## 片言ながらも外国に後れなかった思想

明治の初年頃には随分思いきった政治論も社会改良論も行われた。さすがに知識を世界に求むるという<ruby><rb>御旨意</rb><rt>ごしい</rt></ruby>の発表された際であっただけに、外国の思想を危険なりなどという者なく、上下共にこれを歓迎し、旧来の<ruby><rb>陋習</rb><rt>ろうしゅう</rt></ruby>を打破するに更に躊躇しなかった、その頃盛に行われた標語は自由民権であった。<ruby><rb>殊</rb><rt>こと</rt></ruby>に自由なる言葉は当時の人々には耳新しく聞えた、従来日本の通用語ではあったが、政治的意味を加味したのは恐らく明治になってからであろう。少くとも明治になって輸入された英語の「リバーチー」あるいは「フリードム」なる言葉が自由と訳され、政治上新しい思想といえば必らずこの文字を用いねばならないように思われた。日頃僕は日本の政治的思想が英国に比して少くとも六十年<ruby><rb>後</rb><rt>おく</rt></ruby>れているというているが、明治十年<ruby><rb>前</rb><rt>ぜん</rt></ruby>に行われた自由論だけは片言ながら<ruby><rb>大</rb><rt>たい</rt></ruby>して時世後れでなかったようである。丁度その頃英国ではミル氏の自由論が盛に批評されていたようである。勿論その<ruby><rb>前</rb><rt>ぜん</rt></ruby>にもかの国では民権自由が盛に唱えられたのみならず実際の政治問題となり、またただに論題となれるのみならず事実上政治運動となったことは歴史を見ても<ruby><rb>明</rb><rt>あきらか</rt></ruby>であるが、さてこの自由なるものに就て学術的に冷静にその根柢を論じたのは恐らくミル氏に優る者はあるまい。同氏の著述は一の小冊に過ぎぬけれども、その内容の深いことは五十年後の今日もなお尊敬に値する。僕は一昨年旅行の際、途中<ruby><rb>客舎</rb><rt>かくしゃ</rt></ruby>の読物にするため同書を携帯して歩いたが、一頁読むごとに大正の政治家<ruby><rb>並</rb><rt>ならび</rt></ruby>に青年に一読を勧めたいとまで思った。これに<ruby><rb>次</rb><rt>つぎ</rt></ruby>て同氏と議論を闘わした有名な裁判官スチーブン氏の「自由、平等、親睦」の一書の如きは今日絶版になっているものの、なおその論鋒の鋭利と思想の深奥なるとに就ては識者間に名著として認められ、<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>のリーベル博士の自由論よりは<ruby><rb>寧</rb><rt>むし</rt></ruby>ろ標準的著述と推されているようである。知らず知らず学校教員の癖を出し古本の談に惑わせたことに付ては読者の許容を乞わねばならぬ。

## 始めて政治的に現われた民主主義

さてデモクラシーの最大要素が自由にあることは論を待たぬ、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">殊更いわずとも民主主義と自由論とは殆ど同一物の如く思い做して</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">甲を挙ぐれば乙はその中に含まれている如く認められていて</span>、この事は議論を待つまでもなく常識で、<ruby><rb>明</rb><rt>あきらか</rt></ruby>であると思われている。民本主義といえばその昔に<ruby><rb>遡</rb><rt>さかのぼ</rt></ruby>れば、西洋ならば少くとも<ruby><rb>希臘</rb><rt>ギリシャ</rt></ruby>の歴史にまで達してその<ruby><rb>本</rb><rt>もと</rt></ruby>を探り、東洋では堯舜の時代にまでも上り得るのである。<ruby><rb>何</rb><rt>いず</rt></ruby>れの説によらず、それからそれと<ruby><rb>本</rb><rt>もと</rt></ruby>を求むれば<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>までも遡ることが出来る。隅田川の水源は果して何処にあるかといえば、武蔵野の奥深く進み行きてチョロチョロの小川を指摘するを得る。なお進めば落葉の下を潜る露の雫をも<ruby><rb>名</rb><rt>なづ</rt></ruby>けて河といえるようなもので主義の本などいうことも、殆ど言葉の<ruby><rb>巧</rb><rt>たくみ</rt></ruby>なる用法によりて<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>ようにも説明されるけれども、実際<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">今日に行わるる民主主義の社会の原動力となりあるいは政治の運動となって現われたのは仏蘭西革命以来といわざるを得ない</span>。<ruby><rb>少</rb><rt>すくな</rt></ruby>くとも<ruby><rb>仏蘭西</rb><rt>フランス</rt></ruby>革命なる現象によりて民本主義なる一の主義が世界に知られたというて<ruby><rb>宜</rb><rt>よ</rt></ruby>かろう。今日民本主義を説く者は仏蘭西革命の知識なくしてはこれを明にすることは出来まい。

## 民主主義を誤解した危険

そこで仏蘭西革命で<ruby><rb>盛</rb><rt>さかん</rt></ruby>に唱導された主義は何かといえば、第一自由、第二平等、第三親睦である。この中でも最も<ruby><rb>重</rb><rt>おもき</rt></ruby>をなしたのは自由の思想である。この思想は<ruby><rb>仏人</rb><rt>ふつじん</rt></ruby>固有のものといわんよりも<ruby><rb>寧</rb><rt>むし</rt></ruby>ろ英国より輸入されたものの如き感もある。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>らば英人は<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>からこれを得たかといえば、これまた<ruby><rb>談</rb><rt>はなし</rt></ruby>が如何にも学校の講義のようになって、僕が本誌の余白を<ruby><rb>藉</rb><rt>か</rt></ruby>りて日頃説けることとは趣を<ruby><rb>異</rb><rt>こと</rt></ruby>にする故これを略すとして、とにかく仏蘭西革命に於て唱えられた自由なるものは、もとは英国民族の固有なりとは学者の教ゆるところである。言い換れば仏蘭西人には新しい思想であったらしい。勿論英国以外でも先覚者及び学者の中には英国人に劣らぬほどよくこれを諒解したものもあろうが、国民一般に就ていえば英人が遺伝的に本能的に理解していたことも、仏蘭西人には耳新しい珍しい面白い福音原理の如く聞えた、<ruby><rb>殊</rb><rt>こと</rt></ruby>にこの説の宣伝に有力であったことはかの有名なるルソーの民約説であったから、英人の説き方とは大分異っていた。常識に基いた穏健な実着な思想といわんよりは<ruby><rb>寧</rb><rt>むし</rt></ruby>ろローマンチックな奇抜な事を言い出したので<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">田夫野人も趣味を以てこれに耳を傾け</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">従ってその説の弘まり方も非常に早く</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">その代りに誤解もまた多くあった</span>。<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">なかんずく応用に至りては仏蘭西革命の歴史の示すが如く独り仏蘭西のみならず人類の歴史を汚す如き乱暴狼藉を来たしたのである</span>。

## 仏国革命に於ける自由の誤解濫用

自由なる言葉に政治的意味を含まして用うるは我国に於ては明治以後である。<ruby><rb>中村敬宇</rb><rt>なかむらけいう</rt></ruby>先生がミルの自由論を訳された時には、あれほどの漢学者でありながら訳語に度々窮せられ原語の意味は<ruby><rb>能</rb><rt>よ</rt></ruby>く分っても、それに該当する訳字を発見せぬので、あて字を用い、その下に<ruby><rb>括弧</rb><rt>かっこ</rt></ruby>して後日の訳者を待つなどと附記していた。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るにその後自由民権論が盛に行われ、殊に明治十年前後には民権党、自由党などいう看板の<ruby><rb>下</rb><rt>もと</rt></ruby>にこれらの主張が世に弘まった。

然るにこの説を聞く者はさて置き、これを唱うる人さえも、どれほどその意味が解ってるのか、学生としてミルの書を読める最中であった当時の僕は、<ruby><rb>大</rb><rt>おおい</rt></ruby>にこれを疑わざるを得なかった。また近頃デモクラシーの声が各所に<ruby><rb>囂々</rb><rt>ごうごう</rt></ruby>として唱えられ、また僕自身も小さいながらもこれを旗印としているに<ruby><rb>拘</rb><rt>かかわ</rt></ruby>らず、果して自由なるものが<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる権利あるいは権力であるかを了解する者が少くないかを<ruby><rb>虞</rb><rt>おそ</rt></ruby>れる。普通<ruby><rb>凡夫</rb><rt>ぼんぷ</rt></ruby>の心を喜ばせるものは<ruby><rb>煽</rb><rt>おだ</rt></ruby>てることである。<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">彼らに勝手の事をするのが自由である</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">人権の最も貴いものであるなどと教ゆれば</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">各自の知識あるいは趣味の程度によりて我儘を働くを以て自由を享有するように思うは当然のことである</span>。<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">仏蘭西革命時代に自由論が教育ある中流社会に唱えられていた間は大した過もなかったようであるが</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">無教育な下層社会に唱えられ出してからは</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">有らゆる暴行を促すようになって</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">遂に乱暴狼藉に反対し合理的の民権自由を主張した者は</span><ruby><rb>片端</rb><rt>かたっぱし</rt></ruby><span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">より断頭台上の人となされた</span>。かの有名なるローランド夫人の如きは、革命の当初には自由民主のため大に名望もありかつ実際に尽したことも少なからぬ人であったが、過激党のために遂に断頭台に上らせられ、露の命のまさに消えんとする時、「オオ自由よ、自由よ、幾多の罪悪が汝の名によりて行われしぞ」と絶叫したというのは、デモクラシー即ち自由の誤解<ruby><rb>濫用</rb><rt>らんよう</rt></ruby>を最も能く現わしたものである。

## 人間行為の動機は二あり

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">一体自由というは決して自分勝手な事をする意味ではない</span>。<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">即ち放肆とは違う</span>。ルソーの説はともすれば人間と動物との区別を忘れ勝ちであったと思われる。彼は動物社会には何の制限もなく、喰いたい時に喰い、眠くなれば寝る、他より何らの制限を受けぬところを以て自由の如く説き、太古の有様を以て人類社会の理想としたのである。さればルソーがその著書を友人のヴォルテーアに贈った時、後者の書いた挨拶の書状に名著は喜んで拝見したが、御教訓の趣を実行し兼ねることは甚だ遺憾に存ずる。老生既に七十の<ruby><rb>齢</rb><rt>とし</rt></ruby>を越えたれば、貴兄の教えらるる如く、今更四ツ<ruby><rb>這</rb><rt>ば</rt></ruby>いになって歩くことも致し兼ねると答えたという話がある。動物社会には我々の尊ぶ<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">自由というものはないのであろう</span>。

人間が何事を行うにも必らず二の動機の<ruby><rb>何</rb><rt>いず</rt></ruby>れか一によりて<ruby><rb>為</rb><rt>な</rt></ruby>すものである。一は希望、一は恐怖である。物を喰うにさえ美味を<ruby><rb>楽</rb><rt>たのし</rt></ruby>むという<ruby><rb>望</rb><rt>のぞみ</rt></ruby>を以てするか、<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>らざれば喰わねば餓死する<ruby><rb>恐</rb><rt>おそれ</rt></ruby>あるからである。学問するにも偉い者になりて立身するを希望するのと、学校に通わねば親に叱られたり他人に笑われたりする恐からする。商売するにも政治運動するにも、詮じつめればこの二の動機の何れかによりて人は動いている。希望を以てすることを仮りに積極的行為と名づくれば、恐怖の念より<ruby><rb>為</rb><rt>な</rt></ruby>すことを消極的行為というても<ruby><rb>可</rb><rt>よ</rt></ruby>い。積極に出る行為をすることは取も直さず自由の意思によりて動くということになり、消極的に出ることは自己以外の威力に強制されて<ruby><rb>為</rb><rt>す</rt></ruby>るので、独立自由の人格の好まない<ruby><rb>所</rb><rt>ところ</rt></ruby>、甘んじない<ruby><rb>所</rb><rt>ところ</rt></ruby>、止むを得ざること、<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>わば恐迫され<ruby><rb>強</rb><rt>しい</rt></ruby>られて<ruby><rb>為</rb><rt>す</rt></ruby>る如きものである。<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">政治に就ていうも同じ税を払うにも村会なりあるいは議会なりに於て</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">自分なりあるいは自分が好んで選び出した人が承諾して課する税ならば</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">これ自由の意思を以て定めた税である</span>。<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">その用途も自分自らなり自分が選んで出した者の承諾した上に使うならば</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">これまた自由の行為というべきものである</span>。これが<ruby><rb>昔</rb><rt>むかし</rt></ruby>のように自分は一向承知しないにも<ruby><rb>拘</rb><rt>かかわ</rt></ruby>らず、<ruby><rb>強</rb><rt>しい</rt></ruby>て財産の一部を捲き上げたり、あるいはこれを自分の一向賛成せぬことに用うれば、自由のない国家として、今日より見れば専制、独裁、野蛮の政治と非難さるる訳である。

## 動物界に於けるいわゆる自由

<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに動物社会を見ると自分の意思でどうすることは殆どない、それが有るとすれば食ったり寝たりすることだけで、その他の事は<ruby><rb>何</rb><rt>いず</rt></ruby>れも恐怖心より行うている。ある博物学者が書いた旅行書に、全く未開の森林の<ruby><rb>樹蔭</rb><rt>きかげ</rt></ruby>でしばしば夜を明して動物社会の<ruby><rb>起臥寝食</rb><rt>きがしんしょく</rt></ruby>の有様を研究したものの中に、自然の美を喜ぶと同時にいわゆる自然界なるものの<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>に不安の念に包まれおるかと感じた。鳥が鳴いたり鹿の声を聞くは風雅であるが、深更に獅子一たび吼ゆればあらゆる動物が大小となく恐怖の念を<ruby><rb>懐</rb><rt>いだ</rt></ruby>き、あるいは鳴きあるいは隠れ、あるいは慄えたりする様が<ruby><rb>明</rb><rt>あきらか</rt></ruby>に分る。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに獅子そのものは安心しているかというに、何か自分の身に危害を及ぼすものなきかを思うらしく、安心の態度は更にない。要するに恐怖心が彼らの心理的状態であることを述べてあったが、そうありそうに想われる。<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">いわゆる優勝劣敗の行わるる境遇に於ては優も劣も互に恐れ合い</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">また疑い合い</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">辛うじてその存在を全うしているのである</span>。<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">かかる社会に於て如何にして積極的行動が行われ得るであろう</span>。米国の未開地の中央などに行くと、野生の牛がいるという。その群を見るに<ruby><rb>毎時</rb><rt>いつ</rt></ruby>も戦々兢々としている。無神経と称せらるる牛でありながら僅の声にも<ruby><rb>戦</rb><rt>おのの</rt></ruby>いている。彼らの仲間の制度として一匹なり二匹なりが小高い丘の上に立って番している。怪しげな者が<ruby><rb>来</rb><rt>きた</rt></ruby>ると合図する、番牛が合図するまではいささか<ruby><rb>安堵</rb><rt>あんど</rt></ruby>の<ruby><rb>体</rb><rt>てい</rt></ruby>であるという。この有様を家畜となった牛に比すればどうであろう。乳牛の如き各自の小舎に<ruby><rb>餌</rb><rt>か</rt></ruby>われあるいは牧場で草を<ruby><rb>喰</rb><rt>た</rt></ruby>べる時の有様は、怪しげなる者が来ても更に怖るるの<ruby><rb>風</rb><rt>ふう</rt></ruby>なく安んじてその所を得ている。もっともこの安心が<ruby><rb>直</rb><rt>ただち</rt></ruby>に自由の本を<ruby><rb>為</rb><rt>な</rt></ruby>すとはいい兼ねる、<ruby><rb>寧</rb><rt>むし</rt></ruby>ろ彼らは絶対的に人間に服従し奴隷となりて安静を保っていることなれば、僕は決して安堵即ち自由とはいわぬ。しかし<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">僕の言わんと思うことはある程度まで生命財産の安固を得なければ自由を得難いものであると思う</span>。<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">衣食足って礼節を知るというが</span>、<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">衣食足って自由を知るというべく</span>、<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">今述べた家畜は衣食を得たいために自由を失っているのである</span>。衣食を人より供給されているから、自分は安全ではあるが、奴隷となっている。

## 動物の自由と真の自由

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">自由にしても自ら階級があってルソーのいうような動物の自由はいわば食うだけの自由で</span>、甲の犬が噛じれる骨を乙犬は力任せにこれを奪う自由を有しているが、奪われまいとするには容易ならぬ心配をせねばならぬ。その食物を得るには痛く<ruby><rb>艱難</rb><rt>かんなん</rt></ruby>せねばならぬ。即ち種々の不自由を経ねばならぬ。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに何故にこんな不自由なる有様を自由と名づけるかといえば、彼ら動物間には法律や輿論の如き制裁力が弱いからである。しかしこれは最も低い階級の自由であって、我々の尊ぶ自由というはかくの如き野卑なものでない。財産と生命が安固にして夜は戸を閉じなくとも高枕で眠り、他人と説を異にしていても大手を振って往来を<ruby><rb>闊歩</rb><rt>かっぽ</rt></ruby>する如きことこそ真の自由というものである。即ち社会に秩序があって暴力に対する恐怖心が不必要になり、あるいは自分の説の行わるる希望を懐き、あるいは自分の疲れた体を憩うて身体の健全を維持する望を懐き、<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">積極的行動を為しても</span>、<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">何人もこれを妨ぐる者なく</span>、<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">相互の生命</span>、<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">財産</span>、<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">思想</span>、<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">人格を尊敬する様になって</span>、<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">始めて自由が実現されるのである</span>。<span data-tei-rend="bouten 丸傍点 right" style="text-emphasis-style: filled circle; text-emphasis-position: over right">自由の実現には一方必ず社会の秩序</span>、<span data-tei-rend="bouten 丸傍点 right" style="text-emphasis-style: filled circle; text-emphasis-position: over right">法律の完備が伴うている</span>。故に法律なくして自由は思も寄らない、社会の尊敬なしに個人の自由は実現出来ない。孔子の「心の欲する所に従えども<ruby><rb>矩</rb><rt>のり</rt></ruby>を<ruby><rb>踰</rb><rt>こ</rt></ruby>えず」というたのは自由の定義として適切である。単に<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">心の欲する所に従うだけでは</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">あるいは矩を踰えるの恐もある</span>。<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">然らば単に矩を踰えないことのみを恐れるようでは</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">これまた自由を得たるものとはいわれない</span>。<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">心の欲する所は思い存分に</span><ruby><rb>行</rb><rt>や</rt></ruby><span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">る</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">しかしその行うことにも自ら宜しき程度があって</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">その程度即ち矩を踰えない所に真の自由がある</span>。然るに孔子さえも七十になって始めてこの域に達したので、五十、六十まではまだ心の欲する通り行うこと、<ruby><rb>矩</rb><rt>のり</rt></ruby>を<ruby><rb>踰</rb><rt>こ</rt></ruby>えたであろう。デモクラシーの経験に最も老練を積める英国民の於てさえいまだ理想的の自由に達しないのである。まして自由なる言葉を五十年前に始めて聞いたような国民がかくの如き意味に於て自由を理解することは、もとより期待されぬことであって、従って<ruby><rb>仏蘭西</rb><rt>フランス</rt></ruby>革命のワイワイ連中がこれを誤解して応用を過り、悲惨な歴史を演じたような事なきため、デモクラシーを重んずる者は冷静にこの問題を理解することに努めたい。

これだけでは僕は自由論に反対するように聞ゆるが、僕はその誤解を心配するのであって、これより正解に努力したい。

〔一九一九年二月一日『実業之日本』二二巻三号〕