Soranoha

不良児

ふりょうじ

葛西 善蔵

一月末から一ヶ月半ほど、私は東京に出てゐた。こんなことは今度が初めてと云ふわけではないので、私はいつものやうにFは學校へは行つてゐることと思つてゐた。ところが半月ほど經つて出したお寺からの手紙には、Fは私が出た後全然學校を休んで、いくらすゝめても私が歸るまで學校へは行かないと云つて、困るから、私に早く歸るやうにと云つて來てゐた。またその後だつたが、東京の或る友人から、君の子供が鎌倉で憂欝病にかゝつてゐると云ふことだが、君は知つてゐるのか――と、どこからそんな噂が傳はつたものか、弟のところへ宛てて葉書で私に注意して呉れた。

二月十六日に私は東京を發つて、疲れ切つた暗欝な氣分をいくらかでも換へたいつもりから、東北地方を汽車で一𢌞りして來た。郷里の妻を訪ねて、Fが東京の中學へ入學出來たら郊外へでも世帶をもたうと云ふそんな下相談などして、二十三日に歸つて來て、その手紙や葉書を見たので、二十四日に弟の二階に居る文科受驗生の井出君を鎌倉にやつた。

「仕樣がない奴だ。兎に角Fをつれて來て下さい。云ふことを聽かなかつたらひつぱたいてもいゝから……」と私は井出君にいひつけてやつた。

その晩寺に泊つた井出君は、Fは叱られるからどうしても厭だと云ふのを、淺草の活動寫眞を見せると云ふ約束で、東京まで引つ張り出しさへすればどうにかなるだらうと云ふのでつれ出したのだが、結局活動の見せ損で、Fに新橋から歸られ、井出君ひとりでぼんやり歸つて來た。で私はいよ〱腹を立てて翌日更に井出君を引返してやつたが、心元なく思はれたので、夕方勤め先から歸つて來た弟に、「井出君ではやはり駄目らしいから、お前行つてつれて來て呉れないか。剛情で仕樣がない奴だ。何もかも分つてゐて、あゝ横着を極め込んでるんだから、癖になるから……」と、急き立てゝ出してやつた。間もなくやつぱし井出君ひとりで「どうしても厭だと云つて何と云つても聽かないもんですから……」と云つて歸つて來た。それから日が暮れてFは食事や一切の世話をして呉れてるS屋の娘――と云つても二十三になるおせいといつしよに、怯けた顏してやつて來た。行違ひになつた弟は遲く終列車で歸つて來た。

そんな譯で、Fはかなりひどく叱られねばならなかつた。翌日は雪が降つて、私は熱があつて床の中へ這入つてゐたが、貴樣のやうな人間は小僧にでもなつちまへ!」と「!」と」はママ云つて、新聞の廣告を見て、井出君に外へつれ出させようとまで思つたが、弟夫婦や昨年の暮から出て來てゐる老父に取做されて思ひ止つた。尤も小僧と云ふのは言葉だけの威嚇なんだが。

その日の午後Fは井出君といつしよに寺に歸つた。井出君は晝間は自分の勉強をし、晩はFの遲れた學課を見て呉れることになつた。

それからも私は東京に引かゝつてゐて――金の都合が出來なかつたので――三月十四日に、一ヶ月半ぶりで、弟のところから老父を誘ひ出して二人で寺に歸つて來た。脚の不自由な老父は、玄關わきの二疊で、暮れに産れた弟たちの赤んぼの寢床のわきに、脊を丸くして火鉢にあたりながら、終日新聞を讀んだりして所在ない日を送つてゐた。ひどく億劫がるのを、私は手を引張らんばかりにして、つれ出したのであつた。

老父は私よりも酒が強かつた。閑靜な寺の座敷を悦んで、老父は朝から私相手に飮んで、二晩泊つて十六日の午後少し時間が遲かつたが醉つた身體を井出君に介抱されながら、初めての江の島に𢌞つて歸ると云つて、元氣で出て行つた。その日は特にFに學校を休ませて送らせた。三人は江の島の棧橋の手前の茶店で榮螺の壺燒や丼などたべて、藤澤に出て、Fだけが大船で別れて乘替へて來たのだが、寺へ歸つたのは十時半頃だつたので、少し時間が遲過ぎると思つたが、格別氣にも止めなかつた。十七日はいつもの時間通り、豫習をやつてゐるので七時頃歸つて來た。十八日の晩は二時過ぎまで私は起きて待つたが、たうとうFは歸つて來なかつた。十六日の晩の時間の遲過ぎたなど考へ合はされて、いろ〱に氣を𢌞して見たが、結局私の永い留守の間にFは不良少年に取つかれたのだらうと云ふ疑惑が、私の心を慘めに昏迷さした。小僧と不良少年――斯うした暗示が最後までFに利用されて、私に祟つた。

前の晩だつたが、Fが次の室の寢床に這入つて間もなく、彼の睡入らないのを知つて故意に彼に聞えるやうに、私は酒を飮みながら、彼の性質のよくないことをおせいに話して、殊にこの前井出君につれられて東京に出て、淺草で活動を見さしたり御馳走させたりした上、井出君に鼻を明かして自分ひとり新橋から歸つて來た――私はそのことを非難した。Fはそのことだけはまだ私に明かされてゐないことと思つてゐたらしかつた。彼は寢床の中でそれを聽いてゐた。そして心を傷めた。後になつて考へて見ると、その晩のことが事件の動機を作つたやうなものであつた。後に新聞に――學校退出後活動寫眞に入り歸宅の時間遲れし爲め父に叱られるを氣遣ひ云々――などと出たが、それは間違ひだつた。

兎に角Fは私と二人きりになつて、ひどく脅えてゐた處だつた。東京でひどく叱られたと云つても、私と二人きりではなかつた。十六日に老父に歸へられ、十七日の晩は――私はいつも面罵一方の方なんだがその晩はどうかしてそんなことだつたし、十八日の朝いつものやうに私の枕元で行つて參りますと挨拶した時、いつものやうに互ひの視線がピツタリ感じが合はなかつた。それがFにも感じられた。でその日も彼は時間通りに歸つて來たのであつたが、すぐ這入れずに、雨戸を締めた濡縁の外に立つて、しばらく中の樣子をうかゞつてゐた。そのうちに時間が經つて、私が雨戸を明けて手洗鉢で手を洗つた時、Fの方では私が彼の立つてる姿に氣がついた筈だと思つたが、私は氣がつかなかつたのでそのまゝ雨戸を締めたが、それで彼はやはり私が前の晩のことを怒つてゐるものと思ひ込んで、二時間も外に立つた後そつと物置きに忍び込んで、翌朝の五時頃晩飯も朝飯も食はず、そつとまた學校へ出て行つたのだつた。……

十九日は日曜だつた。が豫習生は日曜も休まないことになつてゐるので、若しやと云ふので、お寺の婆さんも心配して下の方丈の電話を借りて學校へかけて呉れたが、受持ちの教師が出て來て、Fはいつもの通り學校で勉強してゐると云ふ返事だつた。で早速おせいに迎ひに行つて貰つた。ゆうべはどこに泊つて、どこで飯を食つて――さう思ふと、私には唯不良少年の場合のみ慘めに聯想された。由比ヶ濱の小學校までは二十町からあつた。私はじつと部屋の中に坐つてゐるに堪へない氣持で、寺の前の高い石段の上を往つたり來たりした。日曜の天氣で、石段の下の通りは、半僧坊詣りの客で賑かだつた。Fを郷里からつれて來て一年半程になるが、此頃になつてだん〱、斯うした父子二人きりの不自然な生活からの神經の傷害――それがお互ひに堪へ難いものに思はれて來た。Fは一昨年の春流行感冒から重い肋膜を患つて危い命を取止め、引續き夏休みにかゝつて、十月に奧州の山の中からつれ出して來て十一月から由比ヶ濱の小學校へ通はせたのだが、さう云ふわけで、學課の方も健康もひどく鈍つてゐた。二冬の海岸の小學校生活――濕氣の強い山の上の寺は、彼には寢るだけの場所だつた――は、彼の身體をかなりしつかりさせた。後れてゐた學課の方もぼつ〱取返して來たやうに思はれた。が彼の性質はだん〱陰欝になり神經質になりいろ〱な點から注意が必要になつて來てゐた。斯うした生活状態がいけないのに違ひなかつた。私も氣がついて、幾度か郷里の妻の許に歸さうと思つたのだ。最後は、昨年の十一月だつたが、東京から弟を態々わざ〱呼んで、Fの行李まで擔ぎ出さしたのだが、丁度獨りの老父が郷里の家を疊んで出て來たのとカチ合つた爲め、その時もお流れになつた。そして卒業式も後幾日と云ふところまで來てゐたのであつた。

私は石段の上で彼等の歸つて來るのを待つてゐた。近所の男の子が石段を駈け上つて來た。

「小父さん、今ね、せいちやんがね、Fちやんをそこまで伴れて來たんですがね、門の中まで來てFちやんがまた遁げ出したさうですから、せいちやんが小父さんにすぐ來て下さいつて……」

「さうですか、どうも有難う……」と云つたが、私はすぐ駈け出して行く氣になれなかつた。どこまで手古擦らす氣なのだ、罰當り奴!……と云ふ氣がした。

「それではね、おせいちやんにね、いゝから構はないで歸つて呉れつて、さう云つて呉れませんか。ほんとに仕樣がない奴だ……」と、私は男の子に云つて、がつかりした氣持になつて家にはひつた。

おせいは息を切つて歸つて來た。

「どうだつた?」

「いえね、やつぱしゆうべはそこの物置に歸つて來て寢たんですつて。學校歸りに途中で他所の子と喧嘩して、顏に傷したからお父さんに叱られるから歸らなかつたと云つてね、さうかと思ふと井出さんと活動を見たことをお父さんが怒つてるから歸らなかつたんだとかね、そんなこと云つてね、途中も歸るのは厭だ〱と云ふのをやう〱そこまで引張るやうにして伴れて來たんでしたが、………」と、おせいは申譯なささうに云つた。

「ご飯はどうしたんだらう?」

「ゆうべも今朝も喰べてないんですつて。お辨當も空でしたわ」

「ぢやあまた日が暮れたら歸つて來るだらう。いゝ氣になつてあゝしてゐるんだらうから、ほつて置け。仕樣がない奴だ」

その晩はそつと寢鳥でも押へる氣持で、時を置いて物置や軒下や、下の建長寺の山門のまはりなど提灯つけて見𢌞つたが、夜更けになつても影も見えなかつた。

「それではやつぱし不良少年のところへでも歸つたんだらう。ゆうべ物置きへ寢たと云ふのも嘘かも知れない」と、私はすつかり暗い氣持になつた。

「さうですかねえ。そんなものに取つかれたんですかねえ。そんなFちやんでもないやうですがねえ……」

「いやさうかも知れないよ。そんなものがあつて學校を休んでゐたのかも知れないし、さうでなかつたら、おやぢを送つて行つた晩は時間が合はないやうだからね、あの晩の歸りにでもどうかしたのかも知れないね。兎に角唯事ではなささうだから、弟のところに電話をかけて呉れないか。……Fが見えなくなつたから金を少し仕度して明日早く來て呉れつて」斯う云つて、東京の弟の近所の酒屋から弟を呼び出さして、方丈の電話を借りておせいに云はした。

翌朝九時頃やつて來た弟と二人で、兎に角學校へ行つて見ることにした。

「多分この邊の山だらうと思ふが、山のどこか洞穴見たいなところにでも潜んでゐるんだらうと思ふが、何しろ飯を食つてないんだし、夜は冷えますからね、今頃はもうフラ〱で動けなくなつてゐるんだと、時が經つてはなんだから、町を一𢌞りしたら早速僕は半僧坊の山からその邊を搜すことにしませう。町の方ではありませんね……」と、弟は歩きながら云つた。

「それとも、昨日は下の方へさがつたさうだからね、お前のところへでも歩いて行くつもりで、横濱への道はこの一月乘合自動車で往復して知つてるからね、東京まで歩くつもりでフラ〱行つたかも知れないね」

「さうでせうか。そんなだと、兎に角山を搜して見て見つからなかつたら、私は東京まで歩いてもいゝ、途中行倒れにでもなつてるんだと、警察へでも訊くと大抵わかるでせうから……」と、弟は東京までもひとりで歩かうと云ふつもりだつた。

學校で受持の若い先生に會つたが、この頃のFの樣子に別に變つたところも見えないと云ふ話だつた。Fと席を並べてゐる生徒を教室の廊下へ呼び出して、Fがこの頃活動でも見に云つたやうな話をしてゐなかつたかと、訊いて呉れたりしたが、そんな話は聽かなかつたとその生徒は云つた。一昨日も昨日の朝も平生と變つたことがなく、冗談なぞ云つて遊んでゐたと、無邪氣な目をしてその生徒は云つた。先生は成績簿を出して見せて呉れた。どうやら七點平均には行つてるやうだつた。操行は甲だつた。

「學校へ來てはよく眞面目に勉強する方でした。成績も學期毎に少しづつは好くなつて來てゐます。唯これと云つて特に優れた點のないのはお氣の毒ですが……」と、先生は同情を持つて云つて呉れた。

「私はまたもつとわるいのかと思つてゐました。自分でもさう思つて氣がひけてゐたのか、この一二學期は通信簿を私には見せなかつたやうです。東京の中學は迚も受からないと自分でも思ひ込んでゐたやうで、だん〱日が迫つて來るし、そんなことからもだいぶ氣を痛めてゐたのかも知れませんが、大體無口な方なもんですから……」

「さう云ふと、どの生徒にも特別に懇意なと云ふ友達の一人や二人はあるものですが、Fさんには特にこれと云つて特に懇意にしてる友達はなかつたやうです」

Fのさうした孤獨な心持には、自分も同感された。滿たされない孤獨な少年の心は、不良な誘惑の手に、小雀のやうに握られてしまつたのに違ひない。入學試驗の脅迫――彼が入學出來ないと、彼の母や妹たちは東京へは出て來られなかつた――さうした責任感?……そして彼自身東京の中學の受からないことを知つてゐた。私はFに對しては寧ろ偏愛的だつた。私は私自身の存在を否定してゐる。自身の壽命に見切りをつけてゐる――それだけに、私が彼にかけてゐる希望は過大なものだつた。妻や娘たちに對する愛情とは別なものだつた。彼女等に對しては、私は嘗て犧牲的な感じを持つたことがない。Fにだけはそれを持つことが出來た。彼女等は何年來妻の實家の食客だつた。がFだけは私以上のものだ。が斯うした私の氣持の働き方には、多分の不自然なものがあつた。彼に取つては、私と云ふものは、單に苛酷な、容赦のない、怖い父に過ぎなかつたらう。彼の小僧志願の心持は、さうした私への反抗でもあり、同時にまた彼自身の能力否定の糊塗的行爲でもあつた。がその結果は、全然不良少年的な活動ぶりを發揮した。――いつしか不良少年の群に入り次第に惡化し……云々などと或る新聞では書いてゐたが、さう云はれても仕方がないほどの惡才に長けたところがあつた。

「さう〱」と、私たちが歸らうとすると、先生は思ひ出したと云つた風で云つた。

「ついさつきでしたが、逗子の藥屋だと云ふ人が見えて、Fさんが昨日小僧になりたいとか云つて訪ねて行つたさうで、Fさんの成績や性質など話して貰ひたいと云つて寄つてありましたが、こちらではいゝやうに云つて置きましたが、あなたの方へもお訪ねするやうなことを云つてましたが、會ひませんでしたか。名刺を置いて行つた筈です……」斯う云つて、先生は職員室からその名刺を持つて來て見せた。

「さうでしたか。それでは私たちは行違ひになつたのでせうが、どうもわかりませんね、全然そんな心當りがないのです。それではやつぱし逗子あたりのわるい奴に掴つたものでせうか。全然ひとりでそんなところを訪ねて行く……逗子へは一度もまだ行つたこともないのですから……」と私は云つたが、その時まではまだ、まさかと思つてゐた不良少年の豫感が、最早動かせない事實のやうに思はれて、私は眼も眩むやうな氣がした。

私たちはその名刺を借りて外へ出た。山を搜さうと云ふ弟の心構へも無になつた。彼もまた、最早私と同じやうな暗い聯想に囚はれない譯に行かなかつた。「困つたことになりましたなあ……」と、彼も嘆息した。

「兎に角逗子へ行かう。その藥屋に居るのかゐないのか、ゐて呉れるといゝが、なんにしても手遲れになつてはいけない」

私たちは斯う話しながら鐵道のガードの下を停車場の方へ歩いて來ると、向うから駈けるやうにしてやつて來るおせいに會つた。おせいは息を切らしてゐた。

「私はね、あなた方が出たあと八幡前の占ひやに見て貰ふつもりでね、占ひやに寄つてそれから一寸床屋さんに寄つたんですの。するとお内儀さんがね、今朝Fちやんが近所の時計屋さんの幼稚園へ行つてる子の手を引いて、床屋の前を通つたのをたしかに見たんですつて。そんなこととは知らないもんだから、Fちやんがどうしたんだらうとヘンに思つてゐたんですつてね……」

「ぢやまだ居るんだね?」

「居るんでせう。でもまた私がいきなり突かけて行つて逃げ出されてもたいへんですからね、今床屋のお内儀さんにそつと裏から時計屋へ行つて、時計屋のお内儀さんに譯を云つて逃げられないやうに頼んで置いて、あなた方を搜しに來たんですの」

「それではお前が行つて、彼奴に逃げられないやうにして床屋さんまで引張つて來て置いて呉れないか。僕は兎に角逗子の方を調べて來よう、どんなことになつてるのかわからないから。それにしてもうつかりしてまた逃げられちやいけないよ。彼奴ひとりの智慧ぢやないんだらうから油斷出來ないよ」

私は斯う弟に云つて彼等と別れて、逗子までの往復切符を買つて汽車に乘つた。その床屋と云ふのはおせいのうちの親戚で、Fを學校へ出す時そこへFの寄留を頼んだので、床屋の人たちは私たちのことをよく知つてゐた。それにしても今朝逗子の藥屋がたしかに學校へ來てゐるのだから、床屋のお内儀さんがFを見かけたと云ふのは、間違ひだらうと云ふ氣がされた。その時計屋なら、Fが修繕の催促で幾度も使ひに行つた事もあり、私の眼鏡が毀れた時、前から持つてゐた東京の眼科醫の檢査の書附を持たしてやつて、Fに待たして安物の眼鏡を買はしたこともあり、また私たちはいつもその近所のお湯屋へ行くのでその家の前は始終通つてゐた。床屋とは十軒と離れてゐない近所だつた。さうしたところにFが潜伏してゐようとは、一寸かんがへられなかつた。やはり逗子の方がほんたうだらうと思はれた。誘拐した相手が持餘して來たのか、それとももつと惡事を働かせる爲め強ひたのか、それともまたFが、どうしても私のところへは歸らないで小僧になると云つて相手のものに頼んだのか、兎に角彼ひとりの智慧ではないと思はれた。物置に寢たと云ふのもみんな嘘だと思はれた。その晩彼は取返しのつかない侮辱を受けて、私に面目ないところから、斯うしたことになつたのだとすると、彼もまた不憫な奴である。私は彼の年齡時分――彼は十二歳八ヶ月だつた――の、私自身の性的な記憶を喚び起されたりした。

汽車が出て間もなく、夏時分のやうな氣紛れな通り雨が、ザアツとやつて來た。私はその頃も、七度二三分位の熱がずつと續いてゐた。身體を動かすことが一番いけないのだつた。熱の出て來た徴候の足の甲や掌などのチク〱と刺すやうな不快な感覺が、腰掛に坐つた私の氣持を一層不安にした。逗子へ着くと雨は止んだ。その藥屋は驛から一町となかつた。度量衡や化粧品など並べた小綺麗な店だつた。髷の若いお内儀さんが店先きに坐つてゐた。

「一寸うかゞひますが、十四位の男の子が昨日とかこちらへ見えたさうですが、まだ居りますでせうか。實は鎌倉の小學校からこちらのことをうかゞつて來たのですが……」と、藥屋の名刺を出して、隱されるやうなことがあつてはならないと用心して相手の顏色を見ながら、云ひ出した。

「は、さうでしたか。その子供さんのことでお出でになつたので……はあ、さう云ふ子供さんは昨日見えるには見えましたけど、實は斯う云ふ譯ですぐ鎌倉へ歸りましたですが……」

お内儀さんの話では、學校通ひの仕度のまゝのFが、突然訪ねて來て、小僧に置いて呉れと云つたが、主人は、明後日鎌倉に用事があるからその時學校や親の方を訪ねて、その上で置くことにするから一先づ歸れと云つて、鎌倉までの汽車賃を呉れて歸したのだと云ふことで、お内儀さんの話にはすこしも曖昧な點が感じられなかつた。

「鎌倉から歩いて來たと云つて、お父さんと二人で斯う云ふお寺に居るんだが、お父さんは病氣で上の學校へあげられないから、私は小僧になるのだと云つて、お父さんは斯う云ふ商賣だと云ふことも云ひますし、見たところ子柄もわるくないやうだし、實はうちでもたいへん小僧をほしがつてるところなので、それでさう云つて歸しますとね、大へん悄れてゐたやうでしたが、ひどく元氣のない風でフラフラと停車場の方へ歩いて行くので、宅が後を追つて行つて汽車賃を渡したんださうでして、それで明日のつもりが今日鎌倉へ行くことになりましたので、學校へも寄りましたんでせうが、多分お宅の方へも𢌞りましたことでせうが、まあさう云ふ譯でございましたのですかねえ……」と、お内儀さんは驚きと好奇の眼を見張つた。

「それでなんでせうか、その時何か伴れ見たいなものでもその邊に見えなかつたやうでせうか?」

「さあ、そこまで氣がつきませんでしたけど、別にそんなものは見えませんやうでしたが……」

「それではどうしてこちらで小僧さんが入用だと云ふことがわかつたんでせう?」

「さあそれは、そこに小僧入用の札の出てるのを見かけて這入つたのか、それとも鎌倉の停車場前に懇意にしてるうちがあつて、そこへも頼んであつたのでそこからでも聞いて來たものでせうかと、こちらではさう思つてゐましたのですが」

「それにしても彼奴がひとりでなあ……?」と、私は伴れの者がその邊に立つてゐてそつとFの樣子をうかゞひ、Fがうまく藥屋に這入れさうなのを見屆けてそのまゝ遁走したか、それともその晩には商品でも持出させるつもりだつたらうかと、曲者が立つてゐたとしたらどこらだつたらうかと、私は店先きの腰掛にかけながら、店屋の並んだ狹い往來を見𢌞したりした。しかしまた、それから鎌倉の方へ立𢌞つたところを見ると、Fが失敗して停車場へ行つた時、そこで其奴が待つてゐたのだらうと思はれた。

奧から婆さんも出て來て、「まあそんなことだつたのかねえ。お父さんは病氣で寢てゐるなんて、どうしてご病氣どころぢやないぢやないか」と、私の樣子を見ながら云つたりした。

「この邊の宿屋にでも泊つてゐたんだとすると、心當りのうちもありますから、もしなんでしたら訊かせませうでせうか。もう追つけ宅も歸る時分ですが、……自轉車で參つたもんですから」と、お内儀さんは親切に云つて呉れた。

そこを出て、汽車の時間を待つ間に、驛前の交番へも行つて頼んだ。刑事もゐて、宿屋へは泊つた形跡はないと云つた。

「またこの邊へ立𢌞るやうだつたら、すぐ抑へませう。こゝで斯うして見張つてる以上は見遁しつこありませんからね。鎌倉にも不良少年が居るさうだが、……十四ですね、それ位の年だと三日目か四日目には屹度出て來ますよ」と刑事は云つた。

時計屋の方が?……と、私は心に念じながら鎌倉へ歸つて來た。改札口の外に、紺の詰襟服にマントを羽被つた、黒の中折れ帽の弟が、暗い顏して立つてゐた。

「Fが時計店にゐた?」と、私は外に出るとすぐ訊いた。

「さあそれが……」と、弟は息を呑んだ。

時計屋の方も、やはり失敗だつたのだ。十一時頃床屋のお内儀さんに行つて貰つた、その二時間ほど前に、Fは時計屋を出てゐた。逗子の藥屋の場合と、同じやり口であつた。昨晩八時頃やはり小僧に置いて呉れと云つて突然訪ねたのを、餅など燒いて食はせたりして、時計屋では泊めて呉れた。東京の弟のところに居るのだと云つて、牛込の弟の住所は明瞭に云つてあつた。私も東京に居ることにしてあつたが、住所はいゝ加減な出鱈目を云つてあつた。Fは東京から小僧の口を搜しに來たやうに云つた。時計屋では何か家庭の事情でもあつて家出したものだらうとは思つたが、Fが、自分は機械などいぢくるのが好きだから時計屋になりたいなぞと云つたりして、云ふことに筋道も立つてゐたので、主人の弟で海軍省とかの技手を勤めてゐる人に、今日役所の歸りに私の弟を訪ねさせて、話をきめる筈にしてゐた。Fは朝飯前に店先きを掃いたり、時計屋の子といつしよに近所の花屋に花を買ひに行つたり――その時に床屋のお内儀さんが見かけた譯だつた。それから間もなく、Fは一度東京に歸つて叔父さんとよく相談して出直して來ると云つて、主人の弟の人の東京から歸るまで待てと云つて引止めたのを振切つて、そこ〱に出かけたのだつた。外から歸つて來た主人は、その時はまだFが時計を持出したのに氣がつかなかつたが、後から自轉車で追かけて行つて極樂寺前で追ついて、Fが極樂寺坂の方へ行かうとするので、東京へ歸るのなら引返して汽車で歸つた方がいゝだらうと云ふと、電車の囘數劵一枚出して見せて、これがあるから、江の島を見て行くのだと云つて、長谷から電車に乘つたと云ふのであつた。……床屋のお内儀さんが時計屋から聽いて來て呉れた話は、大體斯うであつた。

私たちはまた床屋まで引返して來て、おせいもゐて、お内儀さんからその話を聽き直したのだが、いよ〱見當がつかなくなつた。

「やつぱし相手の奴が引張り出しに來たのだらうか。何か持出しやしなかつたかな?……時計屋で別にそんな話はしてゐませんでしたか?」

「え、別にそんなことは云つてゐませんでしたよ……」と、お内儀さんは曇りのない調子で云つた。

「兎に角警察へ頼むほか仕方がないね。どうも仕樣がない奴だなあ……」

私たちはすつかり途方に暮れて、がつかりして、床屋を出ようとしてゐるところへ、やはりS屋のおせいの嫂さんが、息を切らして、駈け込むやうに這入つて來た。

「まあ丁度いゝところでした。今ね、山の内の駐在所から建長寺の方へ電話がかゝりましてね、Fさんが腰越で時計屋に時計を賣つてるところとかを巡査に掴つて、駐在所に留めてあるから引取りに來いと云つて來たんださうですが、あなた方がお留守なんで私が代つて出ましたのですが、山の内の巡査のおつしやるには、本署の方へ寄つてそれからすぐ腰越へ行くやうにと云ふことでしたよ。……まあこゝに皆さんがゐて丁度よかつた。町の方だと云ふからこちらへでも寄つて聞いたら樣子がわかるかも知れないと思ひましてね、ほんとに駈けて來ましたのよ……」と、嫂さんは斯う云つて、ホツとした。

「さうでしたか。どうも有難うござんした……」と、私もホツとして云つたが、一昨晩以來S屋一家の人たちにかけた心配だけでも、たいへんなものだと思つた。

私たちはそゝくさと外へ出て、警察署へと半町程も歩いた時分、またおせいが私たちを呼びかけて追かけて來た。

「……Kさん、あなた時計をお持ちですか?」と、彼女は急き込んだ調子で訊いた。

「時計?……持つてるよ……持つてるだらう……どうして?」と、私は突嗟の問ひに面喰つて、それともどうかして忘れて來たかな? と云つた氣もして、あわてた手つきで帶の間から時計を出して見せた。

「さうですか。それだとなんですけど、……Fちやんがまたお父さんの時計だとか云つて賣つてたんださうですから……」おせいは私の顏に注意深い視線を投げたが、斯う云つて口籠つた。

「……あゝさうか」と、私もやう〱そこに氣がついたが、「しかし時計屋では盜まれてゐないと云ふんだらう。それだけに尚いけないや。どんな奴の時計だかわかつたもんぢやない。まあ兎に角警察へ行つて來る……」私たちは斯う云つて彼女と別れた。

後になつて考へて見ると、その時のおせいの注意で、兎に角一應時計屋へ引返して調べなかつたと云ふことが、私たちの大きな手ぬかりだつた。私たちが床屋を出たあと、お内儀さんや嫂さんやおせいたちの間に話が出て、何しろゆうべはFが時計屋に泊つたのだから……さうに違ひないだらうとは誰にも考へられることで、それでおせいに追かけさして注意して呉れたのだが、その時の自分の神經は不良少年と云ふ見えない影に脅かされて錯亂してゐたし、時計屋では盜難の話は出なかつたと云ふことだし、兎に角當人さへ抑へてしまへばさうしたことの處分は後でどうにもつくと云ふ考へだつた。その時引返して、Fが時計屋から持出したことが分つてゐたら、Fを腰越の駐在所で白状さすことが出來て、Fに不良少年などの虚構の餘地を與へずに濟んで、ああまでは事件を大袈裟にせずに片附けられたのかも知れないと思ふ。ところがその時ふとした手ぬかりから――當人が掴つたと云ふので氣がポーツとなつてもゐた――訪ねなかつたのが、たうとう最後まで機會を失つて、私が訪ねた時は、最早私たちは取返しのつかない慘めな立場に投り込まれてゐたのだつた。

時計屋では、現物を刑事が持つて調べて來られるまで持出されたことに氣がつかなかつたのだといふ――私は時計屋の主人の言葉を信じたい。Fが朝店さきを掃いたりしてゐた時はまだ表の戸がしまつてゐて、店の中が薄暗かつた。その時Fが店のガラス箱の上に二三十置いてあつた機械の動かない傷み物の中から、小型のニツケル臺に金メツキの片側と、ニツケルの腕時計との二つを盜んだのだつた。後でそこの職人の話では、二つで拾圓位ゐの價格のものらしかつた。が兎に角Fは金時計と思つて選び取つた譯であるから、ある新聞に――小説家の倅金時計を盜む――と云ふ見出しで書いてゐたが、心理的に云つても正しい書方である。ところがまた、Fが極樂寺坂の方へ歩いて行く途中、長谷の時計屋に寄つて、二つで五拾錢で買つて呉れと云つて斷わられてゐた。それから極樂寺前の錺屋にも賣りに這入つたらしい――そこから出て來たFを自轉車で追かけて行つた主人が見つけて、そしてFが長谷から電車に乘るのを見送つたと云ふことである。自分は親としての愚痴であるが、それまでの途中に、Fが持出したことを主人に發見されなかつたと云ふことは、私は自分の子の罪を庇ひたい卑しい心からではないが、Fのためにはたいへん不幸なことだつた。……

警察では、がつしりした體格の、赭ら顏の老練さうな巡査が、腰越の駐在所へ、さつきの子供の親がこれから引取りに行くところだからと、電話をかけた。私は一昨晩以來のことを話した。

「ゆうべはそこの八幡前の時計屋にやはり小僧に置いて呉れと云つて泊つたのださうですが、今も訊いて貰つたのですが時計屋では時計を盜まれてゐないやうな樣子で、さうして見るとその時計がどこから出たのか、腰越の方でも充分調べていたゞくつもりですが、都合でこちらへも彼奴を引張つて來ますから、よく取調べて説諭をしていたゞきたいと思ひますが……」腰越は藤澤署の管轄内だらうと思つてゐたので、腰越で放免されることになつても、さうした不良少年などの場合は、やはり鎌倉署に頼むほかないと思つて、私はさう云つた。

「は、それはその時のご都合で。……それでは兎に角あちらで濟みましたら、歸りに一寸寄つていたゞきますかな」

「承知しました。實はさつき山の内の駐在所の方からこちらへ寄つて行くやうにと云ふことでしたので……」

私は物慣れた巡査の態度にいゝ感じを受けて、入口の外のベンチに腰かけてゐた弟を促して、すぐ近くの停留場から、もうすつかり遊覽季節の客で混み合つてゐる藤澤行きの電車に乘つた。つい五日前にFが老父を送つてこの電車に乘つたのだが、三時間前にはどんな氣持で乘つてゐたらうか、そのFを今度はまた自分等兄弟が引取りに乘つた譯であるが、七里ヶ濱の眺めどころではなく、お互ひに默り込んでゐた。

「山の中でゝも見つかつて呉れた方が、まだよかつたがなあ。……その時計を賣らして、それからどうするつもりだつたらう。旅費を呉れてお前のところへでも放してやるつもりだつたか、それともその金のあるうちこの邊を浮浪し𢌞るつもりだつたらうか」

「さうですねえ、やつぱしそんなものがついてるんだと、幾らかでも金のあるうちは歩き𢌞つてることでせうよ。それにしても、そんな時計なんかFちやんに賣らせたりしてるやうな不良少年だと、大したもんぢやないと思ひますがなあ……」

「何しろ今度は僕も少し油斷し過ぎたものな。留守が少し永過ぎた……」

「しかしまあ死骸であがつたとか、何とか云ふんぢやないから、まあ諦めるほかないでせうねえ……」と、弟は慰めるやうに云つた。

龍口寺前で下りると、駐在所はすぐだつた。往來を見下ろすやうに、右側の小高い場所の、小ざつぱりした建物だつた。私たちが來意を告げると、若い細君が出て、「只今宮樣のお詣りがございまして、それで出て居りますですが、ぢき歸つて參りますから、どうぞ……」と、愛想よく迎へて呉れた。丸いテーブルと三四脚の粗末な椅子の置かれた狹い應接室だつた。Fは隣りの同じやうな部屋の、ガラス窓の下のベンチに、學校鞄をさげマントを着たまゝ腰かけてゐた。Fは私達を見て泣き出しやしないかと思つたが、そんな風もなく、逆上のぼせたやうな赤い、硬張つた顏してゐて、脅えてる風も見せなかつた。

「時計屋へは、東京へ行くのだがおあしを落したから、お父さんの時計だが買つて呉れと云つて行つたのださうですが、何しろまだ子供さんのことですから、それで時計屋では下の交番まで知らして來たんださうでして、……」と、細君は云つた。

「どうもとんだご厄介をかけました。でもお蔭樣で掴まりましたから、充分こちらで取調べていたゞきませう。これまでのところでは盜癖はないやうなんですが、嘘は云ふやうですから、――その時計にしても、私のものではありませんから、鎌倉の時計屋で盜んだのでないとすると、どこか他で盜んだか誰かに貰つたか――貰つたと云ふのも變なことで、何か惡い者でもついてるのかも知れないと思ひますが、兎に角嘘では通らないものだと云ふことをよく教へて置きたいと思ひますから……」

「いえもうほんの子供さんの出來心で……」と、細君は如才のない應對ぶりだつた。

「その時計を出して見せろ」とFに云ふと、マントのポケツトから金メツキの一つを出した。

「この時計どこから出した?」

「貰つた……」

「貰つた……?……誰に?」

「秋山と云ふ子に……」

「秋山と云ふ子に? どこの子だそれは? なんだつて呉れたの?」

「賣つて來いつて……」

「賣つて來いつて、それではその子も腰越までいつしよに來たのか?」

「ウム……」

「その子はどうした?」

「知らない……」

「知らないつて、一體どこの子だ、家は知つてるだらう?」

「八幡前の裏の方から出て來るが、家は知らない」

「その子一人きりか?」

「もう一人慶ちやんと云ふ子と……」

「それはどこの子だ?」

「妙本寺の方から出て來る子だが、家は知らない」

「二人とも何んだ、學生か?」

「逗子の中學へ行つてる子だ……」

「何んと云つてこの時計を賣つて來いつて云つた?」

「唯この時計を賣つて來いつて。……云ふこと聽かなけあ、ひつぱたくぞと云つた」

「誰が?」

「秋山と云ふ子が……」

「秋山と云ふ子の時計なのか?」

「ウム……」

「逗子の藥屋へつれて行つたのも二人なのか?」

「ウム……」

「なんだつてつれて行つた?」

「貴樣小僧になれつて……云ふこと聽かないとひつぱたくぞつて……」

「八幡前の時計屋へもか?」

「ウム……」

「そして今朝又呼び出しに來たのか?」

「ウム……」

「一體その二人といつから知つたんだ?」

「お祖父さんを送つて行つた歸りに……」

「どこで?」

「八幡樣の裏のところで……」

「そしてどうした?」

「貴樣俺の乾分になれつて。……云ふこと聽かないとひつぱたくぞつて」

「お前はどう云つた? そして一つもひつぱたかれなかつたのか?」

「その時はひつぱたかれなかつた。僕は默つて歩いて來た……」

「一昨日の歸らなかつた晩は、ひつぱたかれたのか? あの晩蕎麥屋へでもつれ込まれて、蕎麥でも喰はされたのか? お前はおせいちやんにその晩は物置に寢たとか云つたさうだが、それは嘘なんだね?」

「物置に寢たと云ふのは嘘ぢやない。蕎麥屋なんかへも行きやしない」

「それではあの日學校の歸りに、友達と喧嘩して顏に傷したから、僕に叱られるから歸らなかつたとおせいちやんに云つたさうだが、それは嘘で、その秋山とか云ふ奴等にひつぱたかれたんだね?」

「…………」

「物置へはお前一人で寢たのか……」

「僕一人で寢た……」

巡査が歸つて來るまでの間に、私とFとはかうした問答を重ねたが、それがどこまでが本當なのか嘘なのか要領を得ない氣がされたが、兎に角彼一人のしたことでないと云ふことは、確められた氣がした。かうして生命に別状なく、大して窶れてもゐないやうな當人を掴まへた以上、他の大抵のことはどうでもいゝとして唯暴行を加へられてゐるかゐないか――そのことを考へると、私の氣持は隨分慘めなものだつた。そのことだけはどこまでもはつきりさせて、相手の奴等に充分制裁を加へてやりたいと思つた。それにしてもいつのまにこゝまで落ち込んでゐたかと思ふと、斯うした場所のベンチに曝されてゐる片意地さうな萎けた眼付をしてゐる彼の姿が、淺ましく醜くゝ、何かしら野生的な小動物めいた感じさへされて、私は自分自身の呪はれた存在を思はない譯には行かなかつた。

「兎に角今に巡査さんが歸つて來たら、何もかもはつきり正直に云ふんだな。嘘を云つたつて、駄目さ。僕なんかの前とは違ふからね、こゝでは嘘では通らない。だから何もかも正直に白状すると、僕等からなんとでもお願ひして堪忍して貰つてやるが、さうでないと、幾日だつてこゝに留めて置いて貰はにやならん。その時計の出さきがはつきりしない以上、どうにも仕方がないんだからね。だからね、今に巡査さんが來たら、どんな云ひにくいやうなことでも、みんな正直に云つちまふんだよ、それでないと、取返しのつかないことになつちまふよ。どうしたつて、嘘では通らないんだからね。解つた?……」私と弟とは代る〱斯う云ひ置いて、應接室の椅子に歸つて、煙草を吸つてゐた。

間もなく巡査が歸つて來て、私達と三人でFの學校鞄や辨當の中なども檢べたが、別に不審なやうなものも出て來なかつた。一昨日持つて出たきりの辨當の中にはこち〱になつた飯粒が喰付いてゐた。

