Soranoha

作家の生活

さっかのせいかつ

横光 利一

優れた作品を書く方法の一つとして、一日に一度は是非自分がその日のうちに死ぬと思うこと、とジッドはいったということであるが、一日に一度ではなくとも、三日に一度は私たちでもそのように思う癖がある。殊に子供を持つようになってからはなおさらそれが激しくなった。親としての作家と、作家としての作家と、区別はないようであるけれども、駄作を承認する襟度に一層の自信を持つようになったのは、親としての作家が混合して来た結果である場合によることが多いと思われる。人間が行動するとき、子のあるものと子のないものとの行為や精神には、非常な相違がある。この平凡な確実なことは、子のないときには理解ができても洞察の度合においてはるかに深度が違ってくる。この深度は作家の作品に影響しないはずがない。宇野浩二氏の『子の来歴』に一番打たれた人々も子のない人に多いのは、観賞に際してもあまりに曇りがなかったからに違いない。

よく作家が寄ると、最後には、子供を不良少年にし、餓えさせてしまっても、まだ純創作をつづけなければならぬかどうかという問題へ落ちていく。ここへ来ると、皆だれでも黙ってしまって問題をそらしてしまうのが習慣であるが、この黙るところに、もっとものっぴきのならぬ難題が横たわっていると見てもよかろう。

私は創作をするということは、作家の本業だとは思わない。作家の本業というのは、日々の生活に際して、態度を定めていくということだ。この態度から生れて来る創作というものは、その結果からにちがいはないとしても、創作をするという動作は、たしかに本業ではなくて副業である。創作することが副業であるなら、滅びようと滅びまいと、何かそこには覚悟が自ら生じていくにちがいないのである。私は自分の作品が自分の窮極をめざして作っていると思ったことは、かつて一度もまだなかった。私はその場所にいる自分の段階で、出来うるかぎり最善の努力を払えば良いと思っている。次ぎの日には、次ぎの日の段階が必ずなければ、時間というものは何のためのものでもない。

私は作品を書く場合には、一つ進歩した作品を書けば、必ず一つは前へ戻って退歩した作品を書いてみる習慣をとっている。そうでなければ次ぎの進歩が分りかねるからであるが、昨年の夏、総持寺の管長の秋野孝道氏の禅の講話というのをふと見ていると、向上ということには進歩と退歩の二つがあって、進歩することだけでは向上にはならず、退歩を半面でしていなければ真の向上とはいいがたいという所に接し、私は自分の考えのあながち独断でなかったことに喜びを感じたことがあった。このようなことは、禅機に達することだとは思わないが、カルビン派のように、知識で信仰にはいろうとしなければならぬ近代作家の生活においては、孝道氏の考え方は迷いを退けるには何よりの近道ではないかと思う。

他人のことは私は知らないが自分一人では、私は物事をどちらかというと観察しない方である。自然に眼にふれ耳にはいってくることの方を大切にしたいと思っている。観察をすると有効な場合はあるが、観察したことのために相手が変化をしてしまうので、もう自然な姿は見られない。殊に何ものよりも一番大切な人の顔がそうである。誰からも尊敬されているような人物よりも、誰からも軽蔑されている人物の方が正確に人をよく見ていることの多いのも、露骨に人はそのものの前で自分をだましてしまうからにちがいない。このようなところから考えても、ドストエフスキイが伯爵であるトルストイの作を評して、庶民というものをトルストイは知っていないと片づけたのも、トルストイにとっては致命的な痛さだったにちがいない。貴族のことを好んで書いたバルザックも誰か無名の貴族のものから、彼は貴族の生活というものを知っていないとやられている。

しかし、何といっても、作家も人間である以上は、一人で一切の生活を通過するということは不可能なことであるから、何事をも正確に生き生きと書き得られるということは所詮それは夢想に同じであるが、私たちにしても作者の顔や過去を知っているときは、もうその作家の作物に対して殆ど大部分正確な批判は下せていない。殊に、作家の顔がその作物を読む場合に浮び出しては、おしまいである。田舎にいてまだ人に知られていない作者で、よく文壇を動かすことのあるとき、都会へ出て来ても依然として動かしつづけているとしたら、よほどまれなその者は人物だと見てもよいと思う。

しかし結局、身辺小説といわれているものに優れた作品の多いことは事実であり、またしたがって当然でもあるが、私はたとい愚作であろうとかまわないから、出来得る限り身辺小説は書きたくないつもりである。理由といっては特に目立った何ものもない。ただ一番困難なことを私はやりたくてならぬ性質なのである。

もちろん、身辺小説も困難なことにおいてはそう違わないと思うが、人それぞれの性質によって困難の対象は違うものとしなければならぬなら、私にとっての困難はやはり身辺小説だとは思えないので、こつこつやっているうちに幾らかはなろうと思っている。決心したことはまずやって見なければ、この道にはいってしまった以上は、もう仕方がない。

しかし、幸いなことには私は、作品の上で成功しようと思う野望は他人よりは少い。いやむしろ、そんなものは希としては持っているだけで、成功などということはあろうとは思えないのである。これは前にも書いたことで今始めて書くことではないが、作品の上では、成功というような結構なものはありはしないと思っている。書く場合に書くことを頭に浮べて思うとき、いつも、これは自分にはどうしても書けるものではないと思う。しかし、もう一度考えて見ると、自分以外のものでもどんな大天才を昔から掘り起して来たところが、やはり書けない部分がそこにひそんでいることを感づいてくる。そうなると、作家というものはもう慎重な態度はとっていられるものではなくなってしまう。

必ずそのときには悪魔か神かに突きあたってぶらぶらしてしまうより方法はないが、何かかけ声のようなものをかけ、一飛びに無理をそのまま捻ぢ倒してしまってふうふうという。つまりそのときは明らかに自分が負かされてしまっているのだ。それを明瞭に感じはするが、これもいかんとも私にはなし難い。理論はそういうときに、口惜しいけれども飛び出してしまう。書くときには疲れないが書けないときにはひどく疲れてへとへとになるのも、このときである。

これは作家の生活を中心とした見方の一例にまで書くのであるが、『春琴抄』という谷崎氏の作品を読むときでも、私も人々のいうごとく立派な作品だと一応は感心したものの、やはりどうしても成功に対して誤魔化しがあるように思えてならぬのである。題材の持ち得る一番困難なところが一つも書いてはなくて、どうすれば成功するかという苦心の方が目立ってきて、完璧になっている。いいかえれば一番に失敗をしているのだ。佐助の眼を突く心理を少しも書かずに、あの作を救おうという大望の前で、作者の顔はこの誤魔化しをどうすれば通り抜けられるかと一身に考えふけっているところが見えてくるのである。

佐藤春夫氏は極力作者に代って弁解されたが、あの氏の弁明は要するに弁明であって、自然はそんなことを赦すはずがないと思う。次ぎの『顔世』はあのような失敗の作である。もし佐藤氏の弁明が弁明でないなら、自作の顔世があのようなおどけた失敗はするものではない。もっと理由のある失敗をするはずである。一作は次ぎの一作とは全く独立はしているとしても、作者の意識というものは左様に都合よく独立し得られるものだとは私には思えない。『春琴抄』における眼を突く時間の早さについてうんぬんしたのも、私にはここに意見があったのである。

ついでに宇野浩二氏の『子の来歴』についても一言生活としての例を挙げるとすると、この作も私は人々のいう如く感心をし、見上げた作品だと思ったが、しかし、この作品には、もっとも大切な親心のびくびくした感情というものは少しも出ていないように思われるのである。天界にはいったがためにびくつかないのなら、リアリズムの精神の深さというものは、いつでも天界へはいれる用意だけはしているものである。

宇野浩二氏は親心のびくつく大切な心理を圧えることに用心をされたのではなく、不恰好にそれをださないことに用心をされたのであって、作者と作中人物とがここまで素早く身を躱して、眼にもとまらぬ早さである。この早さが私には受けとり難い。もっとはるかにのろのろすべきところであるにもかかわらず、それをすり変えた巧みさは作者の意識の悠々たる落ちつきとは度を違えて周章ている。

しかし、このようなことは、作品の欠点とはならずに、すべて作者の制作中の意識作用から眺めた作品の見方で通用するものとは私も思っていない。作品批評をする場合には、もちろん、作品が中心であるのだから、こんなことはどうでもよさそうなものであるが、作家の生活というところに中心をおけばそのような箇所から見ることも、これもどうしようもないことである。作家生活をしているうえは、その生活から自然に物事を眺めるようになってくるので、ここから絶えず抜け出る工夫は躍起となってしているにもかかわらず、それが手っ取り早く出来るものではない。

私小説はそれを克服して後始めて本格小説となるという河上徹太郎、小林秀雄両氏などの説も今の作家にとっては何よりの警告であったと思うが、そのようになるための方法としてでも私は制作をするということが本業ではなく副業であると見る見方をとらねばならぬと思っている。そのため、私一個人としては、先ずそこへ行きつくまでは私の作が愚作であろうが傑作であろうが少しも変りはしない。やはり同じ失敗の作で、成功というような見事な不自然なことは到底及びもつかない夢だと思う。もし傑作が出来ればまぐれ当りだ。私が何をしていくかという質問を出された前では、ただ自分は爆けていき、はみ出して行きたいと望んでいると答えるより、今のところ答弁は見つかりそうもない。

(一九三四年四月)

底本 / Source edition

底本:「世界教養全集 別巻1 日本随筆・随想集」平凡社
1962(昭和37)年11月20日初版発行
1963(昭和38)年8月15日再版
初出:初出誌不明
1934(昭和9)年4月
入力:sogo
校正:noriko saito
2010年5月20日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
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横光 利一「作家の生活」(新字新仮名)、底本『世界教養全集 別巻1 日本随筆・随想集』平凡社、1962年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 049993_000168, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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