新に越して来た家の前に二軒続きの長屋があった。最初私にはただこんな長屋があるという位にしか思われなかった。

ある新聞社にいる知人から毎日寄贈してくれる新聞がこの越して来てから二三<ruby><rb>日</rb><rt>ち</rt></ruby>届かなかったので、私はきっと配達人が<ruby><rb>此家</rb><rt>ここ</rt></ruby>が分らない為であろうと思った。しかし私には無代価で送ってもらっているということが、わざ〱ハガキを本社に出して転居を報ずるのを差し控えさせた。何となればそうするのがあまり<ruby><rb>厚顔</rb><rt>あつがま</rt></ruby>しいように感じられたからであった。たゞ私はどうかしてこのことだけを配達夫に知らせたいと思った。

此の新聞は午前の四時頃になると配達されるので常に家内のものが眠っているうちに戸の隙間から入れて行くのが例であった。私はもしこの時分に起きて家の外に出て道の上に立っていたなら、偶然にこの新聞配達夫が通り過ぎるのを見ないとは限らないと思ったので、或日の朝私は早く起きて家の外に出た。

まだうす暗かった、暁の風は、灰色の雲を破って、東の方から夜はほの〲と明けかゝっていた。まだ道の上に人の通った気はいもしなかった。天地は風の木を吹くより、寂々として音がなかった。高い木立の頂きに暁の風は、自然の眠りを醒ます先駆の叫びのように聞かれた。私は世間の多くの人々が、此夜から暁になろうとしている瞬間の自然の景色を、自分の如くこうして外に立って親しく知る者が幾人あろうと考えた。……私は其処に新しい詩材を見出すことが出来るように覚えて観察を怠るまいと思った。

此時始めてこの二軒長屋の一軒が、戸を開けてあるのを見て驚いた。もう此家は<ruby><rb>疾</rb><rt>とく</rt></ruby>に起きていると思われたからだ。私は其の時からこの家にはどういう人々が住んでいるだろうかと思った。私は直ちに生活に奮闘している人々だと考えた。何となればこんなに朝早くから起きているのを見ると、多くの人々がまだ安眠している時分にも、生活の為に働いているのであろうと感じたからであった。

私は新聞の問題よりも、此の方に多くの注意を惹いた。<ruby><rb>而</rb><rt>そ</rt></ruby>して其の後此の家に注目したが、<ruby><rb>未</rb><rt>ま</rt></ruby>だこの家の主らしい男を見たことがなかった。時々家の前に七ツ八ツの青白い顔の女の児が、乳飲児を<ruby><rb>負</rb><rt>おぶ</rt></ruby>って立っているのを見た。妻がその女の児を見ながら、

『死んだ人の顔だってあんなに青くはない。』と言ったことがある。

なんでも其の顔付は、極端な腎臓病に<ruby><rb>罹</rb><rt>かか</rt></ruby>っているような徴候らしくあった。それだのにこうして医者にも見せずにしかも<ruby><rb>幼児</rb><rt>おさなご</rt></ruby>の守をさして置くのは<ruby><rb>畢竟</rb><rt>ひっきょう</rt></ruby>貧しいが為ではなかろうか。人は境遇によって自然と奮闘する力の強弱がある。此児は果して生を保ち得ようか？　ある静かな日の午後である。此家から老女の声と若い女の声とが聞えた。老女の声は低かった。若い女の声は激していた。

『早く此児は死んでしまえばいゝのだ。』と若い女の声が言った。つづいて子供の泣く声がした。ある日の<ruby><rb>正午</rb><rt>ひる</rt></ruby>頃男が来て大きな声で話をしていた。男は帰る時に、

『護国寺の方に出るには、どう行きます……』と言って女に道を聞いていた。

『そんなら、品を見てから……よろしければ……』と女は言った。すべてのことが私には見当がつかなかった。

其れから数日の後であった。私は散歩から家に帰って来ると長屋の前に荷車があった。それにいろ〱の諸道具が載せられていた。小さな<ruby><rb>箪笥</rb><rt>たんす</rt></ruby>もあった。しかしすべて一台で足りたのである。軒下には<ruby><rb>窶</rb><rt>やつ</rt></ruby>れた卅五六の女が乳飲児を負って悄然と立って車について行く処であった。其の日から、其の家の戸が閉って貸家となった。何処に行ったか知らない。

『あの乳飲児は、誰の児だろうか？』と私は考えた。