さまのお<ruby><rb>近親人</rb><rt>ちこうど</rt></ruby>、御血縁同様なお方。……とまれ、ここで委細は申しかねますが、刑部殿がお目にかかっての上は、何かのおん物語りも<ruby><rb>種々</rb><rt>くさぐさ</rt></ruby>とございましょうず。……いざ、どうぞ、お起ち出であって」

いつまでも、堂の内は、人などいないようだった。

けれど一同が息をのんで待つ間のしじまは、見えぬ所で、しずかに涙している草心尼母子の姿を皆の瞼に思い泛かばせていた。

……やがて、コトリと内で気配がうごいて。

「覚一、どうしやる？」

「どっちでも、私は」

「では、勿体ないが、お迎えにまかせましょうか」

御堂格子が、少し開いた。

その二つの顔を、東の紅雲も待っていた。せつな、尼はまぶしげな<ruby><rb>睫毛</rb><rt>まつげ</rt></ruby>をした。覚一はまともに向いたままだった。けれど、彼が<ruby><rb>生</rb><rt>せい</rt></ruby>をうけた黒天黒地の<ruby><rb>無明</rb><rt>むみょう</rt></ruby>の世界にも、トロトロとして巨大な一輪の<ruby><rb>光焔</rb><rt>こうえん</rt></ruby>だけは<ruby><rb>観</rb><rt>み</rt></ruby>えていた。

## <ruby><rb>散所市</rb><rt>さんじょいち</rt></ruby>

なんといっても、みかどもまだ御壮年だし、ひとしく、人間でもあろうではないか。

<ruby><rb>稀</rb><rt>ま</rt></ruby>れには、あの窮屈な皇居から人中へ出て、自然な呼吸をしてみたくなることだっておありであろう。――それを<ruby><rb>行幸</rb><rt>みゆき</rt></ruby>のたびに、いちいち事ありげな眼で<ruby><rb>私沙汰</rb><rt>わたくしざた</rt></ruby>を<ruby><rb>咡</rb><rt>ささや</rt></ruby>くなどは、いかがなものか。およそ今日の、そんな風儀こそ、六波羅の狭量がそそる<ruby><rb>放免</rb><rt>ほうめん</rt></ruby>（密偵）根性と申すもので、<ruby><rb>卑</rb><rt>いや</rt></ruby>しむべきおせッかいであるまいか。

山伏ていの男が言った。

相手は、この辺の学僧らしい。

<ruby><rb>龍田</rb><rt>たつた</rt></ruby>の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">道ばた</span>――つまり奈良<ruby><rb>河内街道</rb><rt>かわちかいどう</rt></ruby>である。

腰かけている路傍の石から、春の<ruby><rb>梢霞</rb><rt>こずえがすみ</rt></ruby>を越えて、法隆寺の塔が、頃あいな距離で眺められる。

しかし、それには興もなげな二人なのだ。一般に、時事の論議がさかんである。わけて知職人の多い南都は<ruby><rb>時風</rb><rt>じふう</rt></ruby>も烈しい。――今も、相手の弁を<ruby><rb>嘲</rb><rt>わら</rt></ruby>って、

「いや、お説はお説だが」

と、一方の学僧も、<ruby><rb>駁</rb><rt>ばく</rt></ruby>し出すと、負けていない。

――なるほど、六波羅根性とは、よくいわれた。鎌倉<ruby><rb>手代</rb><rt>てだい</rt></ruby>の事ごとにコセついた威嚇や小心さは、何とも<ruby><rb>笑止</rb><rt>しょうし</rt></ruby>なものがある。

しかし、五年前に、ご承知だろうが、“<ruby><rb>正中</rb><rt>しょうちゅう</rt></ruby>ノ<ruby><rb>変</rb><rt>へん</rt></ruby>”といわれた程な、あんな不始末を世上へ<ruby><rb>曝</rb><rt>さら</rt></ruby>した朝廷としても、以後お慎みは見えず、また、諸民へたいしての、<ruby><rb>安堵</rb><rt>あんど</rt></ruby>のお示しなどもいっこうにない。

だから六波羅の放免根性に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かぶれ</span>るわけではないが、民もおのずから「またいつ、正中ノ変みたいな大事が降ッて湧くンじゃないか」と、つい不安も生じ、あらぬ疑心にも、ひッかかると申すもの。

しかのみならず、だ。

<ruby><rb>今上</rb><rt>きんじょう</rt></ruby>、<ruby><rb>後醍醐</rb><rt>ごだいご</rt></ruby>のお動きはいよいよ活溌で、鎌倉など、はや御眼中にありともみえぬ。といっても、雲の上のこと、<ruby><rb>凡下</rb><rt>ぼんげ</rt></ruby>の臆測でもあるが、ここ三年つづきの法勝寺行幸やら、また、このたびの東大寺、興福寺、春日<ruby><rb>御社参</rb><rt>ごしゃさん</rt></ruby>といったような車駕のお忙しさは、そも何のためか、理解にくるしむ。

お<ruby><rb>費</rb><rt>つい</rt></ruby>えは、莫大だし、その<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つど</span>の<ruby><rb>供御人</rb><rt>くごにん</rt></ruby>やら何やらの徴発も、民土には、やりきれまい。

<ruby><rb>聞説</rb><rt>きくならく</rt></ruby>、その上にも。

この三月中には、さらに叡山へ<ruby><rb>行幸</rb><rt>みゆき</rt></ruby>され、大講堂の御供養とか、<ruby><rb>日吉社参</rb><rt>ひえしゃさん</rt></ruby>とかの、御予定もはやあるとか。それらを洩れ聞くにつけ、一般の者が「……これやよも、ただ事の御祈願ではあるまいぞ、内々、<ruby><rb>南都</rb><rt>なんと</rt></ruby>や<ruby><rb>叡山</rb><rt>えいざん</rt></ruby>へお手を廻して、お味方に<ruby><rb>馴付</rb><rt>なづ</rt></ruby>けんとする<ruby><rb>御心</rb><rt>みこころ</rt></ruby>でもあろうや？」、と耳こすりするのも、あながち愚民の<ruby><rb>妄</rb><rt>もう</rt></ruby>とのみはいえまい。

正直、かくいう自分も愚民と共に、世の先を案じる者だが、考えてみると、あんたは霞を食ッて生きている山伏だったな。――山伏殿にはかかる民の<ruby><rb>杞憂</rb><rt>きゆう</rt></ruby>はご一笑ものか。……アハハハハと、若法師は仰向いて笑った。彼の<ruby><rb>諧謔</rb><rt>かいぎゃく</rt></ruby>につりこまれて、山伏もまた腹を抱えた。

すると、ふと。

そこから少し離れた路傍でも笑う声がしたので、二人は驚いて、口をつぐんだ。どこか<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">都びた</span>風采の旅の主従が、さっきから聞き耳すましていた風だった。

これは、いけない。

山伏と若僧とは、すぐ路傍から立ちかけている。

二人とも、人なきものと安心して、つい<ruby><rb>鬱</rb><rt>うつ</rt></ruby>を吐いていたらしいが、たとえ<ruby><rb>放免筋</rb><rt>ほうめんすじ</rt></ruby>（諜者）でなくても、ヘタな人間に聞かれると、いつか密告されていて、後日忘れた頃に引ッ張られた――などの例は毎々眼にも見、耳にも聞くところなのだ。

宮方びいき、鎌倉同調、いずれにしろ、現今、それに神経をつかッていない者はない。

――で、この二人もたちまち声を消して、奈良街道を、西と東に別れ去ってしまったが、おなじ路傍に脚を休めていた<ruby><rb>藺笠</rb><rt>いがさ</rt></ruby>、<ruby><rb>膝行袴</rb><rt>たっつけ</rt></ruby>の旅の主従も、また、

「はははは、何を慌ててぞ、あの両名は。……どれ、わしたちもそろそろ行くか」

と、やおら、腰を上げ出した。

「<ruby><rb>弁</rb><rt>べん</rt></ruby>ノ<ruby><rb>殿</rb><rt>との</rt></ruby>」

歩き出すとすぐ、若い郎従は、<ruby><rb>主</rb><rt>あるじ</rt></ruby>の人を、そう呼んだ。

「きっと、いま去ッた法師と山伏は、われら主従を、六波羅筋の武者と思い違いしたものでございましょうず。なンとも、ぎょッとした顔つきでした」

「さようかナ。菊王はそう見えもしようが、わしはまさか、六波羅武士とは見えもしまい。<ruby><rb>遊山姿</rb><rt>ゆさんすがた</rt></ruby>の<ruby><rb>絵所</rb><rt>えどころ</rt></ruby>の絵師――というつもりで、かく入念に、<ruby><rb>扮装</rb><rt>いでたち</rt></ruby>してまいったものを」

「なかなか」

と、菊王は首を振って。

「<ruby><rb>藺笠</rb><rt>いがさ</rt></ruby><ruby><rb>優</rb><rt>やさ</rt></ruby>しゅう、細太刀<ruby><rb>佩</rb><rt>は</rt></ruby>いて、風流めかしてはおいででも、どこか御気魄は、隠しえませぬ」

「というて、公卿の<ruby><rb>身装</rb><rt>みなり</rt></ruby>でも歩けず、山伏姿という手も古い。――それに、近ごろはとくに、いま見たような一見、宮方びいきとわかる山伏も多いからの」

「吉野、大峰、<ruby><rb>葛城</rb><rt>かつらぎ</rt></ruby>、そのほか諸山にわたって、ちと、内々のおくすりが<ruby><rb>効</rb><rt>き</rt></ruby>きすぎた結果でもございましょうか」

「いや、<ruby><rb>人為</rb><rt>じんい</rt></ruby>ばかりではない、時の勢い――。つい数年前までは、われら若公卿が姿を変えて、宮方の士を見出すべく、諸国を遊説したり、月々、文談会など<ruby><rb>催</rb><rt>もよお</rt></ruby>して、倒幕の時運を呼びおこすに努めたものだが、なんと今日では、<ruby><rb>逆</rb><rt>さか</rt></ruby>しまな時風となった」

「そうです、今では、<ruby><rb>地下</rb><rt>じげ</rt></ruby>一般の<ruby><rb>風</rb><rt>ふう</rt></ruby>が、世の世直しを、一日も早くと、待ち望んでいるような」

「されば、輿論が先走って、<ruby><rb>九重</rb><rt>ここのえ</rt></ruby>の内のおしたくの方が、おくれがちだ。――しかし、きのう、おとといの南都行幸も事なくすみ、つづいて、叡山行幸の御予定なども終れば、まず一応、事は<ruby><rb>緒</rb><rt>しょ</rt></ruby>についたものと見てよかろう。さある上は、大みいつの<ruby><rb>下</rb><rt>もと</rt></ruby>、一令天下を驚かす日も遠くはない」

法隆寺の塔をうしろに、この主従の遊山めいた足は、龍田から河内へ向っていたのだった。

それはいいが、とうに先に行ったはずの、さっきの山伏が、いつのまにか、主従の後になっていた。しかも、のこのこ後に<ruby><rb>尾</rb><rt>つ</rt></ruby>いて来るのである。菊王の眼が、あるじの弁ノ殿に、<ruby><rb>叱</rb><rt>しっ</rt></ruby>……と注意したのを、<ruby><rb>敏</rb><rt>さと</rt></ruby>くも後ろで知ったらしく、山伏は急に二人の背へ呼びかけて来た。

「もし。途上、まことに失礼なれど、それへおわたりあるは、<ruby><rb>前</rb><rt>さき</rt></ruby>ノ<ruby><rb>蔵人</rb><rt>くろうど</rt></ruby>、日野<ruby><rb>俊基朝臣</rb><rt>としもとあそん</rt></ruby>ではおざりませぬか」

「いや、ちがう、ちがう。人違いだ。<ruby><rb>粗忽</rb><rt>そこつ</rt></ruby>めさるな」

ぶあいそに菊王は、後ろの山伏へ、首を振ってみせた。

でもなお、<ruby><rb>執</rb><rt>しつ</rt></ruby>こく何か言いながら、<ruby><rb>馴々</rb><rt>なれなれ</rt></ruby>しげに寄って来る山伏なので、その<ruby><rb>厚顔</rb><rt>あつかま</rt></ruby>しさを叱るように、また、

「こなたは、<ruby><rb>弁殿</rb><rt>べんどの</rt></ruby>というて、絵所の絵師でおわせられる。御辺がいうお方ではない。先へ通らっしゃい、通らっしゃい」

しかし、従者のそんなことば程度で、ごまかされる山伏ではなさそうだった。にやにやと、それはそれでソラ耳にうけ流している。そして彼自身が日野俊基とにらんだ者のそばへすり寄って、歩調も共に。

「……げに、お久しゅうございましたな。はや六、七年も前のこと。<ruby><rb>大和</rb><rt>やまと</rt></ruby>の<ruby><rb>当麻寺</rb><rt>たいまでら</rt></ruby>にて、一夜よそながら、お目通りした覚えがありまする。その折は、あなた様も、われら同様な山伏姿にお身なりを変えて、次の日、<ruby><rb>当麻</rb><rt>たいま</rt></ruby>越えより<ruby><rb>高市</rb><rt>たけち</rt></ruby>の方へ、ただお一人で、忍びやかに、お立ち出ででございましたが」

「…………」

「さいぜん、龍田の路傍で、ふとお見かけした折も、すぐ思い当りまいたが、居合せた若い学僧は、宮方不服の輩と見えましたゆえ、わざと、眼をそらせて、立ち去った次第でございまするが、何はともあれ、いつも御健勝の<ruby><rb>態</rb><rt>てい</rt></ruby>で、宮方たるわれら<ruby><rb>末輩</rb><rt>まっぱい</rt></ruby>まで、心強うぞんぜられます」

「…………」

「次いでは、五年前の秋、あの正中二年の騒ぎでは、あなた様にも、日野<ruby><rb>資朝卿</rb><rt>すけともきょう</rt></ruby>と共に、鎌倉表へ曳かれてゆき、一時は、宮方同心の者みな、<ruby><rb>暗澹</rb><rt>あんたん</rt></ruby>な思いにくれましたが、佐渡へ流され給うたは、資朝卿おひとりにて、あなた様には、解かれて、都へお返りなされてでござりまいた。――まことに、<ruby><rb>仏天</rb><rt>ぶってん</rt></ruby>の<ruby><rb>冥護</rb><rt>みょうご</rt></ruby>ならんと、その折も、<ruby><rb>孔雀明王</rb><rt>くじゃくみょうおう</rt></ruby>の<ruby><rb>御壇</rb><rt>みだん</rt></ruby>に、われら、いかばかり謝し奉ったことかしれませぬ」

「…………」

答えないでも、山伏の方はいくらでも、問わず語りにしゃべりつづける。といって、耳もふさげず、弁ノ殿とよばれていた日野俊基も、ついには、<ruby><rb>藺笠</rb><rt>いがさ</rt></ruby>の<ruby><rb>翳</rb><rt>かげ</rt></ruby>からキラとその眼を彼の<ruby><rb>額</rb><rt>ひたい</rt></ruby>に射むけた。

「山伏」

「は」

「そちの<ruby><rb>行場</rb><rt>ぎょうば</rt></ruby>は、<ruby><rb>大峰</rb><rt>おおみね</rt></ruby>か<ruby><rb>葛城</rb><rt>かつらぎ</rt></ruby>か、または羽黒か」

「<ruby><rb>入峰</rb><rt>にゅうぶ</rt></ruby>三度の大峰の<ruby><rb>修験者</rb><rt>しゅげんじゃ</rt></ruby>にござりまするが、月のうち十日は、<ruby><rb>当麻寺</rb><rt>たいまでら</rt></ruby>の<ruby><rb>行院</rb><rt>ぎょういん</rt></ruby>へ参ッて、役僧座に勤めておりまする」

「名は」

「当麻寺の<ruby><rb>八荒坊</rb><rt>はっこうぼう</rt></ruby>と申す者」

「八荒坊か。覚えておこう」

「して、あなた様には、東大寺<ruby><rb>行幸</rb><rt>みゆき</rt></ruby>の御帰洛にも<ruby><rb>供奉</rb><rt>ぐぶ</rt></ruby>なされず、軽いお<ruby><rb>身装</rb><rt>みなり</rt></ruby>で、そもいずこへ」

「わしか。わしは絵所の絵師だからの」

「へへへへへ」

「身まま気ままよ。みかどの供奉にも及ばんのさ。ところで、八荒坊とやら、ちょっと待て。そこに立って、わしを見ておれ」

「な、なんの御用で？」

「よい<ruby><rb>面</rb><rt>つら</rt></ruby>がまえだ。その面、<ruby><rb>似絵</rb><rt>にえ</rt></ruby>（似顔）に描いてつかわそう。しばし、うごくまいぞ」

腰の<ruby><rb>筆苞</rb><rt>ふでづと</rt></ruby>から絵筆を抜き、料紙<ruby><rb>綴</rb><rt>とじ</rt></ruby>を片手にして立ち<ruby><rb>対</rb><rt>むか</rt></ruby>うと、何と考えたか、八荒坊は、燕返りに飛びすさッて、

「いや、今日はちと急ぎまする。いずれまた。――ごめん」

とばかり、一目散に逃げ去ってしまった。

「あ。うさんな山伏」

「追うな。菊王」

「でも、みすみす」

「<ruby><rb>放</rb><rt>ほ</rt></ruby>ッとけ、放っとけ」

俊基はただ笑って見送っていた。もう彼方だった八荒坊の影は、たちまち、王寺の辻の辺りで見えなくなった。

菊王はいまいましげに。

「何もかも、おあるじの御本身をば、知り抜いていたような<ruby><rb>彼奴</rb><rt>きゃつ</rt></ruby>の<ruby><rb>口吻</rb><rt>くちぶり</rt></ruby>。ただの山伏とも思えませぬ。そもあれや、何者でございましょうか」

「知れたこと。――<ruby><rb>偽宮方</rb><rt>にせみやかた</rt></ruby>と申すものだ」

「偽宮方」

「六波羅の放免（密偵）どもも、次第に、賢うなって来たわ――宮方の密使や説客などが、まま山伏すがたを<ruby><rb>仮</rb><rt>か</rt></ruby>りて往来することあるを知り、近ごろは、彼らの仲間が山伏の皮をかぶって、幕府に反意あるものを、頻りに嗅ぎ歩いているものらしい」

「すれや、一大事だ」

「何が一大事？」

「なにがと仰せられますが、これよりは長のお旅路、しかも、ゆゆしき御秘命を持たれるのに、この先、何となされますか」

「なんともせぬ。<ruby><rb>行雲流水</rb><rt>こううんりゅうすい</rt></ruby>」

「はて。ここだけは、蝶もうららな道ではございますが」

菊王としては、行くての空へ、眉をくもらせずにいられなかった。

ことしは、<ruby><rb>元徳</rb><rt>げんとく</rt></ruby>二年。

その三月十二日だ。

すぐる三日間にわたる天皇の南都行幸は、<ruby><rb>聖武</rb><rt>しょうむ</rt></ruby>の<ruby><rb>帝</rb><rt>みかど</rt></ruby>の<ruby><rb>御願</rb><rt>ぎょがん</rt></ruby>いらいな車駕の盛事といわれ、奈良の<ruby><rb>霞</rb><rt>かすみ</rt></ruby>も、<ruby><rb>埃</rb><rt>ほこり</rt></ruby>に黄ばんだ程だった。もちろん、供奉の公卿百官から<ruby><rb>滝口</rb><rt>たきぐち</rt></ruby>（近衛兵）の<ruby><rb>甲冑</rb><rt>かっちゅう</rt></ruby>まで、洩るるはなき<ruby><rb>鹵簿</rb><rt>ろぼ</rt></ruby>であったが、俊基朝臣だけは、天皇のお<ruby><rb>還幸</rb><rt>かえり</rt></ruby>を仰いだ後も、あとの残務にとどまるものと見せて、じつは飄然、絵所の一絵師と名のって、その旅姿を、ひとり河内路へそれて来たものだった。

もっとも、正中ノ変で、いちどは鎌倉表まで、さしたてられた経歴さえある日野俊基は、これを幕府側から見れば、野に放ッておくにしても、つねに眼の離せぬ前科者であり、注意人物だったのはいうまでもない。

また、朝廷でも、幕府をはばかッて、以後は彼の蔵人の職を<ruby><rb>罷</rb><rt>や</rt></ruby>めさせ、前の<ruby><rb>右少弁</rb><rt>うしょうべん</rt></ruby>にもどして、その官籍も、政事にかかわりのない絵所の一員に移す――とはしていたのである。

が、絵所の<ruby><rb>弁殿</rb><rt>べんどの</rt></ruby>の志士的な気概は、<ruby><rb>昂</rb><rt>たか</rt></ruby>まりこそすれ、<ruby><rb>怯</rb><rt>ひる</rt></ruby>んでなどいなかった。鎌倉の喚問に遭って帰った後は、むしろ一ばい、その反幕精神は、<ruby><rb>熾烈</rb><rt>しれつ</rt></ruby>なものになっている。

その点、従者の菊王もまた、しかりだった。

彼は、俊基が鎌倉へ曳かれた折、主から見込まれて、河内の<ruby><rb>楠木正成宛</rb><rt>くすのきまさしげあて</rt></ruby>の一書を托され、それは首尾よく、その人の手へとどけていた。

けれど、そのときの内容、それ以後の正成と俊基との交渉などは、何も聞くところはない。

おそらくは、六波羅の眼にはばめられ、あれきり途絶えているのではなかろうか。

「……とすれば、これから河内へ入るのだし、途中、楠木殿との御対面なども、お胸の予定にあるのではないか」

菊王は、そんな察しも抱いてみたが、それにつけ、偽宮方の八荒坊が、何か、不吉な白昼の魔の影みたいに、思い返さずにいられなかった。

終日、生駒山を右に見つつ歩いた奈良街道は、やがて、河内平野の無数な川すじと、川に<ruby><rb>拠</rb><rt>よ</rt></ruby>って営みしている部落部落の灯やら野の灯を、しずかな<ruby><rb>夕霞</rb><rt>ゆうがすみ</rt></ruby>の下に見出だす。

さっきから人待ち顔に、安福寺の下に<ruby><rb>佇</rb><rt>たたず</rt></ruby>んでいた<ruby><rb>地侍</rb><rt>じざむらい</rt></ruby>風の男がある。――いま、眼のまえの街道へ見えた二人づれの影へ、なつかしげに、呼びかけて行ったと思うと、ふた<ruby><rb>言</rb><rt>こと</rt></ruby>三言、すぐ木蔭の馬を曳き寄せていた。

「弁殿。――馬を用意してまいりました。どうぞ、ここよりは馬の背にて」

「オオ、<ruby><rb>頼春</rb><rt>よりはる</rt></ruby>。わざわざ出迎えに来ていてくれたか」

「お報らせをいただいてより、<ruby><rb>太夫</rb><rt>たゆう</rt></ruby>にも数日来、しきりと、お待ちうけにござりまする」

「<ruby><rb>息災</rb><rt>そくさい</rt></ruby>かな、<ruby><rb>散所</rb><rt>さんじょ</rt></ruby>ノ<ruby><rb>太夫</rb><rt>たゆう</rt></ruby>も」

「は。まずは事なく」

「久しゅう会わんので、<ruby><rb>儂</rb><rt>み</rt></ruby>もこんどの機会にはと、たのしみに立ち寄るわけだが……。そうそう、菊王はまだ、頼春を見知っておるまいな」

「ぞんじおりませぬ」

と、菊王は、その人へむかって、会釈をしながら。

「<ruby><rb>侍童</rb><rt>じどう</rt></ruby>の頃より、弁ノ殿に長く仕えてまいった<ruby><rb>雑色</rb><rt>ぞうしき</rt></ruby>の菊王にござりまする」

「申しおくれた、それがしは船木頼春……」

と、いいかけて彼は、ちらと、<ruby><rb>右少弁俊基</rb><rt>うしょうべんとしもと</rt></ruby>の顔を見たが、俊基がゆるしている風なので、

「じつ、お恥かしい次第だが、わが妻の嫉妬が<ruby><rb>因</rb><rt>もと</rt></ruby>となって、かの正中の<ruby><rb>禍</rb><rt>わざわ</rt></ruby>いをひき起し、宮方御一同へ、言いようなき<ruby><rb>破綻</rb><rt>はたん</rt></ruby>の<ruby><rb>厄</rb><rt>やく</rt></ruby>をおかけしたので、この身も、死しておわびすべきを、弁ノ殿から、やれ待て、死ぬなら、よい死に場所をほかに求めよと、お<ruby><rb>諭</rb><rt>さと</rt></ruby>しうけて、いまだにこの地で、のめのめ生き長らえている者でおざる」

と、彼はいった。

それは、つねに<ruby><rb>自嘲</rb><rt>じちょう</rt></ruby>を抱いて生きている人の声のようだった。

彼の<ruby><rb>述懐</rb><rt>じゅっかい</rt></ruby>に。

俊基も共に、思い出さずにいられないものがある。――その頼春が自分へ近づいて来たのは、自分の身とて、生きて帰ることなどは、ゆめ考えられなかった鎌倉護送となって行く日の途中であった。

深夜。――宿所の床下へ忍んで来て、男泣きに詫びる頼春をさとし「……妻の<ruby><rb>科</rb><rt>とが</rt></ruby>に代って腹切るほどなら、ここは生き長らえて、よい死に場所をほかに問え。もし、河内の<ruby><rb>楠木多聞兵衛</rb><rt>くすのきたもんびょうえ</rt></ruby>に会わば、そちに、よい死に場所を与えてくれよう」と、そのとき、たしかに言った覚えもある。

ところが、その後、俊基が都返りしてから知ッた頼春の消息によると、教えられたとおり、頼春は楠木家を訪ねて行ったが、正成は会ってもくれず、また、家族を通じて、じぶんの<ruby><rb>赤心</rb><rt>まごころ</rt></ruby>を訴えてみても、「――さような儀は、とんと正成のあずかり知るところにあらず、人に、よい死に場所を与えよなどと申すおたのみは、迷惑至極」と、ニベもない挨拶で追われたということだった。

俊基は気の毒に思い、頼春のために再度、おなじ河内石川の住人<ruby><rb>散所</rb><rt>さんじょ</rt></ruby>ノ<ruby><rb>太夫</rb><rt>たゆう</rt></ruby><ruby><rb>義辰</rb><rt>よしたつ</rt></ruby>という人物を<ruby><rb>紹介</rb><rt>ひきあ</rt></ruby>わせてやった。で、以後はそこに身を寄せている船木頼春だったのである。

「いざ、ご案内を」

頼春は、一別以来の恩人のために、馬の口輪を取って行く。

玉手や<ruby><rb>古市</rb><rt>ふるち</rt></ruby>の<ruby><rb>巷</rb><rt>ちまた</rt></ruby>の灯を見て過ぎると、駒はほどなく、石川<ruby><rb>郷</rb><rt>ごう</rt></ruby>の散所屋敷の門前についていた。

「やあ、ようこそ」

宏大な住居である。

散所屋敷とよぶよりは、むしろ、石川城といった方がふさわしい。

あるじの散所ノ太夫義辰は、みずから大玄関に出迎えていた。よくある<ruby><rb>土地</rb><rt>ところ</rt></ruby>の長者とは、こんな<ruby><rb>態</rb><rt>てい</rt></ruby>の人物をいうのだろう。――五十がらみの、でっぷり肥えた体も、<ruby><rb>唐物</rb><rt>からもの</rt></ruby>ずくめの衣服や身かざり派手派手と、<ruby><rb>毘沙門天</rb><rt>びしゃもんてん</rt></ruby>の像でも歩いて出て来たようだった。

眉は植えたものみたいに<ruby><rb>硬</rb><rt>こわ</rt></ruby>く、色の黒さも、<ruby><rb>乾漆</rb><rt>かんしつ</rt></ruby>の仏像肌を想像させる。――それに、もひとつの特徴は、左の顎のあたりに<ruby><rb>瘤</rb><rt>こぶ</rt></ruby>がある。しかし妙なもので、散所ノ長者の顔にあると、瘤までが、この豪勢なお<ruby><rb>大尽</rb><rt>だいじん</rt></ruby>の福相には、あっておかしくないもののように見える。

「太夫。いつもお<ruby><rb>旺</rb><rt>さかん</rt></ruby>だな」

日野俊基は、客殿のしとねに、くつろぐやいな。

「久々だが、会うたび、お若うなって見ゆるの。御子息の<ruby><rb>豊麻呂</rb><rt>とよまろ</rt></ruby>どのにも変りないか」

「はっ。お引立てのおかげを以て……」

と、義辰は、折るのにもくるしそうな体を曲げて、客へ、貴人の礼をとった。

「かくのごとく、一家皆、<ruby><rb>息災</rb><rt>そくさい</rt></ruby>に暮らしおりますが、平常はつい、洛中のお<ruby><rb>館</rb><rt>やかた</rt></ruby>へも、心ならず、ご不沙汰のみを」

「いやいや、それがよいのだ。……この身も、知っての通り、鎌倉<ruby><rb>喚問</rb><rt>かんもん</rt></ruby>の厄に遭って、あやうく死をまぬがれて都へは返ったものの、あれ以後は、わが家の門を十歩も出れば、はや<ruby><rb>背後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>には、放免（密偵）臭い男が<ruby><rb>尾</rb><rt>つ</rt></ruby>いて来おるような有様でな――。わざと、諸方いずれへも、一切の往来を絶ッてまいった」

「が。このたびは？」

「されば。どうしても、この俊基ならでは、ほかに堂上人では、<ruby><rb>御使</rb><rt>みつか</rt></ruby>いに立つべき、ふさわしい人もないとの集議で、ぜひなく、また隠れ<ruby><rb>蓑</rb><rt>みの</rt></ruby>を着て忍びの旅に出てまいった次第だが。――ま、申さば、陽春の気と共に、蛇も穴を出るとやらのことか」

「では……」と、義辰は俄に、その<ruby><rb>猪首</rb><rt>いくび</rt></ruby>と声をひくめて。

「いよいよ、禁中のおしたくも<ruby><rb>調</rb><rt>ととの</rt></ruby>い、大事御決行の時節も近くにせまりましたかな？」

「いや、なかなか。一朝には、そこまでのお運びにはいたらぬ。この河内はもとより近畿一帯、ひでりの雨を待つように、世の世直しを望む風は<ruby><rb>下々</rb><rt>しもじも</rt></ruby>にまで見えてはおるが」

「して、こんどの御使命は」

「特に、太夫にだけは明かすが」

俊基はあらたまって、その目的を、うちあけた。

先日の南都行幸も、次いで予定されている叡山行幸も、すべては、朝廷お旗上げの御準備にほかならない。

まず僧団勢力を、味方にひきいれておくことは、対関東の作戦上には、欠くことのできない策である。――で、天皇<ruby><rb>行幸</rb><rt>みゆき</rt></ruby>とあわせて、紀州の高野山、<ruby><rb>播磨</rb><rt>はりま</rt></ruby>の<ruby><rb>大山寺</rb><rt>たいせんじ</rt></ruby>、<ruby><rb>伯耆</rb><rt>ほうき</rt></ruby>の大社、越前の平泉寺――この地方四大社寺へたいしても、一朝のさいには、王事に協力あるべしと、<ruby><rb>懇諭</rb><rt>こんゆ</rt></ruby>の密勅がくだされることになったという。

「その密使として、これから高野をはじめ、諸山へ<ruby><rb>経巡</rb><rt>へめぐ</rt></ruby>る道すがらじゃ。太夫、まだ話したいことは、一夜に尽くせぬほど、山々あるぞ」

天皇<ruby><rb>御謀反</rb><rt>ごむほん</rt></ruby>

ということばは、初めは雲の上の<ruby><rb>咒文</rb><rt>じゅもん</rt></ruby>のごとく、また、ごく一部の幕府主脳の秘語としてしか<ruby><rb>咡</rb><rt>ささや</rt></ruby>かれていなかったが、正中ノ変このかた、表沙汰となり、今日では、たれの口にもつかわれている。

だが、天皇御むほん？

どうもおかしいではないか。こんな語は、ことばの意味をなしていないと、いう者もあるにはあった。

武家もなく、幕府もなく、また院政だの、公卿の専横もなかった以前の世は、<ruby><rb>政治</rb><rt>まつりごと</rt></ruby>は天子が<ruby><rb>統</rb><rt>す</rt></ruby>べ給うものときまっていた。天子御一人のほかは、何者といえ、天子の親政を<ruby><rb>補佐</rb><rt>たすけ</rt></ruby>るものにすぎないと、<ruby><rb>連綿</rb><rt>れんめん</rt></ruby>、さだめられて来た国家である。

その天皇。――今とて一天万乗の君と仰がれて<ruby><rb>九重</rb><rt>ここのえ</rt></ruby>に<ruby><rb>宮居</rb><rt>みやい</rt></ruby>し給うお方が、御謀反とは、たれへたいしての御謀反なのか。――しいて解せば、御自身が御自身へむかってする御謀反か？　それ以外に謀反の相手は世にないはずの大君ではあるまいか。

こういう、一部の見解へ。

いや、それは現実を知らなすぎる。

武家幕府が<ruby><rb>興</rb><rt>おこ</rt></ruby>ってからは、兵馬の権はもとより、政治は一切、朝廷を骨ヌキにして奪われ去り、全国の土地、<ruby><rb>貢税</rb><rt>こうぜい</rt></ruby>なども、武家支配下の<ruby><rb>守護</rb><rt>しゅご</rt></ruby><ruby><rb>地頭</rb><rt>じとう</rt></ruby>におさえられて、みかどの御料や公卿、社寺の<ruby><rb>荘園</rb><rt>しょうえん</rt></ruby>なども、年々、<ruby><rb>侵蝕</rb><rt>しんしょく</rt></ruby>されてゆくばかり……。どうかすると、その<ruby><rb>貢</rb><rt>みつ</rt></ruby>ぎの運上すらも、土地土地の地頭や悪党どもに<ruby><rb>掠</rb><rt>かす</rt></ruby>められて、満足に朝家へ収まらないような実状である。

そのほか、現幕府の悪をかぞえたら、かぞえきれまい。

次の皇太子に、どなたを立てるか。そんな皇統の世嗣ぎにまで<ruby><rb>容喙</rb><rt>ようかい</rt></ruby>する。

また反鎌倉の公卿には、あらゆる監視と迫害をおこたらず、いつかは、その地位から追放せずにおかないとする、たてまえをもとっているのだ。

いや公卿はおろか。

天皇後醍醐の退位すらも、今では、時機の問題と、<ruby><rb>観</rb><rt>み</rt></ruby>られているではないか。

北条幕府から観て、好ましからぬ皇太子は、皇太子にもなれず、また危険視される天皇は天皇の<ruby><rb>御座</rb><rt>みくら</rt></ruby>からも追われるというような超権力の存在を、みかどとして、どうして坐視していられようか。――とりわけ、近世の歴代中でも、比類なき<ruby><rb>英邁</rb><rt>えいまい</rt></ruby>な質をもってお生れあったという<ruby><rb>今上</rb><rt>きんじょう</rt></ruby>後醍醐とすれば、<ruby><rb>切歯</rb><rt>せっし</rt></ruby>のおちかいも、当然なわけで、

天皇御むほん

と、聞えるのも、ご無理はなく、その<ruby><rb>思</rb><rt>おぼ</rt></ruby>し召し立ちは、ありうることと拝察される。また、それは決して「――御自身が御自身へ謀反するようなものだ」などと、その地位になき<ruby><rb>下々</rb><rt>しもじも</rt></ruby>が、あげつろうていられるような実状でない深刻さをも示しているものであろうが――という反説も、一方にはある。

