Soranoha

番茶話

ばんちゃばなし

泉 鏡花、泉 鏡太郎

蛙かへる

小石川こいしかは傳通院でんづうゐんには、(鳴なかぬ蛙かへる)の傳説でんせつがある。おなじ蛙かへるの不思議ふしぎは、確たしか諸國しよこくに言傳いひつたへらるゝと記憶きおくする。大抵たいてい此これには昔むかしの名僧めいそうの話はなしが伴ともなつて居ゐて、いづれも讀經どきやうの折をり、誦念しようねんの砌みぎりに、其その喧噪さわがしさを憎にくんで、聲こゑを封ふうじたと言いふのである。坊ばうさんは偉えらい。蛙かへるが居ゐても、騷さわがしいぞ、と申まをされて、鳴なかせなかつたのである。其處そこへ行ゆくと、今時いまどきの作家さくかは恥はづかしい――皆みなが然さうではあるまいが――番町ばんちやうの私わたしの居ゐるあたりでは犬いぬが吠ほえても蛙かへるは鳴なかない。一度いちどだつて贅澤ぜいたくな叱言こゞとなどは言いはないばかりか、實じつは聞ききたいのである。勿論もちろん叱言こゞとを言いつたつて、蛙かへるの方はうではお約束やくそくの(面つらへ水みづ)だらうけれど、仕事しごとをして居ゐる時ときの一寸ちよつと合方あひかたにあつても可よし、唄うたに……「池いけの蛙かへるのひそ〱話ばなし、聞きいて寢ねる夜よの……」と言いふ寸法すんぱふも惡わるくない。……一體いつたい大だいすきなのだが、些ちつとも鳴なかない。殆ほとんどひと聲こゑも聞きこえないのである。又またか、とむかしの名僧めいそうのやうに、お叱しかりさへなかつたら、こゝで、番町ばんちやうの七不思議なゝふしぎとか稱となへて、其その一ひとつに數かぞへたいくらゐである。が、何なにも珍めづらしがる事ことはない。高臺たかだいだから此この邊へんには居ゐないのらしい。――以前いぜん、牛込うしごめの矢來やらいの奧おくに居ゐた頃ころは、彼處等あすこいらも高臺たかだいで、蛙かへるが鳴ないても、たまに一ひとつ二ふたつに過すぎないのが、もの足たりなくつて、御苦勞千萬ごくらうせんばん、向島むかうじまの三みめぐりあたり、小梅こうめの朧月おぼろづきと言いふのを、懷中ふところばかり春はる寒さむく痩腕やせうでを組くみながら、それでものんきに歩あるいた事こともあつたつけ。……最もう恁かう世よの中なかがせゝつこましく、物價ぶつかが騰貴とうきしたのでは、そんな馬鹿ばかな眞似まねはして居ゐられない。しかし此この時節じせつのあの聲こゑは、私わたしは思おもひ切きれず好すきである。處ところで――番町ばんちやうも下六しもろくの此邊このへんだからと云いつて、石いしの海月くらげが踊をどり出だしたやうな、石燈籠いしどうろうの化ばけたやうな小旦那こだんなたちが皆無かいむだと思おもはれない。一町いつちやうばかり、麹町かうぢまちの電車通でんしやどほりの方はうへ寄よつた立派りつぱな角邸かどやしきを横町よこちやうへ曲まがると、其處そこの大溝おほどぶでは、くわツ、くわツ、ころ〱ころ〱と唄うたつて居ゐる。しかし、月つきにしろ、暗夜やみにしろ、唯と、おも入いれで、立たつて聽きくと成なると、三みめぐり田圃たんぼをうろついて、狐きつねに魅つままれたと思おもはれるやうな時代じだいな事ことでは濟すまぬ。誰たれに何なんと怪あやしまれようも知しれないのである。然さらばと言いつて、一寸ちよつと蛙かへるを、承うけたまはりまする儀ぎでと、一々いち〱町内ちやうないの差配さはいへ斷ことわるのでは、木戸錢きどせんを拂はらつて時鳥ほとゝぎすを見みるやうな殺風景さつぷうけいに成なる。……と言いふ隙ひまに、何なんの、清水谷しみづだにまで行ゆけばだけれど、要えうするに不精ぶしやうなので、家うちに居ゐながら聞ききたいのが懸値かけねのない處ところである。

里見弴さとみとんさんが、まだ本家ほんけ有島ありしまさんに居ゐなすつた、お知己ちかづきの初はじめの頃ころであつた。何なにかの次手ついでに、此話このはなしをすると、庭にはの池いけにはいくらでも鳴ないて居ゐる。……そんなに好すきなら、ふんづかまへて上あげませう。背戸せどに蓄かつて御覽ごらんなさい、と一向いつかう色氣いろけのなささうな、腕白わんぱくらしいことを言いつて歸かへんなすつた。――翌日よくじつだつけ、御免下ごめんくださアい、と耄ぼけた聲こゑをして音訪おとづれた人ひとがある。山内やまのうち(里見氏さとみし本姓ほんせい)から出でましたが、と言いふのを、私わたしが自分じぶんで取次とりついで、はゝあ、此これだな、白樺しらかばを支那鞄しなかばんと間違まちがへたと言いふ、名物めいぶつの爺とつさんは、と頷うなづかれたのが、コツプに油紙あぶらがみの蓋ふたをしたのに、吃驚びつくりしたのやら、呆あきれたのやら、ぎよつとしたのやら、途方とはうもねえ、と言いつた面つらをしたのやら、手てを突張つツぱつて慌あわてたのやら、目めばかりぱち〱して縮すくんだのやら、五六疋ぴき入はひつたのを屆とゞけられた。一筆ひとふで添そつて居ゐる――(お約束やくそくの此この連中れんぢうの、早はやい處ところを引ひつ捉とらへてお目めに掛かけます。しかし、どれも面つらつきが前座ぜんざらしい。眞打しんうちは追おつて後あとより。)――私わたしはうまいなと手てを拍うつた。いや、まだコツプを片手かたてにして居ゐる。うまい、と膝ひざを叩たゝいた。いや、まだ立たつたまゝで居ゐる。いや何なんにしろ感心かんしんした。

臺所だいどころから縁側えんがはに出でて仰山ぎやうさんに覗のぞき込こむ細君さいくんを「これ平民へいみんの子こはそれだから困こまる……食たべものではないよ。」とたしなめて「何どうだい。」と、裸體らたいの音曲師おんぎよくし、歌劇オペラの唄うたひ子こと言いふのを振ふつて見みせて、其處そこで相談さうだんをして水盤すゐばんの座ざへ……も些ちつと大業おほげふだけれども、まさか缺擂鉢かけすりばちではない。杜若かきつばたを一年ひととせ植うゑたが、あの紫むらさきのおいらんは、素人手しろうとでの明あかり取とりぐらゐな處ところでは次つぎの年としは咲さかうとしない。葉はばかり殘のこして駈落かけおちをした、泥どろのまゝの土鉢どばちがある。……其それへ移うつして、簀すの子こで蓋ふたをした。

弴とんさんの厚意こういだし、聲こゑを聞きいたら聞分きゝわけて、一枚いちまいづゝ名なでもつけようと思おもふと、日ひが暮くれてもククとも鳴なかない。パチヤリと水みづの音おともさせなければ、其その晩ばんはまた寂寞しんとして風かぜさへ吹ふかない。……馴染なじみなる雀すゞめばかりで夜よが明あけた。金魚きんぎよを買かつた小兒こどものやうに、乘のしかゝつて、踞しやがんで見みると、逃にげたぞ! 畜生ちくしやう、唯たゞの一匹いつぴきも、影かげも形かたちもなかつた。

俗ぞくに、蟇ひきがへるは魔まものだと言いふ。嘗かつて十何匹じふなんびき、行水盥ぎやうずゐだらひに伏ふせたのが、一夜いちやの中うちに形かたちを消けしたのは現げんに知しつて居ゐる。

雨蛙あまがへるや青蛙あをがへるが、そんな離はなれ業わざはしなからうと思おもつたが――勿論もちろん、それだけに、蓋ふたも嚴重げんぢうでなしに隙すきがあればあつたのであらう。

二三日にさんにち經たつて、弴とんさんに此この話はなしをした。丁ちやうど其日そのひ、同おなじ白樺しらかばの社中しやちうで、御存ごぞんじの名歌集めいかしふ『紅玉こうぎよく』の著者ちよしや木下利玄きのしたりげんさんが連立つれだつて見みえて居ゐた。――木下きのしたさんの方はうは、弴とんさんより三四年さんよねん以前いぜんからよく知しつて居ゐたが――當日たうじつ連立つれだつて見みえた。早速さつそく小音曲師せうおんぎよくし逃亡かけおちの話はなしをすると、木下きのしたさんの言いはるゝには、「大方おほかたそれは、有島ありしまさんの池いけへ歸かへつたのでせう。蛙かへるは隨分ずゐぶん遠とほくからも舊もとの土つちへ歸かへつて來きます。」と言いつて話はなされた。嘗かつて、木下きのしたさんの柏木かしはぎの邸やしきの、矢張やつぱり庭にはの池いけの蛙かへるを捉とらへて、水掻みづかきの附元つけもとを(紅あかい絹絲きぬいと)……と言いふので想像さうざうすると――御容色ごきりやうよしの新夫人しんふじんのお手傳てつだひがあつたらしい。……其その紅あかい絲いとで、脚あしに印しるしをつけた幾疋いくひきかを、遠とほく淀橋よどばしの方はうの田たの水みづへ放はなしたが、三日みつかめ四日よつかめ頃ごろから、氣きをつけて、もとの池いけの面おもを窺うかゞふと、脚あしに絲いとを結むすんだのがちら〱居ゐる。半月はんつきほどの間あひだには、殆ほとんど放はなした數かずだけが、戻もどつて居ゐて、皆みなもみぢ袋ぶくろをはいた娘むすめのやうで可憐かれんだつた、との事ことであつた。――あとで、何なにかの書しよもつで見みたのであるが、蛙かへるの名なは(かへる)(歸かへる)の意義いぎださうである。……此これは考證かうしようじみて來きた。用捨箱ようしやばこ、用捨箱ようしやばことしよう。

就ついて思おもふのに、本當ほんたうか何どうかは知しらないが、蛙かへるの聲こゑは、隨分ずゐぶん大おほきく、高たかいやうだけれども、餘あまり遠とほくては響ひゞかぬらしい。有島ありしまさんの池いけは、さしわたし五十間ごじつけんまでは離はなれて居ゐまい。それだのに、私わたしの家いへまでは聞きこえない。――でんこでんこの遊あそびではないが、一町いつちやうほど遠とほい遠とほうい――角邸かどやしきから響ひゞかないのは無論むろんである。

久ひさしい以前いぜんだけれど、大塚おほつかの火藥庫くわやくこわき、いまの電車でんしやの車庫しやこのあたりに住すんで居ゐた時とき、恰あたかも春はるの末すゑの頃ころ、少々せう〱待人まちびとがあつて、其その遠とほくから來くる俥くるまの音おとを、廣ひろい植木屋うゑきやの庭にはに面めんした、汚きたない四疊半よでふはんの肱掛窓ひぢかけまどに、肱ひぢどころか、腰こしを掛かけて、伸のし上あがるやうにして、來くるのを待まつて、俥くるまの音おとに耳みゝを澄すました事ことがある。昨夜ゆうべも今夜こんやも、夜よが更ふけると、コーと響ひゞく聲こゑが遙はるかに聞きこえる、それが俥くるまの音おとらしい。尤もつとも護謨輪ごむわなどと言いふ贅澤ぜいたくな時代じだいではない。近ちかづけばカラ〱と輪わが鳴なるのだつたが、いつまでも、唯たゞコーと響ひゞく。それが離はなれも離はなれた、まつすぐに十四五町じふしごちやう遠とほい、丁ちやうど傳通院前でんづうゐんまへあたりと思おもふ處ところに聞きこえては、波なみの寄よるやうに響ひゞいて、颯さつと又また汐しほのひくやうに消きえると、空頼そらだのみの胸むねの汐しほも寂さびしく泡あわに消きえる時とき、それを、すだき鳴なく蛙かへるの聲こゑと知しつて、果敢はかない中なかにも可懷なつかしさに、不埒ふらちな凡夫ぼんぷは、名僧めいそうの功力くりきを忘わすれて、所謂いはゆる、(鳴なかぬ蛙かへる)の傳説でんせつを思おもひうかべもしなかつた。……その記憶きおくがある。

それさへ――いま思おもへば、空そら吹ふく風かぜであつたらしい。

又また思出おもひだす事ことがある。故人こじん谷活東たにくわつとうは、紅葉先生こうえふせんせいの晩年ばんねんの準門葉じゆんもんえふで、肺病はいびやうで胸むねを疼いたみつゝ、洒々落々しや〱らく〱とした江戸えどツ兒こであつた。(かつぎゆく三味線箱さみせんばこや時鳥ほとゝぎす)と言いふ句くを仲なかの町ちやうで血ちとともに吐はいた。此この男をとこだから、今いまでは逸事いつじと稱しようしても可よいから一寸ちよつと素破すつぱぬくが、柳橋やなぎばしか、何處どこかの、お玉たまとか云いふ藝妓げいしやに岡惚をかぼれをして、金かねがないから、岡惚をかぼれだけで、夢中むちうに成なつて、番傘ばんがさをまはしながら、雨あめに濡ぬれて、方々はう〲蛙かへるを聞きいて歩行あるいた。――どの蛙かへるも、コタマ! オタマ! と鳴なく、と言いふのである。同おなじ男をとこが、或時あるとき、小店こみせで遊あそぶと、其合方そのあひかたが、夜よふけてから、薄暗うすぐらい行燈あんどうの灯ひで、幾いくつも〱、あらゆるキルクの香にほひを嗅かぐ。……あらゆると言いつて、「此これが惠比壽ゑびすビールの、此これが麒麟きりんビールの、札幌さつぽろの黒くろビール、香竄葡萄かうざんぶだう、牛久うしくだわよ。甲斐産かひさんです。」と、活東くわつとうの寢ねた鼻はなへ押おつつけて、だらりと結むすんだ扱帶しごきの間あひだからも出だせば、袂たもとにも、懷中ふところにも、懷紙くわいしの中なかにも持もつて居ゐて、眞しんに成なつて、眞顏まがほで、目めを据すゑて嗅かぐのが油あぶらを舐なめるやうで凄すごかつたと言いふ……友ともだちは皆みな知しつて居ゐる。此この話はなしを――或時あるとき、弴とんさんと一所いつしよに見みえた事ことのある志賀しがさんが聞きいて、西洋せいやうの小説せうせつに、狂氣きやうきの如ごとく鉛筆えんぴつを削けづる奇人きじんがあつて、女をんなのとは限かぎらない、何なんでも他人たにんの持もつたのを内證ないしよで削けづらないでは我慢がまんが出來できない。魔的まてきに警察けいさつに忍しのび込こんで、署長しよちやうどのの鉛筆えんぴつの尖さきを鋭するどく針はりのやうに削けづつて、ニヤリとしたのがある、と言いふ談話はなしをされた。――不束ふつゝかで恐おそれ入いるが、小作せうさく蒟蒻本こんにやくぼんの蝋燭らふそくを弄もてあそぶ宿場女郎しゆくばぢよらうは、それから思おもひ着ついたものである。

書齋しよさいの額がくをねだつた時とき、紅葉先生こうえふせんせいが、活東子くわつとうしのために(春星池しゆんせいち)と題だいされたのを覺おぼえて居ゐる。……春星池活東しゆんせいちくわつとう、活東くわつとうは蝌蚪くわとにして、字義じぎ(オタマジヤクシ)ださうである。

玉蟲たまむし

去年きよねんの事ことである。一雨ひとあめに、打水うちみづに、朝夕あさゆふ濡色ぬれいろの戀こひしく成なる、乾かわいた七月しちぐわつのはじめであつた。……家内かないが牛込うしごめまで用ようたしがあつて、午ひる些ちと過すぎに家いへを出でたが、三時頃さんじごろ歸かへつて來きて、一寸ちよつと目めを圓まるくして、それは〱氣味きみの惡わるいほど美うつくしいものを見みましたと言いつて、驚おどろいたやうに次つぎの話はなしをした。

早はやいもので、先せんに彼處あすこに家いへの建續たてつゞいて居ゐた事ことは私わたしたちでも最もう忘わすれて居ゐる、中六番町なかろくばんちやうの通とほり市いちヶ谷や見附みつけまで眞直まつすぐに貫つらぬいた廣ひろい坂さかは、昔むかしながらの帶坂おびざかと、三年坂さんねんざかの間あひだにあつて、確たしかまだ極きまつた名稱めいしようがないかと思おもふ。……新坂しんざかとか、見附みつけの坂さかとか、勝手かつてに稱となへて間まに合あはせるが、大おほきな新あたらしい坂さかである。此この坂さかの上うへから、遙はるかに小石川こいしかはの高臺たかだいの傳通院でんづうゐんあたりから、金剛寺坂上こんがうじざかうへ、目白めじろへ掛かけてまだ餘あまり手ての入はひらない樹木じゆもくの鬱然うつぜんとした底そこに江戸川えどがはの水氣すゐきを帶おびて薄うすく粧よそほつたのが眺ながめられる。景色けしきは、四季しき共ともに爽さわやかな且かつ奧床おくゆかしい風情ふぜいである。雪景色ゆきげしきは特とくに可いい。紫むらさきの霞かすみ、青あをい霧きり、もみぢも、花はなも、月つきもと數かぞへたい。故々わざ〱言いふまでもないが、坂さかの上うへの一方いつぱうは二七にしちの通とほりで、一方いつぱうは廣ひろい町まちを四谷見附よつやみつけの火ひの見みへ拔ぬける。――角かどの青木堂あをきだうを左ひだりに見みて、土つちの眞白まつしろに乾かわいた橘鮨たちばなずしの前まへを……薄うすい橙色オレンジいろの涼傘ひがさ――束たばね髮がみのかみさんには似合にあはないが、暑あついから何どうも仕方しかたがない――涼傘ひがさで薄雲うすぐもの、しかし雲くものない陽ひを遮さへぎつて、いま見附みつけの坂さかを下おりかけると、眞日中まひなかで、丁ちやうど人通ひとどほりが途絶とだえた。……一人ひとりや二人ふたりはあつたらうが、場所ばしよが廣ひろいし、殆ほとんど影かげもないから寂寞ひつそりして居ゐた。柄えを持もつた手許てもとをスツと潛くゞつて、目めの前まへへ、恐おそらく鼻はなと並ならぶくらゐに衝つと鮮あざやかな色彩しきさいを見みせた蟲むしがある。深ふかく濃こい眞緑まみどりの翼つばさが晃々きら〱と光ひかつて、緋色ひいろの線せんでちら〱と縫ぬつて、裾すそが金色こんじきに輝かゞやきつゝ、目めと目めを見合みあふばかりに宙ちうに立たつた。思おもはず、「あら、あら、あら。」と十八九の聲こゑを立たてたさうである。途端とたんに「綺麗きれいだわ」「綺麗きれいだわ」と言いふ幼いとけない聲こゑを揃そろへて、女をんなの兒こが三人さんにんほど、ばら〱と駈かけ寄よつた。「小母をばさん頂戴ちやうだいな」「其蟲そのむし頂戴ちやうだいな」と聞きくうちに、蟲むしは、美うつくしい羽はねも擴ひろげず、靜しづかに、鷹揚おうやうに、そして輕かるく縱たてに姿すがたを捌さばいて、水馬みづすましが細波さゝなみを駈かける如ごとく、ツツツと涼傘ひがさを、上うへへ梭投ひなげに衝つくと思おもふと、パツと外そろへそれて飛とぶ。小兒こどもたちと一所いつしよに、あら〱と、また言いふ隙ひまに、電柱でんちうを空くうに傳つたつて、斜上なゝめあがりの高たかい屋根やねへ、きら〱きら〱と青あをく光ひかつて輝かゞやきつゝ、それより日ひの光ひかりに眩まぶしく消きえて、忽たちまち唯たゞ一天いつてんを、遙はるかに仰あふいだと言いふのである。

大おほきさは一寸いつすん二三分にさんぶ、小ちひさな蝉せみぐらゐあつた、と言いふ。……しかし其その綺麗きれいさは、何どうも思おもふやうに言いひあらはせないらしく、じれつたさうに、家内かないは些ちと逆上のぼせて居ゐた。但たゞし蒼あをく成なつたのでは厄介やつかいだ。私わたしは聞きくとともに、直下すぐしたの三番町さんばんちやうと、見附みつけの土手どてには松並木まつなみきがある……大方おほかた玉蟲たまむしであらう、と信しんじながら、其その美うつくしい蟲むしは、顏かほに、其その玉蟲色たまむしいろ笹色さゝいろに、一寸ちよつと、口紅くちべにをさして居ゐたらしく思おもつて、悚然ぞつとした。

すぐ翌日よくじつであつた。が此これは最もう些ちつと時間じかんが遲おそい。女中ぢよちうが晩ばんの買出かひだしに出掛でかけたのだから四時頃よじごろで――しかし眞夏まなつの事ことゆゑ、片蔭かたかげが出來できたばかり、日盛ひざかりと言いつても可いい。女中ぢよちうの方はうは、前通まへどほりの八百屋やほやへ行ゆくのだつたが、下六番町しもろくばんちやうから、通とほりへ出でる藥屋くすりやの前まへで、ふと、左斜ひだりなゝめの通とほりの向側むかうがはを見みると、其處そこへ來掛きかゝつた羅うすものの盛裝せいさうした若わかい奧おくさんの、水淺葱みづあさぎに白しろを重かさねた涼すゞしい涼傘ひがさをさしたのが、すら〱と捌さばく褄つまを、縫留ぬひとめられたやうに、ハタと立留たちどまつたと思おもふと、うしろへ、よろ〱と退しさりながら、翳かざした涼傘ひがさの裡うちで、「あら〱あらあら。」と言いつた。すぐ前まへの、鉢はちものの草花屋くさばなや、綿屋わたや、續つゞいて下駄屋げたやの前まへから、小兒こどもが四五人しごにんばら〱と寄よつて取卷とりまいた時とき、袖そでへ落おとすやうに涼傘ひがさをはづして、「綺麗きれいだわ、綺麗きれいだわ、綺麗きれいな蟲むしだわ。」と魅みせられたやうに言いひつゝ、草履ざうりをつま立だつやうにして、大空おほぞらを高たかく、目めを据すゑて仰あふいだのである。通とほりがかりのものは多勢おほぜいあつた。女中ぢよちうも、間あひだは離はなれたが、皆みな一齊いつせいに立留たちどまつて、陽ひを仰あふいだ――と言いふのである。私わたしは聞きいて、其その夫人ふじんが、若わかいうつくしい人ひとだけに、何なんとなく凄すごかつた。

赤蜻蛉あかとんぼ

一昨年いつさくねんの秋あき九月くぐわつ――私わたしは不心得ふこゝろえで、日記につきと言いふものを認したゝめた事ことがないので幾日いくかだか日ひは覺おぼえて居ゐないが――彼岸前ひがんまへだつただけは確たしかだから、十五日じふごにちから二十日頃はつかごろまでの事ことである。蒸暑むしあつかつたり、涼すゞし過すぎたり、不順ふじゆんな陽氣やうきが、昨日きのふも今日けふもじと〱と降ふりくらす霖雨ながあめに、時々とき〲野分のわきがどつと添そつて、あらしのやうな夜よるなど續つゞいたのが、急きふに朗ほがらかに晴はれ渡わたつた朝あさであつた。自慢じまんにも成ならぬが叱人しかりてもない。……張合はりあひのない例れいの寢坊ねばうが朝飯あさめしを濟すましたあとだから、午前ごぜん十時半頃じふじはんごろだと思おもふ……どん〱と色氣いろけなく二階にかいへ上あがつて、やあ、いゝお天氣てんきだ、難有ありがたい、と御禮おれいを言いひたいほどの心持こゝろもちで、掃除さうぢの濟すんだ冷ひやりとした、東向ひがしむきの縁側えんがはへ出でると、向むかう邸やしきの櫻さくらの葉はが玉たまを洗あらつたやうに見みえて、早はやほんのりと薄紅うすべにがさして居ゐる。狹せまい町まちに目めまぐろしい電線でんせんも、銀ぎんの絲いとを曳ひいたやうで、樋竹とひだけに掛かけた蜘蛛くもの巣すも、今朝けさばかりは優やさしく見みえて、青あをい蜘蛛くもも綺麗きれいらしい。空そらは朝顏あさがほの瑠璃色るりいろであつた。欄干らんかんの前まへを、赤蜻蛉あかとんぼが飛とんで居ゐる。私わたしは大だいすきだ。色いろも可よし、形かたちも可よし……と云いふうちにも、此この頃ごろの氣候きこうが何なんとも言いへないのであらう。しかし珍めづらしい。……極暑ごくしよの砌みぎり、見みても咽喉のどの乾かわきさうな鹽辛蜻蛉しほからとんぼが炎天えんてんの屋根瓦やねがはらにこびりついたのさへ、觸さはると熱あつい窓まどの敷居しきゐに頬杖ほゝづゑして視ながめるほど、庭にはのない家いへには、どの蜻蛉とんぼも訪おとづれる事ことが少すくないのに――よく來きたな、と思おもふうちに、目めの前まへをスツと飛とんで行ゆく。行ゆくと、又また一ひとつ飛とんで居ゐる。飛とんで居ゐるのが向むかうへ行ゆくと、すぐ來きて、又また欄干らんかんの前まへを飛とんで居ゐる。……飛とぶと云いふより、スツ〱と輕かるく柔やはらかに浮ういて行ゆく。

忽たちまち心着こゝろづくと、同おなじ處ところばかりではない。縁側えんがはから、町まちの幅はゞ一杯いつぱいに、青あをい紗しやに、眞紅しんく、赤あか、薄樺うすかばの絣かすりを透すかしたやうに、一面いちめんに飛とんで、飛とびつゝ、すら〱と伸のして行ゆく。……前さきへ〱、行ゆくのは、北西きたにしの市いちヶ谷やの方はうで、あとから〱、來くるのは、東南ひがしみなみの麹町かうぢまちの大通おほどほりの方はうからである。數かずが知しれない。道みちは濡地ぬれつちの乾かわくのが、秋あきの陽炎かげろふのやうに薄白うすじろく搖ゆれつゝ、ほんのり立たつ。低ひくく行ゆくのは、其その影かげをうけて色いろが濃こい。上うへに飛とぶのは、陽ひの光ひかりに色いろが淡うすい。下した行ゆく群むれは、眞綿まわたの松葉まつばをちら〱と引ひき、上うへを行ゆく群むれは、白銀しろがねの針はりをきら〱と飜ひるがへす……際限かぎりもなく、それが通とほる。珊瑚さんごが散ちつて、不知火しらぬひを澄切すみきつた水みづに鏤ちりばめたやうである。

私わたしは身みを飜かへして、裏窓うらまどの障子しやうじを開あけた。こゝで、一寸ちよつと恥はぢを言いはねば理りの聞きこえない迷信めいしんがある。私わたしは表二階おもてにかいの空そらを眺ながめて、その足あしで直すぐに裏窓うらまどを覗のぞくのを不斷ふだんから憚はゞかるのである。何故なぜと言いふに、それを行やつた日ひに限かぎつて、不思議ふしぎに雷らいが鳴なるからである。勿論もちろん、何なにも不思議ふしぎはない。空模樣そらもやうが怪あやしくつて、何どうも、ごろ〱と來きさうだと思おもふと、可恐こはいもの見みたさで、惡わるいと知しつた一方いつぱうは日光につくわう、一方いつぱうは甲州かふしう、兩方りやうはうを、一時いちじに覗のぞかずには居ゐられないからで。――鄰村となりむらで空臼からうすを磨するほどの音おとがすればしたで、慌あわたゞしく起たつて、兩方りやうはうの空そらを窺うかゞはないでは居ゐられない。從したがつて然さう云いふ空合そらあひの時ときには雷鳴らいめいがあるのだから、いつもはかつぐのに、其その時ときは、そんな事ことを言いつて居ゐる隙ひまはなかつた。

窓まどを開あけると、こゝにも飛とぶ。下屋げやの屋根瓦やねがはらの少すこし上うへを、すれ〱に、晃々きら〱、ちら〱と飛とんで行ゆく。しかし、表おもてからは、木戸きどを一ひとつ丁字形ちやうじがたに入組いりくんだ細ほそい露地ろぢで、家いへと家いへと、屋根やねと屋根やねと附着くツついて居ゐる處ところだから、珊瑚さんごの流ながれは、壁かべ、廂ひさしにしがらんで、堰せかるゝと見みえて、表欄干おもてらんかんから見みたのと較くらべては、やゝ疎まばらであつた。此この裏うらは、すぐ四谷見附よつやみつけの火ひの見み櫓やぐらを見透みとほすのだが、其その遠とほく廣ひろいあたりは、日ひが眩まぶしいのと、樹木じゆもくに薄霧うすぎりが掛かゝつたのに紛まぎれて、凡およそ、どのくらゐまで飛とぶか、伸のすか、そのほどは計はかられない。が、目めの屆とゞくほどは、何處どこまでも、無數むすうに飛とぶ。

處ところで、廂ひさしだの、屋根やねだのの蔭かげで、近ちかい處ところは、表おもてよりは、色いろも羽はねも判然はつきりとよく分わかる。上うへは大屋根おほやねの廂ひさしぐらゐで、下したは、然されば丁ちやうど露地裏ろぢうらの共同水道きやうどうすゐだうの處ところに、よその女房かみさんが踞しやがんで洗濯せんたくをして居ゐたが、立たつと其その頭あたまぐらゐ、と思おもふ處ところを、スツ〱と浮ういて通とほる。

私わたしは下したへ下おりた。――家内かないは髮かみを結ゆひに出掛でかけて居ゐる。女中ぢよちうは久ひさしぶりのお天氣てんきで湯殿口ゆどのぐちに洗濯せんたくをする。……其處そこで、昨日きのふ穿はいた泥どろだらけの高足駄たかあしだを高々たか〲と穿はいて、此この透通すきとほるやうな秋日和あきびよりには宛然まるでつままれたやうな形かたちで、カラン〱と戸外おもてへ出でた。が、出でた咄嗟とつさには幻まぼろしが消きえたやうで一疋ひとつも見みえぬ。熟じつと瞳ひとみを定さだめると、其處そこに此處こゝに、それ彼處あすこに、其その數かずの夥おびたゞしさ、下したに立たつたものは、赤蜻蛉あかとんぼの隧道トンネルを潛くゞるのである。往來ゆききはあるが、誰だれも氣きがつかないらしい。一ひとつ二ふたつは却かへつてこぼれて目めに着つかう。月夜つきよの星ほしは數かぞへられない。恁かくまでの赤蜻蛉あかとんぼの大おほいなる群むれが思おもひ立たつた場所ばしよから志こゝろざす處ところへ移うつらうとするのである。おのづから智慧ちゑも力ちからも備そなはつて、陽ひの面おもてに、隱形おんぎやう陰體いんたいの魔法まはふを使つかつて、人目ひとめにかくれ忍しのびつゝ、何處いづこへか通とほつて行ゆくかとも想おもはれた。

先刻さつき、もしも、二階にかいの欄干らんかんで、思おもひがけず目めに着ついた唯たゞ一匹いつぴきがないとすると、私わたしは此この幾千萬いくせんまんとも數すうの知しれない赤蜻蛉あかとんぼのすべてを、全體ぜんたいを、まるで知しらないで了しまつたであらう。後あとで、近所きんじよでも、誰たれ一人ひとり此この素すばらしい群むれの風説うはさをするもののなかつたのを思おもふと、渠等かれらは、あらゆる人ひとの目めから、不可思議ふかしぎな角度かくどに外それて、巧たくみに逸いつし去さつたのであらうも知しれぬ。

さて足駄あしだを引摺ひきずつて、つい、四角よつかどへ出でて見みると、南寄みなみよりの方はうの空そらに濃こい集團しふだんが控ひかへて、近ちかづくほど幅はゞを擴ひろげて、一面いちめんに群むらがりつゝ、北きたの方かたへ伸のすのである。が、厚あつさは雜ざつと塀へいの上うへから二階家にかいやの大屋根おほやねの空そらと見みて、幅はゞの廣ひろさは何どのくらゐまで漲みなぎつて居ゐるか、殆ほとんど見當けんたうが附つかない、と言いふうちにも、幾干いくせんともなく、急いそぎもせず、後おくれもせず、遮さへぎるものを避さけながら、一ひとつ一ひとつがおなじやうに、二三寸にさんずんづゝ、縱横じうわうに間あひだをおいて、悠然いうぜんとして流ながれて通とほる。櫻さくらの枝えだにも、電線でんせんにも、一寸ちよつと留とまるのもなければ、横よこにそれようとするのもない。

引返ひきかへして、木戸口きどぐちから露地ろぢを覗のぞくと、羽目はめと羽目はめとの間あひだに成なる。こゝには一疋いつぴきも飛とんで居ゐない。向むかうの水道端すゐだうばたに、いまの女房かみさんが洗濯せんたくをして居ゐる、其その上うへは青空あをぞらで、屋根やねが遮さへぎらないから、スツ〱晃々きら〱と矢やツ張ぱり通とほるのである。「おかみさん。」私わたしは呼よんだ。「御覽ごらんなさい大層たいそうな蜻蛉とんぼです。」「へゝい。」と大おほきな返事へんじをすると、濡手ぬれてを流ながして泳およぐやうに反そつて空そらを視みた。顏中かほぢうをのこらず鼻はなにして、眩まぶしさうにしかめて、「今朝けさツから飛とんで居ゐますわ。」と言いつた。別べつに珍めづらしくもなささうに唯たゞつい通とほりに、其處等そこらに居ゐる、二三疋にさんびきだと思おもふのであらう。時ときに、もうやがて正午おひるに成なる。

小一時間こいちじかん經たつて、家内かないが髮結かみゆひさんから歸かへつて來きた。意氣込いきごんで話はなしをすると――道理だうりこそ……三光社さんくわうしやの境内けいだいは大變たいへんな赤蜻蛉あかとんぼで、雨あめの水溜みづたまりのある處ところへ、飛とびながらすい〱と下おりるのが一杯いつぱいで、上うへを乘越のりこしさうで成ならなかつた。それを子供こどもたちが目笊めざるで伏ふせるのが、「摘草つみくさをしたくらゐ笊ざるに澤山たくさん。」と言いふのである。三光社さんくわうしやの境内けいだいは、此この邊へんで一寸ちよつと子供こどもの公園こうゑんに成なつて居ゐる。私わたしの家うちからさしわたし二町にちやうばかりはある。此この樣子やうすでは、其處そこまで一面いちめんの赤蜻蛉あかとんぼだ。何處どこを志こゝろざして行ゆくのであらう。餘あまりの事ことに、また一度いちど外そとへ出でた。一時いちじを過すぎた。爾時そのときは最もう一ひとつも見みえなかつた。そして摘草つみくさほど子供こどもにとられたと言いふのを、何なんだか壇だんの浦うらのつまり〱で、平家へいけの公達きんだちが組伏くみふせられ刺殺さしころされるのを聞きくやうで可哀あはれであつた。

とに角かく、此この赤蜻蛉あかとんぼの光景くわうけいは、何なににたとへやうもなかつた。が、同おなじ年とし十一月じふいちぐわつのはじめ、鹽原しほばらへ行いつて、畑下戸はたおりの溪流瀧けいりうたきの下したの淵ふちかけて、流ながれの廣ひろい溪河たにがはを、織おるが如ごとく敷しくが如ごとく、もみぢの、盡つきず、絶たえず、流ながるゝのを見みた時ときと、――鹽しほの湯ゆの、斷崖だんがいの上うへの欄干らんかんに凭もたれて憩いこつた折をりから、夕颪ゆふおろし颯さつとして、千仭せんじんの谷底たにそこから、瀧たきを空状そらざまに、もみぢ葉ばを吹上ふきあげたのが周圍しうゐの林はやしの木この葉はを誘さそつて、滿山まんざんの紅くれなゐの、且かつ大紅玉だいこうぎよくの夕陽ゆふひに映えいじて、かげとひなたに濃こく薄うすく、降ふりかゝつたのを見みた時ときに、前日さきのひの赤蜻蛉あかとんぼの群むれの風情ふぜいを思おもつたのである。

肝心かんじんの事ことを言いひおくれた。――其その日ひの赤蜻蛉あかとんぼは、殘のこらず、一ひとつも殘のこらず、皆みな一ひとつづゝ、一ひとつがひ、松葉まつばにつないで、天人てんにんの乘のる八挺はつちやうの銀ぎんの櫂かいの筏いかだのやうにして飛行ひかうした。

何なんと……同おなじ事ことを昨年さくねんも見みた。……篤志とくしの御方おかたは、一寸ちよつとお日記につきを御覽ごらんを願ねがふ。秋あきの半なかばかけて矢張やつぱり鬱々うつ〱陰々いん〱として霖雨ながあめがあつた。三日みつかとは違ちがふまい。――九月くぐわつの二十日はつか前後ぜんごに、からりと爽さわやかにほの暖あたゝかに晴上はれあがつた朝あさ、同おなじ方角はうがくから同おなじ方角はうがくへ、紅舷こうげん銀翼ぎんよくの小ちひさな船ふねを操あやつりつゝ、碧瑠璃へきるりの空そらをきら〱きら〱と幾千萬艘いくせんまんそう。――家内かないが此この時ときも四谷よつやへ髮かみを結ゆひに行いつて居ゐた。女中ぢよちうが洗濯せんたくをして居ゐた。おなじ事ことである。其その日ひは歸かへつて來きて、見附みつけの公設市場こうせつしぢやうの上うへかけて、お濠ほりの上うへは紀きの國坂くにざかへ一面いちめんの赤蜻蛉あかとんぼだと言いつた。惜をしい哉かな。すぐにもあとを訪たづねないで……晩方ばんがた散歩さんぽに出でて見みた時ときは、見附みつけにも、お濠ほりにも、たゞ霧きりの立たつ水みづの上うへに、それかとも思おもふ影かげが、唯たゞ二ふたつ、三みつ。散ちり來くる木この葉はの、しばらくたゝずまふに似にたのみであつた。

大正十一年五月

底本 / Source edition

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「番茶話《ばんちやばなし》」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年8月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/050778_000050/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/050778_000050/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/050778_000050/

泉 鏡花、泉 鏡太郎「番茶話」(旧字旧仮名)、底本『鏡花全集 巻二十七』岩波書店、1942年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 050778_000050, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite