Soranoha

湖畔手記

こはんしゅき

葛西 善蔵

たうとうこゝまで逃げて來たと云ふ譯だが――それは實際悲鳴を揚げながら――の氣持だつた。がさて、これから一體どうなるだらう、どうするつもりなんだらうと、旅館の二階の椅子から、陰欝な色の湖面を眺めやつて、毎日幾度となく自問自答の溜息をついた。海を拔くこと五千八十八尺の高處、俗塵を超脱したる幽邃の境、靈泉湧出して云々――と書き出してある日光湯本温泉誌と云ふのを、所在ないまゝに繰りひろげて讀んで見ても、自分の氣持は更にその境に馴染んで來なかつた。よくもこゝまで上つて來たものではある、が今度はどうして下れるか、自分の蟇口は來る途中でもう空になつてゐた。どこに拾圓の金を頼んでやれる宛はないのである。心細さの餘り、自分はおゝ妻よ! と、郷里の妻のことを思ひ浮べて、幾度か胸の中に叫んだ。でこの手記は、大體妻へ宛てゝ書くつもりだが、が特に何かの理由を考へ出したと云ふ譯では無論ないのだ。昨日――九月九日のある東京新聞の栃木版に、生ける屍の船長夫妻と云ふ見出しで、船の衝突で多數の人命を失つた責任感から、夫妻で家出して、鹿沼町の黒川と云ふ川に深夜投身自殺を計つたが、未遂で搜し出されたと云ふ記事を自分は寢床の中で讀んだが、町の人々の間にはそれが狂言自殺だなぞと云ふ非難もあると書かれてゐるが、そんな年配の夫婦が狂言自殺?――そんなことがあり得るだらうか。そしてまた、その生ける屍と云ふ文句が、自分の聯想を更に暗い方に引いて行つた。

「生ける屍か……」と、自分はふと口の中で呟いた。

白根山一帶を蔽うて湧き立つ入道雲の群れは、動くともなく、こちらを壓しるやうに寄せ來つつある。そして湖面は死のやうに憂欝だ。自分の胸は弱い。そして痛む。人、境、倶不奪――なつかしき、遠い郷里の老妻よ! 自分は今ほんたうに泣けさうな氣持だ。山も、湖水も、樹木も、白い雲も、薄緑の空も、さうだ、彼等は無關心過ぎる!

今日は東京で、親しい友人の著作集の出版記念會に、自分も是非出席しなければならないのだつた。それも駄目、あれも駄目。仕事の方も駄目、皆駄目なことになるのだ。斯うしてすべての友人からも棄てられ、生活からも棄てられて、結局生ける屍となるか、死せる屍となるか、どちらかなんだらうが、慘めな悲鳴を揚げつゝ逃げ𢌞る愚か者よ! 自分は自分のその、慘めな姿を凝視するに堪へない。

雲の山が、いつの間にか、群山を壓してしまつてゐる。湖水は夕景の色に變つてゐる。自分は少し散歩して來よう。……

白根山、雲の海原夕燒けて、妻し思へば、胸いたむなり。

秋ぐみの、紅きを噛めば、酸く澁く、タネあるもかなし、おせいもかなし。

湯瀧のさき、十五町ほど湖畔の道を、戰場ヶ原を一眸の下に眺められるあたりまで、道々花を摘みながら、ゆつくりと歩いた。原一面薄紫色に煙つてゐた。何と云ふ美しい眺めだらう。十八九年前の思ひ出から、自分は夕闇の迫つて來るのも忘れて、しばらく立つてゐた。湖水の暗い色は、冷めたい戰慄を傳へた。

自分のかゝりの女中は、あい子と云つた。二十だと云ふが、十七八にしか見えない、素直なやさしい娘である。彼女は自分の採つて來た花を帳場に持つて行つて、一つ〱紙片に名を書きつけて來て呉れた。――秋グミ、大カメノキ、ツリガネニンジン、ゴマナ、ニガナ、ハタザヲ、ワレモカウ、ミヤマウド、ヒヨドリバナ、アキノキリンサウ、カウゾリナ、ヤマハハコ――自分の知つてゐるのは秋グミだけだつた。

いつもの晩より遲く、二時頃まで自分は酒を飮んだ。滯在客はほとんどゐないのだ。それで女中たちは代る〲遊びに來て呉れた。ナカ子、ハナ子、マス子、ツル子、ハマ子、ユキ子、それとアイ子との六人居るのだが、女中と云ふよりは娘と云つた感じの、十六七から二十までのやさしい氣立てのいゝ娘たちである。早く十一月になつて、日光の町にさがる日を、彼女等はどんなにか樂しみに待つてゐるらしい。そしてまた彼女等は、自分のことを、どんな人間かと疑つて見たこともないかのやうに、無邪氣に振舞つてゐる。それが時々自分を憂欝にさせる。……

四日の日――さうだつた、Kの咯血したのも、やはり先月の四日だつたが――自分は朝から金策に出歩いてゐた。自分は月末の下宿の拂ひを濟ましてなかつた。自分は九月號の雜誌には一つも書けなかつたので、全然の無收入だつた。自分は二三の雜誌社を𢌞つた。が下宿に差出すべく餘りに少な過ぎる額しか、出來なかつた。それに、前の晩またもおせいと醜い掴み合ひの喧嘩をやつたので、兎に角ひどく厭な氣分の日だつた。牛込にKを訪ねたが、Kはやう〱床の上に起きあがれる程度で、まだ談話は遠慮しなければならなかつた。やはり一度咯血したことのある弱い細君の顏は痛痛しいほどやつれてゐた。自分はそこ〱に外へ出て、若松町から電車に乘つたが、すつかり滅入つた氣分だつた。一ヶ月前の咯血の時、細君から速達郵便を受けて車で駈けつけたが、喀血がなか〱止まらなかつた。咳く度に混つて出た。自分も四五日の間、食がふだんのやうにたべられなかつた。三四年前自分もその經驗では、どれほど脅かされたものだつたらう。

「あの容態では、どうかなあ? よくなれるか知ら。何しろたいへんなことだなあ……」

と、思はずわがことのやうに、暗い溜息をついた。

神樂坂の鳥屋に遲い晝飯にはひつて、酒を飮んだ。下宿の出がけにポケツトに入れて來た、玄關の状差しにはひつてゐた郷里の長男からの手紙と、信州の別所温泉から出したSからの繪葉書とを、盃を舐めながら讀んで見た。長男からの手紙は、九月の新學期に間に合せて、どうして學用品の代を送つて呉れなかつたかと云ふ、詰責の文句だつた。心にかけながら、つい送つてやれなかつたのだ。Sは十日程前から、戀人と、信州の温泉めぐりをやつてゐるのだつた。別所温泉は自分も六七年前に半年程引かゝり、田舍藝者にふられた小説を書いた思ひ出の土地だつた。高原に立ちて四方の山々を眺め、雲を見る、多少の感慨無き能はず――斯う云つたやうな文句が走り書きに書かれてあつた。斯うした簡單な文句が、自分にはいろ〱なことを想はしめた。羨望とも、同感とも、同情とも、云ひやうのない氣持だつた。何と云ふヒタ向きな男だらう! 勇敢な酷烈な戀――自分は、氣持を引緊められるのを拒ぐことが出來なかつた。彼等の直情な戀に較べて、自分とおせいとの關係の、如何に醜く、耻づべきだか。互ひにドブ泥のなすり合ひをしてゐるやうなものなのだ。戀でもなく愛でもなく、そして彼女は姙娠三ヶ月?……自分は飮んだ酒がグツとこみあげて來るやうな氣持がした。淺ましくも、呪はれた、自分等二人だ。妻よ、輕蔑と憐れみを以つて許してほしい。さうだ、自分は今では、おせいにすら輕蔑されてゐるやうな、すつかりヤクザな人間なのだ。

「俺もどこかへ行きたい。どこかへ〱、行つちまひたい。そして當分歸つて來まいか知ら。……下宿へ歸つたつて、何が自分を待つてゐるんだ? 書き損ひの原稿と、あの髮を蓬々さした、狐憑きのやうな眼付きして、厭な姙婦氣取りのおせいとが待つてゐると云ふ譯かな。あゝ、厭だ厭だ。何も彼も厭だなあ。……行つちまへ! 行つちまへ!」と、自分は心の中に繰返して、われと勢ひづけた。

「この停滯、この墮落、自分の全身中がドブ泥見たいなものでいつぱいなんぢやないか知ら? これが人間の生活だとは、俺自身にも考へられない。一日でも一刻でも、この頃の生活を棄てろ。二人で釀す惡臭から遠退け。でないと、貴樣は今に自分から窒息するのだ……」

ふと十八年前、二十の年、暑中歸郷の途中、日光見物旁々湯本から金精峠へ、鬼怒川の上流に出ようとして、途中無理をした爲め戰場ヶ原にさしかゝつた時分にはもうすつかり日が暮れ、その上大雨に降られ、初めての道ではあり、原の眞中頃でどうにも歩けなくなつた時、後から牛を曳いて來た十五六の少年に助けられ、二荒山の下の木挽小屋で、一晩泊めて貰つたことのある――その戰場ヶ原のことが、ふと頭に浮んで來たのだつた。「さうだ〱、あそこがいゝ。あの原を久しぶりで見て來よう。あの憂欝な湖水もよかつた……」自分は鳥屋からツーリングを呼んで貰つて、すぐ上野驛へ駈けつけたのだつた。

その當年の少年も、今では幾人かの父となつて、平和な日を送つてゐるのか知ら? 彼は二十四五の兄と二人で、その小屋で炊事役をし、兄の挽いた板を牛で日光の町へ運び、そしてまた兄の木挽きの弟子でもあつた。丁度その日は彼等の父が日光の町から酒の二升樽をさげてやつて來たのだが、息子が酒を飮まないので、おやぢさん一人で手酌で飮んでゐるところであつた。自分のびしよ濡れの小倉服は土間の焚火のまはりにかけ、息子の褞袍を着せられて、生干の椎茸と川魚を大鍋で煮たのを肴に、空腹に熱燗をしたゝかに御馳走になつた。自分とおやぢさんとは、三枚ほど筵を並べた板敷の上に、薄團まで着せられて寢かされたが、息子たちは土間の焚火のまはりに横になつて、一夜を明かしたのだつた。それからざつと二十年、忘れ得ぬ懷かしい旅の思ひ出であつた。その一夜を思ふ時、自分の荒み切つた胸にも、人生と云ふ母のふところに温ためられた少年の日が、還つて來る氣がする。

自分は今度もまた、雨の中を、夕方四人の田舍婆さんと乘り合せ、ガタ馬車に搖られながらその原を通つて來たのだ。方角はたしかさうらしいが、ずつと道に近く、二棟ばかりの小屋が立つてゐた。滯在中に一度それとなく、訪ねて見よう。

十四日。發熱八度三分。左脊部肋間の神經痛堪へ難し。アスピリンを飮み終日臥床呻吟。昨夜の無理がたゝつたのだ。「すべてが、妄想と云ふものの仕業か知らん? 絶望して見たり、希望を描いて見たり、憎惡、愛着、所有感、離脱感――何もかも皆己れと云ふ擴大鏡を透しての妄想と云ふものか知らん? あの山の樹木、湖の水が自分等に無關心のやうに、自分も社會、人間、周圍に對して無關心な氣持になれないものか知ら。生の溺愛か、離脱か、はつきり出來ないものか知ら。はつきり出來ないところに何か知ら生活の味……?」が斯んな山の上に來て、蒲團の中で斯んなことを考へたりする自分の阿呆さ加減に氣づいて、ひとりできまりわるくなつた。

近所で材木を挽く鋸の音、庭の筧の音、鷄や家鴨の聲、下山の準備で屋根屋、大工、經師屋などはひつてゐるので屋根上でトタンを打つける音、鑿の音、さま〲な音で晝間は山の宿も決して靜かではないのだが、熱のためについうつら〱と寂滅の境に落ちてゐた。

昨日は珍らしくカラリと晴れて、そして暖かだつたので、氣分がいくらか好かつた。それで、宿料の心配から、午後から何かしら書きはじめたいと思つた。按摩を呼びにやつた。こゝへ着いた翌日かに一度呼んだことがある、五十近い、口鬚なぞ刈込んだ、やはり日光在だと云ふが、中年後に習つたのだと云ふから下手だつたが、この前の時はわりに叮嚀に揉んだ。昨日は無茶だつた。「旦那の身體は一度揉んですつかりわかつちめえましたから、こゝのとこさへよく揉んで置くとね」斯んなことを云つては、左りの肩胛部のあたりを滅茶苦茶にグリ〱やり、強く叩き、頭もほんの形式ばかりに手拭を卷いてゴシ〱やりながら「どうですね旦那、片手で斯う云ふ風に緊まるのですぞ」なぞと自慢らしく手拭を右左りと片手で引絞つて見せ、それで「どうもお粗末さま」斯う云つてペコンと一つ頭をさげ、いくらかは視えるらしい薄氣味わるい眼の、土氣色した顏を自分に向けた。腰をさすらうとも横になれとも云はなかつた。この前の時もさうだつたが、それでやはり上下分の料金七拾錢を帳場から持つて行くのだつた。さすがに自分も毒氣を拔かれた氣持で「それでは……」と云つて、この前と同じやうに五拾錢銀貨を一つ彼の大きな掌に載せ、呼鈴を押して女中を呼んだ。自分はすつかり脅えた氣持で蒲團の中に横になつたが、亂暴な揉み方や叩き方を意固地に我慢してゐたお蔭で、折角温泉で鎭つてゐたのが、急にチク〱痛み出して來た。ホーツと熱が出だした。按摩の殘して行つた惡臭がいつまでも鼻から消えず、手垢で染つてゐた手拭が、眼から去らなかつた。後悔と疲勞とで、自分の氣分は滅茶々々だつた。

