Soranoha

停車場で感じたこと

ていしゃばでかんじたこと

和辻 哲郎

一

ある雨の降る日、私は友人を郊外の家に訪ねて昼前から夜まで話し込んだ。遅くなったのでもう帰ろうと思いながら、新しく出た話に引っ張られてつい立つことを忘れていた。ふと気づいて時計を見ると、自分が乗ることにきめていた新橋発の汽車の時間がだいぶ迫っている。で、いよいよ別れることにして立ち上がろうとした。その時またちょっとした話の行きがかりでなお十分ほど尻を落ち付けて話し込むような事になった。それでも玄関へ降りた時には、さほど急がずに汽車に間に合うつもりであった。で、玄関に立ったまま、それまで忘れていた用事の話を思い出して、しばらく話し合った。

電車の停車場の近くへ来ると、ちょうど自分の乗るはずの上り電車が出て行くのが見えた。「運が悪いな、もう二三分早く出て来たら。」と思った。待合へはいってから何げなしに正面の大時計を見ると、いつのまにかたいへん時間がたっている。変だなと思って自分の時計を出して見る。自分のは十分ほど遅れている。午前には確かに合っていたのだが二時ごろ止まっていたのを友人の家のと合わせた時に、遅れた時間と合わせたわけなのだろう。これでは汽車の時間にカツカツだ、まずくすると乗り遅れるかも知れない、あの時時計が止まってくれなければよかった、などと思う。しかし電車はすぐ来た。それがまた思ったよりも調子よく走る。人の乗り降りがあまりないので停車場などは止まったかと思うとすぐ出る。時計を出して見ると三分くらいで一丁場走っている。このぶんならたいてい大丈夫だと安心した気持ちになる。

しかし時間はいっぱいだった。市街電車へ乗り換える所へ来て、改札口で乗越賃を払おうとすると、釣銭がないと言って駅夫が向こうへ取りに行く。釣銭などでグズグズしてはいられないのでそのまますぐ駈け出したくなる。しかしあとから駅夫が大声を出して追い駈けて来たりすると気の毒だと思ってちょっと躊躇する。その間に駅夫が釣銭を持って来る。わずか一分ほどの間だったが、そのためイライラさせられたので、急いで泥道を駈け出した。見ると停留場に電車がとまっている。よい具合だと思って速力を増して駈ける。五六間手前まで行くと電車は動き初めた。しまッたと思いながらなお懸命に追い駈けて行く。電車はだんだん早くなる。それを見てとても乗れまいという気がしたので、私はふと立ち留まった。その瞬間にあれに乗らなければ遅れるかも知れないと思った。それですぐまた全速力で飛び出せば無理にのれない事もなかった。しかしその時ほんの一秒か二秒の間躊躇した。そうしてアアア電車が遠ざかって行くと思いながら、その後ろ姿をながめた。そのわずかな間に電車がまた四五間も走ったので、追いつける望みはすっかり消えてしまった。

振り向いて見ると、あとの電車は影も見えない。また時計を出して見る。やはりあれに乗らなければだめだったと思う。電車はまだついそこに見えているので、もう一度飛び出したくなる。くやしくなって足を踏みならす。歯ガミをする。拳に力がはいって来るが、それのやり場がない。後ろを見るとまだ次の電車は見えない。また先の電車を見る。見まもっている内に次の停留場で止まってまた動き出す。やがて坂をおりてだんだん見えなくなる。あれに乗っていればもうあんなに遠く行っているのだ。これだけ距離の差があれば汽車に二つくらい乗り遅れるには充分だなどと思う。

次の電車がはるか向こうに見えた。時計を見ると三分たっている。早く来ればいいと思うがなかなかやって来ない。やっと前まで来る。乗る。時計を見る。もう五分たっている。時計とにらめくらしていると電車が走るわりに時のたつのが遅いのでいくらか気丈夫にもなるが、しかし窓から外を見るごとにまだこんな所かと思う。それでもまだ全然間に合わないとは思えないので、熱心に時計に注意している。平生は十分も二十分もかかると思っている所を、電車は五分ぐらいで走ってしまう。

とてもそう早くは行くまいと思っていた時間で、感心にも電車は土橋の停留場まで来た。時計を見ると汽車がちょうど出る時刻である。しかしプラットフォームには汽車の影が見えない。汽車だって一分ぐらい遅れる事はあるし、自分の時計だって一分ぐらい進んでいないとは限らないなどと思いながら停車場へはいって行くと、そこの大時計はちょうど汽車よりも二分先へ出ていて、駅夫が次の汽車の時間を改札口の上に掲示している所であった。

「あああと一時間と四十分だ。電車に乗る時のわずか一二秒のために、何というヘマだろう。否、その前に停車場を出る時釣銭を取らなければよかったのだ。否もう一つ前に友人の家から出た時もっと早く歩けばよかった。そういえば友人の所をもう五分早く出れば問題はなかった。しかしこんな事を言ってもキリがない。とにかくすべてがまずかった。『何か』が俺にいたずらをしやがったのだ。」――こんなふうに腹のなかでつぶやきながら私はヤケに土間を靴で踏みつけた。

やがて私は未練らしく頭の上の時刻表を見上げた。そうして「おや」と思った。そこには次の汽車との間に今までなかったはずの汽車の時間が掲げてあるのである。私はいくらか救われたような感じであたりを見回した。なるほど大きな掲示が出ている。その臨時汽車はすぐ前日から運転し始めたのだった。「こいつは運がいい。」と私は思った。しかし時間を勘定してみてやはり一時間ばかり待たなければならない事がわかると、私の心はまた元へ戻り始めた。「何だ、こんな事で埋め合わせをするのか、畜生め。」私は仕方なく三等待合室へはいって行った。見ると質朴な田舎者らしい老人夫婦や乳飲み児をかかえた母親や四つぐらいの女の子などが、しょんぼり並んで腰を掛けている。朝からそのままの姿でじっとしていたのではないかと思わせるくらい静かに。その眼には確かに大都会の烈しさに対する恐怖がチラついている。私は引きつけられてじっとその一群を見まもった。そうして、遠くへ行く鈍のろい三等の夜汽車のなかの光景を思い浮かべた。それは老人や母親にとって全く一種の拷問である。しかし彼らには貧乏であるという事のほかになんにも白状すべきことがない。彼らは黙って静かにその苦しみに堪える。むしろある遠隔な土地へ行くためにはその苦しみが当然であることを感じている。たとえ眠られぬ真夜中に、堅い腰掛けの上で痛む肩や背や腰を自分でどうにもできないはかなさのため、幽かな力ない嘆息が彼らの口から洩れるにしても。

私はこんな空想にふけりながら、ぼんやり乳飲み児を見おろしている母親の姿をながめ、甘えるらしく自分により掛かってくる女の子を何か小声で言いなだめているらしい、老婆の姿をながめ、見るともなく正面を見つめている老爺の悲しむ力をさえ失ったような顔をながめた。私の心は急にしみじみとして和らいで来た。何という謙虚な人間の姿だろう。それに比べて私の心持ちは、何という空虚な反撥心にイラ立っているのだ。あたかも自分の上に降りかかった小さな出来事が何か大きい不正ででもあるかのように。――あの人たちを見ろ。静かに運命の前に首を垂れているあの人たちを見ろ。あれが人間だ。

ある暗示が私の胸に沁み入った。私は何かを呪うような気持ちになった先ほどの自分を恥じた。もしその何かが神だったら! 恐らく神といえども、もっともっと比べものにならないほどの苦しみを私の上に置く事もあるだろう。しかも恐らく私を愛するゆえに。不遜なる者よ。きわめて小さい不運をさえも、首を垂れて受けることのできない心傲れる者よ。そんな浅い心にどうして運命の深いこころが感じ得られよう。

私は固い腰掛けに身を沈めて、先ほどまでの小さい出来事を思い返した。一々の瞬間にそうならなければならないある者がひそんでいるようにも思えた。すべての条件が最後の瞬間を導き出すように整然たる秩序の内に継起したようにも感じられた。そうして私は自分を鞭打った。私は自分の運命を愛しているつもりでいたが、しかし私はまだほんとうにヨブの心を解していないのだ。運命に対するあの絶対の信仰と感謝の心を。あわせてまた「運命を愛せよ」というあの金言の真の深さと重さをも。

二

私はこの出来事が小さい家常茶飯の事であるゆえをもって、その時の自分の心の態度を軽視する事はできなかった。むしろそれがきわめて単純にまた明白に、自分の運命に対する愛と反撥とを示してくれたゆえをもって、いくらかの感謝の内にこの経験を迎える事ができた。そうしてこの単純な鏡に自分の生活のさまざまの相をうつしてみた。たとえば時間の代わりに自分の努力を。汽車の代わりに自分の仕事を。あるいはまた、時間の代わりに自分の生活全体を。汽車の代わりに自分の永遠のいのちを。

そうして私はここにも自分の上に鍛錬の鉄槌を下すべき必要を感じたのであった。

三

私は思った。私は自分の努力の不足を責める代わりに、仕事がうまく行かなかったことでイライラする。自分の生活の弛緩を責める代わりに自分がより高くならないことでイライラする。そうしてある悪魔の手を、――あるいは不運と不幸を呪おうとする。何という軽率だろう。もしそれが自分から出た事ならば、私はただ首を垂れるほか仕方がないではないか。私は自分の不足を憎んでも自分の運命を憎むべきでない。むしろ自分の不足のゆえに自分を罰した運命に対して心から感謝すべきである。

私は未来を空想する。しかし自分の現在が自分の未来をどう規定するかについては、実際は無知である。それはただ自分の智慧が臆測の光を投げ込むに過ぎない底知れぬ深淵である。しかしその深淵のすみからすみまで行きわたっているある大いなる力と智慧との存在する事を、そうしてその力と智慧とが敏感な心に一瞬の光を投げることを否むわけに行かない。我々は不断に我々の生活の上にかかっている運命に対してこの一瞬間のために、敬虔な疲れない眼を見はっていなくてはならぬ。一つの不幸も必ず何事かを暗示するに相違ない。それは呪わるべきものではなくて、愛せらるべきものである。

で、私は思った。いかなる運命もこれを正面から受けなくてはならない。そうしてそれが自分に必然であったことを愛によって充分根本的に理解しなくてはならない。「こうなるはずではなかった」などと現在のある境遇に反撥心を抱くことは、現実の生に対するふまじめであり、また現実からの逃避である。そこにはもはや自己の改造や成長の望みはない。我々はただ現在の運命を如実に見きわめることによって(すでに起こった事に対する謙虚な忍従によって)、多産なる未来の道をきり開く事ができる。時には過去の改造さえ不可能ではない。

四

また私は「あの時ああすれば間に合ったのに」と感じた自分の心理について考えた。「あの時」はもう過ぎ去っている。そうして「あの時」には「ああしなかった。」それはもう変更のできない事実である。たとえ「あの時」私が、いずれの行為をも自由に選び得たとしても、私の実行したのはただ一つであった。この一つのほかに事実はない。「あの時ああすれば」という感じは、この事実が必然でなかったと主張するにほかならない。しかし果たしてこの唯一の事実が必然でなかったのか。ほかにも歩まるべき道があったのか。私にはそう思えない。「事件の起こる前には道はない、起こった時にはただ一つの道があるのみだ、」という言葉は、私には動かし難い真実として響く。

しからばこの必然性はどこから来るか。私は思う、我々の意志の関する限りにおいては恐らくそれは我々の性格から来るだろう。「性格は運命だ。」我々はこの運命を脱れることができない。

「あの時ああすればこうはならなかった」という運命への反撥心は、要するに事実において(無意識的にではあるが)自己の性格に対する抗議である。しかもそれは無意識的なるゆえに、自己そのものを責めることをせずしてむしろ漠然とある「不運」というごときものを呪う気持ちになる。ここに迷妄と怯懦とのひそむことを忘れてはならない。一つの不幸を真に意義深く生かす所の力は、あくまでも自己自身についての微妙な、鋭敏な、厳格な認識と批評とである。事実の責任を他に嫁せずして自己に帰することである。我々は自己の運命を最もよく伸びさせるために、いたずらに過去をくやしがるような愚に陥らないで、執拗な眼光を自己の内に投げなければならぬ。

五

私の思索はまた「外から迫って来るように感ぜられる運命」の上に移った。そうしてイキナリ私の胸にこだわっている「死」の問題と結びついた。

もし突然私の身の上に「死」が迫って来た時、私はただ恐怖に慄えるばかりだろうか、あるいはこれを悪魔の業として呪うだろうか、もしくはまた神の摂理として感謝をもって受けるだろうか。

もし先刻の事件をもって推論することが許されるなら、私は恐らく恐怖と呪詛とで狂い立つばかりだろう。しようと思う仕事はまだ何一つできていない。昇ろうと思う道はまだやっと昇り始めたばかりだ。今死んでは今まで生きたことがまるきり無意味になる。これはとてもたまらない。――こう思って私は「死」の来ようの早かったことを呪うだろう。さらにまた自分の愛する者が自分の死によって受ける烈しい打撃を思えば、彼らの生くる限り彼らにつきまとう重い悲哀を思えば、死んでも死に切れないようなイライラしさを感じるだろう。

しかし私は自分がもがき死にすることに堪えられるか。――とても、とても。私は心から静かな大きい死を望む。殉教者のように自信のある落ちついた死を。もし「死」という厳粛な問題の前にさえも、今夜の出来事のようにふるまうとすれば、私は自分を何と言って軽蔑していいかわからない。――けれども果たして私はその軽蔑に価するふるまいをしないだろうか。それほど私の腹は死に対しても据わっているだろうか。私にはそれほどの自信があるのか。

今夜これから汽車にのる。その汽車に何か椿事が起こって私が重傷を負わないものでもない。もし私が担ぎ込まれた病院で医者に絶望されながら床の上に横たわるとしたら、そうして夜明けまで持つかどうか危ないとしたら、私はどうするだろう。逢いたい人々にも恐らく逢えまい。整理しておきたい事も今さらいかんともしようがない。自分の生涯や仕事について心残りの多いのは言うまでもない事だ。それでも私は静かに死ねるだろうか。黙って運命に頭を下げる事ができるだろうか。――

私はこうして自分を押しつめてみた。そうして自分にまるで死ぬつもりのないことを発見した。「今死んではたまらない。しかしたぶん自分は永生きするだろう。」こういう思いが私から死に対する痛切な感じを奪っている。あたかも「死」という運命が自分の上にはかかっていないかのように。結局私は「死」に対して何の準備も覚悟もできていない。「死」をほんとうにまじめに考えることさえもしないらしい。

しかし私がもう五十年生きることは確実なのか。私が明日にも肺病にかかるかも知れない事は何ゆえに確実でないのか。――私は未来を知らない、死の迫って来る時期をも知らない。「きっと永生きする、」というのはただ私の希望に過ぎないのだ。虫のいい予感に過ぎないのだ。それに何ゆえ私は「死」を自分に近いものとして感じないか――そもそも感じたくないのか。

「人はすべて死刑を宣告せられている、ただ死刑執行の日がきまらないだけだ」という言葉がある。これは Man is mortal を言い換えたに過ぎないが、しかし特に私の胸を突く。そうだ、ただ日がきまらないだけだ。死の宣告はもう下っている。私たちはのんきにしていられるわけのものではない。私たちは生きている一日一日を感謝しなければならない。そうして充実した気持ちで生を感受し生を築かなくてはならない。生きている内に immortal な生をつかむために、そうしてできるならば「死」を凱旋であらしめるために。

――私の心は何ゆえともなく奮い立った。運命の前に静かに頭を下げ得るためには、今ボンヤリしてはいられない。たとえ死が(自分に尾行して来る死が)予期よりも早く自分の前に現われようとも、せめて現在に力の限りをつくしたという理由で、落ちついて運命に従うことができるだろう。そうしてなすべき事をなした人間の権利として永遠に人類の生命の内に生きる事もできるだろう。

これが私の覚悟であった。あきらめの心持ちで運命に従い得るためには、一日もボンヤリしていられないという事が。

「明日の苦労」は私がしなくてもいい。私はただ「今日の苦労」を力いっぱいに仕上げよう。それが最も謙遜に運命に従う道だ。

六

時間が迫ったので私は堅い腰掛けから立ち上がった。そうして幾度も躊躇しながら、老人と母親の一群に近づいた。私は心ひそかな感謝と同情のために一つの小さい親切をしようと思ったのである。

先ほど私が考え込んでいた時に、雑役夫が掃除にはいって来た。母親は彦根へ行く汽車はまだかときいた。雑役夫は突然の問いにいくらかあわてながら、十一時九分、まだ一時間半ありますと答えた。しかし私の乗って行く臨時汽車は神戸の先まで行く。ことに運転し始めたばかりの臨時汽車は人が知らないのでほとんど数えるほどの人数しか乗らない。恐らく皆が一晩(ゆっくりではなくとも)とにかく寝通して行けるだろう。特に子供は助かる。それに反して普通の直行は臨時汽車の運転を必要とするくらいだからひどくコムに相違ない――で、私は臨時汽車のある事を教えたくてたまらなかったのだ。

私は母親の前に立った。そうして汽車のことを説明した。母親は知らない人から突然口をきかれて、ほとんど敵意に近い驚愕の色を浮かべた。私が「もうすぐ来ます」と言った時には、あわてて立ち上がって、私に礼を言うどころでなくむしろ当惑したような顔つきで、早口に老人や子供をせき立てた。もう彼女の心には私の方などに眼をくれる余裕がないらしく見えた。私は間が悪くなってそんなにあわてなくともまだ時間はゆっくりありますと注意することができなくなった。で仕方なく、側にいる事を恐れる人のように、急いでそうッと待合室を出てしまった。

汽車が来た。乗客は果たして少なかった。あの子供たちは楽をするだろうと思って、私はひとりでほほえんだ。

底本 / Source edition

底本:「偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集」講談社文芸文庫、講談社
2007(平成19)年4月10日第1刷発行
初出:「新小説」
1917(大正6)年1月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年5月7日作成
2022年5月2日修正
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書誌 / Bibliography
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和辻 哲郎「停車場で感じたこと」(新字新仮名)、底本『偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集』講談社文芸文庫、講談社、2007年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 049899_001395, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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