Soranoha

孔雀船

くじゃくぶね

伊良子 清白

故郷の山に眠れる母の靈に

岩波文庫本のはしに

阿古屋の珠は年古りて其うるみいよいよ深くその色ますます美うるはしといへり。わがうた詞拙く節ふしおどろおどろしく、十年とゝせ經て光失せ、二十年はたとせすぎて香にほひ去り、今はたその姿大方散りぼひたり。昔上田秋成は年頃いたづきける書ふみ深き井の底に沈めてかへり見ず、われはそれだに得せず。ことし六十むそあまり二つの老を重ねて白髮しらがかき垂り齒脱けおち見るかげなし。ただ若き日の思出のみぞ花やげる。あはれ、うつろなる此ふみ、いまの世に見給はん人ありやなしや。

ひるの月み空にかゝり

淡々し白き紙片かみびら

うつろなる影のかなしき

おぼつかなわが古きうた

あらた代の光にけたれ

かげろふのうせなんとする

昭和十三年三月

清白しるす

小序

この廢墟にはもう祈祷も呪咀もない、感激も怨嗟もない、雰圍氣を失つた死滅世界にどうして生命の草が生え得よう、若し敗壁斷礎の間、奇しくも何等かの發見があるとしたならば、それは固より發見者の創造であつて、廢滅そのものゝ再生ではない。

