Soranoha

妾宅

しょうたく

永井 荷風

一

どうしても心から満足して世間一般の趨勢に伴ともなって行くことが出来ないと知ったその日から、彼はとある堀割のほとりなる妾宅しょうたくにのみ、一人倦うみがちなる空想の日を送る事が多くなった。今の世の中には面白い事がなくなったというばかりならまだしもの事、見たくでもない物の限りを見せつけられるのに堪たえられなくなったからである。進んでそれらのものを打壊そうとするよりもむしろ退しりぞいて隠れるに如しくはないと思ったからである。何も彼かも時世時節ときよじせつならば是非もないというような川柳式せんりゅうしきのあきらめが、遺伝的に彼の精神を訓練さしていたからである。身過みすぎ世過よすぎならば洋服も着よう。生れ落ちてから畳の上に両足を折曲おりまげて育った揉ねじれた身体からだにも、当節の流行とあれば、直立した国の人たちの着る洋服も臆面おくめんなく採用しよう。用があれば停電しがちの電車にも乗ろう。自動車にも乗ろう。園遊会にも行こう。浪花節なにわぶしも聞こう。女優の鞦韆ぶらんこも下からのぞこう。沙翁劇さおうげきも見よう。洋楽入りの長唄ながうたも聞こう。頼まれれば小説も書こう。粗悪な紙に誤植だらけの印刷も結構至極と喜ぼう。それに対する粗忽千万そこつせんばんなジゥルナリズムの批評も聞こう。同業者の誼よしみにあんまり黙っていても悪いようなら議論のお相手もしよう。けれども要するに、それはみんな身過ぎ世過ぎである。川竹の憂き身をかこつ哥沢うたざわの糸より細き筆の命毛いのちげを渡世とせいにする是非なさ……オット大変忘れたり。彼というは堂々たる現代文士の一人いちにん、但し人の知らない別号を珍々先生という半可通はんかつうである。かくして先生は現代の生存競争に負けないため、現代の人たちのする事は善悪無差別に一通りは心得ていようと努めた。その代り、そうするには何処か人知れぬ心の隠家かくれがを求めて、時々生命いのちの洗濯をする必要を感じた。宿やどなしの乞食でさえも眠るにはなお橋の下を求めるではないか。厭いやな客衆きゃくしゅの勤めには傾城けいせいをして引過ひけすぎの情夫まぶを許してやらねばならぬ。先生は現代生活の仮面をなるべく巧たくみに被かぶりおおせるためには、人知れずそれをぬぎ捨てべき楽屋がくやを必要としたのである。昔より大隠たいいんのかくれる町中まちなかの裏通り、堀割に沿う日かげの妾宅は即ちこの目的のために作られた彼が心の安息所であったのだ。

二

妾宅は上あがり框かまちの二畳を入れて僅か四間よまほどしかない古びた借家しゃくやであるが、拭込ふきこんだ表の格子戸こうしどと家内かないの障子しょうじと唐紙からかみとは、今の職人の請負うけおい仕事を嫌い、先頃さきごろまだ吉原よしわらの焼けない時分、廃業する芸者家の古建具ふるたてぐをそのまま買い取ったものである。二階の一間の欄干らんかんだけには日が当るけれど、下座敷したざしきは茶の間も共に、外から這入はいると人の顔さえちょっとは見分かぬほどの薄暗さ。厠かわやへ出る縁先えんさきの小庭に至っては、日の目を見ぬ地面の湿しけ切っていること気味わるいばかりである。しかし先生はこの薄暗く湿しめった家をば、それがためにかえってなつかしく、如何にも浮世に遠く失敗した人の隠家らしい心持ちをさせる事を喜んでいる。石菖せきしょうの水鉢を置いた欞子窓れんじまどの下には朱の溜塗ためぬりの鏡台がある。芸者が弘ひろめをする時の手拭の包紙で腰張した壁の上には鬱金うこんの包みを着た三味線が二梃にちょうかけてある。大きな如輪じょりんの長火鉢ながひばちの傍そばにはきまって猫が寝ている。襖ふすまを越した次の座敷には薄暗い上にも更に薄暗い床とこの間まに、極彩色ごくさいしきの豊国とよくにの女姿が、石州流せきしゅうりゅうの生花いけばなのかげから、過ぎた時代の風俗を見せている。片隅には「命いのち」という字を傘かさの形のように繋つないだ赤い友禅ゆうぜんの蒲団ふとんをかけた置炬燵おきごたつ。その後うしろには二枚折の屏風びょうぶに、今は大方おおかた故人となった役者や芸人の改名披露やおさらいの摺物すりものを張った中に、田之助半四郎たのすけはんしろうなぞの死絵しにえ二、三枚をも交まぜてある。彼が殊更ことさらに、この薄暗い妾宅をなつかしく思うのは、風鈴ふうりんの音ね凉しき夏の夕ゆうべよりも、虫の音ね冴さゆる夜長よりも、かえって底冷そこびえのする曇った冬の日の、どうやら雪にでもなりそうな暮方くれがた近く、この一間ひとまの置炬燵に猫を膝にしながら、所在しょざいなげに生欠伸なまあくびをかみしめる時であるのだ。彼は窓外まどそとを呼び過ぎる物売りの声と、遠い大通りに轟き渡る車の響と、厠の向うの腐りかけた建仁寺垣けんにんじがきを越して、隣りの家うちから聞え出すはたきの音をば何というわけもなく悲しく聞きなす。お妾めかけはいつでもこの時分には銭湯に行った留守のこと、彼は一人燈火あかりのない座敷の置炬燵に肱枕ひじまくらして、折々は隙漏すきもる寒い川風に身顫みぶるいをするのである。珍々先生はこんな処にこうしていじけていずとも、便利な今の世の中にはもっと暖かな、もっと明あかるい賑にぎやかな場所がいくらもある事を能よく承知している。けれどもそういう明い晴やかな場所へ意気揚々と出しゃばるのは、自分なぞが先に立ってやらずとも、成功主義の物欲しい世の中には、そういう処へ出しゃばって歯の浮くような事をいいたがる連中が、あり余って困るほどある事を思返すと、先生はむしろ薄寒い妾宅の置炬燵にかじりついているのが、涙の出るほど嬉しく淋しく悲しく同時にまた何ともいえぬほど皮肉な得意を感ずるのであった。表の河岸通かしどおりには日暮と共に吹起る空からッ風かぜの音が聞え出すと、妾宅の障子はどれが動くとも知れず、ガタリガタリと妙に気力の抜けた陰気な音を響かす。その度々に寒さはぞくぞく襟元えりもとへ浸しみ入る。勝手の方では、いつも居眠りしている下女が、またしても皿小鉢を破こわしたらしい物音がする。炭団たどんはどうやらもう灰になってしまったらしい。先生はこういう時、つくづくこれが先祖代々日本人の送り過越すごして来た日本の家の冬の心持だと感ずるのである。宝井其角たからいきかくの家にもこれと同じような冬の日が幾度いくたびとなく来たのであろう。喜多川歌麿きたがわうたまろの絵筆持つ指先もかかる寒さのために凍こおったのであろう。馬琴ばきん北斎ほくさいもこの置炬燵の火の消えかかった果敢はかなさを知っていたであろう。京伝きょうでん一九いっく春水しゅんすい種彦たねひこを始めとして、魯文ろぶん黙阿弥もくあみに至るまで、少くとも日本文化の過去の誇りを残した人々は、皆おのれと同じようなこの日本の家の寒さを知っていたのだ。しかして彼らはこの寒さと薄暗さにも恨むことなく反抗することなく、手錠をはめられ板木はんぎを取壊とりこわすお上かみの御成敗ごせいばいを甘受していたのだと思うと、時代の思想はいつになっても、昔に代らぬ今の世の中、先生は形ばかり西洋模倣の倶楽部クラブやカフェーの煖炉だんろのほとりに葉巻をくゆらし、新時代の人々と舶来の火酒ウイスキーを傾けつつ、恐れ多くも天下の御政事を云々うんぬんしたとて何になろう。われわれ日本の芸術家の先天的に定められた運命は、やはりこうした置炬燵の肱枕より外ほかにはないというような心持になるのであった。

三

人種の発達と共にその国土の底に深くも根ざした思想の濫觴らんしょうを鑑かんがみ、幾時代の遺伝的修養を経たる忍従棄権の悟さとりに、われ知らず襟えりを正ただす折おりしもあれ。先生は時々かかる暮れがた近く、隣の家うちから子供のさらう稽古の三味線が、かえって午飯過ひるめしすぎの真昼よりも一層賑にぎやかに聞え出すのに、眠るともなく覚めるともなく、疲れきった淋しい心をゆすぶらせる。家うちの中はもう真暗になっているが、戸外おもてにはまだ斜にうつろう冬の夕日が残っているに違いない。ああ、三味線の音色ねいろ。何という果敢はかない、消えも入りたき哀れを催させるのであろう。かつてそれほどに、まだ自己を知らなかった得意の時分に、先生は長たらしい小説を書いて、その一節に三味線と西洋音楽の比較論なぞを試みた事を思返す。世の中には古社寺こしゃじ保存の名目の下もとに、古社寺の建築を修繕するのではなく、かえってこれを破壊もしくは俗化する山師があるように、邦楽の改良進歩を企てて、かえって邦楽の真生命を殺してしまう熱心家のある事を考え出す。しかし先生はもうそれらをば余儀ない事であると諦めた。こんな事をいって三味線の議論をする事が、已に三味線のためにはこの上もない侮辱ぶじょくなのである。江戸音曲えどおんぎょくの江戸音曲たる所以ゆえんは時勢のために見る影なく踏みにじられて行く所にある。時勢と共に進歩して行く事の出来ない所にある。然しかも一思ひとおもいに潔いさぎよく殺され滅されてしまうのではなく、新時代の色々な野心家の汚きたならしい手にいじくり廻されて、散々慰なぐさまれ辱はずかしめられた揚句あげく、嬲なぶり殺しにされてしまう傷いたましい運命。それから生ずる無限の哀傷が、即ち江戸音曲の真生命である。少くともそれは二十世紀の今日こんにち洋服を着て葉巻を吸いながら聞くわれわれの心に響くべき三味線の呟つぶやきである。さればこれを改良するというのも、あるいはこれを撲滅するというのも、いずれにしても滅び行く三味線の身に取っては同じであるといわねばならぬ。珍々先生が帝国劇場において『金毛狐きんもうこ』の如き新曲を聴く事を辞さないのは、つまり灰の中から宝石を捜出さがしだすように、新しきものの処々にまだそのまま残されている昔のままの節附ふしづけを拾出す果敢い楽しさのためである。同時に擬古派の歌舞伎座において、大薩摩おおざつまを聞く事を喜ぶのは、古きものの中にも知らず知らず浸み込んだ新しい病毒に、遠からず古きもの全体が腐って倒れてしまいそうな、その遣瀬やるせない無常の真理を悟り得るがためである。思えばかえって不思議にも、今日という今日まで生残った江戸音曲の哀愁をば、先生はあたかも廓くるわを抜け出で、唯ただ一人闇の夜道を跣足はだしのままにかけて行く女のようだと思っている。たよりの恋人に出逢った処で、末永く添い遂げられるというではない。互に手を取って南無阿弥陀仏と死ぬばかり。もし駕籠かごかきの悪者に出逢ったら、庚申塚こうしんづかの藪やぶかげに思うさま弄ばれた揚句、生命いのちあらばまた遠国えんごくへ売り飛ばされるにきまっている。追手おってに捕つかまって元の曲輪くるわへ送り戻されれば、煙管キセルの折檻せっかんに、またしても毎夜の憂きつとめ。死ぬといい消えるというが、この世の中にこの女の望み得べき幸福の絶頂なのである。と思えば先生の耳には本調子も二上にあがりも三下さんさがりも皆この世は夢じゃ諦あきらめしゃんせ諦めしゃんせと響くのである。されば隣りで唄うたう歌の文句の「夢とおもひて清心せいしんは。」といい「頼むは弥陀の御おン誓ひ、南無阿弥陀仏々々々々々々。」というあたりの節廻しや三味線の手に至っては、江戸音曲中の仏教的思想の音楽的表現が、その芸術的価値においてまさに楽劇『パルシフヮル』中の例えば「聖金曜日」のモチイブなぞにも比較し得べきもののように思われるのであった。

四

諦めるにつけ悟るにつけ、さすがはまだ凡夫ぼんぷの身の悲しさに、珍々先生は昨日きのうと過ぎし青春の夢を思うともなく思い返す。ふとしたことから、こうして囲かこって置くお妾めかけの身の上や、馴初なれそめのむかしを繰返して考える。お妾は無論芸者であった。仲之町なかのちょうで一時いちじは鳴ならした腕。芸には達者な代り、全くの無筆むひつである。稽古本けいこぼんで見馴れた仮名より外には何にも読めない明盲目あきめくらである。この社会の人の持っている諸有あらゆる迷信と僻見へきけんと虚偽と不健康とを一つ残らず遺伝的に譲り受けている。お召めしの縞柄しまがらを論ずるには委くわしいけれど、電車に乗って新しい都会を一人歩きする事なぞは今だに出来ない。つまり明治の新しい女子教育とは全く無関係な女なのである。稽古唄の文句によって、親の許さぬ色恋は悪い事であると知っていたので、初恋の若旦那とは生木なまきを割さく辛つらい目を見せられても、ただその当座泣いて暮して、そして自暴酒やけざけを飲む事を覚えた位のもの、別に天も怨うらまず人をも怨まず、やがて周囲から強しいられるがままに、厭いやな男にも我慢して身をまかした。いやな男への屈従からは忽たちまち間夫まぶという秘密の快楽を覚えた。多くの人の玩弄物もてあそびものになると同時に、多くの人を弄んで、浮きつ沈みつ定めなき不徳と淫蕩いんとうの生涯の、その果はてがこの河添いの妾宅に余生を送る事になったのである。深川ふかがわの湿地に生れて吉原よしわらの水に育ったので、顔の色は生れつき浅黒い。一度髪の毛がすっかり抜けた事があるそうだ。酒を飲み過ぎて血を吐いた事があるそうだ。それから身体からだが生れ代ったように丈夫になって、中音ちゅうおんの音声のどに意気な錆さびが出来た。時々頭が痛むといっては顳顬こめかみへ即功紙そっこうしを張っているものの今では滅多に風邪かぜを引くこともない。突然お腹なかへ差込さしこみが来るなどと大騒ぎをするかと思うと、納豆なっとうにお茶漬を三杯もかき込んで平然としている。お参りに出かける外ほか、芝居へも寄席よせへも一向いっこうに行きたがらない。朝寝が好きで、髪を直すに時間を惜しまず、男を相手に卑陋びろうな冗談をいって夜ふかしをするのが好きであるが、その割には世帯持しょたいもちがよく、借金のいい訳がなかなか巧うまい。年は二十五、六、この社会の女にしか見られないその浅黒い顔の色の、妙に滑すべっこく磨き込まれている様子は、丁度多くの人手にかかって丁寧に拭き込まれた桐の手あぶりの光沢つやに等しく、いつも重そうな瞼まぶたの下に、夢を見ているようなその眼色めいろには、照りもせず曇りも果てぬ晩春の空のいい知れぬ沈滞の味が宿っている――とでもいいたい位に先生は思っているのである。実際今の世の中に、この珍々先生ほど芸者の好きな人、賤業婦の病的美に対して賞讃の声を惜しまない人は恐らくあるまい。彼は何故なにゆえに賤業婦を愛するかという理由を自みずから解釈して、道徳的及び芸術的の二条に分った。道徳的にはかつて『見果みはてぬ夢』という短篇小説中にも書いた通り、特種の時代とその制度の下もとに発生した花柳界全体は、最初から明白あからさまに虚偽を標榜しているだけに、その中うちにはかえって虚偽ならざるもののある事を嬉しく思うのであった。つまり正当なる社会の偽善を憎む精神の変調が、幾多の無理な訓練修養の結果によって、かかる不正暗黒の方面に一条の血路を開いて、茲ここに僅なる満足を得ようとしたものと見て差支さしつかえない。あるいはまたあまりに枯淡なる典型に陥おちいり過ぎてかえって真情の潤うるおいに乏しくなった古来の道徳に対する反感から、わざと悪徳不正を迎えて一時の快哉かいさいを呼ぶものとも見られる。要するに厭世的なるかかる詭弁的きべんてき精神の傾向は破壊的なるロマンチズムの主張から生じた一種の病弊である事は、彼自身もよく承知しているのである。承知していながら、決して改悛かいしゅんする必要がないと思うほど、この病弊を芸術的に崇拝しているのである。されば賤業婦の美を論ずるには、極端に流れたる近世の芸術観を以てするより外はない。理性にも同情にも訴うるのでなく、唯ただ過敏なる感覚をのみ基礎として近世の極端なる芸術を鑑賞し得ない人は、彼からいえば到底縁なき衆生しゅじょうであるのだ。女の嫌いな人に強しいて女の美を説き教える必要はない。酒に害あるはいわずと知れた話である。然しかもその害毒を恐れざる多少の覚悟と勇気とがあって、初めて酒の徳を知り得るのである。伝聞きくならく北米合衆国においては亜米利加印甸人アメリカインデアンに対して絶対に火酒ウイスキーを売る事を禁ずるは、印甸人の一度ひとたび酔えば忽たちまち狂暴なる野獣と変ずるがためである。印甸人の神経は浅酌微酔の文明的訓練なきがためである。修養されたる感覚の快楽を知らざる原始的健全なる某帝国の社会においては、婦人の裸体画を以て直ただちに国民の風俗を壊乱するものと認めた。南阿弗利加アフリカの黒奴こくどは獣けものの如く口を開いて哄笑こうしょうする事を知っているが、声もなく言葉にも出さぬ美しい微笑ほほえみによって、いうにいわれぬ複雑な内心の感情を表白する術じゅつを知らないそうである。健全なる某帝国の法律が恋愛と婦人に関する一切の芸術をポルノグラフィイと見なすのも思えば無理もない次第である――議論が思わず岐路わきみちへそれた――妾宅の主人たる珍々先生はかくの如くに社会の輿論よろんの極端にも厳格枯淡偏狭単一なるに反して、これはまた極端に、凡そ売色という一切の行動には何ともいえない悲壮の神秘が潜ひそんでいると断言しているのである。冬の闇夜やみよに悪病を負う辻君つじぎみが人を呼ぶ声の傷いたましさは、直ちにこれ、罪障深き人類の止やみがたき真正まことの嘆きではあるまいか。仏蘭西フランスの詩人 Marcelマルセル Schwobシュオッブ はわれわれが悲しみの淵に沈んでいる瞬間にのみ、唯の一夜、唯の一度われわれの目の前に現われて来るという辻君。二度巡り会おうとしても最もう会う事の出来ないという神秘なる辻君の事を書いた。「あの女たちはいつまでもわれわれの傍そばにいるものではない。あまりに悲しい身の上の恥かしく、長く留とどまっているに堪えられないからである。あの女たちはわれわれが涙に暮れているのを見ればこそ、面と向ってわれわれの顔を見上げる勇気があるのだ。われわれはあの女たちを哀れと思う時にのみ、彼女かのおんなたちを了解し得るのだ。」といっている。近松の心中物しんじゅうものを見ても分るではないか。傾城けいせいの誠が金で面つらを張る圧制な大尽だいじんに解釈されようはずはない。変る夜ごとの枕に泣く売春婦の誠の心の悲しみは、親の慈悲妻の情なさけを仇あだにしたその罪の恐しさに泣く放蕩児の身の上になって、初めて知り得るのである。「傾城に誠あるほど買ひもせず」と川柳子せんりゅうしも已に名句を吐いている。珍々先生は生れ付きの旋毛曲つむじまがり、親に見放され、学校は追出され、その後は白浪物しらなみものの主人公のような心持になってとにかくに強いもの、えばるものが大嫌いであったから、自然と巧たくまずして若い時分から売春婦には惚ほれられがちであった。しかしこういう業ごうつくばりの男の事故ことゆえ、芸者が好きだといっても、当時新橋しんばし第一流の名花と世に持囃もてはやされる名古屋種なごやだねの美人なぞに目をくれるのではない。深川の堀割の夜深よふけ、石置場のかげから這出はいだす辻君にも等しい彼かの水転みずてんの身の浅間あさましさを愛するのである。悪病をつつむ腐くさりし肉の上に、爛ただれたその心の悲しみを休ませるのである。されば河添いの妾宅にいる先生のお妾も要するに世間並の眼を以て見れば、少しばかり甲羅こうらを経たるこの種類の安物たるに過ぎないのである。

