Soranoha

白羊宮

はくようきゅう

薄田 泣菫、薄田 淳介

この書を後藤寅之助氏にささぐ

〔図〕fig50558_01.png
わがゆく海の挿画

わがゆく海

わがゆくかたは、月明つきあかりさし入いるなべに、

さはら木ぎは腕かひなだるげに伏ふし沈しづみ、

赤目柏あかめがしははしのび音ねに葉はぞ泣なきそぼち、

石楠花しやくなぎは息いきづく深山みやま、――『寂靜さびしみ』と、

『沈默しじま』のあぐむ森もりならじ。

わがゆくかたは、野胡桃のぐるみの實みは笑ゑみこぼれ、

黄金こがねなす柑子かうじは枝えだにたわわなる

新墾にひばり小野をののあらき畑ばた、草くさくだものの

釀酒かみざけは小甕こみかにかをる、――『休息やすらひ』と、

『うまし宴會うたげ』の塲にはならじ。

わがゆくかたは、末枯うらがれの葦あしの葉はごしに、

爛眼ただらめの入日いりひの日ひざしひたひたと、

水錆みさびの面おもにまたたくに見みぞ醉ゑひしれて、

姥鷺うばさぎはさしぐむ水沼みぬま、――『歎なげかひ』と、

『追懷おもひで』のすむ郷さとならじ。

わがゆくかたは、八百合やはあひの潮しほざゐどよむ

遠とほつ海うみや、――あゝ、朝發あさびらき、水脈曳みをびきの

神かみこそ立たてれ、荒御魂あらみたま、勇魚いさなとる子こが

日黒ひぐろみの廣ひろき肩かたして、いざ『慈悲じひ』と、

『努力ぬりき』の帆ほをと呼よびたまふ。

ああ大和にしあらましかば

ああ、大和やまとにしあらましかば、

いま神無月かみなづき、

うは葉ば散ちり透すく神無備かみなびの森もりの小路こみちを、

あかつき露づゆに髮かみぬれて、徃ゆきこそかよへ、

斑鳩いかるがへ。平群へぐりのおほ野の、高草たかくさの

黄金こがねの海うみとゆらゆる日ひ、

塵ちり居ゐの窓まどのうは白じらみ、日ひざしの淡あはに、

いにし代よの珍うづの御經みきやうの黄金こがね文字もじ、

百濟くだら緒琴をごとに、齋いはひ瓮べに、彩畫だみゑの壁かべに

見みぞ恍ほくる柱はしらがくれのたたずまひ、

常花とこばなかざす藝げいの宮みや、齋殿いみどの深ふかに、

焚たきくゆる香かぞ、さながらの八鹽折やしほをり

美酒うまきの甕みかのまよはしに、

さこそは醉ゑはめ。

新墾路にひばりみちの切畑きりばたに、

赤あから橘葉たちばなはがくれに、ほのめく日ひなか、

そことも知しらぬ靜歌しづうたの美うまし音色ねいろに、

目移めうつしの、ふとこそ見みまし、黄鶲きびたきの

あり樹きの枝えだに、矮人ちいさごの樂人あそびをめきし

戯ざればみを。尾羽をば身みがろさのともすれば、

葉はの漂たゞよひとひるがへり、

籬ませに、木この間まに、――これやまた、野のの法子兒ほうしごの

化けのものか、夕寺ゆふでら深ふかに聲こわぶりの、

讀經どきやうや、――今いまか、靜しづこころ

そぞろありきの在あり人びとの

魂たましひにしも泌しみ入いらめ。

日ひは木こがくれて、諸もろとびら

ゆるにきしめく夢殿ゆめどのの夕庭ゆふには寒さむに、

そそ走ばしりゆく乾反葉ひたりばの

白膠木ぬるで、榎え、棟あふち、名なこそあれ、葉廣菩提樹はびろぼだいじゆ、

道みちゆきのさざめき、諳そらに聞ききほくる

石廻廊いしわたどののたたずまひ、振ふりさけ見みれば、

高塔あららぎや、九輪くりんの錆さびに入日いりひかげ、

花はなに照てり添そふ夕ゆふながめ、

さながら、緇衣しえの裾すそながに地ちに曳ひきはへし、

そのかみの學生がくじやうめきし浮歩うけあゆみ、――

ああ大和やまとにしあらましかば、

今日けふ神無月かみなづき、日ひのゆふべ、

聖ひじりごころの暫しばしをも、

知しらましを、身みに。

魂の常井

ああ、野のは上うはじらむ曙あけぼのの

ゑわらひ浮歩うけあゆむ童女をとめさび、

瑞木みづきの木こがくれに、花小草はなをぐさ、

莖葉くきはの下したじめり香かを高たかみ、

朝あさ蹈ふむ陰路かげみちの行ゆきずりに、

若わかゆる常夏とこなつの邦くにあらば、

往ゆかまし、わが心葉こゝろばがらみに、

くれなゐ、――燃もゆる火ひの花はなと咲さかめ。

ああ、世よにしろがねの高御座たかみくら、

美酒うまきの香かぞにほふ御座ござの間まに、

立たち舞まふ八少女やをとめの入綾いりあやや、

樂所がくそのをんな樂がく、箜𥱌くこの音ねの

どよみよ、大海わたつみの浪なみとゆる

夜よながを、宴會うたげうつ宮みやあらば、

ゆかまし、わが心こゝろ醉ゑひざまに、

はえある歌うたぬしの名なをか得えめ。

ああ、日ひは身み隱かくれし宵よひやみの

木立こだちの息いきごもり、氣けをぬるみ、

林精すだまは水錆江みさびえに羽はぞ浸ひたす

靜寂しじまを、月つきしろの影青かげあをく、

ほのめく氣深けぶかさや、空室うつむろに

燈明ともしの火ぞしめる寺てらあらば、

ゆかまし、わが心こゝろ夜よごもりに、

天あめゆく羽車はぐるまや聞ききつべき。

ああ、然さは野のに、宮みやに、夜よごもりに、

あくがれまどひにし日ひはあれど、

果はてしは、野のごころの伸羽のしばして、

歸かへるや、なつかしき君きみが手てに。

たゆげの片かたゑまひ、優やさまみの

うるみよ、うら若わかき靈魂たましひの

旅路たびぢに熱あつれては、掬くみつべき

うべこそ、眞清水ましみづの常井とこゐなれ。

ひとづま

あえかなる笑ゑみや、濃青こあをの天あまつそら、

君きみが眼めざしの日ひのぬるみ、

寂さびしき胸むねの末枯野くたらのにつと明あからめば、

ありし世よの日ひぞ散ちりしきし落葉樹おちばぎは、

また若わかやぎの新青葉にひあをば枝えだに芽めぐみて、

歡喜よろこびの、はた悲愁かなしびのかげひなた、

戯あざるる木間こまのした路みちに、美うまし涙なみだの

雨滴あまじたり、けはひ靜しづかにしたたりつ、

蹠あなうらやはき『妖惑まよはし』の風かぜおとなへば、

ここかしこ、『追懷おもひで』の花はな淡あはじろく、

ほのめきゆらぎ、『囁さゝやき』の色いろは唐棣はねずに、

『接吻くちづけ』のうまし香かをりは霧きりの如ごと、

くゆり靡なびきて、夢幻まぼろしの春はるあたたかに、

醉ゑひごこち、あくがれまどふ束つかの間まを、

あなうら悲がなし、優やさまみの日ひざしは頓とみに、

日曇ひなぐもり、『現うつし心ごゝろ』の風かぜあれて、

花はなはしをれぬ、蘗ひこばえし青葉あをばは落おちぬ、

立枯たちがれの木こしげき路みちよ、ありし世よの

事榮ことばえの日ひは、はららかにそそ走はしりゆき、

鷺脚さぎあしの『嘆なげき』ぞ、ひとり青あをびれし

溜息ためいき低ひくにまよふのみ。――夢ゆめなりけらし、

ああ人妻ひとづま、――

實げにあえかなる優目見やさまみのもの果はかなさは、

日直ひなほりの和なぎむと見みれば、やがてまた、

掻かきくらしゆく冬ふゆの日ひの空合そらあひなりき。

冬の日

新甞にひなめの祭まつり日びなりき、

午ひるさがり、曝されし河原かはらに、

老御達ねびごだち、『冬ふゆ』こそたてれ、

身みぞたゆげに。

數かぞへ日びのこころ細ぼそさや、

涙眼いやめなる日ひのたたずまひ、

物ものの影かげ、淡あはげに搖ゆれて、

うるみ色いろに。

雲くもの襞ひだほのかに鈍にばみ、

空そらひくに滑すべるゆるかさ、

ありし世よのおもひでぐさの

榮はえ、また、空華くげ。

みだれ伏ふす根ねじろ高萱たかがや、

老おいしらむ末葉うらばのそそけ、

氣けを寒さむみ、失聲ひごゑかすけく

音ねこそいため。

今いまし、日ひは思おもひ消きゆらし、

面隱おもがくし、――うは曇ぐもりして、

夕時雨ゆふしぐれしのびに泣なくや、

欷歔さぐりよよと。

かかる日ひよ、在巣ありすの鳥とりも、

うらびれし目路めぢの眺ながめに、

さへづりの徒あだ音ねを絶たえて、

俯居うつゐすらめ。

束つかの間まや、――やがて日直ひなほり、

冬ふゆの日ひはほほ笑ゑみそめつ。

青あをじろき頬ほぞ、鼻はなじろむ

面おもてほでり。

樹きに、莖くきに、伏葉ふしばに、石いしに、

泣なき濡ぬれしうるほひ映はえて

嘆なげかひの似にるものもなき

うつくしさや。

日ひの心地こゝち、いまの憂身うきみに、

そのかみの美よき日ひをしのぶ

さびしさに、笑ゑみし子こならで、

誰たれか解とかめ。

零餘子

片かたびなた、醜家しきやのかくれ、

莿いらだかの老木おいきにそひて、

頂うながけり、蔓つるの手てたゆき

零餘子ぬかごかづら。

八少女やをとめの野のの使つかひ女めに、

身みぞひとり、ささやけ者ものや、

葉はがくれに、ああ聊いさゝかの

實みこそむすべ。

熟色うみいろの黄金覆盆子ごがねいちごは、

そら聖ひじり、あかづら鶫つぐみ、

ひと日ひ來きて、啄ついばみ去さりぬ、

醉ゑひのすさび。

核さねぐみし茱萸ぐみは、端山はやまの

まめをとこ、栗鼠りすか拾ひろひて、

小甕酒こみかざけ釀かみもこそすれ、

洞窟うつろふかに。

似にず、ひとり莖葉くきばのしたに、

(隱こもり戀ごひ、人ひとこそ知しらね、)

實みはむすび、實みはまた熟つえて、

蔓つるもたわに。

つむじ風かぜ、した葉ばの煽あふり、

あたふたと零餘子ぬかごはこぼる。

ああ不祥さがな、――莿高珠數いらだかじゆずの

珠たまのみだれ。

實みは、さあれ底土しはににひそみ、

日ひにめざめ、濕しめりに吹呿あくび、

いつかまた芽生めばえを伸のして、

二代ふたよゆかめ。

身みぞ小野をのの矮人ちいさごながら、

あけぼのの映はえ、またありし

夕ゆふながめ、見みこそ醉ゑひしか、

數多あまたがへり。

身みの程ほどのいささけ業わざに、

許ゆるされの性さがは足たらひぬ。

ああ熟實うみみ、――わが世よは落おちて

またかへらじ。

秋収あきをさめ、野田のだのせはしさ、

敝履うけぐつのはためきや、――いま、

せつなさの噞喁あぎとひゆるに、

葉はこそ喘あへげ。

鶲の歌

うべこそ來きしか、小林をばやしの

法子兒ほうしご鶲ひたき、――

そのかみ、(邦くには風流男みやびをの代よにかもあらめ。)

豐明節會とよのあかりの忌をみごろも、童男をぐなのひとり、

日蔭ひかげかづらや曳ひきかへる木このした路みちに、

葉染はぞめの姫ひめに見みぞ婚あひて、生あれにし汝いまし、

黄櫨はじのうは葉ばはくれなゐに、

また、榛樹はしばみの虚うろの實みは、根ねに落おち鳴なりて、

常少女とこをとめなる母宮はゝみやの代よとしもなれば、

すずろありきや許ゆるされて、

さこそは獨ひとり野木のぎの枝えに、

占問うらどひ顏がほにたたずみて、

初祖うひその人ひとや待まちつらめ。

ひととせなりき、

春日かすがの宮みやの使つかひ姫ひめ、秋あきふた毛げして、

竹柏なぎの木この間まをゆきかへる小春日和こはるびよりを、

都みやこほとりの秋篠あきしのや、

*『香かぐの清水しみづ』は水錆みさびてし古ふるき御寺みてらの

頽廢堂あばらすだうの奧おくぶかに、

技藝天女ぎげいてんによの御像みすがたの天あまつ大御身おほみま、

玉たまとしにほふおもざしに、

美うまし御國みくにの常世邊とこよべぞ

あくがれ入いりし歸かへるさを、

ふとこそ、荒あれし夕庭ゆふにはの朽木くちきの枝えだに、

汝なが靜歌しづうたを聞ききすまし、

心こゝろあがりのわが絃いとに、

然さは緒合をあはせにゆらぐ音ねの歌うたぬしこそは、

うべ睦魂むつだまの友ともとしも、

おもひそめしか。

また、ひと歳とせは神無月かみなづき、

日ひぞ忍しのび音ねに時雨しぐれつる深草ふかぐさ小野をのの

柿かきの上枝ほづえに熟うみのこる美うまし木醂きざはし、

入日いりひに濡ぬれて面おもはゆに紅あからむゆふべ、

すずろ歩あるきの行ゆくすがら、

竹たけの葉山はやまの雨滴あまじたりはらめく路みちに、

汝いましを、ひとり黄鶲きびたきの

默もだの俯居うつゐをかいまみて、

*ありし掛想けさうのまれ人びとの

化けか、雨あまじめる野のにくゆる物もののかをりに、

そのかみの夜よや思おもひいでて、

涙眼いやめに鳥とりは嘆なげくやと、

目めぞ留とまりにし。

ああ汝いましこそ、小林をばやしの

法子兒ほうしご鶲ひたき、――人ひとの世よの往ゆくさ來きるさに、

ともすれば、まためぐり會あふ魂たまあへる子こや、――

實げにいささめの縁えにながら、空華くげにはあらじ。

わが魂たましひの小野をのにして、

『努力ぬりき』の濕うるひ、『思慧しゑ』の影かげおほし齋いつきて、

さて咲さきぬべき珍うづの花はな、

そのうら若わかき莟つぼみこそ、

さは龕づしの戸とと噤つぐみつれ、

まだき滴したゝる言ことの葉はの美うましにほひは、

生命いのちの火ひをも齋いはふまで、

香かにほのめきぬ。

*秋篠寺に香水堂あり常曉阿闍梨閼伽井の舊蹟なり

*竹の葉山の下路は深草少將が通ひ路の舊蹟と傳へらる

望郷の歌

わが故郷ふるさとは、日ひの光ひかり蝉せみの小河をがはにうはぬるみ、

在木ありきの枝えだに色鳥いろどりの咏ながめ聲ごゑする日ひながさを、

物詣ものまうでする都女みやこめの歩あゆみものうき彼岸會ひがんゑや、

桂かつらをとめは河かはしもに梁誇やなぼこりする鮎あゆ汲くみて、

小網さでの雫しづくに清酒きよみきの香かをか嗅かぐらむ春日はるひなか、

櫂かいの音とゆるに漕こぎかへる山櫻會やまざくらゑの若人わかうどが、

瑞木みづきのかげの戀語こひがたり、壬生狂言みぶきやうげんの歌舞伎子かぶきこが

技わざの手振てぶりの戯ざればみに、笑ゑみ廣ひろごりて興きやうじ合あふ

かなたへ、君きみといざかへらまし。

わが故郷ふるさとは、楠樹くすのきの若葉わかば仄ほのかに香かににほひ、

葉はびろ柏がしはは手てだゆげに、風かぜに搖ゆらゆる初夏はつなつを、

葉洩はもりの日ひかげ散斑ばらふなる糺ただすの杜もりの下路したみちに、

葵あふひかづらの冠かむりして、近衛使このゑづかひの神かみまつり、

塗ぬりの轅ながえの牛車うしぐるま、ゆるかにすべる御生みあれの日ひ、

また水無月みなづきの祇園會ぎおんゑや、日ひぞ照てり白しらむ山鉾やまぼこの

車くるまきしめく廣小路ひろこうぢ、祭物見まつりものみの人ひとごみに、

比枝ひえの法師ほうしも、花賣はなうりも、打うち交まじりつゝ頽なだれゆく

かなたへ、君きみといざかへらまし。

わが故郷ふるさとは、赤楊はんのきの黄葉きばひるがへる田中路たなかみち、

稻搗いなきをとめが靜歌しづうたに黄あめなる牛うしはかへりゆき、

日ひは今いま終つひの目め移うつしを九輪くりんの塔たふに見みはるけて、

靜しづかに瞑ねむる夕ゆふまぐれ、稍やや散ちり透すきし落葉樹おちばぎは、

さながら老おいし葬式女はうりめの、懶たゆげに被衣かづき引延ひきはへて、

物嘆ものなげかしきたたずまひ、樹間こまに仄ほのめく夕月ゆふづきの

夢見ゆめみごこちの流盻ながしめや、鐘かねの響ひゞきの青あをびれに、

札所ふだしよめぐりの旅人たびびとは、すゞろ家族うからや忍しのぶらむ

かなたへ、君きみといざかへらまし。

わが故郷ふるさとは、朝凍あさじみの眞葛まくづが原はらに楓かへでの葉は、

そそ走ばしりゆく霜月しもつきや、專修念佛せんじゆねぶちの行者ぎやうじやらが

都入みやこいりする御講凪おこうなぎ、日ひは午ひるさがり、夕越ゆふごえの

路みちにまよひし旅心地たびごゝち、物ものわびしらの涙眼いやめして、

下京しもぎやうあたり時雨しぐれする、うら寂さびしげの日短ひみじかを、

道みちの者ものなる若人わかうどは、ものの香か朽くちし經藏きやうざうに、

塵居ちりゐの御影みかげ、古渡こわたりの御經みきやうの文字もじや愛めてしれて、

夕ゆふくれなゐの明あからみに、黄金こがねの岸きしも慕したふらむ

かなたへ、君きみといざかへらまし。

金星草の歌

一

そのかみ、山やまの一いちの日ひに、草木くさきはなべて、

ああ金星草ひとつば、

色いろゆるされの事榮ことばえに笑ゑみさかゆるを、

ああひとつば、

ひとり空手むなでに、山姫やまびめの宣のりをこそ待まて、

ああひとつば。

二

春はるは馬醉木あせびに、蝦夷菫えぞすみれかざしぬ、花はなを。

ああひとつば、

裝よそほひ似にざるうれたさに、宮みやにまゐりて、

ああひとつば、

願ねがへど、姫ひめは事ことなしび、素知そしらぬけはひ、

ああひとつば。

三

夏なつは山百合やまゆり、難波薔薇なにはばら香かにほのめきぬ、

ああひとつば、

匂にほひ香かなきにうらびれて、一日ひとひは洞うろに、

ああひとつば、

嘆なげけど、姫ひめは空耳そらみみに片笑かたゑみてのみ、

ああひとつば。

四

秋あきは茴香うゐきやう、えび蔓かづら實みぞ色いろづきつ、

ああひとつば、

素腹すばらの性さがを恨うらみわび、夜よを泣なき濡ぬれて、

ああひとつば、

萎なゆれど、姫ひめは目めも空そらに往ゆき過すぎましぬ、

ああひとつば。

五

やがて葉はは散ちり、實みは朽くちぬ。冬木ふゆきの山やまに、

ああひとつば、

獨ひとりし居ゐれば、姫ひめは來きて『思おもひかあたる、

ああひとつば、

世よは吾われとわが知しるにこそ、在ありがひはあれ。』

ああひとつば。

六

姫ひめは微笑ほほゑみ、『今日けふもはた、香かをか羡うらやむ、

ああひとつば、

色いろをか、いかに、齋いはひ子ごの斯かくや、御賜みたま。』と

ああひとつば、

その日ひよりこそ、黄金斑こがねふの紋葉いさはとはなれ、

ああひとつば。

夕ごゑ

日ひは暮くれぬ、野のの面も低ひくに、

霧きりはくゆるたゆげさの、

齋いみ精進さうじ、懺悔くひのひと夜よ、

思おもひしづむ魂たまならし。

夕晴ゆふばれの黄金路こがねみちに、

かへる鳥とりの遠とほがくれ、

胸むねの汚染しみ、ひとつ消きえて、

今いまはた、二にのうするかに。

葉はずくなの並木なみきなかに、

『靜しづこころ』の浮歩うけあゆみ、

木木きぎの枝えだしぬに垂たれて、

われかの樣さまに息いきづきぬ。

いま雲くもの夕ゆふくれなゐ、

天照あまてる日ひの大殿おほどのに、

をんな樂がく、かへり聲こゑの

ほのにひびく夢ゆめごこち。

淨きよまはる魂たまの深ふかみ、

聖ひじりごころととのひて、

美うまし音ねのさこそ響どよむ

日ひのあなたに往ゆかまほし。

*師走の一日

一

み冬ふゆとなりぬ、日ひ暮くれぬ、

ひねもす森もりにあらびし

脚早あはやの野分のわきは、うしろ寒ざむに、

そそけの髮かみもみだれて、

北山きたやまあたりいそぎぬ。

もとあら木立こだちの落葉林おちばばやし、

木この息いきごもりたゆげに、

殘のこりの葉はこそは風かぜにあへげ。

二

澄すみつる空そらや、さながら

ありにし戀こひも忘わすれて、

菩提樹ぼだいじゆがくれの法のりの苑そのに、

『無漏慧むろゑ』にあそぶ聖ひじりの、

とわたる鳥とりのありなし、

いささの染しみをもえは許ゆるさぬ

齋戒ゆまひか、――嚴いづの清きよまりは、

見みるだに堪たへせじ、現うつしごころ。

三

あな大日枝おほひえの額ひたひに、

玉冠たまかぶりする夕日ゆふひの

光ひかりや、天あめなる美うまし眼めざし、――

東ひがしへ、ゆるに峰越をごしの

淡雲あはぐもすべる靜しづけさ、

これやは終つひなる魂たまのひと日ひ、

すずろに心こゝろゆらぎて、

ありしを忍しのぶる美よき名なならし。

四

束つかの間まなりき、夕ゆふばえ

今いまはた仄ほのにうすれぬ。

さて日ひは葬式ほふりの鈍にぶに暮くれて、

眞闇まやみの墓はかに入いるらめ。

この靜しづかなる臨終いまはに、

吾われや看護婦みとりめの心こゝろしりに、

日ひの物深ものぶかさしのびて、

祕密かくれのこころも辿たどらまほし。

*洛東下岡崎の里より

大比叡の方を眺めてよめる

妖魔『自我』

一

妖えうこそ見みしか、立枯たちがれの木こ繁しげき木原こはら、

色鳥いろどりはさしぐむ路みちの奧おくぶかに、

ひともと青木あをき、木叢こむらなる廣葉ひろばのかくれ、

黄金こがねなす鈴生すずなりの實みをなつかしみ、

熟うみつはりたるひと房ふさを摘つみにし日ひなり、

矮人ひきうどの黒染すみぞめすがたつと見みえて、

『あな許ゆるされぬ慧ゑの實みを、』と私語つぶやき低ひくに、

面隱おもがくし、目まぶかに被衣かつぎうちまとひ、

挊杖かせづゑの音おとほとほとと、木このした路みちを、

見みえ隱がくれ、鷺脚さぎあしにこそ辿たどりしか。

二

妖えうこそ見みしか、姫百合ひめゆりは木暗こぐれに俯居うつゐ、

石楠花しやくなぎは日向ひなたに夢ゆめむ花苑はなぞのに、

あえかの人ひとと相曳あひびきの日ひのしづけさを、

囁ささやきは細蜂すがるの羽はねとひるがへり、

うまし言葉ことばは清酒きよみきの露つゆとしたみて、

醉心地ゑひごこち、愛めでのまどひを、――あな詫わびし、

生目なまめとまりし苧垂むしたれの裾すそうちはへて、

木こがくれに奧寄あうよる人ひとの後姿うしろでに、

頂うながくる手ては解とけたるみ、ふくろ心ごころの

氣けをさむみ、身みは物怖ものおぢに竦すくまりき。

三

妖えうこそ見みしか、午ひるさがり日ひぞ照てりあかり、

美うまし香かはほのかに薫くゆる新舘にひやかた、

一いちの樂所がくそにかきならす眞玉またま唐琴からこと、

立樂たちがくの色音いろねは浪なみのたかまりに、

心こゝろあがりの面おもほでり、とりゆの半なかば、

風流男みやびをや、紅顏孃子あからをとめの間あひの座ざに、

異ことよそほひの長たけすがた、童男をぐなのひとり、

弱肩よわがたの藤衣ふぢのやつれに見惱みやまひて、

押手ゆのては梁やなのくづれ鮎あゆさみだれ落おちて、

緒合をあはせの調しらべの糸いとぞなか絶たえし。

四

妖えうこそ見みしか、御燈みともしの火ひはねむたげに、

華籠くゑこの花はな吐息といきかすけき古寺ふるてらに、

夕座ゆふざまゐりの在あり人びとは罷まかりし夜よはを、

身みぞひとり齋居いもゐ精進さうじの籠こもり居ゐに、

思おもひ恍ほけてし常世邊とこよべの、美うまし黄金こがねの

嚴いづの苑その、――天あまつ少女をとめの相舞あひまひに、

見みしは、頭白ふぶせのねび御達ごだち、あな時ときのまに、

なよびかの姫ひめは隱かくれて、唯ただひとり

墳墓おくつきの如ごと立たち殘のこるものわびしさに、

胸騷むなさわぎ、つとまぼろしは覺さめはてき。

五

妖えうこそ見みしか、水無月みなづきの祭まつりのひと日ひ、

往ゆき軋きしむ飾車かざりぐるまの山鉾やまぼこに、

日ひぞ照てりしらむ日盛ひざかりの都大路みやこおほぢを、

人ひとなだれ、祭物見まつりものみの大衆たいしゆうに、

また見みぬ、鈍にぶの衣きぬかづき、他ひとこそ知しらね、

不毛地むなぐにの野のにも往ゆくかのうらびれに、

打附うちつけごころ、小走こばしりに追おふとはすれど、

物ものの怪けは絶たえずかなたに前さきゆきて、

えこそ及およばね、足あ惱なゆみぬ、ああ息詰いきづむと、

道みちのべに、身みぞしだらなに倒たふれにし。

六

こよひ熱あつるる病臥いたつきの惱なやみのもなか、

世よはとみに鴉羽からすばいろの焔ほのほして、

蕩とろけたゆたふ火ひの海うみに、吾われや落葉おちばの、

左視右顧とみかうみ、ゆくへも知しらぬ途みちすがら、

ふと遠方をちかたに目め馴なれてし人ひとがたち見みて、

直ひたみちに追おひすがりつゝ失聲ひごゑして、

『君きみよ』と呼よべば、立たちどまり、振向ふりむき樣ざまに、

『見惱みやまひの時ときこそ來くれ。』と脱ぬぎすべす

被衣かつぎのひまに見入みいるれば、あな『我われ』なりき、

驚駭おどろきに胸むねはふたぎぬ、危篤あつしれぬ。

日ざかり

季ときは夏なつなか、

日ひぞ眞晝まひる、

日ひざしは麥むぎの

穗ほにしらみ、

野のなかの路みちに

またたきて、

濁酒しろうまの如ごと、

湧わきたちぬ。

牧まきの小野をのには、

並木立なみこだち、

腕かひなだるげに

葉はを垂たれつ。

青あをぶくれなる

水錆沼みさびぬは、

めまぐるしさに、

息いきだえぬ。

雲くものひとひら、

たよたよと

噞喁あぎとひゆきて、

ありなしに、

やがては消きえつ。

濃青こあをなる

空そらや、虚うろなる

墓はかならし。

水みの面もの水澁みしぶ

氣けをぬるみ、

蠑螈ゐもりは𣵀くりに

くぐり入いり、

爐土ほけつちの香かに

息いきむせて、

蛇へびはひそみぬ、

葉はがくれに。

なべての上うへに

高照たかてらす

嚴いづの嘖ころびや、

あな寂さびし、

悔くひなき魂たまの

けだかさは、

げに水無月みなづきの

日ひならまし。

*笛の音

生命いのちの路みちのもろ側がはに聳そびやぎ立たてる

『かなしび』の女木めぎ、『よろこび』の男木をぎ、

今宵こよひさしぐむ月代つきしろのまみの濕うるみに、

すずろに木靈こだまうらびれて、

天あまの幸さき夜よにあくがるる沈默もだの深ふかみを、

笛ふえの嘆なげきの音ねをいたみ、

上枝うはえそよろに囁ささやきて散ちりこそまがへ、

二木ふたきの落葉おちばほろほろに。

『日影ひかげにしめらへる

『かなしび』の

一片ひとへは黄朽葉きくちばの

色いろに染しみ。』

『日向ひなたにひるがへる

『よろこび』の

一片ひとへは緑葉みどりばの

香かににほふ。』

『ああ、わが故郷ふるさとは

聖ひじり世よの

沈默しじまぞ、齋居いもゐする

嚴いづの苑その。』

『また、わが本宮おほみやは、

箜篌くこの音ねの

緒合をあはせ、うちどよむ

美うまし國くに。』

『そこしも、黄金こがねなす

『慧ゑ』の實み、はた

木こぐらき無憂華樹むうけじゆの

葉はのにほひ。』

『かしこよ、狹丹さにづらふ

『愛あひ』の花はな、

『努力ぬりき』の常烽火とこのろし、

日ひの光ひかり。』

『そこしも、齋いつき女めの

小忌をみごろも、

蝋らうの火ひ、黄金こがね文字もじ、

偈げのけはひ。』

『かしこよ、八少女やをとめの

をんな樂がく、

盃誓うきゆひ、さざめ言ごと、

白酒しろきの香か。』

『かなたへ、――忌いみ精進さうじ、

夜よごもりに、

今いまはた歸かへるべき

羽は。』といへば、

また言いふ、『かかる夜よを、

宴會うたげうつ

かなたへ、――いざ、朱あけの

赭舟そばふねを。』

『苑そのには、領しらす神かみ

名なこそあれ、

畏かしこし、あな天あめの

『あくがれ』女め。』

『宜うべこそ、いまそがる

國くにつ神かみ、

尊たふとし、名なは天あめの

『あくがれ』男を。』

色音いろねは絶たえつ、――醉ゑひざまの心こゝろあがりに、

さざめき散ちりし飜こぼれ葉はは、

糸絡いとがらみせし舞まひの羽はの、つと舞まひさして、

噤つぐみぬ、下したに落おち敷しきぬ。

生命いのちの路みちに、雌鳥羽めとりばに、はた雄鳥羽おとりばに、

唇くち觸ふれあひて相寢あひねぬる

伏葉ふしばの亂みだれ、魂合たまあへる美うまし睦むつびに、

月つきは夜よすがら見みぞ惚ほけぬ。

*秋の末つ方月の一夜洛東華頂山

境内に笛の音をききて咏める

鳰の淨め

夏なつなかの榮さかえは過すぎぬ、

くたら野のの隱かくれの古沼ふるぬ、

『靜寂じやうじやく』は翼つばさを伸のして

はぐくみぬ、水みづのおもてを。

鳰にほや、實げに淨きよめの童女をとめ、

尼あまうへの一座いちざなるらし。

なづさひの羽はねきよらかに、

水泥みどろなす水澁みしぶに浮うきつ。

水漬みづく葉はの眞菰まこものみだれ、

伏葦ふしあしの臂ひぢのひかがみ、

末枯うらがれや、――さてしも齋塲ゆには、

おもむろに鳰にほは滑すべりぬ。

漁人すなどりの沓くつのおとにも、

鼻はなじろみ、面隱おもがくす兒この

振ふりかへり、かつ涙なみだぐみ、

水みがくれにつとこそ沈しづめ。

河骨かうほねの夏なつを夢ゆめみて、

ほくそ笑ゑむ水底みなぞこの宮みや、

潜かつぎ姫ひめ、『歸依きえ』の掬くむなる

常若とこわかの生命いのち湛ただひぬ。

見みず、暫時しばし、――今いまはた浮うきつ、

淨きよまはる聖ひじりごころの

かひがひし、あな鳰にほの鳥とり、

日ひねもすに齋いつきゆくなり。

をとめごころ

一

黄金覆盆子こがねいちごは葉はがくれに、

眼まなこうるみて泣なきぬれぬ。

青水無月あをみなづきの朝野あさのにも、

嘆なげきはありや、わが如ごとく。

二

幸さちも、希望のぞみも、やすらひも、

海うみのあなたに徃ゆき消きえつ。

この世よはあまりか廣ひろくて、

をとめ心ごゝろはありわびぬ。

三

朝あさ踐ふむ風かぜのささやきに、

覆盆子いちごのまみは耀かがやきぬ。

神かみはをとめを路みちしばの

片葉かたはとだにも見給みたまはじ。

忘れぬまみ

一

夏野なつのの媛ひめの手てにとらす

しろがね籠がたみ、ももくさの

香かには染しむとも、追懷おもひでは

人ひとのまみには似にざらまし。

二

伏目ふしめにたたすあえかさに、

ひと日ひは、白しろき難波薔薇なにはばら、

夕日ゆふひがくれに息いきづきし

津つの國くにの野のを思おもひいで。

三

ひと日ひは、うるむ月つきの夜よに、

水漬みづく磯根いそねの葦あしの葉はを、

卯波うなみたゆたにくちづけし

深日ふけひの浦うらをおもひいでぬ。

離別

一

別わかれは、小野をのの白楊はこやなぎ、

夕日ゆふひがくれに落おつる葉はの

長息なげきよ、繁しじにうらびれて、

さあれ、靜しづかに離かれゆきぬ。

二

かたみの路みちの足あ惱なゆみに、

思ひしをれて弛たゆむ日ひは、

美うつくしかりしそのかみの

事榮ことばえにしもなぐさまめ。

三

愛めでのさかりに、何なに知しらず、

この日ひも、やがてありし世よの

往ゆきてかへらぬ追懷おもひでと、

消きゆらめとこそ思おもひしか。

香のささやき

一

この夕ゆふぐれの靜しづけさに、

魂たまはしのびに息いきづきて、

何なにとはなしに、おもひでに、

二ふたつの花はなの香かを嚊かぎぬ。

二

ひとつは、濕しめる梔子くちなしの、

別わかれのゆふべ泣なき濡ぬれし

あえかの胸むねに、今いまもはた、

『日ひ』は殘のこらめとささやきつ。

三

ひとつは、薫くゆる野茨のいばらの、

今いまは末枯すがれぬ、そこにして、

また新あたらしき『日ひ』は芽めぐみ、

花はなもぞ咲さくとつぶやきつ。

時のつぐのひ

時ときはふたりをさきしかば、

また償つぐのひにかへりきて、

かなしき創きづに、おもひでの

うまし涙なみだを湧わかしめぬ。

美き名

今日けふしも、卯月うづき宵よひやみに、

十六夜薔薇いざよひうばら香かににほふ。

なつかしきもの、胸むねの戸とに、

黄金こがねの文字もじの名なぞひとり。

神かみはをとめを召めしまして、

いづくは知しらず往いにしかど、

大御心おほみごゝろのふかければ、

殘のこる名なのみは消けしませね。

牧のおもひで

夕月ゆふづきさしぬ、野のは凍しみぬ、

日ひのいとなみに倦うみはてて、

苅かりし小草をぐさに倒たふれ伏ふし、

別わかれし人ひとの身みぞおもふ。

さても、眞晝まひるを玉敷たましきの

御苑みそのにたたす君きみなれば、

夜半よはにはかかるくたら野のに、

すずろ歩ありきもし給たまひぬ。

くちづけ

今朝けさあけぼのの浦うらにして、

われこそ見みつれ、面おもほでり、

濃青こあをの瞳子ひとみ、ひたひたの

み空そらと海うみの接吻くちづけを。

君きみや青空あをぞら、われや海うみ、

ああ醉心地ゑひごゝち、擁だきしめに

胸むねぞわななく、さこそ、かの

か廣ひろき海うみも顫ふるひしか。

大葉黄すみれ

人ひと待まつ宵よひを、日ひのかたみ、

大葉黄菫おほばきすみれ花はなさきぬ、

愛めでの盛さかりに、言いひ知しらず、

物ものさびしさの身みにぞ泌しむ。

花はなとをみなの持もてなやむ

悲かなしびな來きそ、天あまつ日ひの

ながながし齡よに唯ただひと日ひ、

今日けふに醉ゑふなる身みのふたり。

無花果

葉はこそこぼるれ、夏なつなかの

青水無月あをみなづきのかげに見みし

その日ひの夢ゆめはまづ覺さめて、

今日けふはた汝いまし、――ああ無花果いちじゆく。

昨日きのふぞ、夕ゆふに、あかつきに

露つゆけかりつる身みのふたり、

明日あすを、天あめなる大御手おほみてに

委ゆだぬるも、はた、――ああ無花果いちじゆく。

心げさう

霜月しもつきひと日ひ、朝戸出あさとでに、小野をのの木守こもりは、

莿高膚いらだかはだの阿利襪樹おりいぶの根ねに散ちりぼひし

實みのあり數かずに驚おどろきて、つと立たちかへり、

目無めなし籠がたまを後うしろ手でにふた行ゆくごとく、

ただ目めに人ひとを見みし時ときは、なよび姿すがたの

耀かがよひわたる清けうらさに、戀こひは退しさりて、

ふくろ心ごゝろの奧おくぶかに隱かくるとせしが、

落おちゐて、やがて花はなやかに穗ほに現あらはれぬ。

わかれ

別わかれぬ、二人ふたり。魂合たまあひし身みは、常世とこよにも

離はなれじとこそ悶もだえしか、そも仇あだなりき。

落葉おちばもかくぞ相舞あひまひに散ちりはゆけども、

分わかちぬ、風かぜは追おひわけに。さて見みず知しらず。

幻なりき

幻まぼろしなりき、事映ことばえの消きえゆくにこそ、

御賜みたまのふゆの、かつがつに目耀まがよひ初そむれ。

ああ神無月かみなづき、木叢こむらなる葉はぞ散ちり透すきて、

濃青こあをの空そらの微笑ほほゑまひ、然さはほのめきつ。

月見草の歌へる

夕ゆふづく日ひ、黄金こがね羽はぐるま、

海わだの宮みや、今いまかも沈しづめ、

天あまつ軋きしみ。

野のづかさの草くさの淺あさみに、

まどろみの夢路ゆめぢは覺さめぬ、

目めこそひらけ。

夕霧ゆふぎりは、身樣みざまたゆげに、

目馴樹めなれぎの木叢こむらにまきて、

うしろ袈裟げさに。

青羽木菟あをばつぐ、叉枝またぶり低ひくに、

片眠かたねむり、言葉ことばずくなの

宿居とのゐすがた。

靜しづけさの野のによみがへる

青あををみな、身みや幸魂さきだまの

月見小草つきみをぐさ。

見みよ、かなた、森もりの木この間まに、

うは白じらみ、――ああ月白つきしろの

にほひ仄ほのに。

いま、樹々きぎの片枝かたえの青あをみ、

やがて、野ののしろがね色いろや、

被衣兄姫かつぎえびめ。

ぢきたりす花はなの瞳子ひとみは、

日ひにあきて、日ひにしも笑ゑみぬ、

紅顏童女あからをとめ。

似にず、わなみ若尼御前わかあまごぜの、

夜籠よごもりに、ささらえをとめ

見みこそ惱やまへ。

身みぞ、姫ひめが丈たけの垂たり髮がみ

花鬘はなかづら、しづくや凝こりし

こゝろまどひ。

姫ひめか、また魂たまのおほ宮みや、

常世邊とこよべや、――無上涅槃むじやうねはんの

嚴いづのむしろ。

焚たきしむる花はなの蕚うてなは、

夜よの、やがて吾わが世よ黄金こがねの

齋いはひ火盤ひざら。

くゆり香がは、莖葉くきばに蒸むして、

聖ひじり世よの初夜しよやの精進さうじみ、

齋塲ゆには淨ぎよめ。

靜しづこころ、下したにゆらぎて、

魂たまむすび、――思おもひぞあがる

醉ゑひの今いまや。

野のの老狐たうめ踏ふみは折をるとも、

えやは朽くちめ、身みよ弱草なよぐさの

聖ひじりごころ。

野菊の歌へる

咲さきいでて今日けふしも七日なぬか、

野茨のいばらの莿いらにしまじる

うまれ拙つたな。

つまどひの京きやうをんな鷸しぎ、

黄脚きあし踏ふむ下したにも折をれて、

莖葉くきはかがむ。

神無月かみなづき、入日いりひの淡あはさ、

しくしくと光ひかりはにじむ、

臂ひぢの痛いたみ。

彼處かしこ、いま花はなはひからび、

香かは朽くちて、老おいがれ鳴なるや、

河原かはらよもぎ。

ここに、また根ねは覆くつがへり、

亂みだり尾をの苦參くららこそ寢ぬれ、

腕かひなだるに。

草絡くさがらみ、落葉おちばの反そりに、

熟白英うみほろし、――ぬる火びの雫しづく、――

實みこそつゆれ。

今いまはとて、占野しめのの歌女うため

蟋蟀こほろぎは、絃いとをゆるめて

入いるや、培土つむれ。

寂さびしさは墓ふかのふかみに、

あな聞ききぬ、『宿世すぐせ』の脚あしの

忍しのびありき。

歸依きえの根ねを延ひけばや下したに、

戰慄をののきの今いまはも、阿摩あまへ

かへる心地ここち。

夢ざめしをり

夢ゆめざめつ、――今いまはた聞ききね、

眞白ましろげの眠ねむりの退羽のきば、

羽はぶきゆくを。

夢ゆめか、――さは、わが世よの刈野かりの、

片日向かたびなた、小春日和こはるびよりの

日ひかげぬるに。

過すぎ去さりし日ひの事榮ことばえは、

刈株かりばねの芽生めばえを伸のして、

花はなこそ咲さけ。

花はなよ、黄きのかをりに蒸むして、

遶佛ねうぶちや、童わらはすがりの

一は、『歸依きえ』に。

花はなよ、火ひの雫しづくに燃もえて、

下したこがれ、葉はがくれ朽くちし

『戀こひ』は、朱あけに。

あるは、葉はの煽あふりのひまに、

しら笑わらひ、――似非えせ方人かたうどや、

『幸さち』の白しろみ。

あるは、眼めのまなじり濕うるみ、

うなだるる面おもざし、妖えうの

『才ざえ』の青あをみ。

また、蔭かげに蜘網すかき弛たるみて、

『過去こしかた』や、足高蜘蛛あしだかぐもの

冷ひえし死骸むくろ。

葉はの緑みどり、ふとこそ萎なえて、

しをれゆく、――わが世よは鈍にぶの

藤衣ふぢの窶やつれ。

青あをびるる身みよ、朽尼くちあまの

老おいほけて、見入みいるしばしを、

魂たまも瘠やせぬ。

鈍にぶの色いろ、ややに薄うすれて、

初うひびかり、――ああ曙あけぼのや、

目めこそさむれ。

明あけわたる光ひかりの野のこそ、

『當來たうらい』や、わが新身あらたみの

嚴いづの眞屋まやに。

初うひびかり、げに常春とこはるの

かなた見みて、躍をどりぬ、胸むねの

聖ひじりごころ。

海のおもひで

一

夕浪ゆふなみ倦うみぬ、――さこそ吾われ。

眞白羽ましらばゆらに飄ひるがへりし

鴎かもめは水脈みをに、――さこそ、わが

魂たまよたゆたに漂ただよへれ。

二

嘆なげきぬ、葦あしはうら枯がれの

上葉うはばたゆげに顫わななきて。

昨日きのふは、ともに葦あしかびの

若わかき日ひをこそ歌うたひしか。

三

あな火ひぞ點ともる、夕ゆふづゝの

葦間あしまにひたる影かげ青あをに。

消きゆとは知しれど、さこそ、われ

人ひとのまみをば思おもひづれ。

はこやなぎ

一

かかる夜よなりき、白楊はこやなぎ

うるみ色いろなる月つきかげに、

飽あかず別わかれて立たちかへり、

抱いだきあひては嘆なげきしが。

二

その夜よは、やがて尼あまごろも

魂たまぞ着きそめし日ひのはじめ、

齋いつきし『戀こひ』のゆまはりは、

寂さびしかりきな、人ひと知しれず。

三

天あめなる嚴いづの御苑みそのにも、

ありや、紀念かたみの白楊はこやなぎ、

ひと夜よは、かくや木こがくれに、

現身うつそみの世よも見みたまはめ。

難波うばら

一

いま月つきしろの上うはじらみ、

ほのかに動あゆぐ宵よひの間まを、

人ひと待まちなれし眞籬根まがきねに、

難波薔薇なにはうばらぞ香かににほふ。

二

待まつにし來きます君きみならば、

千夜ちよをもかくてあらましを、

忘わすれてのみは、いつの代よも

めぐり會あふ日ひはなかるべし。

三

ひとの御胸みむねにはなるとも、

『戀こひ』はひとりぞ羽含はぐくまめ。

日ひのはじめより泣なき濡ぬれし

宿世すぐせは似にたり、花はなうばら。

白すみれ

一

忘わすれがたみよ、津つの國くにの

遠里とほざと小野をのの白しろすみれ、

人ひと待まちなれし木このもとに、

摘つみしむかしの香かににほふ。

二

日ひは水みづの如ごと往ゆきしかど、

今いまはたひとり、そのかみの

心こゝろ知しりなるささやきに、

物思ものおもはする花はなをぐさ。

三

ふと聞ききなれししろがねの

聲こわざし柔やはきしのび音ねに、

別わかれのゆふべ、さしぐみし

あえかのまみも見浮みうかべぬ。

都大路

一

臨時りうじのまつり事ことはてて、

都みやこおほ路ぢも數かぞへ日びに、

うら寂さびゆくか、――昨日きのふ今日けふ

さこそは似につれ、わがおもひ。

二

かつては、瑞みづの彌木榮やくはえに、

葉守はもりの神かみも夢ゆめみしを、

木陰路こさぢよ、今いまは『追懷おもひで』の

落葉おちばのみこそ伏ふし沈しづめ。

三

その葉はの亂みだれ、ひとつびとつ

まろびつ、舞まひつ、片去かたさりに

やがては失うせぬ。――さこそ、わが

忘わすれずの日ひも往ゆき消きえめ。

希望

日ひは水みづの如ごと、事榮ことばえのおち葉ばを浮うけて、

流ながれぬ。やがて冬ふゆは來きぬ、熟睡うまゐぞせまし。

身みは河かはぞひの白楊はこやなぎ、またひこばえて、

常夏とこなつかげの花苑はなぞのに新葉にひばはささめ。

聖り心

矢やの根ねを深ふかみ、創手いたでより聖ひじりごころは、

日ひに夜よに、絶たえず膿うな沸わきて流ながれぬ、神かみに。

青水無月あをみなづきの小林をばやしに、漆樹うるしは、さこそ

木膚こはだの目めより美脂うまやにをしぬに滴したつれ。

新生

悲かなしかりきな、さあれ、また下したに隱かくるる

おほみ心ごゝろも掬むすびえて、よみがへる身みの、

今いまはた、などや堰せきあへぬ涙なみだか。――さなり、

冲おきつ嶋しまわの潜かづき女めが、手てに阿古屋珠あこやだま

擁いだきて浮うきし濡髮ぬれかみの、これや、したたり。

樹の間のまぼろし

一

葉はこそこぼるれ、神無月かみなづき、

かかる日ひなりき、

黄櫨はじの木こかげに俯居うつゐして、

戀こひがたりする人ひとも見みき。

二

葉はこそこぼるれ、午ひるさがり、

かかる日ひなりき、

かたみに人ひとは擁いだきあひ、

接吻くちづけにこそ醉ゑひにしか。

三

葉はこそこぼるれ、そのかみの

二人ふたりのひとり、

ふとありし日ひのまぼろしを、

吾われかのさまに見惚みほけぬる。

片かづら

一

相見あひみそめしは、初夏はつなつの

空そらも夢ゆめみる御生みあれの日ひ、

冠かむりにかけしもろかづら、

紀念かたみにこそは分わかちしか。

二

後のちの逢瀬あふせはいつはとて、

泣なき濡ぬれぬ日ひもなかりしを、

はては召めされて、天あまつ女めの

空そらのあなたに往ゆきましぬ。

三

いかに紀念かたみの葵あふひぐさ、

のこる桂かつらは乾ひからびぬ。

さこそ心こゝろも青枯あをがれて、

『追懷おもひで』のみぞ香かににほふ。

忘れがたみ

一

こよひ天あめなる花苑はなぞのの

美うまし黄金こがねのおばしまに、

夜よすがら君きみや立たたすらめ、

すずろに胸むねのときめくは。

二

言いへばえにのみ打過うちすぎて、

さては別わかれし人ひとなれば、

さしも嘆なげきに浮うくぞとは、

夢ゆめにもいかで見みたまはめ。

三

忘わすれがたみの『追懷おもひで』は、

密みそかごころのふところに、

小野をのの月映つきばえうるむ夜よを、

空そらのあなたにあくがれぬ。

枯薔薇

一

乾からびぬ、薔薇うばら。あかねさす

花はなの若わかえはおとろへぬ。

今いまはのきざみ、ため息いきの

香かこそ仄ほのめけ、くちびるに。

二

愛めでのまどひに、何なに知しらず、

面おもがはりせし人妻ひとづまの

まみの窶やつれに消きえのこる

日ひのなまめきを見浮みうかべつ。

三

ふとまた聞ききつ、榛樹はしばみの

縒葉よりばこぼるる木こがくれに、

人ひとしれずこそ、會あひし日ひの

忘わすれて久ひさのささやきを。

戀のものいみ

一

尼額あまびたひなる白鳩しらはとの

朱あけなる脛はぎに結ゆひぬとも、

心こゝろは往ゆかじ、君きみが住すむ

そらのあなたの御苑みそのへは。

二

こよひ濕うるめる夕月ゆふづきの

人ひと醉ゑはしめの寂さびしみに、

そことしも無なきささやきの

慣なれし色音いろねに聞ききとれつ。

三

君きみます方かたにあくがれて、

齋ゆまはる戀こひをいとほしみ、

胸むねなる齋屋ゆやにしのび來きて、

吐息といきかすらめ、天あまをとめ。

小木曾女の歌

一

いまはた殘のこるおもかげの

夢ゆめとはなしにささやくは、

明日あすをも、かくや夕ゆふづけて、

峰越をごしの路みちに待またまほし。

二

きのふは、御手みてよ淺間野あさまのの

『水無月みなづき』姫ひめの鈴すずまうし、

木この間まにゆらぐ鈴蘭すずらんの

美うましかをりに染しみましき。

三

こよひは、髮かみのかかりばに、

朝露あさづゆしろき甲斐かひが根ねの

山やました小野をのに咲さき濡ぬるる

十六夜薔薇いざよひばらの香かを嗅かぎぬ。

四

路みちゆきぶりに、遠とほつ野のの

顏かほ佳よの花はなは摘つますとも、

小木曾をぎその山やまのえぞ菫すみれ、

あえかの色いろもわすれざれ。

夏の朝

かた岡をかに、

日ひは照てりぬ、

男木をぎの枝えに、

鳥とりうたひ、

いさら水みづ、

笑ゑみまけて、

面おもはゆに、

野のこそ滑すべれ。

朝あさ踏ふます

風かぜの裳もに、

草くさかた葉は

さゆらぎて、

しづれ散ちる

露つゆや、げに

玉たまゆらの

瓊音ぬなとすらめ。

雲くもは、いま

しろたへの

羽はを伸のしぬ、

朝發あさびらき、

海原うなばらに、

帆ほをあぐる

蜑舟あまぶねの

心こゝろみえや。

郎女いらつめの

しろ裝よそひ、

あな『朝あさ』か、

童わらはげに

かた笑ゑみて、

つと消きえつ、

『日ひ』はすでに、

牧まきに立たちぬ。

さざめ雪

夕凍ゆふじみの

小野をのや、――伏目ふしめに

さしぐみし

日ひはみまかりぬ。

左視右顧とみかうみ、

あな細雪さざめゆき、

常樂じやうらくの

宮みやとめあぐみ、

ものうげの

旅たびや、はつはつ。

ここ、かしこ、

榛實はしばみの殼から、

また乾反ひそる

伏葉ふしばのみだれ、

小木こぎの枝えに、

鵐しとど竦すくりて、――

あな、ここは

悲かなしびの邦くに、

鈍色にぶいろの

住家すみかならまし。

ささやきつ、

また吐息といきしつ、

雪片ゆきひらの

嘆なげきよ、――落おちて、

葉はに、石いしに

凭いこひぬ、倦うみぬ、

またたきて、

つとこそ消けぬれ、

いささめの

生命いのちか、――濕うるひ。

烟

燃もえつや、黄櫨はじの乾反葉ひそりばに、また橡つるばみの

爆實はぜみの殼からに。――今ははた、

鈍色にびいろ被衣かづぎ身みぞたゆげに、

苅野かりのに凭いこひ、隱こもり沼ぬの水澁みしぶに浸ひたり、

伏木ふしきに添そひて火ひ移うつりの昨日きのふを夢ゆめみ、

冷ひやかの今いまに涙なみだぐみ、

もの倦うじがほにたゆたひつ、迷まよひつ、軈やがて

木きの上枝ほづえより細高ほそだかに、い行ゆくか烟けむり、

ありなし雲ぐもとたゞよひて、

天あめのこころに溶とけ入いりぬ。

寂寥

宿直とのゐやつれの雛星ひなぼしは、

眶まぶしたゆげにまたたきつ、

竹柏なぎの老木おいきは、寢ねおびれの

夢ゆめさわがしく息いきづきぬ。

夜よはもなか、

吾あぞひとり、

かすかに物もののけはひして、

ささやく心地こゝち、さびしさの

香かにほのめきて身みにぞ泌しむ。

隱り沼

初冬はつふゆの日ひはたそがれぬ、

隱こもり沼ぬや、山田やまだの乳媼ちおも、

おもひでの吐息といきかすけき

面おもてやつれ。

葉はずくなの並木なみきの路みちに、

黄あめまだら足惱あなゆむ牛うしは、

夕霧ゆふぎりの鈍にぶにかくれつ、

蹄ひづめおもに。

苅小田かりをだの目路めぢや、さながら

齋いはひ兒ごの葬式はふりのゆふべ、

跡淨あとぎよめ、――柱隱はしらがくれに、

居ゐよるここち。

涙なみだぐむ小木をぎの翡翠かはそび、

初立うひだちし巣すや見忘みわすれし、

ものうげに、つとこそ移うつれ、

あなたざまへ。

夕凝ゆふごりの岸きしのくづれに、

かさこそと、河原菅菜かはらすがなの

これや、はた老おいにし夏なつの

夢ゆめのひびき。

佛生會ぶつしやうゑ、生日いくひの日ひなか、

花はな浮うけし胸むねに、こよひは

野のの――柳やなぎ――姫ひめが落髮おちがみ、

葉ぞひたりつ。

寂寞じやくまくや、『昨日きのふ』は逝ゆきぬ、

『明日あす』はまた虚音そらねに似にたり。

失心うつけなる『今いま』になづみて、

水かよどむ。

しだらなの眞菰まこものなかに、

水漬みづく火ひや、――今宵こよひも星ほしは、

秉燭ひやうそくの火影ほかげに、天あめの

戸とこそまもれ。

水泥みどろなす闇くらき胸むねにも、

常とこひさの光ひかりの映はえや、――

たゆげなる笑ゑみ青あをじろに、

沼ぬまぞ皺しわむ。

江ばやし

しろがねの角つのがむり、

あえかなる月つきしろや、

眼まなざしは、天あまつ阿摩あまの

慈悲じひとこそ滴したたれ。

水錆みさびの香かくゆる夜よを、

江林えばやしのたたずまひ、

さびしらや、齋居いもゐ精進さうじ、

木木きぎの息いきしのびに。

蝙蝠かはほりはうつぼ樹ぎに、

膜あまかはか味あぢ甞なむる。

妖惑まよはしの羽は搏絶うちたえて、

しめらへる樹間このまや。

葉はのひと片へつぶやき、

ふた片へまたささやぐ。

ありし日の榮はえや、さこそ

鷺脚さぎあしに落おつらし。

あな解脱けだち、――さばかりの

嚴いづの夜よの氣深けぶかさに、

ともすれば、女めが吐息といきの

なよびこそ仄見ほのみれ。

睡蓮の歌

水みづうはぬるむ水無月みなづきの

夏なつかげくらき隱こもり沼ぬに、

花はなこそひらけ、觀法くわんばふの

日ひを睡蓮すいれんのかた笑ゑまひ。

しろがね色いろの花萼はなぶさに、

一炷いちすのかをり焚たきくゆる

蘂しべは、ひめもす薫習くんじふの

沼ぬの氣けに染しみてたゆたひぬ。

たたなはる葉はのひまびまに、

ほのめきゆらぐ未敷蓮みふれんの

ひとつびとつは、後のちの日ひを

この日ひにつなぐ願ぐわんならし。

夕ゆふべとなれば、水みがくれの

阿摩あまなる姫ひめがふところに、

ひと日ひを、やがて現想げんさうの

うまし眠ねむりに隱かくろひぬ。

沼ぬにひとりなる法子兒はふしごの

翡翠かたそびならで、くだちゆく

如法によばふ闇夜あんやに、睡蓮すいれんの

聖ひじり世よを、誰たがしのぶべき。

海のほとりにて

鈍にぶなるみ空そら、鈍にぶなる海うみ、

ああ身みぞひとり、

入波いりなみゆたにたゆたひて

ゆふべとなりぬ。

氷雨ひさめの海うみの海神わだつみは、

椰子やしの實み熟うるる

常夏とこなつかげの國くに戀こひて、

胸むねさわぐらし。

冲おきの遠鳴とほなり、潮うしほの香か、――

ああ醉ゑひごこち、

いづくは知しらず、靈魂たましひの

故郷ふるさとこひし。

わが世よは知しらぬかなたへと、

日ひに、また夜よはに、

あくがれまどふ野心のごころの

努力ぬりきの羽搏はうち。

『時とき』は頓死まぐれて死しにぬとも、

遂とげの日ひまでは、

常若とこわかにしもあらまほし、

わだつみとわれ。

知らぬかなた

一

小野をのの苅生かりふの葉はがくれに、

乾田ひだの穭ひつぢのしたぶしに、

鶉うづらは夢ゆめをはぐくみぬ。

さこそは似にしか、そのかみの

たもとほりにし日ひの戀こひは。

二

紅顏孃子あからをとめのましら手でに、

ゐよりし宵よひは、くちづけの

香かをしも愛めでき。さあれなほ

魂たまはしのびに吐息といきして、

知しらぬかなたにあくがれき。

三

今宵こよひかすけき囁ささやきに、

ふと聞きき惚とれて涙なみだぐむ

心こころは知しらじ、甞かつてだに。

そことしも無なきかなたこそ、

また追懷おもひでのそのかみに、――

夕とどろき

一

新月ゆふづきさしぬ、物ものの香かの

ほのかに薫くゆる五月野さつきのに、

夢ゆめかのわたり、都邊みやこべの

夕ゆふとどろきに聞ききとれぬ。

二

甞かつては、吾われもなよびかの

あえかの人ひとと相知あひしりて、

世よにうつくしき事榮ことばえの

あまた夜よにこそ醉ゑひにしか。

三

日ひは徃ゆき消きえつ。今いまもはた

かすかに殘のこるおもひでの、

何なにとは知しらず、夕ゆふごゑを

吾われかのさまにさしぐみぬ。

涙の門をゆきすぎて

涙なみだの門かどをゆきすぎて、

わが家いへ居ゐこそそこにあれ、

『笑ゑまひ』の花はなも、『嘆なげかひ』の

垂たり葉はも生おひぬ夕庭ゆふにはは、

橡色つるばみいろの被衣かづぎして、

墳墓おくつきの如ごとしめやぎぬ。

涙なみだの門かどをゆきすぎて、

そこに『沈默しじま』の樹きこそあれ、

しろがねの葉はのした蔭かげに、

『思慧しゑ』の木この實みを採とり食はみて、

生よは榛實はしばみの虚うろの實みの

『寂さびしみ』をのみ味あぢはひぬ。

涙なみだの門かどをゆきすぎて、

神かみこそ坐ませれ、古御達ふるごだち、

天あまつ御宣みのりの老舌おいじたに、

ひと日ひは、知しらずつらかりし、

さあれ、風雅みやびに數奇すきなりし

運命神さだめをこそは忍しのびしか。

*朝顏姫の嘆き

黄金こがね樞くるるの音ねこそすれ、

いま『曙あけぼの』のいでますと、

天あめの御蔭みかげの一いちの門とは、

戸とをかもあくる。

どよみは胸むねを拊そたたきて、

日ひの追懷おもひでぞめざめぬる。

ああ曙あけぼのや、なつかしき

唐棣はねずのころも。

さしぐむ目まみの濕うるほひに、

目耀まかよふ天あめの羽はぐるまや、

ああ曙あけぼののうはじらむ

唐棣はねずのころも。

美うつくしかりしそのかみの

夢ゆめの香かほのに身みに泌しみて、

手弱腕たわやかひなの卷鬚まきひげぞ、

わななき撓たゆむ。

天あめの御蔭みかげの宮みやづとめ、

朝顏姫あさがほひめの名なに呼よばれ、

七座ななます星ほしの群むれにして、

舞まひしや、むかし。

おほみ淵醉うたげの良夜あたらよに、

日子ひこに婚あひてし日ひの初はじめ、

嚴いづのむしろを禁とめられて、

花はなとし生おひつ。

花はなとを咲さけど、『くらやみ』の

牢獄ひとやの窓まどに俯居うつゐして、

ああ曙あけぼのや、夜よもすがら

君きみをこそ待まて。

君きみを待まつ間まをゆるされに、

天あめの足日たるひをかいまみる

ありなし時どきや、せつなさの

心こゝろもすずろ。

はかなき今いまの身柄みがらには、

ひかりは久ひさに堪たへなくに、

ああ曙あけぼのや、まばゆさに、

目めこそ盲しひぬれ。

黄金向日葵こがねひぐるま、日移ひうつりに、

日ひの轍あとをこそ趁おふといへ、

わなみ盲目めしひのうなだれて

方かたもぞ知しらぬ。

『悲愁なげき』は若わかき孕婦うぶめにて、

日ひなみに五百いほの眼めをはらみ、

ああ曙あけぼのや、目伸まのしして

君きみを待またまし。

*朝顏姫は七夕七姫のうちの

ひとりなり

*筑波紫

夜よは明あけぬ。二にの新代あらたよの朝あさぼらけ、

國くにの兄姫えびめの長たけすがた、富士ふじこそ問とへれ、

しろがねの被衣かづきも搖ゆらに、『やよ筑波つくば、

八十伴やそともの緒をは玉たまぶちの冕冠かむりも高たかに、

天あめの宮みや御垣みかきは守もるに、いかなれば、

異ことよそほひの東人あづまどと、汝なれやはひとり、

玉敷たましきの御蔭みかげの庭にはも見みず久ひさに、

下したなる國くにの暗谷くらだににつくばひ居ゐるや。』

筑波根つくばねの東聲あづまごゑして、『天あめの宮みや、

御使みつかひ姫ひめは汝なこそあれ、われは國造くにつこ、

高翔たかがくる日ひの羽車はぐるまをともなひて、

朝あさなゆふなに七度ななたびの國見くにみの反身そりみ、

『汝なが希望のぞみ、あくがれ、吟咏ながめ、高たかわらひ、

努力ぬりき、若わかやぎ、また愛あいの華座けざはここに。』と、

むらさきの常若とこわかすがた花はなやかに、

ほにこそ揚あぐれ、人ひとの世よの、あはれ烽火のろしを。』

*詩集『筑波紫』に序す

*樂のすずろぎ

衣きぬかづき腕かひなたゆげに、

夕月ゆふづきは門とにこそゐよれ。

靜寂さびしさは清きよみ酒きの如ごと、

野のも山やまもねむげに醉ゑひつ。

ひともとの河原かはら赤楊はんのき、

うなだるる下枝しづえの梢うらき、

四よつの緒をは風かぜに歌うたへり、

しろがねの音色ねいろもゆらに。

『わが絃いとの一いちには、天あめの

飛車とぶくるま、星ほしのどよもし。

二にの緒をには、青あをうなばらや、

海神わだつみの浪なみのゑわらひ。

『三さんの緒をは、瑞樹みづきのかくれ、

たわや女めが夏なつの夜よの夢ゆめ。

四しには、はた巖根いはねの小百合さゆり、

あけぼのの香かのささやきを。

『今宵こよひしも思おもひあがりつ、

美うまし音ねは神かみもこそ聞きけ、

常樂界とこよべの、はた黄泉かくりよの

魂たまむすび、――今いま暫しばの間まを。』

琴ことの音ねは低ひくにゆるびぬ、

ああ今いまか、小野をのの草くさだに、

奇くし御靈みたま葉はにもゆらぎて、

靜歌しづうたの音ねにはたつらめ。

*詩集『四の緒琴』に序す

*藝のゆるされ

立樂たちがくの節ふしはたゆみぬ。聞ききね、いま

御蔭みかげの庭にはに羽はばたきのはたと響どよみて、

セラヒムの聲こそわたれ、『天あまつ世よの

生日いくひ足日たるひや、事榮ことばえに醉ゑひさまたれぬ。

合奏をあはせの美うまし音色ねいろに聞ききとれし

心あがりの、やがてまた、見みがほしとこそ

見みざらめや、御門柱みかどばしらの彩畫だみゑにも、

天あまつ顏かほばせ、大御身おほみまの嚴いづのひかりを。

やをれ、今いま天路あまぢに虹にじを、野のに花はなを、

眞闇まやみに星ほしを、黎明しののめの空そらを、あからめ、

わだつみの浪なみをいろどる選人えりうどを

召めせよ。』とあれば、二にの大門おほどからりと鳴なりつ。

しろがねの樞くるるはきしり、諸もろとびら

つと離はなるるや、階きざはしを繪師ゑしはあがりぬ。

*『太平洋畫會畫集』に序す

〔図〕fig50558_02.png
鈴蘭の歌の挿画

鈴蘭の歌

一

『深山樒みやましきみの小枝さえだにも、

花はなはほのかにくゆる日ひを、

日雀ひがら、日雀女ひがらめ、そなたには、

母御ははごが無ないか、子こが無ないか、

何故なぜに色音いろねの濕しめるや。』と、

さつさ、いよこの、

小木曾女をぎそめ。

二

『母ははも知しらねば、子こも有もたぬ、

たつた一人ひとりの夫鳥つまどりを、

鷹たかにとられた日ひの初はじめ、

歌うたの若わかえは忘わすられた、

孀やもめの鳥とりの身みぢやまで。』と、

さつさ、いよこの、

日雀女ひがらめ。

三

『雀すずめがくれの狩塲かりくらに、

黄脚鴫きあししぎもや裏うらぎりて、

さは囚とらはれの、――日ひの後のちは、

野木のぎの古巣ふるすのおもひでに、

泣なき濡ぬれてのみ過すぐすや。』と、

さつさ、いよこの、

小木曾女をぎそめ。

四

『夫せなに別わかれたまたの朝あさ、

餘あまり戀こひしさ、會あひたさに、

黄櫨はじの木立こだちの山やまごえを、

鷹師たかしのもとに訪おとづれて、

許ゆるされもこそ嘆なげいたに。』

さつさ、いよこの、

日雀女ひがらめ。

五

深山みやまの鳥とりも、悲かなしびの

酒甕もたひに釃したむしたたりに、

醉よはざなるまい術すべなさか、

いづれは若わかい身みの性さがの、

さても相似あひにた宿世すぐせや。』と、

さつさ、いよこの、

小木曾女をぎそめ。

六

『鷹師たかしの君きみの言いやるには、

幸さちは市女いちめにひさがれて、

肴なにもこそなれ、其方そなたには

代しろやまゐろと、啄ついばみに

やがて取とらせた草くさの實み。』と、

さつさ、いよこの、

日雀女ひがらめ。

七

『深山姥みやまおうなの使つかひ姫ひめ、

鷽うそが落おとした蠱まじの實みの

粒つぶのひとつや含ふくまれて、

野木のぎの叉枝またえの巣すごもりに、

芽めぐむや、禍まがの妖惑まよはし。』と、

さつさ、いよこの、

小木曾女をぎそめ。

八

『狐きつにかくれて、切畑きりばたの

片日向かたびなたにもおろしやれ、

木この葉はごろもの山姫やまびめの

袖そでをこぼれた實みぢやまでに、

あり慰なぐさめにまゐらす。』と、

さつさ、いよこの、

日雀女ひがらめ。

九

『草くさくだものの償つぐのひに、

秋あきのとまりの神無月かみなづき、

末枯すがれを小野をのに齎もたらする

『日ひ』は、鈍にぶの葉はもはぐくみて、

咲さいたか、花はなの忘わすれぐさ。』

さつさ、いよこの、

小木曾女をぎそめ。

一〇

『山やました小野をのは、羅漢松あすなろの

老木おいきのもとに實みを蒔まいて、

花はなのしづくに濕しめすまに、

芽生めばえは日日ひびに羽はを伸のして、

やをら生おひ出でた、鈴蘭すずらに。』と、

さつさ、いよこの、

日雀女ひがらめ。

一一

『あな憂うと見みたは、山姫やまひめの

心こころしらひの戯たはむれか、

小木曾をぎそをとめの身柄みがらには、

また見みるものか、鈴蘭すずらんの

名なは幸福さいはひのよみがへり。』

さつさ、いよこの、

小木曾女をぎそめ。

一二

『木きの叉枝またぶりに俯居うつゐして、

日ひにまた夜よはの齋戒ゆまはりに、

つと幻まぼろしのほのめいて、

白しろよそほひの郎姫いらつひめ、

花はなは笑ゑみそろ、一いちの花はな。』

さつさ、いよこの、

日雀女ひがらめ。

一三

『ああ、よみがへる歡喜よろこびの

日ひの前まへ申まうし、鈴蘭すずらんの

ひとつびとつの花はなびらに、

黄金こがねの文字もじも見みやらぬか、

『あり待まつ戀こひの齋戒ゆまはり』。』と、

さつさ、いよこの、

小木曾女をぎそめ。

一四

『待まちよろこびや、またの日ひは、

紅顏あからをとめの曙あけぼのが、

山やました小野をのの朝踐あさぶみに、

玉裳たまものすその香かにしみて、

花はなは咲さきそろ、二にの花はな。』と、

さつさ、いよこの、

日雀女ひがらめ。

一五

『また笑ゑみそめた垂たり花ばなの

麻あさの葉形はがたのくちびるに、

天あめの釃酒したみを味あぢ甞なめて、

聞ききやらぬかの、囁さゝやきを、

『齋ゆまはる戀こひの淨きよまり』。』と、

さつさ、いよこの、

小木曾女をぎそめ。

一六

汲くむにまかせた大甕おほみかの

深ふかげの世よかな、あり掬むすぶ

辱かたじけなさにさしぐみて、

あり木きの枝えだの葉はがくれに、

今日けふもこそ待まて、三さんの花はな。』

さつさ、いよこの、

日雀女ひがらめ。

一七

『ひたぶる心ごころ――汝なが眼めには、

花はなは天路あまぢの熒惑星ひなつぼし

明日あすは莖葉くきばの三さんの座ざに、

巖いづのひかりも見るわいな、

『淨きよまる戀こひのゆるされ』を。』

さつさ、いよこの、

小木曾女をぎそめ。

一八

『花はなを待まちみる事榮ことばえに、

さこそは齋ゆまへ、ともすれば

青水無月あをみなづきの小野をのの香かに、

むかしの夢ゆめのうらびれて、

古巣ふるすを見てはさしぐむ。』と、

さつさ、いよこの、

日雀女ひがらめ。

三の百合

やをれ、此方樣こなさま、初夏はつなつの

永ながい日ひなかを何處どこへ徃ゆこ、

ぬるむ小河をがはの水みづこえて、

向むかうお山やまへ花はな折をりに。

花はなは何なにぐさ、山やまの百合ゆり、

瑞枝みづえしだれた秦木皮とねりこの

蔭かげにひともと手折たをりては、

知しらぬ『往時むかし』にたてまつり。

深山頬白みやまほほじろ鳴なきかへる

十六夜薔薇いざよひばらの葉はがくれに、

またもひと本もと見出みだしては、

『今日けふ』を祝ほがひの花はなの環わに。

一いちはかざしに、二には胸むねに、

さては御手おんてに、『ゆくすゑ』の

あらまし事ごとの願ねがひにと、

參まゐらす花はなのあらばよい。

あかつき露づゆのうは濕じめり、

まだ乾ひぬ森もりのした路みちを、

眞保良まほらの奧おくにわけいれば、

深山みやまがくれの戸とが見ゆる。

『夏野なつのの姫ひめに物ものまうす、

牧まきのをとめに、ひと莖ぐきの

花はなを。』と門かどをそたたけば、

からりと開あいた闇やみの宮みや。

宮みやの閾しきみのかたかげに、

白しろよそほひの立たちすがた、

えならぬ香かにも仄ほのめいて、

咲さいた、あえかの山やまの百合ゆり。

姫ひめが御賜みたまの花はなやとて、

心こゝろいそいそ寄よるとすりゃ、

思おもひもかけぬ尾鳴をならしの

蛇へびが見みえそろ、葉はがくれに。

花はなは折をりたし、蝮くちばみの

葉守はもりのまみは見憂みまういし、

淺野あさのに百合ゆりは咲さくまいに、

何なにを樣さまにはまゐらさう。

ついと強往しひゆく手たなさきに、

蛇へびはぬる火びのかつ消きえて、

闇やみのあなたに、ほのぼのの

花はなや、――と見みれば夢ゆめわいな、

山毛欅ぶなの瑞枝みづえの下蔭したかげで、

樣さまにもたれて眞白百合ましらゆり、

一いちはかざしに、二には胸むねに、

三さんは御手おんての手てのひらに。

雛罌粟

花はなを、いよこの、植うゑやれ、

花はなを植うゑやれ、雛罌粟ひなげしを。

罌粟けしの、いよこの、脆もろさに、

罌粟けしの脆もろさに、そのかみを。

小雀と桂女

一

別わかれた人ひとに會あひたさに、

今日けふも野のへ來きた桂女かつらめは、

路みちの瑞樹みづきの葉はがくれに、

聞ききこそすませ、美うまし音ねの

さつさ、いよこの、

小雀女こがらめ。

二

『やをれ小雀女こがらめ、人ひとの子こは

思おもひしをれて嘆なげく世よを、

其方そなたはひとり心安うらやすに、

咏ながめ聲ごゑしてさへづる。』と、

さつさ、いよこの、

桂女かつらめ。

三

『あいな頼だのみの世よに倦うみて、

夜よを泣なき濡ぬれた身みならでは、

鳥とりの咏ながめる靜歌しづうたの

小野をのの調しらべは淡あはかろ。』と、

さつさ、いよこの、

小雀女こがらめ。

四

『いく夜よをひとり泣なき濡ぬれた、

小野をのの尼あまとは知しるまいし、

日ひのしづけさを木こがくれに、

むかし語がたりに耽ふけりやれ。』

さつさ、いよこの、

桂女かつらめ。

五

『曾かつては、深ふかき青山あをやまの

老木おいきの枝えだの巣すごもりに、

つがひの雛ひなを羽はぐくみて、

夫せなを待まちゐた日ひもそろ。』と、

さつさ、いよこの、

小雀女こがらめ。

六

『夫せなは巣立すだちの子こもつれて、

深山みやまつぐみの來こぬひまを、

老おいの峠たうげの切畑きりばたに、

黄金覆盆子こがねいちごや摘つみやる。』と、

さつさ、いよこの、

桂女かつらめ。

七

『ひと日ひ樹この實みを啄ついばむと、

谿たにのまほらへ降おりたまま、

山やまの嫗おうなの蠱まじものに、

夫せなは迷まよひてかへらぬ。』と、

さつさ、いよこの、

小雀女こがらめ。

八

『さては童男をぐなと魅はかされて、

隱かくれの宮みやに、しろがねの

手瓶てかめや日毎ひごとたづさへて、

蠱まじの眞名井まなゐも掬くむやら。』と、

さつさ、いよこの、

桂女かつらめ。

九

『明あけたひと日ひを夫つまどひに、

野のにまた山やまに鳴ないて來くりゃ、

巣すは覆かへされて、驕あいだれの

鳴音なくねはまたも聞きかれぬ。』と、

さつさ、いよこの、

小雀女こがらめ。

一〇

『さても憂事うきごと、強しゐられの

重荷おもにに小附こづけ、――葉はがくれに、

母ははの居ゐぬ間まを、蝮くちばみの

窺覗うかねらひ來きたすさびや。』と、

さつさ、いよこの、

かつら女め。

一一

『ひとり居ゐ馴なれた木きをおりて、

み山やまの谿たにに落おちゆくに、

尾羽をばは憂身うきみをさへぎりて、

またあり捂もどく、わが世よに。』と、

さつさ、いよこの、

小雀女こがらめ。

一二

『天そらゆくからに、險路ほきぢにも

打うたざなるまい羽搏はぶきとは、

さても相似あひにた人ひとの身みの

もてなやましの心こゝろに。』と、

さつさ、いよこの、

かつら女め。

一三

『はては山やまへは歸かへるまい、

野のこそは吾家わがや、また墓はかと、

國原くにばらめぐる鶉立うづらだち、

旅たびの八百日やほかの寂さびしさ。』と、

さつさ、いよこの、

小雀女こがらめ。

一四

『知しらぬ遠方とほちのさすらひは、

路みちさまたげも多おほかろに、

さても事無ことなに世よをし經へて、

春はるを野木のぎにも囀さへづる。』と、

さつさ、いよこの、

かつら女め。

一五

『ひと日ひ木原こばらに往ゆき合あうた、

小野をのの兄姫えびめにとめられて、

あすは檜ひのきの小林をばやしに、

今いまも巣すこそは營いとなめ。』と、

さつさ、いよこの、

小雀女こがらめ。

一六

『さは許ゆるされの事榮ことばえに、

夢ゆめか、『往時むかし』は。今いまもはた

牧まきの小笛をぶえにしのびては、

嘆なげきやるかの、さすがに。』と

さつさ、いよこの、

かつら女め。

一七

『されば御空みそらのたたずまひ、

野ののあけくれを見知みしるほど、

心こゝろいられは調ととのひて、

昨日きのふには似にぬ心地こゝちや。』と

さつさ、いよこの、

小雀女こがらめ。

一八

『さては、搖ゆらえた當時そのかみの

魂たまのたゆたひ和なぎしづむ

眞澄ますみの今いまのしづけさに、

見みやるは何なにか、新あらたに。』と、

さつさ、いよこの、

かつら女め。

一九

『まだうら若わかいこの世よには、

健すぐよか心ごゝろいそしみて、

嘆なげきの鈍衣にぶを脱ぬぎすべし、

あなたの空そらへ外寄とよるに。』と、

さつさ、いよこの、

小雀女こがらめ。

二〇

鳥とりのさとしは然さりながら、

なほ下心したごゝろどこやらに、

うけひき難がたい心地こゝちして、

今いまは別わかれた、野のの路みちを。

さつさ、いよこの、

かつら女め。

白羊宮 畢

底本 / Source edition

底本:「白羊宮」金尾文淵堂
1906(明治39)年5月7日発行
※国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。
※「※[#「竹かんむり/候」、U+25C4C、14-1]」と「篌」の混在は、底本通りです。
※「叉枝」に対するルビの「またえ」と「またぶり」の混在は、底本通りです。
※満谷国四郎(1874年(明治7年)11月10日~1936年(昭和11年)7月12日)の挿絵を同梱しました。
※鹿子木孟郎(1874(明治7)年11月9日~1941(昭和16)年4月3日)の挿絵を同梱しました。
※印刷不良を疑った箇所を、「明治文學全集 58 土井晩翠 薄田泣菫 蒲原有明集」筑摩書房、1967(昭和42)年4月15日発行の表記にそって、あらためました。
入力:golconda
校正:Juki
2017年3月11日作成
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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薄田 泣菫、薄田 淳介「白羊宮」(旧字旧仮名)、底本『白羊宮』金尾文淵堂、1906年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 050558_000150, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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