昭和四年三月

志摩にて

清白

漂泊

蓆戸むしろどに

秋風あきかぜ吹ふいて

河添かはぞひの旅籠屋はたごやさびし

哀あはれなる旅たびの男をとこは

夕暮ゆふぐれの空そらを眺ながめて

いと低ひくく歌うたひはじめぬ

亡なき母はゝは

處女をとめと成なりて

白しろき額ぬか月つきに現あらはれ

亡なき父ちゝは

童子わらはと成なりて

圓まろき肩かた銀河ぎんがを渡わたる

柳やなぎ洩もる

夜よの河かは白しろく

河かは越こえて煙けぶりの小野をのに

かすかなる笛ふえの音ねありて

旅人たびびとの胸むねに觸ふれたり

故郷ふるさとの

谷間たにまの歌うたは

續つゞきつゝ斷たえつゝ哀かなし

大空おほぞらの返響こだまの音おとと

地ちの底そこのうめきの聲こゑと

交まじはりて調しらべは深ふかし

旅人たびびとに

母はゝはやどりぬ

若人わかびとに

父ちゝは降くだれり

小野をのの笛ふえ煙けぶりの中なかに

かすかなる節ふしは殘のこれり

旅人たびびとは

歌うたひ續つゞけぬ

嬰子みどりごの昔むかしにかへり

微笑ほゝゑみて歌うたひつゝあり

淡路にて

古翁ふるおきなしま國くにの

野のにまじり覆盆子いちご摘つみ

門かどに來きて生鈴いくすゞの

百層もゝさかを驕おごりよぶ

白晶はくしやうの皿さらをうけ

鮮あざらけき乳ちを灑そゝぐ

六月ぐわつの飮食おんじきに

けたゝまし虹にじ走はしる

清涼せいろうの里さといでゝ

松まつに行ゆき松まつに去さる

大海おほうみのすなどりは

ちぎれたり繪卷物ゑまきもの

鳴門なるとの子こ海うみの幸さち

魚なの腹はらを胸肉むなじゝに

おしあてゝ見みよ十人とたり

同音どうおんにのぼり來くる

秋和の里

月つきに沈しづめる白菊しらぎくの

秋あき冷すさまじき影かげを見みて

千曲ちくま少女をとめのたましひの

ぬけかいでたるこゝちせる

佐久さくの平たひらの片かたほとり

あきわの里さとに霜しもやおく

酒さけうる家いへのさゞめきに

まじる夕ゆふべの鴈かりの聲こゑ

蓼科山たでしなやまの彼方かなたにぞ

年とし經ふるをろち棲すむといへ

月つきはろ〲とうかびいで

八谷やたにの奧おくも照てらすかな

旅路たびぢはるけくさまよへば

破やれし衣ころもの寒さむけきに

こよひ朗ほがらのそらにして

いとゞし心こゝろ痛いたむかな

旅行く人に

雨あめの渡わたしに

順禮じゆんれいの

姿すがた寂さびしき

夕間暮ゆふまぐれ

霧きりの山路やまぢに

駕舁かごかきの

かけ聲ごゑ高たかき

朝朗あさぼらけ

旅たびは興きようある

頭陀袋づだぶくろ

重おもきを土産つどに

歸かへれ君きみ

惡魔あくま木暗こぐれに

ひそみつゝ

人ひとの財たからを

ねらふとも

天女てんによ泉いづみに

下おり立たちて

小瓶をがめ洗あらふも

目めに入いらむ

山蛭やまびる膚はだに

吸すひ入いらば

谷たにに藥水やくすゐ

溢あふるべく

船醉ふなゑひ海うみに

苦くるしむも

龍神りゆうじん臟むねを

醫いやすべし

鳥とりの尸かばねに

火ひは燃もえて

山やまに地獄ぢごくの

吹嘘いぶく聲こゑ

潮うしほに異香いかう

薫くんずれば

海うみに微妙みめうの

蜃氣樓かひやぐら

暮くれて驛うまやの

町まちに入いり

旅籠はたごの門かどを

くゞる時とき

米よねの玄くろきに

驚おどろきて

里さとに都みやこを

説とく勿なかれ

女房にようぼ語部かたりべ

背せなすりて

村むらの歴史れきしを

講かうずべく

主あるじ膳夫かしはで

雉子きじを獲えて

旨うまき羮あつもの

とゝのへむ

芭蕉ばせをの草鞋わらじ

ふみしめて

圓位ゑんゐの笠かさを

頂いたゞけば

風俗ふうぞく君きみの

鹿島立かしまだち

翁おきなさびたる

可笑をかしさよ

島

黒潮くろじほの流ながれて奔はしる

沖中おきなかに漂たゞよふ島しまは

眠ねぶりたる巨人きよじんならずや

頭かしらのみ波なみに出いだして

峨々がゞとして岩いは重かさなれば

目めや鼻はなや顏かほ何なぞ奇きなる

裸々らゝとして樹きを被かうぶらず

聳そびえたる頂いたゞき高たかし

鳥とり啼なくも魚うを群むれ飛とぶも

雨あめ降ふるも日ひの出いで入いるも

青空あをぞらも大海原おほうなばらも

春はると夏なつ秋あきと冬ふゆとも

眠ねぶりたる巨人きよじんは知しらず

幾千年いくちとせ頑ぐわんたり崿がくたり

海の聲

いさゝむら竹たけ打戰うちそよぐ

丘をかの徑こみちの果はてにして

くねり可笑をかしくつら〱に

しげるいそべの磯馴松そなれまつ

花はなも紅葉もみぢもなけれども

千鳥ちどりあそべるいさごぢの

渚なぎさに近ちかく下おり立たてば

沈しづみて青あをき海うみの石いし

貝かひや拾ひろはん莫告藻なのりそや

摘つまんといひしそのかみの

歌うたをうたひて眞玉またまなす

いさごのうへをあゆみけり

波なみと波なみとのかさなりて

砂すなと砂すなとのうちふれて

流ながれさゞらぐ聲こゑきくに

いせをの蜑あまが耳馴みゝなれし

音おととしもこそおぼえざれ

社やしろをよぎり寺てらをすぎ

鈴すゞ振ふり鳴ならし鐘かねをつき

海うみの小琴をごとにあはするに

澄すみてかなしき簫ふえとなる

御座ござの灣いりうみ西にしの方かた

和具わぐの細門ほそどに船ふね泛うけて

布施田ふせだの里さとや青波あをなみの

潮うしほを渡わたる蜑あまの兒等こら

われその船ふねを泛うかべばや

われその水みづを渡わたらばや

しかず纜ともづな解とき放はなち

今日けふは和子わくごが伴ともたらん

見みずやとも邊べに越賀こがの松まつ

見みずやへさきに青あをの峰みね

ゆたのたゆたのたゆたひに

潮しほの和なごみぞはかられぬ

和なごみは潮しほのそれのみか

日ひは麗うららかに志摩しまの國くに

空そらに黄金こがねや集つどふらん

風かぜは長閑のどかに英虞あごの山やま

花はなや縣あがたをよぎるらん

よしそれとても海士あまの子こが

歌うたうたはずば詮せんぞなき

歌うたひてすぐる入海いりうみの

さし出での岩いはもほゝゑまん

言葉ことばすくなき入海いりうみの

波なみこそ君きみの友ともならめ

大海原おほうなばらに男をのこらは

あまの少女をとめは江えの水みづに

さても縑かとりの衣きぬならで

船路ふなぢ間近まぢかき藻もの被衣かつぎ

女をんなだてらに水底みなぞこの

黄泉國よもつぐににも通かよふらむ

黄泉よみの醜女しこめは嫉妬ねたみあり

阿古屋あこやの貝かひを敷しき列つらね

顏かほ美よき子等こらを誘いざなひて

岩いはの櫃ひつぎもつくるらん

さばれ「さばれ」はママ海わたなる底そこひには

父ちゝも沈しづみぬちゝのみの

母はゝも伏こやしぬ柞葉はゝそはの

生うまれ乍ながらに水潛みづくゞる

歌うたのふしもやさとるらん

櫛くしも捨すてたり砂濱すなはまに

簪かざしも折をりぬ岩角いはかどに

黒くろく沈しづめる眼めのうちに

映うつるは海うみの泥こひぢのみ

若わかきが膚はだも潮沫しほなわの

觸ふるゝに早はやく任まかせけむ

いは間まにくつる捨錨すていかり

それだに里さとの懷なつかしき

哀歌あいかをあげぬ海うみなれば

花草船はなぐさふねを流ながれすぎ

をとめの群むれも船ふねの子こが

袖そでにかくるゝ秋あきの夢ゆめ

夢ゆめなればこそ千尋ちひろなす

海うみのそこひも見みゆるなれ

それその石いしの圓まろくして

白しろきは星ほしの果はてならん

いまし蜑あまの子こ艪拍子ろびやうしの

など亂聲らんざうにきこゆるや

われ今いま海うみをうかがふに

とくなが顏かほは蒼あをみたり

ゆるさせたまへ都人みやこびと

きみのまなこは朗ほがらかに

いかなる海うみも射貫いぬくらん

傳つたへきくらく此この海うみに

男をとこのかげのさすときは

かへらず消きえず潛女かつぎめの

深ふかき業ごふとぞ怖おそれたる

われ微笑ほゝゑみにたへやらず

肩かたを叩たゝいて童形どうぎやうの

神かみに翼つばさを疑うたがひし

それもゆめとやいふべけん

島しまこそ浮うかべくろ〲と

この入海いりうみの島しまなれば

いつ羽衣はごろもの落おち沈しづみ

飛とばず翔かけらず成なりぬらむ

見みれば紫むらさき日ひを帶おびて

陽炎かぎろひわたる玉たまのつや

つや〱われはうけひかず

あまりに輕かろき姿すがたかな

白しらら松原まつばら小貝濱こがひはま

泊はつるや小舟をぶね船越ふなごしの

昔むかしは汐しほも通かよひけん

これや月日つきひの破壞はゑならじ

潮しほのひきたる煌砂きらゝずな

うみの子こならで誰たれかまた

かゝる汀みぎはに仄白ほのじろき

鏡かゞみありとや思おもふべき

大海原おほうなばらと入海いりうみと

こゝに迫せまりて海神わたつみが

こゝろなぐさや手てすさびや

陸くがを細ほそめし鑿のみの業わざ

今いま細雲ほそぐもの曳ひき渡わたし

紀路きぢは遙はるけし三熊野みくまのや

白木綿しらゆふ咲さける海岸うみぎしに

落おつると見みゆる夕日ゆふひかな

夏日孔雀賦

園そのの主あるじに導みちびかれ

庭にはの置石おきいし石燈籠いしどうろ

物古ものふる木立こだち築山つきやまの

景けい有ある所ところうち過すぎて

池いけのほとりを來きて見みれば

棚たなにつくれる藤ふぢの花はな

紫むらさき深ふかき彩雲あやぐもの

陰かげにかくるゝ鳥屋とやにして

番つがひの孔雀くじやく砂すなを踏ふみ

優いうなる姿すがた睦むつるゝよ

地ちに曳ひく尾羽をばの重おもくして

歩あゆみはおそき雄をの孔雀くじやく

雌鳥めとりを見みれば嬌たをやかに

柔和にうわの性しやうは具そなふれど

綾あやに包つゝめる毛衣けごろもに

己おのれ眩まばゆき風情ふぜいあり

雌鳥めどり雄鳥をどりの立竝たちならび

砂すなにいざよふ影かげと影かげ

飾かざり乏とぼしき身みを恥はぢて

雌鳥めとりは少すこし退しりぞけり

落羽おちばは見みえず砂すなの上うへ

清きよく掃はきたる園守そのもりが

帚はゝきの痕あとも失うせやらず

一ひとつ落おち散ちる藤浪ふぢなみの

花はなを啄ついばむ雄をの孔雀くじやく

長ながき花總はなぶさ地ちに垂たれて

歩あゆめば遠とほし砂原いさごばら

見みよ君きみ來きたれ雄をの孔雀くじやく

尾羽をば擴ひろぐるよあなや今いま

あな擴ひろげたりこと〲く

こゝろ籠こめたる武士ものゝふの

晴はれの鎧よろひに似にたるかな

花はなの宴さかもり宮内みやうちの

櫻襲さくらがさねのごときかな

一ひとつの尾羽をばをながむれば

右みぎと左ひだりにたち別わかれ

みだれて靡なびく細羽ほそばねの

金絲きんしの縫ぬひを捌さばくかな

圓まろく張はりたる尾をの上うへに

圓まろくおかるゝ斑ふを見みれば

雲くもの峯みね湧わく夏なつの日ひに

炎ほのほは燃もゆる日輪にちりんの

半なかば蝕しよくする影かげの如ごと

さても面おもては濃こまやかに

げに天鵞絨びろうどの軟やはらかき

これや觸ふれても見みまほしの

指ゆびに空むなしき心地こゝちせむ

いとゞ和毛にこげのゆたかにて

胸むねを纒まとへる光輝かゞやきと

紫むらさき深ふかき羽衣はごろもは

紺地こんぢの紙かみに金泥こんでいの

文字もじを透すかすが如ごとくなり

冠かぶりに立たてる二本ふたもとの

羽はねは何物なにもの直すぐにして

位くらゐを示しめす名鳥めいてうの

これ頂いたゞきの飾かざりなり

身みはいと小ちさく尾をは廣ひろく

盛さかんなるかな眞白ましろなる

砂すなの面おもてを歩あゆみ行ゆく

君きみそれ砂すなといふ勿なかれ

この鳥とり影かげを成なす所ところ

妙たへの光ひかりを眼めにせずや

仰あふげば深ふかし藤ふぢの棚たな

王者わうじやにかざす覆蓋ふくがいの

形かたちに通かよふかしこさよ

四方よもに張はりたる尾をの羽はねの

めぐりはまとふ薄霞うすがすみ

もとより鳥屋とやのものなれど

鳥屋とやより廣ひろく見みゆるかな

何事なにごとぞこれ圓まどらかに

張はれる尾羽をばより風かぜ出いでゝ

見みよ漣さゞなみの寄よるごとく

羽はねと羽はねとを疾とくぞ過すぐ

天あまつ錦にしきの羽はの戰そよぎ

香かをりの草くさはふまずとも

香かをらざらめやその和毛にこげ

八百重やほへの雲くもは飛とばずとも

響ひゞかざらめやその羽はがひ

獅子しゝよ空むなしき洞ほらをいで

小暗をぐらき森もりの巖角いはかどに

その鬣たてがみをうち振ふるふ

猛たけき姿すがたもなにかせむ

鷲わしよ御空みそらを高たかく飛とび

日ひの行ゆく道みちの縱横たてよこに

貫つらぬく羽はねを搏うち羽はぶく

雄々をゝしき影かげもなにかせむ

誰たれか知しるべき花蔭はなかげに

鳥とりの姿すがたをながめ見みて

朽くちず亡ほろびず價あたひある

永久とはの光ひかりに入いりぬとは

誰たれか知しるべきこゝろなく

庭には逍遙せうえうの目めに觸ふれて

孔雀くじやくの鳥屋とやの人ひとの世よに

高たかき示しめしを與あたふとは

時ときは滅ほろびよ日ひは逝ゆけよ

形かたちは消きえよ世よは失うせよ

其處そこに殘のこれるものありて

限かぎりも知しらず極きはみなく

輝かゞやき渡わたる樣さまを見みむ

今いまわれ假かりにそのものを

美うつくしとのみ名なづけ得うる

振放ふりさけ見みれば大空おほぞらの

日ひは午ごに中あたり南みんなみの

高たかき雲間くもまに宿やどりけり

織おりて隙ひまなき藤浪ふぢなみの

影かげは幾重いくへに匂にほへども

紅くれなゐ燃もゆる天津日あまつひの

焔ほのほはあまり強つよくして

梭をさと飛とび交かひ箭やと亂みだれ

銀ぎんより白しろき穗ほを投なげて

これや孔雀くじやくの尾をの上うへに

盤渦うづ卷まきかへり迸ほとばしり

或あるひは露つゆと溢こぼれ零おち

或あるひは霜しもとおき結むすび

彼處かしこに此處こゝに戲たはぶるゝ

千々ちゞの日影ひかげのたゞずまひ

深ふかき淺あさきの差異けじめさへ

色薄尾羽いろうすをばにあらはれて

涌來わきくる彩あやの幽かすかにも

末すゑは朧おぼろに見みゆれども

盡つきぬ光ひかりの泉いづみより

ひまなく灌そゝぐ金きんの波なみ

と見みるに近ちかき池いけの水みづ

あたりは常つねのまゝにして

風かぜなき晝ひるの藤ふぢの花はな

靜しづかに垂たれて咲さけるのみ

今いま夏なつの日ひの初はじめとて

菖蒲あやめ刈かり葺ふく頃ころなれば

力ちからあるかな物ものの榮はえ

若わかき緑みどりや樹きは繁しげり

煙けぶりは深ふかし園そのの内うち

石いしも青葉あをばや萌もえ出いでん

雫しづくこぼるゝ苔こけの上うへ

雫しづくも堅かたき思おもひあり

思おもへば遠とほき冬ふゆの日ひに

かの美うつくしき尾をも凍こほる

寒さぶき塒ねぐらに起臥おきふして

北風きたかぜ通かよふ鳥屋とやのひま

雙ふたつの翼つばさうちふるひ

もとよりこれや靈鳥れいてうの

さすがに羽はねは亂みださねど

塵ちりのうき世よに捨すてられて

形かたちは薄うすく胸むねは痩やせ

命いのち死しぬべく思おもひしが

かくばかりなるさいなみに

鳥とりはいよ〱美うつくしく

奇くしき戰いくさや冬ふゆは負まけ

春はるたちかへり夏なつ來きたり

見みよ人ひとにして桂かつらの葉は

鳥とりは御空みそらの日ひに向むかひ

尾羽をばを擴ひろげて立たてるなり

讚さんに堪たへたり光景くわうけいの

庭にはの面おもてにあらはれて

雲くもを驅かけ行ゆく天てんの馬うま

翼つばさの風かぜの疾とく強つよく

彼處かしこ蹄ひづめや觸ふれけんの

雨あめも溶とき得えぬ深緑ふかみどり

澱おり未まだ成ならぬ新造酒にひみきの

流ながれを見みれば倒さかしまに

底そここと〲くあらはれて

天そらといふらし盃さかづきの

落おとすは淺黄あさぎ瑠璃るりの河かは

地ちには若葉わかばの神飾かみかざり

誰たれ行ゆくらしの車路くるまぢぞ

朝あさと夕ゆふとの雙手もろでもて

擎さゝぐる珠たまは陰光かげひかり

溶とけて去いなんず春花はるばなに

くらべば強つよき夏花なつばなや

成なれるや陣ぢんに驕慢けうまんの

汝なんぢ孔雀くじやくよ華はなやかに

又またかすかにも濃こまやかに

千々ちゞの千々ちゞなる色彩いろあやを

間まなく時ときなく眩まばゆくも

標あらはし示しめすたふとさよ

草くさは靡なびきぬ手てを擧あげて

木々きゞは戰そよぎぬ袖そで振ふりて

即すなはち物ものの證明あかしなり

かへりて思おもふいにしへの

人ひとの生命いのちの春はるの日ひに

三保みほの松原まつばら漁夫いさりをの

懸かゝる見みしてふ天あまの衣きぬ

それにも似にたる奇蹟きせきかな

こひねがはくば少すくなくも

此處こゝも駿河するがとよばしめよ

斯かくて孔雀くじやくは尾をををさめ

妻つま戀こふらしや雌めをよびて

語かたらふごとく鳥屋とやの内うち

花はな恥はづかしく藤棚ふぢだなの

柱はしらの陰かげに身みをよせて

隱かくるゝ風情ふぜい哀あはれなり

しば〱藤ふぢは砂すなに落おち

ふむにわづらふ鳥とりと鳥とり

あな似につかしき雄をの鳥とりの

羽はねにまつはる雌めの孔雀くじやく

花賣

花賣娘はなうりむすめ名なはお仙せん

十七花はなを賣うりそめて

十八戀こひを知しりそめて

顏かほもほてるや恥はづかしの

蝮はみに噛かまれて脚あし切きるは

山家やまがの子等こらに驗げんあれど

戀こひの附子矢ぶすやに傷きずつかば

毒どくとげぬくも晩おそからん

村むらの外はづれの媼おばにきく

昔むかしも今いまも花賣はなうりに

戀こひせぬものはなかりけり

花はなの蠱まどはす業わざならん

市いちに艶えんなる花賣はなうりが

若わかき脈搏みやくうつ花はな一枝ひとえ

彌生やよひ小窓こまどにあがなひて

戀こひの血汐ちしほを味あぢははん

月光日光

月光げつくわうの

語かたるらく

わが見みしは一いちの姫ひめ

古ふるあをき笛ふえ吹ふいて

夜よも深ふかく塔あらゝぎの

階級きざはしに白々しら〲と

立たちにけり

日光につくわうの

語かたるらく

わが見みしは二つぎの姫ひめ

香木かうぼくの髓ずゐ香かをる

槽桁ふなげたや白乳はくにうに

浴ゆあみして降ふりかゝる

花姿はなすがた天人てんにんの

喜悦よろこびに地つちどよみ

虹にじたちぬ

月光げつくわうの

語かたるらく

わが見みしは一いちの姫ひめ

一葉舟ひとはぶね湖こにうけて

霧きりの下したまよひては

髮かみかたちなやましく

亂みだれけり

日光につくわうの

語かたるらく

わが見みしは二つぎの姫ひめ

顏かほ映うつる圓柱まろばしら

驕おごり鳥どり尾をを觸ふれて

風かぜ起おこり波なみ怒いかる

霞立かすみたつ空殿くうでんを

七尺せきの裾すそ曳ひいて

黄金わうごんの跡あと印つけぬ

月光げつくわうの

語かたるらく

わが見みしは一いちの姫ひめ

死しの島しまの岩陰いはかげに

青白あをじろくころび伏ふし

花はなもなくむくろのみ

冷ひえにけり

日光につくわうの

語かたるらく

わが見みしは二つぎの姫ひめ

城しろ近ちかく草くさふみて

妻つま覓まぐと來こし王子みこは

太刀取たちとりの恥はぢ見みじと

火ひを散ちらす駿足しゆんそくに

かきのせて直走ひたばせに

國領こくりやうを去さりし時とき

春風はるかぜは微吹そよふきぬ

華燭賦

律師りしは麓ふもとの

寺てらをいでゝ

駕がは山やまの上うへ

竹たけの林はやしの

夕ゆふべの家いへの

門かどに入いりぬ

親戚うから誰彼たれかれ

宴えんをたすけ

小皿こざらの音おと

厨くりやにひゞき

燭しよくを呼よぶ聲こゑ

背戸せどに起おこる

小桶こをけの水みづに

浸ひたすは若菜わかな

若菜わかなを切きるに

爼板まないた馴なれず

新あたらしき刃はの

痕あともなければ

菱形ひしがたなせる

窓まどの外そとに

三尺じやくの雪ゆき

戸とを壓あつして

靜しづかに暮くるゝ

山やまの夕ゆふべ

夕ゆふべは

樂たのしき時とき

夕ゆふべは

清きよき時とき

夕ゆふべは

美うつくしき時とき

この夕ゆふべ

雪ゆきあり

この夕ゆふべ

月つきあり

この夕ゆふべ

宴うたげあり

火ひの氣け弱よわきを

憂うれひて

竈かまどにのみ

立たつな

室しつに入いりて

花はなの人ひとを見みよ

花はなの人ひとと

よびまゐらせて

この夕ゆふべは

名なはいはず

この夕ゆふべは

名ななし

律師りし席せきに入いつて

霜毫しやうがう威ゐあり

長人ちやうじんを煩わづらはすに

堪たへたり夕ゆふべ

琥珀こはくの酒さけ

酌くむに盃さかづきあり

盃さかづきの色いろ

紅くれなゐなるを

山人やまびと驕奢おごりに

長ちやうずと言いふか

紅くれなゐは紅くれなゐの

芙蓉ふようの花はなの

秋あきの風かぜに

折をれたる其日そのひ

市いちの小路こうぢの

店みせに獲えたるを

律師りし詩しに堪能かんのう

箱はこの蓋ふたに

紅花盃こうくわはいと

書しよして去さりぬ

紅花盃こうくわはいを

重かさねて

雪夜せつやの宴えん

月つき出いでたり

月つき出いでたるに

島臺しまだいの下もと暗くらき

島臺しまだいの下もと

暗くらき

蓬莱ほうらいの

松まつの上うへに

斜なゝめにおとす

光ひかりなれば

銀ぎんの錫懸すゞかけ

用意よういあらむや

山やまの竹たけより

笹さゝを摘つみて

陶瓶すがめの口くちに

插させしのみ

王者わうじやの調度てうどに

似にぬは何々なに〱

其子そのこの帶おびは

うす紫むらさきの

友禪染いうぜんぞめの

唐縮緬とうちりめんか

艶つやある髮かみを

結むすぶ時ときは

風かぜよく形かたちに

逆さからひ吹ふくと

怨えんずる恨うらみ

今いま無なし

若わかき木樵きこりの

眉まゆを見みれば

燭しよくを剪きる時とき

陰かげをうけて

額ぬか白しろき人ひと

室しつにあり

袴はかまのうへに

手てをうちかさね

困こうずる席せきは

花はなのむしろ

筵むしろの色いろを

評ひやうするには

まだ唇くちびるの

紅べにぞ深ふかき

北きたの家いへより

南みなみの家いへに

來くる道みちすがら

得えたる思おもひは

花はなにあらず

蜜みつにあらず

花はなよりも

蜜みつよりも

美うつくしく甘あまき

思おもひは胸むねに溢あふれたり

雷いかづち落おちて

藪やぶを燒やきし時とき

諸手もろてに腕かひなを

許ゆるせし人ひとは

今いま相對あひむかひて

月つきを挾はさむ

盃さかづきとるを

羞はづる二人ふたりは

天てんの上うへ

若わかき星ほしの

酒さけの泉いづみの

前まへに臨のぞみて

香にほへる浪なみに

恐おづる風情ふぜい

紅花盃こうくわはい

琥珀こはくの酒さけ

白しろき手てより

荒あらき手てにうけて

百の矢やうくるも

去さるな二人ふたり

御寺みてらの塔たふの

扉とびらに彫ほれる

神女しんによの戲たはぶれ

笙しやうを吹ふいて

舞まふにまされる

雪夜せつやのうたげ

律師りし駕がに命めいじて

北きたの家いへに行ゆき

月下げつかの氷人ひようじん

去さりて後のち

二人ふたりいさゝか

容儀かたちを解ときぬ

夜よを賞しやうするに

律師りしの詩しあり

詩しは月中げつちゆうに

桂樹けいじゆ挂かゝり

千丈ぢやう枝えだに

銀ぎんを着つく

銀光ぎんくわう溢あふれて

家いへに入いらば

卜ぼくする所ところ

幸さいはひなりと

五月野

五月野さつきのの晝ひるしらみ

瑠璃囀るりてんの鳥とりなきて

草くさ長ながき南國みなみぐに

極熱ごくねつの日ひに火もゆる

謎なぞと組くむ曲路まがりみち

深沼ふけぬまの岸きしに盡つき

人形ひとがたの樹立こだち見みる

石いしの間ひま青あをき水みづ

水みづを截きる圓肩まろがたに

睡蓮ひつじぐさ花はなを分わけ

のぼりくる美うまし君きみ

柔やはらかに眼めを開あけて

玉藻髮たまもがみ捌さばけ落おち

眞素膚ますはだに飜かへる浪なみ

木々きゞの道みち木々きゞに倚より

多さはの草くさ多さはにふむ

葉はの裏うらに虹にじ懸かゝり

姫ひめの路みち金こがね撲うつ

大地おほづちの人離野ひとがれの

變化へんげ居をる白日時まひるどき

垂鈴たりすゞの百濟物くだらもの

熟うれ撓たわむ石いしの上うへ

みだれ伏ふす姫ひめの髮かみ

高圓たかまどの日ひに乾かはく

手枕たまくらの腕かひなつき

白玉しらたまの夢ゆめを展のべ

處女子をとめごの胸肉むなじゝは

力ちからある足たりの弓ゆみ

五月野さつきのの濡跡道ぬれとみち

深沼ふけぬまの小黒水をぐろみづ

落星おちぼしのかくれ所どと

傳つたへきく人ひとの子等こら

空像うたかたの數かず知しらず

うかびくる岸きしの隈くま

湧わき上のぼる高水たかみづに

いま起おこる物ものの音おと

めざめたる姫ひめの面おも

丹穗にのほなす火ひにもえて

たわわ髮がみ身みを起おこす

光宮ひかりみや玉たまの人ひと

微笑ほゝゑみて下くだり行ゆく

湖うみの底そこ姫ひめの國くに

足あうらふむ水みづの梯はし

物ものの音おと遠とほざかる

目路めぢのはて岸木立きしこだち

晝ひる下おちず日ひの眞洞まほら

迷野まよひのの道みちの奧おく

水姫みづひめを誰たれ知しらむ

花柑子

島國しまぐにの花柑子はなかうじ

高圓たかまどに匂にほふ夜よや

大渦おほうづの荒潮あらじほも

羽はねをさめほゝゑめり

病やめる子こよ和なごの今いま

窓まどに倚より常花とこはなの

星村ほしむらにぬかあてゝ

さめ〲となけよかし

生いくをとめ月姫つきひめは

新あらたなる丹にの皿さらに

開命さくいのち貴寶あでを盛もり

よろこびの子こにたびん

清きよらなる身みとかはり

五月野さつきのの遠をちを行ゆく

花環はなたまき虹にじめぐり

銀しろがねの雨あめそゝぐ

不開の間

花吹雪はなふぶき

まぎれに

さそはれて

いでたまふ

館たちの姫ひめ

蝕むしばめる

古梯ふるはし

眼めの前まへに

櫓やぐらだつ

不開あけずの間ま

香かぐの物もの

焚たきさし

採火女ひとりめく

影かげ動うごき

きえにけり

夢ゆめの華はな

處女をとめの

胸むねにさき

きざはしを

のぼるか

諸扉もろとびら

さと開あく

風かぜのごと

くらやみに

誰たぞあるや

色いろ蒼あをく

まみあけ

衣冠いくわんして

束帶そくたいの

人ひと立たてり

思おもふ今いま

いけにへ

百年もゝとせを

人柱ひとばしら

えも朽くちず

年とし若わかき

つはもの

戀人こひびとを

持もち乍ながら

うめられぬ

怪けし瞳ひとみ

炎ほのほに

身みは燃もえて

死しにながら

輝かゞやける

何なにしらん

禁制いましめ

姫ひめの裾すそ

なほ見みえぬ

扉とびらとづ

白壁しらかべに

居をる蟲むし

春はるの日ひは

うつろなす

暮くれにけり

安乘の稚兒

志摩しまの果はて安乘あのりの小村こむら

早手風はやてかぜ岩いはをどよもし

柳道やなぎみち木々きゞを根ねこじて

虚空みそら飛とぶ斷ちぎれの細葉ほそば

水底みなぞこの泥どろを逆上さかあげ

かきにごす海うみの病いたづき

そゝり立たつ波なみの大鋸おほのこ

過よげとこそ船ふねをまつらめ

とある家やに飯いひ蒸むせかへり

男をもあらず女めも出いで行ゆきて

稚兒ちごひとり小籠こかごに坐すわり

ほゝゑみて海うみに對むかへり

荒壁あらかべの小家こいへ一村ひとむら

反響こだまする心こゝろと心こゝろ

稚兒ちごひとり恐怖おそれをしらず

ほゝゑみて海うみに對むかへり

いみじくも貴たふとき景色けしき

今いまもなほ胸むねにぞ跳をどる

少わかくして人ひとと行ゆきたる

志摩しまのはて安乘あのりの小村こむら

鬼の語

顏かほ蒼白あをじろき若者わかものに

祕ひそめる不思議ふしぎきかばやと

村人むらびと數多あまた來きたれども

彼かれはさびしく笑わらふのみ

前きその日ひ村むらを立出たちいでゝ

仙者せんじやが嶽たけに登のぼりしが

恐怖おそれを抱いだくものゝごと

山やまの景色けしきを語かたらはず

傳つたへ聞きくらく此この河かはの

きはまる所ところ瀧たきありて

其それより奧おくに入いるものは

必かならず山やまの祟たゝりあり

蝦蟆がま氣きを吹ふいて立曇たちくもる

篠竹原しのだけはらを分わけ行ゆけば

冷ひえし掌てのひらあらはれて

項うなじに顏かほに觸ふるゝとぞ

陽炎かげろふ高たかさ二萬尺まんじやく

黄山きやま赤山あかやま黒山くろやまの

劍けんを植うゑたる頂いたゞきに

祕密ひみつの主ぬしは宿やどるなり

盆ぼにの一日ひとひは暮くれはてゝ

淋さびしき雨あめと成なりにけり

怪けしく光ひかりし若者わかものの

眼まなこの色いろは冴さえ行ゆきぬ

劉邦りうはう未いまだ若わかうして

谷路たにぢの底そこに蛇じやを斬きりつ

而しかうして彼かれ漢王かんわうの

位くらゐをつひに贏かち獲えたり

この子こも非凡ひぼん山やまの氣けに

中あたりて床とこに隱こもれども

禁きんを守まもりて愚鈍者ぐどんじやに

鬼おにの語ことばを語かたらはず

戲れに

わが居をる家いへの大地おほづちに

黒くろき帝みかどの住すみたまひ

地震なゐの踊をどりの優いうなれば

下くだり來きたれと勅ちよくあれど

われは行ゆきえず人ひとなれば

わが居をる家いへの大空おほぞらに

白しろき女王めぎみの住すみたまひ

星ほしの祭まつりの艶えんなれば

上のぼり來きたれと勅ちよくあれど

われは行ゆきえず人ひとなれば

わが居をる家いへの古厨子ふるづしに

遠とほき御祖みおやの住すみたまひ

とこ降ふる花はなのたへなれば

開あけて來きたれとのたまへど

われは行ゆきえず人ひとなれば

わが居をる家いへの厨内くりやうち

働はたらく妻つまをよびとめて

夕ゆふべの設まけをたづぬるに

好このめる魚うをのありければ

われは行ゆきけり人ひとなれば

初陣

父ちゝよ其その手綱たづなを放はなせ

槍やりの穗ほに夕日ゆふひ宿やどれり

數かぞふればいま秋あき九月ぐわつ

赤帝せきていの力ちから衰おとろへ

天てん高たかく雲くも野のに似にたり

初陣うひぢんの駒こま鞭むちうたば

夢ゆめ杳はるか兜かぶとの星ほしも

きらめきて東道みちしるべせむ

父ちゝよ其その手綱たづなを放はなせ

狐きつね啼なく森もりの彼方かなたに

月つき細ほそくかゝれる時ときに

一ひとすぢの烽火のろしあがらば

勝軍かちいくさ笛ふえふきならせ

軍神いくさがみわが肩かたのうへ

銀燭ぎんしよくの輝かゞやく下もとに

盃さかづきを洗あらひて待まちね

父ちゝよ其その手綱たづなを放はなせ

髮かみ皤しろくきみ老おいませり

花はな若わかく我わが胸むね踴をどる

橋はしを斷たちて砲つゝおしならべ

巖いは高たかく劍つるぎを植うゑて

さか落おとし千丈ぢやうの崖がけ

大雷雨だいらいう奈落ならくの底そこ

風かぜ寒さむしあゝ皆みな血汐ちしほ

父ちゝよ其その手綱たづなを放はなせ

君きみしばしうたゝ寢ねのまに

繪卷物ゑまきもの逆ぎやくに開ひらきて

夕ゆふべ星ほし波間なみまに沈しづみ

霧きり深ふかく河かはの瀬せなりて

野のの草くさに亂みだるゝ螢ほたる

石いしの上うへ惡氣あくき上のぼりて

亡跡なきあとを君きみにしらせん

父ちゝよ其その手綱たづなを放はなせ

故郷ふるさとの寺てらの御庭みにはに

うるはしく列ならぶおくつき

栗くりの木きのそよげる夜半よはに

たゞ一人ひとりさまよひ入いりて

母上はゝうへよ晩おそくなりぬと

わが額ぬかをみ胸むねにあてゝ

ひたなきになきあかしなば

わが望のぞみ滿みち足たらひなん

神かみの手てに抱いだかれずとも

父ちゝよ其その手綱たづなを放はなせ

雲くもうすく秋風あきかぜ吹ふきて

萩はぎ芒すゝき高たかなみ動うごき

軍人いくさびと小松こまつのかげに

遠祖みおやらの功名いさををゆめむ

今いまぞ時とき貝かひが音ねひゞく

初陣うひぢんの駒こまむちうちて

西にしの方かた廣野ひろのを驅からん

駿馬問答

使者

月毛つきげなり連錢れんぜんなり

丈たけ三寸ずん年とし五歳さい

天上てんじやう二十八宿しゆくの連錢れんぜん

須彌しゆみ三十二相さうの月毛つきげ

青龍せいりゆうの前脚まへあし

白虎びやくこの後脚うしろあし

忠ちゆうを踏ふむか義ぎを踏ふむか

諸蹄もろひづめの薄墨色うすずみいろ

落花らくくわの雪ゆきか飛雪ひせつの花はなか

生はえつきの眞白栲ましろたへ

竹たけを剥はぎて天てんを指さす兩りやうの耳みゝのそよぎ

鈴すゞを懸かけて地ちに向むかふ雙さうの目めのうるほひ

擧あがれる筋すぢ怒いかれる肉しゝ

銀河ぎんがを倒さかしまにして膝ひざに及およぶ鬣たてがみ

白雲はくうんを束つかねて草くさを曳ひく尾を

龍蹄りゆうていの形かたち驊騮くわりゆうの相さう

神馬しんめか天馬てんばか

言語道斷ごんごだうだん希代きだいなり

城主じやうしゆの御親書ごしんしよ

獻上けんじやう違背ゐはい候さふらふまじ

駿馬の主

曲事くせごと仰あふせ候さふらふ

城主じやうしゆの執心しゆうしん物ものに相應ふさはず

夫それ駿馬しゆんめの來きたるは

聖代せうだい第だい一の嘉瑞かずゐなり

虞舜ぐしゆんの世よに鳳凰ほうわう下くだり

孔子こうしの時ときに麒麟きりん出いづるに同おなじ

理世安民りせいあんみんの治略ちりやく至いたらず

富國殖産ふこくしよくさんの要術えうじゆつなくして

名馬めいばの所望しよまう及および候さふらはず

使者

御馬おんうまの具ぐは何々なに〱

水干鞍すゐかんくらの金覆輪きんぷくりん

梅うめと櫻さくらの螺鈿かながひは

御庭おにはの春はるの景色けしきなり

韉あをりの縫物ぬひものは

飛鳥ひてうの孔雀くじやく七寶はうの縁飾へりかざり

雲龍うんりゆうの大履脊おほなめ

紗きぬの鞍帊くらおほひ

さて蘇芳染すはうぞめの手綱たづなとは

人車記じんしやきの故實こじつに出いで

鐵地かなぢの鐙あぶみは

一葉えふの船ふねを形容かたどつたり

𩋠おがもひルビの「おがもひ」はママ鞅むながひ鞦しりがひは

大總おほぶさ小總こぶさ掛かけ交まぜて

五色しきの絲いとの縷糸よりいとに

漣さゞなみ組うつたる連着懸れんぢやくがけ

差繩さしなは行繩やりなは引繩ひきなはの

緑みどりに映はゆる唐錦からにしき

菱形轡ひしがたぐつわ蹄ひづめの鐵かね

馬裝束うまさうぞくの數々かず〱を

盡つくして召めされうづるにても

御錠ごじやう違背ゐはい候さふらふか

駿馬の主

中々なか〱の事ことに候さふらふ

駿馬しゆんめの威徳ゐとくは金銀こんごんを忌いみ候さふらふ

使者

さらば駿馬しゆんめの威徳ゐとく

御物語おんものがたり候さふらへ

駿馬の主

夫それ駿馬しゆんめの威徳ゐとくといつぱ

世よの常つねの口強くちごは足駿あしばや

笠懸かさがけ流鏑馬やぶさめ犬追物いぬおふもの

遊戲いうぎ狂言きやうげんの凡畜ぼんちくにあらず

天竺てんぢく震旦しんたん古例これいあり

馬うまは觀音くわんおんの部衆ぶしゆう

雜阿含經ざうあごんきやうにも四種しゆの馬うまを説とかれ

六波羅密はらみつの功徳くどくにて

畜類ちくるゐながらも菩薩ぼさつの行ぎやう

悉陀太子しつたたいし金色こんじきの龍蹄りゆうていに

十丈ぢやうの鐵門てつもんを越こえ

三界ぐわいの獨尊どくそんと仰あふがれ給たまふ

帝堯ていげうの白馬はくば

穆王ぼくわうの八駿しゆん

明天子めいてんしの徳とく至いたれり

漢かんの光武くわうぶは一日じつに

千里りの馬うまを得え

寧王ねいわう朝夕てうせき馬うまを畫ゑがいて

桃花馬とうくわばを逸いつせり

異國いこくの譚はなしは多おほかれども

類稀たぐひまれなる我宿わがやどの

一の駿馬しゆんめの形相ぎやうさうは

嘶いなゝく聲こゑ落日らくじつを

中天ちゆうてんに囘めぐらし

蹄ひづめの音おと星辰せいしんの

夜よる碎くだくる響ひゞきあり

躍をどれば長髮ちやうはつ風かぜに鳴なつて

萬丈ばんぢやうの谷たにを越こえ

馳はすれば鐵脚てつきやく火ひを發はつして

千里りの道みちに疲つかれず

千斤きんの鎧よろひ百貫くわんの鞍くら

堅轡かたぐつわ強鞭つよむち

鎧よろひかろ〲

鞍くらゆら〱

轡くつわは噛かみ碎くだかれ

鞭むちはうちをれ

飽あくまで肉しゝの硬かたき上うへに

身輕みがるの曲馬きよくば品々しな〲の藝わざ

碁盤立ごばんだち弓杖ゆんづゑ

一文字もんじ杭渡くひわたり

教をしへずして自おのづから法はふを得えたり

扨又さてまた絶險難所ぜつけんなんじよ渡海登山とかいとざん

陸くがを行ゆけば平地へいちを歩あゆむが如ごとく

海うみに入いれば扁舟へんしうに棹さをさすに似にたり

木曾きその御嶽おんたけ駒こまヶ嶽たけ

越こしの白山しらやま立山たてやま

上宮太子じやうぐうたいし天馬てんばに騎きして

梵天宮ぼんてんきうに至いたり給たまひし富士ふじの峯みね

高たかき峯々みね〱嶽々たけ〲

阿波あはの鳴門なると穩戸おんどの瀬戸せと

天龍てんりゆう刀根とね湖水こすゐの渡わたり

聞きこゆる急流きふりう荒波あらなみも

蹄ひづめにかけてかつし〱

肝かん臆おぢず駈かけ早はやし

いつかな馳かけり越こえつべし

そのほか戰場せんぢやうの砌みぎりは

風かぜの音おとに伏勢ふせぜいを覺さとり

雲くもを見みて雨雪うせつをわきまふ

先陣せんぢん先駈さきがけ拔駈ぬけがけ間牒しのび

又または合戰最中かつせんもなかの時とき

槍やり矛ほこ箭や種たねヶ島しま

面めんをふり體たいをかはして

主しゆをかばふ忠ちゆうと勇ゆうは

家子郎等いへのこらうどうに異ことならず

かゝる名馬めいばは奧おくの牧まき

吾妻あづまの牧まき大山だいせん木曾きそ

甲斐かひの黒駒くろごま

その外ほか諸國しよこくの牧々まき〱に

萬頭まんとうの馬うまは候さふらふとも

又また出いづべくも侯さふらはず

名馬めいばの鑑かゞみ駿馬しゆんめの威徳ゐとく

あゝら有難ありがたの我身わがみや候さふらふ

使者

御物語おんものがたり奇特きとくに候さふらふ

とう〱城しろに立歸たちかへり

再度さいどの御親書ごしんしよ

申まうし請こはゞやと存ぞんじ侯さふらふ

駿馬の主

かしまじき御使者おんししや候さふらふ

及およびもなき御所望ごしよまう候さふらへば

いか程ほどの手立てだてを盡つくされ

いくばくの御書おんふみを遊あそばされ候さふらふとも

御料おんれうには召めされまじ

法螺ほら鉦かね陣太鼓ぢんだいこ

旗はたさし物もの笠符かさじるし

軍兵ぐんぴやう數多あまた催もよほされて

家いへのめぐり十重二十重とへはたへ

閧ときの聲こゑあげてかこみ候さふらふとも

召料めしれうには出いださじ

器量きりやうある大將軍たいしやうぐんにあひ奉まつらば

其時そのときこそ駒こまも榮はえあれ駒主こまぬしも

道々みち〱引ひくや四季繩しきなはの

春はるは御空みそらの雲雀毛ひばりげ

夏なつは垣かきほの卯花うのはな鴇毛つきげ

秋あきは落葉おちばの栗毛くりげ

冬ふゆは折をれ伏ふす蘆毛あしげ積つもる雪毛ゆきげ

數多かずおほき御馬おんうまのうちにも

言上ごんじやういたして召めされ候さふらはん

拜謁はいえつ申まうして駿馬しゆんめを奉たてまつらん

この篇へん『飾馬考かざりうまかんがへ』『驊騮全書くわりうぜんしよ』『武器考證ぶきかうしよう』『馬術全書ばじゆつぜんしよ』『鞍鐙之辯くらあぶみのべん』『春日神馬繪圖及解かすがしんばゑづおよびげ』『太平記たいへいき』及および巣林子さうりんしの諸作しよさくに憑よる所ところ多おほし敢あへて出所しゆつしよを明あきらかにす

底本 / Source edition

底本:「詩集 孔雀船」岩波文庫、岩波書店
1938(昭和13)年4月5日発行
初出:「孔雀船」左久良書房
1906(明治39)年5月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※[#「邊」の「宀」に代えて「冖」、「儿」に代えて「八」、「自」の2画目と3画目を下に伸ばす、30-10]は「デザイン差」と見て「邊」で入力しました。
入力:蒋龍
校正:荒木恵一
2014年3月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/049851_000430/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/049851_000430/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/049851_000430/

伊良子 清白「孔雀船」(旧字旧仮名)、底本『詩集 孔雀船』岩波文庫、岩波書店、1938年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 049851_000430, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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