「では一二時間も私たちは外へ出て參りますから。なか〱剛情な奴で、嘘も云ふやうですから、幾ら毆つて下さつてもよろしいですから、どうか本當のことを白状さしていたゞきたいと思ひます。容易なことでは本當のことを云はないかも知れませんから……」

巡査が調べるのを應接室で私たちは聽いてゐたが、「オイ小僧! 貴樣この時計をどこで盜んで來た?」などと語調をかへて訊いてゐたが、Fはやはり私たちに云つたと同じことを繰返してゐて、埓が明きさうにないので、私たちは巡査に斷わつて、丁度前から降り出した強い雨の中を、下の通りへ出て、近くの蕎麥屋へはひつた。風も出て吹き込むので暖簾をはづして表の戸を締めた薄暗い部屋の茶湯臺に向ひ合つて、晝飯を食つてゐない私たちは蕎麥と酒を頼んだ。

「酒臭い息なんかして行つてわるいかな? 巡査なんて氣の小さなもんだらうからな」

「そんなこともないだらう。ちつと位いゝでせうよ」

「その一緒について來たと云ふ奴はどうしたらう。Fが引張られたのを見て逃げちまつたか、それとも今にFが免ゆるされて出て來るかと思つて、時計が惜しくてまだこの邊にうろ〱してるんだらうか」

「いや無論そんな奴等のこつたから、この邊になんか愚圖々々してるもんぢやないでせう」

「兎に角鎌倉の奴等には違ひないんだな。僕の名前位は知つてる奴等かも知れないな」と、十七八の不良中學生の姿が、いろ〱と私には想像された。斯うした三月下旬の春氣分に浮かされて、學校を怠けて漫然とこの邊を浮浪し歩いてゐるやうな、深い企らみなんかない奴等の仕業のやうにも考へられた。

「それにしても小僧に押込まうと云ふのはどう云ふ譯だつたらう?」

「さあそれは、Fちやんが歸りにくゝなつたんで自分からさう云つたんぢやないでせうか」

「さうか知ら?……」

日が暮れかけて、私たちは駐在所に歸つて行つたが、應接室にはさつきの巡査と部長がゐて、椅子に腰かけて煙草を吸つてゐた。Fは隣りの部屋のベンチにさつきのやうに坐つてゐた。

「どうもご厄介さまでした。如何でしたらう、白状しましたでせうか?」と私は訊いたが、相手の二人とも疑はしげな冷笑したやうな眼付を見せたが、不得要領な挨拶ぶりだつた。

「いやどうもね、いろ〱訊いて見たのですがなか〱剛情のやうでしてな……」と、さつきの巡査が云つた。

「ではさつきの時計は、あれはどうしたのでせう?」

「さあそれも、どうもはつきりしたことがわからないんですがねえ……」

「さうでせうか。それではもしなんでしたら、それがわかるまで幾日でもこちらの方へ留めて置いていたゞきたいのですが、どうも私たちにもさつぱり要領得ないものですから……」私はこの邊は藤澤署の管轄だらうと思つてゐたので、藤澤へ𢌞つてもいゝと思つたので斯う云つたのだつたが、やはり鎌倉部内だつたのだ。

「いやもうこゝでは留めて置く場所もありませんし、兎に角本署の方へ、本署でもいづれ調べることでせうから、本署へ行つて……」こちらではもう關係がないんだから早く引取れと云つた、態度だつた。

「何にしろ困りましたなあ。どうも仕樣がない奴です。私と二人きりで暮してゐるので、つい注意が行屆かなかつたのでしたが、やつぱり低能なんですな。ずつと早婚の子なもんですから、やつぱし腦味噌が足りないんだと見えて、こんなことになつちまひまして……」と、相手の二人の取付端のない態度に失望と泣笑ひを感じて、私は云つた。

「いやどうして〱、低能どころぢやない、しつかりしたもので……なか〱どうも、出來たお子さんです……云ふことだつてどうして十四としてはしつかりしたものだ……」

巡査は斯う如何にも感心したと云つた調子で云つて部長と顏を見合せたが、同時にひどく擽つたいやうな笑ひを浮べて、二人は私の顏に視入つた。――何と云ふ親馬鹿……それが、斯う云ふことを意味してゐたのだとは、その時の自分には察しられなかつた。

私たちが外へ出てゐた間にか、或はもつと前、Fが掴まると同時に、本署から電話でFのしたことがすべて明瞭になつてゐたのに違ひないのだ。Fがその時に素直に白状するとよかつたのだ。どこまでも欺き了せると思ひ込んだ、ひねくれた剛情な子供らしい淺はかさがいけなかつた。警察と云ふ特殊な手にかゝつてゐるのだと云ふことが、都會で育つて中學の試驗でも受けようといふ年ならば多少は理解がある筈なんだが、野生的に大部分田舍で育つて來た彼には、そんなことに、理解が出來てゐなかつた。警察と親との相違なんか、それほど大したものとは、彼には考へられなかつたかも知れない。尤も、彼としては、必死の場合であつたらうが、自分等でさへ、彼の剛情――傲慢にさへ思はれた彼の態度には、結局同情を持つことが出來なかつたが、何と云ふ親馬鹿!……その時もそこまではFを疑へなかつた。警官の要領を得させない態度が氣にはなつたが、やはり半信半疑のまゝで、Fを引張つてすつかり暗くなつた外へ出た。どうせ最早嚢の中の鼠だ、Fの云ふなりになつて、根氣で彼の底を突き止めてやれ――斯うした腹もあつて、兎に角無事で掴まつてよかつたと、警官たちへお禮を云つて、駐在所を出たのだつた。

電車がこないので、村を出て海岸の上の停留場まで三人は歩いた。雨はやんでゐたが、空は暗く、波の音は高く聞えてゐた。Fとは、一昨日の朝から會はないのだが、斯うして並んで歩いてゐると、ひどく久しぶりのやうな氣もされるが、また、平生のFではない――まだ何者かの支配につながれてゐる他所々々しい子で、完全な自分のFではないやうな氣もされて、口を利くのも億劫な氣がされた。

「巡査が何と云つた?」

「小僧、貴樣この時計をどこから盜んで來たつて……」

「お前は何て云つた?」

「秋山と云ふ子に賣つて來いつて……」

「それだけのことか。ほかにも何か訊かれなかつた?」

「何も訊かれなかつた……」

「毆られたか?」

「ウム」

「幾つ?」

「一つ……」

「その秋山とか云ふ子が腰越の時計屋までついて來たとか云つたが、さうか?」

「さうぢやない、七里ヶ濱まで一緒に來て、その子はそこで待つてるからつて……」

「その慶ちやんとか云ふ子もそれでは一緒だつたのか?」

「さうぢやない、その子は長谷の停留場の近くで待つてるつて……」

「嘘ぢやないのか? 斯うなつてから嘘をついたつて仕樣がないよ。男らしく正直に云つちまふんだな。嘘ぢやないか?」

「嘘ぢやない……」

私と弟とが代る〱訊ねたが、Fはどこまでも斯んな風に云ひ張つた。

「ではその秋山と云ふ子も七里ヶ濱から長谷へ引返したのか?」

「ウム……」

「どう云つて?」

「貴樣時計を賣つたら長谷へ歸つて來いつて。歸つて來なかつたらひどい目に會はすつて……」

追求すればするほど、私たちは混亂ともどかしさを感じた。兎に角Fの云ふなりになつて、長谷の停留場に着くと、私たちは電車の下り口をFとは離れて、改札口の外へ出ると、Fとは十間程も後に離れて、Fをその邊をぶら〱歩かせた。Fは海岸通りの暗い方へ往つたり、引返して線路を越えて大佛の方へ往つたり、雨あがりの路を日和下駄でチヨコ〱と歩いた。袴を穿いて、短いマントの帽子をかぶつて、猫脊の恰好して、チヨコ〱と私たちのさきになつて歩いた。路次めいたところへ這入つて行つたり、明るいところへ出て來たり、さうして三十分餘りもそちこち歩いてゐたが、私の氣のせいか、Fの歩調がだん〱速度が加つて行くやうに思はれた。――後で考へると、その時Fの脚がだん〱震へて來て、自然にさうした歩調になつたのだらう――がその時にはさうとは考へなかつたので、自業自得とは云ひながら、八幡前の時計屋で朝飯を喰べたきりで空腹でもあらうし、また相手の奴等にはすつかり脅迫され切つてゐるので、其奴等が掴つた際の後難を怖れて、氣が氣でないのではないかと思ふと不憫でもあつたが、またさうして私たちのさきになつてマントの帽子を深くかぶつてチヨコ〱と默つて行つたり來たりしてゐる姿を見ると、何かしら凶兆の小黒い烏めいたものの子――さう云つたものに魅せられた不吉な子であるやうな感じがされた。私たちは歩くのに疲れた。それらしい影にも見當らなかつた。

「この邊で鳥打帽をかぶつて飛白の着物を着た十八九位の學生風の男が二人、ぶら〱やつてゐたのに氣がつきませんでしたでせうか?」と、私は停留場のそばの踏切番だか轉轍手だかの小屋の前に立つて、二三人ゐた若い男の人たちに訊いた。

「さあ……氣がつかなかつたが、それは何時頃のことですか?」

「何時頃つてはつきりしたことはわからないんだが、この邊で待つてることになつてゐたんで……」

「どうも氣がつきませんでしたね……」さつきから幾度もその邊をぶら〱やつてゐたので、舊式な鳥打帽をかぶつた私を刑事とでも思つたかのやうな顏して、彼等の一人は云つた。

私たち三人はそこからまた電車に乘り、驛前で下りて、警察署のすぐ前の蕎麥屋にはひつて、私と弟とはビールを飮みFには天丼をあてがひながら、また同じことを繰返してFに訊いた。がどこまで押して見ても、Fの答へは同じだつた。

「ほんとに嘘ぢやないのか。警察へ行つてからでは、どうにもならなくなるんだよ。お前がいくら剛情を張つたつて、刑事も居るし、お前の嘘なんか通りつこないんだからね。それがはつきりしないうちは幾日だつて留められるよ。今のうちお前がはつきり云ふと、僕等がどんなにも謝つて許して貰つてやる事も出來るけれど、警察へ出てまで嘘をついたとなると、ほんとにたゞごとでは濟まないことになる、お父さんだつて隨分迷惑をせにやならんことになるんだから、今のうちにほんとのことを云つて呉れ……」と、私たちは氣が氣でなく、頼むやうにしつこく云つたが、

「嘘ぢやない……」と、Fは云ひ張つた。

「どうもそれでは仕方がないなあ」と、私たちは諦らめるほかなかつた。單に時計だけのことだとまた考へやうもあるとしても、不良少年との關係は、私たちには手に負へないことだつた。

帳場に坐つてゐた主人に、「此近所に秋山とか慶ちやんとか云ふ名の中學生がゐないでせうか?」と訊いて見たりしたが、知らないと云つた。私たちは蕎麥屋を出て、往來を突切つてすぐ向うの警察署のドアを開けてはひつて、三人は警部補の前に立つた。晝間の巡査のほかに六七人の巡査がテーブルに向つてゐた。私はそこでもFの一切のこと――今度の經過について警部補に詳しく話さねばならなかつた。警部補はまだ若い、鬚の無い豐頬の、警官らしく冷靜な態度の人だつた。

「……そんな譯でして、この時計はどこまでも其奴等に賣つて來いつて云はれたんだと云ひますし、ゆうべ泊つた時計屋では盜まれてゐないと云ふことですし、どうも此奴の云ふことが私たちには譯がわからないんで、何しろ今度は私が永く留守にして、その間學校を休んでゐたさうで、その間にさう云ふ奴等に捲き込まれたのか、此奴の云ふのではほんの此頃だと云ふんですが、何しろさつぱり要領を得ないんで、どうかこちらのなんで調べていたゞきたいと思ひまして、幾日でも留め置いてもよろしいですから……」

「時計屋へ泊つた……それはどこの?」

「すぐ八幡前のSと云ふ時計屋ださうで」

「S……それは怪しからんね、勝手に子供を泊めたりなんかして、……誰か時計屋の近所の旅館へでも電話をかけて、Sにすぐ來るやうに……」と警部補は云ふと、一人の巡査が電話より私が行つて來ませうと出て行つたが、ぢき歸つて來て、

「Sは逗子へ行つて留守ださうで、歸り次第すぐよこすやうに云つて來ました」

「さうか……」と警部補はうなづいた。

その金メツキの時計は、私たちが來ると同時に警部補のテーブルの上に出されてあつた。「さう云ふと、いかにも不良少年でも持つてゐさうな時計のやうな氣もしますが」と、私は云つたりしたのだ。ところが、後になつて時計屋の主人の話では、その時計はその晩時計屋へ使ひに行つた巡査が時計屋へ賣つたものださうで、その巡査がテーブルの上の時計を何氣なく手に取つて見て自分の賣つたものだと氣がつき、それで電話でなしに自身時計屋へ行つたものらしい。して見ると、その時まで時計屋から何の屆けも出てゐなかつたとしても、その時にはもう警察ではFの盜んだことが明瞭になつてゐた譯である。それで、警察では特に、それから二時間ほどの時間の餘裕を與へて、今に時計屋の主人が出て來ると何もかもわかるんだぞ、だから今のうちに素直に白状しろ――斯う云ふつもりだつたかも知れない。がそれを、Fはしなかつた。Fとしてはいよ〱主人が出て來ても、まだ不良少年を擔ぎ通すつもりだつたらうが、それがたいへんいけなかつた。そしてまたそこまで行つてまだそこに氣のつかなかつた私の親馬鹿――不良少年と云ふFの暗示にかゝつてすつかり眼が眩んでゐた譯だつた。それにその時になつて、もう一つの時計さへFは出してゐなかつた。それも恐らく腰越で檢べられた時に――それはマントの裾の片隅を破つたか自然に破れたのか、そこに隱してあつたが――それも發見されてゐたのに違ひない。警察では何もかも明瞭になつてゐたのだ。唯不良少年と云ふことに多少の根據でもあらうかと、職掌上ちよつとは疑ひを持つたかも知れないが、當人を引張り出して來て見ると、所謂警察眼で、一目で全然幼稚な虚構であることがわかつたのだ。時計屋からだつてそのことは無論聽き出してあつた譯だ。要するにFの所謂惡化程度、境遇、家庭の事情――それを取調べるだけの必要だつたのだ。そしてそれ等が悉く、警官の同情を買ふべく、餘りに點が少なかつたと云ふ譯であらう。

「逗子の開成?……さうぢやないだらう、……すると鎌倉中學の方ぢやないかな……鎌倉中學の方にも不良少年は居ると云ふことだが……」と警部補は冷笑を浮べてFの顏を見ながら、氣をひいて見るやうに、云つて見たりした。

「ふだん金なぞ持たして置くんですか?」

「別に持たして置くと云ふこともないですが……」

一人の巡査が、Fの體格を見たり、下眼瞼を開けて見たり、袴に二ヶ所鉤裂きの出來てるのを檢べたりしたが、

「これはどうしたの?」

「物置きで寢た時竹で破ぶいた……」

「その時はお前さんほんとに一人だつたんだね?」

「ほんとに一人だつた」

そしてその巡査は、

「いくら不良少年だつて、金を取るとか、……何かするとか、目的なしにどうもするもんぢやありませんよ」と、どちらともつかないやうな調子で笑ひながら云つて、自分の席にかへつた。

「それにしても一昨日の晩物置きに寢て、晩飯も朝飯も食はずに學校へ行つたんださうですね。よく何も食はずに居れたもんだな……」と、警部補と席を並べてゐる今朝の巡査が云つた。

「それはほんとのやうです。どうかしてわるくすねると、一日位は食はなくても平氣で居るやうな質ですから……」

「ホウ、それぢやあ……?」と、巡査は首を傾げて意味ありげな視線を私に向けたが、それきり口を噤んだ。

「ふだんあまりやかましくしても駄目ですよ。子供はほんとに今が大事な時ですからな。毎日日が暮れてあそこまで一人で歸るなんて、それからして第一不注意ですよ」

と、警部補は私に説諭的な口調で云つた。

「いや別にそんなにやかましくしてゐる譯ではないんですが、何しろ餘り出來ない方なもんですから、それで豫習を少し嚴しくやらしてゐたんでしたが、それを今度は私の留守中學校を休んでゐたと云ふので、それで叱つたんでしたが、ふだんはそんなにもやかましくしてゐる譯でもないんです」

と、私は辯解的に云つた。

「しかしいくら出來ないからと云つて、……中學へはひれるとかはひれないとか、そんな問題ぢやないぢやないですか。兎に角餘り刺激するやうなことはよかないですよ……」と、たしなめる調子で、一重瞼の射すやうな眼光を向けて云つた。

十時もだいぶ過ぎたが、時計屋の姿は見えなかつた。混亂と昂奮から、私は喘息の發作でも來さうな氣がした。Fはその間警部補のテーブルの前に立詰めだつたが、最早問答も途絶えて、Fは片意地さうに顏を俯向けてゐた。

「それではひとつ、小父さんが訊いて見てやるかな、……ちよつとこつちへ來い」

警部補は斯う云つて、何とも得體の知れないやうな微笑を口尻に浮べて起ちあがつて、Fを奧の方へつれて行つた。それではやつぱし不良少年と云ふのは事實のことだらうか、三十分程の間だつたが、私には永い慘忍な沈默の時間だつた。席にかへつて來た警部補の顏は、すつかり無表情に引緊つてゐた。

「それではやつぱし、不良少年といふのは事實なんでせうか?」

私が斯う訊いたが、警部補はやはり無表情な一瞥を與へたきりで答へなかつた。そしてちよつとの間額に掌をあてゝ考へ込む樣子をしてゐたが、心を決したと云つた風で、そばのガラスのペンを執り、紙の上へ持つて行つた。もう私たちの方は振向うともしない態度だつた。

「それではその秋山と云ふ子は、いつもどんな着物を着てゐるかね?」

「飛白の着物……」

「飛白は木綿かね、絹かね?」

「木綿……」

「模樣はどんな模樣かね? 十の字のやうになつてるのか、それともお前さんの着てるやうな模樣かね、どつちだ?」

「僕の着てるやうなもののもつと小さいの……」

「もつと小さいつてどれ位かね?……こんなもんかね?」

「ウム……」

「羽織の紐はどんな色だつた?」

「茶見たいな……」

「太さはどうだ?」

「餘り太い方ではない……」

「帶は? 木綿か絹か? どんな色をしてゐた?」

「…………」

「木綿か絹か?……お父さん見たいな帶か、それともメリンスか?」と、私は口を出したが、警部補は餘計な――と云つた眼付を見せた。

「メリンス……」

「色は?」

「…………」

「あんなやうなのか?」と、警部補は壁の方を指した。

「あんなやうなののもつと黒つぽいの……」

「フーム……そして下駄はどんなのを履いてる?」

「朴齒の日和……」

「緒は何だ、革かね布地かね?」

「布地見たいな……」

「どんな色?」

「黒い……」

「確かに黒い色かね?」

「ウム……」

「しつかり云はなくちやいけないよ。間違へちやいけないよ……」と、私は應援的にFに注意した。

「確かに黒い色の布地の緒だね?」

「ビロード見たいな……」

「フーム……ビロード見たいな」警部補は時々符號めいた線を紙の片隅につけながら、訊問をすゝめた。

「それでは帽子はどんな帽子?」

「鳥打帽……」

「いつも鳥打帽かね?」

「ウム……」

「どんな色の?」

「鼠色見たいな……」

「鼠色見たいで、それで格子かなんかあるかね?」

「ある……」

「ある、……それへ徽章をつけてゐるのかね?」

「ウム……」

「どんな徽章?」

「ペンを交へたやうな……」

「ペンを交へたやうな、……足袋はどうだ、いつも穿いてるか穿いてないか……?」

「穿いてない……」

「いつも穿いてないか?」

「いつも穿いてない……」

「髮はどうだ、長くして分けてるか、それとも短く刈り込んでるか?」

「少し長くしてるが、分けてはゐない……」

斯んな風にして顏の雜作の一つ〱、皮膚の色、骨格、身長など明細に調べて行つた。もう一人の慶ちやんと云ふ方も服裝などは大體似寄つたものだつたが、體格容貌は異つてゐた。

「それではその秋山と云ふ方は瘠せて、長い黒い顏なんだね? そしてその慶ちやんと云ふ方が肥えて丸い顏してるんだね、そしてその方が色が白いんだね? さうだつたかね?」

「ウム……」

「年は二人とも十八位で、それで背丈はどんな方だ、二人とも?」

「背丈は普通だ……」

「普通つて?」

「……四尺九寸位」と、Fは思ひ切つたやうに顏を眞赤にして云つた。

「四尺九寸位なんて、お前そんなはつきりしたことが云へるのかい?」と、私はついまた口を出さずに居られなかつた。そして又傍の巡査を顧みて、

「十八位でそれだけの背丈があるもんでせうか?」と、たまらなくなつて話しかけたが、

「まあそんなものでせうな」と、巡査は無關心に云つた。

「金齒でも入れてなかつたか?」と、警部補は續けた。

「なかつた……」とFは答へたが、また思ひ出したと云つた風で、

「前にはないが、奧の方にあつた」と云ひ直した。

「それはどつちの方だ、秋山と云ふ方か、慶ちやんと云ふ方か?」

「秋山と云ふ方……」

こゝまで來て、私は思はず嘆息するやうに云つた。

「それほどまでにはつきり云へる人間が、どうしてまた不良少年なんて云ふ奴等に威嚇かされた位でそんな馬鹿なことをしたのかなあ……」私は斯う獨り言のやうに云つたが、涙がにじんで來るのを覺えて、警官たちの顏を見𢌞したが、警官たちの目にもやはり一瞬間意味不明の異樣な閃めきが傳はつたやうに感じられた。親としての感情には警官とても變りのない譯である。

Fの訊問は、大體斯んなことで濟んだ。奧へつれ込まれた時どんなことを白状したのかわからないが、訊問中のFの態度は、かなりわるい感じだつた。警部補に問詰められてウム〱と返事する――それがひどく傲慢からでもあるやうに聞えるし、また極度の苦痛から齒を食ひしばるため自然に發しられる言葉のやうにも思はれた。顏を眞赤にし、醜く唇を歪め、時々私の顏に横目を向け、總身を震はしながら、そのウム〱を繰返した。私は寧ろ、私自身彼の立場に置かれなかつたことを、呪ひたい氣持だつた。

「やつぱしそれでは、さうした不良少年見たいなものがついてゐたんでせうか?」

「まあ、よく調べて見んと……」

「やはりその何か暴行でも加へられた形跡でも?……」

「兎に角よく調べてから……」と、警部補はどこまでも不得要領な態度で、うるさげな顏して云つた。

「實は入學試驗の都合で、こつちの學校の免状式が二三日で濟み次第すぐ東京へやるつもりでゐるのですが、大抵幾日位でそれが分るでせうか。免状式が濟み次第東京へやつて差支へございませんでせうか。こちらのご都合でいつでもまた東京から呼び寄せますから……」

「さあ……」と警部補は一寸考へ込んだ風だつたが、「それでは一週間だけこつちに置いて貰ひませう。そのうちには何とか調べがつくでせうから」

「實はこの二十五日から入學試驗が始まるので、その方へも願書を出してあるものですから……」一週間と聞いて、私は當惑して嘆願するやうに云つた。

「さうですか。……それではと、明日は祭日だと、明後日――それではあと二日」と、警部補は考へ〱だつたが、きつぱりと確信の籠つた調子で云つた。

「さうですか。どうも有難うございます。それでは私たちの方でも、明日から此奴を引張り歩いて、其奴等を掴まへることにしますから。其奴等の掴まるまではそれでは此奴をこつちに置くことにしますから……」

「ではさうしてご覽なさい」

「この時計は其奴等を掴まへるまでこちらへお預けして置きますから」と云つたが、私には明日にも其奴等を掴まへて見せると云ふ自信があつた。斯う明瞭になつた以上は、警察の力ばかり頼りにはしてゐられないと云ふ腹だつた。

「こつちで預かると云ふ譯にも、……まだそれだけの手續きがついてないことだからな」

「でもさうした不良少年の品物を私たちが家に持つて歸ると云ふのもなんですから、どうか時計はこちらで……」

「では、こつちで預つても仕方がないんだが、まあ……」と、警部補は苦笑しながら時計を片寄せた。

「それではその相手の奴等を引張つて來て、此奴の云つたことに間違ひないやうでしたら、何とか此奴の處分だけは許していたゞけませうか。何しろ免状式前でもあり、入學にも差支へるやうなことになるんで、何とか處分だけは許していたゞきたいと思ふんですが」と、警部補の顏に視入りながら哀願の調子で云つたが、

「それはいづれ明日署長と相談の上で、すべて署長の意見にあることですから……」と、彼はやはり冷淡な調子で云つた。

外に出て、私たちはすつかり疲れ切つて驛前から自働車で寺に歸つたが、井出君も東京から來てゐた。

「警察で云つたことは嘘ぢやないんだらう? 嘘だつたらたいへんだぞ、もう本式になつちまつたんだからね。でもまだ今のうちなら、嘘なら嘘だつたと云ふと、これからでも行つて謝つて來てやるが……」と、やつぱし私には腑に落ちないところがあるので訊いたが、

「嘘ぢやない」と、Fは云つた。

「奧で警部さんにどんなことを訊かれた?」

「お母さんがあるのかないのかとか、どうしていつしよにゐないんだとか……」

「そんなことだけか?」

「さうだ」

「それにしても、警部さんの前であれだけの答辯の出來る人間が、不良少年見たいな奴等に威嚇かされた位で、どうしてこんな馬鹿なことをしたのかなあ。氣をつけろ!」と私は叱つたが、それにしてもF一人の惡智慧でなかつたと云ふことが、自分としてはせめてもの慰めであつた。

「そんなものが居るんですかねえ、おつかねえや〱」と、お寺の婆さんやおせいたちも舌を卷いた。

翌日は春季皇靈祭で、晴れたいゝ天氣であつた。境内の櫻もぽつ〱咲きかけてゐた。私たち三人して、Fを囮にして、不良少年を狩り出さうと云ふ譯である。多少興味のあることでもあつた。

「逆縁ながらそれではひとつ、敵討に出かけてやるかな」と、私は笑つて云つたりした。「僕が餘り創作が出來ないので、Fの奴とんだ創作をやつた」と、云つたりした。Fには昨日の通りの服裝をさせた。「鞄は置いて行つてもいゝだらう、マントを着てるからわからないから」と云つたが、鍵裂きのまゝの袴に日和を履かした。私たちは各自にステツキや、井出君は太い竹の棒を持つた。「不良少年なんて生意氣だ! 掴まへたら毆りつけてやらうか!」と、井出君は逞ましい腕に力をこめて云つた。「しかしそんな奴等だから、刄物位は持つて居るだらうから油斷しちやいけませんよ」と、私は注意した。警察の手に掴まる前に自分等の方で掴まへ、誠意を以て彼等の改悛を求め、場合に依つては自分等もいつしよになつて警察へ謝つてやつてもいゝと思つた。

「それでは出かけて來るからね、晩にはどつさり御馳走をこしらへて置いて呉れ、凱旋祝ひをせにやならんから……」とおせいに云ひつけて、私たち四人は九時過ぎに寺を出た。

弟を先頭に、それから二十間ほど離れてF、それからまた二十間程後になつて私と井出君とは並んで、ゆつくりした歩調で建長寺前の通りを町の方へ繰出して行つた。うらゝかな春の日の光りとは、そぐはないやうな自分等の氣持だつた。八幡前の石段を登り、神前に好首尾を祈り、表の高い石段を降り、境内の舞樂殿の附近や石の鳥居前のあたりなどでは、特に目につき易いやうにFをぶら〱させて、私たちは離れて油斷なく看視した。それから八幡前の通りを、兩側の綻びかけた櫻の間を歩いて停車場に行き、私たちは外のベンチに腰かけて、驛前の廣場をFにそちこちと歩かせた。Fは腑向いた「腑向いた」はママなりで、機械的に、私たちの方も周圍の雜沓も目に入らぬかの樣子で、小刻みに往つたり來たりした。

「どうした氣持で歩いてるもんかなあ?」

と、私は前の晩の長谷での印象を思ひ浮べながら、云つた。

「どんな氣持つて、そりやいろ〱心配してるもんでせう。相手の奴が怖くもあるんだらうし、いよ〱掴つて對決となつたら、また自分の方にもボロが出るやうなことがあるのかも知れませんからね」と、弟は云つた。

「何にしろ祭日なんで都合がわるかつたな。それでないと往きか歸りかをこゝで張り込んでゐると屹度掴まるんだがなあ」

「さうでしたね。それで警察でも、大體當りがついてるんだが、今日は祭日だからもう一日と延ばして云つたのかも知れませんね」

「さうなんだらうな……」

斯う話してる時、私はふと、外からやつて來た、帽子はかぶつてないが大島か何かの揃ひの着物にセルの袴をつけた、反りかへるやうに腕組みをした立派な體格の男に目がとまつた。オヤ? と思つたが、それが昨日の受附の巡査だつたことに、すぐ氣がついた。顏なぞも剃つて見違へるやうになつてゐた。

「あれがゆうべのあの巡査だよ。堂々たるもんぢやないか。あゝしてゐると一寸巡査とは思はれないね。今日は非番なんだらうが、それではやつぱし僕等のことでゝも歩いてるのかな」と、待合室にはひる姿を見送つて、私は弟にさゝやいた。

巡査がぢきに出て行つて、私はお辭儀をしぞこなつたが、私たちも斯うして歩いてゐると云ふことが、屹度巡査に好い印象を與へたに違ひないと思はれた。警察の誠意が有難く思はれた。

鎌倉不案内の弟に代つて、今度は私が先頭に立つて、一時間もして停車場を出たが、秋山と云ふのはいつも妙本寺の方から來ると云ふのでその邊の店屋で秋山と云ふ姓を訊ねたり、妙本寺の境内にはひつたり、そこに遊んでゐた十七位の逗子の中學の帽子をかぶつた學生に訊いて見たりしたが、やつぱり手がゝりがなかつた。「鳥打帽へ徽章を附けたりすることは、絶對に學校では許しませんから」と、その學生は云つた。それから大町通りをFの學校の方に出て――どうかすると其奴等は日曜などにボールを投げに見えることもあると云ふFの話なので、その邊で、しばらく網を張つたが、それらしい影も見えなかつた。でその近くの停留場からFひとり長谷まで電車に乘せ、私たちは一臺遲れて乘ることにした。ところが後の電車がどうかしたかなか〱やつて來ないので、囮をさらはれはしないかと私たちは氣を揉んだ。

「そんな奴等の事だから、隨分敏感なもんだらうから、當分影を潜めて出て來ないかも知れないな」

「さうかも知れませんね。ちやんとした巣窟でも構へてゐるやうな、案外專門的な奴等かも知れませんからね。逗子横須賀の方まで繩張りにして始終そんなやうなことをしてゐるやうな奴等だと、ちよつと難かしいですね」と、弟も云つた。

「何しろ敵討なんてたいへんなもんだね。昔の人が何年もかゝつて搜し歩いたんだらうが、兎に角敵討なんてたいへんなものなんだね」と、私は弟と顏を見合せて苦笑したが、三人とももうだいぶ倦怠が感じられて來た。そして私自身の暗い記憶が、またしても頭に浮んで來た。

それは少年時代から、永い月日の間何かに觸れては責められて來た最初の汚點の一つなんだが、昨日の腰越以來また新らしく喚びさまされて、絶えず頭の底で苦しくうごめいてゐた。私が八つの年、沒落した一家が母の村に引越して、一冬母の實家に同居した。尋常二年生だつた私は村の學校に入つて間もなくだつたが、ある日草紙か何か忘れて來て一旦家に歸つて來て、またそれを取りに學校へ行つたのだが、上級生たちの授業中で、そこらに誰も見えなかつたので、出る時そこの下駄箱に澤山載つてゐたスケート――と云つても木の臺に簡單な滑り金を打つたもの――の中から、一等粗末に見えた藁緒の一足を、ついふら〱と掻ぱらふ氣になり、羽織の下に忍ばして持ちかへり、裏の土藏の臺石にスケートの臺を打つけて金だけ放し、藁は屋敷のわきの小川へ一つ宛つ投り込んだ。投り込んでしまつてから、ひどくわるい、取返しのつかないことをしたと空怖ろしくなり、子供ながらひどく昏迷を感じたが、放した二本の金は二三日縁の下へ隱して置いた。母に云つたらば買つて呉れないこともなかつたのだらうが、何にしろ私はまだ八つで、金のついたスケートは履ける年齡ではなかつたし、村の子供たちのやうに練習もなかつたので、父は練習用に竹をつけたのをこしらへて呉れたが、子供心に恥かしく思ひ、往來へは出ず裏の空地の雪を踏みかためて練習してゐたのだつたが、もう一つの不平は、私たちが村に來る前、私が從兄の中學生に一足分貰つたのを、引越の時紛失したか、母が村に來て誰かに呉れたかして無くなつてゐたので、私には隨分不平だつたものらしい。母は金が折れたから棄てた――そんな風に云つてゐたやうたが「ゐたやうたが」はママ、兎に角私には不平だつた。そんなことも手傳つたのかも知れない。兎に角さうして二三日縁の下に隱して置いたが、そのまゝ自分の臺に打つけて出歩く大膽さもなかつたか、子供ながらに用心したものか、近所の年上の子供と從兄に貰つたのだと云つてその子供の金と交換して履いて一日もしたかで、偶然に私の盜んだのもつい近所の子供のもので、交換した相手の方からそれが暴露して來た。金の裏に所有主の名が刻まれてあつたので、云ひ遁れよう餘地もなかつた。私は母に學校を休まされて嚴しい糺問を受けたが、私はどこまでも從兄に貰つたのだと云ひ張つた。夜に入つて母は神棚に燈明をあげ、茶碗に水を盛り、それに護摩木と云ふものを浮べて呑ませると云つた。「嘘でないと何ともないが、嘘だつたら、これを呑むと咽喉から血を吐いてすぐ死ぬ。それでもいゝか。さあお呑みなさい……」と、茶碗をつきつけられて、私はすつかり恐ろしくなり、聲をあげて泣いて、許しを乞うた。私はその時ですつかり懲りてしまつた。がその時から三十年近く經つて、因果がFに報いて來た。自分は二度と泥棒だけは企てなかつたが、さうした血がやはりFに傳つたものだらうかと、昨日腰越の駐在所でFを見出し、時計を出された時には、空恐ろしい氣がされた。

やがて三人は電車に乘つたが、私にはそんなことなど思ひ出されてだん〱憂欝になり、今朝出て來た時の勇んだ氣持が失はれて行つた。警察でも取あげたことであり、Fもあれまでにはつきり云つたのだからよもや嘘ではあるまいと思はれたが、やはりどこやら曖昧な、不透明な惱ましい感じを拂ひ退けることが出來なかつた。

「今あそこの路次で、不良少年らしい奴等が五六人寄つて立話をしてゐたが、彼奴等ぢやないかな?」と、井出君が電車が海岸の別莊町を通り過ぎた時に云つたが、長谷から引返すのも億劫な氣がして、兎に角大佛の境内へと、はひつて行つた。

そちこちに置かれた、大佛のわきの石の腰かけに、私たち三人は一人づつ離れて腰かけて、やはりFをぶら〱させてゐたが、大佛の前に立つて水兵たちが寫眞をとつたり四五人づれの大學生がやつて來たり、入替り立替りやつて來る遊覽客のほかに、それらしい影も見られなかつた。境内の奧の櫻もまだ綻びかけたばかしだつたが、その下で大勢の醉拂ひが唄つたり踊つたりしてゐた。私たちは口をきゝ合ふのも退儀になつて來て、一時間もしてそこを出て來たが、今度は長谷の通りを自動車の埃りを浴びながら私がやはり先頭でやつて來たが、私は身體も氣分も疲れ切つてゐた。停車場の裏手の空地では、女相撲の興行が始つてゐて、假小屋の高い櫓の上では朝からポン〱太鼓の音が聞えてゐた。小屋の前には挑發的な女相撲の繪看板が何枚か飾られて、しきりに客を呼びこんでゐたが、不良少年なぞには誂へ向きの興行物だと云ふ氣がされて、しばらくその前に佇んでゐたが、さすがに這入つて見る勇氣が出なかつた。或は十八日Fが歸らなかつた晩、學校の歸りこの太鼓の音に誘惑され、いくらも𢌞り道にはならないので、小屋の前を通りかゝつてつい這入る氣になつて時間を遲らしたのではないだらうか――その方が活動へ這入つたと云ふよりも根據がありさうな氣がされたが、そんなことを今Fに訊ねたところで、無益だと云ふ氣がされて、訊いて見る氣にもなれなかつた。それから停車場前に出て、逗子の中學の帽子をかぶつて往來で遊んでゐた四五人の學生にも訊いて見たりしたが、更に手がかりは得られなかつた。

もう三時だつた。私たちは近所で遲い晝飯をたべながら、私と弟とはビールを飮んで、

「やつぱしそりや、學生なんてもんぢやありませんね。職工かなんかですね」と、弟は云つた。

「どうもさうらしいな。第一そんな鳥打に飛白の着流しで通ふ中學生なんて、今時ある譯がないね。ズツクの鞄をさげてると云ふが、辨當箱入だらう。向うへ行くと青服か何かに着替へるんで、逗子へ通ふと云ふのも嘘で、田浦か横須賀の職工に違ひないね。そんな奴等に掴まつて、面白半分から貴樣小僧になれとか何とか威嚇かされたんだらうが、Fも隨分つまらない奴等に掴まつたもんだねえ! さうだらう? 中學生なんて云ふのは嘘だらう?」と、私はFの氣をひいて見るつもりから、斯う侮蔑した口調で云つたが、

「いやさうぢやないよ、職工なんかぢやなかつたよ」と、Fは打消したが、ポツと顏を赤らめた。それが、相手が職工と圖星をさゝれて、羞ぢたのだと、私には判斷された。職工なんかだと、暴行は免れてゐるかも知れない――さうも思はれたが、しかしそれも確かめられたことではなかつた。

「そんならその鞄にどんなやうな本がはひつてゐた?」

「どんな本で……」と、Fはちよつと口籠つたが「やつぱしお父さんなんか讀むやうな……」と、曖昧に云ひ紛らした。

「僕なんか讀むやうな、……嘘さ、大方講談本かなんかだらう、職工だつて講談本位は讀むさ」と、私は白々しい氣がして、Fの顏を視て云つた。Fも默つた。

夕方近くなつてそこを出て、弟とFとはすぐ停車場へ、私と井出君とは八幡前をもう一度一𢌞りしてついでに時計屋へ寄つて樣子を聽いて見るつもりで、S時計店の硝子戸を開けてはひつたが、店には私には顏見知りの主人が一人で、懷中時計の修繕をやつてゐた。

「私はゆうべの子供のおやぢですが、實はもつと早くに挨拶にあがる筈でしたが、すつかり調べがついた上でゆつくりお詑びにあがるつもりで、つい失禮してゐましたが……」と、私はFの家出の事情から、朝から斯うして相手の不良少年の狩り出しに歩いてゐることを話した。

「ハヽア左樣で……」と、主人はニヤ〱薄笑ひを浮べて狐疑的な眼して私の顏に視入つてゐたが、「……そんな譯でして、私も家の者どもゝすつかり信用しちまつたので、云ふことがちやんと出來てるもんですからな、これは何か家庭の事情でもあつて、お母さんが違ふとか何とかそんなことで、それで東京から小僧の口を搜しに來た――當人がさう云ふもんですからな、それで實は今日弟を役所の歸りに牛込の叔父さんとこに寄さして話をきめようと――當人も叔父さんとこへ云つて呉れと云ふものですからな……何しろすつかり信じちまつたものですからな」と、いくらか辯解めいた調子も見えて、ゆうべからのことを詳しく話した。

「それで私のことはどんな風に?」

「いやあなたのことも、斯う云ふご商賣をしてゐると云ふことも云つてましたが、當人は萬事叔父さんの方へ相談して呉れと云ふので、それで……」

「私の住所はどんなことに云つてましたか」

「やはり東京のどことか云つてましたが、お父さんには相談しても駄目だから、叔父さんの方へ行つて呉れと云ふものですから……」

「さうでしたか……」と云つたが、私にはふと、こゝでも逗子の藥屋の場合と同じやうに、私のことも本當を打明けて云つたのではないかと、云ふ氣がされた。Fは、こちらは時計店では鎌倉でも繁昌の方だから――などと云ひもしたと、主人も云つたが、東京から突然やつて來た子供にそんなことが一寸云へさうにも思はれないことだし、何しろFの學校の徽章のついた帽子、學校の名入りの名刺をはさんだ鞄、また兎に角一年半の間毎日その邊を往來もしてゐたことだし、私の使ひにも幾度かやらされてゐることでもあり、鎌倉の生徒だ位の判斷は、どこからだつて附きさうなものである。それだけの判斷が附かずに、全然風來のものと思つて、泊めたと云ふことは信じられないことだ。Fは私に虐待されてゐるとか、逗子の藥屋で云つたやうに私が病氣で貧乏だから小僧になるのだ――半ば私への申譯または反抗心から、本當にさう思ひ込んで頼んだのだが、それには私へ直接に交渉したのでは駄目だから、東京の叔父に相談して呉れ――さう云つたやうに頼んだものかも知れない。時計屋ではそれを信じて、それで私の方を後𢌞しにして、一應東京の弟の方へ當つて見、その上で私の方へ交渉してFを窮境……から救ひ出してやる――そんな風に考へたのかも知れないが、ところがFは主人の弟の人の東京から歸らない前に逃げ出した――歸つて來られて一切が暴露された場合のことが、Fにも考へられたらう――その時掻拂つて出た二つの時計が長谷の時計屋で五十錢に賣れたらば、多分それを汽車賃にして、東京の私の弟のところへ逃げ込んだものだらう。それともその金のあるうち浮浪を續けて、もつと深入りすることになつたか、それはわからない。後から主人が自轉車で追かけて、Fが二度目に賣りに行つた錺屋から出て來た時に、主人とFとの間にどんな會話が交されたことか私には推測出來ないが、或は、

「時計を持つてるだらう? それは置いて行け!」期う主人に云はれたが、

「いやこれは、一つは僕のお父さんのだし、一つは僕のだ、盜んだのではない……」Fは斯う白を切つたのかも知れない。

何しろ往來ではあり、相手は子供だし、殊に私の住所を明かしてあつたのだとすれば、また明かさずに東京から奉公口を搜しに來たものと思つたとしても、私や警察へ無斷で子供を泊めたと云ふことは、何としても落度には違ひない。それやこれやを考へて、主人はFがその時は長谷の停留場から電車に乘るのを見屆け、強硬な態度に出ずに放してやつて、すぐ警察へ屆けて、警察の手で腰越で抑へるやうな手段に出たのかも知れない。それが後の煩ひを避ける一番賢い手段に違ひなかつた。

「何しろ時間も八時を過ぎてしまつたしね、まだ晩飯も食つてないと云ふことで、それから東京へ歸らすのも可哀相だと思つたものですから、奧で餅など燒いて食はせたりしましてな……」主人はやはり狐疑的な眼して云つたが、いつまでしても時計のことは云ひ出さなかつた。

昨日東京の弟の家を訪ねた、主人の弟だと思はれる若い男が外からはひつて來て、店の賣臺の上へドカリと腰かけて、土間の丸い腰かけに坐つて主人と話してゐる私の横顏を見下ろすやうにして默つて聽いてゐたが、私はその方へは顏は向けなかつたが、冷めたい侮蔑的な彼の表情が、絶えず刺すやうに意識された。

「それではやつぱし、その時計はこちら樣のものではないんですね? その時計では實は非常に困つて居るんですが……」主人も無論今までには警察へ呼び出されて、その時計を見せられたことゝ思つたので、不安心な氣持で訊いた。「いやそれが、やつぱし手前とこの物でござんしてな……」と、主人はやはりピカ〱と金齒を見せた薄笑ひを浮べて云つた。

「やつぱし彼奴一人で、盜んだもんでせうか?」

「まあさうでせうな。……實は今朝刑事がやつて來ましてな、この時計に見憶えがあるかと云ふから、あると云ふとね、もう少しで胡麻化されるところだつたよ、それでは一つこれへ判を押して呉れと云つて、盜難屆に判を押さして持つて行きましたがね、今日は祭日だからこれで休みだとか云つて出て行きましたがな……」

「さうでしたか……」と云つたが、私には今朝停車場で見うけた和服姿の巡査のことが浮んだ。私たちの爲めに不良少年を搜してゐたのではなく、盜難屆の用事を濟まして、それからぶらりと停車場に姿を現はした――それだつたのかなあ?……と、私は情けなくなつた。頭がカツと燃えあがつた後の、深い絶望的な溜息で、私はふら〱と昏倒を感じた。

「彼奴が出かける時、誰かほかに呼び出しにでも來たやうな風がありませんでしたらうか?」

「別段そんな風は見えませんでしたよ」

「この八幡前の裏の方から出て來ると云ふんですが十七八の中學生風だか職工だか、なんでも慶ちやんと云ふんださうですが、そんな名の子供を知りませんでせうか?」

「知りませんな……」

「その錺屋から出て來た時も、電車に乘る時も、彼奴一人でしたらうか?」

「さうでした」

「その錺屋と云ふのはどの邊でせうか?」

「極樂寺前のKと云ふ活動寫眞のすぐ近所ですがね、實は私もその時にはまだ時計のことには氣がつかなかつたのでしたが、職人の者を追かけさせたのでしたが、どうも何だか要領得ないやうなことを云つて歸つて來たもんですからな、それで私も丁度あの邊へ用事もあつたもんだから、自轉車を飛ばしたやうな譯でしてね……」主人はこれ以上のはつきりしたことは云はなかつた。

外は薄暗くなつてゐた。

「やつぱし彼奴が盜んだのだつた。不良少年なんてみんな嘘だ。……何と云ふひどい奴かなあ!」と、外へ出て待つてゐた井出君に云つたが、深い溜息と共に眼頭の熱くなるのを感じた。ドシンと、底知れない闇の底へ蹶落された氣持だ。これと云ふも自分の不注意から起つた、偶然のFの失策として、その責任は自分の擔ふべきものだと考へられるとしても、この最後まで嘘でもつて自分等を引ずり𢌞してゐたFの性根は憎むべく、わが子ながら輕蔑を感じた。さうした感情がまた、私自身にかへつて、私の胸を慘酷に噛み破るものでなければならない。

「どうしてFさんもそんなことをしましたかねえ! どこにそんなことする必要がありますかねえ!」と云つた井出君の厚い近眼鏡の蔭に、チラと涙の光るのが見えた。私は心のうちで彼に感謝した。

八幡前の裏通りを停車場へと、井出君と並んで、私は足も地に着かないやうな氣持で歩いて行つたが、ふと薄闇の向うから、建長寺の老師が健かな歩調でやつて來るのに會つた。私は立停つて足を揃へて、いつにも衰へを見せない深い閃めきを湛へたやうな老師の眼に視入りながら、お辭儀をした。

「どうもご無沙汰して居りまして……」と、私は毎度ながら獨參を怠けてゐるお詫びを云つた。

「どちらかへお出かけかな? どちらかへお出かけかな?」と、老師は二三歩あるき出しながら言葉をかけた。

「どうもまづいことがありまして、まづいことばかしありまして……」と、私はいろ〱な意味で恐縮を感じながら答へた。

「その錺屋へもちよつと行つて來ませう。そこだつてどんなことになつてるかわからないから。何しろ一筋繩ではいかん奴ですからね、調べるだけ調べてかゝらないと」私は斯う云つて、二人で電車に乘るため警察前の方へ出て來たが、事件以來のことが一時に胸を衝いて來て、

「何と云ふひどい奴かねえ!……井出君にもわかりますか……? 親の頸へ繩をつけて引𢌞してゐたやうなものぢやないですか……何と云ふ馬鹿な奴かなあ!」私は斯う叫ぶやうに云つて、人通りの途絶えた松の木の下の往來を力任せに打つたが、黒檀まがひの巖丈なステツキが中ほどからぽつきり折れた。私はその折れたまゝのステツキを持つて電車に乘り、長谷で下りてその錺屋を訪ねたが、出て來た主人らしい若い人が胡亂さうな眼付して、そんな子供は見えなかつたと云つて、相手にならなかつた。今度はFに感付かれてまた遁げ出されては大變だと思つて、私一人長谷の通りから俥で馳けつけたが、Fはやはり元氣はないが格別變つた樣子も見せず、待合室の入口で囮の役を勤めてゐた。入口に近い中のベンチに、弟は欝ぎ込んだ暗い顏して腰かけてゐた。

「やつぱし駄目、不良少年も何もかもみんな嘘さ。彼奴一人の仕業だつた。警察ではもう朝のうちに、時計屋から盜難屆まで出さしてある……」弟のそばに腰かけて、私は低い聲で云つた。

「やつぱしそんなことだつたかなあ……」と、弟も唇をゆがめて、苦痛な表情を見せた。

「Fちよつと來い」と呼んで私たちの間に腰かけさせたが、最早怒る元氣もなく、

「お前みんな嘘だつたんだね。警察では最初からみんなわかつてゐたんだよ。それを昨晩あんな嘘を警部さんの前で云つたのが、あれが一等いけなかつたな。……お前長谷の活動寫眞のそばの錺屋へも賣りに寄つたさうだな?」――Fは默つてうなづいた。

それから井出君の來るのを待つて、私とFと弟との三人は警察へ行つて、私たちの係りの警官ではなかつたが、部長の前に深く陳謝し、係りの警官への傳言を頼んで外へ出たが、寺への歸りの途中も口を利き合ふ元氣もなかつた。今日一日の喜劇にもならない愚かしい行動が、慘めに顧みられた。

その晩二時過ぎまで、Fは更に私から嚴しい叱責を受けた。警察での陳述が全然虚構だつたとしては、少しうますぎる、その裏にまだ多少の事實が潜んでゐやしないかと云ふ疑念もあつたが、また彼自身の自發的な告白からではなかつたとしても、これ以外には何の疚しいことも殘つてゐないのだとすると、子供として半ば以上許されたと云ふ安心と明るい氣分が樣子に見えなければならないのだ。さう云ふ樣子が見られない。弟にせがまれて頭をさげても、不自然な感じだつた。私は涙が出て仕方がないのだが、ふだんは泣き蟲の彼が、泣きもしなかつた。警部補の前で調べられた時と同じやうに、幾らか片ちんばの眼が血走つてぎら〱と光り、下唇を醜く突出して、身體をぶる〱震はしてゐた。それとも、それが私に對しての強い反逆――それが根本の動機であつて、こゝに到つて尚斯うした傲岸な態度を私に見せようと云ふつもりか、私には迷はない譯には行かなかつた。

「このほかには、ほんとにわるいことが何も殘つてないか? あつたら今のうちに云つちまへ。明日警察へ行けば何もかもわかるのだから、あつたら今のうちに云つた方がいゝ。ほんとに何もないのか?」

「何もない……」

「何もないつて、それが嘘ぢやないのか? 斯うなつたら、何もかも男らしく綺麗に云ふものだよ。どんな人間だつて間違ひと云ふことはあるものだから、一旦斯うなつた以上は卑怯な態度を執るものぢやない。そんな卑怯な人間だつたら、惡黨になつたつて碌な惡黨になれやしないよ。だから何かあつたら、今のうちに男らしく云へ!」

「何もない……」

「ほんとに嘘ぢやないのか?」

「嘘ぢやないつて!」と彼は激しく總身を震はし、齒を喰ひしばるやうにして云つた。

警察での訊問には時間のことはほとんど簡略――その必要は彼等には最初からなかつたのだ――されてゐた。それで、今度は自分も警部補の眞似をして、一々書き取りながら、十六日老父を送つて行つて來たその晩の時間から段々と問詰めて行つたが、はつきりしてゐるやうでどこにか引かゝりが出來て來る。小僧にならうとした動機を追窮されて、苦し紛れから、小僧になれと威嚇おどかしたのは中學生でも職工でもなく、扇ヶ谷の方の酒屋の小僧だつたなどと出鱈目を云ひ出してまたも迷路へ絲を曳きかけたりしたが、一喝されて、それは素直に默つた。おせいの隙をうかゞつて遁げ出した時、扇ヶ谷の方へ出て、それから再び學校へと引返したのだがさすがにはひれずに學校附近の往來でぶら〱してゐた時、横須賀歸りの箱車に會つて、ふと小僧にでもなるほか仕方がないと思ひ詰めて、その箱車の後について逗子へ行つたのだつた。そんな譯で扇ヶ谷の酒屋の小僧など持出した譯であるが、兎に角すべてを告白してしまつたと云ふ素直さが、いつしよに暮してゐて、朝晩に細かい表情にまで注意を拂つてゐる自分には、それが感じられない。まだ何か潜んでゐる! と云ふ直覺を、自分は酒を飮みながら詰問してゐたのだが、鈍らすことが出來なかつた。嫌疑者を幾晩も睡らさずに訊問を續けて無意識状態に陷らせて告白させる――さう云つた方法も行はれてゐると云ふことも聞いたことあるが、自分もしまひにはさう云つた慘忍な氣持すら湧いて來て、自分も同じことを繰返し〱順序を替へたりして根掘り葉掘り追窮しては彼の疲勞につけ入らうと企てたりしたが、彼は極度の緊張に堪へ兼ねたかのやうに突然立ちあがつて、

「そんなにどこまでも嘘だ〱と云ふんなら、僕これから一人で警察へ行つて謝まつて來る!」斯う突かゝるやうに叫んで袴を穿きさうにした。

「馬鹿野郎が! 今何時だと思つてゐるんだ。貴樣一人で行つて謝まつて、それで濟むくらゐのことなら、斯うしてみんなして騷いでゐやしない。叔父さんにしても井出君にしても、忙がしい身體なんだぜ。俺の病氣のことだつて知つてるだらう。誰の爲めにみんなが斯うした馬鹿な目に會つて、警察へまで引出されて耻を掻いてゐるのか、ちつとあ考へても見ろ、この罰當り奴が! そんな人の人情のわからないやうな奴は、碌な人間ぢやないぞ。……この馬鹿者が!」私も斯う呶鳴つたが、私はがつかりしてしまつた。空恐ろしい氣さへされて、Fを床に就かした。

「あんな奴のことだからね、どんなこともし兼ねない奴だからね、今夜はお前も氣をつけて呉れ」と、私は弟に注意した。逃げ出しもし兼ねないし、自殺もし兼ねない――さう思ふと、私は怖くなつた。翌朝十時頃疲れた睡りからさめたが、弟とFの姿が見えないので、來てゐたおせいに「Fたちはどうした?」と訊いたが、おせいの話で、私は思はず「しまつた」と云つて、蒲團を飛出した。弟はおせいの爺さんと相談して、二人でFをつれて警察へ出かけたと云ふのである。

「もうよつぽど經つの?」

「まだ三十分位のものでせう、出かけたのはほんのさつきでしたから。叔父さんの方ではまた、叔父さんはゆうべは一寸も睡むらなかつたさうで、今朝私が來ると、何しろ兄もひどく疲れてゐるやうで氣の毒だから、自分ひとりで行つて來ようかしら、警察へはなるべく早く行つた方がいいだらうからと、さうおつしやるもんですから、それではうちのお父さんと二人で行つたらどうでせう、役には立ちますまいけど年寄りだから、さう云つて私はうちへ行つてお父さんを呼んで來たんでしたが、それはどうもわるうござんしたねえ……」

「そりや困つたことをして呉れたなあ。今になつて、僕が行かないなんて、警察へ對してだつてわるいし、そんな卑怯なことは出來ない譯なんだからな。どんな病氣だからつて、自分の子のしたことぢやないか、僕が出て行かないと云ふ法がないよ。それに僕が行つてよく頼まないとわからないこともあるし、弟の奴も案外しつかりしてゐるやうで斯うした肝腎の場合に姑息なことをするなんて、やつぱし學問をしてゐないせゐだな。兎に角みんなが警察に居るうちに行かないと、一旦引取つてしまつた以上それきりなんだから、學校や新聞のことなんかもあるんだし、兎に角大急ぎで自動車を呼んで呉れ。何しろ困つたことをして呉れた……」

建長寺の電話を借りて停車場前の自動車屋にかけさせ、井出君も起して私たちは顏を洗つて自動車の來るのを待つたが、なかなか來ないので、往來まで出て待つことにして二人で出かけたが、往來の門のところで若い巡査が一人立ち番してゐた。何かあるのか知ら? と思つたが、一昨晩警察で顏を見知つた巡査なので挨拶して、「何しろ不良少年には弱らされましたよ。これからまた警察へ行くところです」などと笑ひながら話してゐると、空の自動車が一臺反對の方からやつて來たが多分少し下の方で引返して來たものと思ひ、手をあげて停めて、「警察前まで」と云つて乘つたが、少し駛つてから立派な膝かけのあるのに氣がついて、

「君は停車場前の自動車ですか?」

「いやさうぢやありません」

「さうですか。實は停車場前へ電話をかけて、もう來る時分だと待つてゐたところだつたので、多分さうだらうと思つて停めたのですが……」

「さうですか。私の方ではまたあそこで巡査と話してゐたから、多分警察の人だらうと思つて停めたのでしたが、なあによござんす、どうせあちらへ歸るんだから」斯う云つて警察前まで乘せて呉れた。

途中では彼等に會はなかつたので、若しやと望みをかけて警察のドアを開けてはひつて行つたが、例の警部補と昨日の和服姿の巡査との二人が事務を執つてゐるきりで、室内は出拂つて、夜分とは違つた靜かな空氣が漂つてゐた。私は警部補の前でいろ〱と陳謝したが、

「もう濟んでしまつたことですから」と、うるさげに、冷淡に云つたきりで、相手にならなかつた。

「それではどうか學校の方へだけでも内聞に、……あと二三日で免状式といふところなもんですから」と、私は最後にまさか露骨に新聞へだけは書かさないやうにして呉れとも云ひ兼ね、また頼んだところで今更仕樣があるまいと思つたが、相手の心持を推量したくも思ひ、未練らしく斯うも最後に頼んで見たが、何の感じも動かない冷淡な一瞥を報いられたばかしだつた。

外に出て、停車場前から馬車に乘り、がつかりした、何もかもおしまひだと云つた淋しい氣持で、春の日を浴びながら歸つて來たが、小袋坂を登りきつてふと四五間前を見ると、狹い往來の左側を二三人の婦人と四五人の子供づれの一行の後から、見覺えのある署長が劍柄を握りながらついて行くので、門のところに立つてゐた巡査と思ひ合はされ、さては高貴のお方の半僧坊へのお詣りの護衞だなと氣がついたが、署長の方でも馬車の音にふり返つて、ヂロリと鋭い凝視を私たちに向けたが、突嗟のことで下車するだけの心構への出來ないうちに、自分の不良兒のことなども思ひ浮んだりして混亂した氣持のうち乘り越してしまつたが、建長寺の門はそこから幾間とも離れてゐなかつたので、私たちが降りるとすぐ後から御一行もお着きになつたので、門の巡査はすつかり敬禮の姿勢を執つてゐた。私はひどく恐慌を感じながらも、心の中で、「それではこの署長の意見ですべてが決定した譯だな……」さう思ふと、脊に浴びせられてゐる署長の鋭い眼光が意識されて、私は何とも云へないムズ〱した感觸が脊筋を傳はつた。警察官と云ふ職務に對して、自分は初めて稍はつきりした感じを抱かされた氣がされた。

「どうだつた?」と、私は歸つてゐた弟に訊いた。

「いや大して難かしいことも云はなかつた。簡單な注意だけで濟んだ」

「Fの方は?」

「奧につれて行かれて、刑事見たいな人に、書いたものを讀んで聽かされて、これに間違ひないかと云ふからないと云ふと、そんならそれに名前を書いて指で判を押せつて……」

「それだけか?」

「お前は中學へはひるんださうだが、中學どころか、二度とこんなことをすると、すぐ監獄へぶちこまれるんだぞつて……」

「さうか」と云つたが、最早何を云ふ張合ひもなかつた。

どうせ日が暮れて立たせる譯だが、Fの行李や夜具の始末にかゝらせようとしてゐるところへ、S時計店の名刺を持つて、そこの職人だと云ふ若い男が訪ねて來た。私と火鉢に向き合つて坐つたが、ほとんど三十分餘りも要領を得ないことを冗々くど〱と並べて、低能なんぢやないかしら、何を云ひ出すつもりなんだらうといゝ加減私たちをいら〱させたところで、結局、もう一つ時計を持つてる筈だから出してほしいと云ふのだつた。

「實は手前どもでも氣がつきませんでしたので、ゆうべ消防の寄合ひがあつて、長谷の時計屋も同じ消防だものですから、そんな話が出て、その子供なら二つ持つて來た、二つで五十錢でいいからと云つて來たんだが、それに違ひない、さう云はれて手前どもでも初めて氣がついたやうな譯でして……」と、どうして低能どころではないなか〱用心深い調子だつた。

「F、持つてゐるだらう?……出せ」と、傍で聞いてゐたFに云つたが、マントの裾からすぐ出した。古いニツケルの腕時計でやはり動かないものだつた。

「もうほかに何かないの? あつたらみんないつちまひなさい。みんな云つちまふと、氣が輕くなるから……」と弟も云つた。

「蓄音機の針……」

「一箱か?」

「半分ばかしはひつてゐたの」

「ほかに何かないか?」

「ほかには何もない」

「馬鹿な奴だなあ。だからゆうべあんなにまで訊いたんぢやないか。どうも何か殘つてる氣がしたんで、あんなに訊いたのに、云はないもんだから、結局こんなことになるさ」と、つい口に出て、

「それで、やつぱし警察へは屆けてあるんですね?」

「いや、それは、手前どもの方でも決してわるくはお取計ひいたしませんから、一應手前どもへお寄り下さるやうにといふ主人の話でございますが……」とやはり不得要領な用心深い調子だつた。

「それではすぐ後から弟をやりますから。何しろ斯う云ふことになつて居るので、警察へ屆けてあるんだと一應警察の手を經ないといけませんから……」斯う云つて時計は渡さずに歸したが、屆けてあるともないとも云はずに、職人は歸つて去つた。

「やつぱし屆けたんだけど、警察ではもう事件は濟んだんだから直接にかけあへ、一體お前のところでも無斷で子供を泊めたりするから斯んなことが起るんだ、とか何とか叱られたんでせう。それで若しこつちで時計を出さないやうだと困るとでも思つて、あゝ用心深く出て來たんですね」と云ふ、後で歸つて來ての弟の話だつた。

「どうだ、F、氣をつけろよ。世間と云ふものはみんなそんなもんだよ。向うではお前をどこまでも泥棒するためにはひり込んだ位に思つてもゐるだらうし、泥棒の子の親だから、あんな時計でも隱しやしないかと、思はれるやうなもんだからね、隨分と耻晒らしな話さ。あんな時計をまた、東京へ持つて行つて、お祖父さんや叔父さん叔母さんに嘘をついて、誰かに貰つたのだとか云つて、腕にかけて歩くつもりだつたのかい? 情けない奴だなあ、お前が中學へはひれたら、ニツケルの腕時計を買つてやると云つてゐたんぢやないか。そんなにほしければ、僕の時計だつてやりもするし、いくらだつて買つてやるぢやないか。僕も實に懲りたから、これから生涯時計と云ふものは持たないつもりだから、お前も二度とは斯う云ふことをして呉れるな。どんな人間だつて間違ひといふものはあるんだから、今度のことは許すから、氣をつけて、人の爲めになるやうなえらい人間にならなければいけない。僕は貧乏だけど、一生貧乏で暮すだらうが、お前の學資は、お祖父さんがちやんと用意して呉れてる。ケチな根性を起して呉れるな。……どうだ、今度はちつたあ氣持も直つたらう、そんなら叔父さんへもお辭儀をしろ」と、Fに云つた。Fの表情もやうやく和らげられてゐた。

「その蓄音機の針はどうしたの?」

「七里ヶ濱で鳥居なぞこさへて遊んだ」

おせいのうちから古いのを貰つて來ては、木片へ刺して鳥居とかいろ〱な細工をして遊んでゐることは、自分も知つてゐた。それにしても、あの波の高い七里ヶ濱邊で、春の日を浴び、空腹を抱へて、途方に暮れて何時間かさうしたことをして一人で遊んでゐたのだらうが、よくふら〱と波に捲き込まれて行かなかつたことだと、自分等の運命に感謝した。

別れの晩飯をたべ、行李と夜具を俥屋に運ばせ、三人は八時過ぎに出て行つた。せめて二三日も井出君に殘つて貰はうかとも思つたが、やはり全然一人になる方がいゝと思つて、明日から永い間續くであらう幽閉の日々を、このがらんとした十疊八疊打通しの暗い室で、謹愼して送らねばならないと、覺悟を極めた。

底本 / Source edition

底本:「子をつれて 他八篇」岩波文庫、岩波書店
1952(昭和27)年10月5日第1刷発行
2009(平成21)年2月19日第9刷発行
底本の親本:「葛西善藏全集」改造社
1928(昭和3)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2011年3月31日作成
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リリース / Release
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/051223_000984/

葛西 善蔵「不良児」(旧字旧仮名)、底本『子をつれて』岩波文庫、岩波書店、1952年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 051223_000984, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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