Soranoha

日記より

にっきより

三好 十郎

佐々木の奥さんから昨日聞いたことで、ひどく自分を打った話がある。

佐々木と同じ荻窪署に、既に丸一年間も留置されている一家四人の家族がいるが、それが、先日聞いた(彼女が)所に依ると、その一家はカチカチのキリスト教徒であるが、その家の長男は特に狂信に近い男で、かねて軍籍が有ったが、一年前、召集を受けたら、その男は「自分はキリスト信者であり、キリストの教えに依れば、人を殺す勿れとあるから、自分は出征して人を殺すことは出来ないから」と言って、軍服を抱えて軍隊に返しに行った由。勿論、当人は直ぐに軍法会議にかけられているし、そして、その一家もその様な長男を出したことが怪しからんと言うので家族全部が留置され取調べられているとのこと。

キリスト教には、なるほどバイブルの中に「汝殺す勿れ」とある。だからバイブルを文字通り信じ、神及び天国をそのまま信じていれば、なるほどそうなるのであろう。自分には或る意味では、それほど文字通りにバイブルの文句を信じると言う事が少し滑稽に感じられるし、又そんな人間の心理状態は理解出来ない。同時に、そんな男が、バイブル自身の裡にある諸矛盾をどんな風に調和させて受取っているのかも、自分にはわからない。何か非常に浅薄な、反省力や理解力の不足した人間があって、それが或る全く動物的な大きな動機から宗教に入れば、そんな風になるのかとも思う。自分がこの話から打たれたのは、そんなことでは無い。事の是非善悪でも無い。まちがっているとしても、その男ほどに「なり切って」いれば、そこには最早なんの問題も無いのではないかという言う点だ。既に「神」が彼にとって絶対であり、至上であり、全である。そのためには、自分などはいつ死んでもよいのであろう。そのために死ぬことは彼にとって、絶大なよろこびであろう。ましていわんや死よりも小さい此の世の刑罰や苦しみは彼にはなんの事をも意味しないであろう。彼を裁くことは出来る。そして現世にとって彼を裁くことは必要であろう。しかし結局に於て、彼の主観に於いて、そんなものはなんであろう。

勿論、出征キヒの一つの手段又は口実ではないかと言う事は考えられる。その場合は軽蔑に値いするし、憎むべきエゴイズムである。いや、出征キヒで無くとも、これは憎むべき、軽蔑すべきエゴイズムかもしれない。神の名に依るエゴイズムかも知れない。

しかし、かかる狂信者を、どうすればいいのか? どう出来るのか?

そして、すべての宗教は、その教義をドン詰りまで追い詰めて見れば、みなかかる狂信である。のではないか。

それからすべての理念も、そのシステムをトコトンまで信じ守る人にとっては、かかる狂信に変わらない。のではないか?

そして結局に於いて、かくの如き、狂信の域にまで達したイデオロギー又は勢力が現世を動かしているのではないか?

人に話すべき話では無いが、近来、自分を非常に打ち、考えさせた話であった。

底本 / Source edition

底本:「三好十郎の仕事 第三巻」學藝書林
1968(昭和43)年9月30日第1刷発行
初出:「三好十郎著作集 第61巻」三好十郎著作刊行会、非売品
1966(昭和41)年5月17日発行
※川俣晃自による底本の解説によれば、この作品は、1940(昭和15)年10月18日の日記の後半から、採録されたものです。
入力:富田倫生
校正:伊藤時也
2009年4月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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三好 十郎「日記より」(新字新仮名)、底本『三好十郎の仕事 第三巻』學藝書林、1968年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 050223_001311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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