Soranoha

図書館協会六十周年に寄せて

としょかんきょうかいろくじっしゅうねんによせて

中井 正一

ユネスコの国際的報告書を読むと、日本はイスラエルとパキスタンにはさまれて、日本は図書館に関して処女地 Virgin Soil であると書いてあるにすぎぬのである。

私はこの数行を読むとき、いかにも敗れたる国のみじめな国際的取り扱いの地位を感じさせられたのである。

一等国であったのは、軍艦「大和」と、「人間魚雷」だけであって、文化の組織としては、パキスタン級であると世界は見、一野蛮国扱いなのである。

果たしてそうであろうか。しかも六十年の図書館の協会史をもっていてである。

ここに私たちの反省すべき点があるのである。彼らが図書館というのは、公衆がつくった、公衆のための、公衆が主宰する図書館のことである。

日本のこれまでの封建制の貴族の所有物であったとき、単にそれは財宝であって、人によって害せられず、水火で損ぜられないことがその主な目的であった風習がいまだ残っていたのである。

まだ陽明文庫が、その形をもっているように、富豪の持ち物としての静嘉堂文庫、東京文庫すらその形式を追っていたのである。

地方の中央図書館も、浅野文庫がそうであったように、それから転化したものがあったのである。

この伝統のもとにあったものは、はるかに民衆の上に聳えたち、見下し、威厳を保っていたのである。

欧州でも、この出発をもち、かの丸天井のロマネスクの教会風な威厳のコケ威しは、その残存物である。アメリカの国会図書館の旧館でも、レーニン図書館すらその残存物を残している。

この伝統を、欧米はいち早く脱して、「文庫から図書館へ」の道を一九〇〇年代に蝉脱していったのである。

日本は、それから立ち後れていったのである。協会はできていたが、会長と、図書館人との関係は、やはり大名と小名の身分関係の上に成立していたとも考えられるのである。

ちょうどそれのように、本の多く、建物の大きく、歴史の古いのが大図書館として格が上であると考えていたのである。

何ぞしらん、もし、公衆の利用の点からいうならば、この格は反対の場合もあるのである。何故ならば一度配列したら容易に動かせない本とカードの構造は、それは古い図書館ほど、その形式も古い可能性が多いのである。中にいる人がいかに立派でも、もし、人員と予算が少ないときは、いかんともしがたいときがあるのである。

数年前、アメリカ図書館使節、ロバート・ダウンズ氏が上野図書館を見たとき、本が大きさの順に列んでいるのを見て、前の国立図書館がこの状態では、と、その驚きと打撃は大きかったらしい。

しかし、百万冊の本ともなれば、人と予算がなければ、その中の人々は日本最高水準の人であったにもかかわらずいかんともしがたいのである。

上野図書館が近年(戦前)まで、本を読むには、上衣を着るか、袴をはいてこいという、半封建的文庫形式をもっていたことが積り積って、ここまできたことは反省さるべきである。

戦終って、アメリカ文化が、民衆の基礎の上に生きるという基調を、日本に流入する傾向をもつにあたって、図書館に対して、占領軍が、もった興味は並々ならぬものがあった。

そのいちじるしい成果は、国立国会図書館の創設がその第一である。図書館法が第二である。第三は、十万ドルの軍経費で、アメリカから五人の教師を送り込んで慶応に図書館学校を開いていることである。

学校教育のみでなく、社会教育としての図書館が、いまだ真の意味の民衆のものとしての図書館になっていないことへの奇蹟的立ち後れへの痛感が、これらの企画となったと思われるのである。

昨年から今年に各地におこなわれたウォークショップ(現場討論)形式の講習は新しい息吹きを人々にあたえた。もはや、図書館の大小で格は定まらなくなった。

すでに若い図書館人は、会議の議事整理で老館長たちをしのぎはじめた。また地区図書館協議会の議題など、小さい村の図書館長のほうがその実験の材料を多くもっているのである。また小図書館司書のほうがカードの切り替えについては、実験的知識をより多くもって中央の大図書館に教えるところ多かったのである。何故ならば本が少ないからその実験に堪えうるのである。もはや、格の身分的上下はまさに転倒しはじめたのである。

かくて、近年の図書館大会に至っては、協議会は、もはや、往年の懇親会、酒飲み会の形式を蝉脱して、委員会組織体としての構成を完成しはじめたのである。

このたびの六十周年は、この新しい出発点としてのスタートラインにつくことを意味するかのようである。

課題はより大きく眼前に横たわっている。すなわちそれは、大衆に奉仕することは、図書館が大組織体として民族を打って一丸とする人造人間のような機構となることである。

全国の図書館のカードを一目に見ることのできる綜合目録、統一されたる印刷カードの普及等、まさに今出発したるところである。

公共図書館と、学校図書館は、その協議体を協同的二大組織として、選書およびカード操作において、その歩調をととのえるべきである。

出版界も、新聞界も、この組織網のバックアップとして、その力を糾合し、その販売網の対象として強力なる組織体として援助されたいのである。七千の公民館は、図書館の萌芽として、その形を眼前にととのえつつあるのである。

かくて、公共図書館が村々に一万の数を数え、学校図書館が四万五千の組織をもって、敏活な委員会をもってつながるとき、私は東亜十ヵ国の人々に、読書を通じてその偉容を誇り、何人の前にも恥ずることなき文化の一等国への道をきり開くことができるのである。

いつまでも、わが民族は一野蛮国としての図書館の処女地であってはならない、文化の瑞穂の国であらねばならない。

*『出版ニュース』一九五一年十月上旬号

底本 / Source edition

底本:「中井正一全集 第四巻 文化と集団の論理」美術出版社
1981(昭和56)年5月25日第1刷
初出:「出版ニュース」
1951(昭和26)年10月上旬号
入力:鈴木厚司
校正:富田倫生
2009年3月16日作成
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中井 正一「図書館協会六十周年に寄せて──――大衆に奉仕する一大組織体へ」(新字新仮名)、底本『中井正一全集 第四巻 文化と集団の論理』美術出版社、1981年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 049714_001166, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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