その<ruby><rb>頃</rb><rt>ころ</rt></ruby>の<ruby><rb>風穂</rb><rt>かざほ</rt></ruby>の野はらは、ほんとうに<ruby><rb>立派</rb><rt>りっぱ</rt></ruby>でした。

青い<ruby><rb>萱</rb><rt>かや</rt></ruby>や光る<ruby><rb>茨</rb><rt>いばら</rt></ruby>やけむりのような穂を出す草で一ぱい、それにあちこちには<ruby><rb>栗</rb><rt>くり</rt></ruby>の木やはんの木の小さな林もありました。

野原は今は<ruby><rb>練兵場</rb><rt>れんぺいじょう</rt></ruby>や<ruby><rb>粟</rb><rt>あわ</rt></ruby>の<ruby><rb>畑</rb><rt>はたけ</rt></ruby>や<ruby><rb>苗圃</rb><rt>なえばたけ</rt></ruby>などになってそれでも<ruby><rb>騎兵</rb><rt>きへい</rt></ruby>の馬が光ったり、白いシャツの人が<ruby><rb>働</rb><rt>はたら</rt></ruby>いたり、汽車で通ってもなかなか<ruby><rb>奇麗</rb><rt>きれい</rt></ruby>ですけれども、前はまだまだ立派でした。

九月になると<ruby><rb>私</rb><rt>わたくし</rt></ruby>どもは毎日野原に<ruby><rb>出掛</rb><rt>でか</rt></ruby>けました。<ruby><rb>殊</rb><rt>こと</rt></ruby>に私は<ruby><rb>藤原慶次郎</rb><rt>ふじわらけいじろう</rt></ruby>といっしょに出て行きました。町の方の<ruby><rb>子供</rb><rt>こども</rt></ruby>らが出て来るのは日曜日に<ruby><rb>限</rb><rt>かぎ</rt></ruby>っていましたから私どもはどんな日でも<ruby><rb>初蕈</rb><rt>はつたけ</rt></ruby>や<ruby><rb>栗</rb><rt>くり</rt></ruby>をたくさんとりました。ずいぶん遠くまでも行ったのでしたが日曜には<ruby><rb>一層</rb><rt>いっそう</rt></ruby>遠くまで出掛けました。

ところが、九月の<ruby><rb>末</rb><rt>すえ</rt></ruby>のある日曜でしたが、朝早く私が慶次郎をさそっていつものように野原の入口にかかりましたら、一本の白い<ruby><rb>立札</rb><rt>たてふだ</rt></ruby>がみちばたの栗の木の前に出ていました。<ruby><rb>私</rb><rt>わたくし</rt></ruby>どもはもう<ruby><rb>尋常</rb><rt>じんじょう</rt></ruby>五年生でしたからすらすら読みました。

「本日は<ruby><rb>東北長官</rb><rt>とうほくちょうかん</rt></ruby>一行の<ruby><rb>出遊</rb><rt>しゅつゆう</rt></ruby>につきこれより中には入るべからず。東北<ruby><rb>庁</rb><rt>ちょう</rt></ruby>」

私はがっかりしてしまいました。慶次郎も顔を赤くして何べんも読み<ruby><rb>直</rb><rt>なお</rt></ruby>していました。

「<ruby><rb>困</rb><rt>こま</rt></ruby>ったねえ、えらい人が来るんだよ。<ruby><rb>叱</rb><rt>しか</rt></ruby>られるといけないからもう帰ろうか。」私が<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>いましたら慶次郎は少し<ruby><rb>怒</rb><rt>おこ</rt></ruby>って答えました。

「<ruby><rb>構</rb><rt>かま</rt></ruby>うもんか、入ろう、入ろう。ここは天子さんのとこでそんな<ruby><rb>警部</rb><rt>けいぶ</rt></ruby>や何かのとこじゃないんだい。ずうっと<ruby><rb>奥</rb><rt>おく</rt></ruby>へ行こうよ。」

私もにわかに<ruby><rb>面白</rb><rt>おもしろ</rt></ruby>くなりました。

「おい、東北<ruby><rb>長官</rb><rt>ちょうかん</rt></ruby>というものを見たいな。どんな顔だろう。」

「<ruby><rb>鬚</rb><rt>ひげ</rt></ruby>もめがねもあるのさ。<ruby><rb>先頃</rb><rt>さきごろ</rt></ruby>来た<ruby><rb>大臣</rb><rt>だいじん</rt></ruby>だってそうだ。」

「どこかにかくれて見てようか。」

「見てよう。<ruby><rb>寺林</rb><rt>てらばやし</rt></ruby>のとこはどうだい。」

寺林というのは今は<ruby><rb>練兵場</rb><rt>れんぺいじょう</rt></ruby>の北のはじになっていますが野原の中でいちばん<ruby><rb>奇麗</rb><rt>きれい</rt></ruby>な<ruby><rb>所</rb><rt>ところ</rt></ruby>でした。はんのきの林がぐるっと<ruby><rb>輪</rb><rt>わ</rt></ruby>になっていて中にはみじかいやわらかな草がいちめん<ruby><rb>生</rb><rt>は</rt></ruby>えてまるで一つの公園地のようでした。

<ruby><rb>私</rb><rt>わたくし</rt></ruby>どもはそのはんのきの中にかくれていようと思ったのです。

「そうしよう。早く行かないと見つかるぜ。」

「さあ走ってこう。」

私どもはそこでまるで<ruby><rb>一目散</rb><rt>いちもくさん</rt></ruby>にその野原の一本みちを走りました。あんまり<ruby><rb>苦</rb><rt>くる</rt></ruby>しくて<ruby><rb>息</rb><rt>いき</rt></ruby>がつけなくなるととまって空を<ruby><rb>向</rb><rt>む</rt></ruby>いてあるきまたうしろを見てはかけ出し、走って走ってとうとう寺林についたのです。そこでみちからはなれてはんのきの中にかくれました。けれども虫がしんしん鳴き時々鳥が百<ruby><rb>疋</rb><rt>ぴき</rt></ruby>も一かたまりになってざあと通るばかり、<ruby><rb>一向</rb><rt>いっこう</rt></ruby>人も来ないようでしたからだんだん私たちは<ruby><rb>恐</rb><rt>こわ</rt></ruby>くなくなってはんのきの下の<ruby><rb>萱</rb><rt>かや</rt></ruby>をがさがさわけて<ruby><rb>初茸</rb><rt>はつたけ</rt></ruby>をさがしはじめました。いつものようにたくさん<ruby><rb>見附</rb><rt>みつ</rt></ruby>かりましたから私はいつか長官のことも<ruby><rb>忘</rb><rt>わす</rt></ruby>れてしきりにとっておりました。

すると<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かに<ruby><rb>慶次郎</rb><rt>けいじろう</rt></ruby>が私のところにやって来てしがみつきました。まるで私の耳のそばでそっと<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>ったのです。

「来たよ、来たよ。とうとう来たよ。そらね。」

私は<ruby><rb>萱</rb><rt>かや</rt></ruby>の間からすかすようにして私どもの来た方を見ました。<ruby><rb>向</rb><rt>むこ</rt></ruby>うから二人の<ruby><rb>役人</rb><rt>やくにん</rt></ruby>が<ruby><rb>大急</rb><rt>おおいそ</rt></ruby>ぎで<ruby><rb>路</rb><rt>みち</rt></ruby>をやって来るのです。それも何だかみちから<ruby><rb>外</rb><rt>そ</rt></ruby>れて私どもの林へやって来るらしいのです。さあ、私どもはもう<ruby><rb>息</rb><rt>いき</rt></ruby>もつまるように思いました。ずんずん近づいて来たのです。

「この林だろう。たしかにこれだな。」

一人の顔の赤い<ruby><rb>体格</rb><rt>たいかく</rt></ruby>のいい<ruby><rb>紺</rb><rt>こん</rt></ruby>の<ruby><rb>詰</rb><rt>つめ</rt></ruby>えりを<ruby><rb>着</rb><rt>き</rt></ruby>たほうの役人が<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>いました。

「うん、そうだ。<ruby><rb>間違</rb><rt>まちが</rt></ruby>いないよ。」も一人の黒い<ruby><rb>服</rb><rt>ふく</rt></ruby>の役人が答えました。さあ、もう私たちはきっと<ruby><rb>殺</rb><rt>ころ</rt></ruby>されるにちがいないと思いました。まさかこんな林には気も<ruby><rb>付</rb><rt>つ</rt></ruby>かずに通り<ruby><rb>過</rb><rt>す</rt></ruby>ぎるだろうと思っていたら二人の役人がどこかで<ruby><rb>番</rb><rt>ばん</rt></ruby>をして見ていたのです。万一殺されないにしてももう<ruby><rb>縛</rb><rt>しば</rt></ruby>られると私どもは<ruby><rb>覚悟</rb><rt>かくご</rt></ruby>しました。<ruby><rb>慶次郎</rb><rt>けいじろう</rt></ruby>の顔を見ましたらやっぱりまっ<ruby><rb>青</rb><rt>さお</rt></ruby>で<ruby><rb>唇</rb><rt>くちびる</rt></ruby>まで<ruby><rb>乾</rb><rt>かわ</rt></ruby>いて白くなっていました。私は役人に縛られたときとった<ruby><rb>蕈</rb><rt>きのこ</rt></ruby>を<ruby><rb>持</rb><rt>も</rt></ruby>たせられて町を歩きたくないと考えました。そこでそっと慶次郎に云いました。

「縛られるよ。きっと縛られる。きのこをすてよう。きのこをさ。」

慶次郎はなんにも云わないでだまってきのこをはきごのまま<ruby><rb>棄</rb><rt>す</rt></ruby>てました。私も<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>のひもからそっと手をはなしました。ところが二人の役人はべつに私どもをつかまえに来たのでもないようでした。

うろうろ木の高いところを見ていましたしそれに林の前でぴたっと立ちどまったらしいのでした。そしてしばらく何かしていました。私は萱の<ruby><rb>葉</rb><rt>は</rt></ruby>の<ruby><rb>混</rb><rt>こ</rt></ruby>んだ<ruby><rb>所</rb><rt>ところ</rt></ruby>から<ruby><rb>無理</rb><rt>むり</rt></ruby>にのぞいて見ましたら二人ともメリケン<ruby><rb>粉</rb><rt>こ</rt></ruby>の<ruby><rb>袋</rb><rt>ふくろ</rt></ruby>のようなものを小わきにかかえてその口の<ruby><rb>結</rb><rt>むす</rt></ruby>び目を立ったまま<ruby><rb>解</rb><rt>と</rt></ruby>いているのでした。

「この<ruby><rb>辺</rb><rt>へん</rt></ruby>でよかろうな。」一人が<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>いました。

「うん、いいだろう。」も一人が答えたと思うとバラッバラッと音がしました。たしかに何か<ruby><rb>撒</rb><rt>ま</rt></ruby>いたのです。私は何を撒いたか見たくて<ruby><rb>命</rb><rt>いのち</rt></ruby>もいらないように思いました。こわいことはやっぱりこわかったのですけれども。

役人どもはだんだん向うの方へはんの木の間を歩きながらずいぶんしばらく撒いていましたが<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かに一人が云いました。

「おい、<ruby><rb>失敗</rb><rt>しっぱい</rt></ruby>だよ。失敗だ。ひどくしくじった。<ruby><rb>君</rb><rt>きみ</rt></ruby>の<ruby><rb>袋</rb><rt>ふくろ</rt></ruby>にはまだ<ruby><rb>沢山</rb><rt>たくさん</rt></ruby>あるか。」

「どうして？　林がちがったかい。」も一人が<ruby><rb>愕</rb><rt>おどろ</rt></ruby>いてたずねました。

「だって君、これは何という木かしらんが、<ruby><rb>栗</rb><rt>くり</rt></ruby>の木じゃないぜ、<ruby><rb>途方</rb><rt>とほう</rt></ruby>もないとこに栗の<ruby><rb>実</rb><rt>み</rt></ruby>が<ruby><rb>落</rb><rt>お</rt></ruby>ちてちゃ、ばれるよ。」

も一人が落ちついた声で答えました。

「ふん、そんなことは<ruby><rb>心配</rb><rt>しんぱい</rt></ruby>ないよ、はじめから<ruby><rb>僕</rb><rt>ぼく</rt></ruby>は気がついてるんだ。そんなことまで何のかんの云うもんか。どっから来たろうって云ったら風で<ruby><rb>飛</rb><rt>と</rt></ruby>ばされて<ruby><rb>参</rb><rt>まい</rt></ruby>りましたでしょうて云やいいや。」

「そんなわけにも行くまいぜ。<ruby><rb>困</rb><rt>こま</rt></ruby>ったな、どこか栗の木の下でまこう。あ、うまい、こいつはうまい。栗の木だ。こいつから落ちたということにすりゃいいな。ああ<ruby><rb>助</rb><rt>たす</rt></ruby>かった。おい、ここへ沢山まいておこう。」

「もちろんだよ。」

それからばらっばらっと栗の実が栗の木の<ruby><rb>幹</rb><rt>みき</rt></ruby>にぶっつかったりはね落ちたりする音がしばらくしました。<ruby><rb>私</rb><rt>わたくし</rt></ruby>どもは思わず顔を見合せました。もう<ruby><rb>大丈夫</rb><rt>だいじょうぶ</rt></ruby><ruby><rb>役人</rb><rt>やくにん</rt></ruby>どもは私たちを<ruby><rb>殺</rb><rt>ころ</rt></ruby>しに来たのでもなく、私どもの<ruby><rb>居</rb><rt>い</rt></ruby>ることさえも知らないことがわかったのです。まるで<ruby><rb>世界</rb><rt>せかい</rt></ruby>が明るくなったように思いました。

<ruby><rb>遁</rb><rt>に</rt></ruby>げるならいまのうちだと私たちは二人<ruby><rb>一緒</rb><rt>いっしょ</rt></ruby>に思ったのです。その<ruby><rb>証拠</rb><rt>しょうこ</rt></ruby>には私たちは<ruby><rb>一寸</rb><rt>ちょっと</rt></ruby><ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>を見合せましたらもう立ちあがっていました。それからそおっと<ruby><rb>萱</rb><rt>かや</rt></ruby>をわけて林のうしろの方へ出ようとしました。すると早くも<ruby><rb>役人</rb><rt>やくにん</rt></ruby>の一人が<ruby><rb>叫</rb><rt>さけ</rt></ruby>んだのです。

「<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>か<ruby><rb>居</rb><rt>い</rt></ruby>るぞ。入るなって云ったのに。」

「誰だ。」も一人が叫びました。私たちはすっかり<ruby><rb>失策</rb><rt>しくじ</rt></ruby>ってしまったのです。ほんとうにばかなことをしたと私どもは思いました。

役人はもうがさがさと<ruby><rb>向</rb><rt>むこ</rt></ruby>うの<ruby><rb>萱</rb><rt>かや</rt></ruby>の中から出て来ました。そのとき林の中は<ruby><rb>黄金</rb><rt>きん</rt></ruby>いろの日光で点々になっていました。

「おい、<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>だ、お前たちはどこから入って来た。」<ruby><rb>紺服</rb><rt>こんふく</rt></ruby>のほうの人が<ruby><rb>私</rb><rt>わたくし</rt></ruby>どもに<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>いました。

私どもははじめまるで<ruby><rb>死</rb><rt>し</rt></ruby>んだようになっていましたがだんだん近くなって見ますとその役人の顔はまっ<ruby><rb>赤</rb><rt>か</rt></ruby>でまるで<ruby><rb>湯気</rb><rt>ゆげ</rt></ruby>が出るばかり<ruby><rb>殊</rb><rt>こと</rt></ruby>に<ruby><rb>鼻</rb><rt>はな</rt></ruby>からはぷつぷつ<ruby><rb>油汗</rb><rt>あぶらあせ</rt></ruby>が出ていましたので何だか<ruby><rb>急</rb><rt>きゅう</rt></ruby>にこわくなくなりました。

「あっちからです。」私はみちの方を<ruby><rb>指</rb><rt>さ</rt></ruby>しました。するとその役人はまじめな風で云いました。

「ああ、あっちにもみちがあるのか。そっちへも<ruby><rb>制札</rb><rt>せいさつ</rt></ruby>をしておかなかったのは<ruby><rb>失敗</rb><rt>しっぱい</rt></ruby>だった。ねえ、<ruby><rb>君</rb><rt>きみ</rt></ruby>。」と云いながらあとからしなびたメリケン<ruby><rb>粉</rb><rt>こ</rt></ruby>の<ruby><rb>袋</rb><rt>ふくろ</rt></ruby>をかついで来た黒服に云いました。

「うん、やっぱり<ruby><rb>子供</rb><rt>こども</rt></ruby>らは入ってるねえ、しかし<ruby><rb>構</rb><rt>かま</rt></ruby>わんさ。この林からさえ追い出しとけぁいいんだ。おい。お前たちね、今日はここへ<ruby><rb>非常</rb><rt>ひじょう</rt></ruby>なえらいお方が<ruby><rb>入</rb><rt>い</rt></ruby>らっしゃるんだから<ruby><rb>此処</rb><rt>ここ</rt></ruby>に<ruby><rb>居</rb><rt>い</rt></ruby>てはいけないよ。野原に居たかったら居てもいいからずうっと向うの方へ行ってしまってここから見えないようにするんだぞ。声をたててもいけないぞ。」

私たちは顔を見合せました。そしてだまって<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>を<ruby><rb>提</rb><rt>さ</rt></ruby>げて向うへ行こうとしました。

<ruby><rb>慶次郎</rb><rt>けいじろう</rt></ruby>がぽいっとおじぎをしましたから<ruby><rb>私</rb><rt>わたくし</rt></ruby>もしました。紺服の役人はメリケン粉のからふくろを手に<ruby><rb>団子</rb><rt>だんご</rt></ruby>のように<ruby><rb>捲</rb><rt>ま</rt></ruby>きつけていましたが少し<ruby><rb>屈</rb><rt>かが</rt></ruby>むようにしました。

私たちは行こうとしました。すると黒服の役人がうしろからいきなり云いました。

「おいおい。おまえたちはここでその<ruby><rb>蕈</rb><rt>きのこ</rt></ruby>をとったのか。」

またかと私はぎくっとしました。けれどもこの時もどうしても「いいえ。」と云えませんでした。慶次郎がかすれたような声で「はあ。」と答えたのです。すると役人は二人とも近くへ来て籠の中をのぞきました。

「まだあるだろうな。どこかここらで、<ruby><rb>沢山</rb><rt>たくさん</rt></ruby>ある<ruby><rb>所</rb><rt>ところ</rt></ruby>をさがしてくれないか。ごほうびをあげるから。」

私たちはすっかり<ruby><rb>面白</rb><rt>おもしろ</rt></ruby>くなりました。

「まだ<ruby><rb>沢山</rb><rt>たくさん</rt></ruby>ありますよ。さがしてあげましょう。」私が云いましたら<ruby><rb>紺服</rb><rt>こんふく</rt></ruby>の<ruby><rb>役人</rb><rt>やくにん</rt></ruby>があわてて手をふって<ruby><rb>叫</rb><rt>さけ</rt></ruby>びました。

「いやいや、とってしまっちゃいけない、ただある<ruby><rb>場所</rb><rt>ばしょ</rt></ruby>をさがして教えてさえくれればいいんだ。さがしてごらん。」

私と慶次郎とはまるで電気にかかったように<ruby><rb>萱</rb><rt>かや</rt></ruby>をわけてあるきました。そして私はすぐ<ruby><rb>初蕈</rb><rt>はつたけ</rt></ruby>の三つならんでる<ruby><rb>所</rb><rt>ところ</rt></ruby>を<ruby><rb>見附</rb><rt>みつ</rt></ruby>けました。

「ありました。」<ruby><rb>叫</rb><rt>さけ</rt></ruby>んだのです。

「そうか。」役人たちは来てのぞきました。

「何だ、ただ三つじゃないか。<ruby><rb>長官</rb><rt>ちょうかん</rt></ruby>は六人もご<ruby><rb>家族</rb><rt>かぞく</rt></ruby>をつれていらっしゃるんだ。三つじゃ<ruby><rb>仕方</rb><rt>しかた</rt></ruby>ない、お一人十ずつとしても六十なくちゃだめだ。」

「六十ぐらい<ruby><rb>大丈夫</rb><rt>だいじょうぶ</rt></ruby>あります。」慶次郎が<ruby><rb>向</rb><rt>むこ</rt></ruby>うで<ruby><rb>袖</rb><rt>そで</rt></ruby>で<ruby><rb>汗</rb><rt>あせ</rt></ruby>を<ruby><rb>拭</rb><rt>ふ</rt></ruby>きながら云いました。

「いや、あちこちちらばったんじゃさがし出せない。二とこぐらいに<ruby><rb>集</rb><rt>あつ</rt></ruby>まってなくちゃ。」

「初蕈はそんなに集まってないんです。」私も<ruby><rb>勢</rb><rt>いきおい</rt></ruby>がついて言いました。

「ふうん。そんならかまわないからおまえたちのとった蕈をそこらへ立てておこうかな。」

「それでいいさ。」黒服のほうが<ruby><rb>薄</rb><rt>うす</rt></ruby>いひげをひねりながら答えました。

「おい、お前たちの<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>の蕈をみんなよこせ。あとでごほうびはやるからな。」紺服は<ruby><rb>笑</rb><rt>わら</rt></ruby>って云いました。私たちはだまって籠を出したのです。二人はしゃがんで籠を<ruby><rb>倒</rb><rt>さかさ</rt></ruby>にして数を数えてから小さいのはみんなまた籠に<ruby><rb>戻</rb><rt>もど</rt></ruby>しました。

「<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby>いいよ、七十ある。こいつをここらへ立ててこう。」

紺服の人はきのこを草の間に立てようとしましたがすぐ<ruby><rb>傾</rb><rt>かたむ</rt></ruby>いてしまいました。

「ああ、<ruby><rb>萱</rb><rt>かや</rt></ruby>で<ruby><rb>串</rb><rt>くし</rt></ruby>にしておけばいいよ。そら、こんな<ruby><rb>工合</rb><rt>ぐあい</rt></ruby>に。」<ruby><rb>黒服</rb><rt>くろふく</rt></ruby>は<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>いながら萱の穂を一<ruby><rb>寸</rb><rt>すん</rt></ruby>ばかりにちぎって<ruby><rb>地面</rb><rt>じめん</rt></ruby>に<ruby><rb>刺</rb><rt>さ</rt></ruby>してその上にきのこの<ruby><rb>脚</rb><rt>あし</rt></ruby>をまっすぐに刺して立てました。

「うまい、うまい、<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby>いい、おい、おまえたち、萱の穂をこれぐらいの長さにちぎってくれ。」

<ruby><rb>私</rb><rt>わたくし</rt></ruby>たちはとうとう<ruby><rb>笑</rb><rt>わら</rt></ruby>いました。<ruby><rb>役人</rb><rt>やくにん</rt></ruby>も<ruby><rb>笑</rb><rt>わら</rt></ruby>っていました。間もなく役人たちは私たちのやった萱の穂をすっかりその<ruby><rb>辺</rb><rt>へん</rt></ruby>に<ruby><rb>植</rb><rt>う</rt></ruby>えて上にみんな<ruby><rb>蕈</rb><rt>きのこ</rt></ruby>をつき刺しました。<ruby><rb>実</rb><rt>じつ</rt></ruby>に<ruby><rb>見事</rb><rt>みごと</rt></ruby>にはなりましたがまたおかしかったのです。<ruby><rb>第一</rb><rt>だいいち</rt></ruby>萱が<ruby><rb>倒</rb><rt>たお</rt></ruby>れていましたしきのこのちぎれた脚も見えていました。私どもは笑って見ていますと黒服の役人がむずかしい顔をして云いました。

「さあ、お前たちもう行ってくれ、この<ruby><rb>袋</rb><rt>ふくろ</rt></ruby>はやるよ。」

「うん、そうだ、そら、ごほうびだよ。」二人はメリケン<ruby><rb>粉</rb><rt>こ</rt></ruby>の袋を私たちに<ruby><rb>投</rb><rt>な</rt></ruby>げました。

そんなもの<ruby><rb>要</rb><rt>い</rt></ruby>らないと私たちは思いましたが役人がまたまじめになって<ruby><rb>恐</rb><rt>こわ</rt></ruby>くなりましたからだまって<ruby><rb>受</rb><rt>け</rt></ruby>け<ruby><rb>取</rb><rt>と</rt></ruby>りました。そして林を出ました。林を出るときちょっとふりかえって見ましたら二人がまっすぐに立ってしきりにそのこしらえた蕈の公園をながめているようでしたが間もなく、

「だめだよ、きのこのほうはやっぱりだめだ。もし知れたら大へんだ。」

「うん、どうもあぶないと<ruby><rb>僕</rb><rt>ぼく</rt></ruby>も思った。こっちは<ruby><rb>止</rb><rt>よ</rt></ruby>そう。とってしまおう。その辺へかくしておいてあとで<ruby><rb>我</rb><rt>われ</rt></ruby>われがとったということにしてお<ruby><rb>嬢</rb><rt>じょう</rt></ruby>さんにでも上げればいいじゃないか。そのほうが<ruby><rb>安全</rb><rt>あんぜん</rt></ruby>だよ。」というのがはっきり聞えました。<ruby><rb>私</rb><rt>わたくし</rt></ruby>たちはまた顔を見合せました。

そして思わずふき出してしまいました。

それから<ruby><rb>一目散</rb><rt>いちもくさん</rt></ruby>に<ruby><rb>遁</rb><rt>に</rt></ruby>げました。

けれどももう<ruby><rb>役人</rb><rt>やくにん</rt></ruby>は<ruby><rb>追</rb><rt>お</rt></ruby>って来ませんでした。その日の<ruby><rb>晩方</rb><rt>ばんがた</rt></ruby>おそく私たちはひどくまわりみちをしてうちへ帰りましたが<ruby><rb>東北長官</rb><rt>とうほくちょうかん</rt></ruby>はひるころ野原へ<ruby><rb>着</rb><rt>つ</rt></ruby>いて夕方まで<ruby><rb>家族</rb><rt>かぞく</rt></ruby>と<ruby><rb>一緒</rb><rt>いっしょ</rt></ruby>に大へん<ruby><rb>面白</rb><rt>おもしろ</rt></ruby>く<ruby><rb>遊</rb><rt>あそ</rt></ruby>んで帰ったということを聞きました。その<ruby><rb>次</rb><rt>つぎ</rt></ruby>の年私どもは町の中学校に入りましたがあの二人の役人にも時々あいました。二人はステッキをふったり<ruby><rb>包</rb><rt>つつ</rt></ruby>みをかかえたりまた<ruby><rb>競馬</rb><rt>けいば</rt></ruby>などで<ruby><rb>酔</rb><rt>よ</rt></ruby>って顔を赤くして<ruby><rb>叫</rb><rt>さけ</rt></ruby>んだりしていました。私たちはちゃんとおぼえていたのです。けれども<ruby><rb>向</rb><rt>むこ</rt></ruby>うではいつも、どうも見たことのある<ruby><rb>子供</rb><rt>こども</rt></ruby>だが思い出せないというような顔をするのでした。