Soranoha

すみだ川

すみだがわ

永井 荷風

一

俳諧師はいかいし松風庵蘿月しょうふうあんらげつは今戸いまどで常磐津ときわずの師匠ししょうをしている実じつの妹をば今年は盂蘭盆うらぼんにもたずねずにしまったので毎日その事のみ気にしている。しかし日盛ひざかりの暑さにはさすがに家うちを出かねて夕方になるのを待つ。夕方になると竹垣に朝顔のからんだ勝手口で行水ぎょうずいをつかった後のちそのまま真裸体まっぱだかで晩酌を傾けやっとの事膳ぜんを離れると、夏の黄昏たそがれも家々で焚たく蚊遣かやりの烟けむりと共にいつか夜となり、盆栽ぼんさいを並べた窓の外の往来には簾越すだれごしに下駄げたの音職人しょくにんの鼻唄はなうた人の話声がにぎやかに聞え出す。蘿月は女房のお滝たきに注意されてすぐにも今戸へ行くつもりで格子戸こうしどを出るのであるが、その辺へんの涼台すずみだいから声をかけられるがまま腰を下おろすと、一杯機嫌いっぱいきげんの話好はなしずきに、毎晩きまって埒らちもなく話し込んでしまうのであった。

朝夕がいくらか涼しく楽になったかと思うと共に大変日が短くなって来た。朝顔の花が日ごとに小さくなり、西日が燃える焔のように狭い家中いえじゅうへ差込んで来る時分じぶんになると鳴きしきる蝉せみの声が一際ひときわ耳立みみだって急せわしく聞える。八月もいつか半なかば過ぎてしまったのである。家の後うしろの玉蜀黍とうもろこしの畠に吹き渡る風の響ひびきが夜なぞは折々おりおり雨かと誤あやまたれた。蘿月は若い時分したい放題身を持崩もちくずした道楽の名残なごりとて時候の変目かわりめといえば今だに骨の節々ふしぶしが痛むので、いつも人より先に秋の立つのを知るのである。秋になったと思うと唯ただわけもなく気がせわしくなる。

蘿月は俄にわかに狼狽うろたえ出し、八日頃ようかごろの夕月がまだ真白ましろく夕焼の空にかかっている頃から小梅瓦町こうめかわらまちの住居すまいを後あとにテクテク今戸をさして歩いて行った。

堀割ほりわりづたいに曳舟通ひきふねどおりから直すぐさま左へまがると、土地のものでなければ行先ゆくさきの分らないほど迂回うかいした小径こみちが三囲稲荷みめぐりいなりの横手を巡めぐって土手へと通じている。小径に沿うては田圃たんぼを埋立うめたてた空地あきちに、新しい貸長屋かしながやがまだ空家あきやのままに立並たちならんだ処もある。広々した構えの外には大きな庭石を据並すえならべた植木屋もあれば、いかにも田舎いなからしい茅葺かやぶきの人家のまばらに立ちつづいている処もある。それらの家うちの竹垣の間からは夕月に行水ぎょうずいをつかっている女の姿の見える事もあった。蘿月宗匠そうしょうはいくら年をとっても昔の気質かたぎは変らないので見て見ぬように窃そっと立止るが、大概はぞっとしない女房ばかりなので、落胆らくたんしたようにそのまま歩調あゆみを早める。そして売地や貸家の札ふだを見て過すぎる度々たびたび、何なんともつかずその胸算用むなざんようをしながら自分も懐手ふところでで大儲おおもうけがして見たいと思う。しかしまた田圃づたいに歩いて行く中水田うちみずたのところどころに蓮はすの花の見事に咲き乱れたさまを眺め青々した稲の葉に夕風のそよぐ響をきけば、さすがは宗匠だけに、銭勘定ぜにかんじょうの事よりも記憶に散在している古人の句をば実に巧うまいものだと思返おもいかえすのであった。

土手へ上あがった時には葉桜のかげは早はや小暗おぐらく水を隔てた人家には灯ひが見えた。吹きはらう河風かわかぜに桜の病葉わくらばがはらはら散る。蘿月は休まず歩きつづけた暑さにほっと息をつき、ひろげた胸をば扇子せんすであおいだが、まだ店をしまわずにいる休茶屋やすみぢゃやを見付けて慌忙あわてて立寄り、「おかみさん、冷ひやで一杯。」と腰を下おろした。正面に待乳山まつちやまを見渡す隅田川すみだがわには夕風を孕はらんだ帆かけ船が頻しきりに動いて行く。水の面おもての黄昏たそがれるにつれて鴎かもめの羽の色が際立きわだって白く見える。宗匠はこの景色を見ると時候はちがうけれど酒なくて何の己おのれが桜かなと急に一杯傾けたくなったのである。

休茶屋の女房にょうぼが縁ふちの厚い底の上ったコップについで出す冷酒ひやざけを、蘿月はぐいと飲干のみほしてそのまま竹屋たけやの渡船わたしぶねに乗った。丁度河の中ほどへ来た頃から舟のゆれるにつれて冷酒がおいおいにきいて来る。葉桜の上に輝きそめた夕月の光がいかにも涼しい。滑なめらかな満潮の水は「お前どこ行く」と流行唄はやりうたにもあるようにいかにも投遣なげやった風ふうに心持よく流れている。宗匠は目をつぶって独ひとりで鼻唄をうたった。

向河岸むこうがしへつくと急に思出して近所の菓子屋を探して土産みやげを買い今戸橋いまどばしを渡って真直まっすぐな道をば自分ばかりは足許あしもとのたしかなつもりで、実は大分ふらふらしながら歩いて行った。

そこ此処ここに二、三軒今戸焼いまどやきを売る店にわずかな特徴を見るばかり、何処いずこの場末にもよくあるような低い人家つづきの横町よこちょうである。人家の軒下や路地口ろじぐちには話しながら涼んでいる人の浴衣ゆかたが薄暗い軒燈けんとうの光に際立きわだって白く見えながら、あたりは一体にひっそりして何処どこかで犬の吠ほえる声と赤児あかごのなく声が聞える。天あまの川がわの澄渡すみわたった空に繁しげった木立を聳そびやかしている今戸八幡いまどはちまんの前まで来ると、蘿月は間まもなく並んだ軒燈の間に常磐津文字豊ときわずもじとよと勘亭流かんていりゅうで書いた妹の家の灯ひを認めた。家の前の往来には人が二、三人も立止って内なかなる稽古けいこの浄瑠璃じょうるりを聞いていた。

折々恐しい音して鼠ねずみの走る天井からホヤの曇った六分心ろくぶしんのランプがところどころ宝丹ほうたんの広告や『都新聞みやこしんぶん』の新年附録の美人画なぞで破やぶれ目めをかくした襖ふすまを始め、飴色あめいろに古びた箪笥たんす、雨漏あまもりのあとのある古びた壁なぞ、八畳の座敷一体をいかにも薄暗く照てらしている。古ぼけた葭戸よしどを立てた縁側の外そとには小庭こにわがあるのやらないのやら分らぬほどな闇やみの中に軒の風鈴ふうりんが淋さびしく鳴り虫が静しずかに鳴いている。師匠のお豊とよは縁日ものの植木鉢を並べ、不動尊ふどうそんの掛物をかけた床とこの間まを後うしろにしてべったり坐すわった膝ひざの上に三味線しゃみせんをかかえ、樫かしの撥ばちで時々前髪のあたりをかきながら、掛声をかけては弾くと、稽古本けいこぼんを広げた桐きりの小机を中にして此方こなたには三十前後の商人らしい男が中音ちゅうおんで、「そりや何をいはしやんす、今さら兄よ妹いもうとといふにいはれぬ恋中こいなかは……。」と「小稲半兵衛こいなはんべえ」の道行みちゆきを語る。

蘿月は稽古のすむまで縁近えんぢかくに坐って、扇子せんすをぱちくりさせながら、まだ冷酒ひやざけのすっかり醒さめきらぬ処から、時々は我知らず口の中で稽古の男と一しょに唄うたったが、時々は目をつぶって遠慮なく噯おくびをした後のち、身体からだを軽く左右さゆうにゆすりながらお豊の顔をば何の気もなく眺めた。お豊はもう四十以上であろう。薄暗い釣つるしランプの光が痩やせこけた小作りの身体からだをばなお更に老ふけて見せるので、ふいとこれが昔は立派な質屋しちやの可愛らしい箱入娘はこいりむすめだったのかと思うと、蘿月は悲しいとか淋さびしいとかそういう現実の感慨を通過とおりこして、唯ただ唯だ不思議な気がしてならない。その頃は自分もやはり若くて美しくて、女にすかれて、道楽して、とうとう実家を七生しちしょうまで勘当かんどうされてしまったが、今になってはその頃の事はどうしても事実ではなくて夢としか思われない。算盤そろばんで乃公おれの頭をなぐった親爺おやじにしろ、泣いて意見をした白鼠しろねずみの番頭にしろ、暖簾のれんを分けてもらったお豊の亭主にしろ、そういう人たちは怒ったり笑ったり泣いたり喜んだりして、汗をたらして飽あきずによく働いていたものだが、一人々々ひとりひとり皆死んでしまった今日きょうとなって見れば、あの人たちはこの世の中に生れて来ても来なくてもつまる処は同じようなものだった。まだしも自分とお豊の生きている間は、あの人たちは両人ふたりの記憶の中うちに残されているものの、やがて自分たちも死んでしまえばいよいよ何も彼かも煙になって跡方あとかたもなく消え失うせてしまうのだ……。

「兄にいさん、実は二、三日中うちに私わたしの方からお邪魔に上あがろうと思っていたんだよ。」とお豊が突然話しだした。

稽古の男は「小稲半兵衛こいなはんべえ」をさらった後のち同じような「お妻八郎兵衛つまはちろべえ」の語出かたりだしを二、三度繰返くりかえして帰って行ったのである。蘿月は尤もっともらしく坐すわり直なおして扇子で軽く膝ひざを叩たたいた。

「実はね。」とお豊は同じ言葉を繰返して、「駒込こまごめのお寺が市区改正で取払いになるんだとさ。それでね、死んだお父とっつァんのお墓を谷中やなかか染井そめいか何処どこかへ移さなくっちゃならないんだってね、四、五日前にお寺からお使が来たから、どうしたものかと、その相談に行こうと思ってたのさ。」

「なるほど。」と蘿月は頷付うなずいて、「そういう事なら打捨うっちゃっても置けまい。もう何年になるかな、親爺おやじが死んでから……。」

首を傾かしげて考えたが、お豊の方は着々話しを進めて染井の墓地の地代じだいが一坪ひとつぼいくら、寺への心付けがどうのこうのと、それについては女の身よりも男の蘿月に万事を引受けて取計らってもらいたいというのであった。

蘿月はもと小石川表町こいしかわおもてまちの相模屋さがみやという質屋の後取息子あととりむすこであったが勘当の末すえ若隠居の身となった。頑固な父が世を去ってからは妹お豊を妻にした店の番頭が正直に相模屋の商売をつづけていた。ところが御維新ごいっしんこの方かた時勢の変遷で次第に家運の傾いて来た折も折火事にあって質屋はそれなり潰つぶれてしまった。で、風流三昧ふうりゅうざんまいの蘿月はやむをえず俳諧はいかいで世を渡るようになり、お豊はその後ご亭主に死別れた不幸つづきに昔名を取った遊芸を幸い常磐津ときわずの師匠で生計くらしを立てるようになった。お豊には今年十八になる男の子が一人ある。零落れいらくした女親がこの世の楽しみというのは全くこの一人息子長吉ちょうきちの出世を見ようという事ばかりで、商人はいつ失敗するか分らないという経験から、お豊は三度の飯を二度にしても、行く行くはわが児こを大学校に入れて立派な月給取りにせねばならぬと思っている。

蘿月宗匠そうしょうは冷えた茶を飲干のみほしながら、「長吉はどうしました。」

するとお豊はもう得意らしく、「学校は今夏休みですがね、遊ばしといちゃいけないと思って本郷ほんごうまで夜学にやります。」

「じゃ帰りは晩おそいね。」

「ええ。いつでも十時過ぎますよ。電車はありますがね、随分遠路とおみちですからね。」

「吾輩こちとらとは違って今時の若いものは感心だね。」宗匠は言葉を切って、「中学校だっけね、乃公おれは子供を持った事がねえから当節とうせつの学校の事はちっとも分らない。大学校まで行くにゃまだよほどかかるのかい。」

「来年卒業してから試験を受けるんでさアね。大学校へ行く前に、もう一ツ……大きな学校があるんです。」お豊は何も彼かも一口ひとくちに説明してやりたいと心ばかりは急あせっても、やはり時勢に疎うとい女の事で忽たちまちいい淀よどんでしまった。

「たいした経費かかりだろうね。」

「ええそれァ、大抵じゃありませんよ。何しろ、あなた、月謝ばかりが毎月まいげつ一円、本代だって試験の度々たんびに二、三円じゃききませんしね、それに夏冬ともに洋服を着るんでしょう、靴だって年に二足は穿はいてしまいますよ。」

お豊は調子づいて苦心のほどを一倍強く見せようためか声に力を入れて話したが、蘿月はその時、それほどにまで無理をするなら、何も大学校へ入れないでも、長吉にはもっと身分相応な立身の途みちがありそうなものだという気がした。しかし口へ出していうほどの事でもないので、何か話題の変化をと望む矢先やさきへ、自然に思い出されたのは長告が子供の時分の遊び友達でお糸いとといった煎餅屋せんべいやの娘の事である。蘿月はその頃お豊の家を訪ねた時にはきまって甥おいの長吉とお糸をつれては奥山おくやまや佐竹さたけッ原ぱらの見世物みせものを見に行ったのだ。

「長吉が十八じゃ、あの娘こはもう立派な姉ねえさんだろう。やはり稽古に来るかい。」

「家うちへは来ませんがね、この先の杵屋きねやさんにゃ毎日通かよってますよ。もう直じき葭町よしちょうへ出るんだっていいますがね……。」とお豊は何か考えるらしく語ことばを切った。

「葭町へ出るのか。そいつア豪儀ごうぎだ。子供の時からちょいと口のききようのませた、好いい娘こだったよ。今夜にでも遊びに来りゃアいいに。ねえ、お豊。」と宗匠は急に元気づいたが、お豊はポンと長煙管ながぎせるをはたいて、

「以前とちがって、長吉も今が勉強ざかりだしね……。」

「ははははは。間違いでもあっちゃならないというのかね。尤もっともだよ。この道ばかりは全く油断がならないからな。」

「ほんとさ。お前さん。」お豊は首を長く延のばして、「私の僻目ひがめかも知れないが、実はどうも長吉の様子が心配でならないのさ。」

「だから、いわない事こッちゃない。」と蘿月は軽く握り拳こぶしで膝頭ひざがしらをたたいた。お豊は長吉とお糸のことが唯ただ何なんとなしに心配でならない。というのは、お糸が長唄ながうたの稽古帰りに毎朝用もないのにきっと立寄って見る、それをば長吉は必ず待っている様子でその時間頃ごろには一足ひとあしだって窓の傍そばを去らない。それのみならず、いつぞやお糸が病気で十日ほども寝ていた時には、長吉は外目よそめも可笑おかしいほどにぼんやりしていた事などを息もつかずに語りつづけた。

次の間まの時計が九時を打出した時突然格子戸こうしどががらりと明いた。その明けようでお豊はすぐに長吉の帰って来た事を知り急に話を途切とぎらしその方に振返りながら、

「大変早いようだね、今夜は。」

「先生が病気で一時間早くひけたんだ。」

「小梅こうめの伯父さんがおいでだよ。」

返事は聞えなかったが、次の間まに包つつみを投出す音がして、直様すぐさま長吉は温順おとなしそうな弱そうな色の白い顔を襖ふすまの間から見せた。

二

残暑の夕日が一ひとしきり夏の盛さかりよりも烈はげしく、ひろびろした河面かわづら一帯に燃え立ち、殊更ことさらに大学の艇庫ていこの真白まっしろなペンキ塗の板目はめに反映していたが、忽たちまち燈ともしびの光の消えて行くようにあたりは全体に薄暗く灰色に変色して来て、満ち来る夕汐ゆうしおの上を滑って行く荷船にぶねの帆のみが真白く際立きわだった。と見る間まもなく初秋しょしゅうの黄昏たそがれは幕の下おりるように早く夜に変った。流れる水がいやに眩まぶしくきらきら光り出して、渡船わたしぶねに乗っている人の形をくっきりと墨絵すみえのように黒く染め出した。堤の上に長く横よこたわる葉桜の木立こだちは此方こなたの岸から望めば恐しいほど真暗まっくらになり、一時いちじは面白いように引きつづいて動いていた荷船はいつの間にか一艘いっそう残らず上流の方ほうに消えてしまって、釣つりの帰りらしい小舟がところどころ木この葉はのように浮いているばかり、見渡す隅田川すみだがわは再びひろびろとしたばかりか静しずかに淋さびしくなった。遥か川上かわかみの空のはずれに夏の名残を示す雲の峰が立っていて細い稲妻が絶間たえまなく閃ひらめいては消える。

長吉は先刻さっきから一人ぼんやりして、或ある時は今戸橋いまどばしの欄干らんかんに凭もたれたり、或時は岸の石垣から渡場わたしばの桟橋さんばしへ下りて見たりして、夕日から黄昏、黄昏から夜になる河の景色を眺めていた。今夜暗くなって人の顔がよくは見えない時分になったら今戸橋の上でお糸と逢あう約束をしたからである。しかし丁度日曜日に当って夜学校を口実にも出来ない処から夕飯ゆうめしを済すますが否やまだ日の落ちぬ中うちふいと家うちを出てしまった。一しきり渡場へ急ぐ人の往来ゆききも今では殆ほとんど絶え、橋の下に夜泊よどまりする荷船の燈火ともしびが慶養寺けいようじの高い木立を倒さかさに映した山谷堀さんやぼりの水に美しく流れた。門口かどぐちに柳のある新しい二階家からは三味線が聞えて、水に添う低い小家こいえの格子戸外こうしどそとには裸体はだかの亭主が涼みに出はじめた。長吉はもう来る時分であろうと思って一心いっしんに橋向うを眺めた。

最初に橋を渡って来た人影は黒い麻の僧衣ころもを着た坊主であった。つづいて尻端折しりはしおりの股引ももひきにゴム靴をはいた請負師うけおいしらしい男の通った後あと、暫しばらくしてから、蝙蝠傘こうもりがさと小包を提げた貧し気げな女房が日和下駄ひよりげたで色気もなく砂を蹴立けたてて大股おおまたに歩いて行った。もういくら待っても人通りはない。長吉は詮方せんかたなく疲れた眼を河の方に移した。河面かわづらは先刻さっきよりも一体に明あかるくなり気味悪い雲の峯は影もなく消えている。長吉はその時長命寺辺ちょうめいじへんの堤の上の木立から、他分たぶん旧暦七月の満月であろう、赤味を帯びた大きな月の昇りかけているのを認めた。空は鏡のように明あかるいのでそれを遮さえぎる堤と木立はますます黒く、星は宵の明星の唯たった一つ見えるばかりでその他たは尽ことごとく余りに明い空の光に掻き消され、横ざまに長く棚曳たなびく雲のちぎれが銀色に透通すきとおって輝いている。見る見る中うち満月が木立を離れるに従い河岸かわぎしの夜露をあびた瓦かわら屋根や、水に湿ぬれた棒杭ぼうぐい、満潮に流れ寄る石垣下の藻草もぐさのちぎれ、船の横腹、竹竿たけざおなぞが、逸早いちはやく月の光を受けて蒼あおく輝き出した。忽ち長吉は自分の影が橋板の上に段々に濃く描き出されるのを知った。通りかかるホーカイ節ぶしの男女が二人、「まア御覧よ。お月様。」といって暫しばらく立止った後のち、山谷堀の岸辺きしべに曲るが否や当付あてつけがましく、

〽書生さん橋の欄干らんかんに腰打うちかけて――

と立ちつづく小家こいえの前で歌ったが金にならないと見たか歌いも了おわらず、元の急足いそぎあしで吉原土手よしわらどての方へ行ってしまった。

長吉はいつも忍会しのびあいの恋人が経験するさまざまの懸念けねんと待ちあぐむ心のいらだちの外ほかに、何とも知れぬ一種の悲哀を感じた。お糸と自分との行末……行末というよりも今夜会って後のちの明日あしたはどうなるのであろう。お糸は今夜兼かねてから話のしてある葭町よしちょうの芸者屋げいしゃやまで出掛けて相談をして来るという事で、その道中どうちゅうをば二人一緒に話しながら歩こうと約束したのである。お糸がいよいよ芸者になってしまえばこれまでのように毎日逢あう事ができなくなるのみならず、それが万事の終りであるらしく思われてならない。自分の知らない如何いかにも遠い国へと再び帰る事なく去いってしまうような気がしてならないのだ。今夜のお月様は忘れられない。一生に二度見られない月だなアと長吉はしみじみ思った。あらゆる記憶の数々が電光のように閃ひらめく。最初地方町じかたまちの小学校へ行く頃は毎日のように喧嘩けんかして遊んだ。やがては皆みんなから近所の板塀いたべいや土蔵の壁に相々傘あいあいがさをかかれて囃はやされた。小梅の伯父さんにつれられて奥山の見世物みせものを見に行ったり池の鯉こいに麩ふをやったりした。

三社祭さんじゃまつりの折お糸は或年踊屋台おどりやたいへ出て道成寺どうじょうじを踊った。町内一同で毎年まいとし汐干狩しおひがりに行く船の上でもお糸はよく踊った。学校の帰り道には毎日のように待乳山まつちやまの境内けいだいで待合せて、人の知らない山谷さんやの裏町から吉原田圃よしわらたんぼを歩いた……。ああ、お糸は何故なぜ芸者なんぞになるんだろう。芸者なんぞになっちゃいけないと引止めたい。長吉は無理にも引止めねばならぬと決心したが、すぐその傍そばから、自分はお糸に対しては到底それだけの威力のない事を思返おもいかえした。果敢はかない絶望と諦あきらめとを感じた。お糸は二ツ年下の十六であるが、この頃になっては長吉は殊更ことさらに日一日とお糸が遥はるか年上の姉であるような心持がしてならぬのであった。いや最初からお糸は長吉よりも強かった。長吉よりも遥はるかに臆病おくびょうではなかった。お糸長吉と相々傘にかかれて皆なから囃された時でもお糸はびくともしなかった。平気な顔で長ちょうちゃんはあたいの旦那だんなだよと怒鳴どなった。去年初めて学校からの帰り道を待乳山で待ち合わそうと申出もうしだしたのもお糸であった。宮戸座みやとざの立見たちみへ行こうといったのもお糸が先であった。帰りの晩おそくなる事をもお糸の方がかえって心配しなかった。知らない道に迷っても、お糸は行ける処まで行って御覧よ。巡査おまわりさんにきけば分るよといって、かえって面白そうにずんずん歩いた……。

あたりを構わず橋板の上に吾妻下駄あずまげたを鳴ならす響ひびきがして、小走りに突然お糸がかけ寄った。

「おそかったでしょう。気に入らないんだもの、母おっかさんの結ゆった髪なんぞ。」と馳かけ出したために殊更ことさらほつれた鬢びんを直しながら、「おかしいでしょう。」

長吉はただ眼を円くしてお糸の顔を見るばかりである。いつもと変りのない元気のいいはしゃぎ切った様子がこの場合むしろ憎らしく思われた。遠い下町したまちに行って芸者になってしまうのが少しも悲しくないのかと長吉はいいたい事も胸一ぱいになって口には出ない。お糸は河水かわみずを照てらす玉のような月の光にも一向いっこう気のつかない様子で、

「早く行こうよ。私わたいお金持ちだよ。今夜は。仲店なかみせでお土産を買って行くんだから。」とすたすた歩きだす。

「明日あした、きっと帰るか。」長吉は吃どもるようにしていい切った。

「明日帰らなければ、明後日あさっての朝はきっと帰って来てよ。不断着だの、いろんなもの持って行かなくっちゃならないから。」

待乳山の麓ふもとを聖天町しょうでんちょうの方へ出ようと細い路地ろじをぬけた。

「何故なぜ黙ってるのよ。どうしたの。」

「明後日あさって帰って来てそれからまたあっちへ去いってしまうんだろう。え。お糸ちゃんはもうそれなり向うの人になっちまうんだろう。もう僕とは会えないんだろう。」

「ちょいちょい遊びに帰って来るわ。だけれど、私わたいも一生懸命にお稽古けいこしなくっちゃならないんだもの。」

少しは声を曇くもらしたもののその調子は長吉の満足するほどの悲愁を帯びてはいなかった。長吉は暫しばらくしてからまた突然に、

「なぜ芸者なんぞになるんだ。」

「またそんな事きくの。おかしいよ。長さんは。」

お糸は已すでに長吉のよく知っている事情をば再びくどくどしく繰返くりかえした。お糸が芸者になるという事は二、三年いやもっと前から長吉にも能よく分っていた事である。その起因おこりは大工であったお糸の父親がまだ生きていた頃ころから母親おふくろは手内職てないしょくにと針仕事をしていたが、その得意先とくいさきの一軒で橋場はしばの妾宅しょうたくにいる御新造ごしんぞがお糸の姿を見て是非娘分むすめぶんにして行末ゆくすえは立派な芸者にしたてたいといい出した事からである。御新造の実家は葭町よしちょうで幅のきく芸者家げいしゃやであった。しかしその頃のお糸の家うちはさほどに困ってもいなかったし、第一に可愛い盛さかりの子供を手放すのが辛つらかったので、親の手元でせいぜい芸を仕込ます事になった。その後ご父親が死んだ折には差当さしあたり頼りのない母親は橋場の御新造の世話で今の煎餅屋せんべいやを出したような関係もあり、万事が金銭上の義理ばかりでなくて相方そうほうの好意から自然とお糸は葭町へ行くように誰たれが強しいるともなく決きまっていたのである。百も承知しているこんな事情を長吉はお糸の口からきくために質問したのでない。お糸がどうせ行かねばならぬものなら、もう少し悲しく自分のために別わかれを惜しむような調子を見せてもらいたいと思ったからだ。長吉は自分とお糸の間にはいつの間まにか互たがいに疎通しない感情の相違の生じている事を明あきらかに知って、更に深い悲かなしみを感じた。

この悲みはお糸が土産物を買うため仁王門におうもんを過ぎて仲店なかみせへ出た時更にまた堪えがたいものとなった。夕涼ゆうすずみに出掛ける賑にぎやかな人出の中にお糸はふいと立止って、並んで歩く長吉の袖そでを引き、「長さん、あたいも直じきあんな扮装なりするんだねえ。絽縮緬ろちりめんだねきっと、あの羽織……。」

長吉はいわれるままに見返ると、島田に結ゆった芸者と、それに連立つれだって行くのは黒絽くろろの紋付をきた立派な紳士であった。ああお糸が芸者になったら一緒に手を引いて歩く人はやっぱりああいう立派な紳士であろう。自分は何年たったらあんな紳士になれるのか知ら。兵児帯へこおび一ツの現在いまの書生姿がいうにいわれず情なく思われると同時に、長吉はその将来どころか現在においても、已すでに単純なお糸の友達たる資格さえないもののような心持がした。

いよいよ御神燈ごしんとうのつづいた葭町の路地口ろじぐちへ来た時、長吉はもうこれ以上果敢はかないとか悲しいとか思う元気さえなくなって、唯ただぼんやり、狭く暗い路地裏のいやに奥深く行先知れず曲込まがりこんでいるのを不思議そうに覗込のぞきこむばかりであった。

「あの、一ひイ二ふウ三みイ……四つ目の瓦斯燈ガスとうの出てるところだよ。松葉屋まつばやと書いてあるだろう。ね。あの家うちよ。」とお糸はしばしば橋場の御新造につれて来られたり、またはその用事で使いに来たりして能よく知っている軒先のきさきの燈あかりを指し示した。

「じゃア僕は帰るよ。もう……。」というばかりで長吉はやはり立止っている。その袖をお糸は軽く捕つかまえて忽たちまち媚こびるように寄添い、

「明日あしたか明後日あさって、家うちへ帰って来た時きっと逢あおうね。いいかい。きっとよ。約束してよ。あたいの家うちへお出いでよ。よくッて。」

「ああ。」

返事をきくと、お糸はそれですっかり安心したものの如くすたすた路地の溝板どぶいたを吾妻下駄あずまげたに踏みならし振返りもせずに行ってしまった。その足音が長吉の耳には急いで馳かけて行くように聞えた、かと思う間まもなく、ちりんちりんと格子戸の鈴の音がした。長吉は覚えず後あとを追って路地内ろじうちへ這入はいろうとしたが、同時に一番近くの格子戸が人声と共に開あいて、細長い弓張提灯ゆみはりぢょうちんを持った男が出て来たので、何なんという事なく長吉は気後きおくれのしたばかりか、顔を見られるのが厭いやさに、一散いっさんに通りの方へと遠とおざかった。円い月は形が大分だいぶ小ちいさくなって光が蒼あおく澄んで、静しずかに聳そびえる裏通りの倉の屋根の上、星の多い空の真中まんなかに高く昇っていた。

三

月の出が夜よごとおそくなるにつれてその光は段々冴さえて来た。河風かわかぜの湿しめッぽさが次第に強く感じられて来て浴衣ゆかたの肌がいやに薄寒くなった。月はやがて人の起きている頃ころにはもう昇らなくなった。空には朝も昼過ぎも夕方も、いつでも雲が多くなった。雲は重かさなり合って絶えず動いているので、時としては僅わずかにその間々あいだあいだに殊更ことさららしく色の濃い青空の残りを見せて置きながら、空一面に蔽おおい冠かぶさる。すると気候は恐しく蒸暑むしあつくなって来て、自然と浸しみ出る脂汗あぶらあせが不愉快に人の肌をねばねばさせるが、しかしまた、そういう時にはきまって、その強弱とその方向の定まらない風が突然に吹き起って、雨もまた降っては止やみ、止んではまた降りつづく事がある。この風やこの雨には一種特別の底深い力が含まれていて、寺の樹木や、河岸かわぎしの葦あしの葉や、場末につづく貧しい家の板屋根に、春や夏には決して聞かれない音響を伝える。日が恐しく早く暮れてしまうだけ、長い夜よはすぐに寂々しんしんと更ふけ渡って来て、夏ならば夕涼みの下駄の音に遮さえぎられてよくは聞えない八時か九時の時の鐘があたりをまるで十二時の如く静しずかにしてしまう。蟋蟀こおろぎの声はいそがしい。燈火ともしびの色はいやに澄む。秋。ああ秋だ。長吉は初めて秋というものはなるほどいやなものだ。実に淋さびしくって堪たまらないものだと身にしみじみ感じた。

学校はもう昨日きのうから始っている。朝早く母親の用意してくれる弁当箱を書物と一所いっしょに包んで家うちを出て見たが、二日目三日目にはつくづく遠い神田かんだまで歩いて行く気力がなくなった。今までは毎年まいねん長い夏休みの終る頃といえば学校の教場が何なんとなく恋しく授業の開始する日が心待こころまちに待たれるようであった。そのういういしい心持はもう全く消えてしまった。つまらない。学問なんぞしたってつまるものか。学校は己おのれの望むような幸福を与える処ではない。……幸福とは無関係のものである事を長吉は物新しく感じた。

四日目の朝いつものように七時前に家うちを出て観音かんのんの境内けいだいまで歩いて来たが、長吉はまるで疲れきった旅人たびびとが路傍みちばたの石に腰をかけるように、本堂の横手のベンチの上に腰を下おろした。いつの間に掃除をしたものか朝露に湿った小砂利こじゃりの上には、投捨てた汚い紙片かみきれもなく、朝早い境内はいつもの雑沓ざっとうに引かえて妙に広く神々こうごうしく寂しんとしている。本堂の廊下には此処ここで夜明よあかししたらしい迂散うさんな男が今だに幾人も腰をかけていて、その中には垢あかじみた単衣ひとえの三尺帯さんじゃくおびを解いて平気で褌ふんどしをしめ直している奴やつもあった。この頃の空癖そらくせで空は低く鼠色ねずみいろに曇り、あたりの樹木からは虫噛むしばんだ青いままの木葉このはが絶え間なく落ちる。烏からすや鶏にわとりの啼声なきごえ鳩はとの羽音はおとが爽さわやかに力強く聞える。溢あふれる水に濡ぬれた御手洗みたらしの石が飜ひるがえる奉納の手拭てぬぐいのかげにもう何となく冷つめたいように思われた。それにもかかわらず朝参りの男女は本堂の階段を上のぼる前にいずれも手を洗うためにと立止まる。その人々の中に長吉は偶然にも若い一人の芸者が、口には桃色のハンケチを啣くわえて、一重羽織ひとえばおりの袖口そでぐちを濡ぬらすまいためか、真白まっしろな手先をば腕までも見せるように長くさし伸のばしているのを認めた。同時にすぐ隣のベンチに腰をかけている書生が二人、「見ろ見ろ、ジンゲルだ。わるくないなア。」といっているのさえ耳にした。

島田に結ゆって弱々しく両肩の撫なで下さがった小作りの姿と、口尻くちじりのしまった円顔まるがお、十六、七の同じような年頃とが、長吉をしてその瞬間危あやうくベンチから飛び立たせようとしたほどお糸のことを連想せしめた。お糸は月のいいあの晩に約束した通り、その翌々日に、それからは長く葭町よしちょうの人たるべく手荷物を取りに帰って来たが、その時長吉はまるで別の人のようにお糸の姿の変ってしまったのに驚いた。赤いメレンスの帯ばかり締しめていた娘姿が、突然たった一日の間あいだに、丁度今御手洗みたらしで手を洗っている若い芸者そのままの姿になってしまったのだ。薬指にはもう指環ゆびわさえ穿はめていた。用もないのに幾度いくたびとなく帯の間から鏡入れや紙入かみいれを抜き出して、白粉おしろいをつけ直したり鬢びんのほつれを撫なで上げたりする。戸外そとには車を待たして置いていかにも急いそがしい大切な用件を身に帯びているといった風ふうで一時間もたつかたたない中うちに帰ってしまった。その帰りがけ長吉に残した最後の言葉はその母親の「御師匠おししょうさんのおばさん」にもよろしくいってくれという事であった。まだ何時いつ出るのか分らないからまた近い中に遊びに来るわという懐なつかしい声も聞きかれないのではなかったが、それはもう今までのあどけない約束ではなくて、世馴よなれた人の如才じょさいない挨拶あいさつとしか長吉には聞取れなかった。娘であったお糸、幼馴染おさななじみの恋人のお糸はこの世にはもう生きていないのだ。路傍みちばたに寝ている犬を驚おどろかして勢よく駈かけ去った車の後あとに、えもいわれず立迷った化粧の匂においが、いかに苦しく、いかに切せつなく身中みうちにしみ渡ったであろう……。

本堂の中にと消えた若い芸者の姿は再び階段の下に現れて仁王門におうもんの方へと、素足すあしの指先に突掛つっかけた吾妻下駄あずまげたを内輪うちわに軽く踏みながら歩いて行く。長吉はその後姿うしろすがたを見送るとまた更に恨めしいあの車を見送った時の一刹那いっせつなを思起すので、もう何なんとしても我慢が出来ぬというようにベンチから立上った。そして知らず知らずその後を追うて仲店なかみせの尽つきるあたりまで来たが、若い芸者の姿は何処どこの横町よこちょうへ曲ってしまったものか、もう見えない。両側の店では店先を掃除して品物を並べたてている最中さいちゅうである。長吉は夢中で雷門かみなりもんの方へどんどん歩いた。若い芸者の行衛ゆくえを見究みきわめようというのではない。自分の眼にばかりありあり見えるお糸の後姿を追って行くのである。学校の事も何も彼かも忘れて、駒形こまかたから蔵前くらまえ、蔵前から浅草橋あさくさばし……それから葭町よしちょうの方へとどんどん歩いた。しかし電車の通とおっている馬喰町ばくろちょうの大通りまで来て、長吉はどの横町を曲ればよかったのか少しく当惑した。けれども大体の方角はよく分っている。東京に生れたものだけに道をきくのが厭いやである。恋人の住む町と思えば、その名を徒いたずらに路傍の他人に漏もらすのが、心の秘密を探られるようで、唯わけもなく恐しくてならない。長吉は仕方なしに唯ただ左へ左へと、いいかげんに折れて行くと蔵造くらづくりの問屋らしい商家のつづいた同じような堀割の岸に二度も出た。その結果長吉は遥か向うに明治座めいじざの屋根を見てやがてやや広い往来へ出た時、その遠い道のはずれに河蒸汽船かわじょうきせんの汽笛の音の聞えるのに、初めて自分の位置と町の方角とを覚さとった。同時に非常な疲労つかれを感じた。制帽を冠かぶった額ひたいのみならず汗は袴はかまをはいた帯のまわりまでしみ出していた。しかしもう一瞬間とても休む気にはならない。長吉は月の夜よに連れられて来た路地口ろじぐちをば、これはまた一層の苦心、一層の懸念けねん、一層の疲労を以って、やっとの事で見出みいだし得たのである。

片側かたかわに朝日がさし込んでいるので路地の内うちは突当りまで見透みとおされた。格子戸こうしどづくりの小ちいさい家うちばかりでない。昼間見ると意外に屋根の高い倉もある。忍返しのびがえしをつけた板塀いたべいもある。その上から松の枝も見える。石灰いしばいの散った便所の掃除口も見える。塵芥箱ごみばこの並んだ処もある。その辺へんに猫がうろうろしている。人通りは案外に烈はげしい。極めて狭い溝板どぶいたの上を通行の人は互たがいに身を斜めに捻向ねじむけて行き交ちがう。稽古けいこの三味線しゃみせんに人の話声が交まじって聞える。洗物あらいものする水音みずおとも聞える。赤い腰巻に裾すそをまくった小女こおんなが草箒くさぼうきで溝板の上を掃いている。格子戸の格子を一本々々一生懸命に磨いているのもある。長吉は人目の多いのに気後きおくれしたのみでなく、さて路地内に進入すすみいったにした処で、自分はどうするのかと初めて反省の地位に返った。人知れず松葉屋まつばやの前を通って、そっとお糸の姿を垣間見かいまみたいとは思ったが、あたりが余りに明過あかるすぎる。さらばこのまま路地口に立っていて、お糸が何かの用で外へ出るまでの機会を待とうか。しかしこれもまた、長吉には近所の店先の人目が尽ことごとく自分ばかりを見張っているように思われて、とても五分と長く立っている事はできない。長吉はとにかく思案しあんをしなおすつもりで、折から近所の子供を得意にする粟餅屋あわもちやの爺じじがカラカラカラと杵きねをならして来る向うの横町よこちょうの方ほうへと遠とおざかった。

長吉は浜町はまちょうの横町をば次第に道の行くままに大川端おおかわばたの方へと歩いて行った。いかほど機会を待っても昼中ひるなかはどうしても不便である事を僅わずかに悟り得たのであるが、すると、今度はもう学校へは遅くなった。休むにしても今日の半日、これから午後の三時までをどうして何処どこに消費しようかという問題の解決に迫せめられた。母親のお豊とよは学校の時間割までをよく知抜しりぬいているので、長吉の帰りが一時間早くても、晩おそくても、すぐに心配して煩うるさく質問する。無論長吉は何とでも容易たやすくいい紛まぎらすことは出来ると思うものの、それだけの嘘うそをつく良心の苦痛に逢あうのが厭いやでならない。丁度来かかる川端には、水練場すいれんばの板小屋が取払われて、柳の木蔭こかげに人が釣つりをしている。それをば通りがかりの人が四人も五人もぼんやり立って見ているので、長吉はいい都合だと同じように釣を眺める振ふりでそのそばに立寄ったが、もう立っているだけの力さえなく、柳の根元の支木ささえぎに背をよせかけながら蹲踞しゃがんでしまった。

さっきから空の大半は真青まっさおに晴れて来て、絶えず風の吹き通かようにもかかわらず、じりじり人の肌に焼附やきつくような湿気しっけのある秋の日は、目の前なる大川おおかわの水一面に眩まぶしく照り輝くので、往来の片側に長くつづいた土塀どべいからこんもりと枝を伸のばした繁しげりの蔭かげがいかにも涼しそうに思われた。甘酒屋あまざけやの爺じじがいつかこの木蔭こかげに赤く塗った荷を下おろしていた。川向かわむこうは日の光の強いために立続く人家の瓦屋根かわらやねをはじめ一帯の眺望がいかにも汚らしく見え、風に追いやられた雲の列が盛さかんに煤煙ばいえんを吐はく製造場せいぞうばの烟筒けむだしよりも遥はるかに低く、動かずに層をなして浮うかんでいる。釣道具を売る後うしろの小家こいえから十一時の時計が鳴った。長吉は数えながらそれを聞いて、初めて自分はいかに長い時間を歩き暮したかに驚いたが、同時にこの分ぶんで行けば三時までの時間を空費するのもさして難かたくはないとやや安心することも出来た。長吉は釣師つりしの一人が握飯にぎりめしを食いはじめたのを見て、同じように弁当箱を開いた。開いたけれども何だか気まりが悪くて、誰か見ていやしないかときょろきょろ四辺あたりを見廻した。幸い午近ひるぢかくのことで見渡す川岸に人の往来は杜絶とだえている。長吉は出来るだけ早く飯めしでも菜さいでも皆みんな鵜呑うのみにしてしまった。釣師はいずれも木像のように黙っているし、甘酒屋の爺は居眠りしている。午過ひるすぎの川端はますます静しずかになって犬さえ歩いて来ない処から、さすがの長吉も自分は何故なぜこんなに気まりを悪がるのであろう臆病おくびょうなのであろうと我ながら可笑おかしい気にもなった。

両国橋りょうごくばしと新大橋しんおおはしとの間を一廻ひとまわりした後のち、長吉はいよいよ浅草あさくさの方へ帰ろうと決心するにつけ、「もしや」という一念にひかされて再び葭町の路地口に立寄って見た。すると午前ひるまえほどには人通りがないのに先まず安心して、おそるおそる松葉屋の前を通って見たが、家うちの中は外から見ると非常に暗く、人の声三味線の音さえ聞えなかった。けれども長吉には誰にも咎とがめられずに恋人の住む家うちの前を通ったというそれだけの事が、殆ほとんど破天荒はてんこうの冒険を敢あえてしたような満足を感じさせたので、これまで歩きぬいた身の疲労と苦痛とを長吉は遂ついに後悔しなかった。

四

その週間の残りの日数ひかずだけはどうやらこうやら、長吉は学校へ通ったが、日曜日一日を過すごすとその翌朝あくるあさは電車に乗って上野うえのまで来ながらふいと下おりてしまった。教師に差出すべき代数の宿題を一つもやって置かなかった。英語と漢文の下読したよみをもして置かなかった。それのみならず今日はまた、凡およそ世の中で何よりも嫌いな何よりも恐しい機械体操のある事を思い出したからである。長吉には鉄棒から逆さかさにぶらさがったり、人の丈たけより高い棚の上から飛下りるような事は、いかに軍曹上ぐんそうあがりの教師から強しいられても全級の生徒から一斉いっせいに笑われても到底出来得うべきことではない。何によらず体育の遊戯にかけては、長吉はどうしても他の生徒一同に伴ともなって行く事が出来ないので、自然と軽侮けいぶの声の中に孤立する。その結果は、遂に一同から意地悪くいじめられる事になりやすい。学校は単にこれだけでも随分厭いやな処、苦しいところ、辛つらい処であった。されば長吉はその母親がいかほど望んだ処で今になっては高等学校へ這入はいろうという気は全くない。もし入学すれば校則として当初はじめの一年間は是非とも狂暴無残な寄宿舎生活をしなければならない事を聴知ききしっていたからである。高等学校寄宿舎内に起るいろいろな逸話いつわは早くから長吉の胆きもを冷ひやしているのであった。いつも画学と習字にかけては全級誰も及ぶもののない長吉の性情は、鉄拳てっけんだとか柔術だとか日本魂やまとだましいだとかいうものよりも全く異ちがった他の方面に傾いていた。子供の時から朝夕に母が渡世とせいの三味線しゃみせんを聴くのが大好きで、習わずして自然に絃いとの調子を覚え、町を通る流行唄はやりうたなぞは一度聴けば直すぐに記憶する位であった。小梅こうめの伯父なる蘿月宗匠らげつそうしょうは早くも名人になるべき素質があると見抜いて、長吉をば檜物町ひものちょうでも植木店うえきだなでも何処どこでもいいから一流の家元へ弟子入をさせたらばとお豊に勧めたがお豊は断じて承諾しなかった。のみならず以来は長吉に三味線を弄いじる事をば口喧くちやかましく禁止した。

長吉は蘿月の伯父さんのいったように、あの時分から三味線を稽古けいこしたなら、今頃はとにかく一人前いちにんまえの芸人になっていたに違いない。さすればよしやお糸が芸者になったにした処で、こんなに悲惨みじめな目に遇あわずとも済んだであろう。ああ実に取返しのつかない事をした。一生の方針を誤ったと感じた。母親が急に憎くなる。例えられぬほど怨うらめしく思われるに反して、蘿月の伯父さんの事が何なんとなく取縋とりすがって見たいように懐なつかしく思返された。これまでは何の気もなく母親からもまた伯父自身の口からも度々たびたび聞かされていた伯父が放蕩三昧ほうとうざんまいの経歴が恋の苦痛を知り初そめた長吉の心には凡すべて新しい何かの意味を以て解釈されはじめた。長吉は第一に「小梅の伯母さん」というのは元もと金瓶大黒きんべいだいこくの華魁おいらんで明治の初め吉原よしわら解放の時小梅の伯父さんを頼って来たのだとやらいう話を思出した。伯母さんは子供の頃ころ自分をば非常に可愛がってくれた。それにもかかわらず、自分の母親のお豊はあまり好よくは思っていない様子で、盆暮ぼんくれの挨拶あいさつもほんの義理一遍いっぺんらしい事を構わず素振そぶりに現あらわしていた事さえあった。長吉は此処ここで再び母親の事を不愉快にかつ憎らしく思った。殆ほとんど夜よの目も離さぬほど自分の行いを目戍みまもっているらしい母親の慈愛が窮屈で堪たまらないだけ、もしこれが小梅の伯母さん見たような人であったら――小梅のおばさんはお糸と自分の二人を見て何ともいえない情なさけのある声で、いつまでも仲よくお遊びよといってくれた事がある――自分の苦痛の何物たるかを能よく察して同情してくれるであろう。自分の心がすこしも要求していない幸福を頭から無理に強しいはせまい。長吉は偶然にも母親のような正しい身の上の女と小梅のおばさんのような或種あるしゅの経歴ある女との心理を比較した。学校の教師のような人と蘿月伯父さんのような人とを比較した。

午頃ひるごろまで長吉は東照宮とうしょうぐうの裏手の森の中で、捨石すていしの上に横よこたわりながら、こんな事を考えつづけた後あとは、包つつみの中にかくした小説本を取出して読み耽ふけった。そして明日あした出すべき欠席届にはいかにしてまた母の認印みとめいんを盗むべきかを考えた。

五

一ひとしきり毎日毎夜のように降りつづいた雨の後あと、今度は雲一ツ見えないような晴天が幾日と限りもなくつづいた。しかしどうかして空が曇ると忽たちまちに風が出て乾ききった道の砂を吹散ふきちらす。この風と共に寒さは日にまし強くなって閉切しめきった家の戸や障子しょうじが絶間たえまなくがたりがたりと悲しげに動き出した。長吉は毎朝七時に始はじまる学校へ行くため晩おそくも六時には起きねばならぬが、すると毎朝の六時が起おきるたびに、だんだん暗くなって、遂には夜と同じく家の中には燈火ともしびの光を見ねばならぬようになった。毎年まいとし冬のはじめに、長吉はこの鈍にぶい黄きいろい夜明よあけのランプの火を見ると、何ともいえぬ悲しい厭いやな気がするのである。母親はわが子を励ますつもりで寒そうな寝衣姿ねまきすがたのままながら、いつも長吉よりは早く起きて暖い朝飯あさめしをばちゃんと用意して置く。長吉はその親切をすまないと感じながら何分なにぶんにも眠くてならぬ。もう暫しばらく炬燵こたつにあたっていたいと思うのを、むやみと時計ばかり気にする母にせきたてられて不平だらだら、河風かわかぜの寒い往来おうらいへ出るのである。或時はあまりに世話を焼かれ過すぎるのに腹を立てて、注意される襟巻えりまきをわざと解ときすてて風邪かぜを引いてやった事もあった。もう返らない幾年か前蘿月らげつの伯父につれられお糸も一所いっしょに酉とりの市いちへ行った事があった……毎年まいとしその日の事を思い出す頃から間まもなく、今年も去年と同じような寒い十二月がやって来るのである。

長吉は同じようなその冬の今年と去年、去年とその前年、それからそれと幾年も溯さかのぼって何心なく考えて見ると、人は成長するに従っていかに幸福を失って行くものかを明あきらかに経験した。まだ学校へも行かぬ子供の時には朝寒ければゆっくりと寝たいだけ寝ていられたばかりでなく、身体からだの方もまたそれほどに寒さを感ずることが烈はげしくなかった。寒い風や雨の日にはかえって面白く飛び歩いたものである。ああそれが今の身になっては、朝早く今戸いまどの橋の白い霜を踏むのがいかにも辛つらくまた昼過ぎにはいつも木枯こがらしの騒ぐ待乳山まつちやまの老樹に、早くも傾く夕日の色がいかにも悲しく見えてならない。これから先の一年一年は自分の身にいかなる新しい苦痛を授けるのであろう。長吉は今年の十二月ほど日数ひかずの早くたつのを悲しく思った事はない。観音かんのんの境内けいだいにはもう年としの市いちが立った。母親のもとへとお歳暮のしるしにお弟子が持って来る砂糖袋や鰹節かつぶしなぞがそろそろ床とこの間まへ並び出した。学校の学期試験は昨日きのうすんで、一方ひとかたならぬその不成績に対する教師の注意書ちゅういがきが郵便で母親の手許に送り届けられた。

初めから覚悟していた事なので長吉は黙って首をたれて、何かにつけてすぐに「親一人子一人」と哀あわれッぽい事をいい出す母親の意見を聞いていた。午前ひるまえ稽古けいこに来る小娘たちが帰って後のち午過ひるすぎには三時過ぎてからでなくては、学校帰りの娘たちはやって来ぬ。今が丁度母親が一番手すきの時間である。風がなくて冬の日が往来の窓一面にさしている。折から突然まだ格子戸こうしどをあけぬ先から、「御免ごめんなさい。」という華美はでな女の声、母親が驚いて立つ間まもなく上框あがりがまちの障子の外から、「おばさん、わたしよ。御無沙汰ごぶさたしちまって、お詫わびに来たんだわ。」

長吉は顫ふるえた。お糸である。お糸は立派なセルの吾妻あずまコオトの紐ひもを解とき解き上って来た。

「あら、長ちょうちゃんもいたの。学校がお休み……あら、そう。」それから付けたように、ほほほほと笑って、さて丁寧に手をついて御辞儀をしながら、「おばさん、お変りもありませんの。ほんとに、つい家うちが出にくいものですから、あれッきり御無沙汰しちまって……。」

お糸は縮緬ちりめんの風呂敷ふろしきにつつんだ菓子折を出した。長吉は呆気あっけに取られたさまで物もいわずにお糸の姿を目戍みまもっている。母親もちょっと烟けむに巻かれた形で進物しんもつの礼を述べた後、「きれいにおなりだね。すっかり見違えちまったよ。」といった。

「いやにふけちまったでしょう。皆みんなそういってよ。」とお糸は美しく微笑ほほえんで紫むらさき縮緬の羽織の紐の解けかかったのを結び直すついでに帯の間から緋天鵞絨ひびろうどの煙草入たばこいれを出して、「おばさん。わたし、もう煙草喫のむようになったのよ。生意気でしょう。」

今度は高く笑った。

「こっちへおよんなさい。寒いから。」と母親のお豊は長火鉢の鉄瓶てつびんを下おろして茶を入れながら、「いつお弘ひろめしたんだえ。」

「まだよ。ずっと押詰おしづまってからですって。」

「そう。お糸ちゃんなら、きっと売れるわね。何しろ綺麗きれいだし、ちゃんともう地じは出来ているんだし……。」

「おかげさまでねえ。」とお糸は言葉を切って、「あっちの姉さんも大変に喜んでたわ。私なんかよりもっと大きなくせに、それァ随分出来ない娘こがいるんですもの。」

「この節せつの事こったから……。」お豊はふと気がついたように茶棚から菓子鉢を出して、「あいにく何なんにもなくって……道了どうりょうさまのお名物だって、ちょっとおつなものだよ。」と箸はしでわざわざ摘つまんでやった。

「お師匠っしょさん、こんちは。」と甲高かんだかな一本調子で、二人ふたりづれの小娘が騒々しく稽古けいこにやって来た。

「おばさん、どうぞお構いなく……。」

「なにいいんですよ。」といったけれどお豊はやがて次の間まへ立った。

長吉は妙に気きまりが悪くなって自然に俯向うつむいたが、お糸の方は一向変った様子もなく小声で、

「あの手紙届いて。」

隣の座敷では二人の小娘が声を揃そろえて、嵯峨さがやお室むろの花ざかり。長吉は首ばかり頷付うなずかせてもじもじしている。お糸が手紙を寄越よこしたのは一いちの酉とりの前まえ時分じぶんであった。つい家うちが出にくいというだけの事である。長吉は直様すぐさま別れた後のちの生涯をこまごまと書いて送ったが、しかし待ち設けたような、折返したお糸の返事は遂に聞く事が出来なかったのである。

「観音さまの市いちだわね。今夜一所に行かなくって。あたい今夜泊ってッてもいいんだから。」

長吉は隣座敷の母親を気兼きがねして何とも答える事ができない。お糸は構わず、

「御飯たべたら迎いに来てよ。」といったがその後あとで、「おばさんも一所にいらッしゃるでしょうね。」

「ああ。」と長吉は力の抜けた声になった。

「あの……。」お糸は急に思出して、「小梅の伯父さん、どうなすって、お酒に酔えって羽子板屋はごいたやのお爺じいさんと喧嘩けんかしたわね。何時いつだったか。私わたし怖くなッちまッたわ。今夜いらッしゃればいいのに。」

お糸は稽古の隙すきを窺うかがってお豊に挨拶あいさつして、「じゃ、晩ほど。どうもお邪魔いたしました。」といいながらすたすた帰った。

六

長吉は風邪かぜをひいた。七草ななくさ過ぎて学校が始はじまった処から一日無理をして通学したために、流行のインフルエンザに変って正月一ぱい寝通してしまった。

八幡さまの境内に今日は朝から初午はつうまの太鼓が聞える。暖い穏おだやかな午後ひるすぎの日光が一面にさし込む表の窓の障子には、折々おりおり軒のきを掠かすめる小鳥の影が閃ひらめき、茶の間の隅の薄暗い仏壇の奥までが明あかるく見え、床とこの間まの梅がもう散りはじめた。春は閉切しめきった家うちの中までも陽気におとずれて来たのである。

長吉は二、三日前から起きていたので、この暖い日をぶらぶら散歩に出掛けた。すっかり全快した今になって見れば、二十日はつか以上も苦しんだ大病を長吉はもっけの幸いであったと喜んでいる。とても来月の学年試験には及第する見込みがないと思っていた処なので、病気欠席の後あとといえば、落第しても母に対して尤もっとも至極しごくな申訳もうしわけができると思うからであった。

歩いて行く中うちいつか浅草あさくさ公園の裏手へ出た。細い通りの片側には深い溝どぶがあって、それを越した鉄柵てつさくの向うには、処々ところどころの冬枯れして立つ大木たいぼくの下に、五区ごくの揚弓店ようきゅうてんの汚きたならしい裏手がつづいて見える。屋根の低い片側町かたかわまちの人家は丁度後うしろから深い溝の方へと押詰められたような気がするので、大方そのためであろう、それほどに混雑もせぬ往来がいつも妙に忙いそがしく見え、うろうろ徘徊はいかいしている人相にんそうの悪い車夫しゃふがちょっと風采みなりの小綺麗こぎれいな通行人の後あとに煩うるさく付き纏まとって乗車を勧すすめている。長吉はいつも巡査が立番たちばんしている左手の石橋いしばしから淡島あわしまさまの方までがずっと見透みとおされる四辻よつつじまで歩いて来て、通りがかりの人々が立止って眺めるままに、自分も何という事なく、曲り角に出してある宮戸座みやとざの絵看板えかんばんを仰いだ。

いやに文字もんじの間あいだをくッ付けて模様のように太く書いてある名題なだいの木札きふだを中央まんなかにして、その左右には恐しく顔の小ちいさい、眼の大おおきい、指先の太い人物が、夜具をかついだような大おおきい着物を着て、さまざまな誇張的の姿勢で活躍しているさまが描えがかれてある。この大きい絵看板を蔽おおう屋根形の軒には、花車だしにつけるような造り花が美しく飾りつけてあった。

長吉はいかほど暖い日和ひよりでも歩いているとさすがにまだ立春になったばかりの事とて暫しばらくの間寒い風をよける処をと思い出した矢先やさき、芝居の絵看板を見て、そのまま狭い立見たちみの戸口へと進み寄った。内うちへ這入はいると足場の悪い梯子段はしごだんが立っていて、その中なかほどから曲るあたりはもう薄暗く、臭い生暖なまあたたかい人込ひとごみの温気うんきがなお更暗い上の方から吹き下りて来る。頻しきりに役者の名を呼ぶ掛声かけごえが聞える。それを聞くと長吉は都会育ちの観劇者ばかりが経験する特種とくしゅの快感と特種の熱情とを覚えた。梯子段の二、三段を一躍ひととびに駈上かけあがって人込みの中に割込むと、床板ゆかいたの斜ななめになった低い屋根裏の大向おおむこうは大きな船の底へでも下りたような心持。後うしろの隅々すみずみについている瓦斯ガスの裸火はだかびの光は一ぱいに詰つまっている見物人の頭に遮さえぎられて非常に暗く、狭苦しいので、猿のように人のつかまっている前側の鉄棒から、向うに見える劇場の内部は天井ばかりがいかにも広々と見え、舞台は色づき濁った空気のためにかえって小さく甚はなはだ遠く見えた。舞台はチョンと打った拍子木の音に今丁度廻って止とまった処である。極めて一直線な石垣を見せた台の下に汚れた水色の布が敷いてあって、後うしろを限る書割かきわりには小ちいさく大名屋敷だいみょうやしきの練塀ねりべいを描えがき、その上の空一面をば無理にも夜だと思わせるように隙間すきまもなく真黒まっくろに塗りたててある。長吉は観劇に対するこれまでの経験で「夜」と「川端かわばた」という事から、きっと殺ころし場ばに違いないと幼い好奇心から丈伸せのびをして首を伸のばすと、果はたせるかな、絶えざる低い大太鼓おおだいこの音に例の如く板をバタバタ叩たたく音が聞えて、左手の辻番小屋の蔭かげから仲間ちゅうげんと蓙ござを抱えた女とが大きな声で争いながら出て来る。見物人が笑った。舞台の人物は落したものを捜さがす体ていで何かを取り上げると、突然前とは全く違った態度になって、極めて明瞭に浄瑠璃外題じょうるりげだい「梅柳中宵月うめやなぎなかもよいづき」、勤めまする役人……と読みはじめる。それを待構えて彼方かなた此方こなたから見物人が声をかけた。再び軽い拍子木の音を合図に、黒衣くろごの男が右手の隅に立てた書割の一部を引取ると裃かみしもを着た浄瑠璃語じょうるりかたり三人、三味線弾しゃみせんひき二人が、窮屈そうに狭い台の上に並んでいて、直すぐに弾出ひきだす三味線からつづいて太夫たゆうが声を合あわしてかたり出した。長吉はこの種の音楽にはいつも興味を以て聞き馴なれているので、場内の何処どこかで泣き出す赤児あかごの声とそれを叱咤しったする見物人の声に妨げられながら、しかも明あきらかに語る文句と三味線の手までを聴きき分ける。

〽朧夜おぼろよに星の影さへ二ツ三ツ、四ツか五ツか鐘の音ねも、もしや我身わがみの追手おってかと……

またしても軽いバタバタが聞えて夢中になって声をかける見物人のみならず場中じょうちゅう一体が気色立けしきだつ。それも道理だ。赤い襦袢じゅばんの上に紫繻子むらさきじゅすの幅広い襟えりをつけた座敷着の遊女が、冠かぶる手拭てぬぐいに顔をかくして、前かがまりに花道はなみちから駈出かけだしたのである。「見えねえ、前が高いッ。」「帽子をとれッ。」「馬鹿野郎。」なぞと怒鳴どなるものがある。

〽落ちて行衛ゆくえも白魚しらうおの、舟のかがりに網よりも、人目いとうて後先あとさきに……

女に扮ふんした役者は花道の尽きるあたりまで出て後うしろを見返りながら台詞せりふを述べた。その後あとに唄うたがつづく。

〽しばし彳たたずむ上手うわてより梅見返うめみがえりの舟の唄。〽忍ぶなら忍ぶなら闇やみの夜は置かしやんせ、月に雲のさはりなく、辛気しんき待つ宵、十六夜いざよいの、内うちの首尾しゅびはエーよいとのよいとの。〽聞く辻占つじうらにいそいそと雲足早き雨空あまぞらも、思ひがけなく吹き晴れて見かはす月の顔と顔……

見物がまた騒ぐ。真黒に塗りたてた空の書割の中央まんなかを大きく穿抜くりぬいてある円まるい穴に灯ひがついて、雲形くもがたの蔽おおいをば糸で引上げるのが此方こなたからでも能よく見えた。余りに月が大きく明あかるいから、大名屋敷の塀の方が遠くて月の方がかえって非常に近く見える。しかし長吉は他の見物も同様少しも美しい幻想を破られなかった。それのみならず去年の夏の末、お糸を葭町よしちょうへ送るため、待合まちあわした今戸いまどの橋から眺めた彼あの大きな円まるい円い月を思起おもいおこすと、もう舞台は舞台でなくなった。

着流し散髪ざんぱつの男がいかにも思いやつれた風ふうで足許あしもと危あやうく歩み出る。女と摺すれちがいに顔を見合して、

「十六夜いざよいか。」

「清心せいしんさまか。」

女は男に縋すがって、「逢あひたかつたわいなア。」

見物人が「やア御両人ごりょうにん。」「よいしょ。やけます。」なぞと叫ぶ。笑う声。「静かにしろい。」と叱しかりつける熱情家もあった。

舞台は相あい愛する男女の入水じゅすいと共に廻って、女の方が白魚舟しらうおぶねの夜網よあみにかかって助けられる処になる。再び元の舞台に返って、男も同じく死ぬ事が出来なくて石垣の上に這はい上あがる。遠くの騒ぎ唄、富貴ふうきの羨望せんぼう、生存の快楽、境遇の絶望、機会と運命、誘惑、殺人。波瀾はらんの上にも脚色の波瀾を極めて、遂に演劇の一幕ひとまくが終る。耳元近くから恐しい黄きいろい声が、「変るよ――ウ」と叫び出した。見物人が出口の方へと崩なだれを打って下おりかける。

長吉は外へ出ると急いで歩いた。あたりはまだ明あかるいけれどもう日は当っていない。ごたごたした千束町せんぞくまちの小売店こうりみせの暖簾のれんや旗なぞが激しく飜ひるがえっている。通りがかりに時間を見るため腰をかがめて覗のぞいて見ると軒の低いそれらの家うちの奥は真暗まっくらであった。長吉は病後の夕風を恐れてますます歩みを早めたが、しかし山谷堀さんやぼりから今戸橋いまどばしの向むこうに開ける隅田川すみだがわの景色を見ると、どうしても暫しばらく立止らずにはいられなくなった。河の面おもては悲しく灰色に光っていて、冬の日の終りを急がす水蒸気は対岸の堤をおぼろに霞かすめている。荷船にぶねの帆の間をば鴎かもめが幾羽となく飛び交ちがう。長吉はどんどん流れて行く河水かわみずをば何がなしに悲しいものだと思った。川向かわむこうの堤の上には一ツ二ツ灯ひがつき出した。枯れた樹木、乾いた石垣、汚れた瓦かわら屋根、目に入いるものは尽ことごとく褪あせた寒い色をしているので、芝居を出てから一瞬間とても消失きえうせない清心せいしんと十六夜いざよいの華美はでやかな姿の記憶が、羽子板はごいたの押絵おしえのようにまた一段と際立きわだって浮び出す。長吉は劇中の人物をば憎いほどに羨うらやんだ。いくら羨んでも到底及びもつかないわが身の上を悲しんだ。死んだ方がましだと思うだけ、一緒に死んでくれる人のない身の上を更に痛切に悲しく思った。

今戸橋を渡りかけた時、掌てのひらでぴしゃりと横面よこつらを張撲はりなぐるような河風。思わず寒さに胴顫どうぶるいすると同時に長吉は咽喉のどの奥から、今までは記憶しているとも心付かずにいた浄瑠璃じょうるりの一節いっせつがわれ知らずに流れ出るのに驚いた。

〽今さらいふも愚痴ぐちなれど……

と清元きよもとの一派が他流の模もすべからざる曲調きょくちょうの美麗を托した一節いっせつである。長吉は無論太夫たゆうさんが首と身体からだを伸上のびあがらして唄ったほど上手に、かつまたそんな大きな声で唄ったのではない。咽喉から流れるままに口の中で低唱ていしょうしたのであるが、それによって長吉はやみがたい心の苦痛が幾分か柔やわらげられるような心持がした。今更いうも愚痴なれど……ほんに思えば……岸より覗のぞく青柳あおやぎの……と思出おもいだす節ふしの、ところどころを長吉は家うちの格子戸こうしどを開ける時まで繰返くりかえし繰返し歩いた。

七

翌日あくるひの午後ひるすぎにまたもや宮戸座みやとざの立見たちみに出掛けた。長吉は恋の二人が手を取って嘆く美しい舞台から、昨日きのう始めて経験したいうべからざる悲哀の美感に酔えいたいと思ったのである。そればかりでなく黒ずんだ天井と壁かべ襖ふすまに囲まれた二階の室へやがいやに陰気臭くて、燈火とうかの多い、人の大勢集っている芝居の賑にぎわいが、我慢の出来ぬほど恋しく思われてならなかったのである。長吉は失ったお糸の事以外に折々おりおりは唯ただ何という訳わけもなく淋さびしい悲しい気がする。自分にもどういう訳だか少しも分らない。唯だ淋しい、唯だ悲しいのである。この寂寞せきばくこの悲哀を慰めるために、長吉は定めがたい何物かを一刻一刻に激しく要求して止やまない。胸の底に潜ひそんだ漠然たる苦痛を、誰と限らず優しい声で答えてくれる美しい女に訴えて見たくてならない。単にお糸一人の姿のみならず、往来で摺すれちがった見知らぬ女の姿が、島田の娘になったり、銀杏返いちょうがえしの芸者げいしゃになったり、または丸髷まるまげの女房姿になったりして夢の中に浮ぶ事さえあった。

長吉は二度見る同じ芝居の舞台をば初めてのように興味深く眺めた。それと同時に、今度は賑にぎやかな左右の桟敷さじきに対する観察をも決して閑却しなかった。世の中にはあんなに大勢女がいる。あんなに大勢女のいる中で、どうして自分は一人も自分を慰めてくれる相手に邂逅めぐりあわないのであろう。誰れでもいい。自分に一言ひとことやさしい語ことばをかけてくれる女さえあれば、自分はこんなに切なくお糸の事ばかり思いつめてはいまい。お糸の事を思えば思うだけその苦痛をへらす他のものが欲しい。さすれば学校とそれに関連した身の前途に対する絶望のみに沈められていまい……。

立見の混雑の中にその時突然自分の肩を突くものがあるので驚いて振向くと、長吉は鳥打帽とりうちぼうを眉深まぶかに黒い眼鏡をかけて、後うしろの一段高い床ゆかから首を伸のばして見下みおろす若い男の顔を見た。

「吉きちさんじゃないか。」

そういったものの、長吉は吉さんの風采ふうさいの余りに変っているのに暫しばらくは二の句がつげなかった。吉さんというのは地方町じかたまちの小学校時代の友達で、理髪師とこやをしている山谷通さんやどおりの親爺おやじの店で、これまで長吉の髪をかってくれた若衆わかいしゅである。それが絹ハンケチを首に巻いて二重廻にじゅうまわしの下から大島紬おおしまつむぎの羽織を見せ、いやに香水を匂におわせながら、

「長ちょうさん、僕は役者だよ。」と顔をさし出して長吉の耳元に囁ささやいた。

立見の混雑の中でもあるし、長吉は驚いたまま黙っているより仕様がなかったが、舞台はやがて昨日きのうの通りに河端かわばたの暗闘だんまりになって、劇の主人公が盗んだ金を懐中ふところに花道へ駈出かけいでながら石礫いしつぶてを打つ、それを合図にチョンと拍子木が響く。幕が動く。立見の人中ひとなかから例の「変るよーウ」と叫ぶ声。人崩ひとなだれが狭い出口の方へと押合う間うちに幕がすっかり引かれて、シャギリの太鼓が何処どこか分らぬ舞台の奥から鳴り出す。吉さんは長吉の袖そでを引止めて、

「長さん、帰るのか。いいじゃないか。もう一幕見ておいでな。」

役者の仕着しきせを着た賤いやしい顔の男が、渋紙しぶかみを張った小笊こざるをもって、次の幕の料金を集めに来たので、長吉は時間を心配しながらもそのまま居残った。

「長さん、綺麗きれいだよ、掛けられるぜ。」吉さんは人のすいた後うしろの明り取りの窓へ腰をかけて長吉が並んで腰かけるのを待つようにして再び「僕ァ役者だよ。変ったろう。」といいながら友禅縮緬ゆうぜんちりめんの襦袢じゅばんの袖を引き出して、わざとらしく脱はずした黒い金縁眼鏡きんぶちめがねの曇りを拭きはじめた。

「変ったよ。僕ァ始め誰かと思った。」

「驚いたかい。ははははは。」吉さんは何ともいえぬほど嬉しそうに笑って、「頼むぜ。長さん。こう見えたって憚はばかりながら役者だ。伊井いい一座の新俳優だ。明後日あさってからまた新富町しんとみちょうよ。出揃でそろったら見に来給え。いいかい。楽屋口がくやぐちへ廻って、玉水たまみずを呼んでくれっていいたまえ。」

「玉水……?」

「うむ、玉水三郎……。」いいながら急せわしなく懐中ふところから女持おんなもちの紙入かみいれを探さぐり出して、小さな名刺を見せ、「ね、玉水三郎。昔の吉さんじゃないぜ。ちゃんともう番附ばんづけに出ているんだぜ。」

「面白いだろうね。役者になったら。」

「面白かったり、辛つらかったり……しかし女にゃア不自由しねえよ。」吉さんはちょっと長吉の顔を見て、「長さん、君は遊ぶのかい。」

長吉は「まだ」と答えるのがその瞬間男の恥であるような気がして黙った。

「江戸一の梶田楼かじたろうッていう家うちを知ってるかい。今夜一緒にお出でな。心配しないでもいいんだよ。のろけるんじゃないが、心配しないでもいいわけがあるんだから。お安くないだろう。ははははは。」と吉さんは他愛もなく笑った。長吉は突然に、

「芸者は高いんだろうね。」

「長さん、君は芸者が好きなのか、贅沢ぜいたくだ。」と新俳優の吉さんは意外らしく長吉の顔を見返したが、「知れたもんさ。しかし金で女を買うなんざア、ちッとお人ひとが好過よすざらア。僕ァ公園で二、三軒待合まちあいを知ってるよ。連れてッてやろう。万事ばんじ方寸ほうすんの中うちにありさ。」

先刻さっきから三人四人と絶えず上って来る見物人で大向おおむこうはかなり雑沓ざっとうして来た。前の幕から居残っている連中れんじゅうには待ちくたびれて手を鳴ならすものもある。舞台の奥から拍子木の音が長い間まを置きながら、それでも次第に近く聞えて来る。長吉は窮屈に腰をかけた明り取りの窓から立上る。すると吉さんは、

「まだ、なかなかだ。」と独言ひとりごとのようにいって、「長さん。あれァ廻りの拍子木といって道具立どうぐだての出来上ッたって事を、役者の部屋の方へ知らせる合図なんだ。開あくまでにゃアまだ、なかなかよ。」

悠然として巻煙草まきたばこを吸い初める。長吉は「そうか」と感服したらしく返事をしながら、しかし立上ったままに立見の鉄格子から舞台の方を眺めた。花道から平土間ひらどまの桝ますの間あいだをば吉さんの如く廻りの拍子木の何たるかを知らない見物人が、すぐにも幕があくのかと思って、出歩いていた外そとから各自の席に戻ろうと右方左方へと混雑している。横手の桟敷裏さじきうらから斜ななめに引幕ひきまくの一方にさし込む夕陽ゆうひの光が、その進み入る道筋だけ、空中に漂ただよう塵と煙草の煙をばありありと眼に見せる。長吉はこの夕陽の光をば何という事なく悲しく感じながら、折々おりおり吹込む外の風が大きな波を打うたせる引幕の上を眺めた。引幕には市川いちかわ○○丈じょうへ、浅草公園芸妓連中げいぎれんじゅうとして幾人いくたりとなく書連かきつらねた芸者の名が読まれた。暫しばらくして、

「吉さん、君、あの中で知ってる芸者があるかい。」

「たのむよ。公園は乃公おいらたちの縄張中なわばりうちだぜ。」吉さんは一種の屈辱を感じたのであろう、嘘うそか誠か、幕の上にかいてある芸者の一人々々の経歴、容貌、性質を限りもなく説明しはじめた。

拍子木がチョンチョンと二ツ鳴った。幕開まくあきの唄うたと三味線が聞え引かれた幕が次第に細こまかく早める拍子木の律りつにつれて片寄せられて行く。大向おおむこうから早くも役者の名をよぶ掛け声。たいくつした見物人の話声が一時いちじに止やんで、場内は夜の明けたような一種の明るさと一種の活気かっきを添えた。

八

お豊とよは今戸橋いまとばしまで歩いて来て時節じせつは今いま正まさに爛漫らんまんたる春の四月である事を始めて知った。手一ツの女世帯おんなじょたいに追われている身は空が青く晴れて日が窓に射込さしこみ、斜向すじむこうの「宮戸川みやとがわ」という鰻屋うなぎやの門口かどぐちの柳が緑色の芽をふくのにやっと時候の変遷を知るばかり。いつも両側の汚れた瓦屋根かわらやねに四方あたりの眺望を遮さえざられた地面の低い場末の横町よこちょうから、今突然、橋の上に出て見た四月の隅田川すみだがわは、一年に二、三度と数えるほどしか外出そとでする事のない母親お豊の老眼をば信じられぬほどに驚かしたのである。晴れ渡った空の下に、流れる水の輝き、堤の青草、その上につづく桜の花、種々さまざまの旗が閃ひらめく大学の艇庫ていこ、その辺へんから起る人々の叫び声、鉄砲の響ひびき。渡船わたしぶねから上下あがりおりする花見の人の混雑。あたり一面の光景は疲れた母親の眼には余りに色彩が強烈すぎるほどであった。お豊は渡場わたしばの方へ下おりかけたけれど、急に恐るる如く踵くびすを返して、金竜山下きんりゅうざんしたの日蔭ひかげになった瓦町かわらまちを急いだ。そして通りがかりのなるべく汚きたない車、なるべく意気地いくじのなさそうな車夫しゃふを見付けて恐る恐る、

「車屋さん、小梅こうめまで安くやって下さいな。」といった。

お豊は花見どころの騒ぎではない。もうどうしていいのか分らない。望みをかけた一人息子の長吉は試験に落第してしまったばかりか、もう学校へは行きたくない、学問はいやだといい出した。お豊は途法とほうに暮れた結果、兄の蘿月らげつに相談して見るより外ほかに仕様がないと思ったのである。

三度目に掛合かけあった老車夫が、やっとの事でお豊の望む賃銀で小梅行きを承知した。吾妻橋あずまばしは午後の日光と塵埃じんあいの中におびただしい人出ひとでである。着飾った若い花見の男女を載のせて勢いきおいよく走る車の間あいだをば、お豊を載せた老車夫は梶かじを振りながらよたよた歩いて橋を渡るや否や桜花の賑にぎわいを外よそに、直すぐと中なかの郷ごうへ曲って業平橋なりひらばしへ出ると、この辺はもう春といっても汚い鱗葺こけらぶきの屋根の上に唯ただ明あかるく日があたっているというばかりで、沈滞した堀割ほりわりの水が麗うららかな青空の色をそのままに映している曳舟通ひきふねどおり。昔は金瓶楼きんべいろうの小太夫こだゆうといわれた蘿月の恋女房は、綿衣ぬのこの襟元えりもとに手拭てぬぐいをかけ白粉焼おしろいやけのした皺しわの多い顔に一ぱいの日を受けて、子供の群むれがめんこや独楽こまの遊びをしている外ほかには至って人通りの少い道端みちばたの格子戸先こうしどさきで、張板はりいたに張物はりものをしていた。駈かけて来て止る車と、それから下りるお豊の姿を見て、

「まアお珍しいじゃありませんか。ちょいと今戸いまどの御師匠おししょうさんですよ。」と開あけたままの格子戸から家うちの内なかへと知らせる。内なかには主人あるじの宗匠そうしょうが万年青おもとの鉢を並べた縁先えんさきへ小机を据え頻しきりに天地人てんちじんの順序をつける俳諧はいかいの選せんに急がしい処であった。

掛けている眼鏡をはずして、蘿月は机を離れて座敷の真中まんなかに坐り直ったが、襷たすきをとりながら這入はいって来る妻のお滝たきと来訪のお豊、同じ年頃としごろの老いた女同士は幾度いくたびとなくお辞儀の譲合ゆずりあいをしては長々しく挨拶あいさつした。そしてその挨拶の中に、「長ちゃんも御丈夫ですか。」「はア、しかし彼あれにも困りきります。」というような問答もんどうから、用件は案外に早く蘿月の前に提出される事になったのである。蘿月は静しずかに煙草たばこの吸殻すいがらをはたいて、誰にかぎらず若い中うちはとかくに気の迷うことがある。気の迷っている時には、自分にも覚えがあるが、親の意見も仇あだとしか聞えない。他はたから余り厳しく干渉するよりはかえって気まかせにして置く方が薬になりはしまいかと論じた。しかし目に見えない将来の恐怖ばかりに満みたされた女親の狭い胸にはかかる通人つうじんの放任主義は到底容いれられべきものでない。お豊は長吉が久しい以前からしばしば学校を休むために自分の認印みとめいんを盗んで届書とどけしょを偽造していた事をば、暗黒な運命の前兆である如く、声まで潜ひそめて長々しく物語る……

「学校がいやなら如何どうするつもりだと聞いたら、まアどうでしょう、役者になるんだッていうんですよ。役老に。まア、どうでしょう。兄さん。私ゃそんなに長吉の根性が腐っちまッたのかと思ったら、もう実に口惜くやしくッてならないんですよ。」

「へーえ、役者になりたい。」訝いぶかる間まもなく蘿月は七ツ八ツの頃によく三味線を弄物おもちゃにした長吉の生立おいたちを回想した。「当人がたってと望むなら仕方のない話だが……困ったものだ。」

お豊は自分の身こそ一家の不幸のために遊芸の師匠に零落れいらくしたけれど、わが子までもそんな賤いやしいものにしては先祖の位牌いはいに対して申訳もうしわけがないと述べる。蘿月は一家の破産滅亡の昔をいい出されると勘当かんどうまでされた放蕩三昧ほうとうざんまいの身は、何なんにつけ、禿頭はげあたまをかきたいような当惑を感ずる。もともと芸人社会は大好だいすきな趣味性から、お豊の偏屈へんくつな思想をば攻撃したいと心では思うもののそんな事からまたしても長たらしく「先祖の位牌」を論じ出されては堪たまらないと危あやぶむので、宗匠そうしょうは先まずその場を円滑えんかつに、お豊を安心させるようにと話をまとめかけた。

「とにかく一応は私わしが意見しますよ、若い中うちは迷うだけにかえって始末のいいものさ。今夜にでも明日あしたにでも長吉に遊びに来るようにいって置きなさい。私わしがきっと改心さして見せるから、まアそんなに心配しないがいいよ。なに世の中は案じるより産うむが安いさ。」

お豊は何分よろしくと頼んでお滝が引止めるのを辞退してその家を出た。春の夕陽ゆうひは赤々と吾妻橋あずまばしの向うに傾いて、花見帰りの混雑を一層引立てて見せる。その中うちにお豊は殊更元気よく歩いて行く金ボタンの学生を見ると、それが果して大学校の生徒であるか否かは分らぬながら、我児わがこもあのような立派な学生に仕立てたいばかりに、幾年間女の身一人みひとつで生活と戦って来たが、今は生命いのちに等しい希望の光も全く消えてしまったのかと思うと実に堪えられぬ悲愁に襲われる。兄の蘿月に依頼しては見たもののやっぱり安心が出来ない。なにも昔の道楽者だからという訳ではない。長吉に志を立てさせるのは到底人間業にんげんわざでは及およばぬ事、神仏かみほとけの力に頼らねばならぬと思い出した。お豊は乗って来た車から急に雷門かみなりもんで下りた。仲店なかみせの雑沓ざっとうをも今では少しも恐れずに観音堂へと急いで、祈願を凝こらした後に、お神籤みくじを引いて見た。古びた紙片かみきれに木版摺もくはんずりで、

〔図〕fig50556_01.png
お神籤の図

お豊は大吉だいきちという文字を見て安心はしたものの、大吉はかえって凶きょうに返りやすい事を思い出して、またもや自分からさまざまな恐怖を造出つくりだしつつ、非常に疲れて家うちへ帰った。

九

午後ひるすぎから亀井戸かめいどの竜眼寺りゅうがんじの書院で俳諧はいかいの運座うんざがあるというので、蘿月らげつはその日の午前に訪ねて来た長吉と茶漬ちゃづけをすました後のち、小梅こうめの住居すまいから押上おしあげの堀割ほりわりを柳島やなぎしまの方へと連れだって話しながら歩いた。堀割は丁度真昼の引汐ひきしおで真黒まっくろな汚ない泥土でいどの底を見せている上に、四月の暖い日光に照付けられて、溝泥どぶどろの臭気を盛さかんに発散している。何処どこからともなく煤烟ばいえんの煤すすが飛んで来て、何処という事なしに製造場せいぞうばの機械の音が聞える。道端みちばたの人家は道よりも一段低い地面に建てられてあるので、春の日の光を外よそに女房共がせっせと内職している薄暗い家内かないのさまが、通りながらにすっかりと見透みとおされる。そういう小家こいえの曲り角の汚れた板目はめには売薬と易占うらないの広告に交まじって至る処ところ女工募集の貼紙はりがみが目についた。しかし間もなくこの陰鬱いんうつな往来おうらいは迂曲うねりながらに少しく爪先上つまさきあがりになって行くかと思うと、片側に赤く塗った妙見寺みょうけんじの塀と、それに対して心持よく洗いざらした料理屋橋本はしもとの板塀いたべいのために突然面目を一変させた。貧しい本所ほんじょの一区が此処ここに尽きて板橋のかかった川向うには野草のぐさに蔽おおわれた土手を越して、亀井戸村かめいどむらの畠と木立こだちとが美しい田園の春景色をひろげて見せた。蘿月は踏み止とどまって、

「私わしの行くお寺はすぐ向うの川端かわばたさ、松の木のそばに屋根が見えるだろう。」

「じゃ、伯父さん。ここで失礼しましょう。」長吉は早くも帽子を取る。

「いそぐんじゃない。咽喉のどが乾いたから、まア長吉、ちょっと休んで行こうよ。」

赤く塗った板塀に沿うて、妙見寺の門前に葭簀よしずを張った休茶屋やすみぢゃやへと、蘿月は先に腰を下おろした。一直線の堀割はここも同じように引汐の汚い水底みなそこを見せていたが、遠くの畠の方から吹いて来る風はいかにも爽さわやかで、天神様の鳥居が見える向うの堤の上には柳の若芽が美しく閃ひらめいているし、すぐ後うしろの寺の門の屋根には雀すずめと燕つばめが絶え間なく囀さえずっているので、其処そこ此処ここに製造場の烟出けむだしが幾本も立っているにかかわらず、市街まちからは遠い春の午後ひるすぎの長閉のどけさは充分に心持よく味あじわわれた。蘿月は暫しばらくあたりを眺めた後のち、それとなく長吉の顔をのぞくようにして、

「さっきの話は承知してくれたろうな。」

長吉は丁度茶を飲みかけた処なので、頷付うなずいたまま、口に出して返事はしなかった。

「とにかくもう一年辛抱しんぼうしなさい。今の学校さえ卒業しちまえば……母親おふくろだって段々取る年だ、そう頑固ばかりもいやアしまいから。」

長吉は唯ただ首を頷付かせて、何処どこと当あてもなしに遠くを眺めていた。引汐の堀割に繋つないだ土船つちぶねからは人足にんそくが二、三人して堤の向うの製造場へと頻しきりに土を運んでいる。人通りといっては一人もない此方こなたの岸をば、意外にも突然二台の人力車じんりきしゃが天神橋の方から駈かけて来て、二人の休んでいる寺の門前もんぜんで止った。大方おおかた墓参りに来たのであろう。町家ちょうかの内儀ないぎらしい丸髷まるまげの女が七なな、八やっツになる娘の手を引いて門の内なかへ這入はいって行った。

長吉は蘿月の伯父と橋の上で別れた。別れる時に蘿月は再び心配そうに、

「じゃ……。」といって暫く黙った後のち、「いやだろうけれど当分辛抱しなさい。親孝行して置けば悪い報むくいはないよ。」

長吉は帽子を取って軽く礼をしたがそのまま、駈かけるように早足はやあしに元もと来た押上おしあげの方へ歩いて行った。同時に蘿月の姿は雑草の若芽に蔽おおわれた川向うの土手の陰にかくれた。蘿月は六十に近いこの年まで今日きょうほど困った事、辛つらい感情に迫せめられた事はないと思ったのである。妹お豊のたのみも無理ではない。同時に長吉が芝居道しばいどうへ這入はいろうという希望のぞみもまたわるいとは思われない。一寸の虫にも五分の魂で、人にはそれぞれの気質がある。よかれあしかれ、物事を無理に強しいるのはよくないと思っているので、蘿月は両方から板ばさみになるばかりで、いずれにとも賛同する事ができないのだ。殊ことに自分が過去の経歴を回想すれば、蘿月は長吉の心の中うちは問わずとも底の底まで明あきらかに推察される。若い頃の自分には親おや代々だいだいの薄暗い質屋の店先に坐って麗うららかな春の日を外よそに働きくらすのが、いかに辛くいかに情なさけなかったであろう。陰気な燈火ともしびの下で大福帳だいふくちょうへ出入でいりの金高きんだかを書き入れるよりも、川添いの明あかるい二階家で洒落本しゃれほんを読む方がいかに面白かったであろう。長吉は髯ひげを生はやした堅苦しい勤め人にんなどになるよりも、自分の好きな遊芸で世を渡りたいという。それも一生、これも一生である。しかし蘿月は今よんどころなく意見役の地位に立つ限り、そこまでに自己の感想を暴露ばくろしてしまうわけには行かないので、その母親に対したと同じような、その場かぎりの気安めをいって置くより仕様がなかった。

長吉は何処いずこも同じような貧しい本所ほんじょの街から街をばてくてく歩いた。近道を取って一直線に今戸いまどの家うちへ帰ろうと思うのでもない。何処どこへか廻り道して遊んで帰ろうと考えるのでもない。長吉は全く絶望してしまった。長吉は役者になりたい自分の主意を通すには、同情の深い小梅こうめの伯父さんに頼るより外ほかに道がない。伯父さんはきっと自分を助けてくれるに違いないと予期していたが、その希望は全く自分を欺あざむいた。伯父は母親のように正面から烈はげしく反対を称となえはしなかったけれど、聞いて極楽見て地獄の譬たとえを引き、劇道げきどうの成功の困難、舞台の生活の苦痛、芸人社会の交際の煩瑣はんさな事なぞを長々と語った後のち、母親の心をも推察してやるようにと、伯父の忠告を待たずともよく解わかっている事を述べつづけたのであった。長吉は人間というものは年を取ると、若い時分に経験した若いものしか知らない煩悶はんもん不安をばけろりと忘れてしまって、次の時代に生れて来る若いものの身の上を極めて無頓着むとんちゃくに訓戒批評する事のできる便利な性質を持っているものだ、年を取ったものと若いものの間には到底一致されない懸隔けんかくのある事をつくづく感じた。

何処どこまで歩いて行っても道は狭くて土が黒く湿っていて、大方は路地ろじのように行き止りかと危あやぶまれるほど曲っている。苔こけの生えた鱗葺こけらぶきの屋根、腐った土台、傾いた柱、汚れた板目はめ、干してある襤褸ぼろや襁褓おしめや、並べてある駄菓子や荒物あらものなど、陰鬱いんうつな小家こいえは不規則に限りもなく引きつづいて、その間に時々驚くほど大きな門構もんがまえの見えるのは尽ことごとく製造場であった。瓦かわら屋根の高く聳そびえているのは古寺ふるでらであった。古寺は大概荒れ果てて、破れた塀から裏手の乱塔場らんとうばがすっかり見える。束たばになって倒れた卒塔婆そとばと共に青苔あおごけの斑点しみに蔽おおわれた墓石はかいしは、岸という限界さえ崩くずれてしまった水溜みずたまりのような古池の中へ、幾個いくつとなくのめり込んでいる。無論新しい手向たむけの花なぞは一つも見えない。古池には早くも昼中ひるなかに蛙かわずの声が聞えて、去年のままなる枯草は水にひたされて腐くさっている。

長吉はふと近所の家の表札に中郷竹町なかのごうたけちょうと書いた町の名を読んだ。そして直様すぐさま、この頃ごろに愛読した為永春水ためながしゅんすいの『梅暦うめごよみ』を思出した。ああ、薄命なあの恋人たちはこんな気味のわるい湿地しっちの街に住んでいたのか。見れば物語の挿絵さしえに似た竹垣の家もある。垣根の竹は枯れきってその根元は虫に喰われて押せば倒れそうに思われる。潜門くぐりもんの板屋根には痩やせた柳が辛からくも若芽の緑をつけた枝を垂たらしている。冬の昼過ぎ窃ひそかに米八よねはちが病気の丹次郎たんじろうをおとずれたのもかかる佗住居わびずまいの戸口とぐちであったろう。半次郎はんじろうが雨の夜よの怪談に始めてお糸いとの手を取ったのもやはりかかる家の一間ひとまであったろう。長吉は何ともいえぬ恍惚こうこつと悲哀とを感じた。あの甘くして柔かく、忽たちまちにして冷淡な無頓着むとんちゃくな運命の手に弄もてあそばれたい、という止やみがたい空想に駆られた。空想の翼のひろがるだけ、春の青空が以前よりも青く広く目に映じる。遠くの方から飴売あめうりの朝鮮笛ちょうせんぶえが響き出した。笛の音ねは思いがけない処で、妙な節ふしをつけて音調を低めるのが、言葉にいえない幽愁を催もよおさせる。

長吉は今まで胸に蟠わだかまった伯父に対する不満を暫しばらく忘れた。現実の苦悶くもんを暫く忘れた……。

十

気候が夏の末から秋に移って行く時と同じよう、春の末から夏の始めにかけては、折々おりおり大雨おおあめが降ふりつづく。千束町せんぞくまちから吉原田圃よしわらたんぼは珍しくもなく例年の通りに水が出た。本所ほんじょも同じように所々しょしょに出水しゅっすいしたそうで、蘿月らげつはお豊とよの住む今戸いまとの近辺きんぺんはどうであったかと、二、三日過ぎてから、所用の帰りの夕方に見舞に来て見ると、出水でみずの方は無事であった代りに、それよりも、もっと意外な災難にびっくりしてしまった。甥おいの長吉が釣台つりだいで、今しも本所の避病院ひびょういんに送られようという騒さわぎの最中さいちゅうである。母親のお豊は長吉が初袷はつあわせの薄着をしたまま、千束町近辺の出水の混雑を見にと夕方から夜おそくまで、泥水の中を歩き廻ったために、その夜よから風邪をひいて忽たちまち腸窒扶斯ちょうチブスになったのだという医者の説明をそのまま語って、泣きながら釣台の後あとについて行った。途法とほうにくれた蘿月はお豊の帰って来るまで、否応いやおうなく留守番にと家うちの中に取り残されてしまった。

家の中は区役所の出張員が硫黄いおうの煙と石炭酸せきたんさんで消毒した後あと、まるで煤掃すすはきか引越しの時のような狼藉ろうぜきに、丁度人気ひとけのない寂しさを加えて、葬式の棺桶かんおけを送出おくりだした後と同じような心持である。世間を憚はばかるようにまだ日の暮れぬ先から雨戸を閉めた戸外おもてには、夜と共に突然強い風が吹き出したと見えて、家中いえじゅうの雨戸ががたがた鳴り出した。気候はいやに肌寒くなって、折々勝手口の破障子やぶれしょうじから座敷の中まで吹き込んで来る風が、薄暗い釣つるしランプの火をば吹き消しそうに揺ゆすると、その度々たびたび、黒い油煙ゆえんがホヤを曇らして、乱雑に置き直された家具の影が、汚れた畳と腰張こしばりのはがれた壁の上に動く。何処どこか近くの家で百万遍ひゃくまんべんの念仏を称え始める声が、ふと物哀れに耳についた。蘿月は唯たった一人で所在しょざいがない。退屈でもある。薄淋うすさびしい心持もする。こういう時には酒がなくてはならぬと思って、台所を探し廻ったが、女世帯おんなじょたいの事とて酒盃さかずき一ひとツ見当らない。表の窓際まどぎわまで立戻って雨戸の一枚を少しばかり引き開けて往来を眺めたけれど、向側むこうがわの軒燈けんとうには酒屋らしい記号しるしのものは一ツも見えず、場末の街は宵ながらにもう大方おおかたは戸を閉めていて、陰気な百万遍の声がかえってはっきり聞えるばかり。河の方から烈はげしく吹きつける風が屋根の上の電線をヒューヒュー鳴ならすのと、星の光の冴さえて見えるのとで、風のある夜は突然冬が来たような寒い心持をさせた。

蘿月は仕方なしに雨戸を閉めて、再びぼんやり釣つるしランプの下に坐って、続けざまに煙草を喫のんでは柱時計の針の動くのを眺めた。時々鼠ねずみが恐しい響ひびきをたてて天井裏を走る。ふと蘿月は何かその辺へんに読む本でもないかと思いついて、箪笥たんすの上や押入の中を彼方あっち此方こっちと覗のぞいて見たが、書物といっては常磐津ときわずの稽古本けいこぼんに綴暦とじごよみの古いもの位しか見当らないので、とうとう釣ランプを片手にさげて、長吉の部屋になった二階まで上あがって行った。

机の上に書物は幾冊も重ねてある。杉板の本箱も置かれてある。蘿月は紙入かみいれの中にはさんだ老眼鏡を懐中ふところから取り出して、先まず洋装の教科書をば物珍しく一冊々々ひろげて見ていたが、する中うちにばたりと畳の上に落ちたものがあるので、何かと取上げて見ると春着の芸者姿をしたお糸の写真であった。そっと旧もとのように書物の間に収めて、なおもその辺の一冊々々を何心もなく漁あさって行くと、今度は思いがけない一通の手紙に行当ゆきあたった。手紙は書き終らずに止やめたものらしく、引き裂さいた巻紙まきがみと共に文句は杜切とぎれていたけれど、読み得るだけの文字で十分に全体の意味を解する事ができる。長吉は一度ひとたび別れたお糸とは互たがいに異なるその境遇から日一日とその心までが遠とおざかって行って、折角の幼馴染おさななじみも遂にはあかの他人に等しいものになるであろう。よし時々に手紙の取りやりはして見ても感情の一致して行かない是非ぜひなさを、こまごまと恨んでいる。それにつけて、役者か芸人になりたいと思定おもいさだめたが、その望みも遂ついに遂とげられず、空しく床屋とこやの吉きちさんの幸福を羨うらやみながら、毎日ぼんやりと目的のない時間を送っているつまらなさ、今は自殺する勇気もないから病気にでもなって死ねばよいと書いてある。

蘿月は何というわけもなく、長吉が出水でみずの中を歩いて病気になったのは故意こいにした事であって、全快する望のぞみはもう絶え果てているような実に果敢はかない感かんじに打たれた。自分は何故なぜあの時あのような心にもない意見をして長吉の望みを妨さまたげたのかと後悔の念に迫せめられた。蘿月はもう一度思うともなく、女に迷って親の家を追出された若い時分の事を回想した。そして自分はどうしても長吉の味方にならねばならぬ。長吉を役者にしてお糸と添わしてやらねば、親代々の家うちを潰つぶしてこれまでに浮世の苦労をしたかいがない。通人つうじんを以て自任じにんする松風庵蘿月宗匠しょうふうあんらげつそうしょうの名に愧はじると思った。

鼠がまた突如だしぬけに天井裏を走る。風はまだ吹き止まない。釣つるしランプの火は絶えず動揺ゆらめく。蘿月は色の白い眼のぱっちりした面長おもながの長吉と、円顔の口元に愛嬌あいきょうのある眼尻の上ったお糸との、若い美しい二人の姿をば、人情本の作者が口絵の意匠でも考えるように、幾度いくたびか並べて心の中うちに描きだした。そして、どんな熱病に取付かれてもきっと死んでくれるな。長吉、安心しろ。乃公おれがついているんだぞと心に叫んだ。

明治四十二年八月―十月作

第五版すみだ川之序

小説『すみだ川』を草そうしたのはもう四年ほど前の事である。外国から帰って来たその当座一、二年の間はなおかの国の習慣が抜けないために、毎日の午後といえば必ず愛読の書をふところにして散歩に出掛けるのを常とした。しかしわが生れたる東京の市街は既に詩をよろこぶ遊民の散歩場さんぽじょうではなくて行く処としてこれ戦乱後新興の時代の修羅場しゅらじょうたらざるはない。その中なかにもなおわずかにわが曲りし杖つえを留とどめ、疲れたる歩みを休めさせた処はやはりいにしえの唄うたに残った隅田川すみだがわの両岸であった。隅田川はその当時目まのあたり眺める破損の実景と共に、子供の折に見覚えた朧おぼろなる過去の景色の再来と、子供の折から聞伝ききつたえていたさまざまの伝説の美とを合せて、いい知れぬ音楽の中に自分を投込んだのである。既に全く廃滅に帰せんとしている昔の名所の名残ほど自分の情緒に対して一致調和を示すものはない。自分はわが目に映じたる荒廃の風景とわが心を傷いたむる感激の情とを把とってここに何物かを創作せんと企てた。これが小説『すみだ川』である。さればこの小説一篇は隅田川という荒廃の風景が作者の視覚を動うごかしたる象形的幻想を主として構成せられた写実的外面の芸術であると共にまたこの一篇は絶えず荒廃の美を追究せんとする作者の止やみがたき主観的傾向が、隅田川なる風景によってその抒情詩的本能を外発さすべき象徴を捜もとめた理想的内面の芸術ともいい得よう。さればこの小説中に現わされた幾多の叙景じょけいは篇中の人物と同じく、否いな時としては人物より以上に重要なる分子として取扱われている。それと共に篇中の人物は実在のモデルによって活いける人間を描写したのではなくて、丁度アンリイ、ド、レニエエがかの『賢き一青年の休暇』に現あらわしたる人物と斉ひとしく、隅田川の風景によって偶然にもわが記憶の中に蘇よみがえり来きたった遠い過去の人物の正まさに消え失うせんとするその面影おもかげを捉とらえたに過ぎない。作者はその少年時代によく見馴みなれたこれら人物に対していかなる愛情と懐なつかしさとを持っているかは言うを俟またぬ。今年花また開くの好時節に際し都下の或ある新聞紙は濹上ぼくじょうの桜樹おうじゅ漸ようやく枯死こしするもの多きを説く。ああ新しき時代は遂に全く破壊の事業を完成し得たのである。さらばやがてはまた幾年の後に及んで、いそがしき世は製造所の煙筒えんとう叢立むらだつ都市の一隅に当ってかつては時鳥ほととぎす鳴き蘆あしの葉ささやき白魚しらうお閃ひらめき桜花おうか雪と散りたる美しき流ながれのあった事をも忘れ果ててしまう時、せめてはわが小さきこの著作をして、傷ましき時代が産みたる薄倖はっこうの詩人がいにしえの名所を弔とむらう最後の中うちの最後の声たらしめよ。

大正二癸丑みずのとうしの年春三月小説『すみだ川』幸さいわいに第五版を発行すると聞きて

荷風小史

すみだ川序

わたくしの友人佐藤春夫さとうはるお君を介して小山おやま書店の主人はわたくしの旧著『すみだ川』の限定単行本を上梓じょうししたいことを告げられた。今日こんにちの出版界はむしろ新刊図書の過多なるに苦しんでいる。わたくしは今更二十四、五年前の拙作小説を復刻する必要があるや否やを知らない。しかしわたくしは小山書店の主人がわたくしの如き老朽文士の旧作を忘れずに記憶しておられたその好意については深く感謝しなければならない。依よってその勧められるがままに旧版を校訂し併あわせて執筆当初の事情と旧版の種類とをここに識しるすことにした。

わたくしが初はじめて小説『すみだ川』に筆をつけたのは西洋から帰って丁度満一年を過すごした時である。即ち明治四十二年の秋八月のはじめに稿を起おこし十月の末に書き終るが否や亡友井上唖唖いのうえああ君に校閲を乞い添刪てんさんをなした後のち草稿を雑誌『新小説』編輯者へんしゅうしゃの許もとに送った。当時『新小説』の編輯主任は後藤宙外ごとうちゅうがい氏であったかあるいは鈴木三重吉すずきみえきち氏であったか明あきらかに記憶していない。わたくしの草稿はその年十二月発行の『新小説』第十四年第十二巻のはじめに載せられた。わたくしはその時馬歯ばし三十二歳であった。本書に掲載した当時の『新小説』「すみだ川」の口絵は斎藤昌三氏の所蔵本を借りて写真版となしたものである。ここに斎藤氏の好意を謝す。

小説『すみだ川』に描写せられた人物及び市街の光景は明治三十五、六年の時代である。新橋しんばし上野うえの浅草あさくさの間を往復おうふくしていた鉄道馬車がそのまま電車に変ったころである。わたくしは丁度その頃ころに東京を去り六年ぶりに帰ってきた。東京市中の街路は到いたる処旧観を失っていた。以前木造であった永代えいたいと両国りょうごくとの二橋は鉄のつり橋にかえられたのみならず橋の位置も変りまたその両岸の街路も著しく変っていた。明治四十一、二年のころ隅田川すみだがわに架せられた橋梁きょうりょうの中でむかしのままに木づくりの姿をとどめたものは新大橋しんおおはしと千住せんじゅの大橋ばかりであった。わたくしは洋行以前二十四、五歳の頃に見歩いた東京の町々とその時代の生活とを言知れずなつかしく思返して、この心持を表あらわすために一篇の小説をつくろうと思立った。この事はつぶさに旧版『すみだ川』第五版の序に述べてある。

旧版発行の次第は左の如くである。

明治四十四年三月籾山もみやま書店は『すみだ川』の外ほかにその頃わたくしが『三田みた文学』に掲げた数篇の短篇小説及および戯曲を集め一巻となして刊行した。当時籾山書店は祝橋向いわいばしむこうの河岸通かしどおりから築地つきじの電車通へ出ようとする静しずかな横町よこちょうの南側(築地二丁目十五番地)にあって専もっぱら俳諧はいかいの書巻を刊行していたのであるが拙著『すみだ川』の出版を手初めに以後六、七年の間盛さかんに小説及び文芸の書類を刊行した。書店の主人みずからもまた短篇小説集『遅日』を著あらわした。谷崎たにざき君の名著『刺青しせい』が始めて単行本となって世に公おおやけにせられたのも籾山書店からであった。森鴎外もりおうがい先生が『スバル』その他の雑誌に寄せられた名著の大半もまた籾山書店から刊行せられた。

大正五年四月籾山書店は旧版『すみだ川』を改刻しこれを縮刷本しゅくさつぼん『荷風叢書そうしょ』の第五巻となし装幀そうていの意匠を橋口五葉はしぐちごよう氏に依頼した。

大正九年五月春陽堂しゅんようどうが『荷風全集』第四巻を編輯刊行する時『すみだ川』を巻頭に掲げた。この際わたくしは旧著の辞句を訂正した。

大正十年三月春陽堂が拙作小説『歓楽かんらく』を巻首に置きこれを表題にして単行本を出した時再び『すみだ川』をその中に加えた。

昭和二年九月改造社かいぞうしゃが『現代日本文学全集』を編輯した時その第二十二編の中に『すみだ川』を採録した。

昭和二年七月春陽堂の編輯した『明治大正文学全集』第三十一編にも『すみだ川』が載せられている。

昭和三年二月木村富子きむらとみこ女史が拙著『すみだ川』を潤色じゅんしょくして戯曲となしこれを本郷座ほんごうざの舞台に上のぼした。その時重なる人物に扮ふんした俳優は市川寿美蔵いちかわすみぞう市川松蔦いちかわしょうちょう大谷友右衛門おおたにともえもん市川紅若いちかわこうじゃくその他である。木村女史の戯曲『すみだ川』はその著『銀扇集ぎんせんしゅう』に収められている。

昭和十年十月麻布あざぶの廬において

荷風散人さんじん識しるす

底本 / Source edition

底本:「すみだ川・新橋夜話 他一篇」岩波文庫、岩波書店
1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
2005(平成17)年11月25日第23刷発行
底本の親本:「荷風小説 三」岩波書店
1986(昭和61)年7月発行
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2009年12月20日作成
2010年11月1日修正
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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永井 荷風「すみだ川」(新字新仮名)、底本『すみだ川・新橋夜話 他一篇』岩波文庫、岩波書店、1987年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 050556_001341, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite