Soranoha

詩の精神は移動す

しのせいしんはいどうす

小川 未明

物が新しくそこに生れるという事は、古い形が破壊されたということを意味するに他ならない。単に破壊というと不自然のように感ずるけれども、創造というと、人々には美わしい事実のように思われる。若しも古いものが其のまゝ形を変えたものであったなら、それは創造ではないだろう。

即ち存在の意義を別個のものとして、新しく生れるということに於て、創造は私たちに歓喜をよびおこす。

詩はついに、社会革命の興る以前に先駆となって、民衆の霊魂を表白している。例えばこれが労働者の唄う歌にしろ、或は革命の歌にしろ、文字となってまず先きに現われるということは事実である。そして、芸術の形をつくるのである。それは最も感激的に、短い言葉である。魂の赤裸々な叫びを見せている。それが詩である。

いまこゝに、どんなに快い調子が繰り返されていても、如何にそれがある優しみの感じを人の心に与えても、その中に含まれている思想が依然として在来のものであったなら、私はそれを求むるところの詩という事が出来ない。極端に言えば、旧文化に安住している人々には、又その時代の感情に陶酔し、享楽している人々には、ほんとうの意味の詩はない筈である。

子守唄は子供を寝かしつけるための歌であり、又舟乗りの唄は、舟をこぐ苦労を忘れるための歌であり、糸とりの唄はたゞその唄う歌の節に少女自からを涙ぐましむることによって自らを感傷的な気持にすれば足りるというであろう。そういうような単純な目的のために唄われるものであるなら、その目的を達すればそれでいいのである。在来のこの種の歌の中で、身の不運を嘆いたり、生のたよりなさを訴たりする者があっても、それは単純なリリシズムの繰り返しにしか過ぎなかった。そしてそれによって、その時代をうかがう事が出来ても、それらの詩には、それ以外の目的を見出すことが出来ない。それは何んの為かというに、それらの人々が、その時代に安住しておったからである。もっと適切に言ったなら、安住の世界を、その時代の生活は、それを肯定として、趣味の上に求めるより外になかったからである。所謂いわゆる牧歌的のものはそれでいい。それらには野趣があるし、又粗野な、時代に煩わされない本能や感情が現われているからそれでいいけれど、所謂その時代の上品な詩歌や、芸術というものは、今から見ると、別に深い生活に対する批評や考案があったものとも思われないものが多い。それは詩歌のみならず、凡ての芸術はいつの時代にもその時代の文化の、擁護を以て任じて来たからである。現在に於いても、大凡の芸術は、これまでの文化の擁護と見做されていると見るのが至当であろう。

然し敢て言うが、これらは私の求むるところの詩ではない。私達の詩は疑から始まっている。今迄の詩が休息の状態、若しくは、静息の状態に足を佇めているものとしたら今日の詩は疑と激動の中から生れてくる。然しこうした詩の徴候は或は現在の生活に限られている現象であるかも知れない。しかし、芸術は其の時代の霊魂である。鏡である。詩は其の時代の生活の焔であるからだ。私たち今日の凡ての努力、それは精神運動の上に於ても、また社会運動の上に於ても、少しく心あり、覚醒する者ならば、先ず何物かを形の上に心の上に求めつゝある事は事実であろう。即ち皆んなは新しき世界を新しき生活を求めている。その世界は生れなければならない心の中に又形の上に、生まれなければならない。然し私達が創造を考えるとき、破壊を考えずにいられようか。

人生の進歩というものは徐々として、時に破壊と建設の姿をとる場合もあるけれど又急速に飛躍して、其れを達しようとする場合もある。今私達の気持はどの点においても慌あわただしさを感じている事は事実だ。最も敏感である詩人に、この気持が分らない筈がない。また、詩に現われない筈がない。

前にも云ったように、幾度快よいリズムをくりかえしても、如何に柔かな感じや、快よい気分をそゝろうとしても、既に覚醒きっている心の人には、何らの新しいものとなっては響かない。たゞ単的に古い文化を破壊し、来るべき新文化の曙光を暗示するもののみが、最も新鮮なる詩となって感ぜられる。

私たちが少くとも生活に対して愛を感じている人達が、何か感激を感ずる場合には、いつでも其の中には詩が含まれている。

詩は文字の上のみに現われると限っていないけれど、文字の上に書かれた詩に、またこの感激がなくてはならない。私達が今日子守唄をつくるにせよ、舟唄をつくるにせよ、また糸とり歌をつくるにせよ、それが在来のものと同じでいいだろうか、新時代の光を浴びようとしつつある、また浴びなければならないそれらの子供に対し、労働者に対し、少女に対して与えるものは、今迄のそれでいいだろうか、今日の詩人はもっと詩の王国が移動したことに対して覚醒しなければならない。

底本 / Source edition

底本:「芸術は生動す」国文社
1982(昭和57)年3月30日初版第1刷発行
底本の親本:「生活の火」精華書院
1922(大正11)年7月10日初版
入力:Nana ohbe
校正:仙酔ゑびす
2011年11月30日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/051761_001475/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/051761_001475/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/051761_001475/

小川 未明「詩の精神は移動す」(新字新仮名)、底本『芸術は生動す』国文社、1982年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 051761_001475, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite