Soranoha

深川浅景

ふかがわせんけい

泉 鏡花、泉 鏡太郎

雨霽あまあがりの梅雨空つゆぞら、曇くもつてはゐるが大分だいぶ蒸むし暑あつい。――日和癖ひよりぐせで、何時なんどきぱら〱と來こようも知しれないから、案内者あんないしやの同伴つれも、私わたしも、各自おの〱蝙蝠傘かうもりがさ……いはゆる洋傘パラソルとは名なのれないのを――色いろの黒くろいのに、日ひもさゝないし、誰たれに憚はゞかるともなく、すぼめて杖つゑにつき、足駄あしだで泥濘ぬかるみをこねてゐる。……

いで、戰場せんぢやうに臨のぞむ時ときは、雜兵ざふひやうと雖いへども陣笠ぢんがさをいたゞく。峰入みねいりの山伏やまぶしは貝かひを吹ふく。時節じせつがら、槍やり、白馬しろうまといへば、モダンとかいふ女をんなでも金剛杖こんがうづゑがひと通とほり。……人生じんせい苟いやしくも永代えいたいを渡わたつて、辰巳たつみの風かぜに吹ふかれようといふのに、足駄あしだに蝙蝠傘かうもりがさは何事なにごとだ。

何どうした事ことか、今年ことしは夏帽子なつばうしが格安かくやすだつたから、麥稈むぎわらだけは新あたらしいのをとゝのへたが、さつと降ふつたら、さそくにふところへねぢ込こまうし、風かぜに取とられては事ことだと……ちよつと意氣いきにはかぶれない。「吹ふきますよ。ご用心ようじん。」「心得こゝろえた。」で、耳みゝへがつしりとはめた、シテ、ワキ兩人りやうにん。

藍あゐなり、紺こんなり、萬筋まんすぢどころの單衣ひとへに、少々せう〱綿入めんいりの絽ろの羽織はおり。紺こんと白しろたびで、ばしや〱とはねを上あげながら、「それ又また水みづたまりでござる。」「如何いかにも沼ぬまにて候さふらふ。」と、鷺歩行さぎあるきに腰こしを捻ひねつて行ゆく。……といふのでは、深川見物ふかがはけんぶつも落着おちつく處ところは大概たいがい知しれてゐる。はま鍋なべ、あをやぎの時節じせつでなし、鰌汁どぢやうじるは可恐おそろしい、せい〲門前もんぜんあたりの蕎麥屋そばやか、境内けいだいの團子屋だんごやで、雜煮ざふにのぬきで罎びんごと正宗まさむねの燗かんであらう。從したがつて、洲崎すさきだの、仲町なかちやうだの、諸入費しよにふひの懸かかる場所ばしよへは、強しひて御案内ごあんない申まをさないから、讀者どくしやは安心あんしんをなすつてよい。

さて色氣いろけ拔ぬきとなれば、何どうだらう。(そばに置おいてきぬことわりや夏羽織なつばおり)と古俳句こはいくにもある。羽織はおりをたゝんでふところへ突つつ込こんで、空からずねの尻端折しりはしよりが、一層いつそう薩張さつぱりでよからうと思おもつたが、女房にようぼうが産氣さんけづいて産婆さんばのとこへかけ出だすのではない。今日けふは日日新聞社にち〱しんぶんしやの社用しやようで出でて來きた。お勤つとめがらに對たいしても、聊いさゝか取とりつくろはずばあるべからずと、胸むねのひもだけはきちんとしてゐて……暑あついから時々とき〲だらける。……

「――旦那だんな、どこへおいでなさるんで? は、ちよつとこたへたよ。」

と私わたしがいふと、同伴つれは蝙蝠傘かうもりがさのさきで爪皮つまかはを突つゝきながら、

「――そこを眞直まつすぐが福島橋ふくしまばしで、そのさきが、お不動樣ふどうさまですよ、と圓ゑんタクのがいひましたね。」

今いましがた、永代橋えいたいばしを渡わたつた處ところで、よしと扉とを開あけて、あの、人ひとと車くるまと梭ひを投なげて織違おりちがふ、さながら繁昌記はんじやうきの眞中まんなかへこぼれて出でて、餘あまりその邊へんのかはりやうに、ぽかんとして立たつた時ときであつた。「鯒こちや黒鯛くろだひのぴち〱はねる、夜店よみせの立たつ、……魚市うをいちの處ところは?」「あの、火ひの見みの下した、黒江町くろえちやう……」と同伴つれが指ゆびさしをする、その火ひの見みが、下したへ往來わうらいを泳およがせて、すつと開ひらいて、遠とほくなるやうに見みえるまで、人ひとあしは流ながれて、橋袂はしたもとが廣ひろい。

私わたしは、實じつは震災しんさいのあと、永代橋えいたいばしを渡わたつたのは、その日ひがはじめてだつたのである。二人ふたりの風恰好亦如件ふうつきまたくだんのごとし……で、運轉手うんてんしゆが前途ゆくてを案あんじてくれたのに無理むりはない。「いや、たゞ、ぶらつくので。」とばかり申まをし合あはせた如ごとく、麥稈むぎわらをゆり直なほして、そこで、左ひだりへ佐賀町さがちやうの方はうへ入はひつたのであるが。

さて、かうたゝずむうちにも、ぐわら〱、ぐわらとすさまじい音おとを立たてて、貨物車くわもつしやが道みちを打うちひしいで驅かけ通とほる。それあぶない、とよけるあとから、又またぐわら〱と鳴なつて來くる。どしん、づん〱づづんと響ひゞく。

燒やけ土つちがまだそれなりのもあるらしい、道惡みちわるを縫ぬつて入はひると、その癖くせ、人通ひとどほりも少すくなく、バラツク建だては軒のきまばらに、隅すみを取とつて、妙めうにさみしい。

休業きうげふのはり札ふだして、ぴたりと扉とびらをとざした、何なんとか銀行ぎんかうの窓々まど〱が、觀念くわんねんの眼まなこをふさいだやうに、灰色はひいろにねむつてゐるのを、近所きんじよの女房かみさんらしいのが、白しろいエプロンの薄うすよごれた服裝なりで、まだ二時半前やつまへだのに、青あをくあせた門柱もんちうに寄より添そつて、然さも夕暮ゆふぐれらしく、曇くもり空ぞらを仰あふぐも、ものあはれ。……鴎かもめのかはりに烏からすが飛とばう。町筋まちすぢを通とほして透すいて見みえる、流ながれの水みづは皆みな黒くろい。……

銀行ぎんかうを横よこにして、片側かたがはは燒やけ原はらの正面しやうめんに、野中のなかの一軒家いつけんやの如ごとく、長方形ちやうはうけいに立たつた假普請かりぶしんの洋館やうくわんが一棟ひとむね、軒のきへぶつつけがきの(川かは)の字じが大おほきく見みえた。

夜よるは(川かは)の字じに並ならんだその屋號やがうに、電燈でんとうがきら〱とかゞやくのであらうも知しれない。あからさまにはいはないが、これは私わたしの知しつた𢌞米問屋くわいまいどんやである。――(大おほきく出でたな。)――當今たうこん三等米さんとうまい、一升いつしようにつき約四十三錢やくよんじふさんせんの値ねを論ろんずるものに、𢌞米問屋くわいまいどんやの知己ちきがあらう筈はずはない。……こゝの御新姐ごしんぞの、人形町にんぎやうちやうの娘時代むすめじだいを預あづかつた、女學校ぢよがくかうの先生せんせいを通とほして、ほのかに樣子やうすを知しつてゐるので……以前いぜん、私わたしが小ちひさな作さくの中なかに、少すこし家造やづくりだけ借用しやくようした事ことがある。

御存ごぞんじの通とほり、佐賀町さがちやう一廓いつくわくは、殆ほとんど軒のきならび問屋とんやといつてもよかつた。構かまへも略ほゞ同おなじやうだと聞きくから、昔むかしをしのぶよすがに、その時分じぶんの家いへのさまを少すこしいはう。いま此このバラツク建だての洋館やうくわんに對たいして――こゝに見取圖みとりづがある。――斷ことわるまでもないが、地續ぢつゞきだからといつて、吉良邸きらていのでは決けつしてない。米價べいかはその頃ころも高値たかねだつたが、敢あへて夜討ようちを掛かける繪圖面ゑづめんではないのであるが、町まちに向むかつて檜ひのきの木戸きど、右みぎに忍返しのびがへしの塀へい、向むかつて本磨ほんみがきの千本格子せんぼんがうしが奧深おくふかく靜しづまつて、間あひたの植込うゑこみの緑みどりの中なかに石燈籠いしどうろうに影かげが青あをい。藏庫くらは河岸かしに揃そろつて、荷にの揚下あげおろしは船ふねで直すぐに取引とりひきが濟すむから、店口みせぐちはしもた屋やも同おなじ事こと、煙草盆たばこぼんにほこりも置おかぬ。……その玄關げんくわんが六疊ろくでふの、右みぎへ𢌞まはり縁えんの庭にはに、物數寄ものずきを見みせて六疊ろくでふと十疊じふでふ、次つぎが八疊はちでふ、續つゞいて八疊はちでふが川かはへ張出はりだしの欄干下らんかんしたを、茶船ちやぶねは浩々かう〱と漕こぎ、傳馬船てんまは洋々やう〱として浮うかぶ。中二階ちうにかいの六疊ろくでふを中なかにはさんで、梯子段はしごだんが分わかれて二階にかいが二間ふたま、八疊はちでふと十疊じふでふ――ざつとこの間取まどりで、なかんづくその中二階ちうにかいの青あをすだれに、紫むらさきの總ふさのしつとりした岐阜提灯ぎふぢやうちんが淺葱あさぎにすくのに、湯上ゆあがりの浴衣ゆかたがうつる。姿すがたは婀娜あだでもお妾めかけではないから、團扇うちはで小間使こまづかひを指圖さしづするやうな行儀ぎやうぎでない。「少すこし風かぜ過すぎる事こと」と、自分じぶんでらふそくに灯ひを入いれる。この面影おもかげが、ぬれ色いろの圓髷まるまげの艷つや、櫛くしの照てりとともに、柳やなぎをすべつて、紫陽花あぢさゐの露つゆとともに、流ながれにしたゝらうといふ寸法すんぱふであつたらしい。……

私わたしは町まちのさまを見みるために、この木戸きどを通過とほりすぎた事ことがある。前庭まへにはの植込うゑこみには、きり島しまがほんのりと咲さき殘のこつて、折をりから人通ひとどほりもなしに、眞日中まつぴなかの忍返しのびがへしの下したに、金魚賣きんぎようりが荷にを下おろして、煙草たばこを吹ふかして休やすんでゐた。

「それ、來きましたぜ。」

風鈴屋ふうりんやでも通とほる事ことか。――振返ふりかへつた洋館やうくわんをぐわさ〱とゆするが如ごとく、貨物車くわもつしやが、然しかも二臺にだい。私わたしをかばはうとした同伴つれの方はうが水溜みづたまりに踏ふみこんだ。

「あ、ばしやりとやツつけた。」

萬筋まんすぢの裾すそを見みて、苦にがりながら、

「しかし文句もんくはいひますもののね、震災しんさいの時ときは、このくらゐな泥水どろみづを、かぶりついて飮のみましたよ。」

特とくに震災しんさいの事ことはいふまい、と約束やくそくをしたものの、つい愚痴ぐちも出でるのである。

このあたり裏道うらみちを掛かけて、松村まつむら、小松こまつ、松賀町まつかちやう――松賀まつかを何なにも、鶴賀つるかと横よこなまるには及およばないが、町々まち〱の名なもふさはしい、小揚連中こあげれんぢうの住居すまひも揃そろひ、それ、問屋向とんやむきの番頭ばんとう、手代てだい、もうそれ不心得ふこゝろえなのが、松村まつむらに小松こまつを圍かこつて、松賀町まつかちやうで淨瑠璃じやうるりをうならうといふ、藏くらと藏くらとは並ならんだり、中なかを白鼠しろねずみ黒鼠くろねずみの俵たはらを背負しよつてちよろ〱したのが、皆みな灰はひになつたか。御神燈ごしんとうの影かげ一ひとつ、松葉まつばの紋もんも見當みあたらないで、箱はこのやうな店頭みせさきに、煙草たばこを賣うるのもよぼ〱のおばあさん。

「變かはりましたなあ。」

「變かはりましたは尤もつともだが……この道みちは行留ゆきどまりぢやあないのかね。」

「案内者あんないしやがついてゐます。御串戲ごじやうだんばかり。……洲崎すさきの土手どてへ突つき當あたつたつて、一ひとつ船ふねを押おせば上總澪かづさみをで、長崎ながさき、函館はこだてへ渡わたり放題はうだい。どんな拔ぬけ裏うらでも汐しほが通とほつてゐますから、深川ふかがはに行留ゆきどまりといふのはありませんや。」

「えらいよ!」

どろ〱とした河岸かしへ出でた。

「仙臺堀せんだいぼりだ。」

「だから、それだから、行留ゆきどまりかなぞと外聞ぐわいぶんの惡わるい事ことをいふんです。――そも〱、大川おほかはからここへ流ながれ口くちが、下之橋しものはしで、こゝが即すなはち油堀あぶらぼり……」

「あゝ、然さうか。」

「間あひだに中之橋なかのはしがあつて、一ひとつ上うへに、上之橋かみのはしを流ながれるのが仙臺堀川せんだいぼりがはぢやあありませんか。……斷ことわつて置おきますが、その川筋かはすぢに松永橋まつながばし、相生橋あひおひばし、海邊橋うみべばしと段々だん〱に架かゝつてゐます。……あゝ、家いへらしい家いへが皆みな取拂とりはらはれましたから、見通みとほしに仙臺堀ぜんだいぼりも見みえさうです。すぐ向むかうに、煙けむりだか、雲くもだか、灰汁あくのやうな空そらにたゞ一いつヶ處しよ、樹きがこんもりと、青々あを〱して見みえませう――岩崎公園いはさきこうゑん。大川おほかはの方はうへその出でつ端ぱなに、お湯屋ゆやの煙突えんとつが見みえませう、何どういたして、あれが、霧きりもやの深ふかい夜よるは、人ひとをおびえさせたセメント會社ぐわいしやの大煙突だいえんとつだから驚おどろきますな。中洲なかずと、箱崎はこざきを向むかうに見みて、隅田川すみだがはも漫々まん〱渺々べう〱たる處ところだから、あなた驚おどろいてはいけません。」

「驚おどろきません。わかつたよ。」

「いや念ねんのために――はゝゝ。も一ひとつ上うへが萬年橋まんねんばし、即すなはち小名木川をなぎがは、千筋ちすぢ萬筋まんすぢの鰻うなぎが勢揃せいぞろひをしたやうに流ながれてゐます。あの利根川圖志とねがはづしの中なかに、……えゝと――安政二年あんせいにねん乙卯きのとう十月じふぐわつ、江戸えどには地震ぢしんの騷さわぎありて心こゝろ靜しづかならず、訪來とひくる人ひとも稀まれなれば、なか〱に暇いとまある心地こゝちして云々しか〲と……吾わが本所ほんじよの崩くづれたる家いへを後うしろに見みて、深川ふかがは高橋たかばしの東ひがし、海邊うみべ大工町だいくちやうなるサイカチといふ處ところより小名木川をなぎがはに舟ふねうけて……」

「また、地震ぢしんかい。」

「あゝ、默だまり默だまり。――あの高橋たかばしを出でる汽船きせんは大變たいへんな混雜こんざつですとさ。――この四五年しごねん浦安うらやすの釣つりがさかつて、沙魚はぜがわいた、鰈まこが入はひつたと、乘出のりだすのが、押合おしあひ、へし合あひ。朝あさの一番いちばんなんぞは、汽船きせんの屋根やねまで、眞黒まつくろに人ひとで埋うまつて、川筋かはすぢを次第しだいに下くだると、下したの大富橋おほとみばし、新高橋しんたかばしには、欄干外らんかんそとから、足あしを宙ちうに、水みづの上うへへぶら下さがつて待まつてゐて、それ、尋常じんじやうぢや乘切のりきれないもんですから、そのまんま……そツとでせうと思おもひますがね、――それとも下敷したじきは潰つぶれても構かまはない、どかりとだか何どうですか、汽船きせんの屋根やねへ、頭あたまをまたいで、肩かたを踏ふんで落おちて來きますツて。……こ奴いつが踏ふみはづして川かはへはまると、(浦安うらやすへ行いかう、浦安うらやすへ行いかう)と鳴なきます。」

「串戲じようだんぢやあない。」

「お船藏ふなぐらがつい近ちかくつて、安宅丸あたかまるの古跡こせきですからな。いや、然さういへば、遠目鏡とほめがねを持もつた氣きで……あれ、ご覽ろうじろ――と、河童かつぱの兒こが囘向院ゑかうゐんの墓原はかばらで惡戲いたづらをしてゐます。」

「これ、芥川あくたがはさんに聞きこえるよ。」

私わたしは眞面目まじめにたしなめた。

「口くちぢやあ兩國りやうごくまで飛とんだやうだが、向むかうへ何どうして渡わたるのさ、橋はしといふものがないぢやあないか。」

「ありません。」

と、きつぱりとしたもので、蝙蝠傘かうもりがさで、踞込しやがみこんで、

「確たしかにこゝにあつたんですが、町内持ちやうないもちの分ぶんだから、まだ、架かからないでゐるんでせうな。尤もつともかうどろ〱に埋うまつては、油堀あぶらぼりとはいへませんや、鬢付堀びんつけぼりも、黒鬢くろびんつけです。」

「塗ぬりたくはありませんかな。」

「私わたしはもう歸かへります。」

と、麥稈むぎわらをぬいで風かぜを入いれた、頭あたまの禿はげを憤いきどほる。

「いま見棄みすてられて成なるものか、待まちたまへ、あやまるよ。しかしね、仙臺堀せんだいぼりにしろ、こゝにしろ、殘のこらず、川かはといふ名ながついてゐるのに、何なにしろひどくなつたね。大分だいぶ以前いぜんには以前いぜんだが……やつぱり今頃いまごろの時候じこうに此この川筋かはすぢをぶらついた事ことがある。八幡樣はちまんさまの裏うらの渡わたし場ばへ出でようと思おもつて、見當けんたうを取違とりちがへて、あちらこちら拔ぬけ裏うらを通とほるうちに、ざんざ降ぶりに降ふつて來きた、ところがね、格子かうしさきへ立たつて、雨宿あまやどりをして、出窓でまどから、紫むらさきぎれのてんじんに聲こゑをかけられようといふ柄がらぢやあなし……」

「勿論もちろん。」

「たゝつたな――裏川岸うらがしの土藏どざうの腰こしにくつ付ついて、しよんぼりと立たつたつけ。晩方ばんがたぢやああつたが、あたりがもう〱として、向むかう岸ぎしも、ぼつと暗くらい。折をりから一杯いつぱいの上汐あげしほさ。……近ちかい處ところに、柳やなぎの枝えだはじやぶ〱と浸ひたつてゐながら、渡わたし船ぶねは影かげもない。何なにも、油堀あぶらぼりだつて、そこにづらりと並ならんだ藏くらが――中なかには破壁やれかべに草くさの生はえたのも交まじつて――油藏あぶらぐらとも限かぎるまいが、妙めうに油壺あぶらつぼ、油瓶あぶらがめでも積つんであるやうで、一倍いちばい陰氣いんきで、……穴あなから燈心とうしんが出でさうな氣きがする。手長蝦てながえびだか、足長蟲あしながむしだか、びちや〱と川面かはづらではねたと思おもふと、岸きしへすれ〱の濁にごつた中なかから、尖とがつた、黒くろい面つらをヌイと出だした……」

小ちひさな聲こゑで、

「河か、河か、河童かつぱですか。」

「はげてる癖くせに、いやに臆病おくびやうだね――何なに、泥龜すつぽんだつたがね、のさ〱と岸きしへ上あがつて來くると、雨あめと一所いつしよに、どつと足あしもとが川かはになつたから、泳およぐ形かたちで獨ひとりでにげたつけ。夢ゆめのやうだ。このびんつけに日ひが當あたつちやあ船蟲ふなむしもはへまいよ。――おんなじ川かはに行當ゆきあたつても大たいした違ちがひだ。」

「眞個まつたくですな、いまお話はなしのその邊へんらしい。……私わたしの友ともだちは泥龜すつぽんのお化ばけどころか、紺蛇目傘こんじやのめをさした女郎ぢよらうの幽靈いうれいに逢あひました。……おなじく雨あめの夜よで、水みづだか路みちだか分わからなく成なりましてね。手てをひかれたさうですが、よく川かはへ陷はまらないで、橋はしへ出でて助たすかりましたよ。」

「それが、自分じぶんだといふのだらう。……幽靈いうれいでもいゝ、橋はしへ連出つれだしてくれないか。」

「――娑婆しやばへ引返ひきかへす事ことにいたしませうかね。」

もう一度いちど、念入ねんいりに川端かはばたへ突つき當あたつて、やがて出でたのが黒龜橋くろかめばし。――こゝは阪地かみがたで自慢じまんする(……四よツ橋はしを四よつわたりけり)の趣おもむきがあるのであるが、講釋かうしやくと芝居しばゐで、いづれも御存ごぞんじの閻魔堂橋えんまだうばしから、娑婆しやばへ引返ひきかへすのが三途さんづに迷まよつた事ことになつて――面白おもしろい……いや、面白おもしろくない。

が、無事ぶじであつた。

――私わたしたちは、蝙蝠傘かうもりがさを、階段かいだんに預あづけて、――如何いかに梅雨時つゆどぎとはいへ……本來ほんらいは小舟こぶねでぬれても、雨あめのなゝめな繪ゑに成なるべき土地柄とちがらに對たいして、かう番ばんごと、繻子張しゆすばりを持出もちだしたのでは、をかしく蜴蟷傘かうもりがさの術じゆつでも使つかひさうで眞まことに氣きになる、以下いかこの小道具こだうぐを節略せつりやくする。――時ときに扇子使あふぎづかひの手てを留とめて、默拜もくはいした、常光院じやうくわうゐんの閻王えんわうは、震災後しんさいご、本山ほんざん長谷寺はせでらからの入座にふざだと承うけたまはつた。忿怒ふんぬの面相めんさう、しかし威ゐあつて猛たけからず、大閻魔だいえんまと申まをすより、口くちをくわつと、唐辛子たうがらしの利きいた關羽くわんうに肖にてゐる。從したがつて古色蒼然こしよくさうぜんたる脇立わきだちの青鬼あをおに赤鬼あかおにも、蛇矛じやぼう、長槍ちやうさう、張飛ちやうひ、趙雲てううんの概がいのない事ことはない。いつか四谷よつやの堂だうの扉とびらをのぞいて、眞暗まつくらな中なかに閻王えんわうの眼まなこの輝かゞやくとともに、本所ほんじよの足洗屋敷あしあらひやしきを思おもはせる、天井てんじやうから奪衣だつえの大婆おほばゞの組違くみちがへた脚あしと、眞俯向まうつむけに睨にらんだ逆白髮さかしらがに恐怖おそれをなした、陰慘いんさんたる修羅しゆらの孤屋こをくに比くらべると、こゝは却かへつて、唐土たうど桃園たうゑんの風かぜが吹ふく。まして、大王だいわうの膝ひざがくれに、婆ばゞは遣手やりての木乃伊みいらの如ごとくひそんで、あまつさへ脇立わきだちの座ざの正面しやうめんに、赫耀かくえうとして觀世晉くわんぜおん立たたせ給たまふ。小兒衆こどもしうも、娘むすめたちも、心こゝろやすく賽さいしてよからう。但たゞし浮氣うはきだつたり、おいたをすると、それは〱本當ほんたうに可恐こはいのである。

小父をぢさんたちは、おとなしいし、第一だいいち品行ひんかうが方正はうせいだから……言いつた如ごとく無事ぶじであつた。……はいゝとして、隣地りんち心行寺しんぎやうじの假門かりもんにかゝると、電車でんしやの行違ゆきちがふすきを、同伴つれが、をかしなことをいふ。

「えゝ、一寸ちよつと懺悔ざんげを。……」

「何なんだい、いま時分じぶん。」

「ですが、閻魔樣あちらさまの前まへでは、氣きが怯ひけたものですから。――實じつは此寺こゝの墓地ぼちに、洲崎すさきの女郎やつが埋うまつてるんです。へ、へ、へ。長ながい突通つきとほしの笄かうがいで、薄化粧うすげしやうだつた時分じぶんの、えゝ、何なんにもかにも、未ひつじの刻こくの傾かたむきて、――元服げんぷくをしたんですがね――富川町とみかはちやううまれの深川ふかがはツ娘こだからでもありますまいが、年ねんのあるうちから、流ながれ出だして、途つひに泡沫うたかたの儚はかなさです。人ひとづてに聞きいたばかりですけれども、野のに、山やまに、雨あめとなり、露つゆとなり、雪ゆきや、氷こほりで、もとの水みづへ返かへつた果はては、妓夫上ぎふあがりと世帶しよたいを持もつて、土手どてで、おでん屋やをしてゐたのが、氣きが變へんになつてなくなつたといひます――上州じやうしう安中あんなかで旅藝者たびげいしやをしてゐた時とき、親知おやしらずでもらつた女をんなの子こが方便はうべんぢやありませんか、もう妙齡としごろで……抱かゝへぢやあありましたが、仲なかで藝者げいしやをしてゐて、何どうにかそれが見送みおくつたんです。……心行寺しんぎやうじと確たしかいひましたつけ。おまゐりをして下くださいなと、何なにかの時ときに、不思議ふしぎにめぐり合あつて、その養女やうぢよからいはれたんですが、ついそれなりに不沙汰ぶさたでゐますうちに、あの震災しんさいで……養女やうぢよの方はうも、まるきし行衞ゆくへが分わかりません。いづれ迷まよつてゐると思おもひますとね、閻魔堂えんまだうで、羽目はめの影かげがちらり〱と青鬼あをおに赤鬼あかおにのまはりへうつるのが、何なんですか、ひよろ〱と白しろい女をんなが。……」

いやな事ことをいふ。

「……又また地獄ぢごくの繪ゑといふと、意固地いこぢに女をんなが裸體はだかですから、氣きに成なりましたよ、ははは。……電車通でんしやどほりへ突つつ立たつて、こんなお話はなしをしたんぢあ、あはれも、不氣味ぶきみも通とほり越こして、お不動樣ふどうさまの縁日えんにちにカンカンカンカンカン――と小屋掛こやがけで鉦かねをたゝくのも同然どうぜんですがね。」

お參まゐりをするやうに、私わたしがいふと、

「何なんだか陰氣いんきに成なりました。こんな時とき、むかし一ひとつ夜具とこを被かぶつた女をんなの墓はかへ行ゆくと、かぜを引ひきさうに思おもひますから。」

ぞつとする、といふのである。なぜか、私わたしも濕しめつぽく歩行あるき出だした。

「その癖くせをかしいぢやありませんか。名所圖繪めいしよづゑなぞ見みます度たびに、妙めうにあの寺てらが氣きに成なりますから、知しつてゐますが、寶物はうもつに(文幅茶釜ぶんぶくちやがま)――一名いちめい(泣なき茶釜ちやがま)ありは何どうです。」

といつて、涙なみだだか汗あせだか、帽子ばうしを取とつて顏かほをふいた。頭あたまの皿さらがはげてゐる。……思おもはず私わたしが顏かほを見みると、同伴つれも苦笑にがわらひをしたのである。

「あ、あぶない。」

笑事わらひごとではない。――工事中こうじちう土瓦つちかはらのもり上あがつた海邊橋うみべばしを、小山こやまの如ごとく乘のり來くる電車でんしやは、なだれを急きふに、胴腹どうばらを欄干らんかんに、殆ほとんど横倒よこだふしに傾かたむいて、橋詰はしづめの右みぎに立たつた私わたしたちの横面よこつらをはね飛とばしさうに、ぐわんと行ゆく時とき、運轉臺上うんてんだいじやうの人ひとの體たいも傾かたむく澪みをの如ごとく黒くろく曲まがつた。

二人ふたりは同時どうじに、川岸かしへドンと怪けし飛とんだ。曲角まがりかどに(危險きけんにつき注意ちうい)と札ふだが建たつてゐる。

「こつちが間拔まぬけなんです。――番ばんごとこれぢや案内者あんないしや申まをし譯わけがありません。」

片側かたがはのまばら垣がき、一重ひとへに、ごしや〱と立亂たちみだれ、或あるひは缺かけ、或あるひは傾かたむき、或あるひは崩くづれた石塔せきたふの、横鬢よこびんと思おもふ處ところへ、胡粉ごふんで白しろく、さま〲な符號ふがうがつけてある。卵塔場らんたふばの移轉いてんの準備じゆんびらしい。……同伴つれのなじみの墓はかも、參まゐつて見みれば、雜ざつとこの體ていであらうと思おもふと、生々なま〱と白しろい三角さんかくを額ひたひにつけて、鼠色ねずみいろの雲くもの影かげに、もうろうと立たつてゐさうでならぬ。

――時間じかんの都合つがふで、今日けふはこちらへは御不沙汰ごぶさたらしい。が、この川かはを向むかうへ渡わたつて、大おほきな材木堀ざいもくぼりを一ひとつ越こせば、淨心寺じやうしんじ――靈巖寺れいがんじの巨刹きよさつ名山めいざんがある。いまは東ひがしに岩崎公園いはさきこうゑんの森もりのほかに、樹きの影かげもないが、西にしは兩寺りやうじの下寺したでらつゞきに、凡およそ墓はかばかりの野のである。その夥多おびたゞしい石塔せきたふを、一ひとつ一ひとつうなづく石いしの如ごとく從したがへて、のほり、のほりと、巨佛おほぼとけ、濡佛ぬれぼとけが錫杖しやくぢやうに肩かたをもたせ、蓮はちすの笠かさにうつ向むき、圓光ゑんくわうに仰あふいで、尾花をばなの中なかに、鷄頭けいとうの上うへに、はた袈裟けさに蔦つたかづらを掛かけて、鉢はちに月影つきかげの粥かゆを受うけ、掌たなそこに霧きりを結むすんで、寂然じやくぜんとして起たち、また趺坐ふざなされた。

櫻さくら、山吹やまぶき、寺内じないの蓮はちすの華はなの頃ころも知しらない。そこで蛙かはづを聞きき、時鳥ほとゝぎすを待まつ度胸どきようもない。暗夜やみよは可恐おそろしく、月夜つきよは物ものすごい。……知しつてゐるのは、秋あきまた冬ふゆのはじめだが、二度にど三度さんど、私わたしの通とほつた數かずよりも、さつとむら雨さめの數多かずおほく、雲くもは人ひとよりも繁しげく往來ゆききした。尾花をばなは斜なゝめに戰そよぎ、木この葉ははかさなつて落おちた。その尾花をばな、嫁菜よめな、水引草みづひきさう、雁來紅ばげいとうをそのまゝ、一結ひとむすびして、處々ところ〲にその木この葉はを屋根やねに葺ふいた店小屋みせごやに、翁おきなも、媼うばも、ふと見みれば若わかい娘むすめも、あちこちに線香せんかうを賣うつてゐた。狐きつねの豆府屋とうふや、狸たぬきの酒屋さかや、獺かはうその鰯賣いわしこも、薄日うすびにその中なかを通とほつたのである。

……思おもへばそれも可懷なつかしい……

見みてすぎつ。いまの墓地ぼちの樣子やうすで考かんがへると、ぬれ佛ぼとけの彌陀みだ、地藏菩薩ぢざうぼさつが、大おほきな笠かさに胡粉ごふんで同行二人どうぎやうふたりとかいて、足あしのない蟹かにの如ごとく、おびたゞしい石塔せきたふをいざなひつゝ、あの靈巖寺れいがんじの、三途離苦生安養さんづりくしやうあんやう――一切衆生成正覺いつさいしゆじやうじやうしやうかく――大釣鐘おほつりがねを、灯ともさぬ提灯ちやうちんの道みちしるべに、そことも分わかず、さまよはせ給たまふのであらうも存ぞんぜぬ。

「やあ、極樂ごくらく。おいらんは成佛じやうぶつしました。」

だしぬけに。……

「納屋なやに立掛たてかけた、四分板しぶいたをご覽らん下ください、極ごく……」といひ掛かけて、

「何なんだ、極選ごくせんか――松割まつわりだ。……變へんな事ことを考かんがへてゐたものですからうつかり見違みちがへました。先達せんだつまたへこみ。……」

次々つぎ〱に――特選とくせん、精選せいせん、改良かいりやう、別改べつかい、また稀まれなり……がある。

「こんな婦をんななら、きみはさぞ喜よろこぶだらう。」

さもあらばあれ、極樂ごくらくの蓮はちすの香かよりたのもしい、松まつ檜ひのきの香かのぷんとする河岸かしの木小屋きごやに氣丈夫きぢやうぶに成なつた、と思おもふと、つい目めの前まへの、軒先のきさきに、眞まつかな旗はたがさつとなびく。

私わたしはぎよつとした。

「はゝゝ、欅けやきの大叉おほさすまたを見みせて、船ふねの梶かぢに成なる事こと、檜ひのきの大割おほわりを見みせて、蒲鉾屋かまぼこやのまな板いたはこれで出來できますなど、御傳授ごでんじゆを申まをしても一向いつかう感心かんしんをなさらなかつたが、如何いかゞです、この旗はたに對たいして説明せつめいがなかつた日ひには、海邊橋うみべばしまで逃にげ出だすでせう。」

案内者あんないしやは大得意だいとくいで、

「さ、さ、私わたしについて、構かまはず、ずつとお進すゝみ下ください。赤あかい旗はたには、白拔しろぬきで荷役中にやくちうとしてあります――何なんと御見物ごけんぶつ、河岸かしから材木ざいもくの上下あげおろしをする長ながものを運はこぶんですから往來ゆききのものに注意ちういをします。――出でました、それ、彼處あすこへ、それ、向むかうへ――」

うしろへも。……五流いつながれ六流むながれ、ひら〱と飜ひるがへると、河岸かしに、ひし〱とつけた船ふねから、印袢纏しるしばんてんの威勢ゐせいの好いいのが、割板わりいた丸角まるかくなんぞ引ひつかついで、づし〱段々だん〱を渡わたつて通とほる。……時間じかんだと見みえ、揃そろつて揚荷あげにで、それが歩板あゆみいたを踏ふみ越こすにつれ、おもみを刎はね返かへして――川筋かはすぢを横よこにずつと見通みとほしの船ふなばたは、汐しほの寄よるが如ごとく、ゆら〱と皆みなゆれた。……深川ふかがはの水みづは、はじめて動うごいた。……人ひとが波なみを立たてたやうに。――

「は、成程なるほど、は。」

案内者あんないしやは惜をし氣げもなく頭あたまのはげを見みせて、交番かうばんでおじぎをしてゐる。叱しかられたのではない。――橋はしを向むかうへ渡わたらずに、冬木ふゆきの道みちを聞きいたのであつた。

「おなじやうでも、冬木ふゆきだから尋たづねようございますよ。これが、洲崎すさきの辨天樣べんてんさまだとちよつと聞きき惡にくい……てつた勘定かんぢやうで。……お職掌しよくしやうがら、至極しごく眞面目まじめですからな。」

振返ふりかへると、交番かうばんの前まへから、肩かたを張はつて、まつ直すぐに指ゆびさしをして下くだすつた。細ほそい曲まがり角かどに迷まよつたのである。橋はしから後戻あともどりをした私わたしたちは、それから二度にどまで道みちを聞きいた。

この横よこを――まつすぐにと、教をそはつて入はひつた徑こみちは、露地ろぢとも、廂合ひあはひともつかず、横縱よこたて畝うねり込こみになつて、二人ふたり並ならんでは幅はゞつたい。しかも搜さぐり足あしをするほど、草くさが伸のびて、小ちひさな夏野なつのの趣おもむきがある。――棄はふり放ぱなしの空地あきちかと思おもへば、竹たけの木戸きどがあつたり、江一格子えいちがうしが見みえたり、半開はんびらきの明窓あかりまどが葉末はずゑをのぞいて、小ちひさな姿見すがたみに荵しのぶが映うつる。――彼處かしこに朝顏あさがほの簪かんざしさした結綿ゆひわたの緋鹿子ひがのこが、などと贅澤ぜいたくをいつては不可いけない。居ゐれば、誰たれが通とほさう?……妙めうに、一ひとつ家いへの構かまへうちを拔ぬき足あしで行ゆく氣きがした。しをらしいのは、あちこちに、月見草つきみさうのはら〱と、露つゆが風かぜを待まつ姿すがたであつた。

こゝを通拔とほりぬけつゝ見みた一軒いつけんの低ひくい屋根やねは、一叢ひとむら高たかく茂しげつた月見草つきみさうに蔽おほはれたが、やゝ遠とほざかつて振返ふりかへると、その一叢ひとむらの葉はの雲くもで、薄黄色うすきいろな圓まるい月つきを抱だくやうに見みえた。

靄もやが、ぼつとして、折をりから何なんとなく雲くも低ひくく、徑こみちも一段いちだん窪くぼんで――四五十坪しごじつつぼ、――はじめて見みた――蘆あしが青々あを〱と亂みだれて生はえて、徑こみちはその端はしを縫ぬつてゐる。雨あめのなごりか、棄すて水みづか、蘆あしの根ねはびしよびしよと濡ぬれて動うごいて、野茨のいばらの花はなが白しろく亂みだれたやうである。

時ときしも、一通ひととほり、大粒おほつぶなのが降ふつて來きた。蘆あしを打うつて、ぱら〱と音おと立たてて。

「ありがたい、かきつばたも、あやめもこゝには咲さきます。何なに、根ねも葉はもなくつても一輪いちりんぐらゐきつと咲さきます。案内者あんないしやみやうがに、私わたしが咲さかせないでは置おきません。露草つゆくさの青あをいのも露つゆつぽくこゝに咲さきます。嫁菜よめなの秋日和あきびよりも見みられますよ。――それに、何なんですね……意氣いきだか、結構けつこうだか、何むにしろ別莊べつさう、寮れうのあとで、これは庭にはの池いけらしうございますね。あの、蘆あしの根ねの處ところに、古笠ふるがさのつぶれたやうな青苔あをごけの生はえた……あれは石燈籠いしどうろうなんですよ。」

よく見みると、菜屑なくづも亂みだれた。成程なるほど燈籠とうろうの笠かさらしいのが、忽たちまち、三みつツ四よつツに裂さけて蝦蟇がまに成なつたか、と動うごき出だしたのは、蘆あしを分わけて、ばさ〱と、二三羽はさんば、鷄にはとりの潛もぐりながら啄ついばむのである。鮒ふなや、泥鰌どぢやうの生殘いきのこつたのではない、蚯蚓みゝず……と思おもふにも、何なんとなく棄すて難がたい風情ふぜいであつた。

しばらく視ながめたが、牡鷄をんどりがパツと翼つばさを拂はたいて、雨脚あまあしがやゝ繁しげく成なつたから、歩行あるき出だすと、蘆あしの根ねを次第高しだいだかに、葉はがくれに、平屋ひらやのすぐ小座敷こざしきらしい丸窓まるまどがある。路みちが畝うねつて、すぐの其縁外そのえんそとをちか〲と通とほると、青簾あをすだれが二枚にまい……捲まいたのではなかつた、軒のきから半なかば垂たれた其その細ほそいぬれ縁えんに、なよ〱として、きりゝとしまつた浴衣ゆかたのすそが見みえた。白地しろぢに、藍あゐの琴柱霞ことぢがすみがちら〱とする間まもなく、不意ふいに衝つと出でた私わたしたちから隱かくれるやうに、朱鷺ときの伊達卷だてまきですつと立たつ時とき、はらりと捌さばいた褄つま淺あさく、柘榴ざくろの花はなか、と思おもふのが散ちつて、素足すあしが夕顏ゆふがほのやうに消きえた。同時どうじに、黒くろい淡うすい影かげが、すだれ越ごしにさつと映さした、黒髮くろかみが長ながく流ながれたのである。

洗髮あらひがみを干かわかしてなどゐたらしい。……そのすだれを漏もれたのは、縁えんに坐すわつたのか、腰こしを掛かけたのか、心こゝろづく暇ひまもなかつた。

「……ざくろの花はな、そ、そんな。あの、ちら〱と褄つまに紅あかかつたのは螢ほたるの首くびです。又またぽつと青あをく光ひかるやうに肌はだに透すき通とほつたではありませんか。……螢ほたるを染そめた友染いうぜんですよ。もうあのくらゐ色いろが白しろいと、影かげばかり、螢ほたるの羽はねの黒くろいのなんざ、目めが眩くらんで見みえやしません。すごい、何どうもすごい。……特選とくせん、精選せいせん、別改べつかい、改良かいりやう、稀まれなり――です。木場中きばぢうを背負しよつて立たて。極選ごくせん、極樂ごくらく、有難ありがたい。いや魔界まかいです、すごい。」

といふ、案内者あんないしやの横面よこつらへ、出崎でさきの巖いはをきざんだやうな、徑みちへ出張でばつた石段いしだんから、馬うまの顏かほがヌツと出でた、大おほきな洋犬かめだ。長啄能獵ちやうたくよくれふす――パン〱と厚皮あつかはな鼻はなが、鼻はなへぶつかつたから、

「ワツ。」

といつた。――石垣いしがきから蟒うはばみが出でたと思おもつたさうである。

犬嫌いぬぎらひな事ことに掛かけては、殆ほとんど病的びやうてきで、一ひとつはそれがために連立つれだつてもらつた、浪人らうにんの劍客けんかくがその狼狽うろたへかただから、膽きもを冷ひやしてにげた。

またゐた――再ふたゝび吃驚びつくりしたのは三角さんかくをさかさな顏かほが、正面しやうめんに蟠踞はんきよしたのである。こま狗いぬの燒やけたのらしい。が、角つのの折をれた牛うし、鼻はなの碎くだけた猪ゐのしゝ、はたスフインクスの如ごとき異形いぎやうな石いしが、他たに壘々るゐ〱としてうづたかい。

早はやく本堂ほんだうわきの裏門うらもんで、つくろつた石いしの段々だん〱の上うへの白しろい丘をかは、堀ほりを三方さんぱうに取𢌞とりまはした冬木ふゆきの辨財天べんざいてんの境内けいだいであつた。

「お顏かほを、ご覽らんに成なりますか。」

「いや何どういたして。……」

「こゝで拜はいをして參まゐります。」

と、同伴つれもいつた。

手てはよく淨きよめたけれども、刎はねを上あげて、よぢれた裾すそは、これしかしながら天女てんによに面めんすべき風體ふうていではない。それに、蝋燭おらふを取次とりついだのが、堂だうを守もる人ひとだと、ほかに言ことばがあつたらう。居合ゐあはせたのは、近所きんじよから一寸ちよつと留守番るすばんに頼たのまれたといつた前垂まへだれ掛がけの年配者ねんぱいしやで、「お顏かほを。」――これには遠慮ゑんりよすべきが當然たうぜんの事ことと今いまも思おもふ。況まして、バラツクの假住居かりずまひの縁えんに、端近はしぢかだつた婦人ふじんさへ、山やまの手てから蘆あしを分わけた不意ふいの侵入者しんにふしやに、顏かほを見みせなかつた即時そくじであつた。

潮時しほどきと思おもはれる。池いけの水みづはやゝ増ましたやうだが、まだ材木ざいもくを波立なみだたせるほどではない。場所ばしよによると、町まちが野のになつた處ところもあるのに、覺おぼえて一面いちめんに蘆あしが茂しげつた池いけの縁へりは、右手みぎてにその蘆あしの丈たけばかりの小家こやが十とウばかり數かずを並ならべて、蘆あしで組くんだ簾すだれも疎まばらに、揃そろつて野草のぐさも生はえぬ露出むきだしの背戸せどである。しかし、どの家うちも、どの家うちも、裏手うらて、水口みづぐち、勝手元かつてもと、皆みな草花くさばなのたしなみがある、好このみの盆栽ぼんさいも置おき交まぜて。……失禮しつれいながら、缺摺鉢かけすりばちの松葉牡丹まつばぼたん、蜜柑箱みかんばこのコスモスもありさうだが、やがて夏なつも半なかば、秋あきをかけて、手桶てをけ、盥たらひ、俎まないた、柄杓ひしやくの柄えにも朝顏あさがほの蔓つるなど掛かけて、家々いへ〱の後姿うしろすがたは、花野はなのの帶おびを白露しらつゆに織おるであらう。

色いろなき家いへにも、草花くさばなの姿すがたは、ひとつ〱女をんなである。軒のきごとに、妍かほよき娘むすめがありさうで、皆みな優やさしい。

横よこのこの家やならびを正面しやうめんに、鍵かぎの手てになつた、工場こうぢやうらしい一棟ひとむねがある。――その細ほそい切きれめに、小ちひさな木きの橋はしを渡わたしたやうに見みて取とつたのは、折をりから小雨こさめして、四邊あたりに靄もやの掛かゝつたためで、同伴つれの注意ちういを待まつまでもない。ずつと見通みとほしの、油堀あぶらぼりから入堀いりぼりの水みづに、横よこに渡わたした小橋こばしで、それと丁字形ちやうじがたに、眞向まむかうへ、雨あめを柳やなぎの絲状いとざまに受うけて、縱たてに弓形ゆみなりに反そつたのは、即すなはち、もとの渡船場わたしばに替かへた、八幡宮はちまんぐう、不動堂ふどうだうへ參まゐる橋はしであつた。

「あなたが、泥龜すつぽんに遁にげたのは――然さうすると、あの邊へんですね。」

「さあ、あの渡船場わたしに迷まよつたのだから、よくは分わからないが、彼あの邊へんだらうね。何なにしろ、もつと家藏いへくらが立込たてこんで居ゐたんだよ。」

「從したがつても變へんですが、……友ともだちが、女郎ぢよらうの幽靈いうれいに手てを曳ひかれたのは、工場こうばの向裏むかひうらあたりに成なるかも知しれません。――然さう言いへば、いま見みた、……特選とくせん、稀まれなりも、ふつと消きえたやうで、何なんだか怪あやしうございますよ。」

「御堂前おだうまへで、何なにをいふんだ。」

「こりや何どうも……景色けしきに見惚みとれて、また鳥居際とりゐぎはに立たつてゐました。――あゝ八幡樣はちまんさまの大銀杏おほいてふが、遠見とほみの橋はしのむかうに、對つゐに青々あを〱として手てに取とるやうです。涼すゞしさうにしと〱と濡ぬれてゐます。……震災しんさいに燒やけたんですが、神田かんだの明神樣みやうじんさまのでも、何所どこのでも、銀杏いてふは偉えらうございますな。しかし苦勞くらうをしましたね、彼所あすこへ行いつたら、敬意けいいを表へうして挨拶あいさつをしませうよ。石碑せきひがないと、くツつけて夫婦いつしよにして見みたいんですが、あの眞中まんなかの横綱よこづなが邪魔じやまですな。」

「馬鹿ばかな事ことを――相撲贔屓すまふびいきが聞きくと撲なぐるからおよし。おや、馬うまが通とほる。……」

橋はしの上うへを、ぬほりとして大おほきな馬うまが、大八車だいはちぐるまを曳ひきながら。――遠とほくで且かつ音おとがしないから、橋はしを行ゆくのが一本いつぽんの角木かくぎに乘のつて、宛如さながら、空くうを乘のるやうである。

ハツと思おもふほど、馬うまの腹はらとすれ〱に、鞍くらから辷すべつた娘しんぞが一人ひとり。……白地しろぢの浴衣ゆかたに、友禪いうぜんの帶おびで、島田しまだらしいのが、傘かさもさゝず、ひらりと顯あらはれると、馬うまは隱かくれた、――何なに、池いけのへりの何どの家うちか、その裏口うらぐちから出でたのが、丁度ちやうど、遠とほくで馬うまが橋はしを踏ふむトタンに、その姿すがたを重かさねたのである。

雨あめを面白おもしろさうに、中なかの暗くらい工場こうばの裏手うらての廂下ひさししたを、池いけについて、白地しろぢをひら〱と蝶てふの袖そでで傳つたつて行ゆく。……その風情ふぜいに和やはらげられて、工場こうぢやうの隅すみに、眞赤まつかに燃もゆる火ひが、凌霄花のうぜんの影かげを水みづに投なげた。

娘しんぞがうしろ向むきになつて、やがて、工場こうばについて曲まがる岸きしから――その奧おくにも堀ほりが續つゞいた――高瀬船たかせぶねの古ふるいのが、斜なゝめに正面しやうめんを切きつて、舳へさきを蝦蟆がまの如ごとく、ゆら〱と漕こぎ來きたり、半なかば池いけの隅すみへ顯あらはれると、後姿うしろすがたのまゝで、ポンと飛とんで、娘しんぞは蓮葉はすはに、輕かるく船ふねの上うへへ。

そして、艪ろを押おす船頭せんどうを見みて振向ふりむいた。父とつさんに甘あまえたか、小父をぢさんを迎むかへたか、兄哥あにきにからかつたか、それは知しらない。振向ふりむいて、うつくしく水みづの上うへで莞爾につこりした唇くちびるは、雲くもに薄暗うすぐらい池いけの中なかに、常夏とこなつが一輪いちりん咲さいたのである。

永喜橋えいきばし――町内持ちやうないもちの、いましがたの小橋こばしと、渡船場わたしばに架かけた橋はしと、丁字形ちやうじがたになる處ところに、しばらくして私わたしたちは又またたゝずんで、冬木ふゆきの池いけの方はうを振返ふりかへつたが、こちらからは、よくは見通みとほせない。高瀬たかせの蝦蟆がまの背せに娘しんぞの飛とび乘のつたあたりは、蘆あしのない、たゞ稗蒔ひえまきの盤はちである。

いふまでもなく、辨財天べんざいてんの境内けいだいから、こゝへ來くるには、一町ひとまち、てか〱とした床屋とこやにまじつて、八百屋やほや、荒物あらものの店みせが賑にぎはひ、二階造にかいづくりに長唄ながうたの三味線しやみせんの聞きこえる中なかを通とほつた。が急きふに一面いちめんの燒野原やけのはらが左ひだりに開ひらけて、永代えいたいあたりまで打通ぶつとほしかと思おもはれた處ところがある。電柱でんちうとラヂオの竹たけが、矢來やらいの如ごとく、きらりと野末のずゑを仕切しきるのみ。「茫漠ばうばくたるものですな。」案内者あんないしやにもどこだか舊もとの見當けんたうがつかぬ。いづれか大工場だいこうぢやうの跡あとだらうで通とほつて來きたが、何なに、不思議ふしぎはない、嘗かつて滿々まん〱と鱗浪うろこなみを湛たゝへた養魚場やうぎよぢやうで、業火ごふくわは水みづを燒やき、魚さかなを煙けぶりにしたのである。原はらの波間なみまを出でつ入いりつ。渚なぎさに飛々とび〱苫屋とまやの状さま、磯家いそや淺間あさまな垣廂かきひさしの、新あたらしい佛壇ぶつだんの覗のぞかれるものあり、古蚊帳ふるがやを釣放つりぱなしたのに毛脛けずねが透すけば、水口みづぐちを蔽おほひ果はてぬ管簾くだすだれの下したに、柄杓ひしやく取とる手ての白しろさも露呈あらはだつたが、まばら垣がきあれば、小窓こまどあれば、縁えんが見みえれば……また然さなければ、板切いたぎれに棚たなを組くみ、葭簀よしずを立たてて、いひ合あはせたやうに朝顏あさがほの蔓つるを這ははせ、あづま菊ぎく、おしろいの花はな、おいらん草さう、薄すゝき刈萱かるかやはありのまゝに、桔梗ききやうも萩はぎも植うゑてゐて、中なかには、大おほきな燒木杭やけぼつくひの空虚うつろを苔蒸こけむす丸木船まるきぶねの如ごとく、また貝殼かひがらなりに水みづを汲くんで、水草みづくさの花はな白しろく、ちよろちよろと噴水ふきあげを仕掛しかけて、思おもはず行人かうじんの足あしを留とめるのがあつた。

御堂みだうの裏うら、また鳥居前とりゐまへから、ずつと、恁かうまで、草花くさばなに氣きの揃そろつた處ところは、他ほかに一寸ちよつと見當みあたらない。天女てんによの袖そでの影かげが日ひにも月つきにも映うつつて、優やさしい露つゆがしたゝるのであらう。

――いま、改あらためて遙拜えうはいした。――家毎いへごとに親したしみの意いを表へうしつゝ、更さらに思おもへば、むかしの泥龜すつぽんの化異けいよりも、船ふねに飛とんだ娘しんぞの姿すがたが、もう夢ゆめのやうに思おもはれる。……池いけのかくれたのにつけても。

なんど、もの〱しく言いふほどの事ことはない。私わたしは、水畔すゐはんの左褄ひだりづまが、屋根船やねぶねへ這込はひこむのが見苦みぐるしいの、頭あたまから潛もぐるのが無意氣ぶいきだのと――落おちさへしなければ可いい――そんな事ことを論ろんずる江戸えどがりでは斷だんじてない。が、おはぐろ蜻蛉とんぼが澪みをへ止とまつたと同おなじ樣やうに、冬木ふゆきの娘しんぞの早術はやわざを輕々けい〱に見過みすごされるのが聊いさゝかもの足たりない。

漕こぎつゝある船ふねには、岸きしから手てを掛かけるのさへ、實じつは一種いつしゆの冒險ばうけんである。

いま、兵庫ひやうご岡本をかもとの谷崎潤一郎たにざきじゆんいちらうさんが、横濱よこはまから通かよつて、某活動寫眞ぼうくわつどうしやしんの世話せわをされた事ことがある。場所ばしよを深川ふかがはに選えらんだのに誘さそはれて、其その女優ぢよいう……否いや、撮影さつえいを見みに出掛でかけた。年としの暮くれで、北風きたかぜの寒さむい日ひだつた。八幡樣はちまんさまの門前もんぜんの一寸ちよつとしたカフエーで落合おちあつて……いまでも覺おぼえてゐる、谷崎たにざきさんは、かきのフライを、おかはりつき、俗ぞくにこみで誂あつらへた。私わたしは腹はらを痛いためて居ゐた。何なに、名物めいぶつの馬鹿貝ばかがひ、蛤はまぐりなら、鍋なべで退治たいぢて、相拮抗あひきつかうする勇氣ゆうきはあつたが、西洋料理せいやうれうりの獻立こんだてに、そんなものは見當みあたらない。……壜びんごと熱燗あつかんで引掛ひつかけて、時間じかんが來きたから、のこり約一合半やくいちがふはんを外套ぐわいたうの衣兜ポケツトに忍しのばせた。洋杖ステツキを小脇こわきに、外套オーバーの襟えりをきりりと立たてたのと、連立つれだつて、門前通もんぜんどほりを裏うらへ――越中島ゑつちうじまを畝うねつて流ながるゝ大島川筋おほしまがはすぢの蓬莱橋ほうらいばしにかゝると、汐時しほどきを見計みはからつたのだから、水みづは七分しちぶ來きた。渡わたつた橋詰はしづめに、寫眞しやしんの一行いつかうの船ふねが三艘さんぞう、石垣いしがきについてゐる。久ひさしぶりだつたから、私わたしは川筋かはすぢを兩方りやうはうにながめて、――あゝ、おもひ起おこす、さばけた風葉ふうえふ、おとなしい春葉しゆんえふなどが、血氣けつきさかんに、霜しもを浴あび、こがらしを衝ついて、夜よふけては蘆あしの小窓こまどにもの思おもふ女をんなに、月影つきかげすごく見送みおくられ、朝歸あさがへり遲おそうしては、苫とまで蟹かにを食くふ阿媽おつかあになぶられながら、川口かはぐちまでを幾いくかへり、小船こぶねで漕こがしたものだつけ。彼處あすこに、平清ひらせいの裏うらの松まつが見みえる。……一畝ひとうねりした處ところが橋詰はしづめの加賀家かがやだらう。……やがて渺々べう〱たる蘆原あしはらの土手どてになる。……

船ふねで手てを擧あげたのに心著こゝろづいた。――谷崎たにざきさんはもう乘のつてゐた。なぞへに下おりて石垣いしがきへ立たつと、私わたしの丈たけぐらゐな下したに、船ふねの小こべりが横よこづけになつて、中流ちうりうの方はうに二艘にそう、谷崎たにざきさんはその眞中まんなかに寒風かんぷうに吹ふかれながら颯爽さつさうとして立たつてゐた。申まをし譯わけをするのではない、私わたしは敢あへて友ともだちを差置さしおいて女優ぢよいうの乘のつたのを選えらびはしないが、判官飛はうぐわんとびなぞ思おもひも寄よらぬ事こと、その近ちかいのに乘のらうとすると、些ちと足あしがとゞき兼かねる。……「おつかまんなせえ。」赤あから顏がほの船頭せんどうが逞たくましい肩かたをむずと突出つきだしてくれたから、ほども樣子やうすも心得こゝろえずに、いきなり抱着だきついた。が船ふねが搖ゆれたから、肩かたを辷すべつた手てが、頸筋くびすぢを抱だいて、もろに、どさりと乘のしかゝつた。何なんと何どうも、柱はしらへ枕まくらを打うちつけて、男同士をとこどうし噛かじりついた形かたちだから、私わたしだつて馴なれない事ことだし、先方せんぱうも驚おどろいた、その上うへに不意ふいの重量おもみで船頭せんどうどのが胴どうの間まへどんと尻餅しりもちをついて一汐ひとしほ浴あびて「此この野郎やらう!」尤もつともだ、此この野郎やらうは更あらためていふに及およばず、大島川おほしまがはへざんぶ、といふと運命うんめいにかゝはる、土手どてをひた〱となめる淺瀬あさせの泥どろへ、二人ふたりでばしやりと寢ねた。

「それから思おもふと……いまの娘むすめさんの飛乘とびのりは、人間業にんげんわざぢやあないんだよ。」

「些ちと大袈裟おほげさですなあ、何なに、あれ式しきの事ことを。……これから先さき、その蓬莱町ほうらいちやう、平野町ひらのちやうの河岸かしへ行いつて、船ふねの棟割むねわりといつた處ところをご覽らんなさい。阿媽おつかあが小舷こべりから蟹かにぢやあありませんが、釜かまを出だして、斜はすかひに米こめを磨といでるわきを、あの位くらゐな娘むすめが、袖そでなしの肌襦袢はだじゆばんから、むつちりとした乳のをのぞかせて、……それでも女氣をんなぎでござんせうな、紅入模樣べにいりもやうのめりんすを長ながめに腰こしへ卷まいたなりで、その泥船どろぶね、埃船ごみぶねを棹さをで突つツ張ぱつてゐますから。――氣きの毒どくな事ことは、汗あせぐつしよりですがね、勞働はたらきで肌はだがしまつて、手足てあしのすらりとしてゐる處ところは、女郎花をみなへしに一雨ひとあめかゝつた形かたちですよ。」

「雨あめは、お誂あつらへにしと〱と降ふつてゐるし、眞個ほんたうにそれが、凡夫ぼんぷの目めに見みえるのかね。」

「ご串談じようだんばかり、凡夫ぼんぷだから見みえるんでさあね。――いえまだ、もつと凡夫ぼんぷなのは、近頃ちかごろ島しまが湧わいた樣やうに開ひらけました、疝氣稻荷樣せんきいなりさま近ちかくの或工場あるこうばへ用ようがあつて、私わたしの知しり合あひが三人連さんにんづれ圓ゑんタクで乘込のりこんだのが、歸かへりがけに、洲崎橋すさきばしの正面見當しやうめんけんたうへ打突ぶつかると、……凡夫ぼんぷですな。まだ、あなた、四時よじだといふのに、一寸ちよつと見物けんぶつだけで、道普請みちぶしんや、小屋掛こやがけでごつた返がへして、こんがらかつてゐる中なかを、ブン〱獨樂ごまのやうにぐる〱𢌞まはりで、その癖くせ乘込のりこむ……疾はやいんです。引手茶屋ひきてぢややか、見番けんばんか、左ひだりは?……右みぎは、といふうちに、――豫あらかじめ御案内ごあんない申まをしましたつけ、仲なかの町ちやう正面しやうめんの波除なみよけへ突つき當あたつたと思召おぼしめせ。――忽たちまち蒼海さうかい漫々まん〱たり。あれが房州ばうしう鋸山のこぎりやまだ、と指ゆびさすのが、府下ふか品川しながはだつたり何なにかして、地理ちりには全まつたく暗くらい連中れんぢうですが、蒸風呂むしぶろから飛上とびあがつた同然どうぜんに、それは涼すゞしいには涼すゞしいんですとさ。……偏ひとへに風かぜを賞ほめるばかり、凡夫ぼんぷですな。卷煙草まきたばこをふかす外ほかに所在しよざいがないから、やゝあつて下したに待またした圓ゑんタクへ下おりて來くると、素裸すはだかの女郎ぢよらうが三人さんにん――この友ともだち意地いぢが惡わるくつて、西にしだか東ひがしだか方角はうがくは教をしへませんがね、虚空こくうへ魔まが現あらはれた樣やうに、簾すだれを拂はらつた裏二階うらにかいの窓際まどぎはへ立並たちならぶと、腕うでも肩かたも、胸むねも腹はらも、くな〱と緋ひの切きれを卷まいた、乳房ちぶさの眉間尺みけんじやくといつた形かたちで揉もみ合あつて、まだそれだけなら、何なに、女郎ぢよらうだつて涼すゞみます、不思議ふしぎはありませんがね。招まねいたり、頬邊ほつぺたをたゝいて見みせたり、肱ひぢでまいたり、これがまさしく、府下ふかと房州ばうしうを見違みちがへた凡夫ぼんぷの目めにもあり〱と見みえたんですつて。再ふたゝび説とく、天てんの一方いつぱうに當あたつて、遙はるかにですな。惜をしいかな、方角はうがくが分わかりません。」

「宙ちうに迷まよつてる形かたちだね、きみが手てをひかれた幽靈いうれいなぞも、或あるひはその連中れんぢうではないのかね。」

「わあ、泥龜すつぽんが、泥龜すつぽんが。」

「あ、凡夫ぼんぷを驚おどろかしては不可いけない。……何なんだか、陰々いん〱として來きた。――丁ちやうど此處こゝだ、此處こゝだが、しかし、油倉あぶらぐらだと思おもふ處ところは、機械きかいびきの工場こうばとなつた。冬木ふゆきで見みた、あの工場こうばも、これと同おなじものらしい。」

つい、叱しかられたらあやまる氣きで、伸上のびあがつて窓まどから覗のぞいた。中なかで竹刀しなひを使つかつてゐるのだと、立處たちどころに引込ひきこまれて、同伴つれが犬いぬに怯おびえたかはりに、眞庭念流まにはねんりうの腕前うでまへを顯あらはさうといふ處ところである。

久ひさしぶりで參詣さんけいをするのに、裏門うらもんからでは、何故なぜか不躾ぶしつけな氣きがする。木場きばを一𢌞ひとまはりするとして、話はなしながら歩行あるき出だした。

「……蠱こといふ形かたちを、そのまゝ女をんなの肉身にくしんで顯あらはしたやうな、いまの話はなしで思出おもひだすが、きみの方はうが友ともだちだから此方こつちも友ともだちさ。以前いぜん――場所ばしよも同おなじ樣やうだが、何なんとかいふ女郎ぢよらうがね。一寸ちよつと、その服裝なりを聞きいて覺おぼえてゐる。……黒くろの絽縮緬ろちりめんの裾すそに、不知火しらぬひのちら〱と燃もえるのに……水淺葱みづあさぎの麻あさの葉はの襟えりの掛かゝつた裲襠しかけだとさ。肉色縮緬にくいろちりめんの長襦袢ながじゆばんで、其その白襦子しろじゆすの伊達卷だてまきを――そんなに傍そばへ寄よつちや不可いけない。橋はしの眞中まんなかを通とほるのに、邪魔じやまになるぢやあないか。」

下したを二流ふたながし筏いかだが辷すべる。

「何なんだつけ、その裲襠しかけを屏風びやうぶへ掛かけて、白しろい切きれの潰島田つぶしなのが……いや、大丈夫だいぢやうぶ――惜をしいかな、これが心中しんぢうをしたのでも、殺ころされたのでも、斬きられたのでもない。のり血べに更さらになしだよ。(まだ學生がくせいさんでせう、當樓うちの内證ないしよは穩おだやかだから、臺だいのかはりに、お辨當べんたうを持もつて入いらつしやい。……私わたしに客人きやくじんがあつて、退屈たいくつだつたら、晝間ひるま、その間あひだ裏うらの土手どてへ出でて釣つりをしておいでなさいまし。……海津かいづがかゝります。私わたしだつて釣つつたから。……)時候じこうは暑あついが、春風はるかぜが吹ふいてゐる。人ひとごとだけれども、眉間尺みけんじやくと較くらべると嘘うそのやうだ。」

「風葉ふうえふさん、春葉しゆんえふさん、い、いづれですか、言いはれた、その御當人ごたうにんは?」

「それは、想像さうざうにまかせよう。」

案内者あんないしやにも分わからない。

水みづの町まちの不思議ふしぎな大深林だいしんりんは、皆みな薄赤うすあかく切開きりひらかれた、木場きばは林はやしを疊たゝんで堀ほりに積つみ、空地あきちに立掛たてかけた板いたに過すぎぬ。蘆間あしまに鷺さぎの眠ねむり、軒のきに蛙かへるの鳴ないたやうな景色けしきは、また夢ゆめのやうである。

――鶴歩橋かくほばしを見みた。その橋はしを長ながく渡わたつた。名なの由來ゆらいを知しりたい方々かた〲は、案内記あんないきの類るゐを讀よまるゝがよい。私わたしはそれだからといつて、鶴歩かくほといふ字じにかゝづらふわけではないが、以前いぜん知しつた時とき、この橋はしは鶴つるの首くびに似にて、淡々たん〱たる水みづの上うへに、薄雲うすぐもの月つき更ふけて、頸うなじを皓しろく眠ねむつてゐた。――九月くぐわつの末すゑ、十月じふぐわつか、あれは幾日頃いくにちごろであつたらう。折をりから此この水邊すゐへんの惠比壽ゑびすの宮みやの町祭まちまつりの夜よと思おもふ。もう晩おそかつたから、材木ざいもくの森もりに谺こだまする鰐口わにぐちの響ひゞきもなく、露地ろぢの奧おくから笛ふえの音ねも聞きこえず、社頭しやとうにたゞ一ひとつ紅くれなゐの大提灯おほぢやうちんの霧きりに沈しづんで消殘きえのこつたのが、……強しひて擬なぞらへるのではない、さながら一抹いちまつの丹頂たんちやうに似にて、四邊しへん皆みな水みづ。且かつ行ゆき、且かつ、彳たゝずむ人影ひとかげは、斑まだらに黒くろい羽はの影かげを落おとして、橋はしをめぐつた堀ほりは、大おほいなる兩りやうの翼つばさだつたのを覺おぼえてゐる。その時とき、颯さつと吹ふいた夜嵐よあらしに、提灯ちやうちんは暗くらくなり、小波さゝなみは白しろい毛けを立たてて、空そらなる鱗形うろこがたの雲くもとともに亂みだれた。

鶴つるの姿すがたの消きえたあとは、遣手やりての欠伸あくびよりも殺風景さつぷうけいである。

しかし思おもへ。鹿島かしまへ詣まうでた鳳凰ほうわうも、夜よがあければ風説うはさである。――鶴歩橋かくほばしの面影おもかげも、別べつに再ふたゝび月つきの夜よに眺ながめたい。

こゝに軒のきあれば、松まつがあり、庭にはあれば燈籠とうろうが差さしのぞかれ、一寸ちよつと欞子れんじのすき間まさへ、山やまの手ての雀すゞめの如ごとく鳥影とりかげのさすと見みるのが、皆みなひら〱と船ふねであつた。奧深おくふかい戸毎こごとの帳場格子ちやうばがうしも、早はやく事務所じむしよの椅子いすになつた。

けれども、麥稈むぎわらが通とほりがかりに、

「あゝ、燒やけ殘のこつた……」

私わたしは凡夫ぼんぷだから、横目よこめにたゞ「おなじ束髮そくはつでも涼すゞしやかだな。」ぐらゐなもの、氣きにした處ところで、ひとへに御婦人ごふじんばかりだが、同伴つれは少々せう〱骨董氣こつとうぎがあるから、怪けしからん。たゝき寄よせた椅子いすの下したに突つつ込こんだ、鐵てつの大火鉢おほひばちをのぞき込こんで、

「十萬坪じふまんつぼの坩堝るつぼの中なかで、西瓜すゐくわのわれたやうに燒やけても、溶とけなかつたんですな。寶物はうもつですぜ。」

この不作法ぶさはふに……叱言こゞともいはぬは、さすがに取とり鎭しづめた商人あきうどの大氣たいきであらう。

それにしても、荒あれてゐる。野のにさらしたものの如ごとく、杭くひが穴あな、桁けたが骨ほねに成なつた橋はしが多おほい。わづかに左右さいうを殘のこして、眞中まんなかの渡わたりの深ふかく崩くづれ込こんだのもある。通とほるのに危あぶなつかしいから、また踏ふみ迷まよつた體ていになつて、一處ひとところは泥龜すつぽんの如ごとく穴あなを傳つたひ、或處あるところでは、

「手てを曳ひいてたべ……幽靈いうれいどの。」

「あら、怨うらめしや。」

どろ〱どろと、二人ふたりで渡わたつた。

人通ひとどほりさへ、稀まれであるのに、貨物車トラツクは、衝ついて通とほり、驅かけ拔ぬける。澁苦しぶにがい顏かほして乘のるのは、以前いぜんは小意氣こいきな小揚こあげたちだつたと聞きく。

たゞひとり、この間あひだに、角乘かくのりの競勢きほひを見みた。岸きしに柳やなぎはないけれども、一人ひとりすつと乘のつた大角材だいかくざいの六間餘ろくけんよは、引緊ひきしまつた眉まゆの下したに、その行ゆくや葉はの如ごとし。水面すゐめんを操あやつること、草履ざうりを突つつ掛かけたよりも輕かるうして、横よこにめぐり、縱たてに通とほつて、漂々へう〱として浮ういて行ゆく。

月夜つきよに鶴歩橋かくほばしを渡わたるなぞ、いひ出でたのも極きまりが惡わるい。かの宋そうの康王かうわうの舍人しやじんにして、狷彭けんはうの術じゆつを行おこなひ、冀州きしう、涿郡たくぐんの間あひだに浮遊ふいうすること二百年にひやくねん。しかして其その涿水たくすゐを鯉こひに乘のつた琴高きんかうを羨うらやむには當あたらない。わが深川ふかがはの兄哥あにいの角乘かくのりは、仙人せんにんを凌駕りようがすること、竹たけの柄えの鳶口とびぐち約十尺やくじつしやくと、加くはふるに、さらし六尺ろくしやくである。

道幅みちはゞもやゝ傾かたむくばかり、山やまの手ての二人ふたりが、さいはひ長棹ながざをによらずして、たゞ突つき出だされた川筋かはすぢは、むかしにくらべると、(大だい)といひたい、鐵橋てつけうと註ちうし、電車でんしやが複線ふくせんといひたしたい。大汐見橋おほしほみばしを、八幡宮はちまんぐうから向むかつて左ひだりへ、だら〱と下おりた一廓いつくわくであつた。

また貨物車トラツクを曳出ひきだすでもないが、車輪しやりん、跫音きやうおんの響ひゞき渡わたる汐見橋しほみばしから、ものの半町はんちやう、此處こゝに入はひると、今いまは壞こはれた工場こうぢやうのあとを、石いし、葉鐵ブリキを跨またいで通とほる状さまながら、以前いぜんは、芭蕉ばせうで圍かこつたやうな、しつとりした水みづの色いろに包つゝまれつゝ、印袢纏しるしばんてんで木きを挽ひく仙人せんにんが、彼方あつちに一人ひとり、此方こつちに二人ふたり、大おほいなる材木ざいもくに、恰あたかも啄木鳥きつゝきの如ごとくにとまつて、鋸のこぎりの嘴くちばしを閑しづかに敲たゝいてゐたもので、ごしごし、ごしごし、時ときに鎹かすがひを入いれて、カンと行やる。湖心こしんに櫓ろの音おとを聞きくばかり、心耳しんじ自おのづから清すんだ、と思おもふ。が、同伴つれの説せつは然さうでない。この汐見橋しほみばしを、廓くるわへ出入ではひるために架かけた水郷すゐきやうの大門口おほもんぐちぐらゐな心得こゝろえだから、一段いちだん低ひくく、此處こゝへ下おりるのは、妓屋ちややの裏階子うらばしごを下おりて、間夫まぶの忍しのぶ隱かくれ場所ばしよのやうな氣きがしたさうである。

夜更よふけて、引ひけ過すぎに歸かへる時ときも、醉よつて、乘込のりこむ時ときも。

大川おほかは此方こなたの町まちの、場所ばしよにより、築地つきぢ、日本橋にほんばしの方はうからも永代えいたいを渡わたるが、兩國橋りやうごくばし、もう新大橋しんおほはしとなると、富岡門前とみをかもんぜんの大通おほどほりによらず、裏道うらみち、横町よこちやうを拾ひろつて、入堀いりぼりの河岸かしを縫ぬふ。……晝ひるも靜しづかだ。夜よるの寂さびしさ。汀なぎさの蘆あしは夏なつも冷つめたい。葉はうらに透とほる月影つきかげの銀色ぎんしよくは、やがて、その蘆あしの細莖ほそぐきの霜しもとなり、根ねは白骨はくこつと成なつて折をれる。……結むすんで角組つのぐめる髷まげは、解とけて洗髮あらひがみとなり、亂みだれて拔ぬけ毛げとなり、既すでにして穗ほとともに塵ちりに消きえるのである。

それが枯かれ立たち、倒たふれ伏ふす、河岸かし、入江いりえに、わけて寒月かんげつの光ひかり冴さえて、剃刀かみそりの刃はの如ごとくこぼるゝ時とき、大空おほぞらは遙はるかに蘆葦雜草ろゐざつさうの八萬坪はちまんつぼを透通すきとほつて、洲崎すさきの海うみ、永代浦えいたいうらから、蒼波さうは品川しながはに連つらなつて、皎々かう〱として凍こほる時ときよ。霜しもに鳴なく蟲むしの黒くろい影かげが、世よを怨うらむ女をんなの瞳ひとみの如ごとく、蘆あしの折葉をれはの節々ふし〲は、卒堵婆そとばに、浮うかばない戒名かいみやうを刺青いれずみしたか、と明あかるく映うつる。……そのおもひ、骨髓こつずゐに徹とほつて、齒はの根ね震ふるひ、肉にく戰をのゝいて、醉覺よひざめの頬ほゝを悚然ぞつと氷こほりで割わらるゝが如ごとく感かんじた……と言いふのである。

御勝手ごかつてになさい。

此この案内あんないには弱よわつた。――(第一だいいち、こゝを記しるす時とき、七月二十二日しちぐわつにじふににちの暑あつさと言いつたら。夜よるへかけて九十六度くじふろくど、四十年來しじふねんらいのレコードだといふ氣象臺きしやうだいの發表はつぺうであるから、借家しやくやは百度ひやくどを超こえたらしい。)

早はやく汐見橋しほみばしへ驅かけ上あがらう。

來くるわ、來くるわ。

船ふね。

筏いかだ。

見渡みわたす、平久橋へいきうばし。時雨橋しぐればし。二筋ふたすぢ、三筋みすぢ、流ながれを合あはせて、濤々たう〱たる水面すゐめんを、幾艘いくそう、幾流いくながし、左右さいうから寄よせ合あうて、五十傳馬船ごじふでんま、百傳馬船ひやくでんま、達磨だるま、高瀬たかせ、埃船ごみぶね、泥船どろぶね、釣船つりぶねも遠とほく浮うく。就中なかんづく、筏いかだは馳はしる。水みづは瀬せを造つくつて、水脚みづあしを千筋ちすぢの綱つなに、さら〱と音おとするばかり、裝入もりいるゝ如ごとく川筋かはすぢを上のぼるのである。さし上のぼる汐しほは潔いさぎよい。

風かぜはひよう〱と袂たもとを吹ふいた。

私わたしは學者がくしやでないから、此この汐しほは、堀割ほりわりを、上かみへ、凡およそ、どのあたりまで淨化じやうくわするかを知しらない。

けれども、驚破すは洪水こうずゐと言いへば、深川中ふかがはぢう、波なみ立たつ湖みづうみとなること、傳つたへて一再いつさいに留とゞまらない。高低かうていと汐しほの勢いきほひで、あの油堀あぶらぼり、仙臺堀せんだいぼり、小名木川をなぎがは、――且かつ辿たどり、且かつ見みた堀ほりは、皆みな滿々まん〱と鮮あたらしい水みづを流ながすであらう。冬木ふゆきの池いけも湛たゝへよう。

誘さそはれて、常夏とこなつも、夕月ゆふづきの雫しづくに濡ぬれるであらう。

「成程なるほど、汐見橋しほみばしは汐見橋しほみばしですな。」

同伴つれが更あらためて感心かんしんした。廓くるわへばかり氣きを取とられて、あげさげ汐しほのさしひきを、今いまはじめて知しつたのかと思おもふと、また然さうでない。

大欄干だいかんらん(此こゝにも大だいがつく)から、電車でんしやの透すき間まに、北きたし、東ひがしして、涼すゞしくはあるし、汐しほの流ながれを眺ながめるうちに……一人ひとり來きた、二人ふたり來きた、見みぬ間まに三人さんにん、……追羽子おひばねの唄うたに似にて、氣きの輕かるさうな女をんなたち、銀杏返いてふがへしのも、島田しまだなのも、ずつと廂髮ひさしがみなのも、何處いづこからともなく出でて來きて、おなじやうに欄干らんかんに立たつて、しばらく川面かはづらを見みおろしては、ふいと行ゆく。――内證ないしよでお知しらせ申まをさうが、海うみから颯々さつ〱と吹通ふきとほすので、朱鷺とき、淺葱あさぎ、紅くれなゐを、斜なゝめに絞しぼつて、半身はんしんを飜ひるがへすこと、特とくに風かぜのために描ゑがいた女をんなの蹴出けだしの繪ゑのやうであつた。が、いづれも、涼すゞむために立たち停どまるのではない。凡およそ汐時しほどきを見計みはからつて、橋はしに近ちかづく船乘ふなのり、筏師いかだしに、目許めもとであひづを通かよはせる。成程なるほど、汐見橋しほみばしの所以ゆゑんだ、と案内者あんないしやが言いふのである。眞僞しんぎは保證ほしようする限かぎりでない。

たゞ、淙々そう〱として大汐おほしほの上のぼる景色けしきは、私わたし……一個人いつこじんとしては、船頭せんどうの、下したから蹴出けだしを仰あふぐ如ごとき比ひではなかつた。

順じゆんは違ちがふが、――こゝで一寸ちよつと話はなしたい。――これは、後のちに、洲崎すさきの辨財天べんざいてんの鳥居前とりゐまへの、寛政くわんせいの津浪之碑つなみのひの前まへでの事ことである。――打寄うちよする浪なみに就ついて、いま言いはう。

汐見橋しほみばしから、海うみに向むかつた――大島川おほしまがはの入江いりえの角かど、もはや平久町へいきうちやう何丁なんちやうめに成なつた――出洲でずの端はなに同おなじ津浪つなみの碑ひが立たつて居ゐた。――前談ぜんだん、谷崎たにざきさんと活動寫眞くわつどうしやしんの一行いつかうが、船ふねで來きて、其その岸きしを見みた震災前しんさいぜんには、蘆洲あしずの中なかに、孤影こえい煢然けいぜんとして、百年ひやくねん一人ひとり行ゆく影かげの如ごとく、あの、凄すごく、寂さびしく、あはれだつた碑ひが、恰あたかも、のつぽの石臼いしうすの如ごとく立たつて、すぐ傍そばには、物干棹ものほしざをに洗濯せんたくものが掛かゝつて、象ざうを撫なづるのではないが、私わたしたちの石いしを繞めぐるのを、片側長屋かたがはながやの小窓こまどから、場所ばしよらしい、侠きやんな娘こだの、洒落しやれた女房かみさんが、袖そでを引合ひきあつて覗のぞいたものであつた。――いまは同おなじ所ところ、おなじ河岸かしに、ポキリと犀さいの角つのの折をれた如ごとく、淵ふちにも成ならぬ痕あとを殘のこして、其その躯むくろは影かげもない。

燒やけた水みづを、目前まのあたり、波なみの鱗形うろこがたに積つんだ、煉瓦れんぐわを根ねにして、卒堵婆そとばが一基いつき。――神力大光普照無際土消險しんりきたいくわうふせうむさとせうけん。三垢冥廣濟衆厄難さんくみやうかうさいしうやくなん。――しか〲と記しるしたのが、水みづへ斜なゝめに立たつて居ゐる。

尤もつとも、案内者あんないしやといへども、汐見橋しほみばしから水みづの上うへを飛とんだのではない。一度いちど、富岡門前とみをかもんぜんへ。……それから仲通なかどほりを越中島ゑつちうじまへ、蓬莱橋ほうらいばしを渡わたること――其その谷崎たにざきさんの時ときと殆ほとんど同一おなじに、嘗かつて川かはへ落おちた客きやくが、津浪之碑つなみのひを訪たづねたので、古石場ふるいしば、牡丹町ぼたんちやうを川かはづたひに、途中とちう、木きの段だん五いつつを數かぞへる、人ひとのほか車くるまは通つうじない牡丹橋ぼたんばしを高たかく渡わたつた。――恁かう大𢌞おほまはりをしないと、汐見橋しほみばしから手てに取とるやうでも、碑ひのあとへは至いたり得えないのである。此このあたり、船ふねの長屋ながや、水みづの家いへ、肌襦袢はだじゆばんで乳ちゝのむつちりしたのなどは、品格ひんかくある讀者どくしやのお聞ききなさりたくない事ことを信しんじて、先さきを急いそぐ。從したがつて古石場ふるいしばの石瓦いしがはら、石炭屑せきたんくづなどは論ろんじない。唯たゞ一ひとつ牡丹町ぼたんちやうの御町内ごちやうない、もしあらば庄屋なぬしさまに建言けんげんしたい事ことがある。場所ばしよのいづれを問とはず、一株ひとかぶの牡丹ぼたんを、庭にはなり鉢はちなりに植うゑて欲ほしい。紅こう、白はく、緋ひ、濃艷のうえん、淡彩たんさい、其その唯たゞ一輪いちりんの花はな開ひらいて、薹うてなに金色こんじきの町名ちやうめいを刻きざむとせよ、全町ぜんちやう立處たちどころに樂園らくゑんに化くわして、いまは見みえぬ、團子坂だんござか、入谷いりやの、菊きく、朝顏あさがほ。萩寺はぎでらの萩はぎ、を凌しのいで、大東京だいとうきやうの名所めいしよと成ならう。凡およそ、その町まちの顯あらはるゝは、住すむ人ひとの富とみでない。ダイヤモンドの指環ゆびわでない、時ときに、一本ひともとの花はなである。

やがて、碑ひのあとに、供養くやうの塔婆たふばを、爲出しいだす事こともなく弔とむらつた。

沈しづんだか、燒やけたか、碑ひの行方ゆくへを訪たづねようと思おもふにさへ、片側かたがはのバラツクに、數多かずおほく集あつまつたのは、最早もはや、女房かみさんにも娘むすめにも、深川ふかがはの人ひとどころでない。百里ひやくり帶水たいすゐ、對馬つしまを隔へだてた隣國りんごくから入稼いりかせぎのお客きやくである。煙草たばこを賣うつて、ラムネ、サイダーを酌しやくするらしい、おなじ鮮女せんぢよの衣きぬの白しろきが二人ふたり、箒はうきを使つかひ、道路だうろに水みづを打うつを見みた。塔たふを清きよむるは、僧そうの善行ぜんぎやうである。町まちを掃はくのは、土つちを愛あいするのである。殊勝しゆしようのおん事こと、おん事ことと、心こゝろばかり默禮もくれいしつゝ、私わたしたちは、むかし蘆間あしまを渡わたせし船板ふないた――鐵てつの平久橋へいきうばしを渡わたる。

「震災しんさいの時ときではありませぬで、ついこの間あひだ、大風おほかぜに折をれましてな。」

同伴つれよ、許ゆるせ、赤あから顏がほで、はげたのが――蘆あしの根ねに寄よる波なみの、堤つゝみに並ならぶ蘆簀よしずの茶屋ちややから、白雪しらゆきの富士ふじの見みえる、こゝの昔むかしを描ゑがいた配くばりものらしい――團扇うちはを使つかひながら、洲崎すさきの辨財天べんざいてんの鳥居外とりゐそとに、石いしの柵さくを緩ゆるくめぐらした、碑ひの前まへに立たつた時とき、ぶらりと來合きあはせて、六十年配ろくじふねんぱいが然さういつた。

此處このところ寛政三年くわんせいさんねん波なみあれの時とき、家いへ流ながれ人ひと死しするもの少すくなからず、此この後のち高波たかなみの變へんはかり難がたく、溺死できしの難なんなしといふべからず、これによりて西入船町にしいりふねちやうを限かぎり、東吉祥寺前ひがしきちじやうじまへに至いたるまで、凡およそ長ながさ二百八十間餘にひやくはちじつけんよの處ところ、家居いへゐ取沸とりはらひ、空地あきちとなし置おくものなり。

寛政六甲寅十二月日――(小作中せうさくちう一度いちど載之これをのす。――再録さいろく。)

繰返くりかへすやうだけれども、文字もじは殆ほとんど認みとめ難がたい。地ちに三尺さんじやく窪くぼんだやうに碑ひの半なかばは埋うづまつた。

――因ちなみにいふ、芭蕉ばせをに用ようのある人ひとは、六間堀ろくけんぼり方面はうめんに行ゆくがよい――江戸えどの水みづの製造元せいざうもと、式亭三馬しきていさんばの墓はかは、淨心寺中じやうしんじちう雲光院うんくわうゐんにある。

さて、時ときを、いへば、やがて五時半ごじはんであつた。夏なつの日ひも、この梅雨空つゆぞらで、雨あめの小留をやんだ間まも、蒸むしながら陰いんが籠こもつて、家居いへゐは沈しづみ、辻つじは黄昏たそがれた。

團扇うちは持もつた六十年配ろくじふねんぱいが、一ひとつ頸窪ぼんのくぼの蚊かを敲たゝいて立去たちさるあとから、同伴つれは、兩切りやうぎりの煙草たばこを買かふといつて、弓ゆみなりの辻つじを、洲崎すさきの方はうへ小走こばしりする。

ぽつねんとして、あとに、水みづを離はなれた人間にんげんの棒立ぼうだちと、埋うもれた碑ひと相對あひたいした時ときであつた。

皺枯しはがれた聲こゑをして、

「旦那だなさ――ん。」

「あ。」

思おもはず振向ふりむくと、ふと背後うしろに立たつて、暮方くれがたの色いろに紛まぎるゝものは、あゝ何處どこかで見みた……大おほびけ過すぎの遣手部屋やりてべやか、否いな、四谷よつやの閻魔堂えんまだうか、否いな、前刻さつきの閻王えんわうの膝ひざの蔭かげか、否いな。今いましがた白衣びやくえの鮮女せんぢよが、道みちを掃はいた小店こみせの奧おくに、暗くらく目めを光ひからして居ゐた、鐵かなあみを絞しぼつたやうに、皺しわの數かずを面おもてに刻きざんで、白髮しらがを逆さかさに亂みだしつゝ、淺葱あさぎの筒袖つゝそでに黒くろい袴はかまはいた媼おうなである。万まんちやんの淺草あさくさには、石いしの枕まくらの一ひとつ家やがある。安達あだちヶ原はらには黒塚くろづかがある。こゝのは僥倖さいはひに、檳榔びんらうの葉はの樣やうな團扇うちはを皺手しわでに、出刃庖丁でばばうちやうを持もつてをらず、腹はらごもりの嬰兒あかごを胞衣えなのまゝ掴つかんでもゐない。讀者どくしやは、たゞ凄すごく、不氣味ぶぎみに、靈れいあり、驗けんあり、前世ぜんせの約束やくそくある古巫女ふるいちこを想像さうざうさるればよい。なほ同一おなじ川筋かはすぢを、扇橋あふぎばしから本所ほんじよの場末ばすゑには、天井てんじやうの裏うら、壁かべの中なかに、今いまも口寄くちよせの巫女いちこの影かげが殘のこると聞きく。

「水みづの音おとが聞きこえまするなう。何處どことなくなう。」

「…………」

「旦那だなさ――ん、今いまのほどは汐見橋しほみばしの上うへでや、水みづの上あがるのをば、嬉うれしげに見みてござつた。……濁にごり濁にごつた、この、なう、溝川どぶがはも、堀ほりも、入江いりえも、淨きよめるには、まだ〱汐しほが足たりませぬよ、足たりませぬによつて、なう、眞夜中まよなかに來きて見みなされまし。――月つきにも、星ほしにも、美うつくしい、氣高けだかい、お姫樣ひめさまが、なう、勿體もつたいない、賤しづの業わざぢや、今時いまどきの女子をなごの通とほり、目めに立たたぬお姿すがたでなう、船ふねを浮うかべ、筏いかだに乘のつて、大海たいかいの水みづを、さら〱と、この上うへ、この上うへに灌そゝがつしやります事ことよ。……あゝ、有難ありがたうござります。おまゐりをなされまし、……おゝ、お連つれがござりましたの。――おさきへ、ごゆるされや、はい、はい。」

と、鳥居とりゐも潛くゞらず、片檐かたのきの暗くらい處ところを、蜘蛛くもの巣すのやうに――衣きものの薄うすさに、身みの皺しわを、次第しだいに、板羽目いたはめへ掛かけて、奧深おくふかく境内けいだいへ消きえて行ゆく。

「やあ、お待遠樣まちどほさま。――次手ついでに囀新道さへづりじんみちとかいふのを、一寸ちよつと……覗のぞいて來きたが……燕つばくろにしては頭あたまが白しろい。あはははは、が、驚おどろきました、露地口ろぢぐちに、妓生きいさんのやうなのが三人さんにんゐましたぜ、ふはり〱と白しろい服ふくで。」

――忘わすれたのではない。私わたしたちは、實じつはまだ汐見橋しほみばしに、その汐しほを見みつゝ立たつてゐる。――

富岡八幡宮

成田山不動明王

境内けいだいは、土つちを織おつて白しろく敷しけるが如ごとく、人ひとまばらにして塵ちりを置おかず。神官しんくわんは嚴肅げんしゆくに、僧達そうたちは靜寂せいじやくに、御手洗みたらしの水みづは清すゞしかつた。

たゞ納手拭をさめてぬぐひの黒くろく綟よぢれたのが、吹添ふきそふ風かぜに飜ひるがへつて、ぽたんと頬ほゝを打うつた。遊廓いうくわくの蠱こを談だんじて、いまだ漱そゝがざる腥なまぐさき口くちだつたからであらう。威ゐに恐おそれた事ことはいふまでもない。他たにも、なほ二三にさんの地ち、寺社てらやしろに詣まうでたから、太いたく汚よごれ垢あかづいた奉納手拭ほうなふてぬぐひは、その何處どこであつたかを今いま忘わすれた。和光同塵わくわうどうぢんとは申まをせども、神境しんきやう、佛地ぶつちである。――近頃ちかごろは衞生上ゑいせいじやう使つかはぬことにはなつてゐるが、單たんに飾かざりとして、甚はなはだしく汚よごれた手拭てぬぐひは、一體いつたい誰たが預あづかり知しるべきものであるかを伺うかゞひたい。早はやい處ところは、奉納ほうなふをしたものが心こゝろして。……清淨せいじやうにすべきであらう。

謹つゝしんで參詣さんけいした。丁ちやうど三時半さんじはんであつた。まだ晝飯おひるを濟すましてゐない。お小こやすみかた〲立寄たちよつたのが……門前もんぜんの、宮川みやがはか、いゝえ、木場きばの、きん稻いねか、いゝえ、鳥とりの、初音はつねか、いゝえ。何處どこだい! えゝ、然さう大おほきな聲こゑを出だしては空腹すきばらにこたへる、何處どこといひ立たてる程ほどの事こともない、その邊へんの、そ…ば…や……です。あ、あ。

「入いらつしやい。」

しかし、蕎麥屋そばやの方はうは威勢ゐせいが好いい。横土間よこどまで誂あつらへを聞きくのが、前鼻緒まへはなをのゆるんだ、ぺたんこ下駄げたで、蹠あしのうらの眞黒まつくろな小婢ちびとは撰たてが違ちがふ。筋骨きんこつ屈竟くつきやうな壯佼わかものが、向顱卷むかうはちまき、筋彫すぢぼりではあるが、二にの腕うでへ掛かけて、笛ふえ、太鼓たいこ、おかめ、ひよつとこの刺青ほりもの。ごむ底ぞこの足袋たびで、トン〱と土間どまを切きつて、「えゝお待遠まちどほう。」懇ねんごろに註文ちうもんした、熱燗あつかんを鷲掴わしづかみにしながら、框かまちへ胸むねを斜はすつかけ、腰こしを落おとして、下睨したにらみに、刺青ほりものの腕うでで、ぐいと突つき出だす――といつた調子てうしだから、古疊ふるだたみの片隅かたすみへ、裾すそのよぢれたので畏かしこまつた客きやくの、幅はゞの利きかないこと一通ひととほりでない。

「饂飩うどんを誂あつらへても叱しかられまいかね。」

「何なに、あなた。品しながきが貼出はりだしてある以上いじやうは、月見つきみでも、とぢでも何なんでも。」

「成程なるほど。」

狹せまい店みせで。……つい鼻頭はなさきの框かまちに、ぞろりとした黒くろの絽縮緬ろちりめんの羽織はおりを、くるりと尻しりへ捲込まきこむで、脹肥はちきれさうな膏切あぶらぎつた股またを、殆ほとんど付根つけねまで露出むきだしの片胡坐かたあぐら、どつしりと腰こしを掛かけた、三十七八さんじふしつぱちの血氣盛けつきざかり。遊あそび人にんか、と思おもはれる角刈かくがりで、その癖くせパナマ帽ばうを差置さしおいた。でつぷりとして、然しかも頬骨ほゝぼねの張はつたのが、あたり芋いもを半分はんぶんに流ながして、蒸籠せいろうを二枚にまい積つみ、種たねものを控ひかへて、銚子てうしを四本しほん並ならべてゐる。私わたしたちの、藪やぶの暖簾のれんを上あげた時とき――その壯佼わかものを對手あひてに、聲高こわだかに辯べんじてゐたのが、對手あひてが動うごいたため、つと申絶なかだえがしたので。……しばらく手酌てじやくで舐なめながら、ぎろ〱、的あてのないやうに、しかしおのづから私わたしたちに瞳ひとみを向むける。私わたしはその銚子てうしの數かずをよんで、……羨うらやんだのではない、醉よひの程度ほどを計はかつたのである。成なるたけ背せを帳場ちやうばへ寄よせて、窓越まどごしに、白しろく圓々まる〱と肥ふとつた女房かみさんの襷たすきがけの手てが、帳面ちやうめんに働はたらくのを力ちからにした。怯おびえたから、猪口ちよくを溢こぼすと、同伴つれが、そこは心得こゝろえたもので、二ふたつ折をりの半紙はんしを懷中ふところから取とつて出だす段取だんどりなどあり。

「やあ、……聞ききなよ。おい、それからだ。しかし忙いそがしいな。」

私わたしたちの誂あつらへを一二度いちにど通とほすと、すぐ出前でまへに――ポンと袢纏はんてんを肩かたに投なげて、恰あたかも、八幡祭はちまんまつりの御神輿おみこし。(こゝのは擔かつぐのではない、鳳凰ほうわうの輝かゞやくばかり霄空おほぞらから、舞降まひくだる處ところを、百人ひやくにん一齊いつときに、飛とび上あがつて受うけるのだといふ)御神輿おみこしに駈かけ著つける勢いきほひで飛とび出だした。その壯佼わかものの引返ひきかへしたのを、待兼まちかねた、と又また辯べんじかけた。

「へい、おかげ樣さまで。……」

「蕎麥そばは手打てうちで、まつたく感心かんしんに食くはせるからな。」

「お住居すまひは兜町かぶとちやうの方はうだとおつしやいますが、よく、此この邊へんが明あかるくつておいでなさいますね。」

「町内ちやうないづきあひと同おなじ事ことさ、そりやお前めえ、女あまが住すんでる處ところだからよ。あはゝはゝ。」

「えゝ、何どうもお樂たのしみで。」

「對手あひてが、素地しらちで、初うぶと來きてるから、そこは却かへつて苦くるしみさな。情なさけで苦勞くらうを求もとめるんだ。洒落しやれた處ところはいくらもあるのに――だが、手打てうちだから、つゆ加減かげんがたまらねえや。」

天麩羅てんぷらを、ちゆうと吸すつて、

「何なにしろ、お前めえ、俺おれが顏かほを見みせると、白しろい頸首えりくびが、島田しまだのおくれ毛げで、うつむくと、もう忽たちまち耳朶みゝたぶまでポツとならうツて女あまが、お人形にんぎやうさんに着きせるのだ、といつて、小ちひさな紋着もんつきを縫ぬつてゐるんだからよ。ふびんが加くははらうぢやねえか、えへツへツ。人形にんぎやうのきものだとよ。てめえが好いい玩弄おもちやの癖くせにしやあがつて。」

「また、旦那だんな、滅法界めつぽふけえな掘出ほりだしものをなすつたもんだね。一町ひとまち越こせば、蛤はまぐりも、蜆しゞみも、山やまと積つんぢやあありますが、問屋とんやにも、おろし屋やにも。……おまけに素人しろうとに、そんな光ひかつたのは見みた事こともありやしません。」

「光ひかるつたつて硝子ビイドロぢやあねえぜ。……底そこに艷つやがあつて、ほんのり霞かすんでゐる珠たまだよ。こいつを、掌てのひらでうつむけたり、仰向あふむけたり、一ピンといへば一ピンが出でる、五ぐといへば五ぐが出でる。龍宮りうぐうから授さづかつた賽さいころのやうな珠たまだから、えへツえへツへツ。」

「あ、旦那だんな、猪口ちよくから。」

「色香いろか滴こぼるゝ如ごとし……分わかつてる。縁起えんぎがなくつちやあ眞個ほんたうにはしめえな。何どうだ? 此これをみつけたのが、女衒ぜげんでも、取揚婆とりあげばゞあでもねえ。盲目めくらだ。――盲目めくらなんだから、深川七不思議ふかがはなゝふしぎの中うちだらうぜ。こゝらも流ながす事ことがあるだらう。仲町なかちやうや、洲崎すさきぢや評判ひやうばんの、松賀町まつかちやううらに住すむ大坊主おほばうずよ。俺おれが洒落しやれに鶴賀つるがをかじつて、坊主ばうず、出來できるから、時々とき〲慰なぐさみに稽古けいこに行ゆくと思おもひねえ。

(親一人おやひとり子一人こひとりで、旦那だんな、大勢おほぜいに手足てあしは裂さきたくない、と申まをしまするで、お情なさけを遣つかはされ。)――かねて、熊井くまゐ、平久へいきう、平野ひらの、新道しんみちと、俺おれが百人斬ひやくにんぎりを知しつてるから、(特別とくべつのお情なさけを。)――よし來きた、早はやい處ところを。で、どうせ、あく洗あらひをするか、湯ゆがかないぢや使つかへない代しろものだと思おもつたのが、……まるでもつて、其處等そこらの辨天べんてん……」

「あゝ、不可いけねえ、旦那だんな、私あつしがこんな柄がらでいつちや、をかしいやうですがね、うつかり風説うはさはいけません。時々とき〲貴女あなたのお姿すがたが人目ひとめに見みえて、然しかもお前めえさん。……髮かみをお洗あらひなさる事ことさへあるツて言いひますから。……や、話はなしをしても、裸體はだかの脇わきの下したが擽くすぐつてえ。」

「それだよ〱、その通とほり、却かへつて結構けつこうぢやねえか。本所ほんじよの一ひとツ目めを見みねえな……盲目めくらが見みつけたのからして、もうすぐに辨天べんてんだ。俺おれの方はうでいはうと思おもつた。――いつか、連つれをごまかす都合つがふでな、隙潰ひまつぶしに開帳かいちやうさして、其處等そこらの辨天べんてんの顏かほを見みたと思おもひねえ、俺おれの玩弄品おもちやに、その、肖如そつくりさツたら。一寸ちよつと驚おどろいた。……おまけに、俺おれが熟じつと見みてゐるうちに、瞼まぶたがぽツと來きたぜ。……ウ。」

柘榴ざくろの花はなが、パツと散ちる。

「あ、衄血はなぢだ。」

「ウーム。」

遊あそび人にんの旦那だんなは仰向あふむけに呻うなつた。夥多おびたゞしい衄血はなぢである。丁ちやうど手てにした丼どんぶりに流ながれ込こむのを、あわてて土間どまへ落おとしたが、蕎麥そばも天麩羅てんぷらも眞赤まつかに成なつた。鼻柱はなばしらになほ迸ほとばしつて、ぽた〱と蒸籠せいろうにしたゝり猪口ちよくに刎はねた血ちに、ぷんと、蕺草どくだみの臭にほひがした。

「お冷ひやし申まをして……」

女房かみさんは土間どまへ片膝かたひざを下おろした。同伴つれも深切しんせつに懷紙くわいしを取とつて立たちかけたが、壯佼わかものが屈竟くつきやうだから、人手ひとでは要いらない。肩かたに引掛ひつかけると、ぐな〱と成なつて、臺所口だいどころぐちへ、薄暗うすぐらい土間どまを行ゆく。四角しかくな面つらは、のめつたやうで眞蒼まつさをである。

私わたしたちは、無言むごんで顏かほを見合みあはせた。

水道すゐだうの水みづが、ざあ〱鳴なるのを聞ききながら、酒さけをあまして、蕎麥屋そばやを出でた。

順じゆんはまた前後ぜんごした。洲崎すさきの辨財天べんざいてんに詣まうでたのは、此處こゝを出でてからの事ことなのである。

怪あやしき媼うばの言ことばが餘あまり身みに沁しみたから、襟えりも身みも相あひともに緊張ひきしまつて、同伴つれが囀新道さへづりじんみちを覗のぞいたといふにつけても、時ときと場所ばしよがらを思おもつて、何なにも話はなさず、暮くれかけて扉とびらなほ深ふかい、天女てんによの階きざはしに禮拜らいはいした。

で、その新道しんみちを横よこに……小栗柳川をぐりやながはの漕こがした船ふねは、むかしこの岸きしへ當あたつて土手どてへ上あがつた、河岸かしを拔ぬけて、電車でんしやに乘のつた。木場きば一圓いちゑん、入船町いちふねちやうを右みぎに、舟木橋ふなきばしをすぎ、汐見橋しほみばしを二度にど渡わたつて、町まちはまだ明あかるいが、兩側りやうがはは店毎みせごと軒毎のきごとに電燈でんとうの眩まばゆい門前町もんぜんちやうを通とほりながら――並ならんでは坐すわれず、向むかひ合あつた同伴つれと、更さらに顏かほを見合みあはせたが、本通ほんどほりは銀座ぎんざを狹せまくしたのとかはりのない、千百せんひやくの電燈でんとうに紛まぎれて、その蕎麥屋そばやかと思おもふ暖簾のれんに、血ちの付ついた燈ひは見みえなかつた。

門前仲町もんぜんなかちやうで下おりたのは――晩ばんの御馳走ごちそう……より前さきに、名なの蛤町はまぐりちやう、大島町おほしまちやうかけて、魚問屋うをどんやの活船いけぶねに泳およぐ活いきた鯛たひを、案内者あんないしやが見みせようといふのであつた。

裏道うらみちは次第しだいに暗くらし、雨あめは降ふる。……場所ばしよを何どう取違とりちがへたか、浴衣ゆかたの藻魚もうを、帶おびの赤魚あかを、中なかには出額おでこの目張魚めばるなどに出逢であふのみ。鯛たひ、鱸すゞきどころでない。鹽鰹しほがつをのにほひもしない。弱よわつたのは、念入ねんいりに五萬分一ごまんぶんのいちの地圖ちづさへ袂たもとに心得こゝろえた案内者あんないしやが、路みちは惡わるくなる、暮くれかゝる、活船いけぶねを聞きくのにあせるから、言いふことが、しどろもどろで、「何なには、魚市うをいちは?……いや、それは知しつてゐますが、問屋とんやなんで。いえ、買かひはしません。生いきた魚さかなを見みるのでして、えゝ死しんだ魚さかな……もをかしいが、ぴち〱刎はねてる問屋とんやですがね。」――雜ざつとこの通とほり。刎はねる問屋とんやもまだ可よかつた。「水みづをちよろ〱と吹上ふきあげて、しやあと落おとしてゐる處ところですがね。」「親方おやかた……」――はじめ黒船橋くろふねばしの袂たもとで、窓まどから雨あめを見みた、床屋とこやの小僧こぞうに聞きくと、怪けげんな顏かほをして親方おやかたを呼よんだ、が分わからない。――「兄にいさん、兄にいさん、一寸ちよつと聞きくがね。」二度目にどめは蛤町二丁目はまぐりちやうにちやうめの河岸かしで、シヤベルで石炭せきたんを引掻ひつかいてる、職人しよくにんに聞きいた時ときは、慚愧ざんきした。「水みづをちよろ〱、しやあ?……」と眞黒まつくろな顏かほで問とひ返かへして、目めを白しろくして、「分わからねえなあ。」これは分わかるまい。……

「きみ、きみ。……ちよろ〱さへ氣恥きはづかしいのに、しやあと落おとすだけは何なんとかなるまいかね。あれを聞きくたびに、私わたしはおのづから、あとじさりをするんだがね。」

「卑怯ひけふですよ。……ちよろ〱だけぢやあ意いをなしませんし、どぶりでもなし、滔たうたりでもなし、しやあ。」いふ下したから……「もし〱失禮しつれいですが、ちよろ〱、しやあ。……」

通とほりがかりの湯歸ゆがへりの船頭せんどうらしいのに叩頭おじきルビの「おじき」はママをする。

櫛卷くしまきを引詰ひつつめて、肉にくづきはあるが、きりゝ帶腰おびごしの引ひきしまつた、酒屋さかやの女房かみさんが「問屋とんやで小賣こうりはしませんよ。」「何どういたして、それ處どころぢやありません。密そつと拜見はいけんがいたしたいので。」「おや、ご見物けんぶつ。」と、金きんの絲切齒いときりばでにつこりして、道普請みちぶしんだの、建前たてまへだの、路地ろぢうらは、地震ぢしん當時たうじの屋根やねを跨またぐのと同一おんなじで、分わかり惡にくいからと、つつかけ下駄げたで出でて來きて――あの蕎麥屋そばやの女房かみさんを思おもはせる、――圓々まる〱した二にの腕うでをあからさまに、電燈でんとうに白しろく輝かゞやかしながら、指ゆびさしをして、掃溜はきだめをよけて、羽目はめを𢌞まはつて、溝板どぶいたを跨またいで、ぐら〱してゐるから氣きをつけて、まだ店開みせびらきをしない、お湯屋ゆやの横よこを拔ぬけた……その突つき當あたりまで、丁寧ていねいに教をしへて、「お氣きをつけなさいまし、おほゝゝ。」とあだに笑わらつた。どうも、辰巳たつみはうれしい處ところである。

問屋とんやは、大六だいろく、大京だいきやう、小川久をがきう、佃勝つくかつ、西辰にしたつ、ちくせん――など幾軒いくけんもある、と後のちに聞きいた。私わたしたちは單たんに酒屋さかやの女房かみさんにをそはつた通とほり、溝板どぶいたも踏ふみ返かへさず、塚つかにも似にて空地あきちのあちこち蠣蛤かきはまぐりの殼から堆うづたかく――(ばいすけ)の雫しづくを刎はねて並ならんだのに、磯濱いそはまづたひの思おもひしつゝ、指ゆびさゝれたなりに突つき當あたりの問屋とんや。……

店頭みせさきに何なにもない。幅廣はゞびろな構内かまへうちの土間どまを眞向まむかうに、穴藏あなぐらが暗くらく、水氣すゐきが立たつて、突通つきとほしに川かはが透すく。――あすこだ。あれだ。

のそ〱と入はひつた案内者あんないしやが、横手よこての住居すまひへ、屈かゞみ腰ごしで挨拶あいさつする。

「水みづがちよろ〱。」

……をやつてゐるに違ちがひない。私わたしは卑怯ひけふながら、その町まちの眞中まんなかへ、あとじさりをしたのである。

「さ、おいでなさい、許可きよかになりました。」

活船いけぶね――瀧箱たきばこといふのであつたかも知しれない。――が次第しだいに、五段ごだんに並ならんで、十六七杯じふろくしちはい。水柱みづばしらは高たかく六尺ろくしやくに昇のぼつて、潺々せん〱と落おちて小波さゝなみを立たてて溢あふれる。――あゝ、水柱みづばしらといつて聞きけばよかつた。――活船いけぶねに水柱みづばしらの立たつ處ところと。――

濡板敷ぬれいたじきのすべる足あしもとに近ちかい一箱いつぱいを透すかすと、小魚こざかなが眞黒まつくろに瀬せを造つくる。

「泳およいでゐます、鰺あぢですよ。」

「鱚きすだぜ。」

と、十五六人じふごろくにん、殆ほとんど裸らにして、立働たちはたらく、若衆わかいしゆの中なかの、若わかいのがいつた。

同伴つれは器用きようで、なか〱庖丁はうちやうも持もてるのに。――これを思おもふと、つい、この頃ごろの事ことである。私わたしの極ごく懇意こんいな細君さいくんで、もと柳橋やなぎばしで左褄ひだりづまを取とつたのが、最近さいきん、番町ばんちやうのこの近所きんじよへ世帶しよたいを持もつた。お料理れうりを知しつて、洗方あらひかたに疎おろそかだから、――今日こんちは――の盤臺はんだいを、臺所口だいどころぐちからのぞいて、

「まあ、いゝ鮎あゆね。」が、鱚きすである。翌朝よくあさ、「あら、活いきた鯉こひね。」と、いはうとして……昨日きのふに懲こりて口くちをつぐんで、一寸ちよつと容儀ようぎを調とゝのへた、が黒鯛くろだひ。これは優やさしい。……

信濃國しなののくに蒲原郡産かんばらごほりさんの床屋職人とこやじよくにんで、氣取きどつたのが、鮨すしは屋臺やたいに限かぎる、と穴子あなごをつまんで、「む、この鰌どぢやうはうめえや。」以もつて如何いかんとすると、うつかり同伴つれに立話たちばなしをすると、三十幾本さんじふいくほんの脚あしが、水柱みづばしらに大搖おほゆれに搖ゆれて――哄どつと笑わらつた。紛まぎれ出でた小鮹こだこが、ちよろ〱と板敷いたじきを這はつてゐる。

一同いちどうは働はたらき出だした。下屋げやの水窓みづまどへ、折をりから横よこづけの船ふねから、穴子あなご、ぎんばうの畚びく、鰈かれひ、あいなめの鮹盤臺たこはんだいを、掬しやくふ、上あげる、それ抱だき込こむ、大鯛おほだひの溌剌はつらつたるが、(大盤臺だんべ)から飛とび上あがつた。

この勢いきほひに乘じようじて、今度こんどは、……そ…ば…や…ではない。社しやの高信たかのぶさんの籌略ちうりやくによつて、一陣いちぢんの鋭兵えいへいが懷ふところに伏ふせてある。……敵てきは選えらばぬ、それ押出おしだせ、といふと、兜かぶとを直なほす、同伴つれの頭あたまは黒くろく見みえる。

雨あめをおよぎ出だした町まちの角かども、黒江町くろえちやう。火ひの見みは、雫しづくするばかり、水晶すゐしやうの塔たふかと濡ぬれて光ひかつて、夜店よみせの盤臺はんだいには、蟹かにの脚あしが白しろく土手どてを築つき、河豚ふぐかと驚おどろく大鯒おほごちが反そつて、蝦えびのぶつ〱切ぎりが血ちを洗あらつた。

加賀家かがや、きん稻いね、伊勢平いせへいと、對手あひてを探さぐつて、同伴つれは、嘗かつて宮川みやがはで、優やさしい意氣いきな人ひとと手合てあはせをした覺おぼえがあると頻しきりにはやつて、討死うちじにをしようとしたが。――御免下ごめんください……お約束やくそくはしましたけれど、かう降ふつて來きては持もち出ださないわけには行ゆかない、蝙蝠傘かうもりにて候さふらふゆゑ、近ちかい處ところの境内けいだいの初音はつねを襲おそつた。

「お任まかせ申まをす。」

「心得こゝろえたり。」

こゝに至いたると、――實じつは、二上にあがりの音ねじめで賣うつた洲崎すさきの年増としまと洒落しやれた所帶しよたいを持もつた同伴つれが、頭巾づきんを睨ぬいで、芥子玉けしだまの頬被ほゝかむりした鵜うに成なつた。案あんずるに、ちよろ〱水みづも、くたびれを紛まぎらした串戲じようだんらしい。

「……姉ねえさん、一寸ちよつと相談さうだんがあるが、まづ名なのれ、聞ききたいな。」

をかしかつたのは、大肥おほぶとりに肥ふとつた、氣きの好いい、深切しんせつな女中ぢよちうが、ふふふ、と笑わらつてばかり、何どうしても名告なのらなかつた、然さもありなん、あとで聞きくと、……お糸いとさん。

で、その、肥ふとつたお糸いとさんに呑込のみこまして、何なんでも構かまはぬ、深川ふかがはで育そだつた土地とちツ子こを。――

若わかい鮮麗あざやかなのがあらはれた。

先まづは、めでたい。

うけて、杯さかづきをさしながら、いよ〱黒くろくなつた鵜うが、いやが上うへにおやぢぶつて、

「姉あねさんや、うまれは、何處どこだい。」

聲こゑの下したに、かすりの、明石あかしの白絣しろがすりで、十七だといふのに、紅氣あかつけなし、薄うすい紫陽花色あぢさゐいろの半襟はんえりくつきりと涼すゞしいのが、瞳ひとみをぱつちりと、うけ口くちで、

「濱通はまどほり……」

「はま通どほり?……」

明亮簡潔めいりやうかんけつに、

「蛤町はまぐりちやう。」

昭和二年七月―八月

底本 / Source edition

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
初出:「東京日日新聞 第一八二七五号~第一八二九六号」東京日日新聞社
1927(昭和2)年7月17日~8月7日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「串戲」と「串談」、「燈《ひ》」と「灯《ひ》」の混在は、底本通りです。
※「女房」に対するルビの「にようぼう」と「かみさん」、「工場」に対するルビの「こうば」と「こうぢやう」、「兄哥」に対するルビの「あにき」と「あにい」、「旦那」に対するルビの「だんな」と「だな」の混在は、底本通りです。
※表題は底本では、「深川《ふかがは》浅景《せんけい》」となっています。
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
入力:門田裕志
校正:岡村和彦
2018年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/050780_000050/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/050780_000050/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/050780_000050/

泉 鏡花、泉 鏡太郎「深川浅景」(旧字旧仮名)、底本『鏡花全集 巻二十七』岩波書店、1942年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 050780_000050, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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