Soranoha

晩秋の頃

ばんしゅうのころ

田山 花袋、田山 録弥

秋は深くなつた。落葉ががら〱と家の周囲を廻つて通る。朝から障子に日が当つて、雀がチヤ〱と鳴いて居る。芭蕉の葉は既に萎しほれた。

栗の実を拾ひに、競つて朝早く子供等の起きたのはつい此間であつたが、今は落葉が深く積つて、それを掃く音が高く聞える。朝焼火たきびをした火が午後まで消えずに残つて、プス〱と細い煙を立てゝ居ることなどもある。近所の工場の物音も手に取るやうに聞えて、黒い煙が晴れた空にくつきりと靡なびく。

私の家は林の蔭にある。

風の日には、樹の鳴る音が波のやうに聞える。ことに大きい欅けやきの樹が多いので、普通の林などでは想像されぬやうな遠い高い音がする。大い樹と言ふものは動いて居る時にも、静まつて居る時にも立派なものだなどと私は思ふ。

その欅の木の側そばを通つて、右に曲つて、私はよく此処に遣つて来た。其頃、私の此家やは丁度半分出来上つて、瓦師が書斎の屋根に瓦を載せて居た。あたりは大抵畑で、森には雑草が生茂つて、名も知らぬ蔓の色附いたのが薄く午後の日影に照されて居た。私は根太板の張られたばかりの書斎に上つて、いろ〱なことを考へた。徒らに過ぎ去つた自分の半生――三人の人の親となつて、かうした郊外に家を定きめやうとする境遇が染々思遣られた。『静かに読書しよう、静かに筆を執らう』私は唯かう思つた。

それから三年はもう過ぎた。

周囲は非常に変つた。もう畑など見られぬほどの屋敷町になつて了つた。到る処の新しい家の庭を彩つてコスモスが咲いて居る。夜は、瓦斯がすの光が家々から洩れて、村の垣かきね道を明るくした。

庭では、植木屋が昨日の野分に吹倒された垣を修繕して居る。

『さうですな、建仁寺垣がきは、正直の処三年位しか持ちませんな』と其時言つた三年がもう来たのである。鋤や鍬が朝日に光つて、張つた縄の向ふに、通が見える。通には煮豆屋が鈴を鳴して通つて行く。

銀杏いてふが一本、毎日通ふ道の角にあつた。

『銀杏は美しいものですねえ』とある日私が言ふと、

『そら、彼処あすこに一本好いのがありますね、丁度先生の通る処に』

かうお貞ていさんが言つた。

『あなたもさう思つて居たんですか……あれが実際綺麗なんですよ。夕方、帰つて来て、そら、彼処の橋のある処があるでせう。あの上の処から此方がよく見えるが、彼処から見ると、櫟や栗や庭樹などの暗く暮れかゝつた中にあれが一本はつきりと鮮かに出て居るんですよ。実に何とも言はれない、秋は今其一本にその名残の色を留めてゐるといふやうな気がしたですよ』

その銀杏も昨日見た時には、葉はもう残り少くなつて、空しい枝が蒼く澄んだ空にさびしさうに見えて居た。秋はもう暮れ近い。

凩が凄じく立つた。

硝子戸がガタ〱鳴る。新しく張り更へた障子の中の室は常よりも明るく、床には茶の花が生けてある。

此頃、野に出ると、空の色、森の落葉、青々とした大根畑、心を惹くやうな景色が到る処にある。と、かう思ひながら、私は毎日電車の停留場の方に出て行つた。停留場に居る人は大抵知つた顔が多かつた。垣の角でよく邂逅めぐりあはす軍人や、田畝たんぼで一所になるハイカラな若い男や、お茶の水に通ふ肥ふとつた娘や、勿論口を利いたことは一度も無いが、互に顔だけは知つて居て、あゝあの人は彼処に居るんだなゝどとよく思つた。

電車が停留場を出て、速力を早めたと思ふ頃、丁度代々木野が一面に見渡される。丘から丘に連つた新建の家屋の上に富士が白く見える。

底本 / Source edition

底本:「定本 花袋全集 第二十七巻」臨川書店
1995(平成7)年7月10日発行
底本の親本:「椿」忠誠堂
1913(大正2)年5月5日
初出:「文章世界 第四巻第十五号」
1909(明治42)年11月15日
入力:tatsuki
校正:hitsuji
2022年11月26日作成
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TEI
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書誌 / Bibliography
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田山 花袋、田山 録弥「晩秋の頃」(新字旧仮名)、底本『定本 花袋全集 第二十七巻』臨川書店、1995年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 049090_000214, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite