Soranoha

火の用心の事

ひのようじんのこと

泉 鏡花、泉 鏡太郎

紅葉先生こうえふせんせい在世ざいせいのころ、名古屋なごやに金色夜叉夫人こんじきやしやふじんといふ、若わかい奇麗きれいな夫人ふじんがあつた。申まをすまでもなく、最大さいだいなる愛讀者あいどくしやで、宮みやさん、貫一くわんいちでなければ夜よも明あけない。

――鬘かつらならではと見みゆるまでに結做ゆひなしたる圓髷まるまげの漆うるしの如ごときに、珊瑚さんごの六分玉ろくぶだまの後插あとざしを點てんじたれば、更さらに白襟しろえりの冷豔れいえん、物ものの類たとふべき無なく――

とあれば、鬘かつらならではと見みゆるまで、圓髷まるまげを結ゆひなして、六分玉ろくぶだまの珊瑚さんごに、冷豔れいえんなる白襟しろえりの好このみ。

――貴族鼠きぞくねずみの縐高縮緬しぼたかちりめんの五紋いつゝもんなる單衣ひとへを曳ひきて、帶おびは海松地みるぢに裝束切模しやうぞくぎれうつしの色紙散しきしちらしの七絲しつちん……淡紅色紋絽ときいろもんろの長襦袢ながじゆばん――

とあれば、かくの如ごとく、お出入でいりの松坂屋まつざかやへあつらへる。金色夜叉こんじきやしや中編ちうへんのお宮みやは、この姿すがたで、雪見燈籠ゆきみどうろうを小楯こだてに、寒かんざきつゝじの茂しげみに裾すそを隱かくして立たつのだから――庭にはに、築山つきやまがかりの景色けしきはあるが、燈籠とうろうがないからと、故ことさらに据すゑさせて、右みぎの裝よそほひでスリツパで芝生しばふを踏ふんで、秋空あきぞらを高たかく睫毛まつげに澄すまして、やがて雪見燈籠ゆきみどうろうの笠かさの上うへにくづほれた。

「お前まへたち、名古屋なごやへ行ゆくなら、紹介せうかいをして遣やらうよ。」

今いま、兜町かぶとちやうに山一商會やまいちしやうくわいの杉野喜精氏すぎのきせいしは、先生せんせいの舊知きうちで、その時分じぶんは名古屋なごやの愛知銀行あいちぎんかうの――何どうも私わたしは餘あまり銀行ぎんかうにはゆかりがないから、役やくづきは何なんといふのか知しらないが、追おつてこの金色夜叉夫人こんじきやしやふじんが電話口でんわぐちでその人ひとを呼よびだすのを聞きくと、「あゝ、もし〱御支配人ごしはいにん、……」だから御支配人ごしはいにんであつた。――一年あるとし先生せんせいは名古屋なごやへ遊あそんで、夫人ふじんとは、この杉野氏すぎのしを通つうじて、知しり合あひに成なんなすつたので。……お前まへたち。……故こ柳川春葉やながはしゆんえふと、私わたしとが編輯へんしふに携たづさはつて居ゐた、春陽堂しゆんやうだうの新小説しんせうせつ、社會欄しやくわいらんの記事きじとして、中京ちうきやうの觀察くわんさつを書かくために、名古屋なごやへ派遣はけんといふのを、主幹しゆかんだつた宙外ちうぐわいさんから承うけたまはつた時ときであつた。何なにしろ、杉野すぎのの家いへで、早午飯はやひるに二人ふたりで牛肉ぎうなべをつゝいて居ゐると、ふすま越ごしに(お相伴しやうばん)といふ聲こゑがしたと思おもひな。紋着もんつき、白しろえりで盛裝せいさうした、艷えんなのが、茶ちやわんとはしを兩手りやうてに持もつて、目めの覺さめるやうに顯あらはれて、すぐに一切ひときれはさんだのが、その人ひとさ。和出來わできの猪八戒ちよはつかいと沙悟淨さごじやうのやうな、變へんなのが二人ふたり、鯱しやちの城下じやうかへ轉ころげ落おちて、門前もんぜんへ齋ときに立たつたつて、右みぎの度胸どきようだから然さまでおびえまいよ。紹介せうかいをしよう。……(角かくはま)にも。」角かくはまは、名古屋通なごやつうで胸むねをそらした杉野氏すぎのしを可笑をかしがつて、當時たうじ、先生せんせいが御支配人ごしはいにんを戲たはむれにあざけつた渾名あだなである。御存ごぞんじの通とほり(樣さま)を彼地かのちでは(はま)といふ。……

私わたしは、先生せんせいが名古屋なごやあそびの時ときの、心得こゝろえの手帳てちやうを持もつてゐる。餘白よはくが澤山たくさんあるからといつて、一册いつさつ下くだすつたものだが、用意よういの深ふかい方かただから、他見たけん然しかるべからざるペイヂには剪刀はさみが入はひつてゐる。覺おぼえの殘のこつてゐるのに――後あとで私わたしたちも聞きいた唄うたが記しるしてある。

味あぢは川文かはぶん、眺ながめ前津まへつの香雪軒かうせつけんよ、

席せきの廣ひろいは金城館きんじやうくわん、愉快ゆくわい、おなやの奧座敷おくざしき、一寸ちよつと二次會にじくわい、

河喜樓かはきろう。

また魚半ぎよはんの中二階ちうにかい。

近頃ちかごろは、得月とくげつなどといふのが評判ひやうばんが高たかいと聞きく、が、今いまもこの唄うたの趣おもむきはあるのであらう。その何家なにやだか知しらないが、御支配人ごしはいにんがズツと先生せんせいを導みちびくと、一ひとつゑぐらうといふ數寄屋すきやがかりの座敷ざしきへ、折目をりめだかな女中ぢよちうが、何事なにごとぞ、コーヒー入いりの角砂糖かくざたうを捧さゝげて出でた。――シユウとあわが立たつて、黒くろいしるの溢あふれ出でるのを匙さぢでかきまはす代しろものである。以來いらい、ひこつの名古屋通なごやつうを、(角かくはま)と言いふのである。

おなじ手帳てちやうに、その時ときのお料理れうりが記しるしてあるから、一寸ちよつと御馳走ごちそうをしたいと思おもふ。

(わん。)津島つしまぶ、隱元いんげん、きす、鳥肉とりにく。(鉢はち。)たひさしみ、新菊しんぎくの葉は。甘あまだい二切ふたきれ。(鉢はち。)えびしんじよ、銀ぎんなん、かぶ、つゆ澤山だくさん。土瓶どびんむし松まつだけ。つけもの、かぶ、奈良ならづけ。かごにて、ぶだう、梨なし。

手帳てちやうのけいの中なかほどに、二にの膳ぜん出いづ、と朱しゆがきがしてある。

その角かくはま、と夫人ふじんとに、紹介状せうかいじやうを頂戴ちやうだいして、春葉しゆんえふと二人ふたりで出でかけた。あゝ、この紹介状せうかいじやうなかりせば……思おもひだしても、げつそりと腹はらが空すく。……

何なにしろ、中京ちうきやうの殖産工業しよくさんこうげふから、名所めいしよ、名物めいぶつ、花柳界くわりうかい一般いつぱん、芝居しばゐ、寄席よせ、興行こうぎやうものの状態じやうたい視察しさつ。あひなるべくは多治見たぢみへのして、陶器製造たうきせいざうの模樣もやうまでで、滯在たいざい少すくなくとも一週間いつしうかんの旅費りよひとして、一人前いちにんまへ二十五兩にじふごりやう、注ちうにおよばず、切きりもちたつた一切ひときれづゝ。――むかしから、落人おちうどは七騎しちきと相場さうばは極きまつたが、これは大國たいこくへ討手うつてである。五十萬石ごじふまんごくと戰たゝかふに、切きりもち一ひとつは情なさけない。が、討死うちじにの覺悟かくごもせずに、血氣けつきに任まかせて馳向はせむかつた。

日露戰爭にちろせんさうのすぐ以前いぜんとは言いひながら、一圓いちゑんづゝに算かぞへても、紙幣さつの人數にんず五十枚ごじふまいで、金きんの鯱しやちほこに拮抗きつかうする、勇氣ゆうきのほどはすさまじい。時ときは二月きさらぎなりけるが、剩あまつさへ出陣しゆつぢんに際さいして、陣羽織ぢんばおりも、よろひもない。有あるには有あるが預あづけてある。勢いきほひ兵へいを分わかたねば成ならない。暮くれから人質ひとじちに入はひつてゐる外套ぐわいたうと羽織はおりを救すくひだすのに、手てもなく八九枚はつくまい討取うちとられた。黄きがかつた紬つむぎの羽織はおりに、銘仙めいせんの茶ちやじまを着きたのと、石持こくもちの黒羽織くろばおりに、まがひ琉球りうきうのかすりを着きたのが、しよぼ〱雨あめの降ふる中なかを、夜汽車よぎしやで立たつた。

日ひの短みじかい頃ころだから、翌日よくじつ旅館りよくわんへ着ついて、支度したくをすると、もうそちこち薄暗うすぐらい。東京とうきやうで言いへば淺草あさくさのやうな所ところだと、豫かねて聞きいて居ゐた大須おほすの觀音くわんおんへ詣まうでて、表門おもてもんから歸かへれば可いいのを、風俗ふうぞくを視察しさつのためだ、と裏うらへまはつたのが過失あやまちで。……大福餅だいふくもちの、燒やいたのを頬張ほゝばつて、婆ばあさんに澁茶しぶちやをくんでもらひながら「やあ、この大おほきな鐸すゞをがらん〱と驅かけて行ゆくのは、號外がうぐわいではなささうだが、何なんだい。」婆ばあさんが「あれは、ナアモ、藝妓衆げいこしゆの線香せんかうの知しらせでナアモ。」そろ〱風俗ふうぞくを視察しさつにおよんで、何なにも任務にんむだからと、何樓なにやかの前まへで、かけ合あつて、値切ねぎつて、引ひきつけへ通とほつて酒さけに成なると、階子はしごの中ちうくらゐのお上のぼり二人ふたり、さつぱり持もてない。第一だいいち女をんなどもが寄着よりつかない。おてうしが一二本いちにほん、遠見とほみの傍示ばうじぐひの如ごとく押立おつたつて、廣間ひろまはガランとして野のの如ごとし。まつ赤かになつた柳川やながはが、黄きなるお羽織はおり……これが可笑をかしい。京傳きやうでんの志羅川夜船しらかはよふねに、素見山すけんざんの手ての(きふう)と稱となへて、息子むすこも何なんぞうたはつせえ、と犬いぬのくそをまたいで先さきへ立たつ男をとこがゐる。――(きふう)は名なだ。けだし色いろの象徴しやうちようではないのだが、春葉しゆんえふの羽織はおりは何どういふものか、不斷ふだんから、件くだんの素見山すけんざんの手ての風ふうがあつた。――そいつをパツと脱ぬいで、角力すまふを取とらうと言いふ。僕ぼくは角力すまふは嫌きらひだ、といふと、……小ちひさな聲こゑで、「示威運動じゐうんどうだから、式かたばかりで行ゆくんだ。」よし來きた、と立たつと、「成なりたけ向むかうからはずみをつけて驅かけて來きてポンと打ぶつかりたまへ、可いいか。」すとんと、呼吸こきふで、手てもなく投なげられる。可いいか。よし來きた。どん、すとん、と身上しんしやうも身みも輕かるい。けれども家鳴やなり震動しんどうする。遣手やりても、仲居なかゐも、女をんなどもも驅かけつけたが、あきれて廊下らうかに立たつばかり、話はなしに聞きいた芝天狗しばてんぐと、河太郎かはたらうが、紫川むらさきがはから化ばけて來きたやうに見みえたらう。恐怖おそれをなして遠卷とほまきに卷まいてゐる。投なげる方はうも、投なげられる方はうも、へと〱になつてすわつたが、醉よつた上うへの騷劇さうげきで、目めがくらんで、もう別嬪べつぴんの顏かほも見みえない。財産家ざいさんかの角力すまふは引ひきつけで取とるものだ。又また來くるよ、とふられさうな先さきを見越みこして、勘定かんぢやうをすまして、潔いさぎよく退しりぞいた。が、旅宿りよしゆくへ歸かへつて、雙方さうはう顏かほを見合みあはせて、ためいきをホツと吐ついた。――今夜こんや一夜いちやの籠城ろうじやうにも、剩あますところの兵糧ひやうらうでは覺束おぼつかない。角力すまふなど取とらねば可よかつた。夜半よなかに腹はらの空すいた事こと。大福だいふくもちより、きしめんにすれば可よかつたものを、と木賃きちんでしらみをひねるやうに、二人ふたりとも財布さいふの底そこをもんで歎たんじた。

この時とき、神通じんづうを顯あらはして、討死うちじにを窮地きうちに救すくつたのが、先生せんせいの紹介状せうかいじやうの威徳ゐとくで、從したがつて金色夜叉夫人こんじきやしやふじんの情なさけであつた。

翌日よくじつは晩ばんとも言いはず、午ひるからの御馳走ごちそう。杉野氏すぎのしの方はうも、通勤つうきんがあるから留主るすで、同夫人どうふじんと、夫人同士ふじんどうしの御招待ごせうだいで、即すなはち(二にの膳ぜん出いづ。)である。「あゝ、旨うまい、が、驚おどろいた、この、鯛たひの腸はらわたは化ばけて居ゐる。」「よして頂戴ちやうだい、見みつともない。それはね、ほら、鯛たひのけんちんむしといふものよ。」何なにを隱かくさう、私わたしはうまれて初はじめて食たべた。春葉しゆんえふはこれより先さき、ぐぢ、と甘鯛あまだひの區別くべつを知しつて、葉門中ゑふもんちうの食通しよくつうだから、弱よわつた顏かほをしながら、白しろい差味さしみにわさびを利きかして苦笑くせうをして居ゐた。

その時ときだつけか、あとだつたか、春葉しゆんえふと相あひひとしく、まぐろの中脂ちうあぶらを、おろしで和あへて、醤油したぢを注ついで、令夫人れいふじんのお給仕きふじつきの御飯ごはんへのつけて、熱あつい茶ちやを打ぶつかけて、さくさく〱、おかはり、と又また退治たいぢるのを、「頼たのもしいわ、私わたしたちの主人しゆじんにはそれが出來できないの。」と感状かんじやうに預あづかつた得意とくいさに、頭づにのつて、「僕ぼくはね、お彼岸ひがんのぼたもちでさへお茶ちやづけにするんですぜ。」「まあ、うれしい。……」何どうもあきれたものだ。

おきれいなのが三人さんにんばかりと、私わたしたち、揃そろつて、前津まへつの田畝たんぼあたりを、冬霧ふゆぎりの薄紫うすむらさきにそゞろ歩あるきして、一寸ちよつとした茶屋ちややへ憩やすんだ時ときだ。「ちらしを。」と、夫人ふじんが五ごもくずしをあつらへた。

つい今いましがた牡丹亭ぼたんていとかいふ、廣庭ひろにはの枯草かれくさに霜しもを敷しいた、人氣ひとつけのない離はなれ座敷ざしきで。――鬘かつらならではと見みゆるまでに結ゆひなしたる圓髷まるまげに、珊瑚さんごの六分玉ろくぶだまのうしろざしを點てんじた、冷艷れいえん類たぐふべきなきと、こゝの名物めいぶつだと聞きく、小ちひさなとこぶしを、青あをく、銀色ぎんしよくの貝かひのまゝ重かさねた鹽蒸しほむしを肴さかなに、相對あひたいして、その時ときは、雛ひなの瞬またゝくか、と顏かほを見みて醉よつた。――「今いましがた御馳走ごちそうに成なつたばかりです、もう、そんなには。」「いゝから姉ねえさんに任まかせてお置おき。」紅葉先生こうえふせんせいの、實じつは媛友えんいうなんだから、といつて、女をんなの先生せんせいは可笑をかしい。……たゞ奧おくさんでは氣きにいらず、姉あねごは失禮しつれいだ。小母をばさんも變へんだ、第一だいいち「嬌瞋けうしん」を發はつしようし……そこンところが何なんとなく、いつのまにか、むかうが、姉あねが、姉あねが、といふから、年紀としは私わたしが上うへなんだが、姉あねさんも、うちつけがましいから、そこで、「お姉上あねうへ。」――いや、二十幾年にじふいくねんぶりかで、近頃ちかごろも逢あつたが、夫人ふじんは矢張やつぱり、年上としうへのやうな心持こゝろもちがするとか言いふ。「第一だいいち、二人ふたりとも割前わりまへが怪あやしいんです。」とその時ときいふと、お姉上あねうへも若わかかつた。箱はこせこかと思おもふ、錦にしきの紙入かみいれから、定期ていきだか何なんだか小ちひさく疊たゝんだ愛知あいちの銀行券ぎんかうけんを絹きぬハンケチのやうにひら〱とふつて、金きん一千圓いつせんゑん也なり、といふ楷書かいしよのところを見みせて、「心配しんぱいしないで、めしあがれ。」ちらしの金主きんしゆが一千圓いつせんゑん。この意氣いきに感かんじては、こちらも、くわつと氣競きほはざるを得えない。「ありがたい、お茶ちやづけだ。」と、いま思おもふと汗あせが出でる。……鮪茶漬まぐちやづを嬉うれしがられた禮心れいごころに、このどんぶりへ番茶ばんちやをかけて掻かつ込こんだ。味あぢは何どうだ、とおつしやるか? いや、話はなしに成ならない。人參にんじんも、干瓢かんぺうも、もさ〱して咽喉のどへつかへて酸すいところへ、上置うはおきの鰺あぢの、ぷんと生臭なまぐさくしがらむ工合ぐあひは、何なんとも言いへない。漸やつと一ひとどんぶり、それでも我慢がまんに平たひらげて、「うれしい、お見事みごと。」と賞ほめられたが、歸途かへりに路みちが暗くらく成なつて、溝端どぶばたへ出でるが否いなや、げツといつて、現實げんじつ立所たちどころに暴露ばくろにおよんだ。

愛想あいそも盡つかさず、こいつを病人びやうにんあつかひに、邸やしきへ引取ひきとつて、柔やはらかい布團ふとんに寢ねかして、寒さむくはないの、と袖そでをたゝいて、清心丹せいしんたんの錫すゞを白しろい指ゆびでパチリ……に至いたつては、分ぶんに過すぎたお厚情こゝろざし。私わたしはその都度つど、「先生せんせいの威徳ゐとく廣大くわうだい、先生せんせいの威徳ゐとく廣大くわうだい。」と唱となへて、金色夜叉こんじきやしやの愛讀者あいどくしやに感銘かんめいした。

翌年よくねん一月いちぐわつ、親類見舞しんるゐみまひに、夫人ふじんが上京じやうきやうする。ついでに、茅屋ばうをくに立寄たちよるといふ音信たよりをうけた。ところで、いま更さら狼狽らうばいしたのは、その時ときの厚意こういの萬分まんぶんの一いちに報むくゆるのに手段しゆだんがなかつたためである。手段しゆだんがなかつたのではない、花はなを迎むかふるに蝶々てふ〱がなかつたのである。……何なにを何どう考かんがへたか、いづれ周章あわてた紛まぎれであらうが、神田かんだの從姉いとこ――松本まつもとの長ながしの姉あねを口説くどいて、實じつは名古屋なごやゆきに着きてゐた琉球りうきうだつて、月賦げつぷの約束やくそくで、その從姉いとこの顏かほで、糶呉服せりごふくを借かりたのさへ返かへさない……にも拘かゝはらず、鯱しやちに對たいして、錢もんなしでは、初松魚はつがつを……とまでも行ゆかないでも、夕河岸ゆふがしの小鰺こあぢの顏かほが立たたない、とかうさへ言いへば「あいよ。」と言いふ。……少すこしばかり巾着きんちやくから引ひきだして、夫人ふじんにすゝむべく座布團ざぶとんを一枚いちまいこしらへた。……お待遠樣まちどほさま。――これから一寸ちよつと薄うすどろに成なるのである。

おごつた、黄きじまの郡内ぐんないである。通例つうれい私わたしたちが用もちゐるのは、四角しかくで薄うすくて、ちよぼりとして居ゐて、腰こしを載のせるとその重量おもみで、少すこし溢あぶんで、膝ひざでぺたんと成なるのだが、そんなのではない。疊たゝみ半疊はんでふばかりなのを、大おほきく、ふはりとこしらへた。私わたしはその頃ころ牛込うしごめの南榎町みなみえのきちやうに住すんで居ゐたが、水道町すゐだうちやうの丸屋まるやから仕立上したてあがりを持込もちこんで、御おあつらへの疊紙たゝうの結むすび目めを解といた時ときは、四疊半よでふはん唯たゞ一間ひとまの二階にかい半分はんぶんに盛上もりあがつて、女中ぢよちうが細ほそい目めを圓まるくした。私わたしなどの夜具やぐは、むやみと引張ひつぱつたり、被かぶつたりだから、胴中どうなかの綿わたが透切すきぎれがして寒さむい、裾すそを膝ひざへ引包ひつくるめて、袖そでへ頭あたまを突込つツこむで、こと〱蟲むしの形かたちに成なるのに、この女中ぢよちうは、また妙めうな道樂だうらくで、給金きふきんをのこらず夜具やぐにかける、敷しくのが二枚にまい、上うへへかけるのが三枚さんまいといふ贅澤ぜいたくで、下階したの六疊ろくでふ一杯いつぱいに成なつて、はゞかりへ行ゆきかへり足あしの踏所ふみどがない。おまけに、もえ黄ぎの夜具やぐぶろしきを上被うはつぱりにかけて、包つゝんで寢ねた。一ひとつはそれに對たいする敵愾心てきがいしんも加くははつたので。……先まづ奮發ふんぱつした。

――所ところで、夫人ふじんを迎むかへたあとを、そのまゝ押入おしいれへ藏しまつて置おいたのが、思おもひがけず、遠とほからず、紅葉先生こうえふせんせいの料れうに用立ようだつた。

憶起おもひおこす。……先生せんせいは、讀賣新聞よみうりしんぶんに、寒牡丹かんぼたんを執筆中しつぴつちうであつた。横寺町よこでらまちの梅うめと柳やなぎのお宅たくから三町さんちやうばかり隔へだたつたらう。私わたしの小家こいへは餘寒よかん未いまだ相去あひさり申まをさずだつたが――お宅たくは來客らいきやくがくびすを接せつしておびたゞしい。玄關げんくわんで、私わたしたち友達ともだちが留守るすを使つかふばかりにも氣きが散ちるからと、お氣きにいりの煎茶茶碗せんちやぢやわん一ひとつ。……これはそのまゝ、いま頂戴ちやうだいに成なつて居ゐる。……ふろ敷包しきづつみを御持參ごぢさんで、「机つくゑを貸かしな。」とお見みえに成なつた。それ、と二ふたつ三みつほこりをたゝいたが、まだ干ほしも何どうもしない、美うつくしい夫人ふじんの移うつり香かをそのまゝ、右みぎの座布團ざぶとんをすゝめたのである。敢あへてうつり香かといふ。留南木とめぎのかをり、香水かうすゐの香かをりである。私わたしはうまれて、親おやどもからも、先生せんせいからも、女をんなの肉にくの臭氣にほひといふことを教おしへられた覺おぼえがない。從したがつて未いまだに知しらない。汗あせと、わきがと、湯無精ゆぶしやうを除のぞいては、女をんなは――化粧けしやうの香料かうれうのほか、身みだしなみのいゝ女をんなは、臭くさくはないものと思おもつて居ゐる。憚はゞかりながら鼻はなはきく。空腹すきばらへ、秋刀魚さんま、燒やきいもの如ごときは、第一だいいちにきくのである。折角せつかく、結構けつこうなる體臭たいしうをお持合もちあはせの御婦人方ごふじんがたには、相あひすまぬ。が……從したがつて、拂はらひもしないで、敷しかせ申まをした。壁かべと障子しやうじの穴あなだらけな中なかで、先生せんせいは一驚いつきやうをきつして、「何なんだい、これは。――田舍ゐなかから、内證ないしようで嫁よめでもくるのかい。」「へい。」「馬うまのくらに敷しくやうだな。」「えへゝ。」私わたしも弱よわつて、だらしなく頭あたまをかいた。「茶ちやがなかつたら、内うちへ行いつて取とつて來きな。鐵瓶てつびんをおかけ。」と小造こづくりな瀬戸火鉢せとひばちを引寄ひきよせて、ぐい、と小机こづくゑに向むかひなすつた。それでも、せんべい布團ぶとんよりは、居心ゐごころがよかつたらしい。……五日いつかばかりおいでが續つゞいた。

暮合くれあひの土間どまに下駄げたが見みえぬ。

「先生せんせいは?……」

通とほりへ買物かひものから、歸かへつて聞きくと、女中ぢよちうが、今いましがたお歸かへりに成なつたといふ。矢來やらいの辻つじで行違ゆきちがつた。……然さうか、と何どうも冴さえ返かへつて恐おそろしく寒さむかつたので、いきなり茶ちやの間まの六疊ろくでふへ入はひつて、祖母そぼが寢ねて居ゐた行火あんくわの裾すそへ入はひつて、尻しりまで潛もぐると、祖母おばあさんが、むく〱と起おきて、火ひをかき立たててくれたので、ほか〱いゝ心持こゝろもちになつて、ぐつすり寢込ねこむだ。「柳川やながはさんが、柳川やながはさんがお見みえになりました。」うつとりと目めを覺さますと、「雪ゆきだよ、雪ゆきだよ、大雪おほゆきに成なつた。この雪ゆきに寢ねて居ゐる奴やつがあるものか。」と、もう枕元まくらもとに長ながい顏かほが立たつて居ゐる。上あがれ、二階にかいへと、マツチを手探てさぐりでランプを點つけるのに馴なれて居ゐるから、いきなり先さきへ立たつて、すぐの階子段はしごだんを上あがつて、ふすまを開あけると、むツと打うつ煙けむりに目めのくらむより先さきに、机つくゑの前まへに、眞紅まつかな毛氈もうせん敷しいたかと、戸袋とぶくろに、雛ひなの幻まぼろしがあるやうに、夢心地ゆめごこちに成なつたのは、一ひとはゞ一面いちめんの火ひであつた。地獄ぢごくへ飛とぶやうに辷すべり込こむと、青あをい火鉢ひばちが金色きんいろに光ひかつて、座布團ざぶとん一枚いちまい、ありのまゝに、萌黄もえぎを細ほそく覆輪ふくりんに取とつて、朱しゆとも、血ちとも、るつぼのたゞれた如ごとくにとろけて、燃拔もえぬけた中心ちうしんが、藥研やげんに窪くぼんで、天井てんじやうへ崩くづれて、底そこの眞黒まつくろな板いたには、ちら〱と火ひの粉こがからんで、ぱち〱と煤すゝを燒やく、炎ほのほで舐なめる、と一目ひとめ見みた。「大變たいへんだ。」私わたしは夢中むちうで、鐵瓶てつびんを噴火口ふんくわこうへ打覆ぶちまけた。心こゝろ利きいて、すばやい春葉しゆんえふだから、「水みづだ、水みづだ。」と、もう臺所だいどころで呼よぶのが聞きこえて、私わたしが驅かけおりるのと、入違いれちがひに、狹せまい階子段はしごだん一杯いつぱいの大丸おほまるまげの肥滿ふとつたのと、どうすれ合あつたか、まげの上うへを飛とびおりたか知しらない。下おりざまに、おゝ、一手桶ひとてをけ持もつて女中ぢよちうが、と思おもふ鼻はなのさきを、丸々まる〱とした脚あしが二本にほん、吹ふきおろす煙けむりの中なかを宙ちうへ上あがつた。すぐに柳川やながはが馳違はせちがつた。手てにバケツを提さげながら、「あとは、たらひでも、どんぶりでも、……水瓶みづがめにまだある。」と、この手てが二階にかいへ屆とゞいた、と思おもふと、下したの座敷ざしきの六疊ろくでふへ、ざあーと疎まばらに、すだれを亂みだして、天井てんじやうから水みづが落おちた。さいはひに、火ひの粉こでない。私わたしは柳川やながはを恩人おんじんだと思おもふ――思おもつて居ゐる。もう一歩ひとあし來きやうが遲おそいと、最早もはや言ことばを費つひやすにおよぶまい。

敷合しきあはせ疊たゝみ三疊さんでふ、丁度ちやうど座布團ざぶとんとともに、その形かたちだけ、ばさ〱の煤すゝになつて、うづたかく重かさなつた。下したも煤すゝだらけ、水みづびたしの中なかに畏かしこまつて、吹ふきつける雪風ゆきかぜの不安ふあんさに、外そとへ出でる勇氣ゆうきはない。勞らうを謝しやするに酒さけもない。柳川やながはは卷煙草まきたばこの火ひもつけずに、ひとりで蕎麥そばを食たべるとて歸かへつた。

女中ぢよちうが、づぶぬれの疊たゝみへ手てをついて、「申譯まをしわけがございません。お寒さむいので、炭すみをどつさりお繼つぎ申まをしあげたものですから、先生樣せんせいさまはお歸かへりがけに、もう一度いちどよく埋いけなよ、と確たしかに御注意ごちうい遊あそばしたのでございますものを、つい私わたくしが疎雜ぞんざいで。……炭すみが刎はねまして、あのお布團ふとんへ。……申譯まをしわけがございません。」祖母そぼが佛壇ぶつだんの輪りんを打うつて座すわつた。私わたしも同おなじやうに座すわつた。「……兄あに、これからも氣きをつけさつしやい、内うちでは昔むかしから年越としこしの今夜こんやがの。……」忘わすれて居ゐた、如何いかにもその夜よは節分せつぶんであつた。私わたしが六むつつから九こゝのつぐらゐの頃ころだつたと思おもふ。遠とほい山やまの、田舍ゐなかの雪ゆきの中なかで、おなじ節分せつぶんの夜よに、三年さんねん續つゞけて火ひの過失あやまちをした、心こゝろさびしい、もの恐おそろしい覺おぼえがある。いつも表二階おもてにかいの炬燵こたつから。……一度いちどは職人しよくにんの家いへの節分せつぶんの忙いそがしさに、私わたしが一人ひとりで寢ねて居ゐて、下したがけを踏込ふみこんだ。一度いちどは雪國ゆきぐにでする習慣ならはし、濡ぬれた足袋たびを、やぐらに干ほした紐ひもの結むすびめが解とけて火ひに落おちたためである。もう一度いちどは覺おぼえて居ゐない。いづれも大事だいじに至いたらなかつたのは勿論もちろんである。が、家中いへぢう水みづを打うつて、燈ひも氷こほつた。三年目さんねんめの時ときの如ごときは、翌朝よくあさの飯めしも汁しるも凍いてて、軒のきの氷柱つらゝが痛いたかつた。

番町ばんちやうへ越こして十二三年じふにさんねんになる。あの大地震おほぢしんの前まへの年としの二月四日にぐわつよつかの夜よは大雪おほゆきであつた。二百十日にひやくとをかもおなじこと、日記につきを誌しるす方々かた〲は、一寸ちよつと日ひづけを御覽ごらんを願ねがふ、雨あめも晴はれも、毎年まいねんそんなに日ひをかへないであらうと思おもふ。現げんに今年ことし、この四月しぐわつは、九日こゝぬか、十日とをか、二日ふつか續つゞけて大風おほかぜであつた。いつか、吉原よしはらの大火たいくわもおなじ日ひであつた。然しかもまだ誰だれも忘わすれない、朝あさからすさまじい大風おほかぜで、花はなは盛さかりだし、私わたしは見付みつけから四谷よつやの裏通うらどほりをぶらついたが、土つちがうづを卷まいて目めも開あけられない。瓦かはらを粉こにしたやうな眞赤まつかな砂煙すなけむりに、咽喉のどを詰つまらせて歸かへりがけ、見付みつけの火ひの見み櫓やぐらの頂邊てつぺんで、かう、薄赤うすあかい、おぼろ月夜づきよのうちに、人影ひとかげの入亂いりみだれるやうな光景くわうけいを見みたが。――淺草邊あさくさへんへ病人びやうにんの見舞みまひに、朝あさのうち出でかけた家内かないが、四時頃よじごろ、うすぼんやりして、唯今たゞいまと歸かへつた、見舞みまひに持もつて出でた、病人びやうにんの好すきさうな重詰ぢうづめものと、いけ花ばなが、そのまゝすわつた前まへかけの傍そばにある。「おや。」「どうも、何なんだつて大變たいへんな人ひとで、とても内うちへは入はひれません。」「はてな、へい?……」いかに見舞客みまひきやくが立込たてこんだつて、まはりまはつて、家いへへ入はひれないとは變へんだ、と思おもふと、戸外おもてを吹ふきすさぶ風かぜのまぎれに、かすれ聲ごゑを咳せきして、いく度たびか話はなしが行違ゆきちがつて漸やつと分わかつた。大火事おほくわじだ! そこへ號外がうぐわいが駈かけまはる。……それにしても、重詰ぢうづめを中味なかみのまゝ持もつて來かへる事ことはない、と思おもつたが、成程なるほど、私わたしの家内かないだつて、面つらはどうでも、髮かみを結ゆつた婦をんなが、「めしあがれ。」とその火事場くわじばの眞まん中なかに、重詰ぢうづめに花はなを添そへて突つきだしたのでは狂人きちがひにされるより外ほかはない……といつた同おなじ日ひの大風おほかぜに――あゝ、今年ことしは無事ぶじでよかつた。……

所ところで地震前ぢしんまへのその大雪おほゆきの夜よるである。晩食ばんしよくに一合いちがふで、いゝ心持こゝろもちにこたつで寢込ねこんだ。ふすま一重ひとへ茶ちやの室まで、濱野はまのさんの聲こゑがするので、よく、この雪ゆきに、と思おもひながら、ひよいと起おきて、ふらりと出でた。話はなしをするうちに、さく〱と雪ゆきを分わける音おとがして、おん厄やく拂はらひましよな、厄落やくおとし。……妹背山いもせやまの言立いひたてなんぞ、芝居しばゐのは嫌きらひだから、青あをものか、魚さかなの見立みたてで西にしの海うみへさらり、などを聞きくと、又またさつ〱と行ゆく。おん厄やく拂はらひましよな、厄落やくおとし。……遙はるかに聲こゑが消きえると、戸外おもてが宵よひの口くちだのに、もう寂寞しんとして、時々とき〲びゆうと風かぜが騷さわぐ。何なんだか、どうも、さつきから部屋へやへ氣きがこもる。玄關境げんくわんざかひのふすまを開あけたが、矢張やつぱり息いきがこもる。そのうち、香かうばしいやうな、遠とほくで……海藻かいさうをあぶるやうな香にほひが傳つたはる。香にほひは可厭いやではないが、少すこしうつたうしい。出窓でまどを開あけた。おゝ、降ふる〱、壯さかんに白しろい。まむかうの黒くろべいも櫻さくらがかぶさつて眞白まつしろだ。さつと風かぜで消けしたけれども、しめた後あとは又またこもつて咽むせつぽい。濱野はまのさんも咳せきして居ゐた。寒餅かんもちでも出だす氣きだつたか、家内かないが立たつて、この時とき、はじめて、座敷ざしきの方はうのふすまを開あけた、……と思おもふと、ひし〱と疊たゝみにくひ込こんで、そのくせ飛とぶやうな音おとを立たてて、「水みづ、水みづ……」何なんと、立たつと、もう〱として、八疊はちでふは黒くろい吹雪ふゞき。

