Soranoha

美少年

びしょうねん

岡本 かの子

「とく子、お地蔵さまの縁日へ連れてってやろう。早く支度したくをしな」

美少年が古い乾き切った物干台の上で手を振った。わたしはその声を心待ちに待っていたのではあるが、そう思い取られるのも口惜しいから病室の窓から鼻から上を顔半分のぞかしたまま、ちょっと首をかしげてみせた。なんだかよく聴き取れなかったというしぐさ。すると美少年は案あんの定じょう、わたしの懸念していた例の暴言癖を出した。

「なんだ、聴えてるくせに、愚図々々してると○ましちまうぞ」

そら来たなとおもって、わたしは耳の附根まで赭あかくしてすっくと立上り、このうえ、彼に口を利かせないよう急せき込んで怒鳴どなった。

「わかった、わかった。いますぐに行きますってば」

物干台と、病室の窓とは、瓦屋根五つ六つ間を距てていた。斜に硫酸臭い錺職かざりやの二階の口が柘榴ざくろの茂みからのぞいている。敷居の上で網シャツ一枚の職人たちが将棋をさしていたが少年の方をちょっと顧た。

「は は は は、うまくやってるぜ、時公」

すると美少年はべろんと舌を出してみせた。

わたしは恥しさに心で嘆きながら、急いでお化粧に取りかかった。附添のお祖母ばあさんはいそいそと支度をして呉れる。

病院は眼科専門であった。山の手に家のあるわたしがなぜお祖母さんに連れられてこんな下町の病院へ入院したかというと、それほどわたしの眼は難治のものだった。さし当ってどうということもないのだが、瞳にかかったうすい霞は、根が腺病質の体質から生み出された疾患だけに、しつこく永引いた。東京中の評判の眼科医は一通り診て貰った末、ここの院長が名医だという噂で、二ヶ月まえにこの病院に入院したのであった。おそらく病院の取締が寛やかで患者の扱い方が捌さばけているのもこの病院を繁昌さす原因の一つであったろう。

山の手から下町へ移って寝起きする少女のわたしにはすべてのものが珍しかった。下町の生活は屋根の生活でもあった。瓦屋根、トタンやブリキ屋根、それ等を海とも花野とも眺め渡しながら、朝夕、見交し合ういくつかの二階の窓、いくつかの物干台に隠見する人間たちは草双紙の中に出て来る人物のように一々、いわくあり気に、しかも手軽るに馴染なじめそうにも思えた。ましてわたしの病室の窓の、真向きに当る物干台の上にしょっちゅう現れる気さくな少年と、わたしが親しくなれたのになんの手間暇はいらなかった。空地の少い下町では物干台は運動場でもあり庭でもあった。そこの朝顔鉢に少年はよく水をやりに出た。

「あんな綺麗な男の子、見たことはありませんよ。聘よんでお酒でも飲ましてやりたいようだねえ」

そういってお祖母さんは少年をとうとう病室へ呼び寄せてしまった。

このお祖母さんは永らくの間、大名屋敷の奥勤めをして、何事にも躾しつけはやかましい方だったから、この少年に対するお祖母さんの仕方はわたしを驚かせた。お祖母さんは奥勤め中たまさかの休みに芝居見物に行き贔屓ひいきのこども役者を芝居茶屋へ聘んで纏頭はなをとらせるのを楽みにしたという話だから、この美しい少年に対しても或はそんなつもりぐらいのとこかも知れない。

少年はわたしの病室へ出入りをするようになってずいぶん横着でわが儘ままに振舞った。わたしは富家に育った権威振たかぶった考えから、なんの下町の貧乏人のむす子が少しの美貌を盾にしたところでと、蔑みもし口惜しがることもあったけれど、お祖母さんは王子に侍かしずく老女のようにただただ少年の機嫌を損ずることを惧おそれた。そしてわたしを引廻す少年の圧制振りを大満足をもって眺め、それに就て争あらがうわたしの不平さえ、快い噂のように笑みくずれて聞き惚れるのであった。「あれだけ綺麗な子なら何をしたって瑕きずにはなりませんとも」と。

わたしとて全部気持の悪い相手ではなかった。牡丹桜ぼたんざくらのような少年の美貌は、傍にいれば眼が放せないほど咲き溢り、共に浮き浮きさせられた。困ったことの一つの彼の暴言癖すら咲き狂った花の賑にぎわいと感じられぬこともない。その性に関する悪たれ口なぞ吐きかけられる度びにわたしは顔を赭くしてひやりとする。けれども慣れて来るにつれ、それがわたしの憂鬱を根から掻き交ぜて、うす明るみをさし加える物憎い魅惑を少しずつわたしのこころに覚え込まして来た。彼無くして、病室の暮しは暗く寂しく感じられるようになった。彼にもしこの暴言の棘がなかったら、或はその快さは見ているとき限りの、離れたらすぐ忘れ去るたちの美少年だったかも知れない。

わたしはお祖母さんに病院の玄関を送り出され、いつも待合せる場所になっている鉄道馬車通りの交番の角まで来ると、少年は柳の幹に背を靠もたらせて待受けていた。

わたしはそれを見付けてもいつもの通り心臆して、すぐ少年の前へは進んで行けない。二三間手前のところで立止ってしまって、身体をくにゃりと曲げ、袂のさきを拾い上げ揉もみくしゃにしながら相手の出ようを待っている。わたしは自分ながらどうしてこの少年の前に立つときだけ、こういう月並な少女の振舞いをするのかと訝いぶかる。やはり少年のきりょうに、圧されるためかしらん。そして少年がわたしを見付けてつかつか側へ寄って来ると、避けるように身を交し、心にもなく、元来た方向へと逃げ気味に駆け出すのであった。

追い縋すがった少年はわたしの肩を小突く。

「なんでい、なんでい、こんな野暮な風態なりをして。これじゃまるで親類へお客さまに行くようじゃないか」

そういいながら彼はわたしの締めている帯の厚板織の乱菊の模様を見入り、この細工の盛り上り方に向って、金目のかかった相当な代ものであると値踏みする小商人のような眼付をした。わたしはその卑しい眼付に嫌気を催しながら、

「でも、お祖母さんが――」

といいさし、彼の視線をはぐらかすように歩き出した。おなかの中では「なんだ、おまえの風態なりは」といい返している。

少年は小肥りの身体に、変り縞の久留米絣くるめがすりを着ていた。藍鼠の絹紬けんちゅうを角帯に仕立てたものを博多結はかたむすびに結んでいた。中学生の癖に、廉やすもの揃いで、通人振ろうとおつにひねった風態なりをしたがる。さもしさが見透いている。

だがこれをすることに加担してこうさしている少年の母親も気が知れないとわたしは思い及ぼして行く。聞けば少年の母親はやはりかなりな美人の俤おもかげを残し、むす子の少年のきりょうよしを大の自慢だとは界隈の噂だが、趣味の低い女ではあるまいか。

鉄道馬車の馬の蹄ひづめがかつかつの音を立てて通る大通りをしばらく歩いて、二人は左手の横町へ曲る。

窯でやかれた陶器の熱が冷めてゆくほど、釉薬うわぐすりの色はみずみずしく仕上るのに似た夏の夕であった。西の空の薔薇いろが薄れるに従っておお空と街とは真っ青に染め付いてゆく。

濠ほりまで見通せる道の両側の青い街では家々は夕飯をすましてまだ瓦斯ガス燈の瓦斯が来ないままに、人々は店の上り框かまちに腰かけて雑談したり、往来へ出て背のびをしたりしていた。うるさく病む眼の邪魔になって、蝙蝠こうもりがおちこち飛び交していた。薬売の定斎屋じょさいやが、宣伝の薬筥くすりばこの鐶かんの鳴りを止めてしずかに帰ってゆく。

少年はわたしに何の合図をせず口も利かず角を曲ったり、みるみる暗くなってくるたそがれの往来を右に左に突き進んで行く。少年の後姿はまるでわたしを連れているのを忘れたかのようである。黙ってもついて来る、美貌によって擒とりこにした奴隷のようにもわたしを思い做なしているのであろうか。ても生意気な人。うつ向きながら小走りにあとを追ってゆくわたしの眼の前に、丸い踵かかとが撒き水の乾いた道を雪履せったで蹴返してゆく。雪履の閃きの薄っぺらさ。

陽はとっぷり暮れた。ランプをつけた家もある。朦朧もうろうとした家の中に、人間がうようよしている下町の家の並びをわたしは気味悪くおもい、なるたけ離れまいとして少年を追い駆けるのだが、少年との間はともすれば距りがちとなる。わたしは「時春さん、待ってよ」と小声でいうのであるが、はっきりそう聞取られるのも業腹ごうはらだという気持があるので、強くも訴えない。

どうか、あの薄情な蹴返し方をして行く少年の踵と、雪履との間に、小石でもはね込み、少年がぐさとそれを踏み付けて、悲鳴をあげたらさぞ腹が癒えることだろう。小石よはね込め、とそんなことを念じながらあとを追ってゆく。

きん かん きん かん――暮れた空で、木の性と金の性とのものをうち鳴す音がした。横町から西仲通りへ出た角である。屋根のついた大きな看板の影に掠かすめられて、避雷針のついている時計台が見上げられた。それはとても大きな塔のようにも見え、また、こましゃくれた雛型のようにも見えた。疑いつつ顧ふりかえりゆくと、ふとこの辺の様子を横浜の景色らしく思い紛まぎらさしめる魔力をその塔の影は持っていた。少年がよく話の中に出して来る清魂丹の大時計というのはこれなのか。なるほど土蔵造りの店の間口から木薬の匂いもした。すると急にわたしには嫉しい気持が胸の中に膨れ出した。少年がこの木薬やの大時計の話をするときは、きっと芸妓屋町の話をする。芸妓屋町の話には、またきっと、そこで少年がもてるというお雛妓しゃくたちの話をするからであった。

瓦斯の来る時刻がして、そこここの店で、一せいに瓦斯の灯が点ともり出した。まだ灯口ほぐちに瓦斯の出が細いかして、町全体を魂祭りの宵かのように陰気に照り現すのであったが、それでも、夕闇の行詰った重苦しさの気をかえ一息つかして呉れる。それにつれ相憎あいにくとわたしがもっとも嫌っているお雛妓たちの塗り白げた顔に、振り飜す袖袂の姿もちらほら眼につき出した。少年の話によると、いかにこれ等の小さい妖女が少年の心を占めていることだろう。

小さい妖女たちは、わたしたちの歩いて行く道の遥なる方角から、もう少年を見付け

「時ちゃーん、今晩は――」と声を送るものもあり、通り過ぎたあとの横の小路からひょっこり現れ「あら、時ちゃん、もう、お縁日へ行くの」と浴せるものもあった。

それに対して少年は横柄に簡単な返事をするのであるが、この界隈へ入り彼女等の姿が見え出してから少年のわたしに対する態度は俄然変って来た。

少年はわたしを待受けてぴったり肩を寄せて歩き出した。そしてちょいちょい手を出してわたしの帯の結び方のくくまりを直し、たくし上る着もののうしろ襟を引張り下げて呉れたりする。いかにも親し気にわたしの顔のそばへ顔を持ってきて口をきく。時にはいう言葉が何だか判らず、ただ口だけ耳へよせてもぐもぐさせ、役者が舞台で秘密な囁きごとをする芝居の仕種しぐさそっくりの真似もした。

わたしはやがて見破った。金目の着物を着たわたしを連れていることをお雛妓たちに見せびらかしているのだ。なお、このことを種に、お雛妓たちの注目や関心を蒐あつめようとする魂胆ではあるまいか。この分でみると、少年がふだんわたしに喋るお雛妓にもてる話も、どうやら誇張があって、わたしを焦立たせ、自分に牽付ひきつけようとする、技術わざに過ぎないのではあるまいか。わたしの中にある少女の疑ぐりはそこまで探りの手を伸した。

わたしは怒りに燃え、今度慣れ慣れしい素振りを見せて来たときに、上体を斜に後へ退ひき、上眼遣づかいに少年の顔をきっと睨にらめつけてやった。少年はうろたえた眼ざしを眩しそうに瞬しばたたかせて

「とく子がそうやると、気嵩きがさな女形俳優おやまが高ぶったときの恰好になるよ。河合武雄だね。僕は好きだね」

わたしの手を執ろうとする。わたしはなんとなく涙ぐんで来て手を引込めさま

「あたしもう帰りたいの――なぜでも」

とくるりとうしろへ振向く。

少年はすっかり周章あわてた。今は自慢の美貌を擁護する心遣いも失くして、眼口を哀訴の表情に歪み皺め、恥知らずな平身低頭の恰好をして、もっと一しょに交際つきあって遊びに歩るいて欲しいと頼むのであった。

わたしは何もかにも、くしゃくしゃになってしまった絶望の気持から、振捨てる骨折さえ面倒に感じ、もう、どうにでもなるようになれと、今度取りに来た手をその儘にしてやった。少年はその手を推し戴く真似をして

「君より賜いしこの腕かいな、やわか粗末にせらりょうぞ、ちょっとまあ、こう歩あゆびやいのう――」

と芝居のセリフでいい、わたしの手を小脇に掻い込んで引出した。

輝き出した町並の灯を受け往来で行われる少年がわたしに対する道化た所作を見付けて、もう三四人の人だかりがしている。その人々はわたしたちを大道芸人の芸かなんぞのように笑いながら見ている。わたしは恥で死にそうになったを奥歯を噛んで堪える。こういう花柳の巷では、人々のこうしたざれ事はしょっちゅう街上でさえ行われつけているのであろうか。それにしてもこんな蔑まれるさまを人目に晒さらして平気な少年には、何か感情に不具なところがあるのではあるまいか。

少年はわたしを引いて歩き出しながら

「ほんとに、今夜は一しょに交際っておくれよ。ほんとに今夜こそ、僕は君に聴いて貰い度いことがあるんだよ。とく子」

といったが、わたしは彼が力を籠めていうそのほんとという言葉を信用しない。それと見て取った少年は、あらためて、わたしの手を握り替え

「よう、ね」と力を入れた。

少年の掌はにちゃにちゃ滑ぬめっていて、蛞蝓なめくじのような触覚がある。気持が悪い。わたしは嘗かつて少年がわたしの病室で暑さに肌を脱いだとき、彼の顔の鮮かなのに似合わず胸や背中に地図のような斑点が淡く浸み出している気味悪さをさえ想い出し、ぷるぷると身慄いした。病院の看護婦の話では、それはこどもの時から飲みつけた酒毒の現れだそうである。

縁日の夜店は刳くりもの工場の煉瓦塀の前から始っていた。そこに乏しい荷を置いた金魚やからだんだん豊富な荷を置いた金魚やまで五六口、店を開いていた。早く寝かしつけるためであろう、もう縁日を一まわりして来て、買って宛あてがったみやげの紙燈籠を大事そうに肩から差出している子供を背負った男親や、手をひいた子供連れの客が少しばかりその前に引っかかっていた。

羽目板を木目もくめの浮き出るまで洗い上げた砂場という蕎麦そばやが角にある。隣に芸妓の検番があって、芸妓や箱やの激しい出入口を除けた向うからずらりと雑多な夜店が並び出していた。カンテラの灯に照し出され花模様の屏風びょうぶを立て並べたように見える。それ等の夜店の列に引較べてうしろの町家の家並は黝くろずみ返って見える。

少年は夜店の品なぞは珍らしくもないようだった。不興な気持を賑かさに掻き消され、ともすれば立止って見たがるわたしの手首を少年はぐいぐい引張り先を急いだ。しかし、夜店のうしろの家並の職業に就ては口早にわたしに説明した。印判屋はんこやの次が鼈甲べっこうや、その次がけいあんと呼ぶ雇人口入業、油やに銅壺どうこや――少年の下町句調で唇から滑らかに出るこれ等の特色ある職業の名を聞くと、少年が察したであろう通りわたくしの好事のこころを充すと同時に、下町の中にいることをしみじみわたしに感じさせた。そしてこういう環境の中で育った少年に、山の手令嬢のわたしに解し難い不思議なものがあるのは無理でないと思うばかりか、今はこの少年を産地の違った湖沼からでも出た珍らしくも美しい魚のように眺めやるのであった。夜店の灯に照し出されて、下町句調で喋る少年の美貌は愛らしさを取戻し、それと人中に手を引かれて行くわたしのこころを浮々と楽しいものにした。これほどの美少年と並んで行くわたしは、顧って行く人々の眼に、野暮で見劣りして映るであろうことの懸念などは薄れ退き、派手な花道を道行姿に扮して行く子供役者の二人ででもあるような晴がましさに興奮した。

縁日の夜店は西仲通より日本橋川河沿いの西河岸の通とおりまで丁字形に並んで出ていた。商い店、事務所、工房――そういう家が押し合うように建て込んでいるこの一区劃の街には縦横に露地があって、露地の入口や、露地の中の両側にもたくさん紋入りの軒燈が掲げ出されている。映った地面さえ浮々と明るかった。三味線の音がおちこちに聞える。

「これ、みんな芸妓屋なの」

わたしはやや皮肉そうに少年に訊いてみた。

「うむ」

少年は意に介しない様子であっさり返事をした。

人も出盛って来たので少年はわたしをはぐらかすまいと手をしきりに引張って人込みの中をすり抜けた。わたしは折角、縁日へ来ながら、急がせられ、来た甲斐の無いのに飽足らず思いながら、それでもわたしは群集の隙から、美しいたけながが滝のように垂れ下っている女小間物の露店や、金筋の角帽を冠った老人が、小さい台附の竹箆たけべらで土人形を戴せたボール板を弾き飛ばし、土人形を落さぬよう射飛ばすボール板で標的に当てることをこども等にさせては人寄せする「大学校の先生」という玩具売りの露店などを、ちらりちらりと覗き見て、縁日の印象を帰ったらお祖母さんにいかに上手に話してやろうかとしきりに記憶の中へ貯め込むのに骨を折った。使ったせいか、繃帯ほうたいを外ずして来た左の眼がしきりに痛み出して涙がぽろぽろ出だした。わたしは袂たもとからハンケチを取出して押えねばならなかった。

少しの労いたわりもなく、それをするわたしを冷然と眺めていた少年は、わたしの眼の手当てが済むか済まぬのにまたぐいぐいわたしを引立て、西河岸へ曲る角からお地蔵さまの近くまで来た。そこまで来ると少年はまたもやわたしに馴々なれなれしくして来た。

「そら、道が悪いよ。こっちを歩るきな」

わたしを自分の方へ抱え取った。

「この辺は、魚問屋があるので、無闇に水を往来に撒まきゃあがるんだ。泥を着ものに跳ねかえしなさんな」

そういう少年の声音に、また、人に聞けよがしの不純な響が混って来たのをわたしは感ぜずにはいられなかった。すると、そこに並んでいる植木やと植木やの間から頭をいなせな角刈にした顔の長い青年が出て来て怪訝けげんな顔をしていった。

「なんだ。コブ附きか、時公、約束が違うぞ」

少年は、わざと頭を掻く振りに、困った様子を示し

「だって、頼まれちゃったんだ。ひいひいたもれのお姫様に、縁日を見せて呉れって」

わたしは、また嘘の見栄をいう少年の顔をまじまじと見ようとしたが痛む眼を労り、中途でやめた。少年はわたしに向い少しバツの悪い顔をしたが、取繕とりつくろうように

「これは鼠ねずっぽのおじさんていう綽名あだなの友達さ」

鼠ねずっぽというのは雌鯒めごちのことで、この青年の口附が小さく尖り出している恰好からこの魚に譬たとえられるとわたしへ愛想のように説明した。

少年はわたしを青年には

「さる山の手のお嬢さん」

と勿体振って紹介したが、この魚問屋の若主人は、まともの挨拶なぞは不勝手の様子を見せ、わたしの女学生風のお叩頭じぎに対し、尊大に「アン」と反り返って返事をし、それからわたしに憚はばかって、わざともつれ紛まぎらかした声を、金歯の閃く筒のような口から出した。

「どうするんだ。折角、親切に、雛っぺえを呼んどいてやったんじゃねえか、あすこに」

といって顎で植木屋の列のうしろを指した。その言葉をわたしはやっぱり聞取れた。

途端に植木屋の間から、出の衣裳らしい盛装のお雛妓が一人現れた。

「鼠っぽのにいさん。わたしもう帰るわよ。だってもうお座敷の時間だわ。叱られちまうわ」

わたしは恐る恐るそのお雛妓を見た。額の広い顎の長い女で、髪は大きな桃割れに結ってるが額口はなんだか毛が薄くなってるように見えた。女の生活にはもう一人前の経験と態度を持ち、少女のままで大人の納りがついてしまったという感じをませた眼鼻立ちに現していた。

彼女は時春の方を偶然見当てたというふうに見やると、少し気まり悪いという声の落し方で

「今晩は」

とだけいったが、すぐ眼を転じて、わたしを頭の尖から爪尖まで邪慳じゃけんな一瞥いちべつで見て取るや、「さよなら」といって、わたしたちの傍は憚るように駆け足ですり抜けた。すぐ姿勢を整え、しゃらこんしゃらこんとお雛妓一流の木履ぽっくりの鈴の踏み鳴し方に人も無げな空気の煽りを私達に残して群集の中に見えなくなった。

呼び返せるつもりで、しきりに「雛っぺえ」を連呼していた鼠っぽのおじさんも、今は力なく少年を顧り

「惚れるほど、わざと白っぱくれということもあるからね――だが、時、おめえも悪いぜ」

といった。

少年はとみると、お雛妓の声を聞付けたときから衣紋をつくろい、わたしを小盾に、なにかの技術わざを一工夫という様子がありありと見えたが、施す暇もなく呆気なく行かれてしまったのに、張合抜けがしてしまったらしい。その残念さを圧し消すよう、わざと力んだ声でいった。

「へん、女ひでりはしやあしめえし、おいらだって美少年の時春だ。いずれ見返えしてやらあな」

わたしの手を引いて、斜向いの見世物小屋の方へ道を横切って行った。鼠っぽのおじさんは「あとで砂場で逢おうぜ、話があるんだ」と叫んでいた。

わたしはこの少年になにをなされてることやら判らない気がしたが、もうこうなったら少年に対する愛憎の気持の繋りは除れてしまって、ただ鼠があたしをどこまで引いて行くだろう。今度はどんな技術わざをするだろうと白々しらじらした興味を覚えながら

「あのお雛妓さん。ふだんあんたのいうあの御自慢のお雛妓さんなの」

と訊いてみてやった。

少年はすっかり憂鬱になっていて

「あのくらい本心の判らないやつはないんだ。感情を殺すことに慣らされてしまったんだな」

といった。

わたしからみれば、それは少年の他愛もない思い過しであることはすぐ判る。あの女は恋とか愛とかには全然興味をかけない生活にのみかまける素質に生れ附いた女なのだ。少女であれ、同性の洞察力を働かすことによってわたしにはすぐ判る。少年はそれに気付かずに複雑深刻に解している。この少年にはまだお坊っちゃんのお人よしのところがありそうに思える。わたしは少し、慰め手に廻るほどの好意を取戻して来た。

「また、今度ゆっくり逢ったらいいじゃないの、それよか、あたし見世もの珍らしいわ。ね、見せてよ」

そういって、わたしはお祖母さんが懐に入れて呉れた巾着を取出して少年に渡そうとした。少年は「いいよ」とわたしの手を押戻し

「とく子、おいらという人間は一たいどこにしん棒があるんだろう。自分にも判らなくって困っちまう」

やっぱり今夜は君にほんとうのことを聴いて貰う初一念を通すのがいいといって、それを執拗にせがみ出した。

は いっちゃ いっちゃ いっちゃな

という掛声が破れ太鼓の音と共に聴えて来る。その間には細く消え入りそうな声で唄う唄が聴える。

来こよとゆたとて、あ、じつまた、ゆかりょうか佐渡おぅえ――

それはろくろっ首の見世物小屋でろくろっ首の娘が唄う声だそうである。拵こしらえものに違いあるまいが、それにしても、澄み慄える無智な唄声は不具な運命の歎きを、どこかへ誰かに訴え徹そうとしている憐れさを現していた。

その先は改良剣舞の銅鑼どらと拍子木入りの荒々しい野性の鳴もの。

その先は不自然に太めたり細めたりして鳴す娘曲馬団の楽隊の音。

これ等の音の並びを少し離れて小屋の裏から聴く、河岸の火事の焼跡に少年はわたしを連れ込んだ。普請ふしんの角材にハンケチを布いてわたしを腰掛けさした。前には日本橋川がどぶ泥色の面にうっすり縁日の灯を反射さして流れている。

「夜がいいんだ。賑かさと寂しさとの境がいいんだ。きまりが悪くないほど顔が僅かに見える場所がいいんだ。追い詰められてもうこれより行きようもない水にすれすれの河岸がいいんだ」

自分の初一念は、そこでこう、ほんとの話がとく子にできると思い立ったのだと少年はいった。

「だがねえ、そう思い立って、君をここまで連れて来る短い間のうちさえ、僕はいろいろにぐらつくのだ。ひょっとしたら君にもそれが判ったろう。自分に思いも寄らないお芝居をしたり、手を使ったり、なんだかまわりの調子に釣り込まれる。つくづく動き易い自分に自分で愛想が尽きるのだ」

やっぱり自分は駄目なのかなあと、少年は声を落してうなだれた。今、少年の歎きは本気らしい。闇に浮く頸筋が、うち首の刃の下に観念した美少女のように白く慄えている。

「あーあ、少しばかりきりょうがよく生みつけられた男の子は不仕合せだ」

その歎きの理由がまだはっきり判らないのに、わたしは少年から胸に沁みて来る悲哀のようなものを移されていた。

「僕はほんとうは、美少年の時春なんていわれるのとても嫌なんだ。剥せるならこんなきりょう顔から剥しちまい度いと思うんだ」

人も許し、自分も認める己れの美貌のため少年は、物ごころつく時分からどんなに苦労をしたか、人には判るまいといった。

こども仲間にはにやけた奴だと排斥された。その遊び仲間に入れて貰うのには心にも無い乱暴や狼藉ろうぜきを手見せに働いてみせねばならなかった。少し大きくなって悪るさをしてみたり、バレた所業を振舞ったり、偽悪の仮面を冠るのも、自分の美貌にテレるからであった。自分を美貌として、美貌のままつんと澄すくらい女の子ならいざ知らず男の子には尻こそばゆい思いはないといった。「気が弱い癖に好みや意地ばかり張った都会っ子の気持はそうしたものなのだ」

それでも自分はこの界隈から美少年の時春と謳うたわれるようになった。こうなってみれば、わざとそれを自誇するのが却って男らしい気がした。しかし移り気の花柳街にいかに美貌の人間でもうっちゃって置いて人気がそう永く保てるものではない。自分は人気を続ける術てを工夫し覚えた。

習いは性となった。

「僕は運命の美貌のために、仮面や術てばかりで暮すようになり、ほんとうということを取り失ってしまった。自分で気がついてみるのに、僕にはいつも人目に立って人に見られる癖がつき、われを忘れてぼんやりしていられたためしが無い。少年の癖に、自分が少年の無邪気さを知らないと気がついたぐらい佗しいものはない」

結局、自分は美少年の時春という飾りものの中に、魂もなく、一人ぼっちで住み、淋しがっている子供なのだといった。

「だから、僕はときどき死んじまい度いと思うこともある」

それもできず、また、お洒落しゃれをして気取るのも止められないのは、たった一人のお母親ふくろが一人息子の自分のきりょうよしを大の自慢だからだといった。

「これには参る。僕には苦手だ」

と歎息した。

「お母親ふくろのことはこれ以上いうまいが、なにしろ僕がきりょうよしでそのための人気があるのをただ一つの誇りとして、この世に生甲斐を見出してる女なのだから。敵かなわねえや」

縁日はいまや賑さを酣たけなわに、人のざわめき、商人の呼び声、そそる見世物小屋の鳴もので乱軍中の突貫の声に取囲まれているよう。虫売の手から逃げたのであろう蛍が一つ闇の川を明滅しつつ越して行く。

わたしは少年の述懐を聴き、事の意表に愕いたがどうする術もない。しかし胸は息苦しく、何となく少年のために義憤のようなものを感じている。ふと思い付きに

「いっそ、役者になったらどうなの、そしたら美しいきりょうを苦に病むこともないわ」

すると少年は怒ったらしく怒鳴った。

「嫌だい。この上きりょうを売ものにする職業しょうばいなんかに誰がなれるとおもう」

その怒鳴り方は悲鳴に等しい響があるのに、なんとなくおかしみが添った。わたしはくっくと笑いながら

「よくよく荷厄介にされたきりょうよしなのね」

笑うと同時に病む眼に涙が痛くにじんだ。

少年は居ずまいを直し、強しいて気まり悪さを割って押出すようにいうのであった。

「君は、野暮で、一徹で、都会の中の田舎ものの女だ。そこを見込んで頼みがあるんだ」

どうか、一つ自分と義兄妹ぎきょうだいの約束を結んでは貰えまいか。君のような野暮堅い妹を持ったら、自分は真面目まじめを支えられきっと救われるに違いないといった。

わたしは、義兄妹ぎきょうだいの約束なんて、やっぱりこの少年は下町の不良少年なのかと疑い出した。第一義兄妹ぎきょうだいなんて、下品きわまる。それと血の縁を結ぶという話を聞くとなぜかわたしは少年の身体の酒毒の斑点が思い出されて身慄いが出た。わたしは当座の答えに

「お祖母さんに訊いて、もしいいといったら」

と答えた。

それはその場逃れの答えには違いなかったが、事実わたしはお祖母さん子であった。分別や感情は相当にませたものを持ちながら、一身上のことにかけてはすべてお祖母さんが権を預って采配を振っていた。お祖母さんの厳しい躾しつけと法外な甘やかしとの妙な入組みの庇護ひごの下にはじめて気儘に敏く振舞える生立ちをして来た少女でわたしはあった。

「お祖母さんに訊いて⁉」と少年は鸚鵡おうむ返しに反問した。わたしは黙っている。「お祖母さんに訊いてか!」と少年はもう一度繰返した。今度はそういってその言葉の含む意義を噛み味ってるようだった。

切ない数分間が沈黙の中に過ぎる。少年は次にどう出て来るか、このときくらいわたしが少年に対して真実に怖しさを感じたことはない。わたしは病む眼を押えて慄えを続けていた。

「へん」

少年は力無げにくたりと上体を投げほごした。

「判った。いいよいいよ。心配しなくてもいいよ」

そして深い溜息をついた。

「君はいいとこの子だ。僕なんかに係かかわらない方がいい」

少年は優しくいって、そしてわたしの背中を撫でさえした。

わたしは危うく「いいえ、そうじゃないのよ」といおうとしかけたが、堪えた。熱いものが胸にこみ上げる。

やがて少年はすっくと立上った。両袂を両手できつくうしろへ叩き払うと、せせら笑いを混ぜていった。

「もう、おめえにはなんにも頼まねえよ。勝手にしやがれだ。ようし、こうなったら、おいらもどこまでも美少年の時春で押し通して見せるから。淋しくったって仕方がねえ。それがおいらの生れ付きの運だ」

それはわたしに対する捨セリフのようでもあり、また自分で自分にいい聞かす諦めのようにも聞えた。

少年はわざとのびをし、作り欠伸あくびに紛らかして

「じゃ、とく子、あばよ」

といった。

それでも少年はわたしを縁日筋を距さけて病院まで送り届けて呉れた。わたしは少年に送り届けられる無言の道中のうち何度か「時春さん堪忍かんにんしてね」といい度かったが、ついに口に出し得なかった。わたしが病室へ帰ってしくしく泣き出すのをみてお祖母さんは

「また、時春さんと、喧嘩おしかえ。よしよし判った判っただ。だがそれよか、お縁日の様子はどうだったい、話してご覧」

といって、笑えましげな顔をしていた。

それからは少年は古い乾いた物干台へも姿を現さなければ、病室にも訪ねて来なかった。お祖母さんは気にして病院の小使に遣いものを持たし様子を見にやったりしたが、少年は別に変りはなく家に居るとのことであった。

わたしの眼は癒りはしなかったが、いくらかは軽まった具合なのに学校のこともあり秋に入るを期し退院する支度にかかっていた。

美少年の時春が不慮の変死を遂げたという報しらせはわたしたち老少の女二人を愕かした。詳しい話には少年はお雛妓たちを連れて丸の内の銭瓶橋の方へ遊びに行き、橋の欄干に上って綱渡りの真似をしてお雛妓たちに見せていたそうである。足を滑らして濠へ墜ちた。少年は泳ぎはできるのだったが、そのときしたたか昼酒を飲んでいたので、死因は溺死というより心臓麻痺だそうである。

「何たることです、何たることです」と、ただ呆れてしまったお祖母さんは、それでも、やがて「あたしだけでも、せめて、お悔みに行ってやりましょう」とて、香華こうげを調え少年の家へ出向いた。

一人居残った病室で、わたしは、時春の死を想ってみていた。あの時春の死。それは嘘のようにもおもえ、また、結局こういうことになるのが順当のようにもおもえた。そして、その死については、なにかわたしにも罪咎があるような気がして来るとわたしは得堪えず身体の上体を両手で抱えて激しく揺り動かした。

「時春さん。堪忍かんにんしてよ、堪忍してよ」

先夜縁日の帰りにいえなかった言葉が思わず口に咽むせび出た。口惜しい涙があとに続いた。

伝えに来た人の話によると、少年の死骸ははじめ判らなかったが上げ潮に押され、道三堀の水の落口まで溯って浮いたのを発見されたという。そこはわたしも嘗かつて少年に連れられて菱の実を取りに行ったところである。藻草や青みどろで水は青く染っていた。

青い水に浮く一朶だの牡丹桜のような少年の死骸、わたしは、その美しさを目にまぼろしに泛うかべてみた。

だが、事実は相違していた。

お祖母さんの帰ってからの話によると、少年の死顔は様変りして案外見すぼらしかった。深く歎いた母親は、折しも入棺の柩の中の少年の死顔に対し、必死と、含み綿をさせたり、お白粉で化粧したりしたという。現にお祖母さんはそれを手伝って来た。

「すると、また、時春さんの顔は、生きてたときより何倍か美しく、まるで役者の生人形のよう、あのまま焼くのは惜しいくらいだったよ」

おまえさんにも一目見さして置き度かった、とつくづくお祖母さんはいった。

これを聞くと、わたしは、女だてらに思わず「へへん」とせせら笑いをして、お祖母さんに目を瞠みはらしてしまった。あわてて口を押えて考えてみるのに、それはわたしが笑ったのであろうか、それとも、わたしにいつか浸み込まされていた時春の気持が、わたしをしてこう笑わしめたのであろうか。

「よせやい、いけ好かねえことを。おいら化粧なんかいらねえ。おいらせめて素顔で死にてえのだ。ほんとういうと野暮な素顔でよ」

時春が暴言癖の口調で、しかも切実な力を籠めて、こういうのがどこからか聞えるようだった。

底本 / Source edition

底本:「岡本かの子全集6」ちくま文庫、筑摩書房
1993(平成5)年9月22日第1刷発行
底本の親本:「鮨」改造社
1941(昭和16)年3月14日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:持田和踏
2024年1月21日作成
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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岡本 かの子「美少年」(新字新仮名)、底本『岡本かの子全集6』ちくま文庫、筑摩書房、1993年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 050624_000076, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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