Soranoha

「地熱」について

「じねつ」について

三好 十郎

この作品は、今から十五六年前、丁度僕が井上演劇道場と云ふ中間演劇なるものに関係してゐた頃、直接には井上さんの委嘱で書いたものですが、この作品そのものを書きたい気持はかなり古くからもつてゐたものです。

これが上演された時の配役は主人公の留吉を井上正夫、女主人公の香代を水谷八重子、お雪を岡田嘉子、その他当時の良心的な新派の役者が大勢出ました。

演出は、岡田嘉子と共に越境して、すでに亡くなつた杉本良吉で、東京劇場で上演され、かなり好評でした。

僕のすべての作品が急に思ひ立つて書いたものではないのですが、この「地熱」も又然りです。その当時のある種類の観客は、三好が新派からたのまれて書いたので、新派くさい芝居だと云ひました。私は弁解することが嫌ひなので、弁解はしなかつたけれども、実はさうではないので、僕が前から持つてゐて、書きたいと思つてゐたものを書いたので、僕としては一生懸命書いたものなのです。その後どこでも上演しなかつたのが、今度戯曲座でやることになつたのは、僕としては一種の感慨があります。

この作品のテーマとなつてゐる一番大きいものは、人間が自分の過去をふり返つて見るとき、自分が実際経験してゐながら、気づかず、そのまゝ通り過ぎてしまふことがたくさんあります。愛情の問題など特にさうです。あとで振り返つてみて、しまつた、あの時自分はあんなに貴重なものを与へられてゐながら、知らずに過ぎてしまつたと、あとになつてどうにもあきらめきれない悔い、なさけない、辛い、同時に味はひ深い、切ない悔い、さう云ふものがあります。僕の小さい時からの生活で、あの時、自分はこんなにも美しいものを、人からも、自然からも、貰つたのに気づかずに通り過ぎたと云ふことを考へて、非常に後悔することが多いので、その時の事を考へてみて、それを掘り起し乍ら書いたものです。

ですから、戯曲座で演ぜられる場合にもさう云ふ風な点を生かし乍らやつてほしいと希望します。

「地熱」と云ふ題名は、僕が小さい時から久しくもつてゐたもので、忘れもしない中学四年の時、神経衰弱みたいになつて、世の中が何かつまらなくなり夜もよくねむれず、勉強するのも嫌になり、死んでしまはうかと思つたことも何度かあつて、旅行に出、今から思ふと「地熱」の舞台によく似た北九州の佐賀から唐津と云ふ港町へぬける山道を、金もないのに酒を呑んで、すき腹をかゝへて、ふらふらと半月ばかり歩き廻り、やりきれなくなると、地べたにあふむけに寝ころんで空を眺めた。地べたは非常に冷たいけれど、それは氷の様に邪険な冷たさではない。一番安心してそこに寝てゐられる一種の深い暖か味の様なものを、着物を通して体に感じられるのです。それは必ずしも地球地質学的な意味で地球の中には、何かどろ〱した熱いものが燃えてゐるからと云ふ意識がある為でなく、冷たい乍ら、底の方から何か暖かいものが実感として感ぜられるのです。

それが地熱と云ふ――言葉ではないそんな風な考へ方が、かなり古くから僕の中にあつて、たま〱この作品を書くに当つて、出て来たものです。

一番安心して、その上に寝られる、冷たいが、しかし人間を凍らせたり、死滅させたりする様なものでなく、何か人間の体の温かさを支へるに足る、安心出来る熱と云ふ様なものがある。さう云ふ風なことがテーマになつてゐるのです。

僕は、十三歳頃から、あちこちの小僧になつたり、筋肉労働をしたりしました。米屋の米つき、炭坑で雑役として働いたり、又請負師のところで、土方の手伝ひをやり、材木運び、使ひ走り、帳簿つけなどをしました。これ等の青少年時代の労働の中で、土方、線路工夫、炭坑夫、百姓などの人々と、なじみになる機会が多かつた。これ等の働く庶民の人達を思ひ出し乍ら書いたもので、非常になつかしいのです。ですから、この登場人物の一人一人に、具体的なモデルがあるわけです。

底本 / Source edition

底本:「三好十郎の仕事 第一巻」學藝書林
1968(昭和43)年7月1日第1刷発行
初出:「戯曲座 パンフレット」
1953(昭和28)年3月
入力 富田倫生
校正 伊藤時也
2010年4月5日作成
2010年11月4日修正
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TEI
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書誌 / Bibliography
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三好 十郎「「地熱」について」(新字旧仮名)、底本『三好十郎の仕事 第一巻』學藝書林、1968年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 051379_001311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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