五

隣りの稽古唄けいこうたはまだ止やまぬ。お妾めかけは大分化粧に念が入いっていると見えてまだ帰らない。先生は昔の事を考えながら、夕飯時ゆうめしどきの空腹くうふくをまぎらすためか、火の消えかかった置炬燵おきごたつに頬杖ほおづえをつき口から出まかせに、

〽変り行く末の世ながら「いにしへ」を、「いま」に忍ぶの恋草こいぐさや、誰れに摘つめとか繰返し、うたふ隣のけいこ唄、宵はまちそして恨みて暁と、聞く身につらきいもがりは、同じ待つ間の置炬燵、川風寒き欞子窓れんじまど、急ぐ足音ききつけて、かけた蒲団の格子外こうしそと、もしやそれかとのぞいて見れば、河岸かしの夕日にしよんぼりと、枯れた柳の影ばかり。

まだ帰って来ぬ。先生はもう一ツ、胸にあまる日頃の思いをおなじ置炬燵にことよせて、

〽春水しゅんすいが手錠はめられ海老蔵えびぞうは、お江戸かまひの「むかし」なら、わしも定めし島流し、硯すずりの海の波風に、命の筆の水馴竿みなれざお、折れてたよりも荒磯の、道理引つ込む無理の世は、今もむかしの夢のあと、たづねて見やれ思ひ寝の、手枕たまくら寒し置炬燵。

とやらかした。小走こばしりの下駄げたの音。がらりと今度こそ格子が明あいた。お妾は抜衣紋ぬきえもんにした襟頸えりくびばかり驚くほど真白に塗りたて、浅黒い顔をば拭き込んだ煤竹すすだけのようにひからせ、銀杏返いちょうがえしの両鬢りょうびんへ毛筋棒けすじを挿込んだままで、直すぐと長火鉢ながひばちの向うに据えた朱の溜塗ためぬりの鏡台の前に坐った。カチリと電燈を捻ねじる響と共に、黄きいろい光が唐紙からかみの隙間にさす。先生はのそのそ置炬燵から次の間へ這出はいだして有合ありあう長煙管ながギセルで二、三服ぷく煙草を吸いつつ、余念もなくお妾の化粧する様子を眺めた。先生は女が髪を直す時の千姿万態をば、そのあらゆる場合を通じて尽ことごとくこれを秩序的に諳そらんじながら、なお飽きないほどの熱心なる観察者である。まず、忍び逢いの小座敷には、刎返はねかえした重い夜具へ背をよせかけるように、そして立膝たてひざした長襦袢ながじゅばんの膝の上か、あるいはまた船底枕ふなぞこまくらの横腹に懐中鏡を立掛けて、かかる場合に用意する黄楊つげの小櫛おぐしを取って先ず二、三度、枕のとがなる鬢びんの後毛おくれげを掻き上げた後のちは、捻ねじるように前身ぜんしんをそらして、櫛の背を歯に銜くわえ、両手を高く、長襦袢の袖口そでぐちはこの時下へと滑ってその二の腕の奥にもし入黒子いれぼくろあらば見えもやすると思われるまで、両肱りょうひじを菱ひしの字なりに張出して後うしろの髱たぼを直し、さてまた最後には宛さながら糸瓜へちまの取手とってでも摘つまむがように、二本の指先で前髪の束たばね目めを軽く持ち上げ、片手の櫛で前髪のふくらみを生際はえぎわの下から上へと迅速に掻き上げる。髱留たぼどめの一、二本はいつも口に銜えているものの、女はこの長々しい熱心な手芸の間あいだ、黙ってぼんやり男を退屈さして置くものでは決してない。またの逢瀬おうせの約束やら、これから外ほかの座敷へ行く辛つらさやら、とにかく寸鉄すんてつ人を殺すべき片言隻語へんげんせきごは、かえって自在に有力に、この忙しい手芸の間に乱発されやすいのである。先生は芝居の桟敷さじきにいる最中といえども、女が折々思出したように顔を斜めに浮かして、丁度仏画の人物の如く綺麗にそろえた指の平ひらで絶えず鬢びんの形を気にする有様をも見逃さない。さればいよいよ湯上りの両肌りょうはだ脱ぎ、家うちが潰つぶれようが地面が裂けようが、われ関かんせず焉えんという有様、身も魂も打込んで鏡に向う姿に至っては、先生は全くこれこそ、日本の女の最も女らしい形容を示す時であると思うのである。幾世紀の洗練を経たる Alexandrineアレキサンドリン 十二音の詩句を以て、自在にミュッセをして巴里娘パリイむすめの踊の裾すそを歌わしめよ。われにはまた来歴ある一中節いっちゅうぶしの『黒髪』がある。黄楊つげの小櫛おぐしという単語さえもがわれわれの情緒じょうしょを動かすにどれだけ強い力があるか。其処そこへ行くと哀れや、色さまざまのリボン美しといえども、ダイヤモンド入りのハイカラ櫛立派なりといえども、それらの物の形と物の色よりして、新時代の女子の生活が芸術的幻想を誘起し得るまでには、まだまだ多くの年月ねんげつを経た後のちでなければならぬ。新時代の芸術の力をもっともっと沢山に借りた揚句あげくの果でなければならぬ。然しかるに已に完成しおわった江戸芸術によって、溢あふるるまでその内容の生命を豊富にされたかかる下町の女の立居振舞たちいふるまいには、敢あえて化粧の時の姿に限らない。春雨はるさめの格子戸こうしどに渋しぶ蛇じゃの目め開ひらきかける様子といい、長火鉢の向うに長煙管取り上げる手付きといい、物思う夕まぐれ襟えりに埋うずめる頤おとがいといい、さては唯ただ風に吹かれる鬢の毛の一筋、そら解どけの帯の端はしにさえ、いうばかりなき風情ふぜいが生ずる。「ふぜい」とは何ぞ。芸術的洗練を経たる空想家の心にのみ味わるべき、言語にいい現し得ぬ複雑豊富なる美感の満足ではないか。しかもそれは軽く淡く快き半音下さがった mineurミノウル の調子のものである。珍々先生は芸者上りのお妾の夕化粧をば、つまり生きて物いう浮世絵と見て楽しんでいるのである。明治の女子教育と関係なき賤業婦の淫靡いんびなる生活によって、爛熟した過去の文明の遠い咡ささやきを聞こうとしているのである。この僅かなる慰安が珍々先生をして、洋服を着ないでもすむ半日を、唯うつうつとこの妾宅に送らせる理由である。已に「妾宅」というこの文字もんじが、もう何となく廃滅の気味を帯びさせる上に、もしこれを雑誌などに出したなら、定めし文芸即すなわち悪徳と思込んでいる老人たちが例の物議を起す事であろうと思うと、なお更に先生は嬉しくて堪たまらないのである。

六

お妾のお化粧がすむ頃には、丁度下女がお釜かまの火を引いて、膳立ぜんだての準備をはじめる。この妾宅には珍々先生一流の趣味によって、食事の折には一切、新時代の料理屋または小待合こまちあいの座敷を聯想れんそうさせるような、上等ならば紫檀したん、安ものならばニス塗の食卓を用いる事を許さないので、長火鉢の向うへ持出されるのは、古びて剥はげてはいれど、やや大形の猫足ねこあしの塗膳であった。先生は最初感情の動くがままに小説を書いて出版するや否や、忽たちまち内務省からは風俗壊乱、発売禁止、本屋からは損害賠償の手詰てづめの談判、さて文壇からは引続き歓楽に哀傷に、放蕩に追憶と、身に引受けた看板の瑕きずに等しき悪名あくみょうが、今はもっけの幸さいわいに、高等遊民不良少年をお顧客とくいの文芸雑誌で飯を喰う売文の奴やっことまで成り下さがってしまったが、さすがに筋目正しい血筋の昔を忘れぬためか、あるいはまた、あらゆる芸術の放胆自由の限りを欲する中なかにも、自然と備そなわる貴族的なる形の端麗、古典的なる線の明晰を望む先生一流の芸術的主張が、知らず知らず些細ささいなる常住坐臥じょうじゅうざがの間あいだに現われるためであろうか。(そは作者の知る処に非あらず。)とにかく珍々先生は食事の膳につく前には必ず衣紋えもんを正し角帯かくおびのゆるみを締直しめなおし、縁側えんがわに出て手を清めてから、折々窮屈そうに膝を崩す事はあっても、決して胡坐あぐらをかいたり毛脛けずねを出したりする事はない。食事の時、仏蘭西人フランスじんが極きまって Servietteセルヴィエット を頤おとがいの下から涎掛よだれかけのように広げて掛けると同じく、先生は必ず三みツ折おりにした懐中の手拭を膝の上に置き、お妾がお酌する盃さかずきを一嘗ひとなめしつつ徐おもむろに膳の上を眺める。

小ちいさな汚きたならしい桶おけのままに海鼠腸このわたが載っている。小皿の上に三片みきればかり赤味がかった松脂まつやに見たようなもののあるのは鱲からすみである。千住せんじゅの名産寒鮒かんぶなの雀焼に川海老かわえびの串焼くしやきと今戸いまど名物の甘い甘い柚味噌ゆずみそは、お茶漬ちゃづけの時お妾が大好物だいこうぶつのなくてはならぬ品物である。先生は汚らしい桶の蓋ふたを静に取って、下痢げりした人糞のような色を呈した海鼠なまこの腸はらわたをば、杉箸すぎばしの先ですくい上げると長く糸のようにつながって、なかなか切れないのを、気長に幾度いくたびとなくすくっては落し、落してはまたすくい上げて、丁度好加減いいかげんの長さになるのを待って、傍かたわらの小皿に移し、再び丁寧に蓋をした後、やや暫くの間は口をも付けずに唯ただ恍惚として荒海の磯臭い薫かおりをのみかいでいた。先生は海鼠腸このわたのこの匂といい色といいまたその汚しい桶といい、凡すべて何らの修飾をも調理をも出来得るかぎりの人為的技巧を加味せざる(少くとも表示せざる)天然野生の粗暴が陶器漆器しっきなどの食器に盛もられている料理の真中に出しゃばって、茲ここに何ともいえない大胆な意外な不調和を見せている処に、いわゆる雅致と称となえる極めてパラドックサルな美感の満足を感じて止まなかったからである。由来この種の雅致は或一派の愛国主義者をして断言せしむれば、日本人独特固有の趣味とまで解釈されている位で、室内装飾の一例を以てしても、床柱とこばしらには必ず皮のついたままの天然木てんねんぼくを用いたり花を活いけるに切り放した青竹の筒つつを以てするなどは、なるほど Rococoロココ 式にも Empireアンピイル 式にもないようである。しかしこの議論はいつも或る条件をつけて或程度に押留おしとどめて置かなければならぬ。あんまりお調子づいて、この論法一点張りで東西文明の比較論を進めて行くと、些細な特種の実例を上げる必要なくいわゆる Maisonメイゾン deド Papierパピエー(紙の家)に住んで畳の上に夏は昆虫類と同棲する日本の生活全体が、何よりの雅致になってしまうからである。珍々先生はこんな事を考えるのでもなく考えながら、多年の食道楽くいどうらくのために病的過敏となった舌の先で、苦味にがいとも辛からいとも酸すっぱいとも、到底一言ひとことではいい現し方のないこの奇妙な食物の味あじわいを吟味して楽しむにつけ、国の東西時の古今を論ぜず文明の極致に沈湎ちんめんした人間は、是非にもこういう食物を愛好するようになってしまわなければならぬ。芸術は遂に国家と相容れざるに至って初めて尊たっとく、食物は衛生と背戻はいれいするに及んで真の味あじわいを生ずるのだ。けれども其処まで進もうというには、妻あり子あり金あり位ある普通人には到底薄気味わるくて出来るものではない。そこで自然おのずと、物には専門家くろうとと素人しろうとの差別が生ずるのだと、珍々先生は自己の廃頽趣味に絶対の芸術的価値と威信とを附与して、聊いささか得意の感をなし、荒すさみきった生涯の、せめてもの慰藉なぐさめにしようと試みるのであったが、しかし何となくその身の行末空恐そらおそろしく、ああ人間もこうなってはもうおしまいだ。滋養に富んだ牛肉とお行儀のいい鯛の塩焼を美味のかぎりと思っている健全な朴訥ぼくとつな無邪気な人たちは幸福だ。自分も最もう一度そういう程度まで立戻る事が出来たとしたら、どんなに万々歳なお目出度めでたかりける次第であろう……。惆悵ちゅうちょうとして盃さかずきを傾くる事二度ふたたび三度みたび。唯と見みればお妾は新しい手拭をば撫付なでつけたばかりの髪の上にかけ、下女まかせにはして置けない白魚しらうおか何かの料理を拵こしらえるため台所の板の間に膝をついて頻しきりに七輪しちりんの下をば渋団扇しぶうちわであおいでいる。

七

何たる物哀れな美しい姿であろう。夕化粧の襟足際立きわだつ手拭の冠かぶり方、襟付の小袖こそで、肩から滑り落ちそうなお召めしの半纏はんてん、お召の前掛、しどけなく引掛ひっかけに結んだ昼夜帯ちゅうやおび、凡て現代の道徳家をしては覚えず眉を顰ひそめしめ、警察官をしては坐そぞろに嫌疑の眼まなこを鋭くさせるような国貞振くにさだぶりの年増盛としまざかりが、まめまめしく台所に働いている姿は勝手口の破れた水障子、引窓の綱、七輪しちりん、水瓶みずがめ、竈かまど、その傍そばの煤すすけた柱に貼はった荒神様こうじんさまのお札ふだなぞ、一体に汚らしく乱雑に見える周囲の道具立どうぐだてと相俟あいまって、草双紙くさぞうしに見るような何という果敢はかない佗住居わびずまいの情調、また哥沢うたざわの節廻しに唄い古されたような、何という三絃的情調を示すのであろう。先生はお妾が食事の仕度をしてくれる時のみではない。長火鉢の傍そばにしょんぼりと坐って汚よごれた壁の上にその影を映させつつ、物静に男の着物を縫っている時、あるいはまた夜よるの寝床に先ず男を寝かした後のち、その身は静に男の羽織着物を畳んで角帯かくおびをその上に載せ、枕頭まくらもとの煙草盆の火をしらべ、行燈あんどうの燈心とうしんを少しく引込め、引廻した屏風びょうぶの端はしを引直してから、初めて片膝を蒲団の上に載せるように枕頭に坐って、先ず一服した後あとの煙管キセルを男に出してやる――そういう時々先生はお妾に対して口には出さない無限の哀傷と無限の感謝を覚えるのである。無限の哀傷は恐ろしい専制時代の女子教育の感化が遺伝的に下町の無教育な女の身に伝つたわっている事を知るがためである。無限の感謝は新時代の企てた女子教育の効果が、専制時代のそれに比して、徳育的にも智育的にも実用的にも審美的にも一つとして見るべきもののない実例となし得るがためである。無筆のお妾は瓦斯ガスストーヴも、エプロンも、西洋綴せいようとじの料理案内という書物も、凡すべて下手へたの道具立どうぐだてなくして、巧に甘うまいものを作る。それと共に四季折々の時候に従って俳諧的詩趣を覚えさせる野菜魚介の撰択に通暁している。それにもかかわらず私はもともと賤しい家業をした身体からだですからと、万事に謙譲であって、いかほど家庭をよく修め男に満足と幸福を与えたからとて、露ほどもそれを己れの功としてこれ見よがしに誇る心がない。今時いまどきの女学校出身の誰々さんのように、夫の留守に新聞雑誌記者の訪問をこれ幸い、有難からぬ御面相の写真まで取出して「わらわの家庭」談などおっぱじめるような事は決してない。かく口汚く罵るものの先生は何も新しい女権主義フェミニズムを根本から否定しているためではない。婦人参政権の問題なぞもむしろ当然の事としている位である。しかし人間は総じて男女の別なく、いかほど正しい当然な事でも、それをば正当なりと自分からは主張せずに出しゃばらずに、何処までも遠慮深くおとなしくしている方がかえって奥床おくゆかしく美しくはあるまいか。現代の新婦人連は大方これに答えて、「そんなお人好ひとよしな態度を取っていたなら増々ますます権利を蹂躙じゅうりんされて、遂には浮瀬うかむせがなくなる。」というかも知れぬ。もし浮瀬なく、強い者のために沈められ、滅ほろぼされてしまうものであったならば、それはいわゆる月に村雲むらくも、花に嵐の風情ふぜい。弱きを滅す強き者の下賤げせんにして無礼野蛮なる事を証明すると共に、滅される弱き者のいかほど上品で美麗であるかを証明するのみである。自己を下賤醜悪にしてまで存在を続けて行く必要が何処にあろう。潔いさぎよく落花の雪となって消きゆるに如しくはない。何に限らず正当なる権利を正当なりなぞと主張する如きは聞いた風ふうな屁理窟へりくつを楯たてにするようで、実に三百代言的さんびゃくだいげんてき、新聞屋的、田舎議員的ではないか。それよりか、身に覚えなき罪科つみとがも何の明しの立てようなく哀れ刑場の露と消え……なんテいう方が、何となく東洋的なる固有の残忍非道な思いをさせてかえって痛快ではないか。青山原宿あたりの見掛けばかり門構えの立派な貸家の二階で、勧工場式かんこうばしきの椅子テーブルの小道具よろしく、女子大学出身の細君が鼠色になったパクパクな足袋たびをはいて、夫の不品行を責め罵るなぞはちょっと輸入的ノラらしくて面白いかも知れぬが、しかし見た処の外観からして如何にも真底しんそこからノラらしい深みと強みを見せようというには、やはり髪の毛を黄きいろく眼を青くして、成ろう事なら言葉も英語か独逸語ドイツごでやった方がなお一層よさそうに思われる。そもそも日本の女の女らしい美点――歩行に不便なる長い絹の衣服きものと、薄暗い紙張りの家屋と、母音ぼいんの多い緩慢な言語と、それら凡すべてに調和して動かすことの出来ない日本的女性の美は、動的ならずして静止的でなければならぬ。争ったり主張したりするのではなくて苦しんだり悩んだりする哀れ果敢はかない処にある。いかほど悲しい事辛つらい事があっても、それをば決して彼かのサラ・ベルナアルの長台詞ながぜりふのようには弁じ立てず、薄暗い行燈あんどうのかげに「今頃は半七はんしちさん」の節廻しそのまま、身をねじらして黙って鬱込ふさぎこむところにある。昔からいい古した通り海棠かいどうの雨に悩み柳の糸の風にもまれる風情ふぜいは、単に日本の女性美を説明するのみではあるまい。日本という庭園的の国土に生ずる秩序なき、淡泊なる、可憐なる、疲労せる生活及び思想の、弱く果敢き凡ての詩趣を説明するものであろう。

八

然り、多年の厳しい制度の下もとにわれらの生活は遂に因襲的に活気なく、貧乏臭くだらしなく、頼りなく、間の抜けたものになったのである。その堪たえがたき裏淋うらさびしさと退屈さをまぎらすせめてもの手段は、不可能なる反抗でもなく、憤怒怨嗟ふんぬえんさでもなく、ぐっとさばけて、諦あきらめてしまって、そしてその平々凡々極まる無味単調なる生活のちょっとした処に、ちょっとした可笑味おかしみ面白味を発見して、これを頓智的な極めて軽い芸術にして嘲あざけったり笑ったりして戯たわむれ遊ぶ事である。桜さく三味線の国は同じ専制国でありながら支那や土耳古トルコのように金と力がない故万代不易ばんだいふえきの宏大なる建築も出来ず、荒凉たる沙漠や原野がないために、孔子こうし、釈迦しゃか、基督キリストなどの考え出したような宗教も哲学もなく、また同じ暖い海はありながらどういう訳か希臘ギリシヤのような芸術も作らずにしまった。よし一つや二つ何か立派などっしりした物があったにしても、古今に通じて世界第一無類飛切とびきりとして誇るには足りないような気がする。然らば何をか最も無類飛切りとしようか。貧乏臭い間の抜けた生活のちょっとした処に可笑味おかしみ面白味を見出して戯れ遊ぶ俳句、川柳、端唄はうた、小噺こばなしの如き種類の文学より外には求めても求められまい。論より証拠、先ず試みに『詩経』を繙ひもといても、『唐詩選』、『三体詩』を開いても、わが俳句にある如き雨漏りの天井、破やぶれ障子しょうじ、人馬鳥獣の糞ふん、便所、台所などに、純芸術的な興味を托した作品は容易に見出されない。希臘ギリシヤ羅馬ローマ以降泰西たいせいの文学は如何ほど熾さかんであったにしても、いまだ一人いちにんとして我が俳諧師其角きかく、一茶いっさの如くに、放屁や小便や野糞のぐそまでも詩化するほどの大胆を敢あえてするものはなかったようである。日常の会話にも下しもがかった事を軽い可笑味ユウモアとして取扱い得るのは日本文明固有の特徴といわなければならない。この特徴を形造った大天才は、やはり凡すべての日本的固有の文明を創造した蟄居ちっきょの「江戸人えどじん」である事は今更茲ここに論ずるまでもない。もし以上の如き珍々先生の所論に対して不同意な人があるならば、請こう試みに、旧習に従った極めて平凡なる日本人の住家じゅうかについて、先ずその便所なるものが縁側えんがわと座敷の障子、庭などと相俟あいまって、如何なる審美的価値を有しているかを観察せよ。母家おもやから別れたその小さな低い鱗葺こけらぶきの屋根といい、竹格子の窓といい、入口いりくちの杉戸といい、殊に手を洗う縁先の水鉢みずばち、柄杓ひしゃく、その傍そばには極って葉蘭はらんや石蕗つわぶきなどを下草したくさにして、南天や紅梅の如き庭木が目隠しの柴垣を後うしろにして立っている有様、春の朝あしたには鶯がこの手水鉢ちょうずばちの水を飲みに柄杓の柄えにとまる。夏の夕ゆうべには縁の下から大おおきな蟇ひきがえるが湿った青苔あおごけの上にその腹を引摺ひきずりながら歩き出る。家の主人あるじが石菖せきしょうや金魚の水鉢を縁側に置いて楽しむのも大抵はこの手水鉢の近くである。宿の妻が虫籠や風鈴ふうりんを吊つるすのもやはり便所の戸口近くである。草双紙の表紙や見返しの意匠なぞには、便所の戸と掛手拭かけてぬぐいと手水鉢とが、如何に多く使用されているか分らない。かくの如く都会における家庭の幽雅なる方面、町中まちなかの住いの詩的情趣を、専もっぱら便所とその周囲の情景に仰いだのは実際日本ばかりであろう。西洋の家庭には何処に便所があるか決して分らぬようにしてある。習慣と道徳とを無視する如何に狂激なる仏蘭西フランスの画家といえども、まだ便所の詩趣を主題にしたものはないようである。そこへ行くと、江戸の浮世絵師は便所と女とを配合して、巧みなる冒険に成功しているのではないか。細帯しどけなき寝衣姿ねまきすがたの女が、懐紙かいしを口に銜くわえて、例の艶なまめかしい立膝たてひざながらに手水鉢の柄杓から水を汲んで手先を洗っていると、その傍そばに置いた寝屋ねやの雪洞ぼんぼりの光は、この流派の常つねとして極端に陰影の度を誇張した区劃の中に夜よるの小雨こさめのいと蕭条しめやかに海棠かいどうの花弁はなびらを散す小庭の風情ふぜいを見せている等は、誰でも知っている、誰でも喜ぶ、誰でも誘いざなわれずにはいられぬ微妙な無声の詩ではないか。敢えて絵空事えそらごとなんぞと言う勿なかれ。とかくに芝居を芝居、画えを画とのみして、それらの芸術的情趣は非常な奢侈しゃし贅沢ぜいたくに非あらざれば決して日常生活中には味われぬもののように独断している人たちは、容易に首肯しゅこうしないかも知れないが、便所によって下町風な女姿が一層の嬌艶きょうえんを添え得る事は、何も豊国とよくにや国貞くにさだの錦絵にしきえばかりには限らない。虚言うそと思うなら目にも三坪の佗住居わびずまい。珍々先生は現にその妾宅においてそのお妾によって、実地に安上りにこれを味ってござるのである。

九

今の世は唯たださえ文学美術をその弊害からのみ観察して宛さながら十悪七罪の一ツの如く厭いとい恐れている時、ここに日常の生活に芸術味を加えて生存の楽しさを深くせよといわば、それこそ世を害し国を危くするものと老人連はびっくりするであろう。尤もっとも国民的なる大芸術を興おこすには個人も国家もそれ相当に金と力と時間の犠牲を払わなければならぬ。万が一しくじった場合には損害ばかりが残って危険かも知れぬ。日本のような貧乏な国ではいかに思想上価値があるからとてもしワグナアの如き楽劇一曲をやや完全に演ぜんなぞと思立おもいたたば米や塩にまで重税を課して人民どもに塗炭とたんの苦しみをさせねばならぬような事が起るかも知れぬ。しかしそれはまずそれとして何もそんなに心配せずとも或種類の芸術に至っては決して二宮尊徳にのみやそんとくの教と牴触ていしょくしないで済むものが許多いくらもある。日本の御老人連は英吉利イギリスの事とさえいえば何でもすぐに安心して喜ぶから丁度よい。健全なるジョン・ラスキンが理想の流れを汲んだ近世装飾美術の改革者ウィリアム・モオリスという英吉利人の事を言おう。モオリスは現代の装飾及および工芸美術の堕落に対して常に、趣味 Goût と贅沢 Luxe とを混同し、また美 Beauté と富貴 Richesse とを同一視せざらん事を説き、趣味を以て贅沢に代えよと叫んでいる。モオリスはその主義として芸術の専門的偏狭を憎みあくまでその一般的鑑賞と実用とを欲したために、時にはかえって極端過激なる議論をしているが、しかしその言う処は敢て英国のみならず、殊にわが日本の社会なぞに対してはこの上もない教訓として聴かれべきものが尠すくなくない。一例を挙ぐれば、現代一般の芸術に趣味なき点は金持も貧乏人もつまりは同じであるという事から、モオリスは世のいわゆる高尚優美なる紳士にして伊太利亜イタリヤ、埃及エジプト等を旅行して古代の文明に対する造詣ぞうけい深く、古美術の話とさえいえば人に劣らぬ熱心家でありながら、平然として何の気にする処もなく、請負普請うけおいぶしんの醜劣俗悪な居室きょしつの中なかに住んでいる人があると慨嘆している。これは知識ある階級の人すら家具及び家内装飾等の日常芸術に対して、一向に無頓着である事を痛罵つうばしたものである。わが日本の社会においてもまた同様。書画骨董と称する古美術品の優秀清雅と、それを愛好するとか称する現代紳士富豪の思想及生活とを比較すれば、誰れか唖然あぜんたらざるを得んや。しかして茲ここに更に一層唖然たらざるを得ざるは新しき芸術新しき文学を唱となうる若き近世人の立居振舞たちいふるまいであろう。彼らは口に伊太利亜イタリヤ復興期の美術を論じ、仏国近世の抒情詩を云々うんぬんして、芸術即ち生活、生活即ち美とまでいい做なしながらその言行の一致せざる事むしろ憐むべきものがある。看みよ。彼らは己れの容貌と体格とに調和すべき日常の衣服の品質縞柄しまがらさえ、満足には撰択し得ないではないか。或者は代言人だいげんにんの玄関番の如く、或者は歯医者の零落おちぶれの如く、或者は非番巡査の如く、また或者は浪花節なにわぶし語りの如く、壮士役者の馬の足の如く、その外見は千差万様なれども、その褌ふんどしの汚さ加減はいずれもさぞやと察せられるものばかりである。彼らはまた己れが思想の伴侶たるべき机上の文房具に対しても何らの興味も愛好心もなく、卑俗の商人が売捌うりさばく非美術的の意匠を以て、更に意とする処がない。彼らは単に己れの居室を不潔乱雑にしている位ならまだしもの事である。公衆のために設けられたる料理屋の座敷に上あがっては、掛物と称する絵画と置物と称する彫刻品を置いた床とこの間まに、泥だらけの外套がいとうを投げ出し、掃き清めたる小庭に巻煙草の吸殻を捨て、畳の上に焼け焦こがしをなし、火鉢の灰に啖たんを吐くなぞ、一挙一動いささかも居室、家具、食器、庭園等の美術に対して、尊敬の意も愛惜の念も何にもない。軍人か土方どかたの親方ならばそれでも差支さしつかえはなかろうが、いやしくも美と調和を口にする画家文士にして、かくの如き粗暴なる生活をなしつつ、毫ごうも己れの芸術的良心に恥はずる事なきは、実げにや怪しともまた怪しき限りである。さればこれらの心なき芸術家によりて新に興さるる新しき文学、新しき劇、新しき絵画、新しき音楽が如何にも皮相的にして精神気魄きはくに乏しきはむしろ当然の話である。当節の文学雑誌の紙質の粗悪に植字しょくじの誤り多く、体裁の卑俗な事も、単に経済的事情のためとのみはいわれまい……。

閑話休題あだしごとはさておきつ。妾宅の台所にてはお妾が心づくしの手料理白魚の雲丹焼うにやきが出来上り、それからお取り膳ぜんの差しつ押えつ、まことにお浦山吹うらやまぶきの一場いちじょうは、次の巻まきの出づるを待ち給えといいたいところであるが、故あってこの後あとは書かず。読者諒りょうせよ。

明治四十五年四月

底本 / Source edition

底本:「荷風随筆集(下)〔全2冊〕」岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年11月17日第1刷発行
2007(平成19)年7月13日第23刷発行
底本の親本:「荷風隨筆 一」岩波書店
1981(昭和56)年11月17日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2010年4月15日作成
2021年2月4日修正
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リリース / Release
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TEI
/works/049644_001341/tei
プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/049644_001341/

永井 荷風「妾宅」(新字新仮名)、底本『荷風随筆集(下)〔全2冊〕』岩波文庫、岩波書店、1986年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 049644_001341, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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