どっちも、時の声だった。

いずれにせよ、今はもう、朝廷にそのおしたくがあることだけは、極秘極秘といいつつも、自然、半公然となっている。

なればこそ、右少弁日野俊基は、みずから笑って――蛇が穴を出る日が来たので――といったのであろう。

そして、密偵の八荒坊に出会っても驚かず、散所ノ太夫義辰を訪ねても、すべてを平然と、打明けていたものにちがいない。

「弁ノ殿。……はやお目ざめにござりまするか」

朝。

春眠暁ヲ覚エズ――というほどな今なのに、俊基の寝所では、小鳥と共に、はや、かすかな物音がもれていた。

「オオ、御子息の豊麻呂か。……入るがよい」

「豊麻呂です。ゆうべは、父や頼春や御従者も交じえて、深更までのおん物語り。それなのに、こうお早いのは、何かお寝苦しいことでもございましたか」

「いや、この俊基は、家にあっても、常々、人の半分も眠れば足りる性分。それに<ruby><rb>夜前</rb><rt>やぜん</rt></ruby>は、つい大酒したゆえ、早暁の気を吸って、<ruby><rb>酒腸</rb><rt>しゅちょう</rt></ruby>を醒まそうと思うてな」

「では、あなたの書院へおわたりなさいませぬか。そこの亭は、四望、眺めもよろしゅうございますから」

豊麻呂は、妻戸の外に出て待った。そして着がえや朝の<ruby><rb>嗽</rb><rt>うが</rt></ruby>いをすまして見えた俊基を、別の亭へ案内して行った。

「よい息子だ。よい武者として、行く末御用に立てられよう」

逞しい豊麻呂の後ろ姿にも、日野俊基は、すぐそう思う。――それは彼が、親の散所ノ太夫義辰にも増して、多年、<ruby><rb>至嘱</rb><rt>ししょく</rt></ruby>しているものだった。

「なるほど、ここはよい眺めよの。――<ruby><rb>葛城</rb><rt>かつらぎ</rt></ruby>の峰々、河内平野の水、えもいわれぬ」

「すぐ下の流れは、石川です。彼方の屋根は<ruby><rb>古市</rb><rt>ふるち</rt></ruby>や道明寺。その辺から無数の水をあわせて、大和川になりまする」

「思い出した。“古今六帖”のうちに」

と、俊基は微吟する、

河内野や

<ruby><rb>片敷山</rb><rt>かたしくやま</rt></ruby>の片山に

ゆきか花かと

波ぞよせくる

「……ごぞんじか」

「いえ、文事はとんと」

「むりもない、由来、武門のお家柄だ」

「ところが、ここ数代のわが家は、本来の面目を次第に失って、あらぬ家職に変ってまいりました。散所ノ長者とか、散所ノ太夫などと、<ruby><rb>土地</rb><rt>ところ</rt></ruby>の民からは、領主のごとくあがめられ、富財も積んでまいりましたが、祖先に河内源氏石川ノ<ruby><rb>義基</rb><rt>よしもと</rt></ruby>を持つ武門のほこりは色<ruby><rb>褪</rb><rt>あ</rt></ruby>せてしまい、これでよいのかと、折には、みずから問うて悩みまする」

「そのお悩みはもっともだ。まことの生命は、財宝などで生きがいを覚えられるものではない。まして和殿のごとく、生れながら財宝の中にあれば、なおのこと」

俊基は、彼の悩みを愛するような口調であった。

その純情と若さへ、さらに、油をそそいで。

「そもそも、御先祖といえば、源ノ義基公よりずんとお古い家といえよう。<ruby><rb>仁徳</rb><rt>にんとく</rt></ruby>帝の御代のころ、<ruby><rb>高麗人</rb><rt>こうらいびと</rt></ruby>数千をひきいてこの地に土着された<ruby><rb>彼国</rb><rt>かのくに</rt></ruby>の王族のお<ruby><rb>末裔</rb><rt>すえ</rt></ruby>であり、八幡殿の奥州の<ruby><rb>役</rb><rt>えき</rt></ruby>に武功をあげて、かくれなき名誉のお家柄となったもの……。いや、嘆くことはない。時節は、和殿に幸いしておる。和殿御自身が、やがて、河内源氏の中興の武将となられればよいであろう」

<ruby><rb>志操凛々</rb><rt>しそうりんりん</rt></ruby>とみえるこの若公卿の熱情的なことばに、豊麻呂は十七歳の頃からすでに魅せられていた。そして彼はいま、二十五歳の長者<ruby><rb>息子</rb><rt>むすこ</rt></ruby>で、それには満足できない若者だった。

「折入って、弁ノ殿へお願い事がございますが」

今朝の豊麻呂の用ありげな容子は、さてはこれだナと、俊基は微笑をみせた。

「ほ。何を」

「うけたまわれば、弁ノ殿には、これより<ruby><rb>紀州</rb><rt>きしゅう</rt></ruby><ruby><rb>高野</rb><rt>こうや</rt></ruby>、<ruby><rb>播磨</rb><rt>はりま</rt></ruby><ruby><rb>大山寺</rb><rt>たいせんじ</rt></ruby>、<ruby><rb>伯耆</rb><rt>ほうき</rt></ruby>の<ruby><rb>大社</rb><rt>たいしゃ</rt></ruby>、越前の平泉寺などへ、内々の<ruby><rb>綸旨</rb><rt>りんじ</rt></ruby>をおびて、忍びやかに御廻国のよし。私をも、従者の一人として、お連れしていただけますまいか」

「そりゃ、何の為に」

「昨夜のお話には、宮方お旗上げの機も熟せりとのこと、一日も早く、この豊麻呂も身を国事にささげたい一念に駆られまする」

「や、あっぱれな」

俊基はその意気を<ruby><rb>愛</rb><rt>め</rt></ruby>でて言ったが、しかし、ちとムチのききすぎた若駒の<ruby><rb>逸</rb><rt>はや</rt></ruby>りを締めるように、それは抑えた。

「お心はうれしいが、いざ<ruby><rb>一朝</rb><rt>いっちょう</rt></ruby>のせつは、この河内、大和は王軍にとってたいせつな穀倉の地、また<ruby><rb>後詰</rb><rt>うしろまき</rt></ruby>のお味方の地。……その河内においても、内々とくに頼みと<ruby><rb>思</rb><rt>おぼ</rt></ruby>し<ruby><rb>召</rb><rt>め</rt></ruby>されておる武門は三家しかない。――一は<ruby><rb>水分</rb><rt>みくまり</rt></ruby>の楠木、二は<ruby><rb>錦織</rb><rt>にしごり</rt></ruby>の<ruby><rb>判官代</rb><rt>ほうがんだい</rt></ruby>、三は御当家ぞ。わけてここ石川ノ郷は<ruby><rb>要</rb><rt>かなめ</rt></ruby>の地だ。このさい和殿が不在となっては心もとない」

「お<ruby><rb>諭</rb><rt>さと</rt></ruby>し、よう分りまいた」

「ご合点かの」

「父に逆ろうてもとまで、思い<ruby><rb>極</rb><rt>きわ</rt></ruby>めておりましたが」

「それよ、その誠意だにお失いなくば、ゆく末、御奉公の場所はいくらでもあろう。父の太夫以上にも、俊基としては、和殿を頼もしゅうぞんじておる。くれぐれ自重していただきたい」

豊麻呂は、感激した。こうまで、この貴人は自分を信じ、また朝廷でさえも、わが家を、頼みと思し召しているのだろうか。彼は、俊基とこう対しているだけでも、若さに燃え、生きがいに<ruby><rb>漲</rb><rt>みなぎ</rt></ruby>るのだった。

いつか、散所屋敷の大家族も、みな起き出た様子だった。――この朝、出立を前にして、俊基とあるじの太夫義辰は、もいちど一室に入って、何やら長々と密談していた。そして、話のさいごに、

「……では、立寄るのは見合せよう。しばらく、様子を見た上の他日としても遅くはあるまい」

といったのは俊基のようだった。その一語を打切りに、二人は密談の座から外へ出て来た。

おそらく、彼はここで、<ruby><rb>水分</rb><rt>みくまり</rt></ruby>の楠木家の近状をただしたものと思われる。

正成にたいしては、近ごろ、俊基も少なからぬ疑問をいだかせられていた。

すでに自分が鎌倉から生還したことは、河内赤坂の僻地にいる正成といえ、聞きおよんでいるに違いないのだ。――さるを、かつて菊王に托してやった自分の遺書同様な書状にも、以後なんの返しもないし、また船木頼春が訪ねて行っても、それにも、<ruby><rb>素</rb><rt>そ</rt></ruby>ッ<ruby><rb>気</rb><rt>け</rt></ruby>ない門前払いをくわせたという。

「楠木の本心、はたしてどうなのか。石川を訪うた足で、遠くもない水分へも、ちょっと立ち寄って、彼の真意をたたいてみようか？」

まだこの朝までは、そう考えていた俊基だった。けれど太夫の義辰の今朝の意見を聞いて、まずこんどのところは素通りしようと、急に考え直したものらしい。

やがて、別辞を交わして、主客共に、そこの座を立ちかけたときである。

「まずい！」

先に大玄関へ出ていた豊麻呂が、あわただしく駈け戻って来た。そして父の義辰へ、

「父上、弁ノ殿の御出立を、ちとお待ち願って下さいませぬか」

と、あとは片隅で、咡きあっている様子が、俊基の眼にも、ただ事でなく映った。

「太夫、何事ですかな？」

「いや、驚くには足りませんが、いま、せがれが<ruby><rb>下部</rb><rt>しもべ</rt></ruby>の者から聞いたところによると、早朝より坂下ノ辻に、六波羅くさい<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うさん</span>な山伏が、うろついておるとか。――せっかくなお立ち際なるに、不吉な影がと、苦慮いたしおるわけでございますが」

「ははあ、それは六波羅の放免で、<ruby><rb>仮名</rb><rt>けみょう</rt></ruby>を当麻の八荒坊ととなえている者でしょう」

「や。御存知なので」

「きのうすでに、奈良街道にて、後になり先になりしていた白犬があった。その偽山伏にちがいあるまい」

「てッきり<ruby><rb>其奴</rb><rt>そやつ</rt></ruby>です。とすれば昨夜中に、手配をめぐらし、これからのお行き先に、つき<ruby><rb>纒</rb><rt>まと</rt></ruby>う<ruby><rb>惧</rb><rt>おそ</rt></ruby>れもある。……はて、どうしたものだろうな、せがれ」

「父上、一案がございまする」

「それは」

「弁ノ殿のお身なりを、そのまま船木頼春に拝借させ、供の菊王をつれて、そのお方になりすまし、ともかくここは立つのです」

「<ruby><rb>高野路</rb><rt>こうやじ</rt></ruby>へか」

「はい」

「いい考えだが、当のお<ruby><rb>方</rb><rt>かた</rt></ruby>の身はどうする？」

「まず私自身が、家の<ruby><rb>下部</rb><rt>しもべ</rt></ruby>どもをひきつれ、その中に弁ノ殿を<ruby><rb>紛</rb><rt>まぎ</rt></ruby>れ籠めて、一たん<ruby><rb>古市</rb><rt>ふるち</rt></ruby>の<ruby><rb>出屋敷</rb><rt>でやしき</rt></ruby>の方へ移って行きます。……その間に、頼春と菊王は、高野街道の人なきあたりまで行き、八荒坊を斬りすてて、しかる後に、二人も出屋敷の方へ引っ返して来たらどんなものでしょうか」

「さ。うまくゆくかな？」

太夫は慎重で、なお決断には迷う風だった。それを、かたわらで聞いていた頼春は、すすんでその役を買って出た。

「ご名案です。弁ノ殿さえ、御異存でなくば、八荒坊を打果すなど何の造作でもありません。御意、いかがでございましょうや」

「いや、六波羅蠅は、旅の付き物だが、きのう見た一匹は、放免どものうちでも、<ruby><rb>頭立</rb><rt>かしらだ</rt></ruby>った<ruby><rb>曲者</rb><rt>しれもの</rt></ruby>と思われた。ここはみなの申すごとく、大事とならぬまえに、禍いを絶っておくか」

俊基の同意に、豊麻呂の案は、たちどころに実行された。

<ruby><rb>藺笠</rb><rt>いがさ</rt></ruby>の旅姿となった船木頼春が、菊王をつれて門を出ると、それは背かっこうまで、日野俊基そっくりに見えた。

そして、その二人が、坂下ノ辻を南へ折れて、高野街道を歩き出すと、果たして偽山伏の八荒坊が、ひたむきな様子で、先の二人を<ruby><rb>尾</rb><rt>つ</rt></ruby>けて行くのが見送られた。

「ははは。釣られ山伏」

物蔭で俊基の笑う声がながれた。

「いざ、この隙に」

と、豊麻呂はすぐうながした。散所屋敷の岡には、平常、何百人もの部下が住んでいたが、今その二十名ほどな仲間内に、俊基の竹ノ子笠の顔もまぎれ込んでいた。そしてこの一団は、高野路とは逆に、北の方へ急いで行った。古市の宿場は、早い足なら一と息のまであった。

古市の出屋敷とは、つまり<ruby><rb>出張</rb><rt>でば</rt></ruby>り<ruby><rb>所</rb><rt>じょ</rt></ruby>のことだ。

散所ノ太夫自身の居館は石川の岡なので、古市は彼の城下町勢力というものだろう。とにかく南河内、北河内きっての繁昌な大部落だった。出屋敷は、そのまン中にある。

「どんな<ruby><rb>諜者</rb><rt>いぬ</rt></ruby>も、ここへは<ruby><rb>紛</rb><rt>まぎ</rt></ruby>れ込めません。分れば<ruby><rb>散所民</rb><rt>さんじょみん</rt></ruby>の袋だたきにあい、骨まで消されてしまいますから」

豊麻呂は説明する。

赤土の破れ土塀は三町四方もあるという。建物はおおむね土倉か、ほッ建て小屋にすぎぬが、<ruby><rb>棟数</rb><rt>むねかず</rt></ruby>は何十戸かわからない。また、構内の掘割には、荷揚げ場もあり、船倉もあった。

「なるほど、盛んなもの」

俊基は、彼と共に一ト棟の縁に腰かけた。そこが主要建物らしいが、古びた田舎役所に似た程度のもの。――存外に気らくであった。

「お<ruby><rb>方</rb><rt>かた</rt></ruby>を弁ノ殿とは、誰一人存じてはおりません。……これにて、お待ちあるうち、やがて高野街道より、頼春と菊王が、首尾を果たして、引っ返して来ましょう。その上で御思案をさだめ、<ruby><rb>和泉路</rb><rt>いずみじ</rt></ruby>から紀州高野へ出れば、なんのお<ruby><rb>障</rb><rt>さわ</rt></ruby>りもございますまい」

豊麻呂のそんな気苦労を聞くよりも、俊基には、はからずもここで見られる散所の民の生態やら、また、彼らの手によって運輸されたり、<ruby><rb>商</rb><rt>あきな</rt></ruby>われてゆく物資集散の盛んな光景が、なんとも珍しく眺められた。

各地にある“散所”というのは、<ruby><rb>貢税</rb><rt>こうぜい</rt></ruby>のかからない無税の地のことである。河原、芦原、<ruby><rb>瓦礫</rb><rt>がれき</rt></ruby>の巷など、不毛の土地には税がない。

ところが、その不毛を好んで集まり住む人間が、年々多くなっている。――苛酷な地頭に<ruby><rb>反</rb><rt>そむ</rt></ruby>いて去った流民やら、各階級にわたる失業者だ。怠け者、勤勉な者、不平の徒、楽天の徒。――総じていえることは、どこに寝ても何を喰べても腹をこわすことなどない旺盛な野性の生命力だった。それが集合して、わんわんと“不毛を食う”強力な営みをなしているのが散所の民だった。

散所と、散所民は国々にある。

わけて、ここ古市は、<ruby><rb>和泉野</rb><rt>いずみの</rt></ruby>の流れや、<ruby><rb>葛城</rb><rt>かつらぎ</rt></ruby>、<ruby><rb>生駒</rb><rt>いこま</rt></ruby>の水が落ち合い、曠野の水郷をなしていた。不毛の地だらけだし、散所民の大天地でもある。そして自然、無秩序な彼らの中にも秩序が生れ、無君主のはずなのに、領主でない領主が上にできていた。

散所ノ太夫は、すなわち、それだ。

もっとも、五位相当の太夫の官名は<ruby><rb>勝手称</rb><rt>かってどな</rt></ruby>えの自称ではない。日野俊基のあっせんで、官からゆるされたものである。

理由は、散所民には、公共労働の奉仕や、<ruby><rb>供御</rb><rt>くご</rt></ruby>の御用には、その狩り出しに応じる義務があったからである。

いや、もっと重要な任としては、<ruby><rb>摂関家</rb><rt>せっかんけ</rt></ruby>の荘園からあがる収穫物を運上したり、余った物は、これを都市で交換するとか、<ruby><rb>売</rb><rt>う</rt></ruby>り<ruby><rb>捌</rb><rt>さば</rt></ruby>くとか、とまれ、公卿の台所との関係が密接だった。

俊基の才は、早くから、ここに目をつけていた。将来における宮方の軍需の一端を散所の人力と経済力にも結んでおくため、<ruby><rb>夙</rb><rt>つと</rt></ruby>に、散所ノ太夫父子をも手なずけて、自家薬籠中の物としようと計っていたわけだった。

散所者は、気が荒い。

これは例の、<ruby><rb>婆娑羅者</rb><rt>ばさらもの</rt></ruby>の荒さとはちがう荒さなのである。

見栄、風流なんて、余地のある生き方ではない。食うか食われるかの職業から来たものだ。

陸上の運輸、水上の舟行、どこでも喧嘩ッ早いわめきの中で生きていた。

職とする仕事も、運輸だけではなく、魚貝の売買、塩の仲次ぎ、小酒屋、石切り、鍛冶、車造り、馬子、<ruby><rb>輿丁</rb><rt>こしかき</rt></ruby>、瓦焼き、<ruby><rb>木挽</rb><rt>こび</rt></ruby>き、船大工。――または<ruby><rb>酢</rb><rt>す</rt></ruby>売り、<ruby><rb>白粉</rb><rt>おしろい</rt></ruby>売り、<ruby><rb>麹</rb><rt>こうじ</rt></ruby>売りなどの<ruby><rb>販</rb><rt>ひさ</rt></ruby>ぎ<ruby><rb>女</rb><rt>め</rt></ruby>から、一服一銭の茶売り<ruby><rb>媼</rb><rt>おうな</rt></ruby>までが“不毛を食う”散所民のうちだった。

まだまだ職目をあげれば、きりもないが。

<ruby><rb>瘡家</rb><rt>そうけ</rt></ruby>とよばれる田舎医者、あやしげな祈祷師、遊芸人の<ruby><rb>放下</rb><rt>ほうか</rt></ruby>や、<ruby><rb>暮露</rb><rt>ぼろ</rt></ruby>（虚無僧）、<ruby><rb>曲舞</rb><rt>くせまい</rt></ruby>、<ruby><rb>猿楽師</rb><rt>さるがくし</rt></ruby>といったようなものもある。

散所ノ太夫の出屋敷では、これらの散所民に、保護と制裁と、また公の交渉を代行してやっている代りに、<ruby><rb>地子銭</rb><rt>じしせん</rt></ruby>を取り、鑑札料を徴している。

さらには、公卿や寺院の荘園の運輸は請負っているし、鎌倉方の地頭の運搬へも手は貸すが、なかなかただでは通さない。相手の足もと次第では、まま<ruby><rb>掠奪</rb><rt>りゃくだつ</rt></ruby>もやりかねなかった。

必然、散所民なかまの小喧嘩などとは型のちがう集団の大喧嘩も、しばしば起った。――喧嘩のもとは、おおむね武力のない公卿が、武家の地頭に土地を<ruby><rb>蝕</rb><rt>く</rt></ruby>われて、領米が都へ入らなかったり、寺院と寺院の訴訟だったりだが、なにしろ、朝廷の記録所も、鎌倉の裁きも、いまや訴訟などは、まるきり頼りにならない現状なので、いつのばあいも、

「よし。この上は」

と、集団の暴力となり、地方紛争の小合戦と化すのであった。

そんなさいも、散所民の結束はつよかった。

元々、地頭の<ruby><rb>鎖</rb><rt>くさり</rt></ruby>をきらって、散所住民となった彼らだし、官家の余剰物資を市へ出して、それぞれの販路へながす商人たちの商売まで、すべて公卿経済との結びつきの上にある彼らなので、

「鎌倉。鎌倉たアどこだい」

といった風な反骨はどこかにあり、何かといえば、

「おれたちは、宮方だ」

とも、公言して<ruby><rb>憚</rb><rt>はばか</rt></ruby>らない。

それはいいが、彼らの気負いと結束力では、つい衆の勢い、相当あくどいこともやってのける。平時の荷抜き、喧嘩まぎれの掠奪、放火、暴行、私刑のやりくちなど、やはり<ruby><rb>不羈</rb><rt>ふき</rt></ruby>の民たることは争えない。――だから、これを呼ぶに、時の人は、

悪党

と、なしていた。

だから、この不毛を食う不毛の民を支配している石川の散所ノ太夫義辰も、時の<ruby><rb>呼称</rb><rt>となえ</rt></ruby>に従えば、悪党だった。

さらには、おなじような土豪的勢力をこの河内の山野にもっている錦部郷の<ruby><rb>錦織</rb><rt>にしごり</rt></ruby>の<ruby><rb>判官代</rb><rt>ほうがんだい</rt></ruby>、また金剛山のふもと赤坂の<ruby><rb>水分</rb><rt>みくまり</rt></ruby>に住む楠木正成といえ、その意味ではみな、相似たる

悪党の族

にほかならなかった。

いや、世はまさに、悪党時代といえなくもない。――武力と政治をにぎり、或いは、格式と典礼だけをもって、民へ臨んでいる幕府人と朝廷人だけが、ひとり悪党の名称をまぬがれているのも、何だか不合理で、おかしく思われるほどな世相であった。

## <ruby><rb>鷹</rb><rt>たか</rt></ruby>の<ruby><rb>巣</rb><rt>す</rt></ruby>

――一方。

さきに高野街道へ向って行った船木頼春と菊王は、意識のうえで、わざと小道の横へ隠れたり、急に足を早めたりなどして見せながら、折々チラと、遠い影を振向いては<ruby><rb>嘲</rb><rt>わら</rt></ruby>っていた。

「はははは。巧く釣ったな」

「まこと、まんまと釣れました。さすが八荒坊も、すっかり、あなたを弁ノ殿と思い込み、眼もはなたず<ruby><rb>尾行</rb><rt>つけ</rt></ruby>て来るようです」

「こなたの手くだを手くだと知らず、はるか後ろで、<ruby><rb>隠現</rb><rt>いんげん</rt></ruby>さまざま、諜者の秘術をつくしているからおもしろい」

「だいぶ山路も深くなりましたが。……どうです、もうここらで、ひと思いに」

「いや、まだ人里が近すぎよう。いま<ruby><rb>高向</rb><rt>たかむく</rt></ruby>の部落を離れたばかりだ。それ彼方からまた、牛追いなどがやって来る」

小半日はつい歩いた。なんといっても、紀州高野と河内との<ruby><rb>往還</rb><rt>おうかん</rt></ruby>である。いざと二人が眼くばせ交わすと、そのたび、何か往き来の人影が邪魔に<ruby><rb>映</rb><rt>さ</rt></ruby>す。

「どこまで行ってもおなじでしょう。ほどなく、この先はもう紀見峠」

<ruby><rb>天見</rb><rt>あまみ</rt></ruby>の雑木林では前後に人影も見なかった。

菊王は歩み歩み、一方の頼春をうながしていう。

「余りに遅くなっては、古市でお待ちうけある弁ノ殿の方も、気がかりでなりませぬ。……それに、はや陽も斜め」

「よし。やろう」

頼春はツイと道を<ruby><rb>反</rb><rt>そ</rt></ruby>れて、雑木林のうちに隠れた。菊王もそれに<ruby><rb>倣</rb><rt>なら</rt></ruby>って、道の向う側に身を潜める。

やがて、後ろの八荒坊の跫音が、しじまを打って、すたすたと近づいて来た。が、急に、

「おや？」

と、怪しむかの如く、一たんは立ちどまった。そしてまた、大股に、二人の前を過ぎかけた。

待て。

ともいわず、頼春は手にヒラッと太刀を見せて、相手の背へ跳びかかった。いや、それの寸前には、菊王もすでに八荒坊の脚もとを抜き打ちにびゅッと低く<ruby><rb>薙</rb><rt>な</rt></ruby>いでいたのである。

しかし、二た筋の白い閃光は、いずれも空を打ッてしまい、およそ予想もしなかった姿態を描いて勢いよく泳いでいた。そして、その体勢をまだ持ち直さぬ間に、

「しゃッ、<ruby><rb>洒落</rb><rt>しゃれ</rt></ruby>たまねを」

と、八荒坊のあざ<ruby><rb>嘲</rb><rt>わら</rt></ruby>う声がどこかで耳を打った。

「なにをッ」

菊王は身を<ruby><rb>翻</rb><rt>かえ</rt></ruby>すのに迅かった。しかし太刀と一ツな奮迅も、

「死にたいのか、この公卿小僧」

八荒坊がビシッと構えた白木の杖を越えてまでは、どうしても、踏み込めなかった。

側面を窺う頼春にしても、おなじで、一<ruby><rb>杖</rb><rt>じょう</rt></ruby>の両端に、あしらわれている二人にすぎない。いや二人を併せた力よりも格段に、八荒坊一人の方が強かったということに尽きている。

それのみならず、余裕<ruby><rb>綽々</rb><rt>しゃくしゃく</rt></ruby>な八荒坊は、息のあい<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>に、こうもいった。

「やい、船木頼春。うぬも名だたる六波羅のお尋ね人。多年探しあぐねていたところを、よくもわれから姿を現わして来おッたな。こっちから礼をいわずばなるまいて。したが、礼は六波羅の白洲でいおう。そして日野俊基も、一つ白洲で会わせてやる。主思いの菊王も、ありがたくお縄をいただいて、好きな主の側へ行くがいい」

八荒坊の大言は、残念ながら<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">けれん</span>ではない。菊王も頼春も、その舌さきの一撃だけで、驚愕の下に、戦意までも打ち<ruby><rb>挫</rb><rt>ひし</rt></ruby>がれた形だった。

「さては、裏を掻かれたか」

二人とも生色はない。

思うツボとしていた結果が、逆に、釣られていたのは、まさにこッちだったのだ。

なにもかも、こちらの計は見抜いていながら、あたかも釣られたような振りをして来た八荒坊だったのかと、いまさら知って、頼春の太刀も、菊王の切っ先も、

「何をこの放免一人ぐらい」

と、心では<ruby><rb>叱咜</rb><rt>しった</rt></ruby>してみるものの、どうしようもない<ruby><rb>顫</rb><rt>ふる</rt></ruby>えを白い刀身に<ruby><rb>刻</rb><rt>きざ</rt></ruby>むだけで、いつまで斬ッてかかれなかった。

「はははは」

大人が子供の棒キレを見るように、八荒坊はなお言った。

「放免は放免でも、おれをただの諜者の下ッ端と見くびっていたのが、そもそもそッちの落度だったのだろう。――きのう奈良街道で俊基朝臣が、おれの<ruby><rb>面</rb><rt>つら</rt></ruby>を、<ruby><rb>似絵</rb><rt>にえ</rt></ruby>（似顔絵）に描いてやるなどと<ruby><rb>吐</rb><rt>ほ</rt></ruby>ざいた時もだ、腹では、くそでもくらえと思ったが、わざと<ruby><rb>尻尾</rb><rt>しっぽ</rt></ruby>を巻いて逃げ出したのも、今日のキメ手があったればこそだ。やい菊王、頼春。ここまで言ったら、もう観念がついたろう。悪い<ruby><rb>足掻</rb><rt>あが</rt></ruby>きはよすがいい」

「…………」

「こう見えても、おれは六波羅の放免すべてを締めくくッている諜者組のかしら、本名<ruby><rb>忍</rb><rt>おし</rt></ruby>ノ<ruby><rb>大蔵</rb><rt>だいぞう</rt></ruby>という者だ。忍というからには伊賀の産。――鎌倉殿から格別なお扱いをいただいて、三百ぢかい<ruby><rb>手下</rb><rt>てか</rt></ruby>をバラ撒き、宮中なら<ruby><rb>御息所</rb><rt>みやすんどころ</rt></ruby>の床下から、<ruby><rb>清涼殿</rb><rt>せいりょうでん</rt></ruby>の<ruby><rb>梁</rb><rt>うつばり</rt></ruby>の数まで読みそらんじている<ruby><rb>別拵</rb><rt>べつごしら</rt></ruby>えな人間様だぞ。……なんで日野朝臣や菊王ずれの公卿小僧に、この眼をあざむかれてたまるものか」

「う、うぬっ」

頼春が、一歩ニジリ出すと、彼も半歩ほど<ruby><rb>踵</rb><rt>かかと</rt></ruby>を退いて、

「なんだと」

「そう聞けば、なお以て、宮方のお為にも、生かしてはおけぬ」

「笑わすな」

大蔵は、また、あざ<ruby><rb>嘲</rb><rt>わら</rt></ruby>った。

「この俺一人をすら、もてあましているくせに、それ、てめえたちの左右にもう来ている人数を、どう防ぐのだ」

それこそ彼の詭弁にちがいあるまい。二人はもとより<ruby><rb>真</rb><rt>ま</rt></ruby>にうけなかった。そして、大蔵の眸が道の左右の方へ向って、少し動いた機を<ruby><rb>外</rb><rt>はず</rt></ruby>さず、

「突け、菊王っ」

頼春はおめいた。もちろん、彼自身も振りかぶった太刀と共に躍りかけた。

しかし、二人の皮膚には、眼で見たものでない圧力がとッさに迫った。で、起した行動は、無意識に、当の大蔵を<ruby><rb>措</rb><rt>お</rt></ruby>いたまま、ぱっと後ろへ跳んでいた。

「や。しまった」

次の事実は、単なる感覚でなく、二人がその眼で<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まざ</span>と見たものだった。

いつのまにか。――この<ruby><rb>天見</rb><rt>あまみ</rt></ruby>の雑木林をつらぬく一と筋道を縮めて、二人の両方から、<ruby><rb>忍</rb><rt>おし</rt></ruby>ノ大蔵とまったく同じような山伏姿をした放免仲間がおよそ十数名、じわじわ詰め寄って来ていたのだった。

大蔵の落着きと、そのからかい口調は、時を稼いでいたものに違いない。「――それっ」と手を振るやいな、彼自身は、後ろの<ruby><rb>灌木</rb><rt>かんぼく</rt></ruby>の茂みへ、<ruby><rb>野狐</rb><rt>やこ</rt></ruby>のごとく、がさッと一瞬に影を隠した。

あとで考えれば。

とッさに、忍ノ大蔵が、すばやく灌木の<ruby><rb>叢</rb><rt>むら</rt></ruby>へ身を沈めたと見えたのも、じつは視覚の錯乱で、とたんにどこからか飛んで来た最初の一ト矢に射られて、彼の意志でもなく、もンどり打っていたものかもしれなかった。

ぴゅん――

と、あきらかな<ruby><rb>弦音</rb><rt>つるおと</rt></ruby>が、ややおくれて聞え、すぐ三の矢、四の矢の矢光りが、彼の姿を呑んだ<ruby><rb>灌木帯</rb><rt>かんぼくたい</rt></ruby>を目がけてシュルシュル鳴ったのを見ても、それはほぼ確かなことといっていい。

しかし、場合が場合である。

菊王も頼春も、そんな意外な変化が、自分たちの死地の一角に、はや起っていたなどとは、もちろん思いも及ばず、眼はすでに左右から迫った山伏姿の諜者群にむかって、まったく血ばしッていたのだった。

「これまでだ、頼春どの」

菊王がいえば、

「おう、死のうっ、菊王」

頼春も叫んでいる。

六波羅へ曳かれても死だし、ここで斬り死にしても死だと思う。

この捨て身へ、諜者方は、衆をたのんだ形がなくもない。いや放免頭の大蔵から、あらかじめ「手捕りにしろ」と命じられていた寸法もあったろう。大勢、<ruby><rb>挙</rb><rt>こぞ</rt></ruby>ッて山伏杖を振りかざし、押ッとり囲みにかかッたのである。が、棒の雨で<ruby><rb>撲</rb><rt>なぐ</rt></ruby>られるぐらいですぐ伸びてしまう両者の死に物狂いでもなかった。

いや、予想の狂いは、それだけに止まらない。

諜者たちの二、三がとつぜん異様なぶッ仆れ方をし出したのである。不意に自己を失ったような引ッくり<ruby><rb>転</rb><rt>かえ</rt></ruby>り<ruby><rb>方</rb><rt>かた</rt></ruby>をした白衣の体には、どこから飛んで来るのやら、<ruby><rb>得態</rb><rt>えたい</rt></ruby>の知れぬ矢が突き刺さッていた。初めはすべて夢中だったが、バラッと足もとに<ruby><rb>搦</rb><rt>から</rt></ruby>み落ちた<ruby><rb>空矢</rb><rt>からや</rt></ruby>の響きに、

「わっ、矢が来るっ」

「ほかにもいるぞッ」

何がいるとも分らぬだけに、彼らの狼狽は、はなはだしかった。われがちに、逃げまどった。おそらく、頼春、菊王の二人は、これを自身の威力とのみ信じて、相手を追ッかけ廻したことにちがいあるまい。――菊王のごときは、逃げる者をのがさじと追って、つい遥かまで行ってしまった。

「……ああ」

逃げ散る白い影を<ruby><rb>夕霞</rb><rt>ゆうがすみ</rt></ruby>の果てに見失うに至って、菊王もとたんにガクと気がゆるんだ。火みたいな息と一しょに、草むらに腰をついた。そして、体の傷みなどはまだ意識の中には覚えもせず、そのまま地底へ落ち入るように気が遠くなりかけた。

「おおいっ。……菊王っ」

すると彼方で、自分を呼ぶ声がした。はッとわれに<ruby><rb>回</rb><rt>かえ</rt></ruby>り、彼も、おおいッと、体じゅうで呶鳴った。そして転がるようにもとの方へ駈け出した。

「……あっ、誰だろ？」

急に菊王は立ちすくんだ。

近づいていいか悪いか、一瞬彼には判断もつかない人影を頼春の前に見たからだった。

それは狩衣姿の年若い武士たちであった。うち二人まで、手に弓を抱えている。

その三名の前から、振向いていた頼春は、彼のためらいを見て、手を高くさしまねいた。

「やあ菊王、何しておるのだ。わしたちを救うてくれたお人たちぞ。早く来て、お礼をいえ、お礼をいえ」

「あ。そうか」

やっと、菊王にも事情の少しが分ったらしい。そこへ走り寄るなり三名の武士たちの足もとへひれ伏した。しかしまだ半分は、依然、無我夢中のような早口だった。

「さては、われらが助かったのは、御加勢のお蔭でございましたか。ああ、何とお礼を申し上げてよいやら」

共に、頼春もくり返して。

「思わぬ御助勢を給わり、あたら犬死をまぬがれました。……失礼ながら、いずれの<ruby><rb>殿輩</rb><rt>とのばら</rt></ruby>におわせられましょうか。せめて、尊名だけでも、お聞かせおき願わしゅう存じますが」

「いやいや、名のるほどな者ではありません」

三名は顔見合せて、微笑をふくむだけだった。そして、

「いずれもこの近くの<ruby><rb>郷</rb><rt>さと</rt></ruby>に住む、名もなき田舎武者です。申さば、お身たちの御運がよかったまでのことだ。それよりはどこも、お怪我はなかったか」

中でも<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">年かさ</span>の一人が、<ruby><rb>労</rb><rt>いたわ</rt></ruby>りの眼をくばった。

さっきから、その人の姿ばかりを、穴のあくほど見ていた菊王は、とつぜん、

「もしや、あなたは楠木家の御舎弟さまではございませんか。いやそうだ。<ruby><rb>正季</rb><rt>まさすえ</rt></ruby>様にちがいない」

と、それまでのためらいを破って、他の人々を驚かせた。

正季とよばれた当の人は、

「はてな？」

見まもるだけで、

「そちは誰だ」

とのみ、小首をかしげ、すぐには思い出せぬ風だった。

が、菊王はなつかしげに。

「……あれは、もう五年ほど前。わがお<ruby><rb>主</rb><rt>あるじ</rt></ruby>の密々な一書をたずさえ、<ruby><rb>水分</rb><rt>みくまり</rt></ruby>の楠木正成様とだけを心あてに、忍びやかにお館を訪いまいらせ、幾日かを、泊めていただいたことがございまする。そして、よそながらその折りに」

「オオ。では日野殿の侍童で……あの頃はまだ幼びていたが……菊王とやら申した者か」

「そうです。その菊王でございまする」

「これはまた！」

正季は、連れの若者たちをかえりみて、言っていた。

「どうしよう。聞かれた通り、この者は、日野朝臣がまたなき者と頼んで、<ruby><rb>水分</rb><rt>みくまり</rt></ruby>のお館へも、極秘な使いによこされた程な男だが」

「しかし、そちらのもう一名は」

「申しおくれました。それがしは……」

頼春も、俄にすすみ出て。

「いちどは、水分の御門をたたいたこともございますが、正成殿にはお会いかなわず、空しく<ruby><rb>世路</rb><rt>せいろ</rt></ruby>を浪々しておるうち、日野朝臣のお口ききにて、今は石川の散所ノ太夫義辰殿の許に身をよせておる船木頼春という浪人にございまする」

「船木殿とはあなたか。いやお名だけは薄々聞いておる。この上は、おつつみするも無益だ。自分は正成の弟、楠木正季」

つづいて、他の二人も、

「拙者は、<ruby><rb>中院</rb><rt>ちゅういん</rt></ruby>ノ<ruby><rb>雑掌</rb><rt>ざっしょう</rt></ruby><ruby><rb>俊秀</rb><rt>としひで</rt></ruby>」

「てまえは、この辺の郷士<ruby><rb>天見</rb><rt>あまみ</rt></ruby>ノ五郎常政です」

あからさまに名のった上で、さて訊ねた。

「なんでまた、御両所には、かかる所で、六波羅放免の偽山伏などに取り囲まれておったのか」

正季らの質問に、二人が事のわけを、打明けていた隙だった。

後ろの灌木の茂みから、カサコソと這い出しかけた者がある。――ふと振向いた中院ノ俊秀と天見ノ五郎が、

「やっ、あれ逃がしては」

と、すぐ跳びかかって、<ruby><rb>無造作</rb><rt>むぞうさ</rt></ruby>にその者の襟がみをつかみ、ずるずる道のまン中まで引っ張り出して来た。

「この<ruby><rb>諜者</rb><rt>いぬ</rt></ruby>め」

五郎の足蹴を食って、<ruby><rb>甲羅返</rb><rt>こうらがえ</rt></ruby>しにひっくりかえった八荒坊の忍ノ大蔵は、なお、

「く、くそっ」

と、死力であがいたが、<ruby><rb>行衣</rb><rt>ぎょうえ</rt></ruby>を泥にするだけで、起直れもしなかった。<ruby><rb>太股</rb><rt>ふともも</rt></ruby>と肩の辺りに、二本も矢をうけていたのである。

「まあ、そう手荒にせんでもいい。もう、逃げも出来まい」

楠木正季は、年上らしくそういった。そして、泥土の上の容貌や<ruby><rb>風態</rb><rt>ふうてい</rt></ruby>を、たとえば、深海の怪魚を陸に揚げて見たように、しげしげ眺め抜いていた。

「これか。これが六波羅の放免頭の忍ノ大蔵なるものか。……多年、こやつの配下には、われらもずいぶん苦しめられたものだが、しかし敵ながら珍重すべき手腕の奴。ひとまず、お師の山荘まで引ッ立て行こうじゃないか」

彼の提案に、五郎も、俊秀も、よかろう！　となったらしい。すぐ細ヒモで大蔵の両腕を後ろに<ruby><rb>縛</rb><rt>くく</rt></ruby>ッて立ち上がらせた。――そして、菊王と頼春の二人へも、こう誘った。

「これより<ruby><rb>古市</rb><rt>ふるち</rt></ruby>へ引っ返すには、夜半にかかるし、また途中で再度の難がないとも限らぬ。ともあれ、近くのお師の家までお越しあらぬか」

菊王と頼春にも、ようやく、どことも知れぬ体じゅうの痛みが思い出されていた。――古市で待つ日野俊基の方も気がかりではあったが、

「では、仰せに任せて」

と、三名の後について行った。

いつか陽も山蔭。――高野街道をすこし戻って、西へ入ると、山はいよいよ<ruby><rb>狭</rb><rt>せ</rt></ruby>ばみ、谷は深く、たそがれの<ruby><rb>模糊</rb><rt>もこ</rt></ruby>を探り探り、道とも見えぬような所ばかり分けて行くのだった。

やや不安を覚えたのか、菊王がそっと、中院ノ雑掌俊秀にたずねた。

「各〻方、お師とは、そも、どなたのことですか。またお住居とは、どの辺なので？」

すると俊秀は笑って。

「いや、もう遠くはない。そこの加賀田川を渡れば、すぐ灯が見えよう。人に会うのは好まぬお師だが、ほかならぬあなた方ゆえ、お連れ申すわけ。お会いになってみればわかる」

なるほど、加賀田川というのか、まもなく渓流の音が耳を打って来た。短いが、<ruby><rb>蔦葛</rb><rt>つたかずら</rt></ruby>の<ruby><rb>桟橋</rb><rt>かけはし</rt></ruby>がある。南宋画などによくある<ruby><rb>隠者</rb><rt>いんじゃ</rt></ruby>の門といった風な山荘の灯を見たのは、そこを渡って幾らも歩かないうちだった。

「ちと、お待ち下さらぬか」

中木戸の辺に二人をおいて、正季たち三名は、わが家のように玄関へかかった。

五郎だけは、縄付きを曳いて<ruby><rb>納屋</rb><rt>なや</rt></ruby>の横へかくれた様子。――はて、誰の家やら？　と、外に佇む菊王と頼春には、いよいよ判らなくなっていた。

「……が。何と閑雅な」

<ruby><rb>棟数</rb><rt>むねかず</rt></ruby>、深い奥の灯、広いらしいが、どう見ても、いかつい土豪の構えではない。あくまで隠者めかした静けさだった。

その晩。

菊王と頼春は、山荘の<ruby><rb>主</rb><rt>あるじ</rt></ruby>に、ひきあわせられた。

正季たちが、途々、師とよんでいた人である。

「よう、お越しなされた」

気がるな口調で、

「てまえが、この<ruby><rb>山家</rb><rt>やまが</rt></ruby>のおやじ、<ruby><rb>毛利時親</rb><rt>もうりときちか</rt></ruby>でおざりまする」

と、若い二人が恐縮するほど、<ruby><rb>頭</rb><rt>ず</rt></ruby>も低い。

しかし、どこか、それだけではない、食えない人柄のようなものも感じられる。自分のせがれか孫のような二人にたいして「――山家のおやじで」などという挨拶からしてそうである。

勢い、二人は固くならざるをえなかった。そして、先に正季たちに打明けた今日の事情を、もう一度、ここで語ると、

「ほう、それはそれは、とんだ御災難だったの」

と、とぼけた<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">相づち</span>を打つ程度だ。

それから、やや打ちとけて来たかの頃、

「かねがね、日野朝臣のお噂なら、この<ruby><rb>爺</rb><rt>じい</rt></ruby>も稀れにはうけたまわっておる。こんな山家じゃが、折々見ゆる若い者が……」と、かたわらの正季、俊秀、五郎らの方をチラと見て――「この衆などが、ここへ来ては、よう耳新しい世事を聞かせてくれるのでな。……都ばなし、鎌倉ばなし、それも、嘘かほんとか知らぬが、イヤ近ごろは、面白いことばかり聞きおりますわい」

からからと笑って言った。

二人はようやく、その人を、正面切って見ることができた。

六十がらみだ。<ruby><rb>山蚕織</rb><rt>やままゆおり</rt></ruby>のごつい<ruby><rb>大口袴</rb><rt>おおぐち</rt></ruby>、<ruby><rb>胴服</rb><rt>どうぶく</rt></ruby>といった姿である。<ruby><rb>美作</rb><rt>びさく</rt></ruby>の短刀一本、帯の前にたばさみ、腰の坐りもシャンとして折目ただしい。

が、何とも異相だった。

俗にいう<ruby><rb>杓子面</rb><rt>しゃもじづら</rt></ruby>で、人なみ以上、鼻も低い。

両のモミ上げは、わざとみたいな縮れ毛が渦を巻き、半白の髪を、むりに結い上げているのである。この年配で、こんな世話のいる蓄髪を敢てしているのは、世間流行の“入道”の<ruby><rb>態</rb><rt>てい</rt></ruby>が嫌いなのかもわからない。そんなところにもこの人の「――俺は俺だ」と、している風がうかがわれ、何か心に触れでもすると、<ruby><rb>鏃</rb><rt>やじり</rt></ruby>のような眸がうごく。

「わしは、早寝の<ruby><rb>習慣</rb><rt>ならわし</rt></ruby>でな」

夜食がすむと、時親は客にかまわず、はや眠たげな催促をみずからして。

「朝起きには負けぬが、夜はかなわん。あんた方も、早う休まっしゃい。明朝またお目にかかろう」

そういって、さっさと寝間に入ってしまった。

正季たちも、この夜はみな、山荘に泊ったらしい。――翌朝、頼春と菊王が眼をさまして、裏庭の流れへ、朝の<ruby><rb>嗽</rb><rt>うが</rt></ruby>いに出てゆくと、もう<ruby><rb>叢竹</rb><rt>そうちく</rt></ruby>にかこまれた書院風の一室では、若い人々の気配にまじって、時親の笑い声もながれていた。

毛利時親

ふたりには、この名が、ゆうべからの謎だった。今も、顔見合せて、

「なあ菊王。何者だろう、ここの<ruby><rb>主</rb><rt>あるじ</rt></ruby>は」

「どうも、分りませんな。世にいう<ruby><rb>隠者</rb><rt>いんじゃ</rt></ruby>とでもいう人でしょうか」

「隠者にせよ、名ぐらいは多少知れていそうなもの。毛利時親などという者は、かつて世間で聞いたことがない」

「お。……正季どのが、こちらへ見えます。ひとつ、正季どのに伺ってみましょう」

「御両所。ゆうべは、よくお眠りなされたか」

正季自身は、寝不足な朝の顔をして、そこへ来るなり二人へ言った。

「夜半すぎ、納屋へぶちこんでおいた忍ノ大蔵めが、縄目を噛み切って逃げようとしたのです。その物音で、きっと、ろくにおやすみ出来なかったろうとお察し申していたが」

「いや、全く気づきませんでした。お恥かしいが、正体もなく寝入ったものとみえまする。して、大蔵めは」

「五郎がちと手荒にしたので、今朝はぐったりと、ヘバっております。ところで、<ruby><rb>彼奴</rb><rt>きゃつ</rt></ruby>の<ruby><rb>成敗</rb><rt>せいばい</rt></ruby>は、われらにお任せ願われようか」

「どうぞ、いかようとも」

頼春は、それを<ruby><rb>機</rb><rt>しお</rt></ruby>に。

「さっそく、今朝は自分たちも、お暇をつげたく存じますが、ここの毛利時親どのとは、そも、いかなる<ruby><rb>御仁</rb><rt>ごじん</rt></ruby>か、お聞かせおき下さるまいか」

「御不審よな。あれへでもおかけなさい」

正季は歩み出して、<ruby><rb>四阿亭</rb><rt>あずまや</rt></ruby>のうちを指さした。

そこで二人は、楠木正季の口から初めて、ここの<ruby><rb>主</rb><rt>あるじ</rt></ruby>の謎の全貌を、やや具体的に知ることができた。

毛利時親は、大江氏の族である。だから都や鎌倉では、

大江時親

で知られている。

生地は越後だ。同国佐橋郡ノ南条の守護、<ruby><rb>毛利経光</rb><rt>もうりつねみつ</rt></ruby>の四男である。少壮から変り者の方だったらしい。

しかし、六波羅の評定衆に加えられ、その才はほどなく、鎌倉の<ruby><rb>執権代</rb><rt>しっけんだい</rt></ruby><ruby><rb>長崎高資</rb><rt>ながさきたかすけ</rt></ruby>の一族<ruby><rb>泰綱</rb><rt>やすつな</rt></ruby>にみとめられた。そして泰綱のむすめを妻に<ruby><rb>娶</rb><rt>もら</rt></ruby>った。まぎれもない彼は北条<ruby><rb>眷属</rb><rt>けんぞく</rt></ruby>の一人であった。

ところが。

<ruby><rb>這般</rb><rt>しゃはん</rt></ruby>の事情はよく分らないが、六波羅の職はまもなく辞めてしまった。鎌倉住居は性に合わぬといって、鎌倉にも行かず、越後の本領は、長兄が継いでいるので越後にも帰らない。都の片すみで、四十代から浪居してしまッたので、自然世間もこの<ruby><rb>変屈者</rb><rt>へんくつもの</rt></ruby>を、いつか忘れ去っていた。

しかし、ただの変屈か、いまの世にあきたらない<ruby><rb>慨世</rb><rt>がいせい</rt></ruby>の人か、それとも生来、清隠を好んで世俗の<ruby><rb>塵埃</rb><rt>じんあい</rt></ruby>をいとうだけの者か、その辺の心事は、当人のほかは誰も知らない。

とにかく、その時親が、この南河内川上郷の奥へ引き籠ったのは、もう二十何年も前からであった。古さからいっても、土着の人と変りはない。そのうえこの辺は、彼の父祖以来の領所（飛び領）であった。ひどい山間で<ruby><rb>収入</rb><rt>みいり</rt></ruby>はろくにないが一隠居の生活には余りがある。

ここで彼は好きな読書三昧に送っていた。家書には、兵学の書も多かった。――かの有名な兵学者<ruby><rb>大江匡房</rb><rt>おおえのまさふさ</rt></ruby>は家の祖である。大江家<ruby><rb>伝襲</rb><rt>でんしゅう</rt></ruby>の<ruby><rb>六韜</rb><rt>りくとう</rt></ruby>、<ruby><rb>孫子</rb><rt>そんし</rt></ruby>などの兵書やら外来の蔵書が、彼の手に移っていたとしてもふしぎはない。或いは彼も、匡房に<ruby><rb>倣</rb><rt>なら</rt></ruby>って、家学の探究に余生を賭け、それの一大集成を志していたのかもしれない。

「こんな山おくに、妙な人がいつか巣を懸けて、毎日、<ruby><rb>書</rb><rt>ほん</rt></ruby>を読んでいる」

当時。<ruby><rb>里人</rb><rt>さとびと</rt></ruby>の噂をきいて、いつはやく、時親の門をたたいたのは、ここから遠からぬ赤坂の<ruby><rb>水分</rb><rt>みくまり</rt></ruby>に住む楠木家の一<ruby><rb>冠者</rb><rt>かじゃ</rt></ruby>だった。つまり正季の兄、正成である。

これまでの“<ruby><rb>楠公伝</rb><rt>なんこうでん</rt></ruby>”や河内郷土史などの上では。一様に、幼名<ruby><rb>多聞丸</rb><rt>たもんまる</rt></ruby>といった楠木正成は、八歳のころより、同地の大江時親について、兵学を学ぶ――としている。

これがどうも、おかしいのである。なぜ、八歳でなければいけないのか。

おそらくは、伝記筆者がその勉学ぶりを、なるべく幼少な姿に仮りたかったのであろう。ほかの理由は見いだせない。

では？

と当然、べつな疑いが付随してくる。

そのことすでに、そんな根拠のないことなら、大江時親なる兵学者が、当時、河内の山間に住んでいたというのも、あてにならない仮説ではないのか。

だから<ruby><rb>慧眼</rb><rt>けいがん</rt></ruby>な史家は、大江時親の実在も疑い、正成の師事などもみとめていない。それに従来の楠公伝や、郷土史自体が時親の素姓については、具体的になに一つ傍証していなかった。――こういう事情になっている。

で、作者は。

正成の弟、正季の口をかりて、大江時親、すなわち毛利時親の素姓を、前段でやや語らせたわけであるが、事のついでに、もうすこし、時親の実在と、その人の生涯とを、手みじかに、この一章で、<ruby><rb>閑話</rb><rt>ちゃばなし</rt></ruby>することをゆるされたい。

時親を、大江氏で呼ぶのは、たとえば、正成を楠木正成といわずに、<ruby><rb>橘</rb><rt>たちばな</rt></ruby>ノ正成とよぶようなものである。大江は族姓で、毛利時親という方が正しい。

その毛利姓は、<ruby><rb>相模</rb><rt>さがみ</rt></ruby>ノ国愛甲郡毛利から起っている。

<ruby><rb>尊卑分脈</rb><rt>そんぴぶんみゃく</rt></ruby>の「大江氏系図」によると、大江広元の子季光以後、愛甲郡毛利に住み、ほどなく越後南条の領国へ移って行き、経光、時親、と代をかさねている。

そして、この微々たる家が、やがて信長、秀吉などの戦国時代にいたっては、かの毛利<ruby><rb>元就</rb><rt>もとなり</rt></ruby>や<ruby><rb>輝元</rb><rt>てるもと</rt></ruby>を生み、またその支流からは、<ruby><rb>吉川元春</rb><rt>きっかわもとはる</rt></ruby>、<ruby><rb>小早川隆景</rb><rt>こばやかわたかかげ</rt></ruby>らの輩出を見るのであった。

しかし毛利家の「毛利系図」の上では、相模愛甲郡時代の季光や、越後に任国していた頃の経光などは祖流に加えず、河内のおくへ隠遁した――つまり正成の住居、<ruby><rb>水分</rb><rt>みくまり</rt></ruby>と二里ほどの近所だった山家の人――時親を以て、

家祖時親

と、系譜の初代にすえているのである。

なぜといえば。――晩年、安芸の吉田へ移って、郡山城の芸州毛利家の基礎をなした最初の人が、この時親だったせいであろう。――ただ彼が、河内の加賀田をすてて安芸へ下った年代となると、それはいつ頃ともしれないが、おそらくは、やがてこの地方の<ruby><rb>千早</rb><rt>ちはや</rt></ruby>、金剛山から洛中洛外も戦火となって、大乱の険悪さが、ついには閑人の閑居もここにゆるさない日となってからではあるまいか。

とにかく、それまでは、加賀田の一隠者として、この地にいた時親なので、彼と正成とが知りあったのも偶然ではない。

正成の住む<ruby><rb>水分</rb><rt>みくまり</rt></ruby>から、彼の山荘へ来るには、<ruby><rb>三昧谷道</rb><rt>さんまいだにみち</rt></ruby>、<ruby><rb>三日市道</rb><rt>みかいちみち</rt></ruby>、<ruby><rb>葛野道</rb><rt>くずのみち</rt></ruby>などの三ツの小道がある。いずれも二里ほどしかない山道なので、もし心と心の通うものがあれば、ぶらりとでも、まま訪れはしたであろう。

そして、大江氏の家学たる兵法上の智識なども、正成に汲む意があれば、汲むに尽きない、山の泉であったろうとも考えられる。

×　　　　　　　　　　　×

×　　　　　　　　　　　×

「……さては、そんな御素姓のお方でしたか。いや、わからぬもの」

聞き終ってからも、頼春と菊王とは、まだ自分自分の想像を加えた感慨に、何やらくるまれている風だった。

「かかる山奥に」

という菊王に、頼春も、

「げに、人はどこにも住むものではある」

と、あらためて、<ruby><rb>屋</rb><rt>おく</rt></ruby>の後ろの<ruby><rb>岩湧山</rb><rt>いわわきやま</rt></ruby>や、前面の金剛、葛城の峰々を見まわした。

二人にすれば、加賀田の隠者、毛利時親をここで知ったのは、一つの大きな発見だった。また<ruby><rb>密</rb><rt>ひそ</rt></ruby>かには、有力なる宮方お味方を見出したことともしていたにちがいない。

「が、正季どの」

頼春は、なお<ruby><rb>糺</rb><rt>ただ</rt></ruby>した。

「さまざま伺って、お師（時親）の前身やお人柄のほどもよく分りましたが、しかし、はや世に<ruby><rb>亡</rb><rt>な</rt></ruby>いお方とはいえ、御内室は、鎌倉の執権代長崎高資の御一族でおわせられるとか。……さすれば、北条氏とは深いおん仲。それがどうして、薄々にも、宮方と分っている近郷の若武士どもから、師と慕われておいでなのか。その辺、ちと、いぶかしゅう思われますが」

「ごもっともだ」

正季は、みじんも、疑っていないらしい。

「昨日今日のお住居なら、<ruby><rb>土地</rb><rt>ところ</rt></ruby>の者も、めったに心はゆるさぬが、この加賀田に隠れ住んでからも、はや二十年余りにもなる毛利殿だ。――北条家との縁故などは、とうに薄れ去っておるし、日ごろのお口ぶりからも、鎌倉の悪政には、事ごと、お憤りをもらしておられる」

「では、朝廷のお企てに、内心では、好意を寄せておられるものと、見てよかろうか」

「……とも、お口には出したことはない。しかし、われら皆、鎌倉には服していず、事あれば宮方へも<ruby><rb>馳</rb><rt>は</rt></ruby>せ参じよう意気込みでおる者とは、日常、お察しがついておるはずだ」

「なるほど」

「さるに、そのわれらへ、<ruby><rb>御相伝</rb><rt>ごそうでん</rt></ruby>の兵学を講じられたり、<ruby><rb>若人</rb><rt>わこうど</rt></ruby>よ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あだ</span>に<ruby><rb>生命</rb><rt>いのち</rt></ruby>を過ごすななどと、常々鼓舞してやまぬお師のお心の底を、今さら宮方か否かなどと、事あらためて、問いただしてみるまでもあるまい」

「げにも、仰せの通りだ。日野殿にも、およろこびなされよう。かかる山間にまで、そうした宮方の支持者があると聞かれれば」

「いや、それとて、日野殿以外には、お洩らしあるな。お師が、第一のお嫌いは、世間の<ruby><rb>有象無象</rb><rt>うぞうむぞう</rt></ruby>に自分の存在を知られることだ。……で、今日も兵学の講義日なれど、ごく少数な若い者どもにかぎられておる」

「ほ。今日はここの御講義日でしたか。では、お兄上正成どのも、やがてお見えか」

「いや……」

正季はそのとき、どこか力のない色を見せたが、すぐ微苦笑に代えていた。

「兄の正成殿は、もう、さっぱり不勉強です。よい奥方を迎え、よいお子を持ち、かつ良い御家庭の父になりすましておられる。人間、余り環境にめぐまれると、好学の気も世への志もなくなるものか、ここ数年は、とんとこの加賀田へもお見えはない」

頼春と菊王は、眼を見あった。

日野俊基が、正成を訪れないわけも、何か、分ったような気がしていた。