「水神樣のお祭りで船競漕があるさうですから、いらつしやいませんか」と、晝のお膳の時、あいちやんが誘つて呉れた。

「皆さんが行くの?」

「え、うちからもみんな行きますし、よそでも大抵行きませう。それに福引きや何かもあるんですよ」

「さう。ぢやあ行つて見てもいゝな」と、自分は云つた。

どうかすると、褞袍一枚では散歩に出て肌寒い感じのするやうな天氣の續く此頃としては、申し分のない好日和だつた。二時頃、宿の褞袍に鳥打帽をかぶり、氣樂な浴客らしく手拭ひをさげ、赤い緒のすがつた宿の下駄を突かけて、ふらりと出かけた。わりに大きな建物ばかしだが旅館としては六軒、店屋が三軒ほど、養魚場の出張所、電燈會社の出張所、馬車屋、駐在所、二三の木挽き小屋、狹い暗い共同浴場の幾棟、温泉の神樣の小さなお宮――これだけで、この山々の行止まりの湖畔に小さな部落を造つてゐるのだつた。自分の宿からも湖畔まで一町となかつた。ドヽン〱と太鼓の音がしきりに聞えて、旅館の女中さん、おかみさん、若奧さん風の女、皆それぞれに盛粧を凝らし、いろ〱な色のパラソルをかざしなどして、ぞろ〱湖畔へと繰り出してゐた。その間に背に「ゆ」と赤く染めた印半纏を着た男たちが忙がしげに駈け𢌞り、すつかりお祭り氣分だつた。湖畔の巖の上に祭壇が造られ、白木の三寶の上に大きな紅白のお供へ、一升ビンの御神酒、長柄の銚子に三つ組の盃、白幣、御神燈、そして湖水からでも拾ひあげたらしい頃合ひの石に墨で「水神祭」と書かれたのが、立てられてあつた。渚に立てられた栂か樅の荒削りの眞新しい長い丸太に張りわたされた綱には、紙の國旗が長閑のどかな感じに動いてゐた。その下でお宮のらしい大太鼓がドヽン〱と若い衆の手で鳴らされた。道わきの石垣の上には賞品や福引きの袋が積まれ、應援の樂隊として一つのボートに石油鑵が二つ積み込まれた。一、櫓競漕。二、竿競漕。三、盲目競漕。四、ボートのリレー。――餘興は斯んな順序で進むのだつた。選手は養魚場の番人、木挽き兼船頭、旅館の主人や番頭、馬車屋――年齡にして十六七から五十六七と云ふ雜多な取組であつた。

「なか〱始まりませんね」

「第一神主さんがゐないんで祭文の讀み手がないと云ふ騷ぎなんですよ。何しろ今年から始めたんださうだから……」と、山崩れを防ぐための、道わきの低い石垣に並んで腰かけた同じ宿の滯在の客が自分に教へた。

宿の女中さんたち八人、小さな子守りの娘まで加はつて、皆羽織姿ながら美しい色彩を見せて、自分等のすぐ前の渚の石垣に、石入りの指輪を見せた手に美しい日傘をかざしなどして、ずらりと並んで腰かけた。宿々のさうした幾組みかで、祭壇の𢌞りや狹い道ばたが埋められた。それが滿山の濃緑、湖水の深碧と對照して、時ならぬ一團の花叢を見せたかの感じだつた。そしてそれが更に絃歌臭を聯想せしめず、また山の荒くれた男たちに手折らるべく、美し過ぎる、山の少女たちの感じだつた。それらが、時々ブウ〱笛を鳴らしながら中禪寺から登つて來るガタ馬車の田舍婆さんや、一晩泊りの女づれの客や、中禪寺から散歩の西洋人夫婦などの眼を見張らせた。

やがて、大工さんでもあらうか――年配の男が何やら讀みあげると、娘たちに福引袋が渡され、先づ世話役や選手たちが御神酒をいたゞいた後、そこに見物に來てゐた男すべてに、その銚子と盃で御神酒が注ぎ𢌞され、その上に男、女、子供の差別なく一同に二寸大の紅白の餅が配られた。

「どうも行屆いたものですなあ」と、自分等は感心した。

帶上げと香油と束髮の櫛、足袋と白粉と手鏡、帶上げとハイカラな封筒と絲卷き――大抵はさう云つた取合せのものだつた。可哀相に、十三の筒袖着た子守娘は、一番貧しい袋に當つた。

「何がほしいの? 何かほしいものある?」自分は宿へ歸つて何か買つてやりたいと思つたが、その子は答へなかつた。

斯うして、やう〱競漕が始められた。白根山續きの外山と云ふ山の麓まで、渚から二町餘りもあるのか知ら――その麓近くに、横に一町程の距離を置いて二つの浮標が置かれ、それを籤引きで分けた八人宛の紅白二組の競漕だつたが、先頭に乘り出した紅組の馬車屋のTさんと云ふ二十二三の屈強の若者の櫓が、浮標まで行かないうちに折れたが、そのまゝ競漕が續けられたので、赭い虎鬚の逞しい湖水の番人の必死の働きもその效なく、紅組の慘敗に終つた。斯うしてプログラムの進んで行くのを、自分はかなり無關心な、疲れた氣持で眺めてゐた。太鼓の音、ブリキ鑵の響き、歡呼、聲援、拍手――それが四邊の靜寂をふるはした。竿競漕、新聞紙の袋をかぶつた盲目竸漕――これがひどく見物人の腹を抱へさせた。が斯うした物音や笑ひ聲や、選手たちの必死な競漕ぶりを見てゐるうちに、いつとなしに自分の心は暗くうなだれて來た。自分は今更のやうに淺黄色に晴れた空、山、湖、集つた人人を眺めやつて、さびしい氣持になつた。それでゐて、自分は最後のボートのリレーの終るまで居殘つた。宿の人たちも皆歸り、すつかり暗くなつて、御神燈の中の電燈がともり、そしてまだ舊暦八月十五日夜の月がのぼつてゐなかつた。

「誰か知つた人が來ないか知ら? どうもそんな氣がするが……」そんな筈のないことを知つてゐながら自分は中禪寺からの馬車の中の顏を、そこに腰かけた時からのぞいて視ずにゐられない氣持だつた。

酒を飮んで少し元氣づいたところで、自分は女中たちに誘はれて、褞袍を二枚かさね着して、十時過ぎに湖水に乘り出した。船頭は吉さんと云ふ。木挽きが本業の、二十四五のおとなしい若者だつた。一度鱒釣りに出かけて、知つてる仲だつた。彼は船頭としてもかなりの腕だつた。竿竸漕では一着を取つた。

あい子、はま子、ます子、なか子と、自分との四人だつた。女中たちは二組に分れて出たのであつた。娘たちは聲を揃へて合唱した。湯瀧の上に船を停めて、吉さんはハモニカを吹き、自分は娘たちの合唱に耳を傾けた。空には中秋の滿月がほの白くかゝつてゐた。――わがふるさとに來て見れば、君やむかしの君ならず――とか、――晝は旅して夜は夜で踊る、末はいづこではつるやら――斯う云つた文句が耳にはひつた。

「成程な、後の唄は、これは生ける屍の中の文句だつたな……」と、自分にもふと思ひ當つた。

晝の選手たちの飮めや唄への騷ぎの音が、死水のやうに靜かにほの白く輝いてゐる湖面をわたつて來る。自分も聲を張りあげて唄ひたいと思つたが、それが出なかつた。

夜靜カニ水寒ウシテ魚喰ハズ、滿船空シク月明ヲ載セテ歸ル――自分は斯うした片言憶えの文句を口吟んだ。

何の意味?……否! 好き山の乙女達よ、いつまでも清く美しくあれよ。そして自分の藝術?……自分は思はず溜息をついた。

ゆうべも遲くまで酒を飮んだ。あい子はキチンと坐つて、厭な顏を見せずに酌をして呉れた。こゝへ來て自分は毎晩一升近くの酒を飮んでゐる。それを彼女は、初め來た時と變りのない態度で相手になつてゐる。ほとんど一年ぶりで、自分はちよつとの間ながらおせいとの啀み合ひから、遁れられた譯である。ゆうべ彼女は、自分の机の上の原稿紙に、三四首の即興歌を書いて見せた。多少文學少女なのかな? と、自分はちよつとした興味をそゝられた。自分も童謠めいたものを書いた。たしか――白根の山の、老いたる熊は、ものうく雪の、穴ごもり――斯う云つたやうなものだつた。

「湯本には昔から泥棒と云ふものは、はひつたことはないんですつて。だからどこのうちでも戸締りはしないんですの。下りる時も、夜具でも道具でもみんなこのまゝにして行くんですよ」

「夏、客の澤山の時でも?」

「さうですよ」

「僕このまゝそうつと逃げだしたら、どうだらう。日光まで行かないうちに掴まつちまふだらうな。裏山へはひつたつて、二日と凌げないだらうな。どうしたつて日光へ出る外ないだらう。何時間か後氣がついて、番頭さんが中禪寺まで自轉車を飛ばして、電報か……電話を日光へかける、大抵そこらで參つちまふんぢやないかな? うまく汽車に乘り込めて東京にはひれたとしても、大したことはあるまいね。新米の泥棒なんかも、大抵そんなことだらう。何しろ逃げ出しにくい、要害のいゝところだな。どうだらうあいちやん、僕がほんとに逃げ出したら、うちで追かけさせるか知ら?」自分は柄にない幼稚な活動寫眞的興味から、斯う云つて見た。

「わたしにはわかりませんわ、そんなこと……」幾らか鼻にかゝるフヽとくゝんだやうな笑ひ聲をして、疑ふ樣子もなく、云つた。

「どうしてお仕事をなさらないの? もう十日からになるんでせう。お仕事をなさりにゐらしたんぢやないんですか?」

「そのつもりで來たんだけど、出來ないんだね」

「どうしてでせう」

「まだ土地に慣れないんだね。それに僕熱が出るんだ……」

「熱つてどんな熱なんですの?」

「あい子さんの熱……それは冗談だが、僕神經痛が持病なんだ。それにこゝも……」斯う笑ひながら云つて、褞袍の胸を指さきで叩いて見せた。

「それでは肺の方なんですの?」

「嘘だよ」と、自分は打消したが、彼女は顏色を曇らせた。

斯んな樣子で、ゆうべも夜を更かしたのだつた。が今朝は四時、眞暗なうちに眼がさめて、それからはどうしても睡付かれなかつた。枕元の水指しの水を飮み干し、自分でまた洗面所に行つて、山から引いてる氷のやうに冷めたい水を酌んで來た。夜は明け離れたが、霧のやうな細雨で、灰色の空が重く湖水に垂れ、山々は濛々と煙つてゐた。佗しいと云ふより痛い感じである。自分は傘をさして、一番奧の、二三町離れた山の麓の孤屋ひとつやの蓼の湯にと、出かけた。机の上には、ゆうべの歌の紙は、もう見えなかつた。そんなことも思はれて、蘆の一面に生えた沼のわきの細路を歩いて行つたが、褞袍のかさね着で、まだうす寒さを感じた。

浴槽は一坪餘りの、ほんの形ばかしの上の方を板で仕切つたものだつた。まだ誰もはひらないらしく、硫黄が一面に汚らしく浮いてゐた。自分はしばらくたじろいだ氣持で眺めてゐたが、思ひ切つて褞袍を脱ぎ、流し場にあつた板切れで掻き𢌞して、少し熱目なのを我慢してはひつたが、さすがに顏を洗う氣にはなれなかつた。ぢつと身體を動かさないやうにして湯の面を見てゐたが、一尺ほど下に何やらブワ〱したものが動いてゐるので、二三度やり損じた上で掬ひあげて見ると、二十本ほどもならうかと思はれる女の髮のもつれた束だつた。それが湯垢やら硫黄やらでヌラ〱になつてゐた。自分はぞうつとして素早く流し場の溝に棄てたが、その二三本が指の間に卷きついて早速には取れなかつた。自分は左りの指さきで一本々々摘まみ取らなければならなかつた。自分はそこ〱に身體を拭いて外へ出たが、胸がむかついて來る氣がした。惡女の妄執――そんな氣もされた。

「どうせ若い美しい女なんか、あんな美しい湯に行きやしないだらうから、多分田舍の婆さんなんかの髮なんだらうが、ひよつとすると、あの婆さんたちの誰かのかも知れないな……」中禪寺から乘り合せて、馬車屋とさかんに猥談を交はして來た四人の田舍婆さんたちの顏の一つ〱まで浮んで來て、そこらに漂ふ硫黄と沼氣の惡臭い匂ひに、息を詰らした。

午後から本降りになり、西北の風が強く吹きつけた。板の雨戸を締め切つたので、部屋の中はすつかり暗くなつた。自分は蒲團の中にもぐり込んだ。何しろ一間幅の廊下が玄關から四十八間とかあると云ふ、その一番奧ではないが、それに近い部屋だつたので、荒れしぶく風雨の音、庭の筧の音のほかには何一つ聞えて來なかつた。アスピリンを飮み、頭から蒲團をかぶつて、うつら〱しかけると、思ひ出したやうにガタ〱と來る雨戸の音に脅かされては、睡りを妨げられた。その度に、自分の神經は恐怖から慄へた。妻子のこと、おせいのことが、うつら〱した、熱つぽい頭腦に浮んだり消えたりした。

「Sたちはどうしたらう。もう東京に歸つたか知ら。それともまだ別所に滯在してゐるのか知ら?」ふと、Sのことが、懷かしく思ひ出されたりした。

斯うした雨の日を、彼等は如何に樂しく語り合つてゐることだらうか! どうかして自分も別所へ行つて見たい、彼等を訪ねて見たいと、自分は胸を締めつけられるやうな思ひで、彼等のことを想ひ遣つた。

暮るゝを惜むかの如くしづやかに黄昏れそめた鹽田平だひらの全面を見おろし、あの自分にも思ひ出の縁結びに利益のあると云ふ觀音樣の境内の石の玉垣にもたれ合つて、眞直ぐに立ちのぼる淺間山の白い煙りを眺めやつて、彼等はどんなことを語り合つたのであらうか? 雨の宵には、三里さきの上田の街の朧ろな灯を遠見に眺め、上り下りの電車自動車の數なぞかぞへて、興じ合つたことでもあらうか?

死よりも強いと云はれる戀、年齡や巧利を棄てた戀――そこに生甲斐を見出したSは、幸福だと云つていゝ。自分はさうした戀愛の實例を、幾つか胸の中に數へて見た。そしてこの自分の惠まれない生存、粉々に打碎かれて手入れの仕樣のないやうな自分等の生活の酒壜――それは最早、土塊に過ぎないのだ。

あいちやんがお膳を運んで來た音で、ハツと目をさました。びつしより汗をかいてゐた。郷里の家に、父がまだ生きてゐて、妻子や大勢の人が集つてゐるやうな夢を見てゐた。また齒ぎしりでもしてゐたのか、下の齒が一二本ポロ〱に缺け崩れて行く夢が、はつきりと不氣味に頭に殘つた。

「何だか怖いやうな夢を見てゐた」と、盃をさし出しながら話しかけたが、

「さうですか」と、彼女は取澄した返事をした。そして二本目のお銚子から、なかちやんと云ふやはり二十の娘と代つた。

色白の、頬の豐かな、肉附きのいゝ、眼に愛嬌のある、氣のよささうな娘である。自分が若くて嫁を貰ふんだつたら、多分この娘を選ぶだらう。彼女は、家の百姓仕事が忙しくなるので、みんなよりさきに、近いうちに歸らねばならぬのだと云つて、さびしがつた。

「わたし歸つても、そりやつまらないんですよ。わたしこれで、お百姓仕事はなんでもするんですよ。田へも畑へも、それからなんだつてするのよ。こゝに居るとこんな風をしてますけど、うちへ歸るとまるで乞食見たいな風して、そりやなんだつてやりますわ」

と、素朴なアクセントをつけ、しなを造つて、絶えず眼に笑ひを見せながら、彼女は云ふのだ。

「早くお嫁に行つたらいゝでせう」

「お嫁に行つたつて、やつぱしお百姓さんでせう。つまらないわ……」

「それなら、東京へでも出て、どこかいゝとこへでも奉公して見たらどう?」

「奉公したつて、やつぱしつまらないぢやないの。歸つて來ると、やつぱしお百姓さんでせう」

「ぢやあ、お百姓さんで結構ぢやないの。お百姓さんは一等いゝですよ……」

自分は斯う云つたが、ふと思ひ當ることがあつた。いつか、彼女に來年もまた來るのかと訊いた時、彼女と誰ちやんとは、來年はわからないと云つた。やつぱし秋の收穫の濟み仕第、所謂お百姓さんのところへ、お嫁に行くことにきまつてゐるのに違ひない。その歡びの期待と、處女期を棄てる惱ましさから、この娘の眼は斯んなにまで美しく燃えてゐるのか――自分は斯う腹の中に思ひながら、盃持つ手を抑へて、彼女の顏を視直した。自分の結婚時代、妻のこと――それからの十五年で、結局自分等は何を報いられたか。そこには苦い生活のカスが殘されたばかしでないか。妻の髮も、かなり白くなりかけて來てゐるのに、未だに自分は一家を成してゐない。さうしては、更に本能の過失を重ねて行く。家庭生活の苦しみも樂しみも知らぬ間に、家庭生活と云ふものに、すつかり幻滅し切つてゐた自分を、自分は今更どうすることも出來ないのだ。妻は、一般の妻としては隨分慘めな妻であるに違ひないが、三女の兒女の母としての生活には相當の滿足と誇りとを持ち得る筈だ。自分には何物も無い。そして心ならずも彼女等から離れて暮してゐると云ふことが、そしてまたそれが不斷の二重三重もの心の負擔となつて、自分の生活の基礎を暗く、悲劇的なものにしてゐる。それにつけても、自分は、おせいとの關係を呪ひたい。自分の過失は過失として、戀愛もなく、啓發もない二人の關係を、これ以上自分は續けたくないのだ。これまで幾度か和解的に別れられる機會があつたのを、彼女は頑強に斥けて自分等の生活に喰ひ入り、そして皮肉にも、姙娠したと云ふ。――だが、おせいよ、自分は今、溢れ流れてゐる宿の浴槽にひとりでつかつて來て、若い娘のお酌で、明るい電燈の下で、寢床の上で、外の風雨の音を聽きながら、あたゝかい酒を飮んでゐるが、お前はあの四疊半の部屋で、今頃ひとりでどうしてゐる? 思へばお前も不憫な女だ。だが、俺に妻子と云ふものがなかつたとしたら、俺も決して、今までのやうに酷薄な態度は執れなかつたと思ふ、無論愛し合へたと思ふ。不用意だつたとしても、俺たちの關係も、動機はそんなに不純であつたとは思へない。お前は仕事の出來ない俺に、俺の不幸續きに、病氣に同情して呉れ、ほとんど獻身的に盡して呉れた。それは、俺も、忘れてはゐない。また、斯うして離れてゐると、お前の苦しい立場も、よく考へられる。親同胞を棄てゝまで家出して來た以上、今更俺に妻子があるから歸れと云はれてのめ〱と歸つて行けないお前の氣持を、一概に女の妄執だとケナしつける自分の方が、よつぽど卑怯でもあり、自分勝手かも知れない。だが、俺にはSほどの勇氣が無い。それに俺の心持は今、尖がり過ぎてゐる。俺は何もかも、ほしくないのだ。妻子もほしくなければ、お前も、お前の腹の子も、ほしくないのだ。極端に云へば、俺自身をもほしいとは思はない。俺は最早、生活にヘコ垂れはじめたらしい。書くものも、一つ〱駄目になる。俺はどこに生の希望と悦びをつなぐのだ? が今に、だん〱と生活も好くなり、書くものも良くなる……? がその今に、が曲物なんだ。どうして、信じられたものぢやないのだ。その今に、引きずられて徒勞を重ねて行くべく俺は少し厭いたやうだ。

だが、おせいよ、氣をゆたかに持て。人間のことは、すべてが悲劇のやうにも、また悲劇でも喜劇でも何でもないやうにも、思へば、思へるのだ。どんな大きな災難でも、不幸でも過ぎて見れば、煙のやうなものぢやないか。まあ、出來てしまつたものは仕方がないとして、腹の子に氣をつけるんだな。

酒は樽の菊正、喰べ物は思つたより豐富だ。俺は兎に角まだ當分居るつもりだ。――十八日快晴、午前十時何十分かにかなりの強震二囘あり。家の中の人みな飛び出す。――

Sは信州へ發つ二三日前の晩、久しぶりで自分の下宿へ訪れ來た。ほんとに久しぶりだつた。三四月頃までは、ちよい〱往つたり來たりしてゐたのだが、其後バツタリとSは姿を見せなくなつた。自分はまた、おせいとの問題がだん〱とわるくこんがらかり、耻さらしな事件がつゞき、ほとんど昏迷状態からして、ついSのところをも訪ねずにゐた。自分とSとは、彼是十五年近くの親しい友人だが、遊里方面の交際は一切無いので、その方の消息は自分はまるで知らないのだ。殊に今度の――あの謹直堅固なSが、さうした熱烈眞劍な戀を何ヶ月か續けて來て此頃では互ひに一切を棄てゝもと云ふ切迫した状態にまで進んでゐるのだとは、まつたく自分には想像にも及ばないことだつた。それもつい十日程前に、他の友だちに聞かされた時には、餘り意想外な話なので、つい吹き出した位だつた。

「そりや此頃のSは、一杯のコーヒー代だつて惜しいだらうよ」と、友だちは云つた。

「何しろ毎晩なんだから、大きいよ。一晩だつて缺かさないんだから、そして女の方でも一切他の座敷へは出ないと云ふんだからね、一晩二十圓づつとしたつて、そりやSだつてたいへんだらうよ。何しろお互ひにひどく惚れ合つたものさ。やつぱし家庭が、どうも面白くないらしいんだね……」と、友だちもやはり微笑を浮べながら、同情した調子で云つた。

「さうかなあ、Sにもそんなことがあるのかなあ! ちつとも知らなかつた。實は此間ね、H社で偶然久しぶりで落ち合つたが、Sがひどく焦躁な態度で原稿料を請求してゐるのを傍で聞いてゐて、妙だなあ、金のことでは斯んな風な男ぢやないと思つてゐたが、どうかしてゐるのか知らと、僕は彼の態度に寧ろ反感を持つたのだが、さうかなあ、そんなことになつてるとは知らなかつた」と、その時のSの苛々した態度を思ひ浮べ、反感を持つた自分を濟まなく思つた。

「しかし誰しも一度は通る道だからね。そして俺たちはもう何をしたつて、大丈夫だよ。壞れつこないよ。Sだつて大丈夫うまく切り拔けるさ。そして今までのあの堅い殼を打壞せたら、彼の藝術だつてもつと自由な、暢び〱したものになるだらう。さう云ふ點では、今度のことは、彼にはいゝことだよ」

「さうだね、どうせ一度は、遲かれ早かれ誰の上にも來ることなんだらうからな……」

「さうだなあ、遲かれ早かれ……か、兎に角一度は誰の上にも來るんだね。あのSさへたうとう引つかかつたからなあ……」と、二人は思はず顏を見合はして、ほゝ笑まずにはゐられなかつた。

「それにしてもSは幸福だよ。今が頂上と云ふところかも知れないが、兎に角お互ひに好いて好かれてゐるんだからね、Sとしては滿足な譯だらう。それに較べると、俺なぞの貧乏籤と來ちやお話にならないよ」と、自分はついまた、愚痴を洩らした。

「…………?」友だちはチラと自分の顏を見たが、それには答へなかつた。……

Sのことを聞いたのは、その時が初めだつたのか。

十年程の家庭生活の間に、Sは三人の子の父として、良人として、社會人としてほとんど破綻らしい影さへ見せずに來てゐた。作家生活と云ふよりも、謹直な知識階級の健實な生活ぶりを續けて來てゐた。物質的にも精神的にも用心深い、多少臆病らしくさへ思はれるほどに冒險味に乏しい生活ぶりだつた。彼自身から、獨善主義――と自分のことを云つてゐた位だつた。彼は十年一日の如く忠實な家庭の支持者だつた。それがつい二年程前から、家庭生活の無興味、現在の否定、人生への懷疑――さう云つた虚無的な、否定的な口吻を洩らすのを、自分は時々耳にするやうになつた。彼は滅多に自身の愚痴など云ふ性質の男ではなかつた。それだけに、彼の内に潜在して、悶えてゐるものゝ影が、自分の胸に強く感じられるやうな場合もあつた。

「しかしSは頑固だからなあ、俺たち友人のどれもこれも、みんな破綻だらけの生活をして來てゐるが、Sだけは大丈夫らしいな……」と、この一二年來めつきり憂欝になり、神經質になつて來てゐる彼のことを考へながら、心の中でさう思つて來たのだつた。そして、震災前あたりから、友人の誰彼といつしよにSも遊び出したと云ふ話を耳にしても「さうかしら、ほんとか知ら?」と、自分には微笑を催さしめる程度にしか、彼の噂さを聞いてゐなかつた。それが、つい四五ヶ月會はずにゐた間の出來事だつたのだ。

「Sも此頃は憔悴してるよ。何しろ毎晩なんださうだから、そして夜明け頃女に途中まで送られて歸るんださうだが、情死もし兼ねない双方の逆上のぼせ方ださうぢやないか。なんにしてもSと云ふ男も變つた男さねえ!」最近のSに逢つた誰もが、斯んなやうなことを云つた。

成程、さう思つて見る氣のせゐばかしでなく、その晩のSの窶れ方に、自分は一寸胸を打たれた。白皙だつた顏の艶も失せ、頬のげつそり削こけたのが目立つて見えた。濃い髯の剃り跡の青々しさにも、何やら悲しい思ひを誘はれた。Sのやうな男でさへ、戀と云ふものゝ前には斯んなにもなるのか!……自分は思はず腹の中で嘆息した。相手が素人でない金のかゝる女だと云ふだけに、純情一本氣のSの立場が、傷々しい氣もされた。

「此の間の晩、たうとうワイフにも、何もかも一切告白した。どうにもならない相手との苦しい義理合ひから、何もかも一切つゝまず涙を流して告白したんだが、ワイフなんてどうにも仕方がないもんだね、良人の涙を以ての告白にも同感してゐるのかしてゐないのか、默つて聽いてゐると云ふだけなんだからね。なんとか云つて呉れるべきなんだ、それをどこまでも默つて……そんな法つてないんだ。唯それからは僕が三時に歸つても、屹度起きてゐて、僕の脱ぎすてた着物をたゝんだりして、それから階下へおりて行く……そんなことだつてこれまでは一度だつてなかつたんだ」Sは斯んなことも云つた。

「場合に依つては、いつでも家庭を破壞してもいゝと思つてゐる。唯子供たちのことを思ふと、不憫だ。子供たちのことを思ふと、いつでも泣かされる……」

Sが眼がしらに涙を溜めてゐることが、よく自分にわかつた。自分には慰めよう言葉もなかつた。

「まあ〱、君のやうにさういつこくに考へるなよ。君の氣持はよくわかるけれど、しかしさう君のやうにいつこくに考へ過ぎてもいけないと思ふな。どうにかそのうちには解決の道が開けると思ふよ。双方に誠實さへあれば、どんな場合に立ち到つても、救はれると思ふよ。僕とおせいとの場合のやうな、こんなのは駄目だが……」おせいは昨晩から、彼女に當がつてある階下の三疊に引込んでゐて、その場にはゐ合せなかつた。

「それで、僕はいろ〱と考へて見たんだが、結局一番いゝ方法は、僕は今重い肺病になつて、南湖院にでも入院して、どんなに會ひたくとも會へない身體になる……まあそんな方法しか、考へられないんだ。でもないと、一晩でも會はずにゐられない……あゝ僕も肺病になりたい……肺病の人が羨ましい」彼は斯う叫ぶやうに云つた。

酒を飮んでゐたのだが、すぐには、彼の顏を見る勇氣がなかつた。思はず、窓外の隣り屋敷の庭園の暗い植込みに眼を遣つてゐた。そして二三度も眼をしばたゝいた。

「しかし肺病になつても、會はずに居られないとなつたら……?」自分はふと斯んなことも思つたが、口へ出すのが、傷々しい氣がされた。

何と云ふ思ひつきだらう、この肺病嫌ひと云ふよりも寧ろ肺病恐怖患者だつたSが! 自分等の友人間では、大抵肺炎位は冒された經驗の無い人はないのだが、Sだけはその用心過ぎる位な几帳面な日常生活に依つて、それを免かれて來てゐた。それだけにこの病氣に對しては、常識以上に過敏だつた。

「やつぱし彼等の間にも、人知れぬ苦勞があるのだらう。妻子がありそしてだん〱と中年に入りかけて家庭と云ふものに興味を失ひかけた男の戀の姿と云ふものは、やつぱし傷ましいものだなあ……」

これ以上に突き進めることも、退くことも出來ずに肺病にでも遁れたいと云ふ、Sの氣持は、自分にもわかる氣がされた。偶然だつたが、この日もKの細君から速達の手紙が來てゐた。自分は當座の小遣ひを幾らか封筒に入れて使ひを出すところだつた。

「どう、君も幾らか寄進に附いて呉れない?」と、Sに云つた。

「さう、ぢやアほんの少しばかしたが……」

Sは快く五圓出して呉れた。そして九時頃そこ〱に歸つて行つた。蒸暑い晩だつた。愛欲の業火に身を燒かれてゐるS、氷嚢を三つも四つも胸や頭に載せて、咳く度に血の混つた臭い啖汁を吐いてゐるK、そして自分とおせい――自分はしばらく盃の手を休めて、暗い庭の植込みに眼をやつてゐた。

「俺の此頃の生活は、一番いけないやうだ。誰のと較べても、一番鈍つてゐる。どうかして淨める方法がないか、燃やす方法がないだらうか?」自分は斯う思つて、深い吐息した。Sはその晩、自分にいゝ衝動を與へて行つて呉れたのだ。……

烈しい雷雨の晩で電燈つかず、古風な行燈と机の隅に立てた蝋燭の明りで、今日の午後についたKの細君からの葉書を、また讀んで見た。「やつぱしさうかなあ……」と自分は又しても最初彼を見舞つた時の豫感が繰り返されて、嘆息するほかなかつた。――最もう、とても病人はだめでございます。こゝ五六日間は餘程注意して居らなければなりません。非常にうはこと、うめきをしますので、なんとも云はれぬ心細さを感じてゐます。まだ國からも參りませんので何うかと心配してゐます。あなた樣もどうか早く歸つて下さいまし。病人も心さびしきことと思ひます……――斯う云つた走り書きの、絶望的な文句だつた。二十七日の日附だつた。

四五日前東京から、若い友だちのA君が、下宿に溜つてゐた手紙類や、不自由してゐた剃刀や革砥、爪切り鋏、おせいからの傳言など持つてやつて來て呉れて、二晩泊つて歸つて行つた。その中にも十一日の日附の細君の葉書が混つてゐたが、それには、此月中に床上げが出來るかどうかわからないが、落付いては來たから安心してくれ――と云つた調子で、却つて自分の病氣のことを心配してくれて大事にするやうにと、書いてあつた。その時分はまだ山へ來てどこへもたよりをしてゐなかつたので、自分はやはり發熱で下宿で寢てゐるものと思つて、それで下宿へ出した葉書だつた。それを讀んで、自分は稍安心して、湖水の繪葉書に簡單な見舞の文句を書いてやつた。それが折返しの今日の絶望的な細君の葉書だつた。そして、自分としても此際直ぐにはどうしやうも無いのだと云ふ頼りない溜息のほかには、いゝ思案もないのだ。

「御病人が出來たんですか? それではお歸りになるんでせう?」二三日前からアイちやんに代つてお酌に出てゐる、ナカちやんが云つた。

「しかし歸れあしないでせう、これからひと仕事でもしないことには。……しかし困つたなあ、どうもあぶないらしいな」

「やつぱしお友だちの方なんですか? それはその奧さんからの葉書?」

「さう。向うでも待つてるらしいんでね、早速歸らなければならないんだが、どうにもならないぢやないか。それに僕も非常に神經を傷めてゐるんでね、さうしたいろ〱なことから離れたくて斯うして來てゐるんでね、仕事の出來ないのも、やつぱしひどい神經衰弱のせゐなんだよ」

「さうですか。そしてその御病人の方はまだ若いんですの?」

「さう若いと云ふ方ではないね、僕より二つ上だから四十か。奧さんの方はまだ二十七だから若い。」

「さうですか、そして病氣は何病氣なんですの?」

「やつぱし肺病だね」斯う云つて、自分は口を噤んだ。

中禪寺行きの朝の一番の馬車に間に合ふやう、蝋燭の明りで、おせいにすぐKを見舞ふやうにと、繪葉書を書いた。雷雨を衝いて、足尾から山越えして來たと云ふ五六十人程の在郷軍人の團體が、十時頃遲く着いて、夜中過ぎまで下の座敷で大騷ぎをやつてゐた。それに睡りを妨げられ、K夫妻のことが夢うつゝに斷れ〲に思ひ出された。

A君の來た日も雨だつた。セルに夏羽織の彼は、夕方の馬車の中で寒さに慄へながら來たのだつた。もう二度厚い霜が下りて、山々は日一日と目だつて色づいて來た。東京の十一月の中頃の氣候を思はせた。彼が歸る日は珍らしく快晴だつたので、送つて行くことにし、いつしよに例の戰場ヶ原の木挽小屋の跡を訪ね、原の中程の三本松の茶屋で、茶を飮んで別れて來た。一里十何町かの往復である。木挽小屋の跡は小笹やクゴ草の間にそれと分つたが、その時分の木挽の兄弟は、今は日光の町にゐないことだけは確かで、行衞は分らないと云ふそこの茶屋の爺さんの話だつた。「やつぱしそれでは、あの人たちだつて、どうなつてゐることかなあ……」正午近い日を浴びて、銀色に輝く樹肌の、二抱へに餘る楢の巨木の林の美しさに見惚れたりしながらも、自分は何となく淡い幻滅感をそゝられて、淋しく口笛を吹きながら阪道を登つて來た。二三日前から禁漁となつた湖は、黄、紅白、濃淡の緑と、とり〲に彩られた山の姿を逆さに、鮮かに映してゐた。が斯うしたこの湖の誇りも、やがてひと月の後には、氷と雪に封じられて、死の湖として永い冬を過さなければならないのだ。對岸の麓では、土工たちが、この湖を一周する路普請にかかつてゐる。その樹を倒し、土砂を崩したりしてゐる音が、湖畔の靜かな空氣を一部分掻き濁してゐる。國立公園の豫定區域になつてゐるのだ。そして一二年の後には、自動車が通り、電車が通りして、永久にこの湖の憂欝な感じが失はれることだらう。そしてまた、二度と自分等を快く受入れるやうな場所ではなくなることだらう。……

往復二里半餘りの、たつたそれだけのその日の散歩にも、自分は足を痛め、發熱するほど疲労した。

「何と云ふ弱蟲! 鑄いかけの利かない古鍋、地金としてだつて誰も引取り手はあるまいな……」自分は、自嘲する。

温泉の效能も、この冷めたい雨續きの天候には敵はないのだ。自分は幾日か喘息の發作と神經痛で終日寢床の中で呻いた。そして夕方近く起きて醉ふための酒を十一時過ぎまで飮み、三時頃、雨戸をしめない外の暗闇に脅かされでもしたかのやうに目をさます。そして自分のこと、Tのこと――さうだ、彼は、自分等「哀しき仲間」の中でも、特に慘めな方の一人であるかも知れない。

もう二三日で、一ヶ月になるのだ。山も、湖も、温泉も、娘たちも、周圍のすべてが、自分の感興から失せてしまつた。やはり彼等のすべてもまた、自分の肉親、妻子、おせい、哀しき仲間――それらと同じやうに、結局暗欝と苦惱を吹込む存在にほかならないのだ。酒よりも強く自分を醉はしめて、妻よ! などと呼びかけさせ、詩人らしくさへならしめたあの最初の魅力が、どこへ消えてしまつたのだ! 泡沫の如く感興は消え去る。が、酒の狂醉、苦痛の自己麻醉劑――自分はこの二つの、完全な中毒者だ。この夜と晝との交互の麻醉劑に依つて、辛うじて自分の一日一日が延ばされてゐるのに違ひない。が自分とても、自分の神經系統の傷害程度の意外に進んでゐるものだらうとは氣附いてゐない譯ではない。酒の力でやう〱四時間足らずの睡眠。心氣朦朧、鈍頭痛、耳鳴り、そして後頭部半面の筋肉が硬直すると云ふのか浮腫むくむと云ふのか――顏の筋肉もさうだ――それが硬張るやうなむず痒いやうなヘンな不愉快な感じだ。それが少しでも物を考へたり書いたりした翌日には、覿面に現はれる徴候だ。自分にも無論その原因がはつきりは分らない。が兎に角このぐうたらな手記が、今や宿料に迫られ、そして一刻も早くKを見舞ひたい一心を以てしても、日に一枚半枚の平均にしか書けないとは、何と云ふ情けないことだらう。

「結局Kは肺病で命を取られるだらうが、俺は何か知ら? この分で行つたんでは、どうしたつて狂死と云ふところかな。しかし發狂は厭だなあ。氣が狂つて、死ぬにも死ねず、何年か妻子たちに嘆きを見せる……氣ちがひだけは厭だ」寢床の中で悶掻き拔いた揚句にやつて來る、うつら〱とした自己麻醉の状態の中で、自分は斯う呟いた。それが遁れることの出來ない、自分の運命のやうに思はれた。

Kにしても、また同じ仲間の×にしても、××にしても、自分としても、恐らくは四十と云ふ峠を越せずに、それ〲に自分の身内に巣喰うた惡魔の無意識の中にも戰ひ續けて來て、結局は打敗かされるのだ。明るみ、奮鬪、社交、圓滿な家庭――永年それらを希求しつゝ、そして誰もが同じやうに反對の方向に沈んで行き、その結果が肺病か狂氣かだ。さうした哀しき仲間を、自分は見過ぎた。それが避け難い自分等の運命なのだ。自己の意志も、他からの強制も、ある程度までしかの效力が無いのだ。自分は昨年の震災當時まで足かけ五年間、建長寺内の山の上の寺の暗い部屋で、蟄息的な生活を續けて來た。「東京へ出たまへ。明るい世界へ出たまへ。こんなところに居ると、君の氣持は暗くなるばかしぢやないか」と、その時分ある友人が自分に忠告的に云つて呉れた。「駄目なんだよ。それが出來ないんだよ。自分の内のいろ〱なものが傷つき、弱つてしまつてゐるんだ。それで、さうした明るい激しい世界には迚も堪へられないんだよ。神經も身體も普通の人間に、こんなところに一ヶ月も居れと云つたつて、辛抱出來ないと同じ譯さ」と、自分も答へたことがあつた。人間誰しも好んで暗い道を選びたくはないのだが、身内の魔物の不斷の脅威に、自分等はいつの間にか征服されてゐるのだ。……

さびしき妻より――東京から𢌞されて來た妻の手紙の文句の後に、斯う書いてあるのを讀むと、今更のやうに自分もさびしく、うら悲しい氣持になる。この手記は最初から妻にあてて、おせいとのいきさつの一切を謝罪的な氣持で書くつもりだつたのが、いつの間にか、最初の心持から反れたヘンな小説めいたものになつてゐたと云ふことも、いろ〱な意味から自分をさびしく思はせる。が兎に角自分は、一日も早くこれを金にして、山を下らなければならないのだ。七月以來妻と自分との間が一層疎遠になつてゐる。亡父の三周忌におせいを伴れて行つて會はせたのが、失敗だつたのだ。今度はこの手記で、妻の諒解を求めるつもりだつたのが、また失敗である。やはり、自然の時を待つほかないのだ。(さびしき夫より)……

「欺く」と云ふ題で、今月號のある婦人雜誌に發表した三十枚程の短篇が、たうとうKの絶筆となつた。十月三日は珍らしく快晴だつたので、自分は午後から湖一周の新道をひとまはりして疲れて歸つて來ると、机の上にKの細君からの電報が載つてゐた。(ゴゼン三ジニシス)萬事終れりである。午前六時五十分の電報だつた。臨終の時間から考へても、恐らく細君一人のほかには誰もゐなかつたに違ひない。

「それにしても、もう一欺き二欺きしても、生き延びれなかつたのかなあ……」唯一の飮み相棒でもあつた彼に、自分は心の中で盃をさゝげた。

(キムラサンシス、セトシバンジセワス、アスクニヨリオヂクルヨシ、ヘン)午後五時におせいが打つた電報は、翌日の十時頃配達になつた。(カヘレヌバンジハカラヘ)自分は斯う返電を打つほかなかつた。

「欺く」と云ふのは、二三年前Kが窮乏の餘り、萬事盡きて、郷里の他家へ嫁いでゐる唯一人の親身の姉へ、急病來て呉れと云ふ僞電を打ち、姉が丁度流産したばかしの時だつたので、本家に當る叔父が、遙々と備後忠海町から急行でやつて來たのを夫婦でのこ〱東京驛に出迎へた――その時のことを、正直に、素直に書いたものだつた。「わしはもう十中八九駄目と思うて、これ、この通りぢや」と叔父はカバンの中から黄平の紋附、羽織、袴なぞ取出して見せた――と云つたやうな文句もあつた。その叔父が今度もまた出て來る譯なのだが、今となつては、その「欺く」一篇は、叔父への謝罪文となつたやうなものだ。

「欺く」を自分は原稿の時に讀まされたが、それで見ても彼が如何に永年の間ひそかに病苦と戰ひ續けて來たかが、わかるのだ。そしてまた今更のやうに、永年の間彼の努力の足りないことを責めて來た自分の鈍感を、耻かしく思ふ。

編輯者の好意から「欺く」はすぐに金に替へられたが、婦人雜誌に載せるものとしては餘りにヂミ過ぎると云ふので、もつと華かなものと云ふ先方の注文から、それの代りを執筆中、丁度一ヶ月前九月四日午後二時に咯血したのだつた。その一週間前の二十八日の日に、彼は下宿に訪ねて來て、二人で遲くまで飮み合つた。

「しつかりしろよ。細君が氣の毒ぢやないか。……先方の好意に對しても、欺くはまた他に處分できるから、その代りを早く書いてやれよ。締切が五日頃なんだらう。……」

「やるよ。大いにやるとも! 俺もな、此頃はほんとに一生懸命にやつてるんだよ。君の云ふやうなものでもないんだぜ。嘘だと思ふならワイフに訊いて見ろ!」彼はいつになく、昂然として、睨みつけるやうにして云つた。その晩が、彼との飮み納めだつたのだ。

新聞の廣告で、「欺く」が十月號で發表されることを知つた。そして彼の絶筆が、創作欄に入れられず、趣味欄と云ふところに入れられてあつたと云ふことは、不遇作家としてのKの一生を、何よりも有力に語つてゐるものだ。そしてこの、「欺く」の作者ほど、自をも他をも欺き得なかつた人を、自分はほとんど知らない。

(キムラサンアスヨル八ジタツ)八日午後おせいが打つた電報である。自分はその時刻に、湖畔の暗い道を十二三町、湖水の落ち口、湯瀧の上に新道でかけられた巖丈な荒削りの橋の上に立つた。宿の階下では二百人近い學生の團體客が、食後の茶話會とかで大騷ぎをしてゐた。自分は獨りで酒を飮んでゐるに堪へない氣持だつた。高さ四十五丈、巾數丈と云ふ瀧の音は、橋の上に立つた自分の脚をわなゝかせた。後ろは暗い死のやうな湖面だつた。自分は手を合はして默祷した。「Kよ許せ!……」細君と叔父に護られ、二三の友人に車窓まで見送られて、一壺の骨となつて、今や永久に彼には辛らかりし都會を去るのだ。そして彼は最早「悲鳴を揚ぐる」の人ではないのだ。悲鳴を揚げつゝ登つて來て、十五年來の親友の死すら見送りに行けない自分も、決して幸福ではないのだ。彼は有名無名――そんなことを死際まで氣にしてゐるやうな男ではなかつた。咯血後最初に見舞つた時に、自分には彼の覺悟がわかつた氣がした。無名にして陋巷に窮死する――それもこれも仕方がないのだ。是モ好シ山堂無月ノ夜、一天ノ星斗闌干ニ墮ツ――さうだ、Kよ! 自分は心から君の靈の光榮を信ずる。

底本 / Source edition

底本:「子をつれて 他八篇」岩波文庫、岩波書店
1952(昭和27)年10月5日第1刷発行
2009(平成21)年2月19日第9刷発行
底本の親本:「葛西善藏全集」改造社
1928(昭和3)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2011年3月28日作成
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リリース / Release
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TEI
/works/051220_000984/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/051220_000984/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/051220_000984/

葛西 善蔵「湖畔手記」(旧字旧仮名)、底本『子をつれて』岩波文庫、岩波書店、1952年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 051220_000984, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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