Soranoha

蠢く者

うごめくもの

葛西 善蔵

父は一昨年の夏、六十五で、持病の脚氣で、死んだ。前の年義母に死なれて孤獨の身となり、急に家財を片附けて、年暮れに迫つて前觸れもなく出て來て、牛込の弟夫婦の家に居ることになつたのだ。その時分から父はかなり歩くのが難儀な樣子だつた。杖無しには一二町の道も骨が折れる風であつたが、自分等の眼には、一つは老衰も手傳つてゐるのだらうとも、思はれた。自分も時々鎌倉から出て來て、二三度も一緒に風呂に行つたことがあるが、父はいつもそれを非常に億劫がつた。「脚に力が無いので、身體が浮くやうで氣持がわるい」と、父は子供のやうに浴槽の縁に掴まりながら、頼りなげな表情をした。流し場を歩くのを危ぶながつて、私に腕を支へられながら、引きずられるやうにして、やうやくその萎びた細脛を運ぶことが出來た。

「こんなに瘠せてゐるやうで、これでやつぱし浮腫むくんでゐるんだよ」と、父は流し場で向脛を指で押して見せたりした。

「やつぱしすこし續けて藥を飮んで見るんですね」

「いや、わしの脚氣は持病だから、藥は效きかない。それよりも、これから毎日すこしづつそこらを歩いて見ることにしよう。さうして自然に脚を達者にするんだな。そして通じさへついて居れば……」と、父はいつも服藥を退けた。

父、弟夫婦、弟たちのところから小學校に通はせてある私の十四になる倅、父が來て二三日して産れた弟の長男――これだけの家族であつた。牛込の奧の低い谷のやうになつたごみ〱した町の狹い通りは、近所に大きな印刷會社があつて、そのため人通りも荷馬車などの往來も、かなり劇しかつた。さうした通りを、午前午後の時刻を計つては、日當りのいゝ玄關わきの二疊に寢かした赤んぼを根氣よくあやした後で、田舍から着て來た帽子のついた古外套に腰の曲つた身體をつゝみ、竹杖に縋つては、よち〱と軒下を傳ふやうに歩いてゐる父の姿に、偶然鎌倉から出て來た自分が出會ひ、思はず涙を呑むやうな氣持に打たれたことがあつた。自分には、父の氣持が解る氣がした。「父の散歩!」悲しい微笑の氣持で自分は斯う呟いたが、むしろ、それは傷ましい氣持のものだつた。父は孫たちのために生きたく思つてゐる――自分は心の中で父に感謝した。

私と同じやうに父は酒飮みで、どんな病氣の場合でも酒を節するとか、養生に努めたりするとか云ふやうな性質の人ではなかつた。田舍にゐても生來の氣無精と脚の不自由から、滅多に外へは出なかつた父が、この東京のごみ〱した劇しい通りの街中を、脚を達者にするため散歩する――さうした父の心持は、生活に對する自分等の心持までも、いくらか明るい方に向けて呉れた。

父は三度ほど、弟や私の倅といつしよに、私の五年越し部屋借りの、建長寺内の山の上の寺に來て、夜遲くまで酒を飮み合つた。

「此頃やはり、毎日少しづつでも歩くせゐか、脚の具合がたいへんいゝやうだ」と、最後に見えたのは三月下旬だつたが、父はさう云つて悦んでゐた。

「それは結構ですね。しかし、何しろあの邊はあんなにひどい通りだから、散歩も餘程氣を附けなさらないと。もしなんでしたら、どうです、當分こつちへ來てませんか。この通り部屋は廣いんですし、閑靜ですし、散歩も庭だけで間に合ふんだから……」

「いや、わしが來たところで仕方がないさ。獨り者のお前のところより、やはり子供たちといつしよの方がいゝ。わしには東京の散歩で結構だ」と、父はかぶりを振るやうにして云つた。

がその父の日課の散歩も、それから後いくらも續かなかつた。五月初め頃から父は床に就くやうになり、七月中旬に死んだ。一切の藥餌も受けなくなり、絶食同樣の日が二十日近くも續いて、ほとんど骸骨のやうに瘠せてしまつたが、元來が頑丈な體質の、殊に永年の飮酒や持病の脚氣にも左程に弱らされてゐなかつたらしい強い心臟のために、却つて死の苦痛を長引かせることになつた。失敗と不幸の一代を送つて來て、殊に生の執着心を失つてゐたらしく見えた父の、最後に見せて呉れた根強い生への執着は、其後自分にいろいろなことを考へさせた。……

が、こゝまで書いて來て、フツト、自分ながらひどく意氣込んで書いて來たことにテレた氣持になり、ペンを止めて、ついこの四五日前から始めた日課の散歩にと、下宿を出た。六疊の部屋の隅の壁に押附けられたやうに坐つて、何ヶ月にも油も附けない蓬々とした櫛卷の髮を見せて、おせいは、此間友人のTの細君から裏地まで添へて貰つて來た木綿縞の袷を、幾日かかゝつて縫つてゐるのを、今日もひろげてゐた。自分は外套を着、鳥打帽をかぶつて、默つて出て來た。

近くの本郷三丁目の交叉點を横切るのさへ、自分にはいつもかなりの思ひだつた。きまりのやうに一二囘は屹度交通巡査の合圖を躊躇した後、思ひ切つて不自由な脚してよちよちと駈けるやうに線路を越して、初めてほつと息を吐く。そこから左り側の歩道を、店屋の飾り窓を覗いたり、本屋の雜誌の表紙を見たり、露店の古本をひやかしたりしては、出來るだけゆつくりと一高前の角のところまで歩き、そこから同じ道を歸つて來る。――と云ふだけのほんの短い散歩なのだ。父のやうに竹の杖は持たないが、外套の襟を立て、兩手をポケツトに突込み、背を曲げて、膝の屈折が自由にならないやうな頼りない感じで、一歩々々と氣をつけて歩くのだ。一二ヶ月前から痲痺の感じは消えたのだが、運動筋の神經は容易に恢復しないのらしい。自分はあの窪地のごみ〱した通りを歩いてゐた父の姿を思ひ出す。そして自分の姿を顧みる。だが散歩と云ふことも、日課とするべく何と云ふ億劫な、面白味のない退屈な仕事だらう。父にもさうだつたに違ひないのだ。だが、父は長生きしたいと思つてそれを續けたのだらうが、俺もやはり、それなんか知ら? 同じ退屈するなら、やはり蒲團の中にもぐり込んでゐるか、地震で柱の歪んだ部屋の黄色い壁――附鴨居の下の天井下の小壁などにひどいひゞを見せた壁に向つて、煙草の煙でも吹いてゐた方が、まだしもましぢやないか知ら? 部屋の隅にはおせいが借りられて來た猫かのやうに、座蒲團も敷かず火鉢も當がはれず、ぼろ〱になつた着物を着て、背を丸くして坐つて、ちよい〱臆病らしく眼をあげて俺の不機嫌な顏色をぬすみ見てゐる。俺は氣の附かないやうな風をして「これがまだ二十五と云ふ若い女なのだ。そして俺だつてまだ三十八と云ふ年齡の男なのだ。それがどうしたと云ふのだらうこの老いぼれ方がさ……」と云つたやうなことを、ぼんやり考へてゐる。それが、斯うした生活が、もう半年から續いてゐる――とふと考へて來ると、自分は譯の分らない呻き聲のやうなものが、腹の底からこみあげて來るやうな衝動を感じて、ついふら〱とこの億劫な日課に出かけて來ると云つたやうな氣持でもあつた。

三月上旬だと云ふに、前晩の小指大の雹が降つたとかで、厭な寒い風の吹く日だつた。一高前から例に依つて引返さうとして、ふとTの休みの日なことを思ひ出し、勇氣を出して駒込まで歩いて行つた。Tは二三日前から風邪を引いて休んでゐると云つて、床に就いてゐた。

「君の方へも何とも云つて來ないかい? 僕の方へもあれつきりなんだがね……」と、Tが私が坐るなり云ひ出した。

「いや、僕の方へは何とも云つて來つこないだらう、あゝして歸したんだから。それにしても君の方へ何とも云つて來ないと云ふのは、をかしいね。また人事相談へでも持込むつもりかね。無茶なことを考へ出されちや、弱るからね」

「人事相談とはしかし考へたもんだね。が二度とはもうあんなことしやしないだらう。だいぶ悄げてゐたやうだつたぢやないか」

「しかし田舍の人たちのやることはわからないからな。どつちみちあれが歸ると一等いゝんだがね。無理に追出すと云ふ譯にも行かず、實際今度は僕も弱つたよ。仕事は手に附かず、下宿の方は溜るし、いつそどこかへ遁走でもしようかと考へてゐる」

「そいつは可哀相だよ。それにしても一體どんな考へでゐるのかね。あの子も。一生君のそばに居りたいと云ふほどの考へでもなささうだし、君の妻子のことも何もかも承知してゐるんだしね。それに毎日あゝして小さくなつてゐて、晩には晩で醉拂つては打たれるだらうしね。それでも歸らうとは云はないんだから、一寸あの子の了見にもわからないところがあるね」と、Tは探るやうな眼付を見せた。

「それが僕にもわからないんだよ。それがはつきりわかつてゐると、どうにも僕の氣持をきめることが出來るんだけれど、幾ら問詰めて行つても更にはつきりした手應てごたへがないんでね。そして何かしら野生の動物めいた感じの執拗な眼付をして、あゝしていちんち部屋の隅つこにうずくまつてゐるんだから、つい酒でも飮むと打つたりなんかするやうなことになるんだよ。ゆうべも夜中に隣りの學生君に怒鳴られたよ。解決は明日俺がつけてやるから、今夜は寢つちまへ、毎晩々々勉強の邪魔ぢやないか、もう二時だぞ、人間には誰にだつて神經と云ふものがあるんだからね――ひどく叱られちやつたね」

「神經があるはよかつたな。何しろ下宿でひどく迷惑してゐることだらうから、少し氣をつけるんだね。自分の身から出た錆ぢやないか。それでは兎に角先方から手紙の來次第僕が鎌倉へ行つてどつちかへ話をきめて來るが、その結果で、それでは當分君のところへ預けると云ひ出したら、君にそれだけの責任が持てるか?」

「そりや仕方がないだらう。僕は田舍の女房にもすつかり打明けて、田舍へ引込むやうな場合には伴れて行つてもいゝと云ふことになつてゐるんだがね、唯一つ困つたことは、あれがもう姙娠してゐて、何故かそれを俺に隱してゐるんぢやないかと云ふ氣がされて仕方がないんだがね。それを此間來た叔父さんと云ふのに打明けたか打明けなかつたか、打明けてあるとすると、君が出かけて行つても話が一寸面倒になると思ふんだ。俺は實際永い間あれが女だと云ふことを頭に入れたことがなかつたやうで、今度いつしよに居られて見て、初めてあれもやはり女と云ふ恐ろしい難物なんだつたと氣がついて見ると、俺も實はほんとから怖くなり出して、此頃では僕の方がだん〱降參しかけてゐる形なんだ。子供の出來ることは怖くないが、女そのものが俺には怖い……」と自分もつい昂奮して來て、嘆息するやうに云つた。

「それは迂濶だつたねえ!」と、Tも難かしい顏付を見せて云つた。

「たしかに迂濶だつた。僕もあれが來た當座から、そのことを考へなかつたわけではなかつたのだが、どうも、不自然な防ぎ方をしようと云ふやうな氣にはなれなかつたのだね。あゝ、自然と云ふ奴にはかなはないなあ……」と、自分はまたも嘆息せずに居れなかつた。

「しかしそれが、確かにさうなのか? さうときまつたとなると、一寸問題だよ」

「それが僕にもはつきりしたことがわからないのだ。あいつが何かしら意地くねわるい氣持から俺にまだ隱してゐるのか、さうらしく見せかけてゐるのか、どうもよくわからない、よし! 今夜こそひとつはつきりと訊きいて見てやらう……」

「そんな話は醉はん時優しく訊いて見る方がいゝから、今夜は止したまへよ。もし何だつたら、うちの細君に訊かして見るから、何とか云つてうちへよこすことにしたまへ」

Tに忠告されて、すつかり疲れた暗い氣持になつて、電車で歸つて來た。ところがまた、その晩遲く、醉つた揚句に飛んでもない淺ましい活劇を演じてしまつた。

姙娠の詰問から、つい此間の警察の人事相談の方へと脱線したのが始まりだつた。日暮れ時分巡査が差紙を持つて來て、おせいが顏色を變へて行つて見ると、鎌倉から叔父が出て來てゐた。が結局警察でも「もう子供のことではないんだから、無理に引擦るやうにして伴れて行つても、女の方から追かけて來るやうなんだと、また飛び出して來るんだから、そこはよく納得の行くやうに話をして、伴れて歸るがいゝだらう」と、叔父に云ふほかなかつた。おせいには「お前さんは、その人への貸金を取立てゝ歸ると云つて出て來たんださうだが、今訊くと、うちへは當分歸りたくないからどこか奉公口の見つかるまでその人の下宿に厄介になつて居ると云ふんだが、そんなに永く厄介になつてゐて、もし宿料でも請求されるやうなことにでもなると、折角のお前さんとこの貸金だつて取れないやうなことにならんとも限らんからね。よくその邊のことも考へて見て、叔父さんといつしよに歸ることにしたらいゝだらう。兎に角一應その人の下宿へ行つてよく相談するんだな」と云つた。叔父はその晩私の部屋に泊つたが、結局伴れて歸ることが出來なかつた。

「俺が迷惑だ! 歸れ! 歸れ!」と、自分は例の調子で、眼を据ゑて、大聲で怒鳴つた。「いきなり警察へ持込んだりなんかして、俺だつていゝ恥さらしぢやないか。惡黨奴! お前さへ歸つて行けば、双方に文句がないんぢやないか。一體どんな氣持で、いつまでも斯うしてゐるのか、それをはつきり云つて見たらいゝぢやないか。俺が迷惑だと云ふことが、お前にわからないのか。俺は獨りになりたいんだ。それでないと仕事が出來ないんだ。さう頼むやうに、云つて來てるんぢやないか。斯うして毎日氣を腐らして、仕事は出來ないし、宿料は溜るし、今日も女房から、長男も長女もこの頃入學試驗の準備で夜も十二時近くまで勉強してゐる、せめて毎日玉子の一つ宛でもやりたいと思ふがそれも自由にならない有樣で不憫だと、云つて來てる位なんだ。さうした受驗準備の費用さへ俺には送れないんだ。試驗が受かれば受かつたで、その準備も考へなければならないんだから、そして後一ヶ月と間がないんだからね。兎に角明日にも早速歸つて行つて貰はう。俺も隨分永い間お前の厄介になつた。それは知つてる。がそれは、別の方法で屹度返す。が斯うした下宿での同居生活だけは、これ以上俺には我慢が出來ない。そして田舍の女房子供たちまでも、お前といつしよのことを知つてゐる。そして俺は子供たちに玉子喰はす金さへ送れないのだ。歸つて呉れ! 歸つて呉れ! 俺は氣が狂つちまふぞ! 氣が狂つちまふぞ!」と、自分は齒をギリ〱噛み合しながら、あたりの學生たちが此頃試驗前の勉強中なのも忘れて、怒鳴り續けた。

今朝妻の手紙を讀んだ時には左程にも強く感じなかつた玉子と云ふ言葉が、斯う怒鳴り續けてゐるうち、醉拂つた頭の中にふと閃くやうに喚びかへされた。自分は一寸眼を瞑つて、拂ひ退けたい氣持から、頭を激しく振つて見た。あの九月一日の地震當時の思ひ出――鬼門々々、あれが一切の破壞者だつたのだ。「だが玉子? 玉子がどうしたと云ふんだつたつけな?……あ、さうか、俺はその玉子で生命を助かつたと云ふ譯なんだ」と、はつきり考へ浮んだ。

その日も自分は遲く起きて、宿醉ひの氣分で朝飯を拔いて、机の上に鏡を立て、石鹸の泡を顏いつぱい塗りたくつて、右の揉上げから剃刀をスーツと一當て頬へと下ろしたところへ、丁度ドシンと來た。自分は剃刀の手を止めてあたりを視𢌞したが、何しろ古いには古いが巖丈に出來た建物のことだから、裏の崖崩れは恐れたが家は滅多に潰れるやうなことはないと、泡を喰つて飛び出すほどの決心は咄嗟には起らなかつたのだが、十疊の入り口の杉戸を一枚開けて風通しのいいところへおせいが朝運んで來て置いて行つたお鉢の上にお膳が載つてゐて、小丼の中にその日一日分の玉子の三つが積まれてあつたが、その一つが疊の上に落ちて流れ出した。

「これはかなり強いぞ。疊を汚してはいけないな……」自分は斯う思つて、まだ一寸無精してゐたい氣持だつたが、剃刀を机の上に置いて、お膳の傍まで二間程の疊の上を歩いて行つた時、グワラ〱ツと來て激しく自分の身體が杉戸に打つかつたので、そのまゝ半ば夢中で跣足で玄關から飛び出し、匐ひずるやうにして二間程も外へ出て、ふと後をふり返つた刹那、二階建の茅葺きの棟がペチヤンとなつてゐた。玄關わきの茶の間にゐた老僧夫婦と門前通りの男の人で、樒の枝を貰ひに來てお茶を飮んでゐた三人とが、下敷きになつた。幸ひに三人とも怪我もなく半時ほどして出て來たが崖崩れが續き、五寸程の地割れが出來たりして、辛うじて芍藥畑の隅の山茶花の下に戸板を持つて來て老僧夫婦と自分との三人が寄りかたまつて、搖れて來る度に山茶花の幹にしがみ附いてゐた。建長寺内の大建物は山門を殘したほか悉く潰れて、大方丈の裏の大崖はまださかんに凄まじい音を立てゝ崩れてゐた。二時間ほどしたが自分等の山の上の寺を誰も訪ねては來ず、自分も老夫婦を殘して下の樣子を見に行くのも氣がかりだつた。自分は高い石段の上から杉の樹の間を通して建長寺の大本堂、方丈、佛殿などの潰れた屋根を見下ろして、さつきの叫び聲から想像してもかなり人死にもあつたことゝ、云ひやうのない氣持で突立つてゐた。さうした場合、最初に、石段の下から、「Nさん生きてゐるかよう! みんな生きてゐるかよう!」斯う泣き聲を振り立てゝ、半ば狂亂の姿の藁草履穿きで、石段が刎ね、上からケシ飛んで行つた井戸の屋根、中程から折れた直徑七八寸程の杉の木、倒れた門の茅屋根――さうした間を、危險も忘れたかのやうに駈け上つて來たのは、おせいだつた。「生きてる! みんな生きてるぞ!」自分も思はず大きな聲で叫んだ。その時のおせいの顏を、自分は忘れることが出來ない。落ちて疊の上を流れた玉子と、おせいの眞劍な泣き顏――その印象が、恐らく一等強く自分の頭に燒きつけられてゐるかも知れない。自分はそれまでは毎食に一つは生玉子を飮むことを缺かさなかつたのだが、東京へ出て來て、生玉子を飮むと屹度下痢をするので、以來は絶對に生では用ひないことにして來た。自分の健康があの時以來ひどく損じられ、胃腸の弱つた爲めには違ひないが、同時に自分の弱い神經が極度に傷つけられ、脅え、その爲め斯うした病的な生理作用を來たしてゐるのではないかとも、考へてゐる。

がその、玉子、おせいの顏、田舍の妻の實家に食客さしてある三人の子供――この三つのものが、この晩の自分の醉拂つた頭の中に何か知らそぐはないばら〱な感じ――それがふと妻の手紙に口を滑べらしてから、醉拂ひの錯亂した神經が、更にカツと燃え立つて來た。それに、つい三四日前の日のことだが、自分のところに珍らしく三人ほど客がいつしよになつた。そんな場合、下宿から借りてゐる小さな茶器では隨分不自由だつた。何しろ自分は震災後五日目に、汚れた單衣一枚で出て來たのだつた。野天で二晩、おせいの家は潰れなかつたので二晩泊めて貰つたが、食糧の缺乏に脅かされ切つてゐた當時のことで、自分にはそれ以上踏み止つてゐるだけの勇氣が出なかつた。自分には人間の美しさ、誠實なものゝ代りに、醜くさ、淺ましさのみが、その短い數日間に、露骨に味はゝされた。自分はおせいの家に滯つてゐた食料の借金の證書を書き――自分は草鞋を穿いて出發の用意が出來、そして切手を賣る店も無論潰れてゐる際、額面相當の印紙を貼らせようとおせいの爺さんが大騷ぎをして搜しにやらせたり――そんなことが自分の出發の氣分を一層慘めなものにして、追ひ立てられるやうに、五年越し居馴染んだ建長寺内を出て來たのだ。おせいは門前の通りまで送つて來たが「すぐたよりを下さいね」と、幾度も念を押して云つた。「よし〱、すぐよこすよ」と云つて、やう〱引き出した小さなトランクに机の上や抽斗のものなど入れたのを背負つて、竹の杖を突いて歩き出したが、心の中では、迚も二度とはこの場所に足を踏み入れる勇氣はないと云ふことは、はつきりと考へられた。そして途中程ヶ谷驛の庇下に一晩ごろ寢をして、翌日東神奈川からやう〱のことで汽車に乘り込み、鎌倉に行く前にゐた今の下宿に轉げ込むやうにしてはひつたのだが、來る早々、二三年前から兆候のあつた脚氣が、ほとんど衝心的な状態で起つて來た。そんなわけで、使つてゐる机、座蒲團、ドテラ、茶器の類まで一切下宿からの借物で、着てゐる着物も友人の誰彼から、羽織、綿入をと貰ひ集めたものだつた。おせいが十月初旬出て來た時、幾らかの金を仕度して、せめて夜具だけでも持つて來いと云つてやつたのだが、爺さんは渡してよこさなかつた。おせいはその日空手で、金の受取さへ持たずにすぐ引返して來た。貧乏な自分ではあるが、五年越し世帶持同樣の獨り暮しを續けて來て、いつとなしこま〱した物が集つてゐたので、斯うして急に下宿生活をして見ると、何かにつけかなり不自由だつた。金で一度に買ひ揃へれば、いゝぢやないか――さう思ひ諦めても、氣の濟まないやうな品も、無いこともなかつた。額も少なかつたが、しかし無理工面の金を持つて行つて、空手で、而も一向不得要領で歸つて來て、いつまでも、ずる〱と居催促のつもりで居るのか――斯う思ふと自分は腹が立つた。おせいが來た時分は、便所への起ち歩きも、困難な状態だつた。で、しばらく世話をしてゐて呉れ――斯う頼んだのは、自分の一生の失策だつたか知ら? Tがおせいの叔父にも云つたやうに、おせいの方でも餘りに永く世話をし過ぎ、自分の方でも餘りに永く厄介をかけ過ぎた――さう云つた譯合ひのものでもあらうが、が自分に取つてはおせいはその永い間、一人前の女だと云ふ感じさへ起させなかつた――三度三度山の下のおせいの家から岡持ちでご飯を運び、晩にはお酌をして床に寢かしつけて歸る、病氣の時には看病もする、さうした調法と云ふだけのものだつたのだ。それが今では朝自分が眼をさますと、狹い六疊の部屋に、やはり借り蒲團の床を敷き並べて、赭茶けた蓬々とした髮の頭を枕からはづして鼾をかいて眠つてゐる。自分は毎朝幾度か搖り起さなければならない。それだけのことからも自分の寢起きの氣分が滅茶々々にされて、それから晩酌にかゝる時刻まで、終日いら〱した氣持を依怙地に抑へつけては、汚れた黄色い壁に向つて、暗い空想の繰返しを續けてゐなければならないのだ。二人とも幾日にもお湯へも行かなければ、調髮もしない。そしておせいもやはり執念深く默りこくつては、終日部屋の隅つこに坐りつゞけてゐる。自分は年の暮れに迫つて、郷里に妻子を見舞ひ、自分の健康上から、また子供たちの爲め村に小屋でも造つて久しぶりで家族生活を營むべく、その下相談に歸り、妻の實家に一週間ほど滯在して來た。その時おせいは置き去りにでもされることと思つたか、泣いて同行を迫り、やう〱下宿のお上さんたちの調停で思ひ宥めさしたが、後から自分の俥を追ひかねまじき氣配で、汽車が上野を出て、初めて自分はほつと息を吐いた。自分は妻に彼女のことを打明けて頼むほかなかつた。

「そりや迚もたゞでは歸りますまいね。あなたも飛んだいゝものを掴まへて結構ですわ。あなたが色男だからなんでせう。わたしの方ではちつとも構ひませんから、どうぞ伴れて來て下さい」と、もう鬢に白毛を見せ始めた、過激な臺所仕事ですつかり窶れ切つた妻は、自分の鬚に無數の白いのを見せ、頭の地の薄く透いて見える、室内もよち〱と歩いてゐるやうな自分を前にして、斯うひやかすやうに笑ひながら云つた。

「いや決してさう云ふ譯ではないんだがね、何しろあの女には親父が死ぬ時も隨分世話になつてゐるし、この春弟の細君の病氣の場合も厄介をかけてゐるし、自分だつて病氣のし通しだつた。夏には赤痢めいたものまでやつて、その揚句が今度の脚氣だ。そんないろんな因縁からも、無理に追ひ出すと云ふわけにも行かないんだよ」

「だからわたしの方ではちつとも構やしませんから、今度は伴れていらしつたらいゝでせう。さうなつたら誰にしたつて、おいそれとは素直に出て行きやしないもんでせう」

「借金を綺麗に拂つてやつても、出て行かないか知ら?」

「それはわかりませんね。先方の親たちはどんな風に考へてゐるか、その娘さんだけの考へではないかも知れませんからね」

「そこだて、俺の弱るのは……」

「それは仕方がないでせう、あなたご自分の仕出來したことなんだから。そしてもう身持にでもなつてるんぢやありません?……」

「そんなことはまだない。兎に角それでは頼む。試驗が受かつて二人とも汽車で通ふことになるんだと、朝も隨分早いんだし、僕の仕事と酒の兩方の面倒はお前だけでは見きれまい。頑固な質だが、働くことは幾らでも働く女だから……」

自分は斯う云つて、妻と別れて來た。が東京に引返して見ると、同じ斯うした日々だつた。自分は明けて十二になつた次女と約束して來た學校鞄さへ、送つてやれなかつた。……

「次女はもう眠つてゐるだらうが、上の二人はそれではまだ勉強かな。まだ十二時前だからな。女房もまだお相伴に起きてゐるのかな。そして俺は、斯うして醉拂つて、おせい相手に毎晩の管を繰返してゐようと云ふ光景かね。……さうさう、それからその玉子の話か……その玉子一つ喰はせられないと云ふ例の女房の愚痴手紙と來たんだな……」三月の上旬ながらまだ雪のどつさり積つてゐる遠い郷里の、當がはれた八疊の部屋に炬燵でもして、薄暗い五燭の電燈の下でまだ勉強してゐるであらう可憐げな子供たちの姿が、醉つた自分の頭にも描き出されて、自分はおせいに向けてゐた眼をふと瞑つて、斯う心の中に呟いた。そして、それらを拂ひ退けるべく、二三度激しく頭を振つた。が、すぐまた、自分はおせいに向つて叫んだ。

「これを見ろ! どんなことが書いてあるか手前讀んで見ろ! 因業爺の娘! 上書きは男の子が自分の名前で自分で書いてよこしたんだが、中身は女房なんだ。俺は玉子で地震を助かつたが、子供等も玉子でも喰はせないと、試驗が通らないんだぞ。なんだあの因業爺奴、また此間來た叔父と云ふ男だつてなんだ、金を拂ふから荷物はよこせと云つても、何も云へやしないぢやないか。あの地震早々の場合證書を書かして追出すなんか、一種の脅喝だよ。そして勝手に自分の物をさらつて行つて、内金を持たしてやつても受取一本、ドテラ一枚渡してよこさないぢやないか。立派な横領だぞ。俺の方でこそあべこべに人事相談へなり、何へなり訴へたい位だ。金には代へられない親父の遺品だつてあるんだし、あの掛蒲團の染めた蒲團皮は、あれは死んだおふくろが嫁に來た時のを、大事にして使つてゐるんだぞ。勝手な眞似をしたら、それこそ今に屹度罰が當るから、見てゐやがれ。手前は田舍者だから本郷の振袖火事なんてことも知るまいがな、今に思ひ當るから、見てゐやがれ! しかし兎に角、もうおとなしく歸つて呉れ。俺はあんな因業爺の娘とこれ以上暮してゐることは、我慢がならないんだよ。身體も神經も、滅茶々々ぢやないか。お前のとこでは、俺に玩具にされたと口惜しがつてゐるか知れないが、自然ぢやないか。ああして五年もの間放つて置いて、間違ひがなかつたとしたら、却つて不自然なんだ。お前にしたつて、お互ひぢやないか。だから、俺の方でも謝まるから、もう素直に歸つて呉れ。明日の朝俺の眠つてゐるうちに出て行つて呉れ。桂庵とか何とかへ引かゝらずに、眞直ぐにこの間の叔父さんところまで歸つて呉れ。金はどんな都合してもこしらへるから、兎に角一應引取つて呉れ。もう半年ぢやないか。そしてその間に、俺は何一つ仕事をしてゐない。俺は親父が俺の子供等へと殘して行つて呉れた杉林や林檎畑まで賣拂つて、どうやら無理をしてこゝまで來たんだが、もうあとには何にも無いんだ。一二册あつた本も、震災で、版權でも賣りたいにも、それもないんだ。後生だから歸つて呉れ。これから先き、どう出世出來ると云ふ自分でもない――それもわかつてるだらう。俺は仕事が出來ないんだ。氣が狂つちまふ。俺の子供たちのことも不憫だと思つたら、おとなしく出て行つて呉れ。俺は斯うして酒なぞ飮んでゐられる場合ぢやないんだ。この手紙を讀んで見ろ! 讀んで見ろ! どんなことが書いてあるか、讀んで見ろ!」自分はおせいの顏に手紙を突きつけるやうにして、斯う大聲で云つた。

「讀まなくたつて、わかつてますよう」と、鼠色に汚れたエプロンの下に兩手を差入れてぢつと聽いてゐたおせいは、斯ういつもの突かゝるやうな調子で云つた。

「讀まなくては、わからない。だが讀みたくないものを讀ませはしないから、それでは明日は歸るか?」

「わたし、歸りません!」

「歸りません、と云つたつて、俺は歸すよ。もう大抵にして、歸つて貰はうぢやないか。下宿へだつて、迷惑ぢやないか。居催促としては執念深過ぎる!」

「……あたい、それでは、いつ居催促だと、云つた! いつ云つた!」おせいは斯う云つたが、唇を歪めて、今にも泣き出しさうな顏して、男のやうに濃い眉の下の小さな眼をいつぱいに瞠つては、自分の顏を正面まともに視た。

「いつ云つたつて……さうぢやないか、そのほか理由がないぢやないか。兎に角迷惑だから、出て行つて呉れ。警察でも、お前はさう云つて來たんださうぢやないか。兎に角明日の朝は、俺の寢てゐるうちに出て行つて呉れ。出て行つて呉れさへすると、文句はないんだから」

「あたい、何と云はれたつて、出て行かない。追出されたつて、出て行かない。家へも歸らないし、どこへも出ても行かない。行くもんか!」

「惡黨! 何と云ふ剛情な奴かねえ! 如何に因業爺の娘だからつて、ほんとにわからないのかなあ。……それでは一體居催促でないとすると、何なんだ? それをはつきり云つて貰はうぢやないか。また家へ歸つて、茶店の前に立つて、厭らしい聲して、寄つていらつしやい、お歸りなさいまし、お休みなさい、よう――てなことを云ふのも厭だから、それで當分の間何か奉公口でも見つかるまで置いて呉れと云ふのか、それともどこまでも俺のところにゐたいと云ふのか、兎に角それをはつきり云つて貰はうぢやないか。このまゝずる〱べつたりでは、俺は迷惑だと云ふんだ。兎に角はつきり云つて、頼むなら頼むで、はつきりして貰はうぢやないか。云つて見たらいゝぢやないか。剛情だなあ……何と云ふ惡黨かねえ。お前と云ふ女は!」

「云はないよ。誰がそんなこと云ふ奴があるか! 手前こそいゝ惡黨ぢやないか。何もかもわかつてる癖に、晝間は晝間で、夜は夜で毎晩鷄の鳴く時分までもそんなことを云ひ出しては人を虐いぢめ拔いてやがつて、誰が出て行つてやるもんか! 一生でも取附いてやるからね……惡黨! 薄情野郎奴! 忘れやがつたかよ、この惡黨野郎奴が!」齒を喰ひしばり、眼を血走らせて、蓬々とした髮の中から角でも出さうなやうな形相して、おせいも斯う叫び罵つた。

「ム……この獄道者が! 因業爺は爺として、あのおふくろの心配が、貴樣にはわからないのか。だからなぜ最初おふくろが迎ひに來て呉れた時に、素直について歸らなかつたんだ。永い間あのおふくろが、俺たちのことを庇つてゐて呉れたんぢやないか。その義理としても、俺は一日だつて貴樣を置いてやるわけには行かないんだ。たつた今のうち出て行け! 桂庵へなりどこへなり、勝手に出て行け!」

「誰が出て行くもんか。老ぼれ! お前さんの方で出て行くがいゝ、あたいは行かないよ。なんだその、眼鏡なぞかけて、鬚なぞ生やかしたつて、ちつとも怖かないんだよ」

「何だと、老ぼれ……もう一遍云つて見ろ。……毆ぐられるな!」

「何遍だつて云つてやる。云つてやるとも!」

自分の右の拳固が、おせいの丸く紅い頬桁目がけて、二三度續けざまに飛んだ。が勢ひよくうまく當らなかつたので、今度は起ちあがつてふら〱する脚をあげて蹶飛ばさうとしたが、「何、この老ぼれ野郎が、人を蹶飛ばす氣か。……敗けやしないぞ! 敗けやしないぞ!」斯う云つて、彈力の塊りそのものゝやうな勢ひで、兩手を突張りながら向つて來て、自分はひとたまりもなくドシンと壁際に打倒された。おせいは胸倉を取つて、上から武者振りついて來た。そして起きあがらうと踠いてゐる自分の背中の上へ、裂け目の上の附鴨居が壁土といつしよにドシンと落ちて來たので、自分はカツと夢中になつて、「こん畜生! 〱」と叫び續けてゐるおせいの顏や頭と處構はず打つたり蹶つたりしてゐたが、ヒーツと云ふ悲鳴を聞いて、手足を止めておせいの顏を視ると、口からタラ〱血が出てゐたので、自分もゾツとした。それでまた彼女は氣でも狂つたかのやうにしがみ附いて來た。

「こん畜生! こん畜生! お前はあたいのあれを忘れたね。あたいのあの、大事なあのことを、忘れてゐるんだわ、お前さんに見せこそしなかつたが、もう形がちやんと出來てゐたんだよ。丁度セルロイドのキユーピーさん見たいに、形がちやんと出來てゐたんだよ。あたいが誰にも氣附かれないやうに、そつと裏の桃の樹の下に埋めて、命日には屹度水などやつてゐたんだよ。この十九日で、丁度になるんだよ。それを貴樣は何だ! 怳け臭つてゐやがるんかよ、忘れてゐやがるんかよ! この畜生野郎が! そんな薄情者だから、田舍のあんないゝ子供さんたちのことだつて、見てやれないんぢやないか。手前の薄情から、あたいのあれを、呪ひ殺したも同樣ぢやないか。あたいはね、默つて他所へは嫁にも行けない身體なんだよ。白を切つて他處の赤んぼを産むことの出來ない身體なんだよ。だからこそ、手前のやうな老ぼれの傍にもゐたいと、足蹶にまでされても、出て行かないんぢやないか。それが貴樣にわからないのか! わかつてゐても、わからない風をして、今まで虐め通して來たんだね? さあ、お前の方こそ、はつきり云つてご覽! それがお前に云へたら、あたいはこれからだつて、出て行くよ。出て行つてやるとも! 身投げしたつて、構ふもんか。さあ、はつきりと云つてご覽! それとも、あたいの口から、こんなことまで云ひ出させたくつて、斯うして來たのか?……エーン、口惜しい! 口惜しい!」見る間に紫色に腫れあがつた唇から血をタラ〱疊の上に滴らし、吊るしあがつた眼から涙を溢れ落して、おせいは子供のやうに泣じやくつた。

「あーん……」と、自分は打ちのめされた氣持で、彼女の兩手を取つた。

「さうか〱、もうよし〱、俺がわるかつた。俺はこの通り手をついて謝まるから、もう勘忍して呉れ。俺もほんとは、そこまでは深く考へてゐなかつたのだ。俺は唯卑怯で、そして意氣地無しだつたのだ。どうか許して呉れ。俺はもう追ひ出しもしないし、これからは決して虐めなんかしないから、今夜のところはどうか勘忍して呉れ。そして、俺は明日から屹度仕事にかゝる。そして、何もかも、いゝ方に向けるやうに、ほんとに努めるから、これまで通り俺の面倒を見て呉れ。お前の家の方へも、俺からはつきりと交渉することにする。そして身體や頭の健康も直すつもりだから、明日は退儀でもお湯へ行き、髮も結つて呉れ。田舍の子供たちへも金を送ることにして、お前の氣の濟むやうにもするから、どうか頼む。もうようく解つたから、もう泣くのをやめて呉れ……」斯う云つた自分も、知らず〱、泣いてゐた。

鴨居の取れた黄色い壁の部屋を出て、午前と午後との二度、父の姿、おせいの所謂キユーピーさんのこと、郷里の子供たちのことなどを思ひ描きながら、日課の散歩を續けた。本郷通りの銀杏の並木の芽生えはまだ見られなかつたが、空の色はすつかり春だつた。「おせいの家の、その桃と云ふのが、もう咲いてるか知ら。近いうちおせいの問題傍々出かけて行つて、見て來ようかな……」斯んなことを思つたりしては、一日々々と散歩區域を擴げることに、努めた。

底本 / Source edition

底本:「子をつれて 他八篇」岩波文庫、岩波書店
1952(昭和27)年10月5日第1刷発行
2009(平成21)年2月19日第9刷発行
底本の親本:「葛西善藏全集」改造社
1928(昭和3)年
初出:「中央公論」
1924(大正13)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2011年5月5日作成
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TEI
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書誌 / Bibliography
/works/051218_000984/

葛西 善蔵「蠢く者」(旧字旧仮名)、底本『子をつれて』岩波文庫、岩波書店、1952年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 051218_000984, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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