煙けむりの波なみだ。荒磯あらいその巖いはの炬燵こたつが眞赤まつかだ。が此時このとき燃拔もえぬけては居ゐなかつた。後あとで見みると、櫓やぐらの兩脚りやうあしからこたつの縁へり、すき間まをふさいだ小布團こぶとんを二枚にまい黒焦くろこげに、下したがけの裾すそを燒やいて、上うへへ拔ぬけて、上うはがけの三布布團みのぶとんの綿わたを火ひにして、表おもてが一面いちめんに黄色きいろにいぶつた。もう一呼吸ひといきで、燃もえ上あがるところであつた。臺所だいどころから、座敷ざしきへ、水みづも夜具やぐも布團ふとんも一所いつしよに打ぶちまけて、こたつは忽たちまち流ながれとなつた。が屈強くつきやうな客きやくが居合ゐあはせた。女中ぢよちうも働はたらいた。家内かないも落おちついた。私わたしは一人ひとり、おれぢやあない、おれぢやあない、と、戸惑とまどひをして居ゐたが、出でしなに、踏込ふみこんだに相違さうゐない。この時ときも、さいはひ何處どこの窓まども戸とも閉込とぢこんで居ゐたから、きなつ臭くさいのを通とほり越こして、少々せう〱小火ぼやの臭にほひのするのが屋根々々やね〱の雪ゆきを這はつて遁にげて、近所きんじよへも知しれないで、申譯まをしわけをしないで濟すんだ。が、寒さむさは寒さむし、こたつの穴あなの水みづたまりを見みて、胴震どうぶるひをして、小ちひさくなつて畏かしこまつた。夜具やぐを背負しよはして町内ちやうないをまはらせられないばかりであつた。あいにく風かぜが強つよくなつて、家いへの周圍まはりを吹ふきまはる雪ゆきが、こたつの下したへ吹ふきたまつて、パツと赤あかく成なりさうで、一晩ひとばんおびえて寢ねられなかつた。――下宿げしゆくへ歸かへつた濱野はまのさんも、どうも、おち〱寢ねられない。深夜しんやの雪ゆきを分わけて、幾度いくどか見舞みまはう、と思おもつたほどだつたさうである。

これが節分せつぶんの晩ばんである。大都會だいとくわいの喧騷けんさうと雜音ざつおんに、その日ひ、その日ひの紛まぎるゝものは、いつか、魔界まかいの消息せうそくを無視むしし、鬼神きじんの隱約いんやくを忘却ばうきやくする。……

五年ごねんとは經たたぬのに――浮うつかりした。

今年ことし、二月三日にぐわつみつか、點燈頃てんとうごろ、やゝ前まへに、文藝春秋ぶんげいしゆんじうの事ことについて、……齋藤さいとうさんと、菅すがさんの時々とき〲見みえるのが、その日ひは菅すがさんであつた。小稿せうかうの事ことである。――その夜よ九時頃くじごろ濱野はまのさんが來きて、茶ちやの聞まで話はなしながら、ふと「いつかのこたつ騷さわぎは、丁度ちやうど節分せつぶんの今夜こんやでしたね。」といふのを半なかば聞きくうちに、私わたしはドキリとした。總毛立そうけだつてぞつとした。――前刻さつき、菅すがさんに逢あつた時とき、私わたしは折をりしも紅あかインキで校正かうせいをして居ゐたが、組版くみはんの一面いちめん何行なんぎやうかに、ヴエスビヤス、噴火山ふんくわざんの文宇もんじがあつた。手近てぢかな即興詩人そくきようしじんには、明あきらかにヱズヰオと出でて居ゐるが、これをそのまゝには用もちゐられぬ。いさゝか不確ふたしかな所ところを、丁度ちやうど可よい。教をしへをうけようと、電氣でんきを點つけて、火鉢ひばちの上うへへ、あり合あはせた白紙はくしをかざして、その紅あかいインキで、ヴヱスビヤス、ブエスビイヤス、ヴエスヴイヤス、ヴエスビイヤス、どれが正たゞしいのでせう、と聞きき〱――彩いろどり記しるした。

あゝ、火ひのやうに、ちら〱する。

私わたしは二階にかいへ驅上かけあがつて、その一枚いちまいを密そつと懷ふところにした。

冷つめたい汗あせが出でた。

濱野はまのさんが歸かへつてから、その一枚いちまいを水みづに浸ひたして、そして佛壇ぶつだんに燈あかりを點てんじた。謹つゝしんで夜よを守まもつたのである

大正十五年四月―五月

底本 / Source edition

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※表題は底本では、「火《ひ》の用心《ようじん》の事《こと》」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年8月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/050779_000050/tei
プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/050779_000050/

泉 鏡花、泉 鏡太郎「火の用心の事」(旧字旧仮名)、底本『鏡花全集 巻二十七』岩波書店、1942年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 050779_000050, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite