Soranoha

春着

はるぎ

泉 鏡花、泉 鏡太郎

あら玉たまの春着はるぎきつれて醉ゑひつれて

少年行せうねんかうと前まへがきがあつたと思おもふ……こゝに拜借はいしやくをしたのは、紅葉先生こうえふせんせいの俳句はいくである。處ところが、その着きつれてとある春着はるぎがおなじく先生せんせいの通帳おちやうめんを拜借はいしやくによつて出來できたのだから妙めうで、そこが話はなしである。さきに秋冷しうれい相催あひもよほし、次第しだいに朝夕あさゆふの寒さむさと成なり、やがて暮くれが近ちかづくと、横寺町よこでらまちの二階にかいに日ひが當あたつて、座敷ざしきの明あかるい、大火鉢おほひばちの暖あたゝかい、鐵瓶てつびんの湯ゆの沸たぎつた時ときを見計みはからつて、お弟子でしたちが順々じゆん〱、かく言いふそれがしも、もとよりで、襟垢えりあか、膝ひざぬけと言いふ布子連ぬのこれんが畏かしこまる。「先生せんせい、小清潔こざつぱりとまゐりませんでも、せめて縞柄しまがらのわかりますのを、新年しんねんは一枚いちまいと存ぞんじます……恐おそれ入いりますが、お帳面ちやうめんを。」「また濱野屋はまのやか。」神樂坂かぐらざかには、他ほかに布袋屋ほていやと言いふ――今いまもあらう――呉服屋ごふくやがあつたが、此この濱野屋はまのやの方はうの主人しゆじんが、でつぷりと肥ふとつて、莞爾々々にこ〱して居ゐて、布袋ほていと言いふ呼稱よびながあつた。

が、太鼓腹たいこばらを突出つきだして、でれりとして、團扇うちはで雛妓おしやくに煽あふがせて居ゐるやうなのではない。片膚脱かたはだぬぎで日置流へぎりうの弓ゆみを引ひく。獅子寺ししでらの大弓場だいきうばで先生せんせいと懇意こんいだから、從したがつて弟子でしたちに帳面ちやうめんが利きいた。たゞし信用しんようがないから直接ぢかでは不可いけないのである。「去年きよねんの暮くれのやつが盆ぼんを越こして居ゐるぢやないか。だらしなく飮のみたがつてばかり居ゐるからだ。」「は、今度こんどと言いふ今度こんどは……」「お株かぶを言いつてら。――此この暮くれには屹きつと入いれなよ。」――その癖くせ、ふいと立たつて、「一所いつしよに來きな。」で、通とほりへ出でて、右みぎの濱野屋はまのやで、御自分ごじぶん、めい〱に似合にあふやうにお見立みたて下くだすつたものであつた。

此この春着はるぎで、元日ぐわんじつあたり、大たいして醉ゑひもしないのだけれど、目めつきと足あしもとだけは、ふら〱と四五人しごにん揃そろつて、神樂坂かぐらざかの通とほりをはしやいで歩行あるく。……若わかいのが威勢ゐせいがいゝから、誰だれも(帳面ちやうめん)を着きて居ゐるとは知しらない。いや、知しつて居ゐたかも知しれない。道理だうりで、そこらの地内ちないや横町よこちやうへ入はひつても、つきとほしの笄かうがいで、褄つまを取とつて、羽子はねを突ついて居ゐるのが、聲こゑも掛かけはしなかつた。割前勘定わりまへかんぢやう。乃すなはち蕎麥屋そばやだ。と言いつても、松まつの内うちだ。もりにかけとは限かぎらない。たとへば、小栗をぐりがあたり芋いもをすゝり、柳川やながはがはしらを撮つまみ、徳田とくだがあんかけを食たべる。お酌しやくなきが故ゆゑに、敢あへて世間せけんは怨うらまない。が、各々おの〱その懷中くわいちうに對たいして、憤懣ふんまん不平ふへい勃々ぼつ〱たるものがある。從したがつて氣焔きえんが夥おびたゞしい。

此このありさまを、高たかい二階にかいから先生せんせいが、

あら玉たまの春着はるぎきつれて醉ゑひつれて

涙なみだぐましいまで、可懷なつかしい。

牛込うしごめの方はうへは、隨分ずゐぶんしばらく不沙汰ぶさたをして居ゐた。しばらくと言いふが幾年いくねんかに成なる。このあひだ、水上みなかみさんに誘さそはれて、神樂坂かぐらざかの川鐵かはてつ(鳥屋とりや)へ、晩御飯ばんごはんを食たべに出向でむいた。もう一人ひとりお連つれは、南榎町みなみえのきちやうへ淺草あさくさから引越ひつこした万まんちやんで、二人ふたり番町ばんちやうから歩行あるいて、その榎町えのきちやうへ寄よつて連立つれだつた。が、あの、田圃たんぼの大金だいきんと仲店なかみせのかねだを橋はしがかりで歩行あるいた人ひとが、しかも當日たうじつの發起人ほつきにんだと言いふからをかしい。

途中とちうお納戸町邊なんどまちへんの狹せまい道みちで、七八十尺しちはちじつしやく切立きつたての白煉瓦しろれんぐわに、崖がけを落おちる瀑たきのやうな龜裂ひゞが、枝えだを打うつて、三條みすぢばかり頂邊てつぺんから走はしりかゝつて居ゐるのには肝きもを冷ひやした。その眞下ましたに、魚屋さかなやの店みせがあつて、親方おやかたが威勢ゐせいのいゝ向顱卷むかうはちまきで、黄肌鮪きはだにさしみ庖丁ばうちやうを閃ひらめかして居ゐたのは偉えらい。……見みた處ところは千丈せんぢやうの峰みねから崩くづれかゝる雪雪頽ゆきなだれの下したで薪たきゞを樵こるより危あぶなツかしいのに――此この度胸どきようでないと復興ふくこうは覺束おぼつかない。――ぐら〱と來くるか、おツと叫さけんで、銅貨どうくわの財布さいふと食麺麭しよくパンと魔法壜まはふびんを入いれたバスケツトを追取刀おつとりがたなで、一々いち〱框かまちまで飛とび出だすやうな卑怯ひけふを何どうする。……私わたしは大おほいに勇氣ゆうきを得えた。

が、吃驚びつくりするやうな大景氣だいけいきの川鐵かはてつへ入はひつて、たゝきの側そばの小座敷こざしきへ陣取ぢんどると、細露地ほそろぢの隅すみから覗のぞいて、臆病神おくびやうがみが顯あらはれて、逃路にげみちを探さがせや探さがせやと、電燈でんとうの瞬またゝくばかり、暗くらい指ゆびさしをするには弱よわつた。まだ積つんだまゝの雜具ざふぐを繪屏風ゑびやうぶで劃しきつてある、さあお一杯ひとつは女中ねえさんで、羅綾らりようの袂たもとなんぞは素もとよりない。たゞしその六尺ろくしやくの屏風びやうぶも、飛とばばなどか飛とばざらんだが、屏風びやうぶを飛とんでも、駈出かけだせさうな空地くうちと言いつては何處どこを向むいても無なかつたのであるから。……其その癖くせ、醉よつた。醉よふといゝ心持こゝろもちに陶然たうぜんとした。第一だいいちこの家いへは、むかし蕎麥屋そばやで、夏なつは三階さんがいのもの干ほしでビールを飮のませた時分じぶんから引續ひきつゞいた馴染なじみなのである。――座敷ざしきも、趣おもむきは變かはつたが、そのまゝ以前いぜんの俤おもかげが偲しのばれる。……名めいぶつの額がくがある筈はずだ。横額よこがくに二字にじ、たしか(勤儉きんけん)とかあつて(彦左衞門ひこざゑもん)として、圓まるの中なかに、朱しゆで(大久保おほくぼ)と云いふ印いんがある。「いかものも、あのくらゐに成なると珍物ちんぶつだよ。」と、言いつて、紅葉先生こうえふせんせいはその額がくが御贔屓ごひいきだつた。――屏風びやうぶにかくれて居ゐたかも知しれない。

まだ思おもひ出だす事ことがある。先生せんせいがこゝで獨酌どくしやく……はつけたりで、五勺ごしやくでうたゝねをする方かただから御飯ごはんをあがつて居ゐると、隣座敷となりざしきで盛さかんに艷談えんだんのメートルを揚あげる聲こゑがする。紛まがふべくもない後藤宙外ごとうちうぐわいさんであつた。そこで女中ぢよちうをして近所きんじよで燒芋やきいもを買かはせ、堆うづたかく盆ぼんに載のせて、傍かたはらへあの名筆めいひつを以もつて、曰いはく「御浮氣おんうはきどめ」プンと香にほつて、三筋みすぢばかり蒸氣けむの立たつ處ところを、あちら樣さまから、おつかひもの、と持もつて出でた。本草ほんざうには出でて居ゐまいが、案あんずるに燒芋やきいもと饀あんパンは浮氣うはきをとめるものと見みえる……が浮氣うはきがとまつたか何どうかは沙汰さたなし。たゞ坦懷たんくわいなる宙外君ちうぐわいくんは、此盆このぼんを讓ゆづりうけて、其そのままに彫刻てうこくさせて掛額かけがくにしたのであつた。

さて其夜そのよこゝへ來くるのにも通とほつたが、矢來やらいの郵便局いうびんきよくの前まへで、ひとりで吹ふき出だした覺おぼえがある。最もつとも當時たうじは青あをくなつて怯おびえたので、おびえたのが、尚なほ可笑をかしい。まだ横寺町よこでらまちの玄關げんくわんに居ゐた時ときである。「この電報でんぱうを打うつて來きた。巖谷いはやの許とこだ、局待きよくまちにして、返辭へんじを持もつて歸かへるんだよ。急いそぐんだよ。」で、局きよくで、局待きよくまちと言いふと、局員きよくゐんが字數じすうを算かぞへて、局待きよくまちには二字分にじぶんの符號ふがうがいる。此このまゝだと、もう一音信いちおんしんの料金れうきんを、と言いふのであつた。たしか、市内しないは一音信いちおんしん金きん五錢ごせんで、局待きよくまちの分ぶんともで、私わたしは十錢じつせんより預あづかつて出でなかつた。そこで先生せんせいの草したがきを見みると「ヰルナラタヅネル」一字いちじのことだ。私わたしは考かう一考いつかうして而しかして辭句じくを改あらためた。「ヰルナラサガス」此これなら、局待きよくまちの二字分にじぶんがきちんと入はひる、うまいでせう。――巖谷氏いはやしの住所ぢうしよは其その頃ころ麹町かうぢまち元園町もとぞのちやうであつた。が麹町かうぢまちにも、高輪たかなわにも、千住せんぢゆにも、待まつこと多時たじにして、以上いじやう返電へんでんがこない。今時いまどきとは時代じだいが違ちがふ。山やまの手ての局きよく閑かんにして、赤城あかぎの下したで鷄にはとりが鳴なくのをぽかんと聞きいて、うつとりとしてゐると、なゝめ下さがりの坂さかの下した、あまざけやの町まちの角かどへ、何なんと、先生せんせいの姿すがたが猛然まうぜんとしてあらはれたらうではないか。

唯と見みて飛出とびだすのと、殆ほとんど同時どうじで「馬鹿野郎ばかやらう、何なにをして居ゐる。まるで文句もんくが分わからないから、巖谷いはやが俥くるまで駈かけつけて、もう内うちへ來きてゐるんだ。うつそりめ、何なにをして居ゐる。皆みなが、車くるまに轢ひかれやしないか、馬うまに蹴飛けとばされやしないかと案あんじて居ゐるんだ。」私わたしは青あをくなつた――(居ゐるなら訪たづねる。)を――(要いるなら搜さがす。)――巖谷氏いはやしのわけの分わからなかつたのは無理むりはない。紅葉先生こうえふせんせいの辭句じくを修正しうせいしたものは、恐おそらく文壇ぶんだんに於おいて私わたし一人ひとりであらう。そのかはり目めの出でるほどに叱しかられた。――何なに、五錢ごせんぐらゐ、自分じぶんの小遣こづかひがあつたらうと、串戲じようだんをおつしやい。それだけあれば、もう早はやくに煙草たばこと燒芋やきいもと、大福餅だいふくもちになつて居ゐた。煙草たばこ五匁ごもんめ一錢いつせん五厘ごりん。燒芋やきいもが一錢いつせんで大だい六切むきれ、大福餅だいふくもちは一枚いちまい五厘ごりんであつた。――其處そこで原稿料げんかうれうは?……飛とんでもない、私わたしはまだ一枚いちまいも稼かせぎはしない。先生せんせいのは――内々ない〱知しつてゐるが内證ないしようにして置おく。……

まだ可笑をかしい事ことがある、ずツと後あとで……此この番町ばんちやうの湯ゆへ行ゆくと、かへりがけに、錢湯せんたうの亭主ていしゆが「先生々々せんせい〱」丁ちやうど午ひるごろだから他ほかに一人ひとりも居ゐなかつた。「一寸ちよつとお教をしへを願ねがひたいのでございますが。」先生せんせいで、お教をしへを、で、私わたしはぎよつとした。亭主ていしゆ極きはめて慇懃いんぎんに「えゝ(おかゆ)とは何どう書かきますでせうか。」「あゝ、其それはね、弓かう、弓かうやつて、眞中まんなかへ米こめと書かくんです。弱よわしと間違まちがつては不可いけないのです。」何なんと、先生せんせいの得意とくい想おもふべし。實じつは、弱じやくを、米こめの兩方りやうはうへ配くばつた粥かゆを書かいて、以前いぜん、紅葉先生こうえふせんせいに叱しかられたものがある。「手前勝手てまへがつてに字じを拵こしらへやがつて――先人せんじんに對たいして失禮しつれいだ。」その叱しかられたのは私わたしかも知しれない。が、其その時ときの覺おぼえがあるから、あたりを拂はらつて悠然いうぜんとして教をしへた。――今いまはもう代だいは替かはつた――亭主ていしゆは感心かんしんもしないかはりに、病身びやうしんらしい、お粥かゆを食たべたさうな顏かほをして居ゐた。女房にようばうが評判ひやうばんの別嬪べつぴんで。――此このくらゐの間違まちがひのない事ことを、人ひとに教をしへた事ことはないと思おもつた。思おもつたなりで年としを經へた。實際じつさい年としを經へた。つい近ちかい頃ころである。三馬さんばの浮世風呂うきよぶろを讀よむうちに、だしぬけに目白めじろの方はうから、釣鐘つりがねが鳴なつて來きたやうに氣きがついた。湯屋ゆやの聞きいたのは(岡湯をかゆ)なのである。

少々せう〱話はなしが通とほりすぎた、あとへ戻もどらう。

其その日ひ、万まんちやんを誘さそつた家いへは、以前いぜん、私わたしの住すんだ南榎町みなみえのきちやうと同町内どうちやうないで、奧おくへ辨天町べんてんちやうの方はうへ寄よつて居ゐる事ことはすぐに知しれた。が、家々いへ〱も立たて込こんで、從したがつて道みちも狹せまく成なつたやうな氣きがする。殊ことに夜よるであつた。むかし住すんだ家いへは一寸ちよつと見富けんたうが着つかない。さうだらう兩側りやうがはとも生垣いけがきつゞきで、私わたしの家うちなどは、木戸内きどうちの空地あきちに井戸ゐどを取とりまいて李すもゝの樹きが幾本いくほんも茂しげつて居ゐた。李すもゝは庭にはから背戸せどへ續つゞいて、小ちひさな林はやしといつていゝくらゐ。あの、底そこに甘あまみを帶おびた、美人びじんの白しろい膚はだのやうな花盛はなざかりを忘わすれない。雨あめには惱なやみ、風かぜには傷いたみ、月影つきかげには微笑ほゝゑんで、淨濯明粧じやうたくめいしやうの面影おもかげを匂にほはせた。……

唯たゞ一間ひとまよりなかつた、二階にかいの四疊半よでふはんで、先生せんせいの一句いつくがある。

紛胸ふんきようの乳房ちぶさかくすや花李はなすもゝ

ひとへに白しろい。乳ちゝくびの桃色もゝいろをさへ、蔽おほひかくした美女びぢよにくらべられたものらしい。……此この白しろい花はなの、散ちつて葉はに成なる頃ころの、その毛蟲けむしの夥多おびたゞしさと言いつては、それは又またない。よくも、あの水みづを飮のんだと思おもふ。一釣瓶ひとつるべごとに榎えのきの實みのこぼれたやうな赤あかい毛蟲けむしを充滿いつぱいに汲上くみあげた。しばらくすると、此この毛蟲けむしが、盡こと〲く眞白まつしろな蝶てふになつて、枝えだにも、葉はにも、再ふたゝび花片はなびらを散ちらして舞まつて亂みだるゝ。幾千いくせんとも數かずを知しらない。三日みつかつゞき、五日いつか、七日なぬかつゞいて、飜ひるがへり且かつ飛とんで、窓まどにも欄干らんかんにも、暖あたゝかな雪ゆきの降ふりかゝる風情ふぜいを見みせたのである。

やがて實みのる頃ころよ。――就中なかんづく、南みなみの納戸なんどの濡縁ぬれえんの籬際かきぎはには、見事みごとな巴旦杏はたんきやうがあつて、大おほきな實みと言いひ、色いろといひ、艷えんなる波斯ペルシヤの女をんなの爛熟らんじゆくした裸身らしんの如ごとくに薫かをつて生なつた。いまだと早速さつそく千匹屋せんびきやへでも卸おろしさうなものを、彼かの川柳せんりうが言いふ、(地女ぢをんなは振ふりもかへらぬ一盛ひとさかり)それ、意氣いきの壯さかんなるや、縁日えんにちの唐黍たうきびは買かつて噛かじつても、内うちで生なつた李すもゝなんか食くひはしない。一人ひとりとして他樣ひとさまの娘むすめなどに、こだはるものはなかつたのである。

が、いまは開ひらけた。その頃ころ、友ともだちが來きて、酒屋さかやから麥酒ビイルを取とると、泡あわが立たたない、泡あわが、麥酒ビイルは決けつして泡あわをくふものはない。が、泡あわの立たたない麥酒ビイルは稀有けうである。酒屋さかやにたゞすと、「拔ぬく時とき倒さかさにして、ぐん〱お振ふりなさい、然さうすると泡あわが立たちますよ、へい。」と言いつたものである。十日とをか、腹はらを瀉くださなかつたのは僥倖げうかうと言いひたい――今いまはひらけた。

たゞ、惜をしい哉かな。中なかの丸まるの大樹たいじゆの枝垂櫻しだれざくらがもう見みえぬ。新館しんくわんの新潮社しんてうしやの下したに、吉田屋よしだやと云いふ料理店れうりてんがある。丁度ちやうどあの前まへあたり――其後そのご、晝間ひるま通とほつた時とき、切株きりかぶばかり、根ねが殘のこつたやうに見みた。盛さかりの時ときは梢こずゑが中空なかぞらに、花はなは町まちを蔽おほうて、そして地摺ぢずりに枝えだを曳ひいた。夜よるもほんのりと紅くれなゐであつた。昔むかしよりして界隈かいわいでは、通寺町とほりてらまち保善寺ほぜんじに一樹いちじゆ、藁店わらだなの光照寺くわうせうじに一樹いちじゆ、とともに、三枚振袖みつふりそで、絲櫻いとざくらの名木めいぼくと、稱となへられたさうである。

向むかう側がはの湯屋ゆやに柳やなぎがある。此間このあひだを、男をとこも女をんなも、一頃ひところ揃そろつて、縮緬ちりめん、七子なゝこ、羽二重はぶたへの、黒くろの五紋いつゝもんを着きて往ゆき來きした。湯ゆへ行ゆくにも、蕎麥屋そばやへ入はひるにも紋着もんつきだつた事ことがある、こゝだけでも春はるの雨あめ、また朧夜おぼろよの一時代いちじだいの面影おもかげが思おもはれる。

つい、その一時代前ひとじだいまへには、そこは一面いちめんの大竹藪おほたけやぶで、氣きの弱よわい旗本はたもとは、いまの交番かうばんの處ところまで晝ひるも駈かけ拔ぬけたと言いふのである。酒井家さかゐけに出入でいりの大工だいくの大棟梁おほとうりやうが授さづけられて開拓かいたくした。藪やぶを切きると、蛇へびの棄すて場所ばしよにこまつたと言いふ。小ちひさな堂だうに籠こめて祭まつつたのが、のちに倶樂部くらぶの築山つきやまの蔭かげに谷たにのやうな崖がけに臨のぞんであつたのを覺おぼえて居ゐる。池いけ、亭ちん、小座敷こざしき、寮れうごのみで、その棟梁とうりやうが一度いちど料理店れうりてんを其處そこに開ひらいた時ときのなごりだと聞きいた。

棧かけはしの亭ちんで、遙はるかにポン〱とお掌てが鳴なる。へーい、と母家おもやから女中ぢよちうが行ゆくと、……誰たれも居ゐない。池いけの梅うめの小座敷こざしきで、トーンと灰吹はひふきを敲たゝく音おとがする、娘むすめが行ゆくと、……影かげも見みえない。――その料理屋れうりやを、狸たぬきがだましたのださうである。眉唾まゆつば。眉唾まゆつば。

尤もつともいま神樂坂上かぐらざかうへの割烹かつぱう(魚徳うをとく)の先代せんだいが(威張ゐばり)と呼よばれて、「おう、うめえ魚ものを食くはねえか」と、醉よつぱらつて居ゐるから盤臺ばんだいは何處どこかへ忘わすれて、天秤棒てんびんぼうばかりを振ふりまはして歩行あるいた頃ころで。……

矢來邊やらいへんの夜よは、たゞ遠とほくまで、榎町えのきちやうの牛乳屋ぎうにうやの納屋なやに、トーン〱と牛うしの跫音あしおとのするのが響ひゞいて、今いまにも――いわしこう――酒井家さかゐけの裏門うらもんあたりで――眞夜中まよなかには――鰯いわしこう――と三聲みこゑ呼よんで、形かたちも影かげも見みえないと云いふ。……怪あやしい聲こゑが聞きこえさうな寂さびしさであつた。

春はるの夜よの鐘かねうなりけり九人力くにんりき

それは、その李すもゝの花はな、花はなの李すもゝの頃ころ、二階にかいの一室いつしつ、四疊半よでふはんだから、狹せまい縁えんにも、段子はしごの上うへの段だんにまで居餘ゐあまつて、わたしたち八人はちにん、先生せんせいと合あはせて九人くにん、一夕いつせき、俳句はいくの會くわいのあつた時とき、興きように乘じようじて、先生せんせいが、すゝ色いろの古壁ふるかべにぶつつけがきをされたものである。句くの傍かたはらに、おの〱の名ながしるしてあつた。……神樂坂かぐらざかうらへ、私わたしが引越ひつこす時とき、そのまゝ殘のこすのは惜をしかつたが、壁かべだから何どうにも成ならない。――いゝ鹽梅あんばいに、一人ひとり知しり合あひがあとへ入はひつた。――埃ほこりは掛かけないと言いつて、大切たいせつにして居ゐた。

――五月雨さみだれの陰氣いんきな一夜あるよ、坂さかの上うへから飛蒐とびかゝるやうなけたゝましい跫音あしおとがして、格子かうしをがらりと突開つきあけたと思おもふと、神樂坂下かぐらざかしたの其その新宅しんたくの二階にかいへ、いきなり飛上とびあがつて、一驚いつきやうを吃きつした私わたしの机つくゑの前まへでハタと顏かほを合あはせたのは、知合しりあひのその男をとこで……眞青まつさをに成なつて居ゐる。「大變たいへんです。」「……」「化ばけものが出でます。」「……」「先生せんせいの壁かべのわきの、あの小窓こまどの處ところへ机つくゑを置おいて、勉強べんきやうをして居をりますと……恁かう、じり〱と燈あかりが暗くらく成なりますから、ふいと見みますと、障子しやうじの硝子がらす一杯いつぱいほどの猫ねこの顏かほが、」と、身みぶるひして、「顏かほばかりの猫ねこが、李すもゝの葉はの眞暗まつくらな中なかから――其その大おほきさと言いつたらありません。そ、それが五分ごぶと間まがない、目めも鼻はなも口くちも一所いつしよに、僕ぼくの顏かほとぴつたりと附着くツつきました、――あなたのお住居すまひの時分じぶんから怪猫ばけねこが居ゐたんでせうか……一體いつたい猫ねこが大嫌だいきらひで、いえ可恐おそろしいので。」それならば爲方しかたがない。が、怪猫ばけねこは大袈裟おほげさだ。五月闇さつきやみに、猫ねこが屋根やねをつたはらないとは誰たれが言いひ得えよう。……窓まどの燈ひを覗のぞかないとは限かぎらない。しかし、可恐おそろしい猫ねこの顏かほと、不意ふいに顱合はちあはせをしたのでは、驚おどろくも無理むりはない。……「それで、矢來やらいから此處こゝまで。」「えゝ。」と息いきを引ひいて、「夢中むちうでした……何なにしろ、正體しやうたいを、あなたに伺うかゞはうと思おもつたものですから。」今いまは昔むかし、山城介やましろのすけ三善春家みよしはるいへは、前まへの世よの蝦蟆がまにてや有ありけむ、蛇くちなはなん極いみじく恐おぢける。――夏なつの比ころ、染殿そめどのの辰巳たつみの山やまの木隱こがくれに、君達きみたち、二三人にさんにんばかり涼すゞんだ中うちに、春家はるいへも交まじつたが、此この人ひとの居ゐたりける傍そばよりしも、三尺許さんじやくばかりなる烏蛇くろへびの這出はひでたりければ、春家はるいへはまだ氣きがつかなかつた。處ところを、君達きみたち、それ見みよ春家はるいへ。と、袖そでを去さる事こと一尺いつしやくばかり。春家はるいへ顏かほの色いろは朽くちし藍あゐのやうに成なつて、一聲ひとこゑあつと叫さけびもあへず、立たたんとするほどに二度にど倒たふれた。すはだしで、その染殿そめどのの東ひがしの門もんより走はしり出いで、北きたざまに走はしつて、一條いちでうより西にしへ、西にしの洞院とうゐん、それから南みなみへ、洞院下とうゐんさがりに走はしつた。家いへは土御門西つちみかどにしの洞院とうゐんにありければで、駈かけ込こむと齊ひとしく倒たふれた、と言いふのが、今昔物語こんじやくものがたりに見みえる。遠とほきその昔むかしは知しらず、いまの男をとこは、牛込南榎町うしごめみなみえのきちやうを東状ひがしざまに走はしつて、矢來やらい中なかの丸まるより、通寺町とほりてらまち、肴町さかなまち、毘沙門前びしやもんまへを走はしつて、南みなみに神樂坂上かぐらざかうへを走はしりおりて、その下したにありける露地ろぢの家いへへ飛込とびこんで……打倒うちたふれけるかはりに、二階にかいへ駈上かけあがつたものである。餘あまり眞面目まじめだから笑わらひもならない。「まあ、落着おちつきたまへ。――景氣けいきづけに一杯いつぱい。」「いゝえ、歸かへります。――成程なるほど、猫ねこは屋根やねづたひをして、窓まどを覗のぞかないものとは限かぎりません。――分わかりました。――いえ然さうしては居をられません。僕ぼくがキヤツと言いつて、いきなり飛出とびだしたもんですから、彼あれが。」と言いふのが情婦いろで、「一所いつしよにキヤツと言いつて、跣足はだしで露地ろぢの暗くらがりを飛出とびだしました。それつ切きり音信いんしんが分わかりませんから。」慌あわてて歸かへつた。――此この知合しりあひを誰たれとかする。やがて報知新聞はうちしんぶんの記者きしや、いまは代議士だいぎしである、田中萬逸君たなかまんいつくんその人ひとである。反對黨はんたいたうは、ひやかしてやるがいゝ。が、その夜よ、もう一度いちど怯おびやかされた。眞夜中まよなかである。その頃ころ階下したに居ゐた學生がくせいさんが、みし〱と二階にかいへ來くると、寢床ねどこだつた私わたしの枕まくらもとで大息おほいきをついて、「變へんです。……どうも變へんなんです――縁側えんがはの手拭掛てぬぐひかけが、ふはりと手拭てぬぐひを掛かけたまゝで歩行あるくんです。……トン〱トン、たゝらを踏ふむやうに動うごきましたつけ。おやと思おもふと斜はすかひに、兩方りやうはうへ開ひらいて、ギクリ、シヤクリ、ギクリ、シヤクリとしながら、後退あともどりをするやうにして、あ、あ、と思おもふうちに、スーと、あの縁えんの突つきあたりの、戸袋とぶくろの隅すみへ消きえるんです。變へんだと思おもふと、また目めの前まへへ手拭掛てぬぐひかけがふはりと出でて……出でると、トントントンと踏ふんで、ギクリ、シヤクリ、とやつて、スー、何どうにも氣味きみの惡わるさつたらないのです。――一度いちど見みてみて下ください。……矢來やらいの猫ねこが、田中君たなかくんについて來きたんぢやあないんでせうか知しら。」五月雨さみだれはじと〱と降ふる、外そとは暗夜やみだ。私わたしも一寸ちよつと悚然ぞつとした。

はゝあ、此この怪談くわいだんを遣やりたさに、前刻さつき狸たぬきを持出もちだしたな。――いや、敢あへて然さうではない。

何どう言いふものか、此このごろ私わたしのおともだちは、おばけと言いふと眉まゆを顰ひそめる。

口惜くやしいから、紅葉先生こうえふせんせいの怪談くわいだんを一ひとつ聞きかせよう。先生せんせいも怪談くわいだんは嫌きらひであつた。「泉いづみが、又またはじめたぜ。」その唯たゞ一ひとつの怪談くわいだんは、先生せんせいが十四五の時とき、うらゝかな春はるの日中ひなかに、一人ひとりで留守るすをして、茶ちやの室まにゐらるゝと、臺所だいどころのお竈へツつひが見みえる。……竈へツつひの角かどに、らくがきの蟹かにのやうな、小ちひさなかけめがあつた。それが左ひだりの角かどにあつた。が、陽炎かげろふに乘のるやうに、すつと右みぎの角かどへ動うごいてかはつた。「唯たゞそれだけだよ。しかし今いまでも不思議ふしぎだよ。」との事ことである。――猫ねこが窓まどを覗のぞいたり、手拭掛てぬぐひかけが踊をどつたり、竈へツつひの蟹かにが這はつたり、ひよいと賽さいを振ふつて出でたやうである。春はるだからお子供衆こどもしう――に一寸ちよつと……化ばけもの雙六すごろく。……

なき柳川春葉やながはしゆんえふは、よく罪つみのない嘘うそを言いつて、うれしがつて、けろりとして居ゐた。――「按摩あんまあ……鍼はありツ」と忽たちまち噛かみつきさうに、霜夜しもよの横寺よこでらの通とほりで喚わめく。「あ、あれはね(吼ほえ按摩あんま)と云いつてね、矢來やらいぢや(鰯いわしこ)とおんなじに不思議ふしぎの中なかへ入はひるんだよ」「ふう」などと玄關げんくわんで燒芋やきいもだつたものである。花袋くわたい、玉茗ぎよくめい兩君りやうくんの名なが、そちこち雜誌類ざつしるゐに見みえた頃ころ、よそから歸かへつて來くるとだしぬけに「きみ、聞きいて來きたよ。――花袋くわたいと言いふのは上州じやうしうの或大寺あるおほでらの和尚をしやうなんだ、花袋和尚くわたいをしやう。僧正そうじやうともあるべきが、女をんなのために詩人しじんに成なつたんだとね。玉茗ぎよくめいと言いふのは日本橋室町にほんばしむろまちの葉茶屋はぢややの若旦那わかだんなだとさ。」この人ひとのいふのだからあてには成ならないが、いま座敷ざしきうけの新講談しんかうだんで評判ひやうばんの鳥逕子てうけいしのお父とうさんは、千石取せんごくどりの旗下はたもとで、攝津守せつつのかみ、有鎭いうちんとかいて有鎭ありしづとよむ。村山攝津守むらやませつつのかみ有鎭ありしづ――邸やしきは矢來やらいの郵便局いうびんきよくの近所きんじよにあつて、鳥逕てうけいとは私わたしたち懇意こんいだつた。渾名あだなを鳶とびの鳥逕てうけいと言いつたが、厚眉こうび隆鼻りうびハイカラのクリスチヤンで、そのころ拂方町はらひかたまちの教會けうくわいを背負しよつて立たつた色男いろをとこで……お父とうさんの立派りつぱな藏書ざうしよがあつて、私わたしたちはよく借かりた。――そのお父とうさんを知しつて居ゐるが、攝津守せつつのかみだか、有鎭ありしづだか、こゝが柳川やながはの説せつだから當あてには成ならない。その攝津守せつつのかみが、私わたしの知しつてる頃ころは、五十七八の年配ねんぱい、人品ひとがらなものであつた。つい、その頃ころ、門もんへ出でて――秋あきの夕暮ゆふぐれである……何心なにごころもなく町通まちどほりを視ながめて立たつと、箒目はゝきめの立たつた町まちに、ふと前後あとさきに人足ひとあしが途絶とだえた。その時とき、矢來やらいの方はうから武士ぶしが二人ふたり來きて、二人ふたりで話はなしながら、通寺町とほりてらまちの方はうへ、すつと通とほつた……四十しじふぐらゐのと二十はたちぐらゐの若侍わかざむらひとで。――唯と見みるうちに、郵便局いうびんきよくの坂さかを下さがりに見みえなくなつた。あゝ不思議ふしぎな事ことがと思おもひ出だすと、三十幾年さんじふいくねんの、維新前後ゐしんぜんごに、おなじ時とき、おなじ節せつ、おなじ門もんで、おなじ景色けしきに、おなじ二人ふたりの侍さむらひを見みた事ことがある、と思おもふと、悚然ぞつとしたと言いふのである。

此これは少すこしくもの凄すごい。……

初春はつはるの事ことだ。おばけでもあるまい。

春着はるぎにつけても、一ひとつ艷つやつぽい處ところをお目めに掛かけよう。

時ときに、川鐵かはてつの向むかうあたりに、(水何みづなに)とか言いつた天麩羅屋てんぷらやがあつた。くどいやうだが、一人前いちにんまへ、なみで五錢ごせん。……横寺町よこでらまちで、お孃ぢやうさんの初はつのお節句せつくの時とき、私わたしたちは此これを御馳走ごちそうに成なつた。その時分じぶん、先生せんせいは御質素ごしつそなものであつた。二十幾年にじふいくねん、尤もつとも私わたしなぞは、今いまもつて質素しつそである。此この段だんは、勤儉きんけんと題だいして、(大久保おほくぼ)の印いんを捺おしても可よい。

その天麩羅屋てんぷらやの、しかも蛤鍋はまなべ三錢さんせんと云いふのを狙ねらつて、小栗をぐり、柳川やながは、徳田とくだ、私わたし……宙外君ちうぐわいくんが加くははつて、大擧たいきよして押上おしあがつた、春寒はるさむの午後ごごである。お銚子てうしは入いりが惡わるくつて、しかも高値たかいと言いふので、式かただけ誂あつらへたほかには、町まちの酒屋さかやから、かけにして番ばんを口説くどいた一升入いつしよういりの貧乏徳利びんぼふどくりを誰たれかが外套ぐわいたう(註ちう。おなじく月賦げつぷ……這個このまつくろなのを一着いつちやくして、のそ〱と歩行あるく奴やつを、先生せんせいが嘲あざけつて――月府玄蝉げつぷげんせん。)の下したへ忍しのばした勢いきほひだから、氣焔きえんと、殺風景さつぷうけい推おして知しるべしだ。……酒氣しゆきが天井てんじやうを衝つくのではない、陰いんに籠こもつて疊たゝみの燒やけこげを轉ころげ𢌞まはる。あつ燗かんで火ひの如ごとく惡醉あくすゐ闌たけなはなる最中さいちう。お連樣つれさまつ――と下階したから素頓興すとんきような聲こゑが掛かゝると、「皆みんな居ゐるかい。」と言いふ紅葉先生こうえふせんせいの聲こゑがした。まさか、壺皿つぼざらはなかつたが、驚破すは事ことだと、貧乏徳利びんぼふどくりを羽織はおりの下したへ隱かくすのがある、誂子てうしを股またへ引挾ひつぱさんで膝小僧ひざこぞうをおさへるのがある、鍋なべへ盃洗はいせんの水みづを打込ぶちこむのがある。私わたしが手てをついて畏かしこまると、先生せんせいにはお客分きやくぶんで仔細しさいないのに、宙外ちうぐわいさんも煙けむに卷まかれて、肩かたを四角しかくに坐すわり直なほつて、酒さけのいきを、はあはあと、專もつぱらピンと撥はねた髯ひげを揉もんだ。

――處ところへ……せり上あがつておいでなすつた先生せんせいは、舞臺ぶたいにしても見みせたかつた。すつきり男をとこぶりのいゝ處ところへ、よそゆきから歸宅きたくのまゝの、りうとした着きつけである。勿論もちろん留守るすを狙ねらつて泳およぎ出だしたのであつたが――揃そろつて紫星堂しせいだう(塾じゆく)を出でたと聞きいて、その時々とき〲の弟子でしの懷中くわいちうは見透みとほしによく分わかる。明進軒めいしんけんか島金しまきん、飛上とびあがつて常磐ときは(はこが入はひる)と云いふ處ところを、奴等やつらの近頃ちかごろの景氣けいきでは――蛉鍋はまなべと……當あたりがついた。「いや、盛さかんだな。」と、缺かけ火鉢ひばちを、鐵火てつくわにお召めしの股またへ挾はさんで、手てをかざしながら莞爾につこりして、「後藤君ごとうくん、お樂らくに――皆みなも飮のみなよ、俺おれも割わりで一杯いつぱいやらう。」殿樣とのさまが中間部屋ちうげんべやの趣おもむきがある。恐おそれながら、此時このとき、先生せんせいの風采ふうさい想おもふべしで、「懷中ふところはいゝぜ。」と手てを敲たゝかるゝ。手てに應おうじて、へいと、どしん〱と上あがつた女中ぢよちうが、次手ついでに薄暗うすぐらいからランプをつけた、釣つりランプ(……あゝ久ひさしいが今いまだつてランプなしには居ゐられますか。)それが丁ちやうど先生せんせいの肩かたの上うへの見當けんたうに掛かゝつて居ゐた。面疱にきびだらけの女中ねえさんが燐寸マツチを摺すつて點つけて、插さしぼやをさすと、フツと消けしたばかり、まだ火ひのついたまゝの燃もえさしを、ポンと斜はすつかひに投なげた――(まつたく、お互たがひが、所帶しよたいを持もつて、女中ぢよちうの此これには惱なやまされた、火ひの用心ようじんが惡わるいから、それだけはよしなよ。はい、と言いふ口くちの下したから、つけさしのマツチをポンがお定さだまり……)唯と、先生せんせいの膝ひざにプスツと落おちた。「女中ねえや、お手柔てやはらかに頼たのむぜ。」と先生せんせいの言葉ことばの下したに、ゑみわれたやうな顏かほをして、「惚ほれた證據しようこだわよ。」やや、と皆みなが顏かほを見みる。……「惚ほれたに遠慮ゑんりよがあるものかツてねえ、……てね、……ねえ。」と甘あまつたれる。――あ、あ、あ危あぶない、棚たなの破鍋われなべが落おちかゝる如ごとく、剩あまつさへべた〱と崩くづれて、薄汚うすよごれた紀州きしうネルを膝ひざから溢出はみださせたまゝ、……あゝ……あゝ行やつた!……男振をとこぶりは音羽屋おとはや(特註とくちう、五代目ごだいめ)の意氣いきに、團十郎だんじふらうの澁味しぶみが加くはゝつたと、下町したまちの女をんなだちが評判ひやうばんした、御病氣ごびやうきで面痩おもやせては、あだにさへも見みえなすつた先生せんせいの肩かたへ、……あゝ噛かじりついた。

よゝつツと、宙外君ちうぐわいくんが堪たまらず奇聲きせいと云いふのを上あげるに連つれて、一同いちどうが、……おめでたうと稱となへた。

それよりして以來いらい――癇癪かんしやくでなく、憤いきどほりでなく、先生せんせいがいゝ機嫌きげんで、しかも警句けいく雲くもの如ごとく、弟子でしをならべて罵倒ばたうして、勢いきほひ當あたるべからざる時ときと言いふと、つゝき合あつて、目めくばせして、一人ひとりが少すこしく座ざを罷まかり出でる。「先生せんせい……(水みづ)……」「何なに。」「蛤鍋はまなべへおともは如何いかゞで。」「馬鹿ばかを言いへ。」「いゝえ、大分だいぶ、女中ねえさんがこがれて居をりますさうでございまして。」傍かたはらから、「えゝ煩わづらつて居ゐるほどだと申まをします事ことですから。」……かねて、おれを思おもふ女をんなならば、目めつかちでも鼻はなつかけでもと言いふ、御主義ごしゆぎ?であつた。――

紅葉先生こうえふせんせい、その時ときの態度たいどは……

采菊東籬下きくをとうりのもとにとつて、

悠然見南山いうぜんとしてなんざんをみる。

大正十三年一月

底本 / Source edition

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※表題は底本では、「春着《はるぎ》」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年8月8日作成
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リリース / Release
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TEI
/works/050777_000050/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/050777_000050/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/050777_000050/

泉 鏡花、泉 鏡太郎「春着」(旧字旧仮名)、底本『鏡花全集 巻二十七』岩波書店、1942年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 050777